内容の良し悪しとかは一切関係無く、フィクションなのにその事を最初に明示せずにあたかも実話であるかのように見せかけてTwitter上に流すという行為が本当に卑怯で許せなくて無理
「一杯のかけそば」とか、昔はめちゃくちゃ叩かれたらしいんだが
今の人達は気にしないのか?
アカウントをちゃんと設定してればセンシティブ画像はシステム側でクッション表示されるし何の問題があるんだ
それでは足りないっていうのなら保護者側で包括的なコンテンツガード設定を煮詰めるべきだし
それが難しい、Twitter側にもっと保護機能が必要だというなら消費者として働きかけて訴え出ればいい
発信する利用者側に負担を強いて利用者側の裁量に頼り切るような設計はフェアじゃない
そういう属人性に頼るシステムは脆弱だし、実際効力などろくに発揮できていない、子どもでも用意に突破できる、自称成人です、でパスできる程度のなんちゃってゾーニングしか出来てないだろう
個々で勝手にあーだこーだやって「私達マナー弁えてて偉い」と満足している連中は、むしろシステムの発展の足枷になっている自覚をもってほしい
自由な社会では、個人や権威による裁量に委ねる発想はNGで、ルールを洗練させていくことではじめて進歩していくんだよ
裁量よりルール、思想や経済から学びを得たリベラルな人間は基本的にこのような行動規範を身につける、サービスを作ってるアメリカのエリート企業も例外ではない
どんな利用者も、そのサービスの利用規約だけを一元的に見てれば正しい振る舞いをできるように設計されているのが、優れたサービスだ
その投稿どっかで見た
「昔、ウユニ塩湖に行ったんですよ。」で始まるツイート、実話じゃなくて小説らしいけれど。
こういうふうにまるで実話みたいに見せかけておいて小説でしたってやつ、
物凄く卑怯なやり口で許せないと思うんだけど皆平気なのかな
表現の自由は大事だと思うけど、エロ絵を見せるまでにワンクッションはさむことは忖度ではなくマナーとか配慮だと思うんだよなあ
Twitterは、リアルで言うなら子供含めた誰でも歩ける道なわけじゃん
そんなとこにエロ絵伏せずに置く?っていう
そっちも好きだが、やっぱりぽぽーぽぽぽぽー聞かないとスーパーに来た気がしないんだよ。。
おじさんと結婚しよう😎
BGMなしとか味気なさすぎじゃん
アンタもけっこう単純ね~
悔しいですぅ!!
今実写邦画で大ヒットしてるらしい某余命映画を観てきたんだけど、
心理描写やセリフがあまりにも薄っぺらすぎて耐えきれず途中退席(人生初)してしまった
感動して泣きました!みたいな感想がたくさん書いてある
僕が行った映画館はカップルも多かったけど誰一人泣いてる人はいなかった
そのギャップの理由が分からず色々調べていくと、製作委員会に「電通」の2文字が・・・
ああそういうことか、と全てが腑に落ちた
正確に言うと、「外商回し」という単語の意味はググって分かったけど、御がついて「外商御回し」とする意味はわからなかった。読んでいた小説に登場した言葉。登場人物の服装を“「外商御回し」風の服装”と表現。要はその人物の年齢やいる場所に似合わないくそダサい恰好であると揶揄する表現だった。
外商とは。デパートのVIP客のための御用聞きみたいな人。外商部という部署に所属している。VIP客の住まいを訪問して、雑談がてら御用聞きや売り込みなどをする。
外商回しとは。客がデパート内でぶらぶらお買い物をする際にレジで「外商に回して」というと、支払いが外商に回るので、そこで精算する必要がなくなる。デパート内のあちこちで、服だの宝飾品だの家電だのインテリアだの食品だの、あちこちのコーナーをうろついて客は買い込むわけだが、全コーナーのレジで「外商に回して」の一言で財布を出さずに済む。
で、客は買い物が終わったら最後に外商のところへ行って買ったぶん全部の支払いをするのだが、外商回しにすると外商が各コーナーの担当者に値引き交渉をしておいてくれるので、支払い額がお安くなるというメリットがある。一方、外商は担当顧客が外商回しで買い物をしてくれると、それが自分の実績になる。つまり外商回しとは、客と外商にとってはWIN WINのシステムなのだ。
という事なので、「外商御回し」と揶揄された恰好というのは、デパートの外商みたいな服装という理解でいいのだろうか。外商回しをする客のような恰好の事ではないよなあ? と考え込んでしまったが。
ちなみに、件の「外商御回し」さんの服装を具体的にいうと、予備校生の分際で“衿の硬そうな襯衣(シャツ)を着、きっちりとボタンをかけ、折り目の入ったズボンにタッセルつきの革靴という扮装(いでたち)”だそう。小説の時代設定はおそらく00年代初頭。とっちゃん坊やみはある。