はてなキーワード: 広汎性発達障害とは
他にも知ってたら教えてください
発達障害の中学3年生がハンマーやナイフで小学生5人を殺傷し、2人を殺害した
28歳アスペルガー無職の男が全日空61便で機長を刺殺してハイジャック
アスペルガーの17歳少年が「人を殺してみたい」という動機から主婦をナイフで滅多刺しに殺害、夫も負傷させた
広汎性発達障害の17歳少年が西鉄の高速バスを牛刀でハイジャックし人質1人を殺害、2人を負傷させた。
アスペルガーの高校生が野球部の練習中に部員をバットで殴打、自宅に帰宅後母親を撲殺した。
広汎性発達障害の16歳の少年が口論の末に母親を金属バットで殺害
29歳の軽度知的障害・広汎性発達障害の男が待ちで出会った19歳の女性にバカにされたと勘違いし刺殺
中学一年生アスペルガーの少年が4歳の少年を誘拐、ハサミで性器を切りつけた挙げ句突き落として殺害
小学6年生のアスペルガー少女が同級生にバカにされたと勘違いしカッターナイフで殺害
寝屋川市の中学校に広汎性発達障害の17歳卒業生が侵入し逆恨みから教師1人を殺害、2人を負傷させた。
22歳の無職アスペルガー男性が自宅に放火し父親を焼死させた。
16歳アスペルガーの高校生が母親の食事にタリウムを混入し殺害を謀った。
アスペルガーの男子高校生が逆恨みから同級生の女子生徒を滅多刺しにして殺害
山口母親殺害事件の犯人が出所後、面識のない姉妹を強姦、刺殺した
アスペルガーの23歳アルバイト塾講師が塾生の少女を逆恨みから刺殺
21歳のアスペルガー浪人生が短大生の妹を口論の末に自宅で絞殺、遺体を解体して遺棄した。
43歳無職広汎性発達障害の男性が金銭トラブルから義姉とその孫2人を刺殺
19歳の広汎性発達障害の男が岡山駅で男性を線路に突き落とし殺害
父親に対して不満を抱いていたアスペルガーの無職23歳男性が八つ当たりから祖父母を刺殺
30歳の軽度知的障害と自閉症の引きこもり男性が父親と姪を殺害、母親、弟とその妻を負傷させ自宅に放火した。
・AKB48握手会襲撃事件2014.5.25
19歳の女子大学生が高齢者の女性をマフラーで絞殺。加害者は高校時代に同級生2人にタリウムを飲ませて殺害しようとしたり、放火未遂を図っていた。
31歳アスペルガーの男が近隣の少年に嫌がらせを受けていると勘違いし刺殺
アスペルガーの男性が小学6年生の息子に対して教育虐待の末に刺殺
22歳無職アスペルガーの男が新幹線のぞみ号車内で鉈を振り回し、男性一人を殺害、女性2人を負傷させた。
42歳無職引きこもりアスペルガーの男が荒していたネットサービス運営に通報された逆恨みから面識のないブロガーの男性をナイフで滅多刺しにして殺害
44歳アスペルガー無職男性が元農林事務次官の父親に殺害された。父親は長年長男からの暴力に苦しめられており、近所の子供を襲うのでは無いかとの懸念から犯行に及んだ
それ、ASD(自閉スペクトラム症)と広汎性発達障害(PDD)を混同しちゃってるね。
APAのDSM-IVがDSM-5にアップデートされたとき、アスペルガー症候群を下位分類に含めた広汎性発達障害(PDD)という概念が自閉スペクトラム症/自閉スペクトラム障害(ASD)という概念に移行したんだよ。
このアップデートにより、DSMからはアスペルガー症候群という病名は消えた。
さらに、WHOのICD-10がICD-11にアップデートした際、APAのDSM-5を踏襲したので、同じくPDD→ASDとなった。
このアップデートによって、ついにDSMだけでなくICDからもアスペルガー症候群という病名は完全に消えて無くなった(下位分類にも存在しない)。
増田は操作的診断基準における下位分類という概念が分かってないっぽい?
「コードF84 広汎性発達障害」の下位分類のひとつが「アスペルガー症候群(F84.5)」
【参考】https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/tokubetu/main/002/004.htm
↓
【参考】
この他大量にあったものの、増田の仕様にひっかかりそうなのでここまでとする
もう誰かWikiでも作っておけよ
10年ほど前に診断を受けた。しばらくは投薬治療と精神疾患患者向けのセラピーのような物を受けていたが、数ヶ月後に転職・引越しをしたためにまともな治療をしなくなってしまった。
転院をしたはいいが家から距離があいてしまい物理的に面倒になった。転職とはいえ実質ニートに近かったこともあり金銭的に厳しかったことや、自立支援も引越しを期に失効したのでグズグズだ。
それでも当時ハマっていたゲームを通じて仲間と交流をしたりして、自分が危うい存在なことを無理矢理追い出していた。なので今までは何とかなった。
今はまた別の新しい仕事に就いたが、やはり能力的な面と自身の特性上のこともあってかなり厳しい。
なにかストレスがかかると自暴自棄になり突発的な自傷行為に走りたがるし、集中できるときとそうでないときの落差が激しい。ミスをするのは当然だし、ミスをするのがわかっているので仕事にはそれほど身が入らない。できることはトコトン出来るけど、一般的なことがまるでできないのは発達にはよくあることだろう。そしてそのできることすらド素人より出来る程度だ。
結局、投薬治療等を行うしかないのだが自分の中で薬が効いていた実感はあまりない。量が足りないのか単に外れだったのか、診断自体が間違っていたのか。
どれにせよ原状を回復させるのは自分だけではどうしようもない。でもお金がかかるし、投薬をするなら自立支援を受けなければならない。当然それは会社に知られることとなるから自分に対してどのような不利益がかかるかは未知数だ。
子どもつくる上で本当に障害児(これは身体的なものというよりは発達障害とか知的障害の方)ができたらと思うと心底恐ろしいんだけど、
みんなそれほどそのことは怖くないんだろうか
子どもほしいと今思ってる人、あるいはすでに子どもいる人はどうやってその恐怖乗り越えたんだろう
今度結婚するんだけど、相手はいつかは子ども欲しいな、って感じなんだよね
でも変な子どもが産まれて自分の人生台無しになってもいいって覚悟、全然できない
自分の兄弟が広汎性発達障害だけど、仲は最悪だし、子どものときはとにかく早くいなくなって欲しいとしか思えなかった、今もそれは変わらない
ああいうのが自分の子どもだとしたら耐えられない、会話もまともに通じなくて、空気も全然読まなくてとにかく一緒に居たくない
こんなのの世話に人生費やしたくないとしか思えなくて、SNSとかでもそういう育児で苦労してる人ばかり見かけてつらくなる
今日のやまゆり園の報道とか見てても、明らかに家じゃ世話見切れなくなってそういう施設に入れてると思うんだけど、
施設入れるまでは自分の時間も金もそれに全部吸い取られて、その上で多分そういうところに入れてるよね
もう本当に自分の人生なんかなくなる覚悟でみんな産んでるのかな
正直そんな簡単に「なんかかわいいから欲しい」って全然感じられない、リスクの塊にしか思えない、将来の負債にしか見えなくて、
こんなの、いつか欲しいなんて永遠に思えないと思うんだけど、みんなどう割り切って産んだんだろうか
端的に挙げると
こういった諸症状がある。
普通の人ならできることがまるで出来ない。
これが仕事だからまだ良いのかもしれない。実生活や趣味の世界だと一番害悪だと思う。責任分岐点がきちんと組織の中にあるからギリギリやってこれたのかも。
原因はある程度わかっている。恐らく何らかの発達障害。小学校に上がる前当たりから奇妙な言動があり、小中学校では完全に奇行種だった。5年ほど前に広汎性発達障害と診断されたのでいまもそうなんだとおもう。それが大本となって学業や仕事全般が最悪な結果を残している。転職回数もそこそこある。退職理由は全てが似たりよったりだ。
よく転職する際に「この程度のことも出来ないなら社会で通用しないぞ」という殺し文句があるけど、それがそのまま通用する人間が俺のようなタイプ。
普通の人ならできることがまるで出来ない。
支援サイトにその支援サイトで設定できる上限のプランを用意している人がいたんだけど、閲覧できる作品が月500のやつと同じと書いてあって、見つけた当時は月10万とか馬鹿げてるなとしか思わなくてスルーしてしまった。
それが後になってみて気になり始めた。「ぜひリクエストしてください!丁重に描かせていただきます。」みたいなことが書いてあったのを思い出し、それが後になって貴重な条件にみえてきたのだ。
skebとかで数万円の単価で絵を描く人はよく見るが、プランとして10万円とかいう価格で用意して好きなように酷使できるにしてる人って今まで見たことなかったから、そういう人は一体どんな絵を描くと気になって仕方がなくなってきたのだ。逃がした魚は大きい的なやつかもしれない。
それからはもう他のエロ絵で抜けなくなってしまった。一旦関心がそっちに向いてその絵をひと目見るまでは何も性的に興奮できなくなってしまったのだ。
広汎性発達障害と診断されてるのでその気質が影響してるのかもしれない。
何につけてもその絵師のサイトをもう一度見つけることに興味が向き、資格試験に勉強にも集中できなくなった。
性依存症だろうか。とにかく今の俺の状態は昆虫並みなんじゃないか。
障害診断されてるのでそれ用のかかりつけ医もいるが、しかし性依存症ではないかということはカミングアウトできないから根が深い。
特に男が陰でそれなりの頻度でオナニーとかしてるのは当たり前の話だが、だからといって誰かに対峙するたびに「この人も自慰してるんだろう」とかいちいち思ったりはしないだろう。医者であってもだ。
それが一旦カミングアウトしまうと常識でありながらそれゆえに意識されてこなかった事実が、その瞬間から前面に押し出される。その瞬間からきっと医者に俺は「エロいことしてる人」と診察を受けるたびに思われるようになるわけだ。そうなることがどうしても嫌だ。それをすれば治療を前進させることができるんだとしても嫌なのだ。
漫画とかテレビなどオタクについて公共の媒体で語られるとき、こういうことについては触れられてないと思う。
なにかのはずみで無惨様よろしくな昆虫並みの行動傾向になってしまうオタクがいることを。
それはそういう発表力、記者であるという社会的な立場とか単純に文章力がある人に、こういう実感を持ちうるほどそこまでR18オタク界隈にどっぷり浸かっている人がいないからかもしれない。ある程度知識を揃えようとしたところで知識として得られるものはうわべにとどまり、あとはイメージで補うということをしている結果メディアに描かれるオタク像はどうしても似たり寄ったりになるのだろう。もっと多種多様な症例があるだろうにそれは記述されないのだ。
逆に俺みたいな当事者もまた、文章力とかないので緻密に事実の細部を伝えきれず結局は四捨五入するようにかなり「丸められた」状態でしか伝えることができてないと思う。表現力などがないから結局メディアが語るステレオタイプと大差ないことしか伝えられずに終わってしまうということだ。
ジャニーズの宮下?だかはラブライブとかエヴァとかあくまで地上波アニメの範疇でオタクであると印象づけたいようだが、そこを対馬忍のゆきかぜのちっぱい最高ですとか言うようになったら俺も好感持てる。ハマってる18禁絵師がいるとか言ってほしいものだ。
だって俺個人の感性としては「可愛いということ」単体には価値がないから。可愛い子がエロかったりときにはパンスト被せられたりがに股ポージングさせられてるような絵や動画にはじめて魅力を感じる。下手なたとえなのは自覚してるがたとえるならば、自転車のボディーだけ与えられてもタイヤだけ与えられてもそれ自体には使用価値がなくて、自転車ごと与えられてはじめて使用価値が出てくるようなものだろう。
そして地上波アニメにエロいことを求めるのは非効率だから結局地上波アニメやその感想だけを連ねるだけの人には好感が持てないということになるわけだ。可愛い子が可愛いことしてるだけの絵面の何がいいの?としか思えん。
まあでもそういうことを平気でいうような芸能人もたくさんいるのだが気持ち悪いと思われるだけだから売れないというだけのことなのかもしれない。
芸能界を生き抜くにはアルコピース平子がスマホ見せてと言われたときに「これ見せたら社会人としても人間としても芸人としても終わる」とか言うぐらいの慎みは必要なのだろう。俺はそれがないからこそ障害者なのだろう。
やや自分語りだけど、俺は自分のことを会社員として無能だと思っている。ずっと前に広汎性発達障害と診断を受けたこともあり、おそらくそれが原因だとおもうが真相はなぞ。
勉強は、得意ではないけど一定水準は超えていると思われる。しかし仕事に関しては絶望的に無能だ。例えば予算に関する各種書類づくりもまるでだめだ。手順自体を理解していないし他人との打ち合わせ等もロクにできない。書類作成も鈍くて取っ掛かりも遅くて外部に問い合わせるものも後手後手になっている。会議の進行もグズグズ。自分の仕事なのに前任者に補助してもらわなければ何もうまく進められないし、なんならチェックして貰ってる担当外の人のほうがよくわかっている。自分の領域なのにわかっていないことが多すぎる。
いままでいくつもの会社を渡ってきたし部署も移動もしてきた。その全てで同じようなミスをして同じような叱られを受け同じ無能の烙印を押されている。
ただ、わかったことが一つだけある。
何らかの手順書として明文化され自分にもわかるようになっているものか、あるいは自身が興味を持って取り掛かったことに関してはスムーズに働くということ。決まりごととして明確に意図があり他人の考えが介在しないものやルール自体に直接アクセスできるものは難易度にもよるけど意外とできたりする。もちろん自分が理解していればの話。
無理なものは、個人の見解や意図を読む必要があったり、ネットで調べてもでてこないようなもの。あるいは明文化されず口頭で教えられたものや社会人として当然に備わっているとされるようなもの。報連相とかね。コミュニケーションが介在すると途端にグズグズになる。
「なんでそんなこともできないの」というかもだけど、普通じゃない人にとってはこんなことが障壁になる
じゃー具体的に何ができるのって言われたら、例えば料理がある。材料を用意してその中でレシピを探し、手順通りに作る。これは小学校の家庭科において基礎を学び、実際に味の違いや食材がもたらす化学反応や手順の意味を日々の生活の中で理解しているからだと思う。元々料理自体が好きだったこともあるかもしれない。特別なことはできないし大きなアレンジも無理だけど基本的なものはわかる。もちろん効率的に素早く作るのは苦手だけど、トライ・アンド・エラーの積み上げで結果もすぐに分かるから得意になった。なによりネットを調べるとあらゆる情報が載っているのが大きい。
DIYに関しても、手順やなぜそれがだめなのかが事細かくネットや書籍に載っている。そういう物を調べて時間を書けて自分の中で形にしていくことで人並みにはできるようになる。
だけど仕事場で他人と仕事の配分等を決めたり、事前に根回しをして書類を通したり、手順書なしに仕事をしたりってのは壊滅的にできない。もともと理解が遅くて興味あることにしか取りかかれないし優先順位が常に曖昧なんだよね。脳の働きが普通の人より制限されているんだと思う。これが広汎性発達障害によるものなのかは、正直わからない。
仕事なんだから興味あるとか関係なくやれ、ってのはそのとおりだ。でも俺は自分の中に根付いたことの周りにしか幹や枝を伸ばせない。その根が人より細かったり歪だったりする。
俺は一般企業の社会人としては全く使い物にならない。物事をきちんと理解して自分のものとするまで時間がかかり、適切な反復学習と意欲がなければ全く身につかない。こうやってどんどん人との能力に差が出てきており、いまはもう取り返しがつかない。逆に家庭の仕事は昔から反復をしておりある程度は身についている。なにより調べればきちんと知識としてでてくるし自分でアップデートしている。仕事なんだから我慢すればいいとはおもうけど、自分の性質が社会からは完全に出遅れたものである以上は周りの補助なしにこれ以上するのは危険だと思う。
それなら今できる主夫業のほうが全然向いている。料理だって凝ったものから時短までそこそこいける。アイロンや洗濯も訓練されてきたし自分で調べたりしてできるようになった。子育てが心配だけど自分で調べられる以上はおそらく大丈夫だ。
社会に出てないと世間知らずになったり技能が身につかない、という懸念はある。だけどいまやってる仕事は一般的な社会の中では随分と小さなことしかしていないし技術的なことに関しては初歩の初歩どまりなことがおおい。もちろん知識を蓄えればそれなりに仕事は回せるんだけど、そこに自分が至れるのは50年以上先だろう。だったら専業主夫となにが違うんだろう。
普通の人より知識も技能も知恵も劣る。だけどネットや家族を駆使してインプットとアウトプットをできる環境でなら活動ができる。おそらく俺は家やコミュニケーションが取りやすい特定の仲間内およびネットの中でしか生きられない。知識をアップデートして技術を磨く機会が家庭やゲームやネットの中にしかなかったからだ。それも普通の人には劣るんだろうけど、社会人として仕事をするよりずっとよくできる。
いい話風ふれあいエピソードとしてちょ~どいい~ちょ~どいいわ~
家庭環境や筆者との交流を子供が熱中している鉄道にいい感じに絡めてるのがよくできている風でよろしい!
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kokoro/2/1/2_1_1/_article/-char/ja
母親の面接が主訴の改善を確認してEくんよりも先に終了することになった。その際にEくんと通じ合えるようになったこと、Eくんが友達ともかかわるようになったこと等も述べられた。
このときEくんは母親面接の終了を母親から知らされておらず、面接の場で動揺した様子を見せたが、それを契機にEくんとの面接終了の目途について話をすることができた。
Eくんは面接終了について「終わるんじゃない。休止だ。休止路線には線路がない。でも妻線はおもしろい。休止路線なんだけどアスファルトに線路が残っている。」と言った。
筆者は休止に際し、バウムテストを施行した(図 3;#63)。描かれた木は砂漠に生えた南天の若い木で、風が吹いていると説明し、E くんは「大きく育つよ!」と感想を述べた。筆者は砂漠は一見荒涼とした風景であるが、実は栄養分を多く含むので水さえ与えれば植物が育つ土壌であること、今後現実の対人関係の中で水を吸収していくことがEくんの未来に向けての課題ではないか考えた。そして何よりもEくんの感想を心強く思い、面接を終了することにした。
中盤、交流が深まってきたと感じられる一方、怖い面も覗かせてちょっとゾクっとさせるのも引き込まれるポイント!
第3期(#17~#24):鉄道で内的世界を表現し始める
ポケット時刻表を毎回持参し、鉄道を色々なかたちで表現し始めた。具体的にはノートに書いたF鉄道の主要駅の構造を説明したり、廃線の本を持参してさりげなく見せたり、難しい漢字の駅名クイズを出したりした。筆者はEくんが大事な宝物をそっと見せてくれたように感じ、このEくんの内的世界の表現を一緒にじっくり味わうことを心がけた。Eくんは旧字体を好んだが、筆者はこれも廃線や廃寺に共通したEくんの内的世界の表現として受けとめた。
#20 にはEくんは初めて血縁が複雑さや自信がないことを言葉で表現した。
トランプでは、カードを住宅に見立てて金持ちの屋敷、貧乏人の荒屋、地価の変動等の話を作ってごっこ遊びをした。
学期の終了にまつわる話から「学校の破滅も近い。爆弾を仕掛ける!」と言ったり、トランプでの見立て遊びで「賄賂を受け取って見つかった!」「脱サラして事業が倒産!」「人殺しだ!皆殺しだ!」等と言ったりして、徐々にEくんの破壊衝動も現れるようになった。
ただ、論文ってこんなエッセイみたいなワンエピソードの読みやすいものだったのかなって。心理療法の効果も読み取りにくいし。
コメント、というか査読が3本あるけれどどれらからも評価はあまりよくない。
「心理療法の有効性をいう前に」 麻生 武
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kokoro/2/1/2_1_14/_article/-char/ja/
本論文は13歳の広汎性発達障害の男子に対する1年9ヶ月間のプレイセラピーの報告である。論
文としての弱点は、3点ある。1つ目は、広汎性発達障害の子どもたちへの援助がトータルにいかに
あるべきかを論じずに、「心理療法が必要か必要ではないか」といったきわめて狭い視点から論文が
執筆されていることである。対人関係・コミュニケーションの援助および心理的な援助が重要なこと
は言うまでもない。しかし、それらは果たして「療法」なのだろうか。広汎性発達障害の人たちのか
かえる困難の大きさを考えるときに、その生活へのトータルな理解と援助の重要性を考えるならば、
「心理療法」云々はあまりにも視野が狭いように思われる。2つ目は、アスペルガーや広汎性発達障
害の人たちについての従来の取り組みや諸研究が踏まえられていないことである。3つ目は、本論文
のオリジナリティである。「心理療法の有効性を示した」というのがオリジナリティであるとは考え
られないことは、1に述べた理由による。残念ながら、本論文は、論文としてのオリジナリティに欠
ける事例報告と判断せざるを得ない。
岡田珠江「広汎性発達障害児への心理療法」へのコメント 久慈 要
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kokoro/2/1/2_1_18/_article/-char/ja/
この論文は、その組み立ての構成、主張の提示、根拠付けに不満を感じさせるものがある。この再整理
が必要である。また、他の研究者の主張の理解に誤解があるようにも思われる。さらに、根本的な疑問と
して、広範性発達障害に対し、心理療法のみを適用しているように見える筆者のやり方は、一般的に行な
われている治療の考え方からも、筆者自身がこの論文で書いていることからも外れている。
岡田珠江論文「広汎性発達障害児の心理療法」へのコメント 小島 摩文
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kokoro/2/1/2_1_16/_pdf/-char/ja
岡田珠江著「広汎性発達障害児の心理療法」では、「はじめに」において、論文の目的を「事例を通して
広汎性発達障害児の二次的な心理的情緒的な問題に対して療法が適用できることを検討」することだと述べてい
る。しかし、本論で扱われている事例は1例だけであり、このことをもって当該療法が適当か不適かを問うこと
はできないと考えらる。療法の妥当性をとうのであれば事例の量は当然相当数無ければならない。当該論文は単
なる事例報告であり、論文の評価としては-1とする。
さらに余談だが査読がランダムに、門外漢にも依頼されているようでみな苦言らしきものを呈しているとろこも面白い。
査読ということで命を受けましたが、「『査読』というものは、ある基準を示すことであり、執筆者にその基準をクリアーするのに際してのアドバイスをすることだ」(麻生武,2004)と私も思いますので、門外漢の私の文章は単なる感想文にしかならないと思います。
しかし、会の趣旨からいってこのようなことも本来無意味ではないと思います。ただ、私の力不足から無意味な議論になりはしないか不安にも思っております。
学会にまったく明るくないが掲載された
「心の諸問題論叢」
http://www.eonet.ne.jp/~aaa-zzz/
が電子ジャーナルであることや論文の投稿を一般(全世界)から公募していることなどから通常とは毛色が違うものが集まったのかもしれない。
まず『心の諸問題論叢』には、これまでの学会誌には発表できなかった独創性のある論文が公表されるでしょう。なぜなら、査読者からの一方的な指摘で却下されることが、もはやないからです。反対に、薄弱な根拠や議論の甘い進め方は、容赦なく批判されるはずです。これまで学会誌に投稿して採択されなかった意欲的な著者には、査読所見に対する反論の機会を与えるので、論文の審査基準をめぐる議論を喚起することにもなるでしょう。
以下、Aという人物の特徴
本来はできるはずなのに数え切れないくらいの失敗をしているため誰からも信頼されていません。筆記等の試験はパスしているし受け答えはできるから知能の後れはない。けれど数々の事象から明確に発達の傾向があると思われます。A本人もそれとなく自身が広汎性発達障害と診断された経緯を数名に伝えてあるそう。転職前に通院歴があったらしい。
ただ、Aはかつての治療ではコンサータ等の治療薬を服用するもあまり効果が無かったらしい。発達の治療や社会復帰はかなり時間と労力を要するので人材不足の地方の会社で対応するにも限界がある。こういう人を抱え込んだ場合、多くはどうしているのだろうか。
そもそも基本的な能力が無いのです。書類は必ず手順や記述を間違うし提出する時間も場所も期限も人も禄に合っていない。毎月のルーティンもやっとできるようになったがそれでも直ぐに忘れてしまう箇所が多い。同じミスを繰り返さないことが難しい。いったい何回目なんでしょう。
一人で仕事を乗り切ったことが殆ど無いから成功体験も皆無。誰からも一目置かれることはなく、信頼もされない。自分でも出来ないことを自覚してます。出来ないことがわかっているから身が入りません。他人に聞くこともためらってます。聞いてよいのかもわかっていないから。これから何年経っても同じだろうと落ち込む毎日。今現在も言い出せない案件があるし
転職を数回繰り返しているのは、ほぼ自分の能力が劣っているためでした。要求されたことが満足に出来ずに人間関係が悪化した上での退職。無駄に試験はそこそこできたから落差が激しいのでしょう。
広汎性発達障害と診断された過去を持ちますが本当にそうなのかは今でも疑わしい。それ以前の問題のようにも思えるし、慢性的な睡眠不足なのかもしれないし。全ての原因が自分にある以外にわかっていることがなく、仕事に支障があるとわかると退職を繰り返してます。今回でラストと思っていたけどもう無理なのかも。
・相手が知らないことを言って煙に巻いたりマウントを取ることが多い人
・気に入らない相手に対して手っ取り早く圧をかけたい人
職業病や統一されたマナーが存在すると若い時は思ってたけど、どうも違うらしい…
これね…私がADHD多めのアスペっぽい部分も持ってる広汎性発達障害だから、ある時期まではマジで気づかなかったんです。
でも、落ち着いて考えてみると間違ってたり一般常識でないマナーで人を攻撃する人ってけっこう多いから
ってなってる
これが科学だったり、正解のある知識だったらまだいいんですが…マナーで攻撃するのって
「それ本当に誰の目から見ても正解で、みんなが気にすることなの?」
客観的な正解があったり、知ってて当然であろうモノで攻撃するなら、相手が変わるチャンスはあるからまだいいよ?
その前にまず考えるべきは、そもそも「人の心がわかる」とはなんだろうか?ということです。
あなたは発達障害者の方々の心はわからない、と考えているわけですよね?
このとき、発達障害者と健常者であるはずの、あなたの違いとは何でしょうか?
当たり前ですが、人は、他人の心はわかりません。しかし、だからといってデタラメに行動しているわけではありません。
人間には、他人の心を「推論する」仕組みが備わっているに過ぎないのです。
どうやって、推論するのか?それは、「自分だったらどう思うのか」を相手の心の動きとして仮定し
これがうまくいくのは、相手も同じような心の動きを持っているときです。
ここで注目すべきは、「相手も同じように自分の心の動きを推論して動くだろう」ということも仮定されているということです。
広汎性発達障害の一部の人々は、これを自然に行うことができません。
もちろん、心がないわけでも、他人の心を推論する知能がないわけでもありません。
この推論を直感的に、仕草などから類推する脳の機能に障害があるということが原因、と考えられています。
もちろん、こういったことを後天的に理詰めで学習すれば、しっかりとしたコミュニケーション能力を身につけられる方もいます。
発達障害教育はまだ手探りの状態ではありますが、方法論としては成立しつつあります。
当然ですが、実際には人間の心は多様ですから、健常者同士でも本当に心がわかっているかはわかりません。
俺が母親の胎内にいた頃から父親のDVが始まって、物心ついた時には既に母親を殺しかねない程DVがエスカレートしてた
母親は気絶するまで殴られたり水を張った風呂桶に窒息しかけるまで顔を突っ込まれたりしていた
俺はその一部始終をこの目で見てきた
小学校の途中で揉めに揉めた末に逃げるよう離婚が成立し、そこからは母子家庭になった
不幸中の幸いで俺自身はたまに蹴飛ばされる程度で大した被害は受けなかったが、幼児の頃からDVを目の当たりに育ったので心身ともに悪影響は受けている気がしている
俺は10代後半になって周囲との違和と生活の困難とを訴えて精神科を受診した
俺より8歳年長の兄貴は定型発達だし、親族には父親含めて発達障害らしき人が認められないので、もしかすると俺の発達障害(様の異常)というのは発達期に受けた面前DVが脳の発育に影響を及ぼした結果なのではないかという素朴な疑問を持っているというわけだ(以前に面前DVが小児の脳に与える悪影響に関する記事を読んだことから湧いた単純な発想)
これは本題から脱線してるので置いておくが、最近になって母親と当時の話をする機会があり、あれこれと訊ねている内に俺の記憶と母親の記憶が殆ど食い違っていることが発覚した
正確には改竄と呼ぶべきなのかもしれないが、事実と全く食い違っていること、それから俺自身の心象とを加味して喪失とした
1つは困惑
俺が推測するに、陰惨な記憶を保持していることに精神が耐えられなくて、自己保全の為に無意識が半ば能動的に記憶を消却してしまったのではないか
俺自身も、上述した″蹴飛ばされる程度の被害″は受けているのだが、これは実は兄から聞いた話であり、俺自身は完全にその被害を喪失してしまっており、未だに実感もないのだ
もしくは母親の脳に健康上の異常が発生していて、記憶障害の様な症状が発生しているのではないか
そうであれば医者にかかるべきかと思うが、この記憶の食い違い以外で母親の記憶力に問題を感じたことがないので、恐らく違うのではないかと思っている
いずれにせよ俺はかなり困惑している
もう1つは憤慨
母親はDVの被害者ではあるが、同時に面前DVの加害者でもあるというのが俺の兼ねてからの持論であった
離婚して以来、俺は登校すると発話に困難が生じて黙りこくってしまう、場面かん黙症という異常をきたした
小学校高学年にもなると遺書を書き残したり(思い返す度に恥ずかしくなる)、自殺未遂を起こしたりといったメンヘラ入門的タスクも達成した
幸いにも死に切る勇気がなかった為に今の現在まで死に損なったままだが、俺は20代を迎えてなお少年時代の陰惨な記憶の影響下に生きている
それなのに、当の母親はすっかりそんなことは忘れてしまったと言うのだから、少しは腹も立つ😡
こんな犬も食わない様な話を出来る友人もいなければ支えてくれる彼くんもいないので仕方なく増田に書く