はてなキーワード: ソファとは
この体験を経て、私はある理解を得た。「正しい戦略は、その時々の環境、文脈、空気によって異なる」ということだ。世の中にはいろんなルールや常識、慣習があるけれども、それらをストレートに適用すべき場合もあるし、必要ならばかなぐり捨てないといけないこともある。
アブラハム・マズロー(欲求の五段階ピラミッドの人)の『完全なる経営』にこんなことが書いてある。
‟彼らの心理学によると、最善の思考や最善の問題解決ができるかどうかは、問題を含んだ状況を、期待や予想、憶測などを交えることなく、この上なく客観的な態度――先入観や恐怖、願望、個人的な利害などを交えない、神のような態度――で見ることができるかどうかにかかっている。…(中略)…解決すべき問題とは目の前に存在する問題であって、経験によって頭の中に蓄えられた問題ではない。頭の中に蓄えられた問題は、昨日の問題であって今日の問題ではなく、また、両者は必ずしも一致するものではない‟ p.129-130
‟さらに範囲を広げれば、家庭生活、すなわち妻や夫や友人たちとの関係についても、この方法を当てはめることができる。各状況における最善の管理方法とは、各状況において最もよく機能する管理方法のことだ。どの方法が最善であるかを見きわめるためには、予断や宗教的な期待を排した、完全な客観性が求められる。現実的な知覚は現実的に行動するための必要条件であり、現実的な行動は望ましい結果を生むための必要条件なのだ。‟ p.132
マズローは、物事をありのままに見つめて、現実的に考え、行動することが成功への鍵だと言っている――と私は解釈した。
イケメン先輩は結局、条件付きの免職処分になった。黒服が嬢と付き合った場合の店への罰金50万円と、Tちゃんの彼氏への慰謝料として50万円、計100万円を返済したら辞めるという処分だ。店長は、翌日のミーティングの席において、みんなの前でイケメンに公言した。「約束を破ったら組に売る」と。店に対する裏切り行為は許さないという態度を明白にしたのだった。
これと、上の引用文がどう関係あるのかというと……この後すぐ、私と同学年のアルバイトの子が、S店の備品を盗んでいたのが判明した(立命館大学に通っていたので、以下リッツとする)。定期的に、ヘネシーなどの高級酒(そのうち廃棄される飲みかけ。キッチンに置いてある)や、午後の紅茶や炭酸水やチーズその他をくすねていたらしい。その犯行を見つけたのは、皮肉にもイケメン先輩だった。
そのリッツは、イケメン先輩の時と同じく、閉店後に一番奥の席につかされた。最初の数分は、あの時と一緒だった。坦々とした、もの静かな事情聴取だ。その近くにM主任が座っていたのも同じだ。
違ったのは、私も主任と一緒に丸椅子に腰かけていたことだ。リッツの普段の行動に関する参考意見を述べることになっていた。
別にリッツは、良くも悪くもない、普通の奴だった。口数は少なかったけど、まあ真面目かなという印象だった。サボっている様子はないし、店の女の子に声をかけるなどの御法度もないし、当日遅刻や欠勤もなかった。
でも、人間とはそういうものなのだ。裏で何をしているかわからない。人間は言葉ではなく行動で判断すべきという金言があるが、それでも不十分だ。どんな人間にも裏がある。
10分ちょっとが経過した。私の供述も上の通り述べていた。その間、盗んだ物の確認と弁償代の話をしていたように思う。お店で無くなったとわかっているものが時価8万円相当(私の個人的計算では3万円~4万円相当)とされて、ほかにも盗まれた物があると仮定して、倍額の16万円を1か月以内に弁償すれば警察に被害届は出さないという内容で決着した。
最後に店長は言った。「リッツ君。今日が最後の勤務日だ。もう来なくていい。けど、ほかのお店に情報共有とかしないから、働きたかったら別のキャバで働いてもいいよ。今回は残念だったけど、また成長したあなたの姿を見たい。それで、いつかまたお客さんとしてうちに来てくれたら嬉しい」という言葉でお開きになった。
当時の私は、「おかしいのではないか!?」と思った。当時のS店の黒服に課せられる罰金額は、記憶の限りでは以下のとおりだ。
・当日遅刻 5,000円
・当日欠勤 10,000円
・店の売上に影響するトラブルを起こした場合 時価(これが上記の慰謝料)
リッツは規定どおりの罰金を科されなかった。被害額のみだ。しかし、イケメン先輩は規定どおりの罰金のうえボコボコにされている。
当時の私は腑に落ちなかった。後に推測したことだが、店長には以下のような思考順序があったのではないか。
①リッツを殴って、25万円+16万円を請求したうえで脅す(イケメンと同じ対応)
②リッツが立命館大学の学生課もしくは先輩もしくは親に相談する
④罰金は減殺される可能性が高い。警察に通報されたら逮捕リスクあり。
上記①~④が成り立つならば、リッツに対して甘い対応をするのが正しい。そう読んだのではないか。
店長は、自他の権益に対してストレートな人だった。取れるモノはきっちり取っていく。悪く言えばがめつくて、善く言えば組織のことを考えている。
今回の件だと、警察に被害届を出してもS店には一銭も入らないし、リッツが問題行動を起こしたことをほかの店に情報共有するメリットはないし、彼がほかの店で問題を起こしても当店には関係がないし、リッツが負い目を感じていれば社会人になってからS店でお金を使うかもしれない。
※社会人になった今では、このような考え方は極めて短期的かつ自己本位的なものだと感じる。木屋町で風俗営業を行うすべての店の利益を考えれば、リッツは警察に突き出すべきだったし、他店にも情報を共有すべきだった。こうした当たり前のことができないほどに、風俗業界というのは生存が厳しい世界なのだ。
憶測だが、店長には過去に痛い経験があったのかもしれない。16万円でも十分に得をしているからそれで済ませる。そういうことだ。
一方で、イケメン先輩は、いわゆる「身分がない」タイプの社会人だった。だから、ルールに則った対応を採る(暴力のうえ正規の罰金を課す)のが正しかった。
私は今、地元の広島で地方公務員をしている。この仕事は、公平とか中立とか平等が叫ばれる業界ではあるが、確かに、市民や企業を公平に扱わないことが正しいケースがあるのだ。例えば、地元を盛り上げる活動をする部署が大きいイベントを開催する折には、成功のキーパーソン及びその所属団体に対して相応の便宜を図る。近年の例だと、「全国菓子大博覧会」や「広島てっぱんグランプリ」といったものだ。
上記の「成功のキーパーソン及びその所属団体」について、関係者を良好な立地に出店させたり、相応の額の契約を用意したり、行政内組織で要職に就けたりする(教育委員など)。
一般市民や企業を不公平に扱いたいからやっているのではない。公平に扱うのが長期的には一番正しい戦略なのはわかっている。これは、組織目的を達成するために必要不可欠な過程であると上の人間も下の人間も判断したからそうなっている。
反対に、戸籍課や税務課や医療課などの住民対応を行う部署においては、「融通が利かない」などのクレームをどれだけ食らっても、ひらすらに法律や要領に従って仕事をやり続けるのが正しい戦略ということになる。特定の人をひいきしても自治体にとってのメリットは薄いし、逆に訴訟リスクがあるからだ。
キャバクラでの仕事は正直キツかった。嫌なお客さんには絡まれるし、たまに一気飲みを要求されるし、人が殴られるのを見ることがあるし、ホールに立ちっぱなしで足の裏が痛いし、キッチンはものすごく忙しいうえに鼠とゴキブリだらけだ。
でも、勉強になった。夜の歓楽街での仕事が、今の地方公務員としての自分の糧になっている。あの時、求人情報誌を開いてよかったと今では思える。
この春から時給は1,800円になった。昇給の際、店長からは、「お前以上の時間給をもらっている大学生は木屋町にも祇園にもいない。お前を評価している。就職活動中もシフトに入ってくれ」と言われた。※多分これが目的で時給を上げたのだと思う。これまでと違い、昨年比で増えた仕事もないからだ。
この辺りから、シフトに入ることが少なくなった。これまでは、週に4日、たまに5日という具合だった。でも、公務員試験の勉強もしないといけないので週に3日の勤務になっていた。
時間はあっという間に過ぎていって、夏が終わる頃に内定を得た私は、「自由だあああぁぁ!」とばかり、夜の街で遊びまわるようになった。
私には小さい名誉があった。木屋町や先斗町のいろんなバーに行ったが、S店で黒服をしています、付け回しの仕事を任されていますと言うと、大抵の店員さんや夜の街の常連の顔つきが変わるのだ。「こいつはやばい奴だ」という顔をする人もいれば、軽蔑した視線を向ける人もいれば、逆にすり寄ってくる人もいた。
バーにはよく行ったが、キャバクラにはほとんど行かなかった。S店で働いているとわかったら追い出されるリスクがあったからだ。それに、私はKFJ(京都風俗情報掲示板)のお水板において、当時木屋町で№1とされていたS店で何年も働いている。お客さんに「おごってやるから来いよ」と誘われて他店に行ったことはあるが、なかなか満足がいかなかった。S店の子に接客されたことはないが、それでもわかる。歴然とした『差』があった。
今思えば、承認欲求というやつが足りていなかったのだろう。シロクマさんの本で言うと、「認められたい」というやつだ。当時は、自分をスゴい奴なんだと思いたかった。実際はぜんぜんそうではなかったし、逆に、本当にスゴい奴ほど自分を大きく見せたがらない。
そういう人は飽きているのだ。ちやほやされることに。褒められることに。子どもの頃から、自分のパフォーマンスの高さを周りに認められるのが当たり前だった。だから、調子に乗ったり、偉ぶったりしない。それだけのことだ。
11月になった頃だった。M主任が退職することになった。時期は来年の3月。田舎に帰るらしい。
トラブルを起こしたわけではない。円満退職だ。夜の業界で7年も働けば、体はボロボロになる。普通は3年もてばいい方だが、M主任はそこまで働いて、十分すぎるほどの結果を出していた。私は「今までありがとうございました」と、お店の終わりに2人だけになったところで伝えた。
この時のM主任の言葉は脳裏に刻んであるし、忘れた時のために日記にも取っている。重ねて言うが、この記事でところどころの描写がやたらと詳細なのは、大学生当時の日記をベースにしていることによる。
「おう。〇〇ちゃん、お前もな、元気でな。ええけ?(※方言が入っている。いいか?の意味)〇〇ちゃん、仕事ができる奴になれよ。仕事ができんかったらな、人間は終わりやぞ。どこに行っても生きてかれんようになる。仕事だけはな、ちゃんとやって一流になれよ。お前もこの店で何人も見てきたんやないけ、どうしようもない根性なしの連中を。ええけ? お前は悪い奴じゃない。でもな、どっか気が抜けて、間抜けなところがある。そこが好きなんやけどな。とにかく、仕事ができるって言われるようになれ。俺からお前に言えるんはそれだけや」
呑みに行きましょう、と誘うつもりだった。でも、誘えなかった。私の中で、M主任はそれだけ偉大な存在だった。神だった。神を呑みに誘うことはできないのだ。
その翌日。営業時間中の夜10時くらいだったか。店長ともう1人、灰色のスーツを来た人が紙袋を携えてS店にやってきた。「ちょっと今時間あるか」と、上の階にある事務所に連れて行かれ、その人から名刺を渡された。
このS店の母体である芸能事務所の人だった。取締役ナントカ部長だった。ソファに座らされてからの話の内容は端的で、「私を社員として採用したい」という話だった。
部長の話には説得力があった。説得力の要諦とは、ロジックにあるのではない。本人が持つ、その考えや判断への自信や信仰、そして意見を伝える際の胆力や粘りの強さが、本人の口を通して迫力となり、相手に伝わることで説得力が生まれる。
・公務員はこれから厳しい時代になる。お金の問題ではない。本質的な意味で割に合わなくなる。
・あなたが就職する自治体の初任給は16万円だ。うちは基本給だけで26万円出す。
・S店での働き次第では本社に来てもらう
・日本の芸能界を盛り上げる一員になってほしい。それだけの才がある。
・お客さんも仲間もあなたを支持している
今思えば典型的なリップトークだ。なぜかといえば、上の内容の半分以上は私をほかの人に置き換えても、ちょっと修正するだけで通用するからだ。
でも、当時の私は大学生だった。この時すっかり、S店で働こうか、それとも地元で公務員になろうか迷い始めていた。もし、これが公務員試験を志す前であれば、この会社で働いていたかもしれない。
特に最後にやつ。あれにはやられた。部長はソファの脇に置いていた紙袋から手紙を取り出した。十枚ほどの。小封筒に入った、そのひとつひとつを私の前にゆっくり差し出すと、それが――すべて嬢からの手紙であることがわかった。
「〇〇君。試しにひとつ開けてみて」
ある嬢からの簡潔なメッセージが入っていた。「これからも〇〇さんと働きたい」「〇〇さんに店長になってほしい」「卒業してもいなくならないで」。こんな言葉が認められていた。
「もうわかるね。〇〇君はみんなに慕われている。社会があなたを認めている。こんな大学生、ほかにいないよ」
『雇用契約書』とあった。裏面には雇用条件的なものが書いてある。これを片手に取って私は、ボールペンを握りしめた。
右上に日付を書いて、ずっと下の方にある住所欄に個人情報を書き始めようとする。ボールペンをあてどなく前後に振って、書くのを静止しようとする脳と、書くのをやめたがらない右手が小さいラリーを繰り返していた。
私は思い切って、ボールペンを紙面に押し付けた。そして、インクが紙に付いた途端――心臓から流れ出た血が、冷たい何かとともに押し戻されて、再び心臓へと逆流するのを感じた。私の指先は動くのをやめた。
その場で立ち上がって私は、「残りを読んでから決めます」と告げて、手紙を抱きかかえてS店に帰ろうとしていた。事務所の扉を開けて出る時、舌打ちのような音が響いた。
手紙のほとんどはテンプレートだった。ひな形がきっとあって、嬢はそれらを真似ている。そういう罠だった。手紙はぜんぶで11枚あって、その中でテンプレでないのは3通だった。そのうちひとつを挙げると、ヘタクソな文章で、私のこれまで4年間の行動や仕草がつらつらと書いてあった。
私に対するポジティブな言葉も、ネガティブな言葉もあったけど、この3通の手紙には共通していることがあった。「地元に帰っても頑張って」。そんな内容だったかな……? 初めに読んだ1通はTちゃんからだった。
彼女はハーフで、日本語がそこまで上手くはないのだが、それでも一生懸命な筆跡だった。何度かミスって修正液で消した跡があった。Tちゃんらしくて、不器用だけど愛が籠った手紙だった。
一昨日それを読み返した時、ふいに涙が零れた。
あの部長の姑息な手を見抜いてから一週間後、私は2月末でS店を辞める旨を店長に告げた。残念そうにしていたけど、これは当然の結果なのだ。
私は地元で公務員として働く道を選んだし、芸能事務所だって私が本当に欲しかったわけではなく、おそらくはM主任の代わりとしてだった。もし本気ならば、大学4年生の春までには声をかけている。
最後の勤務日は静かだった。普通の職場だと、辞める人には花束贈呈とかがあるんだろうけど、S店にそういった慣習はない。ただ普通に、最後の客が帰って、照明の光度を上げて、ホールとキッチンを片付け始めて、嬢がみんな帰って……。
最後に、このS店に初めて来た時に見た、この分厚い扉を閉める際に、「お疲れ様です」と小さく呟いた。私は、夜が明けてほんのりと水色の空が見える河原町通りへと歩みを進めていった。
(次が最後です)
そこから先は思い出したくない。身分証を出して、「あなたがしたのはキャッチという犯罪行為で~」と路上で警察官2名から懇々と説諭を受け続け、彼らが帰った後に、暗い顔をした店長とM主任が地下のお店から出てきて、「ちょっと来い」と事務所に呼ばれ……面接の時のソファに座った私と、左隣に主任がいて、店長は斜めの位置にあるパイプ椅子に腰かけていた。
「すいませんでした」
店長はパイプ椅子をちょっとずらすようにして身を乗り出した。ガラス張りのテーブルの上にあった煙草とライターをガチャガチャと手に取る音がする、と思った時だった。
「誠に申し訳ありませんでした!!」
M主任が謝ったのだ。直後、「私の責任です」という小さな声が聴こえた。
・あなたが警察に払う罰金は50万円。S店とM主任で25万円ずつ肩代わりする
・もう二度としないように。次はクビにする
といったものだった。
優しい人達だった。私のような盆暗に対して、ここまで優しい嘘をついてくれたのだから。今ではわかる。あの時、警察は私とS店を指導するだけで済ませてくれたのだ。
状況が違ったら、普通に逮捕されていたかもしれない。あの場で解放されて、しかも私が罰金の納付書をもらっていないということは、そういうことなのだ。
M主任には頭が上がらない。もし、もう一度会うことがあったら何万円でもおごるし、「百万円貸してくれ」と言われたら迷ってしまうに違いない(貸さない)。
なお、当時のキャッチ行為の規制基準においては、路上の客に声をかけた後に何メートルも付いていったり、身体に接触しない限りはセーフだったようだ。一部の悪質な店は、警官の目が届かないビル内で付きまといや身体接触などをしていた。
大学の講義に出ながら、S店でのアルバイト(キッチン、ホール、店の前に立つ案内係)に週4でシフトに入る生活を続けている間に2年が過ぎた。単位はけっこう落としていた。履修しても半分ちかくは落とすので、できるだけ多く登録するようにしていた。教職課程も取っていたため、割とぎりぎりで卒業した感がある。
この年が転機だった。キャバクラの黒服の仕事にのめり込んでいた私の時給は、この年の秋に一気に1,600円に上がった。理由はシンプルで、『付け回し』というポジションを任されるようになったからだ。
すでに私の先輩は、店長とM主任とイケメンだけになっていた。後は、2人の社員と2人のアルバイトが私の後に続く。ここまでの間で、お店で働き始めたのは10人以上はいただろうか。みんな、あっという間に辞めていった。
この業界は、はっきりいって申し訳ないのだが、中途半端な人生を送り続けた挙句に流れ着いた人間が多い。負け癖がついている。だからすぐに諦めるし、ふてくされるし、誘惑に負けて嬢を口説いたり、物を盗んだりして――制裁を受ける(後述)。
『付け回し』の仕事をざっと説明する。要すると、女の子をどの席につけるか決める人だ。スナックだとチーママがやっている。併せて、各席の料金状況をチェックする。フロアの中央から客席を常に見渡して、嬢の配置をどうするか考え続ける。
このポジションは、自分の成果を数字で把握するのが難しい。というのも、いわゆるABテストというやつができない一発勝負系の仕事なので、自分が決めた配置が果たして正しかったのかすぐにはわからない。
でも、時間が経つとわかる。ちゃんとした人が付け回しをやると、ゆっくりと、じんわりではあるが、お客さんが増えていく。一見さんがまたお店に来てくれ、月に何度か来てくれるようになり、やがては常連になる。店長やM主任のレベルだとそうなる。
そのお客さんに嬢を付けた時の反応を1回1回ちゃんと見ていて、それに応じて次はどの嬢を付けようかを思案し、試行錯誤を繰り返し、やがてそのお客さんの嬢の好みを理解するようになるからだ。それだけではなく、お客さん同士の空気を察して、喧嘩が起きないようにする心遣いも忘れない。
お酒が入っているうえにそういう気質の人が多いので、しょっちゅうとは言わないが喧嘩が起きる。例えば、当時のM主任は、カラオケでほかのお客が歌えないほどに曲を入れまくる人がいると――それとなくデンモクを操作して曲が流れる順番を変えたり、嬢を利用して歌わせないように場をコントロールしていた。
女の子の側でもそうだ。
彼女らもプロだが、やはり年若いので、「嫌な客」「苦手な客」「うざい客」みたいなものがある。反対に好みの客もあるわけで、一流の付け回しをする人は、そのあたりの機微を理解しながら客と嬢との最適な組み合わせをシナジーとして導き、実行に移せる。
私はその域に達することはできなかった。私が付け回しを任される時というのは、店長か主任がそのポジションを離れざるを得ない時だけだった。
実際、私はあまりセンスがなかったと思う。お客さんに怒られてばかりだった。私が付け回しをしていた時の一見さんのリピート率は2人の先輩に比べて低かったし、お客さん同士が喧嘩に発展する前に止められないこともあった。
ある時などは、あるお客のグループ(今でいう半グレ風の人達)が、堅気な感じのお客を店内で突然ボコりはじめた。カラオケのトラブルだった気がする。
その半グレは堅気の若者のところへ行き、いきなり胸倉を掴んで殴りつけ、引き起こし、ガラス卓の上に叩きつけた。そして、足で何度も胸や腹を踏みつけた――近くにいた嬢が絶句して吐き気を催していた。別の気丈な子が肩をさすって慰めている。
また別の大柄の男が、殴られた男を引きずり起こし、その頬に一撃を加えて地面に引き倒したところで私が止めに入った(判断が遅い!)のだが、ヒートアップしていた彼らを抑えるのがやっとだった。店長やM主任だったら、リアルファイトになっても目線と対話だけで事を収めるし、そもそも喧嘩になることがまずない。
結局、私が物理的な意味で間に入って無理やり止めた。もみ合って、もみ合って、「もうやめてください!」と半分キレながら叫んで、それでようやくなんとかなった。殴られた人は、もちろん料金なしで帰ってもらった……後で警察官が店に事情聴取に来ることもなかった。
私には付け回しの才能がなかった。『一応できる』というだけの交代要員であり、それ以上でも以下でもなかった。嬢達は、私を憐れんでか、明らかにおかしい付け回しに対しても苦情を言ってこなかった。一部の子は、「あのお客さん私に飽きてたよ」とか、「なんで今代わらせたの。指名の話してたのに」とか、「あの子が芸能人の卵だから楽なお客さんにばっかり付けてるの?」とか、ちゃんと本音を伝えてくれた。
でも、ほとんどの女の子(特に20才以下の若い子や、逆に30代半ば以降の子)は、私を憐れんでか、苦情すら言ってくることがなかった。信頼されていなかったのだ。
さて。そろそろ(後述)の話をやりたい。
この年の秋だった。イケメン先輩が罪を冒したのは。私の価値観のターニングポイントになった体験でもある。
お店の女の子、しかも上位数人に入るほどの人気で、そのうえS店のお客さんと付き合っていた嬢(以下Tちゃんとする)と交際していたことが判明したのだ。
なぜわかったかというと、怪しいと感じたそのお客さんがTちゃんの携帯を盗み見たところ、イケメンとの睦言のやり取りが画面に映っていたということだ。噂だから、真実かどうかはわからない。でも、浮気はバレてしまった。
嬢との恋愛は大きな罪だ。キャバクラなどにとっての女の子というのは、大事な商品なのだ。マクドナルドでいえばハンバーガーだ。店員がハンバーガーを盗んで食べたら処分されるだろう。そういうことだ。
しかも、前回の記事で、S店というキャバクラの母体が芸能事務所であることを述べた。Tちゃんはそこに所属している子だった。今でもたまに、テレビのバラエティで見ることがある。その度に、「あんた成長しすぎやろ!」と唇を尖らせて食い入るように番組を見ている私がいる。
この時の私や、私の後輩達は、このことが問題になったのをイマイチ信じることができなかった。というのも、イケメンとTちゃんとの間柄は、スタッフ内では公然の秘密だったからだ。お店が終わった後のミーティングでは、イケメンに対するTちゃんの態度が違った。なんというか、口喧嘩がこなれているというか、恋人同士が醸し出す雰囲気だった。
勤務中もそういうことがあった。Tちゃんはお酒に弱かった。カクテルならば、どんな嬢であってもリキュールを一滴か二滴しか入れない。でも、ボトルやシャンパンとなるとそうはいかない。ごまかしが効かないのだ。特に、シャンパンを卓の上で薄めるわけにはいかない。
そんなこんなで、稀に、酔いつぶれたTちゃんが私のいるキッチンに入ってきて、ビア樽(ビールの詰め替え用のタンク)に腰かけることがあった。うわごとを呟いたり、ボウっとしたり、どこか一点を見つめるようにしたり、急にキレだして携帯電話をごみ箱にシュートしてトイレに駆け込んだりしていた。
ある時、Tちゃんが携帯をごみ箱に叩き込んだ後、イラついた声を上げ、キッチンを飛び出そうとした時だった。ガンッ!という音とともに、キッチンの出口にある真四角の排水溝にはまり込んでしまった。ガンッ、というのは排水溝の鉄板が跳ねた音だ。
イケメン先輩の動きは速かった。いつもであれば、廊下に立っている嬢が貧血で倒れたりしても、涼しい顔をして対処に入るのだが、Tちゃんが排水溝にハマった時は違った。「すぐにキッチンのドア閉めて!お客さんに見える」と血相を変えて対応に入ったのだ。
イケメンの声と同じタイミングで私は、キッチンのドアを閉めにかかっていた。酩酊状態で泣き出したTちゃんを救う(掬う)役目はイケメンに任せて、懐中電灯を点け、排水溝に落ちたTちゃんの私物を拾い上げる。
その際、イケメン先輩が、Tちゃんに「馬鹿。気いつけや」と優しく呟いたのを覚えている。京都弁だったのでうまく思い出せない。
だからこそ、イケメン先輩が犯した罪をすぐには意識できなかった。
ある日の営業終了後だった。暗かったホールの照明の光度が上がって、店の片付けが始まって、嬢がみんな帰って、皿洗いや店内清掃もみんな終わった頃に、「そこに座れ!」という声が響いた。店長がお店の入口からやってきて、片付けをしていたイケメン先輩を一番奥の席に座らせたのだ。傍らには主任もいた。
私や、ほかの役職のない社員やアルバイトは店を出ていこうとしたが、店長が「いいからそこにいろ」と言った。私は、扉を1枚隔てたキッチンにいた。声はよく聞こえなかった。扉の隙間から、奥の席で事情聴取を受けるイケメンの後ろ姿が見える。
細々とした声で、Tちゃんと付き合っていた事実を説明していたと思う。事情聴取は5分も経たないうちに終わった。というのも、「オメー何してんだよ!しかも客の女と付き合って。おい!ふざけんな」と、急に店長がヒートアップしたかと思うと、ガラスの卓にあった灰皿を、イケメンの顔めがけて投げつけた。
おそらく口周りに当たったのだろう、イケメンが顎のあたりに手をやった途端に店長は立ち上がり、イケメンの顔を殴打した。M主任が丸椅子から立ち上がって止めに入るも、店長に突き飛ばされて断念した。
床のカーペットに仰向けに倒れたイケメンの上に跨り、店長が何度も何度も、その端正な顔に鉄拳をぶつけていた。イケメンは、「すいません、すいません!」と謝り続けていた。
耳に入っていないかのごとく、何十発もイケメンを殴り続けた店長だった。ある瞬間に、ふと立ち上がって、イケメンの体をサッカーボールみたいに思いっきり蹴飛ばすと、「ボケが」と呟いて、私達のいるキッチンの横を通って近くの席に座り、どこかに電話をかけ始めた……。
その後、イケメンが泣きはらしながら、血だらけの顔でホールをうろついていたのを覚えている。
(続きます)
この日記の内容はみだしのとおりだ。京都での学生生活の4年間をキャバクラでの黒服の仕事に捧げた。
昨年末のこと。コロナのおかげでストレスが溜まる中、ふと京都が懐かしくなって一人旅に行った。学生時代と社会人約十年目では、さすがに景色に差があった。いろいろと感じるものがあったので、ちょっとしたためてみることにした。
広島の田舎から京都に出たばかりの、当時18才だった私は大学生活に憧れを抱いていた。第一志望ではなかったが、行きたいと思っていた大学だった。
4月はあっという間に過ぎた。入学式、オリエンテーション、サークル勧誘、学部学科での新入生歓迎会、初めての履修登録、初めての講義、初めてのゼミ活動。
楽しくもあったし、不安もあったけど、5月になって、まだあることをしていないのに気が付いた。
アルバイトである。大学生はアルバイトをするものだと思っていた。それ以前に読んだ漫画やアニメでは、大学生はみんなアルバイトをしていた。
早速、求人情報の掲示板を見た。インターネットではない。学生課の前に貼ってある物理的なやつだ。すると、学内カフェがよさそうな気がしてきた。時給もいい(850円だった気がする)。
その日のうちに、お店に行って店員のおばさんに声をかけた。アルバイトがしたい、と。
何分間か話した後、「土曜日にシフトにはいれます」と告げると、大歓迎な感じで、「今度オーナーも交えて面接しましょう」と言ってくれた。私の携帯電話の番号を伝えた。
その翌日だった。知らない番号から着信があった。携帯が鳴っている最中、ガラケーの通話ボタンを押す直前に着信が切れた。
もう一度かけなおすと、女性の人が電話に出た。どうも話がかみ合わない。「こちらからはかけていません」とのこと。どうやら、大学全体の電話受付窓口に繋がっていたようだ。でも学内の誰かが、私に電話をかけている……。
増田の処刑はすでにおわかりだろう。あのカフェからの着信だったのだ。私はそんなことにも気が付かなかった。
それから3日が経って、あのカフェに行って、面接の件がどうなったのか聞いたところ、「オーナーに、あなたが電話に出ないと伝えたら、もう面接はいいって」という衝撃の答えが返ってきた。
私が阿呆だっただけだ。今でも、仕事でこういう感じのミスを冒すことがある。
ある日、京都御所の近くにあるコンビニで求人雑誌を持ち帰った。
パラパラと中を覗いてみる。飲食店や小売店が多いようだ。ただ、どのお店も時給が低い。大学の近所にあるお店は、だいたい750円~800円だった。今思えば、こういう視点はやはり若いな、と思う。
大学生の場合は、たとえ時給400円だろうと、釈迦に生きる人としてふさわしい常識や言動、知識を身に着けられる職場がいい。大学の同期で、一流どころの企業や官公庁やNPO法人に就職した連中は、リクルートや株式会社はてなや高島屋でアルバイトをしていた。
当時の私は、リクルートもはてなも高島屋も知らなかった。私の出身は広島県の府中市だった。そんなオシャンな会社は地元にはない。天満屋だったらあるのだけど。もし私が東京の府中市出身だったら、リクルートもはてなも高島屋も知っていたのかもしれない。
さて、求人情報誌も終わりの方まで来た。すると、スナックやキャバクラ、バーのページが出ていた。
あるお店の男性スタッフの時給のところを見ると、22時までが900円で、22時以降が1000円とあった。基本の労働時間が20:30~5:30で、開店準備と片付けを除いた9時間に対して給与が支払われる。ツッコミどころが満載だが、こういう業界なのだ。今でもおそらくこんな感じだろう。
「でも、夜の店はちょっとなあ」と感じつつ、「失敗したとしても私はまだ若い。なんとかなる」とよくわからないポジティブも抱いていた。
あるページを捲ろうとして私は、ある求人に目が留まった。「木屋町で一番レベルが高い店です!」みたいなことが延々と書いてあった。自画自賛もいいところだ。※本当に一番レベルが高い店だった。
でも、「面白いな」と思った。しかも深夜時間帯の時給は1100円ときている。さっそく電話をかけて、簡単に自己紹介をして年齢と大学名を言ったら、「ぜひ面接に!」ということになった。
5月の割と寒い夜、私は親からもらった原付に乗って、家から木屋町まで10分ほどの距離を慎重にゆっくりと駆けていった。
マクドナルド河原町三条店の近くにある、小ぢんまりとしたビルの地下1階にその店はあった。
当時の私はビルの前に立ち竦んでいた。田舎育ちの私は、ビルの下に降りていく階段を見たことはなかった。真下の方から数人の話し声が聴こえる。
おそるおそる階下に降りていくと、廊下が十メートルぐらい続いていて、奥には分厚い扉が開け放たれていた。表面に店の名前が書いてありそうな。近づいていくと、店の中から男女が笑い合う声が響いた。
扉の前には小さい丸椅子が設えてあって、2人のお客さんとイケメンの黒服(ボーイ)が楽しそうに話をしていた。お客さんは、丸っこい小さいグラスに入ったお茶を飲んでいる。
ふと、ひとりの嬢が出てきた。黄色い、ひらひらとしたドレスだった。歩く度に、ドレスの裾がブゥンと上下していた気がする。顔つきは覚えていない。失礼ではあるが、「化粧濃いな」と感じたのは覚えている。外国人風の浅黒い肌の、ツンとした表情だった――人生で初めてキャバクラ嬢を見た瞬間だった。
さて、イケメンの人に「面接に来ました」と告げると、「ちょっと待ってね」と言われ、奥に引っ込むと……すぐに別の男性がヌッと出てきた。
体格が大きい、熊みたいだ。笑っている。当時の私には恐い人に思えた。実際には、恐ろしさと優しさが同居するタイプ……と見せかけて、普通にサイコパスだった。
店長と名乗るその人と、同じビルの2階にある事務室に入って、さっそく面接が始まった。私はソファに座らせてもらっていて、ガラス張りの机の上にペットボトルの緑茶が置いてあった(はずだ)。店長は反対側のソファに腰かけた。
「飲んでよ」
思い出せる限りだと、こんな感じだった。
「いい高校行ってたんだね」
「18才か。若いね~」
こんな感じだったと思う。当時は、落ちる可能性が高いと思っていた。ボーイの経験がないどころか、アルバイトをしたこともなかったからだ。自分が盆暗な方だということもわかっていた。
ところで、キャバクラで4年も働いていたのだ。私のような類型(実務経験のない若い子)を採用する理由はわかる。
①単純な労働力として
多くのお店では、ホールやキッチンの仕事を8時間ぶっ続けでやらないといけない。開店の準備と片付けもある。休憩はあるが非常に短い。キッチンのビア樽に座って5分間など。なので、体力のある人がほしい。
②肉壁として
態度の悪いお客さんは必ずいる。特にお酒が入っていると、接客が気に入らないということで難癖をつけたり、声を荒げたり、脅迫してくることもある。
※稀に暴力団組員も来る。「暴力団お断り」のステッカーをどの飲み屋も貼っているだろう? あれは歓楽街では冗談の一種だと当時は思っていた。この業界では、清濁を併せ呑み、判断が早く、臨機応変に対応できる者が生き残る(と店長が言っていた)。
お客さんとトラブルになっても、年が若くてガタイのいい奴がいるのといないのとでは展開が違ってくることがある。たとえ殴られても、私みたいに若いのは自分が悪いと判断して、お店に治療費を請求しないことが多い。
③レアドロップ枠として
一例として、私と同じ同志社大学で、かつ同じ法学部法律学科の奴で、大学生活の4年間、ホストをしていた奴がいる。週に3日ほどの出勤で、大学3回生になる頃には月に30万~40万ほどは稼いでいた。本人いわく、「いろいろあるので稼ぎ過ぎないように気を付けていた」とのこと。全く正しい行動だ。大学生の年齢でその判断ができる時点で、奴は普通ではなかった。2021年現在も、堅気ではない仕事で大金を稼ぎ続けている。その彼は、KFJ(京都風俗情報掲示板)のホスト板にもスレッドができるほどの猛者だった。つまり、年が若くても超スゴイ奴は一定数必ずいる。そういった人材を時給1000円前後で使えるチャンスに賭けているのだ。
当時の木屋町や祇園にあったスナックやラウンジやキャバクラは、そのほとんどが個人もしくは社員10名以下の会社が経営していた。
私が働いていたお店(以後S店とする)は、それなりの企業が経営母体だった。モデルや女優なんかを育てている芸能事務所が、副業としてキャバクラを出していたのだ。
※もうみんな読んでないのでぶっちゃけるが、㈱オスカープロモーションが母体として経営している店だった。当時の私は、そんな会社の存在自体を知るはずもなく。
そこに所属している子が修業や小遣い稼ぎの意味で働きに出てくる。そういう構造のお店だった。もちろん普通の子もいる。
以下、私が働いていた4年間で記憶に残っていることを書き出してみようと思う。たぶん長文になる。
キッチンとホールの仕事をやっていた。時給は1,100円。キッチンが主で、社員の人が少ない時に限ってホールに出る。
最初の頃は、強面のM主任に怒られてばかりだった。今思えば強面ではなかったし、体格も中肉中背だったが、当時若輩だった私には圧が強すぎた。
キッチンの仕事というのは、いうまでもなく優先順位がモノをいうわけで……おしぼりとつきだしの用意も、ドリンク作りも、フード作りも、皿やグラス洗いも……人生で最初に覚えた仕事は、社会に出てからの仕事の縮図だった。
・次の次くらいまで優先順位を決めながら動く
・途中で別の仕事に移らない
・雑多な仕事はまとめておいて後でやる
より精神的な意味での教えもあった。例えば、トレンチ(お盆)の持ち方について。S店での持ち方は、指を立てて、手のひらが触れないようにして胸の前で持つというものだった。
当然、最初のうちはできない。いや、言われたとおりにできるのだが、どうしても、たまに手のひらでベッタリと持ってしまう。
最初にそのミスをした時だった。「おい」というM主任の声が聞こえた。怒られると思って身構えていると、「新人が間違えた持ち方しとんぞ」と、上で述べたイケメンの人が叱られていた。確かに、私は最初にトレンチの持ち方をイケメン先輩に教わった。
でも、当時は「なんでイケメン先輩が怒られるんだろう。なぜ私じゃないんだろう」と素朴に考えていた。
このS店では、そういう社会人として基本的なことを教わる機会が何度もあった。私は盆暗でノロいタイプの人間だったから、ありがたい教えでも、耳から耳にスーッと抜けていったのがたくさんあったに違いない。日記にもっと細かくつけておけばよかった。
今でもM主任を思い出すことがある。厳しい人だったけど、まともに仕事をこなすことを誰よりも考えていた。私のことを考えてくれていたかはわからないけど、今でも確かに思い出すのだ。
めちゃくちゃ厳しくて……でも、ふいに無邪気で優しい笑顔を見せてくれる。私はずっとM主任の後ろを追いかけていた。今、この場で感謝を述べさせてください。ありがとうございます。
この年の春先から初夏にかけて、正社員と同じ仕事が増えていった。一例として、ホールを回る仕事が主になった。棚卸しもするようになった。時給が上がり1,200円になった。
本来、大学生のアルバイトは、キッチンでフード作りや洗い物をするものだ。ホールに出ることもあるが、あくまで代打的に割り振られる。原則、社員がキッチンでアルバイトがホールということはない。にもかかわらず、なぜ私がホールの担当になったかというと……。
信じられないだろう。でも事実だ。私がS店に入った時、社員5人のアルバイト3人(私を含む)体制だった。1年目の梅雨時に社員がひとり免職処分(能力不足だと思う)になって、また秋になった頃に社員1人が系列店に行って、3月の春休みの頃、ひとつ上の学生アルバイトが飛んだ。従業員が3人いなくなって、3人補充された結果こうなった。
ホールを回る仕事について、思い出せる範囲で優先順位が高い方から挙げていくと、①お客さん又は女の子(=キャスト。以下嬢とする)の監視、②オーダーの受取と実行(買い出しを含む。お客さんだと煙草、女の子だとストッキングや生理用品)、③嬢によくない行為をしているお客さんへの注意、④お客さんからのイジリや自慢話やお酌に付き合う、⑤灰皿やアイスペールの交換、⑥喧嘩を止める(リアルファイト含む)……といったところか。
重労働だが、そこまでキツイということはない。一般的な飲食店でもこれらに近いことをしているはずだ。最初は立っているだけでも辛かった。足が棒になってしまう。慣れてもやっぱり足の裏が痛い。
思い出に残っているのは、やはりM主任だ。仕事ができる男性で、30代半ばで月給は45万円(残業代は基本給に含まれている)だった。客引きのプロであり、街を歩く人でその気のなさそうなお客さんでも、1分も経たないうちにお店への興味を起こさせ、大体3分以内にお店に連れていく。何より損切が早い。この人はだめだと感じたらすぐにその場を去って、別の人に声をかける。
真夏の夜だった。私に初めての仕事が割り振られた。いわゆる、キャバクラの店の前にいる人の役だった。客引きではなく、連絡役に近い。お店に用のある人、例えばリース関係の業者だったり、面接希望の嬢だったり、店長の知り合いだったり……むろん、通りがかりのお客さんにサービス内容を聞かれることもある。
さて、ある3人組のお客さんが店の前を通った時、S店に興味を示した。「お兄さん。どのセットがお勧め?」と聞かれた私は、しどろもどろになりながら、2万円(2h)と1万3千円(1.5h)と1万円(1h)の3つのコースを説明した。金額はうろ覚えだ。たぶん違う。
3人組のリーダー格は、「う~ん」という表情になって、何点か質問をしてきた。うまく答えられなかったのは間違いない。最後は、私の方が心が折れてしまった。
その場を立ち去る3人組を見送る私の後ろに、M主任がいた――縄跳びで打たれたような、痺れた痛みが私を襲った。主任の回し蹴りが私のお尻にクリーンヒットし、地下に入る階段の手すりの辺りにもんどり打って転げた。頭を壁面にぶつけたのを覚えている。
主任に何と言われたかはよく覚えていない。罵倒の数が多すぎたのだ。「お前!売る気ないやんけ!」だったら確実に言われている。「すいません」とだけ謝ると、「〇〇ちゃん。次はないぞ」と言ってお店に入っていった……。
数分後、また別のお客さんが店の前を通った。私は、ここまでの人生で最大の過ちを犯した。私はM主任の真似をして、お客さん候補とトークを始めた。
「こんばんは。これから何件目ですか」
「2件目」
「どこ行ってきたんです」
「居酒屋」
「どちらにいらしたんです」
「和民」
「この店は高いからいい」
こんなやり取りだった。話すうち、だんだんと相手の気が乗ってきて、でもお金がないのも事実のようで、でもお店に入ってほしくて、M主任を見返したくて……去ろうとする相手の腕に触ってしまった。
「はいそこやめて!」※確かこんな口上だった。早口な警官だった。
その場で2名の警察官にサンドイッチにされた私は、しどろもどろに言い訳を始めた。やがて応援の警察官が到着し、単独でお店の中に入っていった……。
(続きます)
幼稚な「女の子母親」のケア役として調整された子供達の末路を憂いています
朧月よしこ@oboro_zuki_yo
むすことおやすみってタッチしたらマザコンって言われるのか……
うちは行ってきまーすってたまにハグするしソファに座ってると隣にくっついてくるし手つなごうよ~ってベタベタしてくるから大丈夫かなって思うこともあるけど、むすこから来るうちは受け入れることにしてる。
朧月よしこ@oboro_zuki_yo
今朝むすこがわたしと夫にベタベタしながら「ぼくさ、多分反抗期来ないと思うよ。だってパパとママが好きすぎるもん」って言ってたんだけど大丈夫かな
朧月よしこ@oboro_zuki_yo
そう言えばむすこが帰ってくるなり「参観日きてくれてありがとう!ママが1番かわいかったよ!!」と言ってきたので昨日のプリントの件はまぁ許そうと思う。
朧月よしこ@oboro_zuki_yo
しかも同じクラス同じ部活のわたしのお気に入りイケメンくんがわたしのことキョロキョロ探してわざわざむすこに「来てるよ」って教えに行って、「お母さん髪の毛の色かえた?」って言ってたらしいんだけどめっっっちゃんこかわいくない!!!??
朧月よしこ@oboro_zuki_yo
って言われたって言っててウッヒョーーってなったよマンモスうれP!!!
朧月よしこ@oboro_zuki_yo
昨日、顔周りの髪の毛がくるんって上手に巻けて、むすこに
ねぇねぇここ上手に巻けたんだよかわいい?
って訊いたら
スマホをクッションやベッドなどに無造作に投げる人って多くね。
ひどいのになると喫茶店の木のテーブルの上に無造作に投げるのもいる。
いや、あんた、あんたの身につけてるもので1番高価なもんやで?
そういうひと多いでしょ?しかも多くの人はまだローン支払い中やで?
それなのに無造作に投げる。そしてちょいちょい落としたりしくじって床に転がったりもする。
なんであんなことするの?あんたの大事な情報もギュウギュウにつまってるんだぞ?
と、ふと、スマホに対する態度って配偶者に対する態度と同じとかそういう心理テスト的なこともありうるんじゃないかと思ったり。
ただまあいまみたiPadのCMでも高そうなヘッドホンを床にボーン投げたりしてるし、
ハリウッド映画でも膝においてパチパチやってたMacBookを無造作に閉じて座ってたソファに投げつけてるシーンとかけっこうあるしなあ。
ネットの海を彷徨っていると、謎の概念にぶち当たることがある。
今回でいえばローションガーゼオナニーだ。興味深く読ませていただきました。
で、思い当たることがあった。
前にもオナクラでちょっとブクマとかついて、オナクラの概念が浸透してなかったから書くのだが、知らなくてもいい。
オナはまあホールとかある、自慰行為のやつで、クラはクラブ。キャバクラとかと一緒のクラなのだろうか?
まあ、デリヘル一強(デリヘルと言っても待ち合わせ型とか派遣型とか結局デリヘルに収束してるだけで、本番なしの性風俗がほとんどデリヘルに吸収されているからデリヘル強いの当たり前。ちょっと前に、イメージプレイ系デリヘル呼んだりもした。その時は嬢の理解と店のコンセプトが全く合致してなかったがこれはコンセプト系デリヘルあるある)
閑話休題。
デリヘル一強、たまにおっパブか、地方色のあるスタイルなのだが、そのデリヘルを脅かす存在といえば、ソープを除外すれば紳士諸君にはお馴染みのオナクラになる。
増田が出会ったのは10年以上前か。まだ箱ヘルとかも流行ってる時期で、そういうのがいっぱいある街にもオナクラは2~3店しかなかった。
増えては減り、減っては増えっていう感じで細々としてた。今もそんなに店の数は多くないが。
コースは主に2つあって、『ただ見てもらう』か『お手伝いしてもらう』。あとは店の特徴によって、一緒にオナるとか特別なコースがあったりなかったり。
街中で頼まれたら絶対断るぐらいに項目が多いA4のアンケート用紙渡されて、
どういうタイプの性格を演じて欲しいかとか、言って欲しい言葉とか詳細に書く欄とかがあった。要はオナニーを見せつけるイメージプレイの店だった。
その頃はほんとに、見てもらうのをメインに考えていたんだろう。
でも結局オプションつけてお手伝いしてもらう方向の需要が伸びたのか。アンケートとか形骸化して、見てもらうコースも採用しない店が増えた。
その間に添い寝リフレとかも流行って、「添い寝」or「お手伝い」の店になってることも多い。
お手伝いってのは、お手てでしてもらうのね。
どっかのタイミングで過激化してって、今はオプション付けたらほぼヘルスやん? みたいになってると聞いた。
ライトなオプションとしては、下着、トップレス、フレンチキスとか。もうちょっと上というか濃いのもある。
まあ普通に可愛い。あと初々しい。何年もやってて初々しさないこでも初々しくあろうという姿勢が評価できる。
添い寝コースしかやってません! って子もいて、一緒に過ごして楽しいから、ついつい添い寝ロングで入ったり、お出かけコースとかで散財してしまう。
で、話が戻るんだが、オナクラはハンドサービス(手で気持ち良くする)しかやってない前提です。(ゴムつけて口で……とかはまあまあオプションであるようになったりしてるんだけど)
ベテランオナクラ嬢(18から始めてキャリア3年、4年)に入ると、
これも読み飛ばし推奨なのですが、
オナクラには普通に10代居ます。率は高いです。ですが、ヘルスは無理ってこも多く、オナクラでしか働かない嬢も結構いて、
20代前半も多いです。アラサーでも若作りできたらギリやってける商売でもある。
オナクラ店は店ごとに待遇が全然違うので、待遇いい店でお客がとれる嬢だと、そこに長く在籍したりするので、フレッシュな新人、安定のベテラン、他から移籍してきたエースと色んな嬢と出会える楽しみもあります。
パネマジ率は低めだったんだけど、客の好みに合わせてというつもりか、パネル写真(元々マスクで隠れてる部分を隠していること多い)の加工は最近目立ちますね。
えーっと、なんの話でしたっけ?
そうそう、ベテランオナクラ嬢の基本サービスとして、ローションを付けた手で亀頭を優しく包んで撫でまわすってのがあるんですね。
オナクラ嬢同士であんまり情報交換することはないらしい(特にプレイ内容については)から、これって、客の発注が元になってると思うんですよ。
で、”ローション掌亀頭包み撫でまわし”って、ローションガーゼオナニーに通じるところがあるなあと。
されるのがベテラン勢に偏ってるので、統計的には全然足りない情報だけど、
”ローション掌亀頭包み撫でまわし”は序盤から中盤にされることが多い。
私の場合は、それを続けられると、気持ちいいけどイケない、はやくイカせてほしくなる、ので、
そっから結構具体的に『こうしてほしい』っていう要望を伝えて、結果的に嬢の負担は減るし、
”ローション掌亀頭包み撫でまわし”されてる間って、なんか人間の尊厳的なのがどんどん失われてってて、
相手に対して下手に出てしまう(これは私がMっ気あるからかも)ので、平和に気持ちよくなるんですよね。
そっからのフィニッシュまでも、なんかこちらが圧倒的に立場低いし、ちょっと反抗的に出たら、
”ローション掌亀頭包み撫でまわし”が来て、貶められるっていうループ性もあるし。
全部、推測だけど、ローションガーゼオナニーって、”ローション掌亀頭包み撫でまわし”と同根なんじゃないかなと思ったので駄文書きました。
人生は一人でも十分楽しめると思う。
友達はいるし、友達と過ごすのは楽しい。だけどやっぱり疲れるし、わたしはすごく一人が好きだ。大学でも友達はいるけれど、ずっと誰かと一緒ってことはまず無い。それがわたしのスタンダードだから。
大学生のわたしがこう言うと、必ず「それ人生楽しい?」とか言ってくる人がいる。わたしはいつも胸を張って答える。超楽しいよ、ってね。
おいしいジュースを炭酸水で割って、輸入品店であんまり美味しくないお菓子を買ってきて綺麗に皿に盛り付ける。部屋を暗くして、間接照明をつけてソファに座ったら、部屋が洒落た映画館に早変わり。TUTAYAで借りたDVDを、徹夜しながら二本も見れば幸せになれる。
部屋で漫画を高く積み上げて、一巻から順に一気に読む。部屋のありったけの小説をかき集めて、1日かけて読む。図書館かなんかで借りてきてもいい。写真集を見ながらいつか行きたい場所に想いを馳せる。昔ハマったゲームをやり込んだり、新しいゲームを買ってプレイしたり。
気が向いたら外にも出かける。自転車を漕いで、住んでいる街の中を散策する。グーグルマップを見ながら少し遠出して、お洒落なカフェでお茶をする。出先で新しい出会いがあったり、なかったり。夜の街は特別で、ペダルを思いっきり踏んで、いつもより少し涼しい街を風を切って駆け抜けると、自分がまだ知らないところに行ける気がする。
こうやって一人をひとしきり楽しんで気力を蓄えていくと、ある日唐突に、誰かに会いたいな、なんて思う。一人でやっていたようなことを誰かとしたくなる。例えば映画館に行ったり、カフェでお茶をしたり。普段はお昼ご飯だって一人で食べたいクセにね。
そしたら大好きな友人たちに「今度会おうよ」って笑って言えばいい。「そっちから誘うなんて珍しいね」って少し驚いたみたいに笑い返したあの子に、近所の洋菓子屋さんのおいしいクッキーでもプレゼントしようかな、なんて考えながら。
人生は一人でも十分楽しめると思う。
恥を忍んで吐き出してみる。
42歳で零細企業の経営をしている独身男性です。仕事に集中するあまり出会いや結婚の機会を逃し、彼女もここ2年くらいいない。
昨年、仕事関係で知り合った大学生グループがいて、そこにちょっとかわいい子がいた。
笑顔が素敵で、学生らしく興味のあることに熱心に努力し、大人とも対等に話をすることができて、年齢よりも大人っぽく見え、皆から愛される子。
部下とかアルバイトという形ではなく、斜め横のつながりで関わることが増え、たくさん話をする機会にも恵まれた。
そんな中でその子が私のことを「イケオジ」「好き」と言っていると、周囲から冷やかされることになる。まあ、正直悪い気はしない。
さらに、ある時冗談めかしてではあったが「好きです」「デートしたい」と直接言われた。
さすがに歳も歳だしと思い、その場はごまかして何もなかったが、そんなことを繰り返していると、こちらもその気になってくる。
たまに喧嘩したみたいな話もあり、愚痴を聞いたり悩みの相談に乗ったりもしていた。
本人曰く、自分はまだハタチだけどそれなりに恋愛経験積んでいるともいう。それに比べて、彼氏はちょっと子供っぽいんだとも。
話の流れで「ほんとにデートしてみる?」とかまをかけてみたこともあったが、「彼氏と別れたらね!」と逆にごまかされたりもした。
そんなコミュニケーションを続けながら数ヶ月がたった。
その間、斜めの関係性を続けながら、雨が降った帰り道を車で送ったり、買い物に付き合ったりしたこともあった。
自分の中でもその子に対する興味と好意が少しずつ大きくなってきているのを感じていた。
この春、その子の大学での活動やアルバイトなど環境の変化もあり、しばらく顔を見ない時間が続いた。
それまでちょくちょくあったメッセージのやり取りも減った。
どうしてるかなーと思っていたころ、その子からランチのお誘いがあった。
何か相談でもあるのかなと思いつつOKし、近所の人気カフェの予約を取った。話は他愛もないことが多く、ただ楽しい時間を過ごした。
その頃、やはり彼氏とうまくいっていないという話があった。
別れようか、という話も出ているとも。
色々ストレスも溜まっていそうだ。「今度飲みでもいく?」と誘ってみた。ちょっと悩んだ雰囲気はあったけど、OKが出た。
評判がよくちゃんとコロナ対策もとってそうな店をいくつかピックアップし、その中から一緒にお店を選んだ。
美味しく食べて飲み、そのあとカウンターのあるバーで遅い時間まで飲んだ。親密な空気を感じ、手を握ったりもした。
田舎なので代行をよび、家まで送り届けた。「またね!」と言って別れた。
その少しあと、その子が体調を崩した。
彼氏とはまだ続いていたが、あまり頼れない、というので代わりに病院に連れていったり、食事(コンビニ弁当だけど)を届けたりした。
「泣きそうなほど嬉しい」という返事があった。
ちなみにその子は料理が好きである。元気になったらお返しにご飯作って、と言ってみたらOKが出た。
ただ、病気が長引く後半は、彼氏の家で療養していたようだった。
仲の良いときは半同棲みたいな状態だったこともあり、生活の半分は彼氏の家という状況は断続的に続いていたらしいと後で知る。
「お陰様で元気になりました!お礼にご飯作りに行っていいですか?」とのことだった。
断る理由はもちろんない。
どんどん距離が縮まってくることに、ワクワクと不安が同居するのを、久しぶりに感じた。
半日かけて掃除に取り組んだ。男やもめで荒れた部屋を片付け、キッチンを磨き、スパイスや飲み物は事前に用意した。
食材は一緒に当日買いにいくことにした。
その子の家の前でピックアップし、スーパーに行って食べたいもののアイデアをお互いに出しながら食材を選んだ。
私のワンルームマンションに着き、初めて入る部屋にドキドキしている雰囲気のその子にこちらもドキドキしつつ、
しばし休憩の後、2人でキッチンに立ち、おしゃべりしながら一緒に料理を作った。
餃子を作ったのだけど、包むのが苦手な私は「ヘンな形(笑)」などとツッコミを入れられてばかりだった。
送りのことを考えてお酒は飲まなかったけど、ご飯も美味しく(その子的には不満な出来栄えだったらしい)、
おしゃべりもはずんだ。食べ終わったあとは一緒にテレビを見た。
間接照明だけの仄暗い室内。
テレビからは優しい映像とBGMが流れていて、いい雰囲気だと思った。
お腹いっぱいでちょっと眠くなったその子は背もたれ代わりにしていたソファにもたれかかって軽く目を閉じた。
「いやっ」と言って逃げられた。「もー、何するんですか!」「いやちょっとスキンシップ取ろうと思って」「もう、ダメですよー?」
そんなやり取りがあった。
その後もテレビを見て話を続けた。
「ちょっとまって、待って。だめですってばー」
そんな感じのことを数回繰り返した。
その後もテレビを見て、引き続き1時間くらいおしゃべりして、もう遅くなったから帰ろうということになった。
車でその子の家まで送った。
車の中でもおしゃべりは続き、気が向いたらまたご飯作ろう、みたいな話もした。
家の前で前回のようにお互い「またね!」と言って別れた。
それから数日間、連絡が途絶えた。
どうしたんだろう?探りを入れるため「よかったらまだ一緒にご飯作ろう」とメッセージを送ってみた。
1日くらい経ってから返事があった。
「変なことされて、平気だったとでも思っているのですか。
彼氏が殴り込みに行くと言っている。
警戒心が足らなかったことは謝る。
私の居場所を奪わないで」
というような内容だった。「少し話したい」と返したが返事はなかった。
「傷つけたことを謝る。同じ空気感を共有できる大切な存在と思ってたし、
軽い気持ちで変なことをしたのでは決してないけど、色々勘違いしていたのだと思う。ごめん。」
というようなことを伝えたが、そこから1週間、返事はない。
今回の件は、私が全面的に悪いのだと思っている。
彼氏との関係を確認し切れていなかったし、相手の気持ちを踏まえ切れていなかった。
そしてなにより、自分はもう40を超えている事実を正確に認識できていなかった。
イケイケだった20~30代の頃のようには行かないし、ましてや相手は大学生、経験積んでいると自分で言っていても、まだ子どもみたいなものだった。
きっと彼女の中では、私は別世界に住みつつも尊敬でき全面的に信頼できる「オトナ」という立場だったのだろう。
もちろん恋愛対象としては想像もしていない。それなのに突然自分を傷つける本性を出してきた、裏切られた、という感覚。
しかしながら男性はいくつになっても男性であるし、若い女性は多くの男性からとても魅力的に映る。
女性側としては、男性との距離のとり方はたとえ年齢差があっても気をつけたほうがいい。自衛のためにも、相手を尊重するためにも。
男性(特に高齢)は、自らの男性的魅力の減衰に、より自覚的になる必要がある。30後半以降にもなると加速度的に劣化していく。
セクハラ事件とか見ていて自分は絶対そうはならないと思っていただけにショックも大きく、恥ずかしいことだが数日寝込んだ。
失恋、ということもあるが、自分が加害者になるような事態がそれ以上に心情的に耐えられない。
ましてや仕事や社会的生活に影響があったら、仲間やステークホルダーにも迷惑をかけかねない。
今回は違うが、部下に手を出すようなことはリスキー過ぎて絶対にありえないと再認識する。
今回の件で、本当に殴り込まれるのか、場合によっては訴えられるのかは、まだわからない。
ただ自戒を込めて、また、誰かのなにかの参考になればと思いつつ、恥を忍んで書きました。
20歳大学生、わたしは普通に生きてきました。普通ってなんなのか分からないけど。真面目な家庭に育ち、特に大きな事件も怪我もなく、平穏に過ごしていました。とにかく真面目が取り柄な家庭でした。母も父も健在、大きな喧嘩も病気も離婚もせずに子供3人を育て上げる。お金にも困っておらず、三食決まった時間に食べて、ピアノ、習字、武道、塾にも通わせてもらいました。兄妹はその甲斐あってか、有名大学へ進学、いい会社にも就職しました。私は勉強したくない、働きたくない。でも、ひとり暮らしはしてみたい。県外のてきとうな学科の4年制大学へ進学。だらだらと毎日を過ごし、2年生になっていた。まわりのみんなはサークルに恋人、アルバイトをしている。わたしはなんとなく授業に出る毎日。大学生の四年間でこんなになにもしないのどうなの、ということでアルバイトを始めようとした。
夏休み真っ最中。大学生の夏休みは長い。友だちも少なくて遊びにも出ずにずっとひとりでいた。睡眠とおナニーを貪る毎日で最終刺激を求めて辿り着くのはエロサイト。エロ同人誌、エロ動画、風俗、求人。こんな毎日でも働けば、「風俗より稼げる!3万円!」本当なのか、3万円って。正直、仕送りも十分すぎるほどもらっていたのでお金には困っていなかった。
そのサイトはセクキャバ ?女性コンパニオン?喋るのが苦手でもおっけー。髪型、化粧が苦手でもおっけー。容姿も気にしません。忙しいので採用率100パーセントです。との売り文句に惹かれた。私でもできる、したい。やりたい。
簡単ウェブ応募。それからすぐにメールが返ってきて面接日時と場所の確認をしたら、もうあとは面接。とんとん拍子すぎる。その日がきた。足を踏み入れたことのない繁華街。夜の街。派手な看板がギュウギュウでキラキラしてて、足を踏み入れるのも躊躇う。そこは天国みたいだった。
お店の前まで来たけれど、そんなお店に女がひとりで入るのなんて無理。でもここで行かなきゃ。行かなきゃ、行かなきゃいかなきゃ。ってお店の前をうろうろうろうろうろうろうろうろ10分程度。遅刻しちゃう。ああああああああああああああ、ああああああ、ああああああああああああ店へ突入。
扉が開く。一瞬聞こえたとんでもなくうるさい洋楽。薄暗い照明、煙たいタバコの匂い。無理無理無理無理、怖くてエレベーターの閉じるボタン連打。それでも、もう一度開く扉の正面、ボーイさんが立ってた。「面接で来たんですけど……」ボーイさんが慌てた様子でとりあえず「下で待ってて。」と、もどされる。すぐに店長さんが来た。一階のバーで面接。この店長がまた、めっちゃ優しい。大丈夫だよってさりげなく肩ポンボディータッチ、めっちゃ女の子の扱い慣れてる。
「どうしてこの仕事を?」と志望理由みたいなの簡単にお話。仕事の詳細の説明。「セクキャバって何するところか知ってる?」とても基礎的なところから。お触りアリのキャバクラってとこですかね…?「そうそう!うちはおっぱい触られて、舐められて、下も触られて指入れもアリです。大丈夫そう?」指入れもありって何するのか分からなかったけど、頷くことしかできなかった。他にも挨拶する時のダウンサービスの仕方、指名についての説明。時給について。そのくらいだったかな。ほんとに最低限の事項だけだった。まあいいのか。40分ほど説明してから小休憩。
「タバコ吸う?」あ、はい、吸います。ってわたしの顔に似つかわしくないタバコに店長爆笑してた。ギャップだねーって。付き合い程度で吸うだけだったのでタバコ持っていなくて一本もらって吸った。学校では何してるの?とか、休みの日は?とか、雑談しながらめっちゃ笑う店長。ヘラヘラしてるなあ。
それから、源氏名を決めてもらった。自分で決めてもいいし、僕が付けてもいいよ、って。源氏名なんて考えていなかったので、店長にお願いした。さっきそこの看板で見かけた女性芸術家のマリーローランサンから「まり」に決まった。かわいいを生涯描き続けた油画の作家さんらしい。
「今から働ける?」面接終わってからすぐさま体験入店へ、それはもうここまで来たのでもう逃げられない。頷く。今日のぱんつ可愛くけど大丈夫かなって綿のパンツが頭をよぎる。がんばるがんばるがんばる。って本日2度目のエレベーターで上へ。
狭い廊下をカーテンで仕切られて作ったお客様の待機所を横目に、慌ただしく女の子たちが出入りする待機室に入る。ようやく人がすれ違えるくらいの狭い部屋だった。うがいをする水道と、製氷機と、小物置き場と、座るところ。女の子7人くらい座れるのかな。
水で薄めたモンダミンで口をすすぐ、おしりふきで股をふく。ローションを股に塗る。目まぐるしく待機室へ流れてくる女の子。
そして、店長から先輩女の子へバトンタッチ。出てきたのはギャルのお姉さん、これに着替えてね〜って渡されたのメンズのワイシャツ、これが噂の彼シャツ?「えっと、正直にいうね。ストッキングとかアクセサリーは外して下着はぱんつだけにしてね。」ってあー!!!ワイシャツぱんいち。噂の彼シャツ、えっちだ!えっちー!!!!もうどうにでもなれ。
そのあとはお店のロゴだけが入った真っ白な名刺を渡されて、ここに名前書いてねーって。数十枚ほど油性ペンで描き描き。まり、まりまりまりまりまりまりまり、私はまり。かけたらお客様のいる表ステージへ。と言っても、狭い一室内に2人がけのソファが間隔を空けて15席。
オープンすぎる席の一番隅っこの席へ連れて行かれる。先輩女性スタッフに教えてもらう。名刺の渡し方、お客様の手の消毒の仕方。突然、照明が落とされミラーボールが回ってギラギラ音楽が激しくなって、はじまるハッスルタイム。この時はね、こうやってやるんだよーって対面座位の形になる。お客様の膝の上に座るんだ。「大丈夫?」何度も聞かれた。怖かった。顔が強張ってるらしい。まだ怖い。ずっと怖いと思う。
それで、ここから接客本番なんだけどあんまり覚えてない。お客さんとキスしたら、頑張ったねって言ってもらった。無理矢理触られたりキスされたりすることもなく、基本的にはお話だけで終わるのが多かった。なんの話したかも覚えてないし無言の時間を過ごしていた気がする。今思えば、ごめんねの気持ち。
セクキャバ1日目。面接からのいきなり体験入店。ギラギラのなんて言ってるのかどこの国の言葉で歌っているのか分からない音楽に乗せて「まりちゃんリストバックよろしくー」の声。リストバックは接客終わりの合図。もう時間だから帰っておいでの救いの言葉。
その日は、一万とななひゃくえんもらった。
キス、手マン、キスキスキスキス、おつぱいおっぱいおつぱいと、手マン。アナルも触られる、お話からの手マン。俺は何もしないよって言いつつ手マン。ちゅーしていい?接客を終えてボーイさんに言われる、ありがとう。って言われた瞬間にんげんに戻った気になる。ものだ。わたしは物だと。ものになる瞬間と、人間の狭間。ものとして扱われる瞬間、何かが削げてくのがわかった。減っていく。確実に減っていく。ものはモノでしかないんだ。
場内指名や私に会いにきてくれる人の存在がいるのでがんばれた。なんにもできないふつうのにんげんでも大丈夫なんだって思えた。
時給980円の仕事なんて目に入らなくなった。コンビニで1000円越えの買い物をするのが当たり前。自炊をしなくなった。スタバで甘いドリンクを飲んだ。ニキビが出来た。薬局で1番高いシャンプーと歯磨き粉を買った。なんの迷いもなく化粧品をカゴに入れた。まだお客様の匂いが残ってる気がして、香水を買った。拭きすぎた股が痒くなった。乳首を舐められた感覚が残ってたけど、気づかないふりをした。お刺身を食べてキスの感覚を思い出した。街でお客様に似てる人を見かけて座り込んだ。彼氏に無料で抱かれるのに疑問を覚えた。嘘をつく回数が増えた。
昔から3つ下の妹と折り合いが悪かった。
俺もいい兄ではなかったが妹も生意気で顔を合わせれば喧嘩ばかりしていた。。
家のリビングで妹がテレビをつけっぱなしでスマホをポチポチとしながら寝ころんでいたので「見てないならどけ」と言ったところ「見てるだろうが」という返答があった。俺はちょうど見たい番組があったので「見てねぇだろ、どけ」と言ったところ「ハッ」という小ばかにした返答が返ってきたので、カッとなって妹の頭にテレビのリモコンを投げつけた。
妹は相当驚いたのか俺の方を振り返り「何すんだ殺すぞ!」と涙目で訴えてきた。「やってみろ、どけ!」と返したところ妹は憤然と立ち上がり消えていった。空いたソファに座りテレビを見始めたところバタバタと足音をさせながら戻ってきた。なんだ忘れ物でもしたのかうぜえなと思ったらいきなりふともものあたりが熱くなった。
見ると妹が俺の左の太もものあたりを握りしめた両手で押さえていた。こいつ殴りやがった!と思い妹の手をはねのけようとしたところ、激痛が走った。白い棒が太ももから生えており、それを裏手で殴ってしまったのだ。は?と思った。意味が分からなかった。
妹の顔を見ると妹は真っ赤な顔で「死ねボケ!」と叫んだ。俺は思いっきり妹の顔を殴りつけた。妹はゴロゴロと転がった。追い打ちをかけようと立ち上がろうとしたが足に力が入らず身体を支え切れずに床で顔を打った。足元を見るとジーンズがなんだか濡れていて、これもしかして刺されたのかと思った。
転がった妹が大声で泣きだし、俺はあまりのショックに口がきけなくなった。マジか。刺された。
その尋常じゃない様子に母親が二階から降りてきてリビングでの惨状を発見し、おろおろしながら病院と父親に連絡。俺は救急車で、妹がどうしても同じ救急車に乗るのを嫌がったので後から母親と病院に向かった。妹は奥歯が折れていたそうだ。俺は足を3針縫った。100均の果物ナイフだったそうだ。命に別状は全くなく、ただクソ痛いだけだったが3日間入院した。
退院後、家族会議が開かれ、俺は家を出ることになった。松葉杖をついての初めての一人暮らしは普通にきつかった。23歳になるまで、口座に金は振り込まれたが両親は一度も俺に会いに来なかった。
それ以来一度も家に帰っていない。家族の顔も見ていない。
(前回のご報告)https://anond.hatelabo.jp/20210404174804
拾ったねこなので誕生日とかもわからないのだけど、ボロボロのこねこを2000年9月に拾った時に多分生後3ヶ月くらいだった。ということで毎年6月に健康診断と血液検査をすることにしているので、今年も行ってきました。結果から言うとびっくりするくらい健康で、先生も苦笑されながら「また一年健康だと思うのでまあまた来年来てください」とおっしゃられたのですごすごと帰ってきました。明日をもしれぬいのちだと思うからこそ、一本100円もする高級介護用乳酸菌入りエネルギーちゅーるを請われるがまま差し上げて参りましたが、今後とも引き続き召し上がっていただきたいと存じます。
とは言うものの、腰とあとあしに関してはそれなりに節々が痛むご様子で、昨年まで夏季はソファの上でおくつろぎになることを好まれていましたが、今年はもうちょっと低くて登りやすいベッドの上にてほぼ一日中お過ごしいただいています。増田はあいもかわらずリモートワークの日々なのですが、日中は寝室においたデスクで仕事をしておりますゆえ、振り向けばいつでもそこでまどろむ老ねこのお姿を拝見できるというとても満ち足りた生活を過ごすことができていますし、リモート会議の際中に「すいませんちょっとうちのねこがわがままで・・・」などとうそぶきながら、これみよがしにカメラの前で抱き上げて優越感に浸るなどしています。
このように足腰がだいぶんと弱くなり寝転がるのも一苦労といったご様子のなか、トイレを失敗なさることも若干増えましたので、ちょっとふんぱつしてベルギー製の大きなものに替えさせていただきました。
https://www.amazon.co.jp/product-reviews/B077S667TW/
実際レビューを見ると、大型ねこ用というよりはむしろ介護用品として活用されている方が多いようですね。ご自身の体に付着するようなことがなくなったのか、このごろなんとなく部屋がおしっこ臭かったのもなくなってきたように感じます。
長く続くコロナ禍で、こころもちが優れなくなっているという方が多いとも聞きますが、増田はむしろこのねこ一匹ひと一人の生活がとても心地よく、あまりにも満ち足りているのでなんだか申し訳なく感じることもあります。晴れた週末に老ねこを抱いてヨギボーにもたれかかると、窓ガラス越しに梅雨の合間の青空が見えます。そんなとき増田はこのアパートの一室が宇宙船となり、窓から青い地球の姿を見ている様子を想像します。ねこの呼吸と体温と鼓動を直接感じていること、そんなわたしたちだけの穏やかな空間がここにあることに深い満足を覚えながら、身体中にひっついた無数のねこ毛をコロコロと掃除するのです。
動物病院の先生に苦笑されたとはいえ、いつ儚くなってもおかしくないことは重々承知しています。ただ、その時が来るまでは彼女の日常が平穏であり、ねことして悪い一生ではなかったと思ってもらえるよう引き続き尽力したい所存です。なお、前述の先生は最高22歳までのねこの診察をしたことがおありであるとのことでしたので、ぜひ23歳のねこの診断に挑戦させてあげようと思います。こちらからは以上です。
(追記)
みなさま、たくさんのお祝いのコメントありがとうございます。うれしくて何度も眺めています。
なお、増田はみなさまがおっしゃるほど有能な下僕ではありません。増田はたまに海外のバーチャルカンファレンスを聴講したりするのですが、そんなときはよくわからない英語の発表などを夜を徹して聴いたあと明け方4時に寝たりします。ねこはそのような当方の事情など知ったことではないので、いつもどおり5時に朝ごはんの準備など下知されるのですが、そのあたりは増田もきっちりお断りした上で朝7時まで待たせるなどしています。
あと、前世が牡蠣のねこさまは私も大好きです。いつの日にか雲の向こうの彼女からそのような言伝をいただけるのではないかということを、増田はそこそこ信じています。「アオ」
もう十年ほど前の話になるだろうか。私は携帯小説が大好きで、あらゆるサイトを日々めぐり巡っていた。
毎日を彩ってくれる、素晴らしき作品たち。創作者の方々に感謝を捧げつつ、作品を美味しくいただいく幸せな時間を過ごしていた。
そんなある日、神に出会った。
特別、文章が上手かった訳ではない。話の内容だってオリジナリティに溢れているかと聞かれたら、そうではない。けれど惹かれるものがあった。素直に面白かった。作品を好きになる理由なんて、それで充分。何より出会って数週間、神は一日も休まず作品を更新し続けていた。すごい人だな、応援したいと思った。私はもうすっかり神に魅了されていたのだ。
感想を送ると、次の日には返事が来た。
神から自分宛に言葉が送られる、これはとても嬉しいことだ。一度でも感想を書き、返事を頂いたことがある人には、わかって貰えるだろう。返信の喜びに味をしめた私は、そこから感想を送り続けた。数ヶ月もすればコメント欄の常連さんとして、神に認知されていた。憧れの存在に少しだけ近づけた気分だった。
そして向かえた運命の日。
その日のことはよく覚えている。私は大学生で、ちょうど学園祭が催されていた。イベントの都合で浴衣を着ており、朝からずっと着通しの状態で、終わる頃にはぐったり疲れていた。ソファにもたれかかかりながら、携帯を見た。返信が来ていないかなと、なんとなく開いたログインページ。神の作品の書籍化が決まったことを知った。
泣きそうになるのを堪えた。嬉しかった。
だって私は知っている。この数年間、見てきたのだから。神が今まで、どれだけ頑張ってきたのかを。休むことなく作品を更新し続け、感想のほぼ全てに返信をし、神の文章力は最初と比べ、見る影もないほど上達していった。コメントを書かなければ、と思った。この喜びを今、書き残しておきたい。伝えたい。けれど私には時間がなかった。今から学園祭の片付けをして、サークルのみんなで打ち上げをして、夜遅く帰る予定。そんなもの放り出したいところだけれど、そうは問屋が卸さない。迷った末、変なひねりは加えず、素直な気持ちを伝えることにした。
神の作品も、神自身も大好きだ。だから嬉しい、本当におめでとうございますと、それだけ告げた。
翌朝、メッセージが届いていた。神からだった。いつもの感想への返信ではなく、私宛に個別のメッセージ。
あなたの感想からいつも勇気を貰っていた、ありがとうと。だからよければ今回刊行される本を送らせて欲しいと。
気づけば泣いていた。
私が今まで送ってきた、感想とも言えないようなもの。けれどそれは決して、無駄ではなかったのだと。その時いただいた本と手紙は、今でも宝物だ。もちろん本は、いただいた分とは別に発売日に三冊は購入した。某密林にレビューだって投稿した。神は本当にすごい人で、それからも毎日作品を更新し、送られた感想全てに返事をし、一日だって休むことはなかった。
そこは偶然にも神の地元であり、ツイッターであそこへ行った、これを食べたと呟けば神からコメントがあった。他愛もない内容のリプライが続くのが、飛び上がるほど嬉しかった。
帰りのバスに乗って、今から帰ります、と呟いた。ほどなくして通知がきた。神からだった。
「本当は会いたいと思っていたけれど、会って幻滅されないか心配で、会おうとは言い出せなかった。情けないです」
確か、そんな旨が書かれていた。少しも情けないとは思わなかった。ただ、会いたいと思ってくれていたことが嬉しくて……私もいつか、お会いしたいと思った。
もしも神が男性だったのなら。私はこの感情を、恋だと勘違いしていたと思う。けど違う。こんなことを言うのは少し恥ずかしいけれど、私が抱いていたのはきっと、恋よりもずっと大切にしたい何か。
それは決して、恋ではなかった。
ある日なんとはなしに零した、「いつかサイン会で会えたらいいですね」。
本当に叶うとは思ってもみなかった。訪れた会場で私は神と出会った。その他大勢のファンと同じように、私も列に並びサインを貰った。
私が名前を告げると「泣きそうです」と神は言った。「会えて嬉しいです」なんて決まり文句を返して、その場は笑って過ごした。
サイン会はあっという間に終わった。
エスカレーターで一階の御手洗を目指して、静かに降りていく帰り道。ようやく辿り着き、扉に鍵をかけて蹲った。声を押し殺して泣いていた。朝早くから、張り切って化粧をした顔がぐちゃぐちゃになっていることは、鏡を見なくてもわかった。多分この時、私の中で張り詰めていた糸が、ぷっつり切れてなくなってしまったのだと思う。
私は次第に感想を書かなくなっていった。
あらゆる物事にいえるが、人はそこに義務を感じると楽しめなくなる。私は知らず、作品を読んで感想を書くという行為に、義務感を抱いてしまっていた。それが少し辛くて、神の作品を純粋に楽しむためにも、感想をやめることに決めた。
そもそもどうして、私は数年もの間、感想を書き続けていたのだろうか。
英世さん2分の1を軽く超える数。それだけ書いてきても、感想を書くのは一向に苦手なままだった。ほんの数行、ワンツイート分にも満たないようなものを書くのに数十分かかることだってあった。
解釈が間違っていないか、失礼な言葉遣いをしていないか。硬くなりすぎず、適度に密度のある文章を……などと、私のような拗らせた人間は、感想ひとつ送るのにこんなに面倒なことを色々と考えてしまう。
好き!最高!面白い!感想なんて、本来これだけでいいはずなのに。素直にこの言葉を伝えられる人を、私は尊敬する。羨ましい。
少し話が逸れてしまった。
どうして、そこまでして感想を書いていたのか? 単純に神の作品が好きだった、応援したかった、返事が来るのが嬉しかった。理由は色々とあるが、一番はきっと、神を失いたくなかったから。
そう私は一度、自分にとっての神を失ったことがある――さて、ここまでは少し長めの前置き。本題はここからです。
上記の神と出会う前、私には原始の神とも呼べる方がいらした。私を携帯小説の沼へと引きずり込んだ偉大なるお方。この方を追いかけて行った先で、神とも出会ったのだ。
原始の神の作品は、それはそれは素晴らしいものだった。丁寧で優しくて綺麗な文章、練り込まれた世界観。もう随分と前に読んだものなのに、未だによく思い出すくらい大好きな作品だ。
原始の神は言っていた。書くことが好きだと。感想を貰えるのは、とても嬉しいと。けれどある日突然に、ぱたりと姿を消してしまった。
私は後悔した。
好きだという気持ちを、しっかりと言葉にして、伝えられていたら。もっと感想を送っていたのなら、違う結果になったのかもしれないと。
以来、自分にとっての神には惜しまず感想を送ろうと決めた。その教訓を胸に、私は数年に渡り感想を送り続けてきたのだ。もっとも神は、私の感想などなくても書き続けていたのだろうけれど。
つい最近、原始の神の作品を読み返した。そして思った。やっぱり私は、この作品が大好きだ。
けれど数年前に送ったコメントに返事は来ておらず……私はもう二度と、原始の神に感想をお伝えすることができないのだろうかと嘆いた。けれど諦めきれない。私はもう一度、あなたの作品がどれだけ素晴らしいものであるか、感想をお伝えしたい。伝えさせて欲しい。ただの自己満足で、あなたはそれを望んでなんていないかもしれないけれど。今からサイトの方に、メッセージを送りたいと思います。あなたの作品が大好きでした。
この文章が広く世に出回れば、きっとあなたがそれを見てくれるだろうと信じたい。
以下の言葉の意味がわかる方がいらしたら、どうかそっと、サイトにログインしてみてください。
ラベンダーは青と緑
あの花の名は?
https://bunshun.jp/articles/-/45862
近鉄の採用担当者・X氏に、不適切な行為を迫られたことを証言するのは、就職活動中の大学4回生、A子さん。X氏から「エントリーシートの添削をしてあげる」などと繰り返し誘われ、今年2月23日夜、大阪市内の和食屋で一緒に食事をすることになったという。その後、酔いが回った彼女がX氏にタクシーで連れて行かれたのは、ラブホテルだった。
A子さんが振り返る。
「『エントリーシートは中で見るから』と言われて……。行為に及ばないようソファに座っていたのですが、ベッドに寝転がったXさんは『こっちに来ないと見られないよ』と言ってきた。採用に影響が出ると思った私は断れず、肉体関係を持ってしまいました」
いやせめて通過させろよ
かつて忘れ物キングと呼ばれるほど忘れ物が多く、成績表の「忘れ物をしない」の評価は常に「がんばりましょう」な私だったが、成長し、チェックリストに持ち物を挙げ、確認するようになってから忘れることは減った。しかし肝心な何かを失念する癖は治らなかった。歯医者に行ったことのある皆さんはお分かりだと思うが、歯科では施術中、唇が荒野の如く乾燥する。それを潤すためにはリップクリームが必要だが、このような、前もってリストアップすることが困難な、一見関連の無いものに限っては十中八九忘れてしまうのだ。そして本日、祖母の家に来たが、またまた大事なものを家に置いてきてしまった。それは胃薬である。
祖父母の家——それは孫に大量の食物を食らわせる機関である。揚げ物、肉、寿司のジジババ3連パーティコンボをまともに受ければ、翌日はお茶漬けしか食えぬ。大量のアブラギッシュな食い物を大皿で目の前に出されれば、思春期でもない限り危機感を覚えても仕方あるまい。しかし、これを無碍に断れる孫など存在しないだろう。少なくとも私は断れなかった。優しい祖母の「いっぱい食べな」に首を振れるわけがなかったのだ。
「今日ステーキ買ってきたから」と慈愛のこもった笑みを見せる祖母。覚悟はしていたが胃の中がぐるぐると回る感じがした。5時頃、夕食を食べ始めるか聞かれ、あまりにも早すぎる戦闘開始時刻に動揺する。1時間後にしようと説得し、なんとか時間を遅らせた。そして時は来た。老後の貯蓄をこれでもかと投じた肉塊が目の前に現れたとき、度肝を抜かれた。肉の量が2人分なのである。普段ステーキを食べることはない(普通そうだろう)私は、ステーキ一人前はこんな「広さ」だったかと首を傾げた。皿からはみ出たステーキにはバターが載せられている。この量自体はそんなに多くもなかったが、テーブルには「追いバター」が入ったタッパーが置かれていた。何度見ても、付け合わせのキャベツが萎縮するほどデカい。しかし、いつまでも眺めているわけにはいかぬ。意を決して口に含む。すごい。感嘆が口から溢れ出た。柔らかい。肉の質だけではない。繊維が肉叩きによってほぼ全て断ち切られている。ステーキソースは黒胡椒ベースでシンプルだが、これがなんとも言えず肉の旨みを引き出していた。「これあんたのお父さんが大好きだったのよ」と、現在に至るまで反抗期な父親が唸るほどもある。美味い美味いと言いながら口に運んだ。それでも、約一人前を食した頃から異変が起き始めた。胸の辺りがつかえる感触がする。胃もたれであった。脂が多い。肉汁を逃さずたっぷりと含んだ肉塊は、口内でじゅわりと脂を放出する。適量以上の脂質を体内に取り込んだ私は、ナイフの動きを少しずつ鈍らせていった。しかし、残して祖母を悲しませたくないという気持ちでなんとか胃袋に押し込んだ。あともう少しだ。四口分に切り分け、ゴールは目の前だと自分を鼓舞する。その時であった。「ねぇ、私の半分食べない…?」やはり祖母はグラムを間違えて買ってきたらしい。彼女も苦しそうにステーキを切り分けていた。そんな祖母が、私を見て半分貰ってくれないかと懇願し始めたのだ。正直、もう限界だった。十分目を越していた。しかし、ランナーズハイもとい、イーターズハイに陥っていた私は余った肉を受け入れた。私は食べた。そして皿が空いたとき、出された緑茶を飲み干して、深く獣臭い息を吐いた。長い戦いだった。だが、残ったのは達成感などではなく、ただ一つ、強烈なもたれ感であった。
ソファにずんと座り、胃薬を忘れたことを深く後悔した。もうしばらく肉はいい、もう食えないと思った。私の消化力は牛並みにゆっくりだが、それなのに胃袋が一つしかないのだ。明日はきっと消化不良でトイレに閉じこもる事になるだろう。明日の事を憂慮し、私は食後の眠気で微睡みながらこの文章を書こうと思い立った。
この後、祖母から胃薬を貰った。病気がちの彼女が飲んでいる薬だから、さぞかし強力だろう。しかし、失敗とは痛い思いをするから改善しようと思うものだ。今日の気持ちの悪さを戒めにしなければならぬのではと頭の片隅で思いつつも、結局苦しさに耐えられず、薬を飲み込んだ。
こんな夢をみた.友人と車でお祭りへ向かう途中,交通事故にあい幽体離脱.「あー死んじゃったかー」とか思ってグチャグチャになった車を俯瞰していると,僕の体は車から這いでて警察を呼び,友人と一緒に立ち去ってしまった.僕は取り残された.
こんな夢をみた。僕は中学校にいて、何人ものクラスメートと顔をあわせた。それも男女問わず、卒業から会わなくなった人達ばかり。最後に、初恋の人と食堂でてんぷら定食を食べた。そこで僕は、彼女は玉子が嫌いだったことを思い出した。あの中学校に食堂なんてなかったことも。目は覚めた。
こんな夢を見た.携帯が鳴り,研究室のソファから起き上がる.時刻は3時過ぎ.伸び上がって靴を履き,立ち上がる.と同時にソファで「目が覚める夢」から 目が覚めた.時刻は4時過ぎ.立ち上がる.と同時にまたソファで目覚める.時刻は5時過ぎ.6時,7時,8時.昼には諦めた.目は覚めていた.
こんな夢を見た。温泉から上がり部屋で一息つくと、脱衣所での忘れ物に気がついた。取りにかえるも、その温泉に戻れない。あるのはロビーと地下への階段。 迷わず下る。1/3ほど照明の点いたバーで、3人が飲んでいた。女性は言う。「私が代わりに探してあげる」。忘れ物はついに思い出せなかった。
こんな夢を見た。私は知らない農家の宴席で、その男の話を聞いていた。男は次第に興奮し、暴れ、自らの腹をナイフで抉った。私は取り押さえられた男の腹から一筋の血が流れる様子を眺めていた。「俺はあの牛なんだ」そう言い残した男は車で連れていかれた。
私は外へ出た。庭には一匹の黒毛牛がいて、気が違っていた。腰のベルトを外して叩きつけると、牛は逃げていった。それを横目で追いながら、川を越え、古いバス停に腰掛けたところで、読んでいた小説を閉じた。タイトルは「牛の首」だった。私は街へ下りることにした。
大きな駅の向こう側へ行きたくなって、地下連絡通路を目指した。下って歩いて上った先で、一人のセールスマンが待っていた。私は家を探していたことを思い出した。マンションの一室へ向かう。「紹介するのはここと同じ造りのお部屋です
お客さんは運が良い。ここのご主人は昨日自殺したので、誰もいません。見るなら今日です」フローリングは酷く黒ずんでいた。部屋を検分していると、喪服の女が階段の上に現れた。木製で高さのある螺旋階段は、このマンションには不釣り合いに思えた。
女は言う。「見よ、あの牛を。涎を垂らし、目を泳がせる、あの醜い黒毛の牛を」それは「牛の首」の一節だった。「ご主人はどちらですか。あの男ですか。あの牛ですか」「牛よ」そう答えた喪服の女は声を上げて笑った。私は部屋を出た。目は覚めた。
こんな夢を見た。高速道路のトンネルに入ると何十もの真赤なランプが光っていて、渋滞のようだった。車が完全に停止するまでブレーキを踏み込み、サイドを引くと同時に、警官に声をかけられた。「車を降りてください。指示に従ってください。」私は他の運転手と同様に非常口へ向かった。
先には窓のない畳部屋があって、黒い長机と弁当が並んでいた。奥から二番目の空席に腰を下ろす。右隣の男性の貧乏揺すりが続く。弁当はやけにコントラストが低い。向かいの女性は口を開けて呆けている。どこかでパキという音。戻ろう、戻ろう、私はつぶやきながら独り部屋を出た。
トンネルに警官の姿は無く、ナトリウム灯がまばゆいばかり。私は車を捨てて歩いた。出口に辿り着いたが、無機質な車列は途切ず、青空の下とても静かだった。脇にはトンネル名が刻まれた石碑があって、それをなぞる。五文字目で指先に鋭い痛みが走った。目は覚めた。
こんな夢を見た。夜祭の喧騒を抜けると、人のまばらな屋外ステージの中央で、男が何やら呟いていた。それらは全て、この地の死者が今際の際に発した言葉だという。石段に腰を下ろし聴き入る。殆どが呻き声でよく聞き取れないが、どれもこれも懐かしい。それらは確か、私の最期だった。
こんな夢を見た。私は窓の無い病院に何年も入院していて、その日は定期検診だった。入院患者の列に混ざって待っていると、前の一人が脇の通路を指差した。「そこから外に出られるかもしれない」
患者達は一斉に走り出した。初めは様子を伺っていた私も、後に続くことにした。無機質な通路を抜け、いくつもの自動扉をくぐると、急に冷たい空気が鼻に触れた。外は夜だった。私は、電灯に照らされた公園と人工の川に患者達が散る様子を眺めていた。
胸許の携帯が鳴った。「早く戻りなさい。外は身体に悪い」それは心の底から私を案じる声だった。「しかし、みんな喜んでいます。こんなにも空気が美味しいのです。こんなにも自由なのです。」話し終えると同時に、別の電話が入った。「ボートを見つけた」
それは汚いスワンボートだったが、迷わず乗り込んだ。ボートは勢いを増す。川底の石を蹴り、橋を越え、カモメを追い抜いた。ついには岩に乗り上げてしまったが、川岸からボートを押していると、その人数は少しずつ増え、豪快な波しぶきとともにボートは川に戻った。歓声が上がった。
ボートに再び乗り込んだそのとき、朝の光が目に飛び込んできた。「もう戻らなければならない」そう思った瞬間、電話で使った『自由』という言葉に重さを感じた。その言葉の意味に初めて気が付いた。目は覚めた。
こんな夢を見た。私は講座「反境学」のガイダンスを受けるため、大教室の扉を開けた。百名以上が座っていたが、私だけ後ろ向きの席に案内された。私の背中で女性講師が言う。「反境学について質問はありますか。」前を向いた学生の一人が手を挙げた。
「環境学とは違うのですか」「環境学も反境学に含まれます」「社会科学ですか」「あらゆる概念が当然含まれます」境界を無くす学問なのか、そう考えた途端、周囲の学生は消え、私は前を向いていた。講師と目が合った。「違います。」目は覚めた。
こんな夢を見た。私は想い出の場所に向かうため、登山をしていた。久々の単独行。ペースは上がり、森林限界を抜け、雪渓に差し掛かった。酷く咳が出る。雪渓は雪と砂が細かく混ざっていて、古い雪崩跡だと思った。視界の端に何かが映る。黒ずんで、痩せた人間の手が転がっていた。
足を止めた。酷く咳が出る。後ろから声がかかる。「ありがとう。○○さんは手伝ってくれるんだね。」初老の女性だった。「なぜ、私の名前を知っているのですか」「あなたに会ったことがあるからです」やはり酷く咳が出る。足元の誰かを、背後の誰かと掘り起こすことにした。
女性は言う。「ごめんなさい。もう、そのシャツの臭いはとれないね」しかし腐臭は感じない。いよいよ咳は酷い。掘り起こした誰かは、結局腕しかなかった。それもぐずぐずに崩れてしまった。私は手を合わせ、先に進むことにした。咳は血を吐かんばかり。痰が喉でゴロゴロと騒がしい。
すれ違った何人かの怪訝な目に、染み付いた腐臭を初めて認識した。視界が狭まり、白黒する。歩く。歩く。そうして日が沈む直前に、山小屋に辿り着いた。咳をすることでしか呼吸ができない。硬い床に雑魚寝する。眠れない。だからきっと白昼夢だったのだろう。こんな夢を見た。
私はベッドに横たわっていた。寝返りをうつと、そのきしむ音と合わせて時計が目に入った。時刻は午前二時五十分。外に錆びた自転車が見える。跳ね起きて質素な窓枠に足をかけると、不意に声がかかった。「子供はどうする」ようやっと、家族3人で寝ていたことを想い出した。目は覚めた。
月経カップを半年程使い、ようやく自分なりの使い方が分かった。
ナプキンやタンポンのストック管理が苦手だから。いつも生理が来てからストックが無いことに気付く。
コンビニで売ってるけど割高で買いたくない。近所のドラッグストアのレジの行列に並ぶのも嫌い。
初日、2日目はタンポン+ナプキンで過ごし、3日目から月経カップを使う。
初日、2日目は経血量が多く、数時間で月経カップから漏れ出す。
カップの血を捨てて付け直せば良いのだが、自宅以外では難しくやりたくない。
3日目からは経血量が少ないので、朝装着し、夜風呂で血を捨てて再装着、朝血を捨てて再装着、と自宅のみで作業を完結できる。
月に2日だけタンポン、ナプキンを使用することになるが、使用量が減るので面倒なストック買い足しの頻度を減らせる。
練習するしかない。4回目くらいの生理でようやくコツを掴んだ。
これも慣れればなんとかなる。最初はびびった。でもむしろ大をきばっていると取り出す気がなくても勝手に出てくるので困る。なので取り出せなくなる事はないと思う。
ソファに座っている時等にステム(取り出し用のカップの底の突起部分)が体外に飛び出して陰部に当たって痛かった。他の人の体験記を参考にハサミでステムをちょん切ったら違和感は無くなった。
でも最初は取り出せなくなる不安があるのでちょん切らない方が良いと思う。
ネットで月経カップの使用方法やら体験談やらを読み漁ると「きちんと装着できていれば真空状態になるので経血が漏れ出ることはない」と書いてある。
体内が真空状態になるという意味が分からずどういう状況が正しいのか分からなかった。
何度やっても経血は漏れてくるし正しく装着できていないのか?と再装着を繰り返した。
でも人間の体内が真空状態になるってこと、無いよね?あり得ないよね?
多分「密閉状態」が正しい表現ではなかろうか。皆真空パックを想像して真空状態と言っている気がする。
そしてそんなに完璧には密閉されないし、正しく装着できていても経血が多ければ漏れ出てくるものだと思う。
臭いを気にしなくてよくなる。
煮沸消毒なんて面倒で無理、という意見をネットでちらほら見かけるが、使用開始前に1回、使用終了後に1回(つまり月2回)、ラーメンどんぶりに水を張り、月経カップを投入してレンジで5分チンするだけである。何も面倒ではない。ナプキンを買う方がよほど面倒である。
量が多けりゃ漏れる。
お手入れは簡単。