はてなキーワード: 新入生歓迎会とは
この日記の内容はみだしのとおりだ。京都での学生生活の4年間をキャバクラでの黒服の仕事に捧げた。
昨年末のこと。コロナのおかげでストレスが溜まる中、ふと京都が懐かしくなって一人旅に行った。学生時代と社会人約十年目では、さすがに景色に差があった。いろいろと感じるものがあったので、ちょっとしたためてみることにした。
広島の田舎から京都に出たばかりの、当時18才だった私は大学生活に憧れを抱いていた。第一志望ではなかったが、行きたいと思っていた大学だった。
4月はあっという間に過ぎた。入学式、オリエンテーション、サークル勧誘、学部学科での新入生歓迎会、初めての履修登録、初めての講義、初めてのゼミ活動。
楽しくもあったし、不安もあったけど、5月になって、まだあることをしていないのに気が付いた。
アルバイトである。大学生はアルバイトをするものだと思っていた。それ以前に読んだ漫画やアニメでは、大学生はみんなアルバイトをしていた。
早速、求人情報の掲示板を見た。インターネットではない。学生課の前に貼ってある物理的なやつだ。すると、学内カフェがよさそうな気がしてきた。時給もいい(850円だった気がする)。
その日のうちに、お店に行って店員のおばさんに声をかけた。アルバイトがしたい、と。
何分間か話した後、「土曜日にシフトにはいれます」と告げると、大歓迎な感じで、「今度オーナーも交えて面接しましょう」と言ってくれた。私の携帯電話の番号を伝えた。
その翌日だった。知らない番号から着信があった。携帯が鳴っている最中、ガラケーの通話ボタンを押す直前に着信が切れた。
もう一度かけなおすと、女性の人が電話に出た。どうも話がかみ合わない。「こちらからはかけていません」とのこと。どうやら、大学全体の電話受付窓口に繋がっていたようだ。でも学内の誰かが、私に電話をかけている……。
増田の処刑はすでにおわかりだろう。あのカフェからの着信だったのだ。私はそんなことにも気が付かなかった。
それから3日が経って、あのカフェに行って、面接の件がどうなったのか聞いたところ、「オーナーに、あなたが電話に出ないと伝えたら、もう面接はいいって」という衝撃の答えが返ってきた。
私が阿呆だっただけだ。今でも、仕事でこういう感じのミスを冒すことがある。
ある日、京都御所の近くにあるコンビニで求人雑誌を持ち帰った。
パラパラと中を覗いてみる。飲食店や小売店が多いようだ。ただ、どのお店も時給が低い。大学の近所にあるお店は、だいたい750円~800円だった。今思えば、こういう視点はやはり若いな、と思う。
大学生の場合は、たとえ時給400円だろうと、釈迦に生きる人としてふさわしい常識や言動、知識を身に着けられる職場がいい。大学の同期で、一流どころの企業や官公庁やNPO法人に就職した連中は、リクルートや株式会社はてなや高島屋でアルバイトをしていた。
当時の私は、リクルートもはてなも高島屋も知らなかった。私の出身は広島県の府中市だった。そんなオシャンな会社は地元にはない。天満屋だったらあるのだけど。もし私が東京の府中市出身だったら、リクルートもはてなも高島屋も知っていたのかもしれない。
さて、求人情報誌も終わりの方まで来た。すると、スナックやキャバクラ、バーのページが出ていた。
あるお店の男性スタッフの時給のところを見ると、22時までが900円で、22時以降が1000円とあった。基本の労働時間が20:30~5:30で、開店準備と片付けを除いた9時間に対して給与が支払われる。ツッコミどころが満載だが、こういう業界なのだ。今でもおそらくこんな感じだろう。
「でも、夜の店はちょっとなあ」と感じつつ、「失敗したとしても私はまだ若い。なんとかなる」とよくわからないポジティブも抱いていた。
あるページを捲ろうとして私は、ある求人に目が留まった。「木屋町で一番レベルが高い店です!」みたいなことが延々と書いてあった。自画自賛もいいところだ。※本当に一番レベルが高い店だった。
でも、「面白いな」と思った。しかも深夜時間帯の時給は1100円ときている。さっそく電話をかけて、簡単に自己紹介をして年齢と大学名を言ったら、「ぜひ面接に!」ということになった。
5月の割と寒い夜、私は親からもらった原付に乗って、家から木屋町まで10分ほどの距離を慎重にゆっくりと駆けていった。
マクドナルド河原町三条店の近くにある、小ぢんまりとしたビルの地下1階にその店はあった。
当時の私はビルの前に立ち竦んでいた。田舎育ちの私は、ビルの下に降りていく階段を見たことはなかった。真下の方から数人の話し声が聴こえる。
おそるおそる階下に降りていくと、廊下が十メートルぐらい続いていて、奥には分厚い扉が開け放たれていた。表面に店の名前が書いてありそうな。近づいていくと、店の中から男女が笑い合う声が響いた。
扉の前には小さい丸椅子が設えてあって、2人のお客さんとイケメンの黒服(ボーイ)が楽しそうに話をしていた。お客さんは、丸っこい小さいグラスに入ったお茶を飲んでいる。
ふと、ひとりの嬢が出てきた。黄色い、ひらひらとしたドレスだった。歩く度に、ドレスの裾がブゥンと上下していた気がする。顔つきは覚えていない。失礼ではあるが、「化粧濃いな」と感じたのは覚えている。外国人風の浅黒い肌の、ツンとした表情だった――人生で初めてキャバクラ嬢を見た瞬間だった。
さて、イケメンの人に「面接に来ました」と告げると、「ちょっと待ってね」と言われ、奥に引っ込むと……すぐに別の男性がヌッと出てきた。
体格が大きい、熊みたいだ。笑っている。当時の私には恐い人に思えた。実際には、恐ろしさと優しさが同居するタイプ……と見せかけて、普通にサイコパスだった。
店長と名乗るその人と、同じビルの2階にある事務室に入って、さっそく面接が始まった。私はソファに座らせてもらっていて、ガラス張りの机の上にペットボトルの緑茶が置いてあった(はずだ)。店長は反対側のソファに腰かけた。
「飲んでよ」
思い出せる限りだと、こんな感じだった。
「いい高校行ってたんだね」
「18才か。若いね~」
こんな感じだったと思う。当時は、落ちる可能性が高いと思っていた。ボーイの経験がないどころか、アルバイトをしたこともなかったからだ。自分が盆暗な方だということもわかっていた。
ところで、キャバクラで4年も働いていたのだ。私のような類型(実務経験のない若い子)を採用する理由はわかる。
①単純な労働力として
多くのお店では、ホールやキッチンの仕事を8時間ぶっ続けでやらないといけない。開店の準備と片付けもある。休憩はあるが非常に短い。キッチンのビア樽に座って5分間など。なので、体力のある人がほしい。
②肉壁として
態度の悪いお客さんは必ずいる。特にお酒が入っていると、接客が気に入らないということで難癖をつけたり、声を荒げたり、脅迫してくることもある。
※稀に暴力団組員も来る。「暴力団お断り」のステッカーをどの飲み屋も貼っているだろう? あれは歓楽街では冗談の一種だと当時は思っていた。この業界では、清濁を併せ呑み、判断が早く、臨機応変に対応できる者が生き残る(と店長が言っていた)。
お客さんとトラブルになっても、年が若くてガタイのいい奴がいるのといないのとでは展開が違ってくることがある。たとえ殴られても、私みたいに若いのは自分が悪いと判断して、お店に治療費を請求しないことが多い。
③レアドロップ枠として
一例として、私と同じ同志社大学で、かつ同じ法学部法律学科の奴で、大学生活の4年間、ホストをしていた奴がいる。週に3日ほどの出勤で、大学3回生になる頃には月に30万~40万ほどは稼いでいた。本人いわく、「いろいろあるので稼ぎ過ぎないように気を付けていた」とのこと。全く正しい行動だ。大学生の年齢でその判断ができる時点で、奴は普通ではなかった。2021年現在も、堅気ではない仕事で大金を稼ぎ続けている。その彼は、KFJ(京都風俗情報掲示板)のホスト板にもスレッドができるほどの猛者だった。つまり、年が若くても超スゴイ奴は一定数必ずいる。そういった人材を時給1000円前後で使えるチャンスに賭けているのだ。
当時の木屋町や祇園にあったスナックやラウンジやキャバクラは、そのほとんどが個人もしくは社員10名以下の会社が経営していた。
私が働いていたお店(以後S店とする)は、それなりの企業が経営母体だった。モデルや女優なんかを育てている芸能事務所が、副業としてキャバクラを出していたのだ。
※もうみんな読んでないのでぶっちゃけるが、㈱オスカープロモーションが母体として経営している店だった。当時の私は、そんな会社の存在自体を知るはずもなく。
そこに所属している子が修業や小遣い稼ぎの意味で働きに出てくる。そういう構造のお店だった。もちろん普通の子もいる。
以下、私が働いていた4年間で記憶に残っていることを書き出してみようと思う。たぶん長文になる。
キッチンとホールの仕事をやっていた。時給は1,100円。キッチンが主で、社員の人が少ない時に限ってホールに出る。
最初の頃は、強面のM主任に怒られてばかりだった。今思えば強面ではなかったし、体格も中肉中背だったが、当時若輩だった私には圧が強すぎた。
キッチンの仕事というのは、いうまでもなく優先順位がモノをいうわけで……おしぼりとつきだしの用意も、ドリンク作りも、フード作りも、皿やグラス洗いも……人生で最初に覚えた仕事は、社会に出てからの仕事の縮図だった。
・次の次くらいまで優先順位を決めながら動く
・途中で別の仕事に移らない
・雑多な仕事はまとめておいて後でやる
より精神的な意味での教えもあった。例えば、トレンチ(お盆)の持ち方について。S店での持ち方は、指を立てて、手のひらが触れないようにして胸の前で持つというものだった。
当然、最初のうちはできない。いや、言われたとおりにできるのだが、どうしても、たまに手のひらでベッタリと持ってしまう。
最初にそのミスをした時だった。「おい」というM主任の声が聞こえた。怒られると思って身構えていると、「新人が間違えた持ち方しとんぞ」と、上で述べたイケメンの人が叱られていた。確かに、私は最初にトレンチの持ち方をイケメン先輩に教わった。
でも、当時は「なんでイケメン先輩が怒られるんだろう。なぜ私じゃないんだろう」と素朴に考えていた。
このS店では、そういう社会人として基本的なことを教わる機会が何度もあった。私は盆暗でノロいタイプの人間だったから、ありがたい教えでも、耳から耳にスーッと抜けていったのがたくさんあったに違いない。日記にもっと細かくつけておけばよかった。
今でもM主任を思い出すことがある。厳しい人だったけど、まともに仕事をこなすことを誰よりも考えていた。私のことを考えてくれていたかはわからないけど、今でも確かに思い出すのだ。
めちゃくちゃ厳しくて……でも、ふいに無邪気で優しい笑顔を見せてくれる。私はずっとM主任の後ろを追いかけていた。今、この場で感謝を述べさせてください。ありがとうございます。
この年の春先から初夏にかけて、正社員と同じ仕事が増えていった。一例として、ホールを回る仕事が主になった。棚卸しもするようになった。時給が上がり1,200円になった。
本来、大学生のアルバイトは、キッチンでフード作りや洗い物をするものだ。ホールに出ることもあるが、あくまで代打的に割り振られる。原則、社員がキッチンでアルバイトがホールということはない。にもかかわらず、なぜ私がホールの担当になったかというと……。
信じられないだろう。でも事実だ。私がS店に入った時、社員5人のアルバイト3人(私を含む)体制だった。1年目の梅雨時に社員がひとり免職処分(能力不足だと思う)になって、また秋になった頃に社員1人が系列店に行って、3月の春休みの頃、ひとつ上の学生アルバイトが飛んだ。従業員が3人いなくなって、3人補充された結果こうなった。
ホールを回る仕事について、思い出せる範囲で優先順位が高い方から挙げていくと、①お客さん又は女の子(=キャスト。以下嬢とする)の監視、②オーダーの受取と実行(買い出しを含む。お客さんだと煙草、女の子だとストッキングや生理用品)、③嬢によくない行為をしているお客さんへの注意、④お客さんからのイジリや自慢話やお酌に付き合う、⑤灰皿やアイスペールの交換、⑥喧嘩を止める(リアルファイト含む)……といったところか。
重労働だが、そこまでキツイということはない。一般的な飲食店でもこれらに近いことをしているはずだ。最初は立っているだけでも辛かった。足が棒になってしまう。慣れてもやっぱり足の裏が痛い。
思い出に残っているのは、やはりM主任だ。仕事ができる男性で、30代半ばで月給は45万円(残業代は基本給に含まれている)だった。客引きのプロであり、街を歩く人でその気のなさそうなお客さんでも、1分も経たないうちにお店への興味を起こさせ、大体3分以内にお店に連れていく。何より損切が早い。この人はだめだと感じたらすぐにその場を去って、別の人に声をかける。
真夏の夜だった。私に初めての仕事が割り振られた。いわゆる、キャバクラの店の前にいる人の役だった。客引きではなく、連絡役に近い。お店に用のある人、例えばリース関係の業者だったり、面接希望の嬢だったり、店長の知り合いだったり……むろん、通りがかりのお客さんにサービス内容を聞かれることもある。
さて、ある3人組のお客さんが店の前を通った時、S店に興味を示した。「お兄さん。どのセットがお勧め?」と聞かれた私は、しどろもどろになりながら、2万円(2h)と1万3千円(1.5h)と1万円(1h)の3つのコースを説明した。金額はうろ覚えだ。たぶん違う。
3人組のリーダー格は、「う~ん」という表情になって、何点か質問をしてきた。うまく答えられなかったのは間違いない。最後は、私の方が心が折れてしまった。
その場を立ち去る3人組を見送る私の後ろに、M主任がいた――縄跳びで打たれたような、痺れた痛みが私を襲った。主任の回し蹴りが私のお尻にクリーンヒットし、地下に入る階段の手すりの辺りにもんどり打って転げた。頭を壁面にぶつけたのを覚えている。
主任に何と言われたかはよく覚えていない。罵倒の数が多すぎたのだ。「お前!売る気ないやんけ!」だったら確実に言われている。「すいません」とだけ謝ると、「〇〇ちゃん。次はないぞ」と言ってお店に入っていった……。
数分後、また別のお客さんが店の前を通った。私は、ここまでの人生で最大の過ちを犯した。私はM主任の真似をして、お客さん候補とトークを始めた。
「こんばんは。これから何件目ですか」
「2件目」
「どこ行ってきたんです」
「居酒屋」
「どちらにいらしたんです」
「和民」
「この店は高いからいい」
こんなやり取りだった。話すうち、だんだんと相手の気が乗ってきて、でもお金がないのも事実のようで、でもお店に入ってほしくて、M主任を見返したくて……去ろうとする相手の腕に触ってしまった。
「はいそこやめて!」※確かこんな口上だった。早口な警官だった。
その場で2名の警察官にサンドイッチにされた私は、しどろもどろに言い訳を始めた。やがて応援の警察官が到着し、単独でお店の中に入っていった……。
(続きます)
少年漫画の風呂覗き回、またそれに類する表現への「あれは女性差別だ」「差別じゃない」「二次元と三次元の区別をつけろ」みたいな話題についての記事です。
筆者は「危険性は高いのですくなくとも安易には描くべきでない」という立場ですのでご注意ください。
例え話をします。
漫画で、修学旅行の夜とか部活の新入生歓迎会とかで、「よーしそれじゃあ全員で万引きにしいくか!」っていうお約束回があるとするじゃないですか。
「誰がいちばん高いもの/大きいもの/センスのよいものを盗んでくるか」っていうところでゲーム性もあるし、
どういうチョイスをするかでそれぞれのキャラクターの個性も出せますし、
なによりこう全員で同じスリルを味わい秘密を共有するということで、集団としての団結も高まりそうで、悪くないとおもうんですよね。素人考えですけど。
実在の小売店業者のひとから「そういう展開は配慮してくれ」という意見がでたとして、
「嫌なら読まなければいい」が回答として成立していないことは判りますよね?
小売店業者のひとは「こどもたちが影響を受けかねない」ことを懸念しているのであって、一読者としての快不快の問題ではまったくないので。
「こどもが漫画をそこまで鵜呑みにするはずがないだろう」とか、
「こどもが影響を受けることはあるかもしれないがそれは表現者が負うべき責任ではない」とかなら回答としてわかります。
それで、
「万引き回も風呂覗き回もどちらもジャンプで描かれるべきでない」の、この二者の主張なら首尾一貫してて理解できるんですが、
「万引き回は駄目だが風呂覗き回は許されるべきだ」っていう意見は個人的にはちょっとよくわからないんですよね。それってどういう線引きなんでしょう?
性犯罪軽視の価値観を交えずに説明するの、すごく難しいんじゃないかとおもうんですが。
「いや、風呂覗きをしたキャラはきちんと殴られたりして制裁を受けている。犯罪を推奨するのではなくむしろ戒める内容だ」っていうひとは、
小売業者さんに「いや、このキャラは殴られている。警察沙汰にも出禁にもなっていないが、決して犯罪を推奨してはいない」って反論して納得してもらえるか考えてみてください。
わたしは無理だとおもいます。たんこぶ出来たって3コマもあれば消えますもん。
というかジャンプの現役読者なら、こういう風呂覗き的な表現が事実がんがん淘汰されつつあること、みんなわかっているのでは……?
ハンター、ハイキュー、鬼滅、ネバーランド、アクタージュ、呪術あたりは絶対やらない作風、
逆に明らかにやりそうな作風っていうとワンピースとサムライ8くらい?
チェンソーマンは微妙なところですけど、あの漫画はものすごく懇切丁寧に筆を尽くして「この漫画のキャラクターの倫理観は最悪です!!!」って描写してるし、
もし風呂覗き回をやったとしても批判されるような描き方にはならなそうな気はします。
風呂覗きを娯楽として描くからこどもへの悪影響を心配されるのであって、きちんと倫理観最悪なものとして描かれるならそういう心配はされないはずなんですよね。
「ゼルダの伝説 夢をみる島」で泥棒をすると以後ずっと「どろぼー」って呼ばれるのとだいたいおなじ感じ。
またマキマさんは何回も繰り返し「キスやおっぱいそのものがエロいんじゃなくて文脈や気持ちが伴ってこそのエロさですよ」っていうことをデンジに調教してくれてるので、
先日いつものようにМマス(7話)を見ていた時、偶然おじさんが居合わせてしまい仕方なく一緒に見た話
あくまでネタとして読んでもらいたいのでガチファンとか夢とか腐の方は読まない方がいいかも。
まずは自分のМマス歴
4話 初のリアタイ
5話 録画
6話 リアタイ
7話 リアタイ(おじさん初参加)
8話 リアタイ
9話 リアタイ
EoJは放送の存在さえ知らなくてこの前ブルーレイ買って見たくらいの自称新参Pです。
7話のおじさん
以下退場
9話のおじさん
・Pとチャオの人がバーみたいなところにいる場面でなんだこのアニメは…とつぶやく
・OPを見てこれかラ〇ライブどっちか見なきゃいけないならやっぱりラ…かな…とつぶやく
とにかくおじさんはぼやいているのである。
見るなら静かに見てくださいよ!!!と言いたい気持ちもあったがまあ後でネットに書いてやろうと思ったら楽しくなってきた。
他にもあまとうとてるさんが2人でステージの上にいる場面では
なんかこう…2人とか3人でシーーーンってなった後ワハハハってなるのって実際なくない?俺は…まあ四十何年生きてるけど1回もこんなのないな…とわけのわからないコメントを残した。
友達がいないからじゃないですか!!と言ったらいるよ〜〜と言い返された。
そしておじさんは北斗が1人で語りすぎて先生達が全員寝ちゃう場面を見て
さみしいな…と言いつつ帰っていった。なんだそれ。
結論としてはおじさんにМマスはウケないということだろうか。
まあ自分が観察したМマス(を見てる)おじさんはその人1人しかいないので他のおじさん(40代〜)でМマスにはまりそうとかはまっててやばいというおじさんが知り合いにいる場合はご報告よろしくお願いします。
今頃気になってggったりしているのか…それとも興味ないふりをしてゲーム始めてたら面白いな…
来週はどうなるかな…と気になりますが明日はバイトあるのでもう寝ようとは思います
(続かない)
逃げるかのように学校の階段を勢いよく駆け下りて、自分の席に座ったところで目が覚めた
いい思い出だったかと聞かれたら、首を横に振る答えしか私にはないのだけど
プールの後に国語の授業で塩素の香りを感じながら居眠りをすることも シーブリーズの貸し借りをする男女も
生温い風を感じることも 嫌いな薬品の匂いがする生物室で昨日見たドラマの話をすることも 音楽室でいろんな楽器を勝手に見よう見まねで奏でることも 屋上で愚痴をこぼすことも 購買で苺のサンドイッチを買うために走ることも
全校集会、文化祭、修学旅行、遠足、新入生歓迎会、卒業式 よくある行事だけど 学生の時にしかない特別なイベントも
もう ない のか
無い
あ
嫌な思い出では ないのかもしれない
ただ、良くはない
だけど
しっかり覚えていることはあった
それでも良いのかもしれない
たぶ ん
暴力を受け隠しようがない痣と傷だらけで登校した日、気付いた教師は気付かないフリをしてくれた 人間なんだなと思った
別に助けてほしいと思っていなかったし期待もしていなかったから
後日その教師は私に好きなアイスを買ってこいと、200円を渡した
夏休みの間、アルバイトをしながら様々な努力をした 自分を変えたい一心で
気持ち悪いほど周りの私への対応が変わったくらいには変化がでた
見た目が変わって良かったとは思っているが、精神的な面は何も変わらないどころか精神病棟に隔離されるほど酷くなってしまった わけがわからない
外見への執着は増す一方で、内面の汚れは落としても落としきれない
見つめ直そうと思う
大きな課題
アイスでも食べながらなんでも受け止めることができる っていうくらいの気持ちで自分の悩みと向き合う時間も必要だ
もう寝よう
こんな教室の片隅でラノベ読んでたタイプのキモオタにテニサーが声をかけるという意味不明な情景が展開されていた。
テニサーの話はともかく、多くのサークルでは「新歓飲み会にこない?」と
声をかけてくる。
新入生歓迎会なのに新入生ができないことがメインってなんだよ!
先輩たちが飲んでるのを見てろってか?
サークルによっては活動発表を新歓としてやってるところもあり、自分も参加させていただいたが、そちらはかなり有意義だった。
で、そういうところもあるのに、なぜ別に酒研究会とかでもないサークルで飲み会とか言ってるんだろうか。
新入生は飲めないのに。
こちとら早く二十歳になって酒を楽しみたいと思ってるのだ。
その状態の下級生を生殺しにするのが「歓迎」なのか。
もちろん、二浪の人もいるし、そういう人は飲める。
二浪の人の権利も大事にするべきだろう。すでに複数の二浪の人とは大学で遭遇したし。
Twitterでイベントの勧誘されまくるから調べてみたらなにこれ
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=72848364&comm_id=6027898
https://www.facebook.com/eventcircle.kusf
予定動員数300以上てことは300×3000円で90万?
THホールのレンタル料金15万円みたいだから75万稼ぐわけ?
大学入学前のこの時期って、 大学でうまくやっていけるのか不安ですよね?
私もそうでした(T-T)
という声が多々あがりました!
私も例外ではなかったです。
ねぇ?
関西大学はこういうこと注意しないわけ?
ねぇ?
おいwwwww
せっかく受かったのにこんな大学行きたくないんですけどwwww
https://twitter.com/kusf1/status/298208999227142144
https://twitter.com/kusf1/status/297236926115749889
僕が雪村に出会ったのは、大学の研究室の新入生歓迎会のときのことで、そのとき歓迎する側にいたのが僕で、歓迎される側にいたのがいっこ下の雪村だった。
彼女は、長くきれいな黒髪の落ち着いた女の子で、お嬢様という感じではないが、どこか品のある立ち居をしていた。
僕は彼女とは別のテーブルにつくことになり、でも彼女のことが気になったのでたまにそちらの方へ目をやったりしていたのだけれど、ちゃんと正面に座って話す機会は、ひとつ上の先輩がくれた。
「真田くん、ちょっとこっち来てよ」と先輩が僕を手招いて呼んだ。「この子エーティーフィールド張ってて、俺ひとりじゃキビシイよ」
それで僕は、彼女の向かいに座って話をした。雪村は聡明で、控えめで、微笑みながら人の話にうなずき続けることができるタイプの女性だった。
でも僕は自分のことが話したいわけではなくて、彼女のことが聞きたかった。僕はゆっくりと、何か自分と合うような話題がないかと探した。彼女の趣味は読書で、好きな作家は恩田陸(←「ああ、あのガチホモミステリの……」)。よく読むのは講談社ノベルス(←今にして思えば恩田陸は講談社ノベルスとあんまり関係ない気がする)。映画も好きで、好きな監督はスタンリー・キューブリック(←『バリー・リンドン』)とピーター・ジャクソン(←『乙女の祈り』)。ピクサーとジブリも好き。好きな漫画は『夢幻紳士』『百鬼夜行抄』『うしおととら』『タブロウ・ゲート』……。まともにやったゲームは『ファイナルファンタジーX』くらいで、時間のカウンタが止まるまでやって(←大学受験が終わってから暇だったようだ)、「全てを越えし者」を倒すところまではいったとか。あと何かのレースゲームは前に進めなくて諦めたという。
僕はといえば、好きな作家は星新一で、好きな映画は『ショーシャンクの空に』で、好きな漫画はジャンプとチャンピオンとヤングジャンプとヤングマガジンとスピリッツとモーニングだった。僕はその程度の文化パワーの人間だった。
雪村は本当に本が好きで、暇なときには一日一冊くらいのペースで読んでいた。「『雑食なのでなんでも読みます』とか言うやつは信用できねえよ。そういうやつは絶対に大して本を読んでない」と吐き捨てる友人が僕にはいたが、雪村は本当に雑食で、ノンフィクションを除けばなんでも読む女の子だった。小説も漫画も。
その新入生歓迎会の日は、友達が帰るというので、彼女もそれについて早めに帰っていってしまった。僕はもっと残っていってよと頼んだけれど、穏やかに断られてしまった。
次に僕が彼女と話をしたのは、それからしばらく後の教養の授業のときのことで、雪村は教室の最前列に座って、社会学だったか文化人類学だったかの講義を無視してペーパーバックを読んでいた。
勇気を出して隣りに座って(←勇気を出したのだ)、何読んでるの、と彼女に訊ねた。雪村は手に持った本の表紙を見せてくれた。G.R.R.マーティンの『玉座をめぐるゲーム』だった。もちろん僕にはまったくわからなかった。
それからも僕は、折にふれては勇気を出して彼女に話しかけていった。レポートがあるので……と断られてひどく落ち込んだりもしたけれど、ついに僕は彼女を連れて名古屋城にデートにいくことに成功した。名古屋城はつまらなかったけれど、彼女といるのは楽しかった。
これはおもしろかった。本当に。
それからも授業で隣りに座ったり、食事に誘ったりして、僕らは付き合うことになった。僕は実家に住んでいて、彼女は下宿をしていたので、よく彼女の家に泊まって二人で本を読んだり、映画を見たりした。本山にゲオがあったので、近所でレンタルができて助かった。
でも不思議なことに、幸せなことはそんなに長く続かないもので、僕と雪村が二人で東尋坊を見に旅行に行ったとき、泊まった旅館でカニを食べて一緒の布団で寝たあと、彼女は僕の知らない何かに引っ張られて、僕が寝ているうちに布団を出て服を着替えて旅館から脱げ出して、東尋坊の先から海に飛び降りてしまう。
東尋坊では死ねないという話があるけれど、やっぱりそれは嘘で、飛び降りればちゃんと死ぬ。雪村がそれで死んだのだから間違いない。
彼女を失った僕は悲しくなって、雪村が死んだというそのこと自体よりもむしろ雪村が僕に一言も告げずに死んでいったことに鬱々と悩んで、こりゃだめだ、このままじゃ何も解決しない、と思ってそのまま十五の夜ばりにバイクで走り出す。でもそのバイクは別に盗んだものじゃないし行き先もきちんとわかっていて、僕は一直線に福井まで行って、雪村と同じように海にダイブする。そして生きて浮かんでくる。本当に死にたいのなら、そのための飛び降り方をしなければならない。
病院のベッドでしばらく暮らすことになった僕は、とりあえずアマゾンで小説と漫画と学芸書とDVDを注文しまくって、それを片っ端から消費する。雪村が生きていたときにはこの女はまたなんか読んでんなあとしか思っていなかった僕が、いまさらになって雪村の触れていたものたちに目を向け始める。村上春樹を、伊坂幸太郎を、恩田陸を道尾秀介を舞城王太郎を僕は読む読む。雪村のようにペーパーバックをぺらぺらとはいかないが、翻訳者に感謝しながら、ヴォネガットをカポーティをフィッツジェラルドを読む読む。福満しげゆきを藤田和日郎を増田こうすけを読む読む。カントを、デリダを、ヴィトゲンシュタインをホフスタッターをドーキンスを読む読む。そんでDVDはよく考えたら病室じゃ見られねえなと思ってそのままジャケットだけを眺める。いいじゃんアマデウス。時計じかけのオレンジ。タクシードライバー。
そして読みたい本をあらかた読み終えてしまったので、そろそろ家に帰ってDVDでも見るかと思って僕は退院する。退院するために荷物を片付けてきれいな服に着替えて、もう忘れ物はないよな、と思って振り返った病室に雪村がいるのを見て僕はびっくりする。
「いまさら化けて出てんじゃねーよ」と僕は言う。
でも雪村は生きていた頃と同じ顔で、僕がさっきまで寝そべっていた病室のベッドに腰掛けている。いつもと同じように黒い服ばっかりを着ていて、別に幽霊だからって白いベッドが透けて見えたりはしない。
「いやーいいじゃん。嬉しいでしょ」と雪村は言う。
そんな口調じゃねーよ。
一年生の時は特にサークルにも入らず、ぼちぼち真面目に勉強しながら過ごした。
あまり仲のよい友達もできず、休日も独りで過ごし、
充実した学生生活とは言えなかった。
学生生活の充実を求めて、二年生になった今年、サークルに入ろうと決意した。
そして一ヶ月くらい前の新入生歓迎会の事。
僕はそれがあまりにもショックで、頭が真っ白になってしまった。
しばらくすると、先輩や同級生(まだ19歳)が僕にもお酒を進めてきた。
周りは引いていた・・・
酔っぱらった部員たちに、
などなど言われ、その言葉が心にぐさぐさと刺さった。
結局それ以来サークルには行っていない。
成人してようがしてなかろうが関係なく、お酒の力を借りて、
みんなでわいわいがやがやするものらしい。
もしこれを読んでる高校生や浪人生がいたら、新歓でお酒を断るなんてことはするな!!
本当に飲まなくてもいいけど飲むフリくらいはしろ!!
おまえがおまえを許さなくても俺が許す!!
今まで積み重ねてきた俺という人物というイメージや、土壌の空気を抜きに
単純に自分自身。過去のイメージを抜きに現在のイメージのみを評価してくれる事の嬉しさ。
これは何に例えられるんだろう。
ここ何年かでも、思い返してみれば何度か経験してきた事はある。
2chで「吹いたら死亡」系に必ずコピペされる文章を書いた時や
mixiを始め、初めて参加したカラオケ系のオフ会でちやほやされた事
大学の新入生歓迎会で、多くの友人を得、一部の女性から好意的な感情を持たれた事等々。
下らない事かもしれないが、それぞれ初対面の私に対し、既存のイメージを抜きにして評価してくれたという共通点がある。
例えばそれが文章としての面白さだったり、歌の上手さだったり、顔や気立ての良さだったりするんだろう。
もちろん、そんないつもうまくいくばかりではない。
例えば2chなんて99%の書き込みがレスアンカーすらつかなかったし(別にレスアンカーを貰う為に書き込んでるわけではないが。)
mixiでとんでもないことをやらかした時にマイミクの人たちに総スカンされた事だってある。
大学では結局コミュニティを広げすぎた事が遠因となり、多くの人達から反感を買う事もあった。
しかし、大学という甘くだらけた生活(…という表現は責任逃れの気がするが)が多くの感覚を麻痺させた事は紛れも無い事実。
既存のコミュニティ一定の地位を得てしまったがための弊害。コミュニティ内での批判抜きのおべっか、諂い。
決してうんざりしてたわけじゃない、むしろ気持ちの良いものだった。自分にとっては
何故かと言えば、そりゃあ書くものや企画するもの全て大同小異あれ、そのコミュニティ内でなら高評価を得続けられるためだ。
井の中の蛙だと笑われるだろうが、一時は自分が高尚な人間なのだと勘違いしてた。と、同時に怯えていた。このコミュニティから外に出た時の評価が怖くなってしまった。
俺はなんと愚かな事か、こんなことに半年も悩んでしまったのだ。
批判は自身を堕落させる負債だと、あろうことか半年も信じきってしまったのだ。
それはこの半年だと答える。「それに気付けたんだから成長じゃない!」なんてバカな。
俺は小学校の頃ですら気づいていた。
晴れて今春より大学生なわけだけど、ぼっちになりそうな雰囲気である。いやまあ高校のときもぼっちだったから、そういった状態には慣れていて、苦を感じるということはないだろうけど。むしろ誰かといるほうがしんどい。だけど、大学でぼっちでいるのはどうなんだろう……って気がしてならない。
新入生歓迎会とかが大量に催されているのだが、そういうのにまったく行く気がしない。なんというか、馴れ合いに非常な嫌悪感を感じる。だから、サークルとかそういう場には近づきたくない。オリエンテーションでは隣に誰もいない席に座ってしまう。話し掛けられる分にはかまわないのだが、そこから関係が濃くなっていくのを恐れるのだ。
「大学では人脈がものを言う」「大学はただ勉強をするだけのところではない」――そういった話をよく見る。これらの話には、たしかに、と納得せざるをえない。無事に大学を卒業することができたなら、そのあとに待ち受けるのは何のオブラートにも包まれていない剥き出しの社会だ。大学のときに、誰かとコミュニケーションを積極的に取ったり、協力して物事を進めたりするといったことを経験していないと、社会に出て困り果てることになるのかもしれない。
他方、「大学に勉強をしにいくだけなんて、つまらなくないか。学校に行って帰るだけの毎日じゃ、つまらない」といった話には反論できる。むしろぼくは勉強が学校に行くためのモチベーションになっているからだ。高校のときもそうだった。行って授業を受けて帰るだけの毎日だったが、授業を受けることが登校のモチベーションだった。
……無理をして新歓とかに顔を出しまくって、つながりを広げていくべきなのだろうか。そういったことをできないことはないだろう。しかし、とんでもなく精神に負担がかかるだろう。新歓へ自分がいったところを想像するだけで、馴れ合いに参加するところを想像するだけで、胸がきゅっと痛む。
どうしたものか。