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2024-03-21

  現実40歳東大卒物自体の推移

    18歳  高校3年生   権力が欲しい、財務省に行きたい    現役で不合格  北九州予備校

    19歳  文科3類合格

    40歳    も

  うちの次男現実

     20歳    センター試験世界史で100点を取ったのを皮切りに、首都大学合格

     23歳      民法学者の桶者の講義を聞きながら、法律学科卒業  在学時は、

             就労せずに、桜小路336番地1で、晴生と一緒に暮らしているし、ずっと寝ている。

    甲斐雅人(まさーちー)の現実

          九州保健福祉大学合格

           サッカー部所属

            野地町の自宅で蛮族化

2024-02-17

警察書類送検(送付)と付される意見について

暇空茜さんがColaboに名誉毀損を行ったとのことで書類送付されたそうだ。

書類送付自体警察捜査を行った場合必ず行われるもので、かつ名誉毀損親告罪であり警察自ら捜査したのではなく被害届等に基づいて捜査したものであるので、この情報自体自体に特段の意味はない。

ただ、警察検察書類送付する場合処分について意見を付すことになっており、それが「相当処分」だったということで話題だ。(付さなくても良いが原則として付される)

書類送付に付される意見の種類

4種類となっている。ただ、あくま警察意見であり検察はこれに拘束されない。

厳重処分

起訴すべき

相当処分

判断検察に委ねる

寛大処分

起訴猶予(犯罪事実はあるけれども起訴有罪を求めるまでではない)とすべき

しかるべき処分

起訴犯罪事実なし・不十分)とすべき

検察官の受け止め

重要なのはここからだ。

検察警察意見に拘束されないとは言っても、最終的な見解ほとんどの場合同じとなる。

ほとんどの場合厳重処分起訴されるし、寛大処分しかるべき処分場合は不起訴となる。

では相当処分ではどうか。実はこれは五分五分、ではない。検察官はどのように受け止めているか

https://www.authense.jp/keiji/column/333/

記事執筆した弁護士 高橋 麻理

慶應義塾大学法学部法律学科卒業司法試験合格後、検察官任官。約6年間にわたり東京地検大阪地検千葉地検静岡地検などで捜査公判を数多く担当検察官退官後は、弁護士キャリアチェンジ

(略)

まれにではあります警察意見は「相当処分」であっても、捜査の結果、公判請求するということもありました。

そう、相当処分場合起訴公判請求)されることはほとんど無い。西武ライオンズ山川穂高選手も相当処分とされ、起訴されなかった。

そりゃそうだ。警察が自信を持って「こいつ確実に有罪ですよ」と言えなかったものを、検察官が覆すなんてそうそうできるわけがない。検察段階で新たな証拠でもでてきたら話は別だけどね。

無罪となる起訴を嫌う検察官(ひいては国民感情から当然の帰結で、これが有罪率99.9%の司法を支えている(有罪にならないもの最初から起訴しない)

余談

警察意見起訴率との関係を調べたらいい論文が書けそうだけど公表データからは難しそう

追記

https://twitter.com/shiomura/status/1758488439719420237

塩村あやか💙💛🐾参議院議員(りっけん)@shiomura

「暇空茜」名乗る自称ユーチューバー書類送検 Colaboの名誉毀損容疑

ようやく…ですね。

https://sankei.com/article/20240216-KZ7YOH3WYFLZRHZA235AXGLESY/

@Sankei_newsより

立憲民主党の塩村議員。ご自身現在中央大学法学部通信教育課程に在学中であり、また立法府国会議員がこの物言い

一体何がようやくなのか。

書類送付や相当処分意味がわからないなら法学部で一体何を勉強しているのか、意味がわかっていってるなら誘導しようという意図が見え見えで度し難い。これが立法府人間のやることか。

2022-07-07

食べ物で遊ぶこと」や「食べ物を粗末に扱うこと」に対する抵抗感は現代日本社会でもそれなりに広く共有されている倫理観だと思うけれど、僕の捉え方だと「料理を番号で注文すること」はそれに類する。番号化が受け入れられつつあるのだとすれば、それは食をめぐる倫理観の変化(麻痺)を意味する。

https://twitter.com/hitoh21/status/1544311743500980224

伊藤 弘了

いとう ひろのり

映画研究者批評家

1988年まれ愛知県豊橋市出身慶應義塾大学法学部法律学科卒業京都大学大学院人間環境学研究科博士後期課程研究指導認定退学。関西大学同志社大学甲南大学非常勤講師東映太秦映画村映画図書スタッフ。「國民的アイドルの創生――AKB48にみるファシスト美学今日的あらわれ」(『neoneo』6号)で「映画評論大賞2015」を受賞。近刊仕事人生に効く教養としての映画』(PHP研究所)。専門は小津安二郎

2021-07-16

木屋町にあるキャバクラ黒服仕事をしていた

この日記の内容はみだしのとおりだ。京都での学生生活の4年間をキャバクラでの黒服仕事に捧げた。

年末のこと。コロナのおかげでストレスが溜まる中、ふと京都が懐かしくなって一人旅に行った。学生時代と社会人約十年目では、さすがに景色に差があった。いろいろと感じるものがあったので、ちょっとしたためてみることにした。

広島田舎から京都に出たばかりの、当時18才だった私は大学生活に憧れを抱いていた。第一志望ではなかったが、行きたいと思っていた大学だった。

4月はあっという間に過ぎた。入学式オリエンテーションサークル勧誘学部学科での新入生歓迎会、初めての履修登録、初めての講義、初めてのゼミ活動

楽しくもあったし、不安もあったけど、5月になって、まだあることをしていないのに気が付いた。

アルバイトである大学生アルバイトをするものだと思っていた。それ以前に読んだ漫画アニメでは、大学生はみんなアルバイトをしていた。

早速、求人情報掲示板を見た。インターネットではない。学生課の前に貼ってある物理的なやつだ。すると、学内カフェがよさそうな気がしてきた。時給もいい(850円だった気がする)。

その日のうちに、お店に行って店員のおばさんに声をかけた。アルバイトがしたい、と。

何分間か話した後、「土曜日シフトはいます」と告げると、大歓迎な感じで、「今度オーナーも交えて面接しましょう」と言ってくれた。私の携帯電話の番号を伝えた。

その翌日だった。知らない番号から着信があった。携帯が鳴っている最中ガラケー通話ボタンを押す直前に着信が切れた。

もう一度かけなおすと、女性の人が電話に出た。どうも話がかみ合わない。「こちからはかけていません」とのこと。どうやら、大学全体の電話受付窓口に繋がっていたようだ。でも学内の誰かが、私に電話をかけている……。

増田処刑はすでにおわかりだろう。あのカフェからの着信だったのだ。私はそんなことにも気が付かなかった。

それから3日が経って、あのカフェに行って、面接の件がどうなったのか聞いたところ、「オーナーに、あなた電話に出ないと伝えたら、もう面接はいいって」という衝撃の答えが返ってきた。

私が阿呆だっただけだ。今でも、仕事でこういう感じのミスを冒すことがある。

ある日、京都御所の近くにあるコンビニ求人雑誌を持ち帰った。

パラパラと中を覗いてみる。飲食店小売店が多いようだ。ただ、どのお店も時給が低い。大学の近所にあるお店は、だいたい750円~800円だった。今思えば、こういう視点はやはり若いな、と思う。

大学生場合は、たとえ時給400円だろうと、釈迦に生きる人としてふさわしい常識言動知識を身に着けられる職場がいい。大学の同期で、一流どころの企業官公庁NPO法人就職した連中は、リクルート株式会社はてな高島屋アルバイトをしていた。

当時の私は、リクルートはてな高島屋も知らなかった。私の出身広島県の府中市だった。そんなオシャンな会社地元にはない。天満屋だったらあるのだけど。もし私が東京府中市出身だったら、リクルートはてな高島屋も知っていたのかもしれない。

さて、求人情報誌も終わりの方まで来た。すると、スナックキャバクラバーのページが出ていた。

あるお店の男性スタッフの時給のところを見ると、22時までが900円で、22時以降が1000円とあった。基本の労働時間20:30~5:30で、開店準備と片付けを除いた9時間に対して給与が支払われる。ツッコミどころが満載だが、こういう業界なのだ。今でもおそらくこんな感じだろう。

「でも、夜の店はちょっとなあ」と感じつつ、「失敗したとしても私はまだ若い。なんとかなる」とよくわからないポジティブも抱いていた。

あるページを捲ろうとして私は、ある求人に目が留まった。「木屋町で一番レベルが高い店です!」みたいなことが延々と書いてあった。自画自賛もいいところだ。※本当に一番レベルが高い店だった。

でも、「面白いな」と思った。しかも深夜時間帯の時給は1100円ときている。さっそく電話をかけて、簡単自己紹介をして年齢と大学名を言ったら、「ぜひ面接に!」ということになった。

5月の割と寒い夜、私は親からもらった原付に乗って、家から木屋町まで10分ほどの距離を慎重にゆっくりと駆けていった。

マクドナルド河原町三条店の近くにある、小ぢんまりとしたビルの地下1階にその店はあった。

当時の私はビルの前に立ち竦んでいた。田舎育ちの私は、ビルの下に降りていく階段を見たことはなかった。真下の方から数人の話し声が聴こえる。

おそるおそる階下に降りていくと、廊下が十メートルぐらい続いていて、奥には分厚い扉が開け放たれていた。表面に店の名前が書いてありそうな。近づいていくと、店の中から男女が笑い合う声が響いた。

扉の前には小さい丸椅子が設えてあって、2人のお客さんとイケメン黒服(ボーイ)が楽しそうに話をしていた。お客さんは、丸っこい小さいグラスに入ったお茶を飲んでいる。

ふと、ひとりの嬢が出てきた。黄色い、ひらひらとしたドレスだった。歩く度に、ドレスの裾がブゥンと上下していた気がする。顔つきは覚えていない。失礼ではあるが、「化粧濃いな」と感じたのは覚えている。外国人風の浅黒い肌の、ツンとした表情だった――人生で初めてキャバクラ嬢を見た瞬間だった。

さて、イケメンの人に「面接に来ました」と告げると、「ちょっと待ってね」と言われ、奥に引っ込むと……すぐに別の男性がヌッと出てきた。

体格が大きい、熊みたいだ。笑っている。当時の私には恐い人に思えた。実際には、恐ろしさと優しさが同居するタイプ……と見せかけて、普通にサイコパスだった。

店長と名乗るその人と、同じビルの2階にある事務室に入って、さっそく面接が始まった。私はソファに座らせてもらっていて、ガラス張りの机の上にペットボトル緑茶が置いてあった(はずだ)。店長は反対側のソファ腰かけた。

「飲んでよ」

ありがとうございます

店長とどんな話をしたかはあまり覚えていない。

思い出せる限りだと、こんな感じだった。

広島出身? 俺の叔父さんが広島なんだ」

「いい高校行ってたんだね」

「18才か。若いね~」

柔道強いんだ。2段だって

「いつから来れる? できれば明後日がいいな」

こんな感じだったと思う。当時は、落ちる可能性が高いと思っていた。ボーイの経験がないどころか、アルバイトしたこともなかったからだ。自分が盆暗な方だということもわかっていた。

ところで、キャバクラで4年も働いていたのだ。私のような類型(実務経験のない若い子)を採用する理由はわかる。

①単純な労働力として

多くのお店では、ホールキッチン仕事を8時間ぶっ続けでやらないといけない。開店の準備と片付けもある。休憩はあるが非常に短い。キッチンのビア樽に座って5分間など。なので、体力のある人がほしい。

②肉壁として

態度の悪いお客さんは必ずいる。特にお酒が入っていると、接客が気に入らないということで難癖をつけたり、声を荒げたり、脅迫してくることもある。

※稀に暴力団組員も来る。「暴力団お断り」のステッカーをどの飲み屋も貼っているだろう? あれは歓楽街では冗談一種だと当時は思っていた。この業界では、清濁を併せ呑み、判断が早く、臨機応変対応できる者が生き残る(と店長が言っていた)。

お客さんとトラブルになっても、年が若くてガタイのいい奴がいるのといないのとでは展開が違ってくることがある。たとえ殴られても、私みたいに若いのは自分が悪いと判断して、お店に治療費請求しないことが多い。

レアドロップ枠として

一例として、私と同じ同志社大学で、かつ同じ法学部法律学科の奴で、大学生活の4年間、ホストをしていた奴がいる。週に3日ほどの出勤で、大学回生になる頃には月に30万~40万ほどは稼いでいた。本人いわく、「いろいろあるので稼ぎ過ぎないように気を付けていた」とのこと。全く正しい行動だ。大学生の年齢でその判断ができる時点で、奴は普通ではなかった。2021年現在も、堅気ではない仕事大金を稼ぎ続けている。その彼は、KFJ京都俗情掲示板)のホスト板にもスレッドができるほどの猛者だった。つまり、年が若くても超スゴイ奴は一定数必ずいる。そういった人材を時給1000円前後で使えるチャンスに賭けているのだ。

私が採用された店というのは、実は特殊タイプだった。

当時の木屋町祇園にあったスナックラウンジキャバクラは、そのほとんどが個人もしくは社員10名以下の会社経営していた。

私が働いていたお店(以後S店とする)は、それなりの企業経営母体だった。モデル女優なんかを育てている芸能事務所が、副業としてキャバクラを出していたのだ。

※もうみんな読んでないのでぶっちゃけるが、㈱オスカープロモーション母体として経営している店だった。当時の私は、そんな会社存在自体を知るはずもなく。

そこに所属している子が修業や小遣い稼ぎの意味で働きに出てくる。そういう構造のお店だった。もちろん普通の子もいる。

以下、私が働いていた4年間で記憶に残っていることを書き出してみようと思う。たぶん長文になる。



大学回生

 キッチンホール仕事をやっていた。時給は1,100円。キッチンが主で、社員の人が少ない時に限ってホールに出る。

 最初の頃は、強面のM主任に怒られてばかりだった。今思えば強面ではなかったし、体格も中肉中背だったが、当時若輩だった私には圧が強すぎた。

 キッチン仕事というのは、いうまでもなく優先順位がモノをいうわけで……おしぼりとつきだしの用意も、ドリンク作りも、フード作りも、皿やグラス洗いも……人生最初に覚えた仕事は、社会に出てから仕事の縮図だった。

・次の次くらいまで優先順位を決めながら動く

・途中で別の仕事に移らない

・雑多な仕事はまとめておいて後でやる

 こういった原則ひとつずつ身に着けていった。

 より精神的な意味での教えもあった。例えば、トレンチお盆)の持ち方について。S店での持ち方は、指を立てて、手のひらが触れないようにして胸の前で持つというものだった。

 当然、最初のうちはできない。いや、言われたとおりにできるのだが、どうしても、たまに手のひらでベッタリと持ってしまう。

 最初にそのミスをした時だった。「おい」というM主任の声が聞こえた。怒られると思って身構えていると、「新人が間違えた持ち方しとんぞ」と、上で述べたイケメンの人が叱られていた。確かに、私は最初トレンチの持ち方をイケメン先輩に教わった。

 でも、当時は「なんでイケメン先輩が怒られるんだろう。なぜ私じゃないんだろう」と素朴に考えていた。

 このS店では、そういう社会人として基本的なことを教わる機会が何度もあった。私は盆暗でノロタイプ人間だったから、ありがたい教えでも、耳から耳にスーッと抜けていったのがたくさんあったに違いない。日記もっと細かくつけておけばよかった。

 今でもM主任を思い出すことがある。厳しい人だったけど、まともに仕事をこなすことを誰よりも考えていた。私のことを考えてくれていたかはわからないけど、今でも確かに思い出すのだ。

 めちゃくちゃ厳しくて……でも、ふいに無邪気で優しい笑顔を見せてくれる。私はずっとM主任の後ろを追いかけていた。今、この場で感謝を述べさせてください。ありがとうございます



大学回生

 この年の春先から初夏にかけて、正社員と同じ仕事が増えていった。一例として、ホールを回る仕事が主になった。棚卸しもするようになった。時給が上がり1,200円になった。

 本来大学生アルバイトは、キッチンでフード作りや洗い物をするものだ。ホールに出ることもあるが、あくま代打的に割り振られる。原則社員キッチンアルバイトホールということはない。にもかかわらず、なぜ私がホール担当になったかというと……。

 私の社歴が、スタッフ内で真ん中あたりになってきたからだ。

 信じられないだろう。でも事実だ。私がS店に入った時、社員5人のアルバイト3人(私を含む)体制だった。1年目の梅雨時に社員がひとり免職処分能力不足だと思う)になって、また秋になった頃に社員1人が系列店に行って、3月の春休みの頃、ひとつ上の学生アルバイトが飛んだ。従業員が3人いなくなって、3人補充された結果こうなった。

 ホールを回る仕事について、思い出せる範囲優先順位が高い方から挙げていくと、①お客さん又は女の子(=キャスト。以下嬢とする)の監視、②オーダーの受取と実行(買い出しを含む。お客さんだと煙草女の子だとストッキング生理用品)、③嬢によくない行為をしているお客さんへの注意、④お客さんからのイジリや自慢話やお酌に付き合う、⑤灰皿やアイスペールの交換、⑥喧嘩を止める(リアルファイト含む)……といったところか。

 重労働だが、そこまでキツイということはない。一般的飲食店でもこれらに近いことをしているはずだ。最初は立っているだけでも辛かった。足が棒になってしまう。慣れてもやっぱり足の裏が痛い。

 思い出に残っているのは、やはりM主任だ。仕事ができる男性で、30代半ばで月給は45万円(残業代は基本給に含まれている)だった。客引きプロであり、街を歩く人でその気のなさそうなお客さんでも、1分も経たないうちにお店への興味を起こさせ、大体3分以内にお店に連れていく。何より損切が早い。この人はだめだと感じたらすぐにその場を去って、別の人に声をかける。

 その主任にこっぴどく怒られたことがある。

 真夏の夜だった。私に初めての仕事が割り振られた。いわゆる、キャバクラの店の前にいる人の役だった。客引きではなく、連絡役に近い。お店に用のある人、例えばリース関係業者だったり、面接希望の嬢だったり、店長の知り合いだったり……むろん、通りがかりのお客さんにサービス内容を聞かれることもある。

 さて、ある3人組のお客さんが店の前を通った時、S店に興味を示した。「お兄さん。どのセットがお勧め?」と聞かれた私は、しどろもどろになりながら、2万円(2h)と1万3千円(1.5h)と1万円(1h)の3つのコース説明した。金額うろ覚えだ。たぶん違う。

 3人組のリーダー格は、「う~ん」という表情になって、何点か質問をしてきた。うまく答えられなかったのは間違いない。最後は、私の方が心が折れてしまった。

 その場を立ち去る3人組を見送る私の後ろに、M主任がいた――縄跳びで打たれたような、痺れた痛みが私を襲った。主任回し蹴りが私のお尻にクリーンヒットし、地下に入る階段の手すりの辺りにもんどり打って転げた。頭を壁面にぶつけたのを覚えている。

 主任に何と言われたかはよく覚えていない。罵倒の数が多すぎたのだ。「お前!売る気ないやんけ!」だったら確実に言われている。「すいません」とだけ謝ると、「〇〇ちゃん。次はないぞ」と言ってお店に入っていった……。

 数分後、また別のお客さんが店の前を通った。私は、ここまでの人生で最大の過ちを犯した。私はM主任の真似をして、お客さん候補トークを始めた。

「こんばんは。これから何件目ですか」

「2件目」

「どこ行ってきたんです」

居酒屋

「どちらにいらしたんです」

和民

「次は女の子のいるお店にしましょう」

「この店は高いからいい」

「安くしときます

 こんなやり取りだった。話すうち、だんだん相手の気が乗ってきて、でもお金がないのも事実のようで、でもお店に入ってほしくて、M主任を見返したくて……去ろうとする相手の腕に触ってしまった。

はいそこやめて!」※確かこんな口上だった。早口警官だった。

 その場で2名の警察官サンドイッチにされた私は、しどろもどろに言い訳を始めた。やがて応援警察官が到着し、単独でお店の中に入っていった……。

(続きます

 https://anond.hatelabo.jp/20210716220543

追記

ところどころやたらと鮮明なのは、当時の日記を見返しながら書いているからだ。

2013-10-24

はてな村の一部に知られるところの倭文知騎

竹田氏は憲法学者なのか

自称おいてはそうである。ただしCiNii等で確認される限りにおいて、学術論文は一切発表していない(なお、自称によれば竹田氏は1998年慶應義塾大学法学部法律学科卒業している)。

Gepäckkasten, 竹田恒泰氏をめぐるFAQ

倭文知騎さんも論文書いてるのにね。

 
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