わかるわ。飯食べる時間は必ず取る。
歩行者ならその理屈は通らないでもないけど、道路交通法上、自転車は軽車両という車に分類されるなんだ
横断ていうより左側を走っていて道路の反対側に行きたくて急に車線変更したんだろう
しかも無灯火
沈黙の艦隊でやりつくされてね?
実際pixivでブクマ数少ない作品でもめちゃめちゃ上手な作品ちょくちょく見るし
経験則で言うとドマイナー化石ジャンルでやってると最早一次創作のほうが評価されるまであるし
私はADHD傾向のある腐女子だ。社交不安障害もあり、かれこれ四年間、精神科に通院している。
社会に出てこの方、ずっと漠然とした不安や恐怖と共に生きてきた。
思い返せば幼稚園の頃は潔癖症になって毎日苦しかったし、それがおさまってからもほんの小さなことが病的に気になったり、同級生と全然喋れなくていじめられたりと、あらゆることで悩んでばっかりだった。社会に出ると更にしんどいことだらけで、無能の私は仕事も三回クビになっている。私はこの県で一番役に立たない人間なんじゃないかな、とも思った。
二十六歳の時に勤めた職場で、人生の何もかもが面倒になって衝動的に車道に飛び込みかけ(今考えると迷惑な話ですね)、初めて精神科に行った。うすうす気づいてはいたが、自分がADHD傾向にあると改めて知った。
薬を貰うことで異常な確認癖は落ち着いたものの、どうにもならない部分もある。注意力散漫と衝動性は、長年の訓練もあって多少マシにはなったがやはり健康な人たちにはかなり劣る。コンサータ(ADHDの薬)は効き方にかなり波があるので全面的には頼れない。今の職場にはアルバイトとして入っている。数少ない友人が紹介してくれたところで、穏やかな人が多く、今まで渡り歩いてきた職場に比べればまだ馴染めている(かなりギリギリだが)。今のところまだクビになる気配はないけれど、色んな事情であと一年くらいしか居られなさそうだ。
基本的に流行りが過ぎたジャンルにしかハマらないけれど、一ヶ月に一~二万字の話を二、三本ほど書いてpixivにアップすれば、感想をくれる人たちがそれなりにいる。本を出せば少部数ではあるけどちゃんと完売する。
書いてる途中で飽きていやになっても、完成したらそれだけで嬉しくなるし、反応があってもなくてもまた書こうと思える。
いかんせん性格がねじ曲がってるので、自分の心の平穏のために他のジャンル民とは交流せず一人で黙々とやっているが、かなり楽しいし、これからも続けてゆきたい。
問題としては私の創作への原動力が『怒り』や『不満』や『恨み』であることだ。
日常がつらいほど、死にたいと思えば思うほど筆がのる。周囲の人間に腹の立つことを言われれば言われるほど、満足のゆく話が書ける。
今のジャンルも、書き始めたキッカケは逆CP腐女子がツイッターで自CPを検索避けもせずにボロクソに言っていたのを見て、腹わたが煮えくり返るほどメチャクチャにムカついたことだった。
それで怒りを昇華させられるなら良いのだろうが全然されないし、三年たった今でもずっとムカついている。とにかく私は恨み深い。自分を棚に上げて、人にされたイヤなことばかり覚えている。
だから、承認欲求が満たされ過ぎると書けなくなる。前にいた旬ジャンルを一年半ほどで移動したのもそれが理由だ。旬というだけで不当なぐらいにちやほやされるのは、嬉しいといえば嬉しいけどやっぱり合わなかった。
現実がしんどいので趣味の世界だけでも幸せな居場所を作りたいのに、私の創作活動はいつも何かへの憎しみに紐づいている。それがたまに辛い。
私が推しCPへの純粋な愛だけで話を書ける日は、二度と来ないんじゃないかと思う。最初は間違いなくそうだったはずなのに。
一億円あれば多少は心が豊かになるんじゃないかなと思って、宝くじを三枚買った。当たりますように。もしくは世界中のみんなが私ぐらい無能になりますように。
増田です。
お二方、コメントありがとうございます(嬉泣)。
最近、自ジャンル内で馴れ合い系タグが流行してるのでイライラしてましたが、ちょっと気持ちが軽くなりました。ありがとうございます。
広告代理店で働く大部分の人は、Twitterなどで見かけるようないわゆる"Evilな広告代理店"像とはかけ離れた環境の中で働いている。むしろ、悲しい局面も多くあり、今回はそれを「コンペ」という視点で書いていく。
どの業界でも発注先を検討する際にコンペティションをすることはあると思う。広告代理店も事業主側から、プロジェクト単位や年単位など開催されるコンペに呼ばれることがある。大体のケースが、クライアントからのオリエンテーションの後、TVCMやキャンペーン企画などのクリエイティブやメディアプランを提案していく。*代理店でいうコンペは、提示された予算に対しプロモーションプランをかなり具体まで詰めて提案することを指す。
そのため、ほぼすべての提案がオートクチュール的というか、クライアントに合わせてすべてカスタムメイドする。予算単位が大きくなればなるほど、関与する人は増えていく。大きな提案になると、営業、クリエイティブ、メディア、PR、デジタルプランナー、タレントキャスティング、プロダクションなど数十名にも及ぶ大チームで、100枚・200枚を優に超える資料で提案することもザラにある。TVCM企画1本の提案でも、2〜3名でチャチャっとできるものではない。
コンペフィーが支払われることも稀にあるが、言葉通り稀なので負けた場合は赤字になる。参加している以上、負けて赤字になるのはしょうがないことだが、アイデアだけ使われてしまったり、クライアントサイドも2〜3社であればまだ良いものの10社近く声がけしていることもあり、フィードバックもロクにもらえないこともある。
アイデアやそこにかける時間やリソースにお金が支払われず、リスペクトがないのはとても悲しい。
これは、デジタル広告の代理店にある話だ。そこでも上記に書いたようなコンペが行われるが、いわゆる電通博報堂と言われる総合代理店と違い、デジタル系代理店のコンペは「コスト効率」でほぼ勝敗が決まる。まず、デジタル領域のコンペは近年「クリエイティブ無償化」というのが主流になりつつある。配信するバナーや動画の種類が多ければ多いほどABテストもでき、コスト効率が改善されるため、"本数"が重要になるからである。まず、制作する人がいるのにコストが支払われないというのが悲しい。
また、数年前からゲームなどのドメインも持つA社を筆頭としたメディアマージンの値引きが常態化している。(片手%以下のマージンを提示することも珍しくなく、資本力ゆえなのだが独占禁止法に抵触しないのだろうか?)値引き合戦とセットで、クライアントからのマージン開示要求も年々強くなっている。開示することでさらにコストが買い叩かれるという構造である。デジタルといえど、裏側では、分析やオペーレションを行う人が多くいることを考えるとリソースが買い叩かれるのは、とても悲しい。
※注
もちろん、良いクライアントもおりコンペフィーが支払われフィードバックも丁寧で、代理店に適正な費用を払ってくれているところもある。
スーパーカブってタイトルで、カブの偉大さを全編の軸にしてて、肯定的に違法を書かれたら違和感でしかないわな。
その「情けないカブ乗り」の話の後にこれ入れたんなら、単純に大ポカしてるわ。
あまり他人と共有する内容でもないので、一般的なレベルか否かはわからないが、自分は食事がだいぶ好きだということに気づいた。食事という行為そのものが好きだ。
そもそも苦手な食べ物も少なく、明らかに合わない味の(闇鍋のような)ものでなければ基本的に美味しいと感じることができているのは大きい。舌が肥えていないとも言うが。
コンビニ飯を食っていても、安い食パンをトーストにしたものを食っていても、毎回しみじみと「おいしい、幸せだ」と感じながら食事をしている。
安い普段の食事でもそうなので、よりおいしいものを食べた時の感動は普段の数十倍である。日に3度もこの上ない多幸感を感じることができてありがたい体質だ。
よく「朝食は面倒なので食べない」とか「コンビニなどのまずい飯は食った気がしなくて作業として食べている」という意見を見かけるが、自分としては幸せに浸る機会を自ら削るなど以ての外だし、食事というだけで飛び上がるほど嬉しいので不思議に思って書いた。