もう十年ほど前の話になるだろうか。私は携帯小説が大好きで、あらゆるサイトを日々めぐり巡っていた。
毎日を彩ってくれる、素晴らしき作品たち。創作者の方々に感謝を捧げつつ、作品を美味しくいただいく幸せな時間を過ごしていた。
そんなある日、神に出会った。
特別、文章が上手かった訳ではない。話の内容だってオリジナリティに溢れているかと聞かれたら、そうではない。けれど惹かれるものがあった。素直に面白かった。作品を好きになる理由なんて、それで充分。何より出会って数週間、神は一日も休まず作品を更新し続けていた。すごい人だな、応援したいと思った。私はもうすっかり神に魅了されていたのだ。
感想を送ると、次の日には返事が来た。
神から自分宛に言葉が送られる、これはとても嬉しいことだ。一度でも感想を書き、返事を頂いたことがある人には、わかって貰えるだろう。返信の喜びに味をしめた私は、そこから感想を送り続けた。数ヶ月もすればコメント欄の常連さんとして、神に認知されていた。憧れの存在に少しだけ近づけた気分だった。
そして向かえた運命の日。
その日のことはよく覚えている。私は大学生で、ちょうど学園祭が催されていた。イベントの都合で浴衣を着ており、朝からずっと着通しの状態で、終わる頃にはぐったり疲れていた。ソファにもたれかかかりながら、携帯を見た。返信が来ていないかなと、なんとなく開いたログインページ。神の作品の書籍化が決まったことを知った。
泣きそうになるのを堪えた。嬉しかった。
だって私は知っている。この数年間、見てきたのだから。神が今まで、どれだけ頑張ってきたのかを。休むことなく作品を更新し続け、感想のほぼ全てに返信をし、神の文章力は最初と比べ、見る影もないほど上達していった。コメントを書かなければ、と思った。この喜びを今、書き残しておきたい。伝えたい。けれど私には時間がなかった。今から学園祭の片付けをして、サークルのみんなで打ち上げをして、夜遅く帰る予定。そんなもの放り出したいところだけれど、そうは問屋が卸さない。迷った末、変なひねりは加えず、素直な気持ちを伝えることにした。
神の作品も、神自身も大好きだ。だから嬉しい、本当におめでとうございますと、それだけ告げた。
翌朝、メッセージが届いていた。神からだった。いつもの感想への返信ではなく、私宛に個別のメッセージ。
あなたの感想からいつも勇気を貰っていた、ありがとうと。だからよければ今回刊行される本を送らせて欲しいと。
気づけば泣いていた。
私が今まで送ってきた、感想とも言えないようなもの。けれどそれは決して、無駄ではなかったのだと。その時いただいた本と手紙は、今でも宝物だ。もちろん本は、いただいた分とは別に発売日に三冊は購入した。某密林にレビューだって投稿した。神は本当にすごい人で、それからも毎日作品を更新し、送られた感想全てに返事をし、一日だって休むことはなかった。
そこは偶然にも神の地元であり、ツイッターであそこへ行った、これを食べたと呟けば神からコメントがあった。他愛もない内容のリプライが続くのが、飛び上がるほど嬉しかった。
帰りのバスに乗って、今から帰ります、と呟いた。ほどなくして通知がきた。神からだった。
「本当は会いたいと思っていたけれど、会って幻滅されないか心配で、会おうとは言い出せなかった。情けないです」
確か、そんな旨が書かれていた。少しも情けないとは思わなかった。ただ、会いたいと思ってくれていたことが嬉しくて……私もいつか、お会いしたいと思った。
もしも神が男性だったのなら。私はこの感情を、恋だと勘違いしていたと思う。けど違う。こんなことを言うのは少し恥ずかしいけれど、私が抱いていたのはきっと、恋よりもずっと大切にしたい何か。
それは決して、恋ではなかった。
ある日なんとはなしに零した、「いつかサイン会で会えたらいいですね」。
本当に叶うとは思ってもみなかった。訪れた会場で私は神と出会った。その他大勢のファンと同じように、私も列に並びサインを貰った。
私が名前を告げると「泣きそうです」と神は言った。「会えて嬉しいです」なんて決まり文句を返して、その場は笑って過ごした。
サイン会はあっという間に終わった。
エスカレーターで一階の御手洗を目指して、静かに降りていく帰り道。ようやく辿り着き、扉に鍵をかけて蹲った。声を押し殺して泣いていた。朝早くから、張り切って化粧をした顔がぐちゃぐちゃになっていることは、鏡を見なくてもわかった。多分この時、私の中で張り詰めていた糸が、ぷっつり切れてなくなってしまったのだと思う。
私は次第に感想を書かなくなっていった。
あらゆる物事にいえるが、人はそこに義務を感じると楽しめなくなる。私は知らず、作品を読んで感想を書くという行為に、義務感を抱いてしまっていた。それが少し辛くて、神の作品を純粋に楽しむためにも、感想をやめることに決めた。
そもそもどうして、私は数年もの間、感想を書き続けていたのだろうか。
英世さん2分の1を軽く超える数。それだけ書いてきても、感想を書くのは一向に苦手なままだった。ほんの数行、ワンツイート分にも満たないようなものを書くのに数十分かかることだってあった。
解釈が間違っていないか、失礼な言葉遣いをしていないか。硬くなりすぎず、適度に密度のある文章を……などと、私のような拗らせた人間は、感想ひとつ送るのにこんなに面倒なことを色々と考えてしまう。
好き!最高!面白い!感想なんて、本来これだけでいいはずなのに。素直にこの言葉を伝えられる人を、私は尊敬する。羨ましい。
少し話が逸れてしまった。
どうして、そこまでして感想を書いていたのか? 単純に神の作品が好きだった、応援したかった、返事が来るのが嬉しかった。理由は色々とあるが、一番はきっと、神を失いたくなかったから。
そう私は一度、自分にとっての神を失ったことがある――さて、ここまでは少し長めの前置き。本題はここからです。
上記の神と出会う前、私には原始の神とも呼べる方がいらした。私を携帯小説の沼へと引きずり込んだ偉大なるお方。この方を追いかけて行った先で、神とも出会ったのだ。
原始の神の作品は、それはそれは素晴らしいものだった。丁寧で優しくて綺麗な文章、練り込まれた世界観。もう随分と前に読んだものなのに、未だによく思い出すくらい大好きな作品だ。
原始の神は言っていた。書くことが好きだと。感想を貰えるのは、とても嬉しいと。けれどある日突然に、ぱたりと姿を消してしまった。
私は後悔した。
好きだという気持ちを、しっかりと言葉にして、伝えられていたら。もっと感想を送っていたのなら、違う結果になったのかもしれないと。
以来、自分にとっての神には惜しまず感想を送ろうと決めた。その教訓を胸に、私は数年に渡り感想を送り続けてきたのだ。もっとも神は、私の感想などなくても書き続けていたのだろうけれど。
つい最近、原始の神の作品を読み返した。そして思った。やっぱり私は、この作品が大好きだ。
けれど数年前に送ったコメントに返事は来ておらず……私はもう二度と、原始の神に感想をお伝えすることができないのだろうかと嘆いた。けれど諦めきれない。私はもう一度、あなたの作品がどれだけ素晴らしいものであるか、感想をお伝えしたい。伝えさせて欲しい。ただの自己満足で、あなたはそれを望んでなんていないかもしれないけれど。今からサイトの方に、メッセージを送りたいと思います。あなたの作品が大好きでした。
この文章が広く世に出回れば、きっとあなたがそれを見てくれるだろうと信じたい。
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ラベンダーは青と緑
あの花の名は?