はてなキーワード: セクシュアリティとは
私は同性愛者である。身体は女、性自認も女、好きになる対象も女性。いわゆるLGBTのL…レズビアンに属する。
思えば、私は中学生の頃から自分が同性愛者であるということに悩んできた。
周りの女の子たちが、恋バナに興じている中で、表面上は合わせてきたつもりだ。
誰だって爪弾き者にはなりたくない。学校という狭い社会の中で、私はセクシュアリティに蓋をし続けてきた。
するとどうだろう。私はいつも表面上だけで笑っている、仮面を被ったような存在になってしまった。
その原因は分かっている。多分、私自身がホモフォビアなのだ。同性愛者だと言ったら笑われる、貶される、という価値観を持っているからこそ、自分の存在に自信がないのだ。こんな自分を変えたくて、葛藤していた。
思い悩んでいた中高生の頃、私は書店のジェンダー関連の書籍が置いてあるところに足を運ぶようになった。
その中から選んで購入した2冊の本がある。
「カミングアウト・レターズ」と「ボクの彼氏はどこにいる?」という本だ。
同性愛者であることに悩んでいる方がいたら、是非この本に目を通して欲しい。
少なくとも、私はこの本を読んで気持ちが楽になった。
自分らしく生きるということはとても難しい。大学生活も残り少なくなった今、改めてそう思う。
でも一度自分を肯定してしまえば、新たな視点から物事を見ることだって可能になるはずだ。
ボク彼の著者である石川さんの「同性愛者は自己肯定のシャワーを浴びる機会が少ない※要約」という文章にはうんうん、そうだよねと何度見ても頷きたくなる。私はずっと自分の恋心が同性に向くということを否定してきた。受け入れられるようになり、ゲイコミュニティに足を踏み入れ始めたのはハタチを超えてからだ。馬の合う友人と好みの女の子の話をすることがこんなに楽しくて充足感に溢れるものだということを私は初めて知った。だが楽しい今だって、将来訪れるであろう孤独死の恐怖に怯えている。
同性愛者である、ということは私を構成する一要素にしか過ぎない。
でも私は自分がマイノリティーであると自覚してから、色々思い悩むことができた。
そのことが幸福であったとは断言できないが、あながち悪くはなかったなと思う。
あーー彼女欲しい!
そういえば私はセーラー服が好きなのだが、セーラームーンを見たことがなかった。
しかし、リメイク版の放送をたまたま見てエンディングに度肝を抜かれた。
気になって仕方ないので調べてみたら、エンディング映像の2人は「百合界のカリスマ」と呼ばれていることが分かった。
海王みちるさんの色気にやられた…好き!
とりあえず、同性愛者であるということに思い悩むのは当事者であれば多かれ少なかれ誰もが経験することだと思う。
しかし、案外味方はいるものだ。私も1人だけ信頼の置ける人にカミングアウトをしたが、友人関係は壊れることはなかった。
もしもカミングアウトする、と決意したら2冊の本にまた勇気をもらうのだろう。
初恋を隠し通したあの頃と、サークルの女の子に片思いしている今と。
そんなに状況は変わらないのだけど、心の持ちようで目に見える世界は幾らでも変わると思う。
少なくとも今の私は、人に恋をするって楽しいことだなと思える心の余裕がある。
フェミニストからキモオタは死ねと言われ、私はもちろんキモオタであるから激昂してクソフェミは死ねと言い返しかけて、そこでふと気がついて困惑した。
フェミニズムとは何だろうか。
私はフェミニズムを名前ぐらいしか知らない。しかし知らないものを知らないままにしておくことは、少なくとも私にとってキモオタらしからぬ行為である。私は自分に自信をもってキモオタでありたい。クソフェミに死ねと罵られるキモオタであることに誇りを持ちたい。ならばフェミニズムについて知らなければならない。
しかしフェミニズムについて知りたかったら何を読めばいいのか。これが意外と分からない。ロールズやセンを読めというのを見つけたので読んでみたが、やはりフェミニズムが分かった気になれない。
そこで手当たり次第に適当にフェミニズムの書籍を読んでまとめみることにした結果が本稿である。決して十全ではないが、私同様、フェミニズムをよく知らないオタク諸姉諸兄にとって、フェミニズムの理解の取っ掛かりになれば幸いである。
フェミニズムは大きく三種類ある。ラディカル・フェミニズム(以下ラディフェミ)、リベラル・フェミニズム(以下リベフェミ)、そしてマルクス主義フェミニズム(以下マルフェミ)であり、それぞれ理論の組み立ては全く異なる。以下順に見ていこう。
現在のラディフェミの理論的支柱はキャサリン・マッキノンと言っていいだろう。「性の不平等の源はミソジニー(女嫌い)」であり、「ミソジニーの源は性的サディズムにある」(C.マッキノン,"フェミニズムと表現の自由",1987,*1)。そして社会に溢れるポルノグラフィ(以下ポルノ)こそが「性差別主義者の社会秩序の精髄であり、その本質をなす社会的行為」(*1)に他ならないと喝破する。この諸悪の根源はポルノであるという揺るぎない確信から、ポルノの法規制を推進する。
ポルノが性犯罪を誘発するという統計的な証拠はあるのか。この批判に、しかしマッキノンは自覚的である。誘発するという調査もあり、無いという調査もあると率直に認める。従って彼女が起草した反ポルノ法は「被害をもたらすことが証明されうる物だけが告発できる」(C.マッキノン&A.ドウォーキン,"ポルノグラフィと性差別",1997,*2)。「証明されるべき被害は、強制行為、暴行脅迫、名誉毀損、性にもとづいて従属させる物の取引といった被害でなければなら」(*2)ず、不快に感じた、宗教上の信念を侵しているといった被害は認められない。被害者ではない第三者が告発することも認められない。
ポルノには、ホモもレズも二次元も、古典文学から芸術作品まで被害をもたらすことが証明される限り全て含まれる。自分が叩きやすいゲームやマンガだけを槍玉にあげて、自分が叩かれやすい文学や芸術から目を背けるチキンではない。殴るからには全て殴る。それがマッキノンである。
なお、田嶋陽子はラディフェミを名乗りドウォーキンへの共感を示しているが、ポルノを諸悪の根源とはせず、現実的政策としてはリベフェミに近い内容を述べているため注意されたい("愛という名の支配",1992)。
J.ロールズの「公正としての正義」やA.センの「不平等の再検討」をその理論的土台とし、リベフェミは次の点を問題視する。「ジェンダーシステムは、その根を家族における性別役割にもち、事実上わたしたちの生活の隅々まで枝葉をはびこらせた、社会の基礎的構造のひとつ」(S.オーキン,"正義・ジェンダー・家族",1989,*3)であり、「女性と男性の重要な差異が、家族内で現在おこなわれている性別分業によって作られる」(*3)。
夫婦がともに働いている姿を子供に見せることが教育上望ましいと考え、そして共働きにおいて妻にだけ家事育児が押し付けられることは不平等であり、二人で平等に分担するべきであるとする。もし専業主婦なら、夫の稼ぎは夫婦二人で稼いだものとして両者で均等に等分すべきだとオーキンは言う。
このように家庭内の賃金、労働の不平等の解消によって性差別の無い社会が構築されるとする考えから、リベフェミは女性の社会進出を推奨し、出産休暇や託児所の拡充、男性の育児休暇取得を推進する。また「子どもたちがなりたい人間になる機会」(*3)を拡大するため――その機会を無知ゆえに狭めないために、性教育の重要性を訴える。
なお、「男性を敵視し憎む分派は消滅するだろう」(B.フリーダン,"新しい女性の創造",1965)が示すように、フェミニズムを男性と女性の権力闘争化することに否定的立場をとる。
出産を含む女性の家事育児は明白な労働行為である。にも関わらず男性社会はそれに一切の支払いをしてこなかった。ゆえに女性とは搾取されるプロレタリアートであり、その意味で男性とはブルジョワジーである。女性の抑圧は、資本制と家父長制の構造上必然的に生じたものであると喝破し、資本制・家父長制の打倒を訴え、そしてこれが日本の伝統的フェミニズムである。
女性の社会進出に関してはリベフェミの主張とほぼ同一だが、フェミニズムの主要な敵は男性であると断じ、マルフェミでは家事育児という労働に対する賃金の支払いを請求する(上野千鶴子,"家父長制と資本制 マルクス主義フェミニズムの地平",1990,*4)点で異なる。ただし誰に請求しているのか、また家父長制を崩壊させるために「資本制との新しい調停」を、というが、それが共産制かというとそれも曖昧で判然としない。
日本ではさらにそこに独自の思想が入り交ざる。例えば男女混合名簿の推進は「日の丸・君が代をシンボルとする儀式を撃ちくずす」(河合真由美,"「男が先」を否定することでみえてくるもの――学校の中での性差別と男女混合名簿",1991)から良いのだ等、目的が何なのか、いささか混沌としている向きも見受けられる。
レズビアン・フェミニズム、ブラック・フェミニズム、エコロジカル・フェミニズム、ポストモダン・フェミニズムなど多岐にわたる。マルクス主義フェミニズムの派生であるサイボーグ・フェミニズム(D.ハラウェイ,"サイボーグ宣言",1985)は読むとつまらないがネタとしては面白い。あとキワモノで言えばスピリチュアル・フェミニズムとか。
同性愛者とフェミニストの関係は、従来男性権力社会に対する「敵の敵は味方」関係に過ぎなかった。そこで登場したのが「フェミニズムと、ジェンダーに関するゲイ/レズビアンの視点と、ポスト構造主義の理論を、政治的にひとつに纏め」(J.バトラー,"ジェンダートラブル",1990)たクィア理論である。これにより統一戦線を理論的に張ることが出来るようになった。
リベフェミは広範な男性差別は否定するが、アファーマティブ・アクションでの男性差別は肯定する。ラディフェミは男性敵視の姿勢を持つが、しかしマッキノンは男性だけが徴兵されることは男性差別だとして否定する。「平等とは、ジェンダーの違いではなく、ジェンダーヒエラルキーを問題にし、その根絶をめざすものである」(*1)からである。マルフェミはよくわからなかった。女性兵士に反対しているので、男性差別は肯定されるのかもしれない。
セクハラ、家庭内暴力、中絶、女性兵士等色々あるが、本稿ではオタク、わけてもアニメオタクと関係の深い「性の商品化」について取り上げる。
マッキノンは、猥褻として過去に規制された、まさに「性の商品化」であるユリシーズ(J.ジョイス,1922)について「ポルノではない」と述べる(*2)。現実の被害が証明されていないからである。「性の商品化」は法規制の理由にならない。
リベフェミであるN.ストロッセンは「子供や妻への虐待、強姦、日常的な女性への屈辱行為などを正当化する内容が詳細に述べられている」書籍として聖書をあげ、「禁止されない安全な思想などほとんど存在しない」("ポルノグラフィ防衛論",2000)とする。そして性教育がかつて猥褻として政府に規制された例を上げ、ポルノ禁止法は政府の検閲に利用されると強く批判する。
一方、上野は「性の商品化」だとしてミスコン廃止を訴えるフェミニストについて、彼女らは「法的取り締まりを要求したわけではなく、受け手として「不愉快」だという意思表示の権利の行使」であると言う。そして「性の商品化」は「メディアのなかでも、なんらかの基準がつくられる必要がある("「セクシュアリティ」の近代を超えて",新編日本のフェミニズム6,2009)」とする。
ここから見えてくる点として、女性が「不愉快」であることが問題なのだということが分かる。「性の商品化」とは何か、それに実害があるかは、おそらく最終的にはどうでもいいのである。さらに求めているのは自主規制であって法規制ではない。自主規制によって発言者は自ら口をつぐむのだから、表現の自由は全く関係のない話である。
リベフェミであるマーサ・ヌスバウムは嫌悪感を根拠とした法規制を徹底して批判し、ゾーニングの妥当性を論じるが("感情と法",2004)、マルフェミである永田えり子は「ポルノ市場が成立すれば、必然的にポルノは市場の外部に流出する。そして流出すると不快に感じる人がいる」("道徳派フェミニスト宣言",1997)としてゾーニングは効果がないと批判する。
ポルノは「人々に広く不快を甘受させているかもしれない。そして事実不快だという人がいる。ならば、それは公害である」。「性の商品化は多くの人々に対して、確実に何らかの不快や怒りを与えるはず」であるがゆえに規制されるべきだと主張する。
そのような不快感を根拠とした規制は恣意的な運用がなされるという批判は当たらない。曖昧な法は他にもあるが、現に警察と司法は正しく運用しているからである。性道徳に根拠が無いという批判も当たらない。「根拠がないということがすなわち不当であるわけではな」く、それは「正しいから正しい」のである。
なお、福島瑞穂は非実在児童のポルノ規制は法的安定性が保証されないとして反対しており、この永田の見解がマルフェミの共通見解でないことは述べておく。が、例えば児童ポルノの法規制に対して日本ユニセフ協会広報室長の中井裕真から司法は正しく運用してくれる旨の見解が述べられており(永山薫・昼間たかし,"マンガ論争勃発2",2009)、これがフェミニストの通説でないことは明らかだが、一定数存在する見解であるように思われる。
初期の日本のフェミニズムには「反主知性主義」があり、「女性であれば(女性としての経験をもってさえいれば)誰でも女性学の担い手になれること、専門的なジャーゴンや注の使用を避け」、「プロとアマの距離をできるだけ近づけること」が目指されたと上野は述べている("女性学の制度化をめぐって",2001)。
こうした取り組みで女性が声をあげられる空気を作り出すことに成功したが、結果としてフェミニズムは「一人一派」と化した。筆者の私見に過ぎないが、これは同時にフェミニズムと「私」の区別を曖昧なままにしたのではないか。
「私」とフェミニズムが一体化しているとすれば、「私」が不愉快ならフェミニズム上も不公正に決まっている。それが従来のフェミニズム理論と矛盾していたり整合性が取れなくとも関係ない。「「オンナ対オトコ!」なんて言ってるフェミなんて、いないのになぁ」(北原みのり,"フェミの嫌われ方",2000)が示す通り、従来の理論について知識も興味もないフェミニストは珍しくない。知らなければ(当人の中で)矛盾はしない。
「理論を欠いた思想は、しばしば信念や信仰へと還元されてしまいがちである」(*4)と上野は言う。そのような啓蒙主義者にとって「真理はつねに単純である。(中略)真理を受け容れることのできない人々は(中略)真理の力で救済することができなければ、力の論理で封じるほかはない」。そうして治安警察国家を招き寄せる人々は「反主知主義の闇の中に閉ざされる」。
これは実は上野によるリベフェミへの批判なのだが、筆者にはリベフェミではないところに突き刺さっているように思えてならない。
このようにフェミニズムは一言で言い表せるような概念ではもはやない。日本の初期フェミニズムはマルフェミが中心であったが、現代日本のフェミニストは必ずしもそうではないだろう(例えば堀田碧は"「男女共同参画」と「日の丸」フェミニズムの危うい関係"で一部の若いフェミニストの愛国心に苦言を呈している)。
最後になるが、フェミニズムはクソだという見解に私は全く同意しない。職場で上司が女性社員の尻を撫でることは強制わいせつ以外の何物でもないし、家庭内暴力は夫婦喧嘩ではなく傷害である。どれだけ成果を上げようが性別を理由に賃金を低く抑え、出世コースから排除するといった制度の是正にフェミニズムが尽力したことを、私は決してクソだとは思わない。
私がクソだと思うのは、……まぁ、書かなくても察してもらえるかと思う。
いささか長い増田になった。この程度の調査力でキモオタとかw という批判は甘んじて受けるしか無いが、とはいえもし誰かの理解の役に立ったのならそれに勝るものはない。
同性異性問わず密室で一緒にいたら、「コイツとセックスする様な何かが起きるかも?」って皆想像しないのかな。
いやね、異性だろうと同性だろうと、複数だろうと一対一だろうと、密室に行ったら何か起きる可能性ってあるよなーっておいら想像するのね。
ある程度親しい仲だと、ソイツとセックスしたらどうなるかなー?と一応考える。うっかりソイツに欲情して雰囲気に流されて押し倒しちゃうかも?とか。
で、その結果こじれそうとか色々考えて芳しい未来にならなさそうなら、その未来を常に念頭に置いて絶対セックスしないように頑張る。
あと、そいつが実は悪いやつで、レイプしようとしてきたらどうしようーとか。
だから、大体一応色々考えた上で、覚悟決めて行くか行かないか決めるのね。
もちろん余程のことが無い限り他人を自宅に入れないし、行かないようにしている。していた。
ずーっと昔から、そういう人が凄く無警戒でのんきすぎるように感じてるんだけどね。男女関係なく。
とくに男の無警戒さは酷い。男だからって何で安全だと思ってるんだろうなあ??って。
どうして想像したり警戒したりしないのかなあ。
想像しない人は異性愛者の方が多いのかな。それともセクシュアリティ関係なく?
それとも単純に想像力が無いだけ?
昨今、Pixivの全年齢ランキングはほぼすべてと言っていいほど「ブラック本丸」や「ヘイト創作」作品が埋め尽くしています。この現状について一石を投じられればと思いしたためたのがこの文章です。
私の目的は主に「ヘイト創作」であることの多い「ブラック本丸」作品がランキングを席巻することで刀剣乱舞というゲームが誤解されることのないようにすることです。ブラック本丸、ヘイト創作などを好む方を攻撃したり、貶めたりする意図はありません。
ただ、現状ランキングを埋め尽くしている「ブラック本丸」作品があることで、ヘイトがヘイトを呼ぶような現状になっています。
ゲームをプレイしていない状況で、こうした作品を書けば人気が出るという考えのもとに、原作にはない設定や原作を大幅にマイナス方向に歪めた設定を元にした創作物が増えているのです。
もちろん、そうした創作物を書くこと自体は自由です。どんな意図で創作しているのだとしても、それは責めるべきことではありません。
ただ現状ではそのせいで原作が誤解され、何の罪もない原作キャラクターが貶められ、風評被害を受けているのです。
とあるブラック本丸作品のキャプションには「刀剣乱舞という作品の性質上」というような枕詞の元にブラック本丸によくあるような審神者への暴力表現等が含まれることが記載されていました。
実際にプレイされたことがあれば、原作はそのようなゲームではないということは一目瞭然ですが、Pixivで流行しているのだからそういう原作なのだろう――と誤解されてしまっているのです。
もちろん創作は自由です。ただ、現状のブラック本丸ものはコメント欄やタグ欄を含め原作キャラクターへの怨嗟で満ちていることが多く、そういったマイナスの感情を元にした創作物は通常「特殊嗜好」として同好の士の間でだけ閲覧されるべきものです。
それならなぜ「腐向け」作品はよくて、「ブラック本丸」作品は駄目なのか? なぜ「ヘイト創作」に対して苦言が呈されるのか? 過去の別ジャンルの事例等も踏まえて書かせていただければと思います。
これは私が説明するより、よくまとまっているPixiv辞典(http://dic.pixiv.net/a/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E6%9C%AC%E4%B8%B8)のタグ説明を引用させていただいた方が早いかと思うので、リンクさせていただきます。
簡単に説明いたしますと、もともとブラック本丸とはブラック企業をもじった言葉です。
身を粉にして働くブラック企業社員のように、資源やレア刀剣のために疲労状態になっても繰り返し出陣させられる刀剣男士たちの物語をコメディ調に描いたものでした。
それが途中から刀剣男士への虐待描写が混じるようになり、刀剣男士が審神者への反撃として性的虐待や暴行を行うものが増えていき、過去に他のジャンルで流行した「嫌われ」作品のように最終的には刀剣男士へ制裁が加えられるようなものへと変化しました。
今でも当初の意味合いでブラック本丸を使っているもの、変わってきた意味合いのものであってもヘイト創作ではないものも少しは混じっていますが、ほとんどがヘイト創作になってしまっています。
ブラック本丸ものでは近頃はよく「NTR」という表記がされているものがあります。
これは乗っ取りの略でいわゆる見習いと呼ばれるキャラクター(原作にはそのような制度は存在しません)が刀剣男士たちをたぶらかして…というような傾向の作品につけられています。
が、このNTRという言葉、実は男性向の用語として既に別の意味があります。
「寝取られ」という特殊嗜好で、男性向のセックスを含む描写をしていると受け取られかねない用語です。
本来NTRとは、主人公の男性が好きな女性を他の男に寝取られて悔しさを噛みしめるような作品(主に濃厚な男性向けのセックス描写を含むもの)を指しているのです。
既にある用語を別の意味で、しかも全年齢の作品で使う場合、読んでいない方から「刀剣乱舞の二次創作というのは全年齢作品でもそういった男性向セックスを描く作品が人気なのか」と誤解をされかねないため、タイトルなどへの使用は避けられる方がよいかと思います。
二次創作というものは基本的にはファンアート、つまりは「それが好きだから、好意を表現するために創作する」ものです。
作者や読者が好きなのは主人公になっている女審神者・男審神者・政府職員などで、刀剣男士には憎しみが向いていることが多くありませんか?
これは原作や原作キャラクターのファンによる創作物と言えるでしょうか?
もし、貴方が原作キャラクターが好きで貶めたいと思っている、いじめたいと思っているのだとしたら、それは「特殊嗜好」だと認識してください。
リョナと呼ばれる、キャラクターに暴力を振るったり傷つけたりすることを好む性癖も存在しますが、そういった性癖はやはり一般には受け入れがたいものです。
暴力や損壊などの描写は映画などでも年齢制限がかかるような、何の準備もなく見せていいものではないと思われているのだということをご理解ください。
たとえば道端で、誰かを一方的に踏みつけたり、罵声を浴びせている人を見つけたらどう思いますか? 顔をそむけたくなりませんか?
同様に創作物においても、一方的に誰かが暴力を受けている場合、顔をそむけたくなる人が多いのです。
あなたのお父さんやお母さんに見せた場合に怒られそうなものの場合、基本的には棲み分けが必要なものだと思ってもいいかもしれません。
だって、Pixivには色々な年齢層の方がいますから、中にはあなたのお父さんやお母さん、場合によってはおばあちゃんやおじいちゃんくらいの方もいるのですから……。
さて、それでは棲み分けが必要なものとそうでないものについての話の前に、ヘイト創作の基準について書かせてください。
ヘイト創作であるかどうかは、作者の創作意図と描写方法にかかってきます。
おおまかにいって、以下のような特徴を持つ場合、悪気があるなしに関わらずヘイト創作に分類しておいたほうがトラブルにはなりません。その理由は後述します。
●メインとなるキャラクターが女審神者、男審神者、政府職員など原作で明確に容姿や設定が登場していないキャラクターであり、刀剣男士はその添えものである
●刀剣男士が主人公や他の刀に対して暴力を振るったり、暴言を吐いたりする描写がある
●主人公が刀剣男士に対して暴力を振るったり、暴言を吐いたりする描写がある
●刀剣男士を一般的に見て魅力的に描くことを目的としていない創作物である
1~3が揃っていても、例えばそれが「苦境に立たされた刀剣男士たち(のうちのひとり)が何とか本丸を立て直そうと努力する話」であればヘイト創作という分類はされないことが多いのです。
(もちろん、その場合でも暴力描写などについての注意書きが必要であることは言うまでもありませんが……)
※審神者受小説などの強引に性行為に持ち込む描写などに関しては、広い意味では暴力描写ではありますがヘイトとは違う場合が多いかと思います。審神者が刀剣を無理やり…の場合には少し気を遣われた方がいいかもしれません。その理由も5ページ目に追記させていただきましたのでご参照ください。
ブラック本丸ものはちゃんねる形式と言われる、匿名の人間が大勢書き込んだログをまとめることで記事を作るような形式の創作物であることが多いです。
これは実際に存在する匿名掲示板を元にしたネタで、そのものを見たことはなくとも、まとめブログなどの形で目にしたことがある方が多いかと思います。
そうしたまとめブログでもよくあるのですが、書き込みする人間が何か酷い目に遭わされ、その報復を行う……、という勧善懲悪形式のテンプレートをブラック本丸ものでも踏まえていることが多いです。
勧善懲悪形式の内容というのはおおむねすっきりするでしょうし、人気があるのも確かなのですが、まとめブログなどでは登場人物がすべて仮名であるのに対してとうらぶちゃんねるでは登場人物は明らかに誰なのか分かる形での描写になっています。
そうするとどうなるかというと、敵役に配置されたキャラクターへの憎しみが募っていく形になってしまうのです。
憎しみが募ったところでそのキャラクターが酷い目に遭わされてすっきりする、という繰り返しが昨今流行のブラック本丸ものの多くで見られる傾向です。
ただ考えていただきたいのですが、たとえば制裁を受ける側として描写されているのがあなたの友人知人であったらどんな気持ちになるでしょう? もしくはあなた自身であったら? 腹が立つと思いませんか?
まとめブログが問題にならないのは、全員が仮名で、仮に実在の人物がいたとしてもいち個人であるためです。
刀剣男士はそうではありません。誰のことを書いているのかはっきりわかる状態でキャラクターを貶めるような描写をしているのですから、当然、配慮が必要なのです。その配慮のわかりやすい形が「ヘイト創作」タグです。
刀剣男士を貶めることが目的である・ないに関わらず、原作ファンへの配慮としてヘイト創作タグをつけて棲み分けすることを推奨します。
また、可能であればランキングに掲載されて悪目立ちしないような配慮も必要かと思います。
ブラック本丸が好きな読者はタグで検索してきますから、ランキングに掲載されなくても読みに来てもらえますし、口コミで読者は増えます。その方がこういう口うるさいファンからの横やりも入らなくなりますし、お互いにストレスフリーの環境が実現できるのではないかと考えます。
審神者や政府職員を主人公に据えた作品の場合、必ずしもヘイト創作であるとは限りません。
ですが、いくつか注意しなければならない場合があります。それは「審神者」や「政府職員」が刀剣男士を相手に無理やり性行為に持ち込んでいる場合や、逆に刀剣男士が審神者・政府職員を相手に無理やり性行為に持ち込んでいる場合についてです。
●審神者・政府職員とキャラクターがお互いに恋愛感情を抱いている場合
●審神者・政府職員とキャラクターがお互いに恋愛関係に至るまでの過程でその行為に至る場合
上記のような場合であれば、一般的にヘイト創作であるとはみなされないので安心してください。
ただ描写の程度によっては強姦描写がある旨などは記載しておいた方がいいかもしれませんし、無理やりというのが殴り倒して気絶させたうえで…、というような通常の性行為では行われないレベルのものである場合には注意書きが添えてあるほうが親切ではあります。
《気にした方がいいパターン》
●審神者・政府職員が権力をかさにきて刀剣男士に一方的に性行為を強要する場合
●審神者・政府職員が仲間の命などを盾に刀剣男士に一方的に性行為を強要する場合
●刀剣男士が腕力等を用いて抵抗できない審神者・政府職員に一方的に性行為を強要する場合
こちらは主に現実世界ではパワハラと呼ばれるものです。昨今では犯罪行為であるとみなされることも増えて来ています。そうした描写は好きな方は好きですが、苦手な方は苦手な特殊嗜好です。
特にブラック本丸における上記に置いては、そのつもりがなくてもヘイト創作のタグをつけるか注意書きを設けたほうがよいです。
ただしモブ×刀剣のようなジャンルもありますので、あくまで刀剣男士を貶めたいのではなく「刀剣男士がモブに性行為を強要されているのに萌える」という性癖である場合には、その旨を記載し、刀×主や主×刀タグをつけ、モブレなどのタグをつけておけば問題ありません。
※モブレ=モブレイプ、特に個性などを設定されていないモブキャラに原作キャラクターを犯させるのが好き、という性癖を持つ作品のためのタグです
Pixivのランキングは、投稿した日とその翌日のブックマーク数・評価回数によって順位づけされます。
そのため、たとえば最初の数日間はマイピク限定公開とし、数日後に全体公開にすることでランキング入りを防ぐことができます。
最速で読みたいファンにはマイピク申請をしてもらい、そうでもない読者には全体公開後に読んでもらう形式にすることでファンとの交流も深まりますし、悪い意味で目立つことがなくなるのでお互いにうまく棲み分けができるようになるかと思います。
たとえば刀剣乱舞でいえば、刀剣乱腐や刀剣乱夢のように棲み分けタグが使用されています。
現状、刀剣男士たちのほのぼの作品を検索しようとしても、ブラック本丸ものなどが多いため、見つけ出すことができなくなってしまっています。
腐向け作品や夢作品はジャンルタグの代わりに代替タグを使用することによって検索の邪魔になることを防いでいるため、そこまで問題にはなっていません。
そのため、ブラック本丸作品やヘイト創作も代替タグを使用してはいかがでしょうか?
過去に他ジャンルでは●●嫌われ、●●ヘイトなどのように代替タグ使用をしていました。刀剣乱舞もたとえば「刀剣嫌われ」「刀剣乗っ取り」「刀剣ヘイト」などのようにマイナス検索用のワードを残しつつパッと見で内容のわかるタグ付をしてはどうでしょうか?
私はこちらのアカウント以外でPixivプレミアムに入っているのでタグ検索の解析が見られるのですが、ジャンルタグで検索してくる方はほとんどいませんでした。全体の10%にも満たないごく少数です。
代替タグを使用するようにしたとしても閲覧数にはおそらくそう変化はありません。ジャンルタグの始祖を目指してみていただければ……と思います。
現状、ブラック本丸ものもほとんどが「刀剣乱舞小説○○users入り」タグなどで分類されているかと思います。
ですがこれは前項でも記述した通り、刀剣男士同士のほのぼのものを探している方にとっては邪魔になってしまっています。
他ジャンルでは「●●ちゃんねる小説○○users入り」「●●嫌われ小説○○users入り」などのようにusersタグも独自のものを使うことで棲み分けをしています。
専用タグがあるほうがブラック本丸ものを探しているユーザーもより目的のものを探しやすくなりますし、現状のusersタグ使用よりもメリットがあるのではないかとも思います。
http://anond.hatelabo.jp/20150628005414
マツコ・デラックスやミッツ・マングローブですら、「オカマ」という売り出しで同性愛的側面は強調していないように思える。また、そういう活動もしていないように見える。
マツコ・デラックスやミッツ・マングローブのような、「オカマ」「オネェ」で売り出している人たちは、基本的にセクシュアリティ関連諸問題のことはあまり言えないと思う。
彼女らがターゲットとしている一般大衆は、セクシュアリティに関してあまり関心がない、すなわち人並み程度には差別的である人たち。同性愛者やトランスジェンダーを嘲笑して楽しんでいる人たちも少なからず含まれるかと思う。
そういった人たちに対して、差別がいかんなどと言って反感を買うよりかは、迎合して自虐ネタを言っている方がウケるに決まっている。
ちなみに、ミッツ・マングローブも、下記のような発言はしている。
私はむしろ、(こういうことを言わない方が職業上有利であるはずの) ミッツ・マングローブですら、同性愛的、セクシュアリティ的側面のある発言をしている、と見るべきだと思う。
ミッツ・マングローブが中尾ミエの「LGBT」に対する発言に言葉を失う
http://news.livedoor.com/article/detail/10225486/
なお、私が知る限り、少なくとも日本の活動家には、同性愛またはトランスジェンダー・性同一性障害いずれかの当事者が多いように思う。
つい最近隣接分野でこんなやりとりがあったけど結局真摯に文献提示しても「気にいらねーから読まない」って態度とるのはなんなんですかね。
http://d.hatena.ne.jp/miyakichi/20150208/p1
このエントリで触れた、同性愛の病理化の歴史についての主なソースは、風間孝&川口和也著『同性愛と異性愛』(岩波新書)です。平易で、かつ情報盛りだくさんで、いい本ですよ。おすすめ。
http://kyoumoe.hatenablog.com/entry/20150209/1423489280
文献に関してですが、トランスジェンダーの方の意見がブクマにありました。
はてなブックマーク - 「どこかの同性愛コミュニティから『ノーマルは差別的だ』っていう意見が出てきてるわけじゃなく」? デマを流さないでくださいよid:kyoumoeさん。 - みやきち日記
岩波新書の同性愛と異性愛を推奨みたいだけど、あれはひどかった http://blog.goo.ne.jp/kuborie/e/0bf72de60958fb338400532e9a3d73e9 読む価値あまりなし。少なくとも絶対に読み返さないと思って、無償で人にあげた
またこういう意見もありました。
はてなブックマーク - LGBTの方に質問です。「異性愛をノーマルと呼ぶこと」及び「同人…
「LGBTの方に質問です」ってところでカチンとくる炎上案件。十把一絡げにすんな/言葉でいちいち目くじら立てないけど、この質問の仕方はダメよ。まず、Tの人はノンケだってことに留意すべきですねー。
「どこかの同性愛コミュニティから『ノーマルは差別的だ』っていう意見が出てきてるわけじゃなく」? デマを流さないでくださいよid:kyoumoeさん。 - みやきち日記
「ノーマルカップリング」「ノマカプ」「NL」などの語について、ブログでだってTwitterでだって、批判しているLGBT当事者はいっぱいいるよ。id:kyoumoeさんの特殊アイに、そういう意見を極力見ないようにする回避機能がついてるだけなんじゃねえの。
「LGBT」という表記一つでこれほどの意見の相違が出てきます。
議論の踏み台として提示された文献を自分で吟味もせず他人の書評に乗っかって価値が無いと切捨てて見せてるわけですよ。
http://d.hatena.ne.jp/miyakichi/20150210/p1
最後に、同性愛イシューやLGBTイシューを本当に「わかりたい」と思っていらっしゃる方々のために、おすすめ書籍のリストを挙げておきます。カーリル | 日本最大の図書館蔵書検索サイト等で探してみられてはいかがでしょう。本は怒らないし冷静だし、情報量も多くて、うちのブログなんかよりよっぽど有益ですよ。
『同性愛と異性愛』(風間孝&川口和也、岩波書店)(レビュー)
『図解雑学 ジェンダー』(加藤秀一 他、ナツメ社)(レビュー)
『<同性愛嫌悪(ホモフォビア)>を知る事典』(ルイ=ジョルジュ・タン編、明石書店)(レビュー)
『LGBTってなんだろう?--からだの性・こころの性・好きになる性』(藥師実芳 他、合同出版)(レビュー)
『ステレオタイプの社会心理学 偏見の解消に向けて』(上瀬由美子、サイエンス社)
『セクシュアリティの多様性を踏みにじる暴力と虐待』(アムネスティ・インターナショナル編、現代人文社)
『同性愛者における他者からの拒絶と受容』(石丸径一郎、ミネルヴァ書房)
『Biological Exuberance: Animal Homosexuality and Natural Diversity』(Bruce Bagemihl、St. Martin's Press)(レビュー)
『Homosexual Behaviour in Animals: An Evolutionary Perspective』(Sommer, V. & Vasey, P. L. 編著, Camblidge University Press)(レビュー)
『It Gets Better: Coming Out, Overcoming Bullying, and Creating a Life Worth Living』(Dan Savage & Terry Millor [編]、Dutton)(レビュー)
http://anond.hatelabo.jp/20150526190042
これに基本的に賛成。もちろん、ごく一部に学問的にフェミニズムを扱おうとしている人(研究者)もいて、そういう人は当然メンズリブとかにも造詣が深い。近年、こういう立場のフェミニストの人たちが発言する機会も多いので、なんだかそういうものであるような気がしてしまうけど、フェミニズムの全体から見ればこれは例外であって、やっぱりフェミニズムっていうのは、あくまで女性という利害集団による政治運動だってことを忘れてはいけないと思う。それに加えて、政治運動としてのフェミニズムも、戦略的に「これは女性だけの問題ではない」というロジックを使うことが多いので、そういうものだと納得してしまいがちだけど、これは経団連がトリクルダウン理論を持ち出すような話で、それがあるからフェミニズムが(女性に限らない)普遍的な政治運動になれるわけではない。
なので、自分はフェミニズムに同情的な方だし、ネットの議論ではほぼフェミニズム側に立つ意見を持っているけど、絶対にフェミニストにはなれないと思っている。同情的な気持ちになったところで、彼女たちの利害をむき出しにした主張に触れると、相容れないものを感じて、はっと気づかされる。そりゃそうでしょ、そもそもが男性と女性の利害対立の問題なんだから。フェミニズムには政治的に賛成できないというのは当然。フェミニズムが絡む問題について、多数決の投票があったら、男性がフェミニズムと反対の意見に一票を入れることになる場合が出てくるのも当然。ただ、「彼女たちがそう主張するのはもっともだ」と考えるし、倫理的、思想的意義は高く評価している・・・。自分はこういう立場だけど、おそらく、これが(セクシュアリティ的に)通常の男性による「男性としてのフェミニズムへの理解」の限界だと思う。
そして、このあたりの難しさが、最近、ネットなどでフェミニズムへの反発が生まれる原因ではないだろうか。男性的価値観の束縛されて苦しんでいるような人が、フェミニズムに救世主的な眼差しを送るけれど、裏切られる。でも、それはまさに「政治運動としてのフェミニズム」に、「学問としてのフェミニズム」の幻影を見てしまうことによるのではないかと思う。
ある集まりのSNSに参加していて、参加者には外国人もいるので交流は英語。割とまじめな、落ちついた感じの集まり。その参加者の中の、英語のネイティブではない外国人の一人がしんどい。
アメリカのヒップホップや大衆映画なんかの影響かもしれない、常にghetto的な、"bro"的な言い回しをしようとしていて(説明しにくい。分かりますか?)、
それ自体は全然かまわないんだけど時々彼が使う言葉にドキッとする。彼は、hey bitchesとか、hey niggersとか、絶対その場にそぐわないだけじゃなくて下品で差別的な表現を使うことがある。
今日もSNSの投稿の中で使っていた。皆「えっ」と思ったり、不快な気持ちだったりはしているのかもしれないけど、誰もそれを指摘しない。
私はアメリカで育って、レイシズムとかフェミニズムとかについて何度も考える機会があった。
女性でアジア人というだけで、軽く扱われたり差別されたこともたくさんある。
特にniggerって、歴史的な経緯から、アメリカでは黒人ではない人が公共の場で使ったら大騒ぎになるくらいの深刻な差別用語だ。
でも、ここはアメリカじゃない。文化的な文脈や言葉に対する理解が違うのは分かってる。SNSはClosed groupの設定だから集まりの中で私たちが許容する限り誰にも迷惑はかからないという見方もある。
そもそも、他の人に対して使っていい言葉と悪い言葉をどうこういうのは傲慢なんじゃないか。
こんなことをぐるぐる考えたけれど、やっぱり一言言わなくちゃという結論に達した。
彼の発言を正すというより、自分がここで声をあげることが大切なのだと思った。
「うっとうしいかもしれないけど、その言葉は一般的に差別的だとされていて、私も聞いていていい気持ちがしないから使わないで欲しい」
と書くと、「You got one thing right. (この文の中で1つだけは正しいね)」と返事が返ってきた。
つまり、注意した私がうっとうしいと暗に言っているわけだ。
彼がどう受けとるかは私にはコントロールできないことだ。
普段の彼の様子から、こういった反応は十分予測できた。勇気を出して抗議したことが報われなかったことは悲しかった。
誰もこのやりとりに関わろうとはしなかったことも悲しかった。
黙ってればよかった、とは思わなかった。だって、ここで何か言わなかったらアメリカにいるブラックの友達に顔向けできないし、何より自分が許せないだろう。
私が誰かのために声をあげられないのであれば、いつかまた私が差別を受けた時、誰が私のために声をあげてくれるの?
人種だけじゃない。国籍、セクシュアリティ、ジェンダー、障害、身体的特徴、社会的立場、年齢、趣味。差別の種は世の中にあふれている。
皆、差別される側であり差別する側になりうるんだから全然他人事じゃないでしょ。
だれだって間違いは犯す。
私だってきっと不適切で人の気持ちを傷つけることを言っていると思う。
それを誰かに指摘されたら、きっと恥ずかしいし言い返したくなるかもしれない。
だけど本当は素直に、ごめん、気をつけるね、で済む話じゃないのかな。
いろんな人がいるのだから今回のことは気にしないようにしようとしている。
でも、意外と傷ついている自分がいる。黙ってればこんな思いをしなくて済んだのにな。余計なことをしたのかな。
いや、個人レベルで行動を起こすのが大事なのだから私は自分がすべきと思ったことをしただけだ。
頭の中でずっと考えがループする。
おかしいと思ったことを口にするのはすごく勇気がいる。そして傷つく。
それでも言わなくちゃいけないことはある。もっと鈍感だったら生きやすかったかもしれない。
友達に話したらきっと肯定してくれて慰めてくれてあなたは正しいと言ってくれると思うけど、そこに逃げたくなかった。
自分の正しさを確認して終わり、じゃなくて、自分でもっと考えて消化したい。でも、誰かに聞いて欲しいので増田に書きます。長くなりましたが、読んでくれてありがとう。経験を書いたことで既にちょっと癒されました。
はるしにゃん君がセクハラやら暴言やらで話題になっている。長らく彼をヲチしてきた者として、これから彼をヲチする者のために、彼の人物像を紹介するよ。
殻辺(@hallucinyan)さん | Twitter
もともと彼は立命館の経済だかに通っていたアイマス好きのオタクで、東浩紀や宮台真司への憧れを募らせながら、ゲンロン界隈に溶け込もうとがんばっていた。そういえば昔はハルシナと名乗っていたな。
むりゃかみゆうとは (ムリャカミユウとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%82%80%E3%82%8A%E3%82%83%E3%81%8B%E3%81%BF%E3%82%86%E3%81%86
むりゃかみゆう@非公式(@muryakamiyuu)さん | Twitter
https://twitter.com/muryakamiyuu
ゲンロンの前身にあたる合同会社コンテクチュアズのマスコットキャラクター、むりゃかみゆうをモチーフに女装なんかやってた頃は、彼にも可愛げがあった。
ニコニコ動画に歌ってみたなんか上げちゃって、東浩紀への目配せがいじらしい。
組曲『あずまん動画』 - ニコニコ動画:GINZA
で、彼はそのままゲンロンのホモソーシャルで姫をやってりゃよかったものを、欲っ気を出して同人誌の編集を始めてしまった。
Amazon.co.jp: イルミナシオン: 松本 卓也, 黒瀬 陽平, 上祐 史浩, 佐藤 雄一, 有村 悠, はるしにゃん, 藤城嘘: 本
この『イルミナシオン』所収の「イルミナシオンは愛を求めて」は、はるしにゃん君が不幸な家庭で育ち、エヴァにハマり、友人の自殺を経て、童貞卒業への闘志に芽生え、デリヘルで失敗し、メンヘラ女を食い漁るようになるまでを描いた自分語りで、彼の批判者はまずこれを読んでおいたほうがいいよ。
これは劣化版『超人計画』みたいなもので、はるしにゃん君も「滝本竜彦の劣化コピーのごとき実存」とか自分で言っている。
これだけを見るとゲンロンに擦り寄っていた哀れなオタクがなんか覚醒したっぽいというだけの話だけど、覚醒した彼は『イルミナシオン』の刊行と前後して、アニメ批評にちょっかいを出すようになった。
杉田悠の「『けいおん』の偽法――逆半透明の詐術」という論考に準じて、はるしにゃん君はブログに「けいおん!の「内面」について」という記事を載せた。今は削除されちゃっているけど、ブコメから雰囲気は伝わってくる。っていうかなんで削除しちゃったんだろうね。そんなに批判されたくなかったのかな。
けいおん!の「内面」について - A Mental Hell’s Angel
http://b.hatena.ne.jp/entry/hallucinyan.hatenablog.com/entry/2012/07/25/200631
で、この記事に、泉信行や岩下朋世なんかの『ユリイカ』系の漫画研究家たちが反論を加えたことでちょっとした論争がおこった。
はるしにゃん君によると、日常系・空気系アニメである「けいおん!」には内面がなく、むちむちとした身体性によってそれが覆い隠されているんだそうだ。
その結論に至るまでの不備を指摘されているわけなんだけど、泉信行が「研究と批評は違う」みたいなことを言っちゃったせいで、はるしにゃん君は「じゃあ批評は適当でもいいじゃん」みたいなスタンスをとってしまった。これは良くないよね。
泉信行は「研究と批評は違う」とは別に「たとえ研究のような厳密性が求められない批評であっても、媒概念不周延の誤謬には注意しようね」ということを主張している。これをはるしにゃん君はガン無視し、杉田悠に助けを乞うた上、俺が批判に応えてやってるのに、みたいなことを言い出した。
当時、杉田悠が寄稿した『アニメルカ』を中心に「アニメブロガー総合スレ」というスレがあったんだけど、はるしにゃん君の大立ち回りはそこそこ話題になった。
953 :名無しさん名無しさん:2012/09/14(金) 22:52:30.49
・テンプレ
@sugita_u 生活上のストレスとかあるんでしょうけど、礼儀って素朴に重要なんじゃないですか
@sugita_u 僕は杉田悠さんがアニメルカの中では相対的に優秀だと思っています
@sugita_u 僕はあなたの原稿をトゥギャッターで乗り越えました
@sugita_u 少なくとも、擁護しようとした立場の人にいきなり「カチンと来た」「仲間だなんて思ってくるな」という発言したことを謝罪する気はないんでうすね。それは失礼です。その失礼が謝罪によって解消されるか病院の薬で解決されるか、ということでよろしいですね
@sugita_u 僕としては優しかった頃、余裕のあった頃の杉田さんが好きでした。でも変わられてしまった。しかしそれが良い展開に向かう可能性もある。僕は杉田さんの幸福を数年間祈って来ました。
@sugita_u 疑問なのはどうしてそう喧嘩腰にしか喋れないんですか。「カチンと来た」「仲間だと思わないでくれ」もそうですが。人格障害だと認めますか?
892 :名無しさん名無しさん:2012/08/31(金) 23:37:02.97
こういう奴は裏では嫌われてるって自覚ないまま消えていくよ
人の褌で相撲を取ろうとしておいて、なかなか図々しいね。でも、そこがはるしにゃん君の可愛さでもあるんだ。
https://twitter.com/hallucinyan/status/230988133540458497
僕はディベート部の部長だったので、議論と喧嘩の区別をつけています。今回の議論で僕はいずみのさんに悪印象を持ったりはしていません。むしろマンガ論の沃野の広大さを教えてくださって感謝しています
http://togetter.com/li/349401#c643714
「虐待される美少女ブヒィィィすっぽんぽんブヒィィィ」と同人誌で萌えサカッた後、「いやこれは『実在性』を剥ぎ取られた『キャラ』に『身体性』と『精神性』を『補完』する『試み』に興味を抱いたわけで」などといった「普段の僕は頭いいんです」アピールで己の「ゲスな身体性」への言い訳をするのが現代の哲学や評論であるのなら、ンなもんさっさと死ねばいいのに、と思いました。
散々な言われようのはるしにゃん君を擁護しておくと、「けいおん!内面論争」での「内面」は「ポストモダン的成熟」の有無によって判断されるもので、一般的な意味での「内面」とは別物なんだよね。でも、その辺りを理解できなかったラノベ天狗なんかはいつまで経ってもグチグチ言ってるみたい。
じゃあ「ポストモダン的成熟」って何だよって話だけど、やっぱり意味不明なんだよね。定義を明示せずに言葉を振り回しているところが、いかにも批評家くずれっぽくて微笑ましいね。
さてさて、はるしにゃん君はその後も批評をがんばり続けてきた。と同時に、メンヘラを食いまくってきた。
はるしにゃん君のメンヘラの食い方は、「俺はメンヘラなんだよぅ~つらいにゃんつらいにゃん~」ってメンヘラを引き寄せ、「君はラカンも読んだことがないの?ザコ?」みたいなことをいって罵倒し、依存させるって感じかな。想像だけど。
そうやって彼はメンヘラ女を集め、ヤりまくり、一方で、彼女たちを批評で救うみたいなスタンスのもと、同人誌を作っていった。
ところが、メンヘラはメンヘラだから、適切な治療を受けなければ死んでしまう。
はるしにゃん君の仲間で、一緒に同人誌を作っていたメンヘラ神は、メンヘラであることをコンテンツにしていくうちに、自殺してしまった。
メンヘラ神の死は、それはそれは多くのメンヘラに影響を与えたんだけど、ウェルテル効果というまではいかなかった。
でもまあ、メンヘラを集めてコンテンツ化していたはるしにゃん君は、メンヘラ神を死に追いやった一因として、散々な批判を浴びることになっちゃった。かわいそうに。
そのせいか、はるしにゃん君はしばらく燻っていたんだけど、2014年の秋ぐらいから元気になってきたみたいなんだよね。
彼の文章も、東浩紀やら宮台真司やら千葉雅也やらに褒められるようになってきた。よかったね。
で、また最近は批評をやってるみたいだ。
あれこれ思想家を引用してるけど、言ってる中身はシンプルっていうか、一般的な意味での内面がないのはご愛嬌。まだセカイ系とか言ってて、まさしくゼロ年代の亡霊だ。
東浩紀の『存在論的、郵便的』『サイバースペースはなぜそう呼ばれるか』『動物化するポストモダン』について - Togetterまとめ
東浩紀についてなんか、かなり熱心に語っている。
ちなみに東浩紀自身の言説には内面がないどころか、自己矛盾の塊だ。
で、はるしにゃん君の文章をいくつか読めば分かるけど、彼は思想家や哲学者の名前をジャブジャブ出しまくって権威付けを図ろうとしているよ。
けれど、本人が何か新しいことを言っているわけでもなくて、権威付け以外の何かに発展している例は今のところ見当たらないし、そこはがんばって欲しい。しんかい35と正面衝突してくれないかな。
さて、はるしにゃん君の権威付けは、複数の哲学者や社会学者が共通して言っていることを抜き出して言い換えることによって成り立っている。
はるしにゃん君が「ルーマンはラカン以下」なんて言っちゃった時は、ルーマン研究者の酒井泰斗がげっそりしていたよ。
https://twitter.com/contractio/status/197244430338633729
前者は「似てるよね分析」と呼んでいますが、後者はなんと呼びましょうかね。
RT @sskyt: 「Aは……Bと……似ている!」とか「Aは……Bを……読んでいた!」みたいな研究て全然興味持てないんだけど。
https://twitter.com/contractio/status/197247900085002240
組み合わせると、「昔の人Bが言っていたXは 最近Aが言っているYに似ているのでB偉かった」のようなかなり高度な主張が可能となる。
https://twitter.com/hallucinyan/status/547789378999681024
ルーマンの言ってることって大概ラカンが述べてるしラカンを超えてる部分があまり見当たらないというのが個人的な見解で、じゃあ「ポストモダニストより社会学者から引用したほうが叩かれにくい」という政治的効率性以外の点でルーマンの卓越性ってどこにあるんだろうって思っている
https://twitter.com/hallucinyan/status/547790901955670016
そしておそらくオートポイエーシスもコンティンジェンシーもシニフィアン連鎖や対象aの問題であり、そして後期ラカン的なサントームや、男女間のセクシュアリティの差異、大文字の他者の享楽についてルーマンが叙述できているかといえばできていないと思う
https://twitter.com/hallucinyan/status/559584058137538560
単にルーマンがつまんないって言っても面白くないから「じゃあラカン先生のどこを超えてるんですか? どこも超えてないでしょ?」って煽ってるのわからないのかわかったうえでなにも言えないのか
https://twitter.com/contractio/status/559588003417296896
煽ると何が面白いんですか。
https://twitter.com/contractio/status/559588541454233600
「どっちが強いですか」で語る現代思想。
https://twitter.com/contractio/status/559590072593309698
「つまんない」場合の対処は、面白い読み方に変えるか 読むのを止めるかのどっちかではないですかね。
はるしにゃん君は「越えてる」「越えてない」で思想家を語るのが好きなんだ。すぐにブロックするところは、師匠の東浩紀譲り。
そんなこんなで、批評をがんばっているはるしにゃん君は、同時にホストとしてもがんばっているみたい、と思ったら、最近言及してないし辞めたのかな。
その代わりに、イベンターやら何やらでがんばっているみたい。高円寺のカフェバーでいろいろやるみたいだよ。
ところが、はるしにゃんの努力を邪魔する連中が現れてしまった。
成上友織, はるしにゃん君の暴言・差別発言について
これは、はるしにゃん君と交友があったセイジョウ君からの批判だ。
はるしにゃん君の言葉を用いると、彼の言動を理解できない者は「ザコ」であり、彼に疑問を呈する者は「アスペ」であり、彼に反発する者は「ボダ」になる。
そして、はるしにゃん君はその広範な知識と、お得意の言い換えによって批判を封殺しようとしたよ。
メンヘラとレイシズムについての所感と応答 - A Mental Hell’s Angel
http://hallucinyan.hatenablog.com/entry/2015/02/07/134950
まず第一に私は大学で精神病理学を学んでいた。もちろんクラインもラカンもドゥルーズも読んだうえに、さらにアメリカのDSM的な診断マニュアルについても目を通している。そして最新の精神療法についてもサーヴェイしている。
大学で精神病理学を学んでいたからといって、学位を持ってるわけでもないのだから、別にはるしにゃん君の言動は正当化されないんだけど、はるしにゃん君は批判者に病識があるという一点のみで批判を潰そうとした。批判の内容についてはほぼ耳を貸そうとせず、俺はメンヘラと正しく交流しているから、って理由で自己正当化を図っている。
そして私は単に批判しているのみならず、いわゆる弁証法的行動療法であるとかメンタライゼーションといった理論と療法については高額な医学書を大量に購入してサーヴェイしているし、また、それを人口に膾炙させるために活動しているつもりである。
でも、実際。
メンヘラ神は死んじゃったよね。
はるしにゃん君に全く落ち度がなかったってわけじゃないだろう。
っていうか何でメンヘラと交流するんだろうか。やっぱりヤレるからなのかな。
精神医学の知識をばら撒き、メンヘラとセックスするメリットを享受しておきながら、メンヘラを批判し、メンヘラを善導しているから俺はオッケーってどういうスタンスだよ。メンヘラとセックスできることがメリットなのかどうかはさておき。
さらにさらに、はるしにゃん君の行く手を阻むものは次々と現れる。
はるしにゃん君は2月11日に、マネージャーを務めるカフェバーで「インテリイケメンツイッタラーによる一日限定ホストクラブ」というイベントを開催しようとしていた。
明らかにメンヘラを集めて搾取しようというイベントだけど、さっきの「メンヘラとレイシズムについての所感と応答」によるとはるしにゃん君は「私としては一方で啓蒙的にコンスタティヴな文章を書き、他方でパフォーマティヴには「ボダはあまり私に関わらないで」といったパフォーマンスをせざるをえない。」らしい。ホストイベントにボダ来るだろうし、キャストもボダっぽいじゃねーか。
で、はるしにゃん君はイベントのキャストの知人友人にセクハラを働いていたみたいで、団結したキャスト達にそれを暴露されてしまったようだ。
ところが、このキャスト達ははるしにゃん君からドラッグを貰っていたようで、はるしにゃん君にそこを突かれると逆らえないようだ。
便乗して、同人関係ではるしにゃん君と揉め事があったホリィ・センがはるしにゃん君を批判しようとしたけれど、私怨だし、アスペだしで不発に終わってしまった。
きっとはるしにゃん君のセクハラは事実だろうし、暴言を取り消すつもりはないようだし、そして自ら公言しているように彼はドラッグをやっている。
だから、彼を批判したければ、その3点を攻撃すればいいというのに、批判者はザコばかり。
だからはるしにゃん君は怒っている。
はるしにゃん君の論法は、ジャーゴンに次ぐジャーゴン、パラフレーズに次ぐパラフレーズ、そして脈絡なくホストクラブやドラッグの話を持ち出し、相手の理解が追いつかないところが一点でもあれば封殺するというものだ。
宮台真司譲りのこの論法をどうにかできる人が現れるまで、ヲチを楽しみたい。
http://twitter.com/hallucinyan/status/562904272363614208
【無限への飛翔 集合論の誕生 (大人のための数学 3)/志賀 浩二】を読んだ本に追加 →bookmeter.com/b/4314010428 #bookmeter
http://twitter.com/Back0126/status/562961572063375360
@hallucinyan こうやって、数学にいい加減な哲学かぶれが生まれると思うと感慨深い 数学に関しては、じっくり真摯に読むことをお勧めします
http://twitter.com/Back0126/status/562975033807884289
@hallucinyan おお、ブロックされた その程度か
http://twitter.com/Back0126/status/562978566921793538
@hallucinyan 高校数学を勉強したからと言って、集合論を含む専門的な数学を斜め読み程度で理解できるといういい加減な考えをバカにされてるわけです
http://twitter.com/hallucinyan/status/562971657800024064
馬鹿はすぐにソーカルがどうとか言い出すが、そもそもお前どの程度ソーカル読めてて理数的に優秀でそのうえで人文社会科学への理解あるんだという話。
http://twitter.com/Back0126/status/562978789643550720
@hallucinyan ソーカルの言明程度なら、大学数学をきちんと理解していれば誰でも理解できますよ わからないんですか?
http://twitter.com/hallucinyan/status/562972324442681344
日本におけるサイエンスウォーズでは浅田彰と山形浩生の位相幾何学問題があったわけですが、それも浅田は間違っていなかったという形で終焉を迎えましたし、彼もそもそも経済学部でゲーム理論やっていたわけです
http://twitter.com/Back0126/status/562979281123684353
@hallucinyan しかし、浅田氏が理解していたわけではない、概ね菊池先生のフォローによるものだ、という考えが一般的なようですね
http://twitter.com/hallucinyan/status/562972928057561089
hallucinyan:そして日本において最も早くソーカル事件を紹介したのもポストモダン系の人間でありそして一定以上はきちんと真摯にそれを受け止めたように思われる。
http://twitter.com/Back0126/status/562979357300641793
@hallucinyan え?
http://twitter.com/hallucinyan/status/562974083143704578
そして「××は間違っている!」とばかり声高に言いたがる奴は大概自分から生産的なことを言えないので、きちんと内容のあること言ってその次に批判すると良いんじゃないかと思います。当事者含めた全員のために。
http://twitter.com/Back0126/status/562980233218109441
@hallucinyan 間違っていることを間違っていると指摘することは、当人が生産的かどうかと無関係に指摘していいんじゃないですか?少なくとも、真偽の判定が比較的易しい数学においては
http://twitter.com/Back0126/status/562980757292191744
@hallucinyan というわけで、とりあえずこの辺りでやめておきましょう 貴方が数学に関していい加減なことを言わない限り、今後リプライしません
http://twitter.com/Back0126/status/562981991889784832
はるしにゃん(@hallucinyan)という人物が、数学をいい加減な理解に基づきいい加減に発言しているということが、概ねはっきりしたようだ
ディベート部と同じで、高校数学をやっていたからって乱暴に数学を語っていいということじゃないけど、はるしにゃん君の勢いは止まらない。
http://anond.hatelabo.jp/20150128232843
ぼくはフェミニズムを手がかりとしてセクシュアリティやジェンダーといった問題を考えるようになるのですが(中略)、その理念の中で、我々は社会的に押しつけられた性規範に呪縛されているから、性愛も夫婦や恋人関係も抑圧されているのだ、もっとそこから解かれることによって自由で豊かな生と性を獲得することができる、とされていました。
で、自分も「男らしさ」にこだわらずに「自分らしく」あらねば、そうすることが正しいことなのだ、と日常の場で実践してみたわけです。(中略)態度物腰もやわらかく、というか、ベッタラな感じで、身につけるものもフリルの着いたものやら紫色のひらひらしたものだったり……(中略)まあ、わかりやすくオカマっぽくなった。それが自由で、自分らしいことだと誇らしかったのです。
そのように「自分らしさ」を表現してあまりある自分がなぜかモテない。政治的に正しいはずなのに恋人ができない。どうしてなのだろう。理論的には間違っていないはずなのに……それで周囲のゲイたちを見回してみますと、(中略)一般に求められている男という意匠を体現している人がモテている。そこで自分でも、なるべく自己主張しないようにして、それなりに流行っている服を身につけて、言葉遣いも男らしく、態度物腰も野郎っぽく演出してみると、なんと、食いつきがそれまでとはまったく違ったのです!
性愛というのは、人格以前に、その人が表象している性別のイメージ、つまりジェンダーをめぐる「欲望」なのだ、ということです。(中略)発情が一義的に、相手の人格的な成熟度とか、コミュニケーション・スキルによって引き起こされるのなら、性愛の対象に性別は関係ないし、例えば、もっとご年配の方がモテモテになってもいいわけです(精神的に成熟しているのだから!)。
人は合理と効率を追及していきますから、記号ゲームに参加していくと、見られる存在としての自分を設定していくことで、ゲームの中でより多くの利益を得られることがわかっていきます。(中略)アメリカでは「クローンゲイ」という言葉がありましたが、それはスポーツジムに通って筋肉を付け、髪型を短く整え……といった形でみんなが同じような見た目になっているありようです。少し前、日本のゲイ・コミュニティでも「イカホモ」という言葉が流通しました。それはいかにもホモっぽいというルックスの人のことで、肯定的な意味合いで用いられています。(中略)「イカホモ」が表しているのは、見た目がある類型になっているのは前提ですが──短髪でひげがあってそこそこ筋肉があってムッチリしていてラガーシャツなんかを着ている──自意識の上でも、ゲイであることを受け入れ、それを楽しんでいて、性愛における「男らしさ」がフィクションであることを感覚的に理解しているありようです。
性愛とアイデンティティが結合していると、ありのままの自分を受け入れて欲しいと望むようになり、それが結果として「他者から発情されにくい自分」になることを招いてしまう。充実した性愛を獲得するためには、発情されやすい自分になることが必要であり、さらにそのためには性愛のためにジェンダーを演じることを楽しむ感性が必要である……という風に読んだ。「イカホモ」を楽しむように、「イカニモ男」「イカニモ女」のステレオタイプを演じるのである。それが性愛における合理と効率の追及であり、「モテ」と「自分らしさの表現」は対立することを受け入れなければならない。「モテない!」と言って怒るのは、「モテ」と「自分らしさの表現」の両方を得ようとしているためであり、片方を捨てるだけでも進むべき方向が見定められて、迷走状態でいるよりも精神的な安定が得られるだろう。
追記:
cyberglass ジェンダーを戦略として利用するとモテる。女性は無意識にそれを会得している。そうやってジェンダー秩序が再生産される。
異性愛者の男性には「それを会得している女性」しか女性として認識出来ないということなのでは。
「それを会得していない男性」「それを会得していない女性」は存在するのに、発情の対象にならないから、
攻撃的な振る舞いをしない限り存在を無視されてしまう。その結果としてのミソジニーやミサンドリー。
quick_past そういう側面はあります。ただそこで評価されることを望んでる人ばかりじゃないと言うのが問題。評価したい部分が違う人同士が評価しあってしまうのも問題。
職場で職能よりも性的魅力が優先して評価されるようではまずいだろう。
フェミニストも、男性会社員が女性会社員を職能ではなく性的魅力で判断することに噛みついている。
職場は乱交パーティーではないが、どんな場面でも異性(同性愛者なら同性)を性的魅力の多寡でしか判断できない常時乱交パーティー状態の人種というのは居て、
精子脳と言われたり、スイーツと言われたり、要はTPOより自分の性的満足を優先する馬鹿とみなされる。
feita 割と世に出てる天才はありのままの姿でレリゴーしても承認されてるように見えるから錯覚しがちだけど、そんな奴ホントレアケースで自分と比較しても仕様がないからね。承認されたきゃある程度自分削らんとな…。
性愛とアイデンティティが結合しているから「自分を削る」と感じるのでは。
性愛用ペルソナ、仕事用ペルソナを演じ分けるようになると、そこで自分が削られることは無くなる。
天才ではなく、演じることも面倒なら、承認への執着を捨てるという道もある。
ysync 「ジェンダーを演じることを楽しむ感性が必要である」男性性に対する嫌悪感(自身の中にあるものも含めて)が強すぎて楽しめそうにない…。
誰も楽しめと強要はしていない。楽しめそうにないなら捨てればいい。
私は二十八歳の同性愛者です。というか、同性愛ではあるのですが、大人になる前の少年が好きなのです。けれど、実際には少年との性行為を行ったことはありません。それがいけないことだというのはわかっていますから、自分で必死にその欲望を抑えています。しかし、もうそれも限界に達しているのです。なんとかできないものかと、成人したゲイの男性と関係を持とうとしたこともあるのですが、そうした相手ではまったく興奮することができず、結局、行為は成り立ちませんでした。最近では、ふと気がつくと、街で好みの少年のあとをつけていたり、もう少しで声をかけそうになっている自分にハッとします。それと同時にぞっとします。いったい私はどうしたらよいのでしょうか。なんとかならないものでしょうか。本当にもう子供に手を出してしまう寸前なのです……。
『欲望問題』の著者である伏見憲明氏は、上記のような相談のメールを受け取ったそうだ。
伏見憲明氏は、ゲイの解放運動に携わってきたゲイであり、差別やジェンダーの問題に造詣が深い。
今のぼくは三十歳前後くらいが性的な好みになりますが(中略)少年愛は自分と地続きです。たかが発情する対象の年齢幅が十五~二十歳くらいズレているにすぎません。そのことは、ゲイだけにかぎらず、ストレートの人も同じだと思います。
異性愛の人々なら、少数派は何か問題があって「正常」ではない性の傾向にねじ曲がってしまったのだ、だからそれを「治療」で本来あるべきの状態、つまり「正常」な性に戻せるはずだ、と考えるかもしれません。しかし、ぼくは、自分と性的対象の年齢が少し異なっているだけの少年愛者が、セラピー程度のことで、セクシュアリティを変更できるとは考えにくい。
異性愛の欲望だって同性愛にならなかったという意味で、ぼくに言わせれば偶然の結果です。フケ専だって、デブ専だって、ロリコンだって、萌え系だって、巨乳好きだって……みんなそういうものなのではないでしょうか。それぞれ本人の実感の中では、選択的なものではなく、自然にそうなっていた、としかいいようがない。(中略)それがちょっとやそっとのことで恣意的に変更できないことは、同性愛の例を考えても明らかでしょう。そんなものが簡単に変わるのなら、誰もマイノリティとして社会的な不利益を被ったりしません。
これには強く同意せずには居られなかった。欲望に理由付けをしている人々も居るが、後付けにしか思えない。
「思春期に同級生女子に拒絶されたので、成人後も思春期の年代の女子に執着し続けている」
「思春期に同級生女子に拒絶されたので、母性を感じる年上女性に惹かれるようになった」
どちらも理由として通じる。理由付けなど、本人が欲望を正当化したり納得したりするための自己満足的行為でしかなく、
実際はただ「思春期女子が好き」「年上女性が好き」という好みがあるだけなのだ。
どのような好み・欲望を持って生まれ育つかは、ほとんど偶然の産物である。
それが万人に理解されやすい欲望ならば仲間と馴れ合うネタになるし、無理解・嫌悪されやすい欲望ならば迫害される。
欲望が自分にとってプラスに働くかマイナスに働くかは、運でしかない。
相手に暴力を加えたり、死に至らしめたり、年少者の心に傷を残すような行為は認めない、というのはこの社会の原則でしょう。そうしなければ社会を担う次世代を育めないし、子供たちの可能性をつぶしてしまうことになる。(中略)それゆえその禁止は徹底せざるをえないでしょう。
二人の同性愛者が愛し合っている関係はWin-Winであり、社会を脅かす存在でもない。
海外ではゲイカップルが養子を育てている例が見られるが、養育リソースとして活用できるなら社会にとってプラスの存在であるとも言える。
「聖書が同性愛を否定している」「なんだか気持ち悪い」などの拒否反応を示す人もいるかもしれないが、
性同一性障害、女装癖、二次元オタク、BL好きなどの様々な少数派も、気持ち悪がる人は居るが、その欲望による社会への実害は発生しない。
しかし「暴力を加えたいという欲望」「死に至らしめたいという欲望」「年少者の心に傷を残すような行為をしたいという欲望」は、
実害を発生させる欲望であり、社会を脅かす欲望であり、社会に受け入れられることが期待できない欲望である。
「なんだか気持ち悪い」は、解放運動によって薄まっていく希望があるが、「実害を回避したいという強い恐怖感」はどうにもならない。
あなたは他人の性欲を充たすために死に至らしめられたいか?あなたの子供が幼児性愛者に性的暴行されることを受け入れられるか?
対人関係の欲望の問題は、多数派か少数派かということが焦点ではない。
Win-Winになりうるのか、Win-Loseでしか成り立たないのか、そこが一番の問題なのだ。
伏見憲明氏は少年愛者の相談に対し、同人誌などフィクションで欲望をみたすことを提案しているが、それでも完全ではないともしている。
追記:
ChieOsanai 実害がない近親結婚の解禁を唱えても怒るひとが必ず出てくる。四六時中、近親相姦に怯えるようになるって言ってるひとがいたけど、現状日本では(強姦ではない)近親相姦は法的には禁じられてないからね。
婚姻による所領の流失にも敏感であった。そのため、叔父と姪やいとこ同士(二重いとこの場合もあった)という血族結婚を数多く重ね、一族外に所領が継承される事態を防ごうとした。その結果、17世紀頃には誕生した子供の多くが障害を持っていたり、幼くして死亡するという事態が起こった[2]。カール5世以降、下顎前突症(口を閉じているときの顎の形のことではなく、歯を見せたときに上の歯より下の歯が前にある)の人物が一族に多くなっており、カール5世は不正咬合により食事は丸呑み状態であったことが伝えられている。特にスペイン・ハプスブルク家ではカルロス2世のような虚弱体質・知的障害を併せ持った王位継承者を誕生させ、スペイン王位をブルボン家に渡すこととなった。そのブルボン家も血族結婚を古くから重ねており、ブルボン家とハプスブルク家の間で頻繁に婚姻が行われるようになると、双方で夭折したり、成人に達しても身体に障害を持った人物が続出した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%97%E3%82%B9%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%AF%E5%AE%B6
nomitori これの究極が殺人衝動もってる人なんやろなぁ…自殺志願者を絞殺して死刑になった人いたけど、あれはあの人なりに社会と折り合おうとしたんやろうな…もちろん社会はそれを受け入れられないわけだが…
このブコメが最も投稿の意図を汲み取ってくれたと感じた。ありがとう。
saigami こういう話題が出る度に「自分は同性愛者だけど小児性愛者も差別されるべきではないし権利保護されるべきだと思ってるよ」とアピールした方がいいのだろうか
小児性愛者の権利保護とは何なのだろうか。アメリカではゲイを寄ってたかって暴行する事件が起きているが、小児性愛者もそういった暴力に晒されているということだろうか?
部落差別のように就職時の差別などを受けているのだろうか?いったい、どんな実害を被っているのだろう?
成人を対象とした異性愛者は、結婚という制度による保護を受け、社会のお墨付きを得ながら性欲も満たしていてずるいということだろうか。
小児性愛者の権利保護は「成人男女が、実在の児童を性欲解消のために使う権利」を保護することだろうか。
しかし成人を対象とした異性愛者であっても、貧乏ブサイクバカが金持ち美形優秀な異性を求めても、ディール不成立となる。
結婚しないのではなく、できない「成人を対象とした異性愛者」などいくらでもいる。
貧乏ブサイクバカ男と金持ち美形優秀女でも、貧乏ブサイクバカ女と金持ち美形優秀男でも、同じである。
性的指向も、本人の性別も、関係ない。Win-Loseならば性的関係のディールは不成立となる。
成人同士なら「自分が一方的に不利な関係を強いられていないか?」という判断を「お互いに」することが可能だが、成人と子供の場合はそうではない。
親と子の関係も、子の判断力や選択肢が限られている以上、不平等なものである。だから保護者による子供への虐待はひときわ憎まれる。
要は知力や体力で圧倒的に勝る存在が、劣る存在に対して一方的に欲求を押しつけるのは暴力なのである。
「オレのSはサービスのSだから」などとのたまうなんちゃってサディストではなく、見ず知らずの人に対する理不尽な暴行や殺害を熱望する純度の高いサディストや小児性愛者は、
欲求の根本に暴力、Win-Loseを含んでいる。これが問題なのだ。
「サディストや小児性愛者の権利保護がなされている状態」について教えてほしいものだ。
補足しようと思っていたことがブコメで補足された。ありがたい。
例えば視力ってのはかなり遺伝に影響される要素ではあるんだけれど、「近眼」程度の遺伝はそんなもん産むか産まないかの判断に含まれない程度の些細な要素となっているよね。
何故なら、世の中にはメガネというとても美しい装飾具があるおかげだね。
それと同じことで、産まれたタイミングではどうかわからないが、時間が経てば「障害? 笑わせんな」程度になってしまうようなハンディキャップってのはあるんじゃないかねえ。
http://anond.hatelabo.jp/20150129121148
生身の脚を上回る機能の義足が登場したりと、ツールの進歩がハンディキャップをハンディキャップじゃなくしていくことには希望を持っている。
たとえばVR技術が発達して、サディストや小児性愛者の欲求をかなえるVRが誰でも享受できるようになれば、彼らの欲求不満は解消されるのかもしれない。
とにかく、一方的な欲求を受け止めるのが、知識や判断力がまだ備わっていない現実の子供であっては、絶対にいけないのである。
TakamoriTarou フィクションは、確かに完全では無いにしても、擬似的に体験して衝動をコントロールする機能を担っているわけだが、最近はそれすらも許さぬと言う雰囲気が出てきており非常に厄介だと思う。
疑似体験を禁止するのは愚行であると思う。フィクションがガス抜きしてくれるから現実の治安が保たれるのだ。
あらゆるWin-Loseを疑似体験が引き受けてくれれば、欲求をぶつけられて傷つく人も、欲求がかなえられずに怒る人も、鎮まっていくだろう。
(そしてフィクションの人間と現実の人間を比べて、現実の人間を誹謗中傷するのは、最も醜く愚かな行為である)
bloominfeeling 欲望問題はいい本だったなぁ。著者のセクシャルマイノリティに関する本は数冊読んだ。
本当にいい本だった。私はどうにも人を煽るような、喧嘩を売るような書き方をしてしまいがちだが、『欲望問題』は理解を深めて広げるような書き方に仔細に配慮しており、
ここには書ききれなかったコミュニティに関する話もとても内容が濃かった。私の投稿にイラついた人にも『欲望問題』はぜひ読んでほしいと思う。
http://b.hatena.ne.jp/entry/mainichi.jp/select/news/20140812k0000m030129000c.html
のブコメを見ていてあまりの同姓愛差別の多さに吐き気がするのでかっとなって書く。
「場所をわきまえてほしい」の意味が同性愛のことなのか、キス自体のことなのか。ブラジルが公共の場でキスする文化なら同性愛差別になる。日本なら、すき家で子供の前でイチャイチャして店員挑発すんなよ案件
お国柄的にパブリックな場での男女のキスがokならば、同性カップルであることは理由になってはいかんだろうな。ただ、セクシュアリティがなんであれ、メシ喰う場所で食欲以外の欲を解放すなよとは思う。
“店員から「ここは家族向けの店だ。場所をわきまえてほしい」と注意された。隣の席にいた家族連れが「嫌な気などまったくしなかったが」と応じたため、2人は再びキス。” 同性愛関係ないだろ
同性愛者団体は「異性愛であっても人前でやるのは良くない」くらいの声明だしとかないと、無法者集団みたいなイメージ持たれたりしないか
殴るのは問題だが、これが男女であっても食事するところでキスされるのは不快だな。皆が食事をしているところで、口の粘膜と唾液をぐちょぐちょと接触させるな。
なぜかディープキスを想定してる人が多い模様∥挑発するみたいな態度は良くないけど、店員側に同性愛嫌悪がなかったとは言えないと思うなあ
キスすることの是非がどうあれ、殴った時点で殴ったほうが悪くて殴られた方は悪くない、ということになっているのでな。
傷害は論外として、これがヘテロのバカップルだったら加害者は注意していたのか否か気になる。ブラジルでは牛丼屋でキスするような光景がごく一般的なのかどうかも
ファミリー向けのお店で「キスしてた」から憤慨したのか、それとも「同性愛カップルがキスしていた」から憤慨したのか、どっちなんだろう。殴ったのくだりは議論のノイズになるので省略。
少なくともこの記事を読んだ限りではゲイ差別を疑わせる要素は微塵もない。日本だって注意するでしょ。同性同士だろうが異性同士だろうが、店の中でそんなことやられちゃさ……問題は暴力を振るったって点だけ。
殴った方が絶対的に悪いしおそらく同性愛への差別心もあるとは思うが、注意の根拠に使った他の客に賛同されなかった上にこれみよがしにもう一回やられたのが主因だろ。DQNはメンツが潰されると切れる。
家族連れ自体気にしないと言ってるし、それ以前に暴力自体論外。店員に酌量の余地無し。ただ軽いキスならいいけど、公な場での性的行為みたいな露骨で激しいキスとかは同性愛異性愛問わず慎むべきと思う。下品だ。
どんなキスだったかわからないので、「家族向けの店なので控えろ」という注意に値するかどうかはわからないが、殴るってゆーのは確実に家族向けの店にそぐわない対応。
ゲイ擁護が多いけどもしかしたら本当に店員の良識だったかもしれないじゃん。異性愛者のキスでも止めてたかもしれない。もちろん殴るのはいけないが擁護されてる法律を盾にこれ見よがしに繰り返す事はないじゃないか
TPOをわきまえていない同姓愛者男女のカップルが牛丼屋でキスしたぐらいで殴られると思うか?
同姓愛者であるだけで殴られる対象になってしまう恐怖を想像してもらいたい。
同姓愛関係なく単なる暴行とか、リア充非リア充であるという話に持って行って同姓愛者への差別を語らないみなさん、差別意識高いですね!
これは本文にも書いてありますがブラジル文化的に全く問題ないはずです。
キスにかみついている人たちは「ここは家族向けの店だ。場所をわきまえてほしい」と言っている店員と同類とみられてしまうことは考えなかったのか?
店員と同じに見られても、強い多数派なので気楽なんでしょうね。
ブラジルでは牛丼屋でキスするのが普通なのか。嫌だな。/頑固なラーメン屋で「うちは私語、ケータイ、キスは禁止なんだ。悪いね。」みたいな感じか。
なんですき家の前でやったの。ファミリー向けのところで"キスをする"という行為に対して怒ったなら理解出来なくもないけど、これは同性愛者だから問題なのか…?難しい。
キスなんてしたくなったらどこでもするだろう。
日本で、道ばたで男女がキスしてるのを見たことある人は多いと思いますが、同姓がキスしてるのを見たことある人はかなり少ないですよね?
法律で性的指向を差別する行為に刑事罰が科せられているブラジルでさえ殴られる。
日本ではそもそも同姓カップルが公の場でキスするほど認められておらず、普通にキスすることさえできないひどい現状ではないでしょうか。
今この時期に、「すき家」(のブラジルの店舗)で起きたからこそ記事になった案件。現地資本のチェーン店で起きたのなら絶対記事にはならないだろう。
これは回文になる!と考えはじめたら先を越された件/「非モテに配慮しやがれ!」と店員が本音をいえたらまた結論は違ったろうに(カッテニキメツケルンジャナイヨ/まブラジルでキス禁止といって聞く人がいるとは
店員が「ホモは嫌いだ」と本音をいってたらまた結論は違っていたでしょうね
このニュースさー、1海外では公共の場でキスしたくらいで批判されない、2この店員はキスにではなく同性愛に嫌悪感を感じている、3だから問題になってる、この三点を説明しないと日本人にはよくわからんだろ?
1も2も3もわかっていて「どうなんだろ?」と書いてしまうぐらい差別意識が根についている日本人がおおいんじゃないですかね...
「単に自分がゲイを嫌っているだけなのに、そうは言わず「家族連れの客に迷惑だろ」と言い換えている」 …私はそうは読み取れませんでしたが、なぜそう考えたのでしょう?
って書いている人もいるし
性的嗜好では。
辞書ぐらいひいてください。
手を出した方が負けの世の中なんです 。
手を出す差別主義は最低の人間ですが手を出さなくても差別主義者は最低の人間です。
「カップルが飯屋でキスしだしたので店員が『ご家族もいるんで』と注意したら居合わせた家族連れが別にいいとか言うわカップルまたキスするわで店員涙目でカップルを殴打」って話に同性愛とすき家をまぶしたニュース
同性愛者に関してはきらい家のようです
ヘイトクライムをちゃかすのも最低です。
きもちわるい
なんだ男か
もし女だったらどうだというのか、同姓愛差別というより女性軽視でサイテーです。
何もいうことはないですが絶対にリアルで関わりたくない。
暴力はいかんが営業妨害を公然として問題がないと思う方もどうかと思う / ブラジル:すき家に同性愛者抗議…キスした客、店員が殴る
同意見です。ブコメでとぼけてる人たちもゲイは嫌いだと公に言えばいいんじゃないのか?
茶化してる人たちも「同姓愛関係ない」と話をすり替えようとしてい人たちにも今後一切関わりたくないです。
はーすっきりした。
〉・マスターベーションの回数を減らすと、体内に保持される精液の量が増える
〉・体内に保持される精液の量が増えると、性欲が維持・強化される
「精液のストック量を適正に保つことが身体的健康を左右する」という性欲観・精液観自体は、
貝原益軒の養生訓(接して漏らさず)に代表されるように昔っからあったけど、こういうふうに
性欲の強度を精液の貯蔵量に直接結びつけた性欲理解が浸透するのは、わりと近代的な現象だよね!
この「オナ禁」を含めて、現代日本の男性性欲表象には貨幣経済のメタファーが強く入ってきてると思うよ。
実際にはさまざまな多様性を持ちうるであろう男性の性欲が、「射精」という行為に切り詰められる。
んで、性欲の強度が、精液の量という一次的指標に数値化される。
マスターベーションをしない非-性的時間に〈蓄積〉され、性的時間に〈消費〉されたトータルの精液量で、
その性行為のなかで得られた快楽の量が客観的に「計測」できる。
…というようなことを、昔AV紹介雑誌で「ヌキどころ」を紹介する記事を読んでて思ったんだよね。
こういうふうに、貯蓄→消費過程で〈交換〉する精液貨幣の量によって
性欲と快楽を定量化する男性性欲観は、近代の性欲論が医学的・教育的観点から
オナニー禁止(cf.赤川学『セクシュアリティの歴史社会学』)を主張してきた語彙の中に、
すでに埋め込まれてたんじゃないかと思ってるんだけどね。
仕事しよ。
僕らの社会においてセックスは、金銭とはまったく別の、もうひとつの差異化システムなのだ。
そもそも金銭のシステムとセックスのシステム、それぞれの効果はきわめて厳密に相対応する。
経済自由主義にブレーキがかからないのと同様に、そしていくつかの類似した原因により、セックスの自由化は「絶対的貧困化」という現象を生む。
何割かの人間は毎日セックスする。何割かの人間は人生で五、六度セックスする。そして一度もセックスしない人間がいる。
何割かの人間は何十人もの女性とセックスする。何割かの人間は誰ともセックスしない。
解雇が禁止された経済システムにおいてなら、みんながまあなんとか自分の居場所を見つけられる。
不貞が禁止されたセックスシステムにおいてなら、みんながまあなんとかベッドでのパートナーを見つけられる。
完全に自由な経済システムになると、何割かの人間は大きな富を蓄積し、何割かの人間は失業と貧困から抜け出せない。
完全に自由なセックスシステムになると、何割かの人間は変化に富んだ刺激的な性生活を送り、何割かの人間はマスターベーションと孤独だけの毎日を送る。
同様に、セックスの自由化とは、すなわち闘争領域の拡大である。
「そうだとも。ずっと前から駄目なんだ。最初から駄目なんだよ。ラファエル、
自分はこういった物事に縁がないことを受け入れることだ。
いずれにせよ、手遅れなんだ。
いいかい、ラファエル、セックス面における敗北を君は若い頃から味わってきた。
十三歳から君につきまとってきた欲求不満は、この先も消えない傷跡になるだろう。
たとえ君がこの先、何人かの女性と関係を持てたとしても――はっきりいってそんなことはないと思うけど――それで満たされることはないだろう。
もはや、なにがあっても満たされることはない。
君はいつまでも青春時代の恋愛を知らない、いってみれば孤児だ。
君の傷は今でさえ痛い。痛みはどんどんひどくなる。
容赦のない、耐え難い苦しみがついには君の心を一杯にする。
君には救済も、解放もない。そういうことさ。」
-ミシェル・ウエルベック『闘争領域の拡大』(中村佳子訳、角川書店、P111-112,133)より
nenesan0102
男性には風俗があるけれども、もてない、とことんもてない男に縁がない女性には風俗すらないので、女の人のほうが切ないんじゃないかなと私は思っています。。。 2014/01/17
でしょうね。「もてない男」は可視化されてるけど「もてない女」はサバルタン。
dagama
hal9009
トラバにもありますが、性の再分配とか性の公共事業なんて明らかに人権侵害ですからね。
経済の自由化は倫理的に批判されますが、性の自由化は絶対善、だからこそラファエルは救われないのです。
wdnsdy
金は生きるために誰でも絶対にある程度は必要だけど、セックスの場合必要ない人はゼロでも全然普通に生きてられる(心の貧困も産まない)んだが、その点はどうなんよ? 2014/01/17
もちろんノンセクの人たちは異性愛が満たされないことで心が貧困になったりしないでしょう。
ここでは「強制的異性愛のワナに絡め取られた(上野千鶴子『発情装置』より)」あわれな人たちの話をしています。
plusqplusq
「強制的異性愛のワナ」から脱出すればいいじゃん。それができないなら自由恋愛市場にて満たされるよう動くしかない。 2014/01/17
上野千鶴子ほど聡明で自らのセクシュアリティに自覚的な人でさえ「ワナに絡め取られている」と認めるのですから、
http://anond.hatelabo.jp/20130629055621
ノンケの本音と隠れゲイのスパイ行為、どっちが卑怯なのか
男同士の空気になれば本音、内心をこぼすくらい、当たり前のことだし、目の前にいるのがゲイだとわかれば話の内容もそりゃ変える。
目の前にいるのがまともで健全な男だろうと思うから女のエロ話や女々しい男がキライという話をこぼすだけ。
なのに「普段はゲイだと言わないからノンケの本音を知ってる」とか言われても、こっちからすりゃそんなのただのスパイ行為だ。
「内心では差別してる」とか言ってもさ、内心の自由を目の前にいる男も「同じだろう」と気を許して話すんだから。それが普通の男のやり方だよ。言えない女への愚痴や性欲を男同士で語り合うのがさ。
そのルールを破ってゲイだっての隠して、男の本音が聞こえる場所にいるようなゲイの方が、バカだし卑怯なんじゃないのか?俺はそう思うね。
人が気を許して言った本音をコソコソあげつらって「いままで我慢して差別を耳にしてきた」とか言って人を加害者扱いするゲイって、単純にすげえずるい連中と思う。
あなたが、ゲイを気持ちわるいと感じるのは、別にそりゃ悪いとは思わん。個人のセクシュアリティの問題だから。
内心はどうであろうが自由だよ。「本音」自体は卑怯でもないし、どうあったっていい。
ただ、「あなたと違うセクシュアリティを持った人」が居心地が悪くなるかもしれない言葉を発してしまったり、
他人に対する気遣いなく「ゲイとかきめぇwwwww」と言ってしまうことは、あなたの本音がどうかということとは全く違う。
「本音を肯定し、それを他人に対して同調圧力をかける行為」だよ。
繰り返すけど、もちろん、本音で、「ゲイきもい!」って思っててもいい。かまわない。
わたしも、同性愛者じゃないから、同性愛者のセックス映像などは、申し訳ないが、ちょっと観ていられない気分にはなる。
でも、わたしは、同性愛者を生理的に受け入れられないことを「まっとうで、ただしく、あるべきこと」だとは思っていない。
「ごめんね。わたしは、ちょっと無理なんだ。ごめんね」
と謝るしかない。
それと、同性愛者の人がいないところでも、同性愛者の人にとって、
あまりに受け入れがたいと思われるだろう言い方「ゲイとかまじかよwwww」みたいなことは極力発言しない。
それも不愉快な人がいたら、ごめんなさい、としか言いようがないけれども…
※そこらへんは同性愛者の人たちに、できれば、
「ヤマジュンネタつらいのでやめてほしい…って、ガイドラインを発信してほしい」
感覚が違ったり、受け付けられないということはもちろん、ある。
でも、それをどう発信するかどうかは選べるのだし、
それは「本音を何のためらいもなく肯定してしまった」あなたの問題。
あと、まあ、言うまでもないけど、
「俺はゲイなんだ」ってカミングアウトするのがどんだけ辛くて大変なことか。
そのことにもし、想像力が働かないと思うのならば、相当なアホ。
ただ、最後に一点だけ。
「俺だって、お前がゲイだとわかってりゃ、傷つける気なんてなかったさ」
という気持ちは、まあ理解できなくはない。
その気持は理解できるけど、
でも、それはわたしだったら、
「ゲイ、とカミングアウトすることがどれだけ辛く大変なことかということの
想像力が俺は欠如してました。
身近にゲイの人がいるかもしれないという配慮がかけてました。ごめんなさい」
と、反省すべきことであって、
居直るこっちゃない。
彼のことは大好きだけど、それはあくまで友達として。
多分明々後日、告白の返事をすることになるだろう。
答えは決まっている。「ごめんなさい」。「あなたとは付き合えない」。
告白されたとき、混乱して、「とりあえずちょっと考えさせて」なんて言ってしまったが、
今思うとそれも変に気を持たせただけかも、と後悔している。
彼のことは友達として大好きだ。
彼は私に思いを告白してくれた。すごく緊張しただろうと思う。
今も居ても立っても居られない思いでいるかもしれない。
私は彼に誠意を見せるべきか迷っている。
私はビアンだ。恋愛対象は同性だ。男性と言うだけで彼は恋愛対象外。彼と付き合うことはできない。
彼の思いに、ビアンであることを告白する、という形でもって応えるべきか迷っている。
勇気を出し、誠意を持って私に告白してくれた彼に、勇気を出し、誠意を持ってカミングアウトするべきか迷っている。
今までどんなに仲の良かった友人にも、密かに好きだった女の子にも、このことを伝えたことはなかった。
それを伝えるとしたら。正直、どうしても抵抗がある。
だけど、私に告白してくれたとき、彼もまた、こんな思いをしたはずなのだ。
それなら私もそれに応えるべきだ。
それに、私がビアンであるという事実が、彼を失恋のショックから立ち直らせる手助けにもなるかもしれない。
それでも、私はまだ決意できないでいる。
彼はきっと、私がビアンであることをむやみやたらと触れまわったりはしないだろう。
むしろ、心の中に留めておいてくれるだろう。
でも、こういうことは、気を付けて隠していてもいつのまにか伝わって、広まってしまうものだ。それが、セクシュアリティにまつわることならきっとなおさら。
伝えるべきなのは分かっている。
彼が私に告白してくれたように。
それでも、その時のこと、そしてその後のことを想像するだけで、頭が真っ白になる。
私はまだ迷っている。
編注:ちなみにつぶやき人はゲイなのでそれを前提に読み進めてください。
それからしばらくして、ドラクエ5がリメイクされた。思春期を過ぎた頃だ。懐かしくて、ワクワクを思い出したくて買った。ところが、予期せぬことが起こった。どーしてもフローラかビアンカか選べないわけだ。
選べないんじゃない、選びたくないんですね。ドラクエというのは、主人公は自分の分身として扱うゲームなのです。そんな自分が、女性を好きになり、結婚して、子どもを生み育てる。それが苦痛で仕方がなかった。(そして、その筋書きもやる前にわかっているわけで
何でそこまで考えるのかなあ?
ドラクエ3をやる人は16歳になったとき、王様のところへ行って魔王を倒すために旅立つ覚悟ができてる人なの?
ドラクエ4をやる人はある日突然自分の村がモンスターに襲われて幼馴染や村の人達が殺される覚悟ができてる人なの?
違うよね?
現にあなたはそこには突っ込んでないよね?
なのになんでドラクエ5にだけ、現実のセクシュアリティ云々を適用しようとするのか。
こういうダブルスタンダード的な発言をすると、セクシャルマイノリティでない人はどう思うか。
表面上は「なるほど、そういう考え方もあるんですね。勉強になります」と賛同してくれても、
腹の内では(うわあ、めんどくさい人。関わらないでおこう)と嫌悪感が醸成される。
こうしていつまでたっても、セクシャルマイノリティへの偏見が根本的になくならないのだ。
その人とは、そういう想いとは関係なく知り合った。そんなつもりもなかった。
互いの社会的な転落状況を語り合うためだけに、知り合った。
ただ、「言っても大丈夫そうかな」と思ったので、初対面で、自分の同性愛を相手の方にカミングアウトした。対面してカミングアウトするのはめったにない。最後にしたのは10年以上前だった。
彼はノンケであり、同性愛に理解を示してくれるタイプの男性がおおむね取るであろうぐらいには、理解してくれた。(逆にいえば、こちらが考えるような理解のされ方――たとえばセクシュアリティとジェンダーの違いなどに気づいてもらうなど――は、やはり難しいと感じる。)
以後、彼と何度か会うことになって、次第に彼にひかれていくことに気づいた。
しかし、彼は初めて目の前にあらわれた現実の同性愛というものに対していまいち考えが定まらないようで、そのことについて色々聞かれたりして話したりした。自分も説明する言葉がうまくならず、戸惑ったり曖昧になったりした。
そしてついに彼を完全に好きになってしまいそうになる直前、そう告げた。
好きになってしまいそうだ、このままだと確実に好きになる、このままだと避けられない。どうしたらいいのか、好きになってもいいか、とたずねた。
「いい」、とのことだった。それは彼にとっては「好きでいてもらっても、問題はない(俺はノンケってやつだし)」というような意味。
付き合うことはできない。触れ合うこともできない。切ないし、苦しい。
彼はノンケである以上、やはり女にもてたがっている。それについて質問されたりもする。複雑だ。
でも、自分の中で自然発生的に募っていってしまった想いを知っていてくれて、それを時には態度や言葉に出してもいい状態を受け入れてもらってるのは、最高にうれしいし、楽しい。好きだと告げてもいい関係。「同性愛者なのにこんなうれしい体験をしていいのか」という自己否定的な不安さえよぎるほど。
それなら「他人が協力してくれれば諦めなくて済むこと」について、少しだけ気遣いしてもらいたいと思うのは、当然じゃないか?
俺は当然だと思うが。
それが少しだけ、ってのは勝手な判断基準だろ。小さなお店で忙しい時間に、店側がそこまで面倒を見るのは物理的時間的に無理じゃないの?って言ってんの。車椅子を入れるには他のお客をどかせなきゃいけない。他の予約客をキャンセルさせて無理やり入れろってこと?
どっちにしても店にとっては「少しだけ」じゃなかった。だから断ったわけだろ。
だいたいこの件については「他人が協力してくれれば諦めなくて済むこと」じゃなくて「自分がひとこと言っていれば諦めなくて済むこと」だろ。あるいは随伴者を連れて行くとか、いくらでも対応策はあった。それをせずにおいて店側に求め、それが受け入れられなかったら誹謗中傷のツイートをした。「俺を特別扱いしろ」と言い、特別扱いされなかったからといって、極めて発言力の強い人間が公の場で店を罵倒した。今回の件はこれだけだよ。
セクシュアリティとかGIDについてはもう少し知識を整理したほうがいいんじゃない。
無理解が一番の差別だ。
そもそもこの話の場にゲイの話を出してくること自体極めて差別的だと思うがね。マイノリティの例のひとつとして、なんて言うつもりかもしれないけど、「ゲイは「ゲイです」って公言して歩かなきゃいけないのか?」って言い方が既にひどく差別的な発言だということを自覚してないのかな。
その通りだと思うよ。
で、どうして「気遣いや思いやりが足りないのは乙武の方だ! 増長している!」ってなるんだ?
重度身障者の方こそ、普段の生活の中で無数に気遣いし、遠慮し、諦めているはずだ。
俺ら健常者(君が健常者だという前提で書くぞ)の暮らしの中で、「手足がないと無理なこと」はいくつあるだろうか?
乙武や身障者はそれらを全部諦めてるわけだ。
それなら「他人が協力してくれれば諦めなくて済むこと」について、少しだけ気遣いしてもらいたいと思うのは、当然じゃないか?
俺は当然だと思うが。
あと、
セクシュアリティとかGIDについてはもう少し知識を整理したほうがいいんじゃない。
無理解が一番の差別だ。
元の方は、すごく真っ当な意見で殺したいと言うのは行き過ぎなものの、怒りの表明をきちんとしていてえらいなと思いました。僕もゲイだけど怒るのめんどくさいし、カミングアウトとかもしてないし。とりあえずなんとなくブコメにつっこみいれていく。
トレンド1位だからと言って日本全体の話ではないし、不快な人はアンフォローできるし、「恥を知れ」と言っても彼女達にそんなものはない。哀しいのはわかるけどそんな人達と付き合わない方法はいくらでもあるかと
それがLGBTが抑圧されている状況そのまんまであるってことさ。あなたは差別的言説を公共の場でするひとを無視しろと被害者に言っているんだよ。
腐女子の具現化・自虐だからとか関係なくカジュアルに「ホモ」と言う人々に対してまとめ主は不快感を持ったのではないか(想像)。「ホモォ」だから流行ったのであり、「ビーエルゥ」や「ヤオィ」だったら見向きもさ
僕の場合は「ビーエルゥ」や「ヤオィ」だったらいいかな。「BL分が足りない」みたいな表現は全然大丈夫。
コメント欄酷い。そもそもホモっていう言葉が差別的という米に同意。聞くとビクっとする。(日本語での)ビッチィって言われてる感じかな…ネタもつまらんし内輪だろうが怖いものは怖い
僕も聞くとビクっとします。割と気軽に現実世界でホモって言っちゃう人いるけど、正直ちょっと……。
ニコニコのレスリングネタにしろ、同性愛者を好奇の目で見て無邪気にはしゃぐという行為全般が、とても無思慮な行為だという認識がもうすこし広まるといいですね。
AMDのCPUの方はええこと言ってくれるのう。一部を切り出してこれが男性同性愛者だ!みたいなことを言う人達には反吐が出ておりました。
腐女子の言う「ホモ」と同性愛者の言う「ゲイ」は本質的に違う意味をまとっているはずなのに、ただダイレクトに嫌悪感を抱いてしまうのは被害妄想。あと全てのゲイを代表するかのような言説もちょっと待ってほしい。
日本語読めてる?元のtwitterのひとは、どこをどう読み取っても自分がゲイを代表してこれらの言説に対して物申す!みたいなこと言ってないよ☆ ホモは単純に差別用語なんで、使うなとは言わんが多少はセンシティブに取り扱ってほしいものです。今回のやつはそんな配慮、一切無いでしょ?
一部なのかもしらんがゲイって無駄に攻撃的な印象。コンプレックスとか色々あるんかねぇ、大変だねぇ。/差別って言葉が黄門の印籠というか思考停止爆弾になってる
むう、BL自体がNGなのかな?或いは、笑いのネタになのがNGなのかな?後者であれば、ここで笑われてる対象は腐女子でセクマイじゃないんだけど…とも思うけど、BL自体がNGならぐうの音も出ないな。ですよね…みたいな。
元のtwitterのひとにとってBL自体がNGかどうかは知らない。僕はオッケーというかむしろ好きです、BL。ハーレクイン・ロマンスが男女ではなく男同士になってるだけなので。それは特に性差別的であったりすることじゃないと思う。腐女子が「ホモ」という単語で笑われるのが問題で、「ホモ」ってのは腐女子ではなく我々男性同性愛者の蔑称ですので。
さて、今書いたとおり僕はBL好きなんですよ、ゲイだけど。ネットで見ている限りだけども、最近の若いひとの間にはBLが好きなゲイは増えてる感があるかな。ゲイ向けのSNSでBL好きですって書くのも結構普通。ゲイはガチムチになりたがっていて、ガチムチ同士でつるんでいてBLに対して嫌悪感を持っているという典型的に扱われているイメージの人もいるだろうが、正反対なひともいる。ゲイであることを規定するのはそういうところじゃなくて、単純に男が好きだったてことだけだっていうことをいい加減理解されて欲しいなーとずっと思ってる。
@omiyahime 僕が一番腹が立ったのは、僕のこと、セクシュアリティも含めて知っている旧来の友人たちが未だに何の遠慮もなくこういうことつぶやきまくってること、でした。 一度や二度じゃなくて、その度に不愉快だからやめて欲しい、的なことをちらっと言ったものの、分かってもらえず。
まぁこのtweetの通り、現状は理解されてないんだけどね。このひとの旧来の友人たちにとってはホモは未だに差別していい括りで、でもお前は特別みたいな人間なんだと思う。俺の知り合いは名誉異性愛者!ってわけ。クール。
追記