はてなキーワード: サバルタンとは
ふと生まれ育った町の情景を夢で見て、多少思うところがあったので気持ちを書き留めようと思う。
静かな入り江から小さな漁船が海の彼方へ消えゆくような、そんな夢だった。
最近よく見かける「田舎で非知識階層に囲まれて育ったけど、地元に馴染めずなんだかんだで都会に出てきて過去やホームタウンを思い返すたびに多少絶望する」という散文的な自分語りであることを先に断っておく。
ただの個人の経験であり、エスノグラフィのようなものだと思って読んでもらえれば嬉しい。
確かに「東京の人間が想像することも出来ないような社会」が日本のどこかには必ずあって、学ばないことが規範と化して社会が再生産されているということ。
名古屋まで電車で1時間半以上、文化的な施設といえば聞いたことのない演歌歌手がたまに来る小さな市民ホールと、小さな本屋が2軒あった。
2軒の本屋は万引きの被害額が大きすぎて自分が町を出た後に潰れた(跡地はセレモニーホールという名の葬式場になった)。
1時間に一本しか電車のこない駅から伸びるメーンストリートで今でも開いている店は、年金暮らしの年寄りが趣味でやっている畳屋と宝くじ屋しか無かった。
街中でスーツ姿の人は見たことがほとんどなかったし、そもそも人が出歩いている記憶すらない。
高卒で一度も町から出たことのない母親は、漁師を相手にする場末のスナックで働いて自分を育てた。
同じ町で漁師をしていた父親はフィリピンパブで出会ったフィリピーナに入れ込んで、小学2年生くらいの頃に母親と離婚した。
それより前には「キミの父親は不倫をしているんだ」と小学校の同級生の母親から聞かされた。
相手は近所に住んでいた太ったおばさんだったので、あんなデブとなぜだろうとその時は疑問に思ったけどすぐに忘れた。
最後に父親と会ったのは、父親が家を出て半年後くらいに小遣いをやるからと呼び出された紫煙で視界の悪い雀荘だったと記憶している。
その後は行方不明で、風の噂では今はマニラに住んでいるらしい。
こんな家庭環境は、東京の自分が属するコミュニティでは聞かない。
なぜそんなことにわざわざ触れたかというと、自分の家庭は何も特別ではなく、周囲を見渡せば程度の差はあれどどこもそんなものだったから。
親が大卒の同級生なんてクラスに1割も居たかという感じだったし、自分が通った地元の中学校には200人くらい同級生が居たがそのうち大学に進んだのは20人くらい。
自分は博士まで進んだが、マスターレベルですら聞いたことがない。
あとで詳しく触れるが、そもそも勉強をするとか考えること自体を忌避するという一貫したスタイルがあらゆる局面で通底していた。
さて、シングルマザーの家庭はクラスに3割は居たし、両親が揃っていても母親・父親違いの兄弟姉妹が居るなんて話も珍しくない。
親世代の職業は漁業か水産加工、町工場、自動車修理で、小中学校教諭や公務員の子息は格の違いを醸し出すスーパーエリートの家庭扱いだったし、家も小綺麗だった。
スーパーエリート以外は、トタンの壁が海風で茶色く錆びて、汲み取り式のトイレから伸びる煙突の先がクルクル風で回っている文化住宅か、古民家カフェを思いきりボロボロにしたような都内なら廃屋だと思われるような家に住んでいた。
町工場に勤めている人たちで指が無くなったなんて話もよく聞いたし、どこそこの家が生活保護受給とかという話もよく聞いた。
クラスメートが学校を翌日休む理由が、その前に起こした暴力事件で家裁に呼び出されているからとかもよくある話だった。
そんな彼らが余暇にすることといえば、スナックかフィリピンパブ、ギャンブル、セックスくらいしか聞いた限り思いつかない。
確かに、成人した兄がいる同級生の家に遊びに行った時には、真昼間から居間で同級生の兄と派手な格好をした若い女性がセックスをしていたし、パチンコ屋には毎朝人が並んでいた。
ギャンブルはパチンコか電話で投票する競馬が主流だったが、甲子園の季節になると地元の暴力団が元締めをする高校野球賭博も流行っていた。
暴力団は偽ブランド品も売りさばいていて、軽自動車にスウェット姿だけど鞄は高級ブランド(偽物)という出で立ちの女性をよく見かけたものである。
まぁこんな感じでつらつらと思いつくまま挙げてみたが、自分の身の回りで溢れていたのは、キーワードでいえば貧困、性、暴力、ギャンブルだった。
そもそも大人たちがそんなスタイルだったので、子供達も似たような社会をフラクタル図形のように構成していた。
小学校の頃には駄菓子屋やコンビニでの万引きが横行していて、後に刑務所に入るような子供たちはその時代からすでに盗んだタバコを吸って、やっぱり盗んだバイクに乗っていた。
暴走族(ゾク)に入って大人たちを殴ったり大怪我するほどのゾク同士の喧嘩をする中学生たちが小学生のヒーローで、ゲリ便が出る時のような音を撒き散らすバイクに皆憧れていた。
そんな時に暴力的な彼らは、異質な存在を排除することが大好きで、異質とみなされた同級生は徹底的に排除された。
小学6年生のとき、教室に入ったらメガネをかけている子が素っ裸で椅子に縛り付けられて頭にバケツを被らされていた。
メガネは弱いものの象徴で、勉強や議論をするような人間は排除の対象だった。
文革かって感じ。
反対に、野球が上手いか、足が早いか、ケンカが強ければヒエラルキーの上部に君臨できる。
動物的に強弱を判別できることがそのままヒエラルキーの源となっていたし、意思の合意は感情とその時の雰囲気で決まっていた。
そして中学生になると、今度は成績が良い人が排除の対象となる。
真夏に水を飲まずに走りこんで泣きながら試合に負ける部活に打ち込むことがすべてに勝り、もしくは非行に走ることがある種の中学生らしさであるというコンセンサスを伴って正当化されていた。
授業中には廊下を自転車が走り、思い出した頃に校庭に暴走族や野良犬があらわれる。
トイレにはタバコの吸い殻が落ちているし、たまに窓ガラスは割られていた。
教師はたまに殴られたり、殴り返したり、車を壊されたりしていた。
一方で登校している生徒にとっては、校則はフーコーのパノプティコンも真っ青な規律を自動化させるもので、髪型は男子は坊主、女子は肩まで。
他にも細かい校則がたくさんあって、破れば容赦無く教員から殴られる世界だったし、皆が一緒であることを望んでいたので、逸脱すれば容赦無く告げ口されていた。
校則を破らなくても、目立てば排除の対象になりうるので、いつしか自分も誰かが見張っていると意識して、いかに溶け込むかを重視するようになっていた。
そして積極的に学んだり考えることが嘲笑の対象であったので、そこでもやはりセックスをしたことがあるかとか、バイクの知識があるかとか、そういう分かりやすい尺度でヒエラルキーが構成されていた。
授業中に教師から指名されて小難しい答えを言ったり、発音記号通りに英単語を発音しようものなら3日は真似をされてイジられるのは御多分に洩れず自分の地元も同じだった。
テスト期間は早く帰れるので皆喜んで下校後に遊ぶレベルの勉強に対する姿勢で、将来は男子は工業高校、女子は商業高校に通ってそのあとのことは何も考えないのが一般的だった。
ここまでは自分がライブで触れた15歳くらいまでの環境の話で、せいぜい15年くらい前の話だ。
はっきり言えば、そのような環境はまっぴら御免だし、そんなところで自分の子供を育てたくはない。
さて、経緯は知らないが、自分は幼稚園の頃にIQテストを受けた。
そのあとに、あなたの息子は知能指数が高いから相応の教育を受けさせてあげてくださいと園長先生から母親はコメントをもらったらしい。
大学のことすらよく知らない専門学校卒の母親だったが、自分を都内か海外の全寮制の学校に小学生のうちから預けようとした。
だが、当時の自分はこともあろうに泣き叫んで拒み、結局は地元に残ることを選んだ。
当時のことはよく覚えていて、理由は友達と離れたくなかったから。
その時に知りうる限りの世界を取り上げられることに対する極端な不安が何よりも勝っていて、母親は息子の気持ちを優しくも汲み取って折れた。
小学校に上がった時、小1か小2くらいの頃から、本を読み始めた。その頃に三島由紀夫や島崎藤村やら、古い作品から新しい作品まで縦横無尽に慣れ親しんだ。
早朝に登校して空いた時間や、ジャンケンで負けて押し付けられた図書委員の時間、図書室でひたすら本を読んだ。
そのうちに、自分が生活する社会と根本的に異なる社会、つまり学び、考えることが重要であるという社会が存在することを知った。
哲学や思想系の本はもちろんのこと、西洋美術の画集や建築の写真集に心を揺さぶられたし、マーラーのCDを初めて聞いた時の感動は死ぬまで忘れないと思う。
めちゃイケを好むふりをして、自分は加藤周一の羊の歌に感銘を受けて、とりあえず東大に行こうと中学の頃には考えていた。
そして周囲に迎合しつつも高校に進んだ。いわゆる地方の公立トップ校だった。
他にも理由はあったと思うが、中3の時には成績が良いという理由でものを隠されたり上履きにガムが入っていたこともあった。
入学から1ヶ月もしないうちに、明らかに新たな社会、社会階層に自分は組み込まれたと自覚した。
同級生の親の職業は、医者、弁護士、会計士、大企業の社員ばかりだった。
誕生日には名古屋のデパートの上層階のレストランだったり、どこぞで伊勢海老を食べるだのとそんな話もたまに聞いた(成金的な家はあまり無かったけど)。
彼らの親は旧帝国大学出身はざらにいたし、兄が東大、今はオックスフォードに留学中とかそんな話も当たり前にあった。
幼い頃からピアノやバイオリン、書道、バレエ、スイミングなんかをやっているのがマジョリティだったし、週末に美術館やコンサートホールに足を運んだという話も決してレアな話ではなかった。
彼らと出会ってとかく感動したのは、好きだった本や芸術の話を初めてリアルの人間とできたことだった。
そして何より彼らは、自身の解釈や、見解を示してくれたし、自分のくだらない議論にも向き合ってくれた。
もちろん性やギャンブル、暴力、ワンピースの話もたまにはあったが、それ自体を享受するだけでなく、思考の対象としても話題を取り上げることががあった。
高校以来、自分は学び、思考する人しか存在しないかのように振る舞う社会に身を置き続けている。
今にして思えば、もっと早く外の世界に出た方が良かったのではと素直に思う。
なぜなら、受動的に与えられたその社会が自分のすべてだったから。
母親が母親であるように、生まれ育った社会は生まれ育った社会であって、代替がきかない。
自分はたまたま、自分が立っていた社会と違う社会を知りうるきっかけを子供の頃に得たから今があるのであって、その機を逃せば一生地元に居ただろう。
なぜなら、考えることや知ることを拒むことが規範となる社会では、外の世界があるということ自体を知りようがないのだから。
自分は考えることも、こうして頭の整理をすることも好きだ。
パチンコの新台や、友達の奥さんが不倫をして旦那が相手と殴り合いの喧嘩をしたとか、そういう動物的な話題を「それ自体」をただ消費する社会に少なくとも自分は興味がない。
もちろん、そういった社会(自分が経験したような)を否定する理由はどこにもない。
ただ、自分が故郷を捨てたように、その社会に残るのは、その社会に適応しきった人々である。
有り体にいえば、将来の選択肢の存在すら意識できないのが自分の体験した社会であり、どのような選択肢があるのか獲得しようする営みそのものが封建的に否定される強い構造を伴っている。
だからこそ、自分の田舎はいつまでも同じ姿を留めることに成功しているのだと思う。
もちろん、その社会自体が恐ろしいぬるま湯であり、外には異なる社会が存在することを予期している人も稀にはいることだろう。
幼い息子を外の世界に出そうと考えた母がそうだったように、おそらくそれに気付いた時に自身を好転させるにはあまりにも遅い場合が大半であると自分は思う。
そして、自分は今更何があったとしても、地元の彼らと交流することはできないし、するつもりは一切ない。
母はもう二度と戻ってくるな、お前の居場所はもうここにはないと電話口でことあるごとに言う。
一方で、開成や筑駒から東大に進んだ都内組は何も捨てることなく、安定的に自分が望んだ社会を享受してその上に今も生活を営んでいる。
それは誰でもそうであるように、最後の最後に拠り所となり得る自らの地域的なアイデンティティをきちんと持っているということである。
自分は依拠すべき地域(地元)を自己実現と引き換えに失ったのであって、願わくば我が子には地元を与えるか、もしくは地元がなかったとしてもサバルタンとなり得ない思想的な土台を築いて欲しいものである。
孤独なサバルタンたるしかないコミュニケーション不全者-シロクマの屑籠
http://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20151021/1445410551
このid:p_shirokumaという人物は「コミュ障にとって自由な社会は地獄」みたいな発言連発しているのだがコミュ障の私には違和感がある。
かつてネットで「共同体さえあれば自分は寂しい思いをしなくてすんだ」と主張するネット右翼に対して
「共同体なんかあったらお前ら苛め殺されている。自由な社会だからお前らみたいなどうでもいいクズ放置していただいているのだからありがたく思え」
みたいな意見をあちこちで見かけたし正にその通りであると思うのだが、p_shirokumaという人物はこれについてどう考えているのだろうか。
またこの人物は「コミュ障的遺伝子は淘汰されていく」と主張するのだがこれにも違和感がある。
コミュ障世代の親世代はすでに自由結婚時代である。私の両親はどう見てもリア充だしtwitterを見る限り兄弟は結婚しているコミュ障も多い。
自由恋愛先進国のアメリカでスクールカーストだの銃乱射だのがあるのも淘汰説に反する。
コミュ障の原因としては新生児医療、小児医療の発達が疑わしく感じる。
古い共同体の残る時代では医療も進んでいないのでエラー品は元気に生まれてくるのも大変だし、生まれてこれても飢餓や病気大人になるのも大変だ。
何より共同体に苛め殺される。
そう考えれば共同体が崩壊し医療が発達した現代日本はコミュ障にとって生存が許される特別な時代の特別な社会である。
僕らの社会においてセックスは、金銭とはまったく別の、もうひとつの差異化システムなのだ。
そもそも金銭のシステムとセックスのシステム、それぞれの効果はきわめて厳密に相対応する。
経済自由主義にブレーキがかからないのと同様に、そしていくつかの類似した原因により、セックスの自由化は「絶対的貧困化」という現象を生む。
何割かの人間は毎日セックスする。何割かの人間は人生で五、六度セックスする。そして一度もセックスしない人間がいる。
何割かの人間は何十人もの女性とセックスする。何割かの人間は誰ともセックスしない。
解雇が禁止された経済システムにおいてなら、みんながまあなんとか自分の居場所を見つけられる。
不貞が禁止されたセックスシステムにおいてなら、みんながまあなんとかベッドでのパートナーを見つけられる。
完全に自由な経済システムになると、何割かの人間は大きな富を蓄積し、何割かの人間は失業と貧困から抜け出せない。
完全に自由なセックスシステムになると、何割かの人間は変化に富んだ刺激的な性生活を送り、何割かの人間はマスターベーションと孤独だけの毎日を送る。
同様に、セックスの自由化とは、すなわち闘争領域の拡大である。
「そうだとも。ずっと前から駄目なんだ。最初から駄目なんだよ。ラファエル、
自分はこういった物事に縁がないことを受け入れることだ。
いずれにせよ、手遅れなんだ。
いいかい、ラファエル、セックス面における敗北を君は若い頃から味わってきた。
十三歳から君につきまとってきた欲求不満は、この先も消えない傷跡になるだろう。
たとえ君がこの先、何人かの女性と関係を持てたとしても――はっきりいってそんなことはないと思うけど――それで満たされることはないだろう。
もはや、なにがあっても満たされることはない。
君はいつまでも青春時代の恋愛を知らない、いってみれば孤児だ。
君の傷は今でさえ痛い。痛みはどんどんひどくなる。
容赦のない、耐え難い苦しみがついには君の心を一杯にする。
君には救済も、解放もない。そういうことさ。」
-ミシェル・ウエルベック『闘争領域の拡大』(中村佳子訳、角川書店、P111-112,133)より
nenesan0102
男性には風俗があるけれども、もてない、とことんもてない男に縁がない女性には風俗すらないので、女の人のほうが切ないんじゃないかなと私は思っています。。。 2014/01/17
でしょうね。「もてない男」は可視化されてるけど「もてない女」はサバルタン。
dagama
hal9009
トラバにもありますが、性の再分配とか性の公共事業なんて明らかに人権侵害ですからね。
経済の自由化は倫理的に批判されますが、性の自由化は絶対善、だからこそラファエルは救われないのです。
wdnsdy
金は生きるために誰でも絶対にある程度は必要だけど、セックスの場合必要ない人はゼロでも全然普通に生きてられる(心の貧困も産まない)んだが、その点はどうなんよ? 2014/01/17
もちろんノンセクの人たちは異性愛が満たされないことで心が貧困になったりしないでしょう。
ここでは「強制的異性愛のワナに絡め取られた(上野千鶴子『発情装置』より)」あわれな人たちの話をしています。
plusqplusq
「強制的異性愛のワナ」から脱出すればいいじゃん。それができないなら自由恋愛市場にて満たされるよう動くしかない。 2014/01/17
上野千鶴子ほど聡明で自らのセクシュアリティに自覚的な人でさえ「ワナに絡め取られている」と認めるのですから、
https://twitter.com/NATSU2007/status/200977038176296960
それでもやはりBLを「ヘテロ女性のヘテロ男性に対する性搾取」として男性向けポルノと対称化するのは違和感があるし、じゃあなぜ異性愛ではなくBLという形式を取らねばならないのかまで問わなければ本質は見えてこない。しかしBLを読む理由は十人十色なのでサバルタン問題が(ry
BLを男性向けポルノと同じに扱うべきではないと言っている人がいた
だが、twitterを「#TLがファーで埋まってる隙に嫁もらう100RTで阻止」で検索すると黒子テツヤ、ジャファール、赤司、青峰大樹、白龍などの画像が出てくる
「#暇だから嫁貰ってく50rtで阻止」で検索しても男性キャラクターや女性キャラクターの画像が出てくる
これらの画像を貼り付けている人のプロフを見ると腐女子と書いてあることが多い
腐女子=男性キャラを性的な目線で見ず、関係性で消費するなら、男性キャラに対して嫁にするなどという発言が飛び出てくることはないはずだ
だが、現実は違う
男が女性キャラクターに対して嫁にしたいと発言するのと同じように女も男性キャラクターを嫁にしたいと発言している
https://twitter.com/777TEM/status/164686678697582593
好きなキャラには性的な視線を送る姿勢でなくてはならない みたいな圧力なんて別に感じた事ない。私がたまたまそういう腐女子コミュニティに属してないだけ?
そして、挙句の果てにググったら、こんな感じの発言が出てきた
これらの発言を見ていると疑問に感じざる負えない
★ 電脳ポトラッチ: 「セックスしたい」は「好意」ではない。
http://noraneko.s70.xrea.com/mt/archives/2010/0517001413.php
http://b.hatena.ne.jp/entry/noraneko.s70.xrea.com/mt/archives/2010/0517001413.php
Naruhodius gender 2010/05/19
ttmet いじめられっ子が学校でDQNに、「お前ボコるとスッキリすんだよなー」といってストレス解消代わりに度々ボコられたり、「焼きそばパン買ってこいよ」と言われたり、執拗に構われてもそれは好意ではないって話だな。 2010/05/19
narwhal あとで読む, 心理 2010/05/19
basicchannel メタブ山脈, 麓にて ...。 2010/05/18
sige1 ジェンダー, コミュニケーション 欲情する≠好意である自分には大変しっくり来る話。/「人格を尊重」って聞くと途端に難しく感じてしまうが、要は相手の立場に沿った「気遣い」や「思いやり」を忘れなければいいのよねー……? 2010/05/18
sarabanda 非モテ, ジェンダー 「性欲」と「好意」が同義でないのと同じように、「恋人が欲しい」(=恋愛至上主義や恋愛圧力の中で「多数派」「一般人」「空気の読める人」として振舞いたい)は性欲とは異なるし、まして「好意」とは全く別物。 2010/05/17
AmanoJack gender, sexuality, 非モテ 相手が「異性か同性か」よりも「男か女か」のほうが大きい気がする/「セックスしたい」と1)男が男に言われる、2)男が女に言われる、3)女が男に言われる、4)女が女に言われる/2と3、1と4よりも1と3、2と4のほうが近い気が。 2010/05/17
PAGZIN 2010/05/17
godfrey 男女, 心理, 性 ごもっとも。性欲は好意ではない。ここから好きな人とはセックスしたくない、恋人になりたくない、という結論になる奴も。「片思いだけが恋なのだ」試験管での繁殖方法が一般的になれば性欲無くす薬も普及するかね。 2010/05/17
rAdio まあ、異性と接しないのが一番ではあるな。そのために、性別分離社会を実現しないといけない。あるいは人類ごと滅びるか。 2010/05/17
Paris713 蛇足部分が本当に蛇足であるがセックスのリスクはほぼ同感/しかし実際に「機能だけ」を求めてる男性ってそんなに多いかな?/性的対象としての評価をポジティブに受け取る女性=ヤリマンでもない。実際にするしないは別 2010/05/17
key_motar 書いた バイキン扱いは妊娠可能性への恐れ?/ 結局、性欲と愛情を抱き合せたいのかたくないのか。性欲に言い訳は必要か?/ 最近ようやくオナホが正しく生身は間違いという感覚を生得してきた。解放は近いか?http://j.mp/aOgdAk 2010/05/17
rinsenan 殺伐とした世界なんだなあ/ホントにおれは今日本に生きてるんだか心配になってくる 2010/05/17
hal9009 まぁ繋がってないとすればそもそも異性愛とか同性愛とか無意味な概念ということにはなるんだけどねw 2010/05/17
ohnosakiko 常に「セックスしたい=人権無視」ではないと思うが、女性の方がリスクが多い点には同意。女は男の性欲の中に直感的に支配欲を嗅ぎ取る。ただ女性の「人格を尊重してほしい」にはセフレは厭だという欲求もありそう。 2010/05/17
simplemind 「セクシーだね」は好意か侮辱かリスクか/性的魅力と人間的魅力は別。性的関心と人格への好意も別。両方求めるのが傲慢って事はないが、両方揃えないと侮辱って訳でもないと思う。 2010/05/17
minazuki6 2010/05/17
NATSU2007 セルクマ, ジェンダー, セックス, 男女, コミュニケーション ちょ、amazonの自動アフィが「スローセックス 男の持続力コントロール法」って…。これそんなエントリじゃない違うんだ(汗) 2010/05/17 29
ttmet とかく男は「好きじゃない人間との性行為は暴力にしかすぎず、性的目線は恐怖にしかすぎない」という過半数の女性にとっての認識らしいものが理解できない節があるんです。あまり怒らず諭してやってください。 2010/05/20
Naruhodius 2010/05/19
sige1 ジェンダー, コミュニケーション, 本文から外れる 「話すのも遊ぶのも男とのがいいけど、セックスしたいから彼女欲しい」って台詞を思い出した/異性を友達に出来るか?という話と何だか似てる/性の対象をフェティシズム的にしか認識できない事を開き直れるのは何故か 2010/05/19
sarabanda 非モテ, ジェンダー, メタブ 性欲や「男のプライド」が先行する女性観は唾棄すべきものであるが、「人格的尊重」という言葉がマチズモや男社会に都合よく解釈されるおそれはある。ある種の男がいう「女に対する真の優しさ」みたいなもの。 2010/05/19
key_motar id:hatesenID 伝統的日本文化においては、相手に権利主張をぶつけることこそ「人を人とも思わない」所業として忌まれる。クレームは義務の指摘という形でなされる。(山本七平) 2010/05/18
basicchannel メタブ山脈 ...。 2010/05/18
hatesenID もぐってひとりごと でも「じゃあ貴方の人格とはどんなもので、どう尊重してほしいの?」って訊くと沈黙したり「そんなのわからない、そっちが決めて、従うから!」とか、尊重のしようがないモノを押しつけてくる人も多かったり(経験上 2010/05/18
simplemind 女「性的対象に見られた→でも人として尊重されてない→体だけが目的→てことはああなってこうなって→傷つけられそうで危険だから怖い」/男「性的対象に見られた→オレに性的な魅力がある→わーい」 2010/05/18
ohnosakiko id:yotayotaahiru そこまで考えないんじゃないでしょうか(どっちかというと「他の人とセックスしないで」を含意していた。それも「複数とつきあいつつ人格を尊重できる」けど感情的には受け入れられないことが多いかと 2010/05/18
illiteracy-read 2010/05/18
AmanoJack "好意でなくても拒絶ではないから"いや、拒絶とも両立しうると思いますよ、多分。 2010/05/18
yotayotaahiru コミュニケーション, セックス, セクシュアリティ, ジェンダー id:ohnosakikoさん、"女性の「人格を尊重してほしい」にはセフレは厭だという欲求もありそう。"←恋愛とは別軸での「人格を尊重する」かつ性関係アリの友人関係もあると思うのですが、それはこの「セフレ」に含まれますか 2010/05/18
frivolousman 異常空間 なんじゃこりゃ「性的対象として見る」ことと「好意」「悪意」の境目は曖昧で不可分だろうに(つか関係性で明確な好意だけ求めるってどんだけ?)/中二腐女子と萌えオタの個室ビニールハウスが「はてな」なのねえ 2010/05/18
NATSU2007 メタブ, セルクマ 性的対象として扱われる事に嫌悪を示すと「お前に価値を見出してやったのに」とキレる男がいる。女が喜ぶべき"好意"(の一種)と思ってるのだろう。そんな人に限って「男はやりたいだけ」と言いたがるのは矛盾してるが 2010/05/17
rinsenan 社会, コミュニケーション もう十何年もセックスと無縁な生活を送ってると、セックスを介在したコミュニケーションをとってる人たちについて想像力が働かなくなっちゃったな/別世界かしら 2010/05/17
minazuki6 2010/05/17
hal9009 セックスしたいは「女が求める」好意ではないって話だよな。↓性犯罪はそういうカンチガイとは関係ないんじゃなかったっけ?w。まぁ個人的には残念ながら全く関係ないとは思ってないが 2010/05/17
godfrey メタブ 自分の好意が自分にとって一番信用ならないものの一つである理由は、この辺にありそうだなー、と思ったけど、それも今さらな話か。↑自分の要求を相手が求めてるものに勝手に変換するのは性犯罪者的思考、という話。 2010/05/17
rAdio Notice いつもの。でも、テンプレではなさげ。扉の向こうで何かが起こる! 2010/05/17
key_motar 不幸を競争することでしか、サバルタンの声は形成されないんじゃないかと。不幸競争が抑制されることにより主流派がもっとも利益を得る。主流派のおこぼれに庇護される(=別の抑圧に立脚)ことは尊重されるべきか。 2010/05/20
simplemind 引用元は「モテ/非モテ」の話で「女は恋愛強者」とか「不幸競争」は非モテ女性への抑圧になるので避けてる。このエントリは「男はセックス強者(加害者)/女はセックス弱者(被害者)」になってるのが微妙なところ 2010/05/19
basicchannel メタブ山脈 ...。 2010/05/18
hatesenID もぐってひとりごと やっぱ男女どちらにも云える事という気が。誰もがみな自意識という名の海で溺れてるのに、もがく手がたまたま近くの人にぶつかったのを「暴力を受けた!」「だから仕返しされても当然!」と延々言い合っているような 2010/05/18
Paris713 確かに"好意""悪意"の境目は曖昧。引用された記事から「悪意」は微塵も感じなかったが、この記事からは、悪意を感じた。少し決め付け過ぎではないか?という感想。 2010/05/18
illiteracy-read 2010/05/18
NATSU2007 メタブ id:frivolousman "好意""悪意"の境目は曖昧なのに"好意"と勘違いしてる男が多いので困るって話だが。恋愛関係で好意だけ求めちゃいけないってどんだけ悪意に満ちた恋愛をしてるんだか想像もつきませんな(笑) 2010/05/18
godfrey メタブ カンチガイ…というか、カンチガイと認識すら出来ず、正当化する心理状態がマズイって散々言われてたけどね。関係ない、と言ってたのが誰かは知らんけど。 2010/05/17
simplemind 「モノ扱い」されてるのに身勝手で暴力的な「要求」を受け入れちゃうのが恋愛の業であって、「そんな関係は嫌だ」と思うのは当然だけど、「リスク」云々で片付く話でもないような 2010/05/19
hatesenID コール返信 id:key_motar そうか、やはりそういう”文化”なのですね…orz/id:NATSU2007 片付けられたくないと仰っても(リスク云々を踏まえても)結局はそこに帰する話かと。過去に男女両方ともとおつきあいした経験からの印象>メタへ 2010/05/19
Paris713 「そういう女性は単にリスクを顧みずセックスしているだけの話」避妊とか防犯にも気を付けて、ちゃんとリスクを考えて主体的にセックスしてる女性もいますよ? 「リスク考えてないだけ」ってちょっと失礼では? 2010/05/19
basicchannel メタブ山脈, キャンプ地 ...。 2010/05/18
NATSU2007 メタブ id:Paris713どこがどう決め付けすぎなのか具体的に。悪意はありますよ。人間をモノ扱いしてそれが悪意だとも思ってない人には/id:hatesenID自意識の問題で片付けられたくないからリスク問題という切り口を提示したんだけど。 2010/05/18
simplemind DQNとのSEXが女性にとって危険なのもDQN回避に「人として尊重」を基準にするのもごもっとも。ただ女として最低限の要求とか書くと「お姫様願望」に見えるのかも。女は傷つき易いから大事に扱ってという「要求」と紙一重 2010/05/19
NATSU2007 メタブ id:Paris713「避妊や性病防止に非協力的かつ身勝手・暴力的なSEXをするDQN」とのSEXは自分1人でどうやったってリスクがつきまといますよ。SEXは2人でするものだから。リスクをリスクと考えない女性もいますがね。 2010/05/19
hatesenID コール返信 ですが。そして男性の暴力性は目に見えやすいし法で規制もできるぶん対処のしようもありますが、女性はとことん「話が通じない」場合も多いので、個人的には女性の方が正直いまだにちと怖いです……(汗 >メタ 2010/05/19
cham_a そういや昔は酷い目にあったと苦労自慢しつつDQN亭主をいかにコントロールして来たかを語り「今時の人は我慢が足らない」と説教したがる人っているなあ/コントロール出来ても相手が人間扱いしない点はまず変わらない 2010/05/20
simplemind 「人として尊重した恋愛前提の性欲=好意」と「性欲だけ=差別や暴力」の2つに分けたくなるのは分かる。でも本当は(理想は)「人として尊重」が前提なら色んな性関係があっていいってことじゃないのかな 2010/05/19
NATSU2007 メタブ id:hatesenID"女性は人をモノとして見ない"等と言ってないのですが。女性から受けるセクハラ・パワハラもありますよ当然。レイヤーが違うだけ/"女性はとことん「話が通じない"←私は貴方のこういう偏見の方が気になります 2010/05/19
Paris713 男は暴力的なSEXをするDQNしか存在しない訳ではないし、上手く選び分けたり、DQNすらコントロール出来る女性も居ますけどね。いずれにしろ「顧みずにしてるだけ」ではない女性も居ますよ。 2010/05/19
hatesenID コール返信 尤もこのあたりはとても簡単には語りきれることではないので機会がありましたらいずれ…今回はここらでご容赦ください/人をモノ扱いして悪意とも思ってない人間は女性にも沢山いる…という話になるのかも 2010/05/19
cham_a メタブ 性的欲望しか持ってない相手であっても最低限「断る事もある」意志を持った、体や感情が傷付く人間だと認める程度の「尊重」は出来るかと思うんだが/いわゆるDQNはそれをやらないやる意志がない 2010/05/20
simplemind ↓それには同意。でもね、ナツさんは今回「DQN男は怖い」って書いたわけだから「女も怖い」って返しは的外れな批判だと感じるだろうなとは思うよ。感想を書いちゃダメって事は全然ないんだけどね 2010/05/19
hatesenID もぐってひとりごと 女性に偏見なんて持ちたくないですよう私も女なんだし…ちゃんと"場合も"って云ってるのにな(汗/通じ無い割合・悪質さ・暴力性において男女とも差はないしレイヤーではなく速効・遅効の違いだと思うんだけどなー… 2010/05/19
cham_a メタブ 例えばバイブとして使った相手が「役に立たなかった時」その感情が傷つかないように振る舞うくらいはするとかその程度の/→そういう時ケーベツの目線で見られる事に耐えられるんだろか。「バイブでいい」人は 2010/05/20
PAGZIN リスク保有という選択をする人は外から見るとリスクを考えていないように見える、という問題。これが自己責任論とつながってしまうとセカンドレイプに…。 2010/05/19
Paris713 リスクを考えて対策を取りつつしてる=「顧みずにしてる」訳ではない、という事でリスクがないなんて言ってませんが?それが決めつけではありませんか? 2010/05/19
NATSU2007 id:Paris713"暴力的なSEXをするDQNしか存在しない訳ではない"当然。"上手く選び分け"してるならDQNとSEXしない人。"DQNすらコントロール"しようとしてもSEXが一方的な物でない以上完璧などない=リスクはある。何が言いたいのだか 2010/05/19
Paris713 多数の男性と主体的にセックスする人の中にも、避妊も相手の選定も注意深く行う人がいるというお話ですけど。DQNをコントロールは一例ですけどDQNだって教育次第でDQNじゃなくなる事もありますよ。 2010/05/19
NATSU2007 メタブ id:Paris713妊娠する体と力の弱さ。この絶対的リスクを抱えて「DQNをコントロールすればいい」と考えてるのなら結局リスクを顧みてないって事。SEXが共同作業である事も理解してない。その上での選択であるという事実。 2010/05/19
hatesenID そもそもなぜDQNという気質が生まれるのかにも目を向けて欲しいような…DQNってコトバは好きじゃないし非モテ等含めての問題だけど/リスクとは”自ら覚悟して負うもの”か”無理強いに押しつけられる”ものなのか… 2010/05/20
simplemind 交通整理 ナツさんは「リスクはどんな女性にも平等」という現実認識から「リスクを顧みてないだけ」と書いてる/Paris713さんの指摘は「その書き方だとある種の女性を倫理的に批判してるように読める」って事 2010/05/20
Paris713 確かにズレが。記事ではリスク対策している女性も「顧みないだけ」と決めつけているのか?と言う感想を持ちました。ナツさんが引用元に悪意を感じたように、私もナツさんの書き方に悪意を感じました。感じ方の違いで 2010/05/20
NATSU2007 メタブ id:Paris713話がズレてる。相手を選択してリスクの少ない男性(多数)とSEXするならリスクヘッジできてる。それを行わない人の話しかしてない。記事参照。/"教育"完了前のリスクは?成功しなかった場合のリスクは? 2010/05/19
hatesenID ブコメ感想 ああまさしく「通じない場合」が発生している…(苦笑) 2010/05/22
basicchannel メタブ山脈, 頂なのか!? 2010/05/22
imo758 何が起こっているのやら 2010/05/21
illiteracy-read 2010/05/21
Paris713 ?今回問題になってるのは「女性」では?まあそう感じたものは仕方ないですけどね。お好きなように感じて下さい。物事を決め付けるのは世界を狭くするので、私はあまりしたくないですが。 2010/05/20
NATSU2007 メタブ リスクよりもSEXや恋愛を優先する生き方もある。その事には価値判断してない。/id:Paris713私は貴方に悪意を感じる。私の事を"根拠なき男叩きをする酷い奴"と決め付けてますよね。その先入観では話が伝わらないのは当然。 2010/05/20
NATSU2007 メタブ id:hatesenID それは本記事のテーマじゃないので。貴方がそれを問題視するならその切り口で独自にエントリ立てればいいと思う。/でDQNを生んだ原因を特定したら、その原因を生んだ背景にも目を向けろ…と延々ループ。 2010/05/20
http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/Paris713/20100520%23bookmark-21674689
simplemind これが噂に聞く村長メソッドか。初めて見れてちょっと嬉しい(笑 2010/05/21
kanose トムとジェリー 「つーかわたしに絡んでも有名になれないと思うよ。わたしが有名じゃないから」というよくわからん決めつけを思い出した http://d.hatena.ne.jp/masudami/20091216/1260945962 2010/05/21
NATSU2007 メタブ id:Paris713 貴方も相当決めつけが激しい人だと思いますが。無自覚なんですね。それとも他人の"決めつけコメント"に便乗するのは"決めつけ"でも"悪意"でもないという自分ルールかな。→http://bit.ly/bZQCUu http://bit.ly/aZSKf3 2010/05/21
simplemind 「貴方の行動は把握してますよ」というリンクツッコミが村長メソッドかと思ってた/ちょっと軽くやったら本物が出てきたから「悪魔召喚みたいだな」と思った(笑) 2010/05/22
NATSU2007 メタブ, はてな村 「決め付けしている両者のうち片方の決め付けだけを論う」、「長々と口論している両者のうち片方だけを粘着認定」等の"決め付け行為"で揉め事を自分の好ましい状況に誘導するマッチポンプの事?<id:kanose=村長メソッド 2010/05/21
などとタイトルをつけてはいますが、どんなことが起こっているのかを説明するつもりはさらさらありません。あしからず。以下のお題に投稿するには余りに長くなったので、勝手ですがこちらを借りました。
上のようなお題がハイク内で立てられ、ちょっと盛り上がったので、以下、全力で釣られてみます。
既にいくつか指摘のあるとおり、表意文字としての漢字を日本語から引き算して表音文字としてのひらがな/カタカナへ統一することは、朝鮮半島でのハングル使用が少なくない同音異義語を産出し混乱を招いている現況と同様の事態を引き起こすだろうマイナスの側面がある。
漢字の使用によって抑圧される弱者として日本語を母語としない外国人を想定するのなら、その弱者の補助ツールとして各種翻訳サービスを挙げることができようが、ひらがな/カタカナのみで表記された文章の翻訳は、日本語において多量に存在する、しかし漢字による表記で区別可能な同音異義語を、前後の文脈から判断して行わなければならなくなる事態を引き起こす。現在の提供されている無償の翻訳サービスですらまともなものではないのに、余計に使えないものになるだろう。
弱者として視覚障害者を想定するのであれば、視覚障害者と晴眼者の差異、視覚障害者の能力が障害と見做される由縁は、「読む」ことと「聞く」ことにおける「読む」ことの利便性に他ならない。ここで、書記言語から口語言語の優位性を説くのであれば、文字を拒否するという極端な姿勢もあり得ようが、一方では、漢字の使用をやめたところで、「読む」ことと「聞く」ことの差異が縮まるというものではないことも容易にわかる。漢字の不使用に「わかちがき」の使用を追加したところで事態は変わらない。ところで、書記言語から口語言語の優位性が説かれるときに、今度は聴覚障害者や構音障害者が抑圧されているかのようにみえるのは、一体どういうことだろうか。
あるいは、単に漢字の読みがわからない、また付随して意味がわからない者を弱者として想定するならば、キッズgooなどの検索先ページへの仮名振り機能は強力なツールとして既に存在しているし、オンライン辞書ツールなどの使用による「学習の啓蒙」がなされて穏当、かつ然るべきではないか。
また、補助ツールを用いずに弱者への配慮をhtml/xmlで記述されたページ内で完結させることを考えるならば(大体、html/xmlで記述されたページがメディア=媒介なのだが)、例えばhtml/xmlはruby関連タグを備えているが、投稿においてタグを使用できないはてなハイクの仕様が抑圧的だという見方もあり得よう。しかしながら、これは視点を変えれば、タグを使用することができない弱者への配慮でもあることは付記しておくべきだろう。
それどころか、ruby関連タグはxml1.1でようやく認められるに至ったのであり、この点でいえば現状のhtml/xmlが抑圧的であるという判断すらあり得よう。引き算の態度を貫徹するのであれば、漢字を拒否する前に、はてなハイクでの、いや、ネット上の書き込みを拒否する態度というのも、ひとつ考えられよう。あるいは、html/xmlにおける扱いについて問題の多い日本語の使用をやめて、問題の少ないラテン系言語の使用に踏み切るという態度もあり得よう。
話は変わるが、歩道に敷かれている視覚障害者用の点字ブロックがいかに妥協の産物であるか、病院等の公共施設で採用されるユニバーサル・デザインがいかに試行錯誤の、過渡の形象であるか、ということに目をやるのが良い。そこに横たわる根幹的問題のひとつは、弱者とまた別の弱者の利害不一致である。漢字の排除が同音異義語の混乱を招くという形式は、弱者とまた別の弱者の差異を捨象するという形式と相同的なのである。これは、弱者とまた別の弱者の双方に潜在する、共通する性質を汲み取り問題解決へ向かわんとする繊細な作業――それは、不十分とは言え、点字ブロックやユニバーサル・デザインを産み出す過程で行われている作業である――とは全く相反した暴力的行為に他ならない。ユニバーサル・デザインが足し算の思考であるとは、確かに足し算の部分も引き算の部分もあるだろう。しかし、足し算と引き算しかできない小学一年生であれば、最小公倍数と最大公約数の思考の部分についてわからないのも無理はない。
さらに、より根本的には、スピヴァクが古典『サバルタンは語ることができるか』で指摘したのは、サティー(寡婦殉死)の実行者を被抑圧者としてカテゴライズすることだったが、スピヴァクはそれを決して否定したり退けたりなどしていない。外部の視点を持ちこんで、ある彼/彼女を被抑圧者として規定すること、これこそが抑圧以外の何物でもないが、しかしこの規定によって被抑圧者を被抑圧者と認識し、被抑圧者たる彼/彼女に語りかけることが、彼/彼女の身になって考えることができる。抑圧なしのユートピアなど幻想である。抑圧なしのユートピアがお好みならば、まずもって「私」という拭い切れない自己同一性を捨て去ってみればよい。想像はできる。「お前」と同定されることのない、「私」を「私」と呼ぶことのできない、抑圧なしのユートピアがそこに拡がっているだろう。まさに、「サバルタンは語ることができない」。かつてフーコーが打ち出した『魂は身体の牢獄である』
という、一見したところトリッキーなテーゼに込められていたかもしれない苛立たしさには、同意するに吝かではない。この種の原初的抑圧の暴力性には敏感であるべきだし、しかし、しばし躊躇いながらも、この暴力から笑いを産み出す昇華の方法を探るべきなのである。この昇華は幻想ではない。理不尽に突き付けられた、尽きることのない、終わりのない、仕事だからだ。
僕が何を言いたいのかというと、お題ができたら全力で釣られて、あーでもないこーでもないと盛り上がり、次第に飽きては、パロディ化して派生した別のお題で盛り上がり――そんな楽しいところがはてなハイクです。
――落ち込むこともあるけれど、私は元気です
――
当事者でない者には事象を語る資格がないと規定することは、「語り部」の減少を招くことによって世に対してその事象をより知られざるものとし、結果的に当事者を理解する(少なくともその潜在的可能性を持つ)者を減らして、当事者自身の孤立化を招くことになる。
サバルタンについてはむしろ語れ。「語り得ぬもの」についてもどんどん語れ。
誤解と誤認と無理解を伴った試行錯誤の「語り部」生成のプロセスなくしては、その後の「理解」のプロセスだって発生するはずがないのだ。神ならぬ身の人間には、試行錯誤の蓄積を全く伴わないただ一度の回答によって、万人をすべて納得させられるような“正解”を言い当てられるはずなどないのだから。