おじいちゃん。寝る前にお薬飲まないとダメでしょう。
社宅(という名の借り上げ賃貸マンション)まで区議会選の投票のお願いに来たのは面食らったなあ。
体調は良くない。
もっとセックスすることと書いてあった。
というか別れたい彼氏となんかするわけないじゃん?
セックスの相手なんているわけもない。
あーしたらいいとか、こーしたらいいとかいうけれど
どれもめんどーだし、ムリ
おもうわ
3,4年くらい前までの2chは、今みたいなクソスレだけじゃなくて、1がひたすらとても長い自分語りをするスレッドが多くあった。また、例えば性分化疾患の女子高生が性分化疾患について語るようなスレッドもあった。2chは今よりずっと豊かだったのだ。
今まではまとめサイトがそのようなスレッドのアーカイブとして機能していたが、現在サイトの容量の問題で過去の記事がどんどん削除されている状況にあり、豊かな内容のスレッドも巻き添えを食らっている。超有名なスレッドに関しては至るところにコピペがあり、ネット上で永遠に語り継がれるだろうが、まとめサイトにちょこっと載っただけの、しかし豊かな内容を含んだスレッドが消滅してしまうのは、人類にとって甚大な損失である。早急にアーカイブを設置しなければならない。
読むだけならまだしも会社で書き込むなよ
気づこうと思えばいつでも、あの無能な出しゃばりがリスクであると気づけたはずだったのに
外れろ、お前はクリエイターには向いてないとはっきり声を上げる機会はいくつもあったはずなのに
原作にその名前がクレジットされているのに(いるからこそ)、群を抜いてリアリティの低いコミカライズ作品
作品とは関係ない上に、ゲーム要素を落とし込まずにそのままぶち込んだだけのドラマCD
筋も通らない上に面白くないどころか艦娘とユーザーを道化にした2014夏イベント
1年以上も連れ添ったキャラそのものを作りかえるような追加ボイス
kanataからminatokuに名義こそ変えたが作詞だってそうだ
普通ならプロが行っていた分野の仕事を、ただそれができる立場にいるから、所詮テキストを書くだけだからと、
侮って手をだして、酷い出来のものを作り続けてきた。今回はそれがアニメになった、それだけだ
田中謙介氏がシナリオに手を出したのは、彼自身が述べているように、C2機関のサークル活動以降である
アラフォーになってからの挑戦だ。それ自体は別にいい。その歳から評価される作品を生み出した例はいくつでもあるだろう
ただ彼がそういったライティング業をやってきたのはサークルメンバーとして、そしてプロデューサー等の権限のある役職と兼ねて、だ
間違いなく艦これの企画者は彼だろう。トップも彼だ。だが、創作するのも彼でなくてならないなんてことは、なかった
そして止める者もなく、止める声も大きくならず届かずアニメに至った
あーそういえば「信じてないなら抜けないのはなんで」とも聞かれたなあ。。
ヘイトの総意は完成しているしな
上から目線な事よりもマウントの撮り合いしてるだけの自分を格好良く見せようとして結局中身空っぽの発言しかできなくなってることが問題なんだよなぁ……
某宗教を抜けることにした。新興宗教に分類されるっぽい、それなりの信者数もいて政党もあるっぽい、すこぶる評判のよろしくない宗教。生まれた時から入れられていたが、割と小さいころから違和感を持っていた。少し大きくなって評判の悪さを知り、自分の判断は間違ってなかったと胸をなでおろした。(なんだか後ろめたい安心感ではあったけど。)
でも、親が信じているものをどうして信じられないんだろう、自分は冷たいのかという疑問はずっと持ってる。(ちなみに親は信じてはいるが他人に積極的に活動を勧めたりはしない)子供なんてはじめは親の世界観の中で生きているのに、なぜ自分は小さいころからその宗教に疑問を持ったんだろうってことも謎。当時、同年代の某宗教の集まりでは割とみな真面目に活動していた気がする(疑った子は集まりに来ていなかっただけかもしれないが)。本をよく読んでいたから、本で自分なりの世界観ができたんだろうという結論に落ち着いてはいるけど。親に認めてもらいたくて、小さいころから必死で信じようとしたって人もいるのに。自分が親になったら何かわかるだろうか。
結婚を考えている人に「いくら信じてないと言っても、そういう環境で生まれ育ったら、知らない間にそういう考えのようなものは染み込んでいるんじゃないか」と言われた。そんなことはその家に生まれた自分自身が一番思ってる。多分望まない環境(宗教に限らず)に生まれた人はみなそう思ってるし、本人が一番それを恐れている。だからって某宗教の悪口を言ったら負けな気がする。全力で悪口でも言ったら胸をなでおろしただろうか。
よく知らない人ほど、悪口を言うことで安全地帯に逃げる。疑われたくなければ真っ先にその宗教の悪口を言えばいい。多分ホモフォビアと同じようなもの。悪口を言う人は、何も知らない一般人というより、投票とかの被害に遭ったか、さもなくば親戚なんかにいるのかもね。それともライバル新興宗教?しかし何だろうな、某宗教を語っている場に居合わせる時の、信じてないにもかかわらず踏み絵か魔女狩りに遭ってるような後ろめたさは。
子供のころから「自分はどの宗教も信じないな」と思っていたから抜けるのはいいのだけど、正直抜け方が分からない。けじめをつけたいし、あの宗教のお墓に入れられるのも嫌なのでちゃんと抜けたいけど、昔の知り合いに会うかもしれないと思うと憂鬱。何よりも痕跡が残らないかとひやひやしてる。そういう意味ではやっぱり悪口を言う人と変わらないのかもしれない。相手も心配性だから多分それを心配してる。(でもってちょっと自分がその宗教に逆戻りするんじゃないかと心配されている気もする。なんだかな。)
以前抜けようと思ったけど、その時は親を否定することをあえてやるのかと思うとできなかった。結婚時に相手の宗教に乗り換えるか、親がいなくなった後でやめるのが穏便だと思った。信じてないのはまる分かりなので、引き延ばすのに意味があるのかって感じでもあったけど。その後一人暮らしで宗教に関連する話からは縁遠くなっていたけど、向き合う機会が戻ってきた。今度はきっちり無宗教になろう。
私は二十八歳の同性愛者です。というか、同性愛ではあるのですが、大人になる前の少年が好きなのです。けれど、実際には少年との性行為を行ったことはありません。それがいけないことだというのはわかっていますから、自分で必死にその欲望を抑えています。しかし、もうそれも限界に達しているのです。なんとかできないものかと、成人したゲイの男性と関係を持とうとしたこともあるのですが、そうした相手ではまったく興奮することができず、結局、行為は成り立ちませんでした。最近では、ふと気がつくと、街で好みの少年のあとをつけていたり、もう少しで声をかけそうになっている自分にハッとします。それと同時にぞっとします。いったい私はどうしたらよいのでしょうか。なんとかならないものでしょうか。本当にもう子供に手を出してしまう寸前なのです……。
『欲望問題』の著者である伏見憲明氏は、上記のような相談のメールを受け取ったそうだ。
伏見憲明氏は、ゲイの解放運動に携わってきたゲイであり、差別やジェンダーの問題に造詣が深い。
今のぼくは三十歳前後くらいが性的な好みになりますが(中略)少年愛は自分と地続きです。たかが発情する対象の年齢幅が十五~二十歳くらいズレているにすぎません。そのことは、ゲイだけにかぎらず、ストレートの人も同じだと思います。
異性愛の人々なら、少数派は何か問題があって「正常」ではない性の傾向にねじ曲がってしまったのだ、だからそれを「治療」で本来あるべきの状態、つまり「正常」な性に戻せるはずだ、と考えるかもしれません。しかし、ぼくは、自分と性的対象の年齢が少し異なっているだけの少年愛者が、セラピー程度のことで、セクシュアリティを変更できるとは考えにくい。
異性愛の欲望だって同性愛にならなかったという意味で、ぼくに言わせれば偶然の結果です。フケ専だって、デブ専だって、ロリコンだって、萌え系だって、巨乳好きだって……みんなそういうものなのではないでしょうか。それぞれ本人の実感の中では、選択的なものではなく、自然にそうなっていた、としかいいようがない。(中略)それがちょっとやそっとのことで恣意的に変更できないことは、同性愛の例を考えても明らかでしょう。そんなものが簡単に変わるのなら、誰もマイノリティとして社会的な不利益を被ったりしません。
これには強く同意せずには居られなかった。欲望に理由付けをしている人々も居るが、後付けにしか思えない。
「思春期に同級生女子に拒絶されたので、成人後も思春期の年代の女子に執着し続けている」
「思春期に同級生女子に拒絶されたので、母性を感じる年上女性に惹かれるようになった」
どちらも理由として通じる。理由付けなど、本人が欲望を正当化したり納得したりするための自己満足的行為でしかなく、
実際はただ「思春期女子が好き」「年上女性が好き」という好みがあるだけなのだ。
どのような好み・欲望を持って生まれ育つかは、ほとんど偶然の産物である。
それが万人に理解されやすい欲望ならば仲間と馴れ合うネタになるし、無理解・嫌悪されやすい欲望ならば迫害される。
欲望が自分にとってプラスに働くかマイナスに働くかは、運でしかない。
相手に暴力を加えたり、死に至らしめたり、年少者の心に傷を残すような行為は認めない、というのはこの社会の原則でしょう。そうしなければ社会を担う次世代を育めないし、子供たちの可能性をつぶしてしまうことになる。(中略)それゆえその禁止は徹底せざるをえないでしょう。
二人の同性愛者が愛し合っている関係はWin-Winであり、社会を脅かす存在でもない。
海外ではゲイカップルが養子を育てている例が見られるが、養育リソースとして活用できるなら社会にとってプラスの存在であるとも言える。
「聖書が同性愛を否定している」「なんだか気持ち悪い」などの拒否反応を示す人もいるかもしれないが、
性同一性障害、女装癖、二次元オタク、BL好きなどの様々な少数派も、気持ち悪がる人は居るが、その欲望による社会への実害は発生しない。
しかし「暴力を加えたいという欲望」「死に至らしめたいという欲望」「年少者の心に傷を残すような行為をしたいという欲望」は、
実害を発生させる欲望であり、社会を脅かす欲望であり、社会に受け入れられることが期待できない欲望である。
「なんだか気持ち悪い」は、解放運動によって薄まっていく希望があるが、「実害を回避したいという強い恐怖感」はどうにもならない。
あなたは他人の性欲を充たすために死に至らしめられたいか?あなたの子供が幼児性愛者に性的暴行されることを受け入れられるか?
対人関係の欲望の問題は、多数派か少数派かということが焦点ではない。
Win-Winになりうるのか、Win-Loseでしか成り立たないのか、そこが一番の問題なのだ。
伏見憲明氏は少年愛者の相談に対し、同人誌などフィクションで欲望をみたすことを提案しているが、それでも完全ではないともしている。
追記:
ChieOsanai 実害がない近親結婚の解禁を唱えても怒るひとが必ず出てくる。四六時中、近親相姦に怯えるようになるって言ってるひとがいたけど、現状日本では(強姦ではない)近親相姦は法的には禁じられてないからね。
婚姻による所領の流失にも敏感であった。そのため、叔父と姪やいとこ同士(二重いとこの場合もあった)という血族結婚を数多く重ね、一族外に所領が継承される事態を防ごうとした。その結果、17世紀頃には誕生した子供の多くが障害を持っていたり、幼くして死亡するという事態が起こった[2]。カール5世以降、下顎前突症(口を閉じているときの顎の形のことではなく、歯を見せたときに上の歯より下の歯が前にある)の人物が一族に多くなっており、カール5世は不正咬合により食事は丸呑み状態であったことが伝えられている。特にスペイン・ハプスブルク家ではカルロス2世のような虚弱体質・知的障害を併せ持った王位継承者を誕生させ、スペイン王位をブルボン家に渡すこととなった。そのブルボン家も血族結婚を古くから重ねており、ブルボン家とハプスブルク家の間で頻繁に婚姻が行われるようになると、双方で夭折したり、成人に達しても身体に障害を持った人物が続出した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%97%E3%82%B9%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%AF%E5%AE%B6
nomitori これの究極が殺人衝動もってる人なんやろなぁ…自殺志願者を絞殺して死刑になった人いたけど、あれはあの人なりに社会と折り合おうとしたんやろうな…もちろん社会はそれを受け入れられないわけだが…
このブコメが最も投稿の意図を汲み取ってくれたと感じた。ありがとう。
saigami こういう話題が出る度に「自分は同性愛者だけど小児性愛者も差別されるべきではないし権利保護されるべきだと思ってるよ」とアピールした方がいいのだろうか
小児性愛者の権利保護とは何なのだろうか。アメリカではゲイを寄ってたかって暴行する事件が起きているが、小児性愛者もそういった暴力に晒されているということだろうか?
部落差別のように就職時の差別などを受けているのだろうか?いったい、どんな実害を被っているのだろう?
成人を対象とした異性愛者は、結婚という制度による保護を受け、社会のお墨付きを得ながら性欲も満たしていてずるいということだろうか。
小児性愛者の権利保護は「成人男女が、実在の児童を性欲解消のために使う権利」を保護することだろうか。
しかし成人を対象とした異性愛者であっても、貧乏ブサイクバカが金持ち美形優秀な異性を求めても、ディール不成立となる。
結婚しないのではなく、できない「成人を対象とした異性愛者」などいくらでもいる。
貧乏ブサイクバカ男と金持ち美形優秀女でも、貧乏ブサイクバカ女と金持ち美形優秀男でも、同じである。
性的指向も、本人の性別も、関係ない。Win-Loseならば性的関係のディールは不成立となる。
成人同士なら「自分が一方的に不利な関係を強いられていないか?」という判断を「お互いに」することが可能だが、成人と子供の場合はそうではない。
親と子の関係も、子の判断力や選択肢が限られている以上、不平等なものである。だから保護者による子供への虐待はひときわ憎まれる。
要は知力や体力で圧倒的に勝る存在が、劣る存在に対して一方的に欲求を押しつけるのは暴力なのである。
「オレのSはサービスのSだから」などとのたまうなんちゃってサディストではなく、見ず知らずの人に対する理不尽な暴行や殺害を熱望する純度の高いサディストや小児性愛者は、
欲求の根本に暴力、Win-Loseを含んでいる。これが問題なのだ。
「サディストや小児性愛者の権利保護がなされている状態」について教えてほしいものだ。
補足しようと思っていたことがブコメで補足された。ありがたい。
例えば視力ってのはかなり遺伝に影響される要素ではあるんだけれど、「近眼」程度の遺伝はそんなもん産むか産まないかの判断に含まれない程度の些細な要素となっているよね。
何故なら、世の中にはメガネというとても美しい装飾具があるおかげだね。
それと同じことで、産まれたタイミングではどうかわからないが、時間が経てば「障害? 笑わせんな」程度になってしまうようなハンディキャップってのはあるんじゃないかねえ。
http://anond.hatelabo.jp/20150129121148
生身の脚を上回る機能の義足が登場したりと、ツールの進歩がハンディキャップをハンディキャップじゃなくしていくことには希望を持っている。
たとえばVR技術が発達して、サディストや小児性愛者の欲求をかなえるVRが誰でも享受できるようになれば、彼らの欲求不満は解消されるのかもしれない。
とにかく、一方的な欲求を受け止めるのが、知識や判断力がまだ備わっていない現実の子供であっては、絶対にいけないのである。
TakamoriTarou フィクションは、確かに完全では無いにしても、擬似的に体験して衝動をコントロールする機能を担っているわけだが、最近はそれすらも許さぬと言う雰囲気が出てきており非常に厄介だと思う。
疑似体験を禁止するのは愚行であると思う。フィクションがガス抜きしてくれるから現実の治安が保たれるのだ。
あらゆるWin-Loseを疑似体験が引き受けてくれれば、欲求をぶつけられて傷つく人も、欲求がかなえられずに怒る人も、鎮まっていくだろう。
(そしてフィクションの人間と現実の人間を比べて、現実の人間を誹謗中傷するのは、最も醜く愚かな行為である)
bloominfeeling 欲望問題はいい本だったなぁ。著者のセクシャルマイノリティに関する本は数冊読んだ。
本当にいい本だった。私はどうにも人を煽るような、喧嘩を売るような書き方をしてしまいがちだが、『欲望問題』は理解を深めて広げるような書き方に仔細に配慮しており、
ここには書ききれなかったコミュニティに関する話もとても内容が濃かった。私の投稿にイラついた人にも『欲望問題』はぜひ読んでほしいと思う。
まともな組織なら、「君の後釜はこの人だから引き継ぎしてね」ってなるか、最初から別の役割かのどちらか。
そんなことで本人が悩むというのは、あんたの勤めてる会社が人材の役割について考えておらず、
http://b.hatena.ne.jp/entry/okanenokyuukyuusha.com/okanetamaru32/
たとえばこういうの。
無言ブクマしてる人は、参考になるって思ってるんでしょ?
ぜんぜん攻撃されてない。