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はてなキーワード: 弁証法とは

2019-10-16

弁証法って面白いよね

たださすがに付き合いきれないけど

2019-06-27

情報銀行ってやばいんじゃないの?

今まではっきりしなかった個人情報の流れを明確化するなんて弁証法チックに言ってるけど、結局流出が加速するだけじゃないの?

しか情報銀行になるための倫理規定は実質損害賠償ができるかどうか。つまり金があれば参入自由

今までグレーというか黒だった名簿の売買が金次第で合法になるなんて、大企業はウハウハじゃないの。

おじさんはもう守りに入っちゃってるのかもしれないけど、これもネオリベとか加速主義ってやつなのかな。

一張羅クレジットカード解約しようかな。

2019-06-11

anond:20190610220324

人海戦術だけ」と「最新技術だけ」のどちらよりも

「最新技術活用した上で人海戦術」のほうが成果が上がりやすいってだけの話では

あたらしいやり方ができたからってすぐに古いほう完全に捨てないとってなるのも極端になるとちょっと雑かなあと

人類の発展はこの弁証法によって成り立ってきたんだし。

IT系にだけそれが適用されてはならないってのはどうなんだろ。IT詳しくないか全然違うこと言ってるかもだけど。

2018-10-09

anond:20181009071921

社会学に修辞的な要素が大きく、また国ごと、分野ごとにお作法が大きく違うのは事実だと思う(だから他国ジャーナルにはその国の言語に堪能なだけでは出しにくい)。

ただ、「個人体験談感想」を書くことが論文だ、ってのはちょっと違う。

しろ、そこから出発して、それを突き放して客体化する、みたいなプロセスがあると評価される。

そのやり方で「異化効果」「否定的弁証法」「脱構築」「再帰性」みたいな表現がされる(それらが「どう違うのか」という説明も、分野や流派のお作法があると思うけど、ざっくり言えばみんな同じことを言っている)。

2018-10-05

市民的公共性存在する(が千田氏の思うようなものではない)

辞書的に言えば「市民的公共性とは、ハーバーマスが『公共性構造転換』(1962)の中で提唱した概念ホルクハイマーらの『人間の理性が頑張っても幸せにならないんじゃないの? だってナチスとか出てきたし』という悲観に対するカウンターとして提出された。ハーバーマスにとっての公共性人間自由平等連帯幸せになっていくためのベースとして存在している」といった感じ。

~性というのはいかにベースとして弱そうだが、ドイツ語のÖffentlichkeitは「Public sphere=公共圏」と訳すこともできるというかこっちのほうが適切だと最近は言われている。なので以下では基本的公共圏統一する。

で、市民公共圏って一体何よ?

それはハーバーマス自身もよくわかっていないようである。その証拠大学図書館には「公共圏ってたぶんこういうのだと思います(こういうものだったらいいな)」という本が溢れている。たぶん最大公約数的には「まあみんなで議論する場は必要だよね」というあたりで理解されている。

しかし、この「みんなで議論する場」というもの曲者である人類の大半の歴史上、「みんなで議論する場=公共圏」には男性だったり社会的強者だったりという入場パス必要だった(今でもそうかもしれない)。しかしそれは今日価値観から見れば明らかに間違っていたわけで、その間違い(入場パス)と長い間仲良しだった概念自由幸せ社会ベースに据えていいのかという問題がある。

ハーバーマスは彼が理想とする市民公共圏がどういうものであるかは、少なくとも『公共性構造転換』の中では(たぶんそして今日に至るまで)ふわっとしたことしか言っていないのだが、どういうものでないかはこれ以上ないほどに詳しく論じている。一見いかにも学者らしい無駄っぽく思えるが、「こっちに行ってはいけない」というガイドブックでもなにもないよりはましである。たぶん。

本稿では、「昔の(入場パスつきの)公共圏にはこのような批判がありました」とハーバーマスが論じている部分を検討し、その批判千田氏の立場にブッ刺さっていることを確認する。その結論として、千田氏の「市民的公共性」という用語用法いかに不適当ないしド適当であるかを示す。

ヘーゲルによる公共圏批判

以下ではハーバーマス細谷貞雄山田正行訳)『公共性構造転換』の第四章 第一四節「公共性弁証法によせて――ヘーゲルマルクス」に基づいて議論を行う。

ヘーゲルは入場パス公共圏関係を真っ先に疑った人であった。とはいえヘーゲル最初からブチ切れたりはしない。「公論公共圏における論議、もしくは公共圏のもの)っていいよね、合理的だし」というところから話を始める。でもその合理性って自由主義がベースになきゃ成立しないよね?(みんなが自由意見を言えることが前提なので)、でもその自由主義って本当に公共圏とそこまで相性いいだろうか?とヘーゲルは問う。考えてみればこの矛盾は明らかである。司会のいない多人数の会議を考えてみればよい。地獄である。間違いなくそこに自由はある。なのに(だから?)地獄である

このことの地獄性は会議室を超えて社会とか国家とかのスケールになるとより増す。例えば少数者差別を考えてみればよい。これはみんなに「自由に」議論させてるだけではそもそも議題にすら上がらないだろう。そうして公論きらきらした合理性の賜物から「多数者の主観的私念」という水準へと転落する。公論は「自然に生じた不平等止揚するどころか、むしろこれらを技能財産さらには知的倫理的教養の不平等まで深めていく」。入場パスを持っていない人はより不利な位置に、持っていても少数派の人もまたより不利な位置に、公論によって追いやられる。

まあとはいえ人間も頑張るもので、法治国家とか市民社会とかを作って頑張って公論して私念から理性に支配権を移そうとするのだが、ヘーゲルいわく土台が腐っているのに頑張っても泥縄だそうである。そうした頑張りはむしろ国家主観的私念を入り込ませる結果になるとヘーゲルは言う。じゃあどうすりゃええのよって言えばヘーゲル最初から開き直って身分制国家を作れとか言ってそれに対しマルクスがいや社会主義でしょとか言って最後ハーバーマスがいや公共圏を作んなきゃダメだよとか言うのだが、そのあたりは略する。

ともかくにもハーバーマスが描く市民公共圏というものは、こうした批判スルーしては論じることができない。ここで重要なのはハーバーマス公共圏をどのようなもの「ではない」と考えていたかということである。以上見てきたようなヘーゲル理論は最終的に乗り越えられる(ということになっているが詳しいことはやはり不明)のだが、であるからこそ少なくともヘーゲル批判したそのままのことをやるのがまずいというのはわかっている。

千田氏は何をしたか

まさにヘーゲル批判した地獄公論インターネット上に出現させようとしているのである

私自身は「表現の自由」は国家から規制されるべきものではない、とは思う。でもそう思うからこそ、国家から規制されるまえに、「市民的公共性」を発達させないといけないと思うんですよ。

あと表現って、さまざまな他者への配慮のなかでこそ磨かれていくものだと思う。フリーハンド表現なんてない。https://twitter.com/chitaponta/status/1047451777220501504

市民的公共性の話って、ハーバーマスのつもりだったんですが…。https://twitter.com/chitaponta/status/1047789073471946752

市民的公共性対話によるものですから、そのことを話し合うことが大切だと思います

いままさに起きていることが、市民的公共性なのではないでしょうか?https://twitter.com/chitaponta/status/1047810256976269312

まず第一に、専門用語を「」で括って注釈なしに使うのはおよそハーバーマスの「市民的公共性」的態度ではないといえる。なぜならこれこそヘーゲル批判した「自然に生じた不平等を(略)知的倫理的教養の不平等まで深め」る態度にほかならないかである

そして第二に、ハーバーマス議論は上のような「話し合えばそれが公共性」というような安易理解を拒絶するものであるということを千田氏はまったく理解していない(か理解していても無視している)。上で見たヘーゲルによる公共圏批判からもわかるように、ハーバーマス議論は「公共圏にはあれやこれやそれや…の批判があるけど、でも、それでも公共圏がなければ人間幸せにはなれないんだ」というひねくれたものであり、単に「話し合いが重要だよね」と言っているのとは違う。仮に結論は一緒だとしてもやはりそれは違う。その違うものを一緒くたにして、専門外の人に「話し合い=市民的公共性」という理解(そんな人のいい理解をしている人はほとんどいないようだが仮に字面だけ虚心に読んだとして)を植え付けることが、ほんとうにハーバーマスであるといえるだろうか?

第三に、「思う」根拠が示されてない。少なくともハーバーマスは「国家規制を前もって回避するために市民公共圏を発達させるべきである」というような具体的な議論はしていないはずであるであるとすればこれは千田氏のオリジナルアイディアが含まれているはずであるのだが、それがまったく説明されていないのと、先に述べたようにそもそも専門家間ですら扱い方に差がある「市民的公共性」という単語のせいで、最初ツイートの二文目は全く意味不明ものと化している。原理的に誰にも意味が伝わらないはずのもの炎上しているのはお気の毒というほかないが、であるからこそ千田氏は「市民的公共性」の意味と「思う」理由をしっかりと説明してほしいと思う。

2018-09-27

何が起ころうが、必ず、絶対に佐喜真氏が勝つ3つの理由

これはある種の確信を持って書いている。

いろいろ書く前に、私のプロフィールを書いておこう。26才、プログラマー大学情報系の学部卒。沖縄で生まれ高校まで過ごし、東京で働いた。

さて、今回の選挙では、必ず佐喜真氏が勝つことに“なっている”。

理由はいくつかある。

まず、若い世代は”功利主義”の考えが根強い。とても簡単に言えば、結果さえよければ、途中の過程にはある程度目をつぶるというものだ。あるいは、1人の犠牲10人の犠牲でどちらかを選ばなければならないなら、1人の犠牲を選ぶというものだ。これをトロッコ問題という。

きつい言い方をすれば、普天間基地がなくなるのであれば、辺野古の海や住民生活が多少脅かされようとも問題はない、ということだ。

またそもそも、「辺野古はもう埋め立てられているのだし、中止になろうが埋め立てられようが、誰も幸せにならない。だから、すぐに普天間を移すことができる場所を作るのがいいのだろう」という考えも多いだろう。ある種この考えは正当性を持っているかのように見えるが、実際は自民党基地推進派による「刷り込み」あるいは「意見誘導」にすぎない。本来であれば、他の都道府県に移すという考えは実現可能だ。しかし、もうそれが不可能かのような雰囲気が漂っているのだ。

基地はない方がいい。これは多くの(基地利権がない)県民にとっては共通意見だ。しかし、それは基地が70年以上ある中で理想となっている。すでに、生まれた時には空にはF-15EやF-22やKC-135やC-130やCH53やMV-22が飛んでいて、基地はヅャスコやサ●エー(沖縄スーパー)やメイ●マン並にありふれた施設となっている。このような中で基地を無くそうという意見は、もう理想の域になってしまっているのだ。そのような中、辺野古は埋め立てられ、県内移設の準備は整いつつある。それならば、もう辺野古にしてしまとある種の妥協正当性を見いだすのだ。繰り返すが、極右のように「基地ポンポン作れ」というような意見から出てきた意見ではなく、妥協によるソフトランディング地点に辺野古への移設見出しているのだ。

ゆえに、若者にとってすでに、辺野古は争点になっていない。その他の経済子育て教育に争点を見いだす。この時点で、辺野古を争点にしない分、その他にフォーカスをあてることができる佐喜真氏の意見は魅力的となる。余談が過ぎたが、以上が、若者から見て佐喜真氏が支持される理由の一つだ。それに沖縄は若年層も多い。

二つ目理由として、デマ問題もないわけではない。特に若い世代テレビラジオ新聞よりTwitterやインスタに接する時間が圧倒的に長い。この点は悪いわけではない。問題は、そのような情報に触れ合っているだけで、(ボット投稿であっても、)多くの同じような意見が流れればそれを正しいと思ってしまうというリテラシーにある。これを別に佐喜真氏の陣営がやっていると言っているわけではない。佐喜真氏のスタンスからすると、彼に利をするようなツイートなどが多いと感じただけだ。

この点はきちんと、どちらの陣営から検証するべきだし、今後も注意しなければならない点だ。佐喜真氏の支持者も、デニーの支持者も、相手側の視点に立ったらどうしたほうがいいかを考えなければならない。そうやって双方の立場尊重することで、民主主義は良い方向に醸成される。

三つ目は、自民選挙の「うまさ」だ。これは、デニー陣営が「弱い」からではない。自民が「うますぎる」のである。まず辺野古を争点にしなかったこと。ただし、普天間は除去するという。県民に「私たち辺野古基地を新設させた」、あるいは「私たちデニー投票したことで国からの財源が減らされてしまい、沖縄にとって悪影響をもたらした」といったある種の罪悪感を持たせることもない。

他にも公明党が支持にまわったのも大きいし、基地利権が絡むため、これらのカネが回ることによって組織票の点で大きな集票効果がある。自民戦後長きにわたる安定的政権樹立してきたことで、経済界に大きなコネがあるのは当然のことであり、なんの問題もなくある程度の票を集めることが可能だ。この点、オール沖縄陣営はある種の「ハンデ」を背負っていることは事実だ。それなのに勝った翁長はすごかった。

対してデニー陣営オール沖縄の影響力低下にともなって、戦力を損ないつつあった。なんだかんだで、世の中カネなのだ。と言うわけで、最後理由は、陣営の強さにあった。

最後に、民主主義についてもう一度考えてみたい。勘違いする人は多いが、民主主義は単なる多数派意見を是、少数派を正しくないとするようなお祭りではない。もし少数派の意見が完全に無視され多数派意見けが通るなら、それは「多数派お祭り」に過ぎない。多数派意見に対して少数派の意見が顧みられることがなければ、選挙なんて「いくらやっても無駄」というわけである

アウフヘーベン止揚という都知事も大好きな言葉があるが、これは弁証法言葉で、簡単に言うと意見意見を交換することで、より高次な意見を見いだすということだ。すなわち、タケノコ派とキノコ派が争い、タケノコ派が勝ったとしても、キノコ派の意見も取り入れる(タケノコの下に柄をつけるのかもしれない)ということだ。誤解を恐れずに言うと、多数派もある程度妥協して少数派の意見を取り入れるという考えだ。(うまく説明できずにニュアンスが違うので、詳しくは調べてほしい)

民主主義を履き違え、多数派なので間違いはない、少数派なので間違っている、というような理屈政策を進めてしまうと、必ず軋轢が生まれて分断となる。この点は間違えてはいけないし、「功利主義」が根強く語られる世の中では、より注意したい点だ。自分がもし少数派であるならどうするかという視点に立つことが重要なのだと思う。

ちなみに、私の祖母に誰に投票たか聞いたところ、佐喜真氏へ入れたという。理由は、「誰に入れたらいいかからなかったが、書きやすかった」からだそうである

いろいろ考えたところで、民主主義なんて、こんなものか。私は脱力した。

2018-09-04

翁長知事「戦う民意」〜「琉球独立」を促しているのは国民の無関心だ

抜粋しながら読書

野党問題

野党が支持されないわけ

左右いずれもガチガチ政治家は、いつまでもガチガチのまま、一割の支持者層で人生を終えてしまます。私は共産党の人たちにもずっと言い続けました。

政権を取るぐらいの気持ち政治をやらなければ、いつまでも一割政党でどうするのですか。これが正しい、あれが正しいと言って政権も取れず、あなた方は政党として支持者に応えているのですか。あなた方を信じて何十年も付いてきた支持者に不誠実ではないですか」 一割で正しいことを言っても、残りの九割に誰も興味を示さないのなら、政党としてやっている意味がないのではないか。 現在日本政党状況のように、「一強多弱」では政治が行き詰まってしまます。それぞれ一定程度の勢力を持ちながら勝ち負けがあるからこそ政治に緊張感が生まれ民意がそこに反映されるのです。それは政治家がいつも意識していなければならないことだと思います

9条があるから平和なのか

憲法改正派も、そうで無い人も、沖縄視点が抜け落ちているのだ

私は革新側も批判しています。「憲法九条があるから日本平和だ」と主張する人たちは、憲法埒外にあった沖縄負担のもとで、戦後日本高度経済成長平和継続があったという視点が抜け落ちています

政権の現状

この本が書かれたときも、そのあとも、民主主義は壊れ続けている

今の日本政治はまったく民意を顧みない。国権の最高機関たる国会も、行政府監視という役割果たしておらず、与党内においても異論封殺されています日本民主主義危機に直面しているのです。

「例の作家

沖縄押し付けた、沖縄基地に守られながら、「保守」を名乗り沖縄差別するという構図

そればかりか、「(普天間基地の)もとは田んぼで何もなかった」「基地地主はみんな年収千万円」と発言した有名な作家のように、自分たち日本安全保障を守ろうという気概もない人たちまでもが、実態とかけ離れた暴言を吐いています。そこには沖縄に対する無知無理解差別意識があります

独立するのか

沖縄差別しておきながら、独立を憂う矛盾、そして独立への道は"不本意"ながら舗装されつつある。沖縄への無理解の代償として

 沖縄という小さな島が、日米両国という大きな権力相手にして戦うことは困難を極めます。 そうした状況を前にして、「沖縄独立することを考えているのですか?」という問いが発せられます。 そして、そんな問いを受けるたびに、私は沖縄県民がここまで日本国民として受け止めてもらえないのか、と絶望的な気持ちになるのです。

もちろん、独立論は沖縄積極的に支持される意見ではありません。これまでは居酒屋談義とされてきました。独立論がまじめに語られ始めた原因は、むしろ本土側にあります。 基地削減を求める沖縄県民の声が無視され続け、これに対して「日本の四七分の一として認めないのなら、いっそ日本というくびきから外してほしい」「独立すれば沖縄意思基地をなくせる」という気持ちの表れとして独立論が語られます

今後、事態の成り行きによっては、独立意思を表明する人たちが、沖縄から数多く出てくるかもしれません。しかし、それ自体沖縄の不幸につながると私は思います

沖縄問題は、結局は合意形成に基づく民主主義問題帰着される

そして、沖縄独立を語る前に、日本本土覚悟を決めて、米軍基地を全国で受け入れて、しっかりとした日米同盟をつくってもらいたいと私は思っています日本国民一人ひとりが、基地問題自分のこととして考えて、そしてその集約が日本政治うごかしていくようにならなければ、真の民主主義がこの国に根付くことはないでしょう。


沖縄基地問題は、結局自治体と国の闘争という単純な話ではないのだ。基地問題に限らず、政治に関する無関心は、最終的に、大きな民主主義の傷となって日本国を蝕んでいくだろう。

ところで、この場合基地問題議論を終着させるのは誰の意見なのか?日本国民の多数決沖縄県民の多数決?まぁ、現時点ではおそらくそれのどちらでもなく、「政権多数決なのだろうな。

まぁ、「多数決」が「民主主義」と思っているような人も多いので、この国の民主主義には期待できそうにもない。(ヘーゲル弁証法や「止揚」は、現社でやったっけ?)

2018-05-10

正しいってなんだろう

「正しい」ってなんだろう?

正しいことは正しいのだろうか。

正しくあるために他人と摩擦を起こして、攻めたり、争ったり。

弁証法のごとく真理を求めていけば本当に「正しい」にたどり着くのだろうか。

どうして正しさを求めるのだろうか。

正しいことに意味はあるのだろうか。

2018-03-04

老害になってしまった自分

ライトノベルブーム記事を見た。自分認識では漫画ラノベももう売れなくなっててゆるやかに終わりつつあるジャンルという感じなんだがそうでもないのかね。年取ったせいで自分はもうああいうのは楽しめなくなったというか、小説アニメ映画も含めてフィクション全般バカバカしくて見てられなくなった。なんでこんなもんに熱中していたのか、時間無駄だったなと後悔している。

こういうことを言うとすぐ「時代についていけなくなった老害」だと非難されるわけだが、40代50代にもなって漫画ラノベアニメ小説映画かにはまってる人間は「老害」ではなくて賢い人間なんだろうか。たかフィクションを楽しんでいるだけの人間がなぜそんなに偉そうにしているのか。ある程度の年齢になればフィクションの底の浅さに気付くだろう。それでもまだ若い頃はそういう底の浅い陳腐ものをあえて楽しんでいたりもした。しかしそれも限界に達する。もはや底の浅い陳腐ものをあえて楽しむという趣味にも飽きてしまう。

真性オタクは底の浅い陳腐ものをあえて楽しむ趣味40代50代になっても依然として続けている。現代出版事情においては彼らのような真性オタク漫画ラノベ買い支えている。記事によるといまだにブームということらしいし、ますます拡大を続けているという。底の浅い陳腐ものをあえて楽しむ趣味を飽きずに続けている40代50代がこれからもどんどん増えていくんだろうか。

あえて「時代についていけなくなった老害」として言わせてもらうと、自分はそういう連中を不気味だと思うし、不憫だとも思う。しかし同時にすごいことだとも思う。その辺の底の浅いつまらない作家が書いた陳腐な作り話に熱中して子供のように感動してしまう真性オタクたちはある意味時間を超越した存在でもある。彼らは年を取らないし、永遠に子供と同じ感性のままで生きている。飽きるということがない。同じような感動ストーリーを見てもまるで初めてそういったものに接したかのように純粋に感動するし、「既視感牢獄」などといって作品批判をすることもない。彼らの漫画ラノベ体験はつねに新鮮で、生き生きしていて、色彩豊かで、刺激に満ちている。正直うらやましい。

話が飛ぶが、自分はもう人生に飽きてしまった。何をやってもつまらない。人間限界を感じるし、さらに壮大なことをいえば宇宙限界を感じる。毎日無力感との戦いだ。すべてが想定の範囲におさまってしまう。想像力の飛翔とも思えた漫画ラノベですらもう自分には何の目新しいこともない。どの作品既存の設定や筋書きの配列や条件や固有名詞ちょっと変えただけ。すべてが想定の範囲できれいに丸く収まる。想像力は飛び立つのではなく、磁力に引きつけられて大地に叩き落される。ああやっぱりそうなったか。飛ぼうとした人間はいくらでも見てきたが、結局だれも飛べなかった。

とまあこんなことを書いてみたが、こういう老害ぼやきすらすでにテンプレであって、こういう言説自体にすでに飽き飽きしている。そしてこういう文章に対してどういった批判がくるかもまた自分にはわかってしまうし、多くの人はそうなんじゃないだろうか。作品があり、老害から作品批判があり、作品批判する老害への批判がある、ここまでがセットだ。そしてこの一連のテンプレ的やりとりにすら飽き飽きしている。もしかしたらすべてのやりとりは簡単AIで十分なのかもしれない。飛べていると錯覚している真性オタクたちと飛べていないことを自覚している老害。飛べているという錯覚はいつでも想定の範囲陳腐さだが、飛べていないという自覚もまた同じくらいに陳腐ものだ。ここには弁証法的なものはない。反発しあう二つの力が化学反応を起こして何か新しいもの創造するわけでもなく、目新しくもないその場限りのテンプレ的反目が未来永劫断続的に続くだけ。端的に言ってすべてにもう飽きている。飽きていること自体に飽き飽きしている。

こうやって死を受け入れていくんだろうなどと最近は思うようになった。子供のころはなぜ人間は死ななければならないんだと苦悩していた。そんな理不尽があっていいのかと。しか自分も年をとってきて、人生に飽きてきて、だんだん死に対する態度が変わってきた。死は救いであるとまでは言わない。自分の中では死というのはそんなに肯定的で前向きなものでもない。死は眠りに例えられることが多いが、まさに穏やかな眠りといった感覚に近い。肯定でも否定でもない。ごぼごぼとあぶくの音がする。そこに自分がとけていく。

世界はとてもつまらなくなった。それは自分がつまらなくなったからだ。そういう反論は多い。たしかそうかもしれない自分はつまらなくなった。射精快感最近全然感じなくなった。ただ精液が弱々しく飛び出るだけ。初めて射精したときのあの凄まじい快感は一体何だったのか。あのころ自分が本当の意味人生を知ったのだと思った。射精のない幼少期はピントの定まっていない夢のように思えた。あの凄まじい覚醒感はなんだったのか。生きてるって感じはなんだったのか。いまはもう射精にも飽きてしまった。自分射精は想定の範囲におさまっている。天井まで飛んでいくように思えたあの青春はなんだったのか。

すべてに飽き飽きしていて、刺激に対して鈍感になってしまった。資本主義社会の虚飾にはうんざりしている。どうして馬鹿騒ぎできるのか、どうして楽しめるのか、自分にはもうわからない。つい最近オリンピックをやっていたが、当然まったく見ることはなかった。子供のころそんなものにワクワクしていたのはなぜだろう。

まあとにかく結論はない。昼食はカントリーマアムコーヒー。これだけは欠かせない。

2017-10-19

論のお作法議員候補演説

昔、家庭教師として小論文指導していたことがある。

小論文の基本は、弁証法構成にある(と思う)。

その構成を具体的に示すと次のようになる。

導入部の後には、まずテーゼ(命題)としてある説・論・主張を略記する。

そしてテーゼに含まれる美点、たしかにと首肯できるところを挙げる。

続いてアンチテーゼ、つまりテーゼの汚点、賛同できない点を挙げる。

最後ジンテーゼ、つまりテーゼの美点は継承しつつも、アンチテーゼとして掲げられた汚点は克服されている、素敵な第三案を提示する。

以上だ。

テーゼテーゼの美点、アンチテーゼジンテーゼ

具体例の挿入とか論拠の提示とかの肉付けは残っているが、論の骨子としてはこの4つが揃っていれば、必須要件を満たしていると言える。

裏を返して逆に見ると、つまり対偶をとると、論の骨子が必須要件を満たしていないという時は、必ず4つのうちのいずれかを欠いていると言える。

さて、ここまでは前置きとしてのヘーゲル弁証法の紹介だ。

ここからが本題なのだが、同時にここからは単なる主観でもある。

経験則で言うと、この4つのうちでもっとも欠きやすいのが「テーゼの美点」だ。

しかし、テーゼの美点を踏まえていないジンテーゼは、美点の継承 + 汚点の克服という要件の前者を欠いたものとなるために、単なるアンチテーゼの焼き直しになる。

そのような論には進歩も深化もなく、ただ話者の言いたいこと投げっぱなしジャーマン痕跡があるだけだ。

はいえ、一般人が何かを私的に論ずる時、常にヘーゲル弁証法的な構成手続きを踏むのは現実的ではない。

議論目的が必ずしも進歩や深化を求めるものばかりではないからだ。

さて、翻って政治議員の話である

議員とは、主権者幸福度をより効果的に維持・向上するよう、行政司法コントロールするための立法に、(少なくとも形式上は)議会での議論を通じて取り組む労働者を指す言葉だと思う。

果たして現実議員がそのような定義に沿った実態を伴っているかについてはさて置くとして、定義からすれば彼らに求められる必須技能は以下の3つになる。

すなわち、

■ 1. 正しい目的意識

= 主権者幸福度の維持・向上

■ 2. 適切な統治能力

= 現況の中での目的への最適解を適切に見出し行政司法を最適解に向かうよう制御できる能力

■ 3. 適切な議論能力

= 議会での議論を適切に行える能力

だ。

ここで問題としたいのは3番目の、適切な議論能力である

選挙演説討論番組を観ていると、どうも耳目にする議員(候補)のほとんどすべてが、その論説に「テーゼ(ここでは議員対立する意見政策)の美点」の提示継承を欠いている。

自分には資質があるから票をくれと訴えるプレゼンテーションたる演説ですら、アンチテーゼとその焼き直したるジンテーゼもどきを延々垂れ流す人たちが、どうして議会対立意見を持つ別の議員たちと健全議論を繰り広げられるのだろうか。

これは別に右派は」とか「左派は」とか、枝野氏風に言うなら「上からの人は」とか「草の根からの人は」とか、そういう話ではない。

しろ、そのいずれに属していたとしても、揃いも揃って議論のお作法が出来ていないという話なのだ

自公について言うならば、民主党政権には本当に何も功績や合理的取り組みがなかった暗黒時代なのか、あるいは安保改憲反対派の言うことにはまったく理解できるところはないのか、ぜひ顧みて欲しい。いや、どうせ顧みられないだろうけど。

立憲や共産党社民について言うならば、アベノミクスは本当にすべてまやかし格差を拡大しただけの何ら益ないものだったのか、あるいは安全保障上で米国の協力を引き出そうとみっともなくもがくことを本当に完全に無意味と断じられる客観的根拠があるのか、ぜひ顧みて欲しい。どうせ顧みられないだろうけど。

希望の党について言うならば、いや、希望の党そもそも何をテーゼとしているのか理解が難しいので、何も言うまい

ともあれ、テーゼの美点を継承しつつ汚点を克服する、真のジンテーゼ提示する不断努力を見せて欲しい。

そうでなければ、対立するアンチテーゼ同士のどちらが好きかを選択するだけの、単なる人気投票に堕してしまうだろうというか、もうずいぶん長いことずっと堕したままだ。

こんな状況を見れば、プラトン先生も「ああ、やっぱ民主制ってダメだった」とニンマリ笑うだろうし、子ども政治活動ってのは耳を塞いで言いたいこと言い合うだけのお祭りだと思うし、はてサ彼女はできないし、ネトウヨ財産はできないし、俺はオナニーして死ぬ

2017-09-29

ああヘーゲル

止揚

止揚(しよう、独: aufheben、アウフヘーベン)は、ドイツ哲学者であるヘーゲル弁証法の中で提唱した概念揚棄(ようき)ともいう。

解説[編集]

ドイツ語の aufheben には、廃棄する・否定するという意味と保存する・高めるという二様意味があり、ヘーゲルはこの言葉を用いて弁証法的発展を説明した。つまり、古いもの否定されて新しいものが現れる際、古いもの全面的に捨て去られるのでなく、古いものが持っている内容のうち積極的な要素が新しく高い段階として保持される。

このように、弁証法では、否定を発展の契機としてとらえており、のちに弁証法唯物論が登場すると、「否定の否定法則」あるいは「らせん的発展」として自然社会思考の発展の過程で広く作用していると唱えられるようになった。

国語辞典などでは、違った考え方を持ち寄って議論を行い、そこからそれまでの考え方とは異なる新しい考え方を統合させてゆくこと、という説明がなされることがある。

関連項目[編集]

アンチテーゼ

https://ja.wikipedia.org/wiki/止揚

ごめんね

2017-01-09

http://anond.hatelabo.jp/20170109170321

お見合い結婚体制による不幸:合わない相手結婚させられて不幸

自由恋愛結婚体制による不幸:相手がいなくて不幸

どうやったってシステムに順応できない犠牲者は出てくる。

一長一短。こればっかりはしょうがない。

だが今の人は両者を知り、両者の美点と欠点を見極められる恵まれ位置にいる。

かつてはお見合い結婚体制による犠牲者が目立ったが、今は自由恋愛結婚体制による犠牲者が目立つ。

しかお見合い自由恋愛犠牲者へのセーフティネットになりえ、

離婚が以前ほど忌避されなくなった現在お見合い結婚体制による不幸はある程度卍解可能になってきてる。

両者は補い合うことができるかもしれない。

現代こそ両者の弁証法がなされる頃合いよ。

2016-10-18

女を抱くとは

その人のそれまでの人生を抱くってことだよね

追記

ブコメを見てハッとした

これから人生も抱くということだわ

弁証法とはこのことか

2015-02-24

艦これ東方の対立構造

http://anond.hatelabo.jp/20150222201638

昨日TwitterのTLを賑わせた上記の日記とその反応には、多くの艦これファンならびに東方ファンが深く心を痛めたことだろう。

怒濤のように押し寄せるTLを眺めていた私もその一人だ。

艦これ東方本来ならば衝突するはずもないジャンルであり、共存の道を歩むこともできたはずだ。

それが何故このようにファン同士が互にいがみ合う事態になってしまったのだろうか。

一ファンとして、僭越ながら思うことを述べたい。

対立の発端

艦これ東方の対立は今やインターネット上ではありふれたものとなってしまったが、例えば東方アイマスボカロラブライブといったような争いは寡聞にして知らない。

その理由はいくつか考えられるが、まずそもそもとしてこの二者の対立はどこから始まったのだろうか。


現状からはとても信じられないかもしれないが、艦これが登場してすぐのごく初期の段階では艦これ東方共存を実現していたのである

それは仲良く手を取り合ってというわけではなく、相互不干渉に近いようなごく緩い共存関係ではあったが、それでも互いの存在を認め合って争うことなくそれぞれの平和享受していた。

その関係を一気に崩壊させたのは、たった一つの匿名記事なのである

http://anond.hatelabo.jp/20130923222204

東方ファンは東方から艦これに乗り換えたサークルリスト化している」

少し立ち止まって考えれば首を傾げるようなデマ記事を、心無いTwitter利用者たちが拡散させてしまった。

更にはそのようなリスト作成してサークルを取り締まる東方警察という組織がでっちあげられ、面白がった艦これファンが火のような勢いでTwitter中にばら撒いてしまったのだ。

もちろん、このようなバカげた行為をたしなめる東方ファンや良識ある一部の艦これファンもいたが、流星の如くTLを駆け巡るRTの前にはなすすべもなかった。

こうしてたった一つの悪意ある記事によって両者の束の間の共存は瞬く間に崩れ去ってしまったのである


なるほど東方ファンは過去の行いから、時として一般に粗野で無教養無分別偏執であるとさえ言われる。

しかしながらそれを理由濡れ衣押し付けるのは良識ある文明人のすることではなく、許される行為ではない。


もちろんこの件に無関係だった現在艦これファンが、個々に謝罪反省の念を持たなければならないなどというのは全くの筋違いだ。

だが、過去にどのようなことがあって現在の状態があるかということを正確に知っておかねば、いらぬ憎悪が増え続けるだけなのもまた事実なのである

東方は本当に"オワコン"なのか

艦これ東方の対立で最もよく用いられるフレーズ東方オワコン時代艦これだ。

しかしそもそもこの前提は本当に正しいのだろうか。

東方現在もいわゆる"オワコン"と言われる状態なのだろうか。


現在東方で最も人気の高い作品は、外伝にあたる「秘封倶楽部シリーズだ。

主人公のマエリベリ・ハーン(東方舞台である世界幻想郷」を統べる妖怪八雲紫」の現実世界でのペルソナ)がもう一人の主人公宇佐連呼を引き連れて現実世界を暴れ回るゲームだ。

綾瀬なずな氏の集計によると、直近の東方専門同人誌即売会でも秘宝倶楽部の占める割合は前同で約23%増加している。

また、東方では珍しい商業展開作品である公式漫画も堅調だ。

水雷戦隊クロニクル艦これファンにはお馴染みのコンプエース掲載されている東方鈴奈庵コミックREX東方三月精はともに人気が高く、特に鈴奈庵は物理書籍の出荷数が20万を超えるヒットとなった。

しかし反撃もここまで。

永夜抄以降の本編ゲーム鳴かず飛ばずで息の根が止まってしまっているのは言うまでもないが、コンプエースでの鈴奈庵の掲載順序も常に水雷戦隊クロニクルよりも後ろで、人気の点で常に艦これ公式漫画に後れを取っていることが浮き彫りとなっている。

そもそも艦これ公式書籍はより取り見取りの状態で、漫画だけでもゆうに10作品を越え、更には小説まで発刊されているのである

特に艦娘たちが史実を乗り越えようと試行錯誤するいつか静かな海で、様々な作家艦これ漫画を集めて艦娘たちのいろいろな姿を楽しめるアンソロジー評価が高く、書店でも品薄状態が続いている。

艦これ公式書籍の発行数を全て合算するとゆうにミリオンを越え、東方書籍など足元にも及ばない。

尚参考までに例示するが、モバマスは碌な公式書籍がないため論外である

ラブライブも同様だ。


また先ほど挙げた同人誌即売会も、秘封シリーズがやや堅調なだけであって他は壊滅、瓦解、総崩れという言葉の似あう惨々たる有様だ。

他の東方即売会艦これ即売会を併催するパターンが増え、特に規模の大きかった名華祭大⑨州東方艦これの支えなしには開催できない状況なのはまさに没落と呼ぶにふさわしい。

さらに近年はコミティアふたば学園祭のように東方作品を拒絶する即売会も増えつつある。(艦これは禁止されていない。またふたば学園祭主催主導で艦これ合同企画を計画中なので興味のある方は覗いてみるといいだろう。)

最早東方即売会主催者たちにとってもお荷物なのである


以上をまとめた上で率直に結論を申せば、やはり東方は"オワコン"だったのだ。

対立を解消する方法

艦これ東方、この相反するジャンルの対立を解消する弁証法的な解決方法存在するのだろうか。

唯一の解は東方ファンが東方がすでに衰退しきっているのを認めることである

何もサンドバッグになれと言っているのではない。

東方厨が自らの誤りを認め、事実ありのままに受け入れれば、自然と対立は解消するのだ。

確かにかつて、艦これファンは東方警察という(その当時は)事実無根デマを躍起になって流布してしまった。

しかしそれは、東方衰退という事実に対して何のアポロギアにもならないのである

所詮近い将来には消えてなくなるジャンルである

今衰退を認めようがあとで認めようが同じことだ。

東方ファンは煽りに騙されることなく冷静に現実直視して、このような不毛な対立を解消する一歩を踏み出してもらいたい。

2015-02-08

はるしにゃん君について

はるしにゃん君がセクハラやら暴言やらで話題になっている。長らく彼をヲチしてきた者として、これから彼をヲチする者のために、彼の人物像を紹介するよ。

殻辺(@hallucinyan)さん | Twitter

https://twitter.com/hallucinyan

もともと彼は立命館の経済だかに通っていたアイマス好きのオタクで、東浩紀宮台真司への憧れを募らせながら、ゲンロン界隈に溶け込もうとがんばっていた。そういえば昔はハルシナと名乗っていたな。

むりゃかみゆうとは (ムリャカミユウとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%82%80%E3%82%8A%E3%82%83%E3%81%8B%E3%81%BF%E3%82%86%E3%81%86

むりゃかみゆう@非公式(@muryakamiyuu)さん | Twitter

https://twitter.com/muryakamiyuu

ハルシナ(@hallucina_)がむりゃかみゆうコスプレしてTLが大狂騒だわぁい! - Togetterまとめ

http://togetter.com/li/25117

ゲンロンの前身にあたる合同会社コンテクチュアズマスコットキャラクター、むりゃかみゆうモチーフ女装なんかやってた頃は、彼にも可愛げがあった。

ニコニコ動画歌ってみたなんか上げちゃって、東浩紀への目配せがいじらしい。

組曲あずまん動画』 - ニコニコ動画:GINZA

http://www.nicovideo.jp/watch/sm9418087

で、彼はそのままゲンロンのホモソーシャルで姫をやってりゃよかったものを、欲っ気を出して同人誌編集を始めてしまった。

Amazon.co.jp: イルミナシオン: 松本 卓也, 黒瀬 陽平, 上祐 史浩, 佐藤 雄一, 有村 悠, はるしにゃん, 藤城嘘: 本

http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%9F%E3%83%8A%E3%82%B7%E3%82%AA%E3%83%B3-%E6%9D%BE%E6%9C%AC-%E5%8D%93%E4%B9%9F/dp/B00B72IS7W/ref=sr_1_2?s=books&ie=UTF8&qid=1423375602&sr=1-2

この『イルミナシオン』所収の「イルミナシオンは愛を求めて」は、はるしにゃん君が不幸な家庭で育ち、エヴァにハマり、友人の自殺を経て、童貞卒業への闘志に芽生え、デリヘルで失敗し、メンヘラ女を食い漁るようになるまでを描いた自分語りで、彼の批判者はまずこれを読んでおいたほうがいいよ。

これは劣化版『超人計画』みたいなもので、はるしにゃん君も「滝本竜彦劣化コピーのごとき実存」とか自分で言っている。

滝本竜彦論 - A Mental Hell's Angel

http://hallucinyan.hatenablog.com/entry/2012/07/08/103452

これだけを見るとゲンロンに擦り寄っていた哀れなオタクがなんか覚醒したっぽいというだけの話だけど、覚醒した彼は『イルミナシオン』の刊行と前後して、アニメ批評にちょっかいを出すようになった。

杉田悠の「『けいおん』の偽法――逆半透明の詐術」という論考に準じて、はるしにゃん君はブログに「けいおん!の「内面」について」という記事を載せた。今は削除されちゃっているけど、ブコメから雰囲気は伝わってくる。っていうかなんで削除しちゃったんだろうね。そんなに批判されたくなかったのかな。

けいおん!の「内面」について - A Mental Hell’s Angel

http://b.hatena.ne.jp/entry/hallucinyan.hatenablog.com/entry/2012/07/25/200631

で、この記事に、泉信行や岩下朋世なんかの『ユリイカ』系の漫画研究家たちが反論を加えたことでちょっとした論争がおこった。

けいおん!内面論争 - Togetterまとめ

http://togetter.com/li/349451

はるしにゃん君によると、日常系空気系アニメであるけいおん!」には内面がなく、むちむちとした身体性によってそれが覆い隠されているんだそうだ。

その結論に至るまでの不備を指摘されているわけなんだけど、泉信行が「研究と批評は違う」みたいなことを言っちゃったせいで、はるしにゃん君は「じゃあ批評は適当でもいいじゃん」みたいなスタンスをとってしまった。これは良くないよね。

泉信行は「研究と批評は違う」とは別に「たとえ研究のような厳密性が求められない批評であっても、媒概念不周延の誤謬には注意しようね」ということを主張している。これをはるしにゃん君はガン無視し、杉田悠に助けを乞うた上、俺が批判に応えてやってるのに、みたいなことを言い出した。

当時、杉田悠が寄稿した『アニメルカ』を中心に「アニメブロガー総合スレ」というスレがあったんだけど、はるしにゃん君の大立ち回りはそこそこ話題になった。

アニメブロガー総合スレ5

http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/iga/1339336696/

953 :名無しさん名無しさん:2012/09/14(金) 22:52:30.49

たてるならハルシナヲチスレだな

テンプレ

ハルシナ杉田

@sugita_u 生活上のストレスとかあるんでしょうけど、礼儀って素朴に重要なんじゃないですか

@sugita_u 僕は杉田悠さんがアニメルカの中では相対的に優秀だと思っています

@sugita_u 僕はあなたの原稿をトゥギャッターで乗り越えました

@sugita_u 少なくとも、擁護しようとした立場の人にいきなり「カチンと来た」「仲間だなんて思ってくるな」という発言したことを謝罪する気はないんでうすね。それは失礼です。その失礼が謝罪によって解消されるか病院の薬で解決されるか、ということでよろしいですね

@sugita_u 僕としては優しかった頃、余裕のあった頃の杉田さんが好きでした。でも変わられてしまった。しかしそれが良い展開に向かう可能性もある。僕は杉田さんの幸福を数年間祈って来ました。

@sugita_u 疑問なのはどうしてそう喧嘩腰にしか喋れないんですか。「カチンと来た」「仲間だと思わないでくれ」もそうですが。人格障害だと認めますか?

@sugita_u 言っておきますが江戸猫もセイジョウもあっちから僕を切ってきたんですよ。

@sugita_u 正直言ってコミュニケーション齟齬が生じたから悪口言うって低劣だと思います

892 :名無しさん名無しさん:2012/08/31(金) 23:37:02.97

ハルシナ社交辞令を真に受けるタイプだなw

こういう奴は裏では嫌われてるって自覚ないまま消えていくよ

人の褌で相撲を取ろうとしておいて、なかなか図々しいね。でも、そこがはるしにゃん君の可愛さでもあるんだ。

https://twitter.com/hallucinyan/status/230988133540458497

僕はディベート部の部長だったので、議論と喧嘩の区別をつけています。今回の議論で僕はいみのさんに悪印象を持ったりはしていません。むしろマンガ論の沃野の広大さを教えてくださって感謝しています

ディベート部の部長だったからって何なんだよ。まあいいや。

http://togetter.com/li/349401#c643714

「虐待される美少女ブヒィィィすっぽんぽんブヒィィィ」と同人誌萌えサカッた後、「いやこれは『実在性』を剥ぎ取られた『キャラ』に『身体性』と『精神性』を『補完』する『試み』に興味を抱いたわけで」などといった「普段の僕は頭いいんです」アピールで己の「ゲスな身体性」への言い訳をするのが現代哲学や評論であるのなら、ンなもんさっさと死ねばいいのに、と思いました。

散々な言われようのはるしにゃん君を擁護しておくと、「けいおん!内面論争」での「内面」は「ポストモダン的成熟」の有無によって判断されるもので、一般的な意味での「内面」とは別物なんだよね。でも、その辺りを理解できなかったラノベ天狗なんかはいつまで経ってもグチグチ言ってるみたい。

けいおん! 内面 - Twitter検索

https://twitter.com/search?f=realtime&q=%E3%81%91%E3%81%84%E3%81%8A%E3%82%93%EF%BC%81%20%E5%86%85%E9%9D%A2&src=typd

じゃあ「ポストモダン的成熟」って何だよって話だけど、やっぱり意味不明なんだよね。定義を明示せずに言葉を振り回しているところが、いかにも批評家くずれっぽくて微笑ましいね。

さてさて、はるしにゃん君はその後も批評をがんばり続けてきた。と同時に、メンヘラを食いまくってきた。

メンヘラカラオケオフにこのあいだ行ってきたよ - A Mental Hell’s Angel

http://hallucinyan.hatenablog.com/entry/2013/06/16/092515

はるしにゃん君のメンヘラの食い方は、「俺はメンヘラなんだよぅ~つらいにゃんつらいにゃん~」ってメンヘラを引き寄せ、「君はラカンも読んだことがないの?ザコ?」みたいなことをいって罵倒し、依存させるって感じかな。想像だけど。

そうやって彼はメンヘラ女を集め、ヤりまくり、一方で、彼女たちを批評で救うみたいなスタンスのもと、同人誌を作っていった。

ところが、メンヘラメンヘラから、適切な治療を受けなければ死んでしまう。

Twitterメンヘラ神が死んだ件について思ったこと - まつたけブログ

http://matsutake.hatenablog.jp/entry/Twitter%E3%81%AE%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%98%E3%83%A9%E7%A5%9E%E3%81%8C%E6%AD%BB%E3%82%93%E3%81%A0%E4%BB%B6

はるしにゃん君の仲間で、一緒に同人誌を作っていたメンヘラ神は、メンヘラであることをコンテンツにしていくうちに、自殺してしまった。

メンヘラ神の死は、それはそれは多くのメンヘラに影響を与えたんだけど、ウェルテル効果というまではいかなかった。

メンヘラネタインターネットで人気者になることについて : 戦争だ、90年代に戻してやる

http://blog.livedoor.jp/omaenoteki/archives/37553931.html

でもまあ、メンヘラを集めてコンテンツ化していたはるしにゃん君は、メンヘラ神を死に追いやった一因として、散々な批判を浴びることになっちゃった。かわいそうに。

そのせいか、はるしにゃん君はしばらく燻っていたんだけど、2014年の秋ぐらいから元気になってきたみたいなんだよね。

彼の文章も、東浩紀やら宮台真司やら千葉雅也やらに褒められるようになってきた。よかったね。

で、また最近は批評をやってるみたいだ。

セカイ系以後の生存技法――ファウスト系はどうサヴァイヴしたか - A Mental Hell’s Angel

http://hallucinyan.hatenablog.com/entry/2015/01/09/134549

あれこれ思想家を引用してるけど、言ってる中身はシンプルっていうか、一般的な意味での内面がないのはご愛嬌。まだセカイ系とか言ってて、まさしくゼロ年代の亡霊だ。

東浩紀の『存在論的、郵便的』『サイバースペースはなぜそう呼ばれるか』『動物化するポストモダン』について - Togetterまとめ

http://togetter.com/li/773022

東浩紀についてなんか、かなり熱心に語っている。

ちなみに東浩紀自身の言説には内面がないどころか、自己矛盾の塊だ。

山川賢一の『動ポモのどこがクソなのか大会』 - Togetterまとめ

http://togetter.com/li/533391

東浩紀 対消滅語録 - Togetterまとめ

http://togetter.com/li/594240

で、はるしにゃん君の文章をいくつか読めば分かるけど、彼は思想家哲学者の名前をジャブジャブ出しまくって権威付けを図ろうとしているよ。

けれど、本人が何か新しいことを言っているわけでもなくて、権威付け以外の何かに発展している例は今のところ見当たらないし、そこはがんばって欲しい。しんかい35と正面衝突してくれないかな。

さて、はるしにゃん君の権威付けは、複数哲学者社会学者が共通して言っていることを抜き出して言い換えることによって成り立っている。

でもこれは、社会学者から反感を買うこともあるんだ。

はるしにゃん君が「ルーマンラカン以下」なんて言っちゃった時は、ルーマン研究者の酒井泰斗がげっそりしていたよ。

https://twitter.com/contractio/status/197244430338633729

前者は「似てるよね分析」と呼んでいますが、後者はなんと呼びましょうかね。

RT @sskyt: 「Aは……Bと……似ている!」とか「Aは……Bを……読んでいた!」みたいな研究て全然興味持てないんだけど。

https://twitter.com/contractio/status/197247900085002240

組み合わせると、「昔の人Bが言っていたXは 最近Aが言っているYに似ているのでB偉かった」のようなかなり高度な主張が可能となる。

https://twitter.com/hallucinyan/status/547789378999681024

ルーマンの言ってることって大概ラカンが述べてるしラカンを超えてる部分があまり見当たらないというのが個人的見解で、じゃあ「ポストモダニストより社会学者から引用したほうが叩かれにくい」という政治的効率性以外の点でルーマンの卓越性ってどこにあるんだろうって思っている

https://twitter.com/hallucinyan/status/547790901955670016

そしておそらくオートポイエーシスもコンティンジェンシーもシニフィアン連鎖や対象aの問題であり、そして後期ラカン的なサントームや、男女間のセクシュアリティの差異、大文字の他者の享楽についてルーマンが叙述できているかといえばできていないと思う

https://twitter.com/hallucinyan/status/559584058137538560

単にルーマンがつまんないって言っても面白くないから「じゃあラカン先生のどこを超えてるんですか? どこも超えてないでしょ?」って煽ってるのわからないのかわかったうえでなにも言えないのか

https://twitter.com/contractio/status/559588003417296896

煽ると何が面白いんですか。

https://twitter.com/contractio/status/559588541454233600

「どっちが強いですか」で語る現代思想

https://twitter.com/contractio/status/559590072593309698

「つまんない」場合の対処は、面白い読み方に変えるか 読むのを止めるかのどっちかではないですかね。

https://twitter.com/hallucinyan/status/559588288361549824

ダサいしウザいからノイズ処理のためブロック

はるしにゃん君は「越えてる」「越えてない」で思想家を語るのが好きなんだ。すぐにブロックするところは、師匠東浩紀譲り。

そんなこんなで、批評をがんばっているはるしにゃん君は、同時にホストとしてもがんばっているみたい、と思ったら、最近言及してないし辞めたのかな。

その代わりに、イベンターやら何やらでがんばっているみたい。高円寺カフェバーでいろいろやるみたいだよ。

高円寺カフェバーグリーンアップル」のマネージャー就任&イベント告知 - A Mental Hell’s Angel

http://hallucinyan.hatenablog.com/entry/2015/01/28/161120

ところが、はるしにゃんの努力を邪魔する連中が現れてしまった。

成上友織, はるしにゃん君の暴言・差別発言について

http://yushiki-seijo.tumblr.com/post/107908335166

これは、はるしにゃん君と交友があったセイジョウ君からの批判だ。

はるしにゃん君の言葉を用いると、彼の言動を理解できない者は「ザコ」であり、彼に疑問を呈する者は「アスペ」であり、彼に反発する者は「ボダ」になる。

そして、はるしにゃん君はその広範な知識と、お得意の言い換えによって批判を封殺しようとしたよ。

メンヘラレイシズムについての所感と応答 - A Mental Hell’s Angel

http://hallucinyan.hatenablog.com/entry/2015/02/07/134950

まず第一に私は大学精神病理学を学んでいた。もちろんクラインラカンドゥルーズも読んだうえに、さらにアメリカのDSM的な診断マニュアルについても目を通している。そして最新の精神療法についてもサーヴェイしている。

大学精神病理学を学んでいたからといって、学位を持ってるわけでもないのだから、別にはるしにゃん君の言動は正当化されないんだけど、はるしにゃん君は批判者に病識があるという一点のみで批判を潰そうとした。批判の内容についてはほぼ耳を貸そうとせず、俺はメンヘラと正しく交流しているから、って理由で自己正当化を図っている。

そして私は単に批判しているのみならず、いわゆる弁証法行動療法であるとかメンタライゼーションといった理論と療法については高額な医学書を大量に購入してサーヴェイしているし、また、それを人口に膾炙させるために活動しているつもりである

でも、実際。

メンヘラ神は死んじゃったよね。

はるしにゃん君に全く落ち度がなかったってわけじゃないだろう。

っていうか何でメンヘラと交流するんだろうか。やっぱりヤレるからなのかな。

精神医学の知識をばら撒き、メンヘラセックスするメリット享受しておきながら、メンヘラを批判し、メンヘラ善導しているから俺はオッケーってどういうスタンスだよ。メンヘラセックスできることがメリットなのかどうかはさておき。

さらにさらに、はるしにゃん君の行く手を阻むものは次々と現れる。

はるしにゃんへのバッシング - Togetterまとめ

http://togetter.com/li/777289

はるしにゃん君は2月11日に、マネージャーを務めるカフェバーで「インテリイケメンツイッタラーによる一日限定ホストクラブ」というイベントを開催しようとしていた。

明らかにメンヘラを集めて搾取しようというイベントだけど、さっきの「メンヘラレイシズムについての所感と応答」によるとはるしにゃん君は「私としては一方で啓蒙的にコンスタティヴな文章を書き、他方でパフォーマティヴには「ボダはあまり私に関わらないで」といったパフォーマンスをせざるをえない。」らしい。ホストイベントにボダ来るだろうし、キャストもボダっぽいじゃねーか。

で、はるしにゃん君はイベントキャストの知人友人にセクハラを働いていたみたいで、団結したキャスト達にそれを暴露されてしまったようだ。

ところが、このキャスト達ははるしにゃん君からドラッグを貰っていたようで、はるしにゃん君にそこを突かれると逆らえないようだ。

便乗して、同人関係ではるしにゃん君と揉め事があったホリィ・センがはるしにゃん君を批判しようとしたけれど、私怨だし、アスペだしで不発に終わってしまった。

ホリィ・セン vs はるしにゃん - Togetterまとめ

http://togetter.com/li/780221

きっとはるしにゃん君のセクハラ事実だろうし、暴言を取り消すつもりはないようだし、そして自ら公言しているように彼はドラッグをやっている。

から、彼を批判したければ、その3点を攻撃すればいいというのに、批判者はザコばかり。

からはるしにゃん君は怒っている。

はるしにゃん君の論法は、ジャーゴンに次ぐジャーゴンパラフレーズに次ぐパラフレーズ、そして脈絡なくホストクラブドラッグの話を持ち出し、相手の理解が追いつかないところが一点でもあれば封殺するというものだ。

宮台真司譲りのこの論法をどうにかできる人が現れるまで、ヲチを楽しみたい。

最近は、どうも数学をやっている人からの反発もあるようだ。

http://twitter.com/hallucinyan/status/562904272363614208

無限への飛翔 集合論の誕生 (大人のための数学 3)/志賀 浩二】を読んだ本に追加 →bookmeter.com/b/4314010428 #bookmeter

http://twitter.com/Back0126/status/562961572063375360

@hallucinyan こうやって、数学にいい加減な哲学かぶれが生まれると思うと感慨深い 数学に関しては、じっくり真摯に読むことをお勧めます

http://twitter.com/Back0126/status/562975033807884289

@hallucinyan おお、ブロックされた その程度か

http://twitter.com/hallucinyan/status/562971401674825730

言っておくけれど私は普通に高校時代に理系だったし数ⅢCも普通にやっていたので誤解なきよう。

http://twitter.com/Back0126/status/562978566921793538

@hallucinyan 高校数学を勉強したからと言って、集合論を含む専門的な数学を斜め読み程度で理解できるといういい加減な考えをバカにされてるわけです

http://twitter.com/hallucinyan/status/562971657800024064

馬鹿はすぐにソーカルがどうとか言い出すが、そもそもお前どの程度ソーカル読めてて理数的に優秀でそのうえで人文社会科学への理解あるんだという話。

http://twitter.com/Back0126/status/562978789643550720

@hallucinyan ソーカルの言明程度なら、大学数学をきちんと理解していれば誰でも理解できますよ わからないんですか?

http://twitter.com/hallucinyan/status/562972324442681344

日本におけるサイエンスウォーズでは浅田彰山形浩生位相幾何学問題があったわけですが、それも浅田は間違っていなかったという形で終焉を迎えましたし、彼もそもそも経済学部ゲーム理論やっていたわけです

https://twitter.com/gravestone11/status/563009887530405891

経済学部ゲーム理論をやっていたので数学が出来るという考え、新鮮な気持ちになれる

http://twitter.com/Back0126/status/562979281123684353

@hallucinyan しかし、浅田氏が理解していたわけではない、概ね菊池先生のフォローによるものだ、という考えが一般的なようですね

http://twitter.com/hallucinyan/status/562972928057561089

hallucinyan:そして日本において最も早くソーカル事件を紹介したのもポストモダン系の人間でありそして一定以上はきちんと真摯にそれを受け止めたように思われる。

http://twitter.com/Back0126/status/562979357300641793

@hallucinyan え?

http://twitter.com/hallucinyan/status/562974083143704578

そして「××は間違っている!」とばかり声高に言いたがる奴は大概自分から生産的なことを言えないので、きちんと内容のあること言ってその次に批判すると良いんじゃないかと思います当事者含めた全員のために。

http://twitter.com/Back0126/status/562980233218109441

@hallucinyan 間違っていることを間違っていると指摘することは、当人が生産的かどうかと無関係に指摘していいんじゃないですか?少なくとも、真偽の判定が比較的易しい数学においては

http://twitter.com/Back0126/status/562980757292191744

@hallucinyan というわけで、とりあえずこの辺りでやめておきましょう 貴方が数学に関していい加減なことを言わない限り、今後リプライしません

http://twitter.com/Back0126/status/562981991889784832

はるしにゃん(@hallucinyan)という人物が、数学をいい加減な理解に基づきいい加減に発言しているということが、概ねはっきりしたようだ

ディベート部と同じで、高校数学をやっていたからって乱暴に数学を語っていいということじゃないけど、はるしにゃん君の勢いは止まらない。

まだまだ火種はくすぶっているけど、これからもはるしにゃん君にはがんばっていってもらいたい。

2014-04-23

http://anond.hatelabo.jp/20140423095810

はい先生勉強してきました

ところで論証はどこに書いてありましたでしょうか?

ここでいう論理とは、思考の形式及び法則である。これに加えて、思考のつながり、推理の仕方や論証のつながりを指す。よく言われる「論理的に話す、書く」という言葉は、つながりを明確にし、論証を過不足なく行うということである

論理学は、伝統的には哲学の一分野である数学演算の導入により、数理論理学記号論理学)という分野ができた。現在では、数理論理学数学論理学のどちらであるとも(時にどちらでないとも)される。現在論理学は、(それを論理学であるとするなら)数理論理学と、数理論理学をふまえた論理学、数理論理学でない論理学分化している。

弁証法なども、「論理」なのであるが、論理学における論理とは異なる。これらは、論理というよりむしろ理論 (Theory)である

なお、日本語の「論理学」という語は西周によるものとされている[1]。

2014-04-12

http://anond.hatelabo.jp/20140411195417

自分がどういう論法を立てているか客観性を持たなければ議論は成立しない。増田自分の思考は整理できてもなぜか議論が進まないことがあるでしょ。弁証法ていう枠組みを知るといいよーちゅっちゅ

2014-01-07

酒を飲まないのが大人だと思う

匿名ダイアリーからなおさら言えるが、私はアル中からの回復者です。

それで思うのだが、「酒を飲めるのは大人の証だ」とは世間ではよく言うし、未成年者のうちには少なから飲酒に憧れている者もいます

ですが、本当は、酒を飲まなくなってからが大人なのだと思うのです。

酒を飲んでストレスから一時逃避するのは、結局は容易です。どうせ人は弱いのですから、なにかしらの逃避手段を求めるものなのでしょう。酒を飲まないとコミュニケーションが取れないという社会気質すらあります(これは異常な社会ですが)。

はいえ、ストレスストレス要因と向き合って付き合っていくからこそ大人らしいと思います弁証法的に言えば、酒を飲めない未成年→酒を飲む成年→酒を飲まない成年、というように成長をしているのだとも思います

ついでに真実を言ってしまますが(みもふたもないですが)、パチンコパチスロが金払いがいいのは、中毒アディクション)を利用しているビジネスからです。少なから賭博中毒者がいます

同じように、酒やタバコも金払いがいい、それは言うまでもなく、中毒からです。

ソーシャルゲームだの、(少し前まではネトゲというもののほうが一般的でしたが、)あれも中毒ビジネスからで、また、キャリア決済で、カネを払う人間保護者)とプレイヤー子ども)が異なるという場合が少なくないから、随分と売上を伸ばしたわけでしょう。

AKB48が売れた(らしい)のも、あれも中毒ビジネスであるところも大きかったからで、世間的な診断名でいうと「境界性人格障害」だと言われる層が多額のカネをつぎ込んでいます。それはおそらく、世の中にどこか絶望しているから、アイドルにでも希望をもちたいのでしょう。

二次元だって売れる。

声優になりたい」だの「歌手になりたい」だの「アイドルになりたい」だのと言う若者も少なくなく、なったところで多くは所得が少ないし、実際には養成ビジネスのたぐいが随分と売上をあげている(まあそれでもラムズとか潰れたし(苦笑))。子ども子役スターにしたいだとか言う親もいて芸能事務所に入れるのもいますが、そうやって子役タレント養成しますだとかなんだとか言って、ある種の人材派遣業(芸能というよりも頭数の提供)みたいなことをやっていて、芸能事務所でというよりもなんか異なるところで売上をあげていたりします。

真実を言うとみもふたもないのですが、そういうものなのでしょう。真実を言ってくれる人は世間では必ずしもおらず、むしろ隠蔽している人や企業マスコミが多いのですけれどね。

2013-12-24

おおかみこどもの雨と雪 感想

家族物語は常に未完である

1.本作の主題

 大々的に宣伝されていたこの作品の主題は「家族の絆」であった。「時をかける少女」「サマーウォーズ」で、揺れ動く思春期の心情を細やかに描き出してきた細田守監督が、特殊事情母子家庭の波瀾万丈を通して、母と子の結びつきを表現する王道家族劇であろう、と私は予想していた。

 しかし実際には、冒頭でおおかみおとこ主人公の花が「哲学」の講義きっかけに出会うことに示されているように、家族それぞれの社会的承認やアイデンティティの確立といった「生き方」への問いかけが大きなウェイトを占めている。いずれ花と結ばれ父になるおおかみおとこは、人間社会にひっそりと適応しながら、大学にもぐりソクラテスの「無知の知」についての講釈に耳を傾けていた。彼自身の特殊性人間社会との融和点、すなわち「自分は何者なのか」を彼はまだ知らない。もっともそれは花も同様である。彼らが「真に何者であるのか」が判明するのは、その後の人生の中で、主観的にも客観的にもそうだと考えられる地点に辿り着いた時である

2.おとぎ話から現実へ?

 13年という長い月日を描く作品であるため、一時期に割ける時間は限られている。花は前半の少ない上映時間の中で、おとぎ話のようなおおかみおとことの恋と別離から、残された二人の子もの育児という生々しい現実へと転がり進んでいくこととなる。わざわざアニメーションという媒体母子家庭の奮闘記を描くのであれば、母子家庭の「リアリティ」をどれだけ表現できるかが生命線となる。そのためにも花は一刻も早くおとぎ話から抜け出す必要があった。

 しか出産子育ても、半ばおとぎ話の状態からなかなか抜け出せずに進んでいく。その一つの要因として、花がすでに片親の父を亡くしている(母は離婚、別居済み)、という極めて日本アニメ文化的な手軽で便利な設定の中にいたことにある。したがっておとぎ話のような恋の終わりと厳しい現実の到来を告げるはずの「親との葛藤」のシーンはない。東京下宿させていた女子大生の娘が、フリーター(?)の狼に食われて子どもを作り大学を辞め、しかも(おおかみこどもであることを知られるわけにはいかないため)全く子どもに会わせようとしないなど、並の親なら勘当ものである。両親が既にいないにしても、親戚や最悪の場合行政施設の関係者などの後見人や身元引き受け人もいない、では未成年大学生が家を借りるにも何をするにも無理が出てきてしまう。しかし花は劇中ではほとんど言及されることのない両親不在設定を免罪符に、自由におおかみおとこと結ばれ雪を出産し、一年後雨を生んだ後におおかみおとこと死別するまで、誰と葛藤することもなく擬似的な新婚生活を満喫するのであるしか医者にもかからず独学で自然分娩を行い、子ども達も一度も医者には連れて行っていないなど、事情はわかるが少し無理のある状況が続く。リアリティのある家族を描くためには、例え核家族であったにせよリアリティのある一族が描けなければならない。そしてそのためには、リアリティのある社会が描けなければならない。しかし作品の土台となる花の周りの人々との繋がり(親族関係社会関係)が抜け落ちた「おとぎ話」のまま、二人はほとんど社会から孤立して描かれている。

 親族や後に移住する田舎社会の人々に、意を決しておおかみおとこの血を引くこどもたちの秘密を打ち明けていたなら、物語は一風変わった方向へ進んでいただろう(行政医療組織に打ち明けていたなら、悲しい話になってしまうかもしれないが)。しかしこれは二者択一の選択である。おおかみこどもの秘密を守り通そうとするなら、一家は孤立するしかない。秘密を打ち明けてある範囲の人々を味方に引き込んでいたなら、出産子育て環境リアリティはある程度担保されるが、おおかみこどもを受け入れる周りの人々、というまたまた別種のおとぎ話的な絵が出来上がってしまう。この部分のリアリティを保つのは並大抵のことではない。本作は前者、おおかみの本性を隠し通すことで、雨と雪の存在リアリティを保つ代わりに、一家を孤立させて社会生活との折り合いのリアリティを失うことを選んでいる。

3.本作の根底を貫く3つの近代概念:①選択権としての自由観

 社会から孤立した者を待ち受ける宿命は、社会から排除である。雨と雪を隠し続け、医者児童相談所も拒み続ける花は、居場所を失い田舎への引っ越しを決意する。この辺りから見え隠れし始め、映画クライマックスで明らかになるのが、取捨選択の権利としての自由を尊ぶ近代的な自由観である。花が田舎引っ越した主な理由は、人目を避けるためでもあるが、雨と雪が「人間か、おおかみか、どちらでも選べるように」したいということが大きなウェイトを占めている。そして学校田舎の人々に対して秘密を守りながら姉弟は大自然の中で育ち、おてんばの雪と引っ込み思案の雨という当初の関係性を逆転させ、最終的に雪は人間として、雨はおおかみとして生きていくことを決意する、と読み取れるあたりでこの作品は幕を閉じる。二人の姉弟が(そして母が)どのような生き方を「選ぶ」のか、というアイデンティティの「選択」が事実上主題となってくるのである。つまり、二人のおおかみこどもは、人間として生きる事も、おおかみとして生きる事も可能であり、その選択権を自分自身で持っているという考え方が根底存在している。こうした権利概念や自由観は、歴史悲劇から人類がようやく辿り着いた価値ある理念ではあるが、問題が無いわけではない。

 「おおかみであること」はファンタジーではあるが、現実の例えとして捉えることも可能である。元来日本語慣用句でも「一匹狼」などのように「狼」は単に動物を指すだけではなく、社会の周縁に生きるしかないアウトサイダーを指す言葉でもある(押井守監督の『人狼』に描かれているように)。そこから暴力的な存在という意味合いを除外して考えれば、「おおかみであること」は何らかの理由から迫害され、多数派と融和できない少数派に「非自発的に」刻まれた「抑圧のスティグマである。先の近代的自由観に基づけば、我々はあらゆることを強制されず、自発的に選択する権利としての自由を何よりも大事ものとして持っているが、実は選択していないにもかかわらず押し付けられているものもたくさんある。我々は男性として、あるいは女性として生まれることを選んだ覚えはなく、この国、この家族の元に生まれることも選んではいない。選択の自由を行使する以前に、強制的に親や社会から色々なものをもらって今の私たち存在している。こうした、我々が意図せずに所属しているアソシエーションから抜け出すことは、それが被抑圧的アソシエーションであればなおさら、多大な困難を伴う。

 いわば「人間か、おおかみか」どちらかの生き方を選べ、というのは私に対して「日本人か、男性か」どちらかの生き方を選べと言うのに等しい。日本人であることも、男性であることも、やめること自体は可能であるが、多大な葛藤と苦労を伴うし、何より大半の日本人日本人であることをやめたがっているわけではなく、大半の男性男性であることをやめたがっているわけでもない。当然私は「日本人男性」として生きざるを得ないが、それを嫌がっているわけではない。「おおかみであること」は、私にとって「日本人であること」以上に雨と雪の二人のアイデンティティに深く絡み付いている。彼らは望んで「おおかみこども」として生まれたわけではなく、そして何より自己の不可分の半面としての「おおかみであること」を辞めることは不可能だからである。逆もまた然り。雨と雪にとっては、「人間であること」も捨てることはできない。したがって大多数の人間が、国籍人種などの複数の非自発的アソシエーションに従属して生きざるを得ない以上に、彼らは「おおかみにんげん」としてしか生きられないはずである人間としてだけ生きていてもおおかみの本能は満たされず、おおかみとしてだけ生きていても人間の知性は満たされない。一方を選択して他方を捨てることでは、幸福な真の自由は訪れない。というのも、私を含め大半の日本人男性が、日本人であることや男性であることを嫌がったりしておらず、むしろそれを誇りに思うことも時にはあるように、雨と雪も本心から「おおかみであること」あるいは「人間であること」を嫌い、やめたいと感じているわけではない。真相は逆である。雨と雪に限らず「抑圧のスティグマ」を持つ人間が求めているのは、それを捨て去ることではなく、周囲が抑圧的な処遇をやめ、そのスティグマ価値あるものとして社会的に承認されることである黒人女性差別されるから黒人であること、女性であることをやめたがっているわけではない。彼、彼女らが求めているのは、差別をやめること、すなわち黒人であることや女性であることを誇らしく思えるような、他の人々と対等の処遇である自分の非自発的なアイデンティティ差別迫害を理由として捨て去ることは、雪がおおかみに変身することを必死に避けていたように、それ自身当人にとって新たな大きな抑圧となるだけであり、それを捨て去ることを強制することもまた、抑圧からの真の救済とはなりえない。

 「人間であること」のみを選択した雪は、今後もおおかみの衝動に苦しめられ続けるだろう。「おおかみであること」のみを選択した雨は、おおかみとして生きるだけでは無力であり、人間から森を守ることはできないことにいずれ気がつくだろう。したがって雨も雪も、「人間であること」か「おおかみであること」のいずれかを選ぶ権利としての自由を持つ、のではなく、彼らはどこまでも「おおかみにんげん」として生きることを運命づけられている。そのため彼らを幸福な真の自由へと導くのは一面を捨て去る選択ではなく、両面を受け入れる承認、すなわち抑圧されることなありのままの「おおかみにんげん」として生きていくことを人々、社会から認められることでなければならない。そしてその基点にして起点となるのは、二人の秘密を知る唯一の存在、母である花のはずだった。しかし雨と雪は選択権としての自由を行使し、「人間であること」、「おおかみであること」の一方を選んで他方を捨て去る。この彼らの選択は同時にもう一つの取捨選択となって現れている。それは、特に雨に顕著なように「個人」としての自己生き方を選択する代償として、それまで所属していた「全体」としての家族を捨て去っていくことである

4.本作の根底を貫く3つの近代概念:②家族を壊す個人観

 取捨選択の権利としての自由観には、この近代的な自由観と表裏一体になって形成され、社会に受け入れられてきたある考え方が寄り添っている。取捨選択の権利としての自由は、何に帰属しているのかを考えればその考え方も見えてくる。「生き方」の選択の権利は、国家にあるのでも何らかの組織にあるのでも、両親にあるのでもない。近代的な自由は常に「個人」の手の内にある。「個人」は選択の権利を持ち、それを他者に妨害されない権利もまた持っている、というわけである。こうした個人観も尊重されるべき人類の英知だが、その発達によって我々人間は別の問題に現在直面している。「個人」の肥大化により、家族社会等の共同体の絆を、そして古い慣習や信仰などに息づいていたいわゆる「大きな物語」や「宇宙的秩序」を破壊して、人類がただのバラバラの個人の寄せ集めになってしまう「アトミズム」に陥るという問題である。したがって家族という、人々の繋がりを描くべき物語根底に、こうした個人観を置いてしまうと、家族崩壊してしまう。雨は山へ飛び出したきりおおかみとして生活し、どういうわけか雪も全寮制の中学に入り、あとに残されたのはひとりぼっちの花だけ、というわけである。雨は個人としての自分を選び、家族を捨ててしまったのである

 家族を最小の社会であると考えたヘーゲルは、市民社会国家世界史へと繋がっていく人倫弁証法スタート地点を家族においている。そして王道的な家族物語はおおよそ、仲の良い親子(正)に何らかのきっかけで対立が生まれ(反)、最後和解して「雨降って地固まる」(合)という弁証法的なプロセスを辿るし、実際の子育てにおいても、子どもは両親べったりの幼少期から反抗期を経て、何らかの和解を踏まえて真の自立へ旅立っていく。反抗期が自立そのものなのではない。このようなプロセスが多くの家族ドラマ踏襲されているのは、それが流行っているからでも面白いからでもない。人間最初に個人として生まれるのではなく、家族という全体の一員として生まれることが不可避である以上、家族の絆を知るには、家族と対立して家族のものを対自化、対象化しなければならないかである毎日当たり前のように存在する両親と、本当に強い絆で結ばれているのかを知るためには、わざと両親に反発し、お互い真剣に向き合う期間が必要だというわけである。こうした視点から本作を見ると、ただただ雨と雪のためだけに「個人」としての自己を押し殺して子育てに奔走する花と、それをただただ当たり前のこととして享受する幼少期の二人は、弁証法の正の段階、無垢な統一としての家族である。そして二人が小学校の高学年に近づくにつれ、激しい対立、反の段階が現れてくる。雨も雪もお互いの違いを強く認識し、雨は特に自分家族の一員ではなく個人(個狼?)として考えるようになる。花の言いつけに反しておおかみの力を使ってしまった雪や、徐々に自然世界の魅力に飲まれ、家を空けがちになる雨、そして激しい姉弟喧嘩など、家族はそこかしこに対立の火花を散らすようになる。

 しかしここまでである。その後一家は和解して家族の絆を再確認することはない。雨は嵐の山から母を助けはしたが、家を飛び出して以後母と会話をすることはなかった。雪は草平と嵐の学校の中で自立への憬れを語り合い、その後母が迎えにくる描写も、直接会話をする描写もない。花は山で気を失っている間、おおかみおとこと再会し、彼にそれまでの人生を肯定し承認される言葉をもらっている。しかしそれは夢の中の出来事に過ぎない。花は以後雨の遠吠えを聞き、祈りの中でおおかみおとこと対話することによって家族の絆を信じ込むのである。真理は主観客観の統一にある。どれだけ心の中で絆を信じていようとも、花の現状は孤独である。そこには反発しつつも助け合うという家族現実的な絆も、現実的幸福もない。雨が個人(個狼?)として家族を捨てて旅立ち、残された花は母としてのアイデンティティを失い空虚に祈るしかない。この物語家族ドラマ王道スタイルである弁証法構造の反の段階以後を切り捨ててしまったような形になっているのである。だから少なくとも映画の終わりの段階では、家族がバラバラになり、皆、特に花は絆を失って見えるのである。そんな状況になっても、どんな時でも笑顔を絶やさない花の表情は不憫ですらある。この物語家族弁証法プロセスにおける対立から総合の段階へと移行できなかったのは、無論、前説の自由観に付随する個人観が差し挟まれ、家族の再統一、和解を妨害しているかである。個人としての生き方を選択し、家族を捨て去ってしまうことが子どもの「自立」である、という錯覚がここにはある。個人(個狼?)として生きることが家族として生きることと両立不可能なら、雨にも花にも真の幸福は訪れない。家族がバラバラの個人に分解してしまうことも、幸福でもなければ自立でもない。

5.本作の根底を貫く3つの近代概念:③価値放棄する平等

 そして何よりも花を不憫に思わせてしまうのは、単に雨がいなくなってしまたからではない。雨が「おおかみとして生きること」を選んだからであるしかし劇中では、雨がおおかみとして生きることに、花は戸惑いはしたものの最終的には肯定したし、作品全体のスタンスとしても、別れの悲しさはあっても、「おおかみとして生きること」自体肯定的表現されている。ここには、前二節の近代的な自由観、個人観から導かれる第三の概念が潜んでいる。すなわち、生き方の選択権としての自由が個人には備わっており、それは何者にも妨害されてはならない尊重されるべきものである。したがって、「個人が生き方を選択する」こと自体重要価値のあることであり、その選択自体尊重するために、政府や他者は個人の選択した生き方の「内容」にケチをつけてはならないという平等である。これも近代以後の社会には欠かせない重要概念である職業に貴賤はなく、魚屋として生きる生き方と教師として生きる生き方はどれも同等に尊重されるべきである、というわけである。この概念も、極端に押し進めると、我々人類文明的に発展させてきた一つの原則、すなわちチャールズテイラーがAuthenticity(ほんもの)と呼んだ理念のものの破棄へと到達する。この理念は、「ある生き方は、別のある生き方より価値がある」として、人間生き方には価値序列があることを前提に、真に人間が生きるべき姿、「ほんもの生き方」を模索するというスタンスを形成する。近代的な平等観に慣れ親しんだ人々にとっては、生き方の優劣を価値付けることは、政府による不必要な介入や、職業身分による差別など危険な事柄を助長するようにも思えるだろう。しかし逆に急進的な平等観の元では、あらゆる生き方平等価値を持つと見なされる。言い換えれば、「生き方」の選択を重視してその内容を無視するということは、あらゆる「生き方」の内容が平等に論争点にはなりえないどうでもよいもの、すなわち無価値となる。偉大な学者生き方も、高名な僧侶生き方も、愚かなギャンブル狂の生き方も、みな平等に無価値なのである

 このことが本作においてはどのように現れてきているのかというと、「人間として生きること」が「おおかみとして生きること」と平等価値ある選択肢として描かれている点である。そしてそれは裏を返せば、「人間として生きること」は「おおかみとして生きること」と同等に無価値であるということの表明に過ぎない。だから姉弟がどの生き方を選んで「決定」するのかということだけが重要視され、その選択した生き方の「内容」の善し悪しは一切吟味されないのである人間人生が理性を持たない単なる動物に過ぎないおおかみのこのエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2013-05-15

http://anond.hatelabo.jp/20130515013005

いきなり話がゲシュタポまで飛んだよwwしかも何故か「アインシュタインいじめた」とか言ってるwww

これは明らかに今現在いじめられてる」自分天才アインシュタインを重ね合わせて自らを癒しておりますwww

弁証法といい知ってるだけの言葉をただ並べ立ててるのがありありwww

何度でも書くけど医者にかかりなさい。被害妄想が行くところまで行ってる。今のキミは人と対話して物事を理解したりさせたりできる状態じゃない。

自分は間違っていないのに世の中からいじめられてるような気分になってるしそれに対して攻撃を返してでも自分を守らねばならないと感じているだろ?

それを和らげるためには誰かの手を借りなくてはならない。プロ相談しなさい。

http://anond.hatelabo.jp/20130515012538

何がどう弁証法だというんだwwちょっとアウフヘーベンに至るまでの過程記述してごらんよwww

真面目な話、医者に行きなさい。本当に。

キミの周囲の人間精神科にかかるなんてキチガイで恥で汚点だと言うのかもしれない。キミもうっかりそれに同意したことがあるのかもしれない。

でも今のキミには絶対的に助けが必要なんだ。そしてその助けはプロしかできない。

いね医者にかかれ。そんで彼女でもつくれ。

2012-12-27

粘着って恐いな。

* 安田 純一 只の根性無しの人と思われないように、口を出すくらいならば、とにかく、演説を駅前で、やって見て下さい。

12月19日 23:34 (携帯より) · いいね! · 1

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安田 純一日本未来の党は、少なくとも、本気な人は、やってますよ!

12月19日 23:36 (携帯より) · いいね!· 1

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安田 純一チマチマ、インターネット上でねちねち語るだけならば、オタク?只のオタク

12月19日 23:37 (携帯より) · いいね!

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安田 純一日本未来の党に取って、この事は、訴える手段の一つで、貴方の様に応援する方法の全てでは無いですよ!

12月19日 23:39 (携帯より) · いいね!· 1

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安田 純一私は本当に不正操作が有った選挙だつたかを広く情報を求めたいのが本音で、このチャットに参加してます。

12月19日 23:46 (携帯より) · いいね!· 1

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Ryusuke Funabashi卒原発より脱イジメ社会 脱イジメ学校で頑張って下さいよ。イジメによる自殺の方が原発より大問題でしょ。人権蹂躙ですよ、イジメは!

12月20日 1:10 (携帯より) · いいね!· 2

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赤野 義之私は未来の党を支持しボランティアをして来ました。なぜ未来を支持するか?。それは正規政党を信じられないから。政治は議員がするものではない。私達一人一人が参加しないとね。でないと今回の様な結果になる。終わった政党が終わったはずの議員が顔出してくる。安部さんや麻生さんには失礼だが、スポーツ界で言うなら故障して引退した選手が3年後にレギュラーになるのと同じ。常識的に考えらない事が起こる現代。議員や他人をあてにしては何にも生まれない。私は何にも出来ないけど、未来の党の考えに賛成してるから応援して行きます。

12月20日 11:41 (携帯より) · いいね!· 1

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三村 正和私も、比例区は「未来の党」に投票しました。家内もそうです。また、防府で「テッチャン」を勝手に応援しました。この戦いは、永遠であります。「テッチャン」が「革命だ」と言っていますが、「核廃絶の戦い」は、「永久革命」であります。「ガンジー」や「トマスキング牧師」の様に、凶弾に倒れることがあったとしても、貴女が正しいと思う事を首尾一貫して主張されてください。その意味で、今回、貴女も反省する点が多々あったと反省すべきです。悔い改めて永久革命にご努力ください。また、「テッチャン」の場合でも、県知事選挙では「テッチャン」を応援したが、政党を結成したがために、投票できなかった山口県民が数えきれないほどいたことも反省してください。今は、「貧富の格差が極端」です。「未来の党」を支援しているテッチャンを支援しているという事実が判明しただけで、「生活の糧」を得られなくなる国民が多数いるという事実と国民の心を理解すげきです。その点で貴女には「謙虚さ」というものが大きくかけておりました。そのことを深く反省すべきでしょう!「参議院選挙」に臨まれるに当たっては、今回の反省点を「弁証法的に止揚」して、特に若者に夢を与えるような、「20代の有権者に希望と光を与える活動」を今から行動してください。「アベナティズム」は国民全体の支持を受けていません。短命であることは、彼がノミ神経であること。頭脳的に劣ること。下関市から奥様の酒池肉林的な行為を嫌っていることから、明らかです。彼はヒットラーと同じで自死するしかないでしょう!ですから明日の子供の未来の為に、ともに戦いましょう!!WE SHALL OVERCOME !!

12月20日 12:25 · いいね!· 1

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皆川 光弘赤野様 小選挙区で唯一当選した2名の議員亀井氏と小沢氏はどう評価されるんですか?安倍氏麻生氏同様かそれ以上に終わった議員じゃないんですか?それに未来の党から立候補した候補者の多くは既成政党出身の方ですよね?貴方の主張には多くの矛盾が有ると思いますがいかがお考えですか?

12月20日 12:30 · いいね!· 1

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板倉 俊佑こちらのコメント欄でもネットニュースコメント欄でも、嘉田さんに対して「まず滋賀県を何とかしたら?国政に出る資格なし」みたいなコメントちらほら見ますが、さすがにその理屈は変だと思います。

全ての事件・事故がその都道府県首長の責任になるんですか?石原氏や橋下氏は…?

12月20日 13:33 (携帯より) · いいね!· 3

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清水 康之このブログ記事、並びにこのブログの他記事に目を通してただきたい。今回の敗戦(惨敗)に向けた鋭い指摘と、日本の原子力政策に対する根本的な間違いを実例を挙げて指摘しています。

明らかに争点を絞り、明快な答を出して戦えなかったのが敗戦の大きな要因です。こうしたブログを書くような優れた人材をアドバイザとして三顧の礼を尽くして迎え、根本的に戦略を立て直すくらいの気概が無ければ日本未来の党未来どころか次の参院選で消滅の恐れすらあります。

http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-9.html

12月20日 14:44 · いいね!· 4

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清木 達県議会嫌がらせに負けずに頑張ってください。

12月21日 0:08 · いいね!· 4

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金谷 勇歩代表をおりる必要はありません。県議会マスコミたちの攻撃にまけず、次の選挙でも変わらず応援しています。ここで降りては思う壺です。韓国のように女性リーダーを希望します。

12月21日 5:29 · いいね!· 3

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佐藤 みつきかださん

党首を続けていただきたいです。

知事より、党首を!と願っております!!

今に混乱と喧騒は収まると思います。

数日はゆっくり休養されて英気を養ってほしいです。

12月21日 7:45 (携帯より) · 編集済み· いいね!· 1

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東 剛秀今後は具体的な代替エネルギー政策を示し、すぐに実行に移ることが大切と考えます。嘉田さんは知事であり党首であることがメリットであることを自らの行動をもって示すべきです。琵琶湖の畔に次世代の発電システムモデルを建設し、目に見える形で、まずは滋賀県から卒原発を試みてください。指導者始動であるべきです。画期的な発明・技術が既存の利権を守るために意図的に黙殺されているケースもあるはずです。果敢に挑戦して失敗したものに対して、冷たい言葉や態度を示すというのが日本文化の悪癖であろうかと思います。この点は大いにアメリカを見習うべきでしょう。

12月21日 22:08 · いいね!· 3

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伊藤 吉彦滋賀県議会が、党首の兼務で批判するのは、選挙で負けたからでしょう。維新の会大阪市長さんは何も言われないじゃないですか県議会は、自民党会派が多いじゃないんでしょうか。ためにする批判ならナンセンスです。準備不足に関しては、全て、これからだと思います。

12月22日 0:12 · いいね!· 3

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大橋 滋子同感です。勝てば官軍的な圧力には屈しないでほしい。四面楚歌で逃げたした野田さんのようにはならないように、ぶれない限り人は信じてついていきます!

12月22日 8:16 · いいね!· 2

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Misako Matsubara嘉田知事さま

12月22日 8:30 · いいね!· 1

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Misako Matsubara次の一手を考えてありますか。知事は絶対にやめないでください。知やれることがいっぱいありますからインチキ選挙ではそれの上をいく 知恵がひつよう事の方が

12月22日 8:31 · いいね!· 1

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安田 純一私は知事を辞めてでも、国政に出る方が良いと思います。出来れば社民党を吸収して一つの党として出れたら最高かなぁ!?

12月22日 10:11 (携帯より) · いいね!

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安田 純一とにかく、マスコミが酷い選挙妨害している事が本当に残念です!!!=でも、マスコミ営利団体からスポンサーに弱いから仕方ない。残念です!

12月22日 10:14 (携帯より) · いいね!

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太田哲二マスコミよりも、IT社会だから市民ジャーナリズムの発展に期待をかけます。

12月22日 11:55 · いいね!

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八巻 貞雄私の住んでいる座間市自民党の甘利さんの選挙区です。60歳以上の高齢者ががっちり後援会をつくっている所で他党が票を獲得するのは難しいところですが、前回の選挙では小選挙区で民主の橘さん当選しました。しかし今回は甘利さんの1/3程度の票しか獲得できておりません。

12月22日 14:58 · いいね!

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八巻 貞雄座間市では小学校の給食の放射能検査の要求を市長や市議会議員に出す運動を起こしておりますが、相模原市海老名市では検査をしているのに、市長や市議会では、検査は国がやるべき仕事で、税金の無駄使いだとして拒否しております。孫たちのために引っ越しも考えております。日本未来の党原発ゼロに向けて頑張ってください。参議院選では是非是非当選者獲得をお願いします。頑張れ日本未来の党、応援しております。

12月22日 15:28 · 編集済み· いいね!

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今日 元気今回は、国民の生活が第一を応援していたので、日本未来の党を応援しました。しかし、選挙が終わっても、ずっと脱原発のために動いてくれた小沢一郎さんはじめ国民の生活が第一の皆さんを中心に出てこないし、今日は、社民党から選挙前に急に加わった(ように見える)阿部知子さんを共同代表にしたいとかで、大変残念です。未来の党に投票した人は国民の生活だった人たちにがんばってほしいから入れたので、嘉田さんや飯田さんだから入れた人は少ないと思いますよ。国民の生活小沢さんや森さんが中心にならないなら、小沢さんが出て来るのを期待できないので、投票先を変えざるを得ません。

12月23日 0:21 · 編集済み· いいね!· 4

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佐藤 和成どこの世界でも、本物、真理を理解してる人は少数です。少数だから間違ってるわけでもありません。意識レベルの高い人しか「日本未来の党」の価値が理解できません。今回の選挙で、多くの日本人に真理を目覚めさせてた功績は非常に大きなものと感じています。案の定、安倍総裁は、原発推進の動きを明確化してきました。目先のことしか考えられないひとです。やはり、新しい価値観に基ずく新しい日本を創っていけるのは「日本未来の党」の理念しかありません。誇りを持って胸を張っていてください。小沢さん亀井さんに力を借りてください。自民党は自らの傲慢さで自滅するでしょうから

12月23日 0:14 · いいね!· 6

*

佐藤 和成小沢一郎氏や亀井静香氏をもっと前面にだしてください。メディアには亀井氏が適任だと思います。説得力があります。訴える迫力が必要です。

12月23日 6:07 · いいね!· 3

*

Ryusuke Funabashi原子力規制委員会地質学者たちによる「活断層探し隊」

選挙で破れた原発反対派の皆さんには

一条の光だとは思いますが

水をさすようで

ごめんなさいね~♪

あのですねえ、

原発作るときに調査した内容と

今の調査内容が違うのはですねえ、

活断層って

いつでもどこでも出来るんですよ~♪

これだけ活火山抱える日本で

これだけ地震あるんですから

日本がしょちゅう地殻変動してることくらい

小学生でも分かりますよ。

まあそんなこと「活断層探し隊」の皆さんは

とっくに分かってるんですけど、

それで原発止めようとする人たちがナンセンス

全く意味ないんですよこれが。

地震ってねえ、

活断層と関係なく起こるんですよう。

阪神大震災新潟中越地震

そうなんですう。

地震学者が地震を予測できたことは

残念ながら、ないんですね~。。

なのに原発再起動阻止するために

根拠のない不安をあおって

原発止めさえすれば安心と思ってる

平和ボケ市民運動をそそのかし

毎日100億円の札束燃やして

CO2出しまくって

どこが地球に優しいのか

さっぱり分かりません。

いつ北朝鮮ミサイル

飛んでくるか分からない日本で

今、原発止めたら

エネルギー問題で戦争になりますよ。

諸悪の根源原子力規制委員会

平和ボケ市民運動をあおったマスゴミでしょう。

ホント廃棄物よりたち悪い。

まあ、あおられた方もどうかと思いますが…

日本が中国自治区になったら

あなたたちのせいですよ!

ちなみに「活断層探し隊」が今まで語ってきたこと、

東日本大震災は「30年間に福島沖での確率は0%、茨城沖で15%」。

阪神大震災は「30年以内に0.4~8%」。

岩手宮城内陸地震は「300年以内にほぼ0%」。。。

…。

もうあきれて

ものも言えませんが、

多くの大地震は「活断層探し隊」が

ほとんど起こらない」と予測した地域で起こったんですねえ。。。

結局、今の地震学の現状は

「地震がどこで起こるかさっぱり分からない」

ってのが現実なんです。

恥ずかしいですね~。。

そんなこと本人たちが一番分かってるでしょうに。。。

何でこんな意味ない仕事

引き受けたんでしょうか?

彼らそこまで

仕事ないんですかねえ。。。

ないんでしょうね~。。

全く予想はずれてますから。。。

そんな無駄なことするより

耐震や避難のあり方を探求する

「人命を護る正義の味方

になられてはいかがですか?

お父さん、

マスゴミにあおられて

これ以上お子さんに

恥かかせないでください。

「一週間後の巨大地震も予測できんくせにっ!」

って、言われてますよ。。

12月23日 17:12 (携帯より) · いいね!· 2

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甲斐 育夫小沢一郎氏、亀井静香氏の発言を絶え間なしに発信していただきたい。 時間がもったいないわれわれに届くようなメッセージをお願いいたします。 多くの民が支持しています。 

月曜日 12:51 · いいね!· 4

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佐藤 みつき嘉田さんへ

お疲れではないでしょうか?

ふな寿司食べて元気もりもりになってくださいね!!

寒いので野菜たっぷり湯豆腐も一緒に♪

月曜日 22:37 (携帯より) · いいね!

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中村 由美子参院選に向けて、もう勝負は始まっていますよね。 勝てる選挙のやり方は、小沢さん亀井さんが熟知されているのですから、たくさん力を発揮していただいて、ぜひ頑張ってください。 マスコミや口の悪いコメンテーター小沢さんバッシングに負けないで! 

火曜日 1:48 (携帯より) · いいね!· 1

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ハザマ キクオ二人の顧問には大いに力を貸してください。ここで大騒ぎをしていたら、未来はないですよ!これからが勝負です!

火曜日 5:00 · いいね!· 2

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藤原 俊孝嘉田さんへのお願い。もっと発言をFBで行ってください。橋下さんはとにかくTWで発信しているから何を考えているかよくわかります。

火曜日 8:27 · いいね!· 1

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甲斐 育夫表情が明るいことは選挙民が基本的に求めることで、これは持って生まれたものですから、明晰さプラスの条件でしょう。嘉田代表の存在はいい、兼務は大変すぎます。党の代表に専念していただきたい気持ちが私は強い、滋賀県民と周辺県民の方には、嘉田由紀子さんを国政に絞らせていただきたい。小沢一郎氏は体力が気にかかるので代表として党の激務を依頼するのも遠慮したらいいと思う、知恵袋としてもう一人のシンボルとして党員教育のかなめとすることは考えられませんか。 阿部知子さん、社民党から強力な転籍で評価している人多いと思います、すぐに、人さらいを知らない顔して国民から廃棄された中にしっかり居続けた人の記憶は当分消えないでしょう。ほかにはいないのですか、初めは知名度などが左右しますが、今、わかものは代われる政治を求めているのだとおもいます。ほかに人相、年齢、体格がそろってっている人はいませんか無名でもいいのではないか、嘉田さんの周り、小沢さんは周りに、ほかの党にも人脈はあるでしょう、阿部さんにもいるでしょう。  次の戦いには、経験ではなく方針が決定的に叫ばれる、世代の交代も望まれる、嘉田さんが一歩下がるならば、小沢さんが出てきて、と思うがいま小沢さんはどう見ても理解できる世論ができていません。それほど日本の政治世界になくてはならないことがまだわかっていない。 やむを得ず次善を考えるのです。次の選挙でまた次行(掛詞)は大敗するとおもう。それを望んでいない、政治は思想で進むものであって、信仰のせかいはすでに憲法で保障されているから、組んでいる限り長期政権はあり得ないものとして考えている。そこを間違えなければ、日本の未来は一挙には増えないだろうが、小選挙制度の今でも勝てると思う。応援している人のメッセージを奥深くその人の頭の中に食い込んでみると、そうとうのレベルで支援が始まっているとおもいます。長引くことは水面下の調整で謀ってください、政治は一筋縄ではいかないことくらい応援者は面倒みています。 決定は早めに、嘉田さんが専念することが一番なのは誰でも考えるだろうが、困ったもんだ。もう少し時間あります、待っているのですよ。小沢さんは、高校生大学生、できれば幼稚園小学校の訪問をしていいおじいちゃんの本当の顔を見せていただきたいのだが、如何。

火曜日 9:48 · 編集済み· いいね!· 3

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中村 由美子そうなんですよ。本来、未来の党ができるまでの希望の一片は、国民の生活が第一小沢さんだったんですよ。

ただ、裁判やらがあったもんで、関係者があれこれ騒いだけど、、

でも本当に凄い人なんだと思うんです。そうじゃなきゃ、あれだけ多くの人達が意を同じくして、離党に連なるわけないと、、 今の未来の党には、

小沢さんの力は不可欠だと思います。

参院選、どーしても勝って欲しい!

火曜日 11:53 (携帯より) · いいね!· 3

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Sahra Riemann面白すぎなんだけどwww

24日に開かれた日本未来の党両院議員総会で、嘉田代表の提案した人事案が了承されず、小沢一郎氏の共同代表就任を求める動議が可決されたことを受け、嘉田代表は24日深夜、「当事者である小沢一郎議員が欠席する中、強硬に採決された。非民主的な意思決定で代表として受け入れることはできない」との声明を発表した。

 嘉田代表は25日朝、滋賀県庁で取材に応じ、「小沢さんと連絡がとれず、お隠れになっている。共同代表になりたいのかどうか小沢さんの口から聞きたい」と述べ、不快感を示した。26日の特別国会で行われる首相指名選挙での党の対応については「自主投票になる」とした。

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20121225-OYT1T00853.htm

火曜日 17:48 · いいね!

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佐藤 みつき瀬織津姫は、けっして権力を求めない。ただただ、至純なるイノチのヒビキを守ろうとする!!(*^^*)

http://t.co/s0ovrJfE

火曜日 23:16 (携帯より) · 編集済み· いいね!

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中村 由美子かださんは、小沢さん存在感の大きさが、自分の立場を脅かすと思っているのだろうか?だからそんな発言を?

共同代表、いいじゃないですか!

小沢さんは、小沢さんにしかできない大きな志がおありのはずです。

力を合わせて、難敵に立ち向かっていかなければならないと、応援している私たちもいるのですよ。

火曜日 23:33 (携帯より) · いいね!· 2

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青木 裕一24日の両院議員総会での協議の結果、落としどころが一回で見つからないってあたりが少々心もとないですが、少なくとも一部の人間が勝手に代表を決めちゃわないだけ、ダイブましだと思います。創立して間もない政党で、そんな民主的に話し合って代表を決められるのか、難しい処もあるのかも知れませんが、頑張ってください。

しかし亀井さんも出席してたんでしょ。黙ってないで、スパッと妥協点示しちゃえば良かったじゃないのと思いますけど、まあ何事もトレーニングのイッカンなのでしょうか?

小沢さんを慕う若手議員たちも、この件で嘉田さんを説得できないようじゃ、政治家としての資質を疑われますよ。簡単に多数決で決めようとしないことです。お互いに納得できるところは必ずあります。

火曜日 23:40 · いいね!· 2

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甲斐 育夫党のみならず、嘉田代表、小沢さん亀井さんさん付け意見を述べながら支持している発言はいいですね。 一人一人の人格を確認しながら品格ある文章は支持者の品格を示しています。 力量のある支持者が多く集まっています。 われわれは昭和天皇が国民はもう一度頑張って国を建てなおそうと陣頭指揮をとられたことを覚えています。なんといってもかわいいところがあって親しみやすかった。今上天皇も激務の中で励まれています、そろそろ国民の一人として天皇がにっこりできるように平和のうちに世界の発展に下支えをする頃ではないかと思うようになってきました。 天皇に即位されてからからのにっこりを拝見していないことはさみしいことです。

昨日 8:43 · いいね!· 2

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中村 由美子ニュースで、未来の党、早くも分裂と、、もう、何やってんですか、かださん! 小沢さんの共同代表就任そんなに抵抗ありましたか? 亀井さんはすでに離党届けを出されたそうですが、、

21時間前(携帯より) · いいね!· 1

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高島 美乃私も嘉田さんが、困難な局面で未来の党をつくって下さって、

とても希望を持ちましたし、期待していたので、

もう、分党というお話しがでているのは、悲しいです。

原因は小沢派と飯田派の溝なんでしょうか?

何が一番モメているんでしょう?私には小さなプライド

固執した男性陣の亀裂にしか見えないのですが・・。

いずれにしても、亀裂は起動修正できないものなのでしょうか?

個人的には、今回の選挙結果を見ると、経験のある小沢さんにも

協力してもらって、どちらかというと飯田さんには、

再生エネルギーの普及の面でのブレイン役割に徹して

もらったほうが、うまくいくのでは?と、思うのですが。

今でも影響力の小さなリベラル派が、

これ以上、いかに円満にでも分裂しないでほしいです。

むしろ、緑の風、緑の党田中さん民主党みんなの党

左派政党とも連携して、原発から卒業してもらいたいです。

2012-11-04

http://anond.hatelabo.jp/20121103120842

そういう疑問は俺も持ったことがあるんだけどさ、国語学習を通じて論理学を学ぶというのはそもそもの設計上の問題があるかのように思う。

国語というのは、つまり日本語

語学

論理学は語学内包されるような学問ではなく、哲学内包されるべき分野なのでさ。

国語って名前だけど、学制がしかれた当初の設計だと、要するにリベラルアーツのトリウィウム(文法・修辞学・弁証法)にしたかったんじゃない?

国語という科目の枠に納める都合上、教材は日本語文学を使わないといけないということで、古文漢文から文法と修辞学を学ばせて、現代文から弁証法を(弁証法は無理なのでとりあえず論理学を)学ばせる、という風にしてるんじゃないかなって思うんだけど、その悪魔合体に無理があるんじゃね?

そもそも、そういうのって国産学問じゃないもん。

ハリウッド映画を通じて歴史を学んでも、それは歴史学と言っていいのか、そんな感じ。

論理的に書かれた文章を読めば、論理が身に付く」ってのは、

物理学やれば数学は身につく」

みたいなもので。

いや、もっと豪快で雑だな、

家計簿をつければ数学は身につくから無問題!」

くらいの感じじゃないかと。

もし、どうしても文学を通じて論理学や弁証法を学ぶというのならば、論理学の基礎になったような文学古代ギリシャの書物とその注釈書あたりから教材をセレクトしていくのが王道なのではないだろうか。

訳本を「国語学習として教えるのはうん、まあ難しいような気がするけど。

はいえ、原著ギリシャ語はい日本語訳されてしまえば日本文学と言えるのか?

英語圏だって古典英語の教材としてジェームズ王欽定聖書を使うくらいなので、それもありなのか?

日本語特殊性翻訳者の地位が比較的に高い日本ならなおのこと。

2011-11-01

まどマギエヴァの違い

 まどマギエヴァ匹敵した! 否! 追い越した! という主張が釣り半分でちらほらと見られる

 しかし断言するが、そんなことはない。まどマギ所詮は消費される一部アニメの一つでしかない

 何故か?

 それは、まどマギには、反証可能性というものが欠けているのである

 簡単に言えばオワコンなのだ

 エヴァには、反証可能性が存分にある、我々が議論し、そして改善したり、議論を共有していく余地が多分にある、そこには弁証法的な力がある

 しかしまマギにはそのような力が無いのだ

 それこそが、エヴァまどマギの決定的な差となっているところであろう

2011-07-15

http://anond.hatelabo.jp/20110714005634

レスが遅れてすいません。

ううむ。理系文系の対立みたいな残念な方向に流れてきてしまいました。仕掛けたのは私のほうかもしれませんが。

京都弁なのは一向にかまいませんが、大元の記事よりもレトリックが雑になってきているようです

最初はそれなりにいい線いっていたのに、ここにきてもう投げやりというか、反論のための反論というか、急速に劣化ウランしてます

オウム真理教信者人間燃料棒はモノです人間相手なら断罪するのは慎重さが必要だと思いますが、燃料棒相手にそこまで遠慮する必要はないでしょう。あそこで遠慮したことで、「メルトダウン隠蔽説」の発生という大損をしたわけです。これは表現の細部の問題で、後でいいますが、こういうのが信頼を作りだすにあたって重要なんです

(本論と直接関係ありませんがオウム事件のくだり「化学薬品が大量に見つかった時点でもうほぼ真っ黒」という発言は気になりますね。そうやって河野さん一家も冤罪で酷い目に遭いました。人間相手にはくれぐれも慎重に頼みますよ。モノ相手はバッサリやっちゃってください。)

原発派が物理限界を超えて放射能拡散する可能性を語ったせいで「だまされた」ことを批判されていましたが、今度は、逆に、物理限界を超えて炉心の水位が保持されなかったことについては、裏付けが取れるまで断定しないことを良とする。せっかく「物理限界」についてのあなたロジックをもとに議論を展開しているのにスルッとかわされてしましました。なんともやりきれません。

あいつらの中に悪い奴おるんちゃうか、だからあいつら悪い奴や」とは言っていません。「推進派が嘘をつきましたか?否。」と言いきるのは極端ということです。この点はあまり突っ込みたくなかったので、控えめに「かもしれない」で終わらせたつもりですが、もっとハッキリ言わせていただくならば、九電が今回やったことっていうのも、ウソじゃないんですか。流通していないか大丈夫って、今になってセシウム基準値オーバーの牛だって流通したことが出てきたじゃないですか。あれもウソじゃないんですか。と言いたい。それが意図的かどうかとか、実害があるないかいかは関係ないんですよ。あの船場吉兆だって、あんなの食っても到底死にませんよ。でも信頼失ったらオワコンになるんです。信頼というのはそういうもんです。推進派は、そこがまるでわかっていないんです。かわいそうなくらい。だから原発自動車比較したり、死者の数を出して、どうだ安全だろといったりするんです。ずっとこの調子なんですから。そんな議論で到底信頼は得られませんよ。

誤解のないように言っておきますが、わたしは原子力だけを特別扱いしているわけではありません。たとえば、メキシコ湾を汚染した油田だってあい事故起こすのは許されません。自動車だって免許は持っていますが、自分は下手くそなので(制御できる自信がないので)運転はしません。

広瀬隆の著作が「だまされようがありません」というのは、(あなたレベルなら)だまされようがないということです

まあ、一読をお勧めしますね。賛否はともかく、それなりに楽しめると思いますから。私にしても全部同意するほど無批判な読み方はしていません。

原子炉時限爆弾」の冒頭で出てくるのは、1960年政府原発事故の影響を試算したの極秘文書で、これが日本列島をすっぽり覆う被害予想になっているんですが、これなんか、あなたミスリードしたナイーブ系反原発派をミスリードしたのは実は政府そのものというネスト構造だったのではないかと思えてきますよ。原発の「安全神話」もその崩壊も、推進派と反対派の弁証法じゃあないでしょうか。

まあ、私が極端な「理系コンプレックス濃厚なのはご覧の通りですが、私にこんなにもコンプレックスを与えている、あなたを含む「理系エリートは凄くあってくれなくては困るわけで、それが凄くないもんだから、もうプンプンですよ。上から目線などとんでもない。どんなにパニクっても、おが屑突っ込むみたいな無意味なことを弁護するのはやめてほしい気持ちでいっぱいです。あと、文系の連中ごときに手足縛られて、安全対策ができないっていうのなら、団結して職場放棄しろといいたい。「理系」には、モノを握っているという、そういう力が有るはずです。そういうのが「理系」の良心でしょう。原子力を制御できても、文系のアホ連中は制御できないって情けない話じゃないですか。

日本原発は止まるか止まらいか

原発推進派の安全神話にだまされたと思った人。

原発反対派のオーバーウソにだまされたと思った人。

その2極の間の無数の中間。

結局、ナッシュ均衡で決まるんじゃないでしょうか。

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