はてなキーワード: Hrとは
追記:トラバ・ブコメに返信しました→anond:20221012181429
この増田を読んで思った
テレビもニュースメディアもYouTubeもTwitterもヤフコメもはてブもRedditも当然この増田も、「バズってなんぼ」というプラットフォームになってしまっている
ほとんど全てのプラットフォームがいいね的な仕様を取り入れていて、それを多く獲得した記事が目立つ、あるいは稼げるような仕組みになっている
別にバズって悪いことばかりじゃないけど
さらに俺が最近本当によく思うのは、上に挙げたプラットフォームがどれも「情報の切り取り」がしやすくなってしまっていること
情報の切り取りが行われた結果、切り取られた情報からはその前後の文脈が失われる
テレビやYouTubeは、なんか扇動的な字幕が入った部分だけキャプチャしてTwitterに上げればバズる
ニュースメディアは会員にならないと記事が最後まで読めないから公開部分だけ読んでブコメする
ブコメやTwitterに至ってはごく短い文字数制限があって、元から情報が切り取られている
増田やヤフコメやRedditやTwitterは自分で記事を消したり非公開にしたりできるのでトカゲの尻尾切りが頻繁に行われる
増田みたいな匿名の場所は「誰が」その発言をしたのか分かりづらく文脈が途切れやすい
こういった「情報の切り取り」文化と「バズってなんぼ」文化の組み合わせが相性良すぎるのが問題なのでは?と思う
ついでに、ブロガーのシロクマ的な人が、ある記事(https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20220926/1664193445)で
と書いている
この記事は忙しい素人がフェイクニュースを見破る難しさについて言及している(ちなみにこの記事の主旨に対しては「忙しいなら素人だろうが玄人だろうがわざわざTwitter開いてどこの誰かもわからん奴のセンシティブなツイートをRTすんなよ」で俺的には結論が出ている。憶測だけど、RTした人たちのほとんどは忙しい人たちじゃないんじゃないか)ので文脈は違うけど、俺はここで考える
どういうプラットフォームなら、情報が切り取られることなく、バズってなんぼになることなく、各々が自分で考えるような議論を促せる?
いまの俺が考える理想的な議論のためのプラットフォームは、GitHubでソースコードを管理することに若干似ている
最低限これは欲しいと考えてる要件は以下の通り
俺の書いた要件がすべて正しいとも思っちゃいないけど、一番言いたいのは、「議論ってのは土壌が整った上で腰を据えてじっくり行われるべきなんじゃないか?そういう場がないなら、用意すべきなんじゃないか?」という問題提起である
自分の過ちに気づくと、その発言を消したり、鍵垢にしてしまう人がいる
過ちに気づいているのかいないのか、いくら指摘されても認めない人がいる
発言の一部を切り取って、批判したつもりが誹謗中傷になってしまった人がいる
承認欲求のためではなく、露悪趣味のためでもなく、ただただ議論のためだけの民主的なプラットフォーム
参戦遅れたわ、悔しい。
元増田の主張にフォローする形に話を持っていくなら、一定数のブクマカたちの言っている「明石花火大会歩道橋事故」が、元増田の言う
元増田の主張全体を通して読むと、引用文の「こんな事」が「雑踏事故自体」に係るか「催涙弾の使用」のみに係るかが不明瞭ではあるけども、いずれにせよ1本事故の原因をちゃんと検証して反証たりうるか調べて、ブクマカたちに反論するなり補足するなりってのが建設的議論ってやつだと思うんだけど、そうやって煽り合ってなにが解決するんだ。
そこは「そうしないと読んでくれない」って思いがあったかもしれないにせよ、タイトルを煽り気味にした元増田も良くない。
当然それに乗っかった一部のブクマカも良くない。
あと、
よく言われることだけど、「分かりやすさ」はすなわち「事実」じゃないから気をつけた方がいい。
当然これから俺が主張することも、出典が出典だけに事実じゃない可能性がある。元増田の主張を支持して俺の主張の穴を突きたいなら自分で徹底して調べて俺に教えてくれ。単なる煽りには絶対に乗ってやらないんだからね。
本題に移る。
2001年7月21日に起きた「明石花火大会歩道橋事故」についてはWikipediaに記事があったので、以下これを元に話を進める。
原因については、以下の様になっている。太字は俺が強調した。
会場の大蔵海岸と朝霧駅との間には国道2号が通っており、歩道橋以外の連絡がなかったことが大きな原因の一つであった。この歩道橋以外のアクセス経路としては、朝霧駅東側の踏切や西側の跨線橋があったが遠回りになり、山陽電気鉄道本線の大蔵谷駅や西舞子駅があるものの会場から遠いという難点があった。加えて暴走族との衝突が発生しても警備がしやすいという理由から、歩道橋から続く市道に180店の夜店を配置していた。
この結果、事故現場の歩道橋がボトルネックとなり、歩道橋上で駅から会場に向かう人の流れと会場から駅に向かう人の流れが衝突して滞留が発生した。主催者側も迂回手段についてのアナウンスを行わず、さらに当日は蒸し暑く、歩道橋が透明なプラスチックの側壁に覆われた構造のため蒸し風呂状態となり、心理的に焦りが発生したことも事故発生の要因の一つとなっている。
とある。
と言っている。
そして周知の通り、元増田は本事故を「日本の雑踏警備に影響を与えたいくつかの事故」として挙げなかった。
これらのことから読み手側には、いくつかの事故を教訓に「一方通行」と「ボトルネックを無くす」という雑踏警備の鉄則に則り警備が行われたはずだったが、にもかかわらずそのどちらもが機能せず、結果として本事故は起きてしまった。少なくともそれが何故なのかを説明しないと、元増田の言う「日本の警察であればこんな事はまず起きない」は信用できないと解釈する余地が生じる。
なので、繰り返しにはなるけれども、元増田を「批判を気にしなくていい」と擁護する立場であるこの増田がやるべきことは、元増田に対するそんな慰めとか、煽りに対する煽り返しに対する煽り返し返しではない。そんなことしても煽り返し返し返しが来るだけでなんの解決にもならない。
この増田は、支持者としてただただ努めて冷静に、元増田の主張の不足している部分を補えば良いのである。
というわけで、やさしいこの俺が、この増田の代わりに当事故の起こった根本原因は何かをWikipediaから引用しながら説明してみる。
事故後、兵庫県警察の対応や警備計画の問題点が次々と浮き彫りになった。
この花火大会にあたり、明石市と兵庫県警察本部(明石警察署)、警備会社のニシカン(現ジェイ・エス・エス)との間で事前の警備計画の協議が不十分だったことや、7か月前の2000年12月31日に行われた「世紀越えカウントダウン花火大会」の警備計画書をほとんど丸写しにしていたことが判明した。さらにその計画書もコンサートなどのイベント用に設計されたものを流用しており、「世紀越えカウントダウン花火大会」の開催時(約5万5000人が参加)にも同様の滞留が起きて軽傷者が出ていた。約15万人から20万人の参加者が予想されていた本大会には、この問題点が生かされていなかった。
また兵庫県警察が暴走族対策を重視して夜店の配置を集中させ、暴走族対策の警備要員を292名配備していた一方で、雑踏警備対策には36名しか配備されず、雑踏対策が軽視されていた。
太字に注目するに、本事故が起こった根本原因は、警察の警備計画策定業務に対する怠慢である。
実際に、Wikipediaには複数の民事・刑事訴訟について書かれていて、うち2件は最高裁まで行って、1件が有罪となっている。以下裁判要旨。
花火大会が実施された公園と最寄り駅とを結ぶ歩道橋で多数の参集者が折り重なって転倒して死傷者が発生した事故について、雑踏警備に関し現場で警察官を指揮する立場にあった警察署地域官及び現場で警備員を統括する立場にあった警備会社支社長の両名において、いずれも上記のような事故の発生を容易に予見でき、かつ、機動隊による流入規制等を実現して本件事故を回避することが可能であった本件事実関係の下では,両名には上記事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務を怠った過失があり、それぞれ業務上過失致死傷罪が成立する。
他にも色々と裁判になってめっちゃ尾を引いてるので気になる人は各々調べてね。
元増田の主張には重要なことが説明されていない、と俺は感じる。
警備対象を人間扱いするのは重要だ。流体扱いするのも重要なんだろう。
でもそう標榜するだけじゃ事故は防げないことは、本事故が証明している。
人間が警備をする限り、本事故のようなことは今後も起こり得る2。
このような、人間が人間であるがゆえに起こす事故を「人災」と呼ぶ人もいるかもしれない。
その観点では、少なくとも俺にとっては本事故もインドネシアの事故も等しく「人災」であり、人間の失敗であり、未来のために学ぶ意義があるものだ。
この時点で俺的には満足したんで、以下細々と。
2005年(平成17年)11月、この死亡事故を教訓として警備業法と国家公安委員会規則が改正され、警備業務検定に従来の常駐警備、交通誘導警備等に加え、雑踏警備が新設された。
元増田がこの記述以降の体制について話しているのであれば、余計に「本事故に触れないのはなんでだろう?」とは思う。
これ、「誰が」「どこに」提出するかが分からんかった。
本事故の時点では警察自らが策定してたみたいだけど、今は違うの?それとも警察のものとは別に策定されるの?
おわり。
書きました↓
https://anond.hatelabo.jp/20221004181228
https://anond.hatelabo.jp/20221005143828
https://anond.hatelabo.jp/20221006154025
https://anond.hatelabo.jp/20221006200623
本筋に関わる変更に関しては、記事最下部参照。
てかトラバ元消されてるやん。
安倍さんフォルダが火を噴くってほどではないがほんの一部を貼り付けるぜ(増田なので画像表示はできないが)。「ニッキョーソ」とか「こんな人たち」は他でさんざん貼られてるだろうからいいよね。
旧民進・大西が過労死について総理を指名しての質問中に黙ってトイレへ行き、戻ってきた時わざわざ面前でズボンをずり上げ伸びをしてみせニヤニヤ笑う安倍首相の図。
https://pbs.twimg.com/media/C3J90aXVYAAPPuq.jpg
https://pbs.twimg.com/media/C3J90ZwVYAIZij-.jpg
https://pbs.twimg.com/media/DW-afaJUQAAt3Rp.jpg
https://pbs.twimg.com/media/DW-afaLVAAEDZSI.jpg
過労死遺族が傍聴するなか、質問に対して笑う安倍晋三首相と加藤勝信厚労相 参院厚労委
https://pbs.twimg.com/media/DgrE3KbUEAEunlV.jpg
沖縄・平和祈念公園で安倍首相の車列に抗議する人々(撮影:島崎ろでぃー)
https://ogre.natalie.mu/media/news/stage/2016/0128/Gunfire-Sample2_.jpg
沖縄全戦没者追悼式で、献花に向かう安倍首相(手前・当時)を見つめる沖縄県の翁長知事(中央左・当時)と出席者
https://static.tokyo-np.co.jp/image/article/size1/e/3/a/b/e3ab422e03bbc75f190ae1dcd067d845_1.jpg
じゃあどこに行けばええんや
星野に行くやつ(笑)みたいな風潮はずっとあるし、直近でリゾナーレ熱海で揉めてたが
行った所
だいぶ前にねぶた祭りのパッケージで行ったが、送迎や食事の手配など行き届いててかなり良かった。
食事は普通に美味しく(個人の感想です)、地域性のある品揃えだった。今はどうだろう…。バイキングのせんべい汁がうまくてずっと飲んでた。
ここから奥入瀬渓流に行って奥入瀬渓流ホテルの風呂に入れるツアーがあり最高だったんだが、なくなったっぽいんだよなぁ。
居抜き感はめっちゃありバブルの残滓を感じたが、出発の時にでかい旗を振ってる人がいたり、活気がありよかった記憶。
界は各地で全部同じ食事が出ているというウワサがあるんだよな。そんな印象の食事だった。
接客は…若干余裕がない感があったが、若い人が多く誠実そうで感じは良いので良かったのではないかと思います。
簡易宿泊施設とみると高い気がするが、軽井沢だし仕方ないのか。
かなり良かった。客室はやや古い気もするが気にならず。特に風呂が良い。
水波の部屋だったので今度は山路地に行きたいなぁ。
行ってみたいのは、界日光(立地が最高)とOMO5小樽(建物が気になる)です。
あとNIPPONIAはどこか一回行ってみたい。基本メディアで情報を得ていてミーハーなのがよくわかる。
星野以外で良かった所
じゃあこれまで行った所で接客が一番だったのはどこかというと、ここだと思った。
よくある日本旅館という感じなんだけど、なんか好きなんだよな。
最初は建物目当てで行ったのだが、すっかりファンになってしまった。
サービスの充実という点ではここも良かった。みかんジュースの出る蛇口、今治タオル使い放題など。
部屋はめっちゃ狭く座敷牢かって感じなんだが、配置に無駄がなく居心地はよかったんだよな。BEBは見習え。
あとマットレスがすごい良かった。なんとか買えないだろうか。
朝のオーダービュッフェも色々あって良かったな。
道後温泉ありきだし、中心部から坂で若干ダルいとか色々あるが、コスパが良いし割り切りが良い。
ゲストハウス。眺めが最高すぎる。安い。
らべんだあだったかも。時期により一人でも個室使えるんだよな。
冬だとめっちゃ揺れてアトラクション要素があり楽しい。けあらし?も見れたし非日常感は随一だと思う。
風呂に露天があってめっちゃいいんだよな。色々豪快で楽しかった。
飯は期待せず持ち込むのが良し。
はてブを見てたら、きらら掲載漫画の作者がTogetterでまとめられてて話題になってた。
ニチアサ特撮マンガの作者が同人イベントに参加したら、隣のスペースにライダー俳優がいた話 - Togetter
どうやら、作者が同人イベントに参加したところ、ライダー俳優の松田悟志に目をつけられたらしい。
例のニチアサ特写マンガは『ニチアサ以外はやってます!』で、作者は猫にゃん。現在は「まんがタイムきららキャラット」に掲載している。
ところで、きららって海外人気がないからアニメ業界に唾棄されているんだよな。
事実、2022年秋から『ぼっち・ざ・ろっく』が始まるけど、それ以降のきららアニメはゼロ。
編集は過去に言ってたよね。アニメ化できる作品を作っていきたいと。
担当編集 今のきららは、アニメ化などメディアミックスを視野に入れた作品づくりをしているので、映像映えする題材として「特撮」はずっと候補の中にありました。猫にゃん先生ほどではないですけど、私も特撮が好きですし。
ニチアサ特撮ときらら作品は似ている 漫画『ニチアサ以外はやってます!』インタビュー - KAI-YOU.net
何でか分かる? 海外人気を意識して作品を作ってないからだよ。
日本のアニメ市場では、2014年から海外売上が急速に伸びた。その一方、円盤などの国内売上は相対的に下がった。そして、2021年には海外売上が国内売上を超えた。
海外の配信業者は日本なんかよりも羽振りがいい。事実、海外人気で簡単に続編が決まる。なろうアニメやラノベアニメ、特に『デート・ア・ライブ』や『月が導く異世界道中』は時代を象徴している。
そんな中、きららアニメは海外人気を獲得することができない。だから、きららはアニメ業界にそっぽを向かれる。
きららの編集部は、アニメ化される漫画を作りたければ、海外人気が圧倒的に高い「小説家になろう」とか「週刊少年ジャンプ」とか見習えよ。
特に、「小説家になろう」は編集どころか作者ですら作品の売り方を熟知している。ランキング上位に載る作品の傾向を研究した上で小説を書いている。
その甲斐もあってか、なろうアニメは海外人気が非常に高く、新規アニメ化も続編制作も簡単に決まる。
それに比べて、まんがタイムきららは海外人気がでそうな作品を作る気すら感じられない。
きららの連載作に流行りの異世界ものが増えたけど、まるでやる気を感じられない。アニメ化した『RPG不動産』ですら爆死で終わった。
しかも、今は百合漫画を露骨に推すようになった。特に無印とフォワードはその傾向が顕著。
分かってる? 百合というジャンルは海外では蛇蝎のごとく嫌われる。
同性愛嫌悪は日本より海外の方が強いからね。特に中国に至っては「同性愛者は精神障害」と大学の教科書に載るぐらい嫌悪が激しい。
きららの編集部だって、中国と日本のアニメ業界は密接な経済関係を築いていることぐらい分かるだろ? それなのに何で百合漫画を推すんだよ。
最近では『リコリス・リコイル』という大ヒットアニメがあるけど、あれは百合要素が海外でウケている訳じゃないんだよ。「女の子のガンアクション」がウケたの。上辺だけで判断するな。上辺だけしか見てないから、いつまで経ってもヒット作が生まれない。
それと、『星屑テレパス』とかで逆張りをやってる場合じゃねぇんだよ。あの漫画、きららのくせにシリアスが多いんだよな。アニメオタクはそういう作品を死ぬほど嫌いなことぐらい分かってるだろ。
まあ、要は、まんがタイムきららに海外で人気が出る面白い作品を生み出す能力も、既存の人気作を研究して見習う能力もないということだよな。将来性がまるでない。
まあ、そんなこといわなくても、まんがタイムきららとその系列は5年以内にすべてなくなるだろう。
競合のコミックキューンは4コマ漫画をやめたし、まんが4コマぱれっとに至っては廃刊してしまった。
まんがタイムきららも同じ末路をたどる。間違いない。
自分の好きなきららの漫画がアニメ化しなかったから。そして、きららアニメの数自体が少なくなっているから。
放送されるアニメの数が多すぎると言われている中、きららアニメは確実に数を減らしている。ついには、『ぼっち・ざ・ろっく』以降に放送されるきららアニメはゼロになった。
そして、今、私は海外人気がアニメ化に最も重要だということを痛感している。
まるで「海外人気が出ないアニメは人権がない」と言わんばかりの世相だ。
アニメを取り扱っているブログを読んだり、アニメ系YouTuberの動画を見たりすると、「海外人気」という言葉が耳にタコができるほど出てくる。
事実、ラノベに詳しいはてなのブロガーが指摘している通り、海外人気の根強いなろうアニメの数が無尽蔵に増え続けている。
だから、海外人気が出ないまんがタイムきららは"もう駄目だな"と嘆いている。
id:fusanosuke_n きららにはもっとこういう方向性で行って欲しい、というだけのエントリだろうけどなぜ煽りマシマシで増田に書いた。
そうするには、煽り気味に書くことが一番だと思っている。
例えば、アンチオタクが「女性の作った萌えアニメなんてないだろ」というと、オタクたちが真っ赤な顔をして反論する。
私はそれを狙っている。
ikebukuro3 何でもかんでも海外進出を狙ってるのは多様性が無いだろ。嫌なら見るな
そんな事を言う君は一度このブログ記事を呼んだほうがいいよ。はてなで有名なシロクマ先生(id:p_shirokuma)が書いた記事だ。
多様性というきれい事を言うけど、無益な個性はいらないものなんだよ。
アニメはボランティアじゃないからね。結果をきちんと出さなきゃダメなんだよ。だから個性は選別される。
NOV1975 業界から唾棄されてる(n=1)
私は「海外人気のないアニメは人権がない」と同じようなことを嫌というほど聞いたぞ。
id:apteryx_2022 いきなり怒ってるうえに予言で締める辺りにやり場のない怒りを感じる。でも、四コマのない、きららフォワードが上手くいってるかというと、どうかな。ゆるキャンはアプリに取られちゃったし。
id:uotocs きららにどうなって欲しいのさ。個人的にはガラパゴスってるきららのような立ち位置は競争と関係ないところで大切にしていきたい。
10年ぐらい前に、「日本企業はガラパゴス化しているから国際競争で負け続けている」と軽蔑してた奴がいっぱいいたじゃないか。
同じように、ガラパゴス化しているきららアニメはアニメ業界の競争で負け続けているんだよ。分かる?
id:maturi 自分の嫌いなまんがが載ってる雑誌が廃刊になる…喜びこそすれ、ここまで憤る理由がわからん。その会社のまんがを印刷する会社に勤めてでもいるのか
嫌いな漫画が廃刊になったら喜ぶはずなのに、そうではないというなら、嫌いじゃないということかもしれないな。
まだ山上の安部暗殺事件はテロじゃないっていってるアホがいる話
https://www.jcp.or.jp/web_policy/2022/07/20220708-teronikougi.html
一、言論を暴力で封殺することは、民主主義を破壊する最も憎むべき行為であり、強い憤りをもって断固糾弾します。とりわけ、選挙中という民主主義にとってきわめて重要な時期に、卑劣な蛮行が起きたことは、絶対に許すことのできないことです。
https://www.jcp.or.jp/web_policy/2022/07/20220708-shii.html
(神戸で記者団に)安倍晋三元首相への襲撃は、自由な言論をテロで封殺しようという許し難い蛮行であり、強い憤りをもって抗議する。
ネットミームになって久しく、そのうち読むか~と思っていた作品。すこしごたごたもあったけど搾精研究所先生はサクセスしてるっぽくてなによりです。
まずこれは新参者全員が思うだろうけれど…アマミヤ先生の出番おっそいわあああああああああああ!?いついつ出会うかと思えば終盤の域だった。だけど待った分だけインパクトも大きくて一挙手一投足笑わせてもらった。後半はシリアスな展開で暗さに拍車がかかっていたからやっぱアマミヤ先生の存在は偉大なる味変カンフージェネレーションだと思うっす。ウッス。黙っちゃうところ可愛いっす。ウッス。
評価されているシナリオはちゃんとよかった。概ね三段階に分かれていて、ヒラ看護士たちとその上のお局たち。そしてさらに上に師長が存在している。性格最悪と銘打ちながらも「最悪」は上へ上へとインフレを描き、それでいて各キャラは抑えている風はなく多種多様な「最悪」さを表現しているのには感服した。
ヒラ看護士編はそれ単体で各キャラで上手く最悪な責めを実現している。単体でも活きている作品だが、 だんだんと、特にお局編に入ってくるとヤマダとそれまでのヒラ看護士たちが(非性的な意味で)絡み合いキャラクターの奥深さを描き出していく。お局たちの最悪さと同時にまさに二重の意味で「可愛く見えてくる」のだ。そしてそんな彼女たちと結託し病院の巨悪へと立ち向かって行く王道ストーリーいいぞ~。
しかし黒幕にも悲しき過去が……。勝利者などいない。そんなエンドであった。看護士たちは性格が悪いままだし。いうなれば全員にきっかけが起きたお話だったぬ。そのきっかけのきっかけがあのヤマダの勇気と機転というのも笑える話である。
シナリオの妙といえばタチバナさん。初回ナースということもあり後発組にくらべると随分スタンダードな「性格がキツい」という最悪さで、シナリオ進行に伴いマジメな仕事人という面が押されて単純に好感度が上がってしまうキャラに仕上がった。しかーし!そんな素直に惚れてまうやろー!と比較的言えそうな彼女に対して搾精研究所先生がお出しした答えが彼氏持ち。うーんナイスですねぇ!安易に惚れない惚れさせない。
実用性の面でも触れておくと、M属性がない私がイケそうなのはタチバナ、師長がスタンダードでなんとか使えそうで、ギリギリでクロカワ・ヒラマツペアがいけるか…?といったところ。お局さんたちはムリです…。
属性を差っぴいてもキャラの多様性とは正反対に展開が一発抜く→ヤマダが一回ではちょっと…→怒って再度イジメられる。というようなテンプレート進行なので連続で読むとかなり食傷します。キャラ造詣と比較してなんでこんな単調なんだと疑問がわくが、これが作者の王道なのかエロは最重視してないのかテンドンの妙技なのかよくわからない。まあ各回序盤でこれを通すことでキャラがつかめるという点では優れている気もする。それに大興奮とまではいかずともエロくはあるしリビドーを感じないわけでもないので…でもまあその後作画担当をつけたのは成功かなぁ。
ヌマジリの長文台詞回しはどれもガチですごくてもう脱帽する文才で大好きなんですがけどね。この毒舌ってエロいんでしょうか?教えてエロイ人。
話題作というわけで読んだら話題になった部分が順当に面白かった。
ユニークな才能は十二分に伝わるがハネたのは時の運というか茶化しながらも話題にされ続けた愛され力の結果かなと感じる。
その後も青水庵みたいなコースに行かまいか不安だったけどツイッターを見る限りではアマミヤ先生をアバターにすることで楽しくやってるみたいでなによりです。何気に淫獄団地のネームが好きでCG集よりこっちの形式のほうがもっと好きになれそう。
https://mangacross.jp/comics/haruka
一巻。
サクラダリセットみたいなタイトルだぁ。と読んだ。サクラダどころか河野裕作品知らないけれど。語感がなんかいいよね。リセット。
作者の野上武志はうーん新人かな?と思ったがリボンの武者の作者。
リボンの武者いいよねぇ。いやこれもまったく読んでないけれど。表紙のデザインがいいのだわ。
和装の女性表紙ということでんーまた女性棋士モノかな?と予想したものの中身はぁ、日常系?ジャンルがわからない。グルメだけでない孤独のグルメ系。公式ジャンルは「日常系 趣味 料理・グルメ」
こーいうジャンルの主人公は自由業に限る。時と場所に縛られない自由さが必要なのだ。というのが自論なのですが。この作品は文筆業ということでOK。かと思いきや、「リセット」≒息抜きをテーマにしているのでわりと近々に済ますことが多くなりそうな懸念。自宅~東京近辺の話が中心かな。商談で国内外を転々とするゴローちゃんシステムは偉大なのだった。でも成人女性の自由さはよく出てると思います。
肝心の内容は。うーん。なんかうっすい!各スポットを実にうまく紹介していてそこがすばらしい!だけどはるかのリアクションがちょっと表面的すぎるかなぁって思うの。
だけどな!そのゆる~さがちょうどいい。だらだら何も考えずに漫画を読みたいときってしょっちゅうあって、まさに息抜きに読める漫画としてちょうどいい。
女性ばかりだけど百合百合してないし服装は毎回違って楽しいし白目大きいの好きだし!
あ、なんか浅そうって書いちゃったけどそうじゃない気に入っている部分があって、「小物への嗅覚」みたいなのが良い。内装や香りを楽しんでいるのはいいよねぇ。
食事や観光地など特定のひとつのジャンルに固定化してないから次はどんな話だろうかと飽きが遅そうな形式なのでしばらくは楽しんで読めると思う。
んーしかし。この作品、どうしても個人的にダメな点があります。
食事の「優勝」や黄桜っぽいのはギリセーフとしても自分ですらわかる露骨そうなのは
「ゆくぞ私 財布の中身は十分よ」(Fate)
「うんうんこういうので良いんだよこういうので」(孤独のグルメ)
「僕が来た」(ヒロアカ)
うーーん…こういう作者やオタクが知ってるようなネタを結構頻繁に突っ込まれると萎えるんよねーー…。
これロボコみたいな漫画じゃないし。「主人公が知らなさそうなパロディ」って嫌い…。
主人公は会社員経験はあるものの成人女性で小説家で文豪が好きでレトロ趣味があってモニターが苦手で執筆にパソコンをあまりつかわずスマホを持ってないってキャラなんですわ。
そんなキャラが漫画のセリフばかりひっぱったりエロゲだかアニメだかから引用したりネットコラまで駆使してるってのは違うんだよぉ~って悶絶する。チョイスも男オタ傾向だし。
せめて乱読家として自宅に漫画やジャンプでも転がしてくれればまだ飲み込むけどね!
さらに古い小説作品の引用っぽいセリフが見つけられないからキャラがブレてんだわ!あっても自分には気付けないだろうけど!
現代舞台でも作者や読者の一般知識とフィクションの作中の人物の知識は違ってほしいという願望。キャラが知らなさそうな(知っていてほしくない)知識が描かれると「作者が漏れてる」と勝手に表現してる。
んーしかししかし。ミリオタでありがちなミリタリー知識は漏れ出してないからそっちの制御は出来てるわけで。ウケる戦略、なのかなぁ。
9話
サンデーうぇぶりの打率が高いから苦手ジャンルに挑戦してみたよ。けど…。
う~ん、この手のゲーム系異世界ってなにを楽しめばいいのかわからないんだよね。避けてきた文化圏の理解度が足りないせいだと思ってる。
技があってチャージ時間があってシステマチックな発動条件があってバランス調整があって読者から見るとゲームだけど中の人たちには日常的な。それってつまりメタに現代世界の我々の価値観を持って見ないと突っ込みも発生しないから転生でゲーマーな主人公にそういう発言させてるんだよね。知識チート系もそうだけどそういうのはノれない肌に合わない系。
バランス調整というもの自体はとても楽しいものである。現代のそれはもはや完璧なバランスを目指すものではなく一種のお祭りや課金を煽るものか後付インフレの帳尻あわせなどで、ゲームとしての完成を目指さないものと認識している(格闘などの競技系やMMO系)。
固定化した環境を変化させてメタが動き試行錯誤を楽しみ不遇だったところは不満を解消される。
しかし強くなったところも弱くなったところも不満の声をあげしばらくしたらまた両者ともに調整が入る。終わり無き闘争である。
LOLなどのMOBA系はキャラ数に対して変更が多すぎてとても参入する気が起きない。よく観戦も成立してるe-sportsになれてるなと感心している。
でもそれは触ってないゲームだからという部分が大きくて、結局バランス調整は差分を楽しむものではないかなと思う。「前」を知ってるからこそ変化が面白いんじゃないかな。個人的にだけど。(使う予定のソフトウェアのリリースノートを見て変更を楽しむ趣味もあるけどゲームじゃないので無視)
遊んだことがないゲームのパッチノートはつまらないけれど昔に引退したゲームのパッチノートは今みてもわりと楽しめる。「あれがそうなったのか」が重要なのでは?
そろそろ漫画に戻って。勇者は弱体化されました。他の職は概ね一律アッパー調整を受けました。
出てくる職は強化された部分でイキってくるんだけど…。結局私は強化される前を知らないので。そうなんですか以上の感想がない。弱体化も強化もされたあとが読者のスタート地点だから。何が面白いの?と真剣に悩んでしまう…。
ゲーム系の異世界なのでおそらくこういう修正内容を楽しんだりそれにゲーマー目線でつっこむ主人公を楽しむと思う…んだけど…。そういう解釈で合ってます?
「何を楽しむか」が読者の力不足で受け取れていないので読むのがやや辛い。
ゲーム系で読んでいる漫画と言えば「この世界は不完全すぎる」という作品があるのだけれど、これはど直球に「ここを楽しむ!」って部分がわかりやすいと思う。とりあえずバグによる不自然さと執拗なデバッグを楽しめば良いんだと素直に理解できたけど、弱体化勇者には今のところそういう理解がない。
あと読み直したら主人公は転生者だから「クソリプ」「リプレイ」「マイオナ」とかの単語はたぶん異世界住人には通じないんだけど、それはそれとして「人権」「産廃」「地雷」「オワコン」はみんな使ってるから主人公が現代知識からメタ的に突っ込む部分はさして重点を置かれてない気もしてきた。じゃあ主人公が異世界転生の意味ねーじゃんという嫌うパターンになりそうだから深くはつっこまない…。
以上悪い点をあげたけど、作品としてはいいと思います。勇者サキは可愛いしドラまたっぽくて好き。黒スーツ竜人執事なんてわかり味がマリアナ海溝すぎてよき以外の感想は無いしもっとイチャつけ。巨乳腹筋褐色は盛りすぎてこんなのいただいてよろしいのですか?ありがとうございますと土下座してもかまわない。
バトルもゲームシステムを絡めつつ戦略的に描けているんじゃないかな。
しかしながら心を惹きつける魅力がない。今のところ引き付けられる謎はほぼ無いし、物語の目標も一応「真の勇者になる」とあと多分「魔王を倒す」があるけれど…。
「真の勇者になる」は現状、世界が職の性能が個人の能力を大部分で決めて+知略(+アイテム)で少し補える感じなので鍛えるのか精神的に資質を得るのかにしても職性能調整の影響が大きすぎていつでも返せるちゃぶ台がある感じ。調整だけで最強の勇者が最弱になる世界で、それで落とされたものが上れる階段ってなんぞや?どこまで上れるの?また最強まで?と疑問が残るのでさっさと何か提示してほしいところ。レベル制でもなさそうなので、知略でもアイテムでも「職調整で大変動」の前提ゆえに歪になりそうで納得が難しい予感がしている。
「魔王を倒す」も調整前に魔王を倒す直前まで行ったわりには世界にその面影はないし「神」がバランス調整の名目で魔王軍(の職)も上方修正されましたって時点でこの作品はコメディだと諒解しました。もはや何のために転生させたの?ボーナスあげたの?って部分はお約束過ぎておそらく突っ込んだらダメなんでしょうね。
だからゲーマーあるあるな読者との共感ドリブンな作品。でも共感だけじゃ強い読書への動機付けには個人的にならない。絵もキャラもバトルも上手いがその評価を覆すほどのものではなく、結局惹きつけられる魅力が惜しくも足りない作品の域から脱することはできなかった。
続きが読みたくなるストーリーか謎か飛びぬけたセンス。(増田が読むには)そういったものが大事なのです。
3話まで。
命令者ちゃんの人の新作が読めるってぇ!?ネットの熱気のようなものに押されて俺は読む決心をした。
すマホって主人公が勝手に略して言ってるだけなのか…。ダサい…。
すマホ・マスターのネーミングセンスといい高校生の秀才さと乖離があるので今から中学生に変えませんか?
あ、でもグーググは謎のなにかの自称かぁ。作者とのセンスが合わないのがネックになるかも。
それはさておき!2022年になって東のエデンのような作品が見れるのか!?が重要っすよね。AIとのバディ!燃える!
まー今のとこ「君」にジュイス並のポテンシャルは感じませんね。
…
んーまーその、うん、うーん、ノリきれるのかこのノリに?
「すごいスマホだ…!」「俺に何をさせたいのか?」「すマホの功罪は俺次第…」「もしやばいヤツだったら世界がやばい」
キメの場面?がことごとく肌に合わなくてお寒い!シリアスとギャグの配分ならギャグが大分勝っている!!
んぁ~でも作者はこれは狙ってそうやってるんだよねぇ。食い気味の天丼とか。デスノートみたいなのを意識して、バクマン。でいう「シリアスな笑い」をやってるんだよね?
自分のこの反応は成功なの?失敗なの?いやややややわざとやってるならこの引きぎみの困惑は想定通りか。しかしなぜこんな反応を狙ったのかわからない俺はゴミだよ。
良い点はデスノートでは話を進めるためにテイラーとベンパーを殺させちゃったけど、すマホは週ごとのポイントノルマを課すことで強制的に動かすだろう設定になってる点かな。
このノルマがだんだん増えるんだろうから必定過激なことをしなくちゃいけないんだろうね。現状は情報を知るだけでポイントを得られるから主人公が通常取得不可能な情報を検索するだけでよくて、能動的な行動を取る理由はまったくないんだよね。んー主人公は「俺に何をさせたいのか?」とか言ってるけどその時点では何もしなくてもいい。ポイントを獲得してくださいという催促には知的好奇心を満たすだけでクリアできる。となると今度は主人公を能動的に動かす動機付けが必要で、デスノートなら新世界の神というか公平公正な世界が動機にあったわけで。すマホは弟を探す、は結末として、そのためのポイント稼ぎでどう主人公を動かすのは作者の手腕にかかっている。そりゃそうか。
東のエデンと違ってモノや人を直接動かせないからすマホ持ちの対決、騒動ってどうするのかなと思ったら3話でハッカーや暴徒500人動員もできちゃって。IDとパスワードの取得でハッキングは納得だし、提案に乗る資質がある人を検索して提案、をすれば人も動かせるということで。検索と通信のみが縛りに見えて結構なんでもできちゃいそうだよね。すマホの検索使って株とかで金を稼いで、「金でなんでもする人」を検索して依頼する。でOKなのかな?
んなぁ~面白い作品になりうる可能性は感じる。凪ちゃんはとても可愛い。でも台詞回しや間の取り方とか節々から原作者の不穏な空気があふれ出ているんだ!わかれ!わかってくれ!!
ま、本誌連載なので続きを見れる機会は遠そうなのでお元気で。
凪ちゃんの可愛いコマがネットで流れてくることを期待しています。
「霊掃業の洗井くん」は話も絵もよかったんだよね~。祓沢さんも凪さん系統でドストライクだし。幼馴染のデザインは大人しいからサブキャラでがっつりせめて欲しいですね。
…そういえばジガのヒロイン知らないなぁ。
単純に報酬の規模が違う。
ハリウッドスターは映画一本で数億円くらいの報酬を得る。 高ければ五十億円くらいの場合もある。
邦画だと主演で数百万円程度で、高ければ数千万円くらいにはなるかも。
要するにハリウッドスターは「ガチの上流階級」だから上流階級としての振る舞いをするし、要求される。
自分が望む限りの贅沢をしても余裕で余る資産があるからドカドカと寄付もする。
ああいう人は仕草やファッションの講師を雇って普段の生活の演出方法も学ぶ。 生活態度というよりは演出技術。
日本の芸能界では演技というものを学問として体系化せずに職人技として磨こうとする悪癖から抜け出せていないし、技術に投資できるほどの報酬も得ていない。
そりゃあ程度問題ではあるがなぁ……。
現代の文明は超高度で繊細すぎていつ失われるかわからないという恐ろしさのほうが私の中では大きい。
私はそこそこのおじさんなので、子供の頃には日本にインターネットは無かった。
それが今やインフラになってしまった。 今から失ったら社会の維持が困難になるほどのインフラにだ。
その文明はタダで維持されているわけではなく知識・知恵で支えられている。
高い山は裾野も広い。 高くなるためには裾野が広くなければならん。
村の図書館だって知識の山の裾野の端っこくらいの役割は持っている。
しょうもないところから学んで高度なことがわかっていくという順序が当たり前だ。
知識を無限に集めることは出来ないので能力的な上限があるのはしょうがないが、少なくとも図書館の体制の縮小を是とは言えないな。
一食おかずに200円を出せば贅沢という環境の中でたんぱく質とビタミンと食物繊維の連合軍と日々戦っている。
当然買い物は客寄せ用だろう日々の激安品のみを狙い打つわけで、食べたいものを食べる生活とは分かれて久しい。
そんな増田にも謎の矜持があり、「玉出で買い物したら終わり」という謎の意識があった。
昔、まだ普通の生活をしていたころにネットで玉出の話題を見てその安さや惣菜のヤバい雰囲気?を語っている場面を幾度か見てきたからだと思う。あとは個人的に丸いロゴが昭和、いや平成初期っぽくて古臭い。イズミヤとかもな。さらに黄色いテーマカラーが古臭さを加速させてしかたがないという偏見。
幸い、ではないが最寄のスーパーに玉出はなく、自宅からの距離的には通うには一歩遠い距離で意識的に避ける必要がなかった。
それでも大阪を回ってみればそこそこ見かける各店舗。そんなある日、玉出の目の前で予定がキャンセルになった。
ぽっかりと空いた自由時間。目の前には謎の店玉出。増田の足は気付けば玉出へと向かっていた。
(玉出とは
https://twitter.com/ikaring63036919/status/1395281116966227970
https://twitter.com/ikaring63036919/status/1395615475376087041
増田の金銭感覚から言えば感性がバグるぐらい安いスーパー、ではなかった。
他店のチラシの特売品ばかり買っている身とすれば通常価格だっただろう品々はそれらには及ばないし、生鮮食料以外の普通の食料品、既製品も普通のお値段。他店にくらべ部分的に安かったり高かったりでごく普通だ。
ひとつ特徴的だと思ったのは、生鮮食料の産地だった。韓国産やインド産やメキシコ産の肉や魚がずらずら並んでいる光景はなんだかカルチャーショックを受けた。産地が明確なのはいいよね。
とはいえ増田の体は業務スーパーのブラジル産の鶏肉で出来ている。その体はアメリカとカナダ産の大豆。卵のサイズを選ばず(ミックス卵)。その体はきっと賃金が安い労働者たちによって支えられていた。
あまり他者を笑える生活をしていないので、玉出のそれもヤバい点というわけではなく興味をそそられる特異点として紹介ということにさせてほしい。こんなものが輸入されているのだなあと本当に新鮮な体験だった。
(魚は本当に金額的にアウト・オブ・眼中なので輸入品のそれらが安いものかすら増田にはわからなかった)
惣菜についてもほうほうこんな感じねという印象で、質・値段ともに強烈なものはなかった。お弁当は平凡そうだが、どんぶり系は見た感じ普段のスーパーより一回り大きい容器を使ってよさそうだった。ただ最近は上げ底絞り底が横行しているので実際はわからない。
焼きそばはお得感があるボリュームで、これは既知の店より勝っていたと思う。
また、寿司にも力が入っており普通の10種盛りのほかに特定のネタだけ数貫ずつバラで売っているのはうれしい。食べたいネタだけつまめるのはありがたそうだ。しかしあの魚の産地の豊富さを思い出すと食指は伸びなかった。
これで値引き率が50%を超えるならかなりサイフに優良と言えるが、時間帯が閉店までまだまだあったので残念ながら値引率はわからない。
これは値段とは別の話として、店内のいくつかの照明がおそらく意図的に高速で点滅していた。頭上のみならばさほど気に障らないが、食品のフィルムにそれぞれに反射して非常にチカチカして値段や品が見づらいわでとてつもなくうっとうしかった。これはなにかサブリミナルな催眠効果を狙っていたのだろうか?少なくとも増田の購買意欲は減少した。
最後に、韓国・中国産の生鮮食料のほか、手書きの韓国語と中国語の張り紙やおそらく人種的に黒人な店員さんが居てこれもまたなんともいえぬ異国情緒があふれていた。何か言うとうっかり差別的になりそうだから深くは語るまい。玉出があった地域的な特色だったかもしれない。外国語の張り紙が効果的で感謝されるようなグッドな施策なのだろう。しかるになんというか玉出には品や店員や客を含めてそういった層があるわけで、非常に懐が深い店なのだなと思いました。
まあちょっと暗めの照明もあいまって独特な雰囲気はあったけれど、風評はネット特有の誇張されたものなのかなと。入ったことがない人は一度入ってみるとちょっと面白いかもしれない。
というわけで増田にとって玉出は常用するスーパーにはなり得なさそうという結論に至った。
しかしこれは喜ばしいことであろうか?
先述のスーパー一覧表で「お値段異常」と呼ばれるサンディすら特売や数点の地域最安値のメーカー品しか買わない増田だ。生鮮食料はサンディでは買わない。
増田が常用しているのは業務スーパーと表にも載っていない地域型スーパーや障碍者支援だろう八百屋などだ。
一ヶ月半をだいたい1.5万円の食費で暮らしている。辛い。値上がりの波も来ている。家計簿を振り返ると10種類以下の品目しか買っていない月が多い。
増田がするべきは「玉出で気兼ねなく買い物できる程度の生活」への脱出なのである。玉出を笑ったり恐れている場合ではないのだ。ああ、しかし、そのための道筋はいずこ…。
次はサンディと同じく「お値段異常」と呼ばれ惣菜が特徴的らしいラ・ムーに機会があったら寄ってみたいと思う。こちらも「行ったら終わり」だと勝手に思っている店なのでいろいろ不安だ。もしそこで安すぎる食べ物があったら増田はその誘惑に勝つことが出来るだろうか。嗚呼しかし、金は命より重いのだ。
これらを有効に活用するために貸出もしているのであって、更にそれだけでは市民が無関心になるから娯楽本も置いてあるという程度の話。
市民に対するサービスの必要性があってしているのではなく、図書館が存続するために市民に対するサービスもしている。
貸出サービスが欲しい市民のためではなく、資料と言うものに関心が薄い人に対してもアピールできる図書館でなければならないんだ。
だから能動的に資料を借りたい人だけでなくふらっと入ってふらっと借りていけるような図書館が必要なんだよ。
関心が失われて場末の図書館が消えて行けば中心部の図書館も存続するのが難しくなっていく。
——…って疑問に対して、まともに返してる人がまるでいないのはなんなんだ。
普通の宗教と一緒くたにして撹乱しようとしている・いるいるこういうタイプ・勉強しろよ・調べて学んで自省しろ・学ばないのは逃げ道がなくなるからでしょ・自民党に聞け・それを決めるのは議員の仕事だ・普通の人の意見を聞きに行きなよ・さすが自民党だね・やらかしてんだから説明謝罪しな・逆に何の定義ならわかるのかな・滑りやすい坂論法だ・ならSNSだって潔白じゃないんだからアカウント削除しろよ・この人達とは生産性のある議論はできない・阿呆・そういう理屈は離党してから言って・この人達は自分で判断する能力がないと自白している・誤魔化そうとしても無駄だ・言い逃れしてるってことだね・まるで新興宗教だ・お前壺側の人間だろ・壺の手先だ・壺?
・・・壺?
思うんだけど、相手が答えられない問いにズバッと答えたほうが批判になるでしょ。
定義はコレってまともに答えずに敵側だと疑うだけなの、むしろ反知性的な態度に見えてしまうよ。
大衆側まで理性を放棄して、うろたえてるように見せることにメリットがあるとはとても思えない。
追記・
https://anond.hatelabo.jp/20220827235417
の削除を求める。
全文コピペは法律上の引用の定義を満たさない。私への権利侵害だ。
個人的な感触だがカルトの定義問題は、なかなか火がつかないように思う。
人々は、統一協会だけを、法律と価値観に例外的に穴を開けて排斥してよしとするのではないか。
増田で議論したくらいでは壺呼ばわりはされないだろうが(そこまで反知性的だとは思いたくない)、内省するモチベーションが足りていないようだ。
この先に第2第3の問題組織が現れるとか、外国人に日本人の反宗教的態度を非難されるとか、ブーストが必要だ。あるいは強力な増田が投稿されるか。そういう変化がないと現状は変わらないだろう。
それまでは私も、微力ながら議論の火を絶やさぬよう尽力しよう。
元 2ch の管理人であるひろゆき氏は論客として全く真っ当なものではなく、メディアでろくでもない妄言ばかり垂れ流しているのは事実だと思う。
彼は「論破」するのは上手いが役に立つことはなんにも言わない。
だが、警察がひろゆきを擁護しているというのは完全な間違いだ。
2001 年からはプロバイダ責任法が設定されており (それを根拠とする範囲内で) 発信者の情報を捜査機関に開示すれば発信者の不法行為にかかわる責任を負わないという制度になっている。
事実上の情報開示の強制であり、実際に 2ch も (ID が表示されないスレでも) 内部的には全て IP アドレスを記録するように変更して組織的に協力してきた。
ガサイレの後にひろゆきに対して何も無かったのはひろゆきに実際に何も非がなかったからだ。
2ch で麻薬の密売のやりとりがあった事件に関連した捜査だとされているが、本来なら (発信者の情報を捜査機関に開示すれば) プロバイダ責任制限法で明確に責任の範囲外だとされている事例。
しかし、犯罪の「ほう助」とみなすというアクロバティックな解釈で捜査を強行したわけだから、警察はプロバイダ責任制限法を無効化、協力関係を破壊しにいったとすら言える。
企業がいう「未経験OK」「学歴不問」ってのはそれで足切り (問答無用で不採用) はしないという意味だよ。
大企業はそれで足切りするから、そうじゃない中から能力はあるやつを選ぶというのが「未経験OK」という意味。
IT で言うなら業務経験はなくてもその手の学校を卒業してるとか、趣味プログラミングで人気のあるソフトを作ってるとかで審査できる。
ガチで全くの未経験なのはどうにもならんで当たり前。 自社で数年かけて教育するというつもりが必要。
ソフトウェアエンジニアは休日も勉強しているというのは間違い。
趣味でプログラミングしたりはする者はそれなりにいるのも事実だし、能力の向上につながっているのも事実だが、決して業務のために勉強しているわけではない。
そういう人材が好ましくはあるにしても「それが当たり前」などといういうことを押し付けるな。
プライベートの時間に口出しするのは企業人事としては最悪の振る舞いで、訴訟されたら負けるぞ。
この文書で何が批判されているか知りたいだけの人は、一番下の節「まとめ」までジャンプ。
清水先生の講演についてここ一週間くらい悪口をTwitterで書いてた江口先生に、それブログに纏めてよと言ったら気が乗らないと断られてしまったので
「うまい人びとは、前に書いた辞書的定義や約定的定義や明確化定義や理論的定義なんかを縦横に駆使して説得にかかってきます」
と最新のブログで書かれているのを、清水先生の講演を題材に自分なりにスケッチしてみる。
続き、というか中間にあたるのだが「(2) ポリティカル・コレクトネスってなんだろう」「(3)キャンセル・カルチャーってなんだろう」を書くかは未定。
つまり、この記事は書き起こしで言う「Part1 〜学問の自由とその濫用〜 」の検討が中心だが
最後の方で全体を対象にする前に他のPartの検討を書くべきところ、途中で力尽きている。
とはいえだいたいPart1の検討とほぼ同じものを繰り返すだけ
を先に見ていることが前提。
の説明はほぼ書かないので、分からなければブログを参照するように。
1998年 国際大学協会(IAU)声明「学問の自由、大学の自治と社会的責任」による定義です。
「学術コミュニティの構成員、すなわち、研究者、教員や学生が、倫理的規則と国際的水準に関して学術コミュニティが定めた枠組みの中で、そして外部からの圧力を受けることなく、学術的活動を追求する自由」
人びとがその言葉をどう使っているかを国語辞典の載っているような形で説明している。
「一般的には、〜〜、というふうに考えることができる。」
「従来はそして一般的には、〜〜、というふうに理解されています。」
世間一般の用法という文脈なわけですから、当然、スライドの引用の言い換えに相当する語釈が、聴衆には予期される、
同じく 辞書的定義 が与えられようとしているものと解釈されます。
実際に与えられた定義を見てみましょう。
ある種の公の定義であるIAU声明に対する言い換えとして、清水先生による定義を読んでみると一つ気にかかるところがあります。
と非常に具体的な形になっています。
世間一般の用法として紹介される割には、議論のあり得るところで
「こういうのは多数派も少数派もない、学問の独立って話なんですが、多数派からの圧力は特に抵抗しにくいので」
というふうに説明するほうが世間の認識とあっているように思える。
とはいえ、ここまでならば、代表的な「外部からの圧力」を並べただけ、ただの例示ゆえに言い換えの範疇であり、辞書的定義のままだと受け取ることもできる。
ただ、ここで私が書きにくくて困ってしまうのが、清水先生が「具体的に」何を批判されているのかさっぱりわからないことです。詳しくは後の節でも取り扱います。
「現代の誰かが主張している「学問の自由の侵害」とは、〜〜だ」と、清水先生が定義していると読める箇所を、少し文言を修正の上、抜き出します。
見事にすべて 説得的定義 ですね。江口先生のブログで挙がっている
「中絶とは、女性を望まない負担から解放する安全な外科的処置である」
などと同じ形式となっている。
ただ、読みながら何を論じているのかわからなくなって辛くなってしまうのは、
中絶の例ならば、中絶の 辞書的定義 は共有されているという前提のもとで、 説得的定義 を用いているのに対し、
清水先生は、この文脈での「学問の自由の侵害」とは 辞書的定義 の学問の自由の侵害とは全く異なるものだと論じていることです。
(下の2節は「どう論じているのか」という細かいレトリックの解説なので
どう辛いのかについては、「批判対象の曖昧さ、具体性の欠如」でページ内検索してジャンプ。)
これらは学問の自由の侵害の定義として読むことができるものであり、
先に導入された説得的定義「社会的少数派の側からなされる批判や異議申し立て」とは対義の関係にある。よって等号で結ばれることはありえない。
ゆえに、「従来から論じられてきた一般的な節(辞書的定義)」学問の自由ではない、という論証。
しかし、これはIAU声明にはなく清水先生が付け加えた箇所のはずですね。
先程はただの例示と見ればという限定をつけて辞書的定義と認めました。
逆に言えば、「そうでなかったら学問の自由でない」というふうに使うならば、もはや例示ではなく、清水先生の独自見解です。
すなわち、この時点で辞書的定義として導入された学問の自由という概念が
「学問の自由を〜と私は定義します!」という約定的定義へとすり替えられているのです。
一旦まとめると、
「よくわからないものを」「なんか悪そうに定義して(説得的定義)」、
「その悪そうな要素にぴったり当てはまらない要素を、一般的な定義の中に紛れこませる(定義のすり替え)」
学問の自由とは
「力のある人たちとか多数派にとって都合が悪い、あるいはそこにとって利益にならないというだけの理由で、 研究教育を抑圧したり不当に妨げたりすることを困難にするはずのもの」
まさに、
「うまい人びとは、前に書いた辞書的定義や約定的定義や明確化定義や理論的定義なんかを縦横に駆使して説得にかかってきます」
そのものですね。
この一節は憲法学の理論を援用しているため、少し強引ですが理論的定義を示したものとも言えるでしょう。
実際、この定義を根拠に「学問の自由の侵害」を「なんか悪そうに定義した」説得的定義に対し
これは日本国憲法で保障される学問の自由からはかなりかけ離れたもので、何を言ってるんだというふうに思われるかもしれません。
なぜかけ離れているのかというのは詳しく述べられていませんが、
要は憲法学の理論「憲法は原則としては国家権力を監督するものであり、私人間効力の議論も私人相互に大きな権力差がある場合の話である」という話でしょう。
権力差をどう捉えるか、例えば「学界から事実上キャンセルできたというのは、権力差があったといえるのではないか」というのが憲法上の論点になるわけですが、
そこを 説得的定義 から導かれる「抑圧側 VS 被抑圧側における抑圧側が学問の自由を主張している」という構図でクリアするわけです。
ここまでいろんな種類の定義を用いたレトリックが使われてきましたが、
正直なところ、説得的定義から導かれる「抑圧側 VS 被抑圧側における抑圧側が学問の自由を主張している」という構図を用いた時点で
直感的にはそれは学問の自由ではないでしょうという話になります。
ゆえに最も問題になるのは、そう定義されるのが具体的になんなのかです。
清水先生は「こういった言説が具体的にどう現れてきたのかご説明したい」と30分近く説明してくださっているのですが、
書き起こしを全文検索してもらえればわかるのですが「学問の自由」を直接的に濫用している例として挙げられているといえるのは、
Horowitzによる、Academic Bill of Rights (ABOR) のみです。
ほか間接的な繋がりとしては「ポリティカル・コレクトネス」「キャンセル・カルチャー」の事例が話されているのですが
これも抽象的な定義の操作に時間を割いていて、具体的な文脈はほぼない。学問の自由とどう関係するかも全くと言っていいほど書かれない。
詳しくはそれぞれをどう定義しているのか、という点を検討する必要がありますが、
これは別の記事「(2) ポリティカル・コレクトネスってなんだろう」「(3)キャンセル・カルチャーってなんだろう」に譲り、
当記事「(1) 学問の自由ってなんだろう」では、直接的な例、ABORに絞ります。
清水先生はABORを曲解して参照しているのではないか、という指摘もあるのですが、
とりあえずここは論点にせず、清水先生の解説をそのまま採用します。
ABORの主張は、
「ナチスの政治哲学の擁護であるとか、あるいは進化論の否定であるとか、 そういうものを学術的に正当な主張の一つとして教えるべき」
「ナチス肯定論文を学問の自由で擁護することはできない(マルコ・ポーロ事件)」じゃないですよ?
むしろ、何が相手だろうと自由であると肯定する、過激な自由論者ほど否定する内容です。
「大学でナチスの擁護を正当な主張の一つとして教えるべき」、自由でもなんでもないじゃないですか。
まとめると、
最終的には、そして本質的には、清水先生は「学問の自由」について議論の余地のないことしか言っていません。
じゃあなんで議論になるのか。
清水先生の立場からすれば、「学問の自由」の濫用だと当然問題視しているであろう例が
清水先生にとって非常に身近な例であるはずのそれは2例あります。
このちょうどいい2人については講演では全く触れない。
特に後者の呉座先生については質疑応答で「学問の自由」を求めている人として名前が挙がったにもかかわらず、
「ちょっとわからない」「詳しくない」「法律の専門家ではない」「裁判をはっきりきちんと見ているわけではない」「労働争議であって学問の自由ではないんじゃないかなぁ」
との返事。
「そうです。呉座さんの事例こそが私が批判した「学問の自由」の濫用です」ではなく「詳しくない」。
訴訟の原告の1人であるからには詳しくないわけはないのですが、文字通り解釈するならば
この「学問の自由」の濫用批判において、呉座先生の事例は検討すらされていない、ということになる。
またこの回答の続きとして、呉座のことを言っているわけではないという注釈付きで、「学問の自由では擁護できない」例が出されました。
せめて多少は「学問の自由」と文脈がつながるように「酷いセクハラ・パワハラを長年犯してきた超一流哲学者が大学から追放されたことを、学問の自由で擁護はできない(ジョン・サール事件)」くらいにしましょうよ。
文脈がわかるくらい解説をつける具体的な例については、当たり前を超えてもはや関係のない例しか出さない。
それでいて、批判対象に対して一般に共有されるような辞書的定義には触れないで、
何を批判しているのかも厳密には不明確なまま、説得的定義に対する抽象的な定義操作を元に議論を行う。
音声の品質が悪く、ところどころうまく聞き取れなかったところがあった。その箇所は●●●と表記した。
anond:20220805225632 Part1 〜学問の自由とその濫用〜
anond:20220805225835 Part2 〜ポリティカル・コレクトネスという言説戦略〜
anond:20220805230017 Part3 〜Academic Bill of RightsとProfessor Watch List〜
anond:20220805230307 Part4 〜キャンセル・カルチャー批判〜
anond:20220805230534 Part5 〜Ahmedが見立てたキャンセル・カルチャー批判のメカニズム〜
anond:20220805230705 Part6 〜質疑応答〜
https://www.youtube.com/watch?v=FP8rL7KfisI&t=9613s
2:40:13~2:45:40
私いくつか頂いていて割とまとまらないというか散発的な感じなので、すごく短くお答えしたいと思います。
最初に「日本政府のジェンダー・バッシングの背景に宗教団体のロビー活動がありますか」ということなんですけど、
これはあります。詳しいことは、っていうかご存知の方はご存知だと思いますけど、
先週末かな、にモンタナの山口さんと富山の斉藤さんが、これ出していいのかな、
どっかで、延々と何か全部で見ると4時間か何かの番組でお話になっているので、そちらを見ていただければいいと思うんですが、
ジェンダー・バッシングの背景に宗教団体は確実にあります。統一教会はちょっと新しくって、
もともとあったのは、どちらかというと日本会議系だったりとか、そっちにいたんですけれども、
それと関係して「今日出てきたABORの背後に●●●主義がありますか」ということですが、
ただ問題はいろんな議論が直接、原理主義とか宗教から出てきているかどうかではなくて、
そういうところと結びつくようになってきている、ていうところのほうがジェンダー系では大きな問題だ、
ということはお伝えしておきたいなと思います。
次ですが、
「フェミ科研裁判と同じく京都地裁で係争中の呉座勇一さんも学問の自由●●●を求める裁判をされています」ということなんですが、
私は呉座さんの裁判は労働争議だと思っているので、学問の自由ではないんじゃないかなぁと思います。
ちょっとわかんないんですけど私も、きちんと法律の専門家じゃないので、
他の●●●の裁判をはっきりきちんと見ているわけではないんですが、労働争議ということではないかなというふうに思ってはいます。
学問の自由っていうのは、研究者だったら何を言っても大丈夫ということではなくて、例えばある人が、
この場合は「女性蔑視が問題になっていますが、学問の自由は守られるべきだと思われますか」っていうのがあるんですが、
ここすごく大事なところなんですけど、
あるいは非常に女性蔑視的であったりとか、
あるいはそれを超えて性暴力に至るようなことがあったりとかていうときに、
それは当然、性暴力って考えたらわかると思うんですけど、学問の自由では守られないです。
今言ったような、今おっしゃていただけたような、あるコミュニティの中の、学問コミュニティの中の手続きであるとか、
そこで積み重ねられてきた知見に則って、どういうような議論するか何を考えるか、
例えばすごく離れた領域っていうのを考えてみると、何でもいいんですけど、理論物理学の研究者がいて、
その研究者が非常に女性差別的なあるいは人種差別的なことを言ってそれが問題になった。
「いや学問の自由だよ」と言われたら学問の自由じゃないんですよ。
その人が女性差別的なことに言ったりとか人種差別的なことを言ったりとかっていうのは、
それは学問とは全く関係ないということなので、それは学問の自由では守られない。
そこら辺ちょっと、この件がそうだということではないんですが、
学問の自由っていうのが適用されるのは、そういう意味では結構狭いことになるので、
そこはちょっと注意したほうがいいんじゃないかなというふうには思いました。
次なんですが、「キャンセル・カルチャーという言葉を初めて聞いたんですが」、
何か今回のフェミ科研裁判とどう関係があるのかというご質問かなと思ったんですが、
一つは●●●さんもおっしゃってくださったように基本的には、その今●●●さんがおっしゃったこととも関係するんですが、
今回はすごく大事なんですね、この文脈では学問の自由は非常に大事なんですが、
学問の自由っていうのをとりあえず出しておけばいいということではなくて、
一体学問の自由っていうのが何を守ろうとしているのかとか、どういうふうに使われようとしているのかとかていうのを、
1回1回読み解いていく必要がある。
それを忘れて学問の自由なんだよという話をしていると結構足を掬われるって話を、
日本語圏はそもそもさっき「学問と見られていない」とおっしゃっていたのは、ほんとそのとおりだと思うんですけど、
そもそも日本語圏では学問の自由以前に、例えばジェンダーとかセクシュアリティとかそういう問題に関しては、
気にしようとも思っていない人たちが圧倒的に多いんですけど、でもその人たちが「気にしたほうがいいよ」って言われた瞬間に、
「学問の自由」って言い出す可能性は逆に言うとめちゃくちゃ高いと私は思っていて、すでに言い出している人たちはいっぱいいます。
なのでそこはやっぱり気を付けた方がいいよね、っていうふうに私は思いますし、
そのことっていうのは、例えば今回この学問の自由が大事だっていうのと、
それからある特定の別の学問の自由の使われ方に問題があるっていうのを、
同じ地平の上で、だけど、こっちは大事でこっちはまずいということを言えるような、
私たちが言説上の力をつけておかないと、ふらふらと引っ張られる可能性があって、それは非常に危険だってふうに思ってます。
一つの講演に対し、知る限りこの増田を含め三つの文字起こしが乱立している。
先行文字起こしが二つがあるなか、あえてもう一つを公開したのは以下の理由のためである。
なお、作業自体は滝本の文字起こしの公開前、Togetterまとめの文字起こしが中途で止まっている時から始めていた。
石畑隆氏版文字起こし(https://note.com/philo_radi/n/ne2da785c938c)が加わって乱立四つとなった。
質疑応答部がなく、またここではカットしたフィラーや言い誤りの訂正等も比較的再現されている。
小見出しを適宜挟んでいるところはここと近い。
公開先のnoteの組版の方がはてな匿名ダイアリーより読みやすい人はいるかもしれない。