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はてなキーワード: 蒸し風呂とは

2020-06-03

ただいま室温29℃

蒸し風呂のような暑さだ

から寝るつもりだけど眠れるんだろうか

2019-09-30

蒸し風呂からルーラ使えなかった

女湯には余裕で入れるのに蒸し風呂用の服を借りたまま立ち去ろうとすると

ふしぎなちからでかき消される・・・

2019-09-11

台風15号千葉県中央区停電被災しました(9月9日-9月11日)

今回の台風被災したので

今後おなじ被害の遭われた方の為の

参考としてあくま

私の主観で実録筆記させて頂きます

◎私はSNSをしていません。

なので文章の上手な方、

漫画の描ける方等、

とにかく今も停電の続いてる方や

今後同じく被災された方向けに、

「短時間で見られる」情報として

必要情報のみ抜粋した形で

可能場合ぜひ情報簡素編集

転載引用をお願い致します。

被災時の状況】

私は県外出身旦那出身千葉県24歳・妊娠8ヶ月の状態で里帰り出産の為単身滞在

9月9日は前日に旦那のみ私の地元に帰り里帰りの初日

この時の家族構成は義父義母(60代半ば以降)と認知症の義祖母(91歳、この方は義父母の避難生活において1つの課題になるので後述)と

9月9日の午前4:00から停電被災11日午前8:30頃まで停電】。

●全て30~35度気温の日。晴れ、晴れ、雨(復旧日)のち晴れ。

●一軒家、停電開始が午前4:00からだった為エアコンが切れている事に違和感はあるがカーテンを開けていつも通り動いた為、最初停電に気がつかず。

→判明後は

少し今後の為の避難準備を開始する。

(通常時のコンタクトレンズをつけず、メガネでの身支度。

→水が出たので明るい内に洗浄する事でそれ以降は使用)

信号がついていないのに外を車が走っている

水道は終日機能していた。

トイレは2つで1階が自動水洗な為機能しない。使用禁止の紙を貼る。

テレビ冷蔵庫携帯電話の充電、風呂が全滅で、最初スマホ情報を得た。

オール電化住宅街の為の付近住宅オール電化機能が全滅、

隣家雨戸カーテンすら開かないとの事

→【①カーテンや窓が手で開けられる

※開けた所で蒸し風呂です。

閉まっている隣家の様子を想像するだけで発狂するレベル

【②コンロがガスで火がつく】

【③トイレは手動レバー水洗】

という条件だけで

精神面がきっとかなり違う。

後家設計される方の参考に。

我が家IHの、BBQ用のガスコンロなしだった為、

加熱した物を後3日間

家では食べていない。

(ガスや食べ物を車移動をして

外に求める事にした為)

家電関連で助かった事、

1500Wの日中のみ使用出来るソーラー発電パネルが家に乗っていた。初日は実働した事がない為不使用で、2日目の日中から義母提案により使用

スマホの充電と冷蔵庫扇風機日中だけでも生き返る事により「電気のなくなる夜」への精神的な備えと安定をかなり得る。

後家を建てる方はオススメします。

11:00頃

近所のセブンイレブンにておにぎりパンラックのみが全て空、食べられそうなサンドイッチや卵等を見つけたと思ったら

「3時間冷蔵商品は売れない」との規約の為売ってもらえず、

まず直面したのは食料確保。

→★そこで停電開始時間:「朝4:00から停電しています」・

営業している同系列店の立地とエリア(例:千葉駅付近営業している)」の情報を得る

精神的にはまだ余裕がある。

私自身の祖母たまたま安否確認の為に家の固定電話電話かけてきた為、固定電話が繋がる事が確認

スマホの連絡よりまずは被災地の固定電話が通じるか否かをまず身内は確認してください!

→「お見舞い申し上げます!」等のLINE不要淡々と終日空いている公民館や電力会社サイト情報や「今電気が通っている県内地域」の情報を送ってください。

(母がこれをずっとやってくれていて、検索時間を短縮できて

物凄く助かった。

スマホ電池の残量の問題

「15秒で見られる被災者に関わる情報(通電地域の進捗や避難場所等)」しか不要です)

→★ただし被災地の方が弱音を吐いたりしたLINEがきた時等には、当事者としてはものすごく心の支えになるのでぜひ返信してください。

(①スマホの充電が刻々となくなっていく絶望感は凄いので、ニュースだけを得る機械として使用した方がいい。

②速度と重さ重視でTwitterを私は使用していた。

③復旧地域の人の「千葉県●●町復旧しました」Twitterつぶやきだけでかなり救われた。

停電3日目には台風過去の話となりニュースが入れ替わりホテルで見たテレビバラエティーばかりがやっていてそれらの情報がかなり減ってしまう)

④夜は初日から蘇我地域が復旧していたので、車を出してみて、ショッピングモール外食

ショッピングモールがやっているかもしれないので、

信号がついていないので事故危険性はあるし、

気は進まないかもしれないが、車移動する事がオススメ

→そこで懐中電灯2本と翌日の朝ごはん義母調達

惣菜パンラックと白米のパックが全て売り切れ。

★揚げ物と真空パックサラダを買う

この時点では「翌日10日復旧予定」と出ていたので朝ごはんの時をしのいで昼以降はまた考えればいいと思っていた。

→帰路にて左右の町内は見事復旧していた為希望を持ったが、

最寄り駅を超えた瞬間、

まず信号が当然点灯しておらず、近所のマツキヨも無点灯、

道路渋滞をしていて、

徒歩数百メートル区間違うだけで「自分達の家が恐らく確実に復旧していない現実」に段々直面していく道中となり

さすがに常にプラス思考姿勢を見せる義父母達も心にダメージを負っていた。

→★本格的な精神身体苦痛を感じたのは帰宅した18:00以降の真っ暗になった家に帰った夜から

→真っ暗な風呂懐中電灯をドア外に吊るす、最低限のシャワーシャンプー等だけ入浴。

認知症の義祖母は、風呂ではなく濡れタオルで拭いて着替える事になったが目を離すと浴槽の蓋をあけて浴室に入ったりし「いつも通り」の動きをするので静止する。

→実はこの日の正午に「辛うじて手に入ったセブンイレブンの片手分しかない人数分はないパンを、お腹がすいたのか正午になると時間通り触り出す」等

認知症の方のこういう「1日の本来らするはずの生活のいつも通り」の行動に、要介護者と初共存生活をする事になった妊婦の私は少し精神を削られる感覚がした。

→恐らく慣れている介護している方にも同じ様に心労が積もる。

トイレLEDスタンドライトを常時設置した状態で、事前に案内したので認知症の義祖母も夜間きちんとそこで用足しをするが流せはしない。他の人が入った際気づいたら流す。

(せめての義父母の負担減になるよう寝られない私がメインでしていた)

固定電話旦那に連絡、非被災時の旦那には正確状況わからず、非被災地の友人達や親類のふとした一言や数秒で電話を切られる対応に傷つく。

実家の母に固定電話電話

泣きつつ現状の本音を1時間程話す。「頑張れ」と言われ精神的に持ち直す。

■この時 千葉市内63万戸停電

【2日目】

妊婦(妊娠8ヶ月の私)が朝から軽度の熱中症になる

→前日夜間は自室にうちわ懐中電灯持ち込みはしたが到底寝られず、

肌に触れるベッドや布のシーツが全て気持ち悪く感じ、眠いのに横になっていられない。

基本的うちわで仰ぎ、窓の外の景色を見て1:00~3:00位の時間位に気絶したのか寝られた。

旦那が置いていった自家用車に充電ソケットを忘れたとLINEが来た。少し救われる。

暑さに耐えきれず、思いつき

4:45~5:00まで、

夫の置いていった自家用車

クーラー10分程度だけ当たり、

充電もしてみる。

低速充電モードだったが、

最悪少しは出来るのかと確認

スマホバッテリーは40%台になっている。今日電池切れになる事を覚悟をする。

→朝5:00頃諦めて起床(ほぼ完徹)、

私は軽度の熱中症により

固形朝ごはんは食べられず水しか飲めず果物は食べられる。

フローリングの上で辛うじてまだ冷えていた保冷剤をタオルで巻き、2時間ほど寝ていた。

→前述のソーラー発電パネル稼働してみる事になる。

日中の晴れた時にしか使えないが、リアルタイムで発電する為ものすごく便利」なシステムだった。

Twitterにて、

民間ソーラーパネルでも現在

活用している方がみえました。

1500W以内の家電の組み合わせ

(携帯電話の充電が5-10W、

冷蔵庫は40W、

電気ケトルは1200Wなので

使わない、

テレビ不明必要優先順位が低い割に電気を使いそうだった為

使わない)で

スマホ冷蔵庫扇風機】の組み合わせで朝10:00程まで過ごす。

これでかなり精神的な負担が軽減した。

→★特に扇風機を出してきて使える点とスマホの充電が満了できる点。

旦那の車が

テレビラジオクーラー役割を果たす事をこの日の朝確認した為、ガソリン満タンに入れに行く事は早朝に決めて義父母に伝達。義父にも全ての車の操作を教え、この車をメインで使う事を共有。

★ついでに市街を周回、

電気の開通しているエリア】を把握する。

(初日同様、これがすごく大事)

★そこの町内のコメダでは待合時に備考欄に「電源」という文字が客側の欄に書かれていて、

それを書くとスマホの充電機器が貸してもらえて出来ていた。

被害を免れた各店が

こういう事をしているかもしれない。コメダ様はしていました。

→店内客の5階建て集合住宅住まいのお母さんと娘さん2人から

我が家は水の汲み上げが電気システムなので、水も止まっている」との事。同じ境遇の人たちと話す事で気は紛れた。

店内は皆その住宅の住人らしい。

→今朝の妊婦熱中症の件から

妊婦義母は朝からホテル宿泊をする事を義父が決める。

認知症義母は義父が家で看る流れになる

(近くの公的施設が9:00-21:00までは解放されていると町内会長が自転車で連絡周りをしていたが、

祖母環境が違うことによるストレスになるとの事でそこには行かず行けず、

夜は認知症祖母に水を

飲ませないといけない為、

家にいるしかないと義父判断

この時点で4人中2人が2泊エアコン無し家での2夜目確定で危険)

ホテルの空室確認タウン誌で1番最初から義父母がしらみつぶしに電話をかけて行くが見事に全て埋まっている。

価格が安い駅から近い所が

全て埋まり

高い価格帯のビジネスホテルすら

空いてない状況。

→半分カップルラブホテルの様な所が

空室があり、女子会プラン適用

素泊まり可能で宿確保(午前11:00頃)、

高齢者がいると難しいかもしれないが、

ラブホ関係とかネカフェも当然視野に入れると良い。

ホテル内のテレビにて

特定公民館宿泊可能」の

情報を得たので電話にて義母が共有。

→部屋の価格

20,000(空室紹介時)

→¥17,000(停電避難をしたい旨を伝え可能ならもっと安価はないかと問い合せて結局この部屋)

→¥14,000で翌14:00まで宿泊可能だった。

バリヤンホテル千葉様、

お世話になりました。

→夜にホテル室内で

10日夜から11日にかけて

千葉市内53万戸の停電の内

12万戸まで減らす」と

テレビ災害ニュースを見た為、

義父から認知症の義祖母が寝た」と

電話あり、

ホテル滞在組は半分期待や信じはせず、

どうかその12万戸には入りたくないと

ただその件は義父には伝える。

■この時、53万戸停電

【3日目】

ホテル滞在組は快適に

普段通り過ごしたので割愛

結果的に朝起床後すぐテレビニュースにて東京電力から

「昨夜言っていた

11日以降復旧完了見通しは、

悪天雷雨のため立たず」の

文字ニュースで見ることになる。

→93歳の女性が室内で昨日熱中症死亡したニュースは見て

「おばあちゃんと近いね

まあ、だよね.......」と

義母が言っていたが、

この朝65歳の女性が同じく亡くなるニュースをみて「同い年だよ!」と戦慄する。

★徐々に刻一刻と

自分の身近に自分達と似た状況の死亡者が増え出す」環境になる事を自覚する恐怖が増える。

★この時に「それはいいから、

今どこのエリアを復旧作業していて、

どこがどれだけ復旧したのかを教えてくれ!」と私と義母

→★電力会社からの報告が、

①9日初日

「翌日の10日には復旧予定、

1部エリア11日以降

(そこに自分たちのエリア

入っていなかった為

明日には復旧すると思っていた)」、

②終日復旧せず、

2日目の10日夜には

「翌日の11日には

53万戸から12万戸に

減らす事を目指す

(Twitterでも中央区の復旧報告が

見つからない現実と共にこの時は過ごしている)」

「目指す」なので

期待は当然してない半々の気持ち

11日の3日目朝は

本日中の復旧の見通しは

立たない(断言)」と.......

★延期発表が「明日中(以降)復旧」を

繰り返しすぎて少し振り回される。

初日から2日目ですでに復旧予定が覆っている為、非情な内容でも

正確な情報が欲しい。

明日には、明日には」

が重なると

かなり精神ダメージが蓄積する。

はなから今どこをやっていて、

どこが復旧したのかだけ情報が欲しい。

→チェックアウト後の、

夜の停電自宅や公民館避難での

過ごし方までも当然覚悟した。

→8:30頃

「もう一泊部屋を確保出来るならするか(テレビがある、電源がある状況を確保する事はとても心強く感じたが、

義父が3日連続して義祖母と家滞在になる為、義母は帰って公民館とかを

利用しないといけないか)」と

いう話をホテルでしている最中

義父より「電気復旧きました」と

電話連絡があった為。

少なくとも我が家

停電状況はここで終わる。

■この日の千葉県停電 41万戸

【今回の教訓〜停電編〜】

認知症の方や妊婦幼児等がいたり、高齢者のみだったりすると途端に避難場所選択肢や「我慢できる事」の範囲が狭くなる。

20代の妊婦の私の場合

「通常時より体温が高い→熱中症になりやすい条件が揃う」、

認知症の方は言わずもがな世話がかかる。

でも例えば20妊婦の私だけだった場合ネカフェカラオケ等やラブホまで視野に入れて宿泊可能施設として使えるが、

今回は私以外が全て

65歳以上の高齢者だった。

そうすると本当にそこらへんの

安価安易避難場所が除外されるので、

ホテルしか選択肢が無理な為

電話をかけ続ける事になり厳しい、等。

●県外の親族が「不足の物資を送ります」と言ってくれたが、

少なくとも水ガスが普段通りの

停電になった際においては、

車がある場合【実情物資は全く

不足していない】。

→長期に渡ると必要かもしれない。

→ただただ充電が出来ない事と

明かりがつかない事と

暑さ寒さがしんどいので、

ただひたすら

日中は車のある人は

とにかく店が空いている時間

【外に出た】方がいい。

→★家の中にあった方がいいもの

防災グッズを揃えるというよりか、

「もはや蒸し風呂

なっている家が不愉快

地獄空間からこそ、

そこから日中だけでもせめて逃げ、

夜だけはどうにもならないので

夜の時だけ耐え忍ぶ方策」にした方がいい!!!!!!

●9:00-21:00解放公的施設はとてもありがたい。

だが本当に体感が厳しいのは

店が空いていない夜21:00以降

公民館の終日宿泊を早い段階で知りたかった。

どこからから情報が入ってくるかはわからない為本当に情報と人の伝達頼り。

ホテル滞在高かったかもしれませんが

かなり精神的な安定を得られた。

もっと施設範囲が広げられたら

早く見つかり、

また楽だったと思う。

とにかく限界が近い場合

多少のお金を出してでも、

宿泊可能施設を見つけてほしい。

空調設備の下に

逃げ込んで欲しい。

オール電化に家設計時に頼りすぎてはだめ。

カーテンは手で開けられる余地

トイレレバーで水で手動で流せる余地

ガス火はガスにするか

卓上ガスコンロ常備。

開かない電動カーテン兵器

★ただ、ソーラー発電は乗せられるなら絶対乗せた方がいい。

ホームセンターソーラーパネルでもいい。

(追記)

反応ありがとうございました。

もう被害の日数とレベルが私が経験した物をはるかに超え援軍物資必要被害レベルになっている為停電対策にはならないあくまで実録として残し、復旧進捗をTwitterにてRT協力していきます

どの道具を備えるか、どういう行動を取るかは個々人のその時の判断で正解はないと思います

今後参考になる箇所のみ使用して頂ければ幸いです。

2019-09-05

カニを食べれば

家族北海道の有名温泉宿へ。父は毛ガニが大好きで、本来の夕食のメニューにはなかった毛ガニを追加料理として注文した。6500円。高い。

宿に着くといい匂いお香がお出迎えしてくれた。いい気分でチェックインを済まし、部屋へ向かう。予約したプランよりもワングレード上の、マッサージチェアがあって広い部屋を割り当ててもらったらしい。毛ガニ分いい部屋にしてくれたんだろう。

温泉はぬるめ。心地よくいつまでも浸かっていられそうな、温泉旅行者には一番ありがたい温度だった。父は蒸し風呂を褒めていた。

夕食。うまい。全部うまい家族でいろんなところに旅行に行ったけど、これほどおいしい夕食ははじめてだった。毛ガニうまし。みんなで「頼んでよかったね」と美味を確かめあった。あまりにも料理がおいしいので、家族の前ではめったに飲まない日本酒までいただいてしまった。

酔った状態温泉に入ると大変なので、ラウンジに行く。ワングレード上の部屋に変えてもらったおかげで利用できるようになった特別ラウンジだった。酒、無料スモークチーズとか、無料足湯もあった。温度調節がうまくいっていないようで、やけどをするほどの熱さだったけど。

結局温泉には行かないまま眠くなり、ベッドの上で横になる。父は既に隣のベッドで寝ている。寝付きの悪い母はテレビを見ていた。「カニが良かったなあ」とつぶやくと、母が「そうだね」と言った。

2019-08-07

なつぞら

いつからか、日中ビルの中で外を見ないで仕事をし、

空を見上げるということをしなくなった。

いつも変わらずそこにあるのに、建物の隙間から見えるそれはさして印象にも残らず、

うだるような暑さの中で、いつも下ばかりを向いて歩いている。

ほんの10ちょっと前までは、夏場と言えばイベントばかりで、

当時は短く感じられた長い長い夏休みが待ち遠しかった。

今となってはあんなに長い休みをどうして過ごしていたのかも思い出せない。

プール花火大会お祭りキャンプ

今となってはすべてが淡い思い出で、ぼんやりと靄がかかったような感じがする。

うだるように暑い夏の午後、

クーラーもかけずに蒸し風呂のようなワンルームベランダから見上げた空は、

とても高く、青く澄み渡り、真っ白な雲は絶えず形を変えていた。

僕たちは変わらないと思っていた。

まだ、何者にもなれると思っていた。

衰えを感じる日が来るなんて思いもよらなかった。

かつては友人みんなやっていたSNSも、

流行っては廃り、徐々に関係は細く弱くなっている。

今年の夏は、久しぶりに当時住んでいた街に行こうと思う。

あの日見上げた空に浮かんでいた雲を探しに。

2019-07-25

anond:20190725121641

ワンフロア50人が居る職場

120kgのデブ一人だけ「暑い暑い蒸し風呂か!」といってて

他の全員(49人)が「寒い、極寒……」ってなったら話違うだろ

2018-11-21

[]【13】2018 晩秋広島博多別府

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anond:20181121125645




湯気と入れ墨と楕円球


日豊本線を引き返し、別府に向かう。


目指すは鉄輪温泉別府からさらバスで30分程だ。

著名な温泉町なので、賑わっていると思った別府だが、19時台はもうすっかり落ち着いている。

乗車6人ほどで夜の山道を登るバス

自分以外は地元の人だ。

窓の外を見ても時折湯気が上がっている以外は何の変哲も無い地方山村といった風情で、昨日までの賑やかさを考えると全く別世界に来た感じがする。

欧米アジアもここはあまり関係なさそうだ。


そう言えば、大分駅前で、来年ラグビーW杯のサイネージ広告を見た。

44日に及んで熱戦が繰り広げられるW杯は、北海道から九州まで、日本各地で開催される。

大分で行われる初戦は絶対王者ニュージーランドが登場する豪華なカードで、多くの外国人が観戦ついでにここ別府温泉を訪れる事になろうが、温泉タトゥー対策はどうなるのだろうか。


辿り着いた鉄輪温泉は人通りも殆どなく、入湯施設飲み屋以外は閉まっていた。

やはり大分は全体的に夜が早いらしい。

ただ、バスを降りてすぐに無料足湯発見

台湾人と思しき数組が笑顔で足を突っ込んでいる。

大分で初めて見た外国人だ。

自分も少しだけ温まって、ネットおすすめひょうたん温泉に向かった。


ひょうたん温泉はさすがに賑わっており、日本語の他にも中国語韓国語も聞こえてくる。

逞しい胸板に豊かな胸毛を蓄えた欧米人もいた。

脱衣所で着替えてミシュランでも紹介された湯に向かう。

関東スーパー銭湯の様なオシャレさと無縁の無骨な作りだが、蒸し風呂、檜風呂、岩風呂、歩行風呂、高さ3mから浴びる打たせ湯、この施設名前の由来にもなっているひょうたん風呂など、風呂の種類は多岐にわたり、豪華な野趣という様な趣が感じられた。


と、洗い場を見ると、隣のお兄さんの右肩に鮮やかな和彫が。

しばらくすると、ウェットスーツの様に全身を覆う和彫の兄さんもいる。

自分心配など余計なお世話だった。

この状況ならやってくるのが欧米人のデザインタトゥーだろうが、マオリパシフィックアイランダートライバルタトゥーだろうがどうって事はない。

要は柄の種類が増えるだけの話だ。


11月の夜の空気はひんやりしているが、さすがは音に聞こえし別府温泉山道を下ってホテルに帰る間も、さっぱり感と温かさが持続している様に感じられる。

明日は昼前に再び訪れよう、その為にも早く寝るかなどと思い、部屋に帰って何気なくテレビをつけると、ラグビー日本代表が、母国イングランド代表聖地トゥイッケナムスタジアム対峙していた。

旅行中は観られないと諦めていたカードだったので、嬉しい偶然だ。


液晶モニターの中でキックオフを告げる楕円球が高く舞う。

歴史も実績も歴然とした差があるイングランドだが、日本代表は3年かけて磨き抜いたテンポの速いラグビー奮戦

日本の仕掛ける高速ラグビーについていけずミスを連発するイングランドディフェンスライン突破してトライを重ね、日本は前半を15-10リードで折り返した。


後半、日本さらゲームスピードを上げることを目論み、早い配給でもって鳴らす若手スクラムハーフ流大を投入する。

対するサイドからは、眉に異様に近い目から鋭い眼光を送る、亜麻色の髪の角刈りが姿を現した。

前回のW杯、予選プール敗退の悔しさを乗り越え、今や欧州最高選手との呼び声も高い司令塔オーウェン・ファレルだ。


ファレルが入ったイングランドはまるで別のチームだった。

前半に日本スピードについて行こうとしてボールも人も前後左右に動かしたプレーと一転、一度手にしたボールに巨躯の男達が殺到し、力づくで押し込んでくる。

その動きは重鈍で、一気に振り切られるようなスピードはない。

しかし、重機のような圧力を前に日本代表はジリジリと後退させられる。

イングランド代表が一体になって前進するその姿は「これこそが我々だ」という確信を掴み取ろうとしているように見えた。

ついには快速自慢のバックスまでもが一塊りになってインゴール雪崩れ込み、日本代表はトライを献上。

結局、自らを見つけ直したイングランド相手にして流れが再び戻る事はなく、日本代表は15-35で屈した。


やはり己を知り、信じる者は強く、世界の頂はまだ遠い。

来年W杯大分では予選プールだけでなく、決勝トーナメント 準々決勝 プールCとDの1・2位突破チームのカードが組まれる。

死の組と噂されるプールCに組み込まれイングランドだが、その実力を持ってすれば2大会ぶりの決勝トーナメント進出可能性は濃厚だ。

後半に登場して日本代表を締め上げた鋭い目つきのファレル選手も、別府温泉にやってくるかもしれない。


【14】2018 晩秋、広島・博多・別府 7日目|7日目 地獄の老婆と台湾ギャル へ >>

2018-08-15

打ち水打ち水って、馬鹿じゃないの?

手前に風通しの良い日陰や、涼しい部屋があって初めて効果があるのに

普通に道路歩道打ち水しても蒸し風呂になって不快指数熱中症

危険度も上がるだけだろうに。

何かの宗教か?

2018-07-11

宗教家の母が死んだ。

といっても実際に亡くなったのは数年前のことで、彼女がはまっていたもの宗教と言っていいのかも微妙なところだ

誰にも言えなかったことを吐き出そうと思ったら長くなってしまった

私が物心ついたときから母はその手のものが好きだった。インドヨガマスター?の団体アーユルヴェーダ断食などに興味を持ちそのいくつかには私も参加したことがあった。家にはスピリチュアル自己啓発本が何冊もあった。

最終的に彼女が行き着いたのがある「教祖」だった。

私自身幼い頃なので詳しく覚えているわけではないが、彼の教団が形成される段階のうち比較的初期の方に出会っていたようだ。

したがって当初その関わり方はいわゆる信者ではなく弟子のように直接的なもので、なん家族かで彼の家に泊まりに行ったこともあった。彼の子供を含む歳の近いものたちで海に行ったり花火をした思い出もある。ならなぜわざわざ「教祖」と呼ぶのか。それは、母が金をつぎ込んでいたかである

たとえば彼の家の近くによもぎ蒸し風呂を作りたいという話。これは消防署から許可が降りず、出資した数百万円は水の泡になった。このようなことは何度もあった。母は専業主婦だったため独身時代貯金、父の収入、そして実家から借金をしていたようだ。この活動は命に関わる難病と診断されてからより一層激しくなった。

母とその仲間たちは彼に心酔していた。しかし私はそれに従いながらもどこかで疑問に思っていた。これは定かな記憶ではないが、ある日それが高じて母の日記を盗み見たことがある。そこには

今日は(教祖)先生の夢を見た。膝枕をされている夢だった。これが性夢だろうか。この先より高いレベルに到達したらもっと先の夢が見られると先生はおっしゃっていた」というようなことが書いてあった。耳年増だった私はその意味するところに思い至りすぐに日記を閉じた。

また、母は彼から叱責されたり冷たい態度をとられると泣いて塞ぎ込んだ。私との血縁関係よりも公的なことを優先しなければならないと言った。これはその先生の言う「この世の人のためのこと」を実践するという意味だった。

テレビ市販お菓子や肉食を避け、引越しをし、出資した。ある女性中学生の娘を祖父母の元に預けて家を出たと聞いた。合宿では朝昼夜にそれぞれ講義を聞かされた。通話ソフトを通じた先生講義中は子供たちも会話は許されず、座禅を組みながら聞くことを推奨された。母はこの世の人を救い、それによって救われるらしかった。私もそれを漠然と信じていた。先生理念を叶えるため事業につとめる母は苦しくも生き生きとしているように見えた。そのころには先生にも頼りにされ、上位幹部的な存在だった。

しかしある日母が死んだ。

死因は不明だが恐らく急性の心筋梗塞脳梗塞。まだ眠っているような安らかな死顔だった。

先生電話をかけたら泣いていた。彼の教えは母の、少なくとも物体的な命は救えなかった

母と私は療養のため普段は父と離れて暮らしており、久しぶりに家族全員で過ごしていたときのできごとだった。私はそのまま父の元で生活をはじめ、数年が経った。

その間ずっと私は母に複雑な思いを抱いていた。

私は母のことが大好きだった。母が難病だと知って、もし母が逝ってしまったら私も死のうと思っていたくらいだ。いい母だった。いろいろなことに挑戦させてくれたし、教団を通じて出会った同年代の友人とは今でもとても仲がいい。私の体を心配して、寝る前にはマッサージをしてくれた。病をおして出かけてくれた。強制することな学問素養をのばしてくれた。たくさん愛の言葉をかけて抱きしめてくれた。

それでも彼女不安定で、先生にすがっていて、私よりも世界の方が大事だと言った。世界を救うのと言った。母の温かさに直接触れられなくなってしまってからは、それがフラッシュバックして、日記を忘れられなくて、なにかに引け目を感じたまま生きてきた。

私は生活不自由したことはないし父にも母にも愛されて育ってきた。母がなくなったことを勘定に入れても恵まれているほうだろう。それなのにそんな気持ちを抱いてしま自分が嫌だった。

去年の終わりごろ、その先生と会った。母の死以来はじめて話した先生は痩せて酷く弱っているように見えた

彼は涙を流して謝って、母のことを本当に大切に思っていたと言った。私のことも娘のように思っていると言った。そして息子と結婚しないかと持ちかけて、帰っていった。

そしてその一週間後に彼は死んだ。

遺言のようになった縁談を、しかし私は断った。

この日記を書いたのは、その縁談相手から久しぶりに連絡が来たからだ。

彼は彼の信じるものに従って母の忘れ形見の私を守りたいと思っているのだろう。私の価値観とはズレるところがあるが、善き人であるのは確かだ。

気になって彼らの現在活動を調べてみた。とてもうまくいっているようだった。理念は変わらず、ホームページ表記宗教色はあるものの、自然派の人をターゲットにした事業で真っ当に成功しているようだった。口コミも不自然でない程度によかった。世界を救えるかはともかく、普通に面白い試みだと思えた。公式Twitterもそこそこ流行りに乗ってた。母のかかげた理想は、思ったほど馬鹿げてもなかったのかも。母の苦労は報われつつあるのかな。

今になって思えば私は母にとって絶対的に一番の存在になりたくて駄々をこねていただけなのかもしれない。彼女は私が求めるほど完璧ではなかったけど、けしてただ弱い人だけのじゃなかった。「この世の人」の中には私や父、母自身も含まれていたのだと気づいたのは最近のことだった。歳をとるごとに母の強さを感じる。

私はきっとその活動には参加しない。でも私自身が大人になりつつあること・その団体成功を知ったことで哀しい宗教家としての母は死んでいき、先見の明があって優しくて賢い大好きな母の姿をもう一度曇なく信じられるような気がした。そしていつか誰にも恥じずに母の話をしたいと思った。

2018-04-20

[]風呂敷

風呂に敷くことからの名。

室町時代風呂蒸し風呂のようなもので、蒸気を拡散させるために「むしろ」「すのこ」「布」などが床に敷かれていたもの起源であるが、現在風呂敷にあたるものは「平包(ひらづつみ)」と呼ばれていた。

足利義満が大湯殿を建てた際、大名達が他の人の衣服と間違えないよう家紋入りの絹布に脱いだ衣服を包み、湯上りにはこの絹布の上で身繕いをしたこという記録があり、これが「風呂敷」と「平包」の間に位置するものと考えられる。

江戸時代に入り、湯をはった銭湯誕生し、衣類や入浴用具を四角い布に包まれるようになったのが、現在風呂敷に最も近いもので、風呂に敷く布のようなもので包むことから風呂敷包み」や「風呂敷」と呼ばれるようになった。

銭湯が発展したのに伴ない、江戸時代元禄から「平包」に変わり「風呂敷」の呼称一般に広まっていった。

風呂敷(ふろしき) - 語源由来辞典

 
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