はてなキーワード: 蒸し風呂とは
今Redditに以下の四コマ漫画が投稿され、多くの支持を得ている。
https://www.reddIt.com/r/comics/comments/1cidn5l/petite
内容としては、「設定は成人だけど性格含めて子供にしか見えないキャラ」のエロ絵が好きな者を馬鹿にした様子で風刺する内容になっている。
そしてこれに対するコメントの多くが「アニメ見てるとこんなのばっか」と、これを18禁のエロ絵のみならず普通のアニメにもある事を嘆いている。
これは今後の日本のクリエイターにとって大きな問題となる可能性をはらんでいる。
何故なら、これが「なぜ日本は我々の価値観に合わせないんだ?」という攻撃へと変わり、NetflixやAmazonプライム経由で日本のアニメや漫画の制作現場が抑圧される事が予想されるからだ。
例えば今人気のダンジョン飯なども、イヅツミが蒸し風呂で(毛皮に覆われているとは言え)上裸になり、その性的魅力をほのめかす描写もある。またタデもあの太い生脚を露出していて多くの人に性的に見えるだろう。両者とも設定からして現代社会では未成年なので、Redditユーザーの主張のとおり考えるとそれぞれアウトになる。
もちろん実際にはRedditユーザーでもそんな事は言わないだろうが、問題は「そんなお気持ち次第で動く地雷原歩くくらいならいっそ書き直すわ」と、日本のクリエイターが防御的に対応してしまう事である。結果、札束で屈服された魂のこもっていない凡庸な作品に落ちてしまうかも知れない。そうなったら悲しいし、それを先導したのがあの下手クソな四コマだったらと思うと正直めちゃくちゃムカつく。
今のところメイドインアビスでも「キモい」で済んでるが、彼らがこのようなエコーチャンバー内で膨れ上がった主張で日本を「教育」してくる日は近い。
今年も直前に台風が近付いて来て、毎日飛行機は飛ぶのか不安に思ったり仕事が無茶苦茶で連勤しなきゃいけなかったりで楽しみ〜!みたいな感じじゃ全然ないまま出発当日を迎える…。当日は無事飛行機は飛んだし身体は疲れてはいたが元気に出発出来たので良かったけど…。
今年はテントサイトが当選したので(激戦過ぎて本当毎年こんな事繰り返したくない…!!来年は広げてくれ!!)久しぶりのテント泊組!HEAVENSのオジロワシに振り分けられて(友達と相談して決めたけどどの辺りを最初に希望したのか完全に忘却してたが、多分第一希望ではなかったけど上位の希望の場所ではあった)位置的にもそんなに奥まってなくて比較的分かりやすい所に当たったので良かった。
当日は札幌9時発のJTBツアーバスに乗って会場へ。今年はテントを建てなきゃいけないので早目に向かったら10時前に着いて灼熱の中待つことに…。今年本当に暑くて命の危険を感じるレベルだった…。
10時ちょい前にウエスの代表?の人から挨拶があって、その後スクービーのMOBBYが挨拶して遂に会場!
このワクワク感は言い難い楽しみがあって本当来て良かったー!!って思う瞬間だなと毎年思う。
レンタルテントを無事レンタルしてからオジロワシまでひたすら歩き、案の定自分達の区画が分からず隣人に聞きながら区画を見つけ、久しぶりに建てるテントに四苦八苦したりレンタルテントにランタンが付いてなかったの見落としてて(2019年迄はセットに入ってたから油断してた)購入したり色々大変だったけど11時30分ぐらいには建てられたのかな?建て終わる頃にはめちゃくちゃに汗だくで化粧も全て流れ落ち、テントは蒸し風呂で笑った。
とりあえずご飯でも食べようとするも本当に暑すぎて既にバテぎみ…。しかし私はこういう時に食欲が落ちるタイプではないので、ワッフルにウインナーが包まれたガッツリご飯を食べた…笑 思ってたよりボリュームあって美味しかった!
クリーピーを観る友達と別れて、テントに椅子を取りに寄ってからサンボへ。
とりあえず1日目観た順
サンボマスター→Scoobie Do(最後の3曲だけ)→10-FFET(途中から)→エレファントカシマシ→電気グルーヴ→くるり→テントの中でSTRAIGHTENER
·サンボマスター
やっぱフェスの始まりは熱いノリが観たいな〜と思い向かったは良いがめちゃくちゃ凄い人でステージから右横の辺りから観ることに(奥に行けなかった)既に疲れてて椅子に座って観たのが良くなかったのかイマイチ乗り切れず…。MCはめちゃくちゃ良かったけど…期待値が高過ぎたのかもしれない。とりあえず全部観てからグッズを引き換えにグッズ売り場へ向う。その途中でスクービーがまだ演奏しててグッズの引き換え時間もまだ余裕あったので軽いノリで観る事に。
軽いノリで観てみるか〜みたいな感じだったけどすごく良くて最初からスクービー観とけば良かった!!ってめちゃくちゃ後悔した。ベテランだけあって演奏上手い、歌も上手い、曲も良いの3拍子でしかもHyggeはステージの雰囲気がめちゃくちゃ良い!一発目こっちだったな〜と思いながら少ない時間ながらも堪能。次ライジング来たら絶対最初から観たい。
·10-FFET
グッズ引き換えてその足で行けば間に合うな〜と思いつつその前にペットボトル捨ててこ〜って思ったらゴミ捨てるにはお話聞いてもらってから(ゴミのエコブースみたいな所)って言われてじゃあ聞いてこうかなと軽い気持ちで寄ったら一人で聞く感じの所じゃなくて(話聞くだけじゃなくてめっちゃ質問とかされた)人見知りの私は内心冷や汗をかきながらも最低限得ている社会性で何とか乗り切る。話自体は興味深くて楽しかった。帰りにタオル無料でもらえたし。薪割りもやりたかったけど暑すぎてやる気力わかず…。とりあえずサンステへ向かうと元気な10-FEETファンがめちゃくちゃにモッシュ·サークルをしてる映像が見えて凄い…と思いつつかなり後ろの方で観る。私が知ってる曲もぼちぼちあったりしたて懐かしいなぁ…と干渉に浸る。第6感でめちゃくちゃ人集まってきたの面白かった。皆聴きたいよね笑 でも私が一番テンション上がったのはVIBES BY VIBESだったな〜。とにかく懐かしい。勝手に身体がジャンプしていた笑 ああサビでめっちゃモッシュしてたなとか懐かしさでちょっと泣けてきた笑
久しぶりにタクマさんの熱いMCも聞けたし満足してエレカシへ。
熱心なエレカシファンじゃなくてもエレカシはフェスセトリなのが分かってはいたけれどレッドでエレカシが観れる機会もそうないしと思って見に行ったけど行って良かった!色々な意味で凄かったから…笑 セットリスト的にはフェス用って感じではあったけど、この日のミヤジはとにかく良い意味でも悪い意味でもめちゃくちゃで何回も笑ってしまった。声のコンディション的には結構良さそうだったし機嫌も良さそうだったけど本当に暴れまくっていた…笑(ステージ横の柵?に登ったり)風に吹かれてのラスト、ミヤジがアコギを弾いてたんだけど何か変な感じだな〜アレンジかな?と思ってたら曲終わりに「コードが全部間違ってました」って言ってて笑った。珍奇男前の「シャイなハートにピッタリの僕ちんの愛のバラードを聴いてちょ」みたいなMCも笑ったけど、途中で石くんの弾いてるギターを奪って弾く×2をしてて石くんが困惑してたり、アレンジみたいな感じでミヤジが弾き出したのは良いけど誰も付いていけてなくて演奏が破錠(本当に破綻しててハラハラした…)してめちゃくちゃな事になってたり(何とか終着した)とにかく凄かった…笑 総括して個人的には聴きたい曲も聴けたし楽しかったな〜。本当見て良かった。
友達と合流して電気へ。この辺りでようやく暑さから少し解放される。前の方のエリアで楽しむ事に。電気楽しかったな〜!!いつも思うけど電気ってフェスに合わせて映像作ってくるのすごい。猫夏とThe Big Shirts聴けて嬉しかったし、N.O→レアクティオーン→富士山の流れめっちゃテンション上がって踊りまくる。サンステで聴く電気楽しかったな〜!!最後辺りback numberのファンが雪崩込んで来て笑ったけど…。
·くるり
再び友達と別れてご飯を食べようとウロウロしてたけど何処も並んでるし座れないし疲れてるしで思考停止して大量に入った萎びたポテトを購入して食べた…笑 味は美味しかったけどとにかく萎びていた…笑
アースへ移動してる最中にワンダーフォーゲルが聴こえてきて「え!?もう始まってんの!?」と焦って移動したらリハで演奏してたっぽく(そうは言っても普通にがっつり通して歌ってた)次にやった太陽のブルースは全部聴けてめっちゃお得感あった。
アーステントの中が死ぬ程暑く、夜なのにめちゃくちゃ汗をかく…。地球温暖化ヤバすぎる…。
そこまでくるりの事をがっつり知ってる訳でもないけど、この日は岸田さんの声の調子めちゃくちゃ良さそうですごく良いステージだった!サポートの人も当たり前に上手いし、フェスでこういう音楽が聴けるって最高だな〜と思った。2曲目にやった曲、初めて聴いた曲だったけどめちゃくちゃ良くて帰ってから速攻調べた(奇跡って曲だった)その他にもワールズエンド·スーパーノヴァやばらの花、上海蟹も聴けたし最後にやったロックンロールも最高で本当良いステージで見て良かったな〜と思ったけど出来ればテントじゃない所で聴きたかったかも。
くるりが終わってテントに帰ってからメイクを落としたり歯を磨いたりして就寝準備。寝っ転がりながら友達と喋ってたらテナーが始まって割りとアース近くだったからめちゃくちゃ聴こえてきて普通に最後まで楽しんだ笑 一曲目がKILLER TUNEで友達とテントでノリまくる笑 意外と知ってる曲を沢山演奏してて友達とあーだーこーだ言いながら聴いてた。Melodic Storm、SIX DAY WONDER(ホリエ氏のピアノ技術が上がってた)REMINDERとかかなり懐かしのセットリストだけどフェス仕様なのかな?一番驚いたのはダニー·ゴーだったが…。本当聴こえてきた瞬間「え!?」ってなった。貴重なものを聴けたし結構楽しかったのでテント近くてラッキーだったな。
テナー終わってから気付いたらいつの間にか寝ていた…。本当にいつ寝てたのか全然記憶にない…。友達はあまり寝れなかったとの事だったが私は普通に寝れた笑 熱すぎて寝袋の上に寝そべってたけど朝方なのかな?寒くて寝袋の中に入った記憶がある程度。そんなこんなで1日目終了。2日目へ続く。
続き
特大のかき氷に上等な練乳がアホほどかかっていて、生のおいしいフルーツと、甘い豆が大量に乗っている
通常サイズで普通のかき氷3人前くらいあるので心して食うように
しかしうまいぞ、白熊食いにいくだけで鹿児島行く価値があると思う
あとは桜島
鹿児島の港に行けば150円くらいで大きなフェリーが渡してくれる
今の値段は知らん
この錦江湾はイルカも入ってくるくらい綺麗で流れもあり深い海で、錦江湾の堤防で150cmの青物とか、80cmのイシダイとか、シイラも釣れる
鹿児島市内の街中堤防釣りが、他のエリアの船釣りに相当するのは恐ろしく、釣り人はぜび錦江湾で釣りして欲しい
桜島はもくもく煙出てて、火山灰という名の砂礫をまき散らしている
車が走ると舞い上がるのでめちゃくちゃ目が痛い
コンタクトの人は注意
溶岩プレートで肉焼くとうまいけど、最初に買うと溶岩プレート抱えて旅行しなきゃいけないのでつらい
でもあの、新品の溶岩は余計な水分や油を全てスポンジのように吸収してくれるので、めちゃくちゃおいしく肉が焼ける
こげて吸わなくなるんだけどね
少し離れて南に行くと指宿がある
池田湖にイッシーがいて、大量の特大のオオウナギが見れる道の駅とかもある
開聞岳も美しい
地熱発電所がある山川は、最南端の有人駅で、俺は山川駅で最南端の駅長と写真を撮ってもらった
ここでレンタサイクルを借りれば、薩摩半島の先っちょ、最南端に行くことができる
鹿児島の食い物は、白熊の他には、黒豚、キビナゴ、さつま揚げあたり
黒豚はおいしいけど、まあただの美味しい豚だよ
キビナゴもなんてことはない
さつま揚げは駅の中とかでも、揚げ立てをひとつから売ってくれるので、まあ食べ歩きするよね
間違いなく美味しいんだわ
あと、ラーメンは博多から南に行くほどこってり度が増し、面も少し太くなる
差は感じるけど、豚骨は豚骨なんで、九州のラーメンは全て同ジャンルだ
醤油も南に行くほど甘みが増すよ
あと、変わり種としてはあくまき
好き嫌いはかなりはっきりあるけど、わらび餅好きなら嫌いではないと思う
あとかるかん
お饅頭になったりしている
かすたどんは、偽萩の月の中ではかなり萩の月に迫るクオリティで美味しいぞ
参戦遅れたわ、悔しい。
元増田の主張にフォローする形に話を持っていくなら、一定数のブクマカたちの言っている「明石花火大会歩道橋事故」が、元増田の言う
元増田の主張全体を通して読むと、引用文の「こんな事」が「雑踏事故自体」に係るか「催涙弾の使用」のみに係るかが不明瞭ではあるけども、いずれにせよ1本事故の原因をちゃんと検証して反証たりうるか調べて、ブクマカたちに反論するなり補足するなりってのが建設的議論ってやつだと思うんだけど、そうやって煽り合ってなにが解決するんだ。
そこは「そうしないと読んでくれない」って思いがあったかもしれないにせよ、タイトルを煽り気味にした元増田も良くない。
当然それに乗っかった一部のブクマカも良くない。
あと、
よく言われることだけど、「分かりやすさ」はすなわち「事実」じゃないから気をつけた方がいい。
当然これから俺が主張することも、出典が出典だけに事実じゃない可能性がある。元増田の主張を支持して俺の主張の穴を突きたいなら自分で徹底して調べて俺に教えてくれ。単なる煽りには絶対に乗ってやらないんだからね。
本題に移る。
2001年7月21日に起きた「明石花火大会歩道橋事故」についてはWikipediaに記事があったので、以下これを元に話を進める。
原因については、以下の様になっている。太字は俺が強調した。
会場の大蔵海岸と朝霧駅との間には国道2号が通っており、歩道橋以外の連絡がなかったことが大きな原因の一つであった。この歩道橋以外のアクセス経路としては、朝霧駅東側の踏切や西側の跨線橋があったが遠回りになり、山陽電気鉄道本線の大蔵谷駅や西舞子駅があるものの会場から遠いという難点があった。加えて暴走族との衝突が発生しても警備がしやすいという理由から、歩道橋から続く市道に180店の夜店を配置していた。
この結果、事故現場の歩道橋がボトルネックとなり、歩道橋上で駅から会場に向かう人の流れと会場から駅に向かう人の流れが衝突して滞留が発生した。主催者側も迂回手段についてのアナウンスを行わず、さらに当日は蒸し暑く、歩道橋が透明なプラスチックの側壁に覆われた構造のため蒸し風呂状態となり、心理的に焦りが発生したことも事故発生の要因の一つとなっている。
とある。
と言っている。
そして周知の通り、元増田は本事故を「日本の雑踏警備に影響を与えたいくつかの事故」として挙げなかった。
これらのことから読み手側には、いくつかの事故を教訓に「一方通行」と「ボトルネックを無くす」という雑踏警備の鉄則に則り警備が行われたはずだったが、にもかかわらずそのどちらもが機能せず、結果として本事故は起きてしまった。少なくともそれが何故なのかを説明しないと、元増田の言う「日本の警察であればこんな事はまず起きない」は信用できないと解釈する余地が生じる。
なので、繰り返しにはなるけれども、元増田を「批判を気にしなくていい」と擁護する立場であるこの増田がやるべきことは、元増田に対するそんな慰めとか、煽りに対する煽り返しに対する煽り返し返しではない。そんなことしても煽り返し返し返しが来るだけでなんの解決にもならない。
この増田は、支持者としてただただ努めて冷静に、元増田の主張の不足している部分を補えば良いのである。
というわけで、やさしいこの俺が、この増田の代わりに当事故の起こった根本原因は何かをWikipediaから引用しながら説明してみる。
事故後、兵庫県警察の対応や警備計画の問題点が次々と浮き彫りになった。
この花火大会にあたり、明石市と兵庫県警察本部(明石警察署)、警備会社のニシカン(現ジェイ・エス・エス)との間で事前の警備計画の協議が不十分だったことや、7か月前の2000年12月31日に行われた「世紀越えカウントダウン花火大会」の警備計画書をほとんど丸写しにしていたことが判明した。さらにその計画書もコンサートなどのイベント用に設計されたものを流用しており、「世紀越えカウントダウン花火大会」の開催時(約5万5000人が参加)にも同様の滞留が起きて軽傷者が出ていた。約15万人から20万人の参加者が予想されていた本大会には、この問題点が生かされていなかった。
また兵庫県警察が暴走族対策を重視して夜店の配置を集中させ、暴走族対策の警備要員を292名配備していた一方で、雑踏警備対策には36名しか配備されず、雑踏対策が軽視されていた。
太字に注目するに、本事故が起こった根本原因は、警察の警備計画策定業務に対する怠慢である。
実際に、Wikipediaには複数の民事・刑事訴訟について書かれていて、うち2件は最高裁まで行って、1件が有罪となっている。以下裁判要旨。
花火大会が実施された公園と最寄り駅とを結ぶ歩道橋で多数の参集者が折り重なって転倒して死傷者が発生した事故について、雑踏警備に関し現場で警察官を指揮する立場にあった警察署地域官及び現場で警備員を統括する立場にあった警備会社支社長の両名において、いずれも上記のような事故の発生を容易に予見でき、かつ、機動隊による流入規制等を実現して本件事故を回避することが可能であった本件事実関係の下では,両名には上記事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務を怠った過失があり、それぞれ業務上過失致死傷罪が成立する。
他にも色々と裁判になってめっちゃ尾を引いてるので気になる人は各々調べてね。
元増田の主張には重要なことが説明されていない、と俺は感じる。
警備対象を人間扱いするのは重要だ。流体扱いするのも重要なんだろう。
でもそう標榜するだけじゃ事故は防げないことは、本事故が証明している。
人間が警備をする限り、本事故のようなことは今後も起こり得る2。
このような、人間が人間であるがゆえに起こす事故を「人災」と呼ぶ人もいるかもしれない。
その観点では、少なくとも俺にとっては本事故もインドネシアの事故も等しく「人災」であり、人間の失敗であり、未来のために学ぶ意義があるものだ。
この時点で俺的には満足したんで、以下細々と。
2005年(平成17年)11月、この死亡事故を教訓として警備業法と国家公安委員会規則が改正され、警備業務検定に従来の常駐警備、交通誘導警備等に加え、雑踏警備が新設された。
元増田がこの記述以降の体制について話しているのであれば、余計に「本事故に触れないのはなんでだろう?」とは思う。
これ、「誰が」「どこに」提出するかが分からんかった。
本事故の時点では警察自らが策定してたみたいだけど、今は違うの?それとも警察のものとは別に策定されるの?
おわり。
書きました↓
https://anond.hatelabo.jp/20221004181228
https://anond.hatelabo.jp/20221005143828
https://anond.hatelabo.jp/20221006154025
https://anond.hatelabo.jp/20221006200623
本筋に関わる変更に関しては、記事最下部参照。
てかトラバ元消されてるやん。
以下の記事に関する意見に「女性の胸は普遍的なエロではない」的なものを見たので、反論。
(いや、他人の体を勝手にエロの対象物にするな、という意見は置いといて。もっとふわっとした話ね)
サルは乳房に興味ないってことは、おっぱいにエッチさを見出した特殊性癖のパイオニアがどこかにいたってことだよな
https://togetter.com/li/1668772
ここのブコメにあるような変な論を見る機会が最近増えた気がして、これってある種の「江戸しぐさ」的な奴が浸透してるのではないだろうか、と危機感を持ったので書く。
→だったら風呂場で露出する性器自体もエロじゃなくなる理屈だ。そんなわけあるか。
ちなみに、着衣で入る蒸し風呂は「男は湯褌だけ」で、「女は湯巻(薄い着物のようなもの)」である。(「湯」はふつうに裸で入る)
ここからも「上裸における男女の扱いの違い」を感じないだろうか。
※ちなみに、風呂場で乱交する困った春画もたくさんある。混浴で辛抱たまらなくなる人もいたわけですね。(また、それに共感する人が大勢いたから絵になっている)
ていうか、風呂での売春が多かったことや女湯の覗きが取り締まられてたのも有名な話だよね。
→着物の構造を考えればわかるが、胸どころか下だって大して隠してないわ。
農作業や力仕事をするときは裾を捲ることだって多かったわけで、大して意味のある話ではない。
つまり昔は、裸に対する認識がそもそも違ったと考える方が理解しやすい。
「風呂」「畑」のような日常空間(もっといえば道ばたでも)で見る裸は多くの人にとって「エロいと認識されなかった」ということ。
「裸がエロい」んじゃなくて、「エロいことする空間」だから裸がエロくなるという理屈だ。
現在のたとえで言うと、ヌーディストビーチなんかも実際行くと興奮しないというのと同じである。
逆に、現代の街中で全裸の人がいた場合でもエロより先に恐怖を感じるはずだ。
→確かにそういうものが多いが、普通におっぱい好きの絵師だっていますがな。都合よく無視せんといて。
「着衣でおっぱい吸ってるだけ」の授乳プレイ春画すらあんねんぞ。
明らかにエロ目線で「胸だけチラリしてる」浮世絵もいくらだってある。子供への授乳画もやたら多いし。
というか「江戸時代の春画だけ」で昔を語る方が主語がでかすぎる。
そんなん、レイプ絵や輪姦アクメ堕ちの絵が春画に沢山あるから「そらみたことか!女はレイプされたがっている!」と豪語するくらいに間抜けである。
逆に春画がおっぱい軽視な特殊例だという発想はないのだろうか。
→本題とは直接関係ないが、最近やたら目にして気になってるのでこれにも反論。
進化などに詳しくないのでわからないが、結構胡散臭い話だと思う。
なぜなら発情期の猿の尻の写真を見ればわかるが、人間の尻とは似ても似つかないのだ。赤く膨らんだ猿の尻はどっちかというと「腫瘍とかそれ系」である。普段の尻も全然違う形だ。
人間の尻は「二足歩行に進化することによって」、人間の尻という独自の形状になったのである。
人間のように直立すると肛門が真下に位置するため、垂れ流しにならないよう括約筋や周囲の筋肉が発達し、あの独自の尻たぶができたのだ。
人間だけが排泄後に念入りに尻を拭く必要があるということ自体、人間の尻が特有の形をしている証明だ。
猿は尻で求愛するし、シマウマなど魅力的な尻を持つ哺乳類もいる(検索してみてほしい)が、だからといって「胸=尻に似せて進化した」説はあまりに安易だと考える。
どの尻に似せて進化したんだ。
※また、女性の胸のふくらみも、人間特有の頭蓋骨の進化が関連しているという説がある。
猿含め他の哺乳類は口蓋が前に突き出しているので平らな胸でも乳を吸えるが、人間は脳の発達により頭蓋骨が変化し顔面が平らになったため、乳児が乳を吸いやすいように胸が突出したという説である。
真偽のほどは定かではないが。
→正直詳しいことは何も知らんのだが、猿の外見から簡単に雄雌を見分ける手段として「乳首が目立てばメス」というのは動物系のドキュメンタリーでよく聞く話である。
これだけで判断はできないが、少なくともある種のシンボルではあると思うのだが。
※また、少し話がそれるが、「発情期を有する猿」と「年がら年中発情期の人間」を単純に比べること自体、実はかなりおかしいのではないかとも思う。
大体、猿のほとんどはポコチンにも骨があるのだ。そこからして違うのに、猿の延長で人間のセックスを考えるのって正しいことなのかね。
専門家ではないので、どの程度切り分けるべきかはわからないが。
→これも無視されがちですが、女性の内のかなりの人数(すべてとは言わない)が性行為中に胸というか乳首を触ると、わかりやすく快感を覚えるわけです。
そもそも「性を意識する年頃」に合わせて女性の胸が目立ち始める、という根本的な大事件を忘れていないだろうか。
今後おなじ被害の遭われた方の為の
参考としてあくまで
◎私はSNSをしていません。
なので文章の上手な方、
漫画の描ける方等、
とにかく今も停電の続いてる方や
今後同じく被災された方向けに、
【被災時の状況】
私は県外出身で旦那の出身の千葉県で24歳・妊娠8ヶ月の状態で里帰り出産の為単身滞在。
この時の家族構成は義父義母(60代半ば以降)と認知症の義祖母(91歳、この方は義父母の避難や生活において1つの課題になるので後述)と
【9月9日の午前4:00から停電被災〜11日午前8:30頃まで停電】。
●全て30~35度気温の日。晴れ、晴れ、雨(復旧日)のち晴れ。
●一軒家、停電開始が午前4:00からだった為エアコンが切れている事に違和感はあるがカーテンを開けていつも通り動いた為、最初停電に気がつかず。
→判明後は
少し今後の為の避難準備を開始する。
→水が出たので明るい内に洗浄する事でそれ以降は使用)
●信号がついていないのに外を車が走っている
●トイレは2つで1階が自動水洗な為機能しない。使用禁止の紙を貼る。
テレビ、冷蔵庫、携帯電話の充電、風呂が全滅で、最初はスマホで情報を得た。
→【①カーテンや窓が手で開けられる
※開けた所で蒸し風呂です。
【②コンロがガスで火がつく】
という条件だけで
精神面がきっとかなり違う。
加熱した物を後3日間
家では食べていない。
(ガスや食べ物を車移動をして
外に求める事にした為)
●家電関連で助かった事、
1500Wの日中のみ使用出来るソーラー発電パネルが家に乗っていた。初日は実働した事がない為不使用で、2日目の日中から義母の提案により使用。
→スマホの充電と冷蔵庫と扇風機が日中だけでも生き返る事により「電気のなくなる夜」への精神的な備えと安定をかなり得る。
★11:00頃
近所のセブンイレブンにておにぎりとパンのラックのみが全て空、食べられそうなサンドイッチや卵等を見つけたと思ったら
「3時間無冷蔵な商品は売れない」との規約の為売ってもらえず、
まず直面したのは食料確保。
「営業している同系列店の立地とエリア(例:千葉駅付近は営業している)」の情報を得る
●精神的にはまだ余裕がある。
★私自身の祖母がたまたま安否確認の為に家の固定電話に電話かけてきた為、固定電話が繋がる事が確認。
→スマホの連絡よりまずは被災地の固定電話が通じるか否かをまず身内は確認してください!
→「お見舞い申し上げます!」等のLINEは不要、淡々と終日空いている公民館や電力会社のサイト情報や「今電気が通っている県内地域」の情報を送ってください。
物凄く助かった。
「15秒で見られる被災者に関わる情報(通電地域の進捗や避難場所等)」しか不要です)
→★ただし被災地の方が弱音を吐いたりしたLINEがきた時等には、当事者としてはものすごく心の支えになるのでぜひ返信してください。
(①スマホの充電が刻々となくなっていく絶望感は凄いので、ニュースだけを得る機械として使用した方がいい。
③復旧地域の人の「千葉県●●町復旧しました」Twitterのつぶやきだけでかなり救われた。
→停電3日目には台風が過去の話となりニュースが入れ替わりホテルで見たテレビでバラエティーばかりがやっていてそれらの情報がかなり減ってしまう)
④夜は初日から蘇我地域が復旧していたので、車を出してみて、ショッピングモールで外食。
この時点では「翌日10日復旧予定」と出ていたので朝ごはんの時をしのいで昼以降はまた考えればいいと思っていた。
→帰路にて左右の町内は見事復旧していた為希望を持ったが、
最寄り駅を超えた瞬間、
徒歩数百メートル区間違うだけで「自分達の家が恐らく確実に復旧していない現実」に段々直面していく道中となり
さすがに常にプラス思考の姿勢を見せる義父母達も心にダメージを負っていた。
→★本格的な精神と身体的苦痛を感じたのは帰宅した18:00以降の真っ暗になった家に帰った夜から。
→真っ暗な風呂に懐中電灯をドア外に吊るす、最低限のシャワーとシャンプー等だけ入浴。
→認知症の義祖母は、風呂ではなく濡れタオルで拭いて着替える事になったが目を離すと浴槽の蓋をあけて浴室に入ったりし「いつも通り」の動きをするので静止する。
→実はこの日の正午に「辛うじて手に入ったセブンイレブンの片手分しかない人数分はないパンを、お腹がすいたのか正午になると時間通り触り出す」等
★認知症の方のこういう「1日の本来ならするはずの生活のいつも通り」の行動に、要介護者と初共存生活をする事になった妊婦の私は少し精神を削られる感覚がした。
→恐らく慣れている介護している方にも同じ様に心労が積もる。
→トイレはLEDのスタンドライトを常時設置した状態で、事前に案内したので認知症の義祖母も夜間きちんとそこで用足しをするが流せはしない。他の人が入った際気づいたら流す。
(せめての義父母の負担減になるよう寝られない私がメインでしていた)
→固定電話で旦那に連絡、非被災時の旦那には正確状況わからず、非被災地の友人達や親類のふとした一言や数秒で電話を切られる対応に傷つく。
泣きつつ現状の本音を1時間程話す。「頑張れ」と言われ精神的に持ち直す。
【2日目】
→前日夜間は自室にうちわと懐中電灯持ち込みはしたが到底寝られず、
肌に触れるベッドや布のシーツが全て気持ち悪く感じ、眠いのに横になっていられない。
基本的にうちわで仰ぎ、窓の外の景色を見て1:00~3:00位の時間位に気絶したのか寝られた。
→旦那が置いていった自家用車に充電ソケットを忘れたとLINEが来た。少し救われる。
→
暑さに耐えきれず、思いつき
4:45~5:00まで、
夫の置いていった自家用車の
充電もしてみる。
低速充電モードだったが、
最悪少しは出来るのかと確認。
→スマホのバッテリーは40%台になっている。今日で電池切れになる事を覚悟をする。
→朝5:00頃諦めて起床(ほぼ完徹)、
私は軽度の熱中症により
フローリングの上で辛うじてまだ冷えていた保冷剤をタオルで巻き、2時間ほど寝ていた。
「日中の晴れた時にしか使えないが、リアルタイムで発電する為ものすごく便利」なシステムだった。
※Twitterにて、
→
1500W以内の家電の組み合わせ
冷蔵庫は40W、
使わない、
使わない)で
【スマホ、冷蔵庫、扇風機】の組み合わせで朝10:00程まで過ごす。
→★特に扇風機を出してきて使える点とスマホの充電が満了できる点。
→旦那の車が
テレビ・ラジオ・クーラーの役割を果たす事をこの日の朝確認した為、ガソリンを満タンに入れに行く事は早朝に決めて義父母に伝達。義父にも全ての車の操作を教え、この車をメインで使う事を共有。
★ついでに市街を周回、
★そこの町内のコメダでは待合時に備考欄に「電源」という文字が客側の欄に書かれていて、
→被害を免れた各店が
「我が家は水の汲み上げが電気システムなので、水も止まっている」との事。同じ境遇の人たちと話す事で気は紛れた。
店内は皆その住宅の住人らしい。
(近くの公的施設が9:00-21:00までは解放されていると町内会長が自転車で連絡周りをしていたが、
義祖母の環境が違うことによるストレスになるとの事でそこには行かず行けず、
飲ませないといけない為、
この時点で4人中2人が2泊エアコン無し家での2夜目確定で危険)
→
★ホテルの空室確認をタウン誌で1番最初から義父母がしらみつぶしに電話をかけて行くが見事に全て埋まっている。
全て埋まり、
空いてない状況。
→部屋の価格
¥20,000(空室紹介時)
→¥17,000(停電避難をしたい旨を伝え可能ならもっと安価はないかと問い合せて結局この部屋)
お世話になりました。
→夜にホテル室内で
12万戸まで減らす」と
電話あり、
どうかその12万戸には入りたくないと
ただその件は義父には伝える。
■この時、53万戸停電
【3日目】
「昨夜言っていた
悪天雷雨のため立たず」の
まあ、だよね.......」と
義母が言っていたが、
この朝65歳の女性が同じく亡くなるニュースをみて「同い年だよ!」と戦慄する。
→
★徐々に刻一刻と
「自分の身近に自分達と似た状況の死亡者が増え出す」環境になる事を自覚する恐怖が増える。
どこがどれだけ復旧したのかを教えてくれ!」と私と義母。
①9日初日は
「翌日の10日には復旧予定、
入っていなかった為
明日には復旧すると思っていた)」、
②終日復旧せず、
2日目の10日夜には
「翌日の11日には
減らす事を目指す
「目指す」なので
期待は当然してない半々の気持ち
③11日の3日目朝は
「本日中の復旧の見通しは
立たない(断言)」と.......
→
★延期発表が「明日中(以降)復旧」を
繰り返しすぎて少し振り回される。
初日から2日目ですでに復旧予定が覆っている為、非情な内容でも
正確な情報が欲しい。
→
が重なると
はなから今どこをやっていて、
どこが復旧したのかだけ情報が欲しい。
→チェックアウト後の、
過ごし方までも当然覚悟した。
→8:30頃
「もう一泊部屋を確保出来るならするか(テレビがある、電源がある状況を確保する事はとても心強く感じたが、
義父が3日連続して義祖母と家滞在になる為、義母は帰って公民館とかを
利用しないといけないか)」と
義父より「電気復旧きました」と
電話連絡があった為。
少なくとも我が家の
停電状況はここで終わる。
【今回の教訓〜停電編〜】
●認知症の方や妊婦や幼児等がいたり、高齢者のみだったりすると途端に避難場所の選択肢や「我慢できる事」の範囲が狭くなる。
でも例えば20代妊婦の私だけだった場合はネカフェやカラオケ等やラブホまで視野に入れて宿泊可能施設として使えるが、
今回は私以外が全て
65歳以上の高齢者だった。
そうすると本当にそこらへんの
電話をかけ続ける事になり厳しい、等。
少なくとも水ガスが普段通りの
停電になった際においては、
不足していない】。
→長期に渡ると必要かもしれない。
→ただただ充電が出来ない事と
明かりがつかない事と
暑さ寒さがしんどいので、
ただひたすら
日中は車のある人は
とにかく店が空いている時間は
【外に出た】方がいい。
→★家の中にあった方がいいものや
防災グッズを揃えるというよりか、
「もはや蒸し風呂に
なっている家が不愉快と
夜だけはどうにもならないので
だが本当に体感が厳しいのは
店が空いていない夜21:00以降
どこから誰から情報が入ってくるかはわからない為本当に情報と人の伝達頼り。
かなり精神的な安定を得られた。
早く見つかり、
また楽だったと思う。
多少のお金を出してでも、
空調設備の下に
逃げ込んで欲しい。
ガス火はガスにするか
卓上ガスコンロ常備。
(追記)
反応ありがとうございました。
もう被害の日数とレベルが私が経験した物をはるかに超え援軍物資が必要な被害レベルになっている為停電対策にはならないあくまで実録として残し、復旧進捗をTwitterにてRT協力していきます。
どの道具を備えるか、どういう行動を取るかは個々人のその時の判断で正解はないと思います。
今後参考になる箇所のみ使用して頂ければ幸いです。
家族で北海道の有名温泉宿へ。父は毛ガニが大好きで、本来の夕食のメニューにはなかった毛ガニを追加料理として注文した。6500円。高い。
宿に着くといい匂いのお香がお出迎えしてくれた。いい気分でチェックインを済まし、部屋へ向かう。予約したプランよりもワングレード上の、マッサージチェアがあって広い部屋を割り当ててもらったらしい。毛ガニ分いい部屋にしてくれたんだろう。
温泉はぬるめ。心地よくいつまでも浸かっていられそうな、温泉旅行者には一番ありがたい温度だった。父は蒸し風呂を褒めていた。
夕食。うまい。全部うまい。家族でいろんなところに旅行に行ったけど、これほどおいしい夕食ははじめてだった。毛ガニうまし。みんなで「頼んでよかったね」と美味を確かめあった。あまりにも料理がおいしいので、家族の前ではめったに飲まない日本酒までいただいてしまった。
酔った状態で温泉に入ると大変なので、ラウンジに行く。ワングレード上の部屋に変えてもらったおかげで利用できるようになった特別なラウンジだった。酒、無料。スモークチーズとか、無料。足湯もあった。温度調節がうまくいっていないようで、やけどをするほどの熱さだったけど。
結局温泉には行かないまま眠くなり、ベッドの上で横になる。父は既に隣のベッドで寝ている。寝付きの悪い母はテレビを見ていた。「カニが良かったなあ」とつぶやくと、母が「そうだね」と言った。
空を見上げるということをしなくなった。
いつも変わらずそこにあるのに、建物の隙間から見えるそれはさして印象にも残らず、
うだるような暑さの中で、いつも下ばかりを向いて歩いている。
ほんの10年ちょっと前までは、夏場と言えばイベントばかりで、
今となってはあんなに長い休みをどうして過ごしていたのかも思い出せない。
今となってはすべてが淡い思い出で、ぼんやりと靄がかかったような感じがする。
うだるように暑い夏の午後、
クーラーもかけずに蒸し風呂のようなワンルームのベランダから見上げた空は、
とても高く、青く澄み渡り、真っ白な雲は絶えず形を変えていた。
僕たちは変わらないと思っていた。
まだ、何者にもなれると思っていた。
衰えを感じる日が来るなんて思いもよらなかった。
かつては友人みんなやっていたSNSも、
今年の夏は、久しぶりに当時住んでいた街に行こうと思う。
あの日見上げた空に浮かんでいた雲を探しに。
湯気と入れ墨と楕円球
著名な温泉町なので、賑わっていると思った別府だが、19時台はもうすっかり落ち着いている。
窓の外を見ても時折湯気が上がっている以外は何の変哲も無い地方の山村といった風情で、昨日までの賑やかさを考えると全く別世界に来た感じがする。
そう言えば、大分駅前で、来年のラグビーW杯のサイネージ広告を見た。
44日に及んで熱戦が繰り広げられるW杯は、北海道から九州まで、日本各地で開催される。
大分で行われる初戦は絶対王者ニュージーランドが登場する豪華なカードで、多くの外国人が観戦ついでにここ別府温泉を訪れる事になろうが、温泉のタトゥー対策はどうなるのだろうか。
辿り着いた鉄輪温泉は人通りも殆どなく、入湯施設と飲み屋以外は閉まっていた。
やはり大分は全体的に夜が早いらしい。
自分も少しだけ温まって、ネットでおすすめのひょうたん温泉に向かった。
ひょうたん温泉はさすがに賑わっており、日本語の他にも中国語や韓国語も聞こえてくる。
逞しい胸板に豊かな胸毛を蓄えた欧米人もいた。
脱衣所で着替えてミシュランでも紹介された湯に向かう。
関東のスーパー銭湯の様なオシャレさと無縁の無骨な作りだが、蒸し風呂、檜風呂、岩風呂、歩行風呂、高さ3mから浴びる打たせ湯、この施設の名前の由来にもなっているひょうたん風呂など、風呂の種類は多岐にわたり、豪華な野趣という様な趣が感じられた。
と、洗い場を見ると、隣のお兄さんの右肩に鮮やかな和彫が。
しばらくすると、ウェットスーツの様に全身を覆う和彫の兄さんもいる。
この状況ならやってくるのが欧米人のデザインタトゥーだろうが、マオリやパシフィックアイランダーのトライバルタトゥーだろうがどうって事はない。
要は柄の種類が増えるだけの話だ。
11月の夜の空気はひんやりしているが、さすがは音に聞こえし別府温泉、山道を下ってホテルに帰る間も、さっぱり感と温かさが持続している様に感じられる。
明日は昼前に再び訪れよう、その為にも早く寝るかなどと思い、部屋に帰って何気なくテレビをつけると、ラグビー日本代表が、母国イングランド代表と聖地トゥイッケナムスタジアムで対峙していた。
旅行中は観られないと諦めていたカードだったので、嬉しい偶然だ。
歴史も実績も歴然とした差があるイングランドだが、日本代表は3年かけて磨き抜いたテンポの速いラグビーで奮戦。
日本の仕掛ける高速ラグビーについていけず、ミスを連発するイングランドのディフェンスラインを突破してトライを重ね、日本は前半を15-10のリードで折り返した。
後半、日本はさらにゲームスピードを上げることを目論み、早い配給でもって鳴らす若手スクラムハーフ、流大を投入する。
対するサイドからは、眉に異様に近い目から鋭い眼光を送る、亜麻色の髪の角刈りが姿を現した。
前回のW杯、予選プール敗退の悔しさを乗り越え、今や欧州最高選手との呼び声も高い司令塔、オーウェン・ファレルだ。
前半に日本のスピードについて行こうとしてボールも人も前後左右に動かしたプレーと一転、一度手にしたボールに巨躯の男達が殺到し、力づくで押し込んでくる。
その動きは重鈍で、一気に振り切られるようなスピードはない。
しかし、重機のような圧力を前に日本代表はジリジリと後退させられる。
イングランド代表が一体になって前進するその姿は「これこそが我々だ」という確信を掴み取ろうとしているように見えた。
ついには快速自慢のバックスまでもが一塊りになってインゴールに雪崩れ込み、日本代表はトライを献上。
結局、自らを見つけ直したイングランドを相手にして流れが再び戻る事はなく、日本代表は15-35で屈した。
やはり己を知り、信じる者は強く、世界の頂はまだ遠い。
来年のW杯、大分では予選プールだけでなく、決勝トーナメント 準々決勝 プールCとDの1・2位突破チームのカードが組まれる。
死の組と噂されるプールCに組み込まれたイングランドだが、その実力を持ってすれば2大会ぶりの決勝トーナメント進出の可能性は濃厚だ。
後半に登場して日本代表を締め上げた鋭い目つきのファレル選手も、別府温泉にやってくるかもしれない。
といっても実際に亡くなったのは数年前のことで、彼女がはまっていたものを宗教と言っていいのかも微妙なところだ
誰にも言えなかったことを吐き出そうと思ったら長くなってしまった
私が物心ついたときから母はその手のものが好きだった。インドのヨガマスター?の団体やアーユルヴェーダ、断食などに興味を持ちそのいくつかには私も参加したことがあった。家にはスピリチュアル系自己啓発本が何冊もあった。
私自身幼い頃なので詳しく覚えているわけではないが、彼の教団が形成される段階のうち比較的初期の方に出会っていたようだ。
したがって当初その関わり方はいわゆる信者ではなく弟子のように直接的なもので、なん家族かで彼の家に泊まりに行ったこともあった。彼の子供を含む歳の近いものたちで海に行ったり花火をした思い出もある。ならなぜわざわざ「教祖」と呼ぶのか。それは、母が金をつぎ込んでいたからである。
たとえば彼の家の近くによもぎ蒸し風呂を作りたいという話。これは消防署から許可が降りず、出資した数百万円は水の泡になった。このようなことは何度もあった。母は専業主婦だったため独身時代の貯金、父の収入、そして実家からも借金をしていたようだ。この活動は命に関わる難病と診断されてからより一層激しくなった。
母とその仲間たちは彼に心酔していた。しかし私はそれに従いながらもどこかで疑問に思っていた。これは定かな記憶ではないが、ある日それが高じて母の日記を盗み見たことがある。そこには
「今日は(教祖)先生の夢を見た。膝枕をされている夢だった。これが性夢だろうか。この先より高いレベルに到達したらもっと先の夢が見られると先生はおっしゃっていた」というようなことが書いてあった。耳年増だった私はその意味するところに思い至りすぐに日記を閉じた。
また、母は彼から叱責されたり冷たい態度をとられると泣いて塞ぎ込んだ。私との血縁関係よりも公的なことを優先しなければならないと言った。これはその先生の言う「この世の人のためのこと」を実践するという意味だった。
テレビや市販のお菓子や肉食を避け、引越しをし、出資した。ある女性は中学生の娘を祖父母の元に預けて家を出たと聞いた。合宿では朝昼夜にそれぞれ講義を聞かされた。通話ソフトを通じた先生の講義中は子供たちも会話は許されず、座禅を組みながら聞くことを推奨された。母はこの世の人を救い、それによって救われるらしかった。私もそれを漠然と信じていた。先生の理念を叶えるため事業につとめる母は苦しくも生き生きとしているように見えた。そのころには先生にも頼りにされ、上位幹部的な存在だった。
しかしある日母が死んだ。
死因は不明だが恐らく急性の心筋梗塞か脳梗塞。まだ眠っているような安らかな死顔だった。
先生に電話をかけたら泣いていた。彼の教えは母の、少なくとも物体的な命は救えなかった
母と私は療養のため普段は父と離れて暮らしており、久しぶりに家族全員で過ごしていたときのできごとだった。私はそのまま父の元で生活をはじめ、数年が経った。
その間ずっと私は母に複雑な思いを抱いていた。
私は母のことが大好きだった。母が難病だと知って、もし母が逝ってしまったら私も死のうと思っていたくらいだ。いい母だった。いろいろなことに挑戦させてくれたし、教団を通じて出会った同年代の友人とは今でもとても仲がいい。私の体を心配して、寝る前にはマッサージをしてくれた。病をおして出かけてくれた。強制することなく学問的素養をのばしてくれた。たくさん愛の言葉をかけて抱きしめてくれた。
それでも彼女は不安定で、先生にすがっていて、私よりも世界の方が大事だと言った。世界を救うのと言った。母の温かさに直接触れられなくなってしまってからは、それがフラッシュバックして、日記を忘れられなくて、なにかに引け目を感じたまま生きてきた。
私は生活に不自由したことはないし父にも母にも愛されて育ってきた。母がなくなったことを勘定に入れても恵まれているほうだろう。それなのにそんな気持ちを抱いてしまう自分が嫌だった。
去年の終わりごろ、その先生と会った。母の死以来はじめて話した先生は痩せて酷く弱っているように見えた
彼は涙を流して謝って、母のことを本当に大切に思っていたと言った。私のことも娘のように思っていると言った。そして息子と結婚しないかと持ちかけて、帰っていった。
そしてその一週間後に彼は死んだ。
この日記を書いたのは、その縁談相手から久しぶりに連絡が来たからだ。
彼は彼の信じるものに従って母の忘れ形見の私を守りたいと思っているのだろう。私の価値観とはズレるところがあるが、善き人であるのは確かだ。
気になって彼らの現在の活動を調べてみた。とてもうまくいっているようだった。理念は変わらず、ホームページの表記に宗教色はあるものの、自然派の人をターゲットにした事業で真っ当に成功しているようだった。口コミも不自然でない程度によかった。世界を救えるかはともかく、普通に面白い試みだと思えた。公式Twitterもそこそこ流行りに乗ってた。母のかかげた理想は、思ったほど馬鹿げてもなかったのかも。母の苦労は報われつつあるのかな。
今になって思えば私は母にとって絶対的に一番の存在になりたくて駄々をこねていただけなのかもしれない。彼女は私が求めるほど完璧ではなかったけど、けしてただ弱い人だけのじゃなかった。「この世の人」の中には私や父、母自身も含まれていたのだと気づいたのは最近のことだった。歳をとるごとに母の強さを感じる。
私はきっとその活動には参加しない。でも私自身が大人になりつつあること・その団体の成功を知ったことで哀しい宗教家としての母は死んでいき、先見の明があって優しくて賢い大好きな母の姿をもう一度曇なく信じられるような気がした。そしていつか誰にも恥じずに母の話をしたいと思った。