はてなキーワード: hrとは
ここからは「今日知った言葉」の趣旨から外れた、超個人的な余談になるため別記事で書く。
餃子靴という言葉を知ってから、記事を書くために調べていったんだが、この靴は現代だと「おっさんが昔に履いていたダサい靴」という扱いをされていた。というか餃子靴という通称自体、そういった揶揄的な意味合いも込められているようだ。
おっさん靴といえば、厚底のボリューミーなスニーカーが“ダッドスニーカー”といわれることもあるが、これは今でも一定の需要と供給があり、若者が履いていることも珍しくない。
対して餃子靴は、現代だとまずみない。おっさん靴で、どうしてここまで差がついたのか。考察ごっこを楽しんでみたい。
まず考えられる理由ひとつめ、「餃子靴がビジネスシーンに適さないことが認知された」から。
そもそもスリッポンタイプの革靴はカジュアル寄りのアイテムだ。さらに餃子靴はシワも悪目立ちする。アイロンでシャツのシワを伸ばしていても、足元がシワだらけの革靴では格好がつかない。
だが昭和の時代はネットなどの情報を得る手段に乏しく、スーツ店の営業も試行錯誤の段階だった。サラリーマンのビジネススタイルも今より馴染んでいない。
模範的なビジネススタイルや、ドレスコードを知る人が少なく、知る手段も限られている。「スーツにネクタイしめて、革靴履けばいい」となるのも無理はない。革靴であれば何でもいいのなら、あとは機能性重視で着脱簡単・履き心地そこそこの餃子靴が選ばれるのも自然の流れである。
しかし模範解答が出揃った現代で、あえてこの“不正解靴”を履く新卒はいないし、需要の減ったものを大量生産するメーカーもいない。
ふたつめの理由は、「ビジネス・カジュアルシーン(ビジカジ)ならスニーカーを履く」からだ。
現代は働き方も見直され、コロナ禍などにより環境も変化、それらに合わせてビジネススタイルも多様化した。ボトムスをジーンズやチノパンにした所謂“ジャケパン”スタイルは随分前から定番化しているし、近年では在宅向けのパジャマスーツなんてものも流行った。
そんな現代において餃子靴の付け入る隙はあるのだろうか。大手の靴メーカーがビジカジ向けのスニーカーを提案してから随分と経った。当時のサラリーマンに使い勝手の良さから親しまれていた餃子靴が、現代のスニーカーと肩を並べられるだろうか。
みっつめの理由。「餃子靴がダサい(と思われている)」。ある意味で、最も深刻な理由かもしれない。
ひとつめの理由でも触れたが、そもそも“変なシワの入った革靴”はコーデに馴染みにくい。その上、革靴としては不出来に見えやすい。
カジュアルシーンで使う革靴は履き込むことで味わいがでて、その人の足に馴染んでいくことを楽しむ。履き心地は二の次のカテゴリだ。
そんな中で、履き心地のために施された餃子の皮のようなギャザーは“不自然なシワ”と捉えられる。この意匠は“機能美”ではなく、“見栄えを犠牲にした”ものというのが大方の見解だ。
「昭和世代、靴に無頓着だったサラリーマンが履きまくっていた」というイメージも根強く残っている。それでも現代で履くなら、よほど強いこだわりがないと難しいだろう。
餃子靴が再び流行る可能性があるかといわれれば、正直ビミョーだと思う。
革靴の潮流は、他の靴カテゴリと違って緩やかで鈍い。昔からあるディティールのものが順繰りに流行り、せいぜい素材使いや靴底が変わったりするくらい。
餃子靴以外の“おっさん靴”としてはダッドスニーカーが有名だが、スニーカーの流行とアップデートは勢いがあるから若者など大衆にも親しまれている。餃子靴にはそれがないから廃れたのだと思われる。
それでもワンチャンあるとすれば、餃子靴特有のあのシワを“そういうデザイン”としてプロデュースすれば、もしかしたら……ってところ。
例えばスニーカーやブーツなどに餃子靴をイメージしたデザインを取り入れて、パリコレとかミラコレとかで披露する。「ギョーザライン」みたいな名前つけてさ。
それを他のブランドも真似して、インフルエンサーとかが盛り上げていけば、ゆくゆくはルーツたる餃子靴も再評価されるかもしれない。
あまり仕組みわかってないんだけどブクマカ?でコメントつけてる人ってあまりその投稿の言及先見ないでコメントつけてる?
元増田読んでたらそんな感想や意見にはならんだろ……と思うものがちょくちょくある
仕組みわかってない
これはブクマカの習性とかではなくはてなブックマークの仕組みのことです。
はてなブックマークから見ると、言及先が見にくいまたは言及先があると表示されないとかなってる事もあるのかな?と思ってました。
100文字制約あるとかブコメ直せるとか知らなかったので勉強になりました!
内容に関連するが即しない自分の語りたいこと
ここら辺はまあそもそもそういう使い方のものだったり仕方が無いところもあると思ってます。
ブコメに対して反応
これは全く考えてませんでした。
他のブコメに対しての反応とかもあるのか〜
私が思ってたのは言及先読まないでコメントつけてるの?ってことで、ブコメつけてる記事に関してはしっかり読めてる(本当にその記事だけならそういう意見もあるだろうと思える内容)けど言及先も含めてみるとズレてるな?と思うブコメに対してです。そしてそのようなコメントは投稿主に対して強いコメントが多い印象なので、言及先読んでないのでは?と思った次第です。
もちろん言及に言及を重ねて長いものもあるし全てを読むのは大変なのでそういうものに関しては全て読んでないのに……とは思いません。
https://note.com/amneris/n/nbf2ed1fcd873
(1) (マスコミの)誰が何をしたのか、明確にするべきだ。
──
(1) については、特に批判はないようだ。ただし、意図は異なる。
江川紹子は、「マスコミのうちの悪い部分と良い部分を区別して、悪い部分だけを批判せよ」という趣旨だ。
はてなーは、「マスコミの報道はすべて悪だ。区別の必要もない」という趣旨だ。これについての批判が少ないのは、(2)に含まれるせいだろう。
(2) については、多大な批判がある。「結婚報道については、許可が必要に決まっている。プライバシーなんだから当然だろ」と。
なるほど。妻についてなら、それは当てはまるかもしれない。しかし江川紹子が言っているのは「妻の許可」ではなく、「夫の許可」だ。
羽生さんの場合は、結婚の事実は伝えたいが、妻となった女性については一切触れてほしくなかったのだろう。ただ、これだけのスターだ。……ただの一私人とは言えない。
夫の許可については、こう論じる。
また、事柄によっては、当事者が望まない私事を、読者・視聴者の「知りたい」に応えることを優先して、報じる場合はある。芸能人やスポーツ選手、政治家など著名人の交際、離婚、不倫、隠し子、あるいは過去の不祥事などを巡る報道の大半は、そうではないか。
当人の「許可」がなければ取材も報道もしてはならない、となれば、メディアは本人が望む情報だけを拡散する宣伝媒体としか機能しなくなる。
私人でなく芸能人についての報道だ。それについて「許可」が必要かと問う。羽生は芸能人(プロ)として、スケートショーで莫大な稼ぎを得ている。1席5万円の席を数千席も売っており、1回で数億円の売上げを誇る。普段は芸能人としてマスコミを利用しておきながら、いざ結婚となると「許可」を求めるというのは、ご都合主義だろう。
というのが、はてなーの声だろう。しかし本件は、必ずしも「プライバシーの侵害」とは言えない。理由は次の二点。
そもそも結婚は慶事であり、結婚の告知はプライバシーには相当しない。結婚披露宴がプライバシーであるわけがない。世間や関係者に周知することで祝福を得る。誰も困らない。今回、困っているのは羽生結弦だけだ。少なくとも奥さんは困っていないし、むしろ名誉を感じている。だから奥さんの方からの苦情もない。この件では、地方新聞社が批判されているが、地方新聞社はよくある「結婚報道」「死亡報道」の一つとして(地元での)公開情報を報道しただけだ。秘密となるプライバシーを侵害したわけではない。
羽生さんはあれだけの有名人。そして、奥さんとなった末延麻裕子さんも地元では有名なバイオリニストです。しかも、地元には彼女をよく知る方も多くいて、『おめでとう』という祝福の声が多数あがっていました。その事実を報じたまでです。
小さな新聞社とはいえ、人権問題については重く考えていますし、掲載前に弁護士に相談しました。ウソを書いたのであれば訂正しますが、地元が歓迎しているという事実を書いただけ。記事を出した後についても、末延さんサイドからはクレームなどは一切来ていません。 (¶)
地元の慶事の公開情報を報道しただけであるようだ。プライバシーの侵害とはまったく違う。
この情報の公開を厭がっているのは、羽生結弦一人だけだ。そして、その彼は、普段はマスコミを利用することで、巨額の金を稼いでいるのだ。
そういうふうに、「あるときはマスコミを利用し、あるときは極端にマスコミを拒否する」という二重基準を、マスコミは受け入れるべきなのか……というのが、江川紹子の問題提起だ。「こんな基準を受け入れたら、ジャニーズの不正も報道できなくなる」という懸念は、もっともだ。
※ 文春の「盗み撮り」は、また別の話。これはプライバシーの侵害になりそうだ。しかし「盗み撮り」ならば、別件としてプロの弁護士に頼ればいいのであって、今回の「マスコミ批判」とは話は別になる。
(3) については、特に論じない。
一方、羽生本人よりも、妻の立場を心配する声もある。「地元の声」として紹介される、「離婚された妻が可哀想だ」という趣旨だ。
これについても、「マスコミが悪い」という批判をするのが、はてなーだ。しかし、「誰それが悪い」という責任論よりも、「被害者である妻が可哀想だ」という同情論を取ることもある。
この件については、次の比喩を考えてほしい。
すごい強盗に襲われた被害者夫婦がいる。その強盗は、巨大な力をもっており、巨大なナタを振るって、被害者夫婦を襲った。
そこで、被害者夫婦は抵抗することもなく、あっさり降伏した。夫は「命を助けてください。お金は差し上げます」と言って、金を差し出した。さらに妻をも差し出した。こうして金と妻を差し出すことで、命は助かった。しかし妻は陵辱された。
このあと世間は、「強盗・強姦魔が悪い」と大々的に批判した。夫も「悪いのは強盗・強姦魔です。あいつのせいで被害に遭ったんです」と言うだけだ。
しかし妻は納得できなかった。「強姦魔に妻を差し出すことで自分だけは助かったのね」というモヤモヤした思いが残った。「僕はきみを守るよ」という結婚前の言葉はどこに行ったの、という思いだった。しかも、そのあとで離婚に至るなんて、結婚のときの誓いはどこに行ったの、という思いがした。「病めるときも健やかなるときも、妻として愛し 敬い 慈しむ事を誓います」という誓いはどこに行ったの、と。
ともあれ、妻は「傷物」とされて、あっさり放り出された。
夫も世間も、「強盗・強姦魔が悪い」と大々的に批判するだけであって、可哀想な妻のことを考えてくれる人は、ごく少数にすぎなかった。
ともあれ、今回の離婚で大幅に利益を得たのは、羽生結弦一人だった。彼は妻を放り出すことで、離れかけた多大なファンを引き戻すことに成功した。これで話題を売ったあとでは、以後のスケートショーでは大量の客がチケットを購入してくれるだろう。「私たちの結弦さまが、他の女を捨てて、また私たちの前に戻ってくれた!」と狂喜乱舞することだろう。チケット爆売れ。マスコミは悪役となる。マスコミは羽生結弦に利用されただけだった。はてなーもまた、まんまと利用されただけだった。
自分は今まで、事業内容については「自分は事業内容は何でも興味を持てます」みたいなことを言っていた。
そう言っていた理由は、興味ありげな感じを出すと、「なんで興味があるのに今までしてこなかったの?」と言われそうだからだ。
だから丁度よい落とし所として「何でも興味を持てる」と言っていた。
情報科出身でプログラミングばかりしている人がHR業界とかに興味あるわけないやんとか思っていたし、興味ありげな感じを出すと嘘くさく聞こえるだろうなぁとかいろいろ考えていたんだけど、採用担当者はそんな事は思っていないみたいだ。(ちなみに筆者が採用を担当することになった場合は「頑張って社会性を発揮してるなぁ」と思うと思う。)
現場のエンジニアは似たような考えを持っているんだろうけど、事業にいかにも興味ありげな感じを出さないと、採用担当者や経営陣がNGを出すんだろうなぁ。
「事業を意識できるかどうか」と「面接でいかにもな感じで事業について話すか」はわりと相関性はありそうだ。しかし、面接でアピールするのが苦手な人の中には、事業を意識できる人もそれなりに居ると思う。
この採用方針は「履歴書を手書きで書かせ、字が汚い人は不採用にする」というやり方に似ているように感じる。
求職者からすると理不尽に感じるだろうけど、採用担当者からすると、他に判断材料が無いしこうせざるを得ないんだろう。
就職活動って難しい。
「母の仮面がしんどい」とか、「母になる前の自分に戻りたい」とか、母親として押し付けられるアイデンティティに対する辛い心情の吐露が、度々話題になる。
私もそのような言説を見聞きして、自分も子供を持つとそのような息苦しさを感じるようになるのかとぼんやり思っていたが、実際に子供を持ってみても全然そんなことはなかった。
育児休業を取得し、1日のほとんどを育児時間に費やしても、私はずっと私のままだった。日常的に二人称として「お母さん」と呼ばれるようになったが、それは想像以上に私の自己感覚に影響を及ぼさなかった。
なぜだろう、と考えてみると、複数の要素に思い当たる。思考の整理の意味で、要素を書き出してみる。
ちなみに「母の仮面」がないことと子育ての大変さは無関係である。夫婦双方の実家が頼れない状況で、それなりにハードな毎日を送っている(抱っこのし過ぎで膝が曲がらなくなってきた)。
自分の母親(絶縁状態)の育児が思い返せば思い返すほどひどいものだった。なので「自分の親は偉大だった」と気づいて自分の育児のハードルが上がるようなイベントが起きない。この点に限っては、自分の親は偉大なのかもしれない。復縁するつもりはないが。
母親になって以前のようにファッションが楽しめなくなったと嘆く人は少なくないかもしれないが、普段からノーメイク&カジュアルファッションだった私は子供を持つ前と装いがほとんど変わらなかった。せいぜい立ったまま脱ぎ履きできる機構がついたスニーカーや、立ち回りに便利なボディバッグを導入した程度(これらのアイテムも元々物ぐさな性分によく合っていた)。
むしろ子育てしながらメイクやネイルもキマっている人ってどうやっているんだろうと恐ろしくなる。
自分の家庭環境が劣悪だったので、子供を持つ前に子育てについてしっかり一度勉強しておこうと思い、社会人になってから保育士の資格を取った。
そのおかげか、子育てに対する姿勢に「保育者」としての目線が入り、一歩引けているのかもしれない。
「この子には私しかいない」ではなく、「この子に対して、この社会では第一義的に責任がある」という感覚。
保育士の資格勉強を通じて、歴史上たくさんの大人たちが子どもの権利を守るために力を注いできた、ということを知られたのは本当に良かった。自分もまたそのような大人でありたい。
家庭環境が最も悪化していたときに禅の思想に出会い、そのときの感覚を今でも大事にしている。
言葉にすると浅学さが滲むが、「本当の自分」という考えに執着しない姿勢でいる。「子どもを持つ前の自分が本当の自分」という考え方そのものが、私にとっては自然でない感じがする。
もちろん、「子どもを持った自分が本当の自分」という考え方も同様である。
これが一番大きい気がする。
自由時間が大きく減る中で、SNSを見る時間が圧倒的に減った。代わりに子どものために外に出かけて、自然に触れることが増えた。もともと植物が好きな自分にとって、大きくプラスとなる変化だった。
絵本を借りるために図書館に行く日も増え、子どもと楽しむという名目で様々なジャンルの図鑑を借りたが、予想以上に知識欲が刺激されて面白い。
SNSから離れたことで、趣味の絵もマイペースに自分が描きたいように、ができるようになってきた。増田に長文投稿するようになったのも子どもが生まれてからだ。
趣味嗜好に関しては、むしろ子どもが今まで被ってきた仮面を捨ててくれた、という感覚がある。これは子育て固有の変化というより、広い意味での「自分に気づきを与えてくれる人物との出会い」だと思う。
これを書いている隣で子どもが寝ている。保育園に入って「〇〇ちゃんママ」と呼ばれるようになったら、また心持ちも変わるんだろうか?
法律というのは個々の場面では意図的に矛盾するように設計されている。 矛盾というか衝突かな。
明文化されている権利の行使であってもそれが他の権利を侵すなら無制限に認められるわけではない。
つまり権利と権利は衝突するし、衝突するところを司法で個別に調整する仕組みになっている。
逆に救済として必要な以上のことを求めることが出来ない。
被害者遺族は加害者に懲罰を求める権利はない。 被害者遺族は加害者に懲罰する権利も懲罰を求める権利もない。 大事なことなので二度言いました。
大事なことなので何度でも強調しますが被害者は加害者に対して求めることが出来るのは被害の回復。
死人は生き返らないので通常は金銭に換算される。
秩序を維持するために必要だから殺人者の権利 (自由権・生存権) と衝突しても秩序のほうが大事だという理屈で罰を与えることが出来ている。
逆に秩序を維持するのに必要な以上の罰を与えることが出来ない。
被害者や世間の感情を無視して秩序が成り立たないという現実があるから考慮はするが直接的な要素ではない。
医療行為は医者が独占する権限である。 その上で司法には正当行為という概念がある。
形式的には法律の条文にひっかかるような行いであっても日常生活や業務に必要な正当な理由があるものなら違法行為ではないとする考え方だ。
例えば調子悪いときに「あっ、風邪ひいたかな」という判断を自分でするのも診断という医療行為に該当するし「生姜湯でも飲んで寝よ」ってのも投薬や治療に該当する。 形式的には。
でも常識的に言ってこれを禁じたら自分で病院に行く判断をすることさえ出来ないし、違法なわけないだろ常識的に考えて……ってわけ。
取り締まれるものではないので禁じたところで出来ることがないし。
自分自身を管理するのは当然に日常で必要な正当な行いだとして、じゃあ自分以外についてはどうだろう。
仕事中に同僚がちょっとフラフラしてたら「あれっ、お前なんかおかしくない? 調子悪そうだぞ」と判断して休むことを勧めるのは違法行為か?
まあそんなわけないわな。
ところがこれが全くの他人同士をマッチングして相談するとなると正当な理由があるとは言い難くなってくる。
病気の話を全くしてはならないというわけではないけど医療行為に該当するかどうか、正当行為と言えるかどうかは個々の事情を個別に裁判で判断しないと結論は出ない。
古い時代には知識階級の数は限定的、かつ知識階級以外の人間の知識レベルはかなり低かったということも踏まえる必要がある。
実働する人たちに合理的な理屈を説いて動かすのが難しいんだ。
占いを使って「天意だからやれ」といったほうが効果的だったりするんだよ。
占いはすでに決まっている意思を行き渡らせるためのパフォーマンスに過ぎなかったかもしれないってこと。
まとめ
コーヒーカスはチェイス用だが、コーヒカスで詰められるチェイス距離は1mちょっと=0.25秒
ただしデフォと合わせて0.5秒以上の短縮なので距離感は狂うはず
さらに迅速中に設置・拾いを行うだけでロスが増加する(ベスポジに置いて近くの罠回収はグローブ有利)
チェイス中、設置始めて2秒ちょっと以内に距離を取り出したら直線距離で損をするが、設置自体が2.5秒なのでほぼトントン。隠れて設置はプラスの可能性大
解除増加は1秒ちょっとの増加
設置と解除を繰り返される場合は短縮より増加のほうが時間を稼げるが、移動速度や対4人を考慮すると。
それでも解除されたものは再設置しないといけないので回数は近しくなるし、発電を1秒*解除回数遅延させていると言える。単純な総移動距離を見ても4m以上奪えることになるのは短縮・迅速より多い。
ざっくり効果を得られる回数
コーヒー:設置回数*0.25秒
グローブ:設置回数*0.45秒
デフォ設置加速
迅速 7.5% 5秒
迅速後速度4.6*1.075=4.945
迅速 5% 5秒
迅速後速度4.6*1.125=5.175
増加速度5.175-4.6=0.575
迅速中獲得距離0.575*5=2.875
時間にして0.25秒
設置
0.5
1.5 ←短縮はここだけ
0.5
拾う
1
短縮後時間1.5*0.7=1.05
短縮時間1.5-1.05=0.45
締め具
短縮後時間1.5*0.5=0.75
短縮時間1.5-0.75=0.75
獲得距離4.6*0.75=3.45
解除 3.5
増加時間4.655-3.5=1.155
補助コイル
増加後時間3.5*1.5=5.25
増加時間5.25-3.5=1.75
牛丼店・ハンバーガー店・ファミレスなどの全国チェーンの飲食店に混じって地元チェーン店や個人経営店もある飲食店の激戦地に、新規出店したばかりの店だった。
この『タルタルソースはおかず』という店ができる前にあったのは、立ち食いステーキ店だったか? それとも二度付け禁止の串かつ店だったか? などと思いながら、壮年の男はその店の前に立っていた。
それにしても派手な看板だ。
看板に書かれている謎のインベーダーとロボットはどういう意図なのだろうか。
外壁も看板と同じ色になっていて強烈なインパクトを放っている。
そう思いながら、男はその店に初めて入っていった。
座席配置は牛丼店のようだ。U字型カウンターを中心にテーブル席もある。男は店員の案内にしたがいカウンターに座ってメニューを探した。メニューは座席に無く、壁に貼り付けてあった。
並 | 600円 | (1人前、卵4個) |
大盛 | 800円 | (1.5人前、卵6個) |
特盛 | 1000円 | (2人前、卵8個) |
激盛 | 1300円 | (3人前、卵12個) |
追加タルタル | 300円 | (0.5人前、卵2個) |
この店はタルタルソースと食べ放題のご飯しかないのか? と思ったが、隣にトッピング表があるのを見つけた。
チキンカツ | 250円 |
唐揚げ(1個) | 100円 |
サラダ | 100円 |
みそ汁 | 100円 |
チキンカツや唐揚げはメインのおかずではなく、サラダやみそ汁と並んでトッピング扱いなのか?
男はメニューを見ながら何を注文しようかと考えている間に、カウンターのふたつ隣に遅れて座った客が先に注文した。
「タルタル特盛、以上で」
特盛? タルタルソースは並や大盛では足りないのか? ラーメンや牛丼が並だと物足りないように。俺も並ではなく大盛か特盛を頼むべきなのかと考えながら、男は隣の客を見た。やや小柄な男だが太っていて、ズボンのベルトに腹肉がだらりと乗っていた。そして、ハゲかかった頭頂部は毛髪の隙間から、汗なのか油なのか光を放っている。
いかんいかん。いかにもな大食漢の注文に呑まれるな。タルタルソースのボリューム感がわからないし、口に合うかどうかも分からないのだ。そんな物をたくさん食べる羽目になるリスクは避けなければ。何か、この店で初めて頼むべきメニューはないだろうか、と男は壁をあらためて見たら、おあつらえ向きとも言えるメニューを発見した。
迷ったらコレ!
タルタルソース(0.5人前) | |
ご飯食べ放題 | |
チキンカツ | |
唐揚げ(2個) | |
サラダ | |
みそ汁 |
これだ! 揚げ物をメインとしながらもタルタルソースが付いている。ふつうの店にもありそうな定食的なメニューで無難すぎる気もするがこれでいい。タルタルソースをメインとする尖った店に自ら入っておきながらも、男は店の雰囲気におののいて堅実に初心者向けセットを注文した。
注文を終えて一安心した男は、目の前にある調味料を見た。塩・コショウ・山椒・唐辛子・しょう油に、いろいろな種類のソースがたくさんある。卓上調味料の種類の多さは某牛丼チェーン店以上だ。これらの調味料はタルタルソースに使うのだろうか? そう思いながら男は待っていた。
「お待たせいたしました。タルタルソースの特盛です。よくかき混ぜてお召し上がりください」
店員はそういって隣の客の前にどんぶりを置いた。ここからじゃよく見えないが、あれがタルタルソースなのか? しかし「よくかき混ぜて」とはどういうことか? 混ぜずに提供しているのだろうか。さらに店員はどんぶりに入ったご飯も置いて、
と言って、カウンターの端にある自動ごはん盛り付け機を指し示して厨房へと戻っていった。
隣の客は全身を使って一心不乱にかき混ぜているが、どんぶりの中身はどうなっているのだろうか。男がそう思っている間に頼んでいた初心者向けセットが届いた。
なるほど、ごく普通の定食だ。ご飯・みそ汁・サラダ・揚げ物、ただ一点タルタルソースが異彩を放っていることを除いては。小鉢に入ったそれは、例えるならば居酒屋等でよくある混ぜて作るポテトサラダのようだった。ゆで卵1個・温泉卵1個・キュウリのみじん切り・ラッキョウのみじん切り・マヨネーズが入っていることが見受けられる。
フォークでゆで卵をつぶしながら混ぜるとドロリとしたペースト状になってきた。しかしこれはタルタルソースと言えるのだろうか? タルタルソースと言うより、卵サンドイッチの具材だ。フォークでもすくえるくらいにドロっとしている。
サラダ——キャベツの千切りに申し訳程度のトウモロコシとキュウリが添えられた粗末な代物に、タルタルソースをドロリと乗せて食べてみたが……うまい。思っていたよりも卵の味が濃厚で、そんなに油っぽくない。卵はゆで卵と温泉卵のそれぞれで違った食感を与えてくれる。黄身はマヨネーズと一体化した半熟の黄身と、一体化せずに固ゆでのままの黄身の二種類が感じられる。白身もドロリとした白身と、しっかりと形を保った白身の二種類だ。
タルタルソースのメニュー表で卵の使用個数が丁寧に書いてあったのが気になっていたけれども、まさかゆで卵と温泉卵の二種類だったとは。それならば、タルタルソースの並(1人前)はゆで卵2個に温泉卵2個、大盛(1.5人前)はゆで卵3個に温泉卵3個ということになるのだろう。隣の小太り薄毛が頼んだ特盛(2人前)だと、ゆで卵4個に温泉卵4個の量になるから、小鉢ではなくどんぶりで提供されているのだ。なるほど、この店は卵料理の専門店なのだな。こうして実際に食べてみるとわかる。タルタルソースは調味料なんかじゃなくて、立派な卵料理だ。タルタルソースはまさにおかずなのだ。
タルタルソースを唐揚げに乗せて食べてもうまい、チキンカツに乗せて食べてもうまい。タルタルソースがあまりにも濃厚でうまいので、唐揚げやチキンカツが完全に負けてしまってる。ここでは、タルタルソースと揚げ物の主従関係が逆転している。濃厚なタルタルソースの前には、唐揚げもチキンカツもトッピング扱いなのだ。
揚げ物と一緒にタルタルソースを食べると、キュウリやラッキョウの食感が食欲を増進させるように感じる。キュウリやラッキョウは大きめに刻まれてゴリゴリとした歯ごたえがあり、濃厚な卵に負けず劣らずの主張をしている。キュウリに独特の酸味が感じられるが、もしかしてピクルスも入っているのだろうか?
タルタルソースの濃厚さに心を奪われて男はしばらく気づかなかったが、味が薄い。タルタルソースに入っている塩の量が少ないのでは? そうか、それで卓上調味料が大量に存在しているのだ。そのことに気づいた男はチキンカツにタルタルソースを乗っけてウスターソースをかけて食べる。これだ! 舌上に感じる旨さに恍惚して、後頭部で脳髄が歓喜のあまりに跳ね上がる。思わずご飯を口に掻っ込む。うまい! うまい! 男はタルタルソースをサラダやチキンカツや唐揚げに乗せて思い思いの調味料をかけて食べて、ご飯を消費するのに夢中になった。
気が付くと目の前には唐揚げ1個だけになっていて、他は全て平らげてしまった。ご飯もタルタルソースもなくなっていた。隣の小太り薄毛がどんぶりにご飯を入れて席に戻ってきたのを見て、男は自我を取り戻した。小太り薄毛がどんぶりを手に席に戻るのは初めてではない。おそらく、おかわりは2回目かそれ以上だろう。せっかくのご飯食べ放題なのだから、俺もおかわりをしようと男は思った。しかしながら、1つだけの唐揚げをおかずにご飯を食べるのはむなしい気がする。せっかくならばタルタルソースをおかずにご飯を掻っ込みたい……隣の小太り薄毛のように。小太り薄毛は今まさに、どんぶりのご飯の上に残ったタルタルソースの全て乗っけている。そこにしょう油・山椒、他にもいくつかの卓上調味料を代わる代わる振りかけては、一気に口の中に掻っ込んでいき、食事のラストスパートをかけていた。
俺もだ。俺もそれをやりたい。男は強く願い、思いは言葉となって自然と口から滑り出てきた。
【完】
久々のドラフトだったんだけど今回は勝敗の記録をサボってしまったので戦略日記を書くこととする。
普段は3勝で上々を信条にしてるところだけど、スタートのブロンズ初期(指輪はさぼった)を除いてゴールドになってもわりと5勝以上が多く2、3勝以下の記憶がなかったので個人的にかなり勝ちやすい環境だったと思う。
素人記事に目を通すよりはなにはともなく行弘さんの記事のほうが優先度が高いことは書くまでもない。
https://mtg-jp.com/reading/yukuhirolimited/0037239/
ポイントは2つ
・赤黒ネズミを狩れ
・緑をやれ
だ。
さらに低ランク特有の受身な話で言うと青白タッパーを美味しく頂けば勝利数は増えていくだろう。
とりもなおさず最強アーキといっていいだろう。上手く回ったネズミはまさに最強だ。
しかし自分も何度か挑戦してみたが、やはりネズミは出せてもサポートするカードが引けず負けるような、シナジー依存度が高い印象を受けた。(それでもマルチ一枚で2、3勝出来る力がある)
アグロとシナジーが苦手な自分は数度の経験からよっぽどでない限り赤黒ネズミを避けるようになり、逆にこれ対策を念頭にピックするようになった。
具体的には肉・肉・肉。今回は除去の優先度がかなり低い。普段は飛びつくような除去でも優秀なコモンやアンコのクリーチャーが居ればそちらを優先していて、平均すれば除去採用枚数は1枚をゆうに割っている。
とにかくクリーチャーを立て、全軍突撃に相打ち以上を狙えるように耐える。我慢の試合だ。いかに攻撃を躊躇わせ後ろにずらすかのみを考え、序盤のすれ違いは一切しない。(速攻は少ないので安全なら殴ってもいいが)
クリーチャーの採用基準はネズミ(1/1)を討ち取れるか。なので黒白の231はかなり取りたくない。不気ミントは食物がでるのでまだ…ハツカネズミはタフネス上昇がほぼ自ターンと役に立たない。相打ちが美味しくないという理由で111も取りたくないカードだ。青の204は…わからない…避けるし。
序盤を耐え切り高コストを立てられれば相手の息切れでもじもじしているところをサイズ差で殴り勝てるだろう。
コンバットも、基本的にはネズミトークンの討ち取りを意識する。相手の全軍突撃には常に赤バーランのかじりつく大合唱を意識して、パワー+2を考慮、トークン撃破を優先、ライフに余裕があれば一体だけをブロックなどで、(盤面上の)有利交換をできるだけさせないように動くと良いと感じた。
注意点として、私は今回のトップアンコ、イモデーンの徴募兵を一度しか見なかった。その一度も後半に引いて出来事は打たれたが突撃させず勝てた試合で、自分のピックでも一枚も見なかったりで全然遭遇しなかった。イモデーンの徴募兵無しで赤アグロを語れない気がするが、体験できないものはしかたないのである。
ネズミを意識した結果、今回はほぼ緑がらみのデッキを組むことが本当に多かった。活躍したコモンを挙げよう。
1ターン目を出来事で穴埋め、殴る4ターン目からは実質対生物5/4でブロックされる率がかなり低い。壁にしても高コストと相打ちできる。3マナ以下と相打ちでも食物が残り赤黒の出来事・役割(+1
アップ)に強いデフォパワー3が優秀で非トークンへのブロック要員になる。
何枚あっても嬉しい狼。複数あれば食物の補充ができる。攻防の押し付け感が強く、相手していても出されるとかなり動きづらくなる。
ルートワラ系は普段はそれほど取らないが、出来事と、とにかく1マナ起動が便利だった。
根乗りのフォーン/Rootrider Faun
213マナクリ。
ネズミを倒せる、22を受け止められるマナクリと非常に優秀。それと赤の先制攻撃2/1を止められる2マナは少ないのも見逃せない。今回は2マナ以下に恐いコモンが少ないのでかなり頼れる。
マナクリと見てもいいし、倒すにはジャイグロを切る必要があるので2マナに使わせただけでも全然不味くない。
緑の熊はやんちゃなアウフで協約で11交換かつ協約なしで出すことが圧倒的に多い。と頼りないので、2マナはこれか防衛持ちか他色のものに頼りたい。
新緑の偵騎/Verdant Outrider
342起動で威圧。
ネズミを最低限討ち取れるタフ2、高コストと相打ちできるパワー4と頭でっかちなコモン。
コイツの真価は受けきった後のアタッカーで、今回は役割もあるせいかパワー2が多いので膠着まで持ち込んでからすり抜けて殴り勝つシーンがかなり多かった。パワー4は人が死ぬ数値。
攻め手に回ると虚ろの死体あさりの5/4でパワー4以上を差し出すか低パワー2枚を差し出すかを棒立ちのコイツで悩ませたりで楽しい。
小村の大食い/Hamlet Glutton
766軽減持ち緑ファッティ。
緑のゴール。出せたら相手は動けなくなる…はず。雑にサイズで勝つので書くことがない。
虚ろの死体あさりやタフクッキーあたりの食物をタネに5マナで出したい。意外とピックできないときがあるのが難点。
コモンで欲しいのはこのあたり。出来事の凶暴な人狐も強いしあればとるが、勝利貢献度と対ネズミ視点では上の4枚を意識している。タッチ3色や菓子の復讐の夜があるならランパンも多少あり。逆に一番取りたくない肉コモンは空獣の追跡者で424リーチは出してみてこいつどうすればいいの?と頭を抱えた。
相方の色は白・黒・赤から適当に。肉は緑に頼るので、単純にいいカード、出来事、除去がある色でいい。緑黒アンコやタフクッキーがわりと流れてたので緑黒食物になることが多かった。
青をやる指標は書庫のドラゴンを引けるかどうか。引けたならやってもいいかなというぐらいにはこのドラゴンに勝たせてもらった。3枚流れてくるほどAIも嫌ってるが、青白で6勝いただいたので感謝してる。
今回は空がかなり空いてるし確定除去が黒5マナか白の反応協約ぐらい?前者はward2が刺さるし。占術も助かる。
青は呪われし者などを切るタイミングが難しく(ネズミには刺さらない・システムクリーチャーに無力・低PTには低下値が低いなど赤黒・テンポに弱い)、特に出来事持ちは当事者から入ればよかったとなることも多くプレイ難度がやや高い。しかしPTはそれほど悪くないので、やはりクリーチャーを並べることを優先して考えればやれないことはない。
注意点としては白と組んだとしてもタップアーキには入らないこと。赤黒ネズミが合わない人は白青タップもシナジー依存度が高く合わないかもしれない。
地上を固め、白のコモン飛行とドラゴンでスカスカな空を攻めると勝利数が増える。
フォーゴトンレルムや真夜中の狩りなど一強のような環境では基本、自分もその組み合わせを狙っていたが、今回は肌に合わないこともあってカウンター思考をしてみた結果上手く行った。
エルドレインの森は今のところ理不尽すぎるボムレアを喰らう印象は薄く、コモン・アンコモンと出来事などを合わせたやり取りが主がで楽しい。
おとぎ話もようやくこれぐらいのパワーレベルなら許せるかなという按配で不快感が少なかった。
やはり出来事は楽しく、アンコは多色必須だし当事者から入りたくなるような慎重な調整も伺え、協約も一方的なボーナスではないので常に最良・妥協、アド・テンポを天秤にかけるように悩ましい展開がピック段階からあり、よくできていると感じる。
プラチナまで上げなかった指輪物語のせいで久しぶりのせいかもしれないが、かなり良い出来に仕上がっているのでは?
今後のパック変更の影響が心配だが、これからのドラフト環境にも期待している。絶対取らないようなコモンがなくなると嬉しいなぁ。
う~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ん。。。
並アニメ?
わたくし、音楽アニメ(ぼっちとかけいおん)を嗜まないのでよくわかりませんわ。
この世界では音楽が全てで、ここの生き物というかミュージシャンは音楽のスキルはもとより演奏で観客を魅了して観客からなんかクリスタルパワーを受け取って自分のクリスタルを強化しよう!って話だったと思う。
んで横道だけどこのクリスタルっぽいのが感情と連動してるから濁ったら闇落ちするソウルジェムみたいな演出ね。
音楽上手くなる→演奏で魅せる→クリスタルキラキラー。。。で?
忘れちゃったのかもだけどだからどうしたのと。なんかそこから先が広がらない。
多分戦闘力が上がるんだと思う…。
アニメ作中じゃあこのクリスタルっぽいのは初登場を除いて闇オチと浄化ぐらいにしか使われないのよ。
各バンドも有名になりたい、いい音楽を届けたいみたいな動機で。観客からパワーもらいたい!とかパワー枯渇して死にそう。。。とかもない。
単純に観客の盛り上がりのパロメーターなのか?となるけどそうでもなさそうなの。
これだけ観客の心(クリスタル)を奪った!とかないない。対バンは投票というしごく現実的な数値で決せられる(まあネット投票もあるから現場のクリパワオンリーにはできないだろうけど)
じゃあ戦闘力アップパワー要素だとしたら?この仮説もねー。
モンスターとのバトル展開もありますからね、ピンチに陥ったら演奏を始めて、観客のパワーをもらってパワーアップ!これが俺たちの音楽の力だ!
・・・これもない。なんならバトル展開は異次元につれさらわれてバンドマンだけで展開するから。音楽の力は自分たちだけにかける自己バフだから。
ついでに言うとめちゃくちゃ支持されてるわけでもない知名度低いシンガンクリムゾンズがモンスターを倒しちゃったからマジでクリスタルはガンダムSEEDの種並みに無くてもいい演出。
主人公シアンも悪を倒すために求められてるのは音楽スキルの向上で、バンドの絆とか知名度アップでもないんだよね。
致命的なのが最終回。ラスボスをどうやって倒すのかと思ったらシアンが覚悟きめたら衣装が変わって弦を弓に見立ててキューピッドアローシュート!
っておい!
それはないでしょ。音楽の力0かよ!
あの世界は、音楽世界は、知名度やバンド人気は副産物。演奏スキルのあとからついてくるものなのでしょう。きっと。弱肉強食やね。
それとそもそもの音楽演出についても、尺がないとはいえ数十秒の演奏シーンでバンドの魅力を紹介・あるものとするのは厳しく感じた。
と聞かれたらシンガンクリムゾンズとこたえるでしょう。
主人公たちと所属が同じで、最初はガールズバンド以外に女性向けのこういうバンドもありますよー的なモブキャラたちだと思っていました。
しかししかし各キャラ非常にキャラが濃く、メンバー間の関係性もすっかり出来上がっている。鉄板の流れが複数あり、さらにドラムのロムはスター性抜群のシュウ☆ゾーとなにか因縁が…。
と盛られに盛られまくっている。12話という単話数のなかでシンガンクリムゾンズにそんなに尺を使うのか!?とびっくりした。面白いからOKなんだけどさ。
画風がパロディで変わる演出とかも多用されて、製作の愛といいますか優遇されてるといいますか。バンドメンバーでダークモンスターを倒す展開も本来は主人公たちがやる話だったし主人公メンバーが闇オチ脱退する前にシンガンクリムゾンズが先に同じく闇オチ脱退する話をしちゃったから薄まっちゃうよね。
とかなーり主役を差し置いて前面に出ていた彼ら。サンリオのメインターゲット層を考えればガールズバンドはアニオタを釣る撒餌で本命の主顧客には彼らをお出ししたかったのだろうか。男性にも受けるだろうし再度言うけど面白かったからOKなんだけどさ。
そんなシンガンクリムゾンズのあおりを受けに受けた我らが主人公シアンが所属するプラスマジカ。
オフのシーンがほとんどなくて、大体のシーンが上手くなってるのか(音的に)わからないバンド練習の場面ばっかり。
シンガンクリムゾンズはラーメン食べにいったりしてるし(食事シーンや就寝前の話し合いとかはあるけど)、そういう休日に街に遊びに行く4人ないし二人のシーンとか入れてくれないとキャラ間の掘り下げができない。
どうしても社長に集められた4人の職業的バンドのイメージがある。初期はそれでいいけどそれは打破して打ち解けるためにある壁なのに、なんか練習シーンだけでどんどん仲が良くなっていって感情がついていかない。(レトリー回はその仲良くなるための話だったのだろうけどそれだけ?)
シアンに一目ぼれしたレトリーはともかく、同じく隠し事してるモアや踏み台のつもりが情が移っていくチュチュはもうちょっと丁寧に描写してほしかった。
チュチュなんて天才が加入したバンドのまとめ役としてリーダー張ってたまあまあの才能な初期キャラ。きっと主人公の才能の輝きとそれでも(天才はおっとりor引っ込み思案な性格だから)リーダー・ひっぱり役しないといけない苦悩で鬱屈していくっつー初登場からなんとなく見えてるシナリオじゃん?
それが前述したけど闇落ちがシンガンクリムゾンズにさき越されるわ、その展開も一話と前話ラストちょっとで済まされるわ、扱いも闇オチして抜けます宣言→メンバーの演奏と言葉で浄化となんの盛り上がりもなくその場で一瞬で解決する始末。あんまりだよっ!あげくラスボスからもチュチュを堕としたのは余興あつかい宣言されるしよぉ。
バンドとしてもライブ数が少ない。対バン2回にシアンが突然抜けたフェスは…3人でやったんか?それとラストの大フェスか。
まともなのは対バン2回で、最初と終盤だからその中間は(実績無しと審査されるぐらい)なにもないんだわよ。
ライブの喜びや観客との関係性とかが薄い。それでいて繰り返される練習部屋のシーンでメキメキ腕前は上昇しているらしい。
正直、なんで居るの?シアンの音楽スキル上げるだけならソロデビューでもプラスマジカ以外でもいいでしょこれ。
チュチュが踏み台扱いしてましたって白状しても視聴者の自分だってそう思うよ。アニメで登場した全バンドで一番メンバーの関係性が薄いのがプラズマジカだと思う。シュウ☆ゾーにくっついてるだけのツインズとどっこいどっこいよ。
シアンの秘密を打ち明けたメンバー結束の合宿回も正直、シンガンクリムゾンズに取られて印象薄い。あの話でそこまで劇的に進展したかなぁ。そう感じなかった自分が変でそれ以降のずれの原因かなぁ。
最終的にシアンがシュウ☆ゾーとダル太夫並の実力になれたのかもよくわからなかったし。
最終的には(キングを除いて)トップの実力を持つシアンとシュウ☆ゾーとダル太夫を組ませて音楽世界を音楽の力で支配する
そのために三人はダークモンスターや自分で襲う?成功してたらのち洗脳か。(キングの新曲を使う?)
アニメだから話に区切りは必要だけどイマイチ何がしたかったんだって話よな。
ラストは作らせた新曲と主人公たちとの音楽バトルになるかと思ったらまさかのラスボスの物理襲撃。対して主人公たちはとくに音楽の力もなく撃退。
最初からラスボスは誰か経営陣はわかってたけど野望を打ち砕くにはフェスで音楽で勝負だー!となってたわりには音楽要素が薄くてですね。
ボスも序中盤まごまごしてたのは新曲待ちかなと思ったらそうでもなくて、そもそもなんでキングは新曲上梓しちゃったんだよってのも謎で。
まあシアンがリアル世界からこっちに来るためだけの舞台装置だったなという所に評価は落ち着いた。別に田舎出身でひたすらフェストップを狙う話でもよかった気もする。
あれだね、音楽世界、音楽生命体って設定がひたすらふわっふわしてたのが悪いわ。世界の描写が足り無すぎてそれがボスの野望にまで悪影響でてるわ。
この世界の住人ミューモンはケモミミ形態からSDのサンリオ系二等身になれる(ただしくはテンションが上がると頭身が伸び擬人化するらしい)んだけど、演奏中や戦闘中のSD状態は3Dで描かれるんだよね。
SD形態も可愛いし口がなくなるから演奏形態なのに口パク不要と省力化できてほかに力を入れるかな~と思ってた。
ん~しかし目を惹くほどすばらしい映像はなかったかな。達磨は好きなんだけど。製作はボンズじゃなくてStudioGOONEYSってところらしい。SDキャラはよかったよ。EDも好きだし。んーまあ、TVアニメならあんなものか。こっちが意気込みすぎた自覚はあります。しかし戦闘中が観客とかもいなくてとても寂しいんだよね。華やかな世界なのに3Dであの寂しい風景になっちゃうのはねー。対比にはなってるけど省エネイメージ。まあディバインディングドライバーと捉えることにしよう。
あざといのに負けた。最初は引っ込み思案の主人公のバンドに同系統のコミュ障を入れるの!?とびっくりしたけどいきなり一目ぼれしだして脳を焼かれた。
プラズマジカの日常シーンを増やせという要請はレトシアのためにある。
ただし!水着シーンで胸を盛りすぎたのはゆるせねー!もっと平らいはずだろうがよぉ!
結構期待値高めて視聴したものの、さほど振るわなかったなぁ。6話までじっくりやって、後半はっちゃけていく可能性を(マイメロとかから)考えてたけど、しごく全うに進行してしまった。1クールで複数バンドを顔見せさせて、各サブバンドも主要キャラ1人に絞ってキャラ立たせて、としても忙しかった。そのわりにシンガンクリムゾンズが尺をとって…。と各話は悪くないものの1クール通しての構成は甘い気がした。(ウワサノペタルズもこれ書きながら調べて初めて知ったけど前提知識無しだと知らん田舎のモブに時間食われただけで邪魔でしかなかったし)
世界やキャラの魅力もだいたい底打ちしたか、続きを見たいとは今のところ思わない。
全編3Dで動くアニメならちょっとみたいかも…?ケモナーには物足りないかもしれない。余談だけどOPのラストカットは巨女っぽく感じる。需要ありそう。
なんだろ、アプリ知ってる人向けのアニメだったかな。無勉強で入るのはもったいない作品だと思うから、予習をオススメします。そういった意味でも自分はスマホゲーしないから2期以降はやっぱなしかな。
モンハンNOWのマルチでは、大型モンスターのHPが入室時の人数で変更される
2人だと1.5倍、3人だと2倍強、4人だと3倍になる
つまり「その強さのモンスターを倒せなさそうなハンターランク(HR)の人」が1人混じってるだけで、他の人の負担は明らかに増す
ソロでその星のモンスターを瞬殺できる装備持ちでもない限り、HRが低い人がいると「怪我でもしたら損だからやめとくか…」とか「75秒で倒せる自信ない…」ってなりがち
ホストのHRに見合った星ならなんも思われないので(星2かよwwwって入ってHR18が1人だけいたらおkwwwwってなる)、自分からマルチ募集掛けるといいよ
ヘッドスライディングって走るより速いんですか? 元プロ野球選手に聞きました | となりのカインズさん
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/magazine.cainz.com/article/164673
zxcvdayo 各所で測定して検証されて10年以上前にとっくに決着ついてるのに何故か桑田がいろんなとこで遅いって言い張ってただけの話だからなこれ……
桑田がヘッドスライディング否定派なのは危険性が理由であって駆け抜けるより早いことは認めている
番組が走塁を検証したところ、ベースを駆け抜けるより、ヘッドスライディングをした方が、4人中3人が一塁へと早く到達している。
「昔はビデオやテレビを超スローとかで見れなかったので、イメージだけで伝えてこられたんですよね」と前置きしつつ、
「身体ができあがったプロ野球選手はやってもいいし、好きにすればいいんです。ビジネスですからね。
でも、成長期にある子供達は毎年骨や関節が伸びてますよね。その段階でヘッドスライディングをすると、脱臼や骨折や突き指をするんです。
https://news.livedoor.com/article/detail/5021738/
kyorecoba 福本豊「そら、頭から行った方が早いで。けどな…、ケガするからココというときだけにしとき」と野球教室で教わった。
福本はヘッドスライディングするより駆け抜ける方が早いと主張している
1塁は走り抜けた方が速いに決まっとるでしょうが。100メートル走で、ウサイン・ボルトがヘッドスライディングでゴールするか? 走り抜けとるがな。仮にヘッスラの方が速ければ、1人ぐらいゴールで頭から突っ込んでもおかしくない。
タッチが不要で、ランナーも走り抜けられる一塁では、トップスピードの状態で走り抜けた方が速い。なんでわざわざグラウンドと摩擦を生む必要があるのか。
https://www.news-postseven.com/archives/20130912_210429.html
thongirl 日頃から理系であることを自負しているはてブ民が、ニュートンの第1法則に準じない理論を支持するのは甚だ滑稽ではある
ヘッドスライディングの方が早いと主張する人たちはヘッドスライディングをすることで(普通に駆け抜けるより)加速できると言っているわけではない
前々から冷蔵庫の結露が酷かったが、引っ越し後新居で使い始めてから輪をかけてひどくなった。野菜室の奥が、常に水浸しの状態に。
引っ越しの搬入でなにかおかしくなったのかと思い、訪問修理に来てもらった。
「使い方がほとんどの原因だと思いますね。ちょっと今最悪な感じです」
と一蹴。そして正しい使い方を伝授され、実践したところピタッと結露が収まった。修理屋さん来てもらってしまってすみませんでした。
冷蔵庫の結露は密閉が保たれていないことにより、空気中の水分が凝縮することで起こる。この「密閉」が、目で見て思うよりも全然保たれていなかったのだ。
冷蔵庫の結露が気になっている人がいたら、修理の依頼をする前に下記を試してほしい。
ちょっとはみ出しているくらいが一番良くない。あんまりせり出しているとドア自体閉まらなくなるのでその状態で放置はできないが、ちょっとはみ出ていて、ドアポケットのものと少し触れているけど目で見てドアは閉まっているから大丈夫という使い方をしている人はいるんじゃないだろうか。実はこのときに、目に見えないレベルでドアが微妙に開いて、密閉が保たれなくなる可能性があるのだ。
実は、引越したあとに100均のプラスチックケースを整頓のために庫内に導入し、それらが見事に棚板より前にせり出していたのだ。それで引越し後に結露がひどくなったわけだ。引っ越し屋さん疑ってすみませんでした。
ドアポケットにパックの牛乳など背の高いものを入れている場合、前後に分かれているなら後ろへ(前だと本体側の物を押してしまう可能性)。ちなみにドアポケットの前につけるチューブ調味料ホルダーみたいなのも良くない。とにかくメーカー規定の収納限界を守ること。
上の段が持ち上がるような詰め込み方はNG。また、食品を容れているビニール袋の端がはみ出しがち。くるくる巻いて、結び目側を下にしてしまうとよい。
冷蔵庫が結露するとパッキンに黒カビが発生することがある。それを放置しているとパッキンの性能も落ち、更に結露が起きやすくなって悪循環となる。
修理屋さんは穏やかに説明してくれたが、内心「またこの手の客かよ…」と呆れていたかもしれない。説明書を読めばこの辺の注意事項はあらかた書いてあるのだろうが、本当に食品を痛めるし電気代ももったいない使い方をしたと反省している(猛暑越しちゃったよ…)。
※せっかくなのでいろんな言語の「残業」をGoogle翻訳で調べてみました。原文のあとに続きます。
「イタリア人は細かい時間はあまり気にしない。家に招かれたときはむしろ約束の時間より遅れていくのが普通。唯一必ず守るのは終業時間」
と語られていて笑った。
ところでイタリア語で「残業」はなんというんだろうとGoogle翻訳にかけたところ、
「laboro straordinario」
と出た。laboroは英語で言うlabor(労働)だが、straordinarioはextraordinaryに当たり、「臨時の、特別の」という意味らしい。
イタリア語では、残業は「臨時の労働」なのだ。「残っている仕事」ではなく、「特別に行う仕事」なのだ。
ちなみにstraordinarioには「異常な」という意味もある…
言葉が人の行動に及ぼしている影響は、思っているより大きいんじゃないだろうか。
明日から私も「今日は1時間臨時で特別に労働します」と言ってみたい。
Google翻訳+αで素人が訳しただけなので、ツッコミあればお願いします。
言語 | 表現 | 直訳 |
---|---|---|
日本語 | 残業 | 残っている仕事 |
イタリア語 | laboro straordinario | 臨時の/特別な労働 |
英語 | overtime | 超過勤務 |
ドイツ語 | Überstunden | 超過勤務 |
フランス語 | heures supplémentaires | 超過勤務 |
中国語 | 加班 | 勤務時間を増やす |
韓国語 | 야근 | 夜勤 |
韓国語以外はみな時間を表す言葉が入っていて、仕事ではなく時間に重きを置いているのが印象的だ(イタリア語にも、副詞的に用いる「col tempo(時間を超過して)」という残業の表現がある)。
韓国語では一般的に야근(「夜勤」の漢字からの言葉)を夜勤でない日勤の残業の意味で使うらしい。잔업(「残業」の漢字からの言葉)も使うこともあるが、主に生産職などノルマがある仕事での言葉らしい。
なるほど、明確なノルマもないのに「残業」はおかしいのか(納得)。
日本語にも「時間外労働」などの言葉もあるので、不健全さが際立つ「残業」よりも、そちらを使っていこうと思った。一体何の外なんだ未だ労働時間の中だぞとは言いたいが。
wifiやネットワークの仕組みを知らない人間がひーこら戦った…疲れた
モデム?
デスクトップとwifiルーターそれぞれに有線LANが繋げれている
モデムと有線で繋いだデスクトップPCはインターネットに繋げられるので、このモデムは「ルーター機能付きモデム」?と考えている
かなーり昔にwifiルーターをデフォルトの設定から変更したはず。
たしか当時、steamのリモート画面ソフトが出てスマホからPCをリモートしてゲームが出来るアプリをインストールした。
しかし、スマホからデスクトップPCを検出できず、いろいろ調べまわった。
結果、wifiとモデムでは別ネットワークになっているらしく?お互いを身内と認識できない状態だと認識した。
モデム(192.168.1.1)
しかもwifiルーターからモデムに繋がっているということは、2.1から外部へ行くのに1.1を経由する必要があるということで、いわゆる「2重ルーター」?状態という構成っぽくて、これは速度的によろしくないという解説だった。
そのため、wifiルーターの管理画面に接続し、動作モードを「APモード」に変更した。
これはwifiルーターのルーター機能を使わず、モデムの無線機能として振舞うことでwifi接続機器が同一ネットワーク(192.168.1.1)で動く(モデムのルーターを使う)アクセスポイントになるモードのようだった。
APモードに変更した結果、スマホからデスクトップPCを認識してリモートデスクトップが出来るようになった。(あまり使わなかったけど)
古いスマホであるし普段、遅い公衆wifiしか使っていなかったので速度を問題視していなかった(我慢できる範疇)だったが、このたびミニPCを買ってみてwifi運用してみることにした。
しかしネットサーフィンも厳しいぐらい速度が遅く、接続も不安定だった。
スピードテストを行ってみると、wifiPCで3Mbps、スマホで1Mbpsだった。
スマホをwifiルーターの真横に置いてもこの速度だったため、再度設定をみなおすことにした。
(有線デスクトップPCでは300Mbpsは出るし一応100~72Mbps程度は規格上の上限として目指せそうと考えると、流石に遅すぎると考えた)
いろいろ試したが効果はなく、最後にwifiルーターの動作モードをルーターモードに変更してみた。今までの知識では無駄な動作や2重ルーター問題など多分に増える結果、速度は今以上に落ちるはずだと考えていた。
スマホからデスクトップリモートデスクトップが行えないことは我慢できる。
しかし恐らく、無線接続したミニPCとデスクトップPCとの間でのファイル共有はできない…と思われる。
192.168.1と2で別ネットワークのためお互いが見つけられないはずだ。
これを解決するにはデスクトップPCもモデムではなくwifiルーター側に有線して192.168.2のネットワークに属すれば良いと愚考する。
するとモデムの192.168.1がさっぱり空洞化するし、さすがにその場合はデスクトップPCの速度が落ちそうだ。
構成が気持ち悪いのでやっぱりwifiルーターはAPモードで動作させ、かつwifiの速度がルーターモード並みに改善すればいいのだが…これ以上設定を弄れる項目もなさそうで手詰まりの状態である。
APモードのときはモデムに有線接続したデスクトップPCから192.168.1.X(おそらくDHCPで割り振られたwifiルーターのアドレス)に繋ぐことで設定画面へアクセスできた。
ルーターモードのときは192.168.2.1固定となるが、モデムに有線接続したデスクトップPCやwifi接続したスマホからはアクセスできないようだ。
モデムとデスクトップPCを繋ぐLANケーブルをモデムからwifiルーターに接続するように変更し、IPを192.168.2.100などとしてからでないと192.168.2.1の設定画面にアクセスできる模様。
幸いにも手が届く範囲にモデム類を置いてあったが、操作が億劫な場所に安置するとなかなか面倒な作業になる。
なぜスマホ、無線からだとダメなのかと考えると、悪用防止のためだろうか?
しかしwifiと設定画面両方、いや仮に公衆なら設定画面だけか。ID/パスワード認証を突破しないといけないのだからwifi接続からアクセスできても楽な気がする。
承前:https://anond.hatelabo.jp/20230916001142
前回の記事の反響の中で、「エンタルピーについても解説して欲しい」というご意見を複数いただいた。
エンタルピーはエントロピーと同じく熱力学・統計力学に登場する概念で、名前の紛らわしさもあってか、初学者がしばしば「分からない」と口にする用語の一つである。
だが、実は、エンタルピーの難しさはせいぜい「名前が紛らわしい」くらいのもので、エントロピーと比べてもずっと易しい。
本記事では、「エンタルピーがエントロピーとどのように関連するのか」というところまでをまとめておきたい。前回の記事よりも数式がやや多くなってしまうが、それほど高度な数学的概念を用いることはないので安心して欲しい。
まずは、円筒形のコップのような容器に入っている物質を考えて欲しい。
容器の内側底面の面積をAとし、物質は高さLのところまで入っているとしよう。物質の表面には大気からの圧力Pがかかっており、物質のもつエネルギーはUであるとする。
この容器内の物質に、外から熱Qを与えると、物質が膨張し、高さが⊿L高くなったとしよう。このとき、物質がもつエネルギーはどれだけ増加しただろうか?
熱をQ与えたのだからQ増加したのか、と言えばそうではない。物質が膨張するとき、大気を押し上げる際に物質はエネルギーを消費するからである。このエネルギーはそのまま大気が受け取る。
力を加えて物体を動かしたとき、物体には、力と移動距離の積に等しいエネルギー(仕事)が与えられる。
物質に与えられた熱Qは、物質がした仕事Wの分だけ大気に移り、残った分が物質のエネルギーの増加分となるから
⊿U = Q - W
いま、物質が大気に加えた力は F = PA であるから、物質がした仕事は W = F⊿L = PA⊿L となる。
物質の体積は V = AL であり、その増加量は ⊿V = A⊿L であるから、仕事の式は W = P⊿Vと書き直せる。従って
Q = ⊿U + P⊿V
とすることができる。
さて、ここで
H = U + PV
この状態量の変化量は
⊿H = ⊿U + (P + ⊿P)(V + ⊿V) - PV
≒ ⊿U + P⊿V + V⊿P
⊿H = ⊿U + P⊿V
とすることができる。
これは先程のQと同じ値である。つまり、圧力一定の条件では、物体が受け取った熱は単純に状態量Hの増加分としてしまってよい。この状態量Hが「エンタルピー」である。
既にお分かりと思うが、この「エンタルピー」は「エントロピー」とは全く異なる状態量である。
だが、熱力学においては、この二つはしばしばセットで登場するのである。それは、前回記事の最後に述べた「エントロピー増大の法則」と関係がある。
しかし、それについて述べる前に、エントロピーについて一つ補足をしておきたい。
前回記事では、エントロピー変化と温度の関係を「エネルギーのみが変化する場合」について考えた。
エンタルピーとの関係を考えるにあたっては、体積が変化する場合についても検討しておく必要がある。
そこで、「エネルギーと体積が変化するが、物質量は不変」という場合を考えよう。
(ここで、「物質量が不変」とは、物体を構成する各成分の物質量がそれぞれ全て不変、という意味である。すなわち、化学反応や相転移などが何も起こらないような変化を考えている。)
この場合には、エントロピーと絶対温度の関係はどうなるのだろうか?
結論を先に言えば、「物質が外にした仕事」に関係なく、エントロピーを一定量増加させるために要する「熱量」で絶対温度が決まるのである。
仕事の分だけエネルギーが流出するにも関わらず、なぜそうなるのだろうか?
体積の増加によって物質の構成分子の配置パターンが増加し、その分エントロピーも増加するのだ。この増加分が、エネルギーの流出によるエントロピーの減少分をちょうど補うのである。
このことをきちんと示すには、体積一定の物体A(エントロピーSa)と、体積が変化するがAに対しては仕事をしないような物体B(エントロピーSb)を考えればよい(どちらも物質量は不変とする)。
両者を接触させ、絶対温度がどちらもTになったとしよう。このとき、AからBへ流れる熱とBからAへ流れる熱が等しく、巨視的には熱が移動しない「熱平衡」という状態になっている。
このとき、AからBに移動するわずかな熱をqとする。物体Aは体積一定なので、T = ⊿E/⊿S が適用できる。すなわち
T = -q/⊿Sa
となる。
熱平衡はエントロピー最大の状態であるから、微小な熱移動によって全体のエントロピーは増加しない。また、エントロピーは自然に減少もしないので、
である。
としてよいことになるのである。
(この論法がよく分からない読者は、Aのエネルギー Ea を横軸に、全エントロピー Sa + Sb を縦軸にとった凸型のグラフを描いて考えてみて欲しい。エントロピー最大の点での接線を考えれば、ここで述べている内容が理解できると思う。)
では本題の、「エントロピーとエンタルピーの関係式」を見ていこう。
ビーカーのような容器に入った物質Xと、その周囲の外環境Yを考える。
Xは何らかの化学変化を起こすが、Yは物質量不変とする。X,YのエントロピーをそれぞれSx,Sy、エンタルピーをそれぞれHx,Hyと定める。X,Yの圧力はP、絶対温度はTで一定とする。
Xが化学反応を起こして熱Qを放出したならば、エンタルピー変化はそれぞれ
⊿Hx = -Q , ⊿Hy = Q
となるであろう。
一方、Yについては物質量不変より
T = Q/⊿Sy
であるので、
⊿Sy = Q/T = -⊿Hx/T
と表せる。
⊿Sx + ⊿Sy ≧ 0
は
T⊿Sx ≧ ⊿Hx
と書き直すことができる。これが最初に述べた「エントロピーとエンタルピーの関係式」である。
「エントロピー増大の法則」をこのように書き直すことにより、「自発的な変化が起こるかどうか」を「物質自身の状態量の変化」のみで考えることができるのである。これが、エンタルピーがエントロピーとセットでよく出てくる理由である。
導出過程を見直せばすぐに分かるが、エンタルピー変化は「物質が放出した熱による外環境のエントロピー変化」を表すために用いられているに過ぎない。
本質的には、「自発的に反応が進行するかどうか」はエントロピーによって、すなわち、微視的状態のパターン数の増減に基づく確率によって決まっているのである。
「エントロピー」という概念がよくわかりません。 - Mond
https://mond.how/ja/topics/25cvmio3xol00zd/t242v2yde410hdy
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mond.how/ja/topics/25cvmio3xol00zd/t242v2yde410hdy
「エントロピー」は名前自体は比較的よく知られているものの、「何を意味しているのか今一つ分からない」という人の多い概念である。その理由の一つは、きちんと理解するためには一定レベルの数学的概念(特に、微積分と対数)の理解が必要とされるからであろう。これらを避けて説明しようとしても、「結局何を言いたいのかすっきりしない」という印象になってしまいやすい。
「エントロピー」を理解し難いものにしているもう一つの理由は、「エントロピー」という概念が生まれた歴史的経緯だと思われる。
エントロピーが提唱された時代は、物質を構成する「原子」や「分子」の存在がまだ十分に立証されておらず、それらの存在を疑う物理学者も少なくなかった。エントロピーの提唱者クラウジウスは、「原子や分子の存在を前提しなくても支障がないように」熱力学の理論を構築し、現象の可逆性と不可逆性の考察から「エントロピー」という量を発見し、非常に巧妙な手法で定義づけたのである。
その手法は実にエレガントで、筆者はクラウジウスの天才性を感じずにはいられない。だが、その反面、熱力学における「エントロピー」概念は簡単にイメージしづらい、初学者には敷居の高いものとなってしまったのだ。
その後、ボルツマンが分子の存在を前提とした(よりイメージしやすい)形で「エントロピー」を表現し直したのだが、分子の存在を認めない物理学者達との間で論争となった。その論争は、アインシュタインがブラウン運動の理論を確立して、分子の実在が立証されるまで続いたのである。
現代では、原子や分子の存在を疑う人はまず居ないため、ボルツマンによる表現を心置きなく「エントロピーの定義」として採用することができる。それは次のようなものである。
例えば、容積が変わらない箱に入れられた、何らかの物質を考えて欲しい。
箱の中の物質の「体積」や「圧力」「物質量」などは具体的に測定することができる。また、箱の中の物質の「全エネルギー」は測定は難しいが、ある決まった値をとっているものと考えることができる。
ここに、全く同じ箱をもう一つ用意し、全く同じ物質を同じ量入れて、圧力や全エネルギーも等しい状態にするとしよう。このとき、二つの箱の「巨視的状態」は同じである。では、内部の状態は「完全に」同じだろうか?
そうではあるまい。箱の中の物質の構成分子の、それぞれの位置や運動状態は完全に同じにはならない。これらの「分子の状態」は刻一刻と変化し、膨大なパターンをとりうるだろう。
このような分子レベルの位置や運動状態のことを「微視的状態」と呼ぶ。
「微視的状態」のパターンの個数(場合の数)はあまりに多いので、普通に数えたのでは数値として表現するのも難しい。そこで「対数」を用いる。
例えば、巨視的状態Aがとりうる微視的状態の数を1000通り、巨視的状態Bがとりうる微視的状態の数を10000通りとする。このとき、Aの「パターンの多さ」を3、Bの「パターンの多さ」を4、というように、桁数をとったものを考えるのである。
この考え方には、単に「とてつもなく大きな数を表現するための便宜的手法」という以上の意味がある。
先の例では、AとBを合わせた微視的状態の数は1000×10000=10000000通りであるが、「パターンの多さ」は7となり、両者それぞれの「パターンの多さ」の和になるのである。
「微視的状態のパターンの個数」をΩ通りとしたとき、エントロピーSは次のように表現できる。
S = k*logΩ
(ただし、kはボルツマン定数と呼ばれる定数であり、対数logは常用対数ではなく自然対数を用いる。)
この「エントロピー」は、同じ巨視的状態に対して同じ数値をとるものであるから、「体積」や「圧力」などと同じく「状態量」の一つである。
このような「目に見えない状態量」を考えることに、どのような意味があるのだろうか?
その疑問に答えるには、エントロピーとエネルギーの関係について考える必要がある。
再び箱に入った物質を考えよう。この箱に熱を加え、箱内の物質のエネルギーを増加させると、エントロピーはどうなるだろうか?
まず、総エネルギーが増加することにより、各分子に対する「エネルギーの分配パターン」が増える。さらに、個々の分子の平均エネルギーが増えた分、可能な運動パターンも増える。このため、エネルギーが増えるとエントロピーは増加すると考えていいだろう。
では、エントロピーの「上がり方」はどうか?
エントロピーは微視的状態パターンの「桁数」(対数をとった値)であるから、エネルギーを継続的に与え続けた場合、エントロピーの増加の仕方はだんだん緩やかになっていくだろうと考えられる。
ここで、多くのエネルギーを与えた「熱い物質A」の入った箱と、少量のエネルギーしか与えていない「冷たい物質B」の入った箱を用意しよう。箱同士を接触させることで熱のやりとりが可能であるものとする。
物質Aには、熱を与えてもエントロピーがさほど増加しない(同様に、熱を奪ってもエントロピーがさほど減少しない)。言いかえると、エントロピーを一定量増加させるのに多くのエネルギーを要する。
物質Bは、熱を与えるとエントロピーが大きく増加する(同様に、熱を奪うとエントロピーが大きく減少する)。つまり、エントロピーを一定量増加させるのに必要なエネルギーが少ない。
箱を接触させたとき、AからBに熱が流入したとしよう。Aのエントロピーは下がり、Bのエントロピーは上がるが、「Aのエントロピー減少分」より「Bのエントロピー増加分」の方が多くなるので、全体のエントロピーは増加するだろう。
もし、逆にBからAに熱が流入したとするとどうか? Aのエントロピーは上がり、Bのエントロピーは下がるが、「Aのエントロピー増加分」より「Bのエントロピー減少分」の方が多いので、全体のエントロピーは減少することになる。
エントロピーが多いとは、微視的状態パターンが多いということである。従って、「AからBに熱が流入した」状態パターンと、「BからAに熱が流入した」状態パターンとでは、前者のパターンの方が圧倒的に多い(エントロピーは微視的状態パターン数の対数なので、エントロピーの数値のわずかな差でも、微視的状態パターン数の違いは何十桁・何百桁にもなる)。これは、前者の方が「起こる確率が圧倒的に高い」ということを意味している。
これが、「熱は熱い物体から冷たい物体に移動する」という現象の、分子論的な理解である。
冷たい物体から熱い物体へ熱が移動する確率は0ではないが、無視できるほど小さいのである。
物体が「熱い」ほど、先程の「エントロピーを一定量増加させるのに必要なエネルギー」が多いといえる。そこで、この量を「絶対温度」Tとして定義する。
エントロピーの定義のときに出て来た「ボルツマン定数」kは、このTの温度目盛が、我々が普段使っているセルシウス温度(℃)の目盛と一致するように定められている。
さて、ここで用いた「エントロピーが減少するような変化は、そうなる確率が非常に低いので現実的にはほぼ起こらない」という論法は、2物体間の熱のやりとりだけでなく、自然界のあらゆる現象に適用することができる。
すなわち、「自然な(自発的な)変化ではエントロピーは常に増加する」と言うことができる。これが「エントロピー増大の法則」である。
ただし、外部との熱のやりとりがある場合は、そこまで含めて考える必要がある。
例えば、冷蔵庫にプリンを入れておくと、プリンの温度は「自然に」下がってエントロピーは減少する。
しかし、冷蔵庫が内部の熱を外部に排出し、さらに冷蔵庫自身も電気エネルギーを熱に変えながら動いているため、冷蔵庫の外の空気のエントロピーは内部の減少分以上に増加しており、そこまで含めた全体のエントロピーは増加しているのである。
最初に、「エントロピーの理解には微積分と対数の理解が必要」であると述べたが、なるべくそうした数学的概念に馴染みがなくても読み進められるようにエントロピーの初歩的な話をまとめてみた。如何だったであろうか。
筆者は熱力学・統計力学の専門家でもなんでもないので、間違ったことを書いている可能性もある。誤りがあればご指摘いただけると幸いである。
クラウジウスによる「原子・分子の存在を前提としない」エントロピーの定義については、筆者よりはるかに優秀な多くの方が解説記事を書かれているが、中でも「EMANの熱力学」https://eman-physics.net/thermo/contents.html が個人的にはおすすめである。興味ある方はご参照いただきたい。