「ニヒリズム」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ニヒリズムとは

2021-11-18

anond:20211118232150

これってめんどくさい哲学問答に付き合えって話だったの?

価値基準をどこに置くかってだけで、つまり公理を与えれば現実世界法益と害の論理的立証はできるでしょ

法的でも倫理的でも宗教的でも、功利的でもカント的でもコミュニタリアン的でも同じ

観念論ニヒリズムなのは知らんからパス

2021-11-02

京王線

京王線事件について、友人と話す。主軸となったのは、犯人の浅はかさ、愚かさ、事件の怖さ。私も鬱になる前は「そちら側」の人間だっただろう。鬱を経験して、線路からドロップして、シンパシーを覚える「側」が変わった。あなたわたしこちら側。みんな仲良くニヒリズムに沈もうね。

2021-07-30

追記】またブクマカ達が負けて、ガースー自民党が勝ちそう

感染者数4000人だけれども、報道ステーションモーニングショーでさえ五輪で掌握されているし、別にオリンピックがなかろうと都民はそんなに危機感はないよ。

はてなー神経症傾向が強い人が多いから騒いでいるけど、毎日6万とかそれぐらいの数字が出て、各種の入試が中止になったり交通機関が停止するレベルでないと、都民危機感を持たないよ。

実際に感染症の死者数は最近毎日東京では数人程度にまで減少しているしね。「これからどんどん増えていく」ってのも、今の感染者の主体ほとんど死なない20代が中心だし、毎日100万のワクチンで当てが外れそうだしさ。去年から今までの日本コロナの死者数も15000人程度っていうのもインパクトがない。1年間に風呂場のヒートショック現象で死んでいる老人の数が14000人程度だから。ちなみに交通事故で死んでいる人は4500人程度。

で、ガースーは選挙に勝つために、「自民党当選したらまた10万配ります」で再選。このあたりはそんなことで当選できた地方自治体がたくさんあったこからも、そうするだろう。もちろん、地方自治体と違って国であるので、当選後に払えないことはなく国債を利用する。立憲は緊縮路線から、「20万配ります」とかできんわな。

ガースー勝利ブクマカ達がまた「日本終わった」の大合唱ぶっちゃけ、終わっていることは何年の前の安倍ちゃんのころからわかっていたし、その右腕のガースーが総理する時点でわかっていたのだからブクマカ達はとっくに北欧とかそのあたりに移住していて「まだ日本で消耗しているの?」っていうようなブコメが並ぶかと思っていたから、ブクマカも終わってんなーって思うよ。

追記

なんで1週間ぐらい前に投稿たこれが今になってブクマつけられているんだよ笑

たぶん非公開3ブクマ勢がやったんだと思うんだけど、なら投稿した日にブクマつけてくれや。相手にされていないから別の投稿↓で「まだ日本で消耗しているの?」なんて書いてしまったよ。あー恥ずかし!

はてなで怒りや批判が渦巻く理由は、現実での無力感

https://anond.hatelabo.jp/20210805104714


せっかくだしブコメに返信

倫理正義

増田は勝ち負けで支持政党を決めてるの?普通ブクマカはそれぞれの倫理正義感によって支持する政党を決めてるんだよ。増田も内側に倫理正義感を持ちなよ。選挙の勝ち負けじゃなしに

ワイ、支持政党とかないから。そもそも選挙活動とか投票とか行かんし。この投稿もただの競馬予測みたいなもんだよん。

このブコメにお星さまが集まっている様子からすると、「リベラル」の異名を持ち手のひらを自在に操る高貴なる「普通ブクマカ」諸氏諸君はさあ、倫理とか正義感で支持政党を決めているみたいだけど、現代政治学が明らかにするところだと少なくともブコメなんてしたことない一般人は違う。一般の人は自分が持っている遺伝的な傾向(Genopolitics)や道徳次元道徳基盤理論)と、日々直面する包括利害で支持政党を決めているんだわ。なんか倫理正義感とか道徳っぽいこと語っているけど、道徳はヒトの包括適応度を上げるための適応産物にすぎないし、だからその道徳から作り上げた道徳律や正義の諸構想なんてもの客観的で確固とした正しさがあるわけではないし、まあ、はてなーが嫌っているであろう利権という概念に近いわな。でも、ワイはニヒリズムにズブズブというわけではなくて実用主義であるからダブスタ禁止黄金律(白金律・白銀律)程度は認めているか安心しなよ。

足蹴り投票オオカミ少年

ぶっちゃけ、終わっていることは何年の前の安倍ちゃんのころからわかっていた」増田氏、その点はブクマカ同意見なんだね。そこで声を上げ続けるか「政府批判を続けるのはバカ」というニヒリズムに陥るかの違い。

前半部に関しては

アンチ安倍の人々は政府を信じすぎなのでは?

https://anond.hatelabo.jp/20200424194511

の前半部でも示されていたけど、「現体制になってからもう7年ほど、準備する期間はあったはずです。国が掌を返して、信奉者が馬鹿を見る奴隷になる。そう予言したあなた方が、何故同じ立場で困窮した乞食に成り下がっているのか?」っていう問題頭脳流出を「泥舟から脱出する有能」と称賛する割には、はてブの皆様自身は足蹴り投票をぜんぜんしないわけでね。結局、一応エンジニアだけど他の国で雇用されるようなレベルではないし、そもそも英語できんし、40代になっていて色々億劫になっているんだろ。コロナの今は特異的な例外としても、歴史的に見れば現代ほど他の言語が学びやすく、グローバルな移動のハードルは低い時代はないのにさ。

それでブコメ後半部だけど、このブコメスターつけている連中はさ、政権批判を続けるのは重要意味がある、みたいな立場なの? いわゆる「言い続けることに意味がある」系? 戦争法案とか医療崩壊とかでもそうだけど、オオカミ少年になってない? 毎回毎回煽ってばかりでそうした言説は信頼を失っているよ。もちろん、こういったことはガースーでも緊急事態宣言全然効果がなくなったのと同じ。ガースーは自粛要請の声を上げ続けて、「自粛要請を続けるのはバカ」というニヒリズムには陥っていないみたいだね。

余談だけど、戦争法案とかでも南無阿弥陀仏みたいな感じで、想定している戦争大東亜戦争ばかりなんだわ。世界大戦と呼べるレベル戦争はずっと起こっていないわけで、令和の時代反戦を考えるのなら、国際世論に押されて日本も参加してしまったシベリア出兵とか、領有権が争われていた島々の奪い合いだったフォークランド紛争であって、大東亜戦争ではないでしょ。

パラレルワールドはてな

で、未だに「ブクマカという集合体はなく、ブクマカ一人一人がいるだけ」とかいわゆる主語デカ案件で処理しようとしれいる連中がいるんだけど、はてブなんていつも「これだから自民党は―」とか「ヤフコメは―」とか「国民はチョロい」とか雑に批判しているんだから、そうした雑批判自分たちに帰ってくるのも当然だろ。

実際、お前らは本当にずれているよ。

はてブという極左集会場 その1

https://anond.hatelabo.jp/20200830084834

はてブという極左集会場 その2

https://anond.hatelabo.jp/20200830084909

↑のエントリでは、安倍がやめたときTikTokInstagramFacebookTwitterヤフコメYoutubeはてブっていうほぼすべてのSNSコメント内容を比較しているけど、お前らはてブだけ異様なんだよ。五輪パラレルワールド発言批判されていたけど、コメント見る限りでははてブの方々はパラレルワールドにいるよな。

追記2

勝ち負けについてはそんなに重視しているわけではないし、主題でもないのだけど……ほら、総理なんて別に自民党内なら学校生徒会長と同じで誰がやっても同じでしょ。まあ、安倍トラみたいなパターンもあるから一概には言えんけど、感覚的にはね。

ワイがブクマカさんたちに聞いてみたいのは、アメリカでも中国でもニュージーランドでもいいけど、日本踏み台にしてその辺りに移住したほうがええんちゃうってことよ。声を上げるのは別に海外でもできるやん。出羽守って叩かれるかもしれんけど、Twitter辺りに「日本在住」って書いとけば問題ないし。

ここらへんあんコメントなくて残念。なんか「老いたし、家族恋人、友人、学歴がない。両親死んで相続が辛い」みたいなブコメあるけど、むしろしがらみがない分、自由に動けるんじゃねーの?カネがないと楽ではないと思うけど。

ブクマカさんたちが氷河期世代で色々億劫で~っていうワイの仮説が正しかったら、口嫌體正直! みたいな印象を受けるわ。

氷河期自民党からパコパコされて、その境遇にいやいや文句言いつつも家を出ていくことはできない。出ていく先はないし、誰も貰い手はいいからだ。内閣支持率世論調査選挙結果、強行採決の度に嬌声を上げて、毎回自民党にパコパコされる。頼りにしていた立憲兄さんはZ世代だのSDGsだのいかにもお目覚め系のとこに通いつめて、国会議員で2番目に氷河期世代言及する安倍ちゃん自民党氷河期世代支援のお株を取られてしまった。

過去にパコッた自民党ブクマカさんたちが頭下げて靴舐めて支援をもらう口嫌體正直!みたいな光景は見たくないっスねぇ……。プログラマ仕事内容を詳しく知っているわけではないけれど、一生勉強若い世代ガンガン入ってくる業界だと思うから政権批判よりもお仕事がんばってね。

2021-07-15

anond:20210715063023

ひろゆき世代に対して馬鹿にするのではなく、年齢を問わず馬鹿”をバカにしている。

すまん、それは俺もそうなんだわ。ひろゆきは同世代だが俺は自分と同世代だろうが老害だろうがガキだろうが外人だろうが土人だろうがバカバカにする。賢い奴には敬意を払う。

ひろゆきについてはよく知らんが炎上記事を見る限りではあまり賢い奴には見えない、まあそれはどうでもいいんだが「若者」についてはちょっと思うところがあって、若者と一括りにすることはできなくて若者の中にも当然バカと賢い奴がいて「今の若者は~」とまとめてバカにすることを愚かだと俺も思っていたんだが、数年前に「若者自民を支持している」という記事にショックを受けてちょっとよく観察していたら賢い/バカを問わず思考パターン共通点があることが見えてきたんだわ。それが今となっては皆さんよくご存知のニヒリズム​とか冷笑主義とかそういうやつね。

賢い若者もいるのに奴らはその知能を問題解決に使おうとしない。いかに上に逆らわず、波風立てず、空気を読んで和を乱さず他人の気分を害さずにやり過ごすか、そんな事ばかりに長けている。俺はこれは若者のせいと言うよりも教育の敗北だと考えているがとにかく現代若者には厳しい時代を生きるにあたって何も変えられないと絶望して戦わないという選択をしてしまって実際に戦場ではとても弱いという特徴がある。俺はそのことを批判しているのだ。匿名ネット上だといちいち丁寧に書き込まないから、汚い言葉若者を叩いているように見えるだろう。バカにしているように見えるだろう。しかしそれは若者の間に確実に蔓延している思想危機感を持ち、つい出てしま言葉と行動なのだ

まあ上記思想若者に限らないし実際それに毒されたお前らはこの書き込みにも隙自キター的な反応をするだろう。そういう所がいけないんだよ。賢くないよ。

2021-05-18

弱者男性議論終着駅ニヒリズム

もういろんなものを丁寧に憎み切ることが大切だと思う。

はてな界隈での議論など全てが欺瞞でしょう。

からどんどんいろんなものを壊して行けば良いのだと思っています

特に今はコロナ禍で、政治世論に対して様々なヘイトが充満しているので、それをどんどん増幅していけば良いと思うのです。

手始めに日本の政治を徹底的に憎悪していきます

日本はとにかくダメだ、糞だ、死ねば良いという感じで呪詛を撒き散らします。

とてもすっきりします。

子育て界隈も議論が荒れていますからチャンスです。

もう日本の子育ては地獄オワコンだ、子どもを育てることほどツライものはない、という呪詛可能な限り極大化しましょう。

日本子どもを産むことほど愚かなことはないんだ、という怒りと憎悪を増幅します。

弱者男性には絶対に届かないものを叩き壊せます

とてもすっきりします。

弱者男性議論だと男が批判され、女ばかりが得をしているような感じがします。

から女をとにかく憎みきります

MeTooなんかが出たらとにかく女の責任、女の悪さを徹底的に探してこれを叩きます

キレイゴトには一切耳を貸さず、女の悪いところ、至らないところ、不誠実なところ、針小棒大に叩き潰します。

とてもすっきりします。

こんなものはまだまだ序の口です。

弱者男性最後の救いを用意すべく、はてなでいっぱい提供されている憎悪の卵を育て、

激しいほむらに育てられるようにウォッチしていきたいと思います

2021-04-04

anond:20210404051852

神を殺すってのがなんか厨二心に刺さっちゃうんだろうな。

磔にしたりチェーンソー使ったりニヒリズムに走ったり人類普遍的な発想なのだろう。

2021-01-02

anond:20210102140717

リファレンス論文は色々ついているがね。

科学は「目的を立証するための合理的批判」をもとに成り立つが、君の批判明後日のように見える。

まあ、新自由主義議論を混乱してどの要素が大事わからんから政府が何もしないほうがいいというニヒリズムに持ち込むという手法をとってるのはわかってる。

anond:20210102135220

いや、どの要素が重要だ。理由はこれと言うのが科学だ。

明証分析総合枚挙と言うことで、明証できるまでの単純化科学の基本だろうが。単純化漏れる要素があるかもしれないというのをあとの枚挙で確かめるべきだが、具体的に関わる要素がどれかと枚挙してそれを踏まえてどうするかだ。

君のはただのニヒリズム。まあ、新自由主義の根源でもあるがな。大失敗だったが。

2020-12-07

anond:20201206184804

無神論ニヒリズムって地続きじゃない?

神(無から有)を信じるから在る事に価値を見出す。本当に無神論者なら自分自然の一部でしかくそれって元から在ったもの意味を見出せないんじゃないか

死を恐怖したり、読んでいてただ信仰を持たないだけで漠然とした何かを信じているような印象を受けた

2020-12-06

仮想通貨宗教信仰の話

仮想通貨については前置きで本題は宗教の方なんだけど、背景としては次のようなものがある。

仮想通貨相場がいま全体的に上がっている。ただ、知ってのとおり乱高下の激しい市場なので、損が出たときはもちろん、儲かっても精神的にものすごく消耗しやす

宗教云々言っているが、俺は無宗教無神論者だ。いつか信仰が雷撃のように俺を打ってくれればいいと思ってはいるが、たぶんそういうことはないだろう

・人は必ず死ぬ

一昨日、仮想通貨銘柄の一つであるxemが高騰し、前日比20%ぐらい額が上昇した。約3年前に日本取引所からハッキング流出したために話題となり、あまり良くない意味で有名な銘柄だ。

俺も保有していたので利益は出たが、想定以上の値上がりにかえってテンパってしまい、しょんべんくさい利確を繰り返して微妙な収支に終わった。そういうわけなので、「あのときああしていれば…もっと…」という強欲な後悔がいくらか割と残っている。

この後悔の根っこには、あるルールが俺の中で不在だったことが原因にある。株でもFXでも仮想通貨でも、あらゆる金融の教本やサイト共通して書いてある「自分との約束を作り、これを守れ」というルールだ。例え、いくらで利確しいくら損切りしろ、とは書いていない教則でも、この原則だけは必ず書いてあるのだ。

結局、運用にあたって売買の目安となる約束自身との間に設けておかないと、今回の俺のように場当たり的な売買を繰り返して心の底から疲労し、収益を素直に喜べない。というか、利益が出たからまだいいものの、これで損失が出ていたら立ち直れない。

妙な気もするが、投資においてはまずは自分との約束を律儀に守ることが優先され、純利とはそこからもたらされる精神の平安に伴って自然とついてくるもの、なのかもしれない(本当にそうかは知らない。何しろ俺は金融に関してはポンコツなので)。

ただ、ここで約束という行為には、もうちょっと観念的な意味合いがあるんじゃないか、と思っている。それは、何かを決めてそれを守る、というルーチンを徹底することで、流れていく時間の上に想像上の節点を置き、好循環を意識させる働きがあるんじゃないか、ということだ。

例えば、

・「当初の目標の+値に達したから売った」→「得た利益で他の銘柄を買い、それも値段が上がった。一方、売却した銘柄はその後チャートが下がった」

という具合だ。

これは時間の流れに約束という節目を置いたからこそはじめて自覚できる好循環だ。約束をする、そして守る、という時間区切り方によって、人間自分が良い流れの中にいる、というイメージを持ちやすくなり、次のアクションを取る精神的な敷居が下がる。そして、それがさらに良い結果を生む、という具合に好循環が持続する。反対に、ここに約束が介在しないと、漫然と得をしたり損したりを繰り返すうちに精神がすり減っていくことになる(特にけがかさんだ場合)。

え? そんな都合よく転がるか?

転がらない。

実際は、目標の含み益に達した銘柄は売却した後もさらに上がり続けるし、事前に設定した一線を下回ったので売った銘柄は、その直後に反転して値が上がり始めることも多い。

ただ、それでも約束無意味ということにはならないと思う。ここには、人間精神というやつの良くも悪くもいい加減な本質が関わってくる。

俺は、人間は直近の近視眼的な損得に一喜一憂するのと並行して、長いスパン時間因果を良い方に解釈することを自らに許す生き物だと思っている。

この世には値段が上がり続ける銘柄なんてものはないので(例外除く)、早めに利確しすぎて指をくわえて見るしかなかったものも、一晩寝れば結局落ち着いていたりする。損切直後に反転して悔しい思いをした銘柄も、やっぱり一晩寝ると、起きたら大幅に値を下げていたりする。

ちゃん約束を守っている者の目には、利益は出ているように「見える」し、損は抑えられているように「見える」ことが多い。実態としてどうかは関係なく、好循環なんてのは結局は主観次第のサジ加減一つということだけど、俺はこれも知性の一つのかたちだと思う。

で、約束という行為を骨子にして俺たちのメンタルを安定させ、好循環という錯覚、あるいは人生観のもの構成しようとする営みが、金融以外にも、もっとデカフレームとして存在する。宗教だ。

あえて断言するが、たぶん、約束という概念がない宗教存在しない。聖書の旧約・新約なんてまさにそのもので、これは、「(神との)旧い約束」、「(イエス・キリストとの)新しい約束」という意味だ。

宗教は時節によってやるべきことを定め、やってはいけないことを定め、本来脈絡なく流れていくだけの時間の上に節目を作る。設けられた節目は他の節とつながって、約束を守ってきたから生きてこられた、という好循環(に見えるもの)を形成する。宗教とはある意味約束を守り続けることで自分はいま良い循環の中にいると感じるためのシステムと言い換えられると思う(実際のところ、キリスト教の背景には「これまでの神との約束、厳しすぎて正直しんどくねえ?」というのがあるが、話がややこしくなるので触れない)。

この状況では、約束を破るのは人生放棄するぐらいのインパクトがある。本当に執行されるのかは知らないけど、イスラム教なんて棄教したら教義上は死刑になるぐらいだ。つまり約束を破ると文字通り人生がぶっ壊れてしまうのだ。

ところで、人間は必ず死ぬ。死後の世界云々は置いておいて、とにかく確実に死ぬ。つまり金融における好循環の終点目標となる利益があるように、人間の終着には死があらかじめ確実に設置されている。

ここでたちはだかるものすごくデカ問題は、人間自分の死に様を選ぶことがほぼ不可能だということだ。順風満帆に生きていても病魔で苦痛にまみれて死ぬかもしれないし、反対に辛酸をなめ続けてこれ以上つらいことがあるかと思ったら結局もっと苦しんで死ぬかもしれない。事故でいきなり死ぬこともあるかもわからない。死は完全に中身が不透明な箱だ。その中から何が出てくるかその瞬間までわからない。

最後に待つブラックボックスから逆算して、それでも人生を好循環によってとらえようとするとき、どんな人生観ならちゃん機能するのだろうか? 生きていく勇気を持てるだろうか?

何もかもがフラットゼロ価値だ、という超物質的なニヒリズムを除くと、俺は宗教しかないんじゃないかと思う。フツーに無宗教で生きてます、ってかなり苦しい。俺がそうだけど。「生きて生き続けた最後に、お前はめたくそ苦しんでこれ以上なくみじめに死ぬ」という貧乏クジが一定確率で出てくる箱に手を入ざるを得ないとき、「何にしたって、とにかく自分は神(あるいは霊的な何か)との約束だけはこの人生で守りとおした。だから人生ちゃん好転していたはずだし、この死にも意義が存在する」という以上に人間精神を守るように機能する人生観って、正直マジでないんじゃねえかな? と思う。

どうですか? 俺は仮想通貨死ぬほど披露した体験からこんなことを思った。オチはない。

2020-08-28

医師患者関係の変化

卒後数年経った。ようやく仕事に慣れて外来もこなしている。最初の数年に比べて最近2年ほど、患者への姿勢が変化してきたと自覚している。

ここ2年程での変化は、親身さ・親切さがすり減ってきたといえる。

正直言って、患者さんたちとの接し方を変えないと自分がもたないなと思う気持ちがあり、結果親身さが減ったのだと思う。

 親身になって接しても、心ない言葉をかけられることも少なくない。それは必ずしも患者さんが悪いわけではなく、「親身」の表現結果的患者さんの満足度を下げる方に働いてしまったりするなど、まぁ技術的な未熟さによるものもそれなりにあると思う。それも勉強である

 でもやっぱり、客観的にみてひどいことを言われたりすることはあるし、砂に水をやるようなコミュニケーション疲れた、すり減ったところもある。医師患者を選べないとはそういうことだ。

ある部分では医師-患者の適切な距離を学んでいるともいえる。医師患者他人なのである。どんなに親身になっても同一人物になることはできない。それを弁えることはプロフェッショナルとして必要なことだと思う。

 だからといってニヒリズムに陥るところまでいくのは行き過ぎだと思う。そういった方向性がもしかしたら、嘱託殺人みたいなことに遠くつながるのかもしれない。

感情労働は疲れる。感情労働をできるだけやめて、割り切りながら働くことも必要なんだと思う。

2020-08-24

[] 163

 特にやりたいこともない土日を、これといって生産的なことはせず、ある程度は楽しんで、ずっと引きこもっていたのでお金は使わないで、乗り切った。

マッチングアプリをやめたおかげで睡眠時間が取れるようになって、なかなか健康だ。

エネルギーが余っていて、風俗に行きたくなるが、さすがにお金いくらあっても足りないので、そこから意識を逸らすことで日々をやり過ごしている。

今は、お金ないし、実力もなくて、友達も以前の日記にあったように数人(あと家族以外の人は全部LINEから消したり非表示にした)で、SNSもやってなくて、ぜろぜろぜろって感じだ。

新しい人間関係を広げる試みも、うまくいった試しがないし。

悲しいなアラサー独身男性

毎月の1500円の寄付くらいか、良いことしてるの。NPO的なやつへ。クレカ自動寄付してくれる。科学の力ってすげーでしょ。

額が全然足りない気もするが、とりあえず負担でない最低限で、もう半年以上は寄付できてるはず。

親に家賃を払うか。実家暮らしで1円も入れてないから。貯金もなしで恥ずかしくないの??って、それはまあそうなんだけど。

パチンコ店にいるおっちゃんおばちゃん達とか、お金の使い方それでいいのって思ってたけど、俺もたいして変わらんな。

おばあちゃん生活のために出勤してる風俗嬢のが人として100万倍マシじゃん。嘘か本当かは、もはや確かめる術がないし確かめる気もないけど。

10万もらった時の使い方で人間性が出るって言うけど、俺は全部風俗に使う。恐らく。税金適当なのに。終わってる。

「それ以外に生きる楽しみないゴミです」ってさすがに友達にも言えない。

小学校の頃、校門の前で募金活動募る方やってて、1000円札を入れてくれたおばちゃんに俺は驚いたけど、大人からしたらたいした額じゃなかったんだな。

自己啓発本拒否して、ニヒリズム虚無主義っぽくなって、普通とかまともに帰りたいけど、帰れそうにない。帰ってこない募金活動に傾倒するぞ。

2020-05-29

とある声あり下位ドルの「デレステP」から見る総選挙へのニヒリズム

私はデレマスとある声あり下位アイドルのPである

Twitterに長文を連ねても邪魔だし、総選挙へのニヒリズム同担と共有したくないので増田で壁打ちさせていただく。

まずは私のPとしての自己紹介をば。

シンデレラガールズに興味を持ったのはちょうどアニデレの頃だ。TwitterのTLでオッドアイスレンダー美女の絵を目にし、

「この美女はどのコンテンツにいるんだろう」と思い、話題になりつつあったデレステを始めた。

無数の曲の中から強い曲を浴びるように聞き、叩き、コミュでのアイドルの口調に惹かれて今の担当アイドルに行き着いた。

Twitter同担コミュニティを見つけ、コミュ障ながら話に加わったりオフ会に参加したりもした。多くもないバイト代をやりくりし、思い切って遠方のライブにも行った。

ここに入り浸っている方々はデレマスに思うところがあるんだろうし、私も多少の不満を抱くことはあるが、担当アイドルへの扱いを含め全体的には満足している。

ここまで書けば、デレステから始めた典型的な数年来のPだとお分かりいただけるだろう。

そして担当アイドルについて軽く申し上げる。彼女デレステが始まった時点でボイスが実装されており、持ち曲もSSR複数ある。また、ライブにも度々出演する。

モバマス時代総選挙では上位にランクインしたことがあるようだが、ここ数年は圏内入りするかどうか陣営内で注目されている程度だ。

さて、私が言いたいのは「モバマスから古参PとデレステからのPとで総選挙に対する価値観が異なり、陣営としての大意を見いだせなくなったのではないか」ということだ。

クソデカ主語で大別してしまったが、古参同担からの伝聞を念頭主観で殴り書きしているため、違和感のある点があったら是非とも指摘していただきたい。

ゲームシステムの違いからなるアイドルへの見方の違い

デレステはなんといってもコミュにおけるプレイヤー存在感が薄い。

アイドルコミュすら「観葉植物」や「天井のシミ」のようなポジションからスマホの大画面で俯瞰しているようなスタイルであり、

また強い曲から興味を抱くという経路もあるためユニット存在感が大きく、デレステにおける多人数担当の素地が生まれると思われる。

対するモバマスプレイヤープロデューサーのような描き方で、ガラケーの小さい画面にアイドルがアップで映されるスタイルであり、

担当アイドルは少人数に絞られがちと思われる。

そうなれば、一人のアイドルに大量投下するモバマス勢と複数アイドルに案分するデレステ勢で差異が生じるのではないだろうか。

総選挙に対する価値観の違い

そもそもシンデレラガール総選挙純粋人気投票としての側面と、ボイス争いとしての側面が大きい。課金票による集金やユーザーによる宣伝というメタ要素はここでは省く。

モバマス勢にとっての総選挙は、シンデレラガール選出によって「シンデレラガール」としてのSR実装されるほか、

上位陣ユニット(声なしアイドルランクインすればボイス付与確約される)によるオリジナル曲(そもそも自体モバマスでは貴重)もリリースされ、名実ともに大きい利益アイドルにもたらされる。

かつてはアニバーサリーイベントの上位報酬への選出という実益もあったが、サービス体制縮小により実装されるかは未知数だ。

一方、デレステ勢にとっては、先述の総選挙曲と、声なしアイドルへのボイス付与しか実益がない。

さて、先述した通り、私の担当は既にボイスが付与されている総選挙下位のアイドルである

声優の方が比較的若くマイナーということもあり、デレステライブにおいても総選挙の結果に見合わないといっていいほどの出番を得ている。

イベント曲やSSRは近年の順位に関わらずリリースされるので、万年下位の声ありアイドル担当からすれば圏内入りさせたところで名誉以外に得るものがない。

ライブでは順位を問わず若くて元気な方々が登用され、ニュージェネはじめ古参の方々は上位でも歳波とともに出番が減っていくだろう。次のライブがいつになるのか知らんけど。

そもそも総選挙圏内入りさせたところで一月もすれば話題に上がらなくなるので、次に向けた宣伝につながるかどうかも疑問だ。

・ここからデレステP」の私見、というか妄想

以上のことからデレマス総選挙目的を失い、制度疲労していると言わざるをえない。

現に、総選挙によって得る物がない自担では活動も弱く、良くも悪くも和気藹々とした雰囲気となった。

それはそれで居心地がよかったのも事実だし、必死ダイマを通じて問題を起こした陣営と比べればよほど幸福度が高かったはずだ。

悪戦苦闘している声なし担当からすれば、こんなぬるま湯陣営を知ったらズルいと感じるに違いない。

そして、モバマスサービス終了は遠からず訪れるだろう。先述した通り、モバマスサービス体制を縮小した。そして今年末にはFlash廃止される。

アクティブ数減少とコロナ禍の中で膨大なゲームデータHTML移行という大事業を敢行するとは考えにくい。。

この二点からするに、デレマス総選挙はキリよく来年10回目をもって終了するのではなかろうか。

最後総選挙」を懸けた血みどろの戦いになれば焦土戦になりかねないので、再来年に「総選挙?今年からはありませんよ」とアナウンスして静かに廃止となるだろう。ってかそうあってくれ。

総選挙というヒリつきをもたらすスタイルではなく、プレイ状況やSNSへの書き込みといったビッグデータ(当然、可視化されてほしい)によって実勢を反映した運営となることを望む。

2020-05-13

anond:20200512230455

そりゃそっちのほうが企業イメージが良くなるからだよ。

これはZoffになるかハズキルーペになるかどっちがいい?って選択なんだよ?

だいたいねおっさんおばはんジジババ向けに舵をきるとネット受け最悪になる。

中高年高齢者の心に響くメッセージを追い求めると、

日本スゴイ系の歪んだ民族意識バブル期までの西洋白人文化至上主義家長制度に由来し現代ポリコレから乖離した旧態依然価値観昭和に対する退廃的な懐古趣味ニヒリズム権化のようなリベラルの上澄み…

さすずめこんなところに行き着きがち。

まりWebでのマーケティングと中高年以上が対象商品は相性が悪い。真っ当にターゲットの好みに近づけようとすると炎上商法になる。

ハズキルーペ武井咲がケツで踏んでキャって言ってるのも呉服屋が「ハーフの子を産みたい人に。」というコピーを掲げるのも今のアラフィフ以上は気にもとめないしむしろそういうアプローチのおかげで彼らの関心をあつめることに成功していた。

さらに踏み込んでいうと「若者向けの施策」っつうのは「これからWeb広告広報の主戦場から、もうそろそろうちも自前のサイトつくる以外のことで外に向けてもっとなんかやってきたいんだわ」っていうのの言い換えでしょ?

SNS動画でなんかやるための方便として若者ターゲットにしてるんだよ。倒錯してんね。

2020-05-11

冷笑が冷静みたいな扱いになってるけど

みんなニヒリズム好きねえ

国民厨二病

2020-05-06

結局「植松はやべー奴だった」で終わらせようとしてるだろ

やまゆり園、障碍者施設の19人殺人の話。

植松意見には正直同意する部分がある、って意見事実上封殺され、「気持ちはわからなくもないが植松という『特殊なやべー奴』がやらかしたやべー事件」という論調ギリギリとなっている。だってそういわないと『特殊なやべー奴』の一味だとレッテル張りされるからな。

障碍者にも人権がある、これはとても当たり前のことだ、反論余地はない。ニートにもKKOにも医療従事者にも風俗従事者にも芸人にも人権はある。ごく当たり前だ。「権利範囲」についてはもめるところではあるが、ここではそこは論点にしない。ここでやるには不毛すぎる。

俺がまずいなと思ってるのは、植松意見に蓋をして「障碍者価値がないなんておかしい!」とキレイゴトをまといすべて植松に背負ってもらおうとしているこの状況だ。テロリスト世界を変えなかったという名言があるが、学びは必要だ。

俺が問題だと思う根源の思考は、「人間価値がある」って考えだ。人間がいると、何が良いのだろうか?人間自然破壊するから価値だとか、そういう話ではない。それでいうならこの地球だって、あったからと言って何がうれしいのだろうか?

人間価値があると仮定したとき、じゃあその価値とは何を源泉としているのか?という話になる。だって価値があるなら、その価値ってなに?となるだろう。そうしたとき、「人の役に立つ」とか「人に好かれる」とか、そういうことが上がるだろう。自然を守るとかでもいい。でもそうすると、それに該当しないもの価値がないのか?という話になる。「価値があるから価値があるんだ」みたいな進次郎理論や、「いや誰もが何かしら価値のある行動をしている」という根拠薄弱な謎理論しかなくなるのではないか。その謎理論で納得できない場合植松思考に至ることがそんなに不自然特殊なことだろうか?実際に手を動かすまで行くのは確かに少ないだろう。しかしそれは彼が『特殊なやべー奴』だったからか?彼と全く同じ経緯を辿る人間が、同じ行動に至ることはないのだろうか?その解明のために犯罪心理学者がいる。さっさと殺せという意見感情としてとても分かるんだが、植松植松だったから『特殊なやべー奴』だったから殺したのか、誰でもそうなり得ることだったのか、それってとても大事ことなんだ。対策の出発点になる。

人間に等しく価値があるとするのであれば、そうでなく、もう「無価値」だと言ってしまった方が良い。「価値」という言葉は、何かと比べることをどうしても誘発するだろ。ビルゲイツ高架橋の下にいる名もなきホームレスを同価値とは言えないだろう。そのうえで、人間には生存本能欲求がある。それを満たしてくれる人間は「金」によって得をし、それによって本人もそのほかの人よりも「楽しく」「気持ちよく」生きることができる。無価値ではあるけど、人生には差がある。これは問題ないはずだ。ただその差を得るための努力の総数をすべて均一にすることは不可能だし、あまりにもひどい差で生存本能欲求を過度に制限される場合、こういう者は救う必要がある。これは一種保険だ。誰もが後天的に障碍を持つ可能性はある。そういう時に自分生存本能欲求を過度に制限されないために、そういう仕組みを作っておくことは必要なのであるプラスの差をたくさん作れる者からマイナスの差をたくさん抱える者に分け与えることで、全体の生存本能欲求を調整する。人間は誰もが無価値だけど、生存本能欲求現実としてあるので、最低限はみんなで守りましょうね、という理屈だ。感情としてかわいそうだからとかを乗せてもいいけど、それは悪い差別につながる思想だと俺は考えているのでお勧めはしない。

別に誰かを尊敬してもいい。たくさん尊敬されてもいい。しか人間は無価値だ。その人はたまたま今の人間界で「合致」した人、もしくは努力した人で、そういう人たちが「得」をするのは何もおかしなことではない。しかしそれが人間価値につながるものではない。誤解しないでほしいのは、「敏腕政治家不倫たか価値があると思ったけど人としての価値はないね」とか「金で人の価値が決まるわけではない」とか「清い心の人は価値がある」とかいう話ではない。そもそも人間だれしもに価値がない。そういう話。

ニヒリズムとかではない。人間に「価値」を付けると、どこかで植松意見には到達してしまうし、それは実際に同意の声が一定あった現実がある。キレイゴトでなく存在した。存在したものをしないというのは賛同しかねる。

不正に得をする奴を糾弾していいし、ありがとうと思っていいし、アイツ役に立たねーなと思ってもいい(倫理は置いて)。生存本能を脅かす戦争は愚かな行為だというのも全くおかしくない。でも、人間は等しく無価値だ。無価値だけど人間として生存本能があるから助け合って生きていきましょうね、と、そういう話。

価値から殺していいよ、ではない。なぜなら人間には生存本能欲求があるから。あるものをないとするのは間違いだし、自分もだれしもいつ人に「提供」できなくなるかわからないのだから

2020-02-16

某所でのハッピーシュガーライフ感想まとめ、および個人的感想

きっとちがうよ

だって私は わたしが生きるために あの人に生きて欲しかったんだから

それはきっとちがうんだよ ちがったんだよ

それはきっと あいなんかじゃないよォ…

――鍵空とみやき「ハッピーシュガーライフ 第7巻」

某所より気になった感想抽出し、思いついたことを書いていく試み

171 ななしのよっしん

2018/09/30(日) 13:48:11 ID: f8xlQvMm3b

あさひもしょうこも(てかこの作品のほぼ全員)私が生きるためにあの人に生きてほしいを地でいくキャラだったからあの結末は残念でもないし当然

あさひはこれからのこと考えると可哀想だがしょうこは裏切ったうえに盗撮までして友達の私を信頼してはほんと無理だったから死んでよかったよ

生かしてると絶対警察にチクってたしな

173 ななしのよっしん

2018/09/30(日) 15:30:33 ID: 6m5ZAUyP0F

友人思いのあつかましさや正義感が仇になってさとうを裏切り殺されたしょうこ

大人の女性からセクハラを受けまくって気が狂いしおからも見捨てられて廃人化した太陽

から変態性に加えさとうを詮索してやり込めようとして失敗し逮捕された先生

さとうに何だかんだ振り回されているバイト

太陽暴力をふるいしおを誘拐しようとして目潰しされた男たち

DVを受けていたとはいえしおを拒絶して全ての元凶になった母親

まだ幼い子を強姦DVをやった末、毒殺された父親

絵のモデルとしてさとうを招きしおに対するさとうの気持ちを察するや自分の望むさとうでなくなることに怒り、手を挙げて殺された部屋の主

さとうと愛の形で対立しつつも結局最後までさとう達に協力して逮捕された叔母さん

必死に妹を思い自分自分母親の元で幸せに生きさせようとしたが、最後にはしおの心を完全に奪われたあさひ

愛の形を証明心中を受け入れるも、結局しおを生きながらえさせて、しおを自分の愛の結晶としてこの世に残すことに成功したさとう

幼児退行や記憶障害は治ったが、さとうの愛に完全に共鳴して強い意志を持って傾倒する狂人となったしお

登場人物で本当の幸せを掴んだのは実はさとうだけかもしれない、しおは客観的に見ると環境が災いして人格を塗り替えられた不幸な子だと思った

182 ななしのよっしん

2018/10/01(月) 05:10:48 ID: CEiFINjjYU

一見人魚姫みたいで綺麗な終わり方だけど冷静に見ると、さとうがおばさんにされて嫌だった「愛ってこういうものだよ、とても素晴らしいよ」の押し付けを結局しおにも繰り返してるだけっていうのがなんか考えさせられる

表面は綺麗だけど、しおもかつてのさとうみたいに歪んだ愛の価値観に縛り付けられて生きると思うと…

185 ななしのよっしん

2018/10/01(月) 11:23:57 ID: VrrOXonf2W

>>182

しおはさとうの愛で満たされてるけど

さとうはおばさんの愛を真似ても全然満たされてないし(しおに会う前のさとう描写より)

「同じ価値観押し付け」という言葉で括るのはちょっと違う気がする

190 3543

2018/10/02(火) 09:27:55 ID: PTz4syDQ1u

こういう話は因果応報とは無縁の話だと思ったら、しお以外は因果応報の形になったのが意外。だが単純に法とか、一般的善悪道徳を元にした勧善懲悪因果応報じゃないのがミソだな。

から普通なら報いを受けそうにない立場のしょうこも、勝手な「ごく真っ当な価値観」のままさとうに迫り、信じると言いながら結局目を逸らしてしまたことが、致命的な罪となって、その裏切りの報いとして死んだ。

単に犯罪たからだけじゃなく、自分価値観を押しつけ続けて相手を碌に見なかったり、何より愛に真摯じゃないキャラは報いを受けた訳だ。

しおに関しては、さとうと限りなく噛み合っていたが、共犯者の面もあるし、最後に庇ったさとうの愛が本当の愛なのかしおへの裏切りなのか、あの結末が救いなのか呪いなのかわからんはいい感じだと思う。

206 ななしのよっしん

2018/10/15(月) 17:02:35 ID: MYkV3cCihu

さとうはあらん限りの意志の力によって、

しおにある意味死ぬまで一緒にいて愛し合うことを実現した

ある意味、恋の夢である愛する人ひとつになる」を実現してしまった

人間精神が分割できないindividual(個人)という見方社会的事務上のフィクションで、

内面には複数の「分人」がいるわけで、その一つとしてミニさとうがしおの人格インストールされた

だが本当に恋の夢が実現されたとしてそれは本当にいいものなのか?と思わされる

意志の強烈な輝きと同時に、それがもたらす災厄も描かれてる

強い意志というのは、結局高確率目的を果たす魔力はあるけど、被害も生むことを示してる

個人的にも、意志によって目的は果たせたけど、意識してなかったものを失った経験はいくつかしてるので、

キャラ怪物ばかりだが内容は真実だと思う

214   

2018/11/14(水) 00:15:54 ID: DvW+BJx4zX

この作品、ほぼ同時期に映像化(向こうは実写化だけど)された監禁モノ作品と決定的に違う所がある

社会的言い訳を一切してない。

これこれこういう可哀想な目にあったか容認すべき・同情すべき、という風な作品トーンにしてない。あの純真そうなしおちゃんも含め、出てくるキャラが(一部以外)殆ど全員自分エゴの為だけに動いてる。

そういう意味ではアウトレイジ等のバイオレンスモノに近い作品なのかも


さて、感想

わたしが生きるために あの人に生きて欲しかったんだから」という叫びで自らと登場人物すべての罪を糾弾たこ言葉

では、いったい何が愛だったのか、どうすれば愛だったのか、愛は何故減るのだろうか(ニヒリズム)


「お互いの事を思いあい助け合い、真に理解しあう」が、「プロレスは本気で戦っている」と同様のお約束であることは肯ずるところだろう

富めるときも貧しきも、病める時も健やかなる時も、死がふたりを分かつまで、愛し慈しみ貞節を守ることをここに誓います

本作でも繰り返し述べられる誓いの言葉だが、やはり難しい

貧すれば鈍する、衣食足りて礼節を知る

満たされない人間愛について理想を掲げ、存在しないものを追い求める様は悲喜劇である

「お前が掲げる愛、そんなものはない」のである

残念ながら、愛というのは幻想入りしている


では何が存在するのか、現実日常に耐えられるだけの実在性を担保できるのか

逆説的だが、まさにそれこそが愛、つまり個々人の中にしか存在しない幻想だと思われる

相手は分かってくれくれるかも知れない」「自分を救ってくれる誰かがいるかもしれない、そんな時が来るかもしれない」「これこそが愛の本質なのかもしれない」という期待、幻想思い込み

それに従って相手志向し、期待し、求め、望み――そして、拒絶され、断罪され、絶望する

その果てに関係性を何度でも再構築し、自分自身の幻想・信念ですら変えていく

自分に合わせて現実を変えるのではなく、圧倒的な実在性(=他者性)のある「現実世界」に打ちのめされ、変わらされていく

他者論という観点から見れば、「誰にも否定されない絶対的な真理」を作り出すことは不可能である。一方で「他者」は、単に真理への到達を妨害する忌むべき存在というわけではなく、「私」を自己完結孤独から救い出す、「無限可能性」でもある。いかなる哲学科学数学を作り出しても、必ずその外部から「違う」と叫び叩き潰してくる、理解不能で残酷な「他者」が現れる。「他者」が現れるからこそ、自己自己完結して停滞することなく、無限に問いかけ続けることができる。

――エマニュエル・レヴィナス(Wikipedia)

 然し、真理といふもの実在しない。即ち真理は、常にたゞ探されるものです。人は永遠に真理を探すが、真理は永遠に実在しない。探されることによつて実在するけれども、実在することによつて実在することのない代物です。真理が地上に実在し、真理が地上に行はれる時には、人間はすでに人間ではないですよ。人間人間の形をした豚ですよ。真理が人間にエサをやり、人間はそれを食べる単なる豚です。

(中略)

 もとより、私は、こはれる。私は、たゞ、探してゐるだけ。汝、なぜ、探すか。探さずにゐられるほど、偉くないからだよ。面倒くさいと云つて飯も食はずに永眠するほど偉くないです。

 私は探す。そして、ともかく、つくるのだ。自分の精いつぱいの物を。然し、必ず、こはれるものを。然し、私だけは、私の力ではこはし得ないギリ/\の物を。それより外に仕方がない。

――坂口安吾「余は弁明ス」



人間精神が分割できないindividual(個人)という見方社会的事務上のフィクションで」

という言葉正鵠を射ているように、人間はそれ単体で存在し得ない

人のすむところ。世の中。世間。人が生きている人と人の関係世界。またそうした人間社会の中で脆くはかないさまを概念的に表すことば。

――人間(Wikipedia)

 人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。

 越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。

――夏目漱石草枕


人が期待を以って作り上げる物、それが幻想である

永遠に求めるが手にし得ないものを、その霊台方寸のカメラにおいて捉える故に、他者必要とし、そしてそれに打ち倒される

揺るがない物理存在としての肉体がその繰り返しを支え、人を生き長らえさせている

それ故に何度でも人間は変わり、裏切られ、それでも生きていく

今日、愛の不在を叫んだ神戸しおも、その10年後には同じ気持ちいるかは分からない

「十で神童十五で才子二十過ぎれば只の人」は、決して絶望言葉ではないのだ

BPDの症状が年齢経過で落ち着いてくるということと似ており、時はすべてを均してくれる

凡人に身をやつすことは、救いでもあるのだ

2020-02-13

映像研の感想

酔っ払っている。

映像研。

今、アニメ6話まで見たところ。

原作漫画アニメを本格的に見る前に5巻まで読んだ。

で、原作を踏まえてアニメを見た感想

こんなに「愛」に溢れたアニメはないんじゃないか

作中で3人の少女は、アニメを作ろうと奮闘する。

設定を作り、動画を割り、資金環境をかき集めて、なんとか作品を形にしようとする。

で、その作品は、原作作中いくつか「その時点での最善」に過ぎないながら完成する。

しかし悲しいか漫画作品。完成した作品を、読者は「アニメとして」鑑賞することができない。

そこで今回のアニメである

完成したアニメを、アニメとして、そしてアニメならではの感受性表現(ex.予算審議委員会)をもって魅せてくれる。

それだけじゃない。

アニメ制作する過程の部分も、「現実ならこうだぜ」「俺らならこうするぜ」と、実際の現場感覚アニメの作り手自身が持ち込んで足している。

決して「現実をナメるなよ」というニヒリズムや諦念ではない。

強いて言うなら、現れているのは「おじさんをナメるなよ」というプロとしての矜持だ。

映像研の3人の少女は、歓迎を以てアニメプロのおじさんたちに受け入れられたのだ。

「実際作るならこうだろ」「この方が画としていいぜ」「あーそこで苦労するよな。わかるわかる」

粗削りで、未熟で、それでも熱意だけはある3人娘は、アニメを作るおじさんたちにとってほっておけない存在なのだ

祝福をもって、受け入れられたのだ。

そして、アニメプロたちに笑顔で迎えられた人がもうひとりいる。

他でもない、原作者・大童澄瞳氏、その人である

エンディングアニメーターとして参加したことがその証左だろう。

原作映像研は、アニメーターに憧れて挫折した大童澄瞳による、アニメ業界へのファンレター…というかラブレターだと思う。特濃の。

で、このアニメは、アニメからの、湯浅政明監督からの愛に溢れたアンサーだと思う。

エンディング動画を見ると、大童澄瞳は現時点ではやっぱりアニメーターとしては並以下だと思う。

(おそらく、浅草氏に近い画的資質を持つ人なのだろう)

それでも、毎回必ず流れるエンディングで、メインアニメーターとしてクレジットされている。

これが、業界の先輩の愛でなくて何なのか。

原作映像研という「アニメって/アニメーターってすげえんだぜ!」というラブレターに、

「お前が思ってるよりもっとすごいぜ!」あるいは「そうまで言われちゃやるしかあんめぇ」と粋な回答を示す。

それでいて、そのラブレター勇気づけられたことに感謝も示す。

偶然かもしれないけど、サイエンスSARU(制作会社)と映像研のロゴの重ねっぷりなんか、愛と愛の応酬しかないでしょ。

アニメの作り手は原作に、原作の描き手はアニメの作り手に、

お互い元気をもらい、お互い感謝しあって、お互い認めあって。

その結晶が、このアニメ作品なのだとしたら。

それが傑作に、ならないわけがない。

余談

それを於いても、特に浅草氏のイメージ段階の画は、コンテのまま見せる、動画を割らなくていい、等作り手として楽できるポイントでもある。

そういうところを衒いなく取り込んで悪びれないのはやはりプロだと思うし、鑑賞者もスケルトン的に楽しい。図解というか。「アニメのできるまで」みたいな。

アニメを作るおじさんたちの「親心」「兄貴ヅラ」「若者を見守る目」。

そういったものが、何より愛おしく可愛く見える。

アニメ映像研は、そういう作品だと思う。

映像研の感想

酔っ払っている。

映像研。

今、アニメ6話まで見たところ。

原作漫画アニメを本格的に見る前に5巻まで読んだ。

で、原作を踏まえてアニメを見た感想

こんなに「愛」に溢れたアニメはないんじゃないか

作中で3人の少女は、アニメを作ろうと奮闘する。

設定を作り、動画を割り、資金環境をかき集めて、なんとか作品を形にしようとする。

で、その作品は、原作作中いくつか「その時点での最善」に過ぎないながら完成する。

しかし悲しいか漫画作品。完成した作品を、読者は「アニメとして」鑑賞することができない。

そこで今回のアニメである

完成したアニメを、アニメとして、そしてアニメならではの感受性表現(ex.予算審議委員会)をもって魅せてくれる。

それだけじゃない。

アニメ制作する過程の部分も、「現実ならこうだぜ」「俺らならこうするぜ」と、実際の現場感覚アニメの作り手自身が持ち込んで足している。

決して「現実をナメるなよ」というニヒリズムや諦念ではない。

強いて言うなら、現れているのは「おじさんをナメるなよ」というプロとしての矜持だ。

映像研の3人の少女は、歓迎を以てアニメプロのおじさんたちに受け入れられたのだ。

「実際作るならこうだろ」「この方が画としていいぜ」「あーそこで苦労するよな。わかるわかる」

粗削りで、未熟で、それでも熱意だけはある3人娘は、アニメを作るおじさんたちにとってほっておけない存在なのだ

祝福をもって、受け入れられたのだ。

そして、アニメプロたちに笑顔で迎えられた人がもうひとりいる。

他でもない、原作者・大童澄瞳氏、その人である

エンディングアニメーターとして参加したことがその証左だろう。

原作映像研は、アニメーターに憧れて挫折した大童澄瞳による、アニメ業界へのファンレター…というかラブレターだと思う。特濃の。

で、このアニメは、アニメからの、湯浅政明監督からの愛に溢れたアンサーだと思う。

エンディング動画を見ると、大童澄瞳は現時点ではやっぱりアニメーターとしては並以下だと思う。

(おそらく、浅草氏に近い画的資質を持つ人なのだろう)

それでも、毎回必ず流れるエンディングで、メインアニメーターとしてクレジットされている。

これが、業界の先輩の愛でなくて何なのか。

原作映像研という「アニメって/アニメーターってすげえんだぜ!」というラブレターに、

「お前が思ってるよりもっとすごいぜ!」あるいは「そうまで言われちゃやるしかあんめぇ」と粋な回答を示す。

それでいて、そのラブレター勇気づけられたことに感謝も示す。

偶然かもしれないけど、サイエンスSARU(制作会社)と映像研のロゴの重ねっぷりなんか、愛と愛の応酬しかないでしょ。

アニメの作り手は原作に、原作の描き手はアニメの作り手に、

お互い元気をもらい、お互い感謝しあって、お互い認めあって。

その結晶が、このアニメ作品なのだとしたら。

それが傑作に、ならないわけがない。

余談

それを於いても、特に浅草氏のイメージ段階の画は、コンテのまま見せる、動画を割らなくていい、等作り手として楽できるポイントでもある。

そういうところを衒いなく取り込んで悪びれないのはやはりプロだと思うし、鑑賞者もスケルトン的に楽しい。図解というか。「アニメのできるまで」みたいな。

アニメを作るおじさんたちの「親心」「兄貴ヅラ」「若者を見守る目」。

そういったものが、何より愛おしく可愛く見える。

アニメ映像研は、そういう作品だと思う。

2019-12-26

無能の人

高校以前

私は比較好奇心が強い子供だったと思う.小さい頃から親になんでなんでと訪ねては疲れさせていた.小学生の頃,調べ学習が大好きだった.調べ学習時間では,その時間が始まるといてもたっても居られなくなり,先生の言うことを聞かずに行動して怒られたりしていた.

中学生の頃は,物になぜ色がついて見えるかを調べた.それを調べている時はとても楽しかった.階段状に並んだタイルの総数を考えたり,N次元空間に置かれた立方体がある視点から見える最大の面数は何か疑問に思ったりしていたこともあったっけ.

母親は欲しい本はなんでも買ってくれた.ラノベ宇宙の本を買ってもらった.雑学の本も好きだった.ブラックホールが発生してから蒸発するまでの話に私はとてもワクワクした.

私が友達なんていらないと思うようになったのは,中学生の頃,同じクラス女子が原因だった.彼女は手下にできそうな私を見つけて,私を支配下に置いた.私はそれ以来人間不信のような状態になった.

私が自尊心がないのは両親の不仲が影響しているようにも思う.父親が帰ってくるたび毎日家がピリピリしていた.母親は私が中学3年生の頃家出してしまった.その時は毎日泣いていた.学校休みがちになった.父親料理ができないから,コンビニ弁当ばかりだった.その頃,母親浮気していたと思う.私はとても寂しかった.人生は結局一人なのだと思った.

けれど,母親は結局,私を別居先のアパートにいさせてくれた.学校をサボって,会社をサボっている母親映画を見た.映画のシーンでセックス描写があったときに後ろから目隠しをされた.母の手は暖かくて,なんだか嬉しかった.

高校時代

高校受験の時は,親に経済的負担をさせるまいと,確実に合格できる公立商業高校情報処理科を受験した.

高校では友達を作らないようにしようと自分の殻にこもった.入学直後,女の子がお弁当を一緒に食べようと誘ってくれたが断った.友達になろうとしてくれた人の誘いはほとんど断っていた.

けれど,部活には入部した.商業高校だったもの科学への興味があったため科学研究部に入ったのだ.

生物ドクターを出た先生顧問だった.高校2,3年生の頃は水生生物調査が主な活動だった.部活顧問は「お前はドクターまで進学した方がいい」と助言してくれていた.

この頃も,宇宙の本を読んでいた.その本は量子力学に関する奇説を扱う本だった.この宇宙は,あらゆる状態分岐に応じて,並行して無数に存在しているという説もあった.今生きている私というのも,無数に存在する宇宙のうちの一つの認識している自我しかないのかもしれないと思った.宇宙にとって私とはエネルギーの濃淡の揺らぎ,またはセルオートマトンの点滅.私が生きていようが死んでいようがどちらも美しくなりたつ宇宙に思いを馳せた.

大学受験では,文系高校から理系大学への進学は難しかったが,やはり理学への興味が尽きなかった私は,理系へ進学することを決断した.高校では数学はIとIIしかやっていなかったため数学受験勉強は独学で行なった.私はひどく頭が悪いわけではないけど,かといって大して頭がいいわけではないから,低い偏差値大学の推薦入学だったけど,それでも苦労した.

何回か,母の前で自殺するふりをした.反抗期からか,勉強ができないストレスか.ある日,母に他の男の気配を感じた.当時の私はそれがたまらなく許せなかった.死んでやる,といって包丁を持ち出して,自分首に突き立てたりした.本当は死ぬつもりはなかったけど,別に死んでも構わないとも思っていた.

大学時代

高校で,中学生の頃いたような人間には出会わなかったので,大学では友達を作ろうと思った.

また,研究に対して大きな憧れを持っていた私は,すぐに研究室に配属を希望した.その教員は快く迎え入れてくれた.3年生の頃には,先輩の卒論を手伝うほど知識がついていた.今思えば,あの頃が最も楽しく知識を身につけていたと思う.授業でも良い点を取ろうとか考えてなかったので,授業を聞かずにオリジナル(?)のアルゴリズムを使って手書きボロノイ図を書いたりして自由に楽しんでいた.外部発表もしたし,卒業論文特に苦労もなく書き終えた.この頃,「ゲーデルエッシャーバッハ」という本に出会って,その本に魅了された.

大学院 (修士時代

いつからか,「論文を出さなければならない」,「自分は周りと比べて劣っている」,という考えにとらわれるようになった.体調的にも良くなかった.学部の頃からカフェインの大量摂取昼夜逆転生活慢性的睡眠不足運動不足栄養不足などが祟ったのである.締切前になっても全く焦りが働かなくなった自分に気付き,おかしいと思って心療内科に通院し始めた.修士論文も提出しなければいけないのに全く取りかかれなかった.学部の頃からお世話になっていた指導教員ではないO先生がそんな私を見かねて,一緒にLaTeXを書いてくれた.一応提出はできたけど,修論発表を終えた後は悔しさで泣いた.

大学院 (博士時代

それでも私は博士へ進学してしまった.修士の頃からドクターは進学しようと決めていたし,エネルギーの低くかった私は,判断を変えるほどの力がなかったのかもしれない.正直,そんな覚悟博士をやっているのは日本でも私ぐらいなのだろうと時々思う.幸い,修士から学費生活費は奨学金授業料免除アルバイトで何とかして親に頼らずにいられた.

博士の間はずっと,健康を取り戻すために時間を使ってしまった.カフェインを断ち,夜更かしを辞め,休日は一切休むことにして,睡眠を十分にとり運動もして,という生活を送った.論文よりも睡眠運動を優先した.O先生博士の間もずっとメンタリングしたりしてくれた.なんとか学会論文を2本書いたが,卒業要件でもあるジャーナル論文が完成しない.とうとう何もできないまま3年生になってしまった.

現在: 自分について考える

O先生に,成果という葉にとらわれず自分という根を大切にしなさいと教えられた.成果にばかり気を取られていると自分エネルギーが朽ちてしまうというのだ.確かに思い当たると思った.そもそも自分ってなんだっけ?と思った.ドクターには,「自分」が必要なのだ.でも私はそれがなかったのだ.目の前の成果だけしか考えていなかった.

自分はなんのためにドクターをやるのだろう?一瞬,救済を必要とする人や弱い立場の人のためになりたい,と思ったけど,本心からそう思っているか自信がない.ひとまずそう思うことで安心したいと思っているだけかもしれない.自分とは,ちょっとした好奇心を満たすのが好き,それだけだった.

私はなんのために生きているのだろう?私は高校生の頃からセルオートマトンの瞬きにしか過ぎない人生などに,意味を見出すことはできなかった.

死の淵に立てば,生きる意味が見出せるかもしれないと思った.服薬自殺病院巡りをして薬が準備できるのに時間がかかりそうだし,飛び降りは失敗した時が怖いと思った.死ぬときは失血死か,首吊りかどちらかにしようと思った.結局,なんとなく気が進まなくて,自殺の手筈を整えるのはできなかった.

文系先生に生きる意味相談したところ,その先生四諦八正道の考えを教えてくれた.確かに考えても意味はないのかもしれないが,考えるのをやめることは難しかった.

哲学科の先生にも訪ねた.私の考えはニヒリズムに分類されることがわかった.達成することに意味がある,後世に何か残すことに意味があると見出すのはナチュラリズム と呼ばれるものらしい.私はどうもその考えはしっくりこなかった.その先生ニヒリズムの考えを持つ中島 義道という哲学者を教えてもらったので,後でその人の本を読んでみようと思う.また,哲学の入門として,図書館にある,哲学雑誌現代思想を読んでみることを勧められた.

現代思想出会った

現代思想12月号は巨大数特集だった.2chの「一番でかい数を書いたやつが優勝」スレから始まった日本巨大数ブーム歴史や,ふぃっしゅ数小林銅蟲(パルの人)の漫画が載っていた.11月号は確か,反出生主義についてがテーマだったと思う.

まだちゃんと読んでないけれど,あぁ,私はこういうものを読みたかったのだ,と幸せを感じた.

私は毎日,贅沢ではないけれど,質素暮らしていけるだけのお金があって,現代思想とかを読めればそれだけで幸せなのだと悟ったのだ.

これからについて

諦めずにドクターを取得するのか,ドクターをやめて就職活動をするのか,決断しなければならない.

私は毎日研究室のデスクに座っては,ぼーっと研究以外のことをして時が無情に流れていくのを待っている.

こんな私が社会に適合できるのかどうかわからない.これから私は一体どうすればいいかからない.

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん