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はてなキーワード: 機会の平等とは

2024-11-21

anond:20241120194920

ところで、機会の平等から結果の不平等が生じるのは何故か?

機会の平等から結果の不平等を生じさせるモノは平等分布しているのか?

弱者男性を先に救うべきか

この手の議論は、機会と環境と結果の違いを整理しないから拗れる

機会とは

すべての人が平等に機会を与えられることを指す

高校&男女論で例えるなら、男女ともに入試が受けられること

環境とは

すべての人が平等環境を与えられることを指す

高校&男女論で例えるなら、高校施設が男向け・女向けともに同等に備わっていること

結果とは

すべての人が平等な結果を得られることを指す

高校&男女論で例えるなら、男も女も同数合格にすること

機会の平等法律対処できる

法律で縛れば大抵は従う

会社面接だって男でも女でも門は平等に開かれている

環境平等は難しい

会社面接を受けられたところで、実際に採用する基準法律で縛られてはいない

まり男ばかり採用するのは不可能ではないし、実際に行われい

そして、しばしば言い合いになるのも環境問題が多い

などだ

さら環境は多肢にわたる

高校&男女論で例えるだけでも

といろんな方面問題が浮かんでくる

結果だけでは判断できない

とある弱者男性年収が200万(結果)だったとして、それは機会が平等ではなかったが故か、環境平等ではなかったが故か…

それともただ能力がなかっただけか…

順番としても機会→環境結果の平等だろう

機会や環境のせいであれば「先に」救うべきだが、結果が平等でなかっただけなら「先に」救う必要はないだろう

しばしば男性棍棒として利用される自殺率の差の話になると「男にばかり仕事させるな」と環境の話になるのにね

結果だけで判断するのなら「自殺やす環境はそのままに、救命ダイアルだけ増設する」になってしま

「両方やれ?」そりゃリソースがあればね

あくまで優先すべき順序は機会→環境→結果だ

https://anond.hatelabo.jp/20241120194920

機会の平等を与えるんならさ

赤ちゃんまれたら親をシャッフルしろ

誰でも金持ち親や毒親に公平に育てられる権利があるはずではないか

2024-11-20

弱者男性機会の平等結果の平等の違いが理解できない

結果の平等ばかり求めていたら何も頑張らない人が勝ちになるじゃん

まさに弱者男性らしい思考ではあるけど、そのコストを頑張る人が払うわけないじゃん

与えられるのは機会の均等までだよ

anond:20241120165345

機会の平等結果の平等の違いだ

じゃあアファーマティブアクションやらなくてもよくないですか

男も女もSTEM領域に進む機会は平等に与えられているので

2024-11-07

anond:20241106232300

>そんな中で「LGBTQの権利を!」「女性もっと(過剰な)権利を」「移民歓迎」とか言われたらぶっ殺したくなるのは想像できるだろう。

なんでやねん

移民はともかく、「普通に暮らしに苦しんでいる人」の中には女性もLGBTQもいるし

少なくとも人口の半分は女性の筈なんだが。

過剰な権利って男と同じだけの賃金水準とか議員比率とか?(それはあくま機会の平等を進めていった先の結果論であってその結果を直接すぐに実現しろという話ではないと思うんだけど)

それが過剰だと思う時点で認知が歪んでいるよ

2024-09-24

anond:20240923170550

はてなに限らんだろ。

男女平等だって普通常識だと機会の平等だけど

世界の流れはそうじゃない。

バカでも無能でも女を持ち上げるのが正解。

2024-09-06

anond:20240905105231

長すぎなんでAIで要約した

人間思考区別によって成り立つため、完全に差別がない状態はあり得ない。

・ 明確な「区別」と「グレーゾーン」の違いは判断が難しい。

・ 「レディスデー」問題は「グレーゾーン」に位置づけられ、男性側の反応も考慮すべきである

差別を訴える動きは、論理的証明よりも社会運動としての性質が強い。

・ 「弱者男性問題解決には、機会の平等結果の平等を目指すアファーマティブ・アクション必要である

・ 「牛角」の問題は、差別的ではあるが、より深刻な男性の置かれた状況と比べれば重要度が低い。[23

2024-08-02

男女平等っていう名目で考えたら今のように男女を種目で分ける結果の平等じゃなくて全員が同じ種目で参加する機会の平等の方がふさわしいんじゃねぇの?

当然ふつうの女はメダル取れなくなるけど本当に強い女なら男を倒して優勝できるからその方がいいんでしょ?

2024-07-03

anond:20240703135543

教育機会の平等かな

さんざん公平性を語るが

自分のガキは中受させるし公立動物園よばわり。教育への公費支出世界最低線というのに憤っても、増税にはフルボッコ。くびくくってしんでほしい

2024-06-13

[]anond:20240613200534

https://utf.u-tokyo.ac.jp/project/pjt83

h抜きする意味が解らないのでリンクしておくね

地方母子家庭出身の女さんが東大博士号を取るまで

生活保護博士号ニキとか授業料値上げの報道かに触発された。

残念ながら、いわゆる理解のある彼くん要素がある。

長いと思ったら一番最後だけ読んでくれるとうれしい。

東大に入れたのは単純にペーパーテストがめちゃくちゃできたからだが、目指すようになったのは模試の結果を見た高校教師が勧めてくれたことがきっかけ。たぶん高2の春。

それから東大意識するようになって、現国問題で毎回おもしろ文章読めて最高〜、図書館で出典探して著者経歴を見ると東大出身者多いな〜、東大に行けばこういうおもしろい考えにもっと出会えるのかな??ぐらいの浅い動機東大第一志望にし始めた。

金のことはあんまり考えてなかった。

高校私立だったが奨学生として学費は全額免除してもらっていた上に(その条件で入学した)、民間団体が県住民対象でやっていた給付型奨学金支給されていた。

学力も授業だけで問題なかったので予備校に通う必要もなく、教育費はほぼゼロ

大学も同じように学力さえあれば行けるし、貧乏人にはそれ相応の奨学制度があってそれで何とかなると思っていた。だってそうあるべきじゃないか?

父親ギャンブルによる借金が原因で離婚し、母親非正規雇用で働き始めていたというのが数年前から我が家の状況だった。養育費もなく、突然働かざるを得なくなった母親は当然ストレスを抱えていた。その捌け口になったのが私。

自分の娘が東大に行けるはずがない、父親似の目つき・言葉存在その全てがとにかくムカつく、おまえもどうせ父親と同じだ、あんたは地頭が悪いからだめ、性根が良くなければ勉強なんてできたってなんにもならない。色んな言葉をぶつけられて、まあ限界でしたわ。

A判定しかない模試の結果を見せ続けてもだめ(ふーん、だから?)、日本学生支援機構の貸与奨学金の話をしてもだめ(あんたも父親と同じで借金踏み倒すんだろ!)、年収400万円以下が対象になる授業料免除の話をしてもだめ(ちゃん免除される保証がどこにあるの!?)、格安学生寮の話をしてもだめ(入れなかったらどうする、女なんだから余計な下宿費がかかる!)。

給付型奨学金地方のしょうもねえ高校全然情報はなく、先生たちも諦めるなぐらいしか言ってくれない。

自分で調べろって? 調べた上で給付型奨学金勘定から外していた。

募集人数がめちゃくちゃ少ないのに、「学業優秀」で「経済的に困難を抱えている」学生自分が「絶対に」該当するなんてどうして言い切れるんだ?

そんな不確かなものを頼みにできるわけがない。

地方、女、貧困が混ざるとこうなる事例としてぜひ参考にしてくれ。

制度存在することと、使えると認識することは違うんだ。うちの場合だけかもしれないけど。

結局「何とかなる」でゴリ押して、受験すること自体同意を得たのは高3の12月浪人なんてできるはずもないので、東大に落ちたらすでに受かっていた防衛大に行くつもりだった。とりあえず家から逃げることが第一目的に変わっていた。その上で大学おもしろそうなことを勉強たかった。そうじゃなきゃ生きている意味がないと思った。

無事に受験できて、合格した。合格たからってごちそうが出たわけでも金一封が出たわけでもなかった。

翌日に大震災。見事に被災して、なーーーーんも調べることもできないまま、ほぼ丸裸で上京した。

大学のこともなんもわからんし、クラスなんそれ、語学ごとに性格あるんだへー、五月祭なんてものがあるのかー、演習ってなんだ?

こんな感じ。臆病な自尊心合格発表前に色々調べておかなかった私も悪い。

ていうかみんな発言ちゃんとしすぎ、英語喋れすぎ、そしておしゃれすぎ。それに対して私は何もかもが終わりすぎ。

慣れない電車通学、週20コマの授業、母親言葉フラッシュバックで病んだ。健康診断の段階で精神科を勧められて受診はしたけど、医師震災サバイバーズ・ギルトですねで終わらせたのもあってその後の通院には結びつかなかった。

毎日何とか自殺先延ばしにして、大学に通い続けた。おもしろ講義を聞いている時だけは生きている感じがした。

そんな感じで大学と寮の往復で友人もできないまま夏学期が終わり、冬学期が終わった。試験対策が高度に制度化されているおかげもあって、単位には困らなかった。ぼっちこそ東大に行け。

2年生になって少しメンタル回復してようやく友人ができた。ようやくふつう大学生に近づけたと思った。3年生のときには友人の繋がりでのちの彼くんとの付き合いも始まった。

優秀かどうかは分からないけれど、友人になったのはみんな良い人たちだったし、私が母子家庭であることを公言していないせいか、友人たちが気を遣ってくれていたおかげか、対等な付き合いができたと思う。劣等感のようなものもそれほど感じなかった。仲良くなったのが都市部出身ゴリゴリ強者ではなく、地方中流〜上流家庭出身者ばかりだったというのも大いにあると思う。父親教授とか銀行員とか(母親は当然専業主婦)、そんなのばっかりだったけど。


仕送りは当然なかった。しかし、授業料全額免除家賃が月1万円程度の学生寮、さらには運良く引っかかった給付型奨学金のおかげで、経済的に困窮することもなかった。自分でも意外なぐらいに何とかなってしまった。

毎年授業料免除のために母親源泉徴収票を手に入れていたのだが、当時の母親年収200万に満たない程度である。たまに母親仕事が嫌になって無職になったり、転職を繰り返したりしていたので、提出書類をそろえるだけでも一苦労だった。

ちなみに震災の影響で提出できなかった書類を改めて提出するために訪れた奨学係で、たまたまリストを渡してもらえたか給付型奨学金に応募できた。


3年生になるとあっという間に就活ですよ。院進も国家公務員試験留学も考えてなかった。そういうのはタフでグローバルなふつう東大生がやるものなので。

自己分析しているとまた病んで眠れなくなった。家と大学図書館の往復の日々を過ごしてきた私に書けることなんてなかった。どうして自分ふつう東大生になれなかったのか。私と彼ら彼女らで何が違ったのか。

考えるのが嫌になって、手持ちのタマが切れた段階で就活をやめた。留年ぼんやり意識し始めて、さてどうしようとなったのが生活費授業料

特に遊びに行くわけでもなく、自炊を続け、節約しまくっていたのと、貸与型・給付型奨学金と細々としたアルバイトのおかげ何とかなりそうな貯金はすでにあった。

しか留年すると、奨学金は止まる上に、いくら世帯年収が低くても授業料免除対象から原則として外される。授業料分までの貯金はなかったし、家に頼ることはできなかった。

結局めちゃくちゃアルバイトをして授業料相当額を稼いで、留年に備えた。


「とりあえず留年」の先に何か目指している進路があるわけではなく、毎日自殺を考えていた。しかし、たまたま履修したゼミに救われて、大学院進学を考え始めた。もっと救われたかった。

成績だけは相変わらず良かったので、無事に合格できた。また、ようやくメンタル問題と向き合う決心がつき、学内カウンセリングに通った。留年した年の学費はこのために支払っていた気がする。

院進後は授業料免除奨学金も復活し、博士課程では生活費研究費付きのプログラム採用してもらえたから何とかなった。


博論書けない無理とふつう院生のように悩んでいたところ、身体を壊してしばらく入院することになった。標準年限の3年で上がれないのが確定したこと生活費のあてがないこと、研究アルバイトを両立させるような体力はないこと、その状況でまた授業料を支払わなくてはならないこと。何度も自殺は考えてきたけど、ついにその時が来たなと思った。

彼くんに頼ることは全く考えていなかった。しかし、結婚し、しか授業料も出すことをあっちから提案してきた。実は親戚に博士号持ちが多く、本人もかなり稼いでいたこと。これが「博士号取得にやたら理解のある彼くん」の背景にあった。

それまでは割り勘だったしお互いの家の話もロクにしていなかったので、そこそこお坊ちゃんであったことに驚くとともに、これが東大生の家庭なのかと惨めな気持ちになった。

しかし、自分人生にここまで賭けてくれる人がいるという事実は単純に嬉しかった。自分の救いのためだけではなく、応援してくれる彼のためにもさっさと博論を仕上げようと奮起し、かなり短期間で博論を仕上げて博士号を取った。

これがいかにして地方母子家庭出身の女が東大博士号を取ったかだ。要するに学力幸運に恵まれていたから。

高校民間公益財団法人東大の奨学制度博士課程学生向けプログラム、そのすべてに感謝している。うまくやれてる限りにおいて、選ばれる限りにおいて、多くを望まない限りにおいて、意外なほどに制度は充実しているというのが一当事者感想


まれながらに貧困だったわけではなく、しばらくはそれなりの生活を送り、両親もそろっていたので、ガチ不利層というわけではない。だから代表者ヅラする気はない。あくまで一つのケースとして見てもらうのがよい。また、学力自体最初から備わっていた。だから学力格差と関連する機会の平等の話ではない。

学力があっても受験自体が危うかったこと、経済的に一度でも詰んでいればそこで諦めていたであろうことが私がお伝えしたかった点である。詰まなかったのは単なる偶然。


博士課程の最後一年ふつう東大生が過ごしてきた環境なんだろうなとも思う。教育のために金を惜しまず、授業料を払い、衣食住が保障されて、何よりも心から応援してもらえる。率直にずるい。それなりにプレッシャーはあるし、生活保障されていても勉強研究が大変なのは分かったけど、でもずるい。

もちろん、そうじゃない人たちもたくさんいた。授業料免除申請の大行列、寮の住人たち、親との折り合いが悪く仕送りもないのに授業料免除から奨学金から対象外にされて私なんぞよりよっぽど厳しい経済状態にあった知人たち。彼ら彼女らと連帯することはなかったけれど、どうにかそれなりの人生を歩んでいることを願ってやまない。



授業料の値上げの必要性は理解している。国立大学法人改革はクソ。競争資金はクソ。

しかし、値上げの代わりに経済的に困難を抱えた層への支援を充実させる案には、次の5点の問題があることから反対の立場だ。むしろ授業料免除制度なんていらないくらいに、学生アルバイトで賄える範囲授業料を下げるべきだとさえ思う。

第1に、書類準備の手間。住民票、源泉徴収票アルバイト先・RA先生に書いてもらう収入関係書類、とにかく書類が多い。家族に提出をお願いする書類も多い。私の母親書類に関しては協力的であり、私自身の事務処理能力もそこまで低くないので何とかなったが、自分家族書類準備能力が不足している場合、あるいは家族が非協力的な場合、容易に詰む。しちめんどくさい書類を準備させる手間を経済的困難層に課すことは正しいことなのか? その手間を背負わされる学生たちを増やすことは正しいことなのか?

第2に、スティグマ。本当に困っている人の授業料免除されるならいいけどという言説はキャンパス内にも普通に存在した。生活保護と同じようなもので、授業料免除されているということは「恥ずかしい」。払えるものなら、こっちだってすばらしい授業と指導の対価として気前よく授業料を払いたかった。

第3に、高い授業料を払う層と授業料免除される層の発生による、「合格さえすれば平等であり対等なコミュニティの仲間である」という虚構崩壊

第4に、親との折り合いの悪い人々が制度狭間に陥る。学部生の場合独立生計を認められるハードルはめちゃめちゃ高かった。つまりたとえ親から仕送りが全く存在せず、世帯から恩恵を全く受けずに自分アルバイト等のみで生計を立てていたとしても、授業料免除対象に入れてもらえない。個人的にはこれが一番の問題。「親との折り合い」を判定条件に入れて、不正を見逃さずに、本当に支援必要学生を正しく判別できるのか? できるなら教えてくれ。そしてすぐ実行しろ。もしかしたらすでに改善されているのかもしれないけど。

第5に、留年すると原則対象外になるので、失敗・留年覚悟の挑戦ができなくなる。


他方で、なぜ高卒の人々には支援が行われずに、同じ年齢の大学生に対してのみ支援が行われるべきなのか、私には分からない。日本社会の発展に繋がるから? 勝手に期待して我々の未来を決めないでくれ。

高卒の人が一足先に社会で働いて収めてくれた税金が巡り巡って私の就学を支えていてくれていたこと、しか学歴理由に彼ら彼女らが下に見られること、さら生涯年収に大きな差が生まれることを考えると、勉強ができて大学入学できたというだけで大学生が優遇されていて非常に不公平だと思う。若者支援というくくりで全員に対して支援をやらないとおかしい。

最後、一番言いたかたこと。

結局東大に金がないのが悪いんだから、「貧しい家庭出身でも能力があるなら東大に行ける」、そういう理想を守りたいんなら自分で金を出してくれ。つまりみんな直接東大に寄附すればいいよ。「修学支援事業基金」っていうまさにその目的のための基金もある。

ttps://utf.u-tokyo.ac.jp/project/pjt83

ちなみに税額控除対象政府に回る金を減らして直接自分の思う公益のために金を投下できるすばらしい制度税額控除だ!

理想を実現するためには金がいる。金もさないくせにごちゃごちゃ抜かすな。口だけの偽善者になるな。

6月13日現在の今年度の寄付総額は約130万円、寄付件数は80件だ。

この数字が増えることを楽しみにしている。

2024-06-12

Q.

世間一般に対して「容姿で人を差別するのを止めよう」と主張しながら、個人パートナーを選ぶのに「容姿の好みを反映させるのは個人自由である」と主張するのは矛盾でしょうか?

A.

容姿について、社会的差別問題個人の好みの問題区別して考えることが大切だと思います

社会的差別観点からは、容姿理由に不当な扱いをすることは望ましくありません。就職や昇進、サービス提供などにおいて、容姿差別することは公平性に反します。容姿個人能力とは無関係であり、機会の平等を阻害するからです。このような社会的差別をなくしていくべきでしょう。

一方、恋愛パートナー選びは個人的な領域に属します。相手への魅力は容姿だけでなく、性格価値観なども含む主観的・複合的なものです。外見的な好みは個人自由に属する問題で、他者から干渉されるべきではありません。

従って、容姿による社会的差別に反対しつつ、交際相手選択では容姿の好みを優先することは、論理的矛盾しているわけではないと考えます重要なのは、それぞれの場面で求められる公平性自由の程度を見極め、バランスを取ることではないでしょうか。

社会全体としての平等の追求と、プライベート選択自由は、ときに緊張関係に立ちますしかし、一方を重視するからといって他方を全面的否定する必要はないでしょう。状況に応じたバランス感覚を保ちながら、差別のない社会の実現と個人の多様な価値観尊重の両立を目指すことが肝要だと考えます

2024-05-28

anond:20240528214423

その論っていつも思うんだが

平等って定義が定まってないんだよな

 

それもそのはずで、生物としての機能社会要求する機能マッチしてないか

ってとこで

平等ってなんすかね?

機会の平等すかね?

それとも単なる精神病すかね?

 

答えられる人いますか?

anond:20240528065953

「公正にしろ」=機会の平等必要なケース(例:医学部から秘密裏女子排除案件など)

「公平にしろ」=結果の平等必要なケース(例:アファーマティブアクションなど)

「俺を虐げるな」=深刻な人権侵害に対する速やかな回復必要なケース(例:戦争被害への異議申し立てなど)

これも結局、これは「差別に該当するから対応必要」で止まってる理屈

どういう理屈でそれが「(悪い)差別」なのかっていうところの説明が飛んでる。

anond:20240527105132

「公正にしろ」=機会の平等必要なケース(例:医学部から秘密裏女子排除案件など)

「公平にしろ」=結果の平等必要なケース(例:アファーマティブアクションなど)

「俺を虐げるな」=深刻な人権侵害に対する速やかな回復必要なケース(例:戦争被害への異議申し立てなど)

それぞれ状況が違うので、訴えるべきことが違うのは当然ですし、それらが全て「差別」に関する案件であるという理解別に間違いではないと思います

「公正」にせよ「公平」にせよ(あるいは「俺を虐げるな!」ですら)いずれもそれ単独では絶対的でも完全でもない不確かな目標だ、ということには同意しますが。

2024-05-25

anond:20240525192554

では老師、お教えください。

今回の件で言えば何を学べばよろしいですか?

人間どこに生まれ付くかはランダム」の方ですか?それとも「機会の平等は成っていない」の方でしょうか。

anond:20240525161703

そうかなあ。

個人がどこに生まれ付くかはランダムなので、機会ではあると思うけどな。

まあ確かに環境資質平等担保せよ」とか言っても無理なのは知ってるけどさ。

でも学校教育を受けられるかも、採用試験を受けられるかも、環境要因大きすぎて機会の平等担保されてるとは言い難いような気がするなあ。

2024-05-02

anond:20240502103607

結局頭数数えるしかやることないのに機会の平等なんてどうやって証明すりゃいいのだろう

2024-04-27

anond:20240427115830

サンデルみたいな紛い物に引っかかる奴らが間抜けなんだけど、まぁもともと左派結果の平等指向するから引っかかりやすい話ではある。

リベラル(自由主義=右派)からすれば、サンデルが言ってるような話は機会の平等あるいは機会均等という言葉方向性としてはとっくに決まりきってて、あとは社会実装巧拙問題に過ぎない。

2024-04-17

anond:20240417053000

フェミニズムそもそも権利機会の平等を求めているだけで、男女差を否定しているわけではないからね。男女差はあるにしても、それが権利や機会の不平等つがるのはおかしいって言っているだけ。

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