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2023-03-26

希望のたね基金は着服されているのでは?

https://anond.hatelabo.jp/20230326003519

の続き

韓国マリーモンドの名前だけ借りて資金源に

マリーモンドジャパン 2周年記念イベントのお知らせ

2020/11/20

ここからわずか1年後、韓国マリーモンドは終了している。

https://www.marymond.jp/post/%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E5%A4%A7%E5%88%87%E3%81%AA%E3%81%8A%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%9B :<マリーモンドからの大切なお知らせ>]

2021年12月1日

マリーモンドを応援してくださっている皆様、ありがとうございます

既に韓国では公表されているのでご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、マリーモンドは2021年11月をもって、活動を休止することになりました。

マリーモンドは2013年に韓国若者たちが立ちあげました。「慰安婦」にされた女性たちの尊厳を取りもどすために、一人一人の人生を学び、彼女たちを象徴する花を選び、その花をモチーフにしたアイテム販売し、その利益を「慰安婦問題教育支援寄付していくというスタイルで、多くの人々に支持されるブランドとして成長してきました。また、その活動は「慰安婦問題にとどまらず、児童虐待被害者支援、性暴力被害者支援へと拡大し、暴力のない、人権尊重される社会を実現するために行動する企業として歩みを進めてきました。

2018年にマリーモンドジャパンをたちあげ韓国運動連帯してきた私たちも、今回のマリーモンド本社活動休止を、辛く悔しい思いで受け止めています

マリーモンドが休止に追い込まれた背景には、フェミニズムに対するバックラッシュ人権平和を守ろうとする運動に対するバックラッシュがあります。「慰安婦問題に取り組み続けてきた団体への理不尽攻撃や、メディアによる誹謗中傷にも関係者は苦しめられてきました。それはマリーモンドが継続できなくなるほどの力となっています

そのバックラッシュ空気は、「慰安婦問題に関わり続けてきた私たちには痛いほどわかるものです。だからこそ今、韓国マリーモンドが切り拓いた希望や、意思を絶やさずに継続させ、韓国との連帯意思を表明するための取り組みを、日本から発信したいと思います。そのため2022年以降、当面の間、マリーモンドグッズの販売日本を中心に行っていきます

(略)

新しい商品制作の準備や、韓国の休止に伴う商品の整理などにしばらく時間を要しますが、これからマリーモンドジャパン活動を、多くの方のご協力をいただきながら進めてまいります韓国マリーモンドと共にある、これからもある、という思いでブランドを大切に守っていきますので、今後ともマリーモンドを一緒に育てていっていただけるよう、心よりお願い申しあげます

キボタネマリーモンドの名前を借りているだけでなんの関係もない

マリーモンドジャパン2018年12月にはじまりました。3回目の冬は、すこし寂しいお知らせになってしまいましたが、新たな出発の月にもなりました。

皆様への感謝を込めて、ポップアップショップセールを開催します。東京大阪で同時開催です。ぜひ皆様、ポップアップショップにいらして下さい。

またマリーモンドジャパンとしてエシカルエコバッグ制作を行います。これについても随時ご案内してまいります

マリーモンドジャパンの売り上げは、「希望のたね基金」の活動費、韓国マリーモンド再生のために使用されます

なんのことはないキボタネ資金源なのである

ところが法人解散してしまった。するともう韓国マリーモンドどころか、人身取引組織支援である希望のたね自体再生課題となってしまった。

にもかかわらず寄付金をこんな使い方

韓国旅行をしている。

JudyさんはTwitterを使っています: 「@himasoraakane @YouTube 「あの団体」御一行様ですが… 3月22日 正義連の水曜集会に参加していました。 https://t.co/okcohd1eWW」 / Twitter

https://twitter.com/SXMKPQtD7a4OB2F/status/1639586449044672512

このツィートは確認した

表記揺れ:양징자 梁澄子 ヤンジンジャ ヤン・チンジャ

23.03.21 16:32l最終更新23.03.21 16:33l

ユン・ソンヒョ(cjnews)

希望種子基金日本青年たちは3月20日に陽山を訪れ、「キム・ボクドンの道」を通った

ⓒキムボクドン平和公園陽山市民推進委

日本青年たちが日本軍「慰安婦被害者であるキム・ボクドン(1926~2019)、祖母の慶南(キョンナム)量産生家を探して22日、ソウルで開かれる「水曜集会」にも参加する。

21日、キム・ボクドン平和公園陽山市民推進委員会(下記推進委)は、希望のたね基金代表ヤンジンジャ)が日本青年20人余りと一日前日(20日)の陽山を訪問し、「キム・ボクドンの道」を歩いて関連活動を行ったと明らかにした。 。

2017年6月日本で結成された「希望のたね基金」は翌年から韓国青年ツアーを進めてきている。 コロナで中断されてから3年ぶりに日本青年たちと一緒に訪れたのだ。 この団体2015年慰安婦関連した日韓合意以後、日本で「若い世代事実を正しく知らせよう」という趣旨で結成された。

「キム・ボクドンの道」は、メギドゥル村学校で量産を人文学観点体験するために開発した地域教育プログラムの一つで、キム・ボクドンおばあちゃんの生家から小説スラド>の中の日本慰安婦共出場所である土橋まで続く区間だ。

特に非営利団体の「キム・ボクドン希望」が民主化運動記念事業会とともに昨年10月末に「キム・ボクドン希望学校」を開き、量産を訪れて「キム・ボクドンの道」を回答しながらさらに知られた。

ヤンジンジャ代表は「コロナ19で青年期が中断されている間に状況が変わった。 なくなった」とし「これまでおばあちゃんたちはずっと帰ってきて、もう直接会える方を見つけるのが大変な状況になった」と話した。

ヤン代表は「生存者に会えない世代として記憶継承していくためにどんな活動をしなければならないのか考えなければならなかった」とし「そんな中、「キム・ボクドンの道」の存在を知り、記憶継承する良い事例だと思った」と付け加えた。 。

少女像見た日本青年質問「どんな力が市民動かせるのか」

青年たちはこの日ソウルからリョウサンに来て、推進委執行委員・会員たちが出て歓待した。 パク・スヨンさんは、金の祖母の生家で故人の生涯を日本青年たちに聞かせた。

当時通っていた住民も関心を見せて応援した。 参加者たちはキム・ボクドンおばあちゃんも歩いた道に沿って量産南部市場サムジ公園に移動した。

サムジ公園には日本慰安婦被害者を称える「少女像」がある。 推進委はここで「金福洞平和公園平和少女像」を市民の手で作ろうとする意義と進行経過を話した。

この時、日本のある青年は「どんな力が市民をこう動かせるか」と尋ねた。 これにイ・ホンスさん(ヤンサン)さんは「あまりに遅く分かるようになったごめん」とし「キム・ボクドンおばあちゃんの訃告」を新聞報告書だと量産での日本慰安婦病気歴史を知ることになってごめん、故郷で一緒に戦わずキム・ボクドンおばあちゃんだけ 苦軍奮闘させた申し訳ない」と答えた。

続いて参加者たちは春秋公園にある春秋園寺を訪れた。 ここはキム・ボクドンおばあちゃん1947年帰郷して壊れた体と心を療養したところで、おばあちゃんが療養される前には母親が石火を持って置いて引かれた娘が無事に戻ってくるためにいつも訪れた場所として知られている。

当時、キム・ボクドンおばあちゃん母親が持っていた石仏は、まだ法廷の隅にある。 日本青年をはじめとする参加者たちは石仏の前にお寺に参拝もした。

イ・ジヤン執行委員長は「切る姿は痛みを一緒に覚えている人々の切実な祈りだった」とし「春秋原師を出る道には天理香の香りがいっぱいだ。 同行する私たちの心が天理万里に広がり溢れることを望む心だったはずだ」と話した。

日本訪問青年たち、22日需要デモ参加

希望のたね基金青年ツアー最後場所として通道士白蓮がんを訪れた。 ここにはキム・ボクドンおばあちゃんが立てた石などがある。 彼女1992年に公開証言を皮切りに日本慰安婦問題解決のために国内外活動し、以後釜山にしばらく拠点を置いてここに石などを建てた。

執行委員長は「おばあちゃん証言し、日本軍の戦争犯罪証拠が生きて証言するにも日本は認めようとしなかったし、日本慰安婦問題解決兆しがなかった」とし「おばあちゃんは休息のため釜山に降りてきて、その年が 1999年だ。1947年帰郷ほど体も心も疲れただろう」と話した。

彼は「釜山に降りてきて、おばあちゃんは通道師白蓮岩に石灯を見た」としながら「石灯を見てどんな心だったのか私たちは推測すら難しい。 ソウルに行った」と説明した。

キム・ボクドンおばあちゃん最後まで祀ったキム・ドンヒ「キム・ボクドン希望運営委員青年期行に共にした。 彼は「おばあちゃんは「私は希望を持って生きています。私に従ってください」と言われました。 心を読む"と目を覚ましたりもした。

希望のたね基金青年ツアーは推進委に平和公園造成に使ってほしいと20ウォン寄付し、推進委は「平和少女像」が描かれたバッグと「キム・ボクドンバッジ」をプレゼントした。

推進委は22日から今後毎週水曜日午後4~6時の間、量産イマートの前で「キム・ボクドン平和公園平和少女像作り水曜活動」を繰り広げる。

去る18日韓国を訪問した希望種子基金青年たちは22日景福宮見学に続きソウルで開かれる'第1588次水曜デモ'に参加した後日本に帰る。

김복동 생가터 찾고 소녀상 앞에 선 일본 청년들 - 오마이뉴스

20ウォン不正送金しか言いようがない。事故がなかったのが幸いだ。もし事故が起きたらアイセックのように誰が責任を取るのかよくわからない状態になっていた。

たこお金はどこから出しているのか。法人はもうないのである本来法人名前では出せないはずである

しか実態のないペーパー団体手続きは困難が伴う

登記をこのままにして活動することはできない。会社のような法人と違い、税金はかからないのだろうが。

契約はすべて取り消すことができる。なぜなら、法人格が存在しないかである。おそらく課税されないか放置しているのだろうが。

しかし、その一方で登記再生するには、まず過料に処せられる可能性がある。

次に正義連にいつ、いくら払っているのか。

募金いくら正確に扱っていようが、そもそも韓国国内の活動違法である

にもかかわらず法律無視して集金して使っている。

本来清算手続きのはずである

太田啓子のような弁護士もいて、全く何もしない。

認知プロファイルすると、この団体法人登記住所には誰もいないため、法務省からの通知も気づかなかったのだろう。つまり実態のないペーパーカンパニーであることがわかる。

ということであれば、韓国旅行している以上、希望のたね基金は全く実体がなく、양징자が寄付金を一人で使っていたにすぎないということになる。

オーマイニュースには希望のたね基金ツアーと書いてあるので、個人的旅行だという主張は無理である

さら正義連は批判されこそすれ、同情する余地は全くない。慰安婦をかわいそうだとか、なにか支援したいと思うときには絶対正義連の関係者取引してはいけない。こいつらは完全にクズだ。

寄付の停止を

以上から、この団体には実態がまったくないうえに、代表者が個人的お金を使い込んでいる可能性が高い。

以上から寄付したり、マリーモンドの製品を買ったりしてはいけない。

HPにもある通り、もはや慰安婦とは関係がないことが明らかである

さらにもとの正義自体韓国刑事告訴されている。他ならぬ慰安婦証言きっかけに、である。したがってファクトチェック以前に直ちに謝罪すべきなのである

でなければ慰安婦告発無視する以上、慰安婦なんて本当はどうでも良くてお金儲けの道具にすぎないという連中でしかない。

また、法人格はない以上、現時点では契約したり、お金を受け取ったり支払ったりはできない。例えばマリーモンドの商品を買おうとしてお金を支払っても商品は来ない。なぜなら、法人格がないのでそのお金がどこに行くのかがわからいかである

2022-09-16

音声入力ポンコツ変換集

ミディトマトMIDIトマト

炭酸水レモン → 教団山水レモン

琥珀の秋 → 紅白の秋

具沢山五目絹厚揚げ → 具沢山gomoku絹厚揚げ

純和赤鶏だし → 潤羽が取り出し

ジューシー餃子12個入り → 14餃子十二湖入り

裏通りのドンダバダ → 裏通りのドンバタバタ

筑前煮(小)→ 筑前煮(笑)

ピーマン大袋) → ピーマン法学部

2022-02-24

戦争始まったけど思った以上になんの影響もなくて笑ってしまった

いや俺めっちゃ怯えてたのよね。

今日もずっとロシア関連のニュース見てたもん。

職場コロナ出すぎて年始ぐらいから在宅勤務始まってて、最近ようやく仕事が一通り片付いて時間出来たから「仕事が早く出来た自分へのご防備として上司への報告サボってちょっと休憩タイム」ってのやり始めたか時間メッチャ余っててさ。

でもいざミサイルの打ち合い始まったら全然日本に影響ないのな。

ウクライナの人は死んでるんだけど、まさに海の向こうでアフリカの人が餓死してるの同じ程度にこっちは無関係なのよ。

第三次世界大戦が始まって赤旗が配られて、皆自衛隊オスプレイに乗って神風やらされるんだってプルプルしてたのが馬鹿みたいなじゃないの。

人がすごい死んでるけど、アメリカ大陸南北コロナ死してる数に比べたら大したことないじゃん。

まあ戦争ヤバすぎた時期はあのへんで1000万ぐらい死んだらしいけど、今回は全然よね。

そりゃそうか兵器近代化して歩兵とかそういう概念ほぼ消えてるもんな。

ゆーて民間人ボコボコミサイル撃ち込んでるからそのうちどんどん死ぬのかな?

でもそれにしたって日本からすれば無関係なんですよね。

イスラム地域ユダヤイスラムが殺し合った所で結局日本無関係なみたいに?

自衛隊ちょっと散歩にいくかも知れないけど、どうせ国内で訓練してる人達海外に行くだけだから予算も大して変わらんでしょう。

そうなるとマジで関係ないな。

戦争って、自分国土で起こるか自国兵隊が死なない限りは本当に人生無関係なんすなあ。

いやねえ実際国境が隣接してる国で戦争があったのなんて始めてだから緊張しすぎちゃったよ。

反動でなんか笑っちゃった。

ちょっとプルプルしてるね神経のバランスが反転を繰り返してんだろうねビヨンビヨンってゴム紐みたいに。

はぁ~~~まあそうよね朝鮮特需とか言ってるときだってすぐ横でドンパチドンドンバンバン氏ね死ねやってたのに「やったー!儲かるー!うれP-!コリアンの死でドンペリが美味い!」とかやってたもんね。

ほんま他国戦争なんてこんなもんなんやねえ……。

他人の痛みなんて人間には分からねえんだっていうが、まさにそれの国家版だねえ。

いやあい勉強になったわ。

2020-08-05

ポピドンバブルで稼げなかったやつ、人間向いてないから辞めたほうがいいよ

マジで

2019-09-07

温泉、独り旅、そして濃霧

休暇を取ってください、と職場から言われた。

休めるのなら迷わず休むのがポリシーなので喜んで三日ほど休んだ。

さて、どう休もうかと悩んだ。引きこもりお盆で味わい尽くしたし、

予定を入れなければうっかり自宅で仕事をしてしまいそうだ。

そうだ、温泉へ行こうと思い立って旅行サイトで予約した。

さて、車で二時間ひたすら山を登る。

残暑が厳しいだろうから高地へ行って涼もうと思っていたのだけど、麓も涼しくなっていた。

山を登りきると、そこは涼しい温泉地。どこか浮かれたような雰囲気が漂っていて好き。

ホテルへのチェックインにはまだ時間があったので、スーパーへ寄ってビールつまみを購入。

口コミサイトにはフロント対応が最悪と書かれていたが、妙齢マダム淡々手続きをしてくれただけだった。

雰囲気が良ければあまり接客態度は気にしない。チェックインを済ませると部屋へ行った。

事前にわかっていたとは言え畳にベットは味がない。ベットだと布団の上げ下ろしがないからないから安いのか。

まあ、旅館の部屋につきものの「あの部分」があるからいか。早速「あの部分」の椅子腰かけくつろぐ。

瞑想くらいしかない。景色は開けているが、山しか見えない。夕食まで時間があるので、温泉に入ることにした。

事前に純粋温泉を楽しみたい人におススメとあったので、ワクワクしながら温泉に向かう。

ああ確かに温泉はしっかりしている。酸性度が強いので傷口が痛い。全身で温泉を感じた。

温泉に入ったから、何かが変わるわけでも魔法がかかるわけでもない。ただコンクリートの壁を前にして身体温泉に浸す。

なんとピュア温泉体験なんだろう。そうか、温泉っていうのは絶景とか解放感とか

そういう非日常こそが温泉だったんだなという気づき

ゆっくり風呂に入ったら、もう夕飯か。夕日を見る間もなく夜になっていた。事前の評判では冷食バイキングと聞いていたが、

実際に得られたモノもそう表現するしかない。宿に泊まっている全員の食事時間が90分しかない

というのが何となく窮屈に感じるけれど、その正体がわかった。コレ寮生活みたいなんですわ。

行列に並ぶことが何よりも嫌いなので、15分ほど遅れていったら部屋に内線電話がかかってきた。

現場に向かうと、部屋番号の指定席。なんかさらされているようで気恥ずかしい。

料理は大しておいしくないが、別に文句を言う理由もない。そんな食事なのに、

ビュッフェスタイルだったか無駄に食べてしまって2泊3日で2kgの大増量。

バカなことをしてしまった。

食事にはお酒がついてきた。あまり食事時に酒を飲むのは好きではない(回るのが早いから)が、

セットでついてきたのだから、ついつい飲んでしまう。欲張りモノは損をする。

酔いが回ってくると、気が大きくなってくる。隣席は同じく独り旅と思われる中年男性哀愁漂う晩餐を取っていた。

ものすごく、話しかけたくなった。目的もなく一人で来たからやることがないのだ。どうしようか。

どこか観光地について聞こうか、このへんにはおいしいものがあるのか、そんなことも知らずにここにいたから知りたかった。

しかけるのは簡単なんだ。でも、相手が会話を望んでいないときどうやって終わらせるかがむずかしい。

そういう責任取れない会話は辞めとこう、という気持ちがわいてきたので彼に結局話しかけることはなかった。

食事を終え、部屋に戻ると「あの部分」に腰かけビールを飲んだ。ああ、なんでこんなことしてんだ。

カーテンを開けると眼下には、昼間には森だった暗闇が広がっていた。何にもねえや。

いよいよアルコールがキツくなってきた。ドキドキと鼓動は早くなり頭はぼーっとする。そして気づく。

ああ、実は酒なんて好きじゃないんだな。

普段酒が好きだと思っていたのは、飲酒で気が大きくなって会話を楽しんでただけだったんだ。

無音の部屋で畳にゴロンと横になり、座布団を二つに折って枕にする。天井の木の模様を観察して、微妙な気分になる。

畳のにおいが心地いい。何も考えない、楽しい訳でもなく悩むわけでもなくただ時間が過ぎていく。

そうやってどれくらいの時間が過ぎたのだろう。酒が抜けてきたので再び温泉に入った。

いつ行っても風呂場がバラバラだけど、大丈夫だったのか。お湯の中で瞑想する。

風呂から上がると、ロビーは消灯していた。ほとんど真っ暗なロビーで放心状態だった青年が一人。

彼は何を思っていたのか。そんな彼を横目に部屋へ戻る。どうも隣室がうるさい。酒盛りだ。

ホテル入口にXX大学OO部と書いてあったけど、ひょっとしてこいつらか。でも、体育会系キチガイじみた盛り上がり方でもなかったので、仕方なしと思って布団に入った。その後もドンドンバンバン隣室からは音がしていたが、朝飯の時間は決まっているので彼らもじきに寝たようだった。

朝飯も同じ。何も語ることはない。卵やきをたくさん食べた。部屋に戻るとカーテンを開けた。濃霧で真っ白で視界ゼロだった。ふと、若い時に行った東北旅行で遭遇した吹雪を思い出す。バスの窓はすべて白く染まり飛行機が遅れて大変だった。吹雪の中にいると、建物の中にいても現実感が失われる。果たしてここはどこか、私はだれか、そんなことを疑いたくなる。次は吹雪が吹く冬に来ようという気持ちになった。

特に何もなかった。でも、何もないって贅沢だな。

 
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