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2024-03-14

隅田川コマ切れ殺人事件wiki読み始めたけどまず60歳男性と51歳女性夫婦を”老夫婦”と称してることが訳わからなさ過ぎて混乱してる

昔の事件から当時の寿命から考えると老人なのか…?と思ったけど当時72~86だったぞ

せめて両方還暦越えてからくらいでは?51歳で「婆さん」と呼ばれてしまうの哀れすぎるだろ

男じゃバリバリ現役で役員とか幹部格の年齢なのに

2024-02-05

anond:20240205102109

東を隅田川で切ると中央区ギリギリなのに

西は環七とか言ってる時点で元増田都心3区に住んでないのがわかる

anond:20240204143055

隅田川東岸東京しか成立しない街だらけなので荒川の方が納得がいく

2024-02-04

東京に住んでるな、文化的にも景観的にも他と違うな」って感じる境

東は隅田川

南北山手線

西は環七

ここ辺りだと思う。

それより外側になると地方都市と大差ない。

2023-11-10

電車でガキが急に花を歌い出したかアルトパートで参戦したら駅員に突き出された

いかんのか?

 

ちなみに「花」って「春のうららの隅田川」のことね

2023-09-13

相対的位置で表される地名が恥ずかしくて改名された例

元増田みたいなのが居るから地名変えちゃったってケースを出すよ。

 

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20230912103559

 

 

志茂

地下鉄南北線志茂駅というのがあるが、ここは昭和初期まで「下村」だった。上村は近くにないので、岩淵宿から見て下の村という意味かと思われる。

関東大震災後に人口流入して町になる時、「下町」じゃあれなのでちょっとこじゃれて「志茂町」とした。

後に町が取れて志茂となり、駅も出来て有名になったが、住んでる人も元は「下」のこじゃれた書き方だったとは知らないことが多い。

 

西川口

西川口駅の西口周辺はかつては横曽根村だった。

関東大震災後に東京近郊は下町から移住人口が増え始め、川口町合併して川口市になる横曽根人口が増える前に区画整理をする事になった。

新しく升目に近くされた区画町名を付ける必要がある。

横曽根の中心の北には「北」、南に「南」というおざなり小字があり、西側は「新田」という小字があったので、「北」を「北町」、「南」を「南町」、真ん中を「仲町」とし、西側新田は「仁志町」とした。

仲は中を、仁志は西をこじゃれた風にしたものだ。

だが西川口駅が出来て人口がどっと増えると、駅西側は全部西川口にしちゃえという事になって北町も仁志町も全部西川口になってしまった。

「仁志」とかせっかく付けたのに結局に「西」で上塗りされちゃっというケースである

 

余談だが、南町は残ったのだが、ここは市境に近く、川口市南町から歩いて5分に蕨市南町があるので混乱の元だ。この命名法はよくない。

 

上板橋中板橋

先の事を考えない鉄道会社に振り回されたケース。

東上線中板橋駅の西側に711の弥生町店があるが、実はこの辺りは川越街道上板橋宿跡である

大正初めに東上鉄道(現東武東上線)が開通すると、始発駅の池袋の次は板橋下宿に近く貨物扱いで重要下板橋駅が設置されたが、その次は4km先に設置する事になった。当時は蒸気機関車単線運転から交換用の駅で距離もその程度が適当だった。

だが駅の周りがマジで何もない。だから駅名に適当地名も無い。

そこで3km程離れているが著名な宿場上板橋を駅名にした。

だが昭和初期に電化されて加速性能がいいので駅を沢山作る事になり、下板橋上板橋の真ん中にも駅を作る事になった。だがこの近くの地名は、上板橋宿に因んで全域が上板橋になっていた。

でも下と上の中間板橋から中でしょと「中板橋」駅としてしまった。

すると上板橋上板橋付近になくての隣の駅の周辺にある、しかもその駅名は中板橋というおかしなことになってしまった。

地名変更できるようになると上板橋は古い名前を捨てて「弥生」というこの地に特に縁のない名前にしてしまった。

全部先の事も考えないで行動する鉄道会社のせいである。

 

池袋

元々池袋村は今の下板橋駅付近が村の中心で(現池袋本町)、池袋駅が設置された当初は池袋村の村の外れの村境ぎりぎりの場所だった。

今の西口付近はその名も「上」という小字場所だった。その他にもこの周辺は「原」とか「下上」とか「西山」とかおざなりの超てきとうな小字ばかりであった。さすがは人もろくに住まず雑木林のままの村はずれだ。

だが鉄道がどんどん集まってきて人口も増えるとそんなてきとう地名は「池袋」で消されて無くなってしまった。

そもそも下上って何なのか?

 

墨田隅田

葛飾区足立区区界を見ると綾瀬駅付近で絡まったコードのようにやたらグネグネしている。これは古隅田川の流路で、中世では住田河と呼ばれていた。

荒川放水路が出来るまでは堀切駅付近で今の隅田川に合流していたので、その上流までが荒川、その下が隅田川と呼ばれていた。

この隅田川の東に隅田村というのがあった。

一方、江戸時代水墨画流行すると、「墨」という字とそれを「ボク」と読むのが粋でブランド価値を持つようになった。

隅田川がカーブしながら先述の古墨田川と合流する場所の外側にあるのが隅田村で、洪水が頻発するので幕府隅田堤という陸の堤防を築造、桜を植えた。桜を植えるのは花見客が大挙して訪れて踏み固められるからである。今も川べりに桜が植樹されるのはこの幕府の知恵に由来する。

するといい景色なので山水画浮世絵が多く作られたが、何しろ「隅」より「墨/ボク」の方がカッコいいもんで、隅田堤じゃなくて「墨堤/ボクテイ」と題されたりした。

その他にも隅田村/隅田川関連のものが「墨田」と呼称されたので、隅田村→隅田町となっていたが住んでる人らは勝手に隅っこよりもイキな方がいいと「墨田町」と書くのが流行し、本所区と向嶋区が合併した際には墨田区となった。

隅田町が町名変更できるようになるとこれもやはり墨田となった。

 

仲宿

中仙道板橋宿は超巨大宿場町で、JR板橋から都営地下鉄板橋本町駅の2.5kmくらいもあり、北から上宿、中宿、下宿下板橋宿/平尾宿)と分かれていた。

鉄道道路時代になると宿場町の記憶は無くなって何が中なんだという事で、仲宿と改称された。

 

台東区

浅草区下谷区合併したのが台東区

下谷はいかにも下に見られてるみたいなので、台地の東、と台頭を兼ねた造語を区名にした。

吉原遊郭とか上野周辺とか山野とか実際にスラムが幾つかあったのが余計にコンプレックスを刺激した。

 

十条上十条

十条と呼ばれる地区には北側上十条村、南側に下十条村という二つの村があった。尚、この当時の上、下というのは京都に近い方が上である江戸北側には中仙道があるので京都に近い方の北が上であって、東海道周辺なら西が上になる。

両村を縦貫する形で日光御成道(別名 岩槻街道)があり、下十条宿という幕府非公認の小さな宿場町があった。今の東十条駅から坂上がったあたりの塾や郵便局があるあたりである

明治になりその十条の西の方に現赤羽線埼京線。開通当時は日本鉄道品川線)の十条駅が出来た。

次に東北本線京浜東北線)にも駅が出来る事になったが、当然、一番栄えている下十条宿に近い場所に設置された。また駅に来れる道もある。だから当然駅名も下十条駅だった。

ところが昭和住居表示町名が変えられるという事になると、下十条が「今は東京駅に近い方が上だからこっちが上十条だ」とか言い出す。

それで町名を押し出された元の上十条は、下はヤダってことで中十条となってしまう。何でだ。

駅の東側の元は十条じゃなかった辺りは東十条となった。

こうして下十条が無くなったのに駅だけ下十条を名乗ってる状態になったので、十条の東だし、東十条に隣接してるってことで改称されて東十条駅になった。

そりゃ下扱いは誰でもイヤなもんだが、下剋上的というか身勝手というか。

 

田園調布

田園調布がある場所はかつて荏原郡調布村だった。

ここを東急電鉄後藤慶太デベロッパが買い上げ高級住宅地田園調布」の分譲を開始、鉄道も開通し、調布駅が設置され、直ぐに田園調布駅に改称される。

「田園」の文字の由来は、ロンドンに視察に行った後藤田舎に住んで都会に鉄道通勤するというゆとりがある生活スタイルに触れて感銘を受けたため。当時のロンドン児童含む超絶ブラック搾取労働や、一晩で数百人が死ぬほどの超絶大気汚染ゴミや糞便に混じって死体流れるテームズ川の超絶河川汚染、多発するスリ強盗殺人林立する売春婦など、文字通りに死ぬほど環境が悪かったために富裕層にこのような生活スタイル流行した。

昭和3年に人口が増えて町制施行されることになったが、調布町とすると京王線沿線調布と被ってしまうので「東調布町」と呼称

だがその僅か五年後には荏原郡自体東京市に編入されて東調布町も消滅。短い命であった。

初めは東急の子会社デベ)が開発した駅前の高級宅地けが田園調布だったが、住居表記施行町名変更が可能になると、元の田園調布の周りの○○沼とかの町も「沼とかヤダ田園調布にしたい」という事になって、全域が田園調布となった。

この為に駅の裏側とか川べりの低地とかあんま高級じゃない田園調布が沢山ある。

2023-08-06

いたばし花火大会に関して

火事が起きて途中中止になったけど花火最期まで上がっていたといういたばし花火大会だが、実は戸田市との共同開催になっていて、荒川を挟んで板橋側だけが中止になったのだ。荒川を挟んで両岸で打ち上げまくるのね。

でも板橋区の方では「いたばし花火大会」としてしかアナウンスされないし、戸田市側の方は「戸田花火大会」としてしか案内されないから、東京都民or板橋区民の中には戸田市の方でも打ち上げてるのを知らない人が結構いるし、反対側の埼玉県民、戸田市民の方も然りで、「中止になったのに最後まで打ちあがってたのは何故???」というなぞなぞみたいな事になってしまった。

 

そして両岸で共同開催という珍しい形になったのは、荒川改修工事が元になっている。

 

荒川放水路工事河道直線化

赤羽岩淵岩淵水門という隅田川入口を締め切る水門があるんだが、そこから下流荒川大正から昭和初めに掛けて開削した放水路だ。それまでは荒川の全水量が今の墨田川に流入していて水量が増えると東京下町の方が洪水になってその都度大損害を出していた。

そこで荒川放水路を掘るという大工事に至ったのだ。普段岩淵水門を開けておいて水は隅田川の方に流れているが、水量が増えたら水門を閉めて全部放水路の方に流れるようにする。

同時に岩淵水門の上流も大改修する必要があった。荒川がうねる様に大蛇行していて、当時の堤防というのは河道から500m~1kmも離れた所にあり水が溢れたら堤防までの土地(堤外地)は水没、という扱いになっていた。

これを止めて直線的に流れるようにして堤防に対する攻撃力を下げる。そしてちゃんとした高い堤防で完全に水を封じ込むようにする。

ついでに合流する河川も改修する。新河岸川彩湖付近で合流していたが、荒川堤防だけ高くしても洪水時は新河岸川の方に逆流するからそこから洪水になって無意味だ。

そこで新河岸川堤防荒川準拠に高くする代わりに、新河岸川合流地点を延長して荒川と平行して流し、赤羽まで持って行く。そして岩淵水門下流隅田川に合流させるのだ。確かに荒川の水量の影響を受けなくなるがすごい工事である

で、その河道はどうするかというと、蛇行している荒川の頂点に接線を引いて、北側接線を荒川南側接線を新河岸川にした。

地図で直接見た方がいいね。これだ。

https://ktgis.net/kjmapw/kjmapw.html?lat=35.795747&lng=139.695110&zoom=13&dataset=tokyo50&age=1&screen=2&scr1tile=k_cj4&scr2tile=k_cj4&scr3tile=k_cj4&scr4tile=k_cj4&mapOpacity=10&overGSItile=no&altitudeOpacity=2

 

飛び地問題発生

すると接線の間にはサインカーブで分断された土地というのが出来る。

そしてそれまでは荒川埼玉県東京府の境だった。荒川位置を変更して北側接線にしたから、東京府側に下に凸型の埼玉県飛び地がいくつか出来たって事になる。

このサインカーブ飛び地問題、今の埼玉県川口市東京北区埼玉県戸田市東京板橋区が影響を受けるが、川口市北区側は早々に解決した。

今の埼京線浮間舟渡駅北赤羽駅浮間地区は元は埼玉県横曾根村の浮間だった。だが荒川改修直後に横曽村と川口町合併川口市へ)が控えており、その時に東京府に割譲すると取決めがされてその通りになった。

一方、戸田村の船渡地区東京府との協議が難航していた。浮間の方は横曽村がほぼ丸ごと東京側に行くのに大して、戸田村の集落埼玉側にあり、その船渡地区けが東京側に行く。

時折線が入り組んだ複雑な県境があるが、それが出来る理由というのは同じ地主土地県境で分かれないようにする為というのが多い。この場合地主土地を引き裂く県境引き直しだから難しい訳だ。更にその土地工場に売られたりして更にややこしくなった。

そうするうちに戦争が始まってしまう。東京府と東京市は無くなって東京都と板橋区が出来て話し合いの主体リセット。もう解決不能である

 

飛び地問題解決と合同花火

戦後になって流石に復興する前にあれ何とかすべきだという事になり、1950年、難航の末に戸田町と板橋区の間で県境荒川にする事で合意。今の地図を見ても蛇行の名残は見える。

https://goo.gl/maps/uEMgZazGCHPmMV2Q6

新河岸川の角みたいなのと浮間公園の池が蛇行の跡で、戸田葬儀場があるU字型の土地戸田から板橋区に割譲された船渡地区だ。

そこでこりゃ目出度いって事で、戸田花火大会を開催することになり、板橋区もそれに協賛という形で加わる形となった。後に協賛じゃなくて戸田市側の戸田花火大会板橋区側のいたばし花火大会同時開催という形に変化。

そしてこのいたばし花火大会の開催&打ち上げ地点というのはこの戸田市からぶん捕った土地河川敷なのである。これは飛び地問題解決を祝って始めた花火なのでここじゃなきゃいけないわけだ。

 

そしてこの経緯が火事の原因ともなってしまったのだった。

 

敢えての荒れ地

荒川河川敷は今の経緯から見ても判る通り、元は農地だった。戦後すぐまでもそのままで農民河川敷の農地を所有し堤防を越えて農業をしに来ていた。

だが堤外地で増水時には水没する土地でもあり自治体土地を購入して運動公園への転用ゴルフ場教習所など水没前提の事業者への売却を促してきた。つまりは「平地」として活用されてきた。

だがそのうち荒川河道は誰の土地でもないか放置されて荒れ地のままになっていた。それも昭和後期あたりから公園や払下げなどが進んできた。

だが現河道と旧河道の合流部は敢えてそのまま残される事になった。水面が切れ込んでいるので水生生物が流されにくい。そしてその周辺は敢えてそのまま荒れ地のままにしてバードサンクチュアリにする。

 

という事で、他の部分は運動場などで使うので綺麗に芝刈りされているのに「一か所だけ荒れ地のままにしているところでナイアガラをする」という条件が揃ってしまったのだ。

河道付近は荒れ地のままにして、戸田市からぶんどったこ土地でやるのが元々の花火テーゼから仕方がないのだが条件が悪いな。

 

他の原因

増田の推測だと他の悪条件も重なったと思われる。

まずは2019年台風19号。これによって荒川は増水し、昭和初期の堤防の高さを超える位置まで水位が上がった。

水が引いた後は河川敷の教習所ゴルフ場も泥まみれである。これらは2~5cm以上にも達し、人力で除去されたのだが、荒れ地の泥はそのままだったはずだ。

そして洪水の泥はナイル川デルタ文明を発生させるほどに肥沃であって、泥がそのままの荒れ地は猛烈に雑草が繁茂したはずだ。

更に2020~2022は東京五輪コロナの為に開催中止。肥沃な泥で荒れ地の雑草たちは伸び伸びと繁茂しまくり、その中には葛も含まれていた。こいつが来たらもう手に負えない。

そんな悪条件で更に当日は風が強かった。堤防下に管理道路があり、その脇の数mは普段から草刈りされていて、そこでナイアガラするのだが、そこを遥かに超えた所まで火が飛んでしまった。そしてそこには台風19号肥料を大増量されて3年以上も繁茂しまくっては枯れと繰り返した雑草特に葛が居たのである。悪条件が重なりすぎなのだ

 

ついでに周辺トリビア

ついでなので戸田橋周辺のトリビア開陳するよ

 

戸田ボート

戸田市側の堤防の向こうには戸田ボート場があるが、これは東京五輪用に作られたものだ。

だがこの五輪は2020大会でもなけりゃ戦後1964年大会でもない、幻となった戦前1940年大会用に作ったものである日中戦争激化でキャンセルされた幻の五輪に向けてこれだけ大きなボート場を作ったのだ。でも当時は埼京線は無いし交通はどうするつもりだったのか?都電戸田橋の南詰まで走ってたがこれは戦後開通だし。

因みに1964年大会ボート場としてちゃん活用された。

今は西側1/3をギャンブル競艇東側の残りの水面を大学実業団漕艇部が使うという形になっていて、それらの艇庫がズラリと並ぶ。

 

川口花火

飛び地問題を早々に解決した川口市の方は荒川での花火大会は無かった(最近出来た)。

だが戸田板橋花火大会が羨ましくなった川口市はたたら祭りという祭りを開催。その〆に花火打ち上げている。

これは川口オートレース場で行われるが、狭いところで打ち上げるので尺玉などは無くて、数も3500発位と、スペックだけ見たらしょぼく見える。

だがオートレース場は観客席と防音壁で囲まれており(数年前までマフラー無しの直管だった)、そこで打ち上げるので音が反響してもの凄い迫力である。また打ち上げ場所が近いので灰や花火の殻がバラバラと沢山降ってきてかなりワイルドなんである

これは高級スポーツカーよりレーシングカートの方が楽しいとかジャンボジェットよりもセスナブリテンノーマン アイランダーの方が体感的というのに似ている。

スペックだけでは判らない、結構穴場な花火大会なのだ

 

タワマン物流センタースーパー堤防

先のgooglemapsの航空写真では船渡地区のU字の丸い底の方に工場群が写っているのが見える。

これは新日鉄工場で、新河岸川は舟運が出来るので戦後すぐに出来たものだが(貨車トラックに乗らない長物が運搬できる)、実は今は解体されて無くなっている。

都内最大の超巨大物流センターになる予定で、ドローン配達基地にもなるそうだ。

ただ、ここは実はスーパー堤防予定地である。また、対岸側の川口市の方にはやはりスーパー堤防予定地にタワマンが数棟建っている。

いいの?と思うがスーパー堤防の整備年数は400年、タワマン工場耐用年数は60年で、修繕しても120年くらいだから建てちゃっていいそうなのだが、スーパー堤防の壮大さというよりも大言壮語さに驚いてしまう。

 

埼京線

花火会場の直ぐ近くを東北新幹線埼京線が鉄橋で渡っており、埼京線打ち上げ中は徐行して渡る。新幹線普通に走っているので乗客へのサービスと思われる。

 

全有料席化は不評

韓国の雑踏事故コロナのせいで有料席だけとして無料の人は出ていけとしている大会が増えていて今いたばし&戸田橋もそうだが、これだと市街地の道に人が溢れ、トイレゴミ箱の設置が無いからその始末を住民がする事になって運営無責任だ、見えなくしただけだという感じで結構ヘイトを買っている。このやり方はまずいんじゃないのか?

2023-08-05

東京文化

東京にいわゆるサブカルチャー的な(本屋が多いだのライブが、コンサートが多いだの美術館ギャラリーがうんぬん)リソースの集積があるのは、まぁそう。

でも、東京には歴史あんまりないし、色んなお国から集まってきている人の集まりの街なので「東京のくらし」という共通認識あんまりない。

増田東京まれ・育ちなのだが、東京には割と潤沢にあると言われがちなサブカルチャーサブカルチャー的な”文化”よりも、人の生活に根差し文化がある地域が素敵だと思うのだ。この間はTVを見ていて、青森には「普段は別の仕事をしている市井ねぷた絵師」がいる、というのを知って、何だよそれめちゃステキじゃないか。と思った。

東京は、色んなお国から人が集まってきていて、そういう暮らしに根差し市井文化は割と薄まってしまやすい。まぁ薄まっているところも「東京らしさ」でもあるのだけれど、市井ねぷた絵師のような存在文化だなーうらやましいな、カッコいいな、と思う。

ところで、サブカルチャー的な文化ではない、市井文化も、薄まってしまっているとはいえ東京にも残っていたりする。

下町まれ育ちの増田が感じる、東京下町の、もうすぐなくなってしまうもしれないな…と思ったりもする、東京市井文化を紹介させてください。

祭り

そりゃ歴史のある他の街ほど立派なものではないが、東京はいわゆるお祭り結構かなり多い。

下町特に、もう数百年のあいだ狭い長屋に人がひしめき合って暮らしてきたところでもあって、人の数だけ「祈り」も必要とされてきたんだろうと思う、街ごとに小さいお社がある。小さいお社は普段町内会掃除とかの面倒を見ているが、このお社がお祭りに参加する。大きな祭り氏子だったり(例えば神田祭だと100個ぐらい神輿が出るらしい)、自分たちだけの祭りがあったり色々である

下町では、各町内ごとに「自分の町内は〇〇祭の神輿」がある。氏子という言い方なんだろうと思うんだが、かなり割とキッチリと、祭りの割り当て?範囲?みたいなものが決まっていて、町内ごとに神輿を持っている。まぁ他の街でも祭りってそういう感じだと思うので珍しくもないと思うけども。

下町祭り基本的には神輿がメイン、山王祭日枝神社祭り)は山車がメインのようだが、まぁあの辺は山の手だな。下町神輿。わっしょい、わっしょい。

隅田川より西側下町祭りは、春~初夏ににやるところが多い気がする。そして隅田川より東側祭りは夏にやるところが多い。夏にやる祭りは「水かけ祭り」といって、町内を練り歩く神輿に、宮入する神輿に近所の人たちが水をわっしゃーわっしゃーとぶっかける。手にバケツを持つおじいさん、ホースを持ち出すお母さん、金だらいにビールを浮かせながらひしゃくで水をかけるお父さんなど。担ぎ手もびしょびしょ、道路もびしょびしょになる。

神輿が出る日は一日中、町内が法被と脚絆、なんならふんどしの人がウロウロする。非日常ですごく楽しい普段ダラシナイ自分の親父殿が祭り衣装になると5割増しに格好よく見える。近所の、普段は古いビルの1階のすすけた喫茶店マスターをやってるおじさんが、祭り半纏めっちゃ粋に格好よく着こなしたり、新しいマンションの住人の若いお父さんの装束をきゅきゅっと直してあげてたりね。女も神輿担いでも全然オッケー。ただめちゃ肩が痛くなるので私はまぁ、雰囲気だけ味わって担ぎ手はあんまりやらない。子供神輿を持ってる町内もあるし、うちの町内は子ども山車が出る。

下町祭りは毎年はやらない、2年に1度とか3年に1度とか。本当のところは知らんけど「江戸っ子祭りお金を使いすぎるから毎年だと無理」だかららしい。馬鹿だな江戸っ子ときたら。

木遣

増田子供の頃は近所に「木遣りをうなる爺さん」というのが居た。「木遣り」と書くので、木にまつわる仕事をする人たち、材木関連、とび職さん、火消し(火消し≒鳶)の労働歌がルーツなんだろうと思う。よく知らないのだが笑。Youtubeなどを見るとうなってる爺さんの動画があると思う。

結婚式の時とか葬式の時に「木遣りを歌うじいちゃん」が何人かで来てくれて、家の前にずらっと並んで木遣り歌を歌ってくれるのだ。平成の半ばに亡くなった祖父の出棺の時にずらっと「木遣り爺さん」が並んで歌ってくれたのが良い思い出。ちなみにおじいちゃんはとび職ではなかったので木遣りは歌えなかった。

まぁでも、もうこういうのは無くなっていくんだろうなーと思う。数年前に祖母が亡くなった時は少し離れた町の老人ホームだったので葬式もその町でやったから、それ以来木遣りうちには来てない。マンションも多いしなぁ。

今は、正月とか区の祭りかに出くわすと「ずらっと並ぶ木遣り爺さん」が見られる。保存会伝承しなくては、とかそういう感じみたい。

ちなみに祖父母の家には、私が子供の頃(昭和後半)まで、年末になると上記の「木遣りのじいさん」が門松を立てに来てくれていた。その木遣りのじいさんのことを祖父母は「親分さん」と呼んでいた。今思うとあれは銭形平次的な何かの名残なんだろうな。昭和の頃まで、うっすら「江戸」が残っていたんだろうなと思う。バブルで全部洗い流されたけどね…。

寄席演芸相撲

東京には寄席がある。上野の鈴本、浅草演芸ホール新宿末廣亭池袋演芸場。あといくつかの落語演芸団体がある。落語家が多い街、東京

下町には落語家さんが結構たくさん住んでいたりする。私が初めて一人暮らしをしたマンションにも偶然かなり有名な落語家が住んでいて、すれ違うと気さくに挨拶してくれるおじいさんだった。

落語は、上記定席小屋毎日やっているし、〇〇市民会館、○○ホールみたいなところで独演会なんかたくさんやっているが、もっと小さい、近所の落語好きの蕎麦屋のお父さんが自分の店で若手を集めて落語会をする、みたいなことが、結構あちこちで見かける。

覚えている人もいるかもしれないが10数年前のNHK朝ドラちりとてちん」で(まぁあれは上方落語の話なんだけどさ)、アル中から立ち直った師匠を中心に一門の小さい落語会を近所の居酒屋で開くようになるのだが、その「寝床寄席」みたいなのが、蕎麦屋やら居酒屋やら和菓子屋やら、結構あちこちで見かける。神保町のらくごカフェとか日暮里ひぐらし亭とか、ミニ寄席最近ブームだったりするが、それよりももっと「地元落語好きの人が場所を貸す」みたいなのがあるんですよ。

歩道の植え込みの勝手花壇

これは良い文化ではないのだが、下町には、下町名物の、何て言うか「飛び地の庭」というか…歩道の植え込みを不法占拠して勝手に花壇を作っちゃう爺さん婆さんが生息している。下町の家は狭い。元々長屋だったところなのでとにかく家が狭いし庭なんてない。玄関を開けると2、3歩で歩道なのが下町建築

なので、下町園芸好きは、軒下などに細ーくプランターを並べて園芸を楽しむのだが、それが段々エスカレート過激になってくると、歩道を飛び越えて飛び地的に、街路樹が植わっている土や植え込みにも鉢植えやらを置きだす。通行の邪魔になりかねないのでなぁ…とは思うが、庭の無い下町まれなのに園芸を楽しみたいぐらいなので結構、きちんと管理されていてきれいな花が咲いたりする。逆ビッグモーターである

そういえば下町は庭がないからかもしれないが、結構園芸趣味がある。朝顔祭りなんてのは典型だし、少し大きい神社境内植木屋台が出ていたり。庭がない家が多いからね…せめて緑を。でも良くないんですよ。

ちょうどいい距離

これは、すべてがそういうわけではないと思うのだが、下町に暮らすために必要ものとして「踏み込みすぎない、ちょうどいい親しさを表す距離」を作るスキルがあると思う。

増田は4代前までさかのぼれる東京者だが、その前の先祖京都出身新潟出身。しょせんはよそ者同士。色んな理由で集まってきたよそ者が大きくしてきた街が東京である

例えば真逆存在として地方農業地域なら、農業という生計を近所で共に協力して行っていくという、関係を良くするための必然的理由があるが、東京にはその理由希薄である。だからこそ、隣近所とはそれなりに良い関係継続しておく必要があり、かつお互い踏み込みすぎない適切な距離を保つ必要もある。この辺は、下町育ち同士だとすごく「そう!」となるのだが、下町育ちじゃない人(山の手育ちの人や郊外地方の人)には、イマイチぴんと来てもらえないことが多い。都会に暮らすって、住み着いて何十年も経っても、少し緊張感のある交友関係必要になるんだろうなと思ったりしている。

手前味噌で恐縮だが、増田は、ご近所さんや、よく行く店の店員さんとかと、適切な距離を取るのが上手いと思う。近所の人におすそ分けをもらったり、差し上げたり、常連の店でひっそりこっそりオマケをしてもらったり。そういうのを目立たないように、踏み込みすぎないように、負担にならないように。数か月に1回程度なんだけどね。何かがあったら協力できる程度、でもプライバシーを保った距離というか。

やたら広い墓

これは下町に限らないのだが、東京文化的な特徴だと思う。墓が広い。というか「古い広い墓」がある。

前の項にも繋がる話だが、やはり東京に暮らす人は少し根無し草なのだ先祖代々の寺や墓がない。ある人ももちろん結構いるんだけど。

特に明治期以降は、仕事の都合で東京に出てきている人が山ほどいるわけで、そういう人に向けた公園墓地がたくさんある。古くは谷中墓地現代でも八王子とかちょっと郊外に「誰でも入れるでかい墓」がある。

やたらと広い墓には有名人の墓があったりするから趣味の人用の案内があったりするね。


このぐらい。

山の手の方に住んでる人や郊外の人、タワーマンションで暮らす市井の人のことはあんまりからない。

2023-08-02

長岡花火大会Youtubeでやってるけど4Kで撮ってそのまま出してるからちゃんこ綺麗だな

テレ東隅田川中継のゴミ画質とは大違いだ

2023-07-31

隅田川花火とか地元民は行かんがな

足立(もう終わった)とか板橋江戸川(どちらも8/5)の花火の方が100倍満足度高いで

2023-07-30

anond:20230730102831

文化的な人もいるし、文化的でない人もいる。文化的な人も文化的でない人も隅田川花火大会は行きたくなる。いろんな映画小説かにも出てくるイベントだし、若いならなおさら行きたいだろう。

2023-07-29

隅田川花火大会に出かけるバカの気が知れない。

しかも、何時間も前から場所取りしてるバカもいて、呆れるどころの話じゃない。

死ぬほどの気温で何してんの?


現地までの到着の困難。

到着してからの移動の困難。

自分の移動したい所への不自由さ、行動制限

数え上げたら切りがない。

それどころか命の危険、とんでもないだろ。

そして帰りたくても帰れない、混雑。


隅田川花火大会に行くやつは、ばか。

2023-07-28

もう花火大会やめたらどう?

隅田川でやっと反対意見が出てきたみたいだけど、

あれだけ人出がすごくて交通整理だの捨てていったゴミを片付ける作業だのどれだけおカネがかかってるんだろうね。

しかも実際に明石市では死亡事故だって起きたじゃないか

これを機に花火大会とかやめる方向へ話し合ってもいいんじゃないかな?

2023-07-15

ボトル宅配ウォーターサーバー契約しているのなぁぜなぁぜ?

お前だよ!お前!

同じアパートの隣に住むお前だよ!

なんで、ウォーターサーバーなんて頼んでんだよ!

お前の部屋に宅配員が水のボトルを運んでいたのを見たからわかってんだよ!

蛇口ひねれば超格安の水がいくらでも出てくんだろうが!

なんでウォーターサーバーなんて契約する必要があるんだよ?

水道水安全性に信頼がない、だとぅ?

水道管や貯水槽の汚れが気になる、だとぅ?

阿呆がっ!

俺らが住んでるアパートは築2年だ!

水道管や貯水槽がたったの2年で汚れるわけねーだろ!

水道水のものが汚い、だとぅ?

たわけがっ!

岐阜市水道水はどこでも長良川が水源だ!

東京大阪の汚ねぇ水源地なんかと一緒にするな!

浄水場ってのは大抵は沈砂池・フロック形成池・砂ろ過池によって汚れを取り除く設備があるんだけど、長良川の水は清涼だからそうした設備が無いんだ!

岐阜市浄水場には最低限の消毒装置しかついてねえんだ!

それくらい長良川の水はキレイなんだよ!

隅田川道頓堀の汚ねぇ水を、飲み水にしている東京大阪とは違うんだよ!

てめぇも岐阜市民なら鵜飼を見たことあるだろうがよ!

天然の鮎が生息できるくらいに長良川の水はきれいなんだよ!

だいいち、てめぇが契約してるウォーターサーバーの水はどこから汲んできたもんだ?

どうせ、どっかの水道水だろ!

それも長良川よりも汚くてまずい水だろうな!

なにぃ?水道水じゃないだと?湧き水だと?

で、どこの湧き水だ?そこの湧き水長良川よりキレイなのか?鮎が生息できるのか?

そんなわけねぇよなぁ!?

しかもその水は汲み上げてから、一体何日経過してるんだ?

水源地から汲み上げてタンクに詰め込んで保存して各家庭へと配送してるだろうけど、一日や二日でできることじゃねぇよな!?

最低でも一週間くらいはかかってることだろうな!

そのタンクキレイか?ウォーターサーバー本体キレイか?

最近はクソ暑くて梅雨でじめじめしてるけど、カビが生えたりしないのか?

蛇口から出てくる水は、新鮮な長良川の水をリアルタイム採取して、その上塩素で消毒して安全で清潔だっていうのによ!

蛇口をひねれば長良川の清涼な水が出てくるのに、高い金をかけて場所も取るウォーターサーバーを設置しているなんて、お前はなんで縛りプレイ人生を送っているんだ?

発展途上国ごっこか?

先進国に住んでいて水道から飲める水が出てくるのに、高い金かけて水を輸送してもらって自宅に保管をするなどと発展途上国の真似事して楽しいのか?

それとも、自身に課す苦役か?苦役として水をわざわざ買ってんのか?

臥薪嘗胆ってやつか?

復讐の志を忘れないために薪で寝て苦い胆を嘗めるように、わざと金をかけて部屋の場所を取るウォーターサーバーを設置してまずい水を飲んでるのか?

わかってる。

お前は悪くない。

悪いのはお前にウォーターサーバー契約させた奴だ。

お前はウォーターサーバーをやっている会社に餌食にされているんだ。

いわゆる弱者ビジネスってやつだ。

どうせ、水道水水道管は汚いだのヤバい薬品水道水に入っているだのと洗脳されてしまったんだろ?

お前はなんて哀れなんだ。

助けたい。

俺はお前を助けたい。

お前以外にも、市内にはお前のような犠牲者が数多くいることだろう。

そいつらも助けたい。

そのためにもウォーターサーバーをやっている会社は滅びるべきだ。

ウォーターサーバー会社はどこもかしこ胡散臭い会社ばかりだ。

会社としての歴史伝統なんてないだろうし、上場してる企業だってなさそうだ。

ウォーターサーバー用の水をどのように管理しているかなんて、わかりゃしねえ。

こんな奴らのあやしい水を飲んで、長良川の水を飲まない人がいるという事実が、俺には許せねえ。

2023-06-24

東京23区生活保護率が一番高いのは台東区で6.12%、7600/124345世帯らしい

台東区って上野とか浅草とかある隅田川より都心部寄りの東京駅からだって歩いても行ける一等地なんだが

税金払ってる労働者千葉埼玉から満員電車通勤してる中、都内の中心で生活保護とかなんかおかしくないか?あまり不公平だろ。

東京一極集中土地もないんだから都心部生保は住めない特区にするべきだと思う。

2023-04-27

anond:20230427091026

十数年前になるが、隅田川沿いにホームレスバラックが立ち並んだときは、男の自分でも緊張しながら通ったよ。

2023-02-22

隅田川荒川の間あたり

主に墨田区江東区なんだけど、あの辺り昭和平成と少し令和の街並みが混在していて面白い

駅前一極集中ではなく、駅の間や裏通りにも商店街や住居に町工場に大きめの公園も混ざっていて、

途中の運河を超えるとき景色などもよいし散歩してて飽きない。

また行こうと思う。

2022-12-30

正月の歌は年末しか歌えないというバグ

正月の歌と言えば、これ。

『お正月

もういくつねると お正月

正月には 凧揚げ

こまをまわして 遊びましょう

はやく来い来い お正月

https://www.uta-net.com/song/8431/ より引用


この歌、子供の頃からずーっと思ってたんだけど、「正月の数日前」の歌なんだよ。

から正月には歌えない。

なんでこんなことになってんだ?バグか?

歌詞書いたやつのミスなのでは?

そう思って少し調べた。

まずこの曲の作曲者は、あの瀧廉太郎!(名前だけはなんか知ってる!)

どうやら、荒城の月や花(春のうららの〜隅田川〜)などの作曲者みたいだ。

なんかすごい。

それで、作詞は東くめという女性

東くめとその夫、あと瀧廉太郎らが「子供でもわかりやすい歌を」というコンセプトで作ったようだ。

作られたのは1901年明治34年)。

120年以上も前!歴史あるんだなぁ。

今まで文語体だった子供向けの歌を口語体で作ったという、当時としては画期的な歌だったそうだ。

それで、なぜこの歌が流行たか

正月楽しいものではあるが、当時はさらに楽しみがあった。

当時は数え年だったから、正月に一歳年を取るんだ。

から正月誕生日が同時に来るので、子供はことさら楽しみだったみたいだ。

(ちなみに数え年がなくなったのは戦後

じゃあ、なぜその正月を祝う文化が廃れたのか?

数え年ではなくなったことも一つの理由だが、大きな理由はこれらしい。

クリスマス」の存在だ。

クリスマス日本に広まったのは明治になってから

1904年銀座明治屋がクリスマスツリーを店頭に飾り、1910年に不二屋がクリスマスケーキを発売。

その後昭和初期に、大正天皇誕生日である12月25日休みになった。

この休日により、クリスマスさらに広まったんだって

(それなら今の12月23日と合わせてクリスマス連休にしてほしいところだ)

まりクリスマスを祝う慣習が生まれたので、お正月歌詞現実から離れていったようだ。

こう見ていくと、お正月の歌が年末しか歌えないのはバグではなく、時代の流れだということが分かる。

瀧廉太郎は無実だった。誰も悪くなかった。


最後に、昔流行った替え歌で締めたい。

もういくつ寝ると お正月

正月には餅食って 腹を壊して死んじゃった

早くこいこい 霊柩車

不謹慎すぎてひく。ここに書くのもためらったが、当時のオリジナリティ尊重して載せた。

これも今じゃ子供も歌わないだろうな。

つくづく時代の変化を感じる令和の年末

2022-11-01

何度やっても梨泰院事故で生き残れない

自分だったら梨泰院事故で生き残れるか?と考えたが、何度シミュレーションしても詰む。

生き残る方法が思いつかない。誰か教えてくれ。

あんな混んでる道を通らない

神の視点で上から見ていたら危ないと気付いただろうが、人混みの中ではせいぜい数メートル先までしか見えない。

しかも今回は、途中までは混雑が比較的少なく人が流入してしまい、道の途中で混雑が増し、気付いた時には引き返せなかったという。

あの道に入る時点では、他の道だって同じように混んでいたはずで、どのルートが正解なのか事前に予測するのは難しい。

とにかく細い道を割ける

混んでるかどうかに関係なく、細い道を避けようとする手もある。

ただ自分が行きたくなくても流れに飲まれたら連れていかれてしまう。広い道だと思っていたら途中で細くなってしまうことも。

仮にみんなが細い道を通らなくなったとして、その分広い道や広場での人口密度が上がる。今度はこちらで雪崩が起きるかも。

どこかをふさいだら違うところが噴き出す。

壁をよじ登る

壁をよじ登ったり2階の人に助けてもらった人もいたが、運よく壁側にいられるか、登れるような突起があるか、あの密度の中でよじ登れるか?よほどの幸運と体力がなければ死ぬ可能性がはるかに高い。

しかも今回の事故でみんな「壁に逃げれば良いんだ」と学習したなら、むしろ次同じようなケースあったら、今度は壁側に殺到してしまい圧死の確率が上がるかも。

結局、人口密度が高すぎる場所に降り立った時点で個人の頑張りではどうしようもなく、死んでしまう。

そもそも混雑する場に行かない

じゃあそもそも梨泰院が危ないと察知して行かなければ良かったじゃんとなるが、これも結果論

電車を降りた瞬間に「危険度」を察知してそのまま乗り過ごせれば助かるだろうが、

ホームの様子だけであの細い道の危険性を察知できるエスパーはいない。

今回梨泰院の駅から出てくる人の流れを見ても、駅から出口までは隅田川花火品川駅レベルの”よくある混雑の状況”であり、

あの状態で死の危険を察知するのは無理だ。

今後の人生であの程度の混雑には遭遇してしまうだろうし、それを全部回避して生きるのは現実的ではない。

交通整理をちゃんとしてたら良かった

もちろん警備が交通整理をしていたらかなり確率は違っただろうが、実際に警備がいたとしてあの事故100%防げたか?というと疑問。

密集した人の流れを整えて緩和する効果はあるだろうが、そもそも人が集まる前に防がなくてはどうしようもない。

仮にあの細い道を通行止めにしたり一方通行にして対策しても、他の通路事故が起こったかも。

人口密度が高いと対処療法では防ぎきれない。

しかも「梨泰院エリア全体」の人口密度を下げたとしても、今回のような「局所的な人口密度」まで読み切ることは非常に厳しい。

(〇万人の人出というのは分かっても、各通路ごとの密度は把握できない)

もちろんエリア全体の人口密度を下げたら、各通路密度も下がり事故確率は大きく下がるとは思うが…

どっかの路地で突発的に起こりうる雪崩まで防げるんだっけ?というと、防げなそうな気がしている

仮に発生確率30%を1%ぐらいまでに下げたとしても、0には出来なくない?(警備が頑張っても防げないケースがあるのでは?)

※例えば2m×10mの細い通路(20㎡)でたった200人詰まらせれば、今回と同じケースが出来てしまう。

 どれだけ頑張ってもそれぐらいの事故は起こりそうじゃない?

一定以上の人口密度になったらgoogleAppleが警告を出したら?

局所的な人口密度はおそらく警察でも補足しようがないので、唯一可能性があるとしたらこれかなと。

GPSキャリア基地局単位人口密度一定以上になったら、「警戒エリア」にする

→警戒エリア内にいるスマホ強制的bluetoothON。受信する端末数が〇百台を超えたら「危険アラート」を鳴らす。(緊急地震速報みたいに)

→その場だけでなく、300m先まで「危険アラート」を鳴らし、その通路に人が入らないようにする

さらに5km先まで違う音の「警戒アラート」を鳴らし、これ以上そのエリアに人が入らないようにする

みたいな。

GPSキャリア基地局単位では最後かい所まで追えなそうなので、アラートを鳴らすのはあくまでも端末同士での通信を想定

ただうまく動くかは未知数。

アラート基準が緩いと、ちょっとしたイベントや混雑でもなりまくって機能しない。

基準が厳しいと、bluetoothが検知しきれずアラート鳴らない。とか全然あり得る。


ループして記憶をなくしてもう一回ハロウィンをやり直したとして、どうやったら助かったの?

みんな、どうやって生き残る?

2022-05-28

[] そのさんびゃくじゅういち

スイジンサイーッス

 

今日日本では花火の日です。

昔、隅田川で川開きが行われた時に花火が余興で使われたこから端を発してるみたいです。

花火なんて何年見れてないのでしょうね。

今年は花火を見に行くのでしょうか、人混みがしんどいのでノーサンキューですね。

適切な距離感が欲しいところです。

 

ということで本日は【適切な距離感いか】でいきたいと思います

適切な距離感いか!適切な距離感ヨシ!

 

それでは今日も一日、ご安全に!

2022-04-26

からやまの期間限定メニューが久しぶりの大当たり

ソースからあげキャベツの代わりに焼きそば

物凄く庶民的ジャンキー下品で最高。

唐揚げソース。そして焼きそば

これもう完全に縁日屋台の取り合わせ。

パリパリザクザクの衣は屋台・露店では到底期待できないレベルなので、もはや高級縁日と言っても過言ではない。

隅田川花火大会は今年も中止だが、俺の隅田川はここにあった。

期間限定メニューでこのレベルの当たりは1年に1回あるかないかだな。

しばらくは外食からやま一択になりそうだ。

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