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はてなキーワード: 八卦とは

2019-07-05

anond:20190705143331

見ず知らずの人間からの「友達が出来なくて困ってる」みたいなふんわりとした人生相談に対して「軽々しくないアドバイス」なんてできたりするもんなのかねぇ。

回答内容如何にかかわらず、質問者への詳細なインタビューをした上での分析をもとにしてなけりゃあ、全部軽々しいもんじゃねぇのかなぁ。

当たるも八卦当たらぬも八卦占いみたいなもんだよ。

2019-03-24

この春、浪人をすることになった人へ

~~はじめに

 もうかなり前の話になるが,私も大学受験に失敗し,浪人をすることになった。

 (することになった,というのは,したくてしたわけではないかである。)

 人生で初めて,目の前が真っ暗になるような思いを味わった。

 どうすればいいのかわからず,途方に暮れた。

 そのとき書籍等を通じて様々な先達の経験に触れ,それに励まされてなんとか乗り越えた。

 これは遠い昔の一受験生出来事であるが,ふと思いついて,自分が励まされたように,何かの役に立てばと思って書いてみた。

 時代が変わっているので,個々の科目の勉強法等は記載していない。

 もっと大きな方法論の一例として見ていただければと思う。

 大事試験で失敗してしまい,失意の中にある人が,捲土重来を期すのに少しでも役立ってくれれば幸いである。

 人生で最も勉強をしたのは,大学受験に失敗し,浪人生活を送った時だった。

 その当時は自分なりに辛い思いもした。しかし,その分必死になって努力を行い,いかに状況を打開するかを日々考え抜き,最終的に結果を出すことができたので,得るものも大きかったように思っている。

 なお,前提として,私は小中高と地方公立学校で育った者である。塾にも浪人時代を除いてほとんど通ったことはない。

 高校時代部活をやっていたので,高2の冬までは授業を普通に受けていただけだった。志望校を決めるような段階になってからやばいと思って「受験生」になった,というのがバックボーンとしてあるので,以下の文章はそれを踏まえて読んでいただければと思う。

~~気持ちの立て直し方

 それまで特に勉強において壁にぶつかったこともなかっただけに,不合格の衝撃は当時の自分にとっては,人生のものだった。

第一志望しか受験していなかったので,選択余地なく浪人をすることになったが,仮にすべり止め合格を得ていたら,果たして浪人という選択ができたか,全く自信はない。

 それくらい,浪人するということについて,落胆していた。

 同級生のうち,現役で受かった者が嬉々として大学生活に入っていく中で,少なくともも一年,いろんなもの我慢して勉強に向かう生活余儀なくされるというのは,たまらなくつらかった。

 ひととおり落ち込み終わった後で,考えたのは,一つには,終わってしまたことを悔いても何もこの現実を変えることはできないということだった。

 現役で大学生になる身近な同級生想像し,なぜ自分はそうなれていないのかと身悶えせんばかりに考えたときもあったものの,いくらそのように思ったとしても何も現実は変わらない。過去に属してしまたことは,もう客観的には変えることはできない。そうだとすれば,今できることは,その意味付けを変えることしかないと思った。

 今身を切るように辛く感じられる大学不合格という事実も,たとえば,次の機会に晴れて合格し,20年,30年も経てば,なかったことにはできるわけではないが,その影響は極めて小さくなっているだろうと言い聞かせた。

 またおそらく世の中の評価というのは,失敗の数で評価されるわけではないとも考えた。人の失敗の数を覚えている人は多くない。そうではなくて,失敗の数があったとしても,結局のところ成功の数がいくつあるかが重要だろう。

 そうだとすれば,まだコントロール可能範疇に属している,未来を変えることで,過去出来事意味合いを変化させるしかないのではないか

 来年合格という成功によって,今年の不合格という失敗を塗りつぶすしかないと考えるに至った。

 期間はあまり覚えていないが,ここまで考えを整えるのに1か月くらいはかかったのではないか

~~戦略

 以上で考えたように,今年の不合格という意味合いを相対化するためには,来るべき「次」の受験で,必ず合格しなければならない。

 再来年では駄目だ。また実力だけ伸ばしても駄目で,仮にいくら模試の成績が良かったとしても,現実合格できなければ全く意味がない。

 このようにして,「次」の受験で,「必ず合格する」ということを目標として設定した。

 目標が定まった後,「必ず合格する」とは,どのような状態かと考えた。合格する可能性があるというだけでは駄目だと思った。可能性だけならおそらく今回もあった。「受かりうる」というだけでは足りない。「次の一回」で「必ず」合格しようと思えば,「受からないということがない」,「どうやっても受かる」という状態にまでもっていかなければならないと思った。

 自分の中では,「100回受けて100回受かる状態」というのを一つの基準としていた。

 そうなるためにはどうしたらいいのか。

 以下は,自分の中で描いたイメージである。 

 受験において,本番で出題される試験問題のものコントロールできない。

 自分が得意な問題が出るかもしれないが,苦手な問題が出るかもしれない。

 そうだとすると,たとえば100回試験を受けた際に,自分が得られる得点ないし全体の中での自分順位としては,一定の幅が生じると想定した。

 自分が得意な問題が出れば点数ないし順位は良くなる。苦手な問題が出ればその逆となる。その幅と位置自分の実力を示していることになる。

 受かる可能性があるというのは,自分の中のベストの結果のときに,それが合格ラインを超えているということだ。すなわち,上で述べた実力の幅の上端が合格ラインを超えていることであるそもそもここが合格ラインに届かないというのでは,合格確率は0なのであって,話にならない。

 自分の実力を客観的見積もったときに,現役の受験時点でも,得点幅の上端は合格ラインを超えていると思った。しかし,全体として超えているかというとそうではなく,大半は合格ライン以下に位置していたのではないか分析した。

 この状態だと,運よく自分の実力の上端付近が発揮できるような問題であれば合格という結果になるが,そうでなければ不合格という結果になる。

 以上の思考過程を経て,「必ず」合格するという状態を実現するためにすべきこととは,自分の実力を示す得点幅の下端を合格ラインより上にもっていくことだと規定した。その状態が実現できれば,どんな問題が出題されても必ず合格できる。

 このようにイメージした。

~~戦術

 次に,得点幅の下端を合格ラインよりも上に上げるためにすべきことは何かと考えた。

 ただちにこうすればいいということまではわからなかったが,とりあえず実現すべきこととしては,得点できるはずの問題を必ず得点するということだった。先のことはわからないが,最低限,このことを徹底しなければならないと思った。

 それだけでいいのかは,未知の領域なので不明であったが,得点幅の最下端を合格ラインよりも上にしようと思ったら,少なくともこの程度のことは実現できていなければ話にならないだろうと思った。

 先に述べたように,受験の本番では,試験問題コントロール範囲である受験会場に来てしまってからでは,いくら「ここを勉強しておけばよかった」と後悔しても,その時点で知らない知識は答えようがない。試験現場でできることとしては,そのときに持っている力で解けるはずの問題を確実に解くことだけである

 この視点は,いろいろなところに適用できるが,たとえば時間配分のところにあてはめると,「解けない問題時間を浪費して,解けるはずの問題を解けないということを起こしてはならない」ということであると思った。

 また,当時よくしていた勘違いなどのケアレスミスも,本来解ける問題を取りこぼす可能性があるので,起こしてはならないことになる。

 これらは,本来解ける問題をこぼしているという点では共通しており,このようなことがあってはならない。

 受験本番までは実力自体を向上させることももちろん目指さなければならないが,それと同時に,試験当日に,その時点で持っている実力すべてを最大効率得点につなげられるようにしておかなければならない。

 その観点から模試などを受けた場合の振り返りとしては,正解したかどうかはあまり気にせず,正解できなかった問題があったとして,「その時点で正解する可能性がなかったのかどうか」を入念に確認した。

 知識が足りなかったなどの理由で,そのときは正解する可能性がそもそもなかったのであれば,それはその時点ではもうしょうがないので,ただただ後日正解できるよう,知識を補充するなどして実力向上を図るというだけのことである

 一方,その時点で正解できたはずの問題を取りこぼしていた場合は,全力で悔しがるようにした。

「必ず」合格するという目標達成の観点からは,このような事態絶対に起こしてはならない。

 そのようなことをしている限り,「必ず」合格するという目標は達成できないからだ。

 その場合,正解できたはずの問題をとりこぼさないために,なぜそのようなことが起きてしまったのか,再発防止策として何が考えられるかなどを必死で考えた。

 以上は基本的自分の中だけでの問題であるが,一方で他者との比較視点も生まれていた。

 正解可能性について考察しているうちに,自分が正解できなかった問題について,他の受験生はどうなんだろうかという視点が生まれたのである

 自分が間違えた問題の正答率が高かった場合は,それだけ多くの受験生に差を付けられたことを意味するのであるから試験結果に与える影響は極めて大きい。一方,正答率が低かった場合には,大半の受験生もまた正解できていないわけなので,差を付けられた受験生の数が少なく,試験結果に与える影響は少ないということになる(極端な話,正答率が0%の問題であれば,全員が間違えているということから得点という点だけみればその問題はなかったのと同じであって,間違えたことの影響は0である。)。

 このような視点で各問題ごとに正答率を確認するようにすると,感覚的には一般的に明らかに簡単と思われる問題でも,正答率が100%ということはないということに気がついた。受験生は,ごく簡単問題でも意外と間違えてしまっているのである

 この点に気づいたときには,大げさにいえば勝機見出した思いがした。

 とんでもなく難しい問題まで正解できるようにならなければ「必ず合格」という目標が達成できない,ということだとすると,その難易度はかなり高い。

 難問というのは,どんな問題が出るかもわからいから難問なわけで,対策という意味では容易ではない。

 しかしながら,正答率が高い問題を取りこぼさない(他の受験生に差をつけられない)ということは,意識して徹底的にやりさえすれば実現できることだと思った。そして,これがきちんと実現できれば,成績的にはかなりのところまでいけそうだと思った。

 このとき受験生活の中で,初めて具体的な見通しがついた。

 時期的には,浪人になって最初の方で行われる模試の結果を分析してこう思ったはずなので,わりと早い段階でこのような確信を得られたのはありがたかった。

 以上から,正答率が高い問題を重視し,かつ,それを絶対に落とさない,ということが具体的な行動目標となった。このように目標が明確になると,自ずとそれを実現するための勉強法も明らかになった。

 自分が正解できる可能性のある領域を増やすことを目的とした勉強塗り絵に例えれば,色が塗ってある範囲を広くするようなこと)も勿論必要にはなるものの,それよりもむしろ正解できる可能性のある領域での正解率を高くする(塗り絵で言えば,色むらをなくし,より濃くするようなこと)勉強を重視すようになった。

 より具体的にいえば,復習を重視するようになったということである

 知らない問題よりも,一度やったことのある問題の方が正解率は高くできるはずで,投入する時間に対して得られる成果が高いと思われるからである

 復習は徹底的に行うようにした。特に記憶重要となる社会の科目などは,一日の勉強最初には,それまでやった学習内容をさかのぼってかならず目をとおしてから先に進むようにした。

 具体的には,使っているノート基準最初から前回勉強したところまで必ず全部目を通すということをしていた。それはその一冊のノートを使い終わるまで繰り返した。見直す時間が膨大になってもしょうがないので,時間一定を心がけていた。勉強が進むことによって見返す領域が広くなることになるが,その分見返すスピードを上げて各ページ毎の見る時間は減らして行った。

 ノート最初の方であればあるほど,何度も目にしているので,時間が短くても問題なかった。時間よりも回数を重視し,回数を繰り返すことで,記憶への徹底的な定着を図った。

 これは面倒に思うかどうかだけで,誰にでもできることと思う。そして,記憶力に個人差は多少あれど,何十回と接触した内容については,誰でも記憶には定着しやすくなる。とにかく,一度学習した内容を,二度と忘れたくなかったので,そのようにしていた。

 そのような学習法を実践していたことで,知識系の問題については,絶対の自信がついた。

 当時は,記憶違いということはほとんど起こりようがないような状態を実現することができていた。

~~結果

 以上のような勉強法を行ってきて,浪人の夏に大学別の模試を2つ受けた。

 これはその大学を受ける受験生であれば,たいてい受けるという種類の試験だったので,模試とは言え,その時点でのその大学を受ける受験生の中での位置付けを図る重要試験だった。

 浪人生活を開始するにあたって,自分の中では目標があった。

 「100回受けて100回受かる」という観点から,冬の大学模試で100位以内に入ることを目標としていた。

 当時,志望学部合格者数が600名程度であることから,少し目標としては高いかと思ったが,これくらいが実現できなければ,安全圏にあるとは言えないので,あえて高めの目標を掲げたつもりだった。

 蓋を開けてみると,夏の大学模試のうち,最初に結果が返ってきた方は,79位だった。

 自分で定めた目標クリアできたので,非常にうれしかったのを記憶している。

 想定していたよりも成績がよかったので,浪人生活全体を通して,このときが一番うれしかったように思う。

 (それでも,これは単なる模試に過ぎないので,この程度の成績で油断はいけないと自分を戒め,喜ぶ気持ちを押さえつけた。)

 しばらく経つと,もう一つの大学模試の結果が返ってきた。そちらは20位だった。全く想定しておらず,正直自分もびっくりした。こんなに結果が伴うとは思ってもいなかった。

 ただやはり,「まだ受かったわけでもなんでもないので,いくら模試の成績がよかったところで,本番に受かるという目標が達成されたわけではない,油断だけはしてはいけない,もっと取れたはずだ」と自分に言い聞かせるのに必死だった。

 その後も大きな方針を維持したまま勉強を続けたところ,冬の大学模試では13位と14位という結果だった。

 受験本番はどうだったのか,順位は発表されないので分からない。

 予備校の発表する模範解答に照らして行った自己採点結果は悪くなかったし,結果はもちろん合格だった。

 合格確認したときには,うれしいというよりは,ほっとした。精神状態としては,「受かっているかどうかドキドキする」という状態ではなく,「絶対受かっているはずだが何かの間違いで落ちてないだろうな」という気持ちだったからだ。

~~まとめ

 方法論は人に合わせて千差万別なので,以上の方法が唯一絶対ではないと思う。

 全く同じ人間が一人としていないように,誰にもピッタリと当てはまる万能の方法などというものはない。

 それを前提として,自分浪人生活のうち,成果につながった要素を抽出するとすれば,以下の点ではないだろうか。

 まず一つには,本気で結果を出したいと思っていたことだと思う。

 何事につけ,物事には障害がつきものである。そのような前提状況の中,何も考えずにただ臨めば,結果が出るかどうかは当たるも八卦当たらぬも八卦のような確率論に終わってしまう。

 「本気で結果を出したい」というのを行動に置き換えると,「受験優先順位を上げ,その他のことはどうでもいいと考える」ということである。本気でそう思えれば,遊びたいとか,のんびり寝ていたいとか,そんなことは気にならなくなる。

 それは「誘惑に打ち勝つ」ということとは感覚的には少し違う。誘惑を感じている状態は,まだ本気度が高い状態とはいえないと思う。本当に結果を出したいと思って,その状態に入ったときには,その他のことは本当にどうでもよくなる。

 「その他のことはなんでも差し出すから,とにかく希望している物事について結果を出させてくれ」という心持ちになる。そのときは,優先順位が二位以下のものごとは些事である

 そのような状態に入れると,仮に何か障害が生じたとしても,手段を尽くし,工夫を尽くして,結果にたどり着くという状態になる。

 時間しろエネルギーしろ資源が有限である以上,その中で一つの結果を確実に出そうと思えば,何が何でも結果を出したいという状態自分を持っていくことが必要になる。

 不合格という現実に直面したとき,何度も「嘘でしょ。結果を取り替えてくれないか。」と何度も思った。しかし,一度出た結果は変わらない。これが現実である

 自分の周りの環境自分コントロールすることはできないということをまざまざと体感した。

 一方で,自分はいくらでもコントロール可能なのだ

 不合格回避したいという思いを,エネルギーを,合格への執着へと昇華させることはできるはずだ。

 二つ目は,以上の状態を前提として,「結果を出す」ということを実現するためにどうすればいいのか必死で考えたことではないかと思う。

 先に記述した思考過程を経て,自分なりに結果を出すために必要な条件を考え,それを満たすためにひたすら実行した。

 小中高と地方公立学校で育ってきて,全国規模で自分が試されたことも位置づけをはかったこともなかったため,余力を残すという発想がそもそもなかったということも幸いした。

 自分みたいな遅れて必死になった者が全国レベル受験生相手に確実に合格するという状態に達するためには,とにかく妥協なく徹底的にやり切る以外にはないと思っていた。

 後にも先にもこのときほどストイックになったことはない(なお余談だが,このときにあまり想像以上に結果が出てしまったため,後になってまた別の試練に立ち向かうことになった際に,「あそこまでやらなくてもいいだろう」と無意識に思ってしまい,無駄に回り道をすることになる。何事も,やるなら最初から本気でやるべきである。)。

 当時,浪人時代灰色一色で,とても精神的につらいものであったが,きわめて得るものの多い時期でもあった。

 生活のことは親に完全に甘えられる時期であり,徹底的に勉強のことだけ考えていればよかったという意味では,むしろ幸せな時期であったともいえる。

 浪人時代を通じて,物事に本気になるとはどういうことか,結果を出すとはどういうことかなどを身をもって体験することができ,その後の人生にも大きないい影響があった。たまたま運よくラッキーで現役合格してしまっていたら,このように自分を振り絞るような努力をする機会は得られなかったの

2019-01-05

anond:20190104113930

アニメギョウカイの人とオタクビジネスパーソンじゃなくて新興宗教の人やねん

から自分らの商材の価値を高めるっていう発想がないくて、当たるも八卦当たらぬも八卦なの

2018-11-16

anond:20181116130715

そやねー

師弟つながりでよければ、

ネットしか見られないはずのメンター講演会東京でならちょいちょいあるかもしれんけど。

あとはもう納得できるまで、

自分ひとりでできる占いでもすれば。

ダウジング恋人探しとか、

筮竹のかわりにトランプかえる「当たるも八卦易経の本も安いぞ

 

蛇足だがダウジングのコツは設問をアリそうなイエス・ノーで設定しつつたくさんトライすること。

今日は早くかえったほうがいい?」とか。

電車遅れたからやっぱりスタバ時間潰す?」

ダメドトール?」

とか前提文もしっかり入れる。

そしてダウジング仕草としてはあまり派手にならなくてこっそりできるのがあるぞ。

荒れるからさないが。

 

慣れるとそのうちなんとなくコツがつかめるぞー

そしたら「東京or地方」の大きくても設問を細かく噛み砕きながら占えるようになるぞ

まり普段意識しないけど情報はしっかり受け取っている右脳無意識自分本心?に

敢えて意思表示させてるのがダウジングなわけ。

2018-05-25

もし未来予知能力があったら勉強する意味無いよな

どれだけ知識を持った学者でも、当たるも八卦当たらぬも八卦予測しか出来ない。

例えば経済でも自然災害でも、全部予測しかできない。

未来予知できれば全部分かるからそんな知識ゴミ同然、知識がなくても超一流の投資家になれるし、地震だって分かる。

スポーツとかでも陸上みたいな純粋身体能力競技ならともかく

球技格闘技みたいな対戦競技なら絶対に負けない、球技ボール絶対に捉えるし、体を鍛えまくった最強のボクサーパンチも余裕で避けれる。

研究だって未来予知できれば無駄なく最短時間大発見できる。

世の中の大抵の努力未来予知代替品でしかない。

2018-04-11

anond:20180305002507

いやはや、あきれた御仁だな。

こちらが

確率的にしか把握できないことは世の中にたくさんあるのだが....

と言ったら、それに対して

私の文章を読んでそう思うのは、完全にあなた偏見です。

と来た。何を言ってるんだか...

そもそもあなたが何を言おうが(言うまいが)、確率的にしか把握できないことは世の中にたくさんあるということ自体事実ではないか事実を述べたら偏見だなんだとわけのわからないことを...

で、あなた就活生かどうかでこの事実が変わるわけじゃないだろ。(それとも、なんだ、「自分就活生なんだから確率的にしか把握できないことは世の中に無い」とでも言いたいのかい?)

ひとつ言うと、あなた

ES面接をしても人事部が内容を評価できず、当たるも八卦採用しているのだとしたら

と言うけれど、誰も「当たるも八卦採用している」などとは言っていない。確率的にはどうのこうのと言う話をしている。

元々の発言が、(僕の発言ではないけれど)

高学歴の方が仕事ができる確率が高い。つまり採用効率を高めるために学歴フィルターをかけてる。低学歴だけど仕事が出来る人は存在するけど、確率的には低い。

というものだったわけで、それに対してあなた

おれが紙飛行機折って調べてやるヨ。

と言っている。学歴フィルターよりも紙飛行機の方が当たる確率が高いとでも言いたいのだろうか? 紙飛行機を飛ばすのは当たるも八卦ではないわけだw

まあ、そこまで言うなら、君が企業人事部にでも入って出世して、紙飛行機採用方式でも啓蒙普及してみたらどうだねwww

2018-03-16

女のためのセフレの作り方

ある人はこのように言った。

男は子孫を残すためにより多くの女性セックスをしようとする。

しかし、女性はそうではない。セックスした相手大事にしようとする。

それはすなわち、種の存続のための本能である


Bullshit.

このような言説はセックスが好きな男のための世迷言である

女にだって性欲はある。20代後半の男性がそろそろチンの硬さを不安に思い始める一方、同世代女性の性欲はうなぎのぼり。とどまることを知らない。

女があんまり公に寝散らかさないのは、この社会に根強くはびこる「ビッチ」に対する強い偏見を内在化させているからだ。

カジュアルセックスの真っ最中に、多くの男がチンを突っ込んでいる相手を「軽い女」と心の中で見下しているのを女たちは知っているのです。

それで付き合ってもない人たちとセックスしている自分自身が、なんだかすり減ってるように感じてしまうのだ。


筆者は30を境にして性欲解放覚醒の時を迎えたのだが、女性楽しい生活に関してあまりにも女性目線の女性のための記事が少なかったので、

男も女も、女がカジュアルセックスを楽しむために少し心持ちを変えてみたらどうかと思ったのです。

今こそ、性欲解放の時。楽しいセックスしよう!


1. セフレを見つけよう!


最近はたくさんのアプリがあって、非常に便利。

Tinderなど特に便利。お金払えばプロフィール自分が選んだ相手しか表示できないようになるし、プライバシー保護できます

この人となら寝てもいいと思う人を右に〜右に〜スワイプ

ただ、エチケットとして真剣相手を探していそうな人は避けよう。

自分カジュアル関係を探していることを匂わすために、自己紹介文を短くしたり、旅行中!などにすると伝わりやすいです。

まりに大っぴらにセフレ募集中!と書くとうざいくらメッセージが届いて大変なことになります。うまくさじ加減を。

私はシャイなので一回目のお酒でベッドまでいけることもあれば、三回目まで待たねばならないこともあります

まぁ三回目で寝れるなら悪くないよね。


2. こんな男とはセフレになってもいいことはない。


ちゃんと人の話聞いてない。→あなたのことを完全にマンと見てるかもしれません。最低限の誠意を持って人として扱う人がいいです。前に話した内容とか覚えてるかな?

完全に身元不明→なんの仕事してるとか聞いてみましょう。インターネット検索してもいい。

生で入れようとする→Tinderなど使ってたくさんの女とセックスしてるはずなのに、性病危険に対して無自覚なのはセフレになる資格のない男です。

セックスした後に急に態度が冷たくなる→残念くじを引いてしまいましたね。最低限の誠意のある人を選び直しましょう。

自分相手住まいセックスしたときに)セックス後すぐに帰ってほしそうにする→同上。

まるでこの関係セフレから彼氏彼女になりそうなことを匂わす→不誠実なクソ野郎だし、セフレになる資格のない男です。

ロマンティックなことを言ってくる→愛情のあるような素振りをされたら、こっちだって人間だし心が動きますよね。何を考えてるのでしょうか。

彼女や妻の存在をちらつかせる→いらない情報だし、嫉妬させようとしたいのでしょうか?


まとめ:あなたちゃんと人として扱わない人や、関係性の線引をせずにあなた気持ちコントロールしようとする人はセフレには向きません。


3. さぁセックスしよう!


コンドームを持参しよう。

当たるも八卦当たらぬも八卦。いいセックスができるように全力を発揮しよう。

ワンちゃんになる可能性もあるので、恥じらいを捨てて自分の触って欲しいとことか好きな体位とか伝えて、満足のできるセックスができるといいですね。


4. セックスがよかったら


またできるように関係を保ちましょう。

いい関係を保つためには、しっかり線引きしましょう。

相手勘違いしないように、お互いに自分が何を求めていて、何を求めていないのかをちゃんと伝えるのは、本当に大事!!

これをしくじると変な勘違い被害者意識が生まれたりするので、相手を傷つけないで楽しくセックスしましょう。


他の線引の方法としては、相手のパーソナルな部分に踏み込まないようにしましょう。

誕生日バレンタインクリスマス等のイベントを豪華なプレゼントで祝わないこと。むしろ全く祝わなくてもいい。

相手勘違いを避けようと距離を置くことは冷たいのではなく、誠意です。

ロマンスじゃなくエロス大事


5. 相手のことを好きになってしまったら


女性セックス最中に脳で幸せと感じる物質が分泌されるそうです(適当)。なので、快楽愛情勘違いしてしまうのはよくあること。

好きだという気持ちが抑えられなくなったら

I. 会う頻度を減らす。

II. セフレの数を増やして愛情分散する。

III. その人の子妊娠した自分想像して、本当にこの人と家庭を持ちたいのか想像してみる。


III.でちゃん上記の1〜4の付き合い方が守れていたら、あまりにも相手のことを知らないことに気づいて、あ。無理無理。と我に返るはず。

もし「結婚して家庭もちたい!」て思ってしまうようなら、あなたセフレ恋人の線引に失敗してしまったようです。

まりセフレを作るのに向いていないのかもしれません。性能のいいバイブを買って楽しくイきましょう。


6. なんでセフレがいいのかな?彼氏じゃだめなのかな?


I. 性欲が強い上に一人の男とのセックスでは満足できない。

この世にはまだたくさんの男との未知なるセックスがあり、未知なる絶頂が待っている。冒険の旅に出よう。


II. 時間がない。

彼氏を作るデメリットは、仕事に割きたい時間彼氏との時間に割かなくてはいけないことですね。

一緒にご飯食べたり、休日に遊びに行ったり、映画見たり、面倒くさいし時間もったいない

サクッと寝る前に会ってセックスして、日中自分キャリアのために生産的に使えます


III. 結婚願望がない/ 別に決まった人がいない・作りたくない。けど性欲はある。


IV. 寝たのに付き合ってくれない、みたいなセックスによって自分大事ものを失うという感覚がない。


上記のような人はしがらみなく楽しくセックスできる関係が魅力的に映ると思います

セックスして見返りを求めてしまう人は向きません。


最後に…私の世迷い言を…


7. 何故女のセフレ文化が出来にくいのか


セフレ検索すると、たくさんの男のためのウェブサイトが出てきます

どうやればセフレを作ることができるか、ヤリマンの見つけ方、などのハウツーサイトが多く、まるで女性をモノのように扱っている印象を受けて不快気持ちになります


あのねー、女の人ともっと簡単セックスしたいなら、男性と気軽にセックスすることが女性にとっても普通なんだ、と思わせるような雰囲気を作らなければだめですよ。

ヤリマン扱いされるとわかっても一向に気にしない女性もいますけど、環境を変えた方が絶対セックス開放的女性の母数が増えます

その方がお互いウィンウィンじゃないですか?


多分ですけど、きっと日本処女信仰だとか女性の「貞操観念」だとかの言説が男にも女にも心理的な影響を及ぼしているのではないかと思います

ヤリマンって言葉女性に対して使うけれど、男性にはそれに相応するような「不貞もの」みたいな言葉まりないですよね。

色々な女の人と寝てる男の人は蔑まれないけど、女が浮気したり不倫したりしてるのが公になると、すごい叩かれますよね。


前に男友達が、自分は寝散らかしてるくせに、彼女純粋な子がいい、と言っていてぶん殴りたくなりました。

セックスしながら相手を「軽い女」と見下しているような人が減ればね、

女は付き合っていない相手セックスしても、自分が「損なわれてしまう」というような気持ちにならなくなって、

もっと自由セックスできるようになると思います


そうすればきっと鬱屈した童貞の数も減って、処女信仰も陰りを見せると思うよ(極論)

じじいとばばあになっても気持ちいいセックスしたいよね。

2018-03-05

anond:20180304094002

私の文章を読んでそう思うのは、完全にあなた偏見です。

こちらは就活生という設定で書いていますが、就活生は1社を受けるにも多くの時間を費やして準備をしていますES面接をしても人事部が内容を評価できず、当たるも八卦採用しているのだとしたら人事部必要ありません、少なくとも新卒採用人員無駄ですと書きました。当たり前のことを書いているだけです。

2018-02-11

anond:20180211144833

いや、どういう顧客層がいそうか?と仮説を立てて聞いて回るのも立派な顧客層の分析やぞ。

しろ、それすらもしないのが多いがな。

最も、それを信じるも八卦、信じないも八卦だが、やらないのに比べて遥かに確度は上がる。

2017-12-31

大晦日自分を戒める。

どうも私は自分で思っている以上に騙されやすいらしい。

ダマされた番組を観ていて、ある芸能人が町ぐるみでダマされていたのだけど、単純に良い子だなあ…って感動してしまった。

自分にはもうない、心の綺麗さや人を信じると言う行為大人になってもわず、人のことで涙を流せるって、素敵な子だなあ。可愛いなあ。こういう子はこのまま生きていけたら良いのになあ…って思ってしまうのだ。

とても演技でやってるようには見えない。

それと同じでいつだったか芸能人の乗っているタクシー幽霊が現れたら…みたいな番組があって、幽霊について行ってもいいか聞かれた芸能人が、了承するシーンがあった。

どうして了承できるのか私は神経を疑った。幽霊について来られても除霊する力もないのに困るだろうって思った。

同時にやはり良い子だなあ。きっと心がピュアなんだろうなあ…と思っていた。

ところがその話をすると、ヤラセでしょ?と言われるのだ。

失礼な話、どちらも演技力があるようには見えないので、つい本当なんだと思っていたのだけど、テレビ番組なんだからヤラセ可能性はゼロではないのかもしれない。

もしヤラセだとしたら、それに気がつかずに信じている私こそがとんだ騙され易い人だと言うことになる。

こう言っては何だけれど、私は周囲の誰よりも疑い深い性格をしていて、なんとか商法とか押し売りの類だとか、勧誘だとかに引っ掛からないタイプだと自負していたのだ。

からと言うわけでもないけど、いまだにあれらがヤラセだとは思いきれずにいた。

けれどここに来て、やはり実は自分は騙され易い人なのかもしれないと思い始めている。

ある広告に惹かれて仕方ないのだ。

商品は売るためなら手段は選ばれないし、もっとキャッチーコピー宣伝されるものだ。

たまに失敗してるのもあるけど。

少なくとも努力なしで痩せる薬は麻薬だし、福袋素人アルバイトが詰めている。

もしくは在庫処理も兼ねていて、少しも福じゃないことが殆どだ。

宝くじ自分じゃない誰かが当たるものだし、占いは当たるも八卦当たらぬも八卦

値段と機能が見合うかどうかを吟味してあるかどうかもわからない物には手を出さないことだ。

自分に騙され易い要素があるかもしれないと気がついたのだから来年も堅実に行こう。

2017-07-18

占い

字画判断しろ何にしろ

占い自体インチキ、というか言ったもん勝ちの世界

「結果は流派により異なる」

当たるも八卦当たらぬも八卦だよな

そういう意味では宗教よりもたちが悪い

2017-05-19

朴 泳孝(ぼく えいこう、박영효(パク ヨンヒョ)、1861年7月19日 - 1939年9月20日)は、李氏朝鮮末期から大韓帝国期の政治家で、日本統治時代朝鮮における貴族実業家日本名山崎 永春。

目次 [非表示]

1 生涯

2 家族

3 その他

4 登場するテレビドラマ

5 脚注

6 出典

7 関連文献

生涯[編集]

判書大監朴元陽の子として京畿道水原生まれる。金玉均らと共に開化党(独立党)を結党した。光緒5年(1879年)、金玉均らと共に李東仁を日本に密出国させ、日本の情勢を探らせた。福澤諭吉支援を受け、光緒8年(1882年)、壬午政変(壬午軍乱)の謝罪のために派遣された謝罪使(副使は金晩植と金玉均であった[1])として日本に向かう船上で、現在大韓民国国旗である太極旗デザインを考案したとされる。朴泳孝が日本派遣された4ヶ月間のことを記した日記『使和記略』によると、8月9日仁川から日本船籍明治丸に乗り日本へと向かった朴泳孝らは、船内でイギリス領事アストンイギリス人船長ジェームスにそれまで国旗として提案されていた八卦太極文様を描いた古太極図を見せて国旗について相談したところ、船長八卦が複雑で区別しにくく他国がこれを見て作るのに不便であると述べたため、四卦を削り、残りの四卦を45°傾けて四隅に配した図案が提案され、大・中・小3本の太極旗が作られたという。8月14日神戸に到着した一行は宿泊した西村屋にはじめて太極旗を掲げ、8月22日太極旗小本とともに国旗制定を本国に報告したという。

帰国後は漢城判尹となり、開化政策を進めるが守旧派事大党)の反対に遭って挫折さらに光緒10年(1884年)12月にはクーデター閔妃から政権奪還を図ったが失敗(甲申政変)、日本郵船の「千歳丸」で日本亡命慶應義塾に隣接していた福沢邸に寄食し、転じて神戸に居を構えた。

光緒20年(1894年)に甲午改革が始まると、帰国して内務大臣となり、改革の中心的な役割を果たすが、開国504年(1895年)に謀反の疑いをかけられ、再び日本亡命した。その後光武11年(1907年)に再度韓国に戻り、李完用内閣宮内大臣となったが、大臣暗殺陰謀の疑いで済州島流刑処分とされた。

隆熙4年(1910年)の韓国併合後には侯爵朝鮮貴族)となり、朝鮮貴族会長1911年)、朝鮮銀行理事1918年)、朝鮮経済会長1919年)、朝鮮維民会会長1919年)、東亜日報社初代社長1920年)、朝鮮人産業大会会長1921年)、朝鮮倶楽部の発起人(1921年11月)、京城紡績社初代社長朝鮮殖産銀行理事朝鮮総督府中枢院顧問1921年)[2]、東光会朝鮮支部初代会長1922年)、貴族院議員1932年)など、日本統治下の朝鮮における要職歴任した。昭和10年(1935年)、 朝鮮総督府編纂した"朝鮮功労者名鑑"に朝鮮人功労者353人のうちの一人に収録されている。

2017-01-23

今日新人が1人辞めた。会社玄関前には彼に支給していた上着と携帯がひっそりと置かれていた。

携帯にはメモ書きが貼り付けられており、そこには「私は●●株式会社退職します。これから自分の夢に向かって頑張っていきます」と書いてあった。

今更もう「今頃の若いやつは…」なんて言うつもりもない。だって俺も過去にやったことあるから。(俺の場合は当時高校生バイトだったけれども…)

人を入れるのは難しい。彼なりに色々と会社判断したってことだろう。肌に合わない、給与が低い、激務…俺では計り知れない思いが彼にはあるのだろう。

人を入れるってのはギャンブルみたいなもんだな。いやおみくじだろうか。当たるも八卦当たらぬも八卦みたいにどっちに転ぶかわからない。

彼の性格がどんなもので、どんな環境暮らしてきて、どんな学校に行きどんな勉強をしてきたのか。それによって彼の人格形成され、この会社が合う合わないか判断し、結果的にこの会社は合わないって結論づけたんだな。

まぁ、色んな考え方、働き方があるし否定はしないけど、バックレ逃走は後味悪いからちゃんと言ってやめたほうがいいな。後で給与のこととか話さないといけないんだからさ。

2016-07-07

死にたさ

はい、というわけでまた死にたさがこみ上げてきたわけですが

もちろん生きていれば辛いこともあれば楽しいこともあるわけじゃないですか

でも辛いことと楽しいこと、総量として多いのは、

はい、辛いこととですよね

人生楽ありゃ苦もあるけど、均せばだいたい苦じゃないですか

当たるも八卦当たらぬも八卦だけど、だいたい当たらないじゃないですか

箱を開けてみるまで生きているか死んでいるかからないけど、だいたい死んでるじゃないですか

じゃあ何で生きてるのって話じゃないですか

生きていれば何かいいこともあるっていうけど、そりゃあ何かいいことくらいはあるよ

でも辛いことと釣り合うくらいのいいことはないよね

圧倒的に辛いこととの方が多いよね

それもこれかますます増えていくよね

体力は落ちていくし、体臭は強くなるし、髪は薄くなるし、良くなる兆しなんてない

貯金もないし、給料も増えないし、もっといい仕事に就けるようになるとも思えない

仕事はうまくいかずに、平謝りの毎日で、

改善余地はあるし、そうしたいとも思うけど、

残業続きの毎日の中で、これ以上仕事のために自分を削ってまで対応しようとは思えない

実力も無いのに、向上心も無い、そんな屑が生きていて何の意味があるんだろう

もう手遅れなんですよ

大脳破壊されてしまっているんですよ

まだ間に合ったとしても、毎日野菜を350グラム食べる気もないわけですよ

そんなことを強いられながら生きることに何の意味があるのか

野菜が嫌いなわけではないけれど、毎日野菜を食べなければならないという義務を負うことが耐えられないじゃないですか

私は野菜を食べるために生きているわけじゃないんですよ

仕事をするためでもないし、ましてや自分限界がどれだけかを知るためでもない

でも他の何か目的理由もなくって、だからといって本当に死ぬ気もなくて、こうしてダラダラと年を重ねていくんだろう

そう考えるとまた余計に憂鬱になっていく

2016-02-19

年間200本を部屋にブチ込む。

今、映画を年間200本見るという人の記事話題になっている。

「数の問題じゃない。自分の頭で考えない評価価値はない」

「結局は個人の嗜好。嗜好の近い人の紹介するものを見ればよい」

色々な意見があり、どれも面白いしほぼ賛同するけれども。

この手の、「価値基準評価」という事柄について、ずっと考えていることがある。

実家が割と清貧で、高校生までそれほど外食経験がなかった。

大学に上がり、できた友人が美味いものが好きで、自分からみて驚くほど色々なところへ行き、楽しんで食べていた。

サークルに同期がいて、彼もあまり食に興味が無いタイプだったのだが、

サイゼリヤの「ミラノ風ドリア」が世界で一番好き、という。

「確かにミラノ風ドリアは美味い。コスパもいい。しかし、奴はサイゼリヤ以外の場所あんまり行ったことがない」

と、食べるのが好きな方の友人が言っていた。

食好きの彼は、和洋中問わず、一度食べれば実に細かく味を把握する。

食に関することだけは該博な知識を持っており、外国料理文化にも妙に詳しい。

しかしその一方で、コンビニおにぎりの冷たくしっとりしたごはんが好きで、よく喰らっている。

駄菓子も好きで、体型はお察しの通りであるが、いつも幸せそうだ。

なんの話だったか

自分が思うに、人間の頭のなかには「部屋」がある。

「食の部屋」であれば、食に関する、記憶や知識をしまっておく部屋である

例えば、「行きつけのこじんまりした喫茶店」は、手に届きやすテーブルの上に置く。

「めったに行けない高級中華の店」は、上のほう、手の届かない棚の上にある。

そうやって、自分のなかで、整理整頓して生きている。

ここで大事なのは

「行きつけの喫茶店のほうが、単価が安いから下だ」とか、

「高級な中華の店は、誰でも名前を識っているから偉い」とか、そういうことではないのだ。

そういうことではなくて、単純に「自分の中でどう判断して何処にしまうか」なのである

配置の問題だ。

しまいかた」の判断基準には色々ある。

味、値段、接客態度、内装、知名度、立地、一緒にいく人や使い方…

「食の部屋」でいえば、食に興味があるほど、詳細な基準があるはずだ。

ファミレスは親しみやすい。ファミリーに優しいし「柔らか青豆の温サラダ」は最高にコスパが良い。

エスカルゴも食べられるしワインも飲める。

しかし、同じエスカルゴでも、フランス料理店で食べるものとは若干違う。違ってしかるべきである

「どちらも同じように美味い」と感じられる者は幸いであるが、高い方が気の毒でもある。

出来れば記憶チェストの上あたりに置いて愛でたい。

恐らく、多く/深く経験を積んでいる人間のほうが、精緻で充実した部屋を作れるはずだ。

単純な上下でなく、諸々の価値基準考慮して三次元的に配置された記憶は、きっと役に立つ。


映画の話に戻る。

おそらく、「映画の部屋」も、ほぼ誰の脳内にもあると思われる。

200本の人の記事炎上気味な原因のひとつは、

その膨大なデータが、きちんと部屋に配置されしまわれていない(ように見える)からではないだろうか。

なぜ、その映画をここに配置したか。その価値基準が分からない、というように見える。

映画が好きであれば、映画というもの歴史が頭に入っていて、その歴史においてこの映画

どういう流れを汲む、どんなポジション作品か、ということが見えているはずだと思う。

例えば、GoogleのPlayストアをたまに見るけれども。

「このアプリはほんとにクソだぜ!」とか「神だぜ!」とかレビューが書いてある。

アプリに限らないが、残念なレビューコメントだな、と個人的に思うjのは、

自分はこのくらい高く/低く評価した!」というだけのもの

赤の他人が何点評価していようが、知らんがな。

こっちは、その製品長所短所が知りたくて見ているだけである

また、ネットで見かける「オススメの本/映画/漫画ない?」系も若干不思議を感じる。

勿論、はじめからそれほど期待はしていないのだろうし、当たれば八卦面白いのはわかる。

が、オススメするほうもされるほうも、相手の年齢も嗜好も何ひとつ知ろうとすることなく、

「オレが面白いと思った本」を無邪気に薦めていく。

そりゃ、面白い本ごまんとあるだろうけれど、その判断基準を聞かなくていいのだろうか。

「この本のどこがいいの?」「うん、このヒロインが俺の初恋の人に似てるんだよね」

みたいな理由だったらどうするんだ。いや、それはそれで面白い本との出会いかもしれないが。


散漫になってきたけれども。言いたいのは。

物事上下でなく、色々な価値基準から観て、知識の部屋にマッピングしていくのが大事だと思う。

食べ物や服や住居はだいたい、その価値にみあった値段がついているが、

文化芸能・娯楽などに関してはその限りではない。だから見えづらいけれど、

「みんな違って、みんないい」という視点をもちつつ、でも完成度や価値意識しつつ、

多面的評価できないもんかなぁと思う。

2015-11-15

http://anond.hatelabo.jp/20151115155855

この手のは、心理が影響しているのでなんの実験してるか、被験者に知らせていると実験結果の信ぴょう性がなくなる。

外部から摂取する場合、本当に吸収されるのか、というのもポイント

当たるも八卦、当たらぬも八卦でいいなら試してみたらいいんじゃない

保険が利くか知らないけど。

2015-04-17

ハッカソンって

諸葛八卦村的な何かだと思っていた

2014-04-10

http://anond.hatelabo.jp/20140410083435

「当たるも八卦、当たらぬも八卦」という言葉を知らんのか。

信じるも信じないも自分の判断だろ。

彼女占い師に言われたから別れたわけではなく

お前に愛想を尽かしたから別れたのはこの増田を読めば自明のこと。

2013-12-20

http://anond.hatelabo.jp/20131220000757

だよね~。

宝くじ効率を求めるなら、こっそりケーキ売のバイトやティッシュ配りのバイトでもしとけって話だよね。

当たるも八卦、当たらぬも八卦

社運かけて何百万も買うドキュメンタリーとかは見てて「だから会社が潰れんだろ」っておもう

2013-05-01

これだけは読んでおけっていう就活本ってさ

本売ってる奴のステマだったりするんだよなーこれが。

業者がよくしてる手だよ。食べログやらせ事件あったけどアレと原理は同じ。

何の役にも立たないけど「就活ネタ」にと触れ込んでおくと何故かバカ売れするんだよね。

ほら、一時ダイエット効果あるって黒酢とか納豆とか紹介されてバカ売れしたろ?

結局科学的根拠が無くてその後立ち消えたけど、この就活本っていうのも同じなんだよ

売れる本、役立つ本って紹介すれば売れる。

当り前だけど就職活動必死学生諸君にとっては藁にも縋る思いなわけでしょ

ある意味、それで利害一致するんだよね。

おみくじ大吉だったとか、血液型星座でその日の運勢が分かるアレと一緒。

要は気持ちの問題なのね。

就活だって殆ど運勝負だし、あながちこれも間違いじゃないから気持ちを高揚させるのに就活本を読むっていうのは

ありだと思うよ。まあ、当たるも八卦外れるも八卦から、その通りの事をしても本当に役立つかは個人差あるね。

まあ、一考する価値はあると思う。

2009-11-29

スパコン批判批判批判みたいなもの

あらかじめポジションを明かしておくと、俺はスパコン開発いらない派。

だけども、仕分けの問題はそこじゃないんでして。

俺の見立てでは、スパコンカットは間違った理由付けで正しい結論が出た仕分けの例。

この件でもっとも象徴的な「2位じゃだめなんですか」。こんな質問、先端研究の場面では全く意味をなさない痩せた考え。生涯地を這う。

ここで本来なされるべき質問は「2位じゃダメなんですか」じゃなくて「国産スパコンなんているんですか?」。

くだんの質問によって明らかになるのは、仕分け人が役に立たない議論を前提に要不要を判定しているということ。

議論が役に立たない物になっている理由は、仕分け人が単なる一般人に過ぎず各分野を語る能力を欠いていることと、中央の官僚現場を知らないため質問に適切に答えられないことじゃないかと思うんだけども、それはとりあえず脇におく。

適切な判断能力を有しない人間、適切な判断能力を発揮しえないプロセスによる判断なんて、占いの域を超えない。街角占い師が、客の雰囲気等から悩みを感じ取ってアドホックカウンセリングをする、その程度の価値でしかない。当たるも八卦、当たらぬも八卦

スパコンは当たった八卦だろうと思うけれども、しかしこの数日間で数百の事業が仕分けられた時に、その仕分けの妥当性は担保されていない。外れた八卦が相当数含まれている危険が有る。

だからこそ、仕分けは参考資料に過ぎないから最後は政治決着だとか言い始めて、仕分け結果を仕分けするハメになる。

スパコンみたいに騒がれたものはまだ良い。しかし、同時に俎上に登ったSPring-8ですら無視されそう。体臭の娯楽として価値のあるものしか、不適切な仕分け結果から救済される見込みはない。

今回行われた「仕分け」は、事業の要不要を的確に判断して「仕分ける」には余りに粒度が荒く、有害な結果を多く含んでいる可能性が高い。

2009-03-21

ちょっとした相談なんだけどよ。

夜中の三時まで悩んでるんだから聞いてくれよな。

・父親が浄水器詐欺にひっかかり、計60万ほど浄水器につぎこむ。

・いわゆるマルチ

・「病気が治った」とか「死にかけたペットが元気に」とか、そういうあやしい体験談が公式に存在する

・信じるも信じないも八卦レベルメディアスポーツ新聞自費出版の本)が沢山取材に来ている

・水の分子の活動が活発だからいい水だ、とかよくわからないことを言っている。

・まるきり信じていないが、ただの「おいしい水」だ。

まぁ、売り方も理屈もおかしい、ただ父親がだまされてるだけなんだけれど、

不思議なのは私が育てている植物たちも、水が変わってからグッと元気になったことだ。

水道水で育てたやつと、その浄水器から出てくる水で育てたのを比較すると、もう明らかに緑も濃いし、成長も早い。

これは一体どういうことなんだろうか、と悩んでいる。

そのほかにも「その水につけると味がよくなる野菜」などいろいろあるけれど、

主観的なものなので「気のせい」で片付けられる。

でも、植物は気のせいじゃない。デカい。

これはなんなんだろう。

もう一個、鉢植えを買って、今度は総ペットボトル天然水で育ててみるべきなんだろうか。

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