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2021-03-22

孤独

当時私は二十五歳の青年で、丸まるの内うちのあるビルディングオフィスを持つ貿易商合資会社S・K商会のクラークを勤めていた。実際は、僅わずかばかりの月給なぞ殆ほとんど私自身のお小遣こづかいになってしまうのだが、と云ってW実業学校を出た私を、それ以上の学校へ上げてくれる程、私の家は豊ゆたかではなかったのだ。

 二十一から勤め出して、私はその春で丸四年勤続した訳であった。受持ちの仕事会計の帳簿の一部分で、朝から夕方まで、パチパチ算盤そろばんだまをはじいていればよいのであったが、実業学校なんかやった癖に、小説や絵や芝居や活動写真がひどく好きで、一いっぱし芸術が分る積つもりでいた私は、機械みたいなこの勤務を、外ほかの店員達よりも一層いやに思っていたことは事実であった。同僚達は、夜よな夜なカフェ廻りをやったり、ダンス場へ通かよったり、そうでないのは暇ひまさえあればスポーツの話ばかりしていると云った派手はでで勇敢で現実的な人々が大部分であったから、空想好きで内気者うちきものの私には、四年もいたのだけれど、本当の友達は一人もないと云ってよかった。それが一際ひときわ私のオフィス勤めを味気あじきないものにしたのだった。

 ところが、その半年ばかり前からというものは、私は朝々の出勤を、今迄いままで程はいやに思わぬ様になっていた。と云うのは、その頃十八歳の木崎初代が初めて、見習みならいタイピストとしてS・K商会の人となったかである木崎初代は、私が生れるときから胸に描いていた様な女であった。色は憂鬱ゆううつな白さで、と云って不健康な感じではなく、身体からだは鯨骨くじらぼねの様にしなやかで弾力に富み、と云ってアラビヤ馬みたいに勇壮うそうなのではなく、女にしては高く白い額に左右不揃いな眉まゆが不可思議な魅力をたたえ、切れの長い一ひとかわ目に微妙な謎を宿し、高からぬ鼻と薄過ぎぬ唇が、小さい顎あごを持った、しまった頬ほおの上に浮彫うきぼりされ、鼻と上唇の間が人並ひとなみよりは狭くて、その上唇が上方にややめくれ上った形をしていると、細かに書いてしまうと、一向初代らしい感じがしないのだが、彼女は大体その様に、一般美人の標準にはずれた、その代りには私丈けには此上このうえもない魅力を感じさせる種類の女性であった。

 内気者の私は、ふと機会を失って、半年もの間、彼女言葉も交わさず、朝顔を見合わせても目礼さえしない間柄であった。(社員の多いこのオフィスでは、仕事共通ものや、特別に親しい者の外は、朝の挨拶などもしない様な習わしであった)それが、どういう魔(?)がさしたものか、ある日、私はふと彼女に声をかけたのである。後になって考えて見ると、この事が、いや私の勤めているオフィス彼女入社して来たことすらが、誠に不思議めぐり合せであった。彼女と私との間に醸かもされた恋のことを云うのではない。それよりも、その時彼女に声をかけたばっかりに、後に私を、この物語に記しるす様な、世にも恐ろしい出来事に導いた運命について云うのである

 その時木崎初代は、自分で結ゆったらしい、オールバックまがいの、恰好かっこうのいい頭を、タイプライターの上にうつむけて、藤色セル仕事着の背中を、やや猫背にして、何か熱心にキイを叩たたいていた。

HIGUCHI HIGUCHI HIGUCHI HIGUCHI HIGUCHI ……

 見ると、レタペーパの上には、樋口ひぐちと読むのであろう、誰かの姓らしいものが、模様みたいにベッタリと並んでいた。

 私は「木崎さん、御熱心ですね」とか何とか云うつもりであったのだ。それが、内気者の常として、私はうろたえてしまって、愚かにも可成かなり頓狂とんきょうな声で、

樋口さん」

 と呼んでしまった。すると、響ひびきに応じる様に、木崎初代は私の方をふり向いて、

「なあに?」

 と至極しごく落ちついて、だが、まるで小学生みたいなあどけない調子で答えたのである彼女樋口と呼ばれて少しも疑う所がないのだ。私は再びうろたえてしまった。木崎というのは私の飛とんでもない思違おもいちがいだったのかしら。彼女彼女自身の姓を叩いていたに過ぎないのかしら。この疑問は少しの間私に羞恥しゅうちを忘れさせ私は思わず長い言葉を喋しゃべった。

あなた樋口さんて云うの? 僕は木崎さんだとばかり思っていた」

 すると、彼女も亦またハッとした様に、目のふちを薄赤くして、云うのである

「マア、あたしうっかりして。……木崎ですのよ」

「じゃあ、樋口っていうのは?」

 あなたのラヴ? と云いかけて、びっくりして口をつぐんだ。

「何なんでもないのよ。……」

 そして木崎初代は慌あわてて、レタペーパを器械からとりはずし、片手で、もみくちゃにするのであった。

 私はなぜこんなつまらない会話を記したかというに、それには理由があるのだ。この会話が私達の間にもっと深い関係を作るきっかけを為なしたという意味ばかりではない。彼女が叩いていた「樋口」という姓には、又彼女樋口と呼ばれて何の躊躇ちゅうちょもなく返事をした事実には、実はこの物語根本こんぽんに関する大きな意味が含まれていたかである

 この書物かきものは、恋物語を書くのが主眼でもなく、そんなことで暇どるには、余りに書くべき事柄が多いので、それからの、私と木崎初代との恋愛の進行については、ごくかいつまんで記すに止とどめるが、この偶然の会話を取交とりかわして以来、どちらが待ち合わせるともなく、私達はちょくちょく帰りが一緒になる様になった。そして、エレベーターの中と、ビルディングから電車停留所までと、電車にのってから彼女巣鴨すがもの方へ、私は早稲田わせだの方へ、その乗換場所までの、僅わずかの間を、私達は一日中の最も楽しい時間とする様になった。間もなく、私達は段々大胆になって行った。帰宅を少しおくらせて、事務所に近い日比谷ひびや公園に立寄り片隅かたすみのベンチに、短い語らいの時間を作ることもあった。又、小川町おがわまちの乗換場で降りて、その辺のみすぼらしいカフェに這入はいり、一杯ずつお茶を命じる様なこともあった。だが、うぶな私達は、非常な勇気を出して、ある場末ばすえのホテルへ這入って行くまでには、殆ど半年もかかった程であった。

 私が淋さびしがっていた様に、木崎初代も淋しがっていたのだ。お互たがいに勇敢なる現代人ではなかったのだ。そして、彼女容姿が私の生れた時から胸に描いていたものであった様に、嬉しいことには、私の容姿も亦また彼女が生れた時から恋する所のものであったのだ。変なことを云う様だけれど、容貌については、私は以前からややたのむ所があった。諸戸道雄もろとみちおというのは矢張やはりこの物語重要な役目を演ずる一人物であって、彼は医科大学卒業して、そこの研究室である奇妙な実験従事している男であったが、その諸戸道雄が、彼は医学生であり、私は実業学校の生徒であった頃から、この私に対して、可成かなり真剣な同性の恋愛を感じているらしいのである

 彼は私の知る限りに於おいて、肉体的にも精神的にも、最も高貴ノーブルな感じの美青年であり、私の方では決して彼に妙な愛着を感じている訳ではないけれど、彼の気難しい撰択に適かなったかと思うと、少くとも私は私の外形について聊いささかの自信を持ち得うる様に感じることもあったのである。だが、私と諸戸との関係については、後に屡々しばしば述べる機会があるであろう。

 それは兎とも角かく、木崎初代との、あの場末ホテルに於おいての最初の夜は、今も猶なお私の忘れ兼かねる所のものであった。それはどこかのカフェで、その時私達はかけおち者の様な、いやに涙っぽく、やけな気持ちになっていたのだが、私は口馴れぬウィスキイをグラスに三つも重ねるし、初代も甘いカクテルを二杯ばかりもやって、二人共真赤まっかになって、やや正気を失った形で、それ故ゆえ、大した羞恥を感じることもなく、そのホテルカウンタアの前に立つことが出来たのであった。私達は巾はばの広いベッドを置いた、壁紙にしみのある様な、いやに陰気な部屋に通された。ボーイが一隅の卓テーブルの上に、ドアの鍵と渋茶しぶちゃとを置いて、黙って出て行った時、私達は突然非常な驚きの目を見交わした。初代は見かけの弱々しい割には、心しんにしっかりした所のある娘であったが、それでも、酔よいのさめた様な青ざめた顔をして、ワナワナと唇の色をなくしていた。

「君、怖いの?」

 私は私自身の恐怖をまぎらす為に、そんなことを囁ささやいた。彼女は黙って、目をつぶる様にして、見えぬ程に首を左右に動かした。だが云うまでもなく、彼女も怖がっているのだった。

 それは誠に変てこな、気拙きまずい場合であった。二人とも、まさかこんな風になろうとは予期していなかった。もっとさりげなく、世の大人達の様に、最初の夜を楽しむことが出来るものと信じていた。それが、その時の私達には、ベッドの上に横になる勇気さえなかったのだ。着物を脱いで、肌を露あらわすことなど思いも及ばなかった。一口に言えば、私達は非常な焦慮しょうりょを感じながら、已すでに度々たびたび交わしていた唇をさえ交わすことなく、無論その外の何事をもしないで、ベッドの上に並んで腰をかけて、気拙さをごまかす為に、ぎこちなく両足をブラブラさせながら、殆ど時間もの間、黙っていたのである

「ね、話しましょうよ。私何だか小さかった時分のことが話して見たくなったのよ」

 彼女が低い透き通った声でこんなことを云った時、私は已すでに肉体的な激しい焦慮を通り越して、却かえって、妙にすがすがしい気持になっていた。

「アア、それがいい」私はよい所へ気がついたと云う意味で答えた。

「話して下さい。君の身の上話を」

 彼女身体を楽な姿勢しせいにして、すみ切った細い声で、彼女の幼少の頃からの、不思議な思出おもいでを物語るのであった。私はじっと耳をすまして、長い間、殆ど身動きもせずそれに聞き入っていた。彼女の声は半なかば子守歌の様に、私の耳を楽しませたのである

 私は、それまでにも又それから以後にも、彼女の身の上話は、切れ切れに、度々たびたび耳にしたのであったが、この時程感銘かんめい深くそれを聞いたことはない。今でも、その折の彼女の一語一語を、まざまざと思い浮うかべることが出来る程である。だが、ここには、この物語の為には、彼女の身の上話を悉ことごとくは記す必要がない。私はその内から、後にこの話に関係を生じるであろう部分丈けを極ごく簡単に書きとめて置けばよい訳である

「いつかもお話した様に、私はどこで生れた誰の子なのかも分らないのよ。今のお母さん――あなたはまだ逢わないけれど、私はそのお母さんと二人暮ぐらしで、お母さんの為にこうして働いている訳なの――その私のお母さんが云うのです。初代や、お前は私達夫婦が若かった時分、大阪川口かわぐちという船着場ふなつきばで、拾って来て、たんせいをして育て上げた子なのだよ。お前は汽船待合所の、薄暗い片隅に、手に小さな風呂敷包ふろしきづつみを持って、めそめそと泣いていたっけ。あとで、風呂敷包みを開けて見ると、中から多分お前の先祖のであろう、一冊の系図書けいずがきと、一枚の書かきつけとが出て来て、その書きつけで初代というお前の名も、その時丁度ちょうどお前が三つであったことも分ったのだよ。でもね、私達には子供がなかったので、神様から授さずかった本当の娘だと思って、警察手続てつづきもすませ、立派にお前を貰もらって来て、私達はたんせいをこらしたのさ。だからね、お前も水臭い考えを起したりなんぞしないで、私を――お父さんも死んでしまって、一人ぼっちなんだから――本当のお母さんだと思っていておくれよ。とね。でも、私それを聞いても、何だかお伽噺とぎばなしでも聞かせて貰っている様で、夢の様で、本当は悲しくもなんともなかったのですけれど、それが、妙なのよ。涙が止めどもなく流れて仕様がなかったの」

 彼女の育ての父親が在世ざいせいの頃、その系図書きを色々調べて、随分本当の親達を尋たずね出そうと骨折ったのだ。けれど系図書きに破けた所があって、ただ先祖名前や号やおくり名が羅列られつしてあるばかりで、そんなものが残っている所を見れば相当の武士さむらいの家柄には相違ないのだが、その人達の属した藩はんなり、住居なりの記載が一つもないので、どうすることも出来なかったのである

「三つにもなっていて、私馬鹿ですわねえ。両親の顔をまるで覚えていないのよ。そして、人混みの中で置き去りにされてしまうなんて。でもね。二つ丈け、私、今でもこう目をつむると、闇の中へ綺麗きれいに浮き出して見える程、ハッキリ覚えていることがありますわ。その一つは、私がどこかの浜辺の芝生の様な所で、暖かい日に照らされて、可愛い赤あかさんと遊んでいる景色なの。それは可愛い赤さんで、私は姉ねえさまぶって、その子のお守もりをしていたのかもしれませんわ。下の方には海の色が真青に見えていて、そのずっと向うに、紫色に煙けむって、丁度牛の臥ねた形で、どこかの陸おかが見えるのです。私、時々思うことがありますわ。この赤さんは、私の実の弟か妹で、その子は私みたいに置去りにされないで、今でもどこかに両親と一緒に仕合せに暮しているのではないかと。そんなことを考えると、私何だか胸をしめつけられる様に、懐しい悲しい気持になって来ますのよ」

 彼女は遠い所を見つめて、独言ひとりごとの様に云うのである。そして、もう一つの彼女の幼い時の記憶と云うのは、

「岩ばかりで出来た様な、小山があって、その中腹から眺めた景色なのよ。少し隔へだたった所に、誰かの大きなお邸やしきがあって、万里ばんりの長城ちょうじょうみたいにいかめしい土塀どべいや、母屋おもやの大鳥おおとりの羽根を拡ひろげた様に見える立派な屋根や、その横手にある白い大きな土蔵なんかが、日に照てらされて、クッキリと見えているの。そして、それっ切りで、外ほかに家らしいものは一軒もなく、そのお邸の向うの方には、やっぱり青々とした海が見えているし、その又向うには、やっぱり牛の臥た様な陸地がもやにかすんで、横よこたわっているのよ。きっと何ですわ。私が赤さんと遊んでいた所と、同じ土地景色なのね。私、幾度その同じ場所を夢に見たでしょう。夢の中で、アア又あすこへ行くんだなと思って、歩いていると、きっとその岩山の所へ出るに極きまっていますわ。私、日本中を隅々まで残らず歩き廻って見たら、きっとこの夢の中の景色と寸分違わぬ土地があるに違いないと思いますわ。そしてその土地こそ私の懐しい生れ故郷なのよ」

ちょっとちょっと」私はその時、初代の話をとめて云った。「僕、まずいけれど、そこの君の夢に出て来る景色は、何だか絵になり相そうだな。書いて見ようか」

「そう、じゃあもっと詳しく話しましょうか」

 そこで、私は机の上の籠かごに入れてあったホテルの用箋ようせんを取出して、備そなえつけのペンで、彼女が岩山から見たという海岸景色を描いた。その絵が丁度手元に残っていたので、版にしてここに掲かかげて置くが、この即席そくせきのいたずら書きが、後に私にとって甚だ重要な役目をつとめてくれ様などとは、無論その時には想像もしていなかったのである

「マア、不思議ねえ。その通りですのよ。その通りですのよ」

 初代は出来上った私の絵を見て、喜ばしげに叫んだ。

「これ、僕貰もらって置いてもいいでしょう」

 私は、恋人の夢を抱いだく気持で、その紙を小さく畳たたみ、上衣うわぎの内ポケットしまいながら云った。

 初代は、それから又、彼女物心ついてからの、様々の悲しみ喜びについて、尽きぬ思出を語ったのである。が、それはここに記す要はない。兎とも角かくも、私達はそうして、私達の最初の夜を、美しい夢の様に過すごしてしまったのである。無論私達はホテルに泊りはしないで、夜更よふけに、銘々めいめいの家に帰った。

2021-03-02

日本建築空間』における建築百選

anond:20210301191826

 

増田の蛮勇には敬意を表したいが、さすがに突っ込みどころが多すぎる。

同種の百選としては2005年新建築臨時増刊『日本建築空間』(asin:B00GUJ1HIE)がある。

https://japan-architect.co.jp/shop/special-issues/book-110511/

2005年なので現存しないものや非公開の私邸が含まれるけれども、優れた選出だと思うので紹介したい。

 

古代 592-1180

法隆寺西院伽藍飛鳥時代奈良
新薬寺本奈良時代末期 奈良
山寺八角763年奈良
平等院鳳凰堂 1053年 京都
浄瑠璃寺本堂 1107年 京都
三仏寺投入堂(三仏寺奥院) 平安時代後期 鳥取
高蔵寺阿弥陀堂 1177年 宮城

中世 1180-1543

浄土寺浄土 1194年 兵庫
東大寺南大門 1199年 奈良
長寿寺本鎌倉時代初期 滋賀
西明寺本堂 鎌倉時代初期 滋賀
熊野神社長床 鎌倉時代初期 福島
法界寺阿弥陀堂鎌倉時代初期 京都
厳島神社社殿 1241年 広島
永保寺開山堂 1352年 岐阜
東福寺龍吟庵方丈 1387年 京都
正福寺地蔵堂 1407年 東京
吉備津神社本殿拝殿 1425年 岡山
慈照寺東求堂 1485年 京都

近世 1543-1853

妙喜庵待庵 1581年 京都
園城寺勧学院客殿 1600年 滋賀
園城寺光浄院客殿 1601年 滋賀
妙法院庫裏 1604年 京都
大崎八幡宮本殿・石の間・拝殿 1607年 宮城
三渓園聴秋閣 1623年 神奈川
二条城二の丸御殿 1626年 京都
西本願寺飛雲閣 1628年 京都
西本願寺書院 1633年 京都
延暦寺根本中堂 1640年(再建) 滋賀
三渓園臨春閣 1649年 神奈川
曼殊院書院 1656年 京都
桂離宮 1663年 京都
慈光院書院 1672年奈良
江川住宅江戸時代前期 静岡
閑谷学校講堂 1701年岡山
東大寺大仏殿(東大寺金堂) 1705年(再建) 奈良
大峰山寺本 1706年奈良
大国住宅 1760年岡山
岡山後楽園流店 江戸時代後期 岡山
栗林公園掬月亭 江戸時代後期 香川
角屋 1787年京都
さざえ堂(旧正宗寺円通三匝堂) 1796年福島
大徳寺孤篷庵忘筌 1799年京都
渡邉住宅 1817年 新潟
羽黒山三神合祭殿 1818年 山形
高野住宅江戸時代後期 山梨
金比羅大芝居(金丸座) 1835年 香川
岩根沢山神社本殿庫裏 1841年 山形

近代 1853-1945 ※は現存しないもの

柏倉家住宅座敷蔵 1866年山形
旧大明寺聖パウロ教会堂1879年愛知 ブレル、大渡伊勢吉(棟梁)
宝山寺獅子1882年奈良吉村太郎(棟梁)
風間住宅1896年山形
武徳殿 1899年京都 松室重光
花田家番屋 1905年北海道
吉島住宅1907年岐阜西田伊三郎ほか(棟梁)
古谿荘 1909年静岡
高松城披雲閣 1917年香川清水
住友ビルディング1926年大阪住友合資会社工作部(長谷部鋭吉・竹腰健造)
聴竹居1927年京都藤井厚二
大倉精神文化研究所本館 1932年神奈川長野宇平治
軽井沢 夏の家 1933年長野 アントニン・レーモンド
※両関第二工場酒蔵 1933年秋田
日向別邸 1936年静岡ブルーノ・タウト
近江神宮1940年滋賀 角南隆、谷重雄
前川國男1941年東京前川國男
吉田五十八1944年神奈川吉田五十八

現代 1945-2005 ※は現存しないもの

神奈川県立近代美術館 1951年神奈川坂倉準三
斎藤助教授の家 1952年東京清家清
コアのあるH氏のすまい 1953年東京 増沢洵
南台の家(吉村順三邸) 1957年東京吉村順三
八幡浜市立日土小学校1956年愛媛松村正恒
香川県庁舎 1958年香川丹下健三
スカイハウス(菊竹清訓邸) 1958年東京菊竹清訓
ホテルオークラのメインロビー1962年東京谷口吉郎
日本生命日比谷ビル(日生劇場) 1963年東京村野藤吾
国立屋内総合競技1964年東京丹下健三
大学セミナーハウス1965年東京 吉阪隆正
千代田生命本社ビル1966年東京村野藤吾
白の家 1966年東京篠原一男
塔の家(東孝光邸) 1966年東京東孝光
※虚白庵(白井晟一邸) 1970年東京白井晟一
KIH7004 1970年東京鈴木
中銀カプセルタワービル1972年東京黒川紀章
大分県医師会新館 1972年大分磯崎新
プロジェクトマグネット1973年店舗模型倉俣史朗
阿部勤邸 1974年埼玉阿部
北九州市中央図書館1974年福岡磯崎新
幻庵 1975年愛知石山修武
上原通りの住宅1976年東京篠原一男
中野本町の家 1976年東京伊東豊雄
小篠邸 1981年兵庫安藤忠雄
弘前市斎場1984年青森前川國男
SPIRAL 1985年東京槇文彦
バーオブローモフ1989年福岡倉俣史朗
海の博物館1992年三重内藤廣
豊田市美術館1995年愛知谷口吉生
ウィークエンドハウス1998年群馬西沢立衛
せんだいメディアテーク2000年宮城伊東豊雄
横浜港大さん橋国際旅客ターミナル2002年神奈川アレハンドロ・ザエラ・ポロ、ファーッシド・ムサヴィ
金沢21世紀美術館2004年石川妹島和世西沢立衛

2019-06-29

anond:20190629213649

そら生活がかかってるんだから性愛がどうとかロマンチックじみたこと言ってられんでしょ

結婚ビジネスですよ資本主義社会では。夫婦家族というプロジェクトを回すための合資会社

2018-02-17

anond:20180217021540

株式会社  元気モリモリご飯パワー 

🐱どっかで見たニャ

有限会社 増田とゆかいな仲間たち 

🐶ホントに愉快なのん増田はゆかいなの、ゆかいじゃないのん

合資会社 増田ですが何か?

🐰強気がいいよね!

2017-03-07

[] H27会社コメント

全体

よくできててそんなに言うことないです。ほぼいちゃもんだと思ってくだされ。

設問1

関西進出

◇俺も落としちゃったんだけど、365条1項も引けるといい。

◇「ため」の当てはめが計算説っぽいので、一応「計算」ってワードを出しておくといいと思う。

◇「事業の部類に属する取引」の当てはめで、両者の扱う商品がともにチョコレートであることに触れておくといいと思う。

◇「利益」については①営業利益をいうのか、②顧問料をいうのか、という点が問題になる、けどここまで到達してる答案は皆無だった。なのでこれでいいと思う。

引き抜き

◇良いと思う。強いて言えば、善管注意義務違反ではなく忠実義務違反を論じてる答案が多かった。けどまぁどうでもいいです。

設問2

◇競業避止義務免除する特約が締結されたという事実があるので、競業避止義務を負うことが事業譲渡要件になるかも論じたほうがベター

◇828条1項6号を引いてるんだけど、これは株式会社から合資会社になったりするケースじゃねぇかな。ちょっと自信ないので教科書見てみて。違ったらすまん。

設問3

◇すまんこれはちょっと判例読んでもよく分からなかった。何条のどの文言をどう適用してんのかが分からん。分かったらまた書き足します。

2016-08-07

http://anond.hatelabo.jp/20160807094611

でも法律上微妙立場だよね

青天井な部分もある

書き終わって気づいたけどこれ合資会社

多分こういうイメージがあるんだろうなぁ

Apple日本法人は合同だったような?あの辺全部株式会社で良いと思う

2013-04-25

色々出てくる、家入一真さんと悪ふざけな方々の未払い祭り

ここ数日、何かと話題になっている家入一真氏と若野桂氏のデザイン料未払いのやりとりであるが、家入氏の未払い問題は今に始まったことでも何でもない。

叩くと色々出てくるが、まずは数年ほど前に家入氏が経営していた会社、party company社の運営していた海の家での未払い問題をご紹介しよう。

江ノ島海の家Colcci(コルチ)音楽イベント ダブルブッキング事件

http://therightwing.blog129.fc2.com/blog-entry-1.html より引用

2010年8月江ノ島海の家Colcci(コルチ)で行われる予定だった音楽イベント

株式会社パーティーカンパニー株式会社アマゾナスヴィダ(子会社)の一同によるダブルブッキングにより中止となった。

当初、被害弁済の話しで折り合いをつけると見せかけ、話しを持ちかけてきたが、8月海の家の営業が終わると同時に、今度は弁済しないと言ってきた横暴ぶり。

しかも、株式会社ウィルコープ代表取締役 松田という、関係ない幽霊会社(住所も電話も飛んでる)の代表が出てきて、連絡はバックレるは知らぬ存ぜぬという始末

株式会社パーティーカンパニー側が株式会社ウィルコープに頼み、けつを拭いてもらおうとしたが、相手が悪かったみたいだ。

要は、株式会社ウィルコープは株式会社パーティーカンパニーの都合の悪い事を、一手に引き受けていると思われる。

来年海の家をやろうとしてるみたいだが、自分達の都合で中止をし被害弁済もしない企業来年もできるとは思えない。ていうか、できないでしょ!噂が回ってるから

株式会社パーティーカンパニーの情けない所は、担当者萩原氏に責任押し付け会社としての監督責任を果たさない点である

責任者は彼かもしれないが、上役1人出てこないのは、不思議ものである

上場会社も率いている、家入一真氏には、社会に対しての責任をしっかりと感じて頂きたいと思う。

これ以上、日本という国で、好き勝手できるとは思わないで頂きたい。

お金があれば、何をやってもいい、弱者には強くあしらい、上場会社の方ではお金を集め、いい顔、悪い顔が見え隠れしている事を皆さんには、知って頂きたい。

被害総額150万円程

■本件の流れ

7/10

江ノ島海の家コルチでのイベント開催の為、イベントブッキング担当斎藤陽氏とやり取りが始まる。

7/15

8/22のスケジュールの押さえる。

イベント開催に向けて出演者のブッキングプロモーション活動、等の準備を進める。

8/4

江ノ島警察指導によりイベント終了時間が20時から19時に変更される。

8/5

江の島花火大会の際に、一部の海の家が大幅な音量オーバーと営業時間オーバーをした為に、警察から海岸組合指導が入り、組合江ノ島西浜全域に厳重注意を勧告され、それによりイベント開催に対する規制が更に厳しくなる。

8/10

現地の状況が更に厳しくなったことを理由にキャンセルを勧められる。

8/11

違う日程に予定されているイベント主催者に連絡をとり状況を聞いたところ、こちらが齋藤から伝えられているような厳しい状況ではなく、全く問題なく開催出来るとのこと。開催したいという意志を伝えると齋藤から、コルチ側のスケジュール管理ミスによりこちらのイベントダブルブッキングされ、コルチでは開催不可能である旨を告げられる。なおダブルブッキングのもう片方のイベントは、コルチの関連会社イベントである為にどうしても外せないとのこと。

コルチの運営会社パーティカンパニー萩原から謝罪の連絡があり、他店での開催を提案される。

8/12

齋藤氏より、イベントキャンセル場合は経費の総清算をコルチ側にさせる旨を告げられる。

8/14

イベントプロモーションのために制作したラジオ番組の再制作にかかる費用等を様々な要因を考慮して検討した結果、他店での開催は不可能と判断しキャンセルする意向を伝える。

8/16

パーティカンパニーとコルチを共同経営するウィルコープの松田氏より、今後は最終責任者として対応するとの連絡がある。

8/23

松田氏と渋谷で会って話をする 請求してくださいとのこと。

8/24

メールで請求内容を送るが、その後松田から連絡なし

9/10

こちらから松田氏に連絡すると、弁護士をいれたので弁護士から明日にでも連絡すると告げられたが、弁護士からの連絡は一切なし。

9/23

齋藤氏と会って話をし、以下の約束を取り付ける。

ウィルコープは全く対応する意志がない様子なので、萩原氏またはパーティカンパニーの代表からすぐに電話をさせること。

齋藤氏はスケジュール管理については全く関与せず全てパーティカンパニーウィルコープの責任ということなので、その証明と今回の事件の経緯を文章にまとめてこちらに提出すること。

9/24

齋藤氏より連絡があり、萩原氏は多忙により時間が出来次第に電話するとのこと。

その後、萩原氏より電話なし。

9/25

萩原氏にパーティカンパニーの代表役員もしくは担当者から和解交渉の連絡がない場合訴訟も辞さないと連絡をする。

齋藤氏に下記の提出をお願いする。

1 ダブルブッキング事件のやり取り詳細(全履歴)

2 過失がコルチにある事を証明する書面(スケジュール管理してない事の証明

3 株式会社パーティーカンパニーとの契約

9/27

齋藤氏より

義務ではなく善意で協力している立場なのでそのような要求は受け入れられず、

今後は法的に義務が生じた証言、提出物のみ出すとのこと。


今回の関係悪徳企業会社概要

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悪ふざけ文化創造企業/株式会社パーティカンパニー(partycompany Inc.)概要

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所在地

 〒150-0002 東京都渋谷区渋谷1-17-1 美竹野ビル2F

 (東京メトロ渋谷駅 13番出口より徒歩0分) Google Map

【TEL・FAX番号】

 03-6427-3185(TEL)  03-6427-3186(FAX

【事業内容】

 カフェレストラン事業(直営店運営/企画プロデュース委託運営)

 アート文化事業(ギャラリー運営/クリエイタープロデュース及びマネジメント

 オフィス事業(オフィスプロデュース及び企画運営)

取締役会長

 家入一真株式会社paperboy&co. 創業者

代表取締役社長

 永岡裕介

専務取締役

 澤圭次郎

資本金

 3千万

売上高2011年4月期見込み)】

 5億円

決算

 4月

【従業員数】

 100名(アルバイト含む)

URL

 http://partycompany.co.jp

Twitterアカウント

 partycompanyinc ( http://twitter.com/partycompanyinc

役員 プロフィール

 家入一真(イエイリカズマ)取締役会長

 1978年12月福岡生まれ福岡育ち。paperboy&co.創業者

 2001年株式会社paperboy&co.の前身 である合資会社ダメ企画を設立

 2003年paperboy&co.設立代表取締役に就任。

 2008年ジャスダック証券取引所上場

 その後、2009年代表取締役CCOを経て、2010年取締役に就任。

 2010年4月、悪ふざけ文化創造企業 株式会社パーティカンパニー設立

 代表取締役に就任。

 2010年11月、同社 取締役会長就任。

 著書に『こんな僕でも社長になれた』(ワニブックス)など。

 趣味カメラインターネット、飲み歩き。

 イエイリカズマ Official Blog http://ameblo.jp/ieirikazuma/

 永岡裕介(ナガオカユウスケ)代表取締役社長

 1980年10月兵庫生まれ兵庫育ち。

 2003年株式会社バックオフィスサービス取締役就任。

 2005年株式会社paperboy&co.入社

 2006年、同社 常勤監査役に就任。

 2009年、同社 常勤監査役退任。

 2010年4月株式会社パーティカンパニー取締役就任。

 2010年11月、同社 代表取締役社長就任。

 澤圭次郎(エビサワケイジロウ)専務取締役

 1973年福島県生まれ。

 2001年吉祥寺に「 A.B.Cafe」をオープン

 2002年有限会社 A Style Works 設立代表取締役就任。

 2005年笹塚に「202market」をオープン

 2009年中目黒に「中目黒Lounge」出店。

 2010年株式会社パーティカンパニーへ飲食事業を譲渡、同社 取締役就任。

 2010年11月、同社 専務取締役就任。

関連会社

 株式会社アマゾナスヴィダ

 (アパレルブランド「Colcci」日本国内輸入販売総代理業)

【沿革】

 2008年5月渋谷に1号店「HI.SCORE Kitchen」をオープン

 2009年10月代々木上原に「入 iri」をオープン

 2009年11月中目黒に「ie」をオープン

 2010年3月有限会社A Style Works よりカフェ事業(都内3店舗)を事業讓受

 2010年6月渋谷宇田川町に「宇田川コロニーオープン

 2010年7月片瀬西浜に海の家「theBeachCafe」、渋谷に複合プロジェクト

       (カフェON THE CORNER」/アートラウンジSUNDAY ISSUE」/

       シェアオフィス「partyground」)オープン

 2010年11月:「宇田川コロニー」一時閉店

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株式会社アマゾナスヴィダ 概要

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【商号】

 株式会社アマゾナスヴィダ

役員構成】

 代表取締役社長 家入一真

 取締役 永岡裕介

 取締役 大塚弘澄

 取締役 石井恵二

所在地

 東京都渋谷区渋谷1-17-1 美竹野ビル2F

資本金

 2,250万円

決算

 3月

【事業内容】

 アパレルブランド「Colcci」日本国内輸入販売総代理業

【従業員数】

 10

URL

 www.colcci.com

国内店舗

 お台場ヴィーナスフォート店(直営)をはじめ、百貨店、全国セレクトショップにて展開中

代表取締役社長 プロフィール

 家入一真(イエイリカズマ)

 1978年12月福岡生まれ福岡育ち。31歳。paperboy&co.創業者

 2001年、(株)paperboy&co.の前身となる合資会社ダメ企画を設立

 2003年paperboy&co.設立代表取締役に就任。

 2008年ジャスダック証券取引所上場

 その後、2009年代表取締役CCOを経て

 2010年取締役に就任。

 2010年4月、悪ふざけ文化創造企業 株式会社パーティカンパニー設立代表取締役に就任。

 ITアパレルPRなど、幅広い事業への投資も積極的に行っている。

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斉藤 陽(サイトアキラ

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今回の海の家COLLCCI(コルチ)のブッキング担当

所属 WanderLust Inc./ 株式会社ワンダーラスト

http://www.wanderlust-inc.co.jp/index.html

斉藤陽氏は都内でDJとしても活動している。

今回のブッキングの件は業務契約を結んでいると言っていたが、責任は両者なすりつけあいで、株式会社ワンダーラスト株式会社パーティーカンパニー株式会社アマゾナスヴィダとの業務提携だとすれば、株式会社ワンダーラスト責任が問われるであろう。

社長同士が知人関係だという)

現在斉藤陽氏は自身に非はないとして主張を繰り返している。

株式会社パーティカンパニー側に落ち度があり、斉藤氏は弁済の約束も取り付けたというが、その約束はどこに行ったのか、果たされていない。

ここに、挙げられている企業グループ企業・協力企業であり、秘密裏に会合をしていると思われる。

よって、彼の言っている事も、日々変わってきているので信用はできないという。(もっともだ)

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株式会社ウィルコープ

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住所・電話番号 ともに存在なし 通称幽霊会社

社会に出せない・出すと不利益になる案件のケツもち会社

⑤背後にある企業 家入一真創業者

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株式会社paperboy&co. ジャスダック上場企業 大阪証券取引所 証券コード3633

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http://www.paperboy.co.jp/

関係者の話しによると、ここが全ての母体になっており、背後で動いていると思われる。

本件は現在も調査中です。

音楽イベントをやる時は、皆さんも注意して下さい。

2012-09-16

http://anond.hatelabo.jp/20120916003522

いや、コミケは歴代 他のサークル委託を受けているから、そのサークルの配布物しか配布できないなんて、歴史事実はないはずだよ。

また、商業作家サークルとして配布物を作っていることもあるし。 それと じゃぁ 売上を上げているサークル場合 

かなりの税金を払っているはずだけど

そのサークルが 法人登録されていないことを すべて確認しているのか? という話だね。

普通 税制対策としては 法人化してしまうような気がするけど・・・その程度はいままで、見過ごされているだろ。

ていうか、納税しているサークルがあって それがサークル決算されている場合それ、普通税法上 法人化されてるとおもうが・・・株式会社なのか合資会社なのかはともかく。

 

いずれにしろ 結構グレーなケースがあることは周知の事実だが善意ベースで今まで運営されていたのに、なぜ、ウシジマだけ?という話はあるので

事前告知があったのなら、それはウシジマ側のミスだし  事前告知がないならば、正直、私怨なんじゃないの?という方が先に疑われるべきでは?

 

あと、過去JAN コードが付いたものって 売られている気もするが、やはりなぜウシジマだけ?という気もする。

本当に 過去 JANコードが付いたものってなかったの?

 

いずれにしろ、意見は述べてしまったけど、これ 個人間で解決する話で 第三社がどうこういう話か?という所でまとめ。

第三者的には

JANコード禁止なら 普通に そういうルールだと 運営が公式発表して終了。 公式発表ないなら、そういうルールはないということで、担当者私怨による越権行為で、管理不行き届きで逆に謝罪だと思うけど。

いずれにしろ、周りが騒ぐことじゃないと思う。当事者同士で解決してくれ。

2011-02-15

http://anond.hatelabo.jp/20110215212145

それ、預金じゃなくて、資産所得課金してないか

海外口座の預金の利息は所得税払うのはOKだけど 預金そのものに課金できるかどうかは、銀行がある国の法律じゃないの?

それを認めたら、企業海外に持ってる決済口座まで、課税対象になって

じゃぁ、海外との合資会社どうするの?とかそういう話になる。

 

会社場合は、会社が所在している国。ということなら、海外会社作って、そこにお金を預けて株式にすれば終わりじゃない?

海外ファンド株式方式というのが、出る予感。

ちなみに、日本国籍を持っていて、海外で働いている、実際に移住していて、年金等も納めていない人の日本口座や海外口座は?

海外国籍の人の日本口座は?

日本口座を持っている、海外国籍の人に お金を化した日本人債権には課金されるの?

課金されるなら、銀行が個人向けに出しているローンにも課金されるんだよね? 日銀銀行に化した場合も課税されるのかな?

Aさんが、Bさんに100万円貸しつけて、BさんがCさんに100万円貸しつけて、CさんがAさんに100万円貸し付ける。これを1万回繰り返して債権が300億になっているけど、実質0という場合にも課金されるのかな? いくらに対して?

 

まぁ、結論から言えば、それでも、貯金する。だろうけどな。

2010-09-03

http://anond.hatelabo.jp/20100903145705

原作やグッズを売りたい出版社メーカーの意向とか?

アニメ製作会社出版社子会社だったり合資会社だったりすればいいのにな。

今時はメディアミックス前提にしてるわけだし。

2009-09-12

http://anond.hatelabo.jp/20090912122357

一般的にNPOと言えば無償ボランティアイメージが強い

しかも、無料だと怪しむのが普通

実際、活動が休止している幽霊団体も多いし、利益を生むこと自体、問題ないことなのに、日本人の固定概念ではNPOで稼ぐことは不道徳として考えられている

NPOとか合同会社合資会社ベンチャーとか、単に法人体系だけの問題だから、ぶっちゃけ個人事業主で十分に活動できる

一般的に事業は3年で終わる

そういう意味NPOも3年で終わることを前提としてビジネスモデルを組み立てないと、いつまでも幽霊事業会社になってしまうぜ

ベンチャーキャピタルからの出資上場を目指すなら別だけどね

 
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