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2018-10-17

日本テレビ番組あるある

なかでも過剰だと思うところを挙げていく

・過剰な笑い声

誰かがなんか面白げなこと言ったらワハハ

面白くなくてもワハハ

とりあえず笑い声を入れておけの精神

効果音でもいいから賑やかそうの精神

・過剰な字幕

いわゆるテロップ

常に画面内に存在する

出演者のどうでもいいコメントもでっかく表示される

色分けや強調もしてフォントも変えて演出にもこだわるの精神

YouTubeでもみんなテレビみたいな字幕入れててうんざり

でも耳が遠いおばあちゃんは字がでかくて助かるわといっていたので

高齢者聴覚障害者にとっては必須かもしれない

・過剰な小窓

いわゆるワイプ

常に画面内に存在する

出演者のどうでもいいリアクションをしっかり見せてくれる

別にそんなもん映さなくていいしいちいちワイプ用の顔作んなくていいよ

これも字幕と合わせてYouTuberにしっかり継承されている

日守秋星

・過剰な情報量

色んな情報が常に画面に詰め込まれている

朝の情報番組とか特にすごい

時間、天気、番組名、放送局名、コーナー名、ワイプ字幕、その他もろもろ

まさに情報番組

・過剰な背景セット

出演者の背景にあって出演者より目立つこと多数

空いたスペースは寂しいので物で埋めておこうの精神によって

わけのわからん謎のオブジェクトや小物が隅々まで配置されている

番組ジャンル放送局関係なくこれは共通しており

どのチャンネルに合わせても背景はだいたいゴチャゴチャしている

シンプルな背景の番組希少種

バラエテイ番組ではキラキラギラギラした素材のやつと小さい電球が必ず登場する

・過剰な人員

背景と同じく画面が人で埋まってりゃ映えるの精神によって

とりあえず各方面から人が集められ配置される

そして金をかけた番組ほどひな祭りになる

そうでない番組でも横一列にズラッと人を並ばせる

テレビ局の偉い人間はとにかく人を並ばせるのが好き

朝のニュース番組ですら例外ではない

なんでなんだよ

・過剰なまでにお馴染みの面々

どのチャンネル吉本ジャニーズ秋元康あたりで回っている

こいつらばっかりも退屈なんで他勢力がぶち壊してほしい

そして同じ歴史を繰り返してほしい

がんばれ孫権

・過剰なリアクション

出川哲朗

・過剰に煽るナレーション

立木文彦

・過剰な日本賛美

外国人日本のここがすごいと言わせる系のアレ

褒められて気持ちよくなるための自慰番組

今はもうだいぶ下火になったが何年も続いた人気コンテンツ

あるとき親父がアレをみてニヤついてて寒気がした

ハバネロボスの頃ですらアレだと思っていたのに

ネットの後追いでテレビでも段々やるようになって

各局横並びでそういうのばかりになってしまった

悪い意味でいくとこまでいってしまった例

・過剰な非現実感

ドラマ吹き替えを見ていると演技や台詞回しが

日常で見ているものと全く違って見えるという怪奇現象がよく起きる

現実にはありえないような口調で喋る人間大勢出てくる

・過剰な番組

とりあえず番組を増やして賑やかそう儲けようの精神によって

朝早くから夜遅くまで放送したり三ヶ月で大量の番組を入れ替えたりしている

そんなだからブラックなんだろテレビ局はもっと休めよと言いたい

そしてドラマもっと数減らして予算かけていいもの作れんのかと

アイアムアヒーローは長期ドラマやれんのかと言いたい

映画版が良かっただけにウォーキングデッドだわ

あとアニメも毎期毎期なんやかんやで作り過ぎなんだわ

ここまで挙げてみて意外と自分テレビ見てんのなと思った

あとちんこは言っていいけどまんこ絶対言っちゃダメ感も過剰だと思った

2018-09-01

なぜ日本では、中国人名前日本語の音読みで読むのだろう

直接知り合ったなら本人に聞けばいいし、マスコミであれば読み方も分かると思うのだが、なぜほとんどの場合中国語発音で読まないのだろう?

現代人ではないが、孫権孫堅なんて日本語読みした場合の方がかえって分かりづらいのに。

2018-08-19

元号出典一覧

元号出典備考
大化書経』(『尚書』)大誥、『漢書』巻56、『宋書』巻20 
白雉漢書』巻12帝紀 
朱鳥礼記』曲礼 
大宝易経』繋辞下 
慶雲文選』巻6、『晋書』巻54陸雲伝 
和銅和銅(ニギアカガネ)が朝廷に献上されたことにより改元
霊亀瑞亀献上により改元
養老養老の滝命名に因んで改元
神亀白亀出現の瑞祥により改元
天平天王貴平知百年」の文字を背に負った瑞亀の献上により改元
天平感宝陸奥から黄金献上により改元
天平勝宝孝謙天皇即位により改元
天平宝字蚕が「五月八日開下帝釋標知天皇命百年息」の文字を成したことにより改元
天平神護藤原仲麻呂の乱神霊の護りによって平定したことによる
神護景雲瑞雲の発現により改元
宝亀瑞亀献上により改元
天応伊勢斎宮に現れた美雲の瑞祥により改元
延暦後漢書 五十二巻 
大同礼記』礼運篇 
弘仁 
天長 
承和 
嘉祥豊後国大分郡寒川現在大分川)で捕獲された白亀が献上されたことを大瑞として改元
仁寿白亀・甘露の瑞祥による改元
斉衡石見国から醴泉の瑞を献上された事による改元
天安美作国常陸国両国より白鹿、連理の樹が献上された祥瑞による改元
貞観易経 
元慶白雉・白鹿献上の瑞祥による改元
仁和 
寛平 
昌泰 
延喜尚書』旋璣鈐 
延長文選東都賦、白雉詩 
承平漢書 
天慶漢書 
天暦論語 
天徳周易 
応和「董巴議」 
康保書経 
安和礼記』楽記第19 
天禄 
天延天変、地震による改元
貞元火災地震による改元
天元災変、陽五厄による改元
永観書経』洛誥 
寛和 
永延漢書』巻75翼李伝 
永祚『晋書』巻21礼志 
正暦大風、天変による改元
長徳揚雄の『城門校尉箴』 
長保国語』(周語中) 
寛弘漢書」(元帝紀賛) 
長和礼記』(冠義) 
寛仁『会稽記』 
治安前漢書』 
万寿詩経 
長元六韜 
長暦春秋』または『晋書』 
長久老子』(七章) 
寛徳後漢書』(杜林伝) 
永承書経 
天喜『抱朴子』 
康平後漢書 
治暦尚書正義 
延久書経』または『尚書‐注』 
承保尚書 
承暦「維城典訓」 
永保尚書 
応徳白虎通」 
寛治礼記 
嘉保史記 
永長後漢書』巻1光武帝 
承徳周易 
康和崔寔『政論』 
長治漢書 
嘉承漢書』礼楽志 
天仁文選 
天永尚書 
永久詩経』?
元永天変、疾疫による改元
保安天変、厄運による改元
天治『易緯』 
大治『河図挺佐輔』 
天承漢書 
長承史記 
保延文選卷十一·魯靈光殿賦并序』 
永治『魏文典論』『晋書』武帝 
康治宋書 
天養後漢書 
久安『晋書』劉頌伝 
仁平後漢書』孔奮伝 
久寿『抱朴子』 
保元『顔氏家訓』文章 
平治史記』夏本紀 
永暦後漢書』辺譲伝、『続漢書』律暦志 
応保尚書 
長寛『維城典訓』 
永万漢書』巻64王褒伝 
仁安毛詩正義 
嘉応漢書』王褒伝 
承安尚書 
安元漢書 
治承「河図挺作輔」 
養和後漢書 
寿永詩経 
元暦尚書考霊耀」 
文治礼記祭法 
建久『晋書』『呉書』 
正治荘子‐漁父」 
建仁文選卷四十七・聖主得賢臣頌』 
元久毛詩正義 
建永文選』卷四十二・曹子建與楊德祖書 
承元「通典」 
建暦後漢書 
建保尚書 
承久「詩緯」 
貞応易経 
元仁周易 
嘉禄「博物志」 
安貞周易』上経坤 
寛喜「後魏書」 
貞永易経」(坤卦) 
天福書経」(湯誥) 
文暦文選卷四十六・顔延年三月三日曲水詩序』 
嘉禎北斉書」 
暦仁「隋書」(音楽志下) 
延応文選卷二十四・潘安仁為賈謐作贈陸機』 
仁治新唐書 
寛元宋書 
宝治春秋繁露-通国身」 
建長後漢書 
康元赤斑瘡による改元とみられている
正嘉芸文類聚-歳時中・元正 
正元「詩緯」 
文応「晋書‐劉毅伝」 
弘長貞観政要‐封建」 
文永後漢書‐荀悦伝」 
建治周礼 
弘安「太宗実録」 
正応伏見天皇即位による改元
永仁『晋書』巻22楽志 
正安孔子家語』 
乾元周易 
嘉元芸文類聚天部 
徳治『左伝』 
延慶後漢書』馬武伝 
応長旧唐書礼儀 
正和「唐記」 
文保梁書 
元応唐書 
元亨周易 
正中易経 
嘉暦唐書 
元徳周易 
元弘芸文類聚天部 
正慶光厳天皇即位による改元
建武文選』?
延元梁書 
興国春秋左氏伝』昭公四年伝、『新五代史』伶官伝序 
正平天変や兵革による改元
建徳文選 
文中易経』彖伝上?
天授史記』淮陰侯列伝
弘和書経』君牙篇?
元中易経』彖伝上?
暦応帝王代記』 
康永漢書 
貞和芸文類聚 
観応荘子 
文和旧唐書』順宗紀、『三国志』呉志孫権 
延文漢書』儒林伝 
康安史記正義』と『唐紀』 
貞治周易 
応安毛詩正義大雅江漢 
永和尚書』舜典と『芸文類聚』巻8 
康暦唐書 
永徳『群書治要』巻17
至徳『孝経』 
嘉慶毛詩正義 
康応文選曹植七啓 
明徳礼記 
応永『会要』 
正長礼記正義 
永享後漢書 
嘉吉周易 
文安『晋書』 
宝徳旧唐書 
享徳尚書 
康正史記』と『尚書 
長禄韓非子 
寛正孔子家語』 
文正荀子 
応仁『維城典訓』 
文明周易 
長享文選 
延徳孟子 
明応周易 
文亀『爾雅』釈魚 
永正周易緯』 
大永杜氏通典』 
享禄周易 
天文易経 
弘治北斉書』 
永禄『群書治要』巻26 
元亀毛詩』と『文選 
天正文選』と『老子 
文禄杜佑『通典職官十七』 
慶長毛詩注疏』 
元和徳川家康の命により、唐の憲宗の年号を用いた
寛永毛詩朱氏注』 
正保尚書正義 
慶安周易 
承応『晋書』律暦志 
明暦漢書』律暦志と『後漢書 
万治史記』と『貞観政要』 
寛文荀子』致士篇 
延宝『隋書』音楽 
天和尚書』、『前漢書』、『後漢書』、『荘子 
貞享周易 
元禄文選 
宝永旧唐書 
正徳尚書正義 
享保後周書』 
元文文選 
寛保国語』周語 
延享芸文類聚 
寛延文選 
宝暦貞観政要』 
明和尚書 
安永文選』巻一 
天明尚書 
寛政『左伝』 
享和文選』ら 
文化周易』賁卦彖伝、『後漢書』荀淑伝
文政尚書』舜典 
天保尚書 
弘化菅原為定の漢文 
嘉永宋書』楽志 
安政内裏炎上地震安政の大地震)、黒船来航などの災異による改元
万延後漢書』馬融伝 
文久後漢書』謝該伝 
元治周易 
慶応文選 
明治易経 
大正易経』彖伝・臨卦 
昭和書経堯典 
平成史記五帝本紀、『書経(偽古文尚書)』大禹謨 

※すべてWikipediaから

 

調査を通じて学んだこと

※代始改元はかつては非礼とされていた

https://kotobank.jp/word/%E4%BB%A3%E5%A7%8B%E6%94%B9%E5%85%83-1359409

代始改元は,(中略)平安時代から806年平城天皇大同改元場合を除き,皇位継承の年に先帝の年号を改めるのは非礼であるとしてこれを避け,翌年に改元するのを原則とするようになった。

南朝元号の出典、勧申者がのきなみ不明になってる。焚書にあった?それとも元号を考えられる教養のある人がいなくて適当につけただけだったりする?

日本古典出典の元号過去に一件のみ存在する(弘化

元号って漢籍から適当に二文字抜き出しているように見える。「百姓昭明、協和萬邦」から明和昭和の2つの元号が作られているし。なんか規則あるんだろうか?

2017-08-20

キラキラネームをつけるのは2000年からDQN相場は決まっている。

まず100年前から

森鴎外

於菟Otto真章Max富Tom(以下略

DQNネームをつける。

小説DQNながら医師としての素質もなくかなりのDQNプライドのために海軍で開発されていた脚気対策の麦飯を否定し多くの陸軍兵を殺す。


次に2000年

四人の息子に独自に開発した漢字をつけた。

呉の三代皇帝である学問うつつを抜かし孫堅孫策孫権が建てた呉に混乱をもたらす。子供は内輪揉めで全員殺されその後呉も滅亡。


最近DQNネームアメリカ化の流れだろうね。

社会が二分化して10代前半でセックス始める不良と上位10パーセントに入るようなエリートしか子供が残せなくなってきた。

アメリカ人デブデフ太って簡単計算も出来ないようなアホか

難易度資格をいくつも持ってるような頭いいやつしか見かけない

日本もその内その二層しか居なくなるんじゃないか

2017-08-07

歴史人物女体化させるのはいいんだけど

出来ることなら別名にしてほしい

FGO宮本武蔵ちゃんっていう最高にかわいい娘がいるんだけど、名前武蔵のせいでまず頭に浮かぶのは刃牙武蔵なわけよ。

で、なんとかそれを振り切って、カタカナムサシって呼べばいいんだとおもってムサシにするとポケモンロケット団がでてくるわけよ。

もう結局、画像をみて何も考えずに本能だけで発射するしかないわけだ。

(追記)

どうでもいいけど、理想真名女の子っぽい名前のやつ。

恋姫の孫権理想蓮華って呼べばいいから。

ここで母親名前とか引いてしまうともうどうしようもないんだけどそれはまた別の話。

2017-07-09

https://anond.hatelabo.jp/20170709154334

「漢」という大きな国で「黄巾の乱」という農民反乱が起きる。

朝廷は各地に将軍派遣してようやくその乱を鎮める。

そのあと董卓っていう奴が独裁者になって暴れるんだけど、部下の呂布という奴に殺される。

朝廷はぐちゃぐちゃで統制が効かなくなってしまい、各地の将軍たちが独立して戦国時代みたいになる。

そのころは大陸の北の方が豊かで人口も多く、その覇権を巡って曹操袁紹という二大勢力が戦って、曹操が勝つ。

曹操日本戦国時代で言えば織田信長みたいな冷徹天才タイプ

北半分を手中に収めて圧倒的な勢力を持つようになった曹操

しか大陸の南東のほうで勢力を拡大していた孫権という奴に「赤壁の戦い」で大敗する。

孫権徳川家康みたいな地域密着型の苦労性タイプ

また、孫権に協力していた劉備という奴が、その戦いのあとの隙をついて大陸の南西の方を占領する。

劉備豊臣秀吉…と言いたいけどわりと違くて、やたら仁義忠義にこだわる良い子ちゃんタイプ

実は西遊記三蔵法師に近いんじゃないか

北半分を得た曹操の「魏」、南東を得た孫権の「呉」、南西を得た劉備の「蜀」。

この三国が鼎立するから三国志演義」。

特に劉備主人公格で、義兄弟関羽張飛と共に、紆余曲折を経て国を打ち立てるまでが前半。

でも建国した矢先、関羽は呉と戦って殺されてしまい、張飛も部下に裏切られて殺されてしまう。

義弟たちを殺されて怒り狂った劉備は呉に攻め込むんだけど大敗して死ぬ

そして劉備軍師であった諸葛孔明が、劉備亡きあと、圧倒的な力を誇る魏に対してさまざまな奇策を持って挑む、というのが後半のストーリー

既に曹操も死んでいるから、魏の将軍司馬懿という奴が孔明ライバルになる。

孔明は魔術的な天才軍師として描かれ、司馬懿相手連戦連勝する。

しかし彼我の戦力差はいかんともしがたく、やがて孔明死ぬ

孔明の死後は、後継者姜維を中心に、蜀も粘るんだけど、ついに魏に降伏することになる。

具体的に言うと、鍾会という野心旺盛なエリート姜維を釘付けにしているあいだに、鄧艾というドモりが酷いおっさんが間道を通って蜀の首都を攻め落とす。

でも鄧艾のことが気に入らない鍾会は、鄧艾の勝手な振る舞いを讒言して殺してしまう。

さら姜維に唆されて、鍾会は蜀の地で独立してやろうとするけど、あっさり発覚して鍾会姜維は殺される。

この頃の魏は、司馬懿の息子たちがすっかり権力を握っている。

そいつらが蜀の滅亡の後に魏を乗っ取って、「晋」という国をつくる。

この晋の名将に羊祜という奴がいて、最後に残った呉をいつ滅ぼそうかと手ぐすねを引いていた。

しかし、このときは呉にも陸抗という名将がいた。

二人は国境を挟んで互いのことを認め合い、手紙や酒を送りあうほどだった。

この頃の呉は、晩年に耄碌した孫権が、悲惨後継者争いを引き起こして国力が低下。

陸抗の力によってようやく保っている有様だった。

やがて羊祜も陸抗も亡くなったあと、羊祜の後継者となった杜預という奴によって、ようやく呉は滅ぼされた。

魏も呉も蜀も消え去り、晋が大陸統一したのだった。

おしまい

2016-02-18

中国約束を守らない国って果たしてそうだろうか?

秦は穆公から始皇帝まで約束を守らない虎狼の国と言われ続けてた。

漢の高祖は項羽との約束を破って垓下の地で項羽を滅ぼしたし、

天下統一韓信を始めとした功臣を意味不明理由で殺しまくった。

三国志裏切り時代

曹操若い董卓の怒りを買い逃亡中、自身親族を裏切るからという理由だけで皆殺しにした。

孫権太子孫登亡き後二宮の変優柔不断を発揮して功臣陸遜事実上殺した。


後は頼んだ。

2015-07-14

Wikipediaに憤死したと書かれている有名人

李広

前漢武将。衛青に従って匈奴征伐に出陣したが遅参してしまい「慣れない搦手の部隊に回されたせいで道に迷ったじゃねぇか!」と逆ギレして憤死。

周瑜

三国志演義』に登場する呉の武将諸葛亮にことごとく策を読まれた上に「どうせ俺に勝てないんだから曹操に隙を突かれる前にやめたら?」と言われて憤死。

于禁

三国時代の魏の武将。有力な将軍であったが関羽に敗れて降伏した。のちに魏に送り返されたあと、関羽に命乞いしている場面の絵を見せられて憤死。

曹丕の項にて「憤死」を確認

王朗

三国志演義』に登場する魏の政治家。戦いの前に諸葛亮に論戦を挑むも「逆賊曹操に取り入って私腹を肥やしたくせにまだ手柄が欲しくて戦場に出てくるのかこのジジイ」と罵られて憤死。

曹真

三国志演義』に登場する魏の武将。陣中で病にかかり重体となり、それを察した諸葛亮がここぞとばかりに送った挑発的な内容の手紙を読んで憤死。

陸遜

三国時代の呉の武将老害と化して後継者問題引き起こし孫権が周囲の讒言を信じて何度も問責してきたため憤死。

蕭衍

梁の武帝。当初は名君だったが仏教に傾倒して国を衰退させ、宇宙大将軍が率いるたった1000人の反乱軍に敗れて首都を包囲され降伏幽閉中に蜜を求めたが与えられず憤死。

侯景の項にて「憤死」を確認

ベリサリウス

東ローマ帝国武将東ローマ帝国の最大領土を築き上げたが、皇帝から必要ときに呼び出されてこき使われるだけの不遇な人生を送り、最後には無実の罪で逮捕されて憤死。

早良親王

兄・桓武天皇から藤原種継暗殺事件関係した疑いをかけられて流罪に処され、無実を訴えて絶食し憤死。

ボニファティウス8世

ローマ教皇フランスフィリップ4世対立して監禁されて「異端者」と罵られて殴られて身ぐるみ剥がれて憤死。

2015-02-23

http://anond.hatelabo.jp/20150223214028

呉という国は豪族寄り合い所帯なので魏や蜀と比べると統治が非常に難しかった。

江南も当時はまだ開発が進んでおらず河北の豊かさには一歩も二歩も劣る。

日本戦国時代で言えば武田信玄のようなポジションであって、初期条件から詰んでいるといわざるを得ない。

それでも無謀な領土拡大を望んで全周囲を敵に回した挙句に最悪のタイミングで死んでいった糞老害信玄と比べれば、

己の分を弁え豪族たちをよく抑え後継者争いにもとりあえずの収拾をつけて死んだ孫権は遥かにマシだ。

曹操劉備が破格すぎただけで、曹丕を除く魏帝や劉禅と比べれば十分に名君と言えるだろう。

孫権という三国時代英雄について

歴史関係三国志話題に昇った時、非常に地味だったという記憶がある。

何故なら、呉といえば大事な戦が孔明の引き立て役となった赤壁周瑜が頑張った荊州南郡呂蒙が頑張った樊城、陸遜が頑張った夷陵、孫権大敗した合肥

数えるほどしかなくて、その中でも孫権自身が直接赴いた戦争合肥くらいで、

その上、張遼に始まって満寵や曹休(石亭でのやり返しは陸遜周魴による)、王凌などにボコられて負けたくらいのエピソードしか持たない

戦争に行けば必ず負ける郭図のような人物だったらしい。

そのため、甘露寺での劉備との同盟といった正に英雄と呼べる場面もあるのに

張昭の家を放火したり陸遜根拠なく憤死させたり二宮の変での優柔不断さが原因で呉の滅亡を早めたりと

無能エピソードがちらほら伺えてしまって、

対する曹操徐州虐殺劉備長坂で妻子を捨てて逃げた事なんかよりもずっとクズだし、

何よりも孫権は上二人の英雄に比べて戦争に強いイメージがなければ、政治家として優れてたかすら疑問だ。

何せ、これまで暗愚扱いされてきた劉禅宦官政治朝廷が腐敗したとしても少なくとも40年は国を維持してきたとして

良君として再評価されつつあるのに対して、

孫権二宮の変晩年後継者選び等の老害ぶりを発揮したおかげで若い時の事績が霞む程の暗君ぶりや兄孫策の偉業を評価せず

皇帝即位後、父は皇号だったのに兄には王号しか与えなかった事から孫権自身人間性を物語るのに十分だ。

そのため、彼に関して三国時代の三人の名君の一人に挙げられるとこれまで評価されてきたが、筆者はそれには否としたい。

偶然三国時代に入ったため、たまたま呉国君主だった孫権英雄扱いされてしまっただけだろう。

若い時は呂蒙や蒋欽に勉学を勧めたり劉表から亡命してきた甘寧を受け入れたりと正に英雄と呼ぶに相応しかったが

それ以上に短所が悪目立ちしてしまったのが残念で仕方ない。

2013-08-08

http://anond.hatelabo.jp/20130808181055

決着自体は帝国同盟征服しちゃった時点で終わってるしね。

結局のとこ主役の二人をうまく殺すには「テロ」「病死」ってのは考えてると思うよ。

誰かに負けたわけじゃないので傷がつかないし。

まぁどっちかが征服して終わりってのもなぁ。

田中芳樹中国の歴史とか好きみたいだし、征服後の反乱とかは漢帝国の件とか知ってれば面白い

オーベルシュタインの行動とかもね。

三国志なんかも統一したのは曹操孫権劉備の一族じゃなくて司馬懿だしね。

2012-09-02

諸葛亮は稀代の詐欺師

孔明は嘘を吐かせると右に出る者はいない。

かつて劉備の代理として孫呉に訪れた際、共に赤壁を打ち倒しましょうと言ってすり寄った。

実際には漁夫の利を得た形で約束違反である荊州簒奪した。漢朝廷にすら許可を取らなかったため、後に曹操に利用されて公式に周瑜を南郡太守、荊州総督を任せる等として荊州統治を孫呉に委ねたのだ。そうなると当然荊州の正当支配者は孫呉になり劉備違法にそこを占拠してるに過ぎなくなる。そこで孔明は一計を案じて周瑜を誅殺し孫権から荊州を借りる形を取って劉備を統治者とした。当然条件付きで蜀を取れば荊州を全て返還するという劉備孔明両名のお墨付きであるしかし蜀、そして漢中を奪っても返さなかった。孔明は嘘吐きである。これがきっかけで荊州争奪戦および関羽刑事件に繋がるのである。また、後継者問題では自身の優位を絶対にするため、劉備信者魏延らをあることないこと誹謗し続けたのである。これは一政治家としてあるまじき愚行であろう。ともすれば、これを手本とする日本の某政党は嘘吐きであることを肯定しているも同じである

孔明は人を見る目が皆無。

嫁に関して「孔明の嫁選びを真似るなかれ、阿承(黄承彦)の醜い娘をもらう羽目になるぞ」という諺が存在するほどで人を見る目が全くない。

後に重用された悲劇の名将魏延も反骨の相(史実では不明)としており、一方で劉備が重用するなと言っていた登山家馬ショクへは自身の片腕以上の待遇だった。また、後蜀将として蜀漢を直接滅ぼす原因を作り滅んだ後も劉禅迷惑を被って死んだ姜維へも彼は特別待遇にしていた。そう、孔明は老練の将軍よりも口先だけの若造を重用する傾向にあったようだ。だがそんな彼でも老練を重用することがあったのである名前李厳。後に李平と改名する政治家である。彼は孔明いわく「陸遜匹敵する名相」だったが、才覚は確かにあったらしい。しか性格に難があり、孔明はたびたび彼への諫言を聞くことになるが無視し重用し続けた。その結果231年の北伐の大惨敗を引き起こすことになる。とんだ見立てである。実は李厳だけではない。後に魏に投降したのち蜀に再び寝返り新城の戦いで司馬懿に瞬殺された孟達孔明は重用した。実は孟達も才能はあったが、李厳同様性格に難があった。日本プロ野球選手に例えると中村紀洋である孟達面白い所は劉備に信任された上庸を守らず更に関羽からの援軍要請を無下に断り見殺しにした所であろう。彼は李厳と同じく才覚はあったが考えるところは常に目先の小利だけである。その結果、関羽は死にその責任を負わされることになった孟達曹丕の元へ逃げそこで厚遇を受けた。しか曹丕死ぬ冷遇された孟達は蜀に帰りたいという非常に自分勝手な判断のもと蜀に保護を求めて降伏してきたのである。それを大いに喜んだ孔明は自らドツボにハマる事に気付かず結局孟達の死をきっかけに北伐は失敗に終わる。逆に彼が冷遇し続けた魏延は殿軍を務めるなど蜀を守る役目に徹して彼以上に功績を挙げてしまった。孔明自分が貶めようとした者が成功するのを見ていられなかったのだろう。死の間際にこれまた後に蜀を滅ぼした姜維に後事を託して五丈原で病没した。その託した後事が問題で当時重用していた文官楊儀確執のあった名将魏延を排除したのである。これを機に蜀は滅ぶ道を辿ることとなる。オチとしては魏延を廃した楊儀も後に謀反を起こして流刑となったことくらいか

結局孔明は人を見る目が皆無で、結果として劉備に信頼されておいて蜀を守りきれず滅ぼす遠因を作ったのである

孔明は内政は超一流だが外交軍事も他国どころか身内にも劣る

漢の四相と称される孔明だが、それは内政だけの話でこと軍事においては亡きホウ統法正に劣る。後の「死せる孔明、生ける仲達を走らす」で有名になる司馬懿電撃戦を得意とし曹操にも警戒された天才普通な孔明では太刀打ち出来ない相手なのだがここでも孔明は嘘吐きの才覚を遺憾なく発揮するのだ。また、火刑オタク陸遜孫武に勝るとも劣らないと称された天才孔明も対呉では慎重論を唱えたほどだ。実際には孫呉派閥政権なので内側から崩せば安易に滅ぼすことも可能だった。また曹魏にしても司馬懿の専横を煽る批判文を口先だけは超一流の馬ショクがやって見せたように続けていたら内部亀裂は免れておらず面白いことになっていただろう。孔明は情勢音痴だったのだ。また地理にしても荊州益州では無双だった孔明長安への道についてはこれまでにない慎重な姿勢を貫いていた。これを地理に詳しい魏延にたびたび批判されていたことは有名で、子午谷を通る国士無双の名将であった韓信攻略法を提案し続けたものの、却下し続けた。その結果が成果の見えない3度の北伐であるしか孔明は人を見る目がなかったので要所要所を劉備にすら諫言された将を大将に据えて任せており、その都度名将魏延を殿軍にするなどして引き離すといった愚行を演じている。こと軍事においては後世の学者からしても魏延の方が上回っていたと指摘されることがあるが、実際その通りだったのかもしれない。孔明は何も成果を挙げられていないのだからしかも北伐にかまけて劉禅教育を怠り漢王朝滅亡の原因である宦官制を敷いていたことが後に蜀を滅ぼすのだから孔明は実は内政も言われてるほど優秀ではなかったのかもしれない(宦官劉備提案かもしれないが)。

結論として孔明は、無能だが口先だけは一流の人間を重用し、まともな武将を片っ端から左遷ちゃうクソ政治家である。ま、そんな政治家を神としちゃう政党も流石だとは思いますけどね。

以上、孔明歴史捏造が生んだ最大の恩恵者であり、また稀代の嘘吐きである。某政党もこれを真似たのだから面白い。後に筒井康隆がその政党政権を取ると日本が終了するといった旨の小説を書いているが、これは単なる偶然の一致なのだろうか。

2008-04-15

「要は、勇気がないんでしょ?」で始まる天下三分の計

※書き手は赤壁の戦い以前の劉備玄徳

ちょっと昔の話。今よりも僕はずっとずっと言い訳をするのが好きで、理屈を説明するのが好きだったんです。

でまぁ、当時も今と変わらず領土がないんで、

孔明と飲みながら「領土がない、だから天下統一ができないんだ」と文句言ってたのです。

江夏で。

したらまた、この孔明が「じゃあ、わかった」と言うのです。「今から赤壁に行こう」と。

水上戦なんかしたことないオレは焦りました。「いや、ちょっと待って」とあわてます。

でも孔明は、少し遠くで飲んでいる孫権周瑜を指さし、「あそこ行って同盟を組もうぜ」と言い、席を立ちます。

オレは「いや、向こうも迷惑だし」とか「さすがにうざいっしょ」とか言って止めます。

孔明は「襲われたら小舟をつけて趙雲を待機させておけばいいんだよ」と言ってましたが、オレが動こうとしないので行くのをやめました。

「じゃあ、孫権と組まずに、曹操と組むか?」と孔明は言います。

「逆にそっちの方が難易度高いだろ」とオレは顔をしかめます。

「でも領土がないんだろ? だったら作るしかないだろ」と孔明は口調を強めます。

「そうだけど、もっと普通に漢中王を名乗りたいっていうか」とオレ。

「なに、普通って?」

「帝の詔とか、実は前漢の血筋とか、そういう…」とハッキリ言えない自分。

「じゃあ、オレが今から上奏してきて、それでお前を漢中王にしたらいいか? それも漢朝の勅令だよな」という孔明

「それは…、だけど、ほら、お前もこの前言ってたじゃん。大義名分のない戦でついてくる武将って反骨の相が多いとか」

「は?」

「その…」

「…反骨の相じゃねぇよ。ノリが良い将だよ」

「あ、そうだったね。…でもオレ、ノリの良い将、少し苦手だし。そこまでして領土が欲しいってわけでもないし…」

孔明はオレの顔をじっと見つめながら、一言、

「だせぇ」

と言いました。

ちゃごちゃ言ってるけど、勇気がないだけじゃん

彼は言います。

言い訳をして、さも「こういう事情なんだ、だからしょうがないんだ」って言うけれど、

勇気がない自分を必死になって正当化してるだけじゃん、と。

天下を三分する勇気もないやつが、領土がないとか言うんじゃない。

どうせ荊州に行けば「劉表には跡継ぎがいるから…」って言うし、

赤壁につれていけば「ああいう水上戦は苦手だし、東南の風も吹きそうにない」とか言うだろうし、

蜀のかわいい劉璋を狙えって言えば「いや、劉璋とは同姓で義に背くし」って何かにつけて言い訳するんだろ?

だったら「自分には他国の領土に侵入する勇気がないんです」って素直に認めて文句言うんじゃねぇよ。

そっちの方が、よっぽど何かってときに力になりたいってと思うし、

つーか、できない理由並べて、今の自分を否定させずに、わかってもらおうとするその魂胆がだせぇ、と。

あれは恥ずかしかったなー。すげぇ。恥ずかしかった。

その場は言い訳もできず笑ってごまかしたけど、家に帰ったら孔明の顔とセリフが思い浮かんで、

新野城の中で「でもさ、でもさ」と必死に言い訳考えてた。

オレにはオレの事情があるんだ、しょうがねぇじゃんかよって。孔明の「天下三分の計」聞きながら(笑)

ひとしきり考えたら、そんな自分を「だせぇ」って思った。

インスパイヤ

「要は、勇気がないんでしょ?」で始まる太平洋戦争 - ARTIFACT@ハテナ系

http://d.hatena.ne.jp/kanose/20080414/startpacificwar

「要は、勇気がないんでしょ?」で飛び込む赤きサイクロン - welchmanの日記

http://d.hatena.ne.jp/welchman/20080414/1208183341

要は、勇気がないんでしょ? - Attribute=51

http://d.hatena.ne.jp/guri_2/20080316/1205641886

 
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