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はてなキーワード: 嘉永とは

2024-08-19

anond:20240819060228

嘉永年間のご先祖まではたどり着いたけど、そこから遡る方法ないのかなあ。

墓の骨壺は慶應生が最古だし、寺は無い。

偉業を成したわけではない離島庶民では無理か。

2024-06-23

[]

承知の通り師仙・水位先生嘉永五年十一月八日より明治三十七年三月二日に至る五十三年間現界に御在世になったのでありますが、この間、人間生活を営まれつゝも一方神界にありては神集岳二十八令の員列に列せられ、晩年には既に尊貴なる大霊寿真人の仙階にまで昇られ、玄台開監令とて神集岳の根本神府たる大永宮中の青真小童大君少名彦那大神の御公殿たる小理宮の枢要な御仙職に任ぜられた仙真でありまして、人間界に出生されて現界在世中にかうした破格の立場を許される御方は古来極めて稀有とするところであります

2021-05-27

令和、桜田門外の変

未明から降り出した雨は、登城の刻限には雨脚を強め、いよいよ本格的な雨となった。その雨の中を、一丁の駕籠とそれを守る藩士たちの行列は、押し黙ったまま城へと向かっている。

「今年は・・・梅雨が早いのう」

大老須賀掃部頭は、そうつぶやきながら、別のことに思いを巡らせていた・・・

すべての始まりは二年前、英国籍の蒸気船ダイヤモンドプリンセス号の来航である

歴史的には嘉永6年のペリー艦隊の来航があまりにも有名であるが、我が国震撼させたという意味では、この黒船も同様であろう。

幕府は、江戸湾への上陸を求める英国船をなんとか押し留めて神奈川沖に停泊させた。ところが、停泊直後から、船員たちが体調を訴え始め、次々と高熱を出し始めたのだ。

幕府側の代表として、この対応にあたった老中首座・阿部伊勢守は、この未知の病が市中に広がることを大いに恐れ、なんとか船中で治療に当たらせようとした。しかし、船員たちは上陸を強く求め、結局、これも押し切られる形で神奈川湊の対岸にある横浜村に船員の上陸を許し、療養にあたることとなった。横浜村の村人たちは、実に献身的に船員たちの看病にあたったが、次々と高熱を出して亡くなる村人が相次ぐ事態となった。

この未知の疫病は、またたく間に東海道筋を経て日本全国へと広まり、実に多くの命が失われたのであった。

人々は、この病は妖怪変化の仕業であるとして「狐狼那(コロナ)」と呼び、大いに恐れた。

こうした事態に、日本世論は沸騰した。

「この疫病は夷狄がもたらしたものである」「夷狄打ち払うべし」といった攘夷論が吹き荒れた。と同時に、「夷狄上陸を許した責任阿部伊勢守にあり」「伊勢守斬るべし」といった声も高まりはじめた。世論を恐れた伊勢守は、病と称し、その年のうちに老中の座を去ったのであった。

そして、彼の後任として大老となったのが、冒頭の須賀掃部頭である。彼は、周囲からは茶歌ぽんと揶揄され、大老がつとまるような能力のある男ではなかった。しかし、彼は大老就任すると、開国に反対であった朝廷勅許を得ずに欧米諸国との間で締結した条約に基づき、夏の江戸五輪開催へ向けて強権を振るい始めた。

これは火に油を注ぐようなもので、「大老斬るべし」「バッハ打ち払うべし」といった声が、市中に満ちる結果となった。

さて、雨の中、掃部頭の乗った駕籠桜田門外へと差し掛かった時、一人の浪士が行列の前に飛び出してきた。彼は雨音に負けじと「お願いの儀、これあり」と大声で叫んだ。

すぐさま護衛の藩士がこれを静止して取り押さえようとしたが、浪士は刀を一閃し、その藩士を斬り伏せた。これを合図に、複数名の浪士たちが抜刀して駕籠へと殺到してきたのであった。

藩士の多くは、突然の襲撃に算を乱して遁走したが、腕の立つもの数人が駕籠を守るように抜刀し、現場乱闘となった。しかし、多勢に無勢、多くの藩士が切り伏せ、現場凄惨な状況となった。全くの無防備となった駕籠の扉は、襲撃者によって開け放たれ、髷を掴まれ掃部頭は、その場で斬首されたのであった。これが世にいう「令和桜田門外の変」である

2021-02-20

anond:20210219123454

小学生国語マスターたからな

 

ところで本当にゴンロクが悪役名か不安になってきた

こちらに歌舞伎で使われる役名リストがあった

ttps://fumikura.net/tool/yakumei.html

まずゴンロクは非常に少なかった(柴田勝家から?)俺はFGOにやられちまってたんだな

でも権がつく役名は非常に多い

名無しのごんべいという話もあったからようわからんな 脇役はとりあえずゴンベイ(ゴンペイ)といっていいくらいこの2つは多い

関西ではゴンタ、ゴンタクレが悪い意味なのは現在固定みたいだから関西人がそういうならそうなんだろうってことで許してくれ

 

上のサイトから引用したゴンりすと

====

ごん|権|安永0202|坂角|けいせい花絵合・三つ目|戯曲全集02

ごん|権|享和0301|江市村|江戸紫由縁十徳・序幕|戯曲全集06

ごん|権|文化0604|江市村|霊験曽我籬・序幕|戯曲全集35

ごん|権|文化0701|江市村|心謎解色糸・序幕|戯曲全集12

ごんえもん|権右衛門|文化0411|江河原崎|万代不易戯場始・序幕|戯曲全集46

ごんくろう|権九郎|安永天明頃|大坂|双蝶々曲輪日記・序幕|戯曲全集29

ごんくろう|権九郎|寛政0701|坂角|姉妹達大礎・六ツ目|戯曲全集08

ごんくろう|権九郎|寛政0905|江河原崎|関取菖蒲〓・二幕|戯曲全集17

ごんくろう|権九郎|天保0708|坂中|油商人廓話・二幕|戯曲全集21

ごんくろう|権九郎|文化0606|江森田|阿国御前化粧鏡・二番二幕|戯曲全集11

ごんくろう|権九郎|文化0708|江市村|当穐八幡祭・二幕|戯曲全集12

ごんくろう|権九郎|文化1101|江中村|色情曲輪花形・序幕|戯曲全集38

ごんくろう|権九郎|文政0501|江市村|御摂曽我正月・二幕|戯曲全集38

ごんくろう|権九郎|文政0807|坂中|艶雙蝶紋日・序幕|戯曲全集38

ごんくろう|権九郎|宝暦0812|坂角|三拾石〓始・三つ目口|台帳集成11

ごんざ|ごん三|享保05二|京万太|傾城八万日|絵入狂言本下

ごんしち|権七|寛政0801|江桐|隅田妓女容性・二幕|戯曲全集06

ごんしち|権七|文政0111|江中村|伊勢平氏神風・一番大詰|戯曲全集13

ごんしち|権七|文政0205|江玉川|梅柳若葉加賀染・一番四建|戯曲全集24

ごんしち|権七|文政0701|江中村|御慶曽我扇・序幕|戯曲全集18

ごんしち|権七|宝暦0701|坂大西|天竺徳兵衛聞書往来・三|台帳集成10

ごんしろう|権四郎|明治前|江市村|ひらかな盛衰記・大詰|戯曲全集37

ごんじ|権次|安政0303|坂中|昔鐙文武功・四幕|戯曲全集33

ごんじ|権次|元治0104|江中村|獅子頭牡丹蝶鵆|戯曲全集27

ごんじゅうろう|権十郎|宝暦09閏07|坂角|大坂神事揃・三祭|台帳集成12

ごんすけ|権介|文政0507|江中村|伊賀越道中双六・四幕|戯曲全集29

ごんすけ|権助|安永0601|坂中|伊賀越乗掛合羽・六幕|戯曲全集08

ごんすけ|権助|嘉永0603|江中村|与話情浮名横櫛・三幕|戯曲全集23

ごんすけ|権助|享和0301|江市村|江戸紫由縁十徳・序幕|戯曲全集06

ごんすけ|権助|天保0104|江中村他|仮名手本忠臣蔵十段|戯曲全集15

ごんすけ|権助|文化0604|江市村|霊験曽我籬・二幕|戯曲全集35

ごんすけ|権助|文化0703|江中村|勝相撲浮名花触・発端|戯曲全集12

ごんすけ|権助|文化1011|江市村|戻橋背御摂・二番序幕|戯曲全集13

ごんすけ|権助|文化1309|江中村|褄重噂菊月・三幕|戯曲全集41

ごんすけ|権助|文政0608|江森田|忠臣蔵増補柱礎|戯曲全集40

ごんすけ|権助|宝暦0908|坂大西|銀閣寺釿始・四|台帳集成12

ごんぞん|権蔵|文化1101|江中村|色情曲輪花形・五幕|戯曲全集38

ごんた|権太|寛政0601|坂角|けいせい青陽〓・四つ目|戯曲全集07

ごんた|権太|天保1001|坂角|けいせい浜真砂・大詰|戯曲全集23

ごんた|権太|文化0301|江市村|略三五大切・二幕|戯曲全集06

ごんたざえもん|権太左衛門|宝永04二替|京早雲|石山寺誓の湖|上方狂言本06

ごんだろくのしん|誉田六之進|宝暦1112|坂中|秋葉権現廻船話・口明|台帳集成15

ごんない|ごん内|正徳0501|京万太|傾城千尋海|元禄歌舞伎集・続

ごんない|権内|寛政1101|江市村|春姿詠千金・大詰|戯曲全集17

ごんない|権内|享保1701|京早雲|傾城妻恋桜・上中入|台帳集成02

ごんない|権内|享和0201|坂中|けいせい廓源氏・切幕|戯曲全集02

ごんない|権内|年不詳|座不詳|吹雪桜田武士鑑・五幕|戯曲全集44

ごんない|権内|文化0211|江河原|蝶花形恋聟源氏・一番五建|戯曲全集13

ごんない|権内|文化0509|坂中|舞扇南柯話・六幕|戯曲全集36

ごんない|権内|文化0705|江市村|絵本合法衢・三幕|戯曲全集20

ごんない|権内|宝暦1112|坂中|秋葉権現廻船話・二ツ目|台帳集成15

ごんない|権内|宝暦1201|坂中|秋葉霊験道中噺・二幕|戯曲全集49

ごんのかみおきよ|権之頭興世|文化1011|江市村|戻橋背御摂・一番大詰|戯曲全集13

ごんのすけ|こんの介|元禄0707|坂岩井|日本阿闍世太子|上方狂言本01

ごんのだゆうかげなり|権の太夫景成|文化0211|江河原|蝶花形恋聟源氏・一番三建|戯曲全集13

ごんぱち|権八|寛政0804|坂角|艶競石川染・五つ目|戯曲全集03

ごんぱち|権八|天明0603|江中村|猿若万代厦・二番目序幕|戯曲全集01

ごんぱち|権八|明治2105|東千歳|篭釣瓶花街酔醒・六幕|戯曲全集32

ごんべえ|権兵衛|安永0707|江中村|伊達阿国戯場・七幕|戯曲全集16

ごんべえ|権兵衛|安政0407|江中村|三世錦繍文章・三幕|戯曲全集21

ごんべえ|権兵衛|天明04閏01|坂中|けいせい倭荘子三段目|戯曲全集05

ごんべえ|権兵衛|文化0311|江市村|壮平家物語|戯曲全集46

ごんべえ|権兵衛|文化1205|江中村|句兄弟菖蒲帷子・二幕|戯曲全集41

ごんべえ|権兵衛|文政1101|坂角|桜時廓美談|戯曲全集21

ごんべえ|権兵衛|宝暦0908|坂大西|銀閣寺釿始・六|台帳集成12

ごんべえ|権兵衛|宝暦1302|京北|音羽山恋慕飛泉・四・五|台帳集成16

ごんべえ|権兵衛|明和0507|坂竹田|宿無団七時雨傘・口幕|戯曲全集04

ごんぺい|権平|寛政0401|坂角|旧礎花大樹・大詰|戯曲全集34

ごんぺい|権平|寛保0303|坂大西|菊水由来染・口明|台帳集成05

ごんぺい|権平|享保08二替|京北|けいせい袖振山|上方狂言本08

ごんぺい|権平|元文02夏|坂大西|敵討巌流島二ツ目|台帳集成03

ごんぺい|権平|文化06|坂角丸|敵討巌流島・三幕|戯曲全集39

ごんぺい|権平|文化1003|江森田|お染久松色読販・序幕|戯曲全集12

ごんぺい|権平|文化1308|江河原崎|染替蝶桔梗・一番四建|戯曲全集38

ごんぺい|権平|宝暦0201|坂中|けいせい都富士・四|台帳集成07

ごんぺい|権平|宝暦0407|京南|恋飛脚千束文月第一|台帳集成09

ごんろく|権六|天明0507|江桐|千代音頭瀬渡・四立目切|戯曲全集01

ごんろく|権六|年不詳|座不詳|敵討上野誉・七幕|戯曲全集39

ごんろく|権六|文化0111|江市村|本朝廿四孝・序幕|戯曲全集28

2019-08-22

福澤諭吉脱亜論」一部抜粋

西洋文明の風は東に進み、この文明が東に進んでくる勢いに抵抗して、これを防ぎきる覚悟であれば、それもよい。

しかし、いやしくも世界中の現状を観察し、事実上それが不可能なことを知る者は、世の移りにあわせ、共に文明の海に浮き沈み、文明の波に乗り、文明の苦楽をともにする以外にはないのである利益害悪がともない、常に利益の多い文明はなおさらである

これを防がないばかりではなく、つとめてその普及を助け、国民を早くその気風に染ませることが知識人課題である

  

近代西洋文明がわが日本に入ったのは、嘉永開国を発端とする。

進歩の道に横たわる老害幕府というものがあり、さいわいに神聖なる皇室尊厳によって、断固として旧幕府を倒し、新政府を立てた。

政府民間区別なく、国中がいっさい万事、西洋近代文明を採り、ただ日本の旧法を改革したばかりではない。アジア全域の中にあって、一つの新機軸確立し、主義とするのはただ、脱亜の二字にあるのみである

  

しかしここに不幸なのは隣国があり、その一を支那といい、一を朝鮮という。

人種の由来が特別なのか、遺伝した教育に違うものがあるためか、日・支・韓の三国を並べれば、日本に比べれば支那韓国はよほど似ているのである。その古くさい慣習にしがみつくありさまは、百千年の昔とおなじである

筆者からこの二国をみれば、今の文明東進の情勢の中にあっては、とても独立を維持する道はない。今の支那朝鮮はわが日本のために髪一本ほどの役にも立たない。間接にわが外交上障害となっていることは実に少なくなく、わが日本国の一大不幸というべきである

  

そうであるから現在戦略を考えるに、わが国は隣国開明を待ち、共にアジアを発展させる猶予はないのである。むしろ、その仲間から脱出し、西洋文明国と進退をともにし、その支那朝鮮に接する方法も、隣国から特別配慮をすることなく、まさに西洋人がこれに接するように処置すべきである。悪友と親しく交わる者も、また悪名を免れない。筆者は心の中で、東アジアの悪友を謝絶するものである

https://ja.wikisource.org/wiki/%E8%84%B1%E4%BA%9C%E8%AB%96

2018-09-07

anond:20180907103151

お上が「平成最後」を保証してくれるとうれしいじゃん!



まあ、南海地震が起きたので、嘉永から安政改元したのに、首都直下地震が起きたからねぇ

改元の霊験あらたか、とはいえないよね

2018-08-28

元号の推移(直近200百年くらい)

享和 きょうわ

文化 ぶんか

文政 ぶんせい

天保 てんぽう

弘化 こうか

嘉永 かえい

安政 あんせい

万延 まんえん

文久 ぶんきゅう

元治 げんじ

慶応 けいおう

明治 めいじ

大正 たいしょう

昭和 しょうわ

平成 へいせい

??? ??? <---NEW!!

次は何かな?

元号の推移(直近200百年くらい)

享和 きょうわ

文化 ぶんか

文政 ぶんせい

天保 てんぽう

弘化 こうか

嘉永 かえい

安政 あんせい

万延 まんえん

文久 ぶんきゅう

元治 げんじ

慶応 けいおう

明治 めいじ

大正 たいしょう

昭和 しょうわ

平成 へいせい

??? ??? <---NEW!!

次は何かな?

2018-08-19

元号出典一覧

元号出典備考
大化書経』(『尚書』)大誥、『漢書』巻56、『宋書』巻20 
白雉漢書』巻12帝紀 
朱鳥礼記』曲礼 
大宝易経』繋辞下 
慶雲文選』巻6、『晋書』巻54陸雲伝 
和銅和銅(ニギアカガネ)が朝廷に献上されたことにより改元
霊亀瑞亀献上により改元
養老養老の滝命名に因んで改元
神亀白亀出現の瑞祥により改元
天平天王貴平知百年」の文字を背に負った瑞亀の献上により改元
天平感宝陸奥から黄金献上により改元
天平勝宝孝謙天皇即位により改元
天平宝字蚕が「五月八日開下帝釋標知天皇命百年息」の文字を成したことにより改元
天平神護藤原仲麻呂の乱神霊の護りによって平定したことによる
神護景雲瑞雲の発現により改元
宝亀瑞亀献上により改元
天応伊勢斎宮に現れた美雲の瑞祥により改元
延暦後漢書 五十二巻 
大同礼記』礼運篇 
弘仁 
天長 
承和 
嘉祥豊後国大分郡寒川現在大分川)で捕獲された白亀が献上されたことを大瑞として改元
仁寿白亀・甘露の瑞祥による改元
斉衡石見国から醴泉の瑞を献上された事による改元
天安美作国常陸国両国より白鹿、連理の樹が献上された祥瑞による改元
貞観易経 
元慶白雉・白鹿献上の瑞祥による改元
仁和 
寛平 
昌泰 
延喜尚書』旋璣鈐 
延長文選東都賦、白雉詩 
承平漢書 
天慶漢書 
天暦論語 
天徳周易 
応和「董巴議」 
康保書経 
安和礼記』楽記第19 
天禄 
天延天変、地震による改元
貞元火災地震による改元
天元災変、陽五厄による改元
永観書経』洛誥 
寛和 
永延漢書』巻75翼李伝 
永祚『晋書』巻21礼志 
正暦大風、天変による改元
長徳揚雄の『城門校尉箴』 
長保国語』(周語中) 
寛弘漢書」(元帝紀賛) 
長和礼記』(冠義) 
寛仁『会稽記』 
治安前漢書』 
万寿詩経 
長元六韜 
長暦春秋』または『晋書』 
長久老子』(七章) 
寛徳後漢書』(杜林伝) 
永承書経 
天喜『抱朴子』 
康平後漢書 
治暦尚書正義 
延久書経』または『尚書‐注』 
承保尚書 
承暦「維城典訓」 
永保尚書 
応徳白虎通」 
寛治礼記 
嘉保史記 
永長後漢書』巻1光武帝 
承徳周易 
康和崔寔『政論』 
長治漢書 
嘉承漢書』礼楽志 
天仁文選 
天永尚書 
永久詩経』?
元永天変、疾疫による改元
保安天変、厄運による改元
天治『易緯』 
大治『河図挺佐輔』 
天承漢書 
長承史記 
保延文選卷十一·魯靈光殿賦并序』 
永治『魏文典論』『晋書』武帝 
康治宋書 
天養後漢書 
久安『晋書』劉頌伝 
仁平後漢書』孔奮伝 
久寿『抱朴子』 
保元『顔氏家訓』文章 
平治史記』夏本紀 
永暦後漢書』辺譲伝、『続漢書』律暦志 
応保尚書 
長寛『維城典訓』 
永万漢書』巻64王褒伝 
仁安毛詩正義 
嘉応漢書』王褒伝 
承安尚書 
安元漢書 
治承「河図挺作輔」 
養和後漢書 
寿永詩経 
元暦尚書考霊耀」 
文治礼記祭法 
建久『晋書』『呉書』 
正治荘子‐漁父」 
建仁文選卷四十七・聖主得賢臣頌』 
元久毛詩正義 
建永文選』卷四十二・曹子建與楊德祖書 
承元「通典」 
建暦後漢書 
建保尚書 
承久「詩緯」 
貞応易経 
元仁周易 
嘉禄「博物志」 
安貞周易』上経坤 
寛喜「後魏書」 
貞永易経」(坤卦) 
天福書経」(湯誥) 
文暦文選卷四十六・顔延年三月三日曲水詩序』 
嘉禎北斉書」 
暦仁「隋書」(音楽志下) 
延応文選卷二十四・潘安仁為賈謐作贈陸機』 
仁治新唐書 
寛元宋書 
宝治春秋繁露-通国身」 
建長後漢書 
康元赤斑瘡による改元とみられている
正嘉芸文類聚-歳時中・元正 
正元「詩緯」 
文応「晋書‐劉毅伝」 
弘長貞観政要‐封建」 
文永後漢書‐荀悦伝」 
建治周礼 
弘安「太宗実録」 
正応伏見天皇即位による改元
永仁『晋書』巻22楽志 
正安孔子家語』 
乾元周易 
嘉元芸文類聚天部 
徳治『左伝』 
延慶後漢書』馬武伝 
応長旧唐書礼儀 
正和「唐記」 
文保梁書 
元応唐書 
元亨周易 
正中易経 
嘉暦唐書 
元徳周易 
元弘芸文類聚天部 
正慶光厳天皇即位による改元
建武文選』?
延元梁書 
興国春秋左氏伝』昭公四年伝、『新五代史』伶官伝序 
正平天変や兵革による改元
建徳文選 
文中易経』彖伝上?
天授史記』淮陰侯列伝
弘和書経』君牙篇?
元中易経』彖伝上?
暦応帝王代記』 
康永漢書 
貞和芸文類聚 
観応荘子 
文和旧唐書』順宗紀、『三国志』呉志孫権 
延文漢書』儒林伝 
康安史記正義』と『唐紀』 
貞治周易 
応安毛詩正義大雅江漢 
永和尚書』舜典と『芸文類聚』巻8 
康暦唐書 
永徳『群書治要』巻17
至徳『孝経』 
嘉慶毛詩正義 
康応文選曹植七啓 
明徳礼記 
応永『会要』 
正長礼記正義 
永享後漢書 
嘉吉周易 
文安『晋書』 
宝徳旧唐書 
享徳尚書 
康正史記』と『尚書 
長禄韓非子 
寛正孔子家語』 
文正荀子 
応仁『維城典訓』 
文明周易 
長享文選 
延徳孟子 
明応周易 
文亀『爾雅』釈魚 
永正周易緯』 
大永杜氏通典』 
享禄周易 
天文易経 
弘治北斉書』 
永禄『群書治要』巻26 
元亀毛詩』と『文選 
天正文選』と『老子 
文禄杜佑『通典職官十七』 
慶長毛詩注疏』 
元和徳川家康の命により、唐の憲宗の年号を用いた
寛永毛詩朱氏注』 
正保尚書正義 
慶安周易 
承応『晋書』律暦志 
明暦漢書』律暦志と『後漢書 
万治史記』と『貞観政要』 
寛文荀子』致士篇 
延宝『隋書』音楽 
天和尚書』、『前漢書』、『後漢書』、『荘子 
貞享周易 
元禄文選 
宝永旧唐書 
正徳尚書正義 
享保後周書』 
元文文選 
寛保国語』周語 
延享芸文類聚 
寛延文選 
宝暦貞観政要』 
明和尚書 
安永文選』巻一 
天明尚書 
寛政『左伝』 
享和文選』ら 
文化周易』賁卦彖伝、『後漢書』荀淑伝
文政尚書』舜典 
天保尚書 
弘化菅原為定の漢文 
嘉永宋書』楽志 
安政内裏炎上地震安政の大地震)、黒船来航などの災異による改元
万延後漢書』馬融伝 
文久後漢書』謝該伝 
元治周易 
慶応文選 
明治易経 
大正易経』彖伝・臨卦 
昭和書経堯典 
平成史記五帝本紀、『書経(偽古文尚書)』大禹謨 

※すべてWikipediaから

 

調査を通じて学んだこと

※代始改元はかつては非礼とされていた

https://kotobank.jp/word/%E4%BB%A3%E5%A7%8B%E6%94%B9%E5%85%83-1359409

代始改元は,(中略)平安時代から806年平城天皇大同改元場合を除き,皇位継承の年に先帝の年号を改めるのは非礼であるとしてこれを避け,翌年に改元するのを原則とするようになった。

南朝元号の出典、勧申者がのきなみ不明になってる。焚書にあった?それとも元号を考えられる教養のある人がいなくて適当につけただけだったりする?

日本古典出典の元号過去に一件のみ存在する(弘化

元号って漢籍から適当に二文字抜き出しているように見える。「百姓昭明、協和萬邦」から明和昭和の2つの元号が作られているし。なんか規則あるんだろうか?

2017-05-19

副島 種臣(そえじま たねおみ、文政119月9日1828年10月17日) - 明治38年(1905年1月31日)は、日本江戸時代末期(幕末から明治時代佐賀藩士、政治家書家。勲一等、伯爵。初名は竜種(たつたね)。通称は次郎(じろう)。号に蒼海(そうかい)、一々学人(いちいちがくじん)。

目次 [非表示]

1 生涯

2 書家

3 栄典

4 参考文献

4.1 伝記

5 登場作品

6 脚注

7 関連項目

8 外部リンク

生涯[編集]

文政11年(1828年)、佐賀藩士・枝吉南濠(忠左衛門、種彰、30石)の二男に生まれる。父は藩校である弘道館教授を努める国学者で、兄は同じく国学者枝吉神陽。母は木原宣審の娘・喜勢。父と兄の影響により、早くから尊皇攘夷思想に目覚める。弘道館で学び、この間に江藤新平大木喬任と交わる。

嘉永3年(1850年)、兄・神陽が中心に結成した楠公義祭同盟に加わる。嘉永5年(1852年)、京都遊学、漢学・国学などを学ぶ。この間に矢野玄道らと交わる。さらに、神陽の命を受けて大原重徳に将軍廃止天皇政権による統一を進言する意見書を提出して青蓮院朝彦親王から藩兵上洛を求められるが、藩主鍋島直正に退けられた上、藩校での国学教諭を命じられた。

安政6年(1859年)、父の南濠が死去し、同年3月には同藩士の副島利忠の養子となる

元治元年(1864年)、長崎に設けた藩営の洋学校・致遠館の英学生監督となって英語等を学ぶ。慶応3年1867年)、大隈重信脱藩するが、捕らえられて謹慎処分を受ける。

明治維新後は慶応4年1868年)、新政府参与制度取調局判事となり、福岡孝弟と『政体書』起草に携わる。明治2年(1869年)に参議、同4年(1871年)に外務卿となり、マリア・ルス号事件において活躍する。マリア・ルス号事件では、助けを求めた中国人奴隷解放したことで、正義人道の人と国際的に支持された。

明治6年(1873年)2月には前々年に台湾で起きた宮古島島民遭難事件台湾出兵も参照)の処理交渉特命全権公使外務大臣として清の首都北京派遣され、日清修好条規批准書の交換・同治帝成婚の賀を述べた国書の奉呈および交渉にあたった。この間、清朝高官との詩文交換でその博学ぶりを評価をされている。同年10月征韓論争に敗れて下野し、明治7年(1874年)には板垣退助らと共に愛国公党に参加、同年には民撰議院設立建白書を提出したものの、自由民権運動には参加しなかった。西南戦争中は、中国大陸中南部旅行滞在している。

明治12年(1879年)、宮内省一等待講。明治17年(1884年)、伯爵明治20年(1887年)に宮中顧問官、明治21年1888年)に枢密顧問官明治24年(1891年)に枢密院副議長になり、明治25年(1892年)には第1次松方内閣において内務大臣を務めた。

明治38年(1905年)、脳溢血のため死去[1]。

島村しまむら ひさし

デジタル日本人名大辞典+Plusの解説

島村しまむら-ひさし

1850-1918 明治時代外交官

嘉永(かえい)3年2月18日まれ。外務書記官となり,ニューヨーク,メキシコ勤務をへて,明治28ホノルル総領事となる。退官後,大阪鴻池(こうのいけ)家の財政整理にあたる。鎌倉能楽堂をたて,みずから演じた。大正7年1月13日死去。69歳。備前(岡山県)出身

2013-12-27

http://anond.hatelabo.jp/20131226225317

1行で答えると、「国のために死んだものをないがしろにすると、今後国のために尽くそうとする人がいなくなるから」。

靖国神社とは『幕末から明治維新にかけて功のあった志士に始まり1853年嘉永6年)のペリー来航(所謂黒船来航」)以降の日本国内外の事変・戦争等、国事に殉じた軍人軍属等の戦没者を「英霊」と称して祀る神社』です(Wikipediaより)。

まり、国のために死んだ人は靖国神社英霊として未来永劫尊敬されます、ということ。国を存続させるためには、戦争など国民の命が失われざるをえない状況になることもありますが、そのときに死んだ人に対しては国が責任を持ってその尊厳を保たないと、国のために命をかけようとするモチベーションが下がってしまう可能性があるわけです。

総理が参拝しないということは、国の代表がその尊厳を軽んじているという話になってしまます。もし自衛隊員がなんらかの事態でお亡くなりになった際に、その葬式に国の代表が行かなければ大問題になります靖国神社に参拝しないということは、それと同じようなことなのです。

蛇足ですが海外で問題になるのは靖国神社にはA級戦犯英霊として祀られている点です。「A級戦犯は国のために刑に処されたのか」「戦争を起こした人を祀るのか」という点については国内外で議論が分かれる点で、国がここら辺の説明を海外にきちんと発信できているかどうかは気になるところです。

 
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