はてなキーワード: 民衆の敵とは
https://twitter.com/sumomodane/status/1539761554240942080
優しい家父長制に守られて男性よりも高い幸福度を維持しているジャップメスにリーダーなんか無理だから
いや女って結党しないよね?立憲国民れいわ維新NHK参政全部男が作ってる。なぜならジャップメスはリーダーになりたがらないからw
社会に進出することと責任を負うこと(幸福度を下げること)はトレードオフなんだわ
誰からも文句言われたくない!社会に進出する選択肢を維持しつつ家にいたい!でも家事はしたくない!女は抑圧されている!でも現状男より幸福です!
バカか
北村紗衣さんの著書『批評の教室ーチョウのように読み、ハチのように書くー』(ちくま新書)が面白い(ダイレクトマーケティング)。
一言で言えば『批評の教室』は、読書を単に「面白かった」で済ませるのではなく、より深く楽しむために、精読・分析・批評執筆を如何に行なうかを、初心者向けに平易に解説した本である。文学作品・書籍だけでなく、映画作品等についての批評も視野に入れて書かれているので、他のジャンルへの応用も可能だろう。初心者向けとしては悪くない。図書館などで試し読みするなり、書店で購入するなりして欲しい。
同書には、冒頭から良いことが書いてある。一つの作品について良い批評を行なうためには、他の作品・文献なども読み漁り、多角的に観察・考察を行なうといった主旨の、大抵の読書術・批評入門には書いてあるような良いことである。
最初に私は、この本のことを「面白い」と書いた。しかし正直に言えば、それは本来の意味と違う意味の、意地が悪い面白さである。
今日現在の一般読者が『批評の教室』を読んだならば、きっと次のように思うことだろう。
「草津町長及び町民のことを、イプセンの『民衆の敵』に擬えて、一方的に悪者扱いした時、北村紗衣さんは、広く情報源に当たり、多角的に観察・考察することをしなかったのだろうか?」
「あの町議の告発書籍や草津町議会の記録を読めば、判断を誤らなかったもしれないのに、北村紗衣さんは読まなかったのだろうか?」
「読まなかったとすれば、それは手抜きではないか。北村紗衣さんは、肝心の方法論を実践できていないではないか」
「何故、北村紗衣さんは、自分では実践できない方法論を、読者に推奨しているのだろうか?」
この「他ならぬ北村紗衣さんが実践できていない」というのは、同書のサブタイトルにも顕れている。
同書のサブタイトル「チョウのように読み、ハチのように書く」というのは、ボクシング世界ヘビー級王者モハメド・アリを形容する言葉「蝶のように舞い、蜂のように刺す(float like a butterfly, sting like a bee)」を捩ったものである。これは同書にも明記してある。
私は格闘技が好きなので、ここで少しだけそういった話をさせてもらう。
モハメド・アリ以前のヘビー級ボクシングとは、大男が鈍重な動きで力任せに殴り合うような代物だった。そんな場所にモハメド・アリは、まるで軽量級のように軽やかにリングを縦横無尽に動き回る華麗なフットワークと、的確なジャブを活用する力任せではないアウトボクシングを持ち込んだ。しかもモハメド・アリは、対戦相手のジャブに、自分の右ストレートをカウンターで合わせることすら出来た。「神業」という言葉は、モハメド・アリのボクシングのためにある。そんなことすら思う。
文字通り、モハメド・アリはヘビー級ボクシングの革命児であった。「蝶のように舞い」とは「対戦相手の攻撃を華麗に躱す姿」を、「蜂のように刺す」とは「一撃だけでも致命傷となりうるような鋭い拳を対戦相手に打ち込む姿」を、それぞれ表現したものである。分かりやすく言い換えれば、全盛期のモハメド・アリのボクシングは、ワンサイドゲームである。
さて、北村紗衣さんは『批評の教室』の読者には、読書に付き纏う「腰を据えて、地道に読み進める」といった古い先入観を払拭し、花から花へヒラヒラと飛び回る蝶のように、もっと自由に沢山の本から本へと次々に読み回るようにして欲しいと、そんな思いを込めて「チョウのように読み」という言葉をサブタイトルに入れたようである。
沢山の本を読んで見識を広げるというのは、非常に良いことなので、それを奨めること自体には異論は無い。しかし、それを表現するためにモハメド・アリの形容である「蝶のように舞い」という言葉を用いるのは、ハッキリと言えば「的外れ」ではないだろうか。
「蝶のように舞い」と言うのは、対戦相手の打撃攻撃を躱すという防衛行動を不可分・不可欠な要素として含む、ボクシングという打撃系格闘技の中で用いられるからこそ意味を持ちうる言葉・表現なのである。それも、ただ躱すのではない。モハメド・アリが立っていた場所は、リングという狭く限定された空間である。その狭い空間を最大限に有効活用し、対戦相手の攻撃をスレスレで躱していたからこそ、モハメド・アリは称賛されたのである。単に躱すというだけならば、それがリングの外の広い空間であれば、足の速い人間は走って逃げることも出来よう。しかし、狭いリングの上に逃げ場は無い。逃げ場が無い状況下で、対戦相手の攻撃を華麗に躱していたからこそ、モハメド・アリは称賛されたのである。それにまた、ボクシング(だけでなく打撃系格闘技全般)は、顔が腫れ上がったり流血したりと、非常にハードなものである。そのようにハードな格闘技の中で、場違いとすら言えるような華麗な舞いを見せたからこそ、モハメド・アリは称賛されたのである。決してモハメド・アリは、一つの場所から別の場所へと自由に動き回れる状況下で、蝶のように動いたのではない。逃げ場の無い空間的な制限の下で、死中に活を求めるためにモハメド・アリが身につけて実践したものこそが「蝶のように舞う」動きなのである。
北村紗衣さんは、読書のスタイルとして「チョウのように読み」と言うが、モハメド・アリの「蝶のように舞い」という言葉を、表面的にしか理解していないのではないだろうか。上で述べたような「蝶のように舞い」という言葉の持つ『重み』を、本当に理解していたら、本から本へと自由に飛び回ることの形容に当て嵌まる言葉なのか否かと、違和感を持つのではないだろうか。そもそも、読書には攻撃を躱す必要が無い。躱すどころか、先ずは書いてあることを受け止めなければ、読書は始まらない。
北村紗衣さんは、自ら「私(北村紗衣さん)の言語化能力を知りたければ『批評の教室』を読め」と言う(Twitterで批判者から自身の言語化能力に疑いを持たれたことに立腹したために出た言葉である)。確かに『批評の教室』を読めば、北村紗衣さんの言語化能力を窺い知ることが出来るであろう。自著のサブタイトルに使うほどの重要な言葉を、表面的にしか理解していないままで使うという、底の浅さを。
まあ、私のような格闘技好きが「チョウのように云々」の意味に拘ることは、北村紗衣さんにはどうでもよいのかもしれない。しかし、北村紗衣さんが草津町長及び町民を一方的に悪者扱いしたことが知れ渡った今では、この「チョウのように読み」という言葉からは、ポジティブな印象よりも、むしろ「軽佻浮薄」というネガティブな印象を受ける人が少なくないのではないだろうか。「読書をするにしても、そのような軽佻浮薄な読み方しかしていないから、言葉や物事を表面的にしか理解していないから、深く理解しようとしないから、草津町長及び町民のことも安易に悪者扱いしたのではないか」と。
それにしても、沢山の本を読むことを表現したり推奨したりするだけならば、単純に「読書というものは『乱読・濫読』で構わない」と言えば済むのではないだろうか。ただ、そういう風に言うのは「お洒落」ではない。だから「チョウのように読み」とお洒落っぽい言葉を採用した。そういったところではないだろうか。
これは個人的な意見ではあるが、サブタイトルに「チョウのように読み」という言葉を入れるのは「ダサピンク現象」の一つに思える。「女性を読者として取り込みたい。女性は蝶々とかが好きでしょ?」みたいな。ジェンダーの押し付けと言えばいいのだろうか。
高い言語化能力を持つはずの北村紗衣さんは、自著のサブタイトルでダサピンク現象やジェンダーの押し付けが発生することに、違和感を持たなかったのだろうか。
正直、俺は氏が嫌いなんだよ
東京に出て成功した田舎モン、って属性がすげー嫌いだし、スノッブな感じがマジで鼻につく
人格的にも好きになれない感じがする Kindle Unlimitedで本も読んでみたけど、俺とは作品の読み方(批評のしかた?)が相入れない感じもした
民衆の敵ツイート、アレ、多分あんま悪意なく出てると思うんだよな
氏のことはあんま知らないんだけど、なんとなくあの人は観念的っつうか大局的なジェンダー問題には関心があっても、個々の事件にはそこまで関心もってなさそうな印象がある
草津の件って、大騒ぎにはなってたけど、あんまこう、社会に繋がる感じでもないっていうか、どちらかというとゴシップっぽい雰囲気があったと思ってる
氏が強く興味を持つような話題ではなさそう
大して興味ない話題に適当に言及したら、言及の仕方を誤ってしまい、粘着して怒られる それは不快だよなあ
許したれよ、と思ってしまう
アレだって、文脈を見たら「女という生き物は自由意志なんて持たずに子供だけ産んでりゃいい」なんてニュアンスはまったくないことはあきらか
ユニット、単位、頭数、みたいなことを指すためにウッカリ機械という語を使ってしまっただけの話なのに、あんなに騒がれてボコられるのは異常だと感じた
氏、ホント、どうでもいい話題に、「おっ、これ聞いた感じあの作品に構図似てるじゃ〜ん」と思って適当に言及しただけだと思う
草津温泉には行かない、なんて言ったわけでもない
ただの雑言及だ
嫌いな人でも、そんなに悪意のない行動で叩かれるのは納得いかないんだよなあ〜
だいたい、謝ってるしなあ
俺は正直、いっさい何も言及しないモンと思ってたから、けっこう見直したよ
許したれよ!!
北村紗枝氏がむやみに叩かれているそうなので、周辺を調べてみた
表面的な問題は草津の公職者の冤罪か犯罪隠しであるが、あえて掘ってみるならば原因はイプセンの「民衆の敵」ではないかと思われた
「民衆の敵」(1882年)は鉱毒被害の告発本で、明治日本の主要産業は銅の輸出であったので、銅山営業のために、出版禁止にされていたと思われる書籍である
主要な銅山である足尾銅山の鉱毒は早くも1878年(明治11年)には報道されており、酸性雨、草木の枯死、魚の大量死、洪水もあった
そこで1882年(明治15年)、イプセンがスウェーデン下のノルウェーで「民衆の敵」を出版した
しかし原書か英訳を読むことができたのは、商社関係者か、法曹か医師ぐらいだったと思われる
日本政府がしぶしぶ鉱毒調査委員会を設置したのは、1897年(明治30年)で、その後の1901年(明治34年)にようやくイプセンの邦訳がある(大阪の元医師高安月郊)
それから更に何年も経過し、「人形の家」(1879年)の29年遅れで1910年(大正9年)、「民衆の敵」は39年遅れで1921年(大正10年)にようやく邦訳
戦後の高度成長期には、日本の銅は1ドル360円の固定相場で輸出された
僅かな被害対策が行われたまま鉱山は稼働し続け、1973年(昭和48年)に閉山となったときには、為替レートがあっさり変動制に移行している
したがって、「民衆の敵」の邦訳遅れや円安固定相場制は、日英米共同の銅ダンピング政策だった可能性もあろう
少なからぬオープンレターの発起人・賛同者と、草津町長・町民を誹謗中傷していた界隈がかなりの範囲で重なっているように見受けられる(個人名を挙げるのは規約違反らしいので省略するが、興味ある人は調べて欲しい。)。
何故なんだろう。
少なくとも、オープンレターの精神と草津町長・町民を誹謗中傷することは一致しないはずだ。
以上により、私たちは、研究・教育・言論・メディアにかかわる者として、同じ営みにかかわるすべての人に向け、中傷や差別的言動を生み出す文化から距離を取ることを呼びかけます。
そう、オープンレター界隈は「中傷や差別的言動」を無くそうとする高潔な精神の持ち主のはずだ。
私たちは、中傷や差別的発言とそうでない発言との境界が時に明瞭ではないことも理解しています。しかし、事実として両者のあいだに明確な線が引けない場合があることは、その概念的区別を求めることが無意味であることを意味しません。むしろ明確な線が引けない場合があるからこそ、言動に注意を払うことが重要な意味を持つのだと考えます。
そして、「中傷や差別的発言とそうでない発言との境界が時に明瞭でないことも理解し」、「言動に注意を払うことが重要」と考えているので、この方々が安易に中傷や差別的発言をするわけがないことが分かる。
この界隈の方々は中傷や差別的言動・発言を問題視し、それを踏まえ、自身の言動・発言に細心の注意を払っている方々であると言える。
それにも関わらず、草津町の元町議の発言を受け、何ら証拠がなく、またその発言を否定する根拠が山ほどあったにも関わらず、草津町長・草津町民に対し中傷(性犯罪者・セカンドレイプ呼ばわり等)・差別的発言(田舎のおっさんの文化等)し、また元町議を真実の告発者(民衆の敵)として草津町長・町民を悪魔化し、あるいはその言論に乗っかってしまったわけだ。
直接的にこのような発言をしなかったとしても、これらの発言により起きたハッシュタグ『#草津温泉には行かない 』を用い、これらの中傷・差別的発言に与した人も多い。オープンレターではこういった文化から「距離を取る」ことを呼び掛けていたのではなかったか。
こうなってしまった理由が分からないので、誰か分かる人、推測できる人はぜひ教えて欲しい。
オープンレターの発起人・賛同者の多くは高度な教育を受け、研究・言論界で活躍しているエリート・エスタブリッシュメントだ。そんな人たちが何故このような自己矛盾した言動をしてしまっているのか、不思議で仕方ない。何か説得力のある回答はないだろうか。
まさか「女性差別的な文化を脱する」(オープンレター副題より)ことには関心があるが、それ以外の差別には無関心又は積極的に差別することも厭わないということだろうか。
【地方なんて所詮女性差別が横行しており、こんなことあって当然】というような差別心であったり、【根拠もなく人を性犯罪者・セカンドレイパー扱いすることは中傷に当たらない】などという人権感覚・バランス感覚を欠いた人たちではないと信じたい。
オープンレターでは、こういった文化から距離を取るとこについて次のように書かれている。
「距離を取る」ということで実際に何ができるかは、人によって異なってよいと考えます。中傷や差別的言動を「遊び」としておこなうことに参加しない、というのはそのミニマムです。そうした発言を見かけたら「傍観者にならない」というのは少し積極的な選択になるでしょう。中傷や差別を楽しむ者と同じ場では仕事をしない、というさらに積極的な選択もありうるかもしれません。
そう、積極的な選択として「同じ場で仕事をしない」ことを呼び掛けている。
今回、草津町長・町民に対して中傷・差別的発言をした者に対し、オープンレターの発起人・賛同者がこの積極的な選択(例えば職を辞す、同じ学会・会議には参加しない等)を採っていくかどうか、注目されることになるだろう。
群馬県草津町の町長及び町民を、北村紗衣さんがイプセンの『民衆の敵』に擬えたのは、当時の彼女が「草津町の町長や町民は、悪者に違いない」と決めつけて考えたからであることは、論を俟たない。
では、何故そのように北村紗衣さんは、町長や町民を一方的に悪者と決めつけたのだろうかと、思考実験として考えてみた。そうすると、第三者の立場から見れば、今のところ2つの可能性が考えられる。
――――――――【可能性1】――――――――――――――
あの町議の主張に疑念を抱くことも無いぐらい、北村紗衣さんの頭脳の働きが鈍かった。
――――――――【それに対する考察】―――――――――
この可能性は考えにくい。
と言うのは、全国的なニュースになった当時から既に、あの町議の主張には信憑性の点で疑問符が付けられていたからである。ある程度の知能を有する人間ならば、あの町議の言い分を信じて町長や町民を悪者扱いすることには、躊躇を覚えたはずである。はてなブックマークユーザの中にも、あの頃の町議の告発書籍を実際に読んだ上で「これは信用し難い」と判断した人がいる。
シェイクスピア作品に関する研究の業績によって高名で、文学を能くする、テクストの解読を専門とする学者である北村紗衣さんが、あの町議の主張や告発書籍の内容に疑問を抱かないことは、彼女の知的能力の面から言えば、あり得ないことである。
ーーーーーー【可能性2】ーーーーーーーーーーー
北村紗衣さんは「男性や地方居住者の主張は聞くに値しないものとするような思想」の持ち主であった。
ーーーーーー【それに対する考察】ーーーーーーー
これならば、北村紗衣さんが、あれほど一方的に、町長や町民を悪者扱いしたことについては説明がつくと言える。
しかし、それは差別思想以外の何物でもなく、北村紗衣さんが、そのような思想の持ち主であるとは考え難い。
また、もし仮に北村紗衣さんが差別思想の持ち主であるならば、女性差別発言を行なっていた歴史学者・呉座勇一を研究職から追放したように、今ごろ大学や学会の自浄作用が機能して、彼女を排除していたはずである。現に排除されていないということは、北村紗衣さんが差別思想の持ち主ではないということの証しである。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
他の可能性を考えつく人がいるかもしれないし、今後、北村紗衣さん自身が何らかの説明を行なうかもしれない。いずれにしても
(1) 草津町長を"性犯罪の加害者"扱いした上に、イプセンの『民衆の敵』に擬えて"権力を悪用して悪事を揉み消そうとした悪人"扱いしたという事実について、北村紗衣さん自身が認めていること
(2) 草津町長及び町民に対して謝罪を行なうつもりであることを、北村紗衣さんが明言されていること
なので、真逆この文章の削除依頼を行なって、自らの不祥事の記録を抹消するようなことはしないものと信じている。このような過ちを繰り返さないためにも、我々は記憶を語り継いでいくべきであろう。
https://anond.hatelabo.jp/20221117054344
既に指摘あるけど北村先生は草津町をフィクションに準えただけで侮辱も誹謗中傷もしてない。この謝罪で十分。むしろ北村先生を叩きたいがために過大な責任を要求して、謝罪や退任を訴えてるほうが「民衆の敵」では?
はてな左翼には何を言っても無駄だなと思わされるすごいブックマークコメント。
この人たちってまじでその場のフィーリングで生きすぎだろ。
程度でいえば呉座先生よりよっぽどきついと思いますが、呉座先生をオープンレターでボコボコにして辞職に追いやったんですよね?
バランス感覚どうなってんのこれ
それはそれとして、北村先生ちゃんと謝ってるわけで、北村先生は立派だと思います。
謝ってほしくなかったわがままはてな左翼ちゃんは梯子外されて今どんな気持ち?
https://twitter.com/Cristoforou/status/1592857816267894785
2020年の末くらいに、報道にのってイプセンの戯曲と草津の状況を結びつける発言をしていまいましたが、その後に自分がネットで虚偽による誹謗中傷を受ける経験をして、軽い発言でもいかに人を傷付けてしまうかを身にしみて感じました。そういう発言をすべきではなかったと非常に後悔しています。なお、これについて私が草津町民を民衆の敵だと言ったというようなことを拡散している人がいますが、これはデマです。アーカイブ見ればわかりますが、私が言ったのは草津がイプセンの戯曲『民衆の敵』みたいだということで、本作で民衆の敵認定されるのは告発した人です
草津をイプセンの『民衆の敵』にたとえた件について、既に一度お詫びしてツイートを削除しているのですが、黒岩信忠町長が裁判を起こすということで、あらためてお詫びしたいと思います。軽々しく連想で現実の出来事をフィクションにたとえるべきではありませんでした。
お前がしたい話はお前が決めればいいが、元増田は
草津町長が強姦したというのは元町議による虚言だった(可能性が極めて高い)にも関わらず、草津の方を悪者にして『民衆の敵』と【元町議がしたてあげられた、と】言っておられます。確かにこれには謝罪が必要だと思います。
https://twitter.com/Cristoforou/status/1592854601103179779
草津をイプセンの『民衆の敵』にたとえた件について、既に一度お詫びしてツイートを削除しているのですが、黒岩信忠町長が裁判を起こすということで、あらためてお詫びしたいと思います。軽々しく連想で現実の出来事をフィクションにたとえるべきではありませんでした。
武蔵大学の准教授、北村紗衣先生がツイートで謝罪をされています。ただ、該当ツイートは削除されており、何を謝罪したのか分かりにくくなっているので見ていこうと思います。
該当ツイートはこれらしいです。
https://pbs.twimg.com/media/FhmScNbVIAAAFTB.jpg
草津、イプセンの『民衆の敵』じゃん(地元の温泉に都合の悪い事実を公表しようとした科学者が、貴の町長の画策で「民衆の敵」認定される)。
草津町長が強姦したというのは元町議による虚言だった(可能性が極めて高い)にも関わらず、草津の方を悪者にして『民衆の敵』と【元町議がしたてあげられた、と】言っておられます。確かにこれには謝罪が必要だと思います。
そう、『フィクションに例え』たことを謝罪しただけで、嘘に基づいて草津を悪と断罪して誹謗中傷を加えたことについては何も謝罪してはいらっしゃらないようです。
では、『既に一度お詫びして』とおっしゃっているので、そちらを見ていきましょう。
https://twitter.com/Cristoforou/status/1485542575461208064
あの後いろいろ考えて、実際の出来事を何でもフィクションに重ねて考えてしまう(「ああやって演出したら面白いのでは!?」)のは批評家はやりがちですけど良くないなと反省しました。ただし、あなたがこのタイミングでその話を持ち出してくるのは単純な嫌がらせだと思いますけど。
はい、やはりここでも『出来事を何でもフィクションに重ねて考えてしまう(「ああやって演出したら面白いのでは!?」)のは批評家はやりがちですけど良くないなと反省』し、謝罪したのであって、草津に対して誹謗中傷を加えたことへの謝罪はなされていないようです。
少なくともこれをもって、草津町や草津町長へ真摯に謝罪したとは感じられません。
強姦(強制性交等)は刑法において5年以上の懲役とされている、かなりの重罪です。
町長をこの犯人にでっちあげようとした元町議がリコールされたことについて、北村先生は『民衆の敵』と評しているわけです。
それに対する謝罪として、相手に伝わるかどうかも分からない(おそらく伝わらない)ツイートによる謝罪は適切な行為なのでしょうか。
例えば、北村先生に誹謗中傷を加えていた呉座先生は、以下の2点を行い、また社会的制裁を受けています。
○失職(テレビドラマの時代考証のポストの降板、研究職の更新停止)
北村先生も真摯に謝罪なされるのであれば、それ相応のやり方があるのではないかな、と愚考する次第であります。
【元町議がしたてあげられた、と】
ご指摘ありがとうございます。
なんと北村先生御自身に取り上げていただきました、ありがとうございます。
https://twitter.com/Cristoforou/status/1593040488617357312
匿名ダイアリーで私が草津町民を民衆の敵だと言ったというようなことを拡散していたものがあったのですが archive.ph/Qsv8A 、まずいと思ったのか直されていました。
また、私は、北村先生が「草津町民を民衆の敵だと言った」とは一言も書いていませんが、御指摘のように誤解を与えかねない表現だったことについて、大変申し訳ありません、謝罪いたします。
この修正内容で誤りはないでしょうか?
この案件ね。全く証拠がないどころか不自然な点ばかり目立ってたんだけど、やっぱりかという感じ。
書類送検ではなく起訴で、この罪状なら検察はまず有罪に持っていけると踏んでやってるね
群馬県草津町の黒岩信忠町長からわいせつ被害を受けたと虚偽の告訴を行ったなどとして、前橋地検は31日、虚偽告訴と名誉毀損(きそん)の両罪で、新井祥子元草津町議(53)=同町=を在宅起訴した。
で、このもと町議を証拠もないのに擁護しまくってた人が居たけどなにか弁明してくれるんだろうか。リツイートやいいねだけで名誉毀損・誹謗中傷が成立しうると判示されたところだけど。
#草津町の新井祥子町議を支持します のタグなんて、町長を強姦犯人扱いしてるんだから、名誉毀損だぞ。町長の性犯罪を立証できる証拠持ってる人なんて、一人もいないだろ。
Twitterで『#草津町の新井祥子町議を支持します』タグを検索してたら山ほど出てくるんだけど、刑事はともかく民事で芋づる式にいけそうだね。
このタグを使ってない人でも
確かに北村紗衣氏が、お詫びして削除しつつ相手を最低だとdisってたのはクソダサいとは思ったが、「民衆の敵」についてはイプセンの戯曲みてえなことやってるな、という意見で差別ではないと思うよ。
suzumineko “北村紗衣”さんが一切合切悪くないことだけはわかった。ずっと北村さんはほぼ一貫して悪くないし、酷い扱われ方だし、誹謗中傷されたのに加害者扱いだし。
sadamasato 反フェミニズムの人たちの不誠実さがよく分かるブコメ群。執拗に北村氏への誹謗中傷を続けて、捏造情報をもとに叩き続ける。本当に恐ろしい人たち。「正義に酔った集団」の恐ろしさがよく分かります。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20220903222817
北村紗衣先生の話題が出てきて、「北村先生は一貫して悪くない!」「捏造をもとに叩くな!」との意見のブコメが☆を集めてる。では本当にそうだろうか。
https://i.imgur.com/Koifyye.png
既に削除されているが、北村先生は草津市のことを『民衆の敵』と評している。これは直球の差別ではないだろうか。
それについて指摘された際にはこう謝罪している。(謝罪か?これは)
『ではおわびして該当ツイートを削除することにしますが、一方であなたは最低だと思います。』
https://twitter.com/Cristoforou/status/1485543571851603968?t=nhRfiflygSIQJgLb0SdsVA&s=19
ここでは一例だけを挙げたが、こういった積み重ねが批判をされる一因ではないだろうか。
また、では、これについて『差別主義者だ!』などとオープンレターを出されただろうか。答えはNoだ。
こういったペナルティの重さの差、ダブルスタンダードも批判が止まない一因のように思われる。
というか、北村先生に限らずオープンレターの呼びかけ人や署名者による差別的発言や中傷もかなり多いんだけど、そちらは徹底無視か形だけの批判なんだよね、不思議だね
レドマツ氏の発言に『「行き過ぎたジェンダー論」がアリなら、「行き過ぎた表現の自由」はどーなんだ!?』みたいなコメントが大量に付いてるけど。
そりゃ普通にあるのでは。ただそれって、例えば
等、こういう主張や発言、表現を「これらも表現の自由だ」と擁護・容認する態度を指すんじゃないのか。
なんかはてサはてフェミが決定的な揚げ足取ったったみたいに喜んで連呼してるけど、その辺が想定してそうな例えば献血と宇崎、JAとラブライブ、警察と戸定梨香のコラボみたいなのは、仮に「行き過ぎてる」としても程度問題として圧倒的に小さいでしょ。
むしろ普段は自分らが支持したり、★付けて拡散に加担したりしてる様な過激な主張や表現こそが該当するんじゃないの?
【追記】