「非営利法人」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 非営利法人とは

2024-01-06

anond:20240106090542

夢がある

2023-10-22

【Colabo】そもそもの話「超過分があるから無問題」にはならなくない?

https://anond.hatelabo.jp/20231021204144


支持者側が「表3」」「実際」の事を割と意図的無視しているってのは話半分なんだけど

(トラバnoteも見たけど、専門家では無い&かなり強烈な暇アンチポストを連投してる人だからこちらもバイアスあるだろうし話半分)

赤字事業で超過分は全て持ち出しだから問題無い」というのがColabo(及び擁護派の)ざっくりした主張という訳。


一見一理はあるけどでもよくよく追ってくと、そもそも支出の中身自体にも

「これ必要の無い支出じゃね?」

「この科目の支出高すぎない?本当に必要なん?」

会計がいい加減過ぎて報告内容もあまり信用性が無いんだけど大丈夫?」

という異議が出ている以上、超過してるから無問題にはならないと思うんだよね。


例えば家の家計で年間240万の予算でやり繰りしてとお願いした。

でも不審支出があり問い正したら「実は家計赤字で400万使ってた!残りは自分貯金から出したか問題無いよね!」

と言われて、「はいそうですか分かりました」にはならないと思うんだよね。お前その辺野古旅行誰と行ったんだよ、とかさ。


Colaboの話に戻すと、パソコン代がエアコン代として計上されてたり(普通間違えないと思うしパソコン代にしては高すぎない…?とか)

タイヤドラレコ購入費も実際には購入してないのに予算として計上されてたりして

https://note.com/clean_daphne896/n/n26f911ef8b7f

こういったガバガバ会計があると、実際には4300万使ってました!って言われても本当に使ってるのか内訳出してよとか

予算超過してるから何も問題無いだろってのは余りにも無理筋だと思うんだよね。

普通会社だとこんな経理してたら、普通担当は外されるし最悪クビになるでしょ。(実際Colaboは今年度から外された訳だけど)

一般的社会通念と乖離してない?大丈夫



例えば辺野古基地反対運動等の「政治活動」の為の旅行(合宿)費用とか、お高いオーガニック購入費が計上されてるとか、高額の交際費(飲食店)があるとか

色々ある訳だけど、個人的感覚で言ったら政治活動の為の費用なんて完全にアウトでしょ。

これは政治活動自体の是非じゃなくて、政治活動主体とする団体そもそも事業に関われないし主体としてなくても政治活動には使うなってのは法律で明記されてるから

一般的に考えても、被保護者基地反対運動みたいな暴力的排除も有り得るし逮捕される可能性もある、かなり危険活動に連れ出すなんて完全にアウトでしょ。

例え被保護者少女が本当に心から参加したいって言っても全力で止めるべきなんだよ。せっかく保護した少女危険晒してどーすんの?

(若い女性という人間の盾に使っていた、という見方はさすがに酷すぎるので考えたくない)

これはマジで自費でやれよだし、事業の経費に混ぜてるのならこれも返金しろって話だし。


お高いオーガニックだって普通に考えれば自分で買えよって話だし(保護事業にもさすがに不用だと思う、オーガニック必要な時点で「支援必要な困難女性」では無い)

飲食だってまあ保護女性事業に関わった大人達の面々で行って飲み食いして本来であれば分けなければいけない所を全額計上したんだなーありがちーとは思うが

突っ込まれた以上はこれもきちんと分けた方が良いんでない?とは思う訳で。


結局色んな所で支援事業からってガバガバでやってたんだから「実際」とかいう代物だって正直完全に信用には足らないし

Colabo側が用意したものから好き様に出来るでしょ、ってのもあるから、この辺の是非は裁判できっちり決着つけては欲しい。

どっちが勝てよ負けろって言う話じゃなく、こういった非営利法人特有ガバ経理がどこまで認められるか?というのは純粋に興味がある。



後さ、これは去年の段階からずーーーーーーーーーっと言われてる事だと思うんだけど

社団法人NPO会計ガバガバなんてのはColaboに限った話では無いんだよね。

昔その手の団体ちょっと手伝った事があるけど、ひでーモンだったよ。

代表家族旅行行った時の費用自分家のテレビの購入費用を経費として申請してんじゃねーよって思ったね。

ハッキリ言ってそこらの中小ですら多少のガバさはある訳だし(下っ端はともかく部長クラスになると怪しい領収書出してきたりする)

ましてや非営利社団法人とかNPOなんてのは学生サークル上がりみたいな所や出自の怪しい山師みたいなのがやってる様な所も多く

良くも悪くも一般的社会人とは乖離した人達が集まる所なんだから、そこにまともな会計やれって言う方が野暮というか酷な訳。

小さい所だと代表やその関係者奥さん主婦感覚でやってる様な所の方が多い訳だし。(Colaboはプロ会計士ついてたらしいけど…)


まあそこら辺は出す方も分かっててある程度ガバってるの承知でそれでも予算の消化とか行政じゃ出来ない範囲での活動を期待して出してる訳だし

多少のお目溢しは必要悪だと個人的には思うよ。すごく思う。まともにきっちりやったら多分半数以上の団体がアウト食らうんじゃねえかな。知らんけど。


Colaboに落ち度があるとしたら、団体というか代表?顔役?前面タンク担当?の言動がとにかく悪目立ちし過ぎて

特に草津町冤罪事件温泉むすめ騒動なんかで関係者や諸団体結構迷惑かけてたりもあって、敵を作ってしまった事だよね。

ついでに言えばフェミニスト寄りの人やColabo擁護派ですら「活動擁護するけどあの人の全部を支持してる訳じゃない」とか苦言呈されるぐらいには

言動過激かつ先鋭的になっていて敵どころか味方すら削ってる刹那的活動結果的に目をつけられる「きっかけ」を作ってしまった事だろうね。

政治活動臭をちょっと隠せてないというか寧ろ隠す気無かった様な所も迂闊過ぎたよね。

結構予算が出てる訳だけど、それを当たり前だと思ってる様な発言も反感を買うよね。

100円ショップを使う事で少ない経費をやり繰りしています凄く大変です、なんてアピールされても

いや普通の家庭は当然でそれなりの企業ですら物買う時は100円ショップ普通に使うけどねって思うよ、一般的にはさ。


自分だって団体活動自体には特に反対も無いし行政じゃ出来ない事をやってるとは思うけど

じゃあその為に色々ガバ会計見逃せって言われたら「じゃあ他の似たような団体に変えたら?」ってなるし

公金が出ている以上、お金の使い途に口出されるのは当たり前を超えた当たり前。

自分らが政府や県・市の金の使い方に口出したりするのと一緒じゃん?

なんかそこら辺「自分達は素晴らしい正義活動をしているんだから見逃せ」という様な態度(これは支持者が多いかな?)も

ちょっと勘違いしてるよね?って思うよ。

結局の所、悪目立ちしたが故に本来は見逃されてたガバくて痛い腹を探られてるのだから、これはもうしょうがないよねって思わなくも無い。



まあ、この問題大正解は初手で「誤りがありましたある程度返金しますすいませんでした」って謝っちゃえば

税務調査と同じ様に許されてたし暇だって大義名分を無くして失速してたと思うんだけど

初手でやったのが議員会館でのリーガルハラスメント会見だからね……

多分あの時点でColaboも自分らも暇の人がどういう人間かまるでさっぱり分かってなかったからだと思うんだけど

ちょっと調べれば、良くも悪くも一昔前のネットユーザー喧嘩も売るし売られた喧嘩絶対に買う様な類の相手

しか資金力もありFIREした独身一般人から(それは一般人というのか?という疑問ああるけど)継戦能力も高いという

喧嘩かましたらやべー相手だってのは分かったと思うんだけど、まあその辺りの迂闊さとか

第三者サイレントマジョリティからどう見られるかという視点マジで欠けているという活動特有の性分が

本来であれば頭下げて済む話をここまでの大事にしたのかなって個人的には考えてるよ。


ってかマジで何で謝れねーのかなー。頭下げれば済んだ事も多かっただろうに。

やっぱ女性から謝れなかったのかな?(差別的発言)

2023-09-24

なぜ「生産性の悪い末端中小法人」をかばうのか

日本労働者労働環境が悪い原因の一つは間違いなく日本生産性の悪い末端中小法人優遇して保存しているからだ

もちろん最大要因は少子高齢化であるがこれはとりあえず別として

日本の末端労働者の置かれている問題

資本装備率が上がらない

労働コンプラが守られていない

賃上げなど長期的な価格交渉力が低い

であり実質的には勤務している企業やその他法人問題

・末端労働者を使い潰しつつ短期的に成長して利ザヤを抜くのが目的なので長期的な設備投資消極的

労働コンプラを守らなくてもほとんどの相手は訴えない、大規模訴訟など大事になったら潰して逃げる

労働者を長期的に抱えるつもりはないので最初待遇から上げない、要求してくる場合は切る

労働者の置かれている状況が合理的になる搾取ムーブをしている


これをやるのは主として生産性の低いサービス業従事する企業非営利法人

(ちなみに非営利法人といっても役員などが合法的利益を抜く方法はいくらでもあるので勘違いしないように)

これらの組織日本では法的にかなり優遇されており、雇用さえしていればたとえブラックだろうが補助金税制優遇を受ける方法いくらでもある一方

労働者に損害を与えても、被害者個別民事責任を問う以外に悪質な稼ぎ方を止める方法ほとんどない

懲罰的損害賠償などもない


もちろん大企業が増えれば済むという話ではない。非合理な創業者が持ち株100%かつ超絶ブラック気質とかなら規模をいくら大きくしても問題は消えない

しかし少なくとも、ある程度大規模な組織資本元が複数あるという状況にしない限り

設備投資労働コンプラ重視も継続的賃上げも「そもそもメリットが無い」から増えることはない

から生産性の悪い末端中小法人そのままでいることを許すような法制税制は変える必要がある

それなのになぜかこれらの問題を指摘すると

中小企業いじめるな」という合唱が、いじめられている当のの労働者たちかあらあがってくるのだ

これは完全に意味不明

メディアの影響で「大企業いじめられながら必死労働者を守る男気経営者」みたいな幻想があるのかもしれないが

現実の末端中小法人経営陣のほとんどは「自分だけの利益はちゃっかり確保しつつ、労働者と客には大企業と国が悪いとごまかしつつ、上流から利益を抜き取ってる中間搾取者」ばかりだ

実際に金の流れが見えるポジションにつけばこれがすぐにわかるのだが

ともかく末端労働者は早く目を覚ますべきだろう

敵はすぐ身近にいるのだから

2023-04-07

ChatGPTを開発したオープンAI社長さんの経歴がイメージと違う

WSJによるオープンAIトップアルトマン氏の経歴をまとめた長い評伝記事を読んだけど、今までイメージしてたのと違ってた。「非営利法人オープンAI」って言葉に流され過ぎてたかな。シリコンバレー金持ちたちとは異なって、AIのことしか考えてない研究者タイプ孤高の天才みたいに想像してた。

 

 

両親は皮膚科医に弁護士地域を盛り上げるために非営利不動産斡旋も行ってた町の名士的な人。8歳のアルトマンマッキントッシュを買い与える。裕福な家庭育ち。

アルトマン自身は既に投資大成功して一生分以上のお金を稼いでおり全くお金に困ってないから、初期のオープンAI社にイーロン・マスクと対等に投資できた。研究者でも起業家でもなく投資家なのよな。

今は核融合技術細胞再生医療技術の2社に資産をつぎ込んでる。加速主義者っぽい

2023-03-05

それで日本公認会計士協会は矢崎 芽生とか処分して資格剥奪するよな?

矢崎 芽生 (ヤザキ メイ). 公認会計士税理士 慶應義塾大学商学部卒。監査法人に勤務し、その後独立認定NPO法人NPO会計税務専門家ネットワーク(略称:@PRO)の理事の ..

はい不正受給が発覚したわけですが、矢崎とかいインチキをやった連中はまとめて資格剥奪するしかない。

NPOサポートって帳簿を偽造して税金泥棒するスキームしかない。

そういう連中を公認会計士税理士としてのうのうと生かしておくわけないだろう。連帯して首にするしかないです。

ネットワークかい責任は取らない組織を作るのは公認会計士税理士に対してイメージ悪化します。絶対処分しないとだめ。しか資格停止は永久以外ないですね。

https://npoatpro.org/about.html

役名 氏名 備考

理事長 脇坂 誠也 一般社団法人全国レガシーギフト協会理事税理士東京

専務理事 板倉 幸子 東京地方税士会特命委員特定非営利活動法人税理士による公益活動サポートセンター副理事長、税理士神奈川

理事事務局長) 瀧谷 和隆 税理士北海道

理事 成田 由加里 東北大学会計大学教授公認会計士宮城

理事 深谷 豊 日本公認会計士協会埼玉幹事公認会計士税理士埼玉

理事 加藤 俊也 全国NPOバンク連絡会常任理事公認会計士税理士東京

理事 奥田 よし子 税理士東京

理事 馬場 利明 税理士社会保険労務士東京

理事 矢崎 芽生 公認会計士税理士東京

理事 高橋 あづさ 税理士東京

理事 金子 良太 公認会計士大学教授東京

理事 河村 浩靖 公認会計士税理士東京

理事 駒田 和也 公認会計士東京

理事 中尾 さゆり 特定非営利活動法人ボランタリーネイバー理事長、税理士愛知

理事 橋本 俊也 非営利法人研究学会理事税理士愛知

理事 中山 麻衣子 税理士大阪

理事 岩永 清滋 税理士兵庫

理事 荻野 俊子 全国NPO会計担当者ネットワーク運営委員代表兵庫

理事 秋岡 安 税理士和歌山

理事 弘末 眞子 税理士愛媛

理事 白石 京子 NPO会計税務支援福岡NAS副代表税理士福岡

理事 上原 優子 USCPA大分

理事 川崎 清廣 特定非営利活動法人NPOながさき代表理事税理士長崎

監事 中川 直政 NPOのための弁護士ネットワーク理事弁護士ニューヨーク州弁護士公認不正検査士:東京

監事 吉澤 寿朗 特定非営利活動法人税理士による公益活動サポートセンター理事税理士神奈川

2023-02-04

LGBT活動家のいう同性婚代理母という人身売買ビジネス

認める人にセックスワーカー否定する方はいますか?

あるいは性的詐取を認める人はいますか?

同性婚はそういう意味です。

そうじゃないという人は認識が間違っている。

あの青い空; zeru urdin hori( バスク語 by Google翻訳

@ForwardBluesky

返信先:

@ishizakipampam

さん

女性カップルドナーから精子提供を受け出産子育てをされている場合もありますし、男性カップル代理出産特別支援組・里親などで子育てをされている場合もあるようです。生殖可能性がないのでしょうか?

石埼学

@ishizakipampam

8時間

返信先:

@ForwardBluesky

さん

里親養子であれば婚姻家族ではなく非営利法人類似の枠でいいのでは

石埼学

@ishizakipampam

8時間

返信先:

@ForwardBluesky

さん

代理出産等が倫理的に認められるかどうか。

ここから酷い発言が出ます

青い空; zeru urdin hori( バスク語 by Google翻訳

@ForwardBluesky

6時間

返信先:

@ishizakipampam

さん

代理母といってもお金のためのから

不妊の人を助けたいという動機から志望する代理母もいる。妊娠出産という経験を素晴らしいものと考えていて、それ自体から幸福感を得ている代理母も多いという。」だそうです。

精子バンクはどうお考えでしょうか。

(老人の発想)

子供の人権を全く無視している。

代理母という人身売買幸せからという理由では認められない。

なぜなら代理母貧困ビジネスからです。貧困放置されなければ代理母ビジネスは成立しない。

そうでない場合でも子供財産権無視されます

2023-01-08

anond:20230108072929

支援者側が自己保存のためにいつまでも支援者を手放さな問題というのは実際よくある。

困窮者支援の分野に限らず。

しか問題の核が非営利法人給料にあるとか、全て行政がやればor完全無償ならば問題解決するだろうというのは解像度の低い議論だ。

いわゆる社会起業全否定というのは、盲目的称賛の単純な裏返しに過ぎない。

例えばストリート売春やってるような子とコンタクトとるのは役人よりそういうのに近いところにいた人間のほうが向いてる場合もあるだろう。しかしその後の自立支援とか生活支援は直接行政監督すべきだろう。

でないとまたアレなことになるんで。

要は適材適所のいい連携を目指すべきということ。

非営利団体はやみくもに規模・権限拡大を志向して無駄に専従者を増やせば構造的に「共依存」を作り出すことになる。

でも最低限の専従者がいたほうが「いい連携」が可能になるならそれは置いたらいい。今回「事務担当経理担当は居ないのか!? 」と言われてるように。

コラボのゴタゴタが結果的にそういう官民協力のありかたをソフト面でブラッシュアップする流れに向かえばいいが、やっぱああい意識高い系みたいな団体とかはダメなんだなというバックラッシュしかさないとしたら残念なことだ。

レベル非営利法人と志のない行政との駄コラボ、いわゆる新しい公共には似て非なるナニカを問題視する立場から、どっちの味方かと二択を迫られたら俺は暇空側ということになる。そのことは変わらないものの、暇空って思ってたよりだいぶアレだな。

いや当初から手法については到底賛同できない点は多々あった。ただ「敢えて」だろうと思っていた。風変わりな経歴のなかで身につけた喧嘩用のストラテジーなんだろうと。

しかしどうも、全部天然みたいなんだよなあ。

子供の絵とりあげて分析ごっことか、損しかないじゃん。

凄腕のイナゴ使いじゃなくてでかいイナゴなんだな、彼は

2022-12-30

anond:20221229172104

colaboのHP修正させたのは弁護団だろ

代理人仕事したフリをしなければならないからね

一見では非営利法人に見えるが内実は粉飾決算が容易な一般社団法人という制度を作ったのは、あの総理大臣

制度ごと潰さないとおかし

2017-04-28

未来

2017.4.28

探しても出てくるはずの無い答えを探し続けている。将来のことだ。絶対に失いたく無いものは何か。何も持っていないはずなのに、踏み切れず、勉学に励めば何とかなるだろうという安定的楽天的思考現実。それに対し非営利法人で働き、国連という最高峰に登り詰める偶像が時を経る毎に乖離していく。現実を見つめれば見つめる程、答えのない解が遠ざかっていく、答えなどないのに。自分主義が徐々に侵食されるのが分かる。枠の中でもがけばもがくほど、その早さは増す。後戻りはできない。明日という積み重ねが恐怖になる。考えない事が唯一の解なのであろうか。踏み出すしか希望の路は無い。私は非確定的な将来を極度に恐れ、安定的思考に走る典型的人間であるから迷う。自分は俗世に塗れた汚い人間という事が今証明された。主義曖昧人間にとって挑戦とは恐怖であり、安定的思考に走るという”慣れ”が人を幸せにするのであろう。永遠に自分には分からいであろう不幸という慣れを幸せに感じて生きる。人生とは妥協であろうか。真の幸福人生とは成功者特権であろうか。あゝ結果論哉。迷いが決断を鈍らせる。永遠ジレンマ深淵を覗き続ける。未来絶望的だ。

2014-02-26

保険屋に負けずに、保険を選ぼう

最近はてブに対する保険屋のアタックは目に余るモノがあるな。

んで、まあ、大量の情報を前にすると、人は考えることをやめる。

結論にだけ飛びつきたくなると言うか、良い所しか見えなくなると言うか。

なので、判りやすく少ない情報で、保険を選ぶときの勘所を押さえとこうぜ。

つーか、そうしてもらわないと、自分適当に入ったわりに、後で恨まれるの末端の人間だし。

保険屋は、商売である

なんつーか世の中の商売は大抵そうなんだけど、慈善事業じゃないんだよね。

商売でやってる以上、かならず利益は出るようになってる。銀行だってそうだよ。

生命保険屋は相互会社から非営利法人だとか言うけど、ちゃんと給料も出る会社からね。

まり、「手間賃」なりなんなりは必ず取られてる。見えにくいだけで。

もちろん普通の事だし悪いことじゃないけど、「何で稼いでるのコレ」というのは必ず意識してくれ。

払い戻し率が高いときは、デメリットが必ずある

「払込保険料よりも、払い戻しが多い。定期預金と比べてみて下さい」は、良く言う台詞だけど、ちょっと考えてみてくれ。

さっき言ったみたいに、保険屋ってのは稼ぐ必要がある。

保険のオバチャンも、ボランティアで親切してるわけじゃない。

つーことは、オマエさんから預かった金を、そのまんま金庫に入れてたら赤字になるってのは目に見えてるわけだ。

日本生命はだ、相互会社だが、50兆円規模の資産運用する機関投資家でもある。

おまえさんが貯蓄のつもりで預けた保険金は、すんげえまとまったデカいカネとして、マネーゲームに投入されるわけだ。

で、資産運用に失敗すれば(元本割りのリスクがあります)って小さく書いてある保険から切り捨てられてく。

掛け捨て保険は、全てギャンブル

保険って、ギャンブルなのよ。

死ぬ方に賭ける、怪我する方に賭ける、火事になる方に賭ける。

掛け捨て保険はまんまギャンブルから、当然親が勝つようになってる。

これぐらい健康体のヤツは、1万人あたりこれぐらいの確率死ぬから、これぐらい保険料貰っとくと足は出ないな、って計算がされてる。

まあ、1万人あたり殆ど全てのヤツはギャンブルに負けるわけだが、たまに勝つヤツがいるから、みんなやるわけだ。宝くじと一緒だな。

先進医療特約を付けます?って言われたら

「オレって、先進医療を使うような病気する方に賭けるんだな」ってのを、頭の片隅にでも思い出してくれ。

で、こっからが本筋だが、例えば学資保険とかで払い込み料免除とかってのがあるな、

あれは「そういう掛け捨ての保険部分がついてる」と考えてくれ。つーか、実態はそうだから

まり、貯蓄部分が大きくて死んだりしたら払い込み料免除になる保険ってのは、「貯蓄保険+掛け捨て保険」のセット販売してるわけだ。

掛け捨てでない保険は、強制的ロックされる

んで、じゃあそういう「掛け捨てじゃない保険」ってのがなにかっていうと、これがさっき言ったマネーゲーム用の種銭だ。

から、大抵の場合何十年単位資金ロックされて、引き出そうとすると、ペナルティがかかる。

んで、例えば200万の金額を20ロックされて、払い戻しが245万だから超お得ですよ、とか言うわけだ。

これ、年率に戻すと1%複利な。つまり20年間でインフレが進んで国債の利率が5%とかになると推測してりゃ、ボロ儲けなわけだ。

そういう、「今後の経済状況を見て、損しない固定金利顧客約束する」のが大抵保険屋の儲け方になるわけだ。

失敗するとエラいことになるわけだけどな。

んで、結局保険を選ぶとき

3つ選択肢がある。

  1. 掛け捨て保険だけ使う。
  2. 投資をお任せするつもりで、貯蓄型も使う。
  3. 徹底的に調査して、制度の歪みを調べ尽くして得をする。
掛け捨て保険

掛け捨て保険に関しては、こりゃどっちかというと信念の問題だ。

病気したら運が悪いし、その時は大部屋だってまあ、運の悪さの一環で我慢するさ、とかね。

大抵の場合そういう「病気しない方に賭ける」人の方が勝つことが多い。

平成 24 年簡易生命表厚生労働省統計から出してる)をみると、男の87.8%、女の93.8%は、65歳まで生き延びてる。

まり、「仕事してるし死んだら妻と子が困るし、生命保険必須だよな」って言うお父ちゃん10人に8人は、ギャンブルに負ける。

怪我とか病気とか、全部そう。でもまさに「安心を売るのが保険」なわけだ。

貯蓄型保険

貯蓄型保険ってのは、基本的保険会社が種銭を集めるためってハナシはしたな。

まりだ、これは投資会社に金を預けるのと同じだ。

ただ、大抵の場合保険の入る時に元本割れだの利率固定のリスクは聞いてもらえない。

んで、なんか大騒ぎになったときに、株買って大損こいたヤツと、学資保険が大幅減額したときとで、世間心証裁判の結果も違う。

なので、其処まで考えた上で投資とかガラじゃないしなーってヤツは、検討しても良いかも知れない。

あ、繰り返しになるけど「なんかあったら以後の保険料はいただきません」タイプのは、ちゃんと掛け捨ての定期死亡保障比較してな。

(たいていの学資保険で払込期間が短い方が払戻率が良いのは、そこが原因な)

制度の歪みを見つけて得する

100円ショップも、全部が全部儲けが出てるわけじゃないらしいな。

大抵の場合、目玉商品だけ買ったりとか、セール品だけ買われたら店は損しちまう。

と、同じように、保険にもその手の「こういう組み合わせでこうすると、得になる」ってタイプのヤツが無いとは言えない。

あと、生命保険料控除みたいな控除があるのは、政府保険に入って欲しいからだな。

というように、うまいこと控除を使って税金で取られる分を減らしつつ、解約時のペナルティが少ないヤツにすると、

さほどロックされずに儲けることができる、かも知れない。

これに関してはポジショントークでもあるし、勘弁して欲しい。

保険は人を助けるものであることは間違いない

病気にはならん!とか言って、国民健康保険料を払うのやめちまってイイとは思えない。

火災保険だって自賠責保険だって、入ってないと相当大変なことになる。

からまあ、変に得しようとか考えずに、どう損するか考えて保険は選んでくれ。

掛け捨てと貯蓄型が抱き合わせになってるセット商品だって自分で個別にやる手間考えたらアリかも知れないしな。

あと、情報量の多さにメゲずに、ちゃんと判らんことは質問したりしてくれな。

2010-12-14

http://anond.hatelabo.jp/20101214102509

です

まぁ、非営利法人だし、審査適当性を欠くし、天下りを噂されても仕方が無い。

逆に聞きたいが、何があれば「天下りソース」になるんだい?

2010-12-02

http://anond.hatelabo.jp/20101202213118

死にたい理由はそれは沢山あるだろう

社会参画に失敗した

それは大変なことだ

社会に受け入れらなかった絶望は、大抵の人には想像も出来ないほど大きな絶望だろう

借金まみれで職もない?

怖い事だ

人並みの生活も出来ない

周りからも白い目で見られる

未来の事なんて考えるより明白だ

吃音もあるのか

誰かと話そうにも、恥ずかしくてしょうがないだろう

仕事はおろか、普通の友達との会話です億劫で嫌になるだろう

そもそも、友人すらいなくて、誰も頼れないのは怖いだろう

世の中という広い空間で、たったの一人で莫大な強さの現実と戦わなくてはならないのは、心が折れてしまうだろう

そんな状況なら、生きてるよりも死んだ方が、楽かもしれない

死んでさえしまえば、その苦しみや絶望からも解放されるんだろうから

ただ、出来るのかな

自分語りは好きでないが、俺は2回の自殺未遂を起こしている

人間関係でも両手じゃ足りないほど裏切られて、陰口を言われ、いじめられて、心をズタズタにされて、人間扱いなんてされなかった

だから、風呂場で首を吊ろうとした

2回目は樹海まで行って、ロープまで買って、吊ろうとした

その時に何を感じたか分かるかな

直前まで、確かに俺は死にたかった

死ねば何もかもは終わって、俺は絶望からも不安からも劣等感からも解放されると考えて、とても死にたかったんだ

けどね、縄が首に掛かって、体重を乗せて、首が変な音を立てて、呼吸ができなくて、立ちくらみみたいになって

その時にね、異常なほど怖くなったんだ

理由なんて分かんない

あれほど死にたかったのに、絶対に死ぬつもりだったのに

俺は、とても恐ろしくなったんだ

今でも馬鹿馬鹿しいと思うんだけど、本当に怖くなるんだ

今でも死にたいと思って、また近い内に死のうと思ってるんだけどね

何が言いたいかっていうとさ

こんな俺が言えた話でもないんだけどさ

相談と支援業務を行ってる所、沢山あるよ

ソーシャルワーカーって言うんだっけな

俺やお前みたいな、どうしようもなくなってしまった人間を、いろんな側面からサポートするんだってさ

心理的な、経済的な、法務的な、職業的な

お前が、生きている事自体に興味が無くて、全てが解決しても死にたいと予想するなら別にいいよ

俺だって、例え明日から小説並みの幸福が訪れたって、死にたいと思うから

ただ、もし真っ当な生き方ができる可能性が残されているなら、お前は死にたいと思うか?

日本だと、経済困窮と健康問題での自殺者が、自殺者の殆どを占めるそうだ

自殺者は現在、年間3万人

そして、政府社会もなんとかしようとしてる

役所とかに行けば、生活保護が受けられる

借金の問題なら、無料相談に乗ってくれる法テラスたいのが沢山ある

吃音なら、臨床心理士精神科医の手にかかれば、完治率だって悪くない

就職だって、生活保護受けながらハロワでも市役所でも行けば喜んで斡旋してくれる

だから、もしお前が真っ当に生き直したいなら、死ぬのはまだ早いよ

自殺未遂で生き残ってしまう可能性だってあるんだよ

その時に「ああ、五体満足な時に生きようと思えばよかった」と思っても遅いんだよ

お前はまだやり直せる地点にいるんだ

もう嫌なら死んでも良い

けど、違うなら

生きる道は沢山あるよ

追記

ソーシャルワーカー医療ソーシャルワーカーで調べれば、良さげなのあったよ

http://www.jaswhs.or.jp/  (.or.jp/=非営利法人)

医療・心理・法で連携して、どんな人も生きていけるように支援するらしい

国が出してる社会資源(●●手当とか、生活保護とか、無料相談の類だと思う)の紹介とかもやってるらしい

会員マップがあって

>「この会員マップは、「相談したいがソーシャルワーカーがどこにいるかわからない」という当協会に対するお問い合わせにお応えするために作成したものです。」

だってさ

電話してみたら、何か分かるかも知れんぞ

2010-09-06

エホバの証人とは

はてなID:ykkjhrk

はてなキーワード投稿しましたが、編集合戦を避けるため、こちらに転載します。

エホバの証人とは

公式サイト

http://www.watchtower.org/j/ 雑誌バックナンバーや聖書研究の手引き書などがいくらか読める。

http://www.jw.org 機関誌ポッドキャストフィードの受診、書籍、電子雑誌などがダウンロードできる。

http://www.jw-media.org 広報室の公式サイト

概要

キリスト教一教派。jwとも略される。

名称の由来は旧約聖書メシア預言のひとつであるイザヤ43章10~12節に基づく。

エホバの証人についての解説(公式サイト): http://watchtower.org/j/jt/article_02.htm

個人サイト): http://biblia.milkcafe.to/thesis009.html

ものみの塔聖書冊子協会」は、彼らが用いる代表的な法人の名称である。世界本部はニューヨーク法人ものみの塔聖書冊子協会にあり、出版物の著作権表示はペンシルバニアものみの塔聖書冊子協会となっている。(ただし、「わたしたちの王国宣教」は、2009年4月以後、著作権表示がエホバの証人クリスチャン会衆"Christian Congregation of Jehovah's Witnesses"となっている。)

なお、ものみの塔とは1879年に創刊された雑誌の名称であり、ジェームズ王欽定訳のイザヤ21章8節などを由来としている。聖書預言と照らし合わせながら世界情勢を見張っている、という意味がこめられている。さらに、1884年、この雑誌出版社として現在ものみの塔聖書冊子協会が米国ペンシルバニア州非営利法人法に則って登録された。したがって、彼らは自分たちを「ものみの塔信者」とは言わない。ものみの塔協会は法人名に過ぎないからである。

また、「エホバの証人」という語は彼らが構成する集団社会と、信者各個人の両方を指す。(英語などの場合、複数形と単数形で区別する。)したがって彼らは、「エホバの証人信者」という表現は使わない。ちょうど、「クリスチャン信者」とか「ムスリム信者」などと言わないのと同様である。

1870年米国にて、チャールズ・テイズ・ラッセルらが聖書研究会を結成したことに始まり、1931年米国オハイオ州コロンバス大会で、「エホバの証人」という名称を採択する決議が可決された。この大会は短波放送で中継されており、日本にいた数名の信者も決議に加わった。(なお、戦前・戦中の大日本帝国下では、「灯台社」という名称で活動しており、天皇は被造物であるなどと主張し、本土および台湾・朝鮮において、治安維持法違反検挙されている。―参考: 灯台社または燈台社または燈臺社を調べるぺえじ http://www.geocities.jp/todai_sha/

聖句と聖句を比較しながら論題別に掘り下げてゆくという19世紀の聖書研究者ヘンリー・グルーの聖書研究ポリシーが、現在でも一貫して守られており、エホバの証人出版物の特色となっている。聖書は文字通り神の霊感(インスピレーション)を受けた神の言葉であり、普遍、無謬であって、絶対に矛盾していない、という前提で聖書を調べ、矛盾と思われる箇所がある場合には、ほかの聖句を持ってきて説明しようとする。聖書で聖書を説明するのである。(ものみの塔2006年8月15日号12~15ページを参照。)

((聖書は矛盾している、との主張に対するエホバの証人の反論については、「ものみの塔出版物索引」の「聖書の信ぴょう性」の項の「聖句間に見られる調和」という見出し以下から資料を探せる。))

信者数は日本で21万人ないし30万あるいは40万とも言われ、2009年現在全世界で731万余の伝道者が活動している。

全世界の統計(公式): http://www.watchtower.org/e/statistics/worldwide_report.htm

エホバの証人の実勢信徒数の数え方: http://jwpc.milkcafe.to/media03.html

機関誌ものみの塔」や「目ざめよ」などを配っている。最近雑誌の朗読版(mp3およびaac(m4b))やオーディオブックポッドキャスト配信、アメリカ手話(ASL)や日本手話(JSL)をはじめとする手話版のビデオキャスト配信、オーディオドラマやPDFによる電子書籍のRSS配信も行っている。

「目ざめよ!」は2006年以後月刊誌となり、「ものみの塔」は2008年から一般大衆向けと研究用(信者向け)とに分かれた。

出版物のダウンロードサイト(公式): http://www.jw.org

モルモン教統一教会と並び、カトリック総本山であるバチカン法王庁教皇庁)からキリスト教系三大カルト(または異端)の一つとされている。

また、カトリックと対立関係にあるが、プロテスタントではない。プロテスタント諸派もエホバの証人との教理上の相違が大きく、エホバの証人自信も自分たちをプロテスタントであるとは主張しない。

http://www.watchtower.org/j/20091101a/article_01.htm

エホバの証人スポークスマンによると、ときおり、日本基督教団牧師が「保護説得」などと称してエホバの証人拉致、監禁して強制棄教を試みるといった事例が生じており、アメリカ大使館日本警察当局に、これを事件として取り締まるよう勧告している。((なお、宗教監禁の実態(統一協会信者)に関する情報は、こちらの月刊現代の記事を参照。))

参考:2003年 国別人権報告書 http://tokyo.usembassy.gov/j/p/tpj-j20050601-50.html

ただし、SDA―セブンスデー・アドベンチスト教会―はエホバの証人に比較的好意的であり、国によってはセブンスデー・アドベンチスト系の病院がエホバの証人の望む無輸血医療を積極的に提供していることもある。

主な教義

  • 神の名

神の名はエホバであり、敬意を込めてその名を積極的に用いるべきである。

http://www.watchtower.org/j/bh/appendix_01.htm

なお、「エホバ」であるか「ヤハウェ」あるいは「ヤーウェ」であるかは彼らにとって大きな問題ではない。マタイ福音書主の祈りの冒頭にあるように、神の固有名を用い、それが神聖にされることが重要である、とする。(マタイ 6:9)

さらに、聖書を翻訳する際、神聖四字(YHWH(JHVH)テトラグラマトン)を「神」や「主」といった称号に置き換えると、読者は一般名詞としての神と固有名であるエホバとの意味の相違が識別できないという弊害が生じる。「神」(エローヒーム)と「エホバ」の違いについて、インペリアル聖書辞典(P・フェアベアン編、ロンドン1874年、第1巻、856ページ)は次のように例証している。

「それ[エホバ]はどんな箇所でも固有の名であり、人格的な神を、そしてただその方だけを表わしている。一方、エローヒームはどちらかと言えば普通名詞の特徴を帯びており、確かに普通は至上者を表わすが、必ずしも、またいつも一様に至上者のことを指しているわけではない。……ヘブライ人はあらゆる偽りの神々に対立する方のことをthe Elohim、つまりまことの神と言う場合があるが、決してthe Jehovahとは言わない。なぜなら、エホバとはまことの神だけの名だからである。また、わたしの神とは再三言うが……決してわたしのエホバとは言わない。というのは、わたしの神と言う場合、エホバのことを意味しているからである。また、イスラエルの神について語りはするが、決してイスラエルエホバについて語ることはしない。それ以外のエホバはいないからである。さらに、生ける神について語りはするが、決して生けるエホバについて語ることはしない。生きている方ではないエホバなど考えられないからである」。(訳文は、聖書に対する洞察、第一巻、「エホバ」の項より。)

  • 悪魔

ヘブライ語聖書中に「サタン」が登場するすべての箇所において、定冠詞が使われており、悪魔は固有の実在者であって、人の心に内在する抽象的な概念などではない。(ヨブ 1:6 脚注)

http://watchtower.org/j/20091001a/article_01.htm

神は愛の動機からすべての良いものを創造された。生きる喜びを分かち合うため、み使い(天使)や人間を、倫理的に自由な行為者、つまり神に仕えるか仕えないか、どのように仕えるかを能動的に選択できるものとして創造された。

やがて天使のある者が自由意志を誤用・悪用して神に反逆し、神の主権の正当性、妥当性、義にかなっているか否かに疑念を差し挟むようになった。その天使は、ヘビを使ってエデンの園にいた最初の男女アダムとエバ(イブ)を罪へといざなった。こうして、完全だった人間は不完全になり、原罪を受け継いで死ぬようになった。

悪魔となったその天子が投げかけた問いは、もっぱら倫理的な論争であった。つまり、悪魔は神の力を否認していたのではなく、宇宙の主権者としてエホバがふさわしいか否かを問題にした。したがって、悪魔と叛逆した人間を即座に滅ぼしても、この種の問題の解決とはならなかった。

神からの独立を望む人類社会には、神から倫理的独立してやっていけるかどうかを試す時間が与えられた。そして、数千年の歴史の中で、君主政治、軍国主義全体主義共産主義自由民主主義などあらゆる政治形態を試みることが許された。

神を愛する人には人間の政治に希望を寄せるのではなく、エホバによる神権政治を支持する機会が差し伸べられている。人間一人一人は、エホバの側につくか悪魔の側につくかを選ばなければならず、エホバの主権を受け入れることによって神の心を喜ばせることができる。―箴言 27:11。(←この側面は「忠誠の論争」とも呼ばれる。)

http://watchtower.org/j/bh/article_11.htm#q10_src

http://watchtower.org/j/bh/article_12.htm#q6_src

なお、悪魔の投げかけたこの論争は、当初から矛盾(論理破綻)していた。悪魔は、自分が論争に勝つなら、エホバ自分を生き続けさせる義務を感じるであろうと考えていたからである。神の公正に疑念を差し挟む一方で、神の公正をあてにしていたのである。(聖書に対する洞察、第一巻、「主権」の項を参照。)

  • 贖い

イエスは、人類を罪と死から救済するために天から地に遣わされた。イエス贖罪死と流した血によって、罪の許しの法的根拠が据えられ、人類には永遠に生きるみこみが差し伸べられた。

http://www.watchtower.org/j/bh/article_05.htm

http://watchtower.org/j/bh/appendix_04.htm

http://www.watchtower.org/j/20091101/article_05.htm

http://www.watchtower.org/j/20090401a/article_01.htm

  • 霊魂不滅の否定

http://www.watchtower.org/j/20091101/article_02.htm

http://www.watchtower.org/j/bh/appendix_07.htm

http://biblia.milkcafe.to/21-ec-12-07.html

  • 政治的に中立

クリスチャンは天に設立された神の王国の国民であるゆえ、地上の政治論争には一切「内政干渉」せず、神の王国大使また公使として振舞うことが期待される。―ヨハネ 17:16。

http://www.watchtower.org/j/bh/article_15.htm#q12_src

したがって、投票立候補などをしない。

神を愛する者は暴虐を憎まなければならない。―詩編 11:5。

http://www.watchtower.org/j/kn37/article_01.htm

(誤解されがちな点だが、彼らはいかなる戦いをも否定する絶対的平和主義者ではない。旧約聖書ヘブライ語聖書)にある数々の戦いの記録は、将来神があらゆる悪に報復されることを表しており、「復しゅうは神のもの」と聖書にもある。また、クリスチャンは各自「信仰の戦い」をしなければならない。なお、戦争には不参加となるが、政治的な中立の観点から、戦争反対デモなどの活動に加わることもしない。)

  • 血を避ける(地抜きされていない肉を食べない、また輸血を拒否する)

http://www.watchtower.org/j/hb/index.htm

地抜きされていない肉を食べてはならないという聖書の禁止事項は、イエスの流した贖罪の血に敬意を示すべきであるという考えを根底にしている。したがって、これはもっぱら宗教的な性質のものであり、物理的な意味で1ミクロンも血を摂取してはならないという意味ではなく、血抜きのための合理的な努力が払われていればそれでよしと彼らは考える。

輸血拒否に関する医学的な情報については以下を参照↓

日本臨床麻酔学会誌Vol. 26 http://www.jstage.jst.go.jp/browse/jjsca/26/3/_contents/

http://www.watchtower.org/j/bh/appendix_10.htm

エホバの証人ユダ王国の滅亡を西暦全607年に起きたと考えている。考古学の主流の学説とは意を異にしているが、この点は、「聖書に対する洞察」というものみの塔協会発行の聖書百科事典の「年代計算年代学、年代記述」の項で、かなりのページを割いて論じられている。

http://www.watchtower.org/j/20051115/article_02.htm

http://www.watchtower.org/j/20051201/article_02.htm

裁くのはイエスであり、誰が救われ、誰が救われないかを決めることに、エホバの証人は関与しない。―ヨハネ 5:22。

http://watchtower.org/j/jt/article_08.htm#saved

主な慣行

週に2回ある集会への参加および非信者への証言活動が求められる。(ヘブライ 10:24-25; マタイ 28:19-20。)また、年に1回、地域大会、巡回大会、特別一日大会という、より規模の大きな集まりがある。(詩編 35:18。)

http://watchtower.org/j/rq/article_14.htm

唯一の式典として、年に1回、キリストの死の記念(主の記念式)が行われる。これは、いわゆる最後の晩餐(最後の晩さん)を記念するもので、カトリックミサ(聖体祭儀)に当たる。―ルカ 22:19。

http://www.watchtower.org/j/bh/appendix_06.htm

指摘される点

新世界訳聖書 

彼らは「新世界訳聖書」という独自に翻訳した聖書を用いている。

オンラインバイブルインターネット聖書)新世界訳: http://www.watchtower.org/j/bible/

恣意的な翻訳だ」「自分たちに都合の良い内容に改竄している」という批判もある。

また、エホバの証人側はこれに反論している。

公式: http://www.watchtower.org/j/20080501a/article_01.htm

個人サイト: http://biblia.milkcafe.to/

不完全な引用

機関誌・書籍などで、しばしば古今の有名人の発言・著作を引用するが、前後の文脈を無視して極めて恣意的な引用をする傾向にある。(例えば、有名な古生物学者であるスティーブン・J・グールドの著作を、あたかも彼が進化論を否定しているかのような形で引用する)

参考:エホバの証人の本に見られる「不完全な引用

しかし、この点は近年改善されてきており、2010年に発表された創造を指示する小冊子では、相当の配慮が示されている。

人種問題

近年では全人類の平等を謳っているが、同協会に批判的な主張によれば、ローマカトリックを始め、他のキリスト教諸派よりもずっと後(1970年代)まで「黒人は神に呪われた種族であり、知的にも劣っており、終わりの日に遂に彼らが救済される時、彼らの肌は白くなるだろう」と主張してきたという。(下部の参考リンクエホバの証人情報センター」の記述による。同センターは論証的な立場に立っているが、エホバの証人に対する論調は全般に批判的。1970年代およびそれ以前の、エホバの証人における有色人種の扱いについて、より信頼性の高い情報源があればご教示ください。)

世界各国に支部があり、信者のうち白人は1/3程度と推測される。「統治体」と呼ばれる最高指導部は、設立以来多年にわたり白人男性のみで構成されてきたが、1999年メンバーサミュエル・F・ハードが加わったことにより、統治体にも有色人種が加わることとなった。

ナチスとの関係

1933年ドイツで政権を握ったナチスエホバの証人の弾圧を始めると、協会のドイツ支部は大会を開催して(ベルリン大会)、ナチスの政策を支持し、自分たちとユダヤ人は無関係だと主張する「事実に関する宣言」を全会一致で採択した。この大会には、当時のものみの塔協会の会長ラザフォードも出席している。しかし、世界各国に支部があり、本部がアメリカにあるエホバの証人は、この「宣言」以後もナチスの弾圧の対象となり続けた。

しかし、エホバの証人側は、ナチスを政治的に支持していたわけではないと反論する。

公式: http://www.watchtower.org/j/19980708/article_01.htm

個人サイト: http://biblia.milkcafe.to/07-jg-11-40.html

主な裁判報道など

大ちゃん事件

1985年ダンプカーに轢かれたエホバの証人子供大ちゃんが、両親の輸血拒否にあい、死亡。輸血をしても助からなかったとの見解もあるが、マスコミに大々的に取り上げられた。大泉実成著「ASIN:4768455646」に事件の様子が描かれている。

せっかん死事件

1994年、過剰な体罰、虐待によりエホバの証人信者子供が死亡した。

参考:http://www.jwic.com/abuse.htm

神戸市高等専門学校神戸高専)訴訟

エホバの証人である高専生が宗教上の理由で剣道実技を許否した結果、退学処分を受けたが、1996年3月8日最高裁判所は、この退学処分は違法であるとの判決を下した。

判決文(PDF): http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/js_20100319123008290359.pdf

なお、これは教育と信教の自由に関する日本国憲法下における重要な憲法判断である。

輸血拒否事件

エホバの証人の婦人が、事前にいかなる場合においても輸血を施さないでほしい、なおかつ輸血しないことによって障害を負っても医師に責任を問うことは一切しないとの合意書に署名していたにもかかわらず、医師たちはひそかに、事前に示し合わせて、当初から輸血を断行することにしていた。手術後、内部告発によってこのことが明らかになり、裁判となった。2000年2月29日最高裁判所患者人格権侵害したと判決した。

ここでの問題は、強制的に輸血を施したことの是非ではなく、また緊急事態には輸血を施すというその病院の方針が裁かれたのでもない。むしろ、病院はそのような方針をもっているならば、密約をしたりダブルスタンダードをとったりするのではなく、誠実に病院の方針を説明し、患者信条に沿う別の医療機関を紹介すべきであった、ということである。

エホバの証人プレスリリース英語): http://www.jw-media.org/jpn/20000229.htm

判決文(PDF): http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/js_20100319120604218580.pdf

このほかにも、エホバの証人国内外で、後に重要な判例となる裁判を起こしている。

参考:衆議院議事録―第159回国会 憲法調査会基本的人権の保障に関する調査小委員会 第2号(平成16年3月11日木曜日)) http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/010715920040311002.htm?

2009-07-14

http://anond.hatelabo.jp/20090713230325

むしろ営利法人宗教法人並みに下げるほうがいいように思うが、朝三暮四的思考の愚民が多いから無理だろうな。法人税消費税と同様の間接税で結局消費者労働者が負担する事になるのに。

考え方としては、まったく同意。

ただ単純に下げるというのは、流石にやれないだろうな。

それに、そもそも法人税を納められる会社がどれだけあるのかってのもあるだろうけど。

収益事業の軽減税率の見直しは、あってもいいと思う。

非営利法人ということで免除されたり軽減されてるんだから、収益事業については例外とする考え方もあり。

一般の営利法人バッティングしてるものもあるし。

同じことをやっていて、営利法人の方が税負担が重くなるというのは、公平なのかというのは確か。

ただ、線引きが難しいけどね。

今でさえ、宗教行為か収益事業かで、紛争が絶えないわけだし。

2009-02-10

漢検協会の営利

漢検協会のニュース見て思ったんだが、むかし商法会社法)を学んだとき、営利性とは

1対外的活動によって利益をあげる

2その利益を構成員(出資者)に分配する

の2要件だと教わったので、番組コメンテーターが「儲けすぎが悪」という意味公益法人営利性を否定する発言をしたとき、「そもそも公益法人は分配しないんだから儲け出てても営利性はないじゃん」と思ったんだけど、違うのかな。

非営利法人に詳しい人いたら教えてほしいんだけど、漢検協会みたいな非営利法人非営利性って、営利法人たる会社でいうところの営利の2要件とは違うの? 

「1 対外的活動によって利益を上げる」こと自体も一定の規制がされてるの?

2008-05-07

エントリフィクションです。実在の人物・団体・事件とは一切関係

 最近ちょこちょこ見かける「専門家の著書を読み込まないバカは発言するな」という罵倒に呼び起こされた俺の妄想だ。だからもちろんソースは出せない。問い合わせられてもなにも答えられない。

 故小渕氏が半紙を持って記者会見に臨んだ時期の前後数年間、俺はとある非営利法人に勤務していた。まだNPO法人制度が整備される以前のことで、それ自体は自治体の認可と出資を受けた社団法人だ。行政からは初期出資以外の補助金も主に人件費名目でかなり支出されており、俺も名目は非常勤の自治体職員としてその法人に出向していることになっていた(はずだ)。当時は今ほど公務員叩きも行われず、時間外手当こそ出ないものの、業績も成果も無関係にそれなりの月給が社会保障込みで保証され、しかも仕事内容は「バイトでもできる」レベル、有り体に行っておいしい仕事ではあった。(当該自治体今日破綻の危機にあるのが、俺のせいかどうかは知らね。)

 しかしこ社団法人、実態はとある市民団体の外郭団体というか数あるダミーのひとつというか、むしろその市民団体の下僕ってのがもっともふさわしい表現だろう。そんなところへ俺みたいな性格と趣味性向の持ち主がなんで雇われることになったのかについては割愛する。というか迂闊なことを書くと正体を特定されそうだ。

 正体を特定されると何がまずいかって、なにしろその市民団体がこれまでやってきた行いが尋常じゃない。なにしろ彼らの意に染まぬ発言をし謝罪と妥協を拒否したとある御仁にいたっては、自宅の周囲を街宣車で数週間にわたって取り囲まれ大音量で彼らの主張を繰り返され、ご子息は彼らの意を受けた教師らにより学校で吊し上げられたそうだ。家族や近隣住民を巻き込んでの実力行使をしでかす連中相手に立ち向かう根性は俺にはない。

 ちなみに彼らはその行為を現在に至っても反省していない。法廷で有罪を喰らったこと自体は反省してるようだが、「もっと上手くやれば良かった」という戦術級の反省でしかない。そういや部下の発言を根に持っていびり自殺に追い込んだ上司も、一人や二人じゃ済まなかったっけ。

 あと、一番多かったのは、こじつけ組織責任を問うパターンだな。中でも印象に残ってるのは、駅のトイレ落書きを根拠に鉄道会社人権に関する姿勢を糾弾した事件。(そろそろ何という団体か分かってきた人もいると思うが、もちろんこれは俺の妄想だ。)不特定多数の乗客が利用するトイレ落書き鉄道会社責任に帰して、社内研修予算を確保させやがった。もちろん形式的にはそれが直接市民団体に流れるわけじゃないんだが、そこで生きてくるのが俺が勤めてた法人。研修会の主催使用テキストの発行元も派遣する講師の所属もその法人で、研修予算のほとんどが法人に入ってくる。そして法人は毎年上納金を市民団体に納めるってからくりだ。

 それなりの大手の企業/団体の社員/職員研修となると年間数百万なんですぐだし、そういう成果が数百は存在する。もちろん窓口となるダミー団体も複数あって、結局年間数十??数百億が無税で(おっと、テキスト代の消費税は払ってたっけ。)市民団体に流れ込む。

 手口は微妙に異なっても、右翼団体や総会屋のやってることと本質的に大きな違いはない。俺たちノンポリの下っ端は、「えせ○○じゃなく本○○だな、俺たち」とか自嘲してたもんだ。もちろん以下に述べるような構成人員の資質や組織のあり方も、右も左も保守革新反動進歩も、そんなに大きくは変わりはせんだろうと思う。ベクトルの方向は違ってても、その先でやってることは五十歩百歩なんじゃねえの、とは思う。

 さてまぁ脱線した。その市民団体の主たる主張はある種の人権擁護なんだが、他の様々な正義平和と人道を標榜する団体と友好関係にあり、互いにしばしば主催する集会等への動員要請が行われていた。で、そういう要請は基本的には下っ端にしわ寄せが来るようになっている。8月6日ヒロシマを筆頭に、ずいぶんといろんなところの員数合わせに駆り出されたものだ。(従軍慰安婦とか南京事件とか○○の人権を求める市民集会とか××を糾弾する市民の会とか、アベレージで年に5??6件は出席した。もちろん俺の所属する法人orその上部団体が直接主催するもの以外でだ。)業務の一環として出張扱いになった上で交通費も現地行動費も出してくれるんだから、断る理由も特にない。

 もちろんこれをもって「沖縄の11万人」がどうこうとか言い出す気はない。俺という異分子が1人紛れ込んだ集会がかつて存在した、というだけのことでしかない。がまぁ必ずしも俺一人が際だって異質だったってわけでもなかった。ある時は集会で眠気をこらえある時はデモ熱射病に用心してるうちに、似たタイプの人と親しくなったりするんだ。熱意なんぞ欠片もないがしがらみと人間関係とその他もろもろに絡め取られて動員されてる人たちと、同病相憐れみ、互いに愚痴りながら、所属団体に関して話し合ったりもする。

 で、結局愚痴の行き着くところはいつも似たようなもんで、「人だねぇ」。どこでも運動のトップとか指導者は似たタイプだし、運動に理論的正当性を与えてる学者研究者ってのもまたどのジャンルでも似たり寄ったり、もちろん下っ端で熱狂してるのも、はたまた利害づくで参加してる人たちも、これまた似たようなもんだ。利害づくってのは一番分かりやすい。運動から甘い汁(主に行政からの個人給付……おっと。)を吸えるなら参加するし、吸えなくなれば離れる。別に一般の勤め人とメンタリティが異なるわけじゃない。俺たち「最初は純粋だが今は冷めちゃった」連中より多少は熱意のあるふりが上手いだけだ。

 真面目な下っ端ってのはほとんどが主観的に純粋正義への熱意に基づいてるだけで、なんということはない。言ってしまえばカルト信者と異なるところはない。頭を叩きつぶすか、個別に一本釣りして脱洗脳を施すか、運良く何かの偶然組織から離れるか、だ。ちなみに俺は三つ目の「運良く偶然組織を離れ得た」口だが、これまた詳細は秘密

 トップにも二パターンあって、ひとつは純粋な下っ端がそのままのし上がった口。もっともこういうのは大概、「敬して遠ざけられる口」ではある。なにしろ清濁併せ呑むことができないから。で、もちろんそういうのは少数派。残りはもちろん下衆野郎893の頭目やら汚職議員ゾロゾロ。(特に西日本……)

 俺の勤め先だと、理事長前者タイプかな。お飾りでお神輿なとっちゃん坊やにして便利な宣伝灯。一番勢力の大きい部門の部長後者、分かりやすい俗物。昼間は数千人を前に人権尊重を講演し夜はセクハラ大王セクハラパワハラの合わせ技を連発しつつ部下の若い女性を片っ端から喰いまくるエロ親父。で、一番タチが悪いのが事務局長かな。表では大学講師の肩書きを背に正義平和と人道を説きつつ、事務所に戻れば部下を交換可能使い捨て消耗パーツとしていびりぬくことに楽しみを見いだしてるとしか思えん。いやいや、こいつの直属でなかった俺は幸せでしたよ。5年間で3人が潰された。

 さて、また話がそれた。ようやく本題に近づいてきたな。残る学者研究者だが、もちろん運動に正当性やお墨付きを与えてくれる先生方だけが、こういう連中と独立に存在してるわけもない。

 俺は上記のような講演・研修テキストとしての必要もあって、年間二桁単位ISBNナンバー付きの本を作ってきた。もっともほとんどが予算化している企業/団体への割り当てと組織内部の学習用で捌けてしまうんで、一般の書店にはそれほど出回っちゃいなかったが。俺の主たる任務もその一部の校閲編集だった。

 で、そういう出版物の著者が、市民団体と仲の良い学者研究者先生方だ。もちろん彼/彼女らの動機は俺は知らん。崇高な真理への欲求に基づく純粋なものかもしれんし、市民団体に利をもたらしそのおこぼれをもらうためかもしれん。書いて出版される内容は学術的に妥当なのかもしれんしデマゴーグなのかもしれん。読んだらためになるのかもしれんし洗脳されるのかもしれん。

 ただしその校閲編集をわずかなりとも担当した個人の感想として、「こんなもん出版して金取っていいのかよ」といいたくなる代物がそれなりの割合で含まれてたことは確かだ。上記のような市民団体幹部との対談をテープ起こしして「てにおは」を整えただけとか、(整えたのも俺だ。)出典とか引用元とかの調査を全部編集担当の俺に丸投げされて、インターネットの普及してないあの当時に泣きながら縮刷版とか復刻資料集(もちろん、本物の原典にあたるスキル担当者たる俺にはない。そのことは学者先生も承知の上だ。)をひっくり返しまくり、どうしても見つからないものは必死で出典に対するツッコミが入らないように原稿を書き換えたとか。もちろん「こんなんやっちゃっていいんですか」と上司にお伺いをたて、OKをもらった上で印刷所に渡し、ゲラ学者先生のチェックも受けましたがね。

 要は俺の脳内妄想レベル+αの代物が、ISBNナンバーがついて書店でもわずかながら売られて運動内部では「正典」扱いされる「歴史書」になっちまった。しかも対立団体からですら、その団体との分裂の前後以前の記述については特に誤りとまではされてないし、発行側と対立団体側の双方ともに大枠を認めてる代物を批判する学者さんも、少なくとも俺の目には入ったことはなかった。つまり外形的には「専門家間でもほぼコンセンサスのとれてる通説」になっちゃったんだ。

 うっかりそんなものを世に出す手助けをしちまったショックが強すぎてな、今更「正義平和と人道に関する歴史の通説」なんてもんを読む気にゃならんのだわ。いまだに書評やらその団体の内部評価を見ると、俺のでっち上げた代物が参考資料扱いされててな、正直、おぞましくてかなわんのだよ。とまあ、これが「俺はいかにして『まず学者先生の御本を読め』という言説にアレルギーを抱くようになったか」という妄想なわけだ。

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん