はてなキーワード: 禁酒とは
矢島 楫子(やじま かじこ、1833年6月11日〈天保4年4月24日〉 - 1925年〈大正14年〉6月16日)は、日本の女子教育者、社会事業家。
肥後国上益城郡津森村杉堂(現・熊本県上益城郡益城町)の惣庄屋矢島忠左衛門直明・母鶴の1男7女の6女(末子)に生まれ、かつと命名された。極端な男性社会にあって度重なる女児の誕生は歓迎されず、名付け親は10歳違いの姉である三女・順子であった。順子(竹崎順子)は、横井小楠の高弟である竹崎茶堂と結婚し、熊本女学校校長となった教育者である。また、順子のすぐ下の姉・久子(徳富久子)も同じく横井小楠の高弟である徳富一敬と結婚し、湯浅初子・徳富蘇峰・徳冨蘆花の兄弟を生んでいる。蘇峰は明治、大正、昭和にかけての大論客、蘆花は明治、大正の文豪である。また、かつのすぐ上の姉つせ子(横井つせ子)は横井小楠の後妻となった。この姉妹4人は「肥後の猛婦」、「四賢婦人」と呼ばれた。
かつは学校などない当時、一通りの教育を母から厳しく身につけさせられるが、もとより勝気で秘めたる情熱の持ち主だったかつは、やがて母亡きあとは母に替わって兄・直方のために尽くす。その兄も妹のために良縁を求め、かつ25歳の時、初婚にはもはや遅いとして既に2男1女を儲けていた富豪林七郎(1828年生) を家柄・人物ともに相応と認め、後妻として嫁がせる。林は武家出身で、横井小楠の弟子であった。後年楫子自身の口からも「この人は気品の高い、竹を割ったような人でした」と語らせるが、家族への乱暴など夫の酒乱の悪癖にかつは極度の疲労と衰弱で半盲状態に陥り、かつ自身も三人の子まで儲けながら、このうえは身の破滅と思い、末子達子を連れ家出する。迎えに来た使いの者に見事に結い上げていた黒髪を根元からプッツリ切って紙に包み、無言の離縁を言い渡したのである。明治元年(1868年)、これを転機に新しい一歩を踏み出す「新生元年」ともなった。
妹たちの間を転々とする間、兄・直方が病に倒れ、達子を置いて上京を決意する。長崎発東京行き蒸気船に乗り込み、船上にて自ら「楫子」と改名する。兄は大参事(副知事)兼務の左院議員で、神田の800坪の屋敷に書生、手伝いらはもとより千円という借金を抱えていた。楫子はその放漫財政を正し、3年で借金を片付けると、生来の向学心から教員伝習所に通うこととなる。明治6年学制が施行され全国に小学校が設置、訓導試験に合格した楫子は芝の桜川小学校(現・港区立御成門小学校)に採用される。当時教員初任給3円のところ、楫子は5円という破格の待遇であった。
このころ長姉・藤島もと子が息子二人と、直方の妻・糸子も子供をつれて上京、兄宅は一気に賑やかになった。しかしそうした喧騒の中、楫子は妻子持ちの書生との間に女児を宿す。堕胎や父親に渡すべきだと諭す姉の言を受け入れず、楫子は妙子(鵜飼猛の妻、湯浅清子の母)と名付け、練馬の農家に預けて独り下宿生活に戻る。そんな折届いた兄からの手紙で、熊本に残してきた長子・治定がキリスト教徒になったのを知り愕然とする。熊本洋学校生徒35名による花岡山キリスト教奉教同盟事件である。治定だけでなく甥の横井時雄、徳富蘇峰、徳冨蘆花も参加している。やがて熊本洋学校は廃校になり、彼らの一部は、新島襄の同志社に入学し、熊本バンドと呼ばれることとなるが、この熊本バンドは札幌バンド、横浜バンドと並び日本におけるキリスト教の三大源流と言われている。教え子の居宅で父親の酒害を目撃し、寂しさでタバコを覚えた楫子だったが、悩める楫子にとってもキリスト教はわが子の信じる宗教であり、遠い異国の宗教ではなくなった。
明治11年(1878年)、楫子は後半生に多大な影響を受ける米国の宣教師で教育者のマリア・ツルー夫人と運命的に出会う。明治7年(1874年)にB六番女学校として設立された築地居留地にある新栄女学校の教師に請われ、住み慣れた下宿を引き払い、同女学校寄宿舎舎監室に移る。
自ら吸いかけのタバコによるぼや騒ぎを起こして禁煙を決意、翌12年(1879年)築地新栄教会でディビッド・タムソンから洗礼を受ける。ほぼ同時期に、三人の姉である徳富久子、横井つせ子、竹崎順子も洗礼を受けている。当時17歳のキリスト教徒であった甥の徳富蘇峰は、純粋がゆえに楫子の洗礼に際して、「過去の過ち(1.幼いわが子を置いて家を出たこと 2.妻子ある人の子を産んだこと)」を告白すべきでないかとの手紙を送っている。しかし、楫子は幼い妙子のことを考え、死ぬまで「過去の過ち」を公表することはなかった。
明治14年(1881年)夏、櫻井女学校の校主(現在の校長と理事長を兼ねた職)代理に就任。楫子は校則を作らず、「あなたがたは聖書を持っています。だから自分で自分を治めなさい」と生徒たちを諭したという。
明治23年(1890年)、櫻井女学校と新栄女学校は合併して女子学院となり、初代院長に推される。
明治29年(1896年)、恩師のツルー夫人が55歳で客死。楫子64歳であった。
一方、恵まれなかった結婚生活や小学校教師時代に抱いた心の疑問から、楫子は「一夫一婦制の建白」、「海外醜業婦取締に関する建白」を政府に提出、国会開設と共に二大請願運動として継続する。
楫子の情熱は日本に止まらず日本国外にも向かい、明治39年(1906年)、74歳にして渡米、ルーズベルト大統領と会見。激務のため白内障を患う。大正9年(1920年)には欧米の旅に出掛け、翌10年(1921年)には満州に、同年から11年(1922年)にかけては三度渡米、このとき楫子89歳であった。教職は大正3年(1914年)、女子学院院長を後裔に譲り、齢81で名誉院長として退いた。その後は禁酒運動、公娼制度廃止運動等に尽力するも、大正もその幕切れを迎えんとする大正14年(1925年)6月半ば、楫子は眠るように大往生を遂げた。明治、大正といういまだ婦人が一個の人間として尊重されることのなかった時代に、楫子は婦人福祉のためにその一生を捧げたのであった。
人間の身体に影響を与え、判断力を衰えさせる毒物であることは科学的にも証明されているのに、未だに「酒に酔っていて覚えていない」なんて容疑者の言い訳がそのままマスコミに流れてスルーされるっておかしいでしょ。
捕まった痴漢が「日経で広告を見て、たわわを読んで痴漢した」なんて供述が出ればそれ見たことかと規制!オタク消えろ!国の恥!表現の自由戦士wwww!で増田が10ページ分は埋まってるはずだ。
犯罪者の飲酒の言い訳を聞いて禁酒を言う人はまずいないだろう。
それは多くの人が飲酒経験があり、適量を知っており、程々に飲めば美味しいが飲み過ぎれば自滅することを理解しているからだ。
メディアだって酒と同じく、程よく嗜めば良い経験や効果に繋がる。そりゃあ中には羽目を外したバカが出るだろう。
だが多くの人にとって問題ないものを、少数のバカのために無くすことが現代の倫理観として正しいのか。バカの責任は多くの人が取らなければならないのか。もう少し考えてみて欲しい
言い訳を聞いた人が「よろしいならば規制だ」とか言い出さず精々がヤフコメで「はいはい馬鹿な言い訳乙」程度、全国民的に反感を買ってネットの限界集落で連日記事が上がるような話にはなったりもしないよね、それ程までに酒は存在が大きく許されているし「悪いのは酒ではなく馬鹿な酔い方をした奴だ」という認識を共有できている。だけど他では極一部の例外バカのために多数を締め付けようとするのはなんでだろ~という話です。
包丁や自動車は適切に使った場合のメリットがデメリットに勝るロジックが使えますが、酒は実用品ではなく嗜好品ですよね。ならば「酒は適量を飲めば百薬の長」だから?何事も度を過ぎれば毒になるのはみなさんご存知の通りだと思うので他の嗜好品に対してもその寛大なお心遣いを持って頂きたいですね。
参考までにGoogleニュースに掲載された、「酒に酔って覚えていない」事件はこのぐらいあります。警察発表のテンプレの一つなのだろうとは思いますが、これほど多い割に反応薄いですよね。
ここ数年でコーヒーに興味を持った。
ある程度道具も揃って変化がなくなってきたので、文字にすることで一旦自分の中で整理したいと思う。
コーヒー好きだが興味の対象は香り、準備からいれるまでの工程、道具である。
豆や水など味にこだわっている人からは邪道に見えるかもしれない。
1. COFFEE WORLD/カズマックスのコーヒーワールド
コーヒーの抽出を楽しむという入り口の段階で一番影響を受けたと思う。
それまで一人暮らし始めた時に親から渡されたカリタのドリッパーとサーバーしか持っていなかったのだが、動画を見てハリオセラミックミルや名門ドリッパー、カリタ銅ポット、KINTO製品などを購入した。
ミルを購入したおかげで、抽出の直前に毎回豆を挽くようになり、香りが好きだということに気付けた。
2. CAFICT / CAFICT – コーヒーのある暮らしと道具。
動画の雰囲気がおしゃれ。ブログのほうは色々な道具が紹介されていて、道具好きの自分としては見ていて楽しい。
見るとLOVERAMICSのギフトセットが可愛らしくて欲しくなってしまうが、絶対使わないので買わない。
コーヒーにハマってしばらくしてからは /岩崎泰三 -Coffee Journalist Taizo Iwasaki - や ひつじ珈琲なども見ている。
「私はこういう考えでこうやっていますよ」「こういうアプローチでコーヒーを楽しんでいますよ」というスタンスの人が多く、「俺の考える正解」を押しつける人がいないのが自分のようなにわかコーヒー好きには救い。
道具を買うようになったのはMakuakeのせいと言っても過言ではない。
変わった道具があると気になって見てしまう。忘れた頃に届くのも楽しんでいた。あまりおすすめはしない。
まだ道具が揃っていない頃にHOLZKLOTZのスターターセットを購入。
今でもスタンドとメジャースプーンは毎日使っている。ドリップポットもたまに使う。
oceanrichのドリッパー/ミル、ハリオ スマートGあたりもここで購入した。おもちゃとして面白い。
習慣にするという意味ではこれが大きい。
家から徒歩3分の場所に比較的に買いやすい値段(400-700円/100g)の豆屋がある。毎週行って色々な豆を試している。
もう少し離れたところにも豆屋があるのだが、そちらは同じ豆でも200円くらい高い。好きなブレンドがあるので、それ目当てでたまに行く程度。
コーヒーの前は日本酒が好きだったので、仕事帰りに居酒屋や酒屋に寄っていた。
緊急事態宣言で居酒屋に行くことはなくなり、ワクチン接種前後で禁酒してみたのをきっかけにもう家でも飲んでいない。日本酒に使う金や時間がそのままコーヒーに使えている。
また、在宅勤務になったおかげで、仕事中に飲むものが給湯室のコーヒーから自分でいれるコーヒーに変わった。午後に一度挟むドリップの時間は休憩にも丁度いい。
色々な抽出方法やドリッパーを試したが、結局普段はHARIO V60。
朝:20gで260mlをハリオのステンレスサーバーにいれる。
昼:午後3時くらいに休憩も兼ねてコーヒーをいれる。デカフェ豆で27gで400mlくらい。3杯取りするようになったのが最近なのでまだ分量安定していない。
夜:夕食後にデカフェ豆でいれたりいれなかったりする。
コーヒーばかりでも飽きるので1日を通して白湯もたくさん飲んでいる。
週末には1週間分の豆を買いに近所の豆屋に行く。
中深煎りがメインで浅煎りはたまに。その時のおすすめ豆を買ったり、なるべく毎回違う豆を選ぶようにしているが、迷ったらキングケニア カリエAAにすることが多い。
以前は冷凍庫で保管していたが、取り出すときの結露が気になり、20gずつ小分けに……とやっていたら面倒になってやめた。
やる気のある日はミルを分解して掃除したり、生豆を焙煎してみたりする。
コーヒーの香りと言っても3種類あるが、好きなものから順に書くとフレグランス、アロマ、フレーバー。
自分にとってはミルで挽いた直後がコーヒーを楽しむピークと言っても良い。
コーヒーをいれた部屋を一度出て、再び戻ったときの香りも好き。
香り全てが好きかというとそういうわけでもなく、ドリップ後のペーパーを触った指の臭いは最悪。
見た目が好きで買うものが多い。見たり触るだけで満足するのに、コーヒーをいれるのに使えるなんて一石二鳥。
静電気防止、優れた静音性ということでNextGの購入を検討していたところ、九州限定ホワイトカラーを見かけて見た目も気に入り購入。
静電気は確かに少ない。音は朝晩使うのには憚られる程度にはうるさいので、昼間だけ使っている。
余裕のある日にするミル掃除の時間も結構好き。掃除のために中を開けると結構な量の粉が落ちてくる。
いくつかミルを購入して高級手挽きミルが欲しくなってきた頃に、Makuakeで見かけ、タイミング良く超早割で買えた。今の価格なら買ってないかもしれない。
手挽きミルによくある底面のダイヤルによる挽き目調整が苦手だったので、上部にあるダイヤルと目盛りがとても魅力的。
少ない力で十分だし挽き終わるのが早いので、セラミックミルで手挽きしていた頃嫌だったことが解消された。
(セラミックミルで挽いたときのポリポリというフィードバックも嫌いではないが、毎日使うのは疲れる。)
騒音の気になる朝晩の他、エスプレッソ用を挽きたいときに使っている。
元々1杯用のモカエキスプレスは持っていたが、カフェラテをたっぷり飲みたいときには足りないと感じていた。
3杯用という丁度いいサイズと、赤い見た目が気に入り購入。冬には結構使う。1杯用と並べて飾っていると可愛い。
見た目が好き。毎日使ってるのに未だに使いこなせてはいない。一回火傷したので気をつけてる。
見た目が可愛い。これのおかげでたまに生豆も買うようになった。一回あたり100gしか焙煎できないのは不満。
分解してバッグに収まるところがかっこいい。相当余裕のあるときしか使わない。
手間と味を考えると自分にはモカエキスプレスで充分。かっこいいものが手元にあるということで満足。
3杯取りするし、抽出後軽く撹拌したいのでサーバーは使う。洗いやすいのが良い。2,3口分ずつFOGマグに注ぎながら飲むのが好き。
角張ってるデザインがかっこいい。ステンレスサーバー買う前はこれをずっと使っていた。
クッキー入ってたやつ。ハリオのキャニスターから豆が溢れたときに使う。見た目が可愛い。
今使ってるHOLZKLOTZのメジャースプーンの形があまり好みでないが、使えないわけでないので買い換えるのがだいぶ後回しになってる。
経年変化を楽しめる木製で良いものがあれば欲しい。
軽くググった感じKINTOか椿井木工舎ってところのが良いかな。
→ KINTOのメジャースプーン買った。毎日使っていて楽しい。
高い。V60メタルドリップスケールとBLACK MIRROR BASIC+を持っていて、不満はあるが使えないわけではないので(略
高い。注湯量と抽出量が別で計れるのが良い。アプリも気になる。スケールは既にあるので(略
JPproで足りてはいるんだが、やはりコマンダンテも欲しい。かっこいい。
プレゼントに良さそうなので、どんなものか自分で一つ持っておきたい。比較的買いやすい値段。
高い。かっこいい。すぐ使わなくなるだろうけどかっこいいから飾るために買ってもいいかな
今はハリオのキャニスターを使ってる。蓋が白黒各3つずつ。黒にはデカフェ豆いれるという使い分け。
見た目があまりおしゃれじゃないので、良いのがあれば買い替えたい。洗いやすいものが良い。
最近キャニスター関連の増田があったのでそれについてたブコメ参考にしてみる。
たまには自動でいれて欲しいなと思うことがあるので、良いのがあれば欲しい。
ここ10年くらい、自分はアル中のけがあるなと思って生きてきた。
ずっと前に読んだアル中に関する本に
"アルコール依存者となったら、きっぱり断酒するより他に治療法はない。"
と書いてあったので、酒好きの私は依存症になりたくないと強く思っている。
それにもかかわらず、ほぼ毎日、飲みすぎなくらい飲んでいたので
実質的にはすでにアルコール依存者となっているのではないかという恐れもあった。
それでも自分をアルコール依存者と認めないのは、同じく昔どこかで見たアルコール依存者のチェックリストの
に該当しなかったからだ。
依存症になっているかもという不安感が強くなってくると酒を飲んでも旨くないので、「自分の意志だけで1週間の禁酒ができるか」を年に2回ほど確認する。
このセルフチェック禁酒に失敗したことがないので、まだ大丈夫だと思っていたのだが1年ほど前から謎の腹痛がある。
腹痛と言っても症状は軽く、何かを見たり聞いたりしているときには全く気にならない。静かにして、おなかに意識を集中させるとちょっと痛いのが解る程度。
5つの病院で見てもらったけれど特に異常は見つからずストレスではないかという結論になったが、心当たりと言えば飲酒だけ。(何故か酒量については指摘されなかった)
体に害がでているのに酒がやめられないならそれはもう依存症、と思い禁酒してみた。
その結果、私はアルコール依存症ではなく味依存症ということが解った。
酒をコーラとコーヒーに変えただけで全く何も変わらず生活してる。
かつて夕食後はエンドレスで酒をのんでいたけれど、今はダイエットコーラを飲み続けている。
酒はある程度飲むと眠くなったり気分が悪くなったりするけど、コーラはやばい。いくらでも飲める。
ちなみに禁酒して2か月、腹痛は治っていない。
最近の温泉むすめ騒動を見て、自戒の念を込めてここに日記を書く。
何度でも書くぞ。
「怒りの感情を娯楽にすると心の健康が損なわれるから自愛せよ」
私は何度この失敗を繰り返すのか。
十数年前に嫌韓まとめサイトを巡回していたときが、それに気づいた最初だっただろうか。
最近だとけものフレンズ2騒動の話題を追いかけていたときだろうか。
最初はたまたま目に入ったニュースを読むだけだったのが、次第に自分から怒れるニュースを探すようになってしまう。
「怒りの感情を娯楽にすると心の健康が損なわれるから自愛せよ」。
具体的にははてブを見るのをやめろ、怒り駆動娯楽ニュースの集積地だ。
アルコール依存患者は長期間禁酒していても、また飲んでしまったら治療が台無しだと聞く。
そういう意味でははてブ見ないようにしたところで、この現代の情報化社会に生きる限り怒り快楽から逃れる方法が存在しないのがつらいところだ。
何度でも書くぞ。
そんなになってるのに禁酒じゃなくて週一で飲んでるんや
コムドットについて詳しくなくとも、SNSで拡散される彼らの活動を目にする機会は多い。彼らはそのように有名になってきたのだから、彼らのファンでない私のような人間が彼らに言及することも、ごく自然なことだと言える。
彼ら、というかリーダーのヤマト氏の炎上に対する声明を読んだ。
少し調べれば、多くの人がその文章に対し強い違和感を抱いていることがわかる。今暇なので、この違和感を明文化してみようと思う。
まず、コンビニ、近隣住民への騒音での迷惑等についての謝罪がある。これはそうだろう。コロナ禍でなくても絶対にやめてほしい。赤ちゃんが寝付いたばかりかもしれないし。
ここでは明確に謝罪の対象にしていないが、彼らは当然マスクをしていない。感染症予防のため、飲食店等を除き、複数人でマスクなしで密になることは避けるべきという『ルール』がある。
コムドットはこれまでも何度か炎上しているようだ。YouTuber飲み会をはじめとするそれらは、『ルール』に違反したから炎上した。
ではここで、この『ルール』について踏み込んで考えてみよう。
ここでの『ルール』とは、法律ではないものの、社会全体の利益のために守るべきこと、とでも言い換えられるだろうか。現在におけるマスク着用はまさにそれだろう。
私が彼らの炎上やそれにまつわる弁明について調べ強く感じたのは、彼らは本当にこの、マスク着用『ルール』の必要性を理解しているのだろうかという疑問である。
マスク着用ルールは、判子は斜めに押すとか、乾杯の際はグラスを下にすべきとかそういうクソくだらない仕草ではなく、疫病の蔓延を防ぐためという目的を持ち、また明確に効果が判っているものである。マスクは本当に不便だが、私たちは自分がウイルスの運び屋にならないよう、大切な人、あるいはそうでない人を守り、この疫病を根絶させるため、マスクをして、密を避け、ときには帰省や結婚式を我慢して過ごす。
自分と他人を守るための『ルール』を履き違え、大きな問題となった、NAMIMONOGATARIというHIPHOPフェスについて、知る人は多いだろう。HIPHOPにカウンターカルチャーの側面は認めているものの、それは体制的な抑圧であったり、不条理な命令であったりに対するカウンターである。
おそらく参加者にとって、マスク着用、密の禁止、禁酒もしくは減酒というルールは、「根拠のない、上からの不条理な命令」程度の認識だったのだろう。だから破っていい。
コムドットメンバーの根底に、同じような気持ちを認めるからこそ、ファンは不安すら覚えているのではないか。
コムドットのファンには良識的な人が多いと感じる。悪いことをしたことは認めつつも、応援の姿勢を示し続けることは簡単なことではない。
だからこそ彼らは不安を抱くのではないか。自分が応援している人たちが、バカではないと信じているからである。
コムドットと『ルール』は意外と根深い関係性を持つ。彼らが盗撮を嫌い、直接ファンに苦言を呈する動画をアップロードしたことは有名らしい。
盗撮はもちろんルール違反であるが、ただちに法律違反ではない。そんなことを言い出したら、彼らの撮影中映り込む人々は、彼らを訴えていいことになる。
では何をもって悪意のある盗撮とみなすのか、その線引きが難しいからこそ、『ルール』によって彼らは自分たちの、また、ファンは彼らの盗撮を許さない。
マスクおよび密を避けるというルールと、この盗撮に関するルール、正当性については述べるまでもないが、彼らは前者のルールをたびたび軽んじ、それどころか、タバコは外で吸うが(条例違反)、他人のタバコのポイ捨てを厳しく指摘するなど、矛盾が多く見られる。
これは大きな違和感であるし、彼らもその矛盾を否定はしないだろう。だから謝罪文は早々にその姿を変える。
ヤマト氏による謝罪文は、いかに多くの誹謗中傷が寄せられ、その恐怖が如何程であるかを切々と述べている。情に訴えている。
さらには過去に行きすぎたネット上の誹謗中傷により自ら命を絶った有名人をもちだし、覚えていないのかと訴える。
ここにも大きな違和感がある。明文化するのは難しいかもしれないが、やってみよう。
まずここでの有名人はまず間違いなく木村花氏のことであろう。彼女の痛ましいニュースは私たちに否が応でも画面の向こうに人がいることを思い知らせた。もちろんそれを私たちに教えるためだけに彼女は亡くなったわけではない。
まず第一に、このタイミングで彼らが自らその話を持ち出すことに対する違和感である。
任意の誰かが社会通念上誤ったことをしたとき、「そんなに叱ったら死ぬよ!」などと言われたら、私たちはどうしたらいいのだろう?
死は究極的に個人的なものだ。100人いれば100通りの死に方があるだろう。もしそれが自死であれば、その理由は本当に個人的なものだ。
彼らはあえて木村花さんという個人名を出さないことで、これに関するそしりから逃れようとしているのかもしれないが、個人名を出せないということは、それは配慮ではない。後ろめたさがそこにあるということである。
木村花さんは、何もしていない。本当に何もしていないが、マスメディアにより悪意のある人間に仕立て上げられ、自分の意見を述べることもできず、頼れる人もおらず、また前例もないため、亡くなるほど追い詰められていたことに気づく人もおらず、孤独に死を選んだ。彼らとは土台から違う。それを指摘されたくないから、個人名を出さなかったのは、卑怯とすら思う。
自分たちの引き起こした不祥事に、無関係の故人を持ちだし、自分の死を匂わせることで、批判から逃れようとする姿勢がダサい。彼らの肩で風を切るイメージとあまりに相反する態度に、違和感を覚えるのである。
もちろん誹謗中傷はルール違反ですらなく法律違反だし、絶対に行ってはいけない。密になるよりマスクしないより騒音を起こすより、明確に悪いことである。そういう人に対し、彼らは私刑に出る必要もない。法的にアプローチすることができる。皮肉なことにこれは、あきらかに木村花さんの事件あっての効果である。
正直なところ、そんなに批判の矢面に立つのが嫌なのであれば、大きな芸能事務所に入ればいい。大きなところであれば文春スキャンダルを揉み消すこともできるし、こういった際矢面にたちタレントを守ってくれる。
しかし彼らは自由でいることを選んだ。事務所のものになり、金銭的、肉体的な縛りを受けるより、自由に活動していくことを選び、彼らのそんな姿勢がウケているのである。
自由は必ず痛みを伴う。これは、自由な者は痛みを覚えるべきということではない。痛みを受けることと自由であることは、ほとんど同じ意味であるということだ。
総合的に一貫性がない、悪い意味で、あらゆる立場のいいとこ取りをしてやろうという彼らの甘えを私たちは感じ取っており、彼らと彼らのファンが大事にする『筋を通す』ことができていないことに、失望を抱かれているというのが、現状への分析である。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.kyoto-np.co.jp/articles/-/640716
京都新聞で真宗大谷派の謝罪が話題になっていた。私個人として考えるところがないわけでもないけど、多少この問題に関して知識のある方なので、勝手ではあるが、ブックマークにあがっている疑問に答えたい。
kaos2009さんが「 [旃陀羅は古代インドの被差別民を指し、同派では江戸から昭和初めごろまで日本の被差別身分に例えて説明されていた」 仏説観無量寿経 - Wikisource https://ja.wikisource.org/wiki/?curid=5204 母殺しは王の所業でなく栴陀羅だと」と説明しているけど、だいたいその通り。
記事にもあるように、これは『観無量寿経』のなかのことばである。そこに、阿闍世王が母韋提希を殺そうとしたときに、大臣の月光と大臣の耆婆が「それは『旃陀羅』のすることだ、ヴェーダ(毘陀論経)にもそう書いてある」と諫めるシーンがある。旃陀羅はヴァルナ(カースト)以下の存在とされていて、日本では伝統的に、被差別部落民のことと説明されてきた。
まず、『観無量寿経』は異訳も現存しないし、サンスクリットやパーリもない。だから訳しなおしたりするのはきわめて困難、ほぼ不可能である。今後、原本が発見されないかぎり。
また、『観無量寿経』は浄土真宗できわめて高い価値をもっている。法然の定めた浄土三部経であり、親鸞の読んだ『観無量寿経』と、それに対する書き込みが残っている(集註(じっちゅう)という)。そのことばを変えるのはおそれおおいというのが、真宗門徒の一般的な理解なのだと思われる。
さらに「是旃陀羅」問題をややこしくさせるのは、親鸞のつくった和讃(和歌)のなかに、「耆婆月光ねんごろに/是旃陀羅とはじしめて/不宜住此と奏してぞ/闍王の逆臣いさめける」というものがある。親鸞が「是旃陀羅」を無視していれば、真宗門徒もそれができたのだが、親鸞自身の文章でもこのことばを肯定的に用いているので、それが問題になる。
言わんとするところはわかるけど、経典は非常に多くあって、しかも相互に矛盾する記述もあるので、「教相判釈」というのが中国仏教で生まれた。つまり、たくさんある経典の中でどれが一番真実なのか、重要なのかということが論じられる。それで、時には経典以上に祖師が重要視されてきて、祖師が無視していれば無視できると思われる。
今回は、祖師(この場合、親鸞)が無視していないから問題になっているのだろう。
そういうふうにも解釈できるけど、これは耆婆も一緒になって行ったことで、耆婆は仏弟子だから、仏教が差別意識をもっていたということでもある。教えの主体は釈尊が中心ではあるが、ときに仏弟子がそのようにもなる。
自分は反ワクチンなんてならない。死者数が何人だろうと、ワクチンによる因果関係に騙されることはない。
果たしてそうでしょうか。
なんとなく、周りの方が賛成派が多いから、本当はやっぱりどこか体に悪い気はしてるけどコロナのほうが怖いから賛成してませんか?
オリンピック関係者の感染が少ないって話の時にも書いたけど母数が違う。愛知県の音楽フェス「NAMIMONOGATARI」の観客は8千人という情報がある。8千人で30人は0.4%なので日本の人口1億2500万人だと50万人。1日1万人だと50日分。
これは、とある記事に実際に投稿されたコメントで、執筆時点で合計21名による26個の星を獲得しました。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4708164886572544258/comment/shinichikudoh
この数字を見て、NAMIMONOGATARIがどれだけ社会に悪影響だったのか感じることが出来たでしょうか。
50万人、50日分とは大変だ。そう思った方は、自分が数字に騙されやすい人だと思ったほうが良いでしょう。
なぜなら、ここで置き換えられている数字は、観客数と日本の人口だからです。
これを置き換えることは、つまり、このようなフェスに1億2500万人が参加した場合、感染者がどれくらいでるかという置き換えでしかありません。
そんなこと現実にありえないですよね。
100歩譲って、8千人規模のフェスが述べ参加者が1億2500万人に達するまでの回数を求める置き換えだったと考えてみましょう。
つまり、これだけの感染者に至るには、日本の人口全員が同時にフェスに参加するか、もしくは同程度のフェスを15,625回開催するかのどちらかということになります。
まるで1日に50万人も感染するようなコメントとして書かれていることが、どれだけおかしいかおわかり頂けたでしょうか。
更に1日の平均感染者数を1万人として、それを50日分と置き換えていますが、この計算に至ってはまさに意味不明です。
先日、ワクチン接種と感染者の述べ人数が比例しているというtweetが鼻で笑われる事態に陥っていましたが、このコメントも、はっきり言って同じくらい意味のない数字同士を比較して、さも相関があるかのように見せているだけのものです。
NAMIMONOGATARIフェス、人口比で感染者50万人。今現在の一日の平均感染者1万人と比較して実に50日分!
NAMIMONOGATARIけしからん!ってなりたくなりますね。
つまるところ、NAMIMONOGARIで発生した感染者30人(この数字の真偽は別として)は、人口比で考えても30人でしかありません。
なぜなら、その日その場所で行われたNAMIMONOGATARIイベントはその一つだけだからです。
他のコメントに、そこからの感染拡大がどれだけのものかという危惧もありましたが、それさえも切り取ってみれば、NAMIMONOGATARI以外で感染した30人と比べて、感染力が高いというわけでもないのです。
あくまで、NAMIMONOGATARIというフェスの開催を擁護するつもりは一切ありません。
しかし、NAMIMONOGATARI憎さに、眼の前の貴重なデータに目を向けず、フェスそのものの開催を批判してしまうのはいささか首を傾げる話でもあります。
屋外で8千人規模、一部マスクなしで飲酒を伴って密着状態で、もし30人という感染者数が正しいのであれば、屋外でマスクあり、さらに禁酒とソーシャルディスタンスを確保できているのであれば、この規模のフェスであっても、問題なく開催できるかもしれない判断材料となり得たかもしれないことを考えると、NAMIMONOGATARIの開催そのものよりも、その後の対応のほうが非常に残念に思われます。
心底謝罪し、参加者をできる限り追跡して、感染者数を信用できるレベルで抽出できていれば、かなり貴重なデータになったのではないかと思います。
話は戻りますが、当初のコメントにある数字の大きさばかりに目が言ってしまった人は、実際の数字よりも感情を優先して物事を決める傾向が強いかもしれません。
どうしたって誰かに騙されるのが人生ですが、少しでも自分で判断ができるように、目につく大きな数字は、まずは疑ってみることから始めましょう。
せっかくだけど禁酒中なんですよ。
だいたい毎日アルコール換算30gくらいの習慣飲酒だった。身体によくないとは知ってたけど、仕方ないと思ってた。しかし、2021年5月19日から、なんとなく断酒を始めた。
一滴も口にしない。シラフで生きていく。
そう決めました。
たぶん、魔がさしたんだと思う。まともな考えだったら、断酒しようなんて思わない。酒のCMは流されまくってるし、そもそも習慣を変えるのはキツい。でも、やめてみた。
喉が渇くと酒を飲みたくなり、味の濃いものを食べると酒を飲みたくなる。ストレスがかかると酒を飲みたくなり、ストレスから解放されると酒を飲みたくなった。
バカな俺は、そうなってからようやく「ああ、俺はこんな面倒なドラッグにハマっていたのか」と思った。むしろ、そのタイミングでやめる理由がハッキリしたように思う。
酒をやめるには絶好のチャンスだ。とりあえず、家の中にあったお酒を捨てたり、誰かに差し上げたりした。
あと、TVをみるのをやめて、YouTubeプレミアムに入った。CMがヤバい。CMのチカラをこんなに強く意識したのは初めてかもしれない。とにかく、美味そうに飲むよなー。
あと、ランニングをした。クタクタになるし、代償行為としてはピッタリ。
アプリではiOSアプリの目標継続カレンダーが役立ちました。作者の方にはマジで感謝しています。
やめるプロセスではさして劇的なことはなかった。
旅行もないし、外出も、会食もない時期で本当に助かった。この時期の断酒はこれまでに比べたら、イージーモードだと思う。
でね、100日経ったくらいに「あ、飲酒欲求がなくなってる」って思ったのよ。
今でも、時々お酒がほしいなぁと考えることはあるけど、その考えはすぐに霧散する。ただ、きっと一杯飲んだら、すぐに元通りなんだと思う。ドラッグはマジ恐ろしい。
あとねわアルコールの次は、はてブをダラダラと見てしまうのをやめたいんだけど、それは全く上手くいきませんね。
皆さんも、どうかご健康に。
一番重かったのは5年前。前回免許更新したとき、写真とって愕然としたの。110kg。0.11㌧。
顔もほっぺた垂れてるしさ。
鏡じゃ気にならなくても写真だとすごく気になる。
というわけで、3年かけて0.09㌧まで落としたの。
20kgも落としたら油断というか満足しちゃうのがアテクシでして、まぁそこでダラダラしながらなんとかその辺をキープしてたんだ。
でも、去年の秋くらいから食う量が増えてきて、年明けくらいからもう全然抑えきれなくなって、5月末には多分また0.1㌧行ってたと思う。
こんなご時世なのもあるし、色々ストレスが溜まって、アルコールも1日100グラム(エタノール換算)くらい摂ってた。
多分それが原因で、左足のくるぶしあたりの皮がめくれて死ぬほど痒くなって痛いレベルまでいってしまった。
流石にアカンと思って、禁酒とダイエットを決意。カロリー制限と自重トレ(0.11㌧から落とした時に始めてた)強化で、
なんとか今日、10年ぶり?くらいに体重計の十の位が7になったのを見た。
朝起きて計った時は80.4kgだったんだけど、真昼間に1時間ほどお散歩して汗かいたら78.4kgになってた。
相当達成感あるよこれ。実際自分でみてもあちこち細くなったなぁって実感できるし、ベルトの止めるところも10cm以上短くなった。
汗かく量もまだ割とかくほうとはいえ少なくなったし、何より体が軽い。10kgの米袋2つ常に持ってたようなもんだもんな。
きっかけになった足のかゆみ・痛みは1か月くらいで大分おさまって、今では稀にちょっとムズムズするかな?ってことがあるレベルになった。
この調子で、十の位を6に、なんとか今年中に出来たらいいなぁと思ってる。
俺は酒をめっちゃ飲むんだけど、この間調べたらγGTPの値が190とかだった。
酒飲むのやめて栄養バランスのいい食事をして食べすぎないようにして運動して…ってのはわかるんだけど、無理。
栄養バランスは、帰ってから作るとか無理だし、野菜とか食ってもおいしくない上に腹も膨れない。運動は時間もないしわざわざない時間を捻出してやりたくもない運動をしたくないしウォーキングしてもあんま意味ないとか言われる。
詰んでね?っていう。酒はいつでも減らせる。別にアル中じゃないし。週2,3回くらい飲むだけだし。一回の量がめっちゃ多いんだけど。別に毎日飲まないとやってられないとかじゃないし、この間一か月禁酒したらγGTPの値ー50くらいいったからやろうと思えばいつでも下げれる。
はっきりいってダイエットには何度も挑戦したんだよ。でも、一時的に体重を落とすとかじゃなく、死ぬまでの生活スタイルを今からガラッと変えるとなるとちょっと無理なんだよね。まあ、リバウンドも数回経験して今180㎝95kgなんだけど。
もうさ、出家するようなもんなわけよ。ここから健康的な生活をするってのは。医者に、今から一回でもラーメン食ったら死ぬよとか根拠込みで説明されたらもう二度とラーメン食わないけど、あのこってりしたラーメンで腹を満たすことはもう人生で二度とないという決断を自分で下せないわけよ。食うのが趣味みたいなところあるんだし。
どうやったら心の底から健康的な生活を満喫しようという気分になれる?ラーメンを食べていい自由がありながらそれを喜んで放棄することができるようになる?家でゴロゴロYouTubeを見る権利を放棄して何の面白みもない時間だけかかってだるくてしかも意味ないとまで言われているウォーキングをやろうと思えるようになる?そういう生活を死ぬまでやろうとどうしたら思える?
もしくは、肝硬変で死ぬのって楽?俺みたいな独身男は66くらいで死ぬらしい。突然眠るように死ねる?肝臓は沈黙の臓器らしいけど、痛くないのかな?
マジで痩せたらモテるみたいなのにも興味ないし、健康が不安だと思いながらもまだギリ大丈夫とか言い聞かせてドカ食いしてんだよね。食いたいもん満足に食えない人生とか意味なくね?どうやったら意識改革ができるんだろう。
会社での職域接種。
特にどうということも無い
なんとなく気分が悪い・・・
もしかしたらマズいのか?と思って早退。
気分・体調に変化無し。一応飲酒はしないでおいた
筋肉痛なので痛かどうかと言われれば痛いが、大の大人が「痛いです」と言うにははばかられる程度。
何も起きない。周囲と比較しての何も起きなさっぷりに「もしかしてワクチン効いてないんじゃないの?」と心配になるレベル。
注射打ったとこの腫れ(通称モデルナアーム)も発生しなかった。
特にどうということも無い
とにかく眠い。ワクチンのせいとはとても思えないので、多分寝不足。
気分・体調に変化無し。今回も一応飲酒はしないでおこう。
就寝直前になんとなく打った方の手を上に上げたら、かなりの筋肉痛。
猛烈な関節痛で目が覚める。体温測ってないけど、明らかに発熱してるのがわかる。
うつらうつらしてたから、まぁなんとなくすごしてたけど、覚醒した状態でこれ来てたらヤバイよヤバイよって焦ってたと思う。
関節痛も無い。
体温38.5℃、全身に倦怠感。
後、ワクチン打った肩が痛い。
腕を下にしてると何とも無いけど、上方、特に横側に腕上げてくと、肩と水平になるあたりで激しい筋肉痛って感じの痛みが走る。
「あ、これ、これ以上トライするの辞めといた方が良いな」って訴えて来るのがわかる。
体温測ったら37℃くらいに下がってた。ロキソニンすごい。ただ、熱を下げる手段が結局気化熱(発汗)だったのは拍子抜け。
やたらと汗出たので、それで下がったのかな。
もはや倦怠感もないし、後は肩の痛みが引かない程度。
「酒を飲もう」と思うも、なんとなく気分が乗らない。
体温測ったら37.9℃。
マジかよ・・・ロキソニン飲んだら体温下がりっぱじゃないのね。初めてロキソニン飲んだので知らなかったよ。
肩の痛みはまだ引かない。
この増田を書いたものです。トラバ・ブコメの叱咤激励、ありがとうございました。
その後どうなったかのご報告ができておりませんでした。
・21wで早期破水、陣痛促進剤による分娩の末、死産となりました。
待望の第一子であり、計り知れない悲しみでした。
葬儀を終えて数日後、妻が「私が殺した」と半狂乱になって暴れだしました。そのまま自傷行為に走ろうとしたので私も必死で抑え込みました。
妻の持つ包丁が私の指を掠めて出血したのを見て、ようやく妻は落ち着きを取り戻しました。
お互いボロボロの状態の最中、妻から2つのカミングアウトがありました。
①結婚する前から摂食障害を患っており、今日まで毎日毎食後、胃の中の物を全てトイレに吐いていた。
①については付き合う前の10代からずっと続いており、50kgという数字をキープしていないと耐えられない、との事でした。
空腹感を感じるたびに食事・間食を取り、即座にトイレで吐いていたそうです。
私は一度も嘔吐する音なんて聞いたことがない、と言ったら、隠していたシリコンチューブを見せられました。
これを胃袋まで飲み込み、腹に力を入れるだけで内容物が綺麗に吐き出せるそうです。
ずっと体重が増えない事には気づいていました。お腹が大きくなるにつれ体重はある程度増加するものという知識はあったので大丈夫なのか?と心配でしたが
妻から、産婦人科の先生には「お腹の赤ちゃんが栄養取ってるだけで問題ない」と言われたと聞かされており、それ以上の追求はできませんでした。
シリコンチューブを見せられた時はものすごくショックで、なぜ今まで話してくれなかった?と聞くと「こんな異常な行動が理解される訳がないし、軽蔑されると思った。ただでさえ摂食障害がコンプレックスなのに、これ以上傷つきたくなかった」との事でした。
②在宅勤務がメインですが、コロナ禍の最中であっても弊社は時折一泊二日の出張があり
その時間はLINE等で妻と連絡を取り合うこともできず、ずっと家で独りでした。
あまりにも長過ぎる時間が苦痛で、その時に喫煙の欲求がフッと湧き出てきて、耐えきれず一本だけ吸ってしまった。それから私が家にいない時は隠れて吸い続けていたそうです。
タバコの香りの気配は感じる事があったのですが、妻から「上階の人がまた窓開けてタバコ吸ったみたい」という説明を聞かされていたので、まさか妻自身が吸っていたものとは思いもよりませんでした。
喫煙のリスクはわかっていたのか?と問い詰めたところ、全て調べた上で覚悟して吸っていた。独りになった時、どうしても我慢ができなかった。精神衛生上良くないと医者が判断する場合は少量なら許される場合があると知った。という返答でした。
聞かされた直後、まず、摂食障害について話してくれなかった事がショックでした。二人で望んでいた妊娠でしたが、妻がそんな状態なら妊娠は考えなかったはずです。
次に、裏切られた、という気持ちになりました。
妊娠発覚後からは炊事掃除洗濯は全て自分がやっており、まぁ単に私が家事好きで同棲期間中から独りでずっとやっていた延長なので威張る気持ちは特に無いのですが、それでも栄養バランス等考えながら毎日料理していたので、全て無駄だったんだなと思うと非常に悲しかったです。
お腹の赤ちゃんを大切に想いながらこのような行動が続いてしまっている時点で、これは当人の努力でどうにかなる問題では無いのだ、と判断しました(喫煙中はいつも「ごめんね」と泣きながらお腹を撫でていたそうです)。
子を失った悲しみと突然のカミングアウトによるショックでどうにかなりそうでしたが
おそらく今日まで一番苦しんでいたのは自分より妻のほうだ、と強く実感しました。
妻は「こんな自分はもう嫌だ。治したい。なんとかしたい」とも口にしました。
私は、自分の意志で欲求をコントロールできない時点で、専門家による治療が必要なレベルだと安直に判断しました。
禁煙外来と摂食障害について相談できるところを探そう。私も一緒に探す、治療に協力する、と伝えました。
すると妻は狼狽えて「私のせいで死産になったっていうのを病院の先生に伝えろというのか?そんなことしたら絶対に怒られる。耐えられない」「私は自分の力で頑張って克服したい。なのにそれを支えようとせず、第三者の前でお前は私に恥をかかせようっていうのか?」と言いました。
ここで、私の心はポッキリ折れました。
生まれてくる赤ちゃんのため、父親になる覚悟をもっと強く持て、と言われ続けてきました。
子供が真似しそうな私の悪癖はすべて直せと言われ、努力してきました。
「子供のために」とずっと言ってきた妻が、その子供は妻自身の行動で取り返しのつかない事になり、更にその事よりも「人前で恥をかきたくない」という自身のプライドが優先される。妻はそんな人物だったのだと、この時気づきました。
もう僕にはこの人を愛する事も支える事もできないし、その動機もなくなりました。
離婚については散々妻と揉めて、ひとまず双方の合意に至ったので
(妻に管理させていた100万の貯金が過食嘔吐のための食費でスッカラカンになっていましたがもうどうでもいいです)
離婚してからは、自分自身の時間をゆっくり過ごしたいと思います。
折角多くのアドバイスをいただいたのに、こんな結末となってしまった事が心残りです。
本当にすみません。