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2024-10-13

名作といわれるドラマおしんをみたので感想を書く その4

https://anond.hatelabo.jp/20241010224911から続く

おしん物語根底を流れているのが、「恩」であり「仁義であるということをこれまでの感想でも書いてきた。おしんイコール辛抱する精神というイメージが広く流布するなか、金儲けに走った息子の根性を叩き直すために、田倉家を滅ぼしてでもライバル会社に利する行動に出た、という物語ハイライトは、意外にもあまり注目されていない。私も正直なところ、全話を通してみるまで知らなかった。

今回は、物語類型としての「おしん」をみてみたい。

流浪するおしん股旅物としての評価

おしんは一代記ものとしては、タイムスケールがとても長い。おしん1901年昭和天皇と同年に生まれた設定である

そしておしんが生きた少女時代から後期高齢者の83歳になった1984年まで、それぞれの時代があまりにも違い過ぎるので、1983年の田倉家のシーンから明治回想シーン時代を一気に2世代くらい遡るときタイムトリップ感が半端ない

1983年おしんが息子・仁を裏切って、並木商店への説得どころか、積極的大手スーパーへの並木土地の売却を進めてくれとお願いした背景には、並木商店隠居の大旦那並木浩太に対する並々ならぬ恩があるからである

それは、どのような恩だったのか。おしんは息子たちには何も過去を語ってこなかったので、仁には知る由もなかった。そもそも並木浩太とは何者なのか。

おしんも誤解されるのが嫌でそれまで息子には一度も語ってこなかった。しかし、前年の1982年17号店進出を知ったおしんが息子の行動を阻止しようとしたとき、仁は、それが母の初恋の人への配慮であることを悟る。そして、仁はいう。商売ってそういうものじゃない、「母さん、みっともないよ。」と。今風にいえばいい歳してエモいことを言い出してんじゃねえよと思われたのであろう。案の上、誤解されてしまったおしんであったが、なすすべなく工事は進み、ついに開店当日を迎える。おしんはこれまでの人生の回顧の旅に出るのである

おしんと人の縁

おしんと浩太のいきさつをかいつまんでかくのも、がっつり書くのもいずれもけっこうしんどいしかし、今回のテーマの「股旅物」がわかるように、ややガッツリ目に書いておこう。股旅とは、大正時代に生み出された物語類型ひとつで、一宿一飯の義理人情に従って流浪する物語であり、多くは渡世人やくざなどが主人公である股旅物の元祖長谷川伸は、その後の日本小説戯曲、そして映画テレビドラマに至るまで多大な影響を与えた人物である。「飢餓海峡」で知られる水上勉は、長谷川伸の「夜もすがら検校」を読んで作家を志したことはよく知られている。「夜もすがら検校」を発表したのは1924年である明治が遠く過ぎさり、大衆大正デモクラシー自由への過大な期待から人々が少しずつ醒め始め、もう一度生き方を見直そうしていた時代である

2000年代になると、日本映画ドラマの潮流は変わり、義理人情といったテーマ陳腐ものとして忘れ去られてゆく。20世紀末までのドラマでいえば、「北の国から」が長谷川伸的な一宿一飯の義理人情世界観でつくられた恐らく最後ドラマだろう。吹雪の中を助けに来る馬、泥付きの一万円札などに表現される世界は、まさに長谷川伸系譜なのである

おしん回想シーンだけをみると、浪花節にあふれた、まごうことな股旅であるしかし、おしん物語面白いところは、浪花節陳腐化し、古臭いものになってしまった現代1980年代)と交差している点である

キーワード加賀屋への恩】

並木浩太とおしん最初出会いは、おしん16歳、山形酒田の米問屋加賀屋奉公へ来てから7年が経った頃だ。おしんは、加賀屋の跡取りの長女・八代加代と姉妹同然に育ちながらも、大奥様・八代くにからは、肉親の孫娘・加代よりも商売イロハから茶道裁縫など良家の子女としての教養を徹底的に教え込まれていた。このときにの指導によって身に着けたものの考え方や教養が、のちのおしん人生で役に立つのである。加代はというと、将来は良家から婿をもらって加賀屋をどうせ継がさせられる自分のつまらない運命うんざりしていた。絵画が好きだった加代は、東京で別の”自由”な人生があるのではと夢をみる少女だった。そんな折、農民運動活動家・浩太と出会った。酒田訪問した際、官憲の目を逃れるためにおしんとお加代に助けを求めたのが最初出会いであるおしんとお加代は同時に、浩太に恋心をもってしまう。大正デモクラシー時代だった。インテリかぶれした加代は平塚雷鳥の本を手元におき、人形の家を著したイプセンなどに憧れを抱いていた。当時、大衆のなかで勃興していた人権運動先進的だと中身もわからず憧れていたのである農民運動、カッコいい!加代は浩太の活動ロマンを感じて恋に落ちてしまった。一方、おしんは、土地を持たない小作農民の自立を助けたい、という浩太の純粋な思いに心を打たれていた。おしん小作の娘であった。小林綾子が主演した「おしん少女編」では、おしんの母・ふじが冬の川に下半身を沈めて妊娠中絶を図ったり、小作農民の悲哀がこれでもかというくらい暗く描かれていた。そしておしんは冬の川に入った母の姿をみて、6歳で材木問屋奉公へ行く決心をしたのであるいかだに乗って、母ちゃんと叫ぶ、有名なシーンのアレである

ともあれ、加代とおしんは同時に同じ男性に恋をした。そしておおらかで情熱的な性格の加代は恋心を隠すことができず、おしんに打ち明けていた。そしてやがて加賀屋の跡取り娘でありながら、何もかも捨てて浩太へ会いに東京家出してしまう。しかし、おしんは、奉公先の跡取り娘であるお加代様の恋を大切に思い、自分の思いはそっと封印した。一方の浩太は、東京に出てきた加代の猛烈な求愛を受け止めつつ(東京で加代と同棲までした)、本心最初からおしんが好きだったのである

おしんは加代の家出理由加賀屋に伝えることが忍びなく、おしん加賀屋から暇をもらって帰郷する。帰郷したおしんを待っていたのは、おしん女郎部屋へ売り飛ばそうとする父・作造と口利きの男であった。さら実家で目にしたのは、奉公先の製紙工場の過重労働健康を害し、肺結核で放り出され、今や死を目前にした姉・はるの姿であった。いまわの際に、はるは女衒に騙されそうになっているおしんを救うべく、自分の夢が髪結いになることだったことをおしんに告げ、東京の知人の髪結い師匠長谷川たかの住所を訪ねるように、伝えて息絶えた。

一方、加代は、浩太の心がおしんしか向いていないことを悟り、浩太のいない東京を去り、加賀屋を継いで見合い結婚する。

キーワード日本髪結いのおたかへの恩】

こうして、はる姉ちゃんが叶えなかった夢を託されたおしん東京へ出た。女郎部屋を売り飛ばそうとした父のいる故郷に心を残すものはなかった。髪結い師匠たかは、江戸時代から続く髪結いの昔気質職業観を持った女性だった。一人前になるための6~7年の下積みの苦労は当然であり、弟子には甘えを許さなかった。

しかし、大正という時代は、江戸から明治まで続いてきた日本髪の伝統の衰退期であった。大正浪漫とか大正モダンと言われる時代が到来しており、洋髪が東京流行し始めていた。おしんが修業している3年間の間に大きく時代が変わりつつあったのである

大衆身分から解放され、より自由髪型を求めるようになっていた。髪型をみれば、人妻なのかそうでないのか、はたまた、その人の職業身分がわかる、という時代は終わりつつあった。弟子入りなんてせず洋髪の専門学校をでて、理髪を仕事にする時代がきていた。おしんには洋髪のセンスがあった。たかおしん独立をすすめる。たかはいう。「昔は厳しかったんですよ。6年も7年も修業してやっと一人前になったら、それからまた、お礼奉公をして。10年近くもただ働きをして覚えたもんなんですよ。そんなことは今は通んなくなっちまったけど。やっぱりご時世ってもんですかね」。これは紆余曲折を経ておしんたかの元から独立し、その後、客先で出会った男性・田倉竜三と結婚挨拶たかを訪れたとき言葉である。その時、5人いたたか弟子はついにたった一人だけになっていた。

田倉商店を竜三の妻として支えるようになったおしんであったが、商売は順風ではなかった。おしん夫婦を陰で支えていたのはたかであった。田倉の経営が傾くと、おしんたかを訪れ、髪結いをして夫を支えた。たかもまた、洋髪の時代おしんの才覚を必要としていた。客商売は人の縁、ひととのつながりを大切にすることだと心に刻んだのはこの頃である

一方、田倉商店開店休業状態に陥るほど経営悪化していたが、おしん髪結いで稼いでいたので竜三はプライドを傷つけられ、すっかりおしんが稼ぎ出した金で遊び歩くようになってしまった。師匠たか相談すると別れちまえという。「ダメな男はどこまでいったってダメなんだよ」とすっぱり切り捨てるが、おしんは亭主をダメにしたのは自分だとと気が付いた。夫の更生のために妻の自分は黙って夫についていく姿勢を示すことを決意し、長谷川洋髪をやめることをたかに申し出る。稼ぎ頭のおしんに辞められるのはたかにとってもつらいが、受け入れる。やがて蓄えもつき、明日食べるコメもないどん底におちて初めて竜三は再起を決意する。しばらくは順調に田倉商店再生が進んで、おしん洋裁の才能も手伝って、田倉は子供服店を開店することになった。しかし、その直後、関東大震災おしん夫婦の夢を完膚なきまでに打ち砕いてしまうのである工場火災で焼かれ、絶望した竜三は「佐賀ゆっくり休みたかおしん佐賀はいいとこばい。。。」といって佐賀への帰郷の心を固める。竜三は大地主の三男坊なのである。こうしておしんにとって地獄佐賀編がスタートすることになった。

さて、佐賀に三男の嫁として入ったおしんを待ち構えていたのは、姑による徹底的な虐待だった。数か月もすると、おしん佐賀地獄から脱出を心ひそかに誓い、東京師匠たかのもとに、東京に戻りたいと手紙を書くのであるたかの元にいけば助かる、自分の腕一本で生きていると信じた。必死の決意で脱出し、やっと髪結いを再開しようとするも、さらなる不幸がおしん絶望に突き落とす。佐賀で夫に振るわれた暴力が原因で、右手の神経に麻痺が残ってしまっていた。髪結いを諦めざるを得なくなった。

こうしておしん流転の人生が始まる。屋台出店からまり故郷山形酒田と流れ流れ、ついに浩太の紹介で三重伊勢の魚の行商に落ち着き先を見出すのである佐賀に残った夫といつかは一緒になれると信じて手紙を書き続けるのである

キーワード:浩太の恩】

浩太の実家貴族院議員の父を持つ、太い実家だと先に書いた。しかし、浩太にとって本当のやすらぎのふるさとは、おばの伊勢実家網元のひさの家であった。浩太は、流浪人生を送るおしんを見かねて、伊勢網元をやっているおばのところに下宿し、行商を勧めるのである。これまで米問屋での奉公に始まり、ラシャ問屋子供服洋裁、洋髪・日本髪、農家の嫁地獄酒田の飯屋をやってきたおしんめし加賀屋は加代とおしんが切り盛りし、おしんにとって加代の元気な姿をみた最後の思い出となった。その職業遍歴に今度は魚売りが加わることになった。

伊勢に来て、笑顔を取り戻したおしん。竜三もおしん魚屋をやる決意をしてくれ、おしん人生好転し始めていた。

一方、加代の人生は、暗転した。加賀屋本体が夫の先物取引の失敗で負債を抱え倒産した挙句、夫は自殺してしまう。八代家の両親は過労で衰弱、入院費を工面するために加代は借金のかたに売春宿に沈められてしまう。両親は相次いで亡くなり、生まれたばかりの希望を抱えた加代をみて、おしんは救出を誓うが、借金の額に手が出せなかった。加代は翌日酒を煽って死んでしまった。希望は田倉で引き取ることにし、加賀屋の再興を果たしたい思いから、養子にはせず、八代苗字も変えなかった。

一方、浩太は長く続けてきた農民運動に行き詰っていた。治安維持法により、弾圧が厳しくなり、ついに6年間も投獄され、苛烈拷問の末、転向を迫られた。敗北者となった浩太は、心身の傷をいやすために伊勢のおばのところに帰るのである。すっかり引きこもってしまい、おしんとも口を聞こうとしなかった。やがて、浩太は実家の縁談に応じて、並木家へ婿入りすることになって静かな人生を送るのである。やがて少しずつおしんとも再び心を開くようになるまで十数年を要した。

田倉家では、雄、次男の仁、そして希望がすくすくと育っていった。雄は戦争で亡くなるが、戦後も仁と希望兄弟のように母おしん魚屋を支えていた。大人になった仁が商才を発揮する一方で、希望商売に向いていない自分を見つめ直し、自己実現のために陶芸の道を歩みだす。

屈折10年、陶芸師匠の元で修業した希望がようやく独り立ちできる時期が来た。そのときに、希望のための釜・新居の支援をしたのは浩太である。お加代さんとの縁を思い出してのことである。浩太は、折に触れて田倉家のおしんを見守るように生きていた。おしんセルフサービスの店に挑戦するときも、銀行からの借り入れにあたって、浩太は並木の自宅を抵当にいれてくれたこともあった。

股旅物を取り込んだ現代劇~義理人情は古臭い観念かという現代人への問いか

さて、長いことおしんの半生を振り返ってきたが、一旦冒頭の仁のセリフ1983年の場面)に戻りたい。

仁が17号店の出店を並木商店の近くに計画していることを知っておしんが反対したときのことである初恋のひとに迷惑がかかる?「母さん、みっともないよ。」というのが仁の反応であった。しかし、もし仁が母おしんの半生をもう少し知っていればそんな言い方はなかっただろう。おしんは人の恩に深く支えられて生きてきたのである。田倉スーパーの出発点となったセルフサービスの店にしても浩太の支援があってこそであった。

ドラマ構成として興味深いのは、おしんの半生を、徹底的に(一年間のドラマの大半部分を費やして)一宿一飯の義理人情で「世話物」的に(つまり当時の生活感覚として)描いておきながら、おしん戦後現代にいたる高度経済成長おしん自身義理人情を忘れてしまたことに気が付く、というメタで重層的な構成であるおしんにしても、商売は食うか食われるかだ、という厳しい姿勢戦後を突っ走り、16号店までたのくらスーパー事業拡大させてきた戦犯なのである。それが今になって17号店は昔に世話になった人に迷惑がかかるから反対、はない。突然反対し始めた母を見た1983年の仁の目からは、義理人情なんて古臭いものだという感覚であり、母の物語は「世話物」ではなく完全に「時代物」なのである。大切なものを置き忘れてしまった気がしたおしん問題17号店開店当日、失踪する。この世話物時代物が交差する、ところもドラマおしんの魅力である

2024-09-01

anond:20240831151259

治安維持法を制定して片っ端からしょっぴくんや。先人に学べ。

2024-08-15

anond:20240815223849

はいアホ確定

讒謗律がある国が自由民主主義

新聞紙条例がある国が自由民主主義

治安維持法のある国が自由民主主義

軍部大臣現役武官制がある国が自由民主主義

憲法国民人権保障されてない(法律制限余地がある)国が自由民主主義

憲法天皇独裁保障されている国のどこが自由民主主義

憲法個人尊重が軽視されてる国のどこが自由民主主義

歴史の授業寝ていたのか。

2024-01-18

津田大介北村紗衣も親を大切にする真面目な子

方や社会主義協会派の活動家会社勤めをしたことがない専従を父に持ち、方や国内2件目の治安維持法検挙対象となった集産党(北海道における労農運動/マルクス主義者の集まり)メンバー戦後地域新聞社社長となった祖父を持つ、立派で立派なリベラル2世3世なんだよな

親想いでいい子なんだからあんまり社会迷惑掛けなきゃいいのにね

2023-12-03

なぜスパイ防止法危険なのか?

もし外人侵略から日本人を守るのが目的であれば

まず外人にばかり奨学金を出したり、

外資日本土地を売ったりさせないはずです。

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自民党をはじめとする政府

そういう当たり前の事をきちんとやりません。

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外国人健康保険を使わせ、生活保護し、公団住宅

もっと豪華な所に格安で住ませるのは、むしろ

外患誘致のためと考えるのが危機管理上は当然でしょう。

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自分たち外人を招き、

日本人財産など個人情報が筒抜けになるよう

マイナンバーLINE連携させたりしながら

スパイ防止法とほざく。

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不都合な人士、つまり日本人を守り、外人の謀略の魔の手から守ろうとする

高貴な人士を虐殺しようというのが目的と考えるのが当然です。

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「お花畑」な方々は、「政府絶対正義に決まってる!」

などと思っていらっしゃるようですが、

太平洋戦争中の歴史を学んで、理解していたら

そんな馬鹿げた幻想洗脳される事はないでしょう。

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安倍晋三祖父大戦から

アメリカ支配層と親しかったのである

敗戦後に「転向」したわけではない。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201904020000/

グルーは秩父宮松平恒雄徳川家達、樺山愛輔、

牧野伸顕吉田茂岸信介などと昵懇にしていたが、

中でも親しかったのは松岡洋右

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山本五十六スパイ

ttps://www.amazon.co.jp/山本五十六は生きていた―誰がなぜ歴史真相を歪曲したか-ヤコブ-モルガン/dp/4887190239

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皮肉にも、小さい時から鬼畜と教わっていたアメリカ兵が、

やけどや傷の手当てをしてくれました。

これが日本兵だったら見捨てられていたでしょう。

日本兵は住民銃剣を突きつけて『ここは日本軍が使う』と言って、

隠れていた壕から追い出しました。

大切な食料を日本兵に奪われることも珍しくありません。

http://www.asyura2.com/15/warb15/msg/799.html

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まず、「政府絶対日本人の味方に決まってる!」

という幻想を捨てましょう。現実ありのままに見てください。

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なぜスパイ防止法危険なのか?

推進してるのが自民党=統一教会を中心とする外人優遇勢力から、です。

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アメリカ議会の報告書(1978年)には、

KCIA創設者である金鍾泌

政治的手段として統一教会組織した」

と記されているそうです。

https://twitter.com/teds8888/status/1560617726829215745

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統一教会を招いた岸信介は、A級戦犯でしたが釈放されました。

同じくA級戦犯でありながら笹川良一(文堯)は

「私は文鮮明の犬である」と発言してるそうです。

https://twitter.com/soulflowerunion/status/1553317255756529664

笹川良一運転手をしていたのが維新松井一郎父親松井良夫。

笹川の部下で同じくA級戦犯だった児玉誉士夫運転手だったのが

N国党立花が絶賛しているハマコーこと浜田幸一

ハマコー運転手をしていたのが「芸能界ドンバーニング周防

バーニング周防運転手をしていたのが関東連合石元太一

石元太一を「ヤンキーアイドルオーディション」の審査員にしていたのがエイベックス

avex松浦周防学会繋がり

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1235072792?fr=pc_tw

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NGT48山口真帆さん襲撃犯はバーニング役員の子と噂されています

襲撃犯は釈放されました。山口さんをいまだに誹謗中傷する工作員がいても放置されている。

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そんな風に犯罪者を野放しにしている勢力

スパイ防止法がないから」などとほざくのは言い訳であり

しろ犯人不都合な人士を虐殺するために「スパイ防止法」という名の

違憲軍事独裁ファシズム悪法(戦中の治安維持法のような)を作ろうとしているのは

「お花畑」でなければわかりきった事のはずです。

2023-11-29

もう500日くらい寝ると

治安維持法から100年となります

2023-11-23

2025年は治安維持法から100年です

2024年は第一日本共産党解党から100年です

受験に出るかもしれないね

2023-06-14

治安維持法よ再び

ぶっちゃけさあ、もし仮にネトウヨ側が

「そうです! 不謹慎な物は積極的世間から排除されるべきです」

って言う方が寧ろよっぽど怖いんだが。

ここで治安維持法とか連想したりしないの?

仮に治安維持法が復活したら、戦前愛国婦人会みたくネトウヨ特高にせっせとタレ込んでる状況、容易に想像できるんだが。

2023-06-13

治安維持法

表現の自由戦士ってワードを真顔で使ってる奴、小林多喜二虐殺について何かいことないんすか?

共産主義は良い思想から特高は許せない、ネトウヨキモいからネトウヨ好きな物は取り締まる。

とか、真顔でいうてるんですか?

巷にエロがあふれる程度、全然平和じゃねえかと思う。

ネトウヨリベラルへのヘイト限界を超えてしまい、戦前みたく特高街角で目ぇ光らせるような世の中になる方がよほど怖い。

2023-06-10

anond:20230609235938

どゆこと?って俺が1番知りたい

治安維持法みたいなの実はあるんだろう

まあメディアにとってはスクープだと思うけどな。日本メディアマスゴミってことよ

法律に無い事で拘束出来るんだから安倍政権やばかったんだよ。ヤジで排除もされてるしな

法治国家パラレルワールドなんでもありな国になったのさ

因みに細かく書いてないけどもっと闇は深くて、そもそも不法侵入してきたんだよ。令状もないのに。求めたけど無いし無いのに連行できる

テロリスト排除みたいな

まあ有り得ない話すぎて理解されないんだろうな。

刑務所に入れられない犯罪者かいたよ。官僚の息子でピストルテロリストやったやつとか。ニュースになってないけど

別件では逮捕されてたか名前載ってるし俺有名だから調べてみ?とか言ってたから調べたら捕まってたわ

2023-06-02

ネットで立民を非難すると開示請求されて特定され、名誉毀損告訴され裁判所家宅捜索の令状を出す

→やりすぎの批判

→立民回答差し控え

  

治安維持法がなくても個別言論統制可能なんだろ(裁判所自由

非難言葉が悪すぎた?誰が日本語を知っているんだろう

    

憲法参政権憲法裁判官保護条項制限されるとか、タコ自分の足を食う共食いだな

開示請求すると家族病気になるいうこともない制党は優遇されてかね

2022-11-08

anond:20221108133551

特急で考えたらだけど、大正ポリコレ時代は、裏では治安維持法起訴便宜主義ができて司法権が強くなり、のちには政党解散命令、多数死刑などの積極的司法権行使が行われた

令和では消極的司法権行使警察等が手を抜く」が問題になってて、安倍暗殺事件もイテウォン圧死事件もそう

 

で相変わらずポリコレ活動存在するが、彼らは司法宗教には殆ど口を出さず、いわゆる「腐った司法」などは変わりがない

粉飾決算監視組織司法系で東芝事件恣意的な手抜きがあった

そうするとポリコレ派は司法業界宗教団体から生じていると思われる(だから左派右派LGBT派や夫婦別姓派、名誉毀損事件派、親台派などのアイコンも取り揃えられているのかも)

と思うので、彼らが内輪のイイネを集めて世論を惑わすのは粉飾決算と変わらんと思うし、「特定弱者を養護する声のでかいアイコン」は不快という意見同意

増田ネットは主に調べ物に使うだけだな

SNSでいい仕事が見つかることもないだろ

2022-10-20

ブクマカの99割が勘違いしている踏み絵禁止憲法上の位置付け

踏み絵禁止は、憲法上、信教の自由(20条)ではなく思想良心の自由(19条)の問題です。ちなみに、内心の自由絶対的自由と解されています

 思想良心の自由不可侵であることの第二の意味は、国民いかなる思想を抱いているかについて国家権力露顕(disclosure)を強制することは許されないこと、すなわち、思想についての沈黙自由保証されることである国家権力は、個人が内心において抱いている思想について、直接または間接に、訊ねることも許されないのである。したがって、たとえば、江戸時代キリスト教徒弾圧の際に行われた「踏絵」、あるいは、天皇制の支持・不支持について強制的に行われるアンケート調査など、個人の内心を推知しようとすることは、認められない。

芦部「憲法」(増田の手元の第4版(高橋補訂)143頁)

本条(引用者注憲法19条)が,外界の行動や表現に現れない内心の自由保障しているにとどまるのであれば,それは,本来,法の及びえない領域であって,サブリミナル(閾下)広告によって人々の行動を操作しようとするような例外的な状況を除くと,本条の保障する自由への侵害が直接に問題となる場面は,それほど多くはないとも考えられる。

 本条への違反独立問題となりうる場面としては,①思想信条告白強制する場合と,②特定思想信条を有することを理由不利益を課す場合とが考えられる。

長谷部「新憲法ライブラリ=2 憲法」(増田の手元の第4版192頁)

ちなみに、芦部142頁によれば思想良心の自由保障をあえて明文で規定するのは比較法的に珍しいようです。長谷部194頁によれば歴史的には宗教改革により対立する宗派共存必要から信教の自由近代立憲主義保障する権利の中核的地位を占めたのだそうですが、わが国では、明治憲法下において、治安維持法運用に見られるように、特定思想反国家的なものとして弾圧するという、内心の自由のもの侵害される事例が少なくなかった(芦部143頁)ことから思想良心の自由特に明文で保障する必要意識されたのでしょう。

2022-08-21

https://anond.hatelabo.jp/20220821104130

大正昭和初期って関東大震災から治安維持法張作霖爆殺事件柳条湖事件満洲事変勃発)、国際連盟脱退…と

単純に戦場に行く若い男が増えて夫婦が一緒にいれないので子作りの機会も減ったのでは?

https://www.ndl.go.jp/modern/utility/chronology.html

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