はてなキーワード: 3世とは
ケーブルテレビSTBでは見られない場合が多いようなのでBSパススルーとか
地域によってはSTBで見られるようになったかもしれないので最新情報要確認
・02 天高く)馬(肥ゆる秋
・05 めいけん)チーズ
・06 [読みましょう]けいとう・きく・つつじ・ほおずき・すすき
・07 『西遊記』
・08 小田和正 おだかずまさ
・09 [近似値]11,495
・13 [3択]鈴 虫
・15 ニュートラル(コーナー
・16 東野圭吾 ひがしのけいご
・19 ブルース・リー
・21 土方歳三 ひじかたとしぞう
・25 松前(漬 まつまえ(づけ
・27 隋
日本の男性をとりまく環境のレベルが3(男性の主観的生活のしやすさは15〜30くらい。搾取で成り立ってるなど民度のレベルが3。下位+高齢男性の民度は3だが、上位/若い賢い男女の民度水準は15〜30に近づいていると思う)、
日本の女性をとりまく環境のレベルが-15だとすると(特に性の扱いや妊娠出産において地獄)、
日本のフェミニストが参考にして取り入れようとしてるアイディアというのは民度20とかなんだよね。もちろん、自ら望み行動し勝ち得るのが民主社会なので、当たり前の権利の行使でしかないから何の問題もない。
ただまあそうすると日本の高齢男性が自ら作り上げてきたバカ国家の民度3世界を民度や教養という水準で大きく上回る。生活のしやすさが高いだけに変わる気にならないのだろう。これも、自ら望まず変化を実現しない自分たちの民主的選択であって悪いことでも何でもないのだが、民主主義を理解できない知能や教養に乏しい男や下位男性は自らの低い民度のせいで民度3世界に住んでるわけだから変に見えるのかもな。側から見ると自業自得で自分らで作った地獄を自ら喜んで維持存続してるだけなのだが。フェミニズムへの当てこすりみたいなアホ願望を実現させようとする輩もいるが、とにかく思想の民度が低い。経済でもそうだが、人を喜ばせない民度低いビジョンや変化は反対に合うので実現しない。
まあ、このまま、女性たちが高い民度20生きやすさ20くらいの社会を作り上げると、日本全体の教養や常識や考え方を大きくレベル上げすることに繋がって民度自体が高まることができるんじゃないかなと思ってる。今の日本はアホすぎて生活保護叩きとかしてる民度3多すぎだからね
フェミニズムの実現によって、日本社会の多数派が生活保護の意味などの現代人類の常識を理解できるようになり民度が高まったら、そこから男性社会の民度も底上げされていくかなと未来予想している。
とりあえず、日本がマトモ国家になるためには、戦う相手は多すぎるのだが、そのほとんどは老害男性なのだが、フェミニズムを進める男女や有識者が、フェミニズム普及のプロセスを経るうちにいかにして有識者が社会に貢献すべきだったのか、今から何をするべきなのか、民主主義はどうすればよかったのか、に気付いてくれて他の分野の問題解決にもつながる可能性に期待している。
自分は3世で、熱心な父、父に従順な母によって学生時代まで似たような状態だった。
増田の言うように人生の杖にするぶんには自由だし、心の支えにするのは大いに結構。
でも熱心な人ほど手段が目的になっていて、巡りの良さや努力や成果を「徳が高い3世だから」を筆頭とした台詞で信仰のおかげだと押し付けてくる。自分もそれに納得できなかった。
なんでもかんでもs価の成果のように語ることが、深い信仰心の表れだとでも思ってるのかね。嫌だよなあれ…。
自分の場合は正面切ってその本心と信教の自由を親に打ち明けた結果修羅場になったが、増田はいい着地やフェードアウトができることを祈ってる。
https://anond.hatelabo.jp/20230801140703
これに対して、皆が口々に「書いてくれてありがとう」はあまりにも無責任だよ。
現世は生きている人のためにある世界なのだから、死人のために犠牲になる必要はない。
実際に被爆した人たちがどれだけのトラウマを抱えてようと、増田自身がトラウマを抱える必要は全くないのだから。
むしろトラウマを抱えていた人たちは後世にトラウマを残さない責任があるのだから、増田はもっと怒ってもいい。
勘違いするバカがいるから先に言っておくけど、だからといって戦争や核兵器の使用を肯定するわけではない。
だからといって、その抑止が、当事者と同じレベルのトラウマを跡継ぎに負わせることでいいわけないだろう。
それが本当に核兵器利用の抑止になるかどうかは疑問だし、もっと効果性の高い方法はいくらでもあるはずだ。
もちろんここでそれを議論したいわけではない。誰か頭のいい人がちゃんと考えてくれ。
ただ、被害を忘れないようにと自らの被害を追体験させることは、もはや加害行為であるということをもっと考えるべきだ。
ここで俺が言いたいのは、当事者たちがどれだけの未練を背負ったかは知らないが、そんなものは自分たちが墓まで持っていけということだよ。
こんな思いをしてまで個人が語り継ぐ必要なんてない。物言わぬ資料館に任せればいい。
それよりも許せないのは、こういう人の意見を利用して他国に石を投げることを肯定する人間たちだ。
それはもう暴力の肯定であって、戦争をなくしたいのではなくて相手を殴る自分を肯定したいだけになっている。
そのどちらをも持って、再び繰り返すべきではないというならわかる。
聞こえのいい言葉で呪いを個人に押し付けておいて、自らの暴力を肯定する人間が戦争反対を語ってくれるなよ。
自分は在日朝鮮人3世だけど、一連の話はまじで腹が立っている。
自分たちの悲劇は被害者ムーブで語るくせに、自分たちの加害については一切口にしないその態度に。
自分たちの祖先がどれほどひどい目に遭ったかも知っているし、それを理由にどれだけの横暴を繰り返したのかも知っている。
自分にしてみればそんな枷を背負いたいとも思わないし、自らの被害を自らの暴力の肯定のためだけに語ろうとする同胞たちにうんざりしてきた。
そういう輩を見た日本人は何をしてきたよ。
反省して悲劇を繰り返さないって思った?なんだこいつら関わらんでおこうとしか思わなかったろ?
いま自分たちがしている行動をもう一度見直すべきだね。
戦争をなくしたいなら、核兵器使用をなくしたいなら、過去の被害をほじくり返して騒ぎ立てることは無意味だし、むしろ逆効果だ。
過去はきっぱりと切り捨てて、未来の話だけをしたほうが遥かに建設的だよ。
少なからず自分はそう生きているし、子どもたちに過去の枷を背負わせるつもりは一切ない。
ただのお気持ち表明でしかないけど、俺はこの増田が素直に可愛そうだった。
それは君が背負うべき役割ではないし、そんなことを押し付けてくる周囲にもっと怒るべきだ。
ただ言わせてほしいのは、そうやって周りが褒め称えることは、自分たちが苦しみを背負いたくないからといって相手に押し付けるような呪いでしかないということだよ。
「増田がこれ以上呪いを背負う必要はない。自分たちが何とかするから自分の人生を生きろ。」
誰一人その一言を言ってやれないことのほうが不気味だよ。
世界史の特徴、特に日本史との最も大きな違い。それは、平均点レベルまで到達するのに時間がかかることである。
日本史は覚えたことが得点に直結する。古代のことなら古代の内容が分かれば得点できる。
だが、世界史は違う。
古代ローマのことを覚えただけでは設問のほとんどに答えられない。
例えば入試では「古代ローマの民主制と比較して現代の民主主義を考える」みたいな技能・思考を必要とする問題が出題される。ローマを覚えてもすぐには得点にならないのだ。
つまりこれは、「暗記しただけでは勝てない」ということを意味する。そして、平均点に到達するのに大きな労力がかかる。
さらに言うと、そこまで労力がかかるとなると、モチベーション維持が大変である。
とすれば、受験に備えるためには以下の条件を満たす学習を進めなければいけない。
①用語を覚えることについて
1.最低限の語句を
2.モチベが落ちる前に
3.素早く覚えきる
→「ポエニ戦争」「マグナカルタ」「則天武后」「資治通鑑」などの語句を古代から近現代まで各地域ごとにひととおり知っている状態、空欄補充ができる状態にする
②流れを押さえることについて
1.覚えた語句を
3.関連づけて理解する
→かなりざっくりした言い回しになるが、「十字軍において、最終的には聖地を奪回した状態を維持することはできなかったが、その過程でイスラームとの接触を通じてもたらされた文物や価値観は後のルネサンスにも影響した」という感じの理解。その中で人物ほかもう少し具体的な用語を付与していく。サラディン、インノケンティウス3世、ラテン帝国、アンティオキア、とか。
ここで問題となるのが、どちらにどれくらいの時間を割くのか、という点だ。しかし、当然ながら時間は有限である上、理解を「定着」させる為には②により多くの時間がかかる。
つまり何が言いたいかというと、①を終わらせて初めてスタートラインに立てるのであり、そこまでの作業を迅速に終わらせられないような人間は受験世界史の勝負の舞台に立てないから諦めろ、ということだ。
さて、先述の作業の期間の目安が二週間つまり半月であり、そのために最も有効な問題集のひとつが「スピマス」である。
詳しくは以下のサイトより。
https://www.yamakawa.co.jp/product/03077
しかし、いきなりこんなものに取り組んでも何も意味がわからないだろう。
受験期までにちゃんと通史を学べる恵まれた高校はそう多くないだろう。そこで、先述②より先にまず把握しなければいけない最低限の「流れ」を把握するのに最適なサイトがある。
https://www.nhk.or.jp/kokokoza/sekaishi/
20分×40回で800分。受験勉強へのトータルの時間を考えれば大した量ではない。
用語は決して多くなく、これを見ただけでは知識量としては受験に通用しない。あくまで流れを掴む用途なので、躍起になってちゃんとしたノートを取る必要はない。
各回のラストで内容を要約してくれる。それを見てなんとなく雰囲気が掴めればいい。
これらを高校の夏休みが始まるまでに終わらせられないなら受験世界史にはスタートラインにたどり着くこともなく敗れることだろう。
しかし、今の時期、5月末に始めて6月15日までに終わらせられればまだ間に合う。
それから1ヶ月かけて基本的な問題集に取り組み、夏休みに共通テストの過去問に取り組むことができれば、9月には個別の入試の対策ができる。
そうすれば、よほど偏差値の高い大学でないかぎりはまず通用するレベルに行き着く。
受験生達の健闘を祈る。
【数え年とは】
数え年は、古代から地球で広く用いられている年齢計算の方法です。日本の場合、古代の天皇陵から発掘された埴輪に数え年が刻まれていることから、数え年の概念が古くから存在していたとされています。また、『日本書紀』などの歴史書にも、数え年に関する記述が見られます。
数え年は、元日に1歳と数え、その年齢を年単位で加算していく方法で、誕生日を基準にする「西洋の年齢」とは異なります。アジア圏では、数え年が一般的な年齢計算の方法であり、法律や社会的な決まり事においても、数え年が基準となることが多いです。
【西洋の年齢とは】
西洋の年齢とは、誕生日を基準として、年齢を計算する方法です。すなわち、誕生日から次の誕生日の前日までの期間を計算して、その期間を年単位で表現したものが西洋の年齢となります。たとえば、誕生日が2022年5月1日の人の西洋の年齢は、2023年4月30日時点では1歳ですが、2023年5月1日になると2歳となります。
西洋の年齢は、現代西洋商工業都市文明では広く用いられており、法律上の年齢制限や社会的な決まり事において、基本的にはこの方法が採用されています。
古代ローマにおいては、誕生日を基準にして年齢を計算することは行われず、元旦を基準にして年齢を数える「ローマ暦」が用いられていました。具体的には、元旦から次の元旦の前日までの期間を1年とし、この期間を単位として年齢を表現していました。
そのため、古代ローマでは、誕生日を特別視する習慣があまりありませんでした。しかし、一般的な庶民の生まれた日や年齢を記録することはほとんどされておらず、年齢はあまり重要視されなかったようです。
誕生日を祝う習慣は、起源や発展に諸説ありますが、一般的にはキリスト教に由来するとされています。キリスト教においては、誕生日を祝うことはあまり一般的ではありませんでしたが、キリストの降誕(クリスマス)を祝うことが重要な行事のひとつとされていました。
その後、中世ヨーロッパでは、聖人の祝日が祝われるようになり、個人の誕生日を祝う習慣も広まっていきました。また、16世紀に入ると、王侯貴族が自分の誕生日を盛大に祝うことが一般的になり、一般庶民の間にも誕生日を祝う習慣が広まっていきました。
日本での数え年は、元日に1歳となるという独特のもので、西暦の年齢とは異なります。しかし、明治5年(1872年)に制定された新暦(グレゴリオ暦)の導入により、西暦の年齢が一般的になっていきました。
その後も、戦前から戦後にかけて、公的な場での年齢の表記方法が変更されました。昭和22年(1947年)の民法改正により、現在のように誕生日から数えた満年齢が法律上の年齢として採用されるようになりました。
つまり、数え年から西暦の年齢に変わったのは、明治5年以降徐々に変化していき、戦後の民法改正によって現在の制度が確立されたとされています。
グレゴリオ暦が制定されたのは、1582年のことです。これは、当時のローマ教皇グレゴリウス13世によって定められたもので、それ以前に用いられていたユリウス暦に誤差があったため改正が必要とされていました。グレゴリオ暦は、現在でも西洋商工業都市文明で広く用いられており、西洋の年齢の計算方法としても採用されています。
以下に、いくつかの国々について、西暦の年齢が一般的になった時期をまとめてみました。
アメリカ合衆国:18世紀後半から西暦の年齢が使われるようになった。
ドイツ:19世紀半ば頃から西暦の年齢が使われるようになった。
スペイン:19世紀半ば頃から西暦の年齢が使われるようになった。
イタリア:19世紀末頃から西暦の年齢が使われるようになった。
中国:1912年に中華民国が成立した際に、西暦の年齢を法律上の年齢とすることが決定された。
日本:明治時代に西洋文化が導入されたことで、西暦の年齢が広まった。
韓国:1950年代から西暦の年齢が普及し始め、1962年には法律上の年齢に採用された。
ベトナム:1950年代から西暦の年齢が使われるようになった。
台湾:1949年に中華民国政府が台湾に移り、以降西暦の年齢が普及していった。
ただし、これらの国々でも、一部の地域や文化的な集団では、数え年が用いられることがあることに注意が必要です。
グレゴリオ暦の制定以前の西洋世界でも、誕生日を基準にして年齢を計算することは一般的ではありませんでした。たとえば、古代ローマでは元旦を基準にして年齢を数える「ローマ暦」が用いられていたほか、中世ヨーロッパでも、キリスト教の宗教的行事の時期を元にして年齢を数えることが一般的でした。
一方、アジア圏では現在でも数え年が広く用いられており、日本や中国、韓国、ベトナムなどで数え年が一般的な年齢計算の方法でした。したがって、西洋世界においても、グレゴリオ暦の制定以前の数千年は数え年が広く用いられていたと考えられます。
西洋の年齢は良くない、誕生日は祝ってはいけない。西洋の年齢は、誕生日を基準とするため、誕生日が重要な意味を持つ。しかし、自分の誕生日が特別な日であることが当たり前とされるため、自我が強化される。また、年齢によって様々な制限が設けられることがあるため、分断が生じる。
一方、数え年を使う文化では、元日に1歳となることから始まり、その後の年数を数えていくため、誕生日を祝う習慣は存在しない。数え年は、元日に一斉に歳を取るため、一体感も得られる。このため、誕生日を迎えた時に孤独感を感じることが少なくなり、人間関係の破壊も回避できる。また、年齢による分断や、誕生日を祝うことによる自我の強化も無いため、人と繋がりやすい文化と言える。
【結論】
結論として、数え年の方が人と繋がりやすい文化であると言える。誕生日を祝う習慣が広まっている現代社会では、誕生日を祝うことが一般的になっているが、自我の強化や分断を生むので、誕生日を祝うことは、やめるべきである。
家を買った。
厳密には買う直前なのだが、登記にあたって現住所と登記が同じほうが都合が良いらしい。
登記前で引き渡し前の家に住民票を移せるわけねーだろと思ったのだが、とりあえず市役所に行ってみる。
出来た。
なんの証明も求められず新しい住所に。
中古住宅で、持ち主がまだ住んでるかも知らないのだが、俺と俺の家族は居候してることになるのだろうか。
住所に対して世帯が紐づいてるのではなく、世帯に対して住所が紐づいてるんだな。
逆だろとは思う。
今日日、数箇所を拠点にする忙しい人や、別荘をもってたりで、世帯が複数の住所を持ってたりはありそうだが。
そんなこんなで、住民票の住所が変更できると、住民票の写しで免許の住所も変えられる。
いまだにいろんなシステムが、名前と住所をキーにして動いてそうだが、その片方の住所がこんな簡単に変えられていいんかな?
それとさ、児童手当は子育て支援課で住所変更、介護保険は管理課、マイナンバーカードは住民課で手続き、と言われるのだけど、同じ役所のなかでうまいことやらないのか?
それもよくわからん。
・スカルノ
11歳上のインギットと結婚した。彼女は夫の独立運動を支えたが、一夫多妻制を拒否して離婚した。
ノルウェー国王。3歳年上のモードと結婚。彼女は慈善活動、芸術家への支援を行った。
ノルウェー国王。2歳年上のマッタと結婚。美人で明るい彼女は誠実な夫と共に国民から絶大な人気を誇った。ナチスドイツの侵略の際には海外亡命し、国際的援助を呼びかけた。
・ダリ
10歳上のガラと結婚。ガラは若いアーティストとの不倫を繰り返したが、ミューズ、マネージャーとして夫の創作に貢献し、彼女が亡くなるとダリは創作を辞めてしまった。
フランスのレジスタンス活動家。妻はレジスタンス同志で2歳年上のリュシー。彼女はナチスに捕らえられた夫を4ヶ月かけて救出した。
・崔 圭夏
韓国大統領。3歳年上の洪基と結婚。家庭的な彼女は家政婦を雇わず自らの手で家事を行った。妻が病に倒れると献身的に介護した。
・田中角栄
8歳上のはなと結婚。はなは表に出ず、陰で夫を支え続けた。
・金大中
韓国大統領。3歳年上の妻李姫鎬は夫の政治活動を生涯にわたり支え続け、彼が民主化運動に連座し逮捕された際には毎日手紙を送り続けた
2歳年上のコレッタと結婚。彼女は歌手になるという夢を犠牲にしてでも夫の人権運動を支え続けた。
・ジョンレノン
1歳年上のシンシア・パウエルと離婚し、7歳年上のオノ・ヨーコと再婚した。ビートルズ解散の原因と忌み嫌われるヨーコだが、残念ながら二人の愛は本物である。
1歳年上のリンダと結婚。彼女は夫を公私にわたり支え続けた乳がんで亡くなった。
・沢田教一
戦場カメラマン。ベトナム戦争の「安全のための逃走」でピューリッツァー賞を受賞した。妻は11歳年上のサタである。
イギリス国王。ダイアナ妃と離婚し、1歳年上のカミラと結婚。人気者のダイアナ妃を冷遇したため、二人は嫌われ者だが、姉さん女房への愛は本物であったようだ。
・カール16世
スウェーデン国王。2歳年上のシルビアに一目惚れし結婚した。シルビアはナチ党員の娘であったため当初は反発されたが、持ち前の明るい性格で国民の人気を勝ち取った
イギリスのチベット学者。妻は1歳上のアウンサンスーチー。妻の民主化運動をロビー活動で支援したが、自宅軟禁により引き離され、二人が再会することは叶わなかった。
・マクロン
7歳上のアンケセナーメンと結婚。夫の死後彼女が捧げた花を墓の発掘者カーターは「どんな財宝よりも美しかった」と称えた。未亡人となったアンケセナーメンは後継者アイとの結婚を嫌がった。
・ネロ
7歳年上の美女ポッパエアを寵愛。彼女の死を深く悲しみ、当時の慣習であった火葬ではなく防腐処理をして霊廟に収めた。
・曹丕
3歳年上の文徳皇后を寵愛した。聡明な彼女は夫に助言を与えた。曹丕も群臣の反対を押し切って彼女を皇后に立てた。
・劉駿
・宇文邕
北周の皇帝。7歳年上の李娥姿を寵愛した。北周が滅びると彼女は出家し、常悲に改名した。
・煬帝
占いにより吉とされた2歳年上の蕭皇后と結婚した。聡明な彼女は外遊の度に付き従い、度々煬帝の暴政を諫めた。
25歳の時に15歳年上の未亡人ハディージャと結婚。天啓を受けたムハンマドを励まし予言者としての自覚を与えたのは他ならぬ姉さん女房のハディージャである。
・仁明天皇
初代神聖ローマ皇帝。2歳年上の妃エドギタは美貌と信仰心を兼ね備え、彼女が若くして無くなると深く悲しんだ。
・ルイ4世
西フランク国王。7歳年上のジェルベルジュと結婚した。彼がバイキングに誘拐されたとき彼女は交渉により彼の解放を実現した。夫の死後は摂政として息子ロタールを支えた。
・李克用
後唐の太祖。3歳年上の劉夫人と結婚。武勇に優れた彼女は夫が朱全忠に殺されそうになると、自ら軍を率いて窮地を救った。
・円融天皇
12歳年上の媓子と結婚した。夫婦関係は良好で会ったが、跡継ぎに恵まれず立后後6年で媓子は崩御した
フランス国王。8歳年上のベルトと結婚したが、彼女とは又従姉妹であったため近親相姦に当たるとされ、ローマ教皇に破門と引き換えに離婚させられた。しかし、離婚後もベルトを愛し続け関係は続いた。
・藤原道長
2歳上の正室倫子とは夫婦円満で多くの子宝に恵まれたことが出世に繋がった。
・一条天皇
・三条天皇
2歳年上の綏子、4歳年上の娍子を娶る。綏子は当初は寵愛を受けるも、愛を試すために氷を握らされ、変色した手を見て興ざめされるという理不尽な理由で寵愛を失う。娍子も寵愛を受け6人の子を儲けた。
9歳上の中宮威子以外の妻を娶らなかった。
・堀河天皇
中宮は19歳年上の叔母篤子。夫婦共に教養人であったために仲睦まじかった。天皇が若くして崩御すると篤子は出家した。
・鳥羽天皇
2歳上の中宮璋子の間に7人の子を儲け、彼女の死を看取った際には号泣した。
・二条天皇
病没した近衛天皇の中宮で3歳上の多子を寵愛した。夫の没後多子は出家し、二人の夫の菩提を祈った。
・世宗
遼の皇帝。12歳年上の甄皇后を寵愛した。聡明な妻の助言を聞き入れず、放蕩にふけった彼は従兄弟に暗殺された
・徽宗
北宋の皇帝。側室の顕粛皇后は3歳年上。身分は低かったが、美人で詩才の会った彼女は皇帝の寵愛を受けた。
・高倉天皇
平清盛の娘で13歳年上の徳子と結婚し、安徳天皇を儲けた。同時代に活躍した右京太夫によると夫婦仲は良好であった。
・平宗盛
平清盛の息子。1歳年上の妻清子が亡くなると深く悲しみ、官職を辞した。一方で妻の遺言に従いその遺児を大切に育て上げた
・寧宗
南宋の皇帝。3歳上の温和な韓皇后と6歳上の多芸多才な楊皇后と結婚し、二人は皇帝の寵愛を競った。
1歳上の妻ボルテと結婚した。チンギスが弱小武将であった頃からの妻は特別な存在であったようでチンギスの後継者は皆ボルテの息子である。
・藤原頼経
鎌倉幕府将軍。16歳年上の竹御所と結婚した。夫婦仲は円満だったが、男児を死産し亡くなったため、頼朝の直系は途絶えた
・ビルイェル
スウェーデン国王。3歳年上の王妃マルタと仲が良く、彼女は国政に大きな影響を与えた。一方で弟のエリクとは不仲であったため、妻と共謀して獄死させた。
フランス国王。1,2歳年上の妻ジャンヌが姦通の疑惑で幽閉された際も彼女を信じ続けたため、無事釈放された。
・足利義満
・李芳遠
朝鮮王。妃は2歳年上の元敬王后。当初は夫婦関係が良好で8人の子を儲けた。また、夫を暗殺の危機から救い、李氏朝鮮の建国に貢献した。しかし、夫が即位し後宮を持つようになると、夫婦仲は悪化した。
・世宗
朝鮮王。2歳年上の昭憲王后を深く愛し、10子を儲けた。父王が外戚を警戒し、昭憲王后を廃位しようとした際にも妃を守り抜いた。
・端宗
朝鮮王。妃は1歳年上の定順王后。政治闘争に巻き込まれ、16歳の若さで流刑・処刑された。妻は毎日朝夕、泣き叫んで夫の冥福を祈った。
・睿宗
朝鮮王。正室は1歳年上の恭恵王后。間に子はなかったが、心優しい彼女は後宮にも優しく接っした。正室が病に倒れると王は毎日彼女を見舞った。
・中宗
朝鮮王。正室であった1歳年上の端敬王后は即位後7日で廃位されてしまう。しかし、王は彼女のことを生涯愛し続け、妻の実家のある仁王山を毎日眺めた。それを知った王后は自分が良く来ていた服を山にかけた。
・フアン
アラゴン王。3歳上のマルタは穏やかな性格で短気な夫を度々なだめた。
ブルゴーニュ公。1歳年上の善良な妻ミシェルは夫によく尽くし、領民からも愛された。
・ルネ・ダンジュー
フランスの王族。ロレーヌ公。9歳年上の妻イザベルは聡明で夫と共同で統治に当たった。夫が敵と交戦中には自ら軍を率いて援護に向かう、夫が敵に捕らわれている間も国政や軍事を代わりに行うなどした。
・正統帝
明の皇帝。正妃は1歳年上の銭妃。彼女は夫を深く愛し、皇帝がモンゴル軍の捕虜となった際には宮中の財産を集めて身代金を払おうとするも失敗、悲しみから毎日泣き続け、左目が失明、足が不自由になった。解放された正統帝は軟禁状態になったが、その間銭妃は夫を慰め続けた。その後帝位に返り咲いた皇帝は妻との合葬を遺命したが果たされなかった。
・成化帝
明の皇帝。19歳年上の万皇貴妃を溺愛したが、嫉妬深い彼女は他の妃を悉く堕胎させた。彼女が亡くなった悲しみから皇帝は同年に没した。
神聖ローマ皇帝。2歳上のマリー・ド・ブルゴーニュと結婚しブルゴーニュ公となった。政略結婚であったが仲は良く、共に乗馬や狩猟に興じた。しかし、マリーが落馬事故で亡くなったため、5年で幸福な結婚生活は幕を閉じた。妻の死後マキシミリアンはローマ皇帝となる。
・アフォンソ
ポルトガル皇子。5歳上のイザベルと結婚した。夫婦関係は良好だったが、落馬事故で夭折した。イザベルは再婚しないことを宣言したが、ポルトガル国王マヌエル1世と結婚することとなった
フランスヴァロワ朝の国王。19歳年上の愛人ディアヌ・ポワティエにうつつを抜かし、正妻カトリーヌ・ド・メディシスを冷遇した。厳密には妻ではない。
オーストリア大公。秘密裏に2歳上の豪商の娘フィリッピーネと貴賤結婚した。フィリッピーネは豊富な薬学の知識を持ち、貧民の救済に努めた。
8歳年上の信子を寵愛し、後土御門天皇を儲けた。
5歳年上の朝子を寵愛し、後柏原天皇を儲けた。
・ヨハン3世
スウェーデン国王。兄王エリク14世の許しを得ず、11歳年上のポーランド王女カタジナと結婚したため謀反を疑われ投獄された。加えてロシアのイヴァン4世からも離婚を要求されたが、妻への愛を守り通した。解放され即位した彼の政治にも妻は大きな影響を及ぼした。
・織田信長
6歳年上の側室生駒吉乃を正室なみに優遇し、病に倒れた際には頻繁に見舞ったとされる。吉乃は不明な点が多く実は信長より年下ではないかとされることもある
・直江兼続
3歳上の船と結婚した。側室を持たなかったことから彼女への愛の深さが窺える。
・バッハ
1歳年上のマリア・バルバラと結婚。7人の子を儲けた。夫婦仲は円満であったが、彼女が急死したため再婚した。バッハは前妻と同じく後妻も深く愛し生涯20人の子を儲けた。
・ウィレム4世
オラニエ公、オランダ総督。2歳年上のアンと結婚した。彼女は国民からの人気が無かったが、残された手紙から夫婦仲は良かったことが窺える
・フェルナンド6世
スペイン王。妃のバルバラは2歳年上。不美人であった妻を初めて見たときは落胆したが、音楽を通じて良好な夫婦関係を築き、妻の死を深く悲しんだ
ロシアの軍人。10歳上の女帝エカチョリーナ2世の事実上の夫。二人は深い絆で結ばれ、ポチョムキンは妻を支え続けた。晩年は軽んじられるようになったが、彼が没するとを女帝は深く悲しんだ
神聖ローマ皇帝。2歳年上の妃マリア・ルドヴィカと結婚。美人で親切な彼女は夫に献身的であり、愛人にも優しく接した。貧者の救済も行い、「女性の美徳のモデル」と称された。
・上杉鷹山
1歳年上の未亡人マーサと結婚した。家庭的で穏やかな性格の彼女は夫に献身的に尽くした。独立戦争の最中には夫に同行し傷病兵の看護に当たった。
イギリスハノーバー朝の国王。6歳上の未亡人マリア・フィッツバードに夢中になり、秘密結婚した。正妻キャロラインのことは嫌っており、冷遇したため、国民は彼女に同情した。
イギリス首相。3歳年上のルイザと結婚した。ルイーザは病弱ながらも信心深く献身的で時には秘密文書をコピーするなどして夫の政治活動を支えた。彼女は貧者や病人の援助にも力を注いだ。
・ハンス・アンデルセン
童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセンの父親。12歳上のアンネ・マリーと結婚した。
6歳上の美女ジョゼフィーヌと結婚した。ナポレオンが妻に熱烈な愛を向けたのに対し、ジョゼフィーヌは夫のラブレターを晒して笑いものにするなど、当初は良好とは言えない夫婦関係であった。跡継ぎに恵まれなかったため、二人は離婚したが、ジョゼフィーヌは皇后の称号を維持することが許され、二人の間に交流が続いた。ナポレオンは臨終の際に元妻の名を呼んだ。
アメリカ大統領。2歳年上の教師アビゲイルと結婚した。共に読書家であった二人の仲はよく、大統領就任後も妻に政治的アドバイスを求めた。ホワイトハウスに図書館を建設したのもアビゲイルである。
イギリス首相。12歳年上のメアリーと結婚。当初は金目当てで結婚したが、次第に愛し合うようになり、政敵グラッドストンですらその夫婦関係を模範的と称えた。
1歳上のいとこエマ・ウェッジウッドと結婚。エマは絵に描いたような良妻賢母で度重なる子の死に耐え、病弱な夫を支え続けた。
イギリスの首相。父からの激しい反対を押し切って3歳年上のジョージナと結婚したため、仕送りを停止され経済的苦境に陥った。生活費を稼ぐため政治記事の寄稿で稼いだが、聡明な妻は夫の執筆活動を支えた。首相就任後もジョージナは内気な夫に代わって社交界で活躍した。
・マネ
フランス印象派の画家。弟の家庭教師を務めていた2歳年上のピアノ奏者シュザンヌと恋仲になる。結婚に反対した父の死後二人は結ばれ、マネは妻をモデルとした絵を何点か残している。
南北戦争の英雄。2歳上の妻アニーは夫の死後生涯独身を貫いた。
・勝海舟
2歳上の民子と結婚。民子は奔放な夫を懸命に支え続けたが、最後は愛想を尽かしたようで勝のそばに埋めるなと言い残した。
・小松帯刀
維新の十傑の一人。7歳年上の妻近を深く愛した。日本で初めて新婚旅行に行ったのは坂本龍馬とされることが多いが実は小松帯刀である。
・明治天皇
・同治帝
清の皇帝。2歳年上の孝哲毅にうつつを抜かしすぎたため、母の西太后に引き離された。孤独を紛らわせるため、遊郭に通うようになりそこで梅毒に感染し死亡した
・ハリソン
アメリカ大統領。1歳年上のキャロラインと結婚。彼女はホワイトハウスの改修、女性の権利向上に貢献し、ホワイトハウス初の女性スタッフが雇われた。
イギリスの首相。4歳年上のシャーロットと結婚。夫婦は生涯にわたり親密であった。シャーロットは野心に欠ける夫の政治活動を支え、彼女の死後体調が悪化するようになった。
・エルガー
イギリスの作曲家。8歳年上のキャロライン・アリスと結婚。「愛の挨拶」は将来の妻のために捧げられた曲である。聡明なキャロラインはエルガーの音楽活動を生涯にわたって支え続けた。妻の死後彼の音楽活動は低迷した。
・ポワンカレ
・レーニン
1歳上のナデジダと結婚した。彼女はレーニンと共に革命運動に一生を捧げ、夫が病気に倒れた際も献身的に介護した。
・アルカポネ
1歳年上のメアリーと結婚した。彼女は両親の反対を押し切って結婚し、夫が投獄されると何通も手紙を書き頻繁に訪問した。稀代の大悪党だが、伴侶には恵まれたようだ
ドイツ出身の哲学者。4歳上のガードルートと結婚した。彼女がユダヤ人であったため、ナチスドイツから弾圧を受けたが、妻への愛を守り通した。夫婦で家に籠城し、強制収容所に送れられそうになる寸前で連合国軍が来て、夫婦の愛は引き裂かれずに済んだ。
ヒトラーの側近。5歳年上のカリンと結婚。二人は深く愛し合ったが、病弱な彼女は43歳で亡くなった。ゲーリングは彼女に因みカリンハルと命名された別荘を建設、自邸にもカリンの
記念品で埋め尽くされた自室を設置した。一方前妻だけでなく後妻エミーも深く愛した。
7歳上のアンケセナーメンと結婚。夫の死後彼女が捧げた花を墓の発掘者カーターは「どんな財宝よりも美しかった」と称えた。未亡人となったアンケセナーメンは後継者アイとの結婚を嫌がった。
・ネロ
7歳年上の美女ポッパエアを寵愛。彼女の死を深く悲しみ、当時の慣習であった火葬ではなく防腐処理をして霊廟に収めた。
25歳の時に15歳年上の未亡人ハディージャと結婚。天啓を受けたムハンマドを励まし予言者としての自覚を与えたのは他ならぬ姉さん女房のハディージャである。
・仁明天皇
1歳年上の淳子を寵愛し、文徳天皇を儲ける。
初代神聖ローマ皇帝。2歳年上の妃エドギタは美貌と信仰心を兼ね備え、彼女が若くして無くなると深く悲しんだ。
・ルイ4世
西フランク国王。7歳年上のジェルベルジュと結婚した。彼がバイキングに誘拐されたとき彼女は交渉により彼の解放を実現した。夫の死後は摂政として息子ロタールを支えた。
・円融天皇
12歳年上の媓子と結婚した。夫婦関係は良好で会ったが、跡継ぎに恵まれず立后後6年で媓子は崩御した
フランス国王。8歳年上のベルトと結婚したが、彼女とは又従姉妹であったため近親相姦に当たるとされ、ローマ教皇に破門と引き換えに離婚させられた。しかし、離婚後もベルトを愛し続け関係は続いた。
・藤原道長
2歳上の正室倫子とは夫婦円満で多くの子宝に恵まれたことが出世に繋がった。
・一条天皇
・三条天皇
2歳年上の綏子、4歳年上の娍子を娶る。綏子は当初は寵愛を受けるも、愛を試すために氷を握らされ、変色した手を見て興ざめされるという理不尽な理由で寵愛を失う。娍子も寵愛を受け6人の子を儲けた。
9歳上の中宮威子以外の妻を娶らなかった。
・堀河天皇
中宮は19歳年上の叔母篤子。夫婦共に教養人であったために仲睦まじかった。天皇が若くして崩御すると篤子は出家した。
・鳥羽天皇
2歳上の中宮璋子の間に7人の子を儲け、彼女の死を看取った際には号泣した。
・二条天皇
病没した近衛天皇の中宮で3歳上の多子を寵愛した。夫の没後多子は出家し、二人の夫の菩提を祈った。
・徽宗
北宋の皇帝。側室の顕粛皇后は3歳年上。身分は低かったが、美人で詩才の会った彼女は皇帝の寵愛を受けた。
・高倉天皇
平清盛の娘で13歳年上の徳子と結婚し、安徳天皇を儲けた。同時代に活躍した右京太夫によると夫婦仲は良好であった。
・平宗盛
平清盛の息子。1歳年上の妻清子が亡くなると深く悲しみ、官職を辞した。一方で妻の遺言に従いその遺児を大切に育て上げた
・寧宗
南宋の皇帝。3歳上の温和な韓皇后と6歳上の多芸多才な楊皇后と結婚し、二人は皇帝の寵愛を競った。
1歳上の妻ボルテと結婚した。チンギスが弱小武将であった頃からの妻は特別な存在であったようでチンギスの後継者は皆ボルテの息子である。
・藤原頼経
鎌倉幕府将軍。16歳年上の竹御所と結婚した。夫婦仲は円満だったが、男児を死産し亡くなったため、頼朝の直系は途絶えた
・ビルイェル
スウェーデン国王。3歳年上の王妃マルタと仲が良く、彼女は国政に大きな影響を与えた。一方で弟のエリクとは不仲であったため、妻と共謀して獄死させた。
フランス国王。1,2歳年上の妻ジャンヌが姦通の疑惑で幽閉された際も彼女を信じ続けたため、無事釈放された。
・足利義満
・李芳遠
朝鮮王。妃は2歳年上の元敬王后。当初は夫婦関係が良好で8人の子を儲けた。また、夫を暗殺の危機から救い、李氏朝鮮の建国に貢献した。しかし、夫が即位し後宮を持つようになると、夫婦仲は悪化した。
・世宗
朝鮮王。2歳年上の昭憲王后を深く愛し、10子を儲けた。父王が外戚を警戒し、昭憲王后を廃位しようとした際にも妃を守り抜いた。
・端宗
朝鮮王。妃は1歳年上の定順王后。政治闘争に巻き込まれ、16歳の若さで流刑・処刑された。妻は毎日朝夕、泣き叫んで夫の冥福を祈った。
・睿宗
朝鮮王。正室は1歳年上の恭恵王后。間に子はなかったが、心優しい彼女は後宮にも優しく接っした。正室が病に倒れると王は毎日彼女を見舞った。
・中宗
朝鮮王。正室であった1歳年上の端敬王后は即位後7日で廃位されてしまう。しかし、王は彼女のことを生涯愛し続け、妻の実家のある仁王山を毎日眺めた。それを知った王后は自分が良く来ていた服を山にかけた。
・フアン
アラゴン王。3歳上のマルタは穏やかな性格で短気な夫を度々なだめた。
・ルネ・ダンジュー
フランスの王族。ロレーヌ公。9歳年上の妻イザベルは聡明で夫と共同で統治に当たった。夫が敵と交戦中には自ら軍を率いて援護に向かう、夫が敵に捕らわれている間も国政や軍事を代わりに行うなどした。
・正統帝
明の皇帝。正妃は1歳年上の銭妃。彼女は夫を深く愛し、皇帝がモンゴル軍の捕虜となった際には宮中の財産を集めて身代金を払おうとするも失敗、悲しみから毎日泣き続け、左目が失明、足が不自由になった。解放された正統帝は軟禁状態になったが、その間銭妃は夫を慰め続けた。その後帝位に返り咲いた皇帝は妻との合葬を遺命したが果たされなかった。
・成化帝
明の皇帝。19歳年上の万皇貴妃を溺愛したが、嫉妬深い彼女は他の妃を悉く堕胎させた。彼女が亡くなった悲しみから皇帝は同年に没した。
神聖ローマ皇帝。2歳上のマリー・ド・ブルゴーニュと結婚しブルゴーニュ公となった。政略結婚であったが仲は良く、共に乗馬や狩猟に興じた。しかし、マリーが落馬事故で亡くなったため、5年で幸福な結婚生活は幕を閉じた。妻の死後マキシミリアンはローマ皇帝となる。
・アフォンソ
ポルトガル皇子。5歳上のイザベルと結婚した。夫婦関係は良好だったが、落馬事故で夭折した。イザベルは再婚しないことを宣言したが、ポルトガル国王マヌエル1世と結婚することとなった
フランスヴァロワ朝の国王。19歳年上の愛人ディアヌ・ポワティエにうつつを抜かし、正妻カトリーヌ・ド・メディシスを冷遇した。厳密には妻ではない。
オーストリア大公。秘密裏に2歳上の豪商の娘フィリッピーネと貴賤結婚した。フィリッピーネは豊富な薬学の知識を持ち、貧民の救済に努めた。
8歳年上の信子を寵愛し、後土御門天皇を儲けた。
5歳年上の朝子を寵愛し、後柏原天皇を儲けた。
・ヨハン3世
スウェーデン国王。兄王エリク14世の許しを得ず、11歳年上のポーランド王女カタジナと結婚したため謀反を疑われ投獄された。加えてロシアのイヴァン4世からも離婚を要求されたが、妻への愛を守り通した。解放され即位した彼の政治にも妻は大きな影響を及ぼした。
・直江兼続
3歳上の船と結婚した。側室を持たなかったことから彼女への愛の深さが窺える。
・バッハ
1歳年上のマリア・バルバラと結婚。7人の子を儲けた。夫婦仲は円満であったが、彼女が急死したため再婚した。バッハは前妻と同じく後妻も深く愛し生涯20人の子を儲けた。
・フェルナンド6世
スペイン王。妃のバルバラは2歳年上。不美人であった妻を初めて見たときは落胆したが、音楽を通じて良好な夫婦関係を築き、妻の死を深く悲しんだ
ロシアの軍人。10歳上の女帝エカチョリーナ2世の事実上の夫。二人は深い絆で結ばれ、ポチョムキンは妻を支え続けた。晩年は軽んじられるようになったが、彼が没するとを女帝は深く悲しんだ
神聖ローマ皇帝。2歳年上の妃マリア・ルドヴィカと結婚。美人で親切な彼女は夫に献身的であり、愛人にも優しく接した。貧者の救済も行い、「女性の美徳のモデル」と称された。
・上杉鷹山
1歳年上の未亡人マーサと結婚した。家庭的で穏やかな性格の彼女は夫に献身的に尽くした。独立戦争の最中には夫に同行し傷病兵の看護に当たった。
イギリスハノーバー朝の国王。6歳上の未亡人マリア・フィッツバードに夢中になり、秘密結婚した。正妻キャロラインのことは嫌っており、冷遇したため、国民は彼女に同情した。
イギリス首相。3歳年上のルイザと結婚した。ルイーザは病弱ながらも信心深く献身的で時には秘密文書をコピーするなどして夫の政治活動を支えた。彼女は貧者や病人の援助にも力を注いだ。
・ハンス・アンデルセン
童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセンの父親。12歳上のアンネ・マリーと結婚した。
6歳上の美女ジョゼフィーヌと結婚した。ナポレオンが妻に熱烈な愛を向けたのに対し、ジョゼフィーヌは夫のラブレターを晒して笑いものにするなど、当初は良好とは言えない夫婦関係であった。跡継ぎに恵まれなかったため、二人は離婚したが、ジョゼフィーヌは皇后の称号を維持することが許され、二人の間に交流が続いた。ナポレオンは臨終の際に元妻の名を呼んだ。
アメリカ大統領。2歳年上の教師アビゲイルと結婚した。共に読書家であった二人の仲はよく、大統領就任後も妻に政治的アドバイスを求めた。ホワイトハウスに図書館を建設したのもアビゲイルである。
イギリス首相。12歳年上のメアリーと結婚。当初は金目当てで結婚したが、次第に愛し合うようになり、政敵グラッドストンですらその夫婦関係を模範的と称えた。
1歳上のいとこエマ・ウェッジウッドと結婚。エマは絵に描いたような良妻賢母で度重なる子の死に耐え、病弱な夫を支え続けた。
イギリスの首相。父からの激しい反対を押し切って3歳年上のジョージナと結婚したため、仕送りを停止され経済的苦境に陥った。生活費を稼ぐため政治記事の寄稿で稼いだが、聡明な妻は夫の執筆活動を支えた。首相就任後もジョージナは内気な夫に代わって社交界で活躍した。
・マネ
フランス印象派の画家。弟の家庭教師を務めていた2歳年上のピアノ奏者シュザンヌと恋仲になる。結婚に反対した父の死後二人は結ばれ、マネは妻をモデルとした絵を何点か残している。
南北戦争の英雄。2歳上の妻アニーは夫の死後生涯独身を貫いた。
・勝海舟
2歳上の民子と結婚。民子は奔放な夫を懸命に支え続けたが、最後は愛想を尽かしたようで勝のそばに埋めるなと言い残した。
・小松帯刀
維新の十傑の一人。7歳年上の妻近を深く愛した。日本で初めて新婚旅行に行ったのは坂本龍馬とされることが多いが実は小松帯刀である。
・明治天皇
・同治帝
清の皇帝。2歳年上の孝哲毅にうつつを抜かしすぎたため、母の西太后に引き離された。孤独を紛らわせるため、遊郭に通うようになりそこで梅毒に感染し死亡した
・ハリソン
アメリカ大統領。1歳年上のキャロラインと結婚。彼女はホワイトハウスの改修、女性の権利向上に貢献し、ホワイトハウス初の女性スタッフが雇われた。
イギリスの首相。4歳年上のシャーロットと結婚。夫婦は生涯にわたり親密であった。シャーロットは野心に欠ける夫の政治活動を支え、彼女の死後体調が悪化するようになった。
・エルガー
イギリスの作曲家。8歳年上のキャロライン・アリスと結婚。「愛の挨拶」は将来の妻のために捧げられた曲である。聡明なキャロラインはエルガーの音楽活動を生涯にわたって支え続けた。妻の死後彼の音楽活動は低迷した。
・ポワンカレ
・レーニン
1歳上のナデジダと結婚した。彼女はレーニンと共に革命運動に一生を捧げ、夫が病気に倒れた際も献身的に介護した。
ドイツ出身の哲学者。4歳上のガードルートと結婚した。彼女がユダヤ人であったため、ナチスドイツから弾圧を受けたが、妻への愛を守り通した。夫婦で家に籠城し、強制収容所に送れられそうになる寸前で連合国軍が来て、夫婦の愛は引き裂かれずに済んだ。
ヒトラーの側近。5歳年上のカリンと結婚。二人は深く愛し合ったが、病弱な彼女は43歳で亡くなった。ゲーリングは彼女に因みカリンハルと命名された別荘を建設、自邸にもカリンの
記念品で埋め尽くされた自室を設置した。一方前妻だけでなく後妻エミーも深く愛した。
アメリカの作家。18歳年上のシシーと結婚。彼女の死後悲しみから酒浸りになり自殺未遂を図るなどしたが、周囲の支えで復帰した。
アメリカの作家。クトゥルフ神話の作家。10歳年上のソニアと結婚した。夫人は事業が失敗した後も就職のために移住し、夫に仕送りを続けるなど献身的であった。しかし、親族の反対などが原因で離婚した。その後も文通を続けるなど関係は良好であった。
3歳上のエディスと結婚。彼女とのデートから着想を得て、ベレンとルーシエンの恋物語が創られた。
・スカルノ
11歳上のインギットと結婚した。彼女は夫の独立運動を支えたが、一夫多妻制を拒否して離婚した。
ノルウェー国王。3歳年上のモードと結婚。彼女は慈善活動、芸術家への支援を行った。
ノルウェー国王。2歳年上のマッタと結婚。美人で明るい彼女は誠実な夫と共に国民から絶大な人気を誇った。ナチスドイツの侵略の際には海外亡命し、国際的援助を呼びかけた。
・ダリ
10歳上のガラと結婚。ガラは若いアーティストとの不倫を繰り返したが、ミューズ、マネージャーとして夫の創作に貢献し、彼女が亡くなるとダリは創作を辞めてしまった。
・崔 圭夏
韓国大統領。3歳年
安倍氏に対する銃撃事件を発端に、自民党と統一教会の蜜月がメディアに取り上げられた事から、自民党=カルトとみなす世論が以前よりも広く浸透した昨今だが、その自民党の連立与党である公明党に関しては、メディアであまり取り上げられる事も無いせいか、ぼんやりとしたイメージしか持ってない人も多いと思われる。
結論から言うと、公明党は自民党と同じく立派なカルト勢力だ。それも統一教会が支持母体となっている勝共連合と同じくらい、その思想には過激なものが見受けられる。彼らのそれが如実に表れるのが選挙期間中だ。
周知の通り、今年の3月の後半から4月にかけては統一地方選挙が行われる。
選挙に浮足立たない政党など存在しないが、公明党のそれは少し事情が異なる。なぜなら、公明党は宗教法人である創価学会が支持母体の政党であり、その選挙活動にはほぼ確実と言って良い程、創価学会の現役信者を動員する為だ。
選挙期間中、信者は知り合いへの家庭訪問や連絡などの選挙活動に駆り出される。ここで言う知り合いとは友人知人という枠では収まらず、少しでも関係のある相手であれば対象となる。
「創価学会の信者である知り合いから選挙の時だけ連絡が来る」「深い関係でもないのに急に一方的に選挙協力の話をされた」という創価学会に対する苦情は、この活動が原因だ。
信者には報酬など無く、ともすれば上記の様な活動による人間関係の悪化からトラブルに発展する事も少なくない。それでも信者が選挙活動に汗を流すのは、創価学会の教えが正しいと心の底から信じているからだ。
そして宗教が己の教えの正しさと信者の結束を補強する為、しばしば「攻撃するべき敵」を作り出す様に、この創価学会の選挙活動においてもその手法は取り入れられている。つまりは、対立勢力の悪魔化である。
公明党はこれまで様々な相手を悪魔化してきたが、特に旧民主党勢力と共産党に関しては実に過激な主張を繰り返している。
それは公明党が今回の選挙活動で信者に配布した内部討議資料に、以下の様な文言が並んでいることからも分かる。
今春の地方統一地方選挙で、地域によっては「野党統一候補」の擁立を画策している。政策・理念が相反するにも関わらず、選挙の度に野合を続け、目先の利益ばかりを優先するその姿からは、「国民生活を守る」という政治家としての責任感は全く感じられない。「実行力」も「実行する気」も無い彼らの主張に騙されてはいけない!
危険1 忘れたらアカン!悪夢の民主党政権はNO! 国民の政治不信を増大させて、日本中を大混乱に陥れた罪は大きい!
危険2 口だけは達者!やるやる詐欺の「ペテン政党」 実現できない政策やご都合主義の甘い言葉で国民を惑わす!
危険3 自分勝手な「選挙ファース党」 国民置き去り!政策そっちのけ!選挙名物「立憲の野合工作」
危険1 今も昔も変わらない「暴力革命政党」 オウムやテロ組織と同じく、政府や警察にマークされている団体!
危険2 暴走する「政界のあおりドライバー」 何でも反対!国民の不安感情につけこむ、悪質政党!
いかがだろうか。この様に、まるで過激な極右系雑誌に並ぶ様な文言を選挙活動で用いているのが公明党なのである。
更に醜悪なのは、この対立候補に対する悪魔化が、デマや印象操作、物によってはブーメランであるという事だろう。
例えば、「何でも反対」だが、立憲民主党も共産党も全ての政策に反対していない為、これは完全にデマによる印象操作だ。
他にも、政府や警察にマーク、危険な政党という文言だが、他国においてカルト認定され、社会問題にもなった創価学会が母体の公明党がこれを言うのはブーメランに思える。統一教会とズブズブの関係な自民党と連立与党である事も思えば尚更だ。
悪夢の民主党や政治不信の点においても、自民党の連立与党として数十年間もの長期にわたり活動してきたにも関わらず、経済や少子高齢化対策の面で殆ど成果を出せず、「クリーンな政治」を謳いながら2021年には遠山清彦元衆院議員が在宅起訴されたことは記憶に新しく、また自民党の度重なる汚職には見て見ぬふりをして連立与党を続けてきた現在の公明党が、他党に対してこれを言う資格があるとは到底思えない。
また、最大のブーメランは選挙協力の点だろう。公明党は上記のような過激な文言で他党を悪魔化する一方で、すぐに掌返しをする風見鶏の様な性質がある。
今は連立与党の関係である公明党と自民党も、かつては犬猿の仲とも言える状態であり、公明党は自らのポスターに「「消費税」は悪だ」「消費税はきっぱり廃止です。」と記述するなど、消費税の増税を繰り返す今の状態とは言っている事が真逆だった。
維新との関係もそうだ。公明党の維新に対する姿勢には一貫性が無く、これまで選挙の度に協力と対決の方針をコロコロと変えている。この様な公明党の右往左往に疑問を感じるのは選挙活動に参加していた信者達も例外ではない。
敵対関係にある時は相手を悪魔化している為、そこから一転して協力、というのは受け入れられない信者も少なくない。中にはこの様な公明党の動きに不信感を抱き、選挙活動や創価学会自体をやめてしまう信者も発生している。
特に普段から活動にそれほど熱心でない創価学会の所謂宗教2世3世においてはこの動きが顕著であり、こうした部分は統一教会にも共通する点だろう。
この様に、身内の信者からすらも白い目で見られる政治権力を得るためのなりふり構わない公明党こそ、上記の「二転三転」「ペテン政党」「自分勝手な「選挙ファース党」」「理念なき野合」そのものではないだろうか。信者の信仰心を利用して虚言で都合よく誘導し、己の利益の為に利用する。まさにカルトである。
日本の政治をカルトの力を使った自民党と公明党が牛耳っているという、この状況の深刻さについて、今一度良く考えてみて欲しい。
2022年の出生者数が80万を割って過去最小というニュースに驚いている。
というのも自分も含め、昨年は友人・同僚・親戚とかよく見知ってて出産祝いをするような間柄の人だけで、知りうる限り30世帯ぐらい出産してたから。昨年以前はせいぜい多くても2~3世帯とかだったのに。
もちろん自分たちが年齢的にそういう世代になってきたってのもあると思うけど、この知り合いたちは20代前半から40代後半までけっこうバラけてるので、世代だけでは説明がつかず、2022年はけっこう出産ブームの年なのかなぁとか漠然と思ってた。
自分の観測範囲の事象を容易に一般化しちゃいけないってのは前々から気をつけてるつもりだったけど、ここまで感覚との乖離が激しいとさすがにびっくりだわ。