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はてなキーワード: チンチン電車とは

2023-09-18

チンチン電車でチンチン事故発生!!

ちんちん線路電車に挟まれて身動きできません!

レスキュー隊がちんちんを救出中!

皮が引っかかって難航!

ついでに包茎手術も行うことに!

無事皮を摘出!

ちんちんの無事確認

電車線路も異常なし!

被害者はそのままチンチン電車に乗車!

ちんちんの手術跡を乗客に見せて、敢えなく御用!

チンチン電車ちんちんを見せてはいけません!

以上、現場より中継しました!

シーユーネクストウィーク!チンチン!

2022-02-25

熊本まれ自分が「熊本の良さ」を全力でこじらせている

この記事をね、読んだんですよ。1か月前に。

熊本まれの妻に「熊本の良さ」を全力で伝えてみた|ヨッピー

https://suumo.jp/town/entry/kumamoto-yoppymodel/

前もって言っておくけど、ヨッピー個人に思うところがあるわけではないし、もちろん個人攻撃をするつもりもない。

これは広告記事だというのもわかっているし、熊本の魅力を伝えてくれているのもわかっている。基本的にはありがたい。

ただなにか、なんだろう、ずっとこの記事のことが心の中でしこりになって残って日に日にもやもやが募り、ついに吐き出したくなったので書いている。

自分熊本まれ熊本育ちで、大学進学で上京し、地元で過ごした年月と、東京拠点にする年月が同じくらいになったところで、不本意ながら諸事情あって一度熊本に戻った。

時東京に出た理由は「熊本、なんにもないからなぁ」に尽きる。地方特有ローカルルールとかどこどこさんちの誰々さんでいるのに耐えられなかったこともある。

それでも故郷のことは好きだし、愛着もあるし、褒められると嬉しい。たぶん、だから余計にもやもやしているんだと思う。



ヨッピー氏が挙げてくれた熊本の良さ、それ、『熊本』じゃないんよ。



熊本市内で借り暮らし 駅前に住んで「まち」に通う

まずこれ。「熊本駅前に住む」という感覚が、熊本人間はいまだ馴染んでいない。

熊本駅周辺が開発されたのはここ数年の話である。近年まで熊本駅前マジでなんもなかった。本当になんもなかった。

九州新幹線が通ったのが2011年の話だが、そのときでさえ開発は進んでいなかった。線路を挟んで土地管轄が県と市で異なり延々喧嘩していたかである

駅周辺の開発が進んだのは(計画は長期であったろうが)2016年震災以降である

まず、そもそも熊本市内の人間電車のことを電車と呼ばない程度に熊本駅に用が少ない。(市外から通勤通学を除く)

電車」=路面電車市電)であり、いわゆる電車のことは「JR」と呼ぶ。JRは「外」に行く乗り物だし、「外」から来る人間乗り物だ。

基本的に「熊本(市内)」に住んでいる人間が移動以外の理由で「熊本駅前」に行くことはほとんどなかった。

東京に住んでいる人間羽田空港に行くくらいの感覚だと思ってほしい。おかげで今もそんなに馴染んでいない。

あと駅前は川沿いで地面も低い。熊本人はあのへんを住む場所ではないと思っていた。住宅地として開発されていることに慣れない。

駅の近くに家電量販店スーパーマーケットドラッグストアコンビニ飲食店スイーツ屋さんも映画館飲み屋も何から何まで一通りそろっている

揃ってはいるのだが、感覚として羽田なのであるここに書かれているものは街中にもあるし、郊外イオンにもある。つまりそんなに魅力はない。

最近できたアミュプラザ熊本ちょっと都会っぽいものが揃っているが、いまさらこれで都会ぶるのも恥ずかしい。

しろ中心部にあったパルコがなくなったことで心に穴が開いている。かつて福岡タイマン張るとき唯一勝ち札にできたパルコ。(そのあと福岡にもできたから負けた)

我々はパル玉(旧パルコの前にあった丸い石のモニュメント熊本におけるハチ公前)のことを今後なんと呼べばいいのか。

チンチン電車も風情があって良いんだけど、たぶん自転車のほうが早い。

これはまあそう。道路の真ん中を車と同レベルスピード路面電車が走っていたらおそらく事故が多発する。

なお熊本市内で自動車運転免許を取ろうとすると、上り下り計6車線の真ん中に路面電車まで走っている交差点車線変更と右折を行う教習が発生する。地獄

トンネルいっぱいある高速教習もするし、踏切も渡るし、側溝ギリギリ1車線ハンドルさばきを間違ったら崖から落ちる山道を走らされたりもする。地獄

熊本市内の基本的な移動ツール自家用車以外だとバスであるバスは優先レーンがあるので比較スムーズバスに乗れ。

あと朝夕の通勤ラッシュ時に熊本市内はかなり渋滞するので、熊本の人はもっと自転車に乗ったほうがいいと思う。

街中に駐輪場を増やせというのは20年以上前からずっと思ってはいるのだが、上記は駅と「まち」しか行き来していないからできる発言でもある。

もともと熊本は川をそのまま堀とした城が建てられ、その回りにできた城下町がそのまま中心市街地になっている。

渋滞が多いのは車が多いのもそうだが、城下町ゆえ道が恐ろしく入り組んでおり、一方通行時間区切りでの取り決めが多く、見た目より時間がかかる経緯もある)

その一方で、住宅地は中心地から離れた高台や、川から離れてくぼんだ土地に作られているもののほうが圧倒的に多い。過去大水害に襲われているからだ。

住宅地近辺は高低差が多く、自転車での行き来には労力を要する。

また、郊外住宅地から中心地に働きに来る人間が多いので、必然的自動車が増え、駐輪場より駐車場が優先される。自転車はあふれる。

無法に自転車が置かれているのでチャリ泥棒も多い。進学校でも数年に一度チャリパクで停学になるやつが出てくる。犯罪ダメ絶対

市もだいぶ前から問題視しており、課題にもしているので、熊本で気軽にこの話をすると若干荒れる。

参考:https://www.city.kumamoto.jp/common/UploadFileDsp.aspx?c_id=5&id=19753&sub_id=19&flid=275258

やたらとメシが美味い

これは半分正解で半分間違いである。熊本は確かにとれるものうまい。肉も魚も野菜果物も、質と鮮度がいい自負はある。

おかげで郷土料理ほとんど発達していない。なにもしないでもそこそこうまいからである。美点でもあり欠点でもある。

熊本はいつもそうだ。地産地消でほどほどに満足できるので、観光にも産業にも力を入れず、中途半端にのほほんと生きてきてしまった。

辛子蓮根馬刺しもそんなに日常的には食べない。

熊本熊本らしい料理を食べるのは実はそこそこ難度が高いし、居酒屋も単に素材がうまいだけの場合が多い。いいことだろうけど味付けまでうまいかは人による。

あえて言えば何故か中華うまい気はする。太平燕を食え。祝い事の際は桃花源へ行け。

水がうまい

これは素直に認める熊本の美点。水道水カルキ抜きをしないでも金魚を飼える。

エキノコックスさえ到達しなければ誇り続けられるだろうが、いまだに井戸水や湧水を飲んでいる家もそこそこあるのであいつらが来たら終わりである

そしてそこここで水と温泉が湧きまくるので熊本地下鉄を通せない。地下道もほぼない。おかげで路面電車のろいし、渋滞も起こる。

また、水が豊かな一方で、治水環境保全に関しては、本当に何年も何年も何年もいろんな課題と論争と葛藤が続いている。

県外の人間軽率に「ダム作っておけばよかったのに」みたいなことを言うとだいぶ傷つくので覚えておいてほしい。

サウナ

その前に温泉の話をしろ!!!!!!サウナとか言ってる場合じゃないのよ!!!熊本の『湯らっくす』は天然温泉なんですよ!!!!!!!!

湯らっくすに限らず街のど真ん中のホテル温泉なんですよ。熊本銭湯感覚温泉に行く。山鹿黒川まで行かなくてもいいのよ。街中で温泉入れるの!!!

熊本地震ときに「風呂壊れたまんまだから温泉いくわ~~」であんまり困らなかった(当然困った人もいる)くらいのレベル

郊外には家族湯(時間制で家族単位で貸し切れる温泉)も多いので、身体コンプレックスがあったりタトゥーを入れていても安心混浴デートにも使える。

熊本の自慢。


他にもいろいろ言いたいことあったけどここまで書いたらだいぶすっきりしてきた。

何度も言うけどヨッピー氏が書いていることは嘘ではないし、悪いことでもないのだ。誉め言葉は誉め言葉として受け取っておけばいいのだ。褒めてもらえるのはありがたいことだ。

だけどやっぱりもやもやするというか、なるほどこれが「内」と「外」の感覚や見え方の違いなんだなと思ったりした。

これをこじらせるといわゆる「村八分」に発展していくのだろう。怖い。自戒せねばならない。

田舎排他的な、というか、熊本場合排他的というより、身内ノリや郷土愛が重い感じ(謎の高校閥とかさ)が嫌でその外に出たんだけど、外に出てなおやっぱりあの感覚から逃れられない自分に苦笑する。

今どんどん出来ている新しい綺麗な建物は、我々にとっては瘡蓋みたいなもので、地震の前にあったもののことを思ってしまうけれど。

おかげで熊本城もまた天守閣が見えるようになったし、今の中高校生にはきっと駅前が「まち」の一部になっていくんだろうし、ヨッピー氏が書いてくれたような新しい熊本がそれも「熊本」になっていくんだろうなとも思う。

阿蘇はいいよ。風は気持ちいいし馬にも乗れる。(火口入山規制中だけど)(阿蘇くそ広いので別に観光できないわけではない)(正直火口はそんなに面白くないので行かなくてもいい)

天草もいいよ。イルカ見れるし。太刀魚釣れるし。(泳ぐなら天草より芦北行く気がする)

人吉もいいよ。鍾乳洞探検球磨川でのアクティティもいい。うまい鰻屋もある。(市内から行くと高速にトンネルありすぎて気が狂いそうになるけど)

アーティスト地方ツアー大体飛ばされてたけど最近は来てくれる人もいるよ。(相変わらずテレ東映らないけど最近はもう配信があるし)

市内は基本盆地で吹き溜まりから夏場クッソ暑くて湿気やばくて温室みたいになって死にそうになるけど。

いいとこだよ熊本。やっぱなんもないけど。

2021-04-28

anond:20210427200543

チンチン電車道路を走るので、車と同じ左側通行でないと危険現在では専用線を走る都市鉄道も、多くは市電ルーツとしているので、自然左側通行ルールが残った。また上記理由により、国内では運転席の配置等、左側通行基準として車両が造られ、事実上規格化された(右側通行のための車両をわざわざ作る理由が無い)。以上、妄想ですが、いかがでしょう。

2019-12-17

[]女性電車に乗ると例外なく「無ちん乗車」になるってマ?

チンチン電車に無ちん乗車するとか冒涜的だよな…!

2019-04-29

チンチン電車が少ない

市内電車もっとそこらにあったら老人の車に惹かれる人もいないのに

2018-07-30

ほーらチンチン電車だよってぶらぶらして恥ずかしがらせたい

2018-02-27

anond:20180227192147

ワイが子供の頃はまだチンチン電車言うて車掌さんが手で切符切っとったんやで

2017-03-13

ぼくはきみの服の中のオッパイを見たかった

Mはぼくと同じ高校で一学年下の女の子だった。

まるで男の子のようなショートカットの髪、金八先生に出ていた時の上戸彩みたいにCUTEな美少女だった。

ぼくの君に対する第一印象はただひとつ「胸がでかい」それ以外のことをぼくは何一つ思いつかなかった。

小柄なきみのカラダに不似合いなほど、その胸の隆起は際だっていた。

きみは一時期、ぼくと同じ学年の男子と付き合っていたね。

から学校への道を並んで来る姿、帰る姿をぼくは覚えている。

そのときぼくは思ったよ。

あいつはあの大きな胸が目当てなのか」と。

もちろんそんなことはなく、彼は知的でCUTEなきみが好きで胸なんかはただのおまけだったのかも知れない。

しかし、どんな言い訳をしたってきみの第一印象が胸であることは疑いのない事実なのだ

それに「どうせ胸が目当て」だなんて高校生の言うセリフじゃないだろう。

自慢じゃないがぼくのいた公立高校男子童貞率96%、つまり童貞クラスに一人くらいしかいなくて、

しかも在学中に処女童貞を失った場合浪人率は100%という恐ろしい世界だったから、だから禁欲正義だったんだ。

もちろんぼくも受験勉強に精を出し、オナニーで精を出す一人の純朴な高校生だった。

受験勉強甲斐あってぼくは現役で大学合格し、その喜びもつかの間、片想い女の子にはあっさりとふられ、童貞期間更新中だったぼくは、翌年の春にきみが関西のある有名私大合格して大学生になったことを知った。

当時のぼくは手紙をよく書いたよ。在学中にちょっとした面識があったのできみにも合格のお祝いと自分大学生としての近況報告のような手紙を書いた。そうしたら一度京都を案内して欲しいという返信が来た。そしてぼくは思いがけずきみとデートできることになったんだ。

大学生になったきみの胸はさらに巨大化していた。

巨乳というのは裾野が広いんだ。

富士山裾野が広く伸びていてるみたいにね。

「えっ、こんなところから胸がはじまるのか!」と思うほどにきみの胸の隆起はクビのすぐ下からはじまっていた。

ぼくはきみの目ばかり見て話をしていたが、視線を下に落とせばそこには胸があった。

かい合ってる男が自分の顔ではなく胸を見ながら話してるなんてすごく不愉快じゃないか

からぼくはいつもきみの目を見て話をしていた。視線を伏せることなんてできなかった。

今思うとなんてもったいなかったのかと思う。サングラスでもして視線を隠して、思う存分胸を見ればよかったじゃないかと。でも、当時はそんな才覚はなかったんだよ。

京都でのデートの後で、ぼくは卑怯にもきみへの手紙の中に「好きだ」というフレーズを書いた。

しかし、そのときのぼくは本当にきみが好きだったのか、それともきみの胸が好きだったのか、正直言ってよくわからない。

ぼくは知的でCUTEなきみを本当に素敵な女の子だと思っていた。

しかし、その100倍くらいぼくはきみの胸が好きだったんだよ。そんなこと手紙に書くはずないけど。


秋になって、いろんな大学学園祭の季節になって、ぼくはMを伴ってN女子大学園祭に出かけた。

高校で同じクラスだったことがある仲間由紀恵みたいな黒髪の純日本風お嬢さんに誘われたからだ。

実はぼくはその仲間由紀恵のこともかなり好きだった。もしもその美女を射止めることができたならば、ぼくは同じ高校のあのさえない童貞軍団を見返してやることができたはずだし。そう、ぼくのあこがれの大本命は実は仲間由紀恵であり、Mの存在価値は「自分とつきあってくれる女」という点にあったわけだから

女子大学模擬店でぼくは仲間由紀恵にMを紹介した。仲間由紀恵はMをみて、Mの胸をちらりとみて、それから妙につっけんどんな態度になった。

あなたはこんな乳のでかい頭の悪そうな女が好きなのね!」と仲間由紀恵は思ったのかも知れない。

そんなことはないんだ。Mは決して頭の悪い女なんかじゃない。

とっても聡明で話していて退屈しない女なんだ。

でもそんな言い訳をするチャンスはなかった。

だって仲間由紀恵はその後ぼくに手紙をよこさなくなったし、彼女が風の噂にお医者さんと結婚したと聞いたのはその数年後のことだ。

女子大学園祭の後に控えていたのは京都大学11月祭だった。ぼくはそこでMと腕を組んだり、手をつないだりして歩くことができた。

普通カップルのように彼女学園祭デートをするなんて幸福をぼくは手に入れた。

しかし、ぼくは手をつなぐ以上のセクシャル領域に足を踏み入れることはどうしてもできなかった。

その理由簡単だ。ぼくは童貞だったから。どうやってその先に進んだらいいのか、ぼくは全くわからなかったのだ。

手を伸ばせばいつでも触れられるような距離にありながら、その胸はぼくにとって相変わらず不可視のものであり、かつ不可触のものであったのだ。

そのままお正月が過ぎ、春になった。ぼくはMと初詣住吉大社に出かけ、そこから阪堺線チンチン電車に乗って浜寺公園に出かけた。

潮の香りのするコンクリートで固められた護岸の上の散歩道をのんびり歩き、座って話をした。おだやかな一日だった。

あの頃ぼくたちはいったいどんな話をしていたのだろう。

そうして休日には手をつないで歩き、一緒に映画を見たりしたぼくたちはまぎれもなく「つきあってる」という状態だった。

しかしぼくにとってきみの胸は相変わらず不可視のものであり、かつ不可触のものであった。

どうすればぼくはその二つを可能にできたのだろうか。

まだ20歳にもならない自分はその方法を何一つ知らなかったのだ。

もしもできることなら今の自分が当時の自分に憑依して、知りうる限りの恋の手練手管を用いてその困難を可能にしてあげただろうに。

ぼくは免許を取り、中古車いすゞジェミニを買った。それでMとドライブすることになった。

Mに向かって「どこに行きたい?」と聞いたら「鞍馬」という意外な答えが返ってきた。ぼくたちは鞍馬おもちゃみたいなケーブルカーに乗った。

汗ばむような陽気の中で、同じようにデートしているカップルが居た。

ぼくたちとの違いは彼らがキスをしていたことだった。

ぼくは赤面した。

キスとは、ああキスとは、それは限りなく遠くに存在する行為じゃないか

まだぼくは胸を見たこともないのに・・・

いや、それは違う。少なくとも胸を見るという行為は、キスという行為さらに先に位置するものであるはずだ。

ということは、自分が胸を見たいとか触れたいと思っていたことは根本的な間違いであり、それを実現させたかったら

先にキスという段階をクリアしておかなければならなかったのだ。キスとは、胸を見るための必要条件である

もちろんキスをしても胸を見るところまで到達できない場合もあるだろう。しかし、キスをしないで胸を見るなんてことはどう考えても変だ。

まり自分は、「胸を見るためには先にキスをしなければならない」という恋愛の発達段階の重要法則をそのとき発見したのだ。

ストレートに胸に到達しようと思っていた自分が間違っていたのだった。

乳首を舐めたかっらたまず相手の唇を舐めろ!」

ぼくはその真理をここに理解したのだった。

しかし、破局は突然にやってきた。

Mが教会に通い始めたからだ。

学生のぼくたちがデートできるのは日曜日に限られていた。

その二人のための貴重な日曜日を、Mはこともあろうに私ではなく神に捧げてしまったのだ。

ぼくは一度Mにくっついて教会に一緒に行ったことがある。Mのスクーターの後を、ぼくは実家にあったヤマハパッソルで追走した。

当時はまだ原付ヘルメット着用の義務はなかった。そうして教会に出かけたのも一度きりだ。

ぼくにはきみの胸を見たいという願望があったが、教会聖書を見たいとは思わなかった。

僕に必要なのは聖ではなくて性であり、聖書ではなくて早くぼくを童貞から卒業させてくれる性書こそがぼくにとって必要書物であった。

「汝、姦淫するなかれ」という神の教えは、その反動でぼくの心をますます君の乳房への思いでいっぱいにした。

ぼくは教会についていくのを止め、ぼくたちの仲は自然消滅した。

ぼくがMと最後に会ったのはぼくが大学卒業した春だ。

そのとききみはブラウスボタンを二つもはずしていたから、ぼくは思わず「うっひょ~」と心の中で叫んだ。

そのとき、きみのオッパイはぼくの心の中で永遠憧憬になった。あれから34年経つけど、今でも君の胸は成長を続けているのかい

 
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