はてなキーワード: モンゴル国とは
明治時代や秀吉の朝鮮出兵の時代の被害はまあ認められるだろうけど、もっと前の奴隷貿易の時代や、コロンブスと「新大陸」の時代でも被害を訴える動きがある。
そこまで昔にさかのぼっていいなら、日本も元寇の件でモンゴル国に賠償請求をしてもいいの?
また、日本の侵略の犠牲になった韓国や北朝鮮の人たちが伊藤博文や安倍晋三や豊臣秀吉を揶揄し、批判し、従軍慰安婦に対する日本人の贖罪意識を用いて色々政治的・宗教的に動いたのと同じように、モンゴルの侵略の犠牲になった日本でもチンギスハンの名前を食べ物の名前に使っちゃったり、ハンの顔のイラストにラクガキをしたりしても人権的に許されるの?
はごろもフーズ大学はそもそも卒業と共に本社勤務が確定するはごろもフーズの大規模研修施設という位置づけだという点では
この序列に入れるのは間違いとする考えもあるが、
リア充爆発が多発し教授の巻き添え死亡が今年だけで125人という報告がある。
影分身で対応すればいい話なのだが、東大教員の忍術資格を持つ人数は全体の30%にも満たず
その8割が下忍であるという東大の教授のレベルの低さが浮き彫りになっている。
この件。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180223-00000006-jct-soci
皆さん随分モンゴル政府の対応に理解を示していらっしゃいますが、チンギス・ハーンが何やった人か忘れてませんかね?
金やホラズムといった周辺諸国に次々と侵攻しいくつもの都市を陥し、場合によっては住民を皆殺しとかにしてた人ですよ。彼の後継者が築いた帝国はモスクワを征服したり高麗を滅ぼしたり日本に攻め込んで対馬と壱岐でさんざん残虐行為を働いてきたわけですよ。
大昔のことで被害者なんて生き残ってないし、歴史の流れの中でモンゴル人が被支配者・弱小民族に転落したから許されてる(というか歴史認識問題に発展してない)だけでしょ。100年前の人物だったら各国で非難轟々のはず。
別にモンゴル人が「わが民族の偉人」としてそれを誇ることはいいと思う。日本人の私からしても、いやー壮挙だなー、って思うもん。今更チンギス・ハーンへの恨みなんてない。だからモンゴル人がチンギス・ハーンを尊敬してでっかい廟とか作っちゃう分にはどうぞご自由に。でも、日本の民間人がちょっとチンギス・ハーンをからかう漫画を描いた程度のこと(ウランバートルのチンギス・ハーン記念式典とかで日本政府の代表が粗相したんじゃねーぞ)で外交官が抗議してくるなら、こっちも「チンギス・ハーン(およびその後継者)の所行に対して謝罪と賠償しろ」くらい言ってもいいんじゃないの? 先に歴史認識問題にしたのはどう考えてもモンゴル側だよね。
私は、豊臣秀吉の朝鮮出兵について現代の日本が謝る必要なんてないと思うけど、韓国人が豊臣秀吉の絵に下品な落書きしたとして、それに日本政府が「うちの国の偉人を侮辱するな!」って文句つけたら、「その偉人様がうちの国に何したと思ってんだ」って言われて当然だよね。この件もそれと同じ。
もちろん、例の漫画が民族差別的なイラストだったら許されないと思うけど、単に教科書に載ってる歴史上の人物のイラストに語呂合わせで下ネタ落書きしてるだけじゃん。そんなん聖徳太子や織田信長やペリーやザビエルだってやられてることで、特段モンゴル人差別というわけではないよね。
しかもモンゴル政府、単に「不愉快でムカつく」と言ってるだけじゃなく(それならまだ理があっただろう)、「わいせつ物頒布、児童の権利の保護に関する日本の法律にも違反していると考えています」って抗議しちゃってるからね。どの辺が児童の権利を侵害してるのかよくわからないし、あれがわいせつ物なわけねえだろと思うけど、これまでさんざん表現の規制に使われてきたわいせつ物頒布を持ち出して脅しつけたっていう事実は重いよ。なんでこれに屈しちゃうかね。
ちなみに、チンギス・ハーンがここまで熱狂的に崇拝されているのはここ数十年の話なんで、その辺も気をつけた方がいい。はてなの皆さんは創られた伝統とかそういう話が大好きですよね? 先日も神武天皇陵の話で盛り上がってたし。
https://ci.nii.ac.jp/naid/120005265401
中国とソ連に分断統治され、社会主義政権下で伝統文化を破壊され中国では少数派に転落したモンゴル人が、アイデンティティのよすがを過去の英雄に求める事情はわかる。わかるんだが、何でそれを日本人が尊重しないといけないのか。しかも、これが純粋に芸術家とか科学者とか、あるいは亡国の英雄とかなら理解できる話なのだが、やったことは周辺諸国への軍事的侵略と大虐殺である。未だに像に唾を吐かれる秦檜さんなんかを見ていると、罪もない落書きされるくらい受け入れろとしか言えない(実際の像に落書きしたんなら問題だけど、今回は器物損壊ではないよね)。それを受け入れられないっていうんなら、モンゴル帝国の所行の責任を引き受けてもらわないと釣り合いが取れない。千年近く前の人物の所行に責任を取れだなんて無茶だって? 千年近く前の人物のイラストに落書きする程度のことで外務省が抗議入れてくる国が何を言ってるんだか。モンゴル国にはまずエジプトやベトナムやロシアに謝罪行脚をするところから始めてもらおう。
時天空をご存知だろうか。時天空はモンゴル出身の力士で、土俵上での華麗な足さばきによって知られている。かく言うわたしも時天空の足技が好きだ。本人には申し訳ないが時天空が一番好きな力士というわけではないけれど、しかし、彼が勝つと思わずにやりとしてしまう。
土俵の上で時天空はいつも、仏像のようなふてぶてしい顔をしている。立ち会い、ぶつかって両者まわしを取る。相手力士の真っ赤な顔。だが時天空は、素知らぬ風に足をかける。相手の力士は、しまった!という顔でバランスを失い倒れる。
時天空の相撲は、わたしが相撲だと漠然と思い描いているものの輪郭から、時折大いにはみ出す。だからわたしは時天空が好きだ。柔道のようだと思うかもしれない。モンゴル相撲のブフは、もしかしたらこんな感じなのかもしれない。時天空の相撲は、イマジネーションを広げてくれさえする。あの器用な足でまた何かやらかしてくれるのでは?そんな期待をこめて、毎場所テレビを見る。
そこまで言うなら時天空の相撲を見てみたい、もし可能であれば生で国技館で見てみたい、と思っていただけた方がもしかしたらいるかもしれない。願わくばいてほしい。しかしその望みは叶わない。なぜならば、時天空は引退してしまって間垣親方になってしまったからだ。では親方として、警備をしたり解説をしたりチケットをもいだりする、あの仏像のようなご尊顔を拝せるのでは?しかしながらその望みも叶わない。なぜなら元時天空、間垣親方は亡くなってしまったからだ。時天空は2017年の1月31日に亡くなってしまった。今日はちょうど一周忌だ。だから上の文章は、本来ならば動詞を全て過去形にしなければならない。
昔から相撲が好きだったわけでなく周りに詳しい人もおらず、面白そうだしいっちょ見てみますか!と思って見始めたわたしのようなミーハーな若輩者にとって、時天空はありがたい力士だった。なぜなら、時天空と言えば足技だと覚えておけばいいから。とりあえず時天空が来たら足技が出るのを待てばよかったので安心だった。本当は足技が失敗することもあったし足技は特に出ず押し出しで勝つこともあったけど、とりあえず時天空といえば足技。これで間違いがなかった。
力士の立ち会いはよく軽トラックの衝突にたとえられるが、ぶつかられて上半身はその対応をしておきながら、よくもまあ器用に足をかけられるな、バランス感覚はどうなっているんだと常々思っていた。
それに時天空は、四股名もSFみたいでスケールが大きくて格好いい。旭天鵬(現友綱親方)に似てるという意見も散見されるが、土俵上の時天空は、旭天鵬からお母さんみたいな雰囲気を全部抽出しきったあとみたいなおっかない顔をしていて、でもどこか荘厳で、鎌倉後期の仏像みたいで、思わず拝みたくなってしまうようなところがあった。
同僚と国技館で相撲を見ていた時のことだ。幕内の取り組みが始まって当時は平幕の下の方にいた時天空が出た。
「この人は足技がすごくて!」
などと僭越ながら紹介した直後、時天空が裾払いを決めて勝ったことがあった。同僚は普段から大相撲を見る人でなかったからピンと来てなかったようだったが、わたしは嬉しかった。思いが通じたような、どこか共犯者めいた気持ちが満ちた。むずがゆくなるくらい嬉しく、誇らしかった。これからも応援しよう!と思った。
でもその時はまさか、その場所とその次の場所が、土俵上で時天空を見られる最後になるとは思わなかった。
肋骨の骨折で休場というニュースを見て、時天空がケガなんて珍しいな、十両落ちちゃうのでは?と思ったが、その後実は悪性リンパ腫だと知りショックを受けた。場所のたびに休場の発表があり、十両に落ちているのを国技館のチケット売り場の電光パネルで見て、やっぱりと思うと共に早くよくなってほしいという気持ちが募った。
わたしは、時天空に手紙を書こう!と思った。もしかしてあまり読めなかったりして?と思ったが、時天空は日本語がペラペラだし、たとえ読めなくてもそういうのは気持ちだから出そう!と身勝手なことを考えた。ふりがなをふったら逆に失礼か?などと考えながら文面を考えていた矢先、ツイッターで久しぶりに時天空という文字列を見た。リンク先には引退と間垣襲名会見のニュースがあった。
引退はさみしかったがその何倍も復帰が嬉しかった。丸坊主になった時天空は、痩せていたけど想像していたほどではなかった。しかし、目を真っ赤にして涙を流しながら会見していてはっとした。わたしのなかの時天空は、土俵の上のむすっとした顔でしかなかった。しかし仕事だからそうしていただけであって、こんな心許なさそうな表情もするんだと思ったらこみ上げてくるものがあった。でも同時に、モンゴル人力士のなかで真っ先に日本国籍をとり年寄名跡を持っていたことを知り、さすが時天空だと思った。ぜひ後輩を指導してあの足技を継承してほしい。引退はとてもさみしいことだったけれども、帰ってきたことに対する嬉しさのほうが何倍もある。
お相撲さんやっぱり違うな!と思った。元々の体力があるから病気も治るんだな!よかったよかった!わたしは安心してはしゃいでいた。
その後すぐ元時天空、間垣親方は大相撲中継で向正面で解説をしていた。名前を呼ばれると「ハイッ」といい返事なのがかわいくて、それと現役時代と比べて顔が少し穏やかになっていた。時折満面のスマイルを見せるので、うおー時天空こんな一面もあったのかー!とさらに好きになった。解説も日本語が上手なだけでなく的確で詳しく、ついこの間まで幕内にいただけあってこの人と組んだ時はこうだったああだったと、話が尽きないので、聞いていて楽しくためになった。力士たちは「時天空関ととるのは嫌だった」とか「もう二度ととりたくない」とか「足技だけは教えてくれない」とか言っていて、声に出して笑ってしまった。
時天空という力士が幕内からいなくなってしまったことは残念だったけれども、これだけ解説も上手だったら楽しみなことが増えたと思っていた。当時は大島親方だった旭天鵬も、もう一度断髪式すればいいって言っていてその通りだと思った。
わたしはそれからすっかり安心しきっていて、その次の場所で間垣親方が休場していることを全然知らなかった。テレビの映らないところで警備とか協会の仕事をしているんだと思い込んでいた。でもそんなことはなかったらしい。元時天空の間垣親方は、2017年1月31日に亡くなってしまった。
時天空が好きだった。全く知らない人の「時天空サッカー」というツイートを見たときに、なぜだか明確に好きだと思った。モンゴルの平原をまわし姿でサッカーする時天空。似合う!足技はブフで培ったものか柔道で東農大にスポーツ交換留学に来た時のものかと思っていたが、柔道部だったころはそこまで足技に力を入れていたわけではないらしいとも聞く。ではあの足技はなんだったのか?やってみようと思ってやってみたらできたのだろうか。乗馬で鍛えたインナーマッスルが、相撲にも活きたのだろうか。
朝青龍のことを知って、自分もいっちょやってみようと来日して入門。稽古をしながら大学にも通い、卒論を日本語で書き上げたというスーパーマンぶりには目を見張る。卒論のテーマは「ダイナミックモデルを利用したモンゴル国の人口動態に関する研究」、興味深い。
わたしはにわかファンなので、相撲を見始めた頃の時天空はすでに30代なかばのベテラン力士。幕内下位定着たまに十両陥落くらいのイメージだったが、三役経験もあるし前頭一桁代だった時期も長い。時間前に立ち会いをしたり、まわしがとれかけたり、なかなかにバチバチだった時代があったようだ。
亡くなったことがどうにもショックで、当時は巡業の写真などをずっと探しては見ていたのだが、土俵の下ではにこにこしている写真ばかりで意外だった。名古屋場所でトゥクトゥクに乗っている写真。赤ちゃんをだっこしている写真。後援会の人たちとじゃんけん大会をして負けているところ。ウインク。
解説の動画を探していていたときに、酔った時天空が「iPhone4で彼女の顔を見ながら電話したい」と言っている動画を見つけてしまったりした。時天空はとても楽しそうで明るくていつも笑顔で、すごく人生を楽しんでいるように見えた。幸せそうだった。解説の時もそうだった。見ているこっちが笑ってしまいそうになるくらいだった。
一年経った今でも時天空のことを思い出す。病気さえなければまだ幕内で相撲をとってたのではないかと思ってしまう。足で足をバーンと蹴ったりひっかけたり、器用に相手のバランスを崩して勝っていたと思う。
時天空が亡くなってすぐ、入門直後はきまり悪くなると日本語がわからないふりしてごまかしていたこととか、部屋が世論で問題視されていた時に懸賞金を手紙と共に返したこととか、時天空の人となりが感じられる話が世に氾濫して、そのどれもに心動かされ泣いてしまっていた。でも、亡くなってしまってその話を知るくらいなら、知らないでいていいから元気でいてほしかった。じゃんけんが弱いのもお酒が強いのも知らなくてよかった。おっかない顔の足技師としてにやにやさせてほしかった。40歳までは関取だと思っていた。やっぱり、あまりにも早すぎたと思う。
日々、自分の頭の中を好きなものでいっぱいにしていないとやっていけない。時天空もまさにその一部だった。でもその部分は時天空の形の穴になって、他の力士で埋めようとしてもなかなか埋まらない。時天空は、お腹は出ていたけれども膝下が不安になるくらいほっそりしていて、他の力士はそこがひっかかってしまうから駄目だ。
時天空は膝下に脂肪がなくてひきしまっていて美脚だった。その脚が器用に動いていた。またあんな足技が得意な力士が出てきたら面白いけれども、でもたとえ出てきたとしてもそれはまた別の力士で別の魅力があるんだろう。だから時天空の形の穴は埋められないのかもしれない。埋めなくてもいいのかもしれなくて、埋められないことそのものが、時天空という力士が代え難い魅力を持っていたということの証明なのかもしれない。
追記:ニュースで相撲関係の悲しいことばかりが続いてつらくなる。口に出すのもおぞましいような表現で特定の力士を侮辱する言葉はもう見たくなくてインターネットが縁遠くなる。協会のこととか理事長選とか、にわかファンのわたしにはよくわからないしあまり興味もない。わたしはただ、土俵の上で色んな力士がそれぞれの最高の状態で相撲をとっているところが見たいと思う。それを見てわくわくしたいと思う。
モンゴル国立大学>>>>>はごろもフーズ大学>>>>>日本体育大学>>>>>>>>>>東大
はごろもフーズ大学はそもそも卒業と共に本社勤務が確定するはごろもフーズの大規模研修施設という位置づけだという点では
この序列に入れるのは間違いとする考えもあるが、
リア充爆発が多発し教授の巻き添え死亡が今年だけで125人という報告がある。
影分身で対応すればいい話なのだが、東大教員の忍術資格を持つ人数は全体の30%にも満たず
その8割が下忍であるという東大の教授のレベルの低さが浮き彫りになっている。
オリンピックで流れていたケニアの国歌が、なんだか日本の民謡にも通じる独特な感じで、かっこよかった。
なんでも、伝統的なケニアの子守唄のメロディーがもとになっているらしい。
で、他にもかっこいいのあるんか?と思って探していたら、ネットでちらほら話題にされてるすごいのみつけてしまった。
https://www.youtube.com/watch?v=VWy4USruuR4
すごい。かっこよすぎる。
なんだろ、スペースオペラ系のSF映画で、主人公が砂だれけの惑星に遭難してぐるぐる巻きにされて、
砦に引っ立てられて、そこにいよいよ惑星を支配するボスが手下ひきつれて登場してくるときの音楽だ。
で、「これでおしまいか」と思ったら、実はこのボスがいい人で、結局、一緒に戦うための軍隊だしてくれんの。
(我ながら、たとえがよく分からない)
wikipedhiaにもあんまり詳しいことは書いてないが、Tolia Nikiprowetzkyとかいうロシア生まれでフランスで活躍した作曲家が、伝統的な旋律を編曲したらしい。
日本語版では「作曲した」となっているが、英語版では「Music traditional (arrangement Tolia Nikiprowetzky)」ってなってるから、そういうことなんだろう。
まあ、植民地から独立した国に「国歌作曲してください!」ってたのまれて、あのメロディーはつくらないよね、普通。
なお、モーリタニアって国、マダコがたくさん取れて日本にも大量に輸出しているが、現地の人は気味悪がって食べないらしい。
「君が代」は、西洋的なメロディーではない曲で、実際、そうなんだとは思う。
でも、時々ネットでみかける「他の国は西洋音楽ばっかり! こんな独自な国歌を持ってる国は無い!日本サイコ-」っていう愛国ポルノは、
ちょっとちがうよね。
https://www.youtube.com/watch?v=YIyLUBdNAC8
https://www.youtube.com/watch?v=gE6beEdzhtI
もとが子守唄っての、よくわかるし。
https://www.youtube.com/watch?v=pI7V324e1zg
ttp://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/taiwan3.html
(1953年度北京政府発行国定教科書『現代中国簡史』に基づく)
「中国」(満州・内モンゴル・ウイグル・チベット・東カシミール(アクサイチン地区)の占領地域を含む)
東南アジア(ベトナム・ラオス・カンボジア・タイ・ミャンマー・マレーシア・シンガポール)
旧英印領地域(インド領シッキム・バングラデシュ・ブータン・ネパール領の一部)
これをご覧になられた方はどの様な感想をお持ちになるでしょうか? 現在、支那と東南アジア諸国が、領有権で係争中の南沙(スプラトリー)諸島や西沙(パラセル)諸島どころの話ではありません。支那の領土観に従えば、フィリピン・インドネシア(旧蘭印領)・東ティモール(旧ポルトガル領)・東マレーシア(カリマンタン島北西部のマレーシア領サバ州・サラワク州)・ブルネイ以外 ── つまり、支那と陸続きになっている東南アジア地域は全て「中国領」となってしまうのです。そして、現在の「中国」領以外の「潜在的中国領」は、現在の「中国」領に匹敵する程、広大なのです。と、ここ迄は、海を隔てた「他国の話」であって、自分達には直接関係無いと考えておられた方もおありでしょう。しかし、上記の表には「潜在的中国領」とされる地域の全てを記載した訳ではありません。実は、これにはまだ続きがあるのです。では、その続き ── 記載しなかった「潜在的中国領」とは具体的に何処(どこ)を指すのか?
支那が「潜在的中国領」と考えている地域に敢えて書かなかった地域、それは何と驚く事に、
だったのです。いや、より正確には、日台支三国で領有権を係争中の尖閣諸島(詳しくは、コラム『94.「お宝」目当ての領有権主張 ── 尖閣諸島問題』を参照)を含む琉球諸島全域(沖縄県)・奄美諸島(鹿児島県)・対馬(長崎県)と言った地域なのです。これらの地域は、今更言う迄もありませんが、日本国の施政権が及んでいるれっきとした「日本の領土」です。その「日本の領土」迄も、本来あるべき「中国領」と支那は考えているのです。最早、到底笑って済ます事の出来る話ではありません。
支那が何故、沖縄を「潜在的中国領」と考えているのか? それは、かつて沖縄が「琉球国」と呼ばれていた頃 ── れっきとした「独立国」だった頃に迄遡ります。(コラム『42.琉球独立!! 「沖縄基地問題」に対する処方箋』を参照) 沖縄が「琉球国」だった時代、琉球は支那(明国及び後継の清朝)に朝貢し、琉球国王は支那の皇帝によって冊封されていました。つまり、支那から見れば、琉球は支那の「属国」あるいは「属領」であり、単に「自治権」を与えていたに過ぎないと言う訳です。しかし、琉球は1609年以降、薩摩藩によって王国体制を維持した形での支配を受ける様になり(島津支配)、これ以後、琉球は日清両国に朝貢する ── つまり、日本と清朝と言う二つの「宗主国」から支配を受ける事となったのです。その後、明治維新後の日本によって1871年に保護国化され、1879年、遂に王国は解体、日本に編入され「沖縄県」となったのです。しかし、支那はかつての「宗主国」として、琉球が沖縄と名を変え、日本領となった現在も「自国領」との認識を捨ててはいないのです。