はてなキーワード: アチェとは
あとはカルバンクライン各種くらい
そして結局、各種消臭剤の扱いになった
柑橘がキツすぎてどうも
グッドガールゴーンバッドと同じ人の作品でも、必ず自分が好きとは限らないんだなあと
プアゾンだったりシャネルNo.5だったりは名前だけ知ってる大人の香水の括りで、香りとしてはどこかで嗅いでるんだろうけど・そして懐かしくもあるんだろうけど、自分に関わりがない・憧れも思い出もないので試したいとも思わない
うーん
懐かしい香水を楽しむにも、意外と自分の興味の範囲が限られるんだなあ
そりゃ学生だしお試し程度だろうし、と思うけど
どこで買ってたのか思い出せない
持ってた記憶はあるんだけど
雑多な地下街のお店とかなんだろうか、もうほんと覚えてないな…
アチェンティは好きなアイドルがグッチのなんとかを使ってて、メンズ香水であるにも関わらずそれそのものを買ったけど
そんな好きな香りではなく、自分で使うと気持ち悪くなる香りだったんだよな
そんで、同じブランドのレディースものの香りにしようと選んだんだったはずだ
お店でかいだ時には悪くないと思ったけど、実際に使うとやっぱりキツくて好きではなかった記憶
なんかすごく人工的に甘い香りがする
私は甘いのは好きだけどコレじゃない感強い
なんだこの甘さ
なんだか尖った甘さというか、強い・キツイ甘さというか、攻撃的な甘さ
私が甘いの好きなのは、どっぷり癒されたいという気持ちが強く なんかこう一部の女性特有の私綺麗でしょ可愛いでしょ感ある甘さとかは疲弊してしまう
私に甘い、香水であってほしくて、私自身が甘く可愛い、ではないのだ…
ということで、全体的には好きなキリアンだけど、これは無しかな
さて
1.5ml どうやって使おうか
ごくたまに、なら いいと思う日が来る気もしなくもない
あと掃除する時とか上げる感じでいいかも、なるべく鼻から遠い位置に
スッキリしたいい香り、香水ではなくハンドクリームだし、日用品のよい香りという感じ
決して悪くはない
悪くはないが別に求めてもいない、そんな感じ
スッキリ凛とした雰囲気なので、会社に通勤してる時だったら机の上に置いてたまに気分転換に使うくらいの使い方してたと思う
前回のリストhttps://anond.hatelabo.jp/20210707223409が字数制限に達したようなので、書ききれなかった分はここに付け足します。前回はたくさんのブックマーク、コメントありがとうございました。https://anond.hatelabo.jp/20210715114737も参照ください
孫権は自ら軍を率いて曹操軍の籠城する合肥城を攻める。しかし、張陵の奮戦に苦しめられた挙げ句、疫病の発生により撤退を余儀なくされた。更に張陵に追討ちをかけられ、命からがら逃亡した。
・沙苑の戦い
西魏軍は葦原に身を隠し、東魏軍の列が乱れたところを一斉攻撃する戦法で勝利した。東魏軍は6000名が捕らえられ、7万人が捕虜となった。
・パリ包囲戦
885~886年 ★西フランク王国200vsヴァイキング3万~4万
西フランク王国の首都パリをヴァイキングの大軍が包囲。フランク人達は1年にもわたる激しい抵抗を繰り広げ、やがてカール3世率いる援軍が到着したため、ヴァイキングは撤退した
1336年 南北朝・建武の乱 ★足利軍1000vs菊池軍1万
博多へ侵攻する菊池軍と足利尊氏が遭遇。菊池軍に離反者が相次ぎ、敗北した。
・ベオグラード包囲戦
オスマン帝国はハンガリー王位を巡る内戦に乗じてセルビアへ侵攻、ベオグラードを包囲した。ハンガリー軍は5ヶ月に渡って抵抗し、これを退けた。
・クルヤ包囲戦
1450年 オスマン・アルバニア戦争 ★アルバニア軍8000vsオスマン軍10万
スカンデリベグ率いるアルバニア軍がオスマン帝国に包囲された。アルバニア軍は敵軍の補給を断ち、士気の低下と病気の流行に苦しめられたトルコ軍は撤退した。
・ベオグラード包囲戦
1456年 ★ハンガリー軍4000vsオスマン軍3万~40万
コンスタンティノープルを陥落させたトルコ軍は勢いに乗じて、ハンガリーへ侵攻するが、ベオグラードで英雄フニャディ・ヤノーシュの活躍の前に敗れ去る。
・ヘミングステットの戦い
1500年 ★ディットマルシェーン500~1000vsデンマーク軍1万2000
ディットマルシェーンの農民達がカルマル同盟に対して反乱を起こす。農民達はバリケードを築き、土地を氾濫させたため、デンマーク軍は数的優位を活かせなかった上、大勢が溺死したため、撤退した。
・ロドス包囲戦
1522年 聖ヨハネ騎士団6700vs★オスマン帝国8万~12万
ロドス島を支配する聖ヨハネ騎士団をオスマン帝国が包囲。半年にも及ぶ激戦の末に騎士団は降伏。シチリア島へ移った。トルコ軍にも2000~5万の死傷者が出た
・クーセグ包囲戦
1532年 ハンガリー軍700~800vsオスマン軍12万~20万
ウィーン遠征へ向かうトルコ軍がハンガリーの小さな町クーセグを包囲。貧弱な装備ながらも守備隊は25日間抵抗し続け、ハプスブルクの援軍を恐れたスレイマン1世は撤退した。ハンガリー軍は最後まで降伏しなかったという説と降伏を受け入れたが少数のトルコ人しか砦に入れなかったという説がある。
現モンテネグロの町カステルヌーヴォをバルバロス率いるトルコ軍が完全包囲。スペイン軍は降伏勧告を無視し、1ヶ月にも及ぶ激戦の末に100名を除いて全滅したが、トルコ軍も8000人から2万人が戦死した。
・アンドリエンの戦い
1550年 アラウコ戦争 ★スペイン・ピウンチェ連合軍500vsマプーチェ族2万人
マプーチェ族はスペイン軍に夜襲を仕掛けるが、スペイン軍は警戒を怠らなかったため、返り討ちにされ、3000人が戦死した。
・エゲル包囲戦
1552年 ★ハンガリー軍2000vsオスマン軍3万5000~4万
イシドヴァーン・ドヴォ率いるハンガリー軍がトルコ軍に包囲されるも、厚い防壁、イシドヴァーンのリーダーシップ、トルコ軍の内部対立に助けられ、防衛に成功した。
・マラッカ包囲戦
アチェ王国はポルトガルからマラッカを奪還しようと大軍を派遣し包囲するが、3000人以上の犠牲者を出して敗北した。
・ファマグスタの戦い
1570年~1571年 オスマン・ヴェネツィア戦争 ヴェネツィア8500vs★オスマン軍10万~12万
キプロスのクリスチャン最後の砦ファマグスタが1年近く激しい抵抗を繰り広げた後に降伏した。ヴェネツィア軍は7600人が戦死し、トルコ軍は1万~2万人が死傷した。当初トルコ軍は砦内のクリスチャンの安全を保証するもその約束を反故にし、ヴェネツィア人たちを虐殺し、指揮官のブラガディンは耳と鼻を削がれた上、皮剥の刑に処された。
・英賀合戦
1577年 戦国時代・中国攻め ★小寺軍500vs毛利軍5000
織田寄りの小寺氏を討伐するため、毛利は大軍を派遣する。しかし、小寺軍は敵が上陸した直後を奇襲した。更に農民達に旗を挙げさせ、それを敵の援軍と勘違いした毛利は兵を引いた。
・クヴォダンスコの戦い
1577年~1578年 クロアチア軍300vs★オスマン軍5000~1万
クロアチアの都市クヴォダンスコをトルコ軍が包囲した。防衛軍は3ヶ月に渡って籠城し、3度の大規模な攻撃を退けた。守備隊が全員餓死若しくは凍死した後にトルコ軍は砦を占拠し、敵兵の遺体を手厚く葬った
伊東軍が建設した石城を島津軍が包囲する。しかし、石城は三方を急流、背後を険しい崖に覆われた天然の要塞であったため、島津は一度撤退した。伊東軍の死者10人に対し、島津軍は500人が死亡し、大将の島津忠長も重傷を負った。2ヶ月後島津軍は1万人の大軍を派遣して城を堕とした。
・ナジカニジャ包囲戦
1601年 ★オスマン軍9000vsハプスブルク6万5000~10万
現ハンガリーの都市ナジカニジャをハプスブルクの大軍が包囲。オスマン軍は潤沢な物資があるように見せかけながら防衛戦を繰り広げ、73日目に奇襲攻撃を仕掛けた。これを敵の援軍と勘違いしたハプスブルクは軍を撤退させた。
マラータ王国の台頭を警戒したビジャープル王国は討伐のために軍を派遣する。マラター軍はビジャープル軍の追撃から国王シヴァージーを逃がすため、狭い砦で命がけの戦いに挑んだ。この戦いで両軍とも兵力の半分を失ったが、シヴァージーは逃亡に成功した。
・ハドウの戦い
1694年 ポーランド・オスマン戦争 ★ポーランド軍400vsクリミア・ハン軍4万
ポーランド領ポジーリャに侵入したタタール軍とポーランド軍が激突した。ポーランド軍は木製の柵で守りを固め、弾薬が尽きれば、モンゴル軍の矢を打ち返すなど奮戦し、撃退した。ポーランド軍の損害は100名足らずに対して、タタール軍は1万人以上であった。
・アナントプルの戦い
シク教の台頭を恐れたムガル帝国は討伐軍を派遣する。しかし、グル・ゴービンド率いるシク教徒たちに敗れる。
・ナフプリオ包囲戦
現ギリシアの町ナフプリオをヴェネツィアはトルコから奪還することに成功し、更にパラミディ要塞を建設し、防衛強化に努めた。しかし、トルコの大軍に包囲され、1週間ほどで陥落し、住民達は虐殺されるか囚人として連行された。しかし、この戦いでトルコ軍も8000人以上が戦死した。
・ガングワナの戦い
1741年 マールワール軍1000vs★アンベール・ムガル・バラトプールなど連合軍1万~4万
マルワール王国はアンベール王国の戦争に敗れ賠償金と土地を要求されるが、国民が怒ったため、報復戦争を開始する。マールワール軍の騎兵ははアンベール軍を強襲し、蹴散らすものの、ムガル軍の砲撃によって敗北した。マールワール軍は全員が戦死するか負傷したが、連合軍は12000人が負傷した。
・レイバー橋の戦い
1855年 第二次フランス・トラルザ戦争 ★フランス軍14vsトラルザ軍1000人
セネガルとセントルイスを繋ぐレイバー橋をトラルザ軍が襲撃するも、14名の守備隊に撃退された。フランス軍は3名が負傷しただけであったが、トラルザ軍は127名が死傷した。
江戸幕府は将軍徳川家茂自ら軍を率いて長州討伐に出征する。しかし、西洋化が進められた長州の装備に苦しめられた挙げ句、家茂が病死したため、撤退した。
1879年 第二次アフガン戦争 イギリス軍75vs★アフガン軍2000
カブールの英国居住地に居たピエール・カヴァナリ郷をアフガン人が襲撃した。護衛達は奮戦し、600人死傷させたが、2名を除いて戦死した。
・マイワンドの戦い
1880年 第二次アフガン戦争 イギリス軍2500vs★アフガン軍2万5000
アフガン人とイギリス軍が激突、数で勝るアフガン人が勝利を収めた。しかし、イギリス軍の死者1000人に対し、アフガン軍の死傷者は1万人以上と勝者の払った犠牲も大きかった。
・シャンガニ・パトロール
1893年 第一次マタベレ戦争 イギリス南アフリカ会社37vs★マタベレ軍3000
イギリス南アフリカ会社は現ジンバブエのマタベレ王ロベングラの逮捕のために軍を派遣するが、待ち伏せに遭い3名を除いて全滅した。しかし、マタベレも400~500名が戦死した。
1896年 フィリピン革命 ★スペイン軍100vsカティプナン800~1000
マニラの東サンフアンでフィリピン独立を求める秘密結社カティプナンが武装蜂起を起こすが、スペイン軍に敗れ撤退した。この戦いがフィリピン独立戦争の始まりとなった。
・カカロン・デ・シリの戦い
1897年 フィリピン革命 ★スペイン軍600vsフィリピン6000
ブラカンでフィリピン人がカカロン共和国の設立を宣言し、砦を築いた。スペイン軍は討伐軍を派遣し、砦を攻略した。反乱軍の残党達はスペインに対してゲリラで抵抗を続けることとなる。
・サラガリの戦い
1897年 ティラ作戦 イギリス領インド帝国軍21vs★パシトゥーン人1万人
ティラ地方のアフガン人がイギリスに対して反乱を起こし、サラガリに駐在していたイギリス軍を襲った。イギリス軍は全滅したものの、アフガン人も450名が死傷した。
・サンタ・クルス包囲戦
1898年 フィリピン革命 スペイン軍700vs★フィリピン軍1万
ラグナのスペイン軍最後の拠点サンタ・クルスをホセ・リサールの兄パシアノ・リサールが包囲した。スペイン軍は2ヶ月に及ぶ抵抗でフィリピン軍に大損害を与えたが、降伏した。
・ベーラー包囲戦
1898~1899年 フィリピン革命 スペイン軍50vs★フィリピン軍800
教会に立て籠もったスペイン軍をフィリピン人達が1年にわたって包囲する。スペイン軍はフィリピン軍が700名の兵力を失う程激しく抵抗し続けたが、スペイン本国が敗れたことを知り投降した
1939年 第二次世界大戦・ポーランド侵攻 ポーランド軍1200vs★ドイツ軍1万7000
ドイツ軍がポーランド軍の防衛するウェンギエルスカ・グルカ村を通過する際にポーランド軍と2日間交戦する。ドイツ軍は勝利したものの、多大な犠牲を強いられ、ポーランド軍の戦死者は7~20名、7名が処刑された。
・ヴェステルプラッッテの戦い
1939年 第二次世界大戦・ポーランド侵攻 ポーランド軍205vs★ドイツ軍2600
ドイツ軍が自由都市ダンツィヒのヴェステルプラッテ半島を攻撃。ポーランド軍は1週間に及ぶ激戦の末に降伏。ポーランド軍の死傷者67名に対し、ドイツ軍の死傷者は300~400名であった。
・ウィズナの戦い
1939年 第二次世界大戦・ポーランド侵攻 ポーランド軍350~700vs★ドイツ軍4万2000
ドイツ軍がウィズナ村を通過した際にポーランド軍の激しい抵抗に苦しめられた。3日間の死闘でポーランド軍は壊滅したが、ドイツ軍も1400名の死傷者を出した。
・ミルの戦い
1940年 第二次世界大戦 オランダ侵攻 オランダ軍2000vs★ドイツ軍3万
ドイツ軍がミル村を通過する際にオランダ軍の激しい抵抗に遭った。ドイツ軍は勝利したが、500人以上が死傷し、オランダ軍は80人が死傷した。
・ソーミュールの戦い
1940年 第二次世界大戦 フランス侵攻 フランス軍2500vs★ドイツ軍4万
フランス軍の訓練生達がドイツ軍の攻略に2日間抵抗した。フランス軍の死傷者250に対し、ドイツ軍の死傷者は400名で戦車も7両破壊された。訓練生達の勇気はドイツ軍指揮官クルト・フェルトですら賞賛した。この戦いはペタン元帥の停戦呼びかけの後に行われたため、最初のレジスタンスであるとされる。
・ニリムの戦い
1948年 パレスチナ戦争 ★イスラエル軍39~45(内12人女性)vsエジプト軍500~800
イスラエルのキブツ(共同体)ニリムをエジプト軍が包囲した。エジプト軍は装甲車、航空機などの支援を受けて攻撃したが、イスラエル軍の防御を突破できず撤退した。
・3234高地の戦い
1988年 ソ連のアフガン侵攻 ★ソ連軍39vsムジャヒディーン、パキスタン軍450~650
3234高地に配備されたソ連空挺隊がムジャヒディーンの襲撃を受けた。ソ連軍は34名の死傷者を出しながらも200名以上を殺害し、撃退した。
・ヴコヴァルの戦い
1991年 クロアチア紛争・ユーゴスラヴィア紛争 クロアチア軍1800vs★ユーゴスラヴィア・SAO36000
クロアチア東部の都市ヴコヴァルをユーゴスラヴィア軍が87日間にわたって包囲した。クロアチア軍は大半が死傷し、多くの民間人も虐殺・追放されたが、ユーゴスラヴィア軍も3600人が死傷し、戦車と武装車両1100両以上と航空機3機が破壊された。
例の勧誘とかアルファベット三文字表記が有名なアレのヒデェ集金の話のような勢いでドアチャイム連打しては、出てこいという旨の内容を叫び、またピンポンという作業を数分間にわたって繰り返し玄関前に留まる子供たちが居る。ピンポンしてもダッシュしていかないんだよ。最近の子供、心が強すぎる。
最大限良い方向性に解釈して何かの遊びなのかもしれないと思いつつ怖いしカルチャーが違いすぎて気持ち悪いんだが。宇宙人とかなの?
でもきっとアレ嫌がらせなんだろうなと考えざるを得ない出来事もあったし、ともかく一度のピンポンの回数と子供の大声が多いし続くんで嫌すぎた。
身近に子供いないので、あの叫び声に特有の高音が苦手だ、現実だと。男の子でも声変わり前は耳にキーンてくる。というか、なんで他人の部屋の前で叫ぶの?
あんまり続くので、思い余って緊急時以外に通報したかったらコッチね!っていう番号に電話してみた。応答してくれたお嬢さんの声がとても優しくて、ありがとう!って気持ちになったけど、その最中もチャイム鳴ってたので案外と同情された感じ。
しかし相手が大人ならともかく子供じゃしゃーねーなーとはお互いに分かっていた。でも出没が多い時間帯にパトロールしてくれるらしい。とりあえず有り難い。でも子供だからなって、しょぼんしてたら、次は緊急時のあっちの番号に通報してもらっていいですから!って言ってくれた。重ねてありがとう。お前のように話しの長いヤツの対応がめんどいんで!って副音声はたぶん無かったと思いたい。
でもウチ田舎だから駆けつけるまでに時間かかって現場を抑えるのはムリだろうな。どうやって解決するんだろうな、こういうの。
以下は詳細をっていうか愚痴りたい。
ウチ、集合住宅っていうかアパートなんだが、古くて安いので当然ながらセキュリティはガバガバだ。でもウチ、一階含めて玄関は二階にあるタイプで、そこに行く外階段は二戸でしか共有しない。ウチかもう一戸に用事がなければ上がってこないハズのつくり。
ドアチャイムは玄関の前まで来ないと押せない。わざわざ階段上がって来ないといけないので、何かのついでにピンポンしちゃったぜっていう言い逃れが通用しない位置取り。
遊びにしても、上記の感じなのでリスク高いですよねとか対応してくれたお嬢さんも言う。でも本当に来るの、チャム聞こえてたからそれは疑ってませんと言ってはもらえたけども。
というか、だから逆に怖い。子供とはいえ幼児じゃないんだよ、子供の年齢よくわからないけど、たぶん10歳くらいな感じの男の子がそのへんのリスクを分からないものだろうか。一人じゃなくて三人から五人以上の集団で来ていて、同調圧力があるにしろ一人も危機感を覚えないものだろうか。
小さい子が冒険で人気のない建物に入りたがるのは知っているし、自分にも子供時代はあったから気持ち分からないとは言えない。でもそれって見つからないようにするのがスリルなんじゃないのか?いけない事してる感をお手軽に味わいたいアレじゃないのか?特に廃墟ではないアパートでピンポン連打して出てこいと喚くとか、何なのだろう。
アパートでも空き地でも他人の敷地に入っちゃいけませんとか、そういう教育が出来てないというか、持っていないカルチャーの親御さんなんじゃなかろうかと、思ってしまう。
出てこいという旨の声がけ時、親呼んで来ようみたいな声も聞こえた。ピンポン連打遊びを止めて欲しいのか、ウチに何かしたいのか判断できねーよ、この手の遊びする子供の親じゃ後者かもしれねーよ、刺されたら怖いよ、ヤバいよって泣き言しか出ない。子供が怖いんじゃないんだよ、その後ろにいる親が怖いんだよ、ウッカリで殺されるかもしれないじゃん、いや子供も意味わかんなくてキモいしコエーけども!刃物持ち出されたら子供でも殺せるし、素手でも突っかかられて自衛したら過剰って言われるじゃん子供相手だと!抵抗できなければ子供相手だって大人が怪我させられるんだよ、当たりどころが悪ければ骨折くらいするよ!骨折すればさすがに親が慰謝料払うのかな?でも骨折したくねーんだよ、怪我痛いじゃん!ピンポン時は立て籠もったとして外出狙って突撃されたら防ぎようがないよ、だって近所のお子様だもん多分、いや近所付き合い無いから知らねー子だけどピンポンの頻度的に近所だよ!しかも複数の子供が近所だよ!どれが突撃してくるの?全部が来るの
?その親も来るの?コエーよ!怪我まで行かなくても生ゴミばらまくとか良く聞く嫌がらせじゃん!キツイよ!って丁寧なお言葉を心がけて吐き出した。対応してくれたお嬢さん、ほんとごめん。
そもそも子供たち、よくアパートの敷地内で遊んでる。というか雨とか降ってないといつも来る。遭遇するのは自分が休日の時だけど、それ以外の日も居るんじゃないかなー、この勢いだと。でも同じアパートの子ではない、単身者用。住人が招き入れてもいないと思う、大人が同伴していた事は無い。というか行動パターンからして近所の子だと思う。
自分が越してくる前から遊び場の一つだったんだろうな、まったく躊躇なく入ってくる。
近くに広い公園あるじゃん?広いだけで遊具もロクに無いけど立派な公園じゃん?そっちに行きなよ。
つーか小学校は放課後も児童を収容してくれないものだろうか、日が落ちるまで。ムリか、せめて保護者の監督があれば校庭開放するとか、そういう感じにしてくれれば正論で押し通して学校行くか保育所に預けろ、監督者をつけろ、虐待か?って言えるんだけど。言うだけは。
ほどほどに中途半端な田舎なので一軒家しか無いって事も無くウチ以外にもアパートの需要はあるみたいでポツポツは集合住宅もある。とはいえやっぱり田舎で一軒家は庭は狭くても箱は大きめで三世帯のお家多い。そして最寄り駅が遠いので車は一家に一台じゃなくて一人一台的な文化は濃い、つまり一家に二台以上は車がある。ガチ田舎とかガチ金持ちの住んでる地域なら三台でも四台でもガレージに余裕で入るんだぜ!ってなるだろうけども、はんぱな田舎なので、だいたい一台分の駐車場しかない建売住宅味も深い。不動産関係者はもっと考えて上げて!ムリだろうけど!っていう。半分くらいは必要な台数が収まる駐車場持ってるお宅も有るんだけどね。格差社会つらい。
ウチの隣も月極駐車場。コインパーキングだったら間違いなく煩いし不特定多数が出入りするのアレなので一階が店舗はムリって人種は避ける物件だし、自分も絶対に住まない。駅前とかじゃない住宅多いほどほど田舎の月極は自分の家に家族分の車入らないからって近所の人が借りてるパターンが多くて、そんなに頻繁には出入りしない。マンションの屋外駐車場くらいのノリ。駐車場はいずれ箱建てる予定地とは良く聞くので迷いはしたけど、入居前に聞いた所、実はアパートの大家の土地らしく、もう金ねーから箱は建てないって事だったので。気は変わる事もあると覚悟した上で決めた。
というのが長い前ふりで。何かっていうと地域柄アパートにも駐車場ついてる物件がわりとある。ウチもそうだ、という話。
車の止まっていない駐車場は子供の遊び場になりやすい。とはいえ、本当は遊ばせちゃ危ないしダメだし、そもそも自分が住んでる集合住宅の駐車場であるとか、契約してる月極であるとか、最初のハードルは有るハズだと今回の事があるまでは思っていた。
しかし子供ら気にしない。アパートの駐車場でめっちゃ遊ぶ。隣の月極駐車場でも遊ぶ。ブロック塀乗り越えるのすら遊び。アパート裏の側溝の蓋が格子タイプなので、持ち上げて落として繰り返してがっしゃんがっしゃん音立てて遊ぶ。遊ぶっていうか、側溝の蓋、どうして持ち上げるの?何か落とした訳でもないのに
?というか、よく持ち上がったな、自分はムリだぞ、腰をやってしまう。子供って頑丈だな、羨ましい。
近所の住人しか通らない感じとはいえ公道がコートだぜとばかりに蹴鞠ごっこに興じる。道で遊んじゃダメだよ!っていう教育ができてない子供とその親。怖い。でもって、ボールは相棒とばかりにアパートの外周を駆け、アスレチックのノリでアパートの外階段を上り下りして踊り場で隠れんぼする。やっぱりボールもある。無い時もある。やめろ、ウチのアパートの壁は薄い、紙のようにペラペラだ、貴様らの声も足音もボールも、振動という振動がよく響くんだ、前の道を車が通るよりも大きくな!
通り過ぎていくだけなら我慢しても、留まって遊ぶってどういう事なんだろう、しかも叫ぶ。なんで?
半年くらい前に一度、止めてねって言った事はある。
玄関前で何かずっと遊んでる声がするし転んだかなんかしたらしく、しきりに怪我を心配する声もした。
エ、ウチの玄関前で流血とか面倒じゃない、巻き込むな!現場検証とか聞き込みとかになったら面倒だよ、自分もいつか世話になる想定でご協力するのが社会人だけど、でも面倒だよ、今回その面倒かけたの自分だけど、他人事なら面倒だよ。じゃなくて子供が怪我したとか騒いでたら救急車居る?って普通の大人は心配する素振りを示すものなので疾く去ね!招いてもねーけど!じゃなくてお引き取りください。
ってことでドアチェーンしたまま開けたら小さい玩具を床にばらまいて円陣くんでた。何の儀式?って言いそうになった。
いちおう怪我の有無を確認の上で、ご用事無いなら知らない人のお家の敷地に入っちゃダメなんだよ?敷地ってお庭とかお車とか置いてある場所の事だよ、全部を塀で囲ってなくてもダメなんだよ、この建物にお友達が住んでるのかな?住んでないよね?じゃあ止めてめてね?って言っただけ。恫喝したとか親が出てくるとアレだから、できるだけ優しく穏やかにと自分に言い聞かせつつ。
同じアパートの住人は側溝の蓋がっしゃんがっしゃんの時に窓開けて怒鳴ってた記憶があるので、たぶん何の効果も無いだろうな、と分かっていたけど。目が合って無言で玄関閉めるのも感じ悪くてイチャモンつけられるかもしれないし、もう目が合った時点で終わってたからダメモトで言うだけ言ってみた。
原因これだろうな、きっと。
ずっと家に居るわけじゃないから気づくまで期間あったけど。気づいてからはアパートの駐車場と外階段アスレチック遊びにピンポンがセットになったからな。
あと遊びに来てるの気づかなかったり、やむを得ず洗濯物干しに出ると遊びの手を止めて全員でコッチ見るの。一人じゃない、三人から五人以上の10歳くらいの子供が一斉にコッチ見るの。コエーよ、気持ち悪いよ。自分、悪いことしてないのに、お前らが立ってるのアパートの駐車場なのに。もうヤダー。
子供もしくはその親が突進してきて怪我させられるか殺されるか、自分がノイローゼになるのか。もうなっているのか。
どれが先なんだろうとモヤモヤしている。
子供じゃなければ、勝手に敷地に入った時点でやりようもあるんだろうけど。子供じゃなければヘンな人なので自分はもう死んでいたかもしれず。
モヤモヤする。そして怖い。親が出てきたらどうしよう。やべぇ子の親はやべぇ親だよと思いがち。
吐き出してみたけど、ループるばかりだった。
Ayam
@MakitaAya
大学生の娘の勉強見てたら次の課題コレって…どうしよう…本当にどうしよう…ガチで怖いんですけど😱
手に変な汗かいた💦
Fラン大学が現代文の時間にやるなら仕方ないけど、もし歴史学だったらいくら何でもやばすぎる。
歴史学で日本語の要約させるってのは学問の体を成してない。史観の問題じゃないよ。
高校世界史の教科書で圧倒的シェアを誇る、山川出版社の「詳説世界史B」では、大日本帝国の東南アジア政策について、
「…東南アジアの占領地では、当初、日本を欧米諸国の植民地支配からの解放者として迎えたところもあった。しかし、日本の占領目的は資源収奪とそれに必要な治安確保であり、軍政のもとで、日本語教育や神社参拝の強制など、現地の歴史や文化を無視した政策がおこなわれた。さらに、シンガポールやマレー半島、フィリピンでは住民への残虐行為や捕虜を含む強制労働が多発したため、住民の激しい反感を呼び、日本軍は各地で抵抗運動に直面した。」
また、世界史資料集でも、これも受験向きとされシェアが大きい帝国書院の「タペストリー」では、
「④泰麺鉄道の建設 日本軍が占領した東南アジアなどの南方地域でも、日本文化が押しつけられた。また、日本軍は、多くの現地の人々や連合軍捕虜を、鉄道建設などの過酷な労働に動員した。」と、写真付きで紹介している。
これらのことから、課題文の日本の歴史教育disは、完全に根拠のないものだということが分かる。
さらに課題文の、「『3年半の日本占領期は350年のオランダ植民地時代よりも残酷だった』という文句は広く人口に膾炙している。」は本当かよ。
19世紀前半、イギリスを筆頭に奴隷制廃止の機運に逆らって、ベルギーを失ったオランダはその経済的損失を埋めるべく、ジャワに事実上の奴隷制である強制栽培制度を実施し、19世紀後半にはオランダ領東インドから得られる利益はオランダの歳入の1/3から1/2を占めるまでに至ったと言われている。それほど搾取は過酷だった。
その後も搾取を強めたオランダに対し1873年から始まったアチェ戦争では、アチェ側の死者は10万人を超えている。
また日本敗戦後、デヴィ夫人の旦那スカルノが中心となって、オランダを相手に戦われたインドネシア独立戦争では、およそ10万人のインドネシア人が命を落としている。(ちなみにこの独立戦争には約900名の旧日本兵が参加してもいる。)
オランダは国際世論の抵抗に逢い、アメリカにマーシャルプランの停止をちらつかされて、しぶしぶインドネシアを手放したんだよ。(佐藤弘幸「オランダの歴史」河出書房)
文学ベスト100と検索すると、国内に限ってもいろいろなランキングが出てくる。英語圏では、ベスト100を選んだときどのような小説がランクインするのか、気になって調べてみた。
そうすると、日本と同様にたくさんの種類のランキングが出てくるが、これらをひとつひとつ紹介するのも退屈だ。
だから、それなりに信頼がありそうないくつかのランキングを選んで、それらにくり返し選出されている作品名をここに挙げてみたいと思う。
なにをもって信頼があるというのかは難しい問題だが、だいたい以下のような基準を満たしているランキングだけを取り上げることにした。
英語で検索しているからには、英語で書かれた小説が多くランクインするのは当然なのだが、英語圏に限らず、世界の文学を選出の対象にしていることを条件とした。なので英米文学オンリーとかなのは避けた。
2000年以降に発表された小説の割合が高すぎたり、「ハリー・ポッターシリーズ」のような、あまりにエンタメ寄りの小説を選出しているものは除外した。
「ハリー・ポッター」が文学かどうかは知らないが、それが文学ベスト100に選ばれているランキングが参考になるかというと、あまりならないんじゃないかな。
どのランキングにしても19世紀以降の西洋文学に偏りすぎなのだが、そこはもう仕方がない。
このような基準で選んだランキングは以下の4つ。検索すればソースはすぐ出てくると思う。
・ガーディアン誌による「The 100 greatest novels of all time」(いつ誌上に掲載されたのかはわからなかった)
・Goodreadsによる 「Top 100 Literary Novels of All Time」(国内でいうと読書メーターや読書ログみたいな位置づけのサイト。ユーザーが投票して選出している)
・Modern Library(アメリカの出版社)による「100 best novels」
・アメリカの文学者Daniel S. Burtによる「the Novel 100: A Ranking of the Greatest Novels of All Time」(同タイトルの書籍がある。Burtは英文学の講師をしていたらしい)
4つのランキングのうちすべてに選出された作品は、ナボコフの「ロリータ」と、ジョイスの「ユリシーズ」の2つだった。ロリータすごい。
4つのランキングのうち3つに選出されたのは、以下の28作品。
このうち22作品はすでに読んでいた。
けっこうそれっぽいタイトルが並んでいるように見えるが、日本ではほとんどなじみのない作家も中にはいる。ジョセフ・ヘラーとかフォード・マドックス・フォードとか。
フォードの「善良な軍人」が翻訳されているかはわからなかったが、これを除けばすべて翻訳で読むことができる。すばらしい。
ブコメの指摘から、フォードの"The Good Soldier"(上では「善良な軍人」と訳した)は、「かくも悲しい話を…」という邦題で翻訳されていることがわかった。ありがとう。
アメリカの、不法侵入者は銃殺してOKと言う悪名高き州に住んでた事があるけど
戸締りとか結構いい加減。どこのアパートもドアチェーンがデフォでついてなかったくらい。
あと文化的に家の中を見せる事に抵抗がないようで、夜になるとブラインドの隙間から中に誰がいるのか見えたり。
でも考えてみれば、不法侵入するにも銃殺される覚悟が居るわけで
そりゃ生半可な事では誰も入ってこないわな、と。
でも一般的な地域同士で比べるなら、女性にとっては日本の方が治安悪いよなあと思った。
日本だと女性の一人暮らしとバレたら不法侵入なんて簡単にされるから、戸締りは常に確実に&女性の一人暮らしだと絶対に知られてはならない、って感じだしね。