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2020-05-11

コロナあぶり出した埼玉の貧弱さについて考えてみた

以前、さいたま市保健所長が「病院があふれるのが嫌で(検査対象の)条件を厳しくしていた」と発言したとしてニュースになったり、今日も、4月半ばごろには入院まちが200人以上いたという記事ホッテントリ入りしてたりして、埼玉医療結構やばいということは、うっすらと伝わっているとおもうので、その背景みたいなことをド素人なりにつらつら考えてみた。

なお、自分は元埼玉県民、いまは都内に住んでいるが、親族や知り合いに埼玉県民はたくさんいる。

埼玉在住の自分の姉も、4月半ばごろ「これまで経験したことのない風邪」に苦しめられていたらしく(直接あってないので、どれくらい苦しかたかはよくしらない。当人証言のみ)、何度も電話かけてやっとつながった相談窓口に「とにかく自宅で様子見てくれ」の一点張りに途方にくれていたところ、そのうち症状がなくなったらしい。

コロナだったのかどうかは、いまだに確証がない。

で、埼玉医療事情だが、まず大前提として、埼玉医師も病床数も全国屈指に足りていない。

これは、自分の子供のころ、つまり昭和のころからいわれていた。

今や全国5位の人口を誇る埼玉県だが、国公立医大医学部存在していない。

いや、正確にいうと、所沢防衛医科大学校というのがあるのだが、これはやはりちょっと特殊学校で、卒業生基本的自衛隊医官になってしまうので、地元医師供給されないし、防衛医科大の医局地元病院を牛耳ることもない。

唯一、埼玉県内で文科省管轄する医大医学部私立埼玉医科大学だけである

ずいぶん昔、田中角栄が「1県1医大構想」を掲げたころに、埼玉大学国立地元では県庁職員と小中学校教員供給源として知られる)に医学部を!という話もあったらしいのだが、うまくいかず、その代わりに開設が認可されたのが埼玉医科大学らしい。

一説には、当時の知事医師会のあれやこれやとか、地元政界魑魅魍魎話とかいろいろとあるようだが、詳細はしらない。

ただ、埼玉医科大学創立者一族は、歴代埼玉県議長だったり県議だったりする、というのがあって、そのへんがまたいろんな噂を呼ぶ素地ではあるのだろう。

なお、埼玉医科大系の病院は、ホームページ入院案内をみると何よりも目立つように赤字で「前納金」について書かれていて、まあ、そんな感じらしい。

医大としては歴史が浅いので偏差値は低いのに学費は高く、よってしたがって、学生は「どうしても子供医者にしたいという開業医の、成績が今一つの子息ばっかり」だとかなんとか。

最近卒業生教員もいるようだが、その昔は東大とか慶応から移ってきた教員が、それこそ神様のように扱われていて、一昔前の医学ドラマのようだったという話もよく聞く。

場所毛呂山という、秩父ほどではないが微妙田舎

あと、日本で初めて正式に性転換手術をしたことでも有名になった大学でもある。

人口120万を超える政令指定都市にして県庁所在地であるさいたま市には医大はない。

自分は旧浦和市(現さいたま市)の出身なのだが、自分の子供のころ、地元で大きな病院といえば市立病院社会保険病院しかなく、そこで対処できない「難しい病気」の人は都内大学病院に通院したり入院したりする、という風習があったように記憶する。

そういえば、亡き父が心臓弁膜症の手術をしたのも都内の某大学病院だった。

そもそも埼玉南部に住んでる「埼玉都民」は、なにかというと東京にでるのが当然なのである

医療に限った話ではないが。

なんとかしなければ、とこれまで行政が動いてこなかったわけではなかろう。

平成の初め頃、大宮自治医大病院ができたのは、地元では大きなニュースだった。

もともとは高層ビル埼玉タワー(スカイツリーと誘致を争っていた)の建設計画をしていた、さいたま新都心空き地には、県の働きかけによって規模が大きくなった赤十字病院と県立小児医療センターが鎮座することになった。

駅徒歩4分、コンサート会場としても名高い「さいたまアリーナ」の目の前に大病院が建ってるのは、なにやら異様な光景ではあるのだが、まあ、一番必要施設を建てたということだろう。

サッカー聖地さいたまスタジアムにほど近い開発地域に、県と市が土地提供して順天堂大学病院を呼んでくる話も進んでいて、当初計画では今年にはできているはずなのだが、予定地はいまだ空き地。去年だったか木下サーカスが公演をしていた。

では、埼玉県民はどうやって医療過疎をしのいでいるのか?

埼玉住み、東京勤務だったりすると、会社健康診断都内で受けたりする。そこで異常が見つかって精密検査して治療必要になると、紹介されるのは都内病院だったりする。

自分埼玉実家から東京に通っていた時期があるのだが、その時期、再検査に引っかかって胃潰瘍がみつかって、薬でピロリ菌除去する治療を受けたりしたのだが、それら全部、都内で済ませる結果になった。

要するに、埼玉県の通勤圏の人たちの医療は、多分に都内依存してるのであって、だから「一人当たり医師数・病床数全国最悪」であってもこれまでなんとか回っていたのであろう。

ところが、コロナウイルス対応は、都道府県単位でしきられている。これは、埼玉県にとってはつらい。

昨年の8月に野党系の支持を受けた知事誕生したこともあって、「知事無能さ」をたたく人がネット散見されるが、まあ、飛び切り有能な知事でもないかもしれないが、しかし、知事能力はいかんともしがたい構造問題を抱えていることは理解しておいてよいと思う。

そして、埼玉県民は今日もたくさん、東京通勤している。

おそらく「テレワークに移行しましょう!」と、スムーズに移行できる一流企業にお勤めのかたはStay Homeしているのだろうが、そうでない埼玉県民はたくさんいる。

そもそも、一流の企業に勤め、一流の給料をもらっている人は、できれば埼玉ではなく都内に住みたいのであって、「そうでない人」の比率は、都民より埼玉県民のほうが多かろう。

安い給料に耐え、通勤電車に耐え、毎日東京で働いて東京経済を支えている埼玉県民は多いはずだ。

そして、東京から埼玉コロナウイルスをせっせと運んでくるのである

もともと、埼玉は「観光宿泊する人」が全国でも屈指に少ない県である観光地少ないから。

そんな埼玉に、一番ウイルス運んでるルートは、通勤のほかには考えられない。

そして、マスコミ東京には注目しても、埼玉には注目しない。逆に「福井石川に持ち込まれた」みたいな話とかならニュース性もあるのだろうが、東京の隣で深く静かに進行した医療崩壊にはなかなか目が向かない。

一極集中」というと、東京地方の話になりがちだが、じつは隣の県から見ても、東京はいろいろ集中しすぎてるのだろう。

で、埼玉県民は仕事医療も遊びも東京にいく(いかざるをえない)ので、毎日、人は東京に集中してはまた埼玉に帰ってくる。

そんな構造のなかで、「Stay Homeです、移動しないようにしましょう!」という事態に陥って、都や県の単位での対応に迫られたとき、切り離された埼玉が苦悩するのも当然といえば当然な気もしている。

2020-03-02

高山義浩氏の記事への疑問

https://www.facebook.com/100001305489071/posts/2726515674068589/を読んで。

厚労省ガイドラインとの差異について

厚労省ガイドライン(https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000164708_00001.html)には

現時点では新型コロナウイルス感染症以外の病気の方が圧倒的に多い状況であり、インフルエンザ等の心配があるときには、通常と同様に、かかりつけ医等に御相談ください

とある果たして新型肺炎は症状からインフルエンザやその他の病気区別できるのだろうか?素人である自分にはできそうにない。よってある程度の高熱が出たら病院に行くと思う。もしインフルエンザだったら早めに受診した方が薬が効きやすい。

厚労省ガイドラインではこうした行動を否定していないように読めるが、高山氏は否定している。この差異はどこから来るのだろうか。

また高山氏は新型肺炎だけを念頭に置いているように見えるが、病気になった側からするとそもそも何の病気なのか分からない。新型肺炎には今のところ有効治療法が無いとされるが、自分がかかっているのは治療法が存在する別の病気かもしれない(というか大半はそうだろう)。それでも病院に行くなということなのだろうか。

指針の示し方について

一般論だが、厚労省が示しているようなガイドラインは「条件を満たす人は〇〇してください」という目的で使われるべきものだ。「条件を満たさない人は〇〇しないでください」という使い方はガイドラインを満たさない人がたとえ危険でも必要な行動を取らない可能性に繋がる。

高山氏の「軽症者は病院に行くな」は、この危険な使い方に当てはまるのではないか。実際ブコメを見ると「発熱が4日以上続くまで病院に行くな」というような使われ方をしているように見える。

その基準杓子定規に守ったら発熱4日目を迎える前に症状が悪化し、合併症などで死亡する人も出てくるだろう。

高山氏は当然それくらいのことは分かっていて「基礎疾患がある方や高齢者については、症状を認めた段階で、かかりつけ医相談することをお勧めします」と書いているのだと思うが、この部分を読まなかった人が高齢者の両親に「軽症なら病院に行くな」と言ってしまうかもしれない。

じゃあどうしろってんだよ

韓国がやっているように新型肺炎だけ病院とは切り離した屋外診療所受診できるといいよね。そうすれば「軽症者は屋外診療所に行ってください」と言える。

厚労省医官である高山氏がそういう体制作りに取り組むことができず、国民病院に行くなと迫るしかない構図は見ていて悲しくなる。

2020-02-24

anond:20200224010023

気が済んだようで何より

ちなみにコロナ関係省庁は厚生労働省は当然として、港湾から国土交通省中国イギリスそしてアメリカなどが関わっているため外務省自衛隊から医官などを借りているため防衛省が関わっている

地方ダイヤモンドプリンセスが入港している横浜港関係するので神奈川県

まり厚生労働省国土交通省外務省防衛省、そして神奈川県関係者に会っていてもコロナ関連の話なんだなと予想がつくやで

2019-11-05

子宮頸がんワクチン危険ではないのなら女性自衛官女性警察官女性消防士に接種義務すればいい

子宮頸がんワクチン危険なのでしょうか https://medical.jiji.com/topics/1046

接種者の提示されていない過去の期間も自衛隊員警察官なら医官が精密にデータをとれるはずだ

安全なら自衛隊警察消防市役所霞が関はもちろん医療食の公務員様は全員義務でいいはずだよね?

2018-08-02

医学自由であるべき」という主義自分としては当然に東京医大

女性受験者に対する一律減点措置に対しては避難する立場にある。

医学学問であり,学問の自由の下に一定学力日本国籍があれば,年齢性別出身地人種において差別されることなく学ぶことができなければならないと考えている。

したがって今回の東京医大女性受験者への一律減点措置醜悪性差別であると同時に,日本国憲法への重大な挑戦であると受けとめ,誠に遺憾であるとこれを匿名非難する。

また「予め減点を広報すべきである」という意見は男女共同社会及びポリティカル・コレクトネス時代において愚考と言う他ないだろう。

が,個人として絶賛過疎であるおらが村に女性医師が来てほしい,また入院中の担当医になって欲しいか?と問われれば断固として拒否する。

その理由は散々言われていることであろう女性医師ゆえの不具合が多すぎるからである

まして担当が変わっても製品は変わらない通常の会社業務と違い,出産育児限定したライフイベントによる医療過疎,

担当医師一時的変更による一貫性のある治療が受けられないこと,

さら生理日による感情と体質の変化によって診断の基準が変化することに依って患者が被る負担は計り知れないものがある。

また飢餓不眠不休への耐性はあるが,一般的責任感が欠けていることを否定する要素がないことを統計証明してしまっている。

かつて結城法子三佐という女性医官(と同時に部隊を率いる幹部自衛官)が舞台に無断でチュニジア旅行に行き,そこでテロによる負傷を受けた。

当時の状況の説明を求める記者へ「頭が真っ白になり涙が溢れて」と取材を拒絶したこと批判が集まったことを覚えている人も多いだろう。

氏は結局逃げるように依願退職したが,こんなことを過疎の村や重大災害時にやられてはたまったものではないだろう。

それを男女共同参画実現のために受任せよと,そのために増税を受け入れろ言われて黙っていられるだろうか。

生命がかかっているのである

2018-01-15

anond:20180115144843

3学年になるのなら「矯正医官学生」が使えるようになるけれど、検討しはしてみた?

2017-05-19

原因・背景[編集]

1871年(明治4年)10月宮古島から首里年貢輸送し、帰途についた琉球御用船が台風による暴風遭難した。乗員は漂流し、台湾南部に漂着した。船には役人と船頭・乗員合計69名が乗っていた。漂着した乗員66名(3名は溺死)は先住民現在台湾先住民パイワン族)に救助を求めたが、逆に集落拉致された。

先住民とは意思疎通ができなかったらしく、12月17日遭難者たちは集落から逃走。先住民は逃げた者を敵とみなし、次々と殺害し54名を斬首した(宮古島島民遭難事件)。12名の生存者は、漢人移民により救助され台湾府の保護により、福建省の福州経由で、宮古島へ送り返された。明治政府清国に対して事件の賠償などを求めるが、清国政府は管轄外として拒否した。翌1872年明治5年琉球を管轄していた鹿児島県参事大山綱良は日本政府に対し責任追及の出兵を建議した。1873年(明治6年)には備中国浅口郡島村現在岡山県倉敷市)の船が台湾に漂着し、乗組員4名が略奪を受ける事件が起こった[1]。これにより、政府内外で台湾征討の声が高まっていた。

開戦準備へ[編集]

副島種臣

宮古島台湾遭難事件を知った清国アモイ駐在アメリカ合衆国総領事チャールズルジャンドル(リゼンドル、李仙得)は、駐日アメリカ公使チャールズ・デロングを通じて「野蛮人懲罰するべきだ」と日本外務省提唱した。

初代龍驤台湾出兵旗艦であり副島種臣大久保利通をそれぞれ、中国に運んだ。

孟春(砲艦)は三本マストスクーナー型鉄骨木皮の小型砲艦で、台湾出兵に参加した。

外務卿副島種臣はデロングを仲介しルジャンドル会談、内務卿大久保利通ルジャンドル意見に注目し、ルジャンドル顧問として外務省雇用されることとなった。当時の明治政府では、朝鮮出兵を巡る征韓論などで対立があり、樺山資紀や鹿児島県参事大山綱良ら薩摩閥は台湾出兵を建言していた。これらの強硬意見の背景には、廃藩置県によって失業した40万人から50万人におよぶと推定される士族の不満のはけ口を探していたことがある[2]。

1873年、特命全権大使として清国に渡った副島外務卿は随員の柳原前光を用いて宮古島台湾遭難事件などの件を問いたださせたが[注釈 1]、清朝の外務当局は、台湾先住民は「化外」であり、清国統治のおよばぬ領域での事件であると回答して責任回避した[1]。その後、日本ではこの年秋、朝鮮使節派遣をめぐって政府が分裂し(明治六年政変)、また、翌1874年1月の岩倉具視暗殺未遂事件、2月の江藤新平による反乱(佐賀の乱)が起こるなど政情不安が昂じたため、大久保利通を中心とする明治政府国内の不満を海外にふり向けるねらいもあって台湾征討を決断し、1874年明治7年)4月、参議大隈重信台湾蕃地事務局長官として、また、陸軍中将西郷従道台湾蕃地事務都督として、それぞれ任命して軍事行動の準備に入った[1]。

明治六年政変における明治天皇勅裁は、ロシアとの国境を巡る紛争を理由とした征韓の「延期」であったため、ロシアとの国境が確定した際には、征韓派の要求が再燃する可能性が高かった。政変下野した副島にかわって外交を担当することとなった大久保としては、朝鮮よりも制圧が容易に思われた台湾出兵をむしろ積極的企画したのである

台湾での戦闘[編集]

西郷従道

台湾出兵に対しては、政府内部やイギリス公使パークスやデロングの後任のアメリカ公使ジョン・ビンガム(John Bingham)などからは反対意見もあった。特に参議木戸孝允らの長州系は征韓論否定しておきながら、台湾への海外派兵をおこなうのは矛盾であるとして反対の態度をくずさず、4月18日木戸参議辞表を提出して下野してしまった。そのため、政府は一旦は派兵の中止を決定した。

台湾出兵時の日本人兵士

水門の戦 最も激しい戦いであった。当時の日本人による版画[3]

国立公文書館が所蔵している公文書によると1874年4月4日三条実美により台湾蕃地事務局が設置される。(以後の任命は当時太政大臣であった三条実美からの奉勅となっている)同年4月5日台湾蕃地事務都督に西郷従道が任命される。[4]同年4月6日谷干城赤松則良に台湾蕃地事務局参軍と西郷従道を輔翼し成功を奏する事を任命される。[5]同年4月7日海軍省から孟春艦、雲揚艦、歩兵第一小隊、海軍砲二門と陸軍省から熊本鎮台所轄歩兵大隊砲兵一小隊出兵命令が命じられる。[6]という経緯になっている。

5月6日台湾南部上陸すると台湾先住民とのあいだで小競り合いが生じた。5月22日台湾西南部の社寮港に全軍を集結し、西郷命令によって本格的な制圧を開始した[1]。6月3日には牡丹社など事件発生地域を制圧して現地の占領を続けた。戦死者は12名であった[1]。しかし、現地軍は劣悪な衛生状態のなか、亜熱帯地域風土病であるマラリアに罹患するなど被害が広がり、早急な解決が必要となった。マラリア猖獗をきわめ、561名はそれにより病死した[1]。

収拾への交渉[編集]

明治政府は、この出兵の際に清国への通達をせず、また清国内に権益を持つ列強に対しての通達・根回しを行わなかった。これは場合によっては紛争の引き金になりかねない失策であった。清国の実力者李鴻章イギリス駐日大使パークスは当初は日本軍事行動に激しく反発した。その後、イギリス公使ウェードの斡旋で和議が進められ、8月、全権弁理大臣として大久保利通北京に赴いて清国政府交渉した。大久保は、ルジャンドルフランス人法学者ボアソナード顧問として台湾問題交渉し[7]、主たる交渉相手総理衙門大臣の恭親王であった[1]。会談は難航したが、ウェードの仲介や李鴻章の宥和論もあって、10月31日、「日清両国互換条款(zh)」が調印された[1][7]。それによれば、清が日本軍出兵を保民の義挙と認め、日本は生蕃に対し法を設ける事を求め、[8]1874年12月20日までに征討軍を撤退させることに合意した。 また日清両国互換条款互換憑単によると清国遭難民に対する撫恤金(見舞金)10万両(テール)を払い、40万両[注釈 2]を台湾の諸設備費として自ら用いる事を願い出費した。[9]また、清国日本軍の行動を承認したため、琉球民は日本人ということになり、琉球日本帰属国際的に承認されるかたちとなった[1]。

帰結[編集]

日本清国との間で帰属がはっきりしなかった琉球だったが、この事件の処理を通じて日本に有利に働き、明治政府は翌1875年明治8年)、琉球に対し清との冊封朝貢関係廃止明治年号使用などを命令した。しか琉球は清との関係存続を嘆願、清が琉球朝貢禁止に抗議するなど外交上の決着はつかなかった。

1879年明治12年)、明治政府のいわゆる琉球処分に際しても、それに反対する清との1880年明治13年)の北京での交渉において、日本沖縄本島日本領とし八重山諸島宮古島中国領とする案(分島改約案)を提示したが、清は元来二島領有は望まず、冊封関係維持のため二島琉球に返還したうえでの琉球王国再興を求めており、また、分島にたいする琉球人の反対もあり、調印に至らなかった。

また、明治政府兵員輸送英米の船会社を想定していたが拒否され、大型船を急遽購入して国有会社の日本国郵便汽船会社に運航を委託したがこれも拒否され、大隈重信はやむなく新興の民間企業である三菱を起用することに決定したが[10]、この協力により、以降、三菱政府からの恩恵を享受できることとなり、一大財閥になるきっかけとなった[11]。

台湾出兵と熱帯病[編集]

被害[編集]

日本軍の損害は戦死8名、戦傷25名と記録されるが、長期駐屯を余儀なくされたため、マラリアなどの感染症に悩まされ、出征した軍人軍属5,990余人の中の患者延べ数は1万6409人、すなわち、一人あたり、約2.7回罹病するという悲惨な状況に陥った。

軍医部の対応[編集]

1871年(明治4年)、兵部省は、陸軍省海軍省に分かれ、軍医寮は陸軍省に属し、軍医頭は松本良順(のちに順)であった。台湾出兵当時、軍医部は創立より日が浅く経験不足であったが、総力を挙げて事態にあたった。出征軍の医務責任者は桑田衡平二等軍医正(少佐相当)、隊付医長は宮本正寛軍医大尉相当)であった。他に24名の医官を従軍させた。医官は全員奮闘したが、極悪の環境と猛烈な伝染病で病臥する者が多く、西郷都督からは薬だけでも兵士にあたえてほしいと要請された。医官の多くは漢方医で、熱帯病の治療にはまったく経験がなかったという。かれらは交代の22名が到着したため、ようやく帰国できた。宮内省から外国人医師が派遣された。ドイツ出身のセンベルゲル(Dr. Gustav Schoenberg)は、東京大学医学部前身にあたる大学東校お雇い外国人医師レオポルト・ミュルレルの推挙であったが、能力がなくトラブルを起こした。しかし、彼とともに送られた6台の製氷機械は大いに役に立ったといわれている[12]。

2012-09-29

航空学生2次試験について

まえに受けたときの雑感が出てきたか晒す

後輩たちの助けになりますように・・・

航空学生二次試験メモ

7.:30集合

航空おちて海だったらどうするのみたいな書類を書く

2次または3次って書いてあったから2次オチで海にまわることもある?

9時くらいから知能検査

小学生程度の加減乗除暗算 20問 4分 

4問くらいやってない

おなじく常識問題 (コロンブスは何人 オランダ ドイツ スペイン アメリカ)…みたいな 20問4分 

8割方とけたと思う

左右の記号や文字が一致しているか ○× 32問 2分 

全部合ってるけど10個くらいやってない

図形に0から9の数字が当てはめられていて、図形を数字に置き換えるやつ 60問くらい4分 

40問ちょっとは書いたと思う。これだけは解答数-誤答数だったか

図形を半分にして正方形をつくりなさい 9問くらい 5分

無理!

性格検査 防衛省用 Y-G検査

どこが違うのかは良く解らん

身体検査

午前中

パンツ一枚編

体操前後屈・T字バランス・腕組み閉眼片足立ち)

俺だけこけて再検査ダサいwwwww

色覚検査絵本(低度の色弱なら問題なさそう)

耳抜きできるか

眼球運動

身長体重・胸囲

肺活量

握力

…たしかこれだけ。

医官の人が返事が小さくてキレてた

だった。返事はしっかりしましょうね

服着たあと

尿検

採血

何故か再検wwwww

心電図

歯科

胸部レントゲン

くらいだったかな…

午後

視力 超手作業 なんとか環に1から8の数字が振ってあってその向きの数字を言う

視野 目を動かさずに端っこから指し棒が現れるからみえたらストップをかける(これは目の大きさによると思うけどね)

近距離視力 

豆本サイズに書いてある文字みたいなのを読まされる

中距離視力

豆本サイズよりちょっと大きな文字を 近距離より遠くのところで読まされる(0.2しかからない)

深視力

失敗すると問診室に行って3D絵本検査を受けて、深視力を再受験できるか決まって再受験。再受験とき試験官が気持ちやさしい

あと目にモノをどんどん近づけて目がどこまで寄るか見る奴

斜位

機械に顔をくっつけて光の点を見て縦と横の赤い線をリモコンでいじって位置が光に合うように調節する

聴力

電話ボックスみたいなのに入れられてヘッドフォン付ける

頭小さいとぶかぶか。右からいきますとかなんにも言ってくれない

音めちゃくちゃ小さい。呼吸するとわからない。

血圧・脈拍

座った状態・寝た状態・たった状態で測る。じみーに時間がかかって眠くなる。

顔面レントゲン

問診

検査結果とか、お医者さんが気になったところを聞かれる

うまく出来なかったと思ったら再検査があるんじゃないカナ。

だって、全員の再検査が終わるまで待機だからね!

開放時間7時30分くらいだし。

でもこれで、医務官がピリピリしていた理由はなんとなくわかった。これ5日間やるんだぜ。俺なら発狂だね…

 
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