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2021-07-11

日本天皇51~100代

51.平城天皇(806~809)

 官司の統廃合、観察使の派遣など行政の立て直しに取り組んだ。藤原薬子を寵愛したが、譲位薬子の変が起きたため、出家した。

52.嵯峨天皇(809~823

 薬子の変鎮圧弘仁格式新撰姓氏録編纂した。三筆の一人にも数えられる文化人

53.淳和天皇(823~833

 経国集令義解、秘府略を編纂させた。

54.仁明天皇33~850)

 在位中に令義解施行され、日本後紀が完成した他、承和の変が起き藤原氏繁栄の基礎となった。医学書道和歌など初学に精通した知識人

55.文徳天皇(850~858)

 続日本後紀編纂を開始した。病弱であったため、政治の実権は藤原良房がが握った。

56.清和天皇(858~876)

 幼くして即位したため、良房が実権を握り、元服後も握り続けた。在位中に貞観格式編集された。

57.陽成天皇(876~884)

 乳母子を殺す、宮中で密かに馬を飼うなどの奇行が多く、藤原基経譲位させられた。

58.光孝天皇(884~887)

 55歳という高齢即位し、基経に「実質的関白として政治を任せた。

59.宇多天皇(887~897)

 阿衡の変により、藤原氏を疎み、菅原道真を重用した。在位中に多くの歌人が輩出され、遣唐使廃止された。

60.醍醐天皇(897~930)

 藤原時平讒言を信じ、道真を左遷した。在位中に古今和歌集勅撰、三代実録、延喜格式編纂が行われ、その治世は村上天皇と共に延喜・天暦の治と称された。

61.朱雀天皇(930~946

 在位中は天災が多発し、平将門藤原純友が乱を起こすなど、多難な時を過ごした。

62.村上天皇946~967)

 乾元大宝鋳造し、天徳歌合、後撰和歌集などを編纂させた。

63.冷泉天皇(967~969)

 病弱であったため、藤原実頼関白として実権を握った。安和の変の後は、摂政関白が常置されることとなった。

64.円融天皇(969~984)

 藤原氏政権争いに翻弄され、出家文化人として風流生活を送った。

65.花山天皇(984~986

 女御の死を悼んだところを、藤原兼家に計られて出家した。

66.一条天皇(9861011)

 在位中藤原道長が実権を握り、紫式部清少納言和泉式部などの文化人活躍した。

67.三条天皇1011~16)

 藤原道長に絶えず退位を迫られ、眼病、脚気理由に退いた。

68.後一条天皇1016〜36)

 道長の孫。在位中は道長・頼通が実権を握り、藤原氏の全盛期を迎えた。

69.後朱雀天皇1036~45)

 在位中は頼通が関白として実権を握った

70.後冷泉天皇1045~1068)

 在位中に平等院鳳凰堂が建立され、前九年の役が起きた。

71.後三条天皇1068~72)

 藤原氏を疎んじ、新政を行った。記録所を設け、成功、重任を禁じ、宣旨枡を定めた

72.白川天皇1072~86

 在位中に富士山噴火後三年の役が起きた。譲位後、院生を行った。

73.堀河天皇1086~1107)

 在位中は院生が行われたが、藤原師通の補佐により自らも政治に関与し末代の聖王と称された。

74.鳥羽天皇(1107〜23

 譲位後、崇徳~後白河の3代に及ぶ院政を行った。崇徳院を無視して、後白河天皇即位させたことが保元の乱の原因となった。

75.崇徳天皇(1123~41)

 鳥羽上皇冷遇され、譲位させられた挙げ句、息子の即位も阻まれた。これを不満とし、保元の乱を起こすも敗れ、讃岐に流された。死後怨霊として恐れられた。歌人としても名高い。

76.近衛天皇(1141~55)

 17歳で亡くなったため、崇徳院、藤原忠実・頼長親子に呪われたのではないかと噂された。

77.後白河天皇(1155~58)

 保元の乱崇徳院を破った後、譲位院政を行った。平治の乱治承・寿永の乱鎌倉幕府成立などの激動の時代の中、権謀術数を巡らせ朝廷権力を維持した。

78.二条天皇(1158~1165)

 崇徳の子差し置いて、皇子になったため、保元の乱が起きた。即位後は後白河院院政抵抗するも病気のため叶わなかった。

79.六条天皇(1165-68)

 自身への敵対勢力擁立されることを恐れた後白河院によって、わずか4年で譲位させられた。

80.高倉天皇(1168-80)

 清盛と後白河院対立に苦しめられ、譲位した。

81.安徳天皇(1180~1185)

 壇ノ浦の戦いで入水した。日本史上最も短命な天皇で、わずか7歳で崩御した。

82.後鳥羽天皇(1183~98)

 譲位後、土御門~仲恭の3代にも及ぶ院生を行う。承久の乱に敗れ隠岐に流された。

83.土御門天皇(1198〜1210

 父である後鳥院とは不和承久の乱にも加わらなかったが、自ら望んで土佐に流された。

84.順徳天皇(1210~1221)

 承久の乱に参加するために譲位し、佐渡に流された。

85.仲恭天皇(1221)

 父順徳が倒幕を企てたため、即位後78日間で廃位された。

86.後堀河天皇(1221~1232)

 わず10歳で即位したため、天皇になったことのない守貞親王後高倉院として異例の院政を行った。

87.四条天皇(1232~1242)

 滑石を用いたいたずらが原因で転倒し崩御した。

88.後嵯峨天皇(1242~1246)

 譲位後、2代にわたる院政を行った。死に際して、帝位継承者決定を幕府に委ねるとしたため、南北朝問題の原因となった。

89.後深草天皇(1246-1260)

 持明院統いわゆる北朝の祖。

90.亀山天皇(1260~74)

 大覚寺統いわゆる南朝の祖。父後嵯峨院に愛され、兄後深草院差し置いて子の後宇多天皇即位させたため、南北朝問題の原因となった。譲位後南禅院を建立

91.後宇多天皇(1274~1287)

 大覚寺統。在位中に元寇があった。譲位後、持明院統伏見天皇即位させるが、続いて持明院統後伏見天皇即位には反対したため、両統送立が始まった。院政を行うが、後醍醐天皇対立し、政治から身を引いた。好学の天皇として知られる

92.伏見天皇(1287-1298)

 玉葉和歌集勅撰させた。

93.後伏見天皇(1298~1301)

 譲位後、院生を行う。元弘の乱後、東国へ逃れるも捕らえられ出家した。

94.後二条天皇(1301~08)

 大覚寺統持明院統から2代続いて天皇が出たことに後宇多院が抗議したため、幕府の計らいで即位。両統送立が始まった。

95.花園天皇(1308~1318)

 大覚寺統教養人で風雅和歌集勅撰させた。

96.(南1)後醍醐天皇(1318~1339)

 鎌倉幕府打倒に貢献した後、建武新政を行う。足利尊氏に敗れ吉野に逃れ南北朝時代が始まる。

97.(南2)後村上天皇(1339〜1368)

 高師直に攻められ賀名生に逃れる。一度京都を奪還するもすぐに北朝に奪われた。その後も京都回復を狙い、各地を転戦するも果たせなかった。

98.(南3)長慶天皇(1368~1383)

 和歌を愛し、五十番歌合、五百番歌合などを催した。

99.(南4)後亀山天皇(1383~1392

 足利義満の誘いの応じて、南北朝和解を実現。しかし、義満の死後冷遇され、和平の条件であった両統送立も果たされなかった。

北1.光厳天皇(1331~1333)

 後醍醐天皇の失脚を受けて即位したが、鎌倉幕府の滅亡後、後醍醐廃位光厳即位否定された。

北2.光明天皇(1336~1348)

 足利尊氏擁立により即位譲位後、観応の擾乱によって南朝に捕らえられるが後に解放された。

北3.崇光天皇(1348~1351)

 譲位後、観応の擾乱で捕らえられた。琵琶を愛した。

北4.後光厳天皇( 1352~1371)

 後村上天皇の一統が破れると、足利市擁護され即位した。南朝攻撃に遭い、美濃近江などに逃れたこともあった。

北5.後円融天皇(1371~1382)

 足利義満擁立されて即位譲位後、院政を行った

100.(北6)後小松天皇(382~1412)

 後亀山天皇から神器を受け、南北朝合一が成された。

2021-03-02

日本建築空間』における建築百選

anond:20210301191826

 

増田の蛮勇には敬意を表したいが、さすがに突っ込みどころが多すぎる。

同種の百選としては2005年新建築臨時増刊『日本建築空間』(asin:B00GUJ1HIE)がある。

https://japan-architect.co.jp/shop/special-issues/book-110511/

2005年なので現存しないものや非公開の私邸が含まれるけれども、優れた選出だと思うので紹介したい。

 

古代 592-1180

法隆寺西院伽藍飛鳥時代奈良
新薬寺本奈良時代末期 奈良
山寺八角763年奈良
平等院鳳凰堂 1053年 京都
浄瑠璃寺本堂 1107年 京都
三仏寺投入堂(三仏寺奥院) 平安時代後期 鳥取
高蔵寺阿弥陀堂 1177年 宮城

中世 1180-1543

浄土寺浄土 1194年 兵庫
東大寺南大門 1199年 奈良
長寿寺本鎌倉時代初期 滋賀
西明寺本堂 鎌倉時代初期 滋賀
熊野神社長床 鎌倉時代初期 福島
法界寺阿弥陀堂鎌倉時代初期 京都
厳島神社社殿 1241年 広島
永保寺開山堂 1352年 岐阜
東福寺龍吟庵方丈 1387年 京都
正福寺地蔵堂 1407年 東京
吉備津神社本殿拝殿 1425年 岡山
慈照寺東求堂 1485年 京都

近世 1543-1853

妙喜庵待庵 1581年 京都
園城寺勧学院客殿 1600年 滋賀
園城寺光浄院客殿 1601年 滋賀
妙法院庫裏 1604年 京都
大崎八幡宮本殿・石の間・拝殿 1607年 宮城
三渓園聴秋閣 1623年 神奈川
二条城二の丸御殿 1626年 京都
西本願寺飛雲閣 1628年 京都
西本願寺書院 1633年 京都
延暦寺根本中堂 1640年(再建) 滋賀
三渓園臨春閣 1649年 神奈川
曼殊院書院 1656年 京都
桂離宮 1663年 京都
慈光院書院 1672年奈良
江川住宅江戸時代前期 静岡
閑谷学校講堂 1701年岡山
東大寺大仏殿(東大寺金堂) 1705年(再建) 奈良
大峰山寺本 1706年奈良
大国住宅 1760年岡山
岡山後楽園流店 江戸時代後期 岡山
栗林公園掬月亭 江戸時代後期 香川
角屋 1787年京都
さざえ堂(旧正宗寺円通三匝堂) 1796年福島
大徳寺孤篷庵忘筌 1799年京都
渡邉住宅 1817年 新潟
羽黒山三神合祭殿 1818年 山形
高野住宅江戸時代後期 山梨
金比羅大芝居(金丸座) 1835年 香川
岩根沢山神社本殿庫裏 1841年 山形

近代 1853-1945 ※は現存しないもの

柏倉家住宅座敷蔵 1866年山形
旧大明寺聖パウロ教会堂1879年愛知 ブレル、大渡伊勢吉(棟梁)
宝山寺獅子1882年奈良吉村太郎(棟梁)
風間住宅1896年山形
武徳殿 1899年京都 松室重光
花田家番屋 1905年北海道
吉島住宅1907年岐阜西田伊三郎ほか(棟梁)
古谿荘 1909年静岡
高松城披雲閣 1917年香川清水
住友ビルディング1926年大阪住友合資会社工作部(長谷部鋭吉・竹腰健造)
聴竹居1927年京都藤井厚二
大倉精神文化研究所本館 1932年神奈川長野宇平治
軽井沢 夏の家 1933年長野 アントニン・レーモンド
※両関第二工場酒蔵 1933年秋田
日向別邸 1936年静岡ブルーノ・タウト
近江神宮1940年滋賀 角南隆、谷重雄
前川國男1941年東京前川國男
吉田五十八1944年神奈川吉田五十八

現代 1945-2005 ※は現存しないもの

神奈川県立近代美術館 1951年神奈川坂倉準三
斎藤助教授の家 1952年東京清家清
コアのあるH氏のすまい 1953年東京 増沢洵
南台の家(吉村順三邸) 1957年東京吉村順三
八幡浜市立日土小学校1956年愛媛松村正恒
香川県庁舎 1958年香川丹下健三
スカイハウス(菊竹清訓邸) 1958年東京菊竹清訓
ホテルオークラのメインロビー1962年東京谷口吉郎
日本生命日比谷ビル(日生劇場) 1963年東京村野藤吾
国立屋内総合競技1964年東京丹下健三
大学セミナーハウス1965年東京 吉阪隆正
千代田生命本社ビル1966年東京村野藤吾
白の家 1966年東京篠原一男
塔の家(東孝光邸) 1966年東京東孝光
※虚白庵(白井晟一邸) 1970年東京白井晟一
KIH7004 1970年東京鈴木
中銀カプセルタワービル1972年東京黒川紀章
大分県医師会新館 1972年大分磯崎新
プロジェクトマグネット1973年店舗模型倉俣史朗
阿部勤邸 1974年埼玉阿部
北九州市中央図書館1974年福岡磯崎新
幻庵 1975年愛知石山修武
上原通りの住宅1976年東京篠原一男
中野本町の家 1976年東京伊東豊雄
小篠邸 1981年兵庫安藤忠雄
弘前市斎場1984年青森前川國男
SPIRAL 1985年東京槇文彦
バーオブローモフ1989年福岡倉俣史朗
海の博物館1992年三重内藤廣
豊田市美術館1995年愛知谷口吉生
ウィークエンドハウス1998年群馬西沢立衛
せんだいメディアテーク2000年宮城伊東豊雄
横浜港大さん橋国際旅客ターミナル2002年神奈川アレハンドロ・ザエラ・ポロ、ファーッシド・ムサヴィ
金沢21世紀美術館2004年石川妹島和世西沢立衛

2020-10-13

anond:20201012223833

一時期しおり集めが趣味で、旅先や本屋でよく買っていた。

のしおり

持っている中で一番よく使うのは金のしおり。薄い金属きれいなやつ。金のしおりとググると出てくる。昔はマットな感じの黒いしおりも売っていたけれど今は分からない。

大きさと厚みが文庫本にちょうどよく紐がしっかりしていて、本から落ちにくい気がする。(たまに落ちるけど)

貰い物なので当時の値段は分からないが今楽天で見たら440円くらいから買える。

種類によって大きさが違うので自分が挟む予定の本をイメージして買ったほうがいい。ミュシャデザインデカかった。自分の持っている気球デザイン文庫にちょうどよい。

紙に跡が付くのは気になったことがない。

そこら辺の本屋文房具屋で売っている。

トラバにある平等院鳳凰堂しおりは多分これと同じところが作っている。

金属のしおり

金属パート2。土産物屋でよく売っている、長方形オーソドックス型でなんかステンドグラスのもの

地域の有名なものが描かれていて、その名前が下にローマ字で書かれている。「kokeshi」とか。

多分色々な観光地で同じしおりが売っている。可愛いからオッケー。

学生時代友達からのしおりをお土産で貰った。私のしおり好きはここが原点である

とても気に入って使っていたがなくしてしまった。数年後に本の間から発掘されたが劣化してメッキがハゲてきていたので泣く泣く捨てた。

その後似たようなしおり自分でも買ったしおみやげでも貰ったのだが、どうもしっくりこない。大きさや紐の長さによって使い勝手が変わる。

のしおり

ありとあらゆる観光地で売っている薄くて細長い竹に絵が描いてあるもの。紐は2色のピロピロしたものが付いている。

ひこにゃん箱根かまぼこ柄を持っている。絵以外は全部同じ作り。

観光地土産物屋でしおりを探すと大抵これが売っている。ひとつ持っていれば充分だと思われる。

私は本から紐が長く出るのが嫌なタイプなので、文庫本には使わぬ。もっぱら漫画ハードカバーに使う。少し大きめサイズ漫画にはちょうどいい。ハードカバーは本に紐が付いているものあるので、紐があれば紐を使う。

のしおり

青森土産屋で買った。薄い木できていてリンゴの形がくりぬかれている。装飾はそれだけで木の優しさと紐の赤さが可愛いくてよい。買った当初は木のいい香りがした。

文庫本にちょうどいいサイズ

私は本を並行で数冊読むタイプで、自分の中で3番目くらいの立ち位置。3冊目にこれを使うくらいの感じ。

のしおり

高村光太郎記念館で買った。

革なので厚みがあり、挟んだまま数日放置すると跡がつかないか気になるので長期間使用や持ち歩きの本には向かない。

光の文字が箔押ししてある。

この文字は光太郎が住んでいたオンボロ小屋にある便所の扉の明かり取りとしてくり抜いたもの

便所に書かれた文字を使った珍しいしおり

華鬘しおり

中尊寺で買った。けまんという仏具?の形をしたありがたいしおり

文庫本に挟んで紐が出ないくらいの大きさ。小さめ。

紐が軟弱。仏具っぽい装飾が綺麗だが、そのぶん頼りない感じで、本から落ちやすい気がする。

仏具としても使えます、と書いてあったので仏具が欲しい人にもおすすめ

トラピスチヌ修道院で買った紙製のしおり

いい感じの紙にいい感じの言葉といい感じの花が印刷してあるものが8枚セットで売っていたので買った。

本屋でくれるしおりを太らせたくらいの大きさ。紙のしおりが好きな人には良さそう。

セット売りからかるとおり、紙のしおりは消耗品である

食品サンプルのしおり

スカイツリーなんかにある食品サンプルの店に売っている。ベーコン生ハムスライスチーズなどがある。

https://www.ganso-sample.com/item/

オリジナル小物の項目を横にピョコピョコすると見られる)

面白い可愛いけれど厚みがありでこぼこしているので実用的かと言われるとあまり……。しかしつい人に自慢したくなる一品

主張が激しく挟んだページがすぐに分かるので、例えば漫画など、すぐに続きを読む際に使うのに適している。逆に挟んだまま本棚しまう等すると跡がつくと思う。

お土産生ハムを貰って使っていた。生ハムが好きなので見ているだけで笑顔になるしおりだった。しかし紛失した。多分本に挟んだまま古本屋に売り払ってしまった。

しかったのでスカイツリーに行って焼きベーコンを買い直した。ちなみに焼いていないベーコンも売っている。

ひっかける感じの金属製や紐のブックマーカー

使ったことがない。板状のものを挟みたい派です。

凝りすぎた形、大きさが使いづらいものは持っていても使わなくなる。

色々なしおりを使って思うのは、その人の使い方や好みによっておすすめのしおりは本当に違ってくる。私は紐が出ない方が好きだけど、出る方が好きな人ももちろんいる。

自分がよく読むサイズの本を想定して、どんな使いかたをするのかをシミュレートして買うと失敗が少ない。

A5のワイドサイズ漫画なんかに使うなら大きめがいいし、文庫に使うなら文庫と同じ長さみたいなのはちょいと使いづらい。

ちょっと挟んでトイレに行くくらいなら厚いほうが挟んだページが分かりやすくて使いやすい。挟んだまま数日持ち歩くようならそんなに厚みがないほうがいい。

好きなシーンに付箋をはりつけたまま数年放置したら貼ったところがペタペタになったので、付箋を栞代わりにする場合、数日で剥がし放置はやめたほうがいい。

旅先で買うのもおすすめ。かさばるものでもないので持ち帰りがしやす自分へのお土産によい。

ちなみに文庫本の持ち歩きについて。

布製のブックカバーを買ったことがあるが、表紙を守れてもサイドがノーガードなので汚れる。鞄の中でページの間にペットボトルが挟まって開き癖がついたり、ペットボトルに付いた水滴が小口なんかについたり、あまりよくなかった。

厚みを調節できないカバーも持っていたが、表紙と裏表紙カバー差し込むのが下手くそで、やはり本を傷めた。

結局本屋で貰える紙のカバーが一番使い勝手がよい。

CDショップで貰ったフライヤーに折り線が書いてあり、そのとおりに折るとCDジャケット柄の紙の文庫カバーになるものがあって、おしゃれで気に入っていた。使い回すうちにボロになってしまったので世の中のフライヤーすべてが文庫カバー仕様になればいいのにと思っていた。

今はCDショップCDを買ったりフライヤーをもらう時代ではなくなってしまった。

本の持ち歩きには文庫ケースのようなものを使っている。

10数年くらい前に角川文庫で2冊買って応募すると文庫ポーチをが必ず送られてくるキャンペーンがあった。

文庫ぴったりサイズで上に紐が付いていて巾着みたいなものシャカシャカした素材で、生地生地の間に綿?が入っているのか、ちょっとふんわりしていて本の持ち歩きにはとても良かった。

しか10年くらい使い続けてへたってしまい、今はファスナーで閉じられる文庫カバーAmazonで600円くらいで買った)を文庫ケースがわりに使っている。カバーとしては使わず、紙のカバーをつけた本を包む道具として優秀。

角川のキャンペーンはまたやってほしいが多分普段のフェアよりお金がかかりすぎるのか、あれ以来見たことがない。

以上、ブコメでは入りきらなかったのでトラバに書きました。🔖

しおりが好きなのでブコメトラバを読むのが楽しい

2020-04-22

見ずして死ねない日本の伝統建築10

友人と旅行すると,興味ない人には日本の伝統建築って全部同じに見えてるんだろうなーって思うことが多い.つまり,「見えて」いても「見えてない」んだな.解像度が低い.だから,その深み凄みを紹介するために10建築を選んでみた.

この増田で,日本建築のどこをみればいいかが少しでも理解してもらえればいいな,と思っている.あくま日本建築を楽しむための「入り口」として,もしくは旅行の楽しみを一つ増やすためのお手軽ツール(やや自嘲をこめてるよ,これ)として,読んでくれると嬉しい.

法隆寺中門~回廊(奈良県生駒郡飛鳥時代

 法隆寺は誰もが行ったことがあるだろう.しかし,一般人教科書に載っている五重塔と金堂があるなーって思って,終わりなんじゃないだろうか.違うのよ本当に.中門なんだ.中門から回廊にかけての柱.伊東忠太エンタシスと呼んだ,胴張りの柱.この列柱をみて,何も感じない人間は,おそらく建築に対するセンスを持ち合わせていないのだろうから,これ以降この増田は読まなくてもよろしい.建築は細部に宿るのだ.その原初的プロポーションは,日本にも偉大なる古典クラシック)があったという証なのだ

東大寺法華堂(奈良県奈良市奈良時代

東大寺に行くと,一般人大仏殿で満足して帰る.ちょっと詳しい人は,二月堂まで登って景色を楽しんで帰る.じゃあ玄人は?その横の法華堂だ.しかも,入り口ではなく,裏側からまずその建築美を楽しむ.この風景こそが,まさに創建時代東大寺からだ.実はこのお堂は,左半分が奈良時代仏堂であり,鎌倉時代に右半分の礼堂を増築している.だから側面からみるとチグハグな印象を受ける.なぜこんな事になっているか原初的には,仏像は外から拝むものなのだ.お堂の中は仏の領域であり,そこに人が入ることはなかった.しかし,日本は雨が多いため,実用的な理由で,仏堂に並び建つ形で礼堂という,人が入って拝むためのお堂が作られるようになる.そして,その後この仏堂と礼堂を一つの大きな屋根で覆うようになったのが,日本の最も一般的正方形に近いお堂の形だ.なぜ奥行きがあるのか,それは二つのお堂を包摂してるから.そして,内部を内陣(仏の領域)と外陣(人の領域)に分けている.

 とまあ,東大寺法華堂だけで日本建築史が語れるんだけど,法華堂自体価値とは,その仏堂と礼堂の処理の過渡期的な建築であることはもちろん,何よりも,天平建築天平彫刻がそのままの形で残っていることだ.奈良時代日本はやっと中国・唐から最新の様式を導入できるようになった.そしてそれは王者建築なんだな.力強く,おおらかで溌剌とした建築.柱と梁によるシンプルで強い建築.その素のままの美しさでは,天平建築にその後の建築は敵うはずがないのだ.

富貴寺大堂(大分県豊後高田市平安時代

平安時代建築って,数も少ないし奈良時代以前の建築に比べて,それほど素晴らしいとは思えない.よくも悪くも日本ナイズされて,よく言えば品のある住宅風の,悪く言えば構造ダイナミズムが弱い建築が作られた.平安時代,人は仏堂の中に入り,座って祈りを捧げるようになった.それゆえ,天井は低く,落ち着いた空間が好まれるようになった(卵が先か鶏が先かはわからないが).軽く高床にして,床下の風通しをよくしているのも日本化のひとつ.これらの日本的要素を建築史的には和様と呼ぶ.平等院鳳凰堂和様代表みたいに言われているけど,あれはまあ,例外的な派手派手金持ち建築なわけで,一般的仏堂というのは,この富貴寺大堂のような三間四方(柱が4本で間が3つの正方形型)の阿弥陀堂だろう.これがよい.実に素朴で,柔らかい建築.人と仏像距離がちょうどよくて,いつまでも中に入って祈りを捧げられるような,そんな自然体の空間.こういう空間は,奈良時代ダイナミックな,ところせましと仏像が建ち並ぶ空間とは異なり,ほっとするんだな,日本人なら.とはいえ,この富貴寺は大分のド田舎にあるので,さすがに東京から行くにはマニアじゃないと無理かな.東日本なら,福島県いわき市にある白水阿弥陀堂も同様の建築でよい(らしい.東国はいまいち詳しくない).さらに,平安時代に由来する浄土庭園の中にあるので,こちらの方が平安時代的でよいかもしれない.

東大寺南大門奈良県奈良市鎌倉時代

日本建築史上の最大のトピックといえば,鎌倉時代東大寺再建に関わった僧,重源の大仏である.先述したように,平安時代には天井を低く住宅風の落ち着いた仏堂が好まれたが,重源が宋からもたらした建築は,その真逆をいくエポックメイキングものだった.天井は貼らず,屋根裏まで高く伸びる柱.縦横無尽に頭上を飛び交う貫(ぬき,柱と柱をつなぐ水平の補強材).そんな規格外建築東大寺大仏殿という世界最大級木造建築を作るためには,従来の和様建築では構造的に不可能であった.それゆえ,より合理的ダイナミックな中国・宋由来の建築が取り入れられた.日本建築史上最も巨大な,今見られる大仏殿の3倍にもなる内部空間.それはパンテオンにも劣らぬ迫力のものであったろう.そんな鎌倉大仏殿を今,見ることはできない.戦国時代田舎侍が燃やしてしまたから.しかし,東大寺南大門は当時のまま残っている.東大寺南大門をくぐる時は,ふと上を見上げてみよう.そして,圧倒的な上昇感に震えてみろ.

金剛三昧院多宝塔(和歌山県高野町鎌倉時代

多宝塔って知っているだろうか?下層が方形,上層が円形の平面を持つ,ちょっと変な建築だ.空海に由来するため,真言宗系の寺院によく見られる.これ,塔がそもそもインドストゥーパ釈迦の遺骨を納めた仏教最初期の半球系の建造物)に由来していることをあらわしている.先祖帰りの建築だ。中国にも存在しない、日本オリジナル奇形建築木造建造物としては,かなり無理矢理な形をしていることから,よほどの宗教的意味があったのだろうと思う.今は15mほどの小型のものが多いが,そのオリジナル高野山のコアである根本大塔だ.しかしあれは無理があったのか,燃えては再建を繰り返し,今ではもう鉄筋コンクリートだ.そんな中,金剛三昧院の多宝塔は本場高野山にありながら,鎌倉時代のもので,有名な石山寺多宝塔と並んで最も古く美しい形をなしている.どっちでもいいんだけどね,やっぱり本場の多宝塔を見た方がよいかな,と思うわけだ.

軽くさわりだけなのに,予想以上に長くなってしまった.まだ鎌倉までしか進んでいない.この増田反響があったなら,あとの5つも書いてもいいかな.


消えてたのでキャッシュからリカバリー

2019-10-24

天皇制廃止案 草案

自分自身積極的天皇制廃止論者ではないが、思考実験として天皇制廃止する具体案を考えてみる。

やること

日本国憲法第1条から天皇という文言を消す。

やらないこと

天皇という文化廃止しない。

具体的内容

天皇のこれから

・『公益社団法人 天皇家』を作り、皇居を含めた皇室財産天皇家に移管する。

・国は天皇家より皇居土地を100年契約で借り上げ、その場所皇居自然公園皇室歴史博物館を建てる。

皇居地代を使って、天皇家は新嘗祭などの祭事や全国の慰問活動を続ける(事もできる)。

皇居地価23兆円、これは2019年の(宮内庁皇室費)約130億円の1700年ぶんに相当する。

10円玉仏教のお寺(平等院鳳凰堂)が刻まれてるように、菊の紋など国の所々に残る神道的な要素も文化として受け入れ、排除はしない。

天皇制の代わり

・今まで天皇が行っていた国事行為(署名や押印、儀礼外交)を行う大統領職を設置する。

・初代大統領は特例として天皇が務める。

大統領任期は8年とする。再任は禁止

・二代目以降の大統領は、参議院議員立候補者の中から国民が直接投票で決める。

大統領立候補する参議院議員所属政党から離党しなければならない。

大統領就任した者は従来の天皇と同様に政治的発言は慎むことが求められる。

大統領署名や押印を拒否した場合大統領罷免されすみやかに選挙を行う。

内閣総理大臣任期を2期8年までと憲法制限する。

Q and A

Q なぜ天皇という文化を残すのか。なぜ優遇し続けるのか。

A 政治と適切に分離できれば無くす理由はなく、日本にとって貴重な文化から

Q せっかく天皇制廃止したのになぜ大統領制を設けるのか。

A 天皇制喪失により総理大臣権力権威の両方が集中するのを防ぎたいから。

Q なぜ初代大統領天皇にするのか。最初から投票制にするべきではないのか。

A 天皇制日本国と大統領制の日本国が連続した国家である事を表すための特例。同じ国家から条約も守り続けるし、歴史継承する。

2018-02-27

anond:20180227225331

社会的平等ってそれ近代西洋思想からなぁ

平等院鳳凰堂ってのが有るように本来仏教用語

差別もそうだけど

インドは昔からめちゃくちゃ差別社会から

そこで生まれたのが仏教平等も元は仏教思想

まぁ詳しくはググってくれ

2015-12-22

名前はどう考えても後世の人間を考えてつけるべき

日本史は「卑弥呼」というヘンテコな人名を暗記することから始まる。

まあこれは当て字のようなものだし、考えたのは当時の中国人からあいつらが悪いということで済む。

しかし、少なくとも国風文化が発達してからの名付けに対しては、日本人責任を負うべきであろう。

将来それを覚えることになるガキんちょのことも、少しは考えてほしかったのである

わかりづらい読み方の名前をつけるな。難しい漢字名前をつけるな。

源頼朝とか、あれでともと読ます由来が全くわからなかったぞ。だから二代目と三代目があんなことになるんだ。

それから当時一番腹立ったのが井伊直弼だ。弓・百・弓と覚えりゃ済むことだが、あいつ以外であの字見たことねーぞ。

あと木戸孝允の允の字もそうだ。桂小五郎でよかったものを、余計なことしやがって。

後醍醐天皇は生きてるうちに自分で名乗ったらしいが、なまじ有名なせいで避けて通れず、ガキどものヘイトを稼いでいる気がする。

そこへ来ると藤原道長の安定感は凄い。読み間違えようのない漢字からまれる、圧倒的な存在感

まさに望月のごとく、欠けたるところのない完全無欠なネーミングである

惜しいのが子の頼通で、これをみちと読ますのはやや引っかけ臭い

さら平等院鳳凰堂なんてものを建ててしまった悪行と合わせると、こいつの代で衰退し始めたのも当然の報いではないだろうか。

オーバーに言ってしまえば、読みにくい名前、書きにくい名前をつけることは、世代倫理にもとる行為なのである

現代キラキラネームを巡る議論を見ていると、その子いじめられるとか、先生が読みづらいとかいうのばかりで、

今の人間の都合しか考えられていないように感じる。

「そんな名前をつけられた奴が、将来歴史に名を残すことはないだろう」という驕りがあるのではないか。

未来は誰にもわからない。

ピカチュウちゃんが何かの間違いで、歴史に残るような偉業を成し遂げちゃったらどうするんだよ。

未来小学生がだな、この偉人は光宙だったか光忠だったか、大体なんて読むんだよなんて頭抱える姿を想像してみろ。

殺意覚えるぞ。いやもう死んでるだろうけどさ。

2013-03-19

http://anond.hatelabo.jp/20130319141933

http://anond.hatelabo.jp/20130319143407

元増田的には正確な対蹠点でもアウトっぽいから、正しくは対蹠点ではないとか、どこまでを裏とみなすか、という話ではない。

また、「ブラジル日本も、同じ地球の表面に接している。」を根拠としているから、位相同型な10円玉の10の字と平等院鳳凰堂もやはり「同じ硬貨の表面に描かれている」という理由でアウトのはずだ。

 
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