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はてなキーワード: 園城寺とは

2018-03-04

俺が好きな女キャラを書くだけ

はじめに言います。ただただ好きな女キャラを書くだけです。

アホガール

赤髪の白雪姫

宇宙よりも遠い場所

エロマンガ先生

俺の妹がこんなに可愛いわけがない

俺の脳内選択肢が、学園ラブコメを全力で邪魔している


ガヴリールドロップアウト

からかい上手の高木さん

○GJ部

けいおん!

けものフレンズ

この素晴らしい世界に祝福を!

ご注文はうさぎですか?

小林さんちのメイドラゴン

咲-saki-

涼宮ハルヒの憂鬱

スロウスタート

生徒会役員共

  • 天草シノ
  • 荻村スズ
  • 魚見チヒロ

だがしかし

○たくのみ

てーきゅう

とある科学の超電磁砲

○NEW GAME

のんのんびより

バンド

ひなこのーと

干物妹!うまるちゃん

ブレンド・S

ぼくたちは勉強ができない

僕は友達が少ない

政宗くんのリベンジ


○三ッ星カラー


みなみけ


やはり俺の青春ラブコメはまちがっている

ヤマノススメ

  • あおい
  • ここな

結城友奈は勇者である

  • 鷲尾須美

ゆるキャン△




ゆるゆり

ラーメン大好き小泉さん

らき☆すた


ラブライブ

りゅうおうのおしごと!

2017-09-06

寺で始まる名字はクソダサなのに寺で終わる名字はかっこいい:寺終わり一覧

秋篠寺 あきしのでら

芦峅寺 あしくらじ

飛鳥寺 あすかでら

安寺 あてら

阿寺 あてら

天寺 あまでら

尼寺 あまでら

阿弥陀寺 あみだ

阿見寺 あみでら

荒寺 あれでら

安岡寺 あんこう

安国寺 あんこくじ

安全寺 あんぜんじ

安用寺 あんようじ

安養寺 あんようじ

安楽寺 あんらくじ

石寺 いしてら

石山寺 いしやまでら

板寺 いたでら

猪名寺 いたでら

一乗寺 いちじょうじ

一条寺 いちじょうじ

一寺 いちでら

一坊寺 いっぽうじ

井寺 いてら

威徳寺 いとくじ

伊堂寺 いどうじ

稲寺 いなでら

今寺 いまでら

岩峅寺 いわくらじ

岩寺 いわでら

巌寺 いわでら

巖寺 いわでら

上寺 うえでら

氏寺 うじでら

永源寺 えいげんじ

英勝寺 えいしょうじ

永徳寺 えいとくじ

永平寺 えいへいじ

永保寺 えいほうじ

永満寺 えいまんじ

永養寺 えいようじ

江寺 えてら

慧日寺 えにちじ

家原寺 えばらじ

円覚寺 えんがくじ

円行寺 えんぎょうじ

円光寺 えんこうじ

圓光寺 えんこうじ

円護寺 えんごじ

円勝寺 えんしょうじ

円正寺 えんしょうじ

延勝寺 えんしょうじ

延壽寺 えんじゅじ

延寿寺 えんじゅじ

円城寺 えんじょうじ

円成寺 えんじょうじ

圓城寺 えんじょうじ

圓成寺 えんじょうじ

延対寺 えんたいじ

円通寺 えんつうじ

円道寺 えんどうじ

圓道寺 えんどうじ

円頓寺 えんどんじ

円応寺 えんのうじ

円能寺 えんのうじ

円福寺 えんふくじ

圓福寺 えんふくじ

円満寺 えんまんじ

円明寺 えんみょうじ

延命寺 えんめいじ

延暦寺 えんりゃくじ

王寺 おうじ

王禅寺 おうぜんじ

押領寺 おうりょう

大谷寺 おおたにじ

大寺 おおでら

大野寺 おおのじ

大庭寺 おおばでら

岡寺 おかでら

海印寺 おくかいいんじ

奥寺 おくてら

奧寺 おくてら

小倉寺 おぐらじ

長寺 おさでら

尾寺 おてら

御寺 おてら

小埜寺 おのでら

小野寺 おのでら

小見寺 おみでら

表慈恩寺 おもてじおんじ

音光寺 おんこうじ

園城寺 おんじょうじ

遠城寺 おんじょうじ

温泉寺 おんせんじ

隠明寺 おんみょうじ

園林寺 おんりんじ

海印寺 かいいんじ

海応寺 かいおう

海音寺 かいおんじ

皆尺寺 かいしゃくじ

海蔵寺 かいぞうじ

海藏寺 かいぞうじ

覚王寺 かくおうじ

覚寺 かくじ

覚満寺 かくまんじ

駆け込み寺 かけこみでら

駆込み寺 かけこみでら

笠寺 かさでら

嘉祥寺 かしょうじ

勧修寺 かじゅうじ

門寺 かどでら

金森寺 かなもり

上古寺 かみふるてら

川寺 かわでら

寛永寺 かんえいじ

観音寺 かんおんじ

観海寺 かんかいじ

観喜寺 かんきじ

舘山寺 かんざんじ

観修寺 かんしゅうじ

官寺 かんじ

観世音寺 かんぜおんじ

神大寺 かんだいじ

神道寺 かんどうじ

感応寺 かんのうじ

感應寺 かんのうじ

観音正寺 かんのんしょうじ

甘露寺 かんろじ

願海寺 がんかいじ

元興寺 がんごうじ

願興寺 がんごうじ

願成寺 がんじょう

北久宝寺 きたきゅうほうじ

北寺 きたでら

城田寺 きだいじ

吉城寺 きちじょうじ

吉祥寺 きちじょうじ

木寺 きでら

紀寺 きでら

木佛寺 きぶでら

紀三井寺 きみいでら

久宝寺 きゅうほうじ

久本寺 きゅうほんじ

清水寺 きよみずでら

金閣寺 きんかくじ

金山寺 きんざん

金勝寺 きんしょうじ

金仙寺 きんせんじ

金泉寺 きんせんじ

金熊寺 きんゆうじ

金楽寺 きんらくじ

祇園寺 ぎおんじ

行願寺 ぎょうがんじ

玉泉寺 ぎょくせんじ

銀閣寺 ぎんかくじ

久遠寺 くおんじ

久能寺 くのうじ

九品寺 くほんじ

久保寺 くぼじ、くぼでら、くぼてら

窪寺 くぼでら

鞍馬寺 くらまでら

弘法寺 ぐほうじ

弘明寺 ぐみょうじ

恵林寺 けいりんじ

敬礼寺 けいれいじ

華蔵寺 けぞうじ

顕聖寺 けんしょうじ

建長寺 けんちょうじ

建仁寺 けんにんじ

源法寺 げんぼうじ

高安寺 こうあんじ

光悦寺 こうえつじ

高円寺 こうえんじ

光音寺 こうおんじ

光源寺 こうげんじ

高源寺 こうげんじ

興国寺 こうこくじ

広済寺 こうさいじ

耕三寺 こうさんじ

高山寺 こうさんじ

興聖寺 こうしょうじ

光寺 こうじ

国府寺 こうじ

國府寺 こうじ

高水寺 こうすい

高専寺 こうせんじ

高專寺 こうせんじ

光善寺 こうぜんじ

高蔵寺 こうぞうじ

高台寺 こうたいじ

香寺 こうでら

皇徳寺 こうとくじ

高徳寺 こうとくじ

光同寺 こうどうじ

興福寺 こうふくじ

光明寺 こうみょうじ

広隆寺 こうりゅうじ

粉河寺 こかわでら

国済寺 こくさいじ

国泰寺 こくたいじ

國分寺 こくぶじ

国分寺 こくぶんじ

国分尼寺 こくぶんにじ

苔寺 こけでら

古正寺 こしょうじ

小寺 こでら、こてら

駒寺野 こまでらの

金戒光明寺 こんかいこうみょうじ

金剛寺 こんごう

金剛峯寺 こんごうぶじ

金剛峰寺 こんごうぶじ

権寺 こんじ

金蔵寺 こんぞうじ

金胎寺 こんたいじ

豪炎寺 ごうえんじ

豪徳寺 ごうとくじ

五雲寺 ごうんじ

獄寺 ごくでら

極楽寺 ごくらくじ

極樂寺 ごくらくじ

護国寺 ごこくじ

後藤寺 ごとうじ

権正寺 ごんしょうじ

権常寺 ごんじょうじ

西安寺 さいあんじ

西円寺 さいえんじ

西園寺 さいおんじ

西園寺公望 さいおんじきんもち

西教寺 さいきょうじ

西元寺 さいげんじ

西光寺 さいこうじ

最勝寺 さいしょうじ

西照寺 さいしょうじ

西寺 さいじ

最乗寺 さいじょうじ

西大寺 さいだいじ

西大寺上 さいだいじかみ

西大寺中 さいだいじなか

佐井寺 さいでら

才寺 さいでら

西徳寺 さいとくじ

西方寺 さいほうじ

西法寺 さいほうじ

西芳寺 さいほうじ

斉明寺 さいみょうじ

斎明寺 さいみょうじ

最明寺 さいみょうじ

齋明寺 さいみょうじ

西明寺 さいみょうじ、さいめいじ

西來寺 さいらいじ

西蓮寺 さいれんじ

西連寺 さいれんじ

境寺 さかいでら

讃州寺 さんしゅうじ

三世寺 さんぜじ

三代寺 さんだいじ

三大寺 さんだいじ

三福寺 さんふくじ

三宝寺 さんぼうじ

財光寺 ざいこうじ

在国寺 ざいこくじ

在國寺 ざいこくじ

坐光寺 ざこうじ

座光寺 ざこうじ

紫雲寺 しうんじ

四王寺 しおうじ

塩寺 しおでら

志観寺 しかんじ

下寺 したでら、しもでら

四天王寺 してんのうじ

志堂寺 しどうじ

嶋寺 しまでら

海印寺 しもかいいんじ

下法軍寺 しもほうぐんじ

社寺 しゃじ

舎利寺 しゃりじ

修善寺 しゅぜんじ

修禅寺 しゅぜんじ

朱膳寺 しゅぜんじ

祥雲寺 しょううんじ

正円寺 しょうえんじ

正観寺 しょうかんじ

正覚寺 しょうがくじ

正行寺 しょうぎょうじ

承元寺 しょうげんじ

正源寺 しょうげんじ

生源寺 しょうげんじ

勝興寺 しょうこうじ

相国寺 しょうこくじ

正権寺 しょうごんじ

荘厳寺 しょうごんじ

清浄光寺 しょうじょうこうじ

諸徳寺 しょうとくじ

正道寺 しょうどうじ

正福寺 しょうふくじ

正法寺 しょうほうじ

淨法寺 しょうほうじ

昌明寺 しょうみょうじ

正明寺 しょうみょうじ

称名寺 しょうみょうじ

勝楽寺 しょうらくじ

正楽寺 しょうらくじ

正暦寺 しょうりゃくじ

勝竜寺 しょうりゅうじ

青龍寺 しょうりゅうじ

少林寺 しょうりんじ

松林寺 しょうりんじ

正蓮寺 しょうれんじ

青蓮寺 しょうれんじ

城寺 しろてら

眞行寺 しんぎょうじ

真行寺 しんぎょうじ

真光寺 しんこうじ

神護寺 しんごじ

新勝寺 しんしょうじ

神松寺 しんしょうじ

神清寺 しんせい

新寺 しんてら

真如寺 しんにょじ

真福寺 しんふくじ

新福寺 しんぷくじ

真綾寺 しんりょう

慈恩寺 じおんじ

慈眼寺 じがんじ

慈光寺 じこうじ

持光寺 じこうじ

慈照寺 じしょうじ

地蔵寺 じぞうじ

実相寺 じっしょうじ

實相寺 じっしょうじ

実法寺 じほうじ

慈明寺 じみょうじ

神明寺 じみょうじ

甚目寺 じもくじ

十楽寺 じゅうがくじ

十樂寺 じゅうがくじ

十禅寺 じゅうぜんじ

十蔵寺 じゅうぞうじ

十藏寺 じゅうぞうじ

鷲林寺 じゅうりんじ

十貫寺 じゅっかんじ

寿福寺 じゅふくじ

順教寺 じゅんきようじ

浄圓寺 じょうえんじ

淨円寺 じょうえんじ

常願寺 じょうがんじ

成願寺 じょうがんじ

城光寺 じょうこうじ

定光寺 じょうこうじ

常光寺 じょうこうじ

常称寺 じょうしょうじ

定禅寺 じょうぜんじ

浄智寺 じょうちじ

浄土寺 じょうどじ

城南寺 じょうなんてら

浄法寺 じょうほうじ

上坊寺 じょうぼうじ

浄明寺 じょうみょうじ

常楽寺 じょうらくじ

常樂寺 じょうらくじ

定林寺 じょうりんじ

神宮寺 じんぐうじ

神向寺 じんこうじ

秦泉寺 じんせんじ

深大寺 じんだいじ

神武寺 じんむじ

水前寺 すいぜんじ

周船寺 すせんじ

須磨寺 すまでら

随応寺 ずいおうじ

瑞巌寺 ずいがんじ

瑞泉寺 ずいせんじ

頭陀寺 ずだじ

清閑寺 せいかんじ

清岸寺 せいがんじ

清河寺 せいがんじ

誓願寺 せいがんじ

青岸渡寺 せいがんとじ

清玄寺 せいげんじ

成勝寺 せいしょうじ

西伝寺 せいでんじ

青明寺 せいみょうじ

清涼寺 せいりょう

関寺 せきでら

泉岳寺 せんがく

泉正寺 せんしょうじ

浅草寺 せんそうじ

千提寺 せんだいじ

泉涌寺 せんにゅうじ

泉湧寺 せんにゅうじ

千音寺 せんのんじ

善応寺 ぜんおうじ

善久寺 ぜんきゅうじ

善慶寺 ぜんけいじ

善源寺 ぜんげんじ

善光寺 ぜんこうじ

善根寺 ぜんこんじ

禅昌寺 ぜんしょうじ

善通寺 ぜんつうじ

禅寺 ぜんでら

善導寺 ぜんどうじ

善如寺 ぜんにょじ

善能寺 ぜんのうじ

善福寺 ぜんぷくじ

善法寺 ぜんぽうじ

善養寺 ぜんようじ

善立寺 ぜんりゅうじ

禅林寺 ぜんりんじ

総持寺 そうじじ

崇禅寺 そうぜんじ

崇福寺 そうふくじ

造寺 ぞうじ

増上寺 ぞうじょうじ

太岡寺 たいこうじ

躰光寺 たいこうじ

大山寺 たいさんじ

大石寺 たいせきじ

泰泉寺 たいせんじ

太寺 たいでら

大寧寺 たいねいじ

太平寺 たいへいじ

当麻寺 たいまでら

太融寺 たいゆうじ

太陽寺 たいようじ

高田寺 たかだじ

高寺 たかでら

髙寺 たかでら

宝寺 たからでら

滝寺 たきでら

瀧寺 たきでら

橘寺 たちばなでら

舘寺 たてでら

館寺 たてでら

田寺 たでら

多門寺 たもんじ

誕生寺 たんじょうじ

大安寺 だいあんじ

大雲寺 だいうんじ

大雄寺 だいおうじ

大覚寺いかく

大巌寺 だいがんじ

大願寺 だいがんじ

大京寺 だいきょうじ

題経寺 だいきょうじ

大宮寺 だいぐうじ

大源寺 だいげんじ

大光寺 だいこうじ

醍醐寺 だいごじ

大師寺 だいしじ

大正寺 だいしょうじ

大聖寺 だいしょうじ

大慈寺 だいじじ

大樹寺 だいじゅうじ

大乗寺 だいじょうじ

大泉寺 だいせん

大善寺 だいぜんじ

大通寺 だいつうじ

大徳寺 だいとくじ

大導寺 だいどうじ

大道寺 だいどうじ

大日寺 だいにちじ

大宝寺 だいほうじ

大楽寺 だいらくじ

大琳寺 だいりんじ

達磨寺 だるま

檀那寺 だんなでら

旦那寺 だんなでら、だんなじ

智恩寺 ちおんじ

知恩寺 ちおんじ

竹林寺 ちくりんじ

千見寺 ちけんじ

知見寺 ちけんじ

千葉寺 ちばでら

中元寺 ちゅうがんじ

中願寺 ちゅうがんじ

中宮寺 ちゅうぐうじ

仲元寺 ちゅうげんじ

中権寺 ちゅうごんじ

中在寺 ちゅうざいじ

中善寺 ちゅうぜんじ

中禅寺 ちゅうぜんじ

中尊寺 ちゅうそんじ

中堂寺 ちゅうどうじ

長安寺 ちょうあんじ

長栄寺 ちょうえいじ

潮音寺 ちょうおんじ

長久寺 ちょうきゅうじ

長慶寺 ちょうけいじ

長源寺 ちょうげんじ

長興寺 ちょうこうじ

長勝寺 ちょうしょうじ

長松寺 ちょうしょうじ

長泉寺 ちょうせんじ

重染寺 ちょうぜんじ

長徳寺 ちょうとくじ

長坂寺 ちょうはんじ

長峰寺 ちょうほうじ

長命寺 ちょうめいじ

長楽寺 ちょうらくじ

通元寺 つうげんじ

通法寺 つうほうじ

津寺 つでら

貞永寺 ていえいじ

天花寺 てんげえじ、てんかじ

天現寺 てんげんじ

天性寺 てんしょうじ

天正寺 てんしょうじ

天寧寺 てんねいじ

天王寺 てんのうじ

天籟寺 てんらいじ

天竜寺 てんりゅうじ

天龍寺 てんりゅうじ

伝法寺 でんぼうじ

傳法寺 でんぼうじ

東慶寺 とうけいじ

東光寺 とうこうじ

唐招提寺 とうしょうだいじ

当寺 とうじ

東寺 とうじ

東泉寺 とうせんじ

東禅寺 とうぜんじ

東大寺 とうだいじ

東長寺 とうちょうじ

塔寺 とうでら

東福寺 とうふくじ

灯明寺 とうみょうじ

徳大寺 とくだいじ

道光寺 どうこうじ

道寺 どうじ

道場寺 どうじょうじ

道成寺 どうじょうじ

導寺 どうでら

道明寺 どうみょうじ

道明寺粉 どうみょうじこ

中秦泉寺 なかじんぜんじ

中寺 なかでら

中山寺 なかやまでら

若王寺 なこうじ

那谷寺 なたでら

成相寺 なりあいじ

南禅寺 なんぜんじ

南蛮寺 なんばんじ

南林寺 なんりんじ

飯寺 にいでら

西秦泉寺 にしじんぜんじ

西寺尾 にしてらお

西寺方 にしてらかた

西本願寺 にしほんがんじ

西本成寺 にしほんじょうじ

仁頂寺 にじょうじ

日東寺 にっとうじ

如法寺 にょほうじ

忍頂寺 にんじょうじ

仁和寺 にんなじ

念仏寺 ねんぶつじ

能仁寺 のうにんじ

野寺 のでら

廃寺 はいじ

長谷寺 はせでら

畑寺 はたでら

鉢ヶ峯寺 はちがみねじ

八九寺 はちくじ

幅寺 はばでら

浜寺 はまでら

林寺 はやしじ

原寺 はらでら

般若寺 はんにゃ

梅津寺 ばいしんじ

梅林寺 ばいりんじ

番生寺 ばんしょうじ

日向寺 ひうがじ

東本願寺 ひがしほんがんじ

東山寺 ひがしやまてら

引寺 ひきじ

百済寺 ひゃくさいじ

白毫寺 びゃくごうじ

平等寺 びょうどうじ

富貴寺 ふきでら

福王寺 ふくおうじ

福音寺 ふくおんじ

福成寺 ふくじょうじ

福禅寺 ふくぜんじ

福寺 ふくでら

福田寺 ふくでんじ

普賢寺 ふげん

普済寺 ふさいじ

普正寺 ふしょうじ

藤井寺 ふじいでら

二ツ寺 ふたつてら

不動寺 ふどうじ

舩寺 ふなでら

船寺 ふなでら

古寺 ふるでら、こでら

峰定寺 ぶじょうじ

仏光寺 ぶっこうじ

仏国寺 ぶっこくじ

仏生寺 ぶっしょうじ

仏寺 ぶつじ

平安寺 へいあんじ

平泉寺 へいせんじ

平林寺 へいりんじ

報恩寺 ほうおんじ

方広寺 ほうこうじ

宝厳寺 ほうごんじ

宝山寺 ほうざんじ

宝積寺 ほうしゃくじ

寳積寺 ほうしゃくじ

法勝寺 ほうしょうじ

放寺 ほうじ

法寺岡 ほうじおか

芳寺戸 ほうじど

宝仙寺 ほうせんじ

宝泉寺 ほうせんじ

法泉寺 ほうせんじ

法善寺 ほうぜんじ

宝蔵寺 ほうぞうじ

宝藏寺 ほうぞうじ

寳蔵寺 ほうぞうじ

寳藏寺 ほうぞうじ

寶蔵寺 ほうぞうじ

寶藏寺 ほうぞうじ

法蔵寺 ほうぞうじ

法伝寺 ほうでんじ

法傳寺 ほうでんじ

宝塔寺 ほうとう

法道寺 ほうどうじ

鳳来寺 ほうらいじ

法隆寺 ほうりゅうじ

法輪寺 ほうりんじ

法起寺 ほっきじ

法華寺 ほっけじ

法興寺 ほつこうじ

法性寺 ほつしょうじ

本願寺 ほんがんじ

本興寺 ほんこうじ

本寺 ほんじ、ほんでら

本成寺 ほんじょうじ

本能寺 ほんのうじ

本遠寺 ほんのんじ

本法寺 ほんぽうじ

本妙寺 ほんみょうじ

本門寺 ほんもんじ

坊寺 ぼうじ

鳳凰寺 ぼうじ

菩提寺 ぼだいじ

前寺 まえでら

牧寺 まきでら

松尾寺 まつおじ

末寺 まつじ

松寺 まつでら

眞寺 までら

真寺 までら

万願寺 まんがんじ

満願寺 まんがんじ

万寿寺 まんじゅじ

万造寺 まんぞうじ

萬造寺 まんぞうじ

万代寺 まんたいじ

万納寺 まんのうじ

萬納寺 まんのうじ

万福寺 まんぷくじ

三井寺 みいでら

美江寺 みえじ

右寺 みぎてら

三田寺 みたでら

御田寺 みだてら

三ツ寺 みつでら

三寺 みつでら

味寺 みでら

見寺 みでら

南久宝寺 みなみきゅうほうじ

南寺 みなみてら

峰寺 みねでら

壬生寺 みぶでら

宮寺 みやでら

妙円寺 みょうえんじ

明王寺 みょうおうじ

妙顕寺 みょうけんじ

妙光寺 みょうこう

妙興寺 みょうこう

妙国寺 みょうこくじ

妙心寺 みょうしんじ

妙寺 みょうじ

妙成寺 みょうじょうじ

明善寺 みょうぜんじ

明大寺 みょうだいじ

明徳寺 みょうとくじ

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明法寺 みょうほうじ

妙楽寺 みょうらくじ

妙蓮寺 みょうれんじ

弥勒寺 みろくじ

彌勒寺 みろくじ

向寺 むかいでら

無量寺りょう

室生寺 むろうじ

室寺 むろじ

毛越寺 もうつじ

元寺 もとてら

森寺 もりでら

茂林寺 もりんじ

文珠寺 もんじゅ

薬王寺 やくおうじ

薬師寺 やくしじ

藥師寺 やくしじ

薬勝寺 やくしょうじ

薬眞寺 やくしんじ

薬真寺 やくしんじ

藥眞寺 やくしんじ

矢寺 やてら

柳寺 やなぎでら

山寺 やまでら

祐天寺 ゆうてんじ

幸寺 ゆきてら、こうでら

楊谷寺 ようこくじ

養福寺 ようふくじ

要法寺 ようほうじ

横寺 よこてら

善峰寺 よしみねでら

雷音寺 らいおんじ

来迎寺 らいこうじ

楽巌寺 らくがんじ

理寛寺 りかんじ

立石寺 りっしゃくじ

龍安寺 りゅうあんじ

竜角寺台 りゅうかくじだい

竜宮寺 りゅうぐうじ

龍宮寺 りゅうぐうじ

立花寺 りゅうげじ

龍源寺 りゅうげんじ

竜光寺 りゅうこうじ

龍光寺 りゅうこうじ

龍寺 りゅうじ

竜泉寺 りゅうせんじ

竜禅寺 りゅうぜんじ

竜造寺 りゅうぞうじ

龍造寺 りゅうぞうじ

龍胆寺 りゅうどうじ

竜安寺 りょうあんじ

陵厳寺 りょうげんじ

了仙寺 りょうせんじ

霊仙寺 りょうせんじ

霊山寺 りょうぜんじ

了徳寺 りょうとくじ

良福寺 りょうふくじ

了法寺 りょうほうじ

臨済寺 りんざいじ

輪王寺 りんのうじ

瑠璃光寺 るりこうじ

蓮覚寺 れんがくじ

蓮花寺 れんげじ

蓮光寺 れんこうじ

連光寺 れんこうじ

蓮正寺 れんしょうじ

蓮台寺 れんだいじ

楞巌寺 ろうごんじ

鹿園寺 ろくおんじ

鹿苑寺 ろくおんじ

六泉寺 ろくせんじ

六湛寺 ろくたんじ

六波羅蜜寺 ろくはらみつじ

和寺 わでら

2017-06-04

山川出版日本史の何がすごいのか、さっぱり分からない

山川出版の日本史いかに凄いかについて情熱的に説明する」

http://blog.tinect.jp/?p=40198

はてなブックマークの人気記事だったので開いてみたのですが、驚くほど中身のない記事でした。

これ、おっさん居酒屋でしゃべっているレベルですよね??

『詳説日本史』を引用するなり参照するなりして、具体的にどこがどうすごいかを語ってほしかったです。

僕も10代の頃はあれが本当に理解できなかった。けど今ならああい教科書が作り続けられる理由がよくわかる。物事を語るにあたって、中立を維持しようとするとなると、事実しか語れなくなるのである

ストーリーというものは、基本的には何らかの価値観を元に構築されるものである日本民族いかに優れているかという視点で歴史を分析すると、それは右翼的な記述にならざるをえないし、平等であろうとすれば、それは左翼的価値観を元に記述せざるをえなくなる。

客観的な記述がされている、左右に偏向していない、中立だからすごいゾ、という感想には呆れ果てました。

いったい全体、どこが情熱的ですか? 教科書を読み返さず、いい加減な記憶をもとに語っても、多分これくらいのことは言えると思います。 

  

クソ記事を読んでしまい、あんまりにもムシャクシャしたので、私が自分で『詳説日本史』を引っ張りだしてきて調べました。

例えば「源平の騒乱」という項目は、次のように記述されています

平清盛後白河法皇幽閉し、1180年に孫の安徳天皇を位につけると、地方の武士団中央貴族・大寺院のなかには、平氏の専制政治に対する不満がうずまき始めた。この情勢を見た後白河法皇皇子以仁王と、畿内に基盤を持つ源氏源頼政は、平氏打倒の兵をあげ、挙兵を呼びかける王の命令(令旨)は諸国の武士に伝えられた。

これに応じて、園城寺(三井寺)や興福寺などの僧兵が立ち上がり、ついで伊豆に流されていた源頼朝信濃の木曾谷にいた源義仲をはじめ、各地の武士団挙兵して、ついに内乱全国的に広がり、5年にわたって騒乱が続いた(治承・寿永の乱)。

平氏は都は福原(現・神戸市)へと移したが、まもなく京都にもどし、畿内を中心とする支配を固めてこれらの組織に対抗した。

しかし、畿内西国を中心とする養和の飢饉や、清盛の死などで平家の基盤は弱体化し、1183年(寿永2)年、平氏北陸で義仲に敗北すると、安徳天皇を報じて西国都落ちした。やがて、頼朝の命を受けた弟の源範頼義経らの軍に攻められ、ついに1185年に長門の壇の浦で滅亡した。

この一連の内乱の行末に大きな影響をおよぼしたのは地方の武士団の動きで、彼らは国司荘園領主に対抗して新たに所領の支配権を強化・拡大しようとつとめ、その政治体制を求めていた。

ここには明らかに編者の歴史観と、因果関係説明が詰め込まれています

  

まず、平清盛後白河天皇幽閉したこと、安徳天皇即位させたことは、この教科書では「平氏の専制政治」と評されています

当時の人たちがそう感じていたのか、それとも教科書の編者がこの評価を下しているのか、どちらなのか判然としませんけど、ともかく本書はこの評価にもとづいて記述がされています

  

次に、この「平氏の専制政治」が地方の武士団中央貴族・大寺院の不満につながって、 以仁王源頼政はそういう情勢を見たので挙兵したと書かれています

これはまさしく因果関係に言及しているわけです。

  

このように、教科書は単なる事実の羅列ではありません。歴史に対する評価因果関係がしっかりと述べられているのです。

そこにどういう学問的な裏付けがあるか、歴史学に無知な私はよく知らないです。あのブログ記事ではそのへんの話を説明していると思ったのですけど、まったくの期待外れでしたね。

  

なお、この教科書とおなじ編者がつくった参考書『詳説日本史研究』(山川出版社)によると、次のように説明されています

治承・寿永の乱は、一般には源氏平氏の戦いといわれている。しか歴史学的にみた場合、この全国的な動乱を単に源氏平氏勢力争いとみるのは正しい理解ではない。以仁王挙兵以降、軍事行動を起こすものが相次いだ。美濃近江河内源氏若狭越前加賀の在庁官人、豪族では伊予の河野氏・肥後の菊池氏である。彼らはあくまでも平氏の施政に反発したのであって、はじめから源氏、とくに源頼朝に味方したわけではない。彼らの背後には在地領主層があり、在地領主たちは自己の要求を実現するために各地で立ち上がったのである

彼らの動向をまとめあげ、武家棟梁となる機会は頼朝以外の人、例えば源義仲源行家、あるいは平宗盛にも与えられていた。頼朝が内乱に終息をもたらし得たのは、彼こそが在地領主層の要望に最もよく答えたからである。この意味で幕府の成立は、時代の画期ととらえることができる。

教科書である『詳説日本史』では、これがたった一文にまとめられているのです。

この一連の内乱の行末に大きな影響をおよぼしたのは地方の武士団の動きで、彼らは国司荘園領主に対抗して新たに所領の支配権を強化・拡大しようとつとめ、その政治体制を求めていた。

こういう史観が妥当なのかというのは、私にはちょっと分からないんですが、この点を強烈にプッシュしているのが『詳説日本史』の特徴と言えるでしょう。

他の教科書を読んでみても、三省堂の『日本史B 改訂版』(日B 015)を除き、この史観はあまりプッシュされていないと感じました。

  

【参考文献】

山川出版社『詳説日本史』(日B 001)

山川出版社『高校日本史 改訂版』(日B 017)

山川出版社新日本史B 改訂版』(日B 018)

東京書籍日本史B』(日B 004)

三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)

実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)

桐原書店新日本史B』(日B 011)

(このエントリは上記7冊を参照しています。いずれも平成22年ごろ購入。)

  

  

  

余談:教科書の読み比べ

  

山川出版社新日本史B 改訂版』(日B 018)

伊豆に流されていた源義朝の子・源頼朝も、妻・北条政子の父北条時政とともに挙兵して南関東を掌握し、10月には源氏根拠地鎌倉に入った。頼朝は父祖以来の結びつきを背景に、三浦千葉上総氏などの有力な東国武士主従関係を結んで御家人とし

頼朝の挙兵が、東国武士との「父祖以来の結びつき」を背景にしていたものだったということは、他の教科書ではなかなか分からないと思います

三浦千葉上総という武士名前が沢山出てくるのもおもしろいですね。(三浦氏名前が出てくる教科書は多いですが、それはこの時点ではなく幕府成立後、十三人の合議制か、宝治合戦ときに唐突に登場します。)

[寿永二年十月宣旨から義仲滅亡までの]この間、鎌倉の頼朝は没収した平氏の所領(平氏没官領)を法皇より与えられ、経済基盤を固めていった。また御家人を統制する侍所を設置し、その長官である別当には和田義盛を任命した。これに加えて、行政裁判制度を整えるための公文所(のちに政所)・問注所がおかれ、その長官にはそれぞれ京から招かれた朝廷の役人である大江広元三善康信就任した。前後して、義経軍らは一の谷・屋島平氏を追い、1185(文治元)年に壇ノ浦平氏を滅ぼした。

[]は引用者註。

この教科書の特徴は、幕府の政治機構の形成過程を、治承・寿永の乱の進行に併記していることです。

鎌倉幕府の成立が1192年(いいくに)なのか、1185年(いいはこ)なのかという論争は、世間でよく知られているぐらい有名になりました。どちらが正しいかは諸説あるとしても、ただ一つ言えることは、どこかの時点でいきなり幕府が完成したというわけではありません。治承・寿永の乱が続いていた期間に、徐々に幕府の政治機構が形成されたのです。この教科書はその史観が反映されています

  

  

  

桐原書店新日本史B』(日B 011)

北条時政の援助によって挙兵した頼朝は、東国武士たちに支持されて、富士川の戦い平氏を破ったが、その後は鎌倉にとどまって、東国地盤を固めることに専念した。これに対して平清盛は一時、都を福原神戸市)に移して態勢を立てなおそうとしたが、まもなく京都に戻り、1181(養和元)年に病死した。一方、義仲は1183(寿永2)年、北陸方面から急進撃して、平氏一門を京都から追い出した。しかし、義仲は後白河法皇対立したので、法皇は同年、頼朝に東海東山両道(東国)の支配権を認め、義仲追討を命じた。頼朝は弟の範頼・義経らを上京させて、義仲を討たせた。範頼・義経さら平氏追討に向かい、1185(文治元)年、長門壇ノ浦平氏一門を滅ぼした。

この教科書歴史用語の詰めこみを回避しているようで、内容は簡単、文章としても平易です。

上記引用でも分かるとおり、「頼朝に東海東山両道(東国)の支配権を認め」という記述があるくせに、寿永二年十月宣旨というキーワードがありません。治承・寿永の乱、一の谷、屋島の戦いなどは年表に記載されていますが、本文中に記載なし。養和の飢饉、平氏都落ち安徳天皇を伴ったことも言及なし。

というわけで受験生には不向きですが、他の教科書にはない特色もあります

  

鎌倉将軍に尽くして家人となった武士のことを、鎌倉御家人といった。鎌倉御家人になる目的は、将軍面接して(見参)、先祖伝来の所領を承認してもらい(本領安堵)、さらに勲功のあった者は新たな所領を恩賞としてうける(新恩給与)ことにあった。

教科書の中では唯一、桐原書店けが「見参」を掲載しています。これは鎌倉幕府の権威の構造がどういったものであったかを知るための手がかりになるかも。

(他の教科書ではこの用語がないどころか、「将軍面接して」という説明も省かれています

  

["新恩給与"についての註]

土地のものよりも土地に対する一定の支配権と、それにともなう収益権を与えられるのが普通で、そのおもなものが地頭職であった。

これは「職の体系」のことを言っています。他の教科書とは違って、地頭をあえて「地頭職」と見なす視点を紹介し、その意味するところを簡潔に説明しているのがすごい!

所有権が重層的に重なりあっていたというのは、中世土地支配構造を知るうえで一番大切なポイントだと思います

なお、山川出版の『日本史B用語集』には「職の体系」という用語は不掲載で、かわりに「職」の項でそれを説明しています

職(しき)②:一般に職務に伴う土地からの収益とその職務自体を指す。荘園場合、有力者への寄進が何回も積み重なり、下記のような複雑な職の改装秩序を生じた。

本家職①、領家職②、預所職②、下司職②、荘官職①

  

[引用者註:丸の数字はこの用語を掲載している教科書の数]

山川出版『日本史B用語集』より

この説明は悪くないと思いますが、桐原書店は「土地のものよりも土地に対する一定の支配権と、それにともなう収益権」のことと明記しているので、その方が的確です。

しかも、いかんせん、『日本史B用語集』は「職」の用語説明を「院政期の社会文化」のページに掲載しているので、これと鎌倉時代の地頭職との関連が全然分からないです。そして「鎌倉幕府の成立」のページにある「地頭職」の用語説明は、次のようになっています

地頭職(じとうしき)⑤:職とは役職に伴う権益意味。地頭職は御家人が地頭に任命されて認められた兵糧米の徴収や免田(給田)経営などの権利

  

山川出版『日本史B用語集』より

これは間違っていませんけど、この説明を読んで、重層的な土地支配構造があったことを理解できますか? 絶対に不可能ですよね?

せめて「職」「地頭職」という用語同士を紐付けて相互参照させてほしいです。ふざけんなってかんじです。

  

さて、桐原書店教科書に話をもどすと、欄外にこういう豆知識も載っています

幕府とは、近衛府の唐名であるが、転じて近衛大将の居館のことをいった。のちには近衛大将とは関係なく、武家政権意味する語となった。頼朝は1190年に上洛し、右近大将に任ぜられたが、まもなく辞任した。

[ふたつの源頼朝像]

Aについては南北朝時代武将とする説もあり(伝・藤原隆信筆,京都神護寺蔵)、Bも注目されるようになった(山梨甲斐善光寺蔵)。

とてもユニークですね。受験には使えないかもしれませんが、知っておいて損はないです。

  

  

  

東京書籍日本史B』(日B 004)

養和は平氏政権が用いた年号で、これを認めない頼朝の支配する関東では、ひきつづき治承の年号が用いられた。

網野善彦著作『東と西の語る日本の歴史』に、たしかこの話があったと思います

他の教科書には載ってませんが、ピンポイント東大入試に出題されました。

  

源氏鎌倉の関係は、源頼信のころに源氏氏神となった石清水八幡宮を、前九年合戦の際、子の頼義が相模国由比郷に勘請して鶴岡若宮八幡宮前身)を建設したことから始まった。鎌倉は前面に海をもち、三方を山にかこまれた要害の地で、切通によって外部と結ばれていた。

鎌倉という土地をこれだけ情熱的に語っているのは、東京書籍教科書だけです。

上記引用とはまた別に、「コラム 武家の都鎌倉経済流通」というのも掲載されています

東大入試では、「院政時代から鎌倉時代にかけての京都と鎌倉都市の発展」について論述させる問題が出されたことがありますが(1990年)、この教科書はその答案を書くうえで非常に役立つものだと思います

  

  

  

山川出版社『高校日本史 改訂版』(日B 017)

こののち、後白河法皇義経を重んじ、頼朝追討の命令を下したが、これに失敗すると、頼朝はその責任を追及し、逆に義経追討の命令を得た。さらに頼朝は義経をかくまっていた奥州藤原氏を滅ぼそうと朝廷に追討の命令希望したが、法皇がそれを拒否すると、1189(文治5)年に頼朝は追討の命令を待たず、大軍をもって奥州藤原氏を滅ぼした。ここに全国を平定し、その後、法皇死後の1192(建久3)年に頼朝は念願の征夷大将軍に任じられた。

頼朝の悪人っぷりがこれでもか!?というぐらい強調されています

あいつは自分の野望を実現するため、ときには法皇に逆らって圧力をかけたり、朝廷命令無視して独断専行する奴だった、ということを言いたげな記述です。

  

それはともかく、奥州藤原氏を守ろうとした法皇朝廷側と、それを潰そうとした頼朝の厳しい対立がわかるのは、この教科書だけでしょうね。

両者のぴりぴりした緊張関係が伝わってきます

関西にある政権東北地方を使って、関東独立の動きを牽制するというのは、日本の歴史において繰り返し出てくるパターンなので、この視点を漏らさず記述しているところはアッパレ

  

  

  

実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)

平氏安徳天皇を奉じて西国に落ちていったが、後白河法皇は京都にとどまり、新たに後鳥羽天皇をたてて政権を維持した。法皇は義仲には平家追討を命じるいっぽう、頼朝には上京をうながして、京都の義仲に対抗させ、武士たちをたがいに牽制させて政局の主導権をにぎろうとした。しかし頼朝は、東国の安定に意をそそいでみずからは鎌倉を動かず、弟の範頼・義経を上京させて、1184(元暦元)年、義仲を討たせ、源氏一族の長となった。ついで義経らは、その当時勢力回復して都にせまっていた平氏を一の谷・屋島などの合戦でやぶり、さらに翌1185(文治元)年にはこれを長門壇ノ浦に追いつめて滅亡させた。

この時代に2人の天皇が同時に存在していたとする視点を取り入れているのがナイス

都落ちした平氏はそのままあっけなく滅んだわけじゃなくて、京都にいる天皇とは違う天皇を奉じて勢力を盛り返していたのです。

どちらの天皇が正統かというのは、つまるところ結果論にすぎません。この教科書はそんな歴史観に基づいて書かれています

  

ちなみに、この教科書の編者は、大半が関西教育機関に属する人たちみたいです。後白河法皇平氏を主軸にした書き方は、編者の関西びいきが反映した結果なんでしょうか。(笑)

例えば奥州合戦について、「奥州進撃のために頼朝は東国だけでなく西国武士もひとまず鎌倉に動員し、これを機会に国ごとに御家人組織の整備をいっそうすすめた」とありますさら西国御家人東国御家人とどう違うかを説明しているのもおもしろく、この教科書関西中心っぽい史観は独特です。

  

  

  

三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)

  

……って、おい!? 増田がここで文章を掲載できなくなったんだが??

せっかくこの先が本番なのに、文字数の上限なのだろうか。

つづき→http://anond.hatelabo.jp/20170605001028

2017-05-19

天台宗(てんだいしゅう)は大乗仏教の宗派のひとつである。諸経の王とされる妙法蓮華経法華経)を根本経典とするため、天台法華宗(てんだいほっけしゅう)とも呼ばれる[1]。天台教学中国に発祥し、入唐した最澄伝教大師)によって平安時代初期(9世紀)に日本に伝えられた。

目次 [非表示]

1 日本天台宗

1.1 天台密教台密

1.2 四宗兼学

1.3 止観行

1.4 所依

1.5 主要寺院寺格

1.5.1 天台宗山門派

1.5.1.1 総本山

1.5.1.2 門跡寺院

1.5.1.3 大本山

1.5.1.4 別格本山

1.5.1.5 その他の寺院

1.5.2 天台寺門宗

1.5.3 天台真盛宗

1.6 その他天台系宗派

1.6.1 天台宗新宗教

1.7 教育機関

1.7.1 大学

1.7.2 天台宗中学校高等学校

1.7.3 養成機関

2 中国天台宗

3 韓国天台宗

4 社会運動

5 脚注・出典

6 関連項目

7 外部リンク

日本天台宗[編集]

正式名称天台法華円宗。法華円宗、天台法華宗、あるいは、単に法華宗などとも称する。但し、最後呼び名日蓮教学法華宗と混乱を招く場合があるために用いないことが多い。

初め、律宗天台宗兼学の僧鑑真和上が来日して天台宗関連の典籍日本に入った。次いで、伝教大師最澄767年-822年)が延暦23年(804年)から翌年(805年)にかけて唐に渡って天台山にのぼり、天台教学を受けた。同年、日本帰国した最澄は天台教学を広め、翌年(806年)1月に天台法華宗として認められたのが日本における天台宗のはじまりである最澄特に飲酒に厳しい態度を取っており、飲酒するものは私の弟子ではなく仏弟子でもないからただちに追放するよう述べている。

この時代、すでに日本には法相宗華厳宗など南都六宗が伝えられていたが、これらは中国では天台宗より新しく成立した宗派であった。最澄日本帰国後、比叡山延暦寺に戻り、後年円仁(慈覚大師)・円珍(智証大師)等多くの僧侶を輩出した。最澄はすべての衆生成仏できるという法華一乗の立場を説き、奈良仏教と論争が起こる。特に法相宗の徳一との三一権実諍論は有名である。また、鑑真和上が招来した小乗戒を授ける戒壇院を独占する奈良仏教に対して、大乗戒壇設立し、大乗戒(円頓戒)を受戒した者を天台宗僧侶と認め、菩薩僧として12年間比叡山に籠山して学問修行を修めるという革新的最澄の構想は、既得権益となっていた奈良仏教と対立を深めた。当時大乗戒は俗人の戒とされ、僧侶の戒律とは考えられておらず(現在でもスリランカ上座部など南方仏教では大乗戒は戒律として認められていないのは当然であるが)、南都の学僧が反論したことは当時朝廷は奈良仏教に飽きており、法相などの旧仏教の束縛を断ち切り、新しい平安の仏教としての新興仏教を求めていたことが底流にあった。論争の末、最澄の没後に大乗戒壇勅許下り名実ともに天台宗が独立した宗派として確立した。清和天皇の貞観8年(866)7月、円仁に「慈覚」、最澄に「伝教」の大師号が贈られた。宗紋は三諦星。

天台密教台密)[編集]

真言宗の密教を東密と呼ぶのに対し、天台宗の密教は台密と呼ばれる。

当初、中国天台宗の祖といわれる智顗(天台大師)が、法華経の教義によって仏教全体を体系化した五時八教の教相判釈(略して教判という)を唱えるも、その時代はまだ密教は伝来しておらず、その教判の中には含まれていなかった。したがって中国天台宗は、密教を導入も包含もしていなかった。

しか日本天台宗宗祖最澄伝教大師)が唐に渡った時代になると、当時最新の仏教である中期密教が中国に伝えられていた。最澄は、まだ雑密しかなかった当時の日本では密教が不備であることを憂い、密教を含めた仏教のすべてを体系化しようと考え、順暁から密教の灌頂を受け持ち帰った。しか最澄帰国して一年後に空海弘法大師)が唐から帰国すると、自身が唐で順暁から学んだ密教は傍系のものだと気づき空海に礼を尽くして弟子となり密教を学ぼうとするも、次第に両者の仏教観の違いが顕れ決別した。これにより日本の天台教学における完全な密教の編入はいったんストップした。

はいえ、最澄自身法華経を基盤とした戒律や禅、念仏、そして密教の融合による総合仏教としての教義確立を目指していたのは紛れもない事実で、円仁(慈覚大師)・円珍(智証大師)などの弟子たちは最澄自身意志を引き継ぎ密教を学び直して、最澄の悲願である天台教学を中心にした総合仏教の確立に貢献した。したがって天台密教系譜は、円仁円珍に始まるのではなく、最澄が源流である。また円珍は、空海の「十住心論」を五つの欠点があると指摘し「天台と真言には優劣はない」と反論もしている。

なお真言密教東密)と天台密教台密)の違いは、東密大日如来本尊とする教義を展開しているのに対し、台密あくまで法華一乗の立場を取り、法華経本尊である久遠実成の釈迦如来としていることである

四宗兼学[編集]

また上記の事項から、同じ天台宗といっても、智顗が確立した法華経に依る中国天台宗とは違い、最澄が開いた日本天台宗は、智顗の説を受け継ぎ法華経を中心としつつも、禅や戒、念仏、密教の要素も含み、したがって延暦寺は四宗兼学の道場とも呼ばれている。井沢元彦はわかりやすい比喩として、密教の単科大学であった金剛峯寺に対して、延暦寺は仏教総合大学であったと解説している。

止観行[編集]

天台宗修行法華経の観心に重きをおいた「止観」を重んじる。また、現在日本天台宗修行は朝題目・夕念仏という言葉に集約される。午前中は題目、つまり法華経読誦を中心とした行法(法華懺法という)を行い、午後は阿弥陀仏本尊とする行法(例時作法という)を行う。これは後に発展し、「念仏」という新たな仏教の展開の萌芽となった。また、遮那業として、天台密教台密)などの加持も行い、総合仏教となることによって基盤を固めた。さらに後世には全ての存在仏性が宿るという天台本覚思想確立することになる。長く日本の仏教教育の中心であったため、平安末期から鎌倉時代にかけて融通念仏宗浄土宗浄土真宗臨済宗曹洞宗日蓮宗などの新しい宗旨を唱える学僧を多く輩出することとなる。

所依[編集]

法華経

涅槃経

大品経

大智度論

主要寺院寺格)[編集]

天台宗山門派)[編集]

総本山[編集]

比叡山延暦寺滋賀県大津市

門跡寺院[編集]

滋賀院(大津市

妙法院京都市東山区

魚山三千院京都市左京区

青蓮院京都市東山区

曼殊院京都市左京区

毘沙門堂京都市山科区

大本山[編集]

関山中尊寺岩手県西磐井郡平泉町

日光山輪王寺栃木県日光市

東叡山寛永寺東京都台東区

定額山善光寺大勧進長野県長野市

別格本山[編集]

毛越寺岩手県西磐井郡平泉町

瑞国海岸観音寺宮城県気仙沼市

正覚山蓮前院安楽寺茨城県常総市

星野山中院(埼玉県川越市

狭山山不動寺(埼玉県所沢市

大鱗山雲洞院天龍寺埼玉県飯能市

浮岳山昌楽院深大寺東京都調布市

向山常楽寺長野県上田市

宝積山光前寺(長野県駒ヶ根市

龍谷山水間寺大阪府貝塚市

書写山圓教寺兵庫県姫路市

大山寺鳥取県大山町

山大興善寺(佐賀県基山町

六郷満山両子寺(大分県国東市

その他の寺院[編集]

谷汲観音寺北海道河東郡音更町

青柳山談義堂院龍蔵寺(群馬県前橋市

星野山喜多院(埼玉県川越市

谷汲華厳寺岐阜県揖斐郡揖斐川町

清香寂光院京都市左京区

根本山神峯山寺(大阪府高槻市

三身山太山寺兵庫県神戸市

補陀落山長尾寺香川県さぬき市

清水観世音寺福岡県太宰府市

海山大恩教寺釈迦院(熊本県八代市

阿蘇山西巌殿寺(熊本県阿蘇市) 

王寺熊本県山都町宮司豪族であった中世阿蘇氏の菩提寺である) 

天台寺門宗[編集]

総本山 長等山園城寺三井寺)(滋賀県大津市

天台真盛宗[編集]

総本山 戒光山西教寺(滋賀県大津市

その他天台系宗派[編集]

聖観音宗 

浅草寺東京都台東区

和宗

四天王寺

本山修験宗寺門派系)

聖護院京都市左京区

金峯山修験本宗

金峯山寺奈良県吉野郡吉野町

浄土真宗遣迎院派

遣迎院京都市北区

妙見宗

本瀧寺大阪府豊能郡能勢町

粉河観音宗

粉河寺(和歌山県紀の川市粉河

善峰観音宗

善峰寺京都府京都市西京区

天台宗新宗教[編集]

念法眞教

孝道教団

鞍馬弘教

教育機関[編集]

大学[編集]

大正大学

天台宗中学校高等学校[編集]

比叡山中学校・高等学校

駒込中学校・高等学校

養成機関[編集]

叡山学院

園城寺(おんじょうじ)は、滋賀県大津市園城寺町にある、天台寺門宗総本山。山号を「長等山(ながらさん)」と称する。

開基(創立者)は大友与多王、本尊弥勒菩薩である日本三不動の一である黄不動で著名な寺院で、観音堂は西国三十三所観音霊場の第14番札所である。また、近江八景の1つである三井の晩鐘」でも知られる。

なお一般には「三井寺(みいでら)」として知られるため、本文では「三井寺」の呼称を用いる。

目次 [非表示]

1 歴史

2 伽藍

3 黄不動

4 文化財

4.1 三井寺秘仏

4.2 国宝

4.3 重要文化財

4.4 その他

5 御詠歌

6 前後札所

7 交通

8 周辺

9 脚注

10 参考文献

11 関連項目

12 外部リンク

歴史[編集]

三井寺7世紀大友氏 (古代)の氏寺として草創され、9世紀に唐から帰国した留学円珍天台寺門宗宗祖)によって再興された。三井寺平安時代以降、皇室貴族武家などの幅広い信仰を集めて栄えたが、10世紀から比叡山延暦寺との対立抗争が激化し、比叡山の宗徒によって三井寺が焼き討ちされることが史上度々あった。近世には豊臣秀吉によって寺領没収されて廃寺同然となったこともあるが、こうした歴史上の苦難を乗り越えてその都度再興されてきたことから三井寺は「不死鳥の寺」と称されている。

三井寺」の由来となった井戸「閼伽井屋」(重文

三井寺起源については、次のように伝承されている。大津京を造営した天智天皇は、念持仏の弥勒菩薩像を本尊とする寺を建立しようとしていたが、生前にはその志を果たせなかった。天皇の子大友皇子弘文天皇)も壬申の乱のため、25歳の若さで没している。大友皇子の子である大友与多王は、父の菩提のため、天智天皇所持の弥勒像を本尊とする寺の建立を発願した。壬申の乱大友皇子敵対していた天武天皇は、朱鳥元年(686年)この寺の建立を許可し、「園城寺」の寺号を与えた。「園城」という寺号は、大友与多王が自分の「荘園城邑」(「田畑屋敷」)を投げ打って一寺を建立しようとする志に感じて名付けたものという。なお、「三井寺」の通称は、この寺に涌く霊泉が天智・天武・持統の3代の天皇の産湯として使われたことから御井」(みい)の寺と言われていたものが転じて三井寺となったという。現在三井寺には創建時に遡る遺物ほとんど残っていない。しかし、金堂付近からは、奈良時代前期に遡る古瓦が出土しており、大友氏と寺との関係史料から裏付けられることから、以上の草創伝承は単なる伝説ではなく、ある程度史実を反映したものと見ることができる。

三井寺では、他宗で「管長」「別当」などと呼ばれる、一山を代表する僧のことを「長吏」(ちょうり)と呼んでいる。貞観元年(859年)、三井寺初代長吏就任し、その後の三井寺の発展の基礎を築いたのが、智証大師円珍である円珍は、弘仁5年(814年)、讃岐国那珂郡香川県善通寺市)に生まれた。俗名は和気広雄、母方の姓は佐伯氏で、円珍の母は弘法大師空海の妹(もしくは姪)にあたる。幼時から学才を発揮し神童と呼ばれた広雄は、15歳で比叡山に登り、初代天台座主義真に入門。19歳の時に国家公認正規の僧となり、円珍改名した。その後、比叡山規定に従って「十二年籠山行」(12年間、比叡山から下りずにひたすら修行する)を終えた後、大峯山熊野三山を巡って厳しい修行をする。このことから三井寺修験道とも深い繋がりを持っている。仁寿3年(853年)には唐へ留学して6年間、各地で修行青龍寺の法全(はっせん)から密教の奥義を伝授された。天安2年(858年)、円珍は多くの経巻、図像、法具を携えて日本帰国した。翌貞観元年(859年)、大友氏の氏寺であった三井寺に「唐院」(とういん)を設置。寺を整備して修行道場とすると共に、唐から請来した経典や法具を唐院に収蔵した。貞観8年(866年)、太政官から円珍伝法の公験(くげん、証明書)が与えられた。顕教密教に加えて修験道を兼学する円珍伝法は、これによって政府公認を得たわけであり、天台寺門宗ではこの時をもって開宗と見なしている。貞観10年(868年)、円珍天台宗最高の地位である天台座主就任。以後、没するまでの24年間、その地位にあった。

円珍の没後、比叡山円珍の門流と、慈覚大師円仁の門流との2派に分かれ、両者は事あるごとに対立するようになった。円珍の没後1世紀まりを経た正暦4年(993年)には、円仁派の僧たちが比叡山内にあった円珍派の房舎を打ち壊す騒動があり、両派の対立は決定的となり、円珍派は比叡山下りて、三井寺に移った。比叡山延暦寺を「山門」と別称するのに対し三井寺を「寺門」と称することから、両者の対立抗争を「山門寺門の抗争」などと呼んでいる。比叡山宗徒による三井寺の焼き討ちは永保元年(1081年)を始め、中世末期までに大規模なものだけで10回、小規模なものまで含めると50回にも上るという。

三井寺は、平安時代には朝廷貴族尊崇を集め、中でも藤原道長白河上皇らが深く帰依したことが知られている。これら勢力から寄進等による荘園多数を支配下におき、信州善光寺荘園末寺として記録に著れる。中世以降は源氏など武家信仰も集めた。源氏は、源頼義三井寺に戦勝祈願をしたことから歴代尊崇が篤く、源頼政平家打倒の兵を挙げた時にはこれに協力し、平家を滅ぼした源頼朝も当寺に保護を加えている。頼朝意思を継いだ北条政子もこの方針継承し、建保元年(1214年)に延暦寺に焼き払われた園城寺大内惟義・佐々木広綱・宇都宮蓮生ら在京御家人に命じて直ちに再建させている。しかし、園城寺僧侶として育てられていた源頼家の子公暁叔父である源実朝暗殺するという事件を起こしたために、以後鎌倉幕府より一時冷遇を受ける。だが、北条時頼の信頼が厚かった隆弁が別当就任すると再興され、続く南北朝内乱でも北朝足利氏を支持したことから室町幕府保護を受けた。両幕府のこの厚遇は、強力な権門である延暦寺勢力牽制するために園城寺に対して一定支援をすることが必要であると考えられていたからだと言われている。

文禄4年(1595年)、三井寺豊臣秀吉の怒りに触れ、闕所(寺領没収事実上の廃寺)を命じられている。三井寺が何によって秀吉の怒りを買ったものかは諸説あって定かではない。この結果、三井寺本尊や宝物は他所へ移され、金堂をはじめとする堂宇も強制的に移築された。当時の三井寺金堂は比叡山に移され、延暦寺転法輪堂(釈迦堂)として現存している。慶長3年(1598年)、秀吉は自らの死の直前になって三井寺の再興を許可している。これは死期を悟った秀吉が、霊験あらたかな三井寺祟りを恐れたためとも言われている。秀吉の再興許可を受け、当時の三井寺長吏・道澄が中心となって寺の再興が進められた。現在三井寺の寺観は、ほぼこの頃に整えられたものである

明治維新後は天台宗寺門派を名乗っていたが、1946年以降は天台寺門宗総本山となっている。

壬生寺(みぶでら)は、京都市中京区壬生にある律宗大本山寺院である本尊地蔵菩薩、開基は園城寺三井寺)の僧快賢である中世に寺を再興した融通念仏の円覚上人が創始したとされる「大念仏狂言」を伝える寺として、また新選組ゆかりの寺としても知られる。古くは地蔵院、宝幢三昧寺[1]、心浄光院と号した。

目次 [非表示]

1 歴史

2 境内

3 文化財

3.1 重要文化財

3.2 焼失した重要文化財

3.3 重要無形民俗文化財

4 行事

5 関連項目

6 アクセス

7 脚注

8 外部リンク

歴史[編集]

園城寺三井寺)の僧快賢が、991年(正暦2年)に自身の母のために建立したとされる。京都では珍しい律宗総本山奈良唐招提寺寺院である

中世に融通念仏の円覚上人が中興。大念仏会の際に上演される重要無形民俗文化財の「壬生念仏狂言」(壬生狂言)は円覚上人が始めたものと伝えられる[2]。

江戸時代後期の幕末には京都治安維持目的活動した新選組(当初は壬生浪士組といった)の本拠壬生村の八木家に置かれた。当寺境内新選組兵法調練場に使われ、武芸などの訓練が行われたという。その縁で境内には局長近藤勇銅像や、新選組隊士の墓である壬生塚がある(近藤勇の墓とされるものは、当所以外にも会津若松市三鷹市などに存在する)。

当寺旧本尊地蔵菩薩半跏像(鎌倉時代後期の作)は、「壬生地蔵」と呼ばれ信仰を集めていたが、1962年昭和37年7月25日放火により本堂とともに焼失した。現在本尊地蔵菩薩立像は、火災後に本山唐招提寺から移されたものである

境内[編集]

現在の本堂は1970年昭和45年)の再建である境内には他に大念仏堂狂言舞台重要文化財)、近藤勇銅像壬生塚、千体仏塔(パゴダ様式仏塔に1000体の石仏を円錐形に安置したもの)などがある。

文化財[編集]

重要文化財[編集]

木造地蔵菩薩立像唐招提寺旧蔵、平安時代

錫杖(しゃくじょう)

紙本墨画淡彩列仙図 長谷川等伯筆 六曲一双(左隻の一扇を欠く)

壬生寺念仏堂狂言舞台)(附 道具蔵、脇門、土塀2棟、棟札2枚)

典拠2000年平成12年)までに指定国宝重要文化財については、『国宝重要文化財大全 別巻』(所有者別総合目録名称索引統計資料)(毎日新聞社、2000)による。

焼失した重要文化財[編集]

木造地蔵菩薩半跏像 旧本尊鎌倉時代

木造四天王立像 鎌倉時代

金鼓 正嘉元年(1257年)銘 - 「金鼓」は仏堂の軒先に吊るす「鰐口」のこと

以上3件は1962年火災で焼失した。[3]

重要無形民俗文化財[編集]

壬生狂言

壬生六斎念仏踊り(指定名称は「京都の六斎念仏」)

行事[編集]

壬生狂言

毎年節分春秋に演じられる無言劇。大念仏狂言(だいねんぶつきょうげん)とも呼ばれる。重要無形民俗文化財指定されている。公開は2月節分の当日と前日、4月29日から5月5日まで、及び10月体育の日を含む3日間(年間12日間)[4]。詳細は「壬生狂言」を参照

壬生六斎念仏踊り

年中行事として、かつては毎年8月9日精霊迎え火、16日の精霊送り火23日の地蔵盆壬生寺で上演されていたが、現在は9日にの実施されている。重要無形民俗文化財。詳細は「壬生六斎念仏踊り」を参照

地蔵盆時の出開帳

壬生寺は、地蔵菩薩本尊とする寺として、地蔵盆の際に地蔵石仏を貸し出す、俗称レンタル地蔵」を行っていることでも知られる。

京都でも新興住宅地などでは地域地蔵がなく、地蔵盆が行えないことがある。この場合宗教色を薄めた「夏祭り」とする所もあるが、地蔵を借りてきて地蔵盆を行うところもある。壬生寺場合は、明治時代から京都各地の区画整理などに伴って祀れなくなった石仏が多数引き取られており、これを出開帳の形式をとって希望する各町に貸し出しているのである

2013-02-06

http://anond.hatelabo.jp/20130206132352

「牌にドラえもんが書いてあっても」は何を言いたいのかちょっと分からんが、まぁ、言いたいことは分かるよw

てか俺も最初は『咲』はクソだと思ってたけど、

結局「麻雀少年漫画的なアプローチが出来るんだな」ってことが理解できてなかっただけだったなと、後から気づいた。

あの漫画が成立するのって、「カンして嶺上開花」がカッコイイと、曲がりなりにも広く共有されてるからだよね。

実際の麻雀ではカンなんてクソかもしれないけどさw

その後キャラが増えてって、パワーインフレも起こり気味で、能力ダサいのとカッコイイのがあって、

全部が全部うまく行っているわけじゃないけど、やっぱ少年漫画コンテクストを引き出せるのって強いよねw

『咲』で一番好きなキャラは、『阿知賀編』の園城寺怜。

一巡先が見えるって、もちろん現実に使えたら反則気味の強さだけど、

中途半端未来視ってのは往々にして能力限界にぶち当たる側じゃないのw

最初に出てきた時から、ああこの子はいつか自分限界にぶつかるんだなって分かって、

でも園城寺怜は最終的に三巡先まで見るんだよね。

そうやって限界を越えていくところに、俺はすげー感動した。

からまぁ、もしかしたら福本作品も受け入れられるようになるかもしらんが、

今は無理だわ。あの改造麻雀たちはダサい

 
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