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はてなキーワード: インスピレーションとは

2024-11-18

anond:20241118042212

著作権について学習していたら絵柄を保護するってのは著作権法の理念真逆の発想ってのは理解できるはず

アイデア保護されないのは既存著作物からインスピレーションを受けて新しい発想が生まれることで文化の発展に寄与することを目的としているからで、絵柄が保護されたら創作は萎縮してしまうよ

著作権法を理解していたら絵柄を保護しろなんて発想は出てこない

2024-11-13

anond:20241113094814

だって構図や画面構成は無からまれるわけではなく、過去の絵や写真映画ベースアレンジ試行錯誤して、その中からクリエイターセンスで選んでる。

AIで100枚出してその中から人間が「お、この構図いいな」と選ぶ工程は、まさにその作業を簡略化しつつ1番センスが要る所を人間がやってる理想状態

もちろんまだ誰も見たことない絵作りを目指すのも自由

その場合AIは(別にAIが言うようなパッチワーク的な機構じゃないので)インスピレーションを与えてくれるけど、使わない自由もある。

誰かが生んだ構図と似た構図になるのが許せないなら、「サンライズ立ち」で検索して出てきた作品全てを叩いて回りなよ。

2024-11-12

パクりしかないCoC6界隈

オマージュインスピレーションって言ってるくせに、他作品世界設定を流用してるシナリオの何が嫌いかって、自分創作物です!って顔してるところ。そこまでして承認欲求満たしたいわけ?ちやほやされないと気が済まないの?自分で考えた設定でもないのにオリジナルの顔して出すなんて恥知らずも良いとこだ。

その作品がすきで、その世界観で自分創作したい、その世界観を味わってほしいって、まじでそういうファン目線動機シナリオ書いたなら、パロディシナリオにすればいいじゃん。

ゲームパロディシナリオです。世界観がすきなのでcocでもやってほしくて、って。

なのに小賢しく名前変えたりオリジナルっぽく見せたりするから原作ファンが怒るんでしょ?

泥棒恥知らずファンの皮を被ったパクりネタ集め!パクりネタ探しのためにゲームすんな!

って。

そりゃ言われて当然だよね。だって他人の作ったもの自分オリジナルとして出すなんて、普通創作者なら恥ずかしくて出来ない。

オマージュといいつつパクリです、のシナリオってこの世に腐るほどあるけどさ、そいつら全員恥知らずだよ。何がシナリオ作者wwwwwww泥棒集団の間違いでしょ?パクり元無いと書けない人多すぎなwwwwwwそんで、パクり元の二次創作とは言わず、影響うけましたーとか言ってオリジナルぶるの。信者にちやほやされてよかったね、現実世界でどんな生活送ってんだ。ヒキニートなの? 誰から相手にされないかネット泥棒してまで一生懸命なの?wwwよかったじゃん。パクって燃えても「私は復活待ってます!」とかいう頭弱い人達たくさんいてwwwwその人達からまたお金巻き上げるんでしょ?まーた泥棒して。いいじゃんいいじゃん、弱者相手商売ってそうじゃなきゃね。

この世にあるパロディの癖にパロディって書かず、オマージュとして自分創作物にしてる恥知らず共、まとめて全員燃えいかな。燃えすぎて同人シナリオ規制からいかな。パクリの温床ほっといていいんですかぁ?あーでも、泥棒が作ったものだろうとなんだろうと、金がはいから公式は動かないかハイハイ弱者弱者

2024-11-10

anond:20241110210512

東野圭吾氏の執筆方法に関する考察

東野圭吾氏が、執筆の際に最後の1行を書かずに翌日まで持ち越すという方法は、非常に興味深いですね。この手法には、いくつかのメリットが考えられます

1. 前日の集中力を維持する効果

記憶の引き継ぎ:

最後の1行を書き残すことで、翌日の作業開始時に、前日の物語世界観登場人物感情スムーズに戻ることができます。まるで、中断した夢を見続けるような感覚かもしれません。

創造性の継続:

執筆の勢いを途切れさせずに、自然な流れで物語を紡いでいくことができます思考の断片が失われるのを防ぎ、よりスムーズ文章作成可能になります

2. 新しい視点からスタート

新鮮な気持ち:

翌日に改めて文章を見ると、新たな発見改善点が見つかることがあります。一晩寝て、冷静な目で作品を見つめることで、より客観的評価可能になります

意外な展開:

意識的に書き残したことで、思わぬインスピレーションが湧き上がり、物語が予想外の展開へと発展する可能性も秘めています

3. 執筆モチベーション向上

目標設定:

翌日の課題として残しておくことで、執筆に対するモチベーションが維持されます。「続きを書きたい」という欲求が、新たな創作意欲へと繋がります

達成感:

翌日に残りの部分を書き上げると、小さな目標を達成したという満足感を得ることができます

東野圭吾氏の執筆方法から学ぶこと

東野圭吾氏のこの手法は、単なる執筆テクニックにとどまらず、クリエイティブ作業全般に活かせる考え方と言えるでしょう。

作業区切り方:

大きな仕事でも、小さな単位に分割して取り組むことで、モチベーションを維持し、質の高い成果を出すことができます

休憩の取り方:

一旦作業を中断することで、新たな視点を得たり、アイデアを整理したりする効果が期待できます

目標設定の重要性:

目標意識することで、行動意欲を高め、目的意識を持って取り組むことができます

まとめ

東野圭吾氏の執筆方法は、単に文章を書くだけでなく、創造性を育み、質の高い作品を生み出すためのヒントに満ちています。この手法を参考に、あなた自身創作活動に役立ててみてはいかがでしょうか。

2024-11-08

anond:20241108151029

この投稿事実である創作であるかを判断するのは困難です。しかし、物語の内容や展開、そして心理描写にはフィクション特有の要素が多く含まれているように見受けられます

この投稿には以下の点が含まれます

1. **極端なエピソード連続**:三者面談での発言運転中の妄想、そして「狐が電球にいる」といった現実離れした描写がいくつかあり、読者の注意を引くためのフィクショナルな表現にも感じられます

2. **精神疾患描写**:統合失調症などの精神疾患に似た妄想表現されていますが、詳細な心理描写が綿密に描かれているため、創作として構築された可能性が高いです。このような内容はリアル体験談でも描かれますが、一定の脚色や構成が施されている印象を受けます

3. **文体**:一人称感情的な語り口や時系列の回想構成は、文学的・フィクショナルな作品でよく見られます

これらの理由から、この投稿を**70-80%の確率創作**と判断します。ただし、創作である場合も実際の体験インスピレーション源となっている可能性もあります

2024-11-07

AIに書かせた「ハウス史上最も重要10曲」

1. Frankie Knuckles - "Your Love" (1987, シカゴ)

ハウスの教父」と呼ばれるFrankie Knucklesによる「Your Love」は、ハウスミュージックの基礎を築いた代表作の1つです。この曲は、シカゴレジェダリーなクラブ「The Warehouse」で生まれサウンド体現しています。滑らかなシンセサイザーベースライン、Jamie Principleのセクシーボーカルが特徴的で、今日でも高い評価を受けています。Knucklesは、ディスコエレクトロニックミュージックの要素を巧みに融合し、新しいダンスミュージックの形を作り出しました。「Your Love」は、その後のハウスミュージックの発展に大きな影響を与え、多くのリミックスサンプリング対象となりました。この曲は、ハウスミュージックの持つ感情的な深さと踊りやすさを完璧バランスさせ、ジャンル定義的な作品となっています

2. Marshall Jefferson - "Move Your Body" (1986, シカゴ)

Marshall Jeffersonの「Move Your Body」は、「The House Music Anthem」というサブタイトルが示すように、ハウスミュージック精神体現した楽曲です。シカゴハウスシーンで生まれたこの曲は、ピアノハウスの先駆けとして知られていますキャッチーピアノリフと反復的なリズム、そして「Gotta have house music all night long」という歌詞は、ハウスカルチャー本質表現しています。Jeffersonは、この曲でハウスミュージックメロディックな要素を導入し、ジャンル音楽可能性を広げました。また、歌詞ハウスミュージック自体について言及している点も革新的で、自己言及的なトラックの長い伝統の先駆けとなりました。「Move Your Body」は、ダンスフロア熱狂させる力と音楽的洗練さを兼ね備え、今日でも多くのDJプロデューサーに影響を与え続けています

3. Mr. Fingers (Larry Heard) - "Can You Feel It" (1986, シカゴ)

Larry HeardMr. Fingers名義でリリースした「Can You Feel It」は、ディープハウスの原型を作り上げた楽曲として高く評価されていますシンプルながら洗練された制作は、当時としては革新的でした。ローランドシンセサイザードラムマシンのみを使用し、1テイクで録音されたという事実は、ハウスミュージック本質体現しています。深みのあるベースラインエモーショナルシンセパッド、そして微妙に変化するリズムパターンが、聴く者を瞑想的な状態へと導きます。この曲は、ハウスミュージック精神性と深みをもたらし、単なるダンスミュージックを超えた芸術形態としての可能性を示しました。後のディープハウステックハウスの発展に大きな影響を与え、今日でも多くのプロデューサーDJ尊敬され、頻繁にプレイされています

4. A Guy Called Gerald - "Voodoo Ray" (1988, マンチェスター)

A Guy Called Gerald(本名:Gerald Simpson)による「Voodoo Ray」は、イギリスアシッドハウスシーンを代表する楽曲です。マンチェスターで生まれたこの曲は、独特のサウンドと反復的なリズムで、後のレイブカルチャーに大きな影響を与えました。Roland TB-303ベースラインシンセサイザーの特徴的な音色と、サンプリングされた「Voodoo Ray」というフレーズが印象的です。この曲は、アメリカハウスサウンドイギリス独自感性解釈し、新しい方向性を示しました。「Voodoo Ray」は、クラブシーンだけでなく、イギリスのポップチャートでも成功を収め、ハウスミュージック大衆化に貢献しました。また、この曲の成功は、後のUKガレージドラムベースなど、イギリス電子音楽シーンの発展にも大きな影響を与えました。

5. Masters At Work - "To Be In Love" (1997, ニューヨーク)

Masters At Work(Kenny "Dope" GonzalezとLittle Louie Vegaデュオ)による「To Be In Love」は、ニューヨークガレージハウスシーンを代表する楽曲です。India Arieソウルフルボーカルラテンの要素を巧みに融合させ、ハウスミュージックに新たな深みと洗練さをもたらしました。この曲は、ディスコハウス伝統を受け継ぎながら、90年代後半の音楽性を反映していますリズミカルパーカッション、温かみのあるベースライン、そして感情豊かなボーカル絶妙バランスを取り、ダンスフロアを魅了します。Masters At Workは、この曲でハウスミュージックにおけるソングライティング重要性を示し、単なるビートトラックを超えた音楽的深さを追求しました。「To Be In Love」は、今日でもハウスクラシックとして高く評価され、多くのDJプロデューサーに影響を与え続けています

6. Fatboy Slim - "Right Here, Right Now" (1998, ブライトン)

Fatboy Slim本名Norman Cook)の「Right Here, Right Now」は、ビッグビートハウスの融合を象徴する楽曲です。90年代後半のクラブシーンを席巻したこの曲は、サンプリングブレイクビートを巧みに使用し、エネルギッシュでキャッチーサウンドを生み出しました。特徴的なギターリフと「Right here, right now」というボーカルサンプルは、瞬く間に人々の記憶に刻まれました。Fatboy Slimは、この曲でダンスミュージックロックの要素を融合させ、より広い観客層にアピールすることに成功しました。ミュージックビデオも話題を呼び、MTVの頻繁な放送により、ハウスミュージック大衆化に大きく貢献しました。「Right Here, Right Now」は、エレクトロニックダンスミュージックメインストリーム進出する上で重要役割を果たし、2000年代以降のEDMブームの先駆けとなりました。

7. Stardust - "Music Sounds Better With You" (1998, パリ)

Stardustの「Music Sounds Better With You」は、フレンチハウス黄金期を象徴する楽曲です。Thomas BangalterとAlan Braxeによって制作されたこの曲は、Chaka Khanの「Fateからサンプリングしたギターリフを中心に構築されていますフィルターハウス代表作として、ディスコサンプリング効果的に使用し、90年代後半のハウスミュージック方向性を示しました。反復的なリズム中毒性のあるフックは、ダンスフロア熱狂させる力を持っています。この曲の成功は、フランスエレクトロニックミュージックシーンを世界的に注目させる契機となり、後のDaft PunkJusticeなどのアーティスト活躍につながりました。「Music Sounds Better With You」は、ハウスミュージック商業成功芸術価値の両立を示し、今日でも多くのリミックスカバー対象となっています

8. Eric Prydz - "Call On Me" (2004, スウェーデン)

Eric Prydzの「Call On Me」は、2000年代に入ってからハウスミュージック商業成功大衆への浸透を象徴する作品です。Steve Winwoodの「Valerie」をサンプリングし、キャッチーリミックスに仕上げたこの曲は、クラブシーンだけでなく、メインストリームのポップチャートでも大きな成功を収めました。特にセクシーミュージックビデオが話題を呼び、ハウスミュージックの新たな側面を示しました。Prydzは、この曲でクラシックロックモダンハウスの融合を実現し、幅広い年齢層にアピールすることに成功しました。「Call On Me」は、ハウスミュージックがポップミュージックの主流となる過程重要役割を果たし、後のEDMブームの先駆けとなりました。また、この曲の成功は、サンプリングリミックス可能性を再認識させ、多くのプロデューサーに影響を与えました。

9. Disclosure - "Latch" (2012, ロンドン)

Disclosureの「Latch」は、2010年代UKガレージハウスの融合を象徴する楽曲です。若手デュオのDisclosureと、当時無名だったSam Smithコラボレーションによるこの曲は、ハウスミュージックとポップの架け橋となりました。洗練されたプロダクション感情的ボーカルの組み合わせは、クラブシーンだけでなく、ラジオストリーミングプラットフォームでも大きな成功を収めました。「Latch」は、ディープハウスの要素を取り入れながら、キャッチーなポップメロディを融合させ、新しい世代リスナーハウスミュージックを紹介する役割を果たしました。この曲の成功は、エレクトロニックダンスミュージックメインストリームポップに与える影響力を示し、2010年代以降のダンスポップの方向性を形作る上で重要役割を果たしました。

10. Yellow Magic Orchestra - "Firecracker" (1978, 東京)

Yellow Magic Orchestraの「Firecracker」は、厳密にはハウス以前の楽曲ですが、電子音楽の先駆けとして後のハウスミュージックに多大な影響を与えました。坂本龍一高橋幸宏細野晴臣によって構成されたYMOは、この曲でシンセサイザーリズムマシン革新的使用し、未来的なサウンドスケープを創造しました。特にローランドシンセサイザードラムマシン使用は、後のハウスプロデューサーたちに大きなインスピレーションを与えました。アジア音楽要素とエレクトロニックサウンドの融合は、グローバルな音楽シーンに新たな可能性を示し、テクノハウスの発展に寄与しました。「Firecracker」は、その独特なリズムパターンメロディラインで、特にアシッドハウスの発展に影響を与えたとされています


……なんか納得感も有るしオチかいい感じなんだけど味はしないな。元増田の方が味と臭いはあった。

https://anond.hatelabo.jp/20241102140715

2024-11-01

anond:20241031232008

ケーキバイト個人的アドバイスするよ!たかバイトかつ本当に個人的意見から参考程度にね!

味重視か見た目重視か

味は絶対譲れない!というのであればケーキ屋や洋菓子のもののほうが外れにくい

ただクリスマスケーキ気合の入った見た目も特徴なので、そこを重視するなら余計なこと考えずインスピレーション大事

もちろん味と見た目どっちも極上!みたいなのもたくさんあるよ!(その逆もあるかも?そうですね…)

ただ見た目普通だけど味が極上とかもある、そもそもクリスマス食卓クリスマスのためのケーキがあるという体験自体が一番のデコレーションであることも添えておこう

あとケーキはお店で食べる以外は誰か素人自分家族運送の人)が運ばなければいけないので、気にするならいかにも崩れやすそう…というのは避けたほうが安全かも

ショートケーキブッシュ・ド・ノエルかそれ以外か

お店の味が一番出やすいのはショートケーキだと思っているので、生クリームフルーツ・スポンジを気に入っているお気に入りケーキ屋で買うなら個人的にはショートケーキ一択。見た目も好き

誤魔化しにくいとも言い換えられるので、味重視かつ確信がないなら外す(あるいは今後リピするかどうかの品定めとして挑む)のもありかも

ブッシュ・ド・ノエルはその名のとおりクリスマスのためのケーキなのでおすすめ!どこのお店も出してるから色々迷えるのと、土台がロールケーキなのでお値段控えめが多いのもありがたい

関係ないけどたまーに「クリスマスノエル」という名前で出しているケーキ屋を見かけて大変もやもやする

その他は、自分の好物があれば優先するのがいい、やっぱり好きなもので季節限定特別となるとめちゃくちゃ特別なのである

あとはそのお店の得意(キルフェボンならタルト、ブールミッシュならシブーストみたいな)は基本外さないので信じて選んでいい

最後

選ぶ時間も楽しんで!自分はお店の前でニコニコしながらあれがいいこれも食べたいって迷う家族とかカップルとかを見るのが大好きでクリスマスケーキバイトが好きだった(超忙しいけど)

あと、ケーキ目線クリスマスはよくも悪くも特別で、ケーキの値段が上がったり、ホールケーキ以外では手の込んだ品が出せなかったり、一人一人にかけられる接客時間が短くなったり…というネガティブな側面も否定できない

もしケーキ自体が好きなら、世間的には何でもない日でも個人的ちょっと特別な日とかに普段ケーキを食べるのもおすすめ

良いクリスマスを!

2024-10-23

AI台頭の時代においても暗記は重要だと思った。

記憶検索AIの方が圧倒的に優れている。

しかし、AIは私の身体と切り離されている。

散歩中電車中便所中の思考AIの手を借りるのは難しい。

知識は発想の源泉だ。

私にとっては、高度に自動化された倉庫で整然と管理された積み木よりも、

手に届く範囲に転がっている積み木の方が、インスピレーションの刺激を与えてくれるようだ。

2024-10-15

Anthropicの創業者であるダリオ氏の、AI進化した世界未来予想を読んでる

https://darioamodei.com/machines-of-loving-grace

・Behavioral interventions. I haven’t much mentioned it given the focus on the biological side of neuroscience, but psychiatry and psychology have of course developed a wide repertoire of behavioral interventions over the 20th century; it stands to reason that AI could accelerate these as well, both the development of new methods and helping patients to adhere to existing methods. More broadly, the idea of an “AI coachwho always helps you to be the best version of yourself, who studies your interactions and helps you learn to be more effective, seems very promising.

(Google翻訳)

・行動介入。神経科学生物学的側面に焦点が当てられているため、これについてはあまり触れていませんが、精神医学心理学は、もちろん 20 世紀を通じて行動介入の幅広いレパートリーを開発してきました。AI が、新しい方法の開発と、患者既存方法に従うのを支援することの両方で、これらを加速させる可能性もあるのは当然です。より広い意味では、常に最高の自分になれるよう支援し、あなたのやり取りを研究して、より効果的になる方法を学ぶのを手助けしてくれる「AI コーチ」というアイデアは、非常に有望に思えます

・Everyday problems that we don’t think of as clinical disease will also be solved. Most of us have everyday psychological problems that are not ordinarily thought of as rising to the level of clinical disease. Some people are quick to anger, others have trouble focusing or are often drowsy, some are fearful or anxious, or react badly to change. Today, drugs already exist to help with e.g. alertness or focus (caffeine, modafinil, ritalin) but as with many other previous areas, much more is likely to be possible. Probably many more such drugs exist and have not been discovered, and there may also be totally new modalities of intervention, such as targeted light stimulation (see optogenetics above) or magnetic fields. Given how many drugs we’ve developed in the 20th century that tune cognitive function and emotional state, I’m very optimistic about the “compressed 21st” where everyone can get their brain to behave a bit better and have a more fulfilling day-to-day experience.

(Google翻訳)

・臨床疾患とは考えていない日常的な問題解決されるでしょう。私たちほとんどは、通常は臨床疾患のレベルに達するとは考えられないような日常的な心理的問題を抱えています。怒りっぽい人もいれば、集中力に欠けたり眠気を催すことが多い人もいれば、恐れや不安を感じたり、変化に反応しにくい人もいます今日覚醒集中力を高める薬(カフェインモダフィニルリタリン)はすでに存在していますが、他の多くの以前の分野と同様に、さらに多くの薬が開発される可能性があります。おそらく、そのような薬はもっとたくさん存在し、発見されていないでしょう。また、標的を絞った光刺激(上記オプトジェネティクスを参照)や磁場など、まったく新しい介入方法もあるかもしれません。20世紀に認知機能感情状態を調整する薬がどれだけ開発されたかを考えると、誰もが脳の働きを少し良くし、より充実した日々を送れるようになる「圧縮された21世紀」について私は非常に楽観的です。

Human baseline experience can be much better. Taking one step further, many people have experienced extraordinary moments of revelation, creative inspiration, compassion, fulfillment, transcendence, love, beauty, or meditative peace. The character and frequency of these experiences differs greatly from person to person and within the same person at different times, and can also sometimes be triggered by various drugs (though often with side effects). All of this suggests that the “space of what is possible to experience” is very broad and that a larger fraction of people’s lives could consist of these extraordinary moments. It is probably also possible to improve various cognitive functions across the board. This is perhaps the neuroscience version of “biological freedom” or “extended lifespans”.

(Google翻訳)

人間基本的経験は、もっと良くなる可能性がありますさらに一歩進むと、多くの人が啓示、創造的なインスピレーション、思いやり、達成感、超越、愛、美しさ、瞑想的な平和といった特別な瞬間を経験しています。これらの経験性質と頻度は、人によって大きく異なり、同じ人でも時期によって異なり、さまざまな薬物によって引き起こされることもあります(ただし、多くの場合副作用があります)。これらすべては、「経験可能空間」が非常に広く、人々の人生の大部分がこれらの特別な瞬間で構成されている可能性があることを示唆しています。さまざまな認知機能全面的改善することもおそらく可能です。これはおそらく、神経科学版の「生物学自由」または「寿命の延長」です。

まだ途中までしか読んでないけど、この辺が特に印象的だった。

発達障害持ちでスペックが低い上、達成感とかの青春感情体験できなかった自分からすると夢のようだが、同時にこういうのを人工的に作れて皆良い人間になれるのってなんか怖くもあるな

はてなだとシロクマ先生とかがよくそういう話してる気がするけど

でも、実際そういう時代になったら自分はあっさり享受しちゃいそうだなあ

過保護に育てられた女と結婚すると苦労する

過保護に育てられるとこうなる

インスピレーションを受けて書いてみる。

俺は平均よりは貧乏寄りの家で育った。

が、大学進学は普通に出来る程度。

旧帝一工早慶のどれかに進学した。


そんな大学で妻と出会って結婚した。

嫁は平均よりは随分裕福な家で育ったようだ。

そして、

過保護に育てられるとこうなる

の人みたいに育てられた気配がある。

まさに、『考えて行動する、ということが本当に下手くそなの』の通りだ。

交際時は、そんなところも「お茶目だ」、「かわいい」と思えたが、結婚して数年たつと「こんなに考えないものかね」と頭にくることが多い。

ともかく段取りが悪い。

肉じゃがみたいな簡単料理を作るのに、2時間以上かかる。

そして、嫁が料理をしたあとは計量カップなどが大量に散らかっている。

どうしてそんなに時間がかかるか観察すると、一例はこんな感じだ。

大さじで「砂糖を計量⇒醤油を計量」という順番にすれば何も問題は無いと思う。

しかし、嫁はレシピの順番通りにやる。

すると、「醤油を計量⇒大さじを洗う⇒乾燥させる⇒砂糖を計量」みたいになるんだ。

こういうこと些細なことを考えられない。

問題は、「「砂糖を計量⇒醤油を計量という順番にすればもっと効率的だよ」と教えても、そもそも手順を効率的にやろうなんて発想はなく、次料理をするときには、同じように時間をかけて家事をする。

こういう小さな工夫を考えながら作業するということが全く出来ない。

すると、こっちは待ち時間の2時間、ずっと子供の面倒を見る羽目になるし、他にやるべき洗濯掃除みたいな家事も、俺がこの2時間の間に済ませておかないと生活が立ち行かない。

そうして、俺ばかり効率重視で大量の家事育児負担する羽目になっている。

嫁は自分が買った物の整理が出来ない。

下手をすれば、たまに義母さんがやってきて整理をする始末だ。

そんな様子だから、「あれがない」、「これがない」ってことも多発する。

さらに畳みかける問題は、俺たち夫婦学歴職歴が良いってことだ。

ここが、わざわざ学歴をちらっと書いた理由だ。

うちの場合、嫁は自分のことを「頭が良い」と思っているし、そこに誇りを持っている。

甘やかされた自覚もないし、手際が悪い自覚もない。

時折、料理みたいな具体例とともに「手際が悪い」と一般的なことを指摘しても、当然、料理以外の家事には何も改善が見られない。

手際が悪いというのは、家事全体のことなので、こちらは全部見直してほしいんだ。

さらに、指摘した点も時間が経てば普通に忘れる。

同じことの繰り返し。

これが毎日続くので、結婚生活数年で疲弊しきった。

結婚からこういうところには気づいていた。

「ま、かわいいと思えるから大丈夫か」と思っていたが、全然大丈夫じゃない。

2024-10-12

バシャールという宇宙存在を信じていた俺。バカだったな

バシャールとは?

バシャールは、スピリチュアル界隈で有名な存在で、アメリカ人ダリル・アンカという人物が「チャネリング」しているとされる宇宙存在です。バシャール未来地球人類意識進化について語っており、そのメッセージは「自己を愛し、信じる」「自分の本当の願望に従う」といったスピリチュアルテーマが中心です。

バシャールの教えは、ポジティブ思考自己実現、引き寄せの法則などと関連が深く、これらの概念に興味がある人々にとっては、インスピレーションの源として人気があります。彼は「地球を助けるために他の次元から来た存在」で、宇宙における人類位置や、より高次の存在に気づく方法などについて教えることが多いです。

ただし、彼のメッセージ科学的には証明されておらず、信じるかどうかは個人の考え次第です。バシャールの話に興味がある人は、彼の書籍や講演、動画を通じてメッセージを受け取ることが多いですね。

これを信じていた。

バカな俺。

本もたくさん買って、イベントにも行ったよ

なんだよ宇宙存在って

チャネリングなんてないよ

単なるイタコ芸じゃん

何が引き寄せの法則だよ

「ワクワクするを追求しろ」ってなんだよ

あー腹立つ!

そして悲しい!!

俺のおバカちゃん!!!

うわわーーーん!!!


バシャールが喋ってる動画

https://www.youtube.com/watch?v=fzOWQew4t6s

2024-10-08

ほな、相対性理論っちゅうのを簡単説明するで

相対性理論(Soutaiseiriron)は、日本バンドやねん。2006年に結成されて、独特な音楽スタイル歌詞で人気を集めてるんやで。メンバーは、ボーカルやくしまるえつこさんを中心に、ギターベースドラムの4人組やねん。

彼らの音楽は、ポップ、ロックエレクトロニカなど、いろんなジャンルミックスしてて、ちょっと不思議な感じがするんやけど、それがまた魅力的やねん。歌詞も独特で、日常出来事感情を詩的に表現してるんや。

例えば、「シフォン主義」っていうアルバムは、軽やかでふわっとした感じの曲が多くて、聴いてるとなんか心が軽くなるんや。やくしまるさんの声も、透明感があって、聴いてると癒されるんやで。

相対性理論音楽は、ちょっと変わってるけど、聴けば聴くほどハマる魅力があるんや。ぜひ一度聴いてみてな!

(もう少し詳しく教えてください)

もちろんやで!相対性理論についてもう少し詳しく説明するわな。

メンバーについて

相対性理論メンバーは、以下の通りやで:

やくしまるえつこボーカル):バンドの顔であり、独特な声と歌詞で知られてるんや。彼女ソロでも活動してて、アートデザインの分野でも才能を発揮してるんやで。

永井聖一(ギター):バンドサウンドを支えるギタリストで、独特なギタープレイが特徴やねん。

真部脩一(ベース):リズムセクション担当してて、バンド音楽に深みを与えてるんや。

西浦謙助(ドラム):バンドビートを刻むドラマーで、リズム感が抜群やねん。

音楽スタイル

相対性理論音楽は、ジャンルの枠にとらわれへんのが特徴やねん。ポップ、ロックエレクトロニカジャズなど、いろんな要素を取り入れてて、聴くたびに新しい発見があるんや。例えば、「シフォン主義」や「ハイファ新書」っていうアルバムは、どちらも違った雰囲気を持ってて、バンド多様性が感じられるんや。

歌詞の魅力

やくしまるえつこさんの歌詞は、日常出来事感情を詩的に表現してるんや。例えば、「LOVEずっきゅん」っていう曲は、恋愛のドキドキ感をユーモラスに描いてて、聴いてると楽しくなるんや。他にも、「ミスパラレルワールド」っていう曲は、ちょっと不思議世界観を持ってて、聴く人を引き込む力があるんやで。

ライブパフォーマンス

相対性理論ライブは、視覚的にも楽しめるんや。やくしまるさんの独特な衣装ステージ演出が、音楽と相まって、観客を魅了するんや。ライブしか味わえへん一体感があって、ファンにとってはたまら体験やねん。

相対性理論音楽は、聴けば聴くほど新しい発見があって、何度でも楽しめるんや。ぜひ、いろんな曲を聴いてみてな!

(では最後に、相対性理論現代の音楽シーンへの影響を教えてください)

相対性理論は、現代日本音楽シーンに大きな影響を与えてるんやで。彼らの独特な音楽スタイルアプローチは、多くのアーティストバンドインスピレーションを与えてるんや。

音楽スタイル革新

相対性理論は、ジャンルの枠にとらわれない音楽を作り出してるんや。ポップ、ロックエレクトロニカジャズなど、さまざまな要素をミックスして、新しいサウンドを生み出してるんや。これが、他のアーティストにも影響を与えて、ジャンルを超えた音楽可能性を広げてるんやで。

歌詞の影響

やくしまるえつこさんの詩的でユニーク歌詞は、多くのリスナー共感を呼んでるんや。日常出来事感情を独特な視点で描くことで、他のアーティストにも新しい表現方法を示してるんや。特に若い世代アーティストにとって、やくしまるさんの歌詞は大きなインスピレーション源になってるんやで。

インディーズシーンへの貢献

相対性理論は、インディーズシーンからスタートして、メジャー成功を収めたバンドやねん。これが、他のインディーズアーティストにとっても希望となってるんや。自分たち音楽を信じて続ければ、成功できるというメッセージを伝えてるんやで。

コラボレーションと影響

相対性理論は、他のアーティストとのコラボレーション積極的に行ってるんや。これが、音楽シーン全体に新しい風を吹き込んでるんや。例えば、やくしまるえつこさんはソロ活動でも多くのアーティストと共演してて、その影響力は計り知れないんやで。

相対性理論音楽は、聴く人に新しい視点感覚提供して、現代の音楽シーンに多大な影響を与えてるんや。これからも、彼らの音楽がどのように進化していくのか楽しみやねん。

他にも気になることがあったら、何でも聞いてや~。

https://anond.hatelabo.jp/20241008145649

https://anond.hatelabo.jp/20241006225346

2024-10-02

九  与次郎が勧めるので、三四郎はとうとう精養軒の会へ出た。その時三四郎は黒い紬の羽織を着た。この羽織は、三輪田のお光さんのおっかさんが織ってくれたのを、紋付に染めて、お光さんが縫い上げたものだと、母の手紙に長い説明がある。小包みが届いた時、いちおう着てみて、おもしろくないから、戸棚へ入れておいた。それを与次郎が、もったいないからぜひ着ろ着ろと言う。三四郎が着なければ、自分が持っていって着そうな勢いであたから、つい着る気になった。着てみると悪くはないようだ。  三四郎はこのいでたちで、与次郎と二人で精養軒の玄関に立っていた。与次郎の説によると、お客はこうして迎えべきものだそうだ。三四郎はそんなこととは知らなかった。第一自分がお客のつもりでいた。こうなると、紬の羽織ではなんだか安っぽい受け付けの気がする。制服を着てくればよかったと思った。そのうち会員がだんだん来る。与次郎は来る人をつらまえてきっとなんとか話をする。ことごとく旧知のようにあしらっている。お客が帽子外套給仕に渡して、広い梯子段の横を、暗い廊下の方へ折れると、三四郎に向かって、今のは誰某だと教えてくれる。三四郎はおかげで知名な人の顔をだいぶ覚えた。  そのうちお客はほぼ集まった。約三十人足らずである広田先生もいる。野々宮さんもいる。――これは理学者だけれども、絵や文学が好きだからというので、原口さんが、むりに引っ張り出したのだそうだ。原口さんはむろんいる。いちばんさきへ来て、世話を焼いたり、愛嬌を振りまいたり、フランス式の髯をつまんでみたり、万事忙しそうである。  やがて着席となった。めいめいかってな所へすわる。譲る者もなければ、争う者もない。そのうちでも広田先生のろいにも似合わずいちばんに腰をおろししまった。ただ与次郎三四郎けがいっしょになって、入口に近く座を占めた。その他はことごとく偶然の向かい合わせ、隣同志であった。  野々宮さんと広田先生あいだに縞の羽織を着た批評家がすわった。向こうには庄司という博士が座に着いた。これは与次郎のいわゆる文科で有力な教授であるフロックを着た品格のある男であった。髪を普通の倍以上長くしている。それが電燈の光で、黒く渦をまいて見える。広田先生坊主頭と比べるとだいぶ相違がある。原口さんはだいぶ離れて席を取った。あちらの角だから、遠く三四郎と真向かいになる。折襟に、幅の広い黒襦子を結んださきがぱっと開いて胸いっぱいになっている。与次郎が、フランスの画工は、みんなああいう襟飾りを着けるものだと教えてくれた。三四郎肉汁を吸いながら、まるで兵児帯の結び目のようだと考えた。そのうち談話だんだん始まった。与次郎ビールを飲む。いつものように口をきかない。さすがの男もきょうは少々謹んでいるとみえる。三四郎が、小さな声で、 「ちと、ダーターファブラをやらないか」と言うと、「きょうはいけない」と答えたが、すぐ横を向いて、隣の男と話を始めた。あなたの、あの論文を拝見して、大いに利益を得ましたとかなんとか礼を述べている。ところがその論文は、彼が自分の前で、さかんに罵倒したものから三四郎にはすこぶる不思議の思いがある。与次郎はまたこっちを向いた。 「その羽織はなかなかりっぱだ。よく似合う」と白い紋をことさら注意してながめている。その時向こうの端から原口さんが、野々宮に話しかけた。元来が大きな声の人だから、遠くで応対するにはつごうがいい。今まで向かい合わせに言葉をかわしていた広田先生庄司という教授は、二人の応答を途中でさえぎることを恐れて、談話をやめた。その他の人もみんな黙った。会の中心点がはじめてできあがった。 「野々宮さん光線の圧力試験はもう済みましたか」 「いや、まだなかなかだ」 「ずいぶん手数がかかるもんだね。我々の職業も根気仕事だが、君のほうはもっと激しいようだ」 「絵はインスピレーションですぐかけるからいいが、物理実験はそううまくはいかない」 「インスピレーションには辟易する。この夏ある所を通ったらばあさんが二人で問答をしていた。聞いてみると梅雨はもう明けたんだろうか、どうだろうかという研究なんだが、一人のばあさんが、昔は雷さえ鳴れば梅雨は明けるにきまっていたが、近ごろじゃそうはいかないとこぼしている。すると一人がどうしてどうして、雷ぐらいで明けることじゃありゃしないと憤慨していた。――絵もそのとおり、今の絵はインスピレーションぐらいでかけることじゃありゃしない。ねえ田村さん、小説だって、そうだろう」  隣に田村という小説家がすわっていた。この男は自分インスピレーション原稿の催促以外になんにもないと答えたので、大笑いになった。田村は、それから改まって、野々宮さんに、光線に圧力があるものか、あれば、どうして試験するかと聞きだした。野々宮さんの答はおもしろかった。――  雲母か何かで、十六武蔵ぐらいの大きさの薄い円盤を作って、水晶の糸で釣るして、真空のうちに置いて、この円盤の面へ弧光燈の光を直角にあてると、この円盤が光に圧されて動く。と言うのである。  一座は耳を傾けて聞いていた。なかに三四郎は腹のなかで、あの福神漬の缶のなかに、そんな装置がしてあるのだろうと、上京のさい、望遠鏡で驚かされた昔を思い出した。 「君、水晶の糸があるのか」と小さい声で与次郎に聞いてみた。与次郎は頭を振っている。 「野々宮さん、水晶の糸がありますか」 「ええ、水晶の粉をね。酸水素吹管の炎で溶かしておいて、両方の手で、左右へ引っ張ると細い糸ができるのです」  三四郎は「そうですか」と言ったぎり、引っ込んだ。今度は野々宮さんの隣にいる縞の羽織批評家が口を出した。 「我々はそういう方面へかけると、全然無学なんですが、はじめはどうして気がついたものでしょうな」 「理論上はマクスウェル以来予想されていたのですが、それをレベデフという人がはじめて実験証明したのです。近ごろあの彗星の尾が、太陽の方へ引きつけられべきはずであるのに、出るたびにいつでも反対の方角になびくのは光の圧力で吹き飛ばされるんじゃなかろうかと思いついた人もあるくらいです」  批評家はだいぶ感心したらしい。 「思いつきもおもしろいが、第一大きくていいですね」と言った。 「大きいばかりじゃない、罪がなくって愉快だ」と広田先生が言った。 「それでその思いつきがはずれたら、なお罪がなくっていい」と原口さんが笑っている。 「いや、どうもあたっているらしい。光線の圧力は半径の二乗に比例するが、引力のほうは半径の三乗に比例するんだから、物が小さくなればなるほど引力のほうが負けて、光線の圧力が強くなる。もし彗星の尾が非常に細かい小片からできているとすれば、どうしても太陽とは反対の方へ吹き飛ばされるわけだ」  野々宮は、ついまじめになった。すると原口が例の調子で、 「罪がない代りに、たいへん計算がめんどうになってきた。やっぱり一利一害だ」と言った。この一言で、人々はもとのとおりビールの気分に復した。広田先生が、こんな事を言う。 「どうも物理学者は自然派じゃだめのようだね」  物理学者と自然派の二字は少なからず満場の興味を刺激した。 「それはどういう意味ですか」と本人の野々宮さんが聞き出した。広田先生説明しなければならなくなった。 「だって、光線の圧力試験するために、目だけあけて、自然を観察していたって、だめだからさ。自然献立のうちに、光線の圧力という事実印刷されていないようじゃないか。だから人工的に、水晶の糸だの、真空だの、雲母だのという装置をして、その圧力物理学者の目に見えるように仕掛けるのだろう。だから自然派じゃないよ」 「しか浪漫派でもないだろう」と原口さんがまぜ返した。 「いや浪漫派だ」と広田先生がもったいらしく弁解した。「光線と、光線を受けるものとを、普通自然界においては見出せないような位置関係に置くところがまったく浪漫派じゃないか」 「しかし、いったんそういう位置関係に置いた以上は、光線固有の圧力を観察するだけだからそれからあとは自然派でしょう」と野々宮さんが言った。 「すると、物理学者は浪漫自然派ですね。文学のほうでいうと、イブセンのようなものじゃないか」と筋向こうの博士比較を持ち出した。 「さよう、イブセンの劇は野々宮君と同じくらいな装置があるが、その装置の下に働く人物は、光線のように自然法則に従っているか疑わしい」これは縞の羽織批評家言葉であった。 「そうかもしれないが、こういうことは人間研究上記憶しておくべき事だと思う。――すなわち、ある状況のもとに置かれた人間は、反対の方向に働きうる能力権力とを有している。ということなんだが、――ところが妙な習慣で、人間も光線も同じように器械的の法則に従って活動すると思うものから、時々とんだ間違いができる。おこらせようと思って装置をすると、笑ったり、笑わせようともくろんでかかると、おこったり、まるで反対だ。しかしどちらにしても人間に違いない」と広田先生がまた問題を大きくしてしまった。 「じゃ、ある状況のもとに、ある人間が、どんな所作をしてもしぜんだということになりますね」と向こうの小説家が質問した。広田先生は、すぐ、 「ええ、ええ。どんな人間を、どう描いても世界に一人くらいはいるようじゃないですか」と答えた。「じっさい人間たる我々は、人間しからざる行為動作を、どうしたって想像できるものじゃない。ただへたに書くから人間と思われないのじゃないですか」  小説家はそれで黙った。今度は博士がまた口をきいた。 「物理学者でも、ガリレオ寺院釣りランプの一振動時間が、振動の大小にかかわらず同じであることに気がついたり、ニュートン林檎が引力で落ちるのを発見したりするのは、はじめから自然派ですね」 「そういう自然派なら、文学のほうでも結構でしょう。原口さん、絵のほうでも自然派がありますか」と野々宮さんが聞いた。 「あるとも。恐るべきクールベエというやつがいる。v※(アキュートアクセント付きE小文字)rit※(アキュートアクセント付きE小文字) vraie. なんでも事実でなければ承知しない。しかしそう猖獗を極めているものじゃない。ただ一派として存在を認められるだけさ。またそうでなくっちゃ困るからね。小説だって同じことだろう、ねえ君。やっぱりモローや、シャバンヌのようなのもいるはずだろうじゃないか」 「いるはずだ」と隣の小説家が答えた。  食後には卓上演説も何もなかった。ただ原口さんが、しきりに九段の上の銅像悪口を言っていた。あん銅像をむやみに立てられては、東京市民が迷惑する。それより、美しい芸者銅像でもこしらえるほうが気が利いているという説であった。与次郎三四郎九段銅像原口さんと仲の悪い人が作ったんだと教えた。  会が済んで、外へ出るといい月であった。今夜の広田先生庄司博士によい印象を与えたろうかと与次郎が聞いた。三四郎は与えたろうと答えた。与次郎は共同水道栓のそばに立って、この夏、夜散歩に来て、あまり暑いからここで水を浴びていたら、巡査に見つかって、擂鉢山へ駆け上がったと話した。二人は擂鉢山の上で月を見て帰った。  帰り道に与次郎三四郎に向かって、突然借金言い訳をしだした。月のさえた比較寒いである三四郎ほとんど金の事などは考えていなかった。言い訳を聞くのでさえ本気ではない。どうせ返すことはあるまいと思っている。与次郎もけっして返すとは言わない。ただ返せない事情をいろいろに話す。その話し方のほうが三四郎にはよほどおもしろい。――自分の知ってるさる男が、失恋の結果、世の中がいやになって、とうとう自殺をしようと決心したが、海もいや川もいや、噴火口はなおいや、首をくくるのはもっともいやというわけで、やむをえず短銃を買ってきた。買ってきて、まだ目的遂行しないうちに、友だちが金を借りにきた。金はないと断ったが、ぜひどうかしてくれと訴えるので、しかたなしに、大事の短銃を貸してやった。友だちはそれを質に入れて一時をしのいだ。つごうがついて、質を受け出して返しにきた時は、肝心の短銃の主はもう死ぬ気がなくなっていた。だからこの男の命は金を借りにこられたために助かったと同じ事である。 「そういう事もあるからなあ」と与次郎が言った。三四郎にはただおかしいだけである。そのほかにはなんらの意味もない。高い月を仰いで大きな声を出して笑った。金を返されないでも愉快である与次郎は、 「笑っちゃいかん」と注意した。三四郎はなおおかしくなった。 「笑わないで、よく考えてみろ。おれが金を返さなければこそ、君が美禰子さんから金を借りることができたんだろう」  三四郎は笑うのをやめた。 「それで?」 「それだけでたくさんじゃないか。――君、あの女を愛しているんだろう」  与次郎はよく知っている。三四郎はふんと言って、また高い月を見た。月のそばに白い雲が出た。 「君、あの女には、もう返したのか」 「いいや」 「いつまでも借りておいてやれ」  のん気な事を言う。三四郎はなんとも答えなかった。しかいつまでも借りておく気はむろんなかった。じつは必要な二十円を下宿へ払って、残りの十円をそのあくる日すぐ里見の家へ届けようと思ったが、今返してはかえって、好意にそむいて、よくないと考え直して、せっかく門内に、はいられる機会を犠牲にしてまでも引き返した。その時何かの拍子で、気がゆるんで、その十円をくずしてしまった。じつは今夜の会費もそのうちから出ている。自分ばかりではない。与次郎のもそのうちから出ている。あとには、ようやく二、三円残っている。三四郎はそれで冬シャツを買おうと思った。  じつは与次郎がとうてい返しそうもないから、三四郎は思いきって、このあいだ国元へ三十円の不足を請求した。十分な学資を月々もらっていながら、ただ不足だからといって請求するわけにはゆかない。三四郎はあまり嘘をついたことのない男だから請求理由にいたって困却した。しかたがないからただ友だちが金をなくして弱っていたから、つい気の毒になって貸してやった。その結果として、今度はこっちが弱るようになった。どうか送ってくれと書いた。  すぐ返事を出してくれれば、もう届く時分であるのにまだ来ない。今夜あたりはことによると来ているかもしれぬくらいに考えて、下宿へ帰ってみると、はたして、母の手蹟で書いた封筒ちゃんと机の上に乗っている。不思議なことに、いつも必ず書留で来るのが、きょうは三銭切手一枚で済ましてある。開いてみると、中はいつになく短かい。母としては不親切なくらい、用事だけで申し納めてしまった。依頼の金は野々宮さんの方へ送ったから、野々宮さんから受け取れというさしずにすぎない。三四郎は床を取ってねた。  翌日もその翌日も三四郎は野々宮さんの所へ行かなかった。野々宮さんのほうでもなんともいってこなかった。そうしているうちに一週間ほどたった。しまいに野々宮さんから下宿下女を使いに手紙をよこした。おっかさんからまれものがあるからちょっと来てくれろとある三四郎講義の隙をみて、また理科大学の穴倉へ降りていった。そこで立談のあいだに事を済ませようと思ったところが、そううまくはいかなかった。この夏は野々宮さんだけで専領していた部屋に髭のはえた人が二、三人いる。制服を着た学生も二、三人いる。それが、みんな熱心に、静粛に、頭の上の日のあたる世界をよそにして、研究をやっている。そのうちで野々宮さんはもっと多忙に見えた。部屋の入口に顔を出した三四郎ちょっと見て、無言のまま近寄ってきた。 「国から、金が届いたから、取りに来てくれたまえ。今ここに持っていないから。それからまだほかに話す事もある」  三四郎ははあと答えた。今夜でもいいかと尋ねた。野々宮はすこしく考えていたが、しまいに思いきってよろしいと言った。三四郎はそれで穴倉を出た。出ながら、さすがに理学者は根気のいいものだと感心した。この夏見た福神漬の缶と、望遠鏡が依然としてもとのとおりの位置に備えつけてあった。  次の講義時間与次郎に会ってこれこれだと話すと、与次郎はばかだと言わないばかりに三四郎をながめて、 「だからいつまでも借りておいてやれと言ったのに。よけいな事をして年寄りには心配をかける。宗八さんにはお談義をされる。これくらい愚な事はない」とまるで自分から事が起こったとは認めていない申し分である三四郎もこの問題に関しては、もう与次郎責任を忘れてしまった。したがって与次郎の頭にかかってこない返事をした。 「いつまでも借りておくのは、いやだから、家へそう言ってやったんだ」 「君はいやでも、向こうでは喜ぶよ」 「なぜ」  このなぜが三四郎自身はいくぶんか虚偽の響らしく聞こえた。しか相手にはなんらの影響も与えなかったらしい。 「あたりまえじゃないか。ぼくを人にしたって、同じことだ。ぼくに金が余っているとするぜ。そうすれば、その金を君から返してもらうよりも、君に貸しておくほうがいい心持ちだ。人間はね、自分が困らない程度内で、なるべく人に親切がしてみたいものだ」  三四郎は返事をしないで、講義を筆記しはじめた。二、三行書きだすと、与次郎がまた、耳のそばへ口を持ってきた。 「おれだって、金のある時はたびたび人に貸したことがある。しかしだれもけっして返したものがない。それだからおれはこのとおり愉快だ」  三四郎まさか、そうかとも言えなかった。薄笑いをしただけで、またペンを走らしはじめた。与次郎それからはおちついて、時間の終るまで口をきかなかった。  ベルが鳴って、二人肩を並べて教場を出る時、与次郎が、突然聞いた。

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「あの女は君にほれているのか」

 二人のあとから続々聴講生が出てくる。三四郎はやむをえず無言のまま梯子段を降りて横手玄関から図書館わきの空地へ出て、はじめて与次郎を顧みた。

「よくわからない」

 与次郎はしばらく三四郎を見ていた。

「そういうこともある。しかしよくわかったとして、君、あの女の夫になれるか」

 三四郎はいまだかつてこの問題を考えたことがなかった。美禰子に愛せられるという事実のものが、彼女の夫たる唯一の資格のような気がしていた。言われてみると、なるほど疑問である三四郎は首を傾けた。

「野々宮さんならなれる」と与次郎が言った。

「野々宮さんと、あの人とは何か今までに関係があるのか」

 三四郎の顔は彫りつけたようにまじめであった。与次郎一口

「知らん」と言った。三四郎は黙っている。

「また野々宮さんの所へ行って、お談義を聞いてこい」と言いすてて、相手は池の方へ行きかけた。三四郎は愚劣の看板のごとく突っ立った。与次郎は五、六歩行ったが、また笑いながら帰ってきた。

「君、いっそ、よし子さんをもらわないか」と言いながら、三四郎を引っ張って、池の方へ連れて行った。歩きながら、あれならいい、あれならいいと、二度ほど繰り返した。そのうちまたベルが鳴った。

 三四郎はその夕方野々宮さんの所へ出かけたが、時間がまだすこし早すぎるので、散歩かたがた四丁目まで来て、シャツを買いに大きな唐物屋へはいった。小僧が奥からいろいろ持ってきたのをなでてみたり、広げてみたりして、容易に買わない。わけもなく鷹揚にかまえていると、偶然美禰子とよし子が連れ立って香水を買いに来た。あらと言って挨拶をしたあとで、美禰子が、

「せんだってありがとう」と礼を述べた。三四郎にはこのお礼の意味が明らかにわかった。美禰子から金を借りたあくる日もう一ぺん訪問して余分をすぐに返すべきところを、ひとまず見合わせた代りに、二日ばかり待って、三四郎は丁寧な礼状を美禰子に送った。

 手紙文句は、書いた人の、書いた当時の気分をすなおに表わしたものではあるが、むろん書きすぎている。三四郎はできるだけの言葉を層々と排列して感謝の意を熱烈にいたした。普通の者から見ればほとんど借金の礼状とは思われないくらいに、湯気の立ったものであるしか感謝以外には、なんにも書いてない。それだから自然の勢い、感謝感謝以上になったのでもある。三四郎はこの手紙ポストに入れる時、時を移さぬ美禰子の返事を予期していた。ところがせっかくの封書はただ行ったままであるそれから美禰子に会う機会はきょうまでなかった。三四郎はこの微弱なる「このあいだはありがとう」という反響に対して、はっきりした返事をする勇気も出なかった。大きなシャツを両手で目のさきへ広げてながめながら、よし子がいるからああ冷淡なんだろうかと考えた。それからこのシャツもこの女の金で買うんだなと考えた。小僧はどれになさいますと催促した。

 二人の女は笑いながらそばへ来て、いっしょにシャツを見てくれた。しまいに、よし子が「これになさい」と言った。三四郎はそれにした。今度は三四郎のほうが香水相談を受けた。いっこうわからない。ヘリオトロープと書いてある罎を持って、いいかげんに、これはどうですと言うと、美禰子が、「それにしましょう」とすぐ決めた。三四郎は気の毒なくらいであった。

 表へ出て別れようとすると、女のほうが互いにお辞儀を始めた。よし子が「じゃ行ってきてよ」と言うと、美禰子が、「お早く……」と言っている。聞いてみて、妹が兄の下宿へ行くところだということがわかった。三四郎はまたきれいな女と二人連で追分の方へ歩くべき宵となった。日はまだまったく落ちていない。

 三四郎はよし子といっしょに歩くよりは、よし子といっしょに野々宮の下宿で落ち合わねばならぬ機会をいささか迷惑に感じた。いっそのこと今夜は家へ帰って、また出直そうかと考えた。しかし、与次郎のいわゆるお談義を聞くには、よし子がそばにいてくれるほうが便利かもしれない。まさか人の前で、母から、こういう依頼があったと、遠慮なしの注意を与えるわけはなかろう。ことによると、ただ金を受け取るだけで済むかもわからない。――三四郎は腹の中で、ちょっとずるい決心をした。

「ぼくも野々宮さんの所へ行くところです」

「そう、お遊びに?」

「いえ、すこし用があるんです。あなたは遊びですか」

「いいえ、私も御用なの」

 両方が同じようなことを聞いて、同じような答を得た。しかし両方とも迷惑を感じている気色がさらにない。三四郎は念のため、じゃまじゃないかと尋ねてみた。ちっともじゃまにはならないそうである。女は言葉でじゃまを否定したばかりではない。顔ではむしろなぜそんなことを質問するかと驚いている。三四郎は店先のガスの光で、女の黒い目の中に、その驚きを認めたと思った。事実としては、ただ大きく黒く見えたばかりである

バイオリンを買いましたか

「どうして御存じ」

 三四郎は返答に窮した。女は頓着なく、すぐ、こう言った。

いくら兄さんにそう言っても、ただ買ってやる、買ってやると言うばかりで、ちっとも買ってくれなかったんですの」

 三四郎は腹の中で、野々宮よりも広田よりも、むしろ与次郎非難した。

 二人は追分の通りを細い路地に折れた。折れると中に家がたくさんある。暗い道を戸ごとの軒燈が照らしている。その軒燈の一つの前にとまった。野々宮はこの奥にいる。

 三四郎下宿とはほとんど一丁ほどの距離である。野々宮がここへ移ってから三四郎は二、三度訪問したことがある。野々宮の部屋は広い廊下を突き当って、二段ばかりまっすぐに上がると、左手に離れた二間である。南向きによその広い庭をほとんど椽の下に控えて、昼も夜も至極静かである。この離れ座敷に立てこもった野々宮さんを見た時、なるほど家を畳んで下宿をするのも悪い思いつきではなかったと、はじめて来た時から、感心したくらい、居心地のいい所である。その時野々宮さんは廊下下りて、下から自分の部屋の軒を見上げて、ちょっと見たまえ、藁葺だと言った。なるほど珍しく屋根に瓦を置いてなかった。

 きょうは夜だから屋根はむろん見えないが、部屋の中には電燈がついている。三四郎は電燈を見るやいなや藁葺を思い出した。そうしておかしくなった。

「妙なお客が落ち合ったな。入口で会ったのか」と野々宮さんが妹に聞いている。妹はしからざるむねを説明している。ついでに三四郎のようなシャツを買ったらよかろうと助言している。それから、このあいだのバイオリン和製で音が悪くっていけない。買うのをこれまで延期したのだから、もうすこし良いのと買いかえてくれと頼んでいる。せめて美禰子さんくらいのなら我慢すると言っている。そのほか似たりよったりの駄々をしきりにこねている。野々宮さんはべつだんこわい顔もせず、といって、優しい言葉もかけず、ただそうかそうかと聞いている。

 三四郎はこのあいだなんにも言わずにいた。よし子は愚な事ばかり述べる。かつ少しも遠慮をしない。それがばかとも思えなければ、わがままとも受け取れない。兄との応待をそばにいて聞いていると、広い日あたりのいい畑へ出たような心持ちがする。三四郎は来たるべきお談義の事をまるで忘れてしまった。その時突然驚かされた。

「ああ、わたし忘れていた。美禰子さんのお言伝があってよ」

「そうか」

「うれしいでしょう。うれしくなくって?」

 野々宮さんはかゆいような顔をした。そうして、三四郎の方を向いた。

ぼくの妹はばかですね」と言った。三四郎はしかたなしに、ただ笑っていた。

「ばかじゃないわ。ねえ、小川さん」

 三四郎はまた笑っていた。腹の中ではもう笑うのがいやになった。

「美禰子さんがね、兄さんに文芸協会演芸会に連れて行ってちょうだいって」

里見さんといっしょに行ったらよかろう」

「御用があるんですって」

「お前も行くのか」

「むろんだわ」

 野々宮さんは行くとも行かないとも答えなかった。また三四郎の方を向いて、今夜妹を呼んだのは、まじめの用があるんだのに、あんのん気ばかり言っていて困ると話した。聞いてみると、学者だけあって、存外淡泊である。よし子に縁談の口がある。国へそう言ってやったら、両親も異存はないと返事をしてきた。それについて本人の意見をよく確かめ必要が起こったのだと言う。三四郎はただ結構ですと答えて、なるべく早く自分のほうを片づけて帰ろうとした。そこで、

「母からあなたにごめんどうを願ったそうで」と切り出した。野々宮さんは、

「なに、大してめんどうでもありませんがね」とすぐに机の引出しから、預かったものを出して、三四郎に渡した。

「おっかさんが心配して、長い手紙を書いてよこしましたよ。三四郎は余儀ない事情で月々の学資を友だちに貸したと言うが、いくら友だちだって、そうむやみに金を借りるものじゃあるまいし、よし借りたって返すはずだろうって。いなかの者は正直だから、そう思うのもむりはない。それからね、三四郎が貸すにしても、あまり貸し方が大げさだ。親から月々学資を送ってもらう身分でいながら、一度に二十円の三十円のと、人に用立てるなんて、いかにも無分別とあるんですがね――なんだかぼくに責任があるように書いてあるから困る。……」

 野々宮さんは三四郎を見て、にやにや笑っている。三四郎はまじめに、「お気の毒です」と言ったばかりである。野々宮さんは、若い者を、極めつけるつもりで言ったんでないとみえて、少し調子を変えた。

「なに、心配することはありませんよ。なんでもない事なんだから。ただおっかさんは、いなかの相場で、金の価値をつけるから、三十円がたいへん重くなるんだね。なんでも三十円あると、四人の家族半年食っていけると書いてあったが、そんなものかな、君」と聞いた。よし子は大きな声を出して笑った。三四郎にもばかげているところがすこぶるおかしいんだが、母の言条が、まったく事実を離れた作り話でないのだから、そこに気がついた時には、なるほど軽率な事をして悪かったと少しく後悔した。

「そうすると、月に五円のわりだから、一人前一円二十五銭にあたる。それを三十日に割りつけると、四銭ばかりだが――いくらいなかでも少し安すぎるようだな」と野々宮さんが計算を立てた。

「何を食べたら、そのくらいで生きていられるでしょう」とよし子がまじめに聞きだした。三四郎も後悔する暇がなくなって、自分の知っているいなか生活ありさまをいろいろ話して聞かした。そのなかには宮籠りという慣例もあった。三四郎の家では、年に一度ずつ村全体へ十円寄付することになっている。その時には六十戸から一人ずつ出て、その六十人が、仕事を休んで、村のお宮へ寄って、朝から晩まで、酒を飲みつづけに飲んで、ごちそうを食いつづけに食うんだという。

「それで十円」とよし子が驚いていた。お談義はこれでどこかへいったらしい。それから少し雑談をして一段落ついた時に、野々宮さんがあらためて、こう言った。

「なにしろ、おっかさんのほうではね。ぼくが一応事情を調べて、不都合がないと認めたら、金を渡してくれろ。そうしてめんどうでもその事情を知らせてもらいたいというんだが、金は事情もなんにも聞かないうちに、もう渡してしまったしと、――どうするかね。君たしか佐々木に貸したんですね」

 三四郎は美禰子からもれて、よし子に伝わって、それが野々宮さんに知れているんだと判じた。しかしその金が巡り巡ってバイオリンに変形したものとは、兄妹とも気がつかないか一種妙な感じがした。ただ「そうです」と答えておいた。

佐々木馬券を買って、自分の金をなくしたんだってね」

「ええ」

 よし子はまた大きな声を出して笑った。

「じゃ、いいかげんにおっかさんの所へそう言ってあげよう。しかし今度から、そんな金はもう貸さないことにしたらいいでしょう」

 三四郎は貸さないことにするむねを答えて、挨拶をして、立ちかけると、よし子も、もう帰ろうと言い出した。

「さっきの話をしなくっちゃ」と兄が注意した。

「よくってよ」と妹が拒絶した。

「よくはないよ」

「よくってよ。知らないわ」

 兄は妹の顔を見て黙っている。妹は、またこう言った。

だってしかたがないじゃ、ありませんか。知りもしない人の所へ、行くか行かないかって、聞いたって。好きでもきらいでもないんだから、なんにも言いようはありゃしないわ。だから知らないわ」

 三四郎は知らないわの本意をようやく会得した。兄妹をそのままにして急いで表へ出た。

 人の通らない軒燈ばかり明らかな路地を抜けて表へ出ると、風が吹く。北へ向き直ると、まともに顔へ当る。時を切って、自分下宿の方から吹いてくる。その時三四郎は考えた。この風の中を、野々宮さんは、妹を送って里見まで連れていってやるだろう。

 下宿の二階へ上って、自分の部屋へはいって、すわってみると、やっぱり風の音がする。三四郎はこういう風の音を聞くたびに、運命という字を思い出す。ごうと鳴ってくるたびにすくみたくなる。自分ながらけっして強い男とは思っていない。考えると、上京以来自分運命はたいがい与次郎のためにこしらえられている。しかも多少の程度において、和気靄然たる翻弄を受けるようにこしらえられている。与次郎は愛すべき悪戯である。向後もこの愛すべき悪戯者のために、自分運命を握られていそうに思う。風がしきりに吹く。たしか与次郎以上の風である

 三四郎は母から来た三十円を枕元へ置いて寝た。この三十円も運命翻弄が生んだものである。この三十円がこれからさきどんな働きをするか、まるでわからない。自分はこれを美禰子に返しに行く。美禰子がこれを受け取る時に、また一煽り来るにきまっている。三四郎はなるべく大きく来ればいいと思った。

2024-09-16

教養として押さえておくべき演説

歴史的重要演説

歴史上、多くの著名な演説が人々に影響を与え、時代を動かしてきました。

以下はその代表的な例です。

これらの演説は、その内容だけでなく、話し方や構成なども含めて学ぶ価値があります

今回はその中でもマーティン・ルーサー・キング・ジュニアの「I Have a Dream」に焦点を当てます

I Have a Dreamマーティン・ルーサー・キング・ジュニア

マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの「I Have a Dream演説は、アメリカ公民権運動における最も影響力のある演説の一つです。

1963年8月28日ワシントンD.C.リンカーン記念堂の前で25万人以上の聴衆に向けて行われました。

この演説の主なポイントは以下の通りです。

この演説は、その後の公民権法(1964年)や投票権法(1965年)の成立に大きな影響を与えました。

また、現代社会正義運動にも継続的な影響を与えており、平等と公正を求める活動家たちにインスピレーションを与え続けています

キング牧師言葉は、人種や背景に関係なく、すべての人々が平等に扱われる社会を目指す強力なメッセージとして今日も響き続けています

I Have a Dream演説は、巧みな構成と修辞技法を用いて、強力なメッセージを伝えています

この演説の具体的な構成は以下の通りです:

導入部

演説は、アメリカ歴史的文脈を設定することからまります

エイブラハム・リンカーン奴隷解放宣言言及し、「100年前」という表現を繰り返し使用します。

アメリカ建国理念である自由平等引用し、現実との乖離を指摘します。

本論

現状の分析

黒人が直面している不平等差別実態を具体的に説明します。

「今こそ時が来た」というフレーズを繰り返し、緊急の行動を呼びかけます

未来ビジョン

私には夢がある」というフレーズを8回繰り返し使用し、平等社会ビジョンを描きます

具体的な例を挙げながら、人種間の調和平等を訴えかけます

行動の呼びかけ

非暴力による抵抗を強調し、平和的な変革を求めます

自由の鐘を鳴らせ」というフレーズを繰り返し、全国的な変革を呼びかけます

結論

アメリカ建国理念に立ち返り、全ての人々が自由享受できる未来への希望を表明します。

自由だ、ついに自由だ。全能の神に感謝する、我々はついに自由になった」という力強い言葉で締めくくります

この演説は、アナフォラ(同じ言葉で始まる文の繰り返し)やメタファー隠喩)などの修辞技法効果的に使用し、聴衆の感情に訴えかけながら、論理的構成で主張を展開しています

また、聖書歴史的文書から引用を巧みに織り交ぜることで、演説に深みと説得力を与えています

この構成により、キング牧師人種差別の現状を批判しつつ、希望に満ちた未来ビジョン提示し、聴衆に行動を促す強力なメッセージを伝えることに成功しました。

2024-09-07

乙女ゲームBL二次創作やるなと言われる

さすがに直接言われたことはないけど、Xで「なんでBLにすんだよクソが」というpostをちょいちょい見かける

自分は「へっへっへwwwやらせていただいてま~~~っすwww」くらいのメンタルでやっているので平気だけど

ジャンルBLやってるフォロワーたちが心を痛めているらしくて気の毒に感じる

特に攻略対象×ヒロインカップリング兼任してる人のストレスがヤバそう

(その人は表ではヒロイン受カプで交流しているけどBLカプ用の鍵垢を持ってる)

そんな相手ブロックすればよくね?って思っちゃうけどしがらみがあってできないっぽい

以下個人としての考え ※すべての腐女子の考えを代弁するものではございません


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前提

自分原作の会話や描写を見てピンと来たら性別を問わずカップリングさせるタイプ腐女子

対象キャラ性別は不問 関係性に萌えさえすれば男男でも男女でも女女でも構わない


なんで乙女ゲームBLやるの?

たまたま攻略対象の誰か×ヒロインよりも攻略対象攻略対象Bの会話とか描写萌えたか

もちろんBLのために乙女ゲやってるわけではない


攻略対象は全員ヒロインのものでしょ

ヒロイン攻略対象の誰かとくっついたらその他の攻略対象フリーじゃね?と思ってる

そもそもヒロインが誰ともくっつかないルート存在するし、攻略対象とくっつかない=不幸とは思わない

ヒロインが同時に複数の攻から愛される総受ハーレム個人的にあまりきじゃないや

そもそもなんで乙女ゲやってるの?

もともと夢女子願望があったので攻略対象×自分プレイしたい気持ちがあって買ってた

いま買ってるのは、昔プレイしてシナリオキャラ描写が気に入ったブランド作品

(ただし最近は顔出しあり個性ありのヒロインが主流でなかなか自分が入り込めないので、夢的な楽しみ方はもう難しいなと半ば諦めつつある)


BLゲームやればいいじゃん

好きな作品で見たシーンやセリフからインスピレーションを受けて妄想するのが好き

最初から公式でカプが決まってる恋愛エロいことしてる原作を見たいわけではない

(これは少年漫画アニメBLやってて「BL作品でやれよ」って言われるときも同様)

公式で展開される恋愛にさほどこだわりがない

例えるならセラムンキラキラした戦闘シーンを楽しんでるけど、恋愛パートは割とどうでもいいので、話の流れを理解するために把握はするけどサクッと読み流すくらいの気持ち


もちろん攻略対象×ヒロインが大好きになることもあるけど、ヒロイン自分に合うかどうかはプレイするまではバク

いまやってるジャンルヒロインは一人のキャラとしては好きだけど「この男とくっついてほしい!オラッくっつけ!」みたいな意欲がそこまでわかなかったかな 順当にいけば幼馴染みたいな雰囲気出してる攻略対象とくっつくのが自然だと思うけど

基本的攻略対象×ヒロインゲームプレイすれば済むだけだから二次創作必要性感じないしな…


攻略対象ゲイじゃなくてヘテロ性的指向勝手に変えるな

まず気に食わない二次創作を発信してるアカウントがあったらブロックしとけ

性的指向は真面目に考えてない 二次創作の中だとすべての人類グラデーションはあれど基本的バイセクシャルという説を自分採用している 自分自身ヘテロ寄りのバイだという認識がある

攻略対象同士をくっつける二次創作しても、ヒロインに対する特別感情ゲーム内で描かれているのは事実なので、ヒロインのことは別途大事にするような描き方はするかな


公式で明確に仲の悪い攻略対象同士をBLにすんな

男女でもケンカップルという関係性があるのでアレと同じノリでやってると思う ケンカしないとわからない相手の一面ってあるし


隠せや

もちろんエロは鍵垢でやってる、でもそれはBLからじゃなくてエロから 男女カプ・公式カプだとしてもエロを隠すのはあたりまえ体操

キスくらいの接触シーンを描いた二次創作個人的には隠さなくてもいいんじゃないかと思うけど、自分だったらワンクッション置くかな

「AとBが遊園地に行く妄想してニチャニチャしてる」とかpostするくらいで隠せと言われてもな…って感じ

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ゲームに限らないが、プレイするまでどのカプにハマるかわからないので非公式カプはダメ絶対!と言われるとそうか…?となるのが本音


乙女ゲのプレイヤーがすげ~~~~ガチガチ保守的なのはまあ理解できるのよ

ヒロインが男を選び放題、ストレスのない環境がほしいんだよね、だからそれ以外の要素はできる限り排除したいんだよね、それはわかるよ

腐女子ヒロインを貶められて悔しい経験がある人も少なくないんだと思う、それは自分も悲しいし批難されてしかるべきだと思うよ

でもそうした言動をしてない非公式BLカプ者を十把一絡げに攻撃するのは違うと思うよ

最初に書いたみたいに、ヒロイン受でも裏で密かにBLカプ兼任してる人がいたら割と悲劇だし

男女カプオンリーだと思ってた自分自身が将来うっかり思ってもみなかったカプにハマったとき過去自分言動で苦しむことになるから

からこっち見て毒吐くよりも粛々とブロックしてくれた方が幸せになれると思うよ

こっち側からも見えなくなるし 棲み分けしようや

非公式カプ滅殺主張するオタク 「公式カプ以外の二次創作禁止」のガイドライン出してるジャンルに行くと幸せになれるんじゃね?って思ってる

中華ジャンルとかだとあるんじゃなかったっけ?

滅殺主張の人がほしいのは「安心」だから公式からそういうのが出てるといいんだろうね

逆に自分は前述の通り「やるまでどの関係性にハマるかわからない」タイプなのでそういうやつには手を出さないようにしてるよ

自分はむしろ少年漫画とかアニメとか洋画とかでBLやってる腐女子だけど、乙女ゲームでだけはBLやらない」というのがあまり理解できないか

整理して紹介してくれる人がいるとうれしいが

2024-08-24

anond:20240824230537

コミュニティノートプロスポーツ選手高収入を得る背景には、そのスポーツが多くの観客を引き付け、大規模なメディア放映権スポンサーシップ契約存在することがあります。これによってスポーツ業界経済的な影響力を持ち、多くの雇用を生み出しています。また、プロスポーツ社会におけるエンターテイメントの一環であり、多くの人々に娯楽とインスピレーション提供しています

2024-08-10

今日見た映画のこと

一切の脈絡が皆無。ネタバレも全部する。思い出した順に書く。たまに自分語りも遠慮なくしてる。全部乱文。

ボレロ永遠旋律」を見に行った。

一応高校大学でずっとラヴェルを弾いていた身なので、伝記的要素を含む部分についてはほとんどが「史実により既知」であり、8割がたネタバレを喰らっている状態。その中で「例えシナリオが外れても、余程地雷を踏まない限り彼作曲音楽がずっと流れてるっぽいからそっちで楽しめるしな」という期待半分、保険半分。

結果としては大当たりだったけど。

【よかったところ。抽象的な演出の部分をメインに】

初っ端から病気史実)。開始10分程度でサラッと彼のバックグラウンドルーツのおさらい。ローマ大賞落選。「お母様はスペイン?いえ、バスク人です」。15分で作曲依頼を受けるスピーディー加減。ラヴェルちゃんと包み隠さなマザコン史実)。時代設定的に正しい、遠慮のないタバコ演出。モクモクしてない時がないのでは?

音の演出。「全てがリズムから始まる(トントトトン)」がキーワードで、机を叩く指、時計の秒針(規則正しく、まるで体に染み込ませるかのような1秒刻みを60回)、教会鐘の音、ザーザーという雨音エトセトラエトセトラ。猫が布を引っ掻く音、床の軋み、風、そういったありとあらゆる身の回り生活からすら、「音」とインスピレーションを拾おうとする彼が印象的。

何より工場機械音、壮大で、規則正しく、統一感があって、それで彼のルーツにも関わるもの。彼のお父様は確か工場技師ではなかったか...。

音楽の使い方、そのメリハリ基本的に何かしらの形で音(音楽ラヴェル自分で弾くピアノも含)が流れているところ、母親葬式の間に「マ・メール・ロア 妖精の国」が流れて、納棺したらしばし「完全な」無音。遺品を眺めている間とか。彼は、母親が亡くなってから意気消沈して数年間音符を譜面に置くことができなかったと聞いているので、あの「完全な無音」がそれを表しているのかも。

ちなみにこの曲は私も大好きな曲。音響関係なのかそれとも本当に演奏がそうだったのかわからないけど、薄いシルクを何層にも重ねた向こう側から星を拾おうとする感じの繊細な音の「揺らぎ」があって、タイトルに場面にも相応しく儚くて、もしかしたら今まで聞いた中で一番好きな演奏かもしれないと思った。

あらすじの面。基本的史実を派手に脚色したりすることのない、極めて「元ネタに忠実」で誠実なパターン

インキャラのミシアはラヴェルにとってのミューズ的な存在として描かれていて、まあ実際そうとしか言いようのない感じ。双方ラインを引いていて、その中でミシアは彼女にできる精一杯でラヴェルに近づいて彼の芸術を後押ししていた印象。ボレロを「良い曲だから、ぜひ外に出して」というあたりなど顕著。

ラヴェル→ミシアは、ある意味敬虔」に近い崇拝の仕方をしていたと思う。キスじゃなくて曲を書いて捧げたいという思考回路。それが彼にできる精一杯の愛情表現

物語の終盤で彼がミシアに「少しは愛していた?」と聞いたら「もっとずっと」って返ってきたのはあまりにも切なすぎないか。それに対して無言で呆然とするラヴェル病気のせいもあってすでに一人老け込んでしまって、記憶障害失語症もある中で、なんとか断片を拾い集めて、「少しは愛していた?」と問うのはミシアにとっても少し残酷だし、まあ割と「今更気がついたの?」みたいな面もある。そして「その拾い集めた断片であなたがようやく認識したものよりも、もっと、ずっと」ということなのだから

命の終盤で知るには手遅れ感が、もう取り戻せないもののような感じが強い。

少なくとも二人は恋人になって一般的恋人たちが踏む手順を全て踏みに行く「愛」じゃなくて、もっとこう、違うんだよね。詩的な感じがある。

あと、作中でミシア、マルグリット、イダマダム・ルヴロが4方向から、それぞれがそれぞれにできる「母親」的役割をしていたもの中々面白かった。

多分、一人でも欠けてたら色々もっとしかったねと思う。作曲も、人生も。

だって、誰が「エナメルの靴がなかったら指揮できないです」ってなると思うねん。ルヴロ婦人めっちゃ爆走して靴だけ届けにきてたよ。

ちょっと残念だったところ】

しかったともいう。従軍(といっても病弱により医療班・運転手)したところはしっかり描かれてたけど、それがきっかけで書かれた「クープラン」への言及が皆無。

ペルルミュテールとか、弟子存在も皆無。

【結局ボレロって】

作中でも「初っ端から病気ラヴェル病気になって体が上手く効かなくなり始めた頃に作曲した(ほぼ晩年の遺作扱い)のが「ボレロ」なのであんな真っ直ぐ空に突き抜けるような物を、あんな堂々として力強い物を、一体何を考えながら書いたんだろうってずっと思ってたら10年くらい経った気がする。

そしたら今回の映画ですわ。...って話。

大学生の時にモダンダンスの授業があって、そのレポートで私がテーマにしたのもラヴェルの「ボレロ」と作中でも踊られていたバレエだった。(もっとも私が題材にしたのはシルヴィ・ギエムバレエなので、今回の映画のものとは相違あるが...)(しかも「踊りだけ」に集中してレポートを書けばいいものを、余計に音楽に割いた文量が多かったために若干の減点を喰らっている。)

舞台酒場の円卓、官能的な踊りを披露する踊り子と、周りを囲んで踊る男性たち。実際(これも映画内で言及あったが)絶妙エロティックさがあるのだけれど、どちらかというと「存在の主張」をするかのように体を余すことなく使う振り付け(それ以前のバレエ作品というと「この世のものではないかのような舞」が多いので、その対照的位置づけとして)。

曲の音程が徐々に下がっていく箇所でも「むしろあえて」手を高くあげ、足を振り上げ、天井を見つめるような独特の「極めて原初的生命力」のアピールを感じる踊り。スネアドラム規則正しい音が、私たちの中にある何かを鼓舞しているように聞こえるまである

去年、あの家を出る半月前くらい。引っ越す引っ越さないみたいな話で親と大揉めに揉めたら、仕事から帰ったあと19時くらいに追い出されて12時半くらいに入れてもらえるまで3センチヒールの靴で12キロとか歩いたことがある。(昨今話題になった狂歩に近い感覚。この場合時間帯が時間帯なので、落ち着いて座場所がなかったのも原因の一つだけど...)

その時、夜露が降った時間帯に濡れながら聞いたのも「ボレロ」だったな...という遠い思い出。何もかもがしんどくて仕方がなかった時に「規則正しく徐々にクレッシェンドに向かって、やがて崩壊する」音楽に救われたのは、私の人生の中で無視できないと言っても過言ではないと思う。

...夜露に濡れて、住宅地は灯りもまばらで暗くて、あん時間帯に歩いている人なんかいなくて、ボレロイヤホンから流れたときはすごい泣いてたけど、それでも、

規則正しいスネアドラムに引きづられるように、ヒールの靴できちんと歩いた。あの曲が最後噴火するかのように」崩壊するのと同じように、私も「あの家の暮らしを終わらせてやる」と誓ったのを覚えている。

あれを思い出すたび、私はいつも冒頭の問いに戻る。

病気になって体が上手く効かなくなり始めた頃に、なんで真っ直ぐ空に突き抜けるような物を、あんな堂々として力強い物を書けたんだろう、一体何を考えながら書いたんだろう。

そしてそれが100年以上経って私のような人間ある意味で救ったなら、あの曲の持つ力ってなんなんだろう」

まあ、考えながらというか...今日見た映画だと割と「メロディをふり絞ってた」けど...笑

ちなみに「同じリズムの繰り返し、催眠のよう」と映画内で言及があった。「確かに!」である

少なくとも今日、私は「一つの解釈」を見ることができて非常に満足。

ラストラスト、ドラストネタバレ

史実ラヴェル、脳の手術時に脳みそ生理食塩水をぶち込まれて四日後くらいに亡くなるわけで...。ナレ死とかやだなーって思ってたら。

手術する病院に行く車に乗り込むあたりからかかっていたのが、ボレロだった。

なんと、作中通して詩的なエロティックさ、生命力象徴として描かれ扱われ、私たちに散々見せつけてきたあの「ボレロ」が

(本人や友人たちは知りようもないが、ラヴェル最期を知ってる観客にはわかってしまう)死にに行く道中の、「葬 送 曲」になったのである

ラヴェルさん、靴をお忘れです!」「今はいいよ、後で届けてくれるかい」の会話すら、もはや「処刑場へ向かう馬車に乗る直前の風景」に見えるまである

だって、彼は、死にに行くのだから!最悪の医療ミスで!!

まさかラヴェル手術後の死に顔に登場人物たちのリフレインと一緒にボレロ聴くハメになるなんて、思ってもいないです。

最後は彼の亡霊のように、若く蘇ったラヴェルが指揮をふります

そこには、まるで「存在を主張し、生命謳歌するかのように」踊り狂う現代バレエダンサーの姿も。

えぐいって。さっき亡くなったばっかじゃん。なんで、こんな、残酷演出ができるの...(褒め言葉

2024-08-06

anond:20240805232512

でも作者は実在するだろ

大多数の架空物語は作者に実体験に基づいてる

別の作品からインスピレーションとか

その作品実体験が元で・・・

するとあら不思議

物語はすべてリアル原作証明できた

2024-07-26

anond:20240725142420

ここでいう「肌の黒い聖者もいた」は神道ないし仏教での神のことか

そもそも弥助を指して言ってるわけじゃないし仮に弥助を指して言ってるとして

そこから八幡神はずいぶん飛躍があるように見えるが、どういうインスピレーション八幡神になったんだろう

あと

中国史料ではアフリカ系の人を「黒鬼」と表記している。

中国語でいう鬼は、強さのイメージはないと聞いたが

から日本を見下して日本鬼子とののしるわけで

2024-07-13

アサクリの黒人サムライ名前を弥助ではなく弥勒にしておけば炎上しなかった

弥勒は弥助からインスピレーションを得た架空キャラクターです。実在人物団体とは一切関係ありません」といっておけばよかった

2024-07-03

anond:20240703201016

杏とか安達祐実とかりょうがでてた『名前をなくした女神』っていう小学校受験ママ友ドロドロドラマも、角田光代の『森に眠る魚』にかなり似てたけど、モデルになった事件が同じだけなんでってかんじで有耶無耶にされてたな。でもドラマタイトル自体小説クライマックス部分からインスピレーション受けてる感アリアリで尺然としなかったな。

原案としての利用料金など払ってる可能性もあるのかね

ちなみにドラマはかなりおもしろかった

2024-06-18

一次創作trpgするタイプオタクだったから、それなりの人数キャラクター名前考えたことあるわけよ

でもさ、実際のところ子供の名付けって難しくね?現実にこれから生きていく生身の人間の、一生を左右する名前ってすごい難しくね??

先輩パパママ、名付けってどうやったん?スーッとインスピレーション落ちてくる感じなん??すごくない?

2024-06-14

anond:20240614001340

インスピレーションに繋がって、何するの?自前でニューラルアーテクチャ設計して研究論文にしてるひとでもないと、役に立たないと思うけど……

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