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2017-10-12

2017 台湾旅行第一部分

台湾に行って来た。

一人での海外旅行は初めてだ。

台湾であった事、感じた事つらつらと書く事にする。

長いし、起こった順に書いていて、特に脈絡もないので、ドラマは期待しないで欲しい。

取り留めない旅行記だ。

もし文書の中で一文でも、行ってない人の興味を唆れたり、行った事のある人に「あ〜、あるある」って思ってもらえたら嬉しい。




出発前


そもそもなぜ台湾に行こうと思ったかというと、少し前にちょっと凹むを事があり、いつまでも気に病んでも仕方ないし、何か面白い自分の興味を引かれる事がないかなぁなんて考えてたところ、「そういえば、台湾料理で気になってるものがあるんだけど、実物を食べた事がないんだよなぁ」と思い出し、休暇の予定も決まってなかった事もあって、「じゃあせっかくだから行ってみよう」となった訳である

初めてなので、ツアーを予約して、飛行機ホテルの世話だけをして貰うつもりだった。


いざ行くと決まれば、何より問題なのは言葉で、元々日本でもコミュ障気味なのに、別の言葉が話されている国で過ごすのは甚だ不安だった。


でも出発当日が来て、フライトをまつ夜の羽田空港国際線ターミナルで、簡単中国語を暗記していてた時にふと気付いた。

そうだ、俺、イラスト描けるじゃん。

普段から言葉より絵の方が伝わる事があるのは分かってる。

言葉の通じない国に行くんだ、使えるスキルは何でも使わないと。



格安ツアーの出発は変な時間だ。

午前4:50、タイガーエアに乗り込んだ。

台湾のLCCとはいえ、機内はほとんど台湾人

ツアーなので、自分の他にも出発する日本人いるかと思ったが、日本人は少数派のようだった。

ちょっと不思議に思ったのは、機内の台湾人男性はほぼメガネ

なんでどいつもこいつも目が悪いんだ。

から更に不思議だったのは、台北の地に着くと男子メガネ率がむしろ低いのだ。

台湾人飛行機に乗る時だけメガネをかける決まりでもあるのか?






1


1日目 午前


LCCの狭いシートで変な姿勢に耐えながら3時間フライトを終え、朝の桃園空港に降り立った。

空港でキョロキョロしてると、いきなり兄ちゃんに現地の言葉で話しかけられた。

バス?とか言ってたので、行き先に迷ったと思われたらしい。

一瞬どう答えていいか迷ったけど、オレンジベストを着てゲートのすぐそばに立っている女性を指差し、「大丈夫」と言うふうに手を振ったら、彼は「なんだ」という顔をした。

あ、言わなきゃ。

「謝謝」


ベスト彼女自分の到着を待って立つツアーガイドだった。


実はツアーガイドはすぐに見つけていたのだけど、他のツアー参加者が集まってから声をかけようと思っていた。

しかし、誰も集まる気配がない。

どうやらこのツアーの申し込み者は自分一人らしい。

機内に日本人が少ない筈だよ。

「すいません」と日本語で言うと、ちょっと訛った日本語で「どこにいたの?すぐに声かけてよ〜」と笑顔で言われた。


ツアーガイドは黄さんと名乗ったが、「エリと呼んでね」。

台湾の人は英語の二つ名を持っている人が多いという。

より覚えやすくする為に、勝手に「エリーさん」と呼ぶ事にした。ちょっと伸ばしただけだから大きく違わないだろう。



ホテルに向かうミニバンエリーさんに「何かみたいものある?」と聞かれたので、「九份に行きたい」というと、「どう行くか調べてますか?」

「ざっくり」と答えると、「ざっくりじゃダメよ!」とひどく呆れられた。

エリーさん曰く、九份は凄く人気、今は祝日台湾人も行くから人でごった返している、行くなら早くいけ、と。

さらにはついでに十分も行くべきで、こんなこんなこんなツアーがあって・・・説明が止まらない。


「実は蚵仔煎と肉圓を食べに来た。あとお茶も買う予定」と言いうと、彼女は「それだけ?」とまたもや呆れ顔で言った。

「それだけじゃ量が少ないよ!」

さらっと書いているが、この会話の中で、エリーさんは料理名前を何度も聞き返している。

曰く、「発音メチャクチャから何言ってるのかわかんないよ!」

日本人とは随分テイストの違う接客なので思わず笑ってしまった。


夜市にも詳しいエリーさんによると、蚵仔煎の様な夜市料理行列の店で食べるべきで、それは味の問題というより、回転の早い店の方が素材が新鮮なので、当たる事が少ないかであるとの事だった。

台湾人がよく行列するのは、そういう理由もあったのか。なるほど。


エリーさんの勢いに呑まれかかってたけど、会話が少し止まって、ふと窓の外から街を見れば、台北市建物が密集しているのに気付く。

その中にセブンイレブン

漢字コンビニも人の背格好も一緒なのに、行き交う人は全然別の言葉を話している。

それは不思議な感じだ、と言おうかと思ったけど、それを言うとエリーさんが凄いエネルギーで何かの説明をしそうなので言わないでおいた。


ホテルに着いたらチェックインの15:00まで、荷物を預けて自由観光

エリーさんは、台湾での見所と注意をまくしたてたあと「わからないことがあったらLineで連絡して!」と事細かに連絡方法を教えてくれた。

「あと折りたたみ傘を持って行って!今の台湾は天気が変わりやすい!」

どうやら手が届く限りは面倒を見ないと気が済まないらしい。

台湾人親日とよく聞くが、接した感じでは、どうもナショナリズム問題ではなく、何か人間が親切というか、お節介焼きであるように感じた。



エリーさんと別れてしばらく歩くと、南国の陽射しの下、台湾国旗がはためいている。

明日がちょうど建国記念日国慶節からだろうか。

そういやエリーさんに「暑いな、さすが南国」と言うと「ここは南国に入らないよ!台南の方が亜熱帯!」って言ってたっけ。

急に冷え込んだ東京から来たら、十分暑いエリーさん。


すぐに暑さに耐えかねて、冷房の効いてそうな店に飛び込んだ。台湾で食べたかったものの一つ、豆花を食べていると、店内ラジオからはB'zが流れて来た。

日本アーティストなのに、なぜかより台湾を感じさせる。

かい注文が出来ないので、かき氷ピーナッツの甘煮だけをトッピングしてもらった豆花はとてもアッサリしていた。



台湾はとにかくスクーター乗りが多い。

大通り信号が青に変わるたび、びっくりするくらいのライダーが駆け抜けて行く。

この台湾光景を収めようと交差点歩道カメラを構えたら、後ろから「前方!」という様な声をかけられた。

振り向くと、自転車にのったおじさん。

「前危ないよ」とでも言われたのだろうか?ひょっとしたらもっと荒っぽい表現なのかもしれない。

台湾人は親切だけど直接的でもある。




1日目 午後


ホテルチェックインの15:00にはまだ間があったが、台北は午後になって更に気温が上がって来た。

エリーさんが言ってた事には、日中は36℃になると言う。

当て所なく歩き回るにはキツい時間だ、せめて目的が欲しい。

本来は2日目の午前にこなす予定だった、台湾茶の買い出しを前倒す事にした。


エリーさん曰く、祝日台湾人は勤勉では無いらしく昼頃にようやく起き出すとの事だったので、一抹の不安を抱えてはいたが、しばらく歩くと、お茶のいい香りが漂って来た。

通りに面した倉庫の様な店。

林華泰茶行。

上質なお茶が卸値で買えるとの事で、予め来ると決めていた店だった。

実際に来て見ると、その倉庫の様な空間に微かに漂う不思議で素敵な香りに心が踊る。


ただ、少し計算が狂ったのは、店が思った以上に小ぢんまりとしているし、本来問屋なので、店員もぶっきら棒。

タンクトップから腹を放り出したオッさんが茶葉のチェックなどしていて、ゆっくり見るのは場違いだった。

そこでは吟味しながら4種類買う予定だったけど、実は到着直後の免税店で、エリーさんの勢いに押されてすでに高山茶を1つ買っていたので、3種類にした。


金萱

東方美人

蜜香紅茶


20代とおぼしきにいちゃんに、それぞれ「1/4斤」とメモして伝えると、「150?1300元」とぶっきら棒に返して来る。


台湾店員さんは人がよく、自分言葉が変でも何とか必死コミニュケーションを取ろうとしてくれていて、それが返って不甲斐なく、少し凹んでもいたのだけど、さすが問屋のにいちゃんにそんな忖度は無い。


今が出す時だ、と思い、空港で描いたメモを見せた。

一杯の茶のイラスト

「喜歓的香味(とても好きな薫りです)」

「謝謝。」にいちゃんは微笑んで言った。

初めてエリーさん以外の台湾人とちゃんとコミニュケーションが取れたと思った。



昨日から大して寝ずに動き回ってるので、良い加減疲れて来たけど、ホテルチェックインにはそれでもまだ時間がある。

台北101に向かう事にした。


地下鉄にのっていたら、博愛席(日本でいうところの優先席)に座ってたばあさまが、乳幼児を抱いている母親に気付いて、手招きして席を譲っていた。

台湾人はほんとうに人が良い。

うっかり降りる駅を間違えて、次の電車を待っていたら、地下鉄ホームロードバイクを押す人がいた。

台湾輪行ダイナミックだ。


ブルータス台湾特集の表紙が台湾人には不評だったらしい。

曰く、あんな古くさい台湾ではなく、もっと近代的な今の台湾を見てくれ。

でも、実際歩いてみると、やはり台北の街は自分イメージするアジアエネルギーノスタルジーに溢れている。


そうかと思えば、台北101東京で言うところの押上ソラマチの様に、周囲から浮いて急に出現した近代モールだった。

台北という街は混沌の中での変化の真っ最中なのかもしれない。



さて台北101の地下はデパ地下であり、フードコートだ。

このデパ地下も、旅の目的の一つだった。

その地にはその地の食い物が有る。

よくわからない果物料理ディスプレイされてるのは最高だ。

乾麺のコーナーで、刀削麺と同じ棚に讃岐うどんが並んでるのには何だか笑った。

うどん台湾では烏龍麺と書く。


大して腹も減ってなかったけど、疲れを癒す意味で、ここのフードコートガソリン補給をする事にした。

加油、俺。

頼んだのは排骨魯肉飯のセットで排骨には八角の強い風味が有る。

これが中華な味だ。

魯肉飯をかっ込んでふと顔を上げると、半袖シャツを着た対面のにいちゃんの袖から綺麗な花柄が覗いていた。

そういえば林華泰茶行に行きすがら、通りかかった裏路地でも、書き描けの紋紋を背負ったおっちゃんが上半身裸で何かを食っていた。

台北では割とカジュアルに紋紋にでくわす。


デパ地下と紋紋に満足したので、人でごった返した展望台には登らなかった。

良い加減、ホテルチェックインしてシャワーを浴びたい。




1日目 夕方〜夜


やっとホテルチェックインできて、シャワーも浴びてさっぱりできた。

一休みしたら晩飯だ。

どこで何を食うかは決まっている。

寧夏夜市で蚵仔煎を食べるのだ。


実はエリーさんに、この暑くて食品が傷みやすい時期に牡蠣を食べるのは勧めないと止められていた。

私たち台湾人間は胃が大概のものに慣れている。でもあなたたちは違うでしょ」と。

一理あるんだろう。

でもこの旅行重要目的の一つが本物の蚵仔煎を食べて、どういうものか知る事だったのだ。これはマストなのだ

から、せめてエリーさんの忠告を一つ守ることにする。

屋台料理行列の店で食え」

日が落ちて、明かりが灯った台北の街。

地下鉄を乗り継ぎ、寧夏夜市の行列の店を目指した。



道中驚いたのは、街中に野良犬がいた事。

少し遠巻きにしてる人もいたが、同時に野良犬を気にするふうでも無く、すぐ脇で座ってなんか食ってるおっちゃんもいて、日本ではもうない風景日常なんだなぁと驚いたりもした。



やがて、台北B級グルメ天国寧夏夜市が見えて来た。

日本で伝え聞く喧噪はちょっと盛ってるんじゃないかなんて疑っていたが、実際に行くと日本縁日以上の人、人、人。

屋台が軒を連ねる通りは真っ直ぐ歩くのも難しいくらい。

食習慣が全然違うのを肌で感じる。


夜市を一回りすると、一番行列のできてる店がわかった。

ここに決めた。

朝にエリーさんに酷評された付け焼き刃の台湾語は捨てて、筆談だ。

蚵仔煎を描いたメモを見せて注文する。

やがて店内に通されて、目当ての品が運ばれて来た。

おお、これが蚵仔煎か。

まず写真を一枚。

そして口に運ぶ。

プルプルしている!台湾風にいうとQQだ。

牡蠣オムレツと言いながら、片栗粉ような生地の方が主で、それに卵が絡み、その中に青菜と小粒の牡蠣が旨味を添えていた。

かかっているタレは甘酢か。テーブルに置いてある辛味噌を添えると更に風味が増す。

エリーさんの忠告は忘れてないが、ひょっとしたらヤバいものを食べているのかも知れないというスリルもまたスパイスのようなものだった。

「很好吃!」メモを見せると、店員のお姉さんはサムズアップした。



>>2日目



2017-09-18

亜熱帯化?バナナでも取れたのかこの糞みたいな島で

2017-05-19

原因・背景[編集]

1871年(明治4年)10月宮古島から首里年貢輸送し、帰途についた琉球御用船が台風による暴風遭難した。乗員は漂流し、台湾南部に漂着した。船には役人と船頭・乗員合計69名が乗っていた。漂着した乗員66名(3名は溺死)は先住民現在台湾先住民パイワン族)に救助を求めたが、逆に集落拉致された。

先住民とは意思疎通ができなかったらしく、12月17日遭難者たちは集落から逃走。先住民は逃げた者を敵とみなし、次々と殺害し54名を斬首した(宮古島島民遭難事件)。12名の生存者は、漢人移民により救助され台湾府の保護により、福建省の福州経由で、宮古島へ送り返された。明治政府清国に対して事件の賠償などを求めるが、清国政府は管轄外として拒否した。翌1872年明治5年琉球を管轄していた鹿児島県参事大山綱良は日本政府に対し責任追及の出兵を建議した。1873年(明治6年)には備中国浅口郡島村現在岡山県倉敷市)の船が台湾に漂着し、乗組員4名が略奪を受ける事件が起こった[1]。これにより、政府内外で台湾征討の声が高まっていた。

開戦準備へ[編集]

副島種臣

宮古島台湾遭難事件を知った清国アモイ駐在アメリカ合衆国総領事チャールズルジャンドル(リゼンドル、李仙得)は、駐日アメリカ公使チャールズ・デロングを通じて「野蛮人懲罰するべきだ」と日本外務省提唱した。

初代龍驤台湾出兵旗艦であり副島種臣大久保利通をそれぞれ、中国に運んだ。

孟春(砲艦)は三本マストスクーナー型鉄骨木皮の小型砲艦で、台湾出兵に参加した。

外務卿副島種臣はデロングを仲介しルジャンドル会談、内務卿大久保利通ルジャンドル意見に注目し、ルジャンドル顧問として外務省雇用されることとなった。当時の明治政府では、朝鮮出兵を巡る征韓論などで対立があり、樺山資紀や鹿児島県参事大山綱良ら薩摩閥は台湾出兵を建言していた。これらの強硬意見の背景には、廃藩置県によって失業した40万人から50万人におよぶと推定される士族の不満のはけ口を探していたことがある[2]。

1873年、特命全権大使として清国に渡った副島外務卿は随員の柳原前光を用いて宮古島台湾遭難事件などの件を問いたださせたが[注釈 1]、清朝の外務当局は、台湾先住民は「化外」であり、清国統治のおよばぬ領域での事件であると回答して責任回避した[1]。その後、日本ではこの年秋、朝鮮使節派遣をめぐって政府が分裂し(明治六年政変)、また、翌1874年1月の岩倉具視暗殺未遂事件、2月の江藤新平による反乱(佐賀の乱)が起こるなど政情不安が昂じたため、大久保利通を中心とする明治政府国内の不満を海外にふり向けるねらいもあって台湾征討を決断し、1874年明治7年)4月、参議大隈重信台湾蕃地事務局長官として、また、陸軍中将西郷従道台湾蕃地事務都督として、それぞれ任命して軍事行動の準備に入った[1]。

明治六年政変における明治天皇勅裁は、ロシアとの国境を巡る紛争を理由とした征韓の「延期」であったため、ロシアとの国境が確定した際には、征韓派の要求が再燃する可能性が高かった。政変下野した副島にかわって外交を担当することとなった大久保としては、朝鮮よりも制圧が容易に思われた台湾出兵をむしろ積極的企画したのである

台湾での戦闘[編集]

西郷従道

台湾出兵に対しては、政府内部やイギリス公使パークスやデロングの後任のアメリカ公使ジョン・ビンガム(John Bingham)などからは反対意見もあった。特に参議木戸孝允らの長州系は征韓論否定しておきながら、台湾への海外派兵をおこなうのは矛盾であるとして反対の態度をくずさず、4月18日木戸参議辞表を提出して下野してしまった。そのため、政府は一旦は派兵の中止を決定した。

台湾出兵時の日本人兵士

水門の戦 最も激しい戦いであった。当時の日本人による版画[3]

国立公文書館が所蔵している公文書によると1874年4月4日三条実美により台湾蕃地事務局が設置される。(以後の任命は当時太政大臣であった三条実美からの奉勅となっている)同年4月5日台湾蕃地事務都督に西郷従道が任命される。[4]同年4月6日谷干城赤松則良に台湾蕃地事務局参軍と西郷従道を輔翼し成功を奏する事を任命される。[5]同年4月7日海軍省から孟春艦、雲揚艦、歩兵第一小隊、海軍砲二門と陸軍省から熊本鎮台所轄歩兵大隊砲兵一小隊出兵命令が命じられる。[6]という経緯になっている。

5月6日台湾南部上陸すると台湾先住民とのあいだで小競り合いが生じた。5月22日台湾西南部の社寮港に全軍を集結し、西郷命令によって本格的な制圧を開始した[1]。6月3日には牡丹社など事件発生地域を制圧して現地の占領を続けた。戦死者は12名であった[1]。しかし、現地軍は劣悪な衛生状態のなか、亜熱帯地域風土病であるマラリアに罹患するなど被害が広がり、早急な解決が必要となった。マラリア猖獗をきわめ、561名はそれにより病死した[1]。

収拾への交渉[編集]

明治政府は、この出兵の際に清国への通達をせず、また清国内に権益を持つ列強に対しての通達・根回しを行わなかった。これは場合によっては紛争の引き金になりかねない失策であった。清国の実力者李鴻章イギリス駐日大使パークスは当初は日本軍事行動に激しく反発した。その後、イギリス公使ウェードの斡旋で和議が進められ、8月、全権弁理大臣として大久保利通北京に赴いて清国政府交渉した。大久保は、ルジャンドルフランス人法学者ボアソナード顧問として台湾問題交渉し[7]、主たる交渉相手総理衙門大臣の恭親王であった[1]。会談は難航したが、ウェードの仲介や李鴻章の宥和論もあって、10月31日、「日清両国互換条款(zh)」が調印された[1][7]。それによれば、清が日本軍出兵を保民の義挙と認め、日本は生蕃に対し法を設ける事を求め、[8]1874年12月20日までに征討軍を撤退させることに合意した。 また日清両国互換条款互換憑単によると清国遭難民に対する撫恤金(見舞金)10万両(テール)を払い、40万両[注釈 2]を台湾の諸設備費として自ら用いる事を願い出費した。[9]また、清国日本軍の行動を承認したため、琉球民は日本人ということになり、琉球日本帰属国際的に承認されるかたちとなった[1]。

帰結[編集]

日本清国との間で帰属がはっきりしなかった琉球だったが、この事件の処理を通じて日本に有利に働き、明治政府は翌1875年明治8年)、琉球に対し清との冊封朝貢関係廃止明治年号使用などを命令した。しか琉球は清との関係存続を嘆願、清が琉球朝貢禁止に抗議するなど外交上の決着はつかなかった。

1879年明治12年)、明治政府のいわゆる琉球処分に際しても、それに反対する清との1880年明治13年)の北京での交渉において、日本沖縄本島日本領とし八重山諸島宮古島中国領とする案(分島改約案)を提示したが、清は元来二島領有は望まず、冊封関係維持のため二島琉球に返還したうえでの琉球王国再興を求めており、また、分島にたいする琉球人の反対もあり、調印に至らなかった。

また、明治政府兵員輸送英米の船会社を想定していたが拒否され、大型船を急遽購入して国有会社の日本国郵便汽船会社に運航を委託したがこれも拒否され、大隈重信はやむなく新興の民間企業である三菱を起用することに決定したが[10]、この協力により、以降、三菱政府からの恩恵を享受できることとなり、一大財閥になるきっかけとなった[11]。

台湾出兵と熱帯病[編集]

被害[編集]

日本軍の損害は戦死8名、戦傷25名と記録されるが、長期駐屯を余儀なくされたため、マラリアなどの感染症に悩まされ、出征した軍人軍属5,990余人の中の患者延べ数は1万6409人、すなわち、一人あたり、約2.7回罹病するという悲惨な状況に陥った。

軍医部の対応[編集]

1871年(明治4年)、兵部省は、陸軍省海軍省に分かれ、軍医寮は陸軍省に属し、軍医頭は松本良順(のちに順)であった。台湾出兵当時、軍医部は創立より日が浅く経験不足であったが、総力を挙げて事態にあたった。出征軍の医務責任者は桑田衡平二等軍医正(少佐相当)、隊付医長は宮本正寛軍医大尉相当)であった。他に24名の医官を従軍させた。医官は全員奮闘したが、極悪の環境と猛烈な伝染病で病臥する者が多く、西郷都督からは薬だけでも兵士にあたえてほしいと要請された。医官の多くは漢方医で、熱帯病の治療にはまったく経験がなかったという。かれらは交代の22名が到着したため、ようやく帰国できた。宮内省から外国人医師が派遣された。ドイツ出身のセンベルゲル(Dr. Gustav Schoenberg)は、東京大学医学部前身にあたる大学東校お雇い外国人医師レオポルト・ミュルレルの推挙であったが、能力がなくトラブルを起こした。しかし、彼とともに送られた6台の製氷機械は大いに役に立ったといわれている[12]。

2017-04-29

南国で恋をした話

社会人になって年数はもう二桁になろうとしていた私たちは、頑張って来たご褒美とかこつけてアジアへの旅行を決めた。

みんな結婚こそはしていないものの、私は男と住んでもう5年にもなるし、

他の3人もこの数年ですっかり落ち着いている。

そんな独身女4人の旅行先に、英語圏の南の島とかでなく亜熱帯にあるアジアリゾートを選んだのは、

歴史ある寺院を見たり、安くエステをしたり、少しスピリチュアルにな気持ちになるため、では本当は無かったのかも

なんて少し勘ぐったりする。体をよく鍛え黒のトライバル柄のタトゥが日に焼けて薄くなった

ビーチにいる男の子私たちは昼間からビールを飲んで「可愛いねオネエサン」なんて言われている。

彼らは本当に日本語を良く知っていて、少し前に流行ったお笑い芸人ネタを口にしたりもしていた。



そんな旅行の最終日だった。

クラブへ行ってみようか」

誰かが言い出した。とっくの昔に忘れた夜の過ごし方だった。

もう若くは無いけどここは外国だしツーリストも多い。いいよね。

私たちマーケットで1500円で買った安物のワンピースに着替え、入念に化粧を直し、宿泊していたヴィラを出た。



両脇にネオンキラキラ光る通りでタクシーを降りた。

店の集客をする少年や、お祭り屋台で売っているようなボタン電池で光る耳のようなものを売っている男、

謎の白い粉を売りつけてくる男、この夜の街の現地人は皆、働いてるんだ。



適当クラブに入って酒を煽った。

私たちは現地人によくモテた。日本人からかもしれない。お金を持っていると思われているんだろう。

実際、ジゴロをやっている現地人は多いって聞く。彼ら、都合よくヒモにさせてくれる日本人女を探しているのかも。

それぞれのお気に入りの男を見つけ、フルーツの盛られた黄色緑色カクテルを飲んでいる同士3人を、

私は遠れたところから眺めていた。

横ではパフォーマー女性ファイアーダンスを踊っていて人だかりができている。

2年前に流行ったポップスが流れる。異国だ。



日本人?」日本語で声をかけて来たその男は、肩に着きそうなくらい伸びた髪で少しだけ日に焼けていた。

無地のくすんだ青のシャツに、グレージュの海パンを履いている。荷物は持ってない。

若いけど、なんだかちょっとこなれた感じ。学生卒業旅行ではないみたい。

私たちはみんなのいるルーフトップフロアを抜けて、音楽のあまり聞こえない2階のベランダに腰を下ろした。

人があまりいない。夜風が抜けて気持ちいい。



不意に、私の髪をかきあげる彼の右手。その手でそのまま、顔を引き寄せられキスをした。

女の子二の腕キスしたみたいなふにゃりとした唇、首筋に塗られたオールスパイス香り

メンソールタバコの味、全部が違和感。心地悪い。

でもなぜ?脳みそ麻痺しているみたいに痺れてる。体が熱い。

体温が上がっているんだと感じるのにすぐ、思考が停止する。何も考えられなくなる。

「いい曲」そう行ってフロアに手を引かれた。今日は有名なDJワールドツアーなんだとか。

私たち、体を寄せ合って揺れてた。チークタイムかよ、って心の中で毒づいて少し恥ずかしくなって笑った。

でもそんなのすぐに忘れて目を閉じる。

音楽が流れて体を寄せているだけなのに飽きることな時間が過ぎる。

ずっとこうしていても時間が過ぎないなら、死ぬまで踊っていられるんじゃないだろうか。

自分が何者か、だなんて何の意味もなさないと思った。

引き寄せ会う、ただの二つの物体。それ以外のことは何の意味もなさない。今は。



どれくらいそうしていたんだろう。

不意に聞き覚えのある歌が流れて来た。日本語女性ボーカルが歌う。

「愛してると言って、声を聞かせて」

都会的な哀愁漂うメロディは、この南国には似合わない。



3階のルーフトップに上がると、3人が待ち構えていた。

外はすっかり明るいけれど、まだまだ人が出る気配はない。

「やるじゃん」なんてからかう、随分前に遊び慣れた女たち。その言葉、そっくりそのままお返しします。

頰にキスをして私たちは別れた。彼は宿泊先のホテルを耳元で囁いた。

私は泣きそうな切ない気持ちを抱えて自分のヴィラに戻った。

ああやばい。久しぶりにマジで苦しい。恋してる。



帰りの空港に着くと、彼が搭乗口の柵に持たれていた。

「またおいでよ」

もう会うことは無いってわかってる。

うそ海外旅行なんて行けたものじゃ無いし、多分次は違う国に行くだろう。

それに帰国したら、この一年中夏の国で一晩で生まれた安物の気持ちは綺麗さっぱり無くなるものだ。

なんて、分かっているからこんなに悲しい。

安物だなんてこれっぽっちも思っていないけれど。それも、今だけ。



日常は何も変わらず私を迎えてくれた。

一緒に住む彼の腕に顔を埋めると、幸せが胸に満ちたことは私を一番安心させた。

料理を美味しくするスパイス必要不可欠。

人生だと、それが一晩の恋でもいいんじゃない?女に生まれたんだし。

2017-01-28

http://anond.hatelabo.jp/20170128133058

横だけど昔はメガネウラとか現代ヤシガニみたいなのもいるし、外骨格以外の小さくなるバイアスがあるんだと思うよ。

亜熱帯熱帯地域比較的でかいからやっぱり気温かな。

それ以上にでかいのを求めているならそうかもしれんが。

2016-11-24

本州亜熱帯だと認めてほしい

日本気候亜熱帯化しているらしい。今年の夏は本当に暑かった。去年も、一昨年も…。道産子には東京の夏は厳しい。

亜熱帯には明確な定義がないそうだ。人や場合によってそれは異なるという。

じゃあ私は日本を、少なくとも関東以南を亜熱帯と呼ぼうじゃないか

東京の暑さにはほとほとまいっている。今年の夏は自宅から駅まで10分歩くだけでシャツの乾いた部分がなくなった。駅のトイレで着替えても、電車に乗っている最中に再びぬり絵が完成してしまう。

学校にいくだけでシャツを4〜5枚用意しなければならないなんて知らなかった。私が汗っかきだということを東京に来てから初めて知った。

本当は東北亜熱帯だと声高に主張したいところだ。

去年の8月上旬山形旅行に行った時の最高気温は35度だった。れっきとした猛暑日だ。そんな中で立石寺を参拝したら熱中症になってしまった。

立ち寄った宮城もとんでもなく暑かった北海道の夏は恵まれているよ。本州ほど暑くないし。セミうるさくないし。ゴキブリ”いなかった”し。

本州亜熱帯だ。平気で最高気温が40度を超えるような地域亜熱帯だよ。今日最高気温が4度らしいね。知るか。砂漠だって冬は寒い

反対意見があるやつは私が鉄拳制裁を下す。

2016-10-20

沖縄県民の一個人沖縄米軍基地負担について思うこと

沖縄県民である自分個人の考えをまとめるために書く

自分としては「普天間基地は早急になくすべき、そのためには国外・県外移転が望ましいが、それを望まない日本政府の決定があるならば、『沖縄県は(普天間基地代替としても)県内に新基地を作ることに反対したが、日本政府地元の反対を権力で押し通して基地を作った』という手順、ストーリーで作るべきだろう。それが将来的に沖縄県民利益に繋がる」と考える、以下理由

沖縄県民意見とは)

・まず『沖縄県民』という主語はでかい

 直線距離にして600kmほどでかい、それぞれの地域・島によって歴史現在置かれている状況も違う

 那覇市などの南部に住んでいるとそんなに米軍意識はしない、でも中部に住むと、広大な米軍基地の周辺にへばりついて、分断されぎゅうぎゅうに押し込められて生きている感を受ける、場所によっては騒音がほんとにきつい。北部は…実はよくわからない、『北部』という主語も相当でかくていろんな立場がいるだろう。

 南西諸島などの離島沖縄本島とはだいぶ状況が違う、まず米軍基地や訓練空域がない、交通事故をMPに仕切られた経験もないので米軍問題がどこか他人事だ。それより実感としてあるのは本島・宮古島間の中国艦船通過だったり、尖閣諸島問題だったりするので、気分的に日本政府に強くあって欲しい、保守よりの風潮があると感じる、歴史的にも沖縄本島政権から差別や軽視があったらしいが、その辺はよくわからない。

 そんな感じなので、ひとこと『沖縄県民』と言ってもその意見は多様で一つに絞れないのは当然だと思う。九州電力川内原発についての福岡奄美大島の人たち意見も同じようになるのでは。

・そもそも友人・家族・親戚で基地問題について話題にしない

 ケンカになるからほとんどの場合自分在日米軍国防関係自分と違う意見や明らかに間違っている知識沖縄県負担している米軍基地割合は実は22%だとか)と出会っても、なるほどあなたはそういう考えなのですネーとスルーする。大体の人がそうじゃなかろうか。なので、声高に自分の考えを主張出来る人は、自分の周りがほぼ同じ考えだと誤解しやすい状況が生まれるのではないかと思う。

 しか中国に関してはだいぶヘイトがたまっている、親戚一同が集まっている席でTVで中国関係ワイドショーなど始まると、まるで『1984年』の二分間憎悪のようにその場が中国への罵倒で満たされ、中国に寛容な意見などは一切ない。ネットなどで、(基地反対派の)沖縄県民親中派など言われているのを見るとう~ん?と感じる。おそらく、アメリカ覇権絶対派、強い日本をとりもどせ欲しい派、基地には反対だが中国のため作らないといけない派、いま沖縄県民が分断されている状況は中国のせいだ派など、いろんな現状に対して不満を持っている人たちの、非難の矛先として中国が選ばれ続けているのだろう。中国観光客お金を落とし続けているお土産物屋やホテル業界の人でも、中国人を語るときはまずは悪口から入る気がする。

・そんなわけで、『沖縄県民意見』については、切り口によってでどんな意見でも出せるだろうと思う

 基地内に土地を所有し土地使用料が入ってくる人、軍人軍属相手商売生計を成り立たせている人、そもそも基地内で働いている人、基地のすぐそばに住んでて毎日轟音でテレビの音声が聞こえなくなる人、毎日基地を大回りして通勤する人、過去事件事故家族被害にあったことのある人、米兵さんと結婚した人、数年前に大阪から引っ越してきた人、その子ども、みんな沖縄県民であって、その意見統一できない思想自由なので当然だ

・ただ一つあるのは『選挙の結果』だろう

 手続き論として多少の瑕疵はあるかもしれないが、選挙の結果で先の知事の決定は間違いだったとの判断が出たら、地方自治体として決定を考え直す権利ぐらいは当然あるのではないかと思う

米軍基地はどうするべきか)

普天間基地はなくすべきだろう、それは日本政府米軍沖縄県民宜野湾市民、ほぼ全員が危険なので早くなくしたいと考えていて、それを人質に取る形で新たな負担をどうするかというのが現在問題だと考えている

・そもそも普天間基地及び在日米海兵隊の問題は、そのまま廃止する、国外グアムなど)に移転する、沖縄県外(徳之島など)に移転する、といった選択肢がある中、日本政府の、米軍の協力な武力を引き続き国内に置きたい、という思いと、沖縄県外に置いてもらうよう説得するのは無理だった、という調整不足の結果、まるでそこしか唯一の回答がないかのように沖縄県内新基地建設が進められているが、要するに日本政府意向失策の結果を押しつけられているだけじゃないかと思う。

・よく「防衛は国の専権事項」だから地元自治体は黙って国の決定に従え、という意見を見るが、本当にそうならば日本国中どこにでも好きに置けるはずで、「唯一の選択肢」なんておかしいことになる、自由じゃ無かったから現状があるんだ。

・ではなぜ沖縄県内に代替基地を作るかというと、沖縄県位置とか、離島という閉鎖された環境とか、亜熱帯ジャングルが訓練に向いているとか、連携すべき他の米軍部隊が多くいるとか、歴史とかとにかくどんなにでも理屈はつくが、結局は『現在そうだから今後もお願い』につきると思う

・「現在そうだから今後もお願い」これを呑むと終わりだ、沖縄県基地負担未来永劫、永遠に続くことになる

 この国では『現状』の強制力がとにかく強い、どんな理不尽も、不平等も、論理破綻も、現状を維持すべきとの意思の前にはなすすべがない。抗うにはすさまじい労力が必要になり、そもそも論理が通用しないため、結果反対派を自力救済暴力に向かわせる力がある。

 まあ現状維持って結局、楽な方、楽な方、低い方に流れてるだけなんだが。

・なので新基地建設については、暴力に訴えてまで反対するのは悪手だし、どのような反対があっても最終的には建設されてしまうだろう、それが日本政府、ひいては日本国民選択の結果なのだから、という思いがある。

・その上で、沖縄県という地方自治体としては、新基地建設絶対認めてはいけない、と考える。認めたらそれこそ最後沖縄県民の将来的な損失を、これから永遠に撤回不能な悪しき前例を産むからだ。

・そもそも沖縄県内にある米軍基地は、沖縄県がここにどうぞと言って作られたところは一つもない、すべて銃剣とブルドーザで住民意思無視して作られた物だ、という前提がある。なのでそれを変更が困難な『現状』として引き継ぐのだ。新基地建設同意してしまうと今度は『沖縄県地元住民は新しい基地建設することに同意した』という新しい現状が生まれしまう、そしてそれを覆すことは絶対に出来なくなる。あの日あのとき基地建設を認めたんだから今度もお願いね、と言われ続けてしまう。

政治的な決定は言った言わない、0か100かでどんな条件を付けても無駄

 前世紀に普天間基地代替として、名護市への新基地を認めようとした際、「軍民共用」とか「15年期限」とか色々条件を付けたはずだが、それらはすっかり忘れ去られ、「一度は認めると言った」という一部のみが取り立たされる、ヤクザ脅迫を一緒だ。なので絶対同意せず、『地元の反対を国が強権で押し通し、強制建設された基地』というストーリーを持った基地にする、というところが落としどころではと思う。

・それが国に対する借りとなり、将来の沖縄県民利益に繋がる

(余談)

・そもそも海兵隊基地なんて必要なのか

 みんな『次の戦争』に備えるとき記憶の中にある先の戦争がまた繰り返されると勝手に思ってしまう。だから今度もうまくいく、今度こそうまくいく、と戦争の準備を整える。

 第一次大戦を教訓にマジノ線を作ったらベルギーから攻め込まれてあっという間に降伏したフランスや、日露戦争みたいな一発逆転を夢見て沈没した日本海軍とか

 みんな『次の戦争』を考えるとき太平洋戦争みたいに島々を巡った占領戦が行われるはずだ、そのときは今度こそうまくやってやる、と無邪気に考えすぎなんじゃないか。次に日本宣戦布告されたり、するとき

 東京都核ミサイルが落ちてくるときだろう

 第三次世界大戦が起き、全人類が存続の危機に立たされるとき

 だから『次の戦争』は全力で防ぐしかなく、その方法外交努力民間協力、相互理解によるだろうと考える。

2016-08-03

もう木造住宅に住めない環境になりつつある

亜熱帯化が原因である

雨で床板がたわみ

暑さで室内にいられないほど暑くなる

国はもっと外気温対策をするべきだろう

2016-06-05

memo

シャチ

クジラマイルカ科シャチ亜科シャチ

イルカの仲間では最大の種.

世界中存在するし,サメよりも肉食のくせに人間を襲う例はかなり少ない.

ちなみに,しゃちほこ は想像上の動物

頭がトラで体が魚.背中には何重ものトゲを持つ.尾ひれは常に空を向く.

ホホジロザメ

ネズミザメ目ネズミザメ科ホホジロザメ

亜熱帯から亜寒帯まで幅広く存在する.

地中海でも見られる.

ベアナックルボクシング

二人の人間ボクシンググローブなどを拳に装着せずに素手で対戦する。

倒れた相手を殴ってはいけないなど最低限のルール存在する。

クインズベリールール

現在ボクシングの基礎となるルールである

19世紀イギリスではじめてボクシングの競技にグローブ着用などを義務づけた.

オンス

ounce

16常用オンスが1常用ポンドとなる。

1常用ポンドは約450グラム

よって1常用オンスは約28グラム

ジョン・L・サリバン

ジョン・ローレンス・サリバン

過去プロボクサーヘビー級チャンピオン

ベアナックルボクシング

マイク・タイソン

耳噛み事件などが有名.

ストリートファイターM.バイソン元ネタ

ファヒータ

テクス・メクス料理の一つ.

テクス・メクス料理

一般的にはメキシコ風のアメリカ料理を表す際に使われる言葉である

など

ポーラ・アブドゥル
1マイル

1609m

4の2乗と3の2乗と覚えればいいのだろうか.

2016-04-26

[] コーリャン

モロコシ蜀黍唐黍学名 Sorghum bicolor)は、イネ科の一年草C4植物穀物。熱帯アフリカ原産ソルガムとも呼ぶ。

また、中国での呼称であるコーリャン高粱)ともかつては呼ばれた。主要な栽培食物のひとつであり、穀物としての生産面積では

コムギイネトウモロコシオオムギに次いで世界第5位である

熱帯、亜熱帯の作物で乾燥に強く、イネコムギなどが育たない地域でも成長する。

  

穀物として食べた時はソバに似た食感があり、北アフリカではクスクスや粥の、インドではチャパティなどのフラットブレッド

材料として使われる。ひき肉のような弾力とコクがあるので「たかきびハンバーグ」などとして主食材料にも使われるほか、

アメリカ合衆国南部では、濃褐色シロップが作られ、ビスケットにつけて食べられる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%AD%E3%82%B3%E3%82%B7

2015-09-09

http://anond.hatelabo.jp/20150909002018

データは持ってないけど他の統計シミュレーションから予測をふたつ。

読みかじった専門文献を簡単にまとめたもの

くわしくは自分で文献当たってくれ。

1(凶)

温暖化のため本州以北は温帯から亜熱帯への移行がはじまった。

とすると、今起こっているのは秋の長雨ではなく「雨季」かもしれない。

2(大凶

温暖化のため未知の気候変動がはじまった。

事態特異点突破限界点突破と推移する。

特異点とは事態回帰不能となる時点、限界点とは事態人類適応力を超える時点。

今は特異点限界点の間にあたるという説がある。

この説では、特異点1990年代末にすでに突破

限界点はつぎのように到来。これ以後当該地域人類は生息できない。

南太平洋 2020年

東京地方 2040(2090)年代

北海道地方 2050(2100)年代

括弧内の限界点化石燃料の使用を1970年代水準にもどした場合。なお南太平洋域は限界点に近すぎて延命不可能

2008-10-06

シーンを賑わす人気作品(笑)

 亜熱帯化いちじるしい日本に、爽快な新しい風を巻き起こしてくれるブライテスト・ホープが誕生する。その名は、戸松遥(とまつはるか)。

 クリスタルのように透明感溢れるエアリーな歌声に、ピュアポップ感満載のエヴァーグリーンな楽曲が絡み合う極上のハーモニー。往年の、渋谷系を思わせるソフトロック的な優しき響きが耳に愛おしい。まるで、ヴァネッサ・パラディカヒミ・カリィなどを想起させる、繊細ながらも軸のしっかりした質感をも解き放つ。

 そもそも彼女は、2006年よりスーパーボイス・アクトレスとして、高校時代から声優女優としても活躍をしている。すでに、『絶対可憐チルドレン』、『神曲奏界ポリフォニカ』、『To LOVEる -とらぶる-』など、シーンを賑わす人気作品にも登場しているのも興味深い。

http://www.towerrecords.co.jp/sitemap/CSfCardMain.jsp?GOODS_NO=1847264&GOODS_SORT_CD=101

いやいや、どう考えても今年シーンを賑わせたのはストライクウィッチーズですから。

2008-05-10

http://anond.hatelabo.jp/20080510225101

和服に全然関係なくなって悪いが、

夏場に着て涼しいのはスポーツ用のヒートギアとか冷却機能付きとかエアドライとか言われる、

汗を放出するタイプの服。

ユニクロなら1000円も払わないで手に入るぞ。

ちなみに、亜熱帯日本とは湿度や日差しの強さが違うから、直接の参考にならんと思う。

2007-10-15

http://anond.hatelabo.jp/20071014202342

いち増田としての意見

増加しているのは確かだが微増にすぎない。

  • 事実2:地球の平均気温は、ここ数十年で0.5度上昇した。

地球の平均気温というくくりに否定的。

日本アメリカの地表付近の有人地区の気温の変化にすぎない。

二酸化炭素は、温室効果ガスには違いない。

だがこの主張は二酸化炭素の毒性を言うのと同レベル二酸化炭素の特性の話しでしかない。

相関がみとめられる。

二酸化炭素もそうだが煤煙、粉塵を大量に大気中に放出していることをくれぐれもお忘れなく。

フロンから生物まで、あらゆるものを地球上に巻き散らかしている。

劇的には大げさ。まだ疑念の余地はあるが、人類の活動は二酸化炭素の増加の要因のひとつにはあると思う。

  • 予想2:ここ数十年の平均気温上昇の主たる原因は、大気中の二酸化炭素濃度増加である。

これはノー。この程度の増加では二酸化炭素濃度の増加は主たる原因にはなりえない。

  • 事実6:ツバルは海面上昇と海水温上昇により被害を受けている。

詳しくは知らないがおそらくYes

初耳。

モルディブ聞かなくなったと思ったらそういうことだったの?

  • 事実8:地球の平均気温が上昇すると、陸上の氷河が融け、海面が上昇する。

ノー。10℃以下での気温の上昇と氷の融解は関連性は認め難い。

”気温”の上昇と陸地の氷河の融解に相関性は認めがたい。

しかしながら氷河が溶ける原因が人間かもしれないのは存分にありえる。

二酸化炭素と同時に放出された煤が極地まで届けば氷は太陽光で溶けうる。

陸上の氷河が融けたら海面が上昇するのはYes

そういう意味人類の活動が海面上昇に寄与している可能性は十分にありえる。

(とくに北半球の高度を飛び回る飛行機

  • 予想3:二酸化炭素濃度が上昇すると、地球の平均気温が上昇するため、海面が上昇する。

ノー。

ただ、気温が上昇した結果二酸化炭素濃度が上昇している可能性はある。

私のスタンス

二酸化炭素削減は効率的にエネルギーの使用をできているかという重用な指標になりうる。

エネルギー環境資源であるのでその効率化は税金を投じてでもおこなっていくべきである。

だけど二酸化炭素地球温暖化の主因ではない。

京都議定書のようなかたちで世界的に環境基準として強いるのならNOxのようなものでやるべきだ。

日本が主張しているような二酸化炭素放出しているから地球が暖かくなるという論法はナンセンスだ。

人類があらゆる経済活動をした結果地球環境に負荷がかかっているというのなら判る。

主因となりえるのは人類の活動であって二酸化炭素ではない。

二酸化炭素付属物だ。

環境負荷のひとつの結果として、地球規模で気象変動をもたらしている可能性は十分にある。

地球規模で気象が変動しつつあることに異存はない。

だがそれは地球上での一様な温暖化ではいない。

日本亜熱帯化というのならわかる。

昨今の気象変動については主には海流の変化だと考えている。

なにが原因で海流が変化したかはわからない。

スマトラの時の地震の影響がいまごろでたのかもしれないし、

季節風の上を飛行機が飛び回りすぎて影響がでたのかもしれないし、

今年の太陽の活動が活発だったのかもしれないし、

溶けた氷の量がおおすぎてかわったのかもしれないし、

もっといろいろひっくるめて全部かもしれない。

だが世界的に気象が変化しつつある様は、様々な報告から知ることができる。

関係ないかもしれないけど、太陽の活動だっていつも一定ってわけじゃないんだよね?

http://swc.nict.go.jp/sunspot/

2007-02-23

温暖化→森林減少→保水できない?

anond:20070223215953

横槍ですが、このページの内容が参考になりませんかね。

http://www.cla.kobe-u.ac.jp/kusccs/essay/2003koike.htm

それではなぜ、山火事は同時多発的に発生し、かつ大規模化したのだろうか。カリフォルニアの気候に照らしていえば、毎年山火事の危険があることは、先に述べた通りである。だが今年はその熱波・乾燥の程度が例年を越えていたのだ。例年にない熱波・乾燥といって真っ先に思い浮かぶのは、ヨーロッパであろう。 2003年欧州はかつてない猛暑に襲われた。パリでは観測史上最高の暑さに迫る日々が、何日も続いた。パリの夏は本来過ごしやすいもので、多くの家庭や事務所はもちろんのこと、カフェですらクーラー付のところは稀だったという。一方イタリアでは、山火事が多発した。殆どが放火によるものだったが、猛暑と旱魃の影響で被害は拡大した。件数としても多く、7月中に6,000件、これは昨年の倍近くに及ぶという。またポルトガルでも山火事は猛威をふるい、16 万ヘクタールが焼失し15人が犠牲になった。

ここでヨーロッパの熱波の原因を「地球温暖化現象」に求めるのは、早とちりだと思われるかもしれない。その直接の原因ヨーロッパ上空を流れる「ジェット気流」であることは、私も認めよう。しかし、私の認識が正しければ、ジェット気流はそれ自体が熱い・寒いという訳ではなく、あくまで偏西風の影響を受けた大気の流動/停滞形式である。そのメカニズムの中で、大気をはさんで閉じ込めてしまうこともあるのである。ヨーロッパの場合、そのはさまれた内部大気が「熱い」ことが問題なのだ。つまり、ジェット気流による熱波というのは見かけ上の問題であって、根本的な原因欧州の気温自体が上昇していることにあるのである。よって、ヨーロッパを「亜熱帯」に仕立て上げた張本人は「温暖化現象」である、といって差し支えないと思う。

米デューク大のウィリアム・シュレンジャー教授は「近年の温暖化傾向で地上からの水分の蒸発量が増え、雨が少ない地域の森林は乾燥して山火事が起こりやすい状況が続いている」と指摘している。

同じように、米ハーバード大学ポール・エプシュタイン博士も「現在温暖化傾向が続けば山火事は世界各地で増加。その結果、大量の二酸化炭素大気中に放出され、温暖化をさらに悪化させることになる」と警告している。

ここでエプシュタイン博士の考えを整理してみよう。彼の頭の中には、温暖化乾燥化→山火事二酸化炭素放出(→温暖化フィードバック)、という図式が存在すると思われる。これは特殊な考え方ではなく、むしろ周知の「事実」として扱われている類のものである。「二酸化炭素濃度の増大が温暖化を引き起こす」といった想定は、疑いのない真実として人びとの意識に刷り込まれているのではないだろうか。

 
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