はてなキーワード: 花崗岩とは
村上春樹レベルなら新刊が常に入るし、流行小説で読みたいものがあればリクエストしてすぐに買ってもらえる。
読み聞かせ教室では、絵本はいつだって人気だし、自分で文字が読めるようになれば江戸川乱歩やルパンのシリーズものが面白い。ハリーポッターは本好きでなくてもみんな通る。
あとは児童向け文庫も侮れない。レミゼラブルとか海底二万里とか、好きな小説をたどれば、そのまま古典文学にアクセスできるだろう。
謎解きカラマーゾフみたいな本は小説じゃないけど、新聞の書評欄に載ってれば図書室は買う。新聞の書評欄は大事だ。
田舎だとちょっと気の利いた住民が、個人文庫という名目で蔵書を開放してたりもする。昭和のベストセラーから少し外れた作品なんかはここで読める。
図書室レベルじゃなくてそこそこの規模の市になれば、図書館本館と分館で相互貸出もしてるので便利だし、あとどうしても近場で在庫のない本は、国会図書館の郵送貸出で取り寄せできる。
まあ、車の免許を持たない子供でできる範囲だとこんなものだろう。
とはいえ一生のうちに触れられる情報には限りがあるのだから、身近なところで花崗岩を拾ってグスコーブドリを思い、ツツジの雄蕊雌蕊を観察するとき富太郎になりきればいい。
花崗岩売ってるやつ、有能だろうが。
去る9月29日に 株式会社ラフィネ さん主催の南アフリカワインイベントに参加してきました。
ラフィネさんは南アフリカの生産者のワインを多く扱う都内のワインインポーターです。今秋、日本でRugby World Cup 2019が開催されることから大会観戦を兼ねて南アフリカの8生産者に来日していただき、日本各地でイベントが開催されました。このうち6生産者に今回限定のスペシャルワインを造っていただき、RWC(Raffine Wine Collection)として6本セットで販売、今回はその記念イベントでした。各ワイナリーがスペシャルワイン1種+通常のキュヴェ1種を出典、もちろん生産者ご本人とお話しでき、またお料理や素敵な記念品もついてくるという大変豪華なイベントでした。
バーデンホーストのアディさんのYuuuuupppppaaaaaa!!!で乾杯!からスタート。
ラフィネさんのFacebookにテクニカルの詳細が載っていますので詳しくは是非そちらもご覧ください。
A.A.Badenhorst (Swartland)
・Raffine Wine Collection by A.A.Badenhorst
パールドバーグのエイトケイクという単一畑からのシラーズ100%を全房率100%で醸したキュヴェ、無濾過無清澄。シラーズ100%のキュヴェを造るのは初めてとのことでした。イメージとしてはイエローラベルのシラーズ単一品種版でしょうか。果実味がピンと張ったエネルギーに満ち溢れている液体ですがあからさまに濃厚!というわけではなく、非常にクリーンでエレガント。言葉尻からの印象ですがシラーズ!というよりはエレガント系シラーの美質を存分に感じさせてくれました。他の単一シリーズもそうなのですが、ご本人からは豪快な印象を受けるのにとても繊細に造られているなーと思います。
・Ramnasgras Cinsault 2017 (double magnum bottle)
先日のワインショップでの試飲会でもいただいたキュヴェですがこちらはなんと3Lのダブルマグナム、軽々と持ち上げてらっしゃったのがすごい!前回同様にハーブ、スパイスの香りとジューシーな果実味、土のニュアンスがバランス良く融合した素晴らしいワインでした。
Alheit Vineyards (Hermanus)
・Raffine Wine Collection by Alheit Vineyards
2015年ヴィンテージからリリースしているLa Collineと同じ畑からのセミヨン(+セミヨン・グリ)100%、通常版との違いは最上部の区画からのみ造られていること。全房率100%。La Collineがリリースされる前はセミヨン・グリ主体でスキンコンタクトをしたAllow Heartというキュヴェでリリースされており、Allow Heartの再現としてスペシャルワインが出てくるかなーなどと勝手に妄想しておりましたがLa Collineのスペシャル版として造ったとのことでした。La CollineはAlheitの上位レンジであるシングルヴィンヤードシリーズ唯一のセミヨン単一(他は全てシュナン・ブラン)ということもありふくよかさが印象的なのですが、今回のRWC版は区画を上部に限定することで酸やミネラルに伴う骨格をより強く感じることができる大変気品にあふれたキュヴェとなっていました。
・Cartology 2017
アルヘイトと言ったらカルトロジー、ヴィンテージは昨年リリースされた2017年です。冷涼系グレートヴィンテージということもありリリース当初は酸とミネラルがぎっちり詰まった印象でしたが、それらが徐々にほぐれつつも非常に美しい味わいでした。
Sadie Family Wines (Swartland)
・Raffine Wine Collection by Sadie Family Wines
南アフリカワイン界の大御所です。白のブレンドで公式からの引用ではシュナン・ブラン26%、ルーサンヌ16%、ヴェルデーリョ15%、コロンバール9%、セミヨン9%、パロミノ9%、グルナッシュ・ブラン8%、ヴィオニエ4%、クレレット・ブランシュ4%と多数の品種がブレンドされています。土地の表現と古木に拘りのある生産者ですが、樹齢5年程度の若木のイタリア・ギリシャ系品種が入っている、ワイナリーとしても極めて試験的なキュヴェのようです。酔っぱらいながらのメモですがアサンティコ、カタラット、フィアーノ、グレロ(グレーラ?) が入っているとのこと。公式記載品種のシノニムとかでしたらすいません…。これらの品種が古木になった時にワイナリーの新しいページを刻んだら素敵ですね。ベビー・パラディウスのイメージとのことですが、よりスパイシーでビビットな印象を受けました。若木のブドウが使われていることからの先入観もありそうですが。もちろん暴れるようなことは無く、非常に綺麗な造りで熟成した姿が非常に楽しみです。
・Columella 2017 (double magnum bottle)
赤のブレンドのフラッグシップであるColumellaの最新ヴィンテージ、しかもダブルマグナムです。エレガントながらも濃厚な果実味に浸れる素晴らしい造りです。ワインだけで満足できる度の高い一杯。
・Raffine Wine Collection by Crystallum
クリスタルムのピノ・ノワール上位レンジであるマバレル、キュヴェ・シネマ、ボナファイドを1/3ずつブレンドしたスペシャルキュヴェ。この字面だけでも心が躍ります。全房率はマバレル10%、キュヴェ・シネマ50%、ボナファイド60%とのことですのでシネマはホール・バンチ版ではなく通常版由来と思われます。1/3ずつというブレンド比率ですが、色々と試した上でこの比率が一番しっくりきたとのことで個人的には偶然の神秘性のようなものを感じてしまいました。おそらくマバレル由来の透明感のあるアタックから充実した果実味、コクと旨味からの満足感、美しい余韻への一連の流れが一切の継ぎ目・ストレス・違和感なく展開される完璧なバランスでした。
・The Agnes Chardonnay 2018
シャルドネの2種あるうちの下位レンジ、先日入荷したばかりの最新ヴィンテージです。乾燥した2018年の性格を反映した凝縮感のある味わいです。酸や骨格は2017年の方が豊かである印象ですが優劣というよりは性格の違いを楽しむ、あるいは各個人の好みによる程度の違いと考えます。上位版であるクレイ・シェルスは今年の分をまだ飲めていないのでどんな感じになっているか気になります…。
・Raffine Wine Collection by Rall Wines
ピケニルスクルーフの単一畑のグルナッシュ100%。全房率50%、無濾過無清澄とのことです。このメンバーの中からグルナッシュ100%で思い出すのはサディのソルダート、ピノ・ノワールと間違うほどの繊細でエレガントな造りですが、こちらはもう少し果実の充実感に寄っておりグルナッシュのイメージにより近い印象でした。一方、けして派手ではない綺麗な造りで、静かな波打ち際の漣のように寄せては返す旨味がじわじわと長く続く静謐な美味しさ。Rall AVA Grenache noirと勝手に名づけたくなりました。
・Rall Red 2016
こちらはおなじみのバランスのとれたローヌ系品種のブレンド赤(シラー70%、サンソー15%、グルナッシュ8%、カリニャン7%)で、よりしっかりと力強さを感じされる明朗な美味しさが印象的でした。
◎ソーン・ドーターズ(ボット・リヴァー)
Thorne&Daughters (Bot River)
・Raffine Wine Collection by Thorne&Daughters
スワートランドにあるパールドバーグ(現地の言葉で馬の山という意味らしい)の畑のシュナン・ブラン、セミヨン、セミヨン・グリのブレンド。公式情報だとセミヨン66%、シュナン・ブラン34%とあります。セミヨンとセミヨン・グリの比率も聞いておけば良かったと反省。パールドバーグは風化した花崗岩質の土壌で、良い古木のブドウ畑が沢山あるとのことです。馬と聞くと今回も出ていたRocking Horseが思い起こされますがこちらは使い古しの樽で娘さんのために作った木馬が由来でありたまたまとのこと。一条の光がすっと通るがごとくまっすぐと背筋が通った味わい、もちろん単調ではなく果実味や複雑さも備えていてそれらを酸がぐっと引き締めている感じでした。フォーカスが絞られ、はっきりとした輪郭が掴める!
・Rocking Horse Cape White 2017
ワイナリーの看板的な銘柄でステレンボッシュのルーサンヌ&クレレット・ブランシュ&シャルドネ、パールドバーグのシュナン・ブラン、フランシュックのセミヨンと南アフリカ各地からのブドウをブレンド。もとの造りに加えて2017年というヴィンテージもあり酸がしっかりした綺麗な味わい。
お料理は鮨3軒、天ぷら1軒、焼鳥1軒、焼肉1軒、肉レストランのカレーをケータリングとこちらも豪華。スペシャルワインを一通り味見した後にあまり考えずにケータリングスペースに入ってしまい初手で〆カレーを選ぶことをしでかしつつ大変堪能しました。
・バーデンホーストでgrilled beefに合わせるならばシラーとサンソーのどちらが良いかお聞きしたところ割と悩んだ後でサンソーとのお返事。
・サディ・ファミリーでColumellaにgrilled beefはどうか?とお聞きすると肉はいらない。ワインだけでOK!!と言われました。確かに…!
・白身主体の鮨を片手にRocking Horseもらいに行ったところvery nice for SUSHI!!と言われました。
・カレーがスパイス感あるのにワインを全く邪魔しない…。じっくり煮込まれた肉カレーの旨味とRallのRWCスペシャルのしみじみとした旨味を堪能しました。
・マグロとCrystallumのRWCスペシャルの組み合わせが完璧。
・天ぷらとAlheitのRWCスペシャルの組み合わせが完璧。
生産者の方々との交流、ワイン・料理の美味しさ、大変貴重な経験ができた素晴らしいイベントでした。
生産者の皆様、料理人の皆様、運営のラフィネの皆様への最大限の感謝を!!
そして一週間たった今もそれぞれの味わいを思い出しつつセットの追加購入をどうするか悩む日々です…。。。
まず、https://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/seikatsu-eisei15/ を確認。
実際に使用するならだけど。
で葺石な、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%BA%E7%9F%B3
復元された葺石で覆われた五色塚古墳(神戸市)これと同じ方法ではいかんのか?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E8%89%B2%E5%A1%9A%E5%8F%A4%E5%A2%B3#%E8%91%BA%E7%9F%B3
石材は、上段・中段(推計714,800個・2,278トン)では主に斑糲岩(一部に花崗岩等)で、地質学的には明石海峡対岸の淡路島北東岸産と推定される[3]。下段では主にチャート・珪石で、古墳付近の海岸・河川産と推定される[3]。『日本書紀』神功皇后紀の記事(後述)では、淡路島の石を運んで赤石(= 明石)に陵を築いたとする伝承が記されており、上の事実はその伝承を裏付けるものとして注目される[3]。
近年の復元整備に際しては、前方部の葺石は出土した石を利用し、後円部の葺石は新たに入れた石を利用することで再現されている。
アマゾンで「玉石」買ったらいいんじゃね?
結論を先に述べると、人にとって分け隔てなく愛するということは不可能で、愛することはすなわち差別することにつながる。
それでもなお、それを理想として追いつづけていくしかない。それが神を捨てた人の宿命。
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愛には、対象を特定せずに広く与える愛と、対象を選り好みして特定のものにだけ注ぐ愛とがあるという。
前者の愛は、一神教における全知全能の神が人々に与えるものであるし、日本においては万物に宿る神が織りなす世界からの加護、あるいはお天道様が見て下さるという感覚が近いものだろう。
前者の愛をもたらす対象が人ならざるものであることからも分かるように、物事の如何に区別なく愛情を注ぐというのは、人にとって不可能にも近い不得手なことがらである。
人が織りなす愛というのは、何かと何かを区別する、あるいは誰かと誰かを差別することで特定のものに注ぐものである。それは肉欲によるようなものばかりではなく、優れたもの・素晴らしいものを愛でるときにも当てはまる。なぜなら、そのとき人は、劣ったもの・醜いものを選り好みして差別しているからだ。勿論、その選り好みは外見だけの評価とは限らず、内面や行動などで判断される場合もある。
美術が美術として評価されるのは、他のものと比べて美しさが秀でているからであって、誰か素人が作った作品よりも他人からの愛を受けているからだ。平等に愛を注ぐのなら、そうした素人作品と美術品すら区別なく差別なく、愛を注いでしかるべきだ。残念ながら、選り好みをしてしまうということ自体が、平等に愛を注ぐということに反しており、結果としてそのように世界を愛するというのは一般の人には到底不可能なことなのである。
それが不可能で、それでいてなおかつ愛を受ける身としては理想的であったからこそ、全知全能の神という概念を人々は作り出したとも言える。なにしろ、どんな存在であっても愛を受ける資格はあるのだから。たとえどんな悪事を働いていたとしても、無為な存在であったとしても、そんなことは関係ないというのだから。人々が与える愛は、相対的な肯定はあっても、絶対的な肯定はありえない。それは秀でたものがより愛され、劣ったものがより愛されないという状態であり、その基準は各々異なっていても、対象によって愛を与える程度が異なるというのは変わらない。その優劣は非常に恣意的で、単に身近にいるかそうでないかという差異であったりもする。親が子を無条件で愛すると言っても、子として存在しているからこそ他人より差別して愛するのであって、どんな人であっても同様に愛するというのとは全く異なっている。そうした相対的な愛ではなく、絶対的な愛を誰も分け隔てなく与えてくれる存在、それこそが理想でなくてなんなのだろうか。
かような神という概念を創出したことで、人々は平等に愛を得ることが可能になった。その愛が空想上のものであったとしても、構わない。重要なのは、当人が愛を受けていることを感じているかどうかであって、実体として誰かが愛を与えているかどうかではないのだから。
このように考えてみると、万物に対する差別なく区別ない愛というのは、人々の空想上のものに過ぎないと分かる。ただ、それは空想の産物であったとしても、非常に賢い発明であったことは確かだ。それに、実体がなかったとしても何の問題があるだろうか。愛を与える存在がいるかいないかに関わらず、愛を受けているという感覚があるということこそが重要なのだから。
いずれにせよ、これまでの議論から導き出されるのは、人は区別・差別することなしに愛することはできない、ということだろう。言い換えると、区別することで初めて愛することができる、とも言える。それは人種や国籍・身分その他という分け方でなくても、ヒトかヒトでないか、動物かそうでないか、生物かそうでないか、石ころだって特定の、例えば花崗岩や砂岩などと判別することで初めて対象を特定化て愛情を注ぐことができるのではないか。漫然と、自分の子供と野良猫とそのへんの石を全く平等に愛するというのは不可能なのだ。そのへんの石だって、他の石と区別することで初めて愛しうる対象になりうる。区別できなければ、その対象にすらなり得ないのだ。
故に、人を愛するにはその人を他人と区別することが必要となり、集団を愛するにはその集団を他のものと区別する必要があり、地域を愛するには他の地域と区別する必要が、国を愛するには他国と区別する必要が…となっていく。愛国心などと言っても、日本という概念があまり一般的ではなかった江戸時代には、諸藩における郷土愛はあっだだろうけれども日本を愛するという考え方はごく一部の外国を認識している人を除いて存在しなかっただろう。列島を束ねる存在(日本)が当たり前過ぎて、認識するに至らなかったというほうがより正確なのかも知れない。
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左翼のというより、人権思想などの近代思想の出発点は、フランス革命の自由・平等・友愛から始まっている。ここで友愛とは博愛とも同胞愛とも訳され、仲間に対する愛を示しているのだけれども、これも特定の集団に対する愛を唱うことで他の集団を差別している。平等とはあくまでその集団の中だけで適用される概念で、他の集団に対しては平等であることは必要ではないのだ。だからこそ敵であるフランス王家は斬首になったし、信条が異なる集団に対してはリンチが横行した。これは左翼思想を発展させた共産主義に引き継がれ、今なお信条の正統性を主張する形で争われている。
この近代思想は、神が行ってきた(と人々が空想した)分け隔てない愛を与えるという行為を、人が自らの意志で執り行おうとして産み出したものであろう。それは確かに理想ではあるけれども、実態として分け隔てなく愛するということが不可能であるが故に、ときに空想となり、あるいは夢想となって人々を混乱に陥れたようにも思う。
結局、現代人はその理想を、限定して扱うことで現実と妥協しているのではないだろうか。
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人は誰も、差別されることは拒絶するが、他人を区別することなしに過ごすことはできない。
基本的人権として求められるべき最低限の平等を規定しつつ、それ以上の区別は互いに棍棒で殴り合う、もっと文化的に折り合うなどして勝ち取るものではないだろうか。
「おじょうさばぶ」と入力すると最初に「お嬢差バブ」と変換されるのですわ。
本日は苗木遠山資料館と苗木城、中津川市鉱物博物館に行ってまいりましたわ。
1万石の小藩ですけど、大名行列は約140人になったそうです。
一度の出費が200両で、別の展示によれば藩の財政赤字が年に932両ですから、
宿場の距離は別に紙人形と一緒に展示していて工夫が感じられましたわ。
常設部分とあわせて今の金額に換算することが好きな学芸員さんがいらっしゃいますわ。
苗木城には運動をかねて登ってきました。
資料館から天守台まで登りが13分、寄り道しがちな下りが16分でしたわ。
花崗岩が露出した地帯なのでトカゲさんのひなたぼっこに最適なのですの。
大矢倉は無理すればそのように見えないこともありませんわね。
中津川市鉱物博物館は「あおい鉱物・みどりの石」展を開催中です。
あおい鉱物として見事に結晶したラピスラズリ(のラズライト部分)が
目玉でしたわ。表面がシャープで、面から一様の反射光まで出してくれる結晶は初めて見ましたわ。
他にもタンザナイトなど美しい鉱物が多くて目の保養になりました。
それとそれとマダガスカル産の緑柱石が入っているローズクォーツが立派でしたの。
2000年代の大学生時代、私は妹を含めた家族とともに実家にいた。そこでは携帯電話や家の電話に掛かる詐欺の電話や宝くじの当選金絡みのカツアゲや不良による大人の園への勧誘に辟易していた。
それから時は進み、現在ではこういった集団に対しては社会的制裁が課せられるようになり、プライバシーの尊重はより厳格となった。不良が過去帳入りになり、もうこれで文句はない…と私は思っているが、世の中にはとにかくそういった些細な問題を徹底的に撲滅しなくては気が済まない人間がいるようだ。
「オタク性悪説」という言葉がある。思考の偏った人間の増加が社会に対する悪影響を引き起こすのだそうだ。
そのオタクが不良連中よりも害を引き起こすというのだが、こんなのは完全なデタラメである。しばしばオタクはネトウヨよりも危険という説も語られるが、それなら迷惑の順位を付けると以下のようになる。
こんなバカなことがあり得るだろうか?
よく考えてみよう。彼らによる迷惑が仮にあったとしても、その量は職業不良などにくらべるとケタ違いに小さいはずだ。おそらく数千分の一とか数万分の一とかのレベルだろう。それが「間接的に」社会に害悪をもたらしているということは、さらに問題のレベルは軽減されることになる。
ではそれらの立場の人がどういう問題を撒き散らすか、ここで考えてみる。
ネトウヨ = 政治的な直接的影響+政治的な間接的影響+見てくれにより不快感を覚えさせる
不良 = 反社会的な迷惑行為+政治的な直接的影響+政治的な間接的影響+見てくれにより不快感を覚えさせる
どう考えてもオタクが最も悪質などというのは寝言同然におかしな理論なのだ。こんな単純な足し算すらわからないのか?
思うにオタクなどという、政治活動家や不良連中に比べたらものの数ではないほどの迷惑を排撃しようとするのは、もうこれくらいしかいじめの要素がなくなったからだ。
タバコや放射線のように閾値のない害だとしても、ここまでのレベルになると、もはや花崗岩の上に立つのは危険(花崗岩は放射線量がわずかに多い)というほどのレベルの話でしかない。
そんなものを狂ったように排除しようというのは、健康論どころか、大衆ファシズムによる自由社会への害のほうがはるかに大きいといえる。
しばしば欧米はオタク(とくにアニメ・ドラマ・漫画・小説・日本文化)に関しては狂気じみたヒステリックな主張をしてくる。そしてオタクを絶滅させたいと思う人間がこれに根拠も曖昧なまま便乗するのだ。まさに思考停止状態というほかはない。
室内はやや肌寒く、昔の授業環境を実感できました。
屋外に藤岡地区で最後の一機となった水車が展示されているのですが、
こちらは陶器づくりに使う原料を砕く「トロンミル(一部の表記はトロミル)」を
動かす為のものでした。
採掘される花崗岩が風化した土のことを「サバ土」と呼んだとのことで、
とたんに親近感がわきましたわ。あとで確認したところ地質学でいう真砂土と同じもののようです。
平成26年に起きた広島の土砂災害でも「サバ土」の保持力の低さが話題になりましたけど、
火山が温泉と噴火をもたらすように、土地が利益と不利益を同時にもたらす例のひとつですわね。
校内の「棒の手(この地方、土着の武芸ですわ)」の展示を追うと、
藤岡町では1972年に猿投神社への演武の奉納が途絶えるほどの大災害が起きています。
おそらくサバ土のえられる土地質がこの災害に関係していたのでしょう。
ですけど、サバ土には罪はなく、ただそこにあるだけ。
特質をよく知り賢く利用してほしいですわ。