はてなキーワード: 銃剣とは
・中国人が海外で凶悪な事件に遭遇する確率は非常に高く、日本では毎年のように人が殺されているが、「ヘイト教育」を行っているとして立ち上がって非難する日本人を見たことがない
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・私たちは日本に対して強すぎるのではなく、弱すぎるのです。「ヘイト教育」をすべきでないが、日本への警戒は十分とは言えない。
共感738
・平時における日本の政治指導者のパフォーマンスは依然として極めて完璧であり感心する。
共感1181
・橋本琴恵は、日本で最も抽象的な女性の一人。深センでの日本人学生殺害事件投稿は人気があり、1万件以上の「いいね」が付いている。日本人は彼女を強く信仰しており、原爆を製造して中国に向けるなど、中国に対する厳しい措置を要求している。
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・中国のメディアは、なぜ中国人が日本で殺害されたニュースを隠すのか?
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・なぜ中国の政治家は、中国人の子供の命より日本人の子供の命を大事にするのか分かりません。
・日本人は私たちの子供たち、私たちの赤ちゃん、さらには銃剣で妊婦の腹から取り出した胎児にすら、申し訳ないと言ったのだろうか?
・中国で日本人の子どもが不幸に遭遇したときの報道量は、日本で中国人の子どもが殺害されたときよりもはるかに大きいのが不思議です。私自身も反省する必要があります。
共感10000
・もし中国が本当にヘイト教育に取り組んでいるなら、今でも様々な日本人学校や日本食街が存在するだろうか?
・中国を中傷する日本の伝統的メディアの底知れぬ誇大宣伝はソーシャルメディアのそれに限りなく近く、日本人の反中、反中、さらには反中を誇張しようと全力を尽くしている。それが日中国民の感情悪化の引き金となっている。
共感595
・私たちは日本人に先祖の罪を背負うことを求めていない。しかし、日本人の子供が殺されて、なぜ広東省にすらいない人が犯罪者とみなされるのでしょうか? なぜ日本人は中国人に罪を償ってくれと頼むのでしょうか?
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・過剰な反省は日本の右翼によって都合良く利用される可能性がある
共感649
・暗殺されたのが日本人の子供かどうかに関わらず、加害者は少しも免罪されない。
・日本人男児が殺害されたことに多くの日本人が怒りを露わにしている。同胞が殺害されても無関心の中国人が情けない。
共感52
・9月18日、在日米軍が運転する車が22歳の日本人男性をはね、死亡させた。1.岸田文雄は非難しなかった。2.在日米軍は謝罪しなかった。3.日本は平和だった。 4. 被害者の家族は抗議しなかった 5. 在米日本大使館 ソーシャルアップデートはなかった
・普通の刑事事件、犯人が関与した個別の事件、それなのに日本政府はそれを「外交事件」として騒ぎ立てたがるということは、中国はまだ清朝末期の民国だということだろうか。日本がそんな誇大宣伝をするなら、日本で中国人が被害を受けるたびに、中国も日本の仕様に従い、日本に行って「明確な説明」をすることになるだろう!
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最近思ったことがある。多くの生き物って、人間にとって見た目がいいように進化している気がする。
哺乳類とかだったら、人間にとって気持ち悪いやつはあまりいないだろう。爬虫類とか両生類とか、特に昆虫類だったら気持ち悪いやつがけっこういる。
今回思うところがあったから、4つほどエピソードを語らせてほしい。
去年の秋頃だったか、近所の裏山に登って、入会地の傍にある栗林で農作業をしていたのだが、そこにひょこっとアナグマが現れたのだ。アナグマというのは……約10年前にやってた「のんのんびより」のEDだったかな。「あれってハクビシンとか、タヌキとか、アライグマとか、イタチですよ」とか、そういう歌詞があったのだが、だいたいそんな生き物だ。
アナグマはイタチ科の動物で、体長1m未満のずんぐりしたイタチみたいなやつだ。顔はハクビシンに似ている。※ようつべで検索するとすぐに出てくる。
で、そのアナグマだが、栗林で農作業をしていた私の方に寄ってきたのだ。まだ若そうな個体だった。当方だが、農業林業はこれでも10年以上やっている。これまで、数多くのイタチ・キツネ・アライグマその他の小動物が箱わなに引っかかり、漁師や地元住民に殺処分されるところを見てきた。
正直、あまりいい印象はなかったが、半径数メートル以内まで寄ってきたところで、「けっこうかわいいな」という印象が支配するようになっていた。このあたりにはアナグマが少ないのもある。あと、私が育ててるのは栗だから、こいつらには盗まれんだろうという感覚もあった。
そういえば、小学校高学年だった姪っ子が、同じようなシチュエーション(農地の中)で、狸っぽい生き物にポテトチップスやコンビニのホットスナック(ファミチキ)をあげていたのを思いだした。あれは遠目からだったが、やはりずんぐりした見た目だった。
結局、栗林に来たアナグマは、その辺りをちょっと掘り返しただけで山の中に帰っていった。もう二度と出会うことはないだろう。例えばもし、私が育てているのがイチゴだったとしたら、確実にその場でクワなんかを握りしめて、ヤツを叩き殺そうとしていただろう。
実際、うちの畑でサルを見かけた時は、全力で追い払うようにしているし、タヌキやアライグマだったら石を放り投げてぶつけた後、スコップで殴り殺したこともある。蛇とかだったら、毎年20匹以上は駆除してる。長靴で踏んづけて、もう片方の足裏で頭を叩き潰すのだ。ジャンボタニシだったら、毎年夏になると百匹以上は生き埋めにしてる。イノシシは……あれはプロの量子さんの領域である。農家は手を出さない。
私はこれでも専業農家である。大切に育てた農作物を捕る生き物は憎くてしょうがない(人間まで含めて)。蛇足になるが、農業従事者は漁師率がけっこう高い。昔の農家は、田植えや稲刈りの時期を除いては、鶏を育てたり、山に入って鳥獣を捕っていた。今でも、狩猟免許がある人もない人も、山でイノシシとか鹿とかを捕って食料にしている例はある。
私の祖父もそんなだった。私がまだ小学生の頃に、鶏小屋がキツネかタヌキかアライグマかはわからないが、そういうのに襲われてしまった。非金属のネット小屋だったから、鶏が何匹かやられてしまっていた。祖父は悔しそうな顔をしていた。
或る夜に、実家で夕食を食べていると、鶏が騒いでいる声が聞こえた。祖父と親父はすぐに実家を飛び出して、鶏小屋に行くと、キツネのようなものが鶏小屋のネットを破ろうとしていた。なぜか、祖父よりも自分と父の方が早く鶏小屋に着いていたっけ。
後ろでカチャッ、という音が聞こえた。祖父が目の前に出てきたと思ったら、パアンッ!! という音が聞こえた。※祖父が散弾銃を撃ってた。
キツネのようなものは、その場で転がって痙攣しながら逃げようとしていた。親父が、祖父に鍬を手渡していた。それで、祖父が走り出して、ほうほうの体で逃げるキツネに追いついて……後は、何度何度も鍬が振り下ろされた。ぐちゃ、べちゃという音が聞こえて、狐は何度か鳴き声をあげると……多分絶命したのだろう。※近づいてわかったが、縞々のしっぽだった。アライグマである。
祖父は「このバカタレが、バカタレがぁ、アアッ!!」って叫んでたっけ。愛鶏(?)を殺されたのがショックだったのだろう。とにかく狐に凄まじい恨みを持ってた。あの時の自分は、「すげー。銃かっこいい!! 撃たせて」って祖父にねだってたよ。それくらい衝撃的な体験だった。私にとってのエポックメイキングだった。
「なに、お前も撃ちたい? 大人になったら警察行って免許がとれるど!」
「わしはもっとらん。ひいじいちゃんはもっとった。でも、わしは撃てるけえええんよ」
「俺も撃ちたい」
「○○くんが撃ったらいけん。捕まるよ」
平成初期の話である。当時はおおらかな時代だったのだ……。今だったら普通に逮捕される。絶対にマネしないように。
さしもの私も、祖父の遺品である銃剣類は所持しているが、自らの敷地内であっても使おうとは思わない。なにしろ、狩猟免許もってないからな。ほかの地元民と同じく、鳥獣の駆除行為はひっそりとやりたい。
話があっちの方にいってしまったが、私は基本的に、うちの農地に入ってくる鳥獣類は殺そうとする。苦労して育てた農作物を食われるのは絶対に嫌である。しかし、たまに殺さない例もある。それが上の例でのアナグマだった。
その状況で見逃したのは、なんとなくという理由が強い。農場内でメシを食ったばかりで、ゆっくりしたかったのもある。しかし、珍しくこっちに寄ってくるアナグマが「かわいい」という感情もあったのだと思う。うちの地域では、アナグマが珍しかったのもあるかもしれない。しかし、不思議な体験だった。
今度は市街地での話だ。
まだ若いころ、農業者じゃなくてサラリーマンだった時代に、とある国道沿いの飲み屋街にいた。最初の一軒目を探していたのだ。ふわふわと路地をさまよいながら、国道に出たところで、そいつに出会った。
歩道の上に、もぞもぞと動く物体があった。よく覗いてみると、コガネムシだった。背中の色が特殊で、なんとベージュだった。限りなく白に近い真珠色といってもいい。レア甲虫である。いとおかし!! いとおかし!!
その真珠コガネムシは、あまり元気がなかった。しかも車道に向かってもぞもぞと進んでいた。このままでは自動車に轢かれて死ぬだろう。ぐしゃ、という音がするのだろうな。昆虫類が車に轢かれると、意外と大きい音がする。
私は、そいつの目の前に人差し指を延ばした。するとそいつは、六本の足でガシッと私の指を掴んで、勢いよく私の手を昇り始めた。
土の中から出てきたばかりのカブトムシとまではいかないが、元気な様子で私の手指を昇っていた。そのまま徒歩で飲み屋街に移動して、レストラン沿いの並木を見つけた。おそらく欅だったろうか。樹の表面にコガネムシをくっつけると、また元気そうにどんどん昇って行った。
どうしてあの時、コガネムシを助けてやったのだろう。そういえば、小学生の頃は甲虫が好きだったような気がする。懐かしい気持ちになった。
今でも、夏場で路上に転がってるセミとか見つけると、拾って助けてやる。すぐ近くにあるクヌギかコナラにくっつけてやる。
これは私じゃなくて、息子の話だ。当時は小5だったかな。夏休みだった。
ある日、家の庭の中にある小道(※田舎だから家が大きい)で、息子が「トカゲ見つけた」と報告してきた。「捕まえたの?」と聞くと、「捕まえてない」と言う。
現場に行ってみると、小道の上でトカゲが2匹、それぞれ離れたところに倒れていた。お腹を上に向けて。瀕死だった。おそらくだが、野猫にやられたのだろう。お腹に爪で引っかかれた跡があった。
息子がそいつらを触ったところ、1匹だけはまだ息があった。残り1匹について、「よい旅を」と私がその場に埋めてやっていると、息子が生き残った方に落ち葉や土を被せてやっていた。どうやら、回復を待つつもりらしい。「これ、おうち」と言っていた。
好きにさせるべきだと思った。息子に対して、「日光に当てないように木陰を作る」「できるだけ触らないように」「1日に1回は霧吹きで水をかけてやるように」「餌はやらなくていい」など最低限の指示をした。
私はトカゲが1日以内に死ぬと思っていた。木の棒で突いても、片方の足が全く動いてなかったし、どう見ても虫の息だったからだ。早い話、移動能力を失っている。
その日から、息子は毎日トカゲのところに足を運んでいたっけ。水やりは欠かさなかったし、日光を浴びて体がのけぞっていたりすると、木陰の位置を調整してやったりする。
3日が経って、私が現場を見に行くと、どうやらまだ生きていた。土くれと落ち葉を払いのけると、少しだけ体が動いた。体にはまだヌメリが残っていた。片足だけを動かして、体をのけ反らせて私から逃れようとしていた。「シャー」みたいな感じで、口を開けてこちらを威嚇している。少し気の毒になって、植物用の霧吹きをしてやったのと、一応、ミルワームを顔の近くに寄せてやったが、無反応だった。やはり餌は不用のようだ。
次の日だったか、息子が飛んできて、「トカゲが動かない」という。現場に行ってみると、そこには……「おうち」から出てきたところで静止しているトカゲの姿があった。口には小さいミミズのようなものが入っていた。目は閉じていた。
「餌をあげてしまったの?」
「うん。お腹すいてると思って」
「そうか。たぶん、びっくりして死んでしまったんだね」
「うん」
「……どう思った?」
「わかんない」
「うん」
そんなやり取りをしたかな。
そのトカゲは、結局何時間たっても動かなかった。生命活動を停止したのだ……。推測だが、ミミズが喉に詰まって息ができなくなったのかもしれない。放っておいても、数日中には死んだだろうが。
息子にとっては、トカゲがかわいかったのだろうと思う。私は、あまりそうは思わないが。大人になると、高速で動くトカゲはちょっと苦手だ。だがまあ、カナヘビはまだかわいいと思える。トカゲと似ているが、比較するとあまり動かないのもある。
先日、県道を車で運転していたところ、路側帯を走っていた自転車が急に停まった。その彼女はアスファルトにゆっくりと降りて、自転車を端に寄せると、足先でなにかを小突いていた。
ちょうど信号待ちになったので、その様子を眺めていると、どうやらそれはひっくり返ったセミのようだった。彼女が小突く度に、「ジジッ」という音でセミは鳴いていた。死んではいないようだ。
その子は、セミに向かって指先を伸ばした。セミは指を樹木だと思ったのか、ホールドした。その子の指に乗ったセミは、一緒に自転車でまっすぐの方向に進んでいった。
次の信号で、彼女に追いついた。自転車を降りて、民家の入り口に生えている樹にセミをくっつけようとしていた。指で押してやると、セミは樹にくっついて、もぞもぞと枝を張っていた。彼女はセミをちょっと撫でたかと思うと、また自転車に乗って県道を走り抜けていった……。
一応、セミもかわいい部類には入るのだろうか。丸っこい見た目だから好きな人もいるかもしれない。当方はどちらともいえないが、今度セミがひっくり返っていたら、死んでいるか小突いて確認してみようか……と思った。新しい世界が開けるかもしれない。
話は長くなったが、結びにしよう。
大昔から、それこそ多くの生き物がいたのだろうが、人間にとってかわいくない種の生き物がどんどん淘汰されていった。それで、今みたいに哺乳類や鳥類は可愛いのばかりが残った。
それは、全然定かではない。でも、かわいい生き物はというと、殺される場面でも殺されないことがあったのではないか。大昔から。よって、醜い種に比べて生き残れる可能性が高かったのではないか。と、先日『利己的な遺伝子』を読み終えたばかりの私は感じた。
あなたはどうだろうか。生き物は、やっぱりカワイイ方が生き残れると思うだろうか。しかるに人間の場合は、かわいげがあって、みんなに好かれる個体ほど早死にする傾向があるように思えるのだが。
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そういう当たり前の事をきちんとやりません。
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スパイ防止法とほざく。
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不都合な人士、つまり日本人を守り、外人の謀略の魔の手から守ろうとする
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などと思っていらっしゃるようですが、
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https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201904020000/
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ttps://www.amazon.co.jp/山本五十六は生きていた―誰がなぜ歴史の真相を歪曲したか-ヤコブ-モルガン/dp/4887190239
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やけどや傷の手当てをしてくれました。
これが日本兵だったら見捨てられていたでしょう。
日本兵は住民に銃剣を突きつけて『ここは日本軍が使う』と言って、
大切な食料を日本兵に奪われることも珍しくありません。
http://www.asyura2.com/15/warb15/msg/799.html
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推進してるのが自民党=統一教会を中心とする外人優遇勢力だから、です。
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と記されているそうです。
https://twitter.com/teds8888/status/1560617726829215745
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https://twitter.com/soulflowerunion/status/1553317255756529664
笹川良一の運転手をしていたのが維新の松井一郎の父親の松井良夫。
笹川の部下で同じくA級戦犯だった児玉誉士夫の運転手だったのが
ハマコーの運転手をしていたのが「芸能界のドン」バーニング周防。
石元太一を「ヤンキーアイドルオーディション」の審査員にしていたのがエイベックス。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1235072792?fr=pc_tw
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元NGT48山口真帆さん襲撃犯はバーニング役員の子と噂されています。
襲撃犯は釈放されました。山口さんをいまだに誹謗中傷する工作員がいても放置されている。
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むしろ犯人に不都合な人士を虐殺するために「スパイ防止法」という名の
違憲な軍事独裁ファシズム悪法(戦中の治安維持法のような)を作ろうとしているのは
「お花畑」でなければわかりきった事のはずです。
軍服というものは、伊達で着ているわけではなく、現在においては国際法上の意味がある。則ち、交戦者資格の獲得である。
現在の国際法上では、戦争は(基本的に)交戦者と交戦者・軍事施設間で行われるもので、それを外れた場合、戦争犯罪となる。これを容易とするために、戦闘を行う者は、保護されるべき文民と明確に区別されなければならないのだ。
この国際法は古くはヘーグ陸戦条規に端を発し、現在はジュネーブ諸条約追加議定書(77年)によって条件づけられている。
時期によっても異なるが概ね
にという条件が課せられる。諸条件を欠きながらも戦闘行為に参加した場合、交戦者として得られるべき保護、端的に言うと捕虜として正当な扱いを受ける権利を失う。ただし、その場でコロコロしていい訳でもない(現在では)。
さて、
2については、以前は「遠方より視認できる固有標章の着用」が義務付けられていた。
即ち、軍隊らしい立派なおべべを支給できぬ場合、交戦者たらんとする者共は「固有標章」だけで何とかしろというケースがあったのである。WW2における著名なケースを見てみよう
欧州を失陥しつつあった大英帝国はドイツ軍上陸の予感に、1940年5月国内の未動員人材を活用して戦力化することを決定した。これがLocal Defence Volunteers-LDV・地域防衛義勇隊、後に改称しホームガードである。ただし、装備品をほとんどダンケルクに置いてきた英軍に、そんな有象無象共に渡す制服などなかった。一時期かの有名なホームガード・パイク(水道管に中古の銃剣を取り付けたヤリ)すら取りざたされていたのである。そんな時こそ、「固有標章」の出番である。具体的には、腕章だ。
https://www.iwm.org.uk/collections/item/object/30077601
ただし、勝ち組なうえ、ケツモチとして米帝がついていたので、数カ月後には制服・真っ当な装備が支給されだした。しかしその前に100万のLDV腕章が製造されていたのである。
欧州を失陥しつつあったドイツ第三帝国は、1944年9月いよいよ枯渇した戦力の穴埋めに男子の総動員を行った。これによって編成されたのが国民突撃隊である。これにより、質はともあれ600万人の兵力が補充される予定であった。
負け戦中に600万人にパリッとした制服なぞ提供できるはずもなく、服装は「野戦向きなら何でもいい」自前。そんな時に国家がすがるのが、そう、腕章である。
黒地に国家鷲章と「Deutscher Volkssturm Wehrmacht」(ドイツ人民突撃軍)のステンシルが施されていた。
https://en.wikipedia.org/wiki/Volkssturm#/media/File:Volkssturm_armband.svg
占領地どころか、沖縄まで失陥し、大日本帝国は本土決戦を覚悟していた。そのための補充兵力として45年6月、国民義勇戦闘隊を編成するための法整備が行われた。これは男女問わず(対象年齢に差あり)必要に応じて召集することができ、2800万人を動員する計画であった。義勇と名前がついているが、召集と書いた通り義務兵役の類である。
本土残地の正規軍にすらろくろく兵器物資がいきわたっていないところに2800万人の動員である。当然制服など配る余裕などない。なにせ武器だって自前で用意する想定である。そのための竹槍。
そんな時こそ腕sy・・・あれ?腕章ってば輪っかにする分布地余計に要るよね?ピコーンひらめいた!
というわけで、一般隊員は6×7センチの白布に「戦」と書いたものを右胸に縫い付けることと相成ったのである。なお、指揮官級は幅10センチの白い腕章をつけることになっていた。
なお、この部隊は樺太の戦いで実戦投入された以外は、交通職域で200万人が動員された程度にとどまった。
https://www.digital.archives.go.jp/das/image/F0000000000000043434
コマンチ族の酋長。ペタ・ノコナとシンシア・パーカーの息子。1874年居留地への強制移住に反発して、カイオワ、アラパホ、シャイアンと共に白人と戦った(レッド・リバー戦争)。しかし、食料源であるバッファローが狩り尽くされたため翌年降伏。居留地入りした後も部族を率い、白人文化を受け入れる一方でインディアンの文化も守り続けた。
・ブラック・ケトル
シャイアン族の酋長。白人との共存を臨む平和主義者で交渉による戦争回避に生涯を捧げたが、裏切られ続けた。最期はワシタ川の虐殺でカスター指揮下の第7騎兵連隊に無抵抗の女性、子供共に虐殺された。ブラックケトルは死の瞬間まで白旗を掲げ、「友達だ!」と叫んだが無視され蜂の巣にされた。
・シッティング・ブル1831~90
ラコタ・スー族ハンクパパの戦士。若い頃からレッドクラウド戦争,ブラックヒルズ戦争(1876~77インディアンの聖地ブラックヒルズを守るための大激戦)などの白人との戦いに従事した。1876年リトルビッグホーンの戦いではシャイアン族、アラパホ族と共にジョージ・カスター指揮下の第七騎兵連隊250名を全滅させた。スー族はその後降伏するも彼は頑なに居留地入りを拒みカナダに亡命した。71年に帰国し、捕虜となった。暴動を扇動したという無実の罪で逮捕されそうになり抵抗したため射殺された。
ラコタ・スー族オグララの戦士。レッドクラウド戦争、ブラックヒルズ戦争などに従事し、その勇猛さをシッティング・ブルと並び称えられた。1876年ローズバッドの戦い、リトルビッグホーンの戦いで米軍を破った。しかし、物量や装備で勝る米軍に敵わず降伏し、捕虜となった後に銃剣で刺殺された。
ラコタ・スー族ハンクパパの戦士。レッドクラウド戦争、ブラックヒルズ戦争に従事し、リトル・ビッグホーンの戦いではカスターの心臓を切り取った。1880年降伏した。
ラコタ・スー族の戦士。クレイジーホースの親戚で2m近い大男であった。リトルビッグホーンの戦いに参加した。
・ゴール1840年頃~1894
ラコタ・スー族の戦士。リトルビッグホーンの戦いでは騎兵連隊を分断し、勝利に貢献した。シッティングブルの盟友だったが、後に仲違いし1881年に降伏した。
・レッド・エンド1797~1881
ダコタ・スー族の酋長。兄を白人に殺されたことへの報復にスピリット湖畔の入植地を襲撃した。リトルビッグホーンの戦いにも参加し、シッティング・ブルと共にカナダに亡命し、現地で亡くなった。
・ジョゼフ酋長1840~1904
ネズ・パース族の酋長。平和主義者であり、キリスト教に改宗するなど白人に対して友好的であったが、1877年居留地への強制移住に反発し、カナダへの亡命を図り、部族を率いて1600km近い大移動を行った。巧みな戦術で白人の追撃をかわし続け、赤いナポレオンと称えられたが、最後は捕らえられ、逃避行は失敗に終わった。
・リトル・ウルフ1820~1904
シャイアン族の酋長。レッドクラウド戦争、ブラックヒルズ戦争に参加。その後米軍に降伏したが、部族を率いて居留地から故郷への脱走を図り、2000km以上の大移動を行った。途中で降伏するもシャイアン族は故郷への期間を認められた。
シャイアン族の酋長。レッドクラウド戦争、ブラックヒルズ戦争に参加。米軍に降伏後、リトルウルフと共に大脱出を率いた。
・ヴィクトリオ1825~1880
アパッチ族の酋長。1879年居留地から脱走し、アメリカ・メキシコに対して挑戦した(ヴィクトリオ戦争)しかし、翌年メキシコ軍に包囲され戦死した。
・ナナ1810年代~1896
アパッチ族の戦士。ヴィクトリオの姉と結婚し、ヴィクトリオ戦争でも共に戦った。1886年に降伏した
アパッチ族の女性戦士。ヴィクトリオの妹。ヴィクトリオ戦争に従軍し、兄が殺されると、ジェロニモと合流して米軍と戦った。1886年に降伏し、翌年病死した。
・ジェロニモ1829~1909
アパッチ族の戦士。1851年メキシコ当局に家族を皆殺しにされてしまう。それ以後獰猛な戦士としてメキシコ軍とアメリカ軍を苦しめた。1874年の連邦政府の強制移住に抵抗し、何度か捕らえても脱獄を繰り返した。1886年に捕らえられて以降故郷から連れ去られ、見世物とされるなど屈辱を受け、虜囚のまま死去した。
クリー族の戦士。飢餓に苦しめられ、1885年メティ(カナダ先住民と白人の混血)のルイ・リエルの北西反乱に加わった。
・ブコナイゲシク1830年代~1916
オジブワ族の戦士。1898年頻繁なインディアン逮捕や森林破壊に抗議し、逮捕されるが脱走。シュガーポイントの戦いで追討軍を破った
・デニス・バンクス1937~2017
オジブワ族の人権活動家。1968年アメリカインディアン運動AIMを設立。デモや選挙活動によりインディアンへの人権侵害に激しく抗議し続けた。その中でも有名なのがアルカトラズ占拠事件(1969~71)とウーンデッドニー事件(1973)である。前者は1年半にも及ぶ長期戦でインディアンの人権問題を国際的に周知させるきっかけとなった。後者は州兵、FBI、戦車、ヘリコプターを動員させる大事件となった
・ラッセル・ミーンズ1939~2012
ラコタ・スー族オグララの人権活動家。アルカトラズ占拠事件後にAIMに参加、ラシュモア山占拠事件、BIAビル本部占拠事件、ウーンデッドニー事件に加わった。ラシュモア山ではワシントンの像に放尿した。何度も逮捕や殺人未遂などの危機に陥るが恐れることなくインディアンのための活動に生涯を捧げた
Colabo騒動、いくつもブーメランが返ってきてて面白いなと思った。
これはもう説明不要でしょう。モリカケサクラに憤り公文書の黒塗りを批判してきた良心的リベラル派の多くをドン引きさせた名言だと思う。
献血事業や地域おこし事業を遠慮なく燃やしまくった人たちがこれ言うの大爆笑したわ。輸血患者や地域経済への配慮をしてこなかった人たちの保護する女の子への配慮をしないといけない理由 is 何?
フェミニストの啓蒙活動のおかげで、上司と部下の間には権力の格差があるから、上司から部下や下請けに告白したり性行為に誘ったりすべきではない、という世の中になってきている。なに? 生徒と教師の恋愛? けしからん、認められん!
ttps://togetter.com/li/2022223
ttps://note.com/wakari_te/n/n58fae4805041
上司と部下の恋愛が許されない世の中で衣食住握ってる支援団体が被支援者を抗議行動に動員するのが許されるとでも思ってるんだろうか。
もちろん沖縄の米軍基地は米軍が銃剣とブルドーザーで不当に奪った土地なわけだけど、それと被保護者を抗議行動に連れてくことの正当性はまるっきり別の話なんだよなぁ……
男が女に向けて偉そうに物申すことがマンスプレイニング、延々と質問を続けて相手を疲弊させるのがシーライオニングだっけ? なるほど、それはけしからんですね!
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1994466
論敵に対して上から目線で接するのもネチネチと質問攻めにして疲れさせるのも議論の方法としては全然OKだと思うんだけど、男が女にやるのはNGって自分たちで言ってたからね、仕方ないね。
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/adjacencypair/status/1609691882371829760
余人をもって代えがたい論法! これ森喜朗の女性蔑視発言でやったところだ!
自民党の世耕弘成参院幹事長は5日の記者会見で、東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が女性蔑視とも取れる発言をしたことに関し、森氏について「余人をもって代えがたい。IOC(国際オリンピック委員会)との人脈、五輪に関する知見などを考えたら、この(開催)直前のタイミングで、森氏以外に誰か五輪開催を推進できる方はいるのだろうか」と述べ、会長職を続投するよう求めた。
ttps://www.sankei.com/article/20210205-RB6EPJWDKNKURDSEDYBJEENL6I/
「あのひとは女の尻を触るやつだけど、社会運動する上で重要人物なんだ」みたいなのはNGなご時世ですから、当然、「あのひとは公金を不正会計でちょろまかしてるけど、家出少女を救う活動をしてる重要人物なんだ」もNGになるよね。
……って、熱海の居酒屋や尾辻かな子への脅迫のときには言ってませんでしたっけ?
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/an_eternity86/status/1576579622979874816
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/otsujikanako/status/1598323458915860480
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1980983
社会に対する素晴らしい責任感をお持ちの皆様には、ぜひ以下のような殺害予告にも責任を取るべきだと主張してほしい。
あのー、どなたか知りませんがColabo応援団の方、私の公開アドレス勝手に使って赤松健事務所や日本会議の問い合わせフォームに殺害予告送るのやめてもらっていいですか?
そういうことしてもますますColaboが世間から嫌われるだけですよ。— 宇佐美典也 (@usaminoriya) December 30, 2022
【ご報告】
今朝、うちの問い合わせフォームに殺害予告が来てたわ。
一部消したけど、これは私とあと他の特定個人を含むグループを指すような言葉が入るわよ! pic.twitter.com/KxxPGrgjBM— 音無ほむら(エコーニュース) (@echonewsjp) December 29, 2022
Colabo問題に取り組んでいる者に殺害予告がされました↓。私も殺害予告対象に入っています。テロに屈することなく頑張っていきます。 https://t.co/8S4yacELTM— 浜田 聡💉💉 年金受給者のNHK受信料を無料化!!! YouTubeやブログは毎日発信 (@satoshi_hamada) December 31, 2022
便乗で殺害予告なんてやるようなクズはネット上にいくらでもいるんだからそんな連中の責任なんて普通は取れないわけだけど、自分たちで取れって言っちゃったからね。頑張ってね。
脅迫とかに何も言わないオタクは社会の害悪と思われても仕方ないんだっけ? 脅迫とかに何も言わないフェミニストは社会の害悪と思われちゃうね。大変だね。
私がみたのは、所ジョージが主演だった。
自分がつよく覚えているのは、主人公の起こした戦争犯罪である。
本人は、そんなことをしたくないと思っているが、上官が怖くて人を殺すのである。
自分が同じ立場だったら人を殺すのだろうなと共感したんだと思う。
それから自分は日本軍?が起こした戦争加害について無意識にネット記事やテレビ番組を見てしてしまう。
そして、それが多く語られてこなかったのは社会の目もあるが90歳のおじいちゃんが人を殺したことに苦しんでいる事にあると思う。
自分が子供の頃は、今は平和でいいよ、戦争は大変だったとテレビでよく聞いた気がする。
時打は変わる、でも、戦争賛美ではなく戦争反対で無くてはならないと思う。
人を殺す覚悟がないなら。
コマンチ族の酋長。ペタ・ノコナとシンシア・パーカーの息子。1874年居留地への強制移住に反発して、カイオワ、アラパホ、シャイアンと共に白人と戦った(レッド・リバー戦争)。しかし、食料源であるバッファローが狩り尽くされたため翌年降伏。居留地入りした後も部族を率い、白人文化を受け入れる一方でインディアンの文化も守り続けた。
・ブラック・ケトル
シャイアン族の酋長。白人との共存を臨む平和主義者で交渉による戦争回避に生涯を捧げたが、裏切られ続けた。最期はワシタ川の虐殺でカスター指揮下の第7騎兵連隊に無抵抗の女性、子供共に虐殺された。ブラックケトルは死の瞬間まで白旗を掲げ、「友達だ!」と叫んだが無視され蜂の巣にされた。
・シッティング・ブル1831~90
ラコタ・スー族ハンクパパの戦士。若い頃からレッドクラウド戦争,ブラックヒルズ戦争(1876~77インディアンの聖地ブラックヒルズを守るための大激戦)などの白人との戦いに従事した。1876年リトルビッグホーンの戦いではシャイアン族、アラパホ族と共にジョージ・カスター指揮下の第七騎兵連隊250名を全滅させた。スー族はその後降伏するも彼は頑なに居留地入りを拒みカナダに亡命した。71年に帰国し、捕虜となった。暴動を扇動したという無実の罪で逮捕されそうになり抵抗したため射殺された。
ラコタ・スー族オグララの戦士。レッドクラウド戦争、ブラックヒルズ戦争などに従事し、その勇猛さをシッティング・ブルと並び称えられた。1876年ローズバッドの戦い、リトルビッグホーンの戦いで米軍を破った。しかし、物量や装備で勝る米軍に敵わず降伏し、捕虜となった後に銃剣で刺殺された。
ラコタ・スー族ハンクパパの戦士。レッドクラウド戦争、ブラックヒルズ戦争に従事し、リトル・ビッグホーンの戦いではカスターの心臓を切り取った。1880年降伏した。
ラコタ・スー族の戦士。クレイジーホースの親戚で2m近い大男であった。リトルビッグホーンの戦いに参加した。
・ゴール1840年頃~1894
ラコタ・スー族の戦士。リトルビッグホーンの戦いでは騎兵連隊を分断し、勝利に貢献した。シッティングブルの盟友だったが、後に仲違いし1881年に降伏した。
・レッド・エンド1797~1881
ダコタ・スー族の酋長。兄を白人に殺されたことへの報復にスピリット湖畔の入植地を襲撃した。リトルビッグホーンの戦いにも参加し、シッティング・ブルと共にカナダに亡命し、現地で亡くなった。
・ジョゼフ酋長1840~1904
ネズ・パース族の酋長。平和主義者であり、キリスト教に改宗するなど白人に対して友好的であったが、1877年居留地への強制移住に反発し、カナダへの亡命を図り、部族を率いて1600km近い大移動を行った。巧みな戦術で白人の追撃をかわし続け、赤いナポレオンと称えられたが、最後は捕らえられ、逃避行は失敗に終わった。
・リトル・ウルフ1820~1904
シャイアン族の酋長。レッドクラウド戦争、ブラックヒルズ戦争に参加。その後米軍に降伏したが、部族を率いて居留地から故郷への脱走を図り、2000km以上の大移動を行った。途中で降伏するもシャイアン族は故郷への期間を認められた。
シャイアン族の酋長。レッドクラウド戦争、ブラックヒルズ戦争に参加。米軍に降伏後、リトルウルフと共に大脱出を率いた。
・ヴィクトリオ1825~1880
アパッチ族の酋長。1879年居留地から脱走し、アメリカ・メキシコに対して挑戦した(ヴィクトリオ戦争)しかし、翌年メキシコ軍に包囲され戦死した。
・ナナ1810年代~1896
アパッチ族の戦士。ヴィクトリオの姉と結婚し、ヴィクトリオ戦争でも共に戦った。1886年に降伏した
アパッチ族の女性戦士。ヴィクトリオの妹。ヴィクトリオ戦争に従軍し、兄が殺されると、ジェロニモと合流して米軍と戦った。1886年に降伏し、翌年病死した。
・ジェロニモ1829~1909
アパッチ族の戦士。1851年メキシコ当局に家族を皆殺しにされてしまう。それ以後獰猛な戦士としてメキシコ軍とアメリカ軍を苦しめた。1874年の連邦政府の強制移住に抵抗し、何度か捕らえても脱獄を繰り返した。1886年に捕らえられて以降故郷から連れ去られ、見世物とされるなど屈辱を受け、虜囚のまま死去した。
クリー族の戦士。飢餓に苦しめられ、1885年メティ(カナダ先住民と白人の混血)のルイ・リエルの北西反乱に加わった。
・ブコナイゲシク1830年代~1916
オジブワ族の戦士。1898年頻繁なインディアン逮捕や森林破壊に抗議し、逮捕されるが脱走。シュガーポイントの戦いで追討軍を破った
・デニス・バンクス1937~2017
オジブワ族の人権活動家。1968年アメリカインディアン運動AIMを設立。デモや選挙活動によりインディアンへの人権侵害に激しく抗議し続けた。その中でも有名なのがアルカトラズ占拠事件(1969~71)とウーンデッドニー事件(1973)である。前者は1年半にも及ぶ長期戦でインディアンの人権問題を国際的に周知させるきっかけとなった。後者は州兵、FBI、戦車、ヘリコプターを動員させる大事件となった
・ラッセル・ミーンズ1939~2012
ラコタ・スー族オグララの人権活動家。アルカトラズ占拠事件後にAIMに参加、ラシュモア山占拠事件、BIAビル本部占拠事件、ウーンデッドニー事件に加わった。ラシュモア山ではワシントンの像に放尿した。何度も逮捕や殺人未遂などの危機に陥るが恐れることなくインディアンのための活動に生涯を捧げた
銃剣とナタなら30人殺せるもんな
過去に官公庁で後援名義だしたり、公的機関として地方のプロモーションに携わってた立場でちょっと所感を述べたい。
温泉むすめは現在観光庁からだけ後援名義をもらっていて、民間の後援企業はすでに撤退している。
この観光庁の後援というのは、正直申請書さえ出してしまえば大体通るし、書式が決まっているので細かいキャラクターの設定などは申請時には説明しない。企画自体が社会通念上よくないだとか、思想が偏っているだとか、その催しで参加者から法外な金額を徴収しているだとか、そういうことがなければだいたい後援名義を出してしまう。なので、温泉むすめに観光庁が後援名義を出しているのは、観光庁が温泉むすめを積極的にどうこうしたいだとか、公的に相応しいと思っているとかそういうものでもない。後援する側からすれば、サポートには大した意味は持たないのだ。
この官公庁の後援がいまだに取れないのは、これが官公庁の後援プロジェクトの「Your Japan2020」のコンテンツとして登録されている経過を受けてだろう。現在の価値観をもって「過去の登録は今の時流に合わないので訂正します」というのは官公庁的にはなかなか難しい。あるいは、温泉むすめは2020年に後援を受けたものだが、役所は単年度ごとで整理をつけるので、過去の時点では炎上しなかったので遡って名義を外すほどではないと考えている可能性もある。
ただし、先述したとおり、申請時にはキャラクターの詳細設定などは見ていないので、現在の炎上を経て内容を確認したところ「そもそも後援する要件を満たしていない」ということになれば、遡って後援名義を外したり、プロジェクトの認定を外したりはあり得ると思う。そしてこの場合の判断基準は、「企画が社会通念上よくない」かどうかになると思う。
キャラクター設定を見た所感だが、スカートめくりや夜這いについては個人的には好ましくないが、それだけでは後援は外れないかな、と思っている。ただ、「高等学校に通う少女が飲酒をして、それがポジティブな意味を持っている」というところは社会通念上よくないので、この部分が引っかかるかな、と感じた。彼女たちは神様で年齢の概念が人間とは違うため高校生でも未成年ではないし、そもそも高校はいつ入ってもいいので成人してから高校生になった人が飲酒するのもままあると思う。ただ、イラストの温泉むすめたちは皆制服姿の少女の姿をしていて、「大人びた雰囲気」「子供のように見える」などの形容詞がついていたので、何も知らない人が見ると一般的な16〜18歳の高校生と混同する可能性が高い。もしも過去に遡るなら、そこが争点になるのではないか。
公的なプロモーションはどうしても不特定多数が見るためにプロモーション対象のセグメントを絞りきれない。例えば「このアニメとのコラボは若い男性向けの企画で、この界隈の文脈ではこの絵や設定はおかしくないです」と整理しても、「でも子供を持つ母親が嫌がったら?」「お年寄りが不快に思ったら?」という明後日の方向からの一言があれば、大事をとって引っ込めたりしてしまう(千葉のVtuberの件が最たる例かと思う)。
個人的には、官公庁のプロモーションとアニメ、萌え系は相性がいいと思っている。ゆるキャラを作っても当たらないが、アニメ系なら一定の顧客がつく。プロモーションは見てもらう、知ってもらう、遊びに来てもらうが目的なので、訴求力が強いに越したことはない。ただ、それと同時に、官公庁はその性質上、上記のような明後日の方向からのツッコミにも耐えられないので、コラボする時には気をつけることがかなり多くなる。アニメなどが官公庁とコラボする時に露出が減るだとか、武器(銃剣など)を持たなくなるのはそのいい例だ。
長々と話したが何が言いたいかというと、官公庁で後援名義を出していた側からすると、温泉むすめは公的な存在になるにはちょっと危なっかしいと感じた、ということだ。プロモーションとしては一定の成果も出してそうなので、官公庁の後援はとらず、民間のプロジェクトだったらよかったなあと思う。今後温泉むすめから観光庁の後援名義が外れたり、都市の公認が外れたとしてもしても、それは別に炎上したからではないし、いわんやフェミニストがどうこうということではない。ただ、公的なものとして存在するにはツッコミが入りそうだから大事をとって下げました、というだけ。こうした不幸な事故が起きないよう、こういう企画をする方におかれては、官公庁コラボの場合は多方向からのツッコミが入らないかどうか検討を重ねてほしい。これはお願いベースですが。
自分は今40代半ばだけど、小学生の頃は周りに戦争経験者はたくさんいたはず。
でも戦地の体験を聞いたことがない、いや正確には子供が聞いてはならない事と感じていた。
うちのおじいさんも戦争に行ってた、でも詳しく聞いたことはない。
聞いてみたいという思いはあった、でも聞けなかった。
でも何で聞いてはならないと感じていたのだろう?という疑問を抱いてもいた、が、
それに一つの答えを見たと感じたのが20年ほど前に見た確か朝日新聞の記事だった。
その取材を受けた人は数百人に上り、記事になったのはその中の数十人、
要は敵兵をどう殺したのか、という事も含めた内容の記事。
銃剣で胸を刺したとか、敵兵を目の前で爆破したとか、
みな、どこにでもいる様なおじいさんの姿がある。
でも人を殺したことがある。そんな人が当時、日本にはそこら中に居た。
その新聞記事は掲載当時に問題になってたが覚えがあり、その理由は「ほじくり返すな!」だった記憶がある。
仮に自分が小中学生の頃に、おじいさんは戦地で戦闘を繰り返していた、敵兵をやっつけていた、
という話を聞いていたら多分、「へー、そーなんだ」と、事実をそのまま受け入れるだけだったと思うけど、
うちのおじいさんが人殺し、と捉えてうまく整理できない人が意外と多かったのかもしれない。
16日の未明、参院本会議で、日本共産党の山添拓議員が行った土地利用規制法案に関する反対討論の要旨は次の通りです。
本法案は、土地や建物の利用状況調査を名目に幅広い市民監視を可能とするものであり、その歯止めがありません。調査や情報収集の対象は誰なのか、条文上の制限がないことを政府も認めました。あらゆる人が対象となりえます。
職業や収入、交友関係やSNSでの発信など、個人に関わる情報について、「土地利用と関係なければ調査対象とならない」といいます。しかし、関係があるかどうか、判断するのは調査する側であり、条文上も限定がありません。
総理が必要と認める場合には、公安調査庁や自衛隊情報保全隊、内閣情報調査室などから情報提供を受けることも、条文上排除されていません。
既に、自衛隊のイラク派兵に反対する市民の活動が情報保全隊により監視され、公にしていない個人情報まで収集されていました。権力による市民監視と情報収集は、プライバシー権にあまりに無頓着なまま行われ、デジタル化で一層の深刻化が懸念されます。この下で、本法案は総理の一存により、さらなる情報収集と一元的な管理を可能とするものであり、第三者によるチェックや歯止めの仕組みはありません。
政府は、役所や事業者、地域住民から情報提供を受ける窓口を作るといい、密告まで推奨するつもりです。あらゆる手段が総動員されようとしています。利用規制の対象となる注視区域、売買等の届け出義務が罰則付きで科される特別注視区域、いずれも無限に広がり得ます。自衛隊や米軍の基地のほか、生活関連施設として、原発や軍民共用空港を政令で指定するといいます。しかし、条文上の限定はなんらありません。
生活関連施設は、国民保護法施行令に定めるように、発電所や水道施設、1日10万人以上が利用する駅、放送局や港湾、空港、河川管理施設など幅広く指定され得ます。沖縄では戦後、米軍が銃剣とブルドーザーで強制的な土地収用を繰り返し、住民が追い出され、基地があるがゆえの被害が今日もなお続いています。普天間基地を擁する宜野湾市は、市民の9割、9万人が1キロ圏内に居住します。沖縄は、国境離島としてその全島が注視区域とされかねません。安全保障の名の下に、どこまで権利侵害を重ねるつもりなのですか。
勧告、命令、罰則の対象となる機能阻害行為とはなんなのか、法律に定めはありません。罪となるべき行為は法律に明示されなければならない、罪刑法定主義の原則に反しています。
大臣は、5年後の見直しで、機能阻害行為を理由にした強制接収、収用手続を含めた検討も否定しませんでした。戦後制定された土地収用法は、軍事や国防のための収用を認めていません。戦争の反省に立つものです。軍事的な安全保障のために、再び国民の主権を制限しようとすることは、憲法の平和主義に反するというべきです。
大臣は本法案の立法事実を、外国資本による不動産購入を契機とする不安、リスク、懸念と表現しました。しかし、これまで安全保障上の懸念が生じたケースは確認されていません。漠然とした不安を根拠もなく重視すれば、疑心暗鬼が広がります。
安全保障上の懸念を持ち出せば、なんでも通るといわんばかりに、基本的人権を脅かし、市民監視を強める法案を、時間がないなか提出しておきながら、参考人質疑や野党の指摘も無視して採決を強行するなど断じて許されません。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik21/2021-06-17/2021061705_03_0.html
初日に観ました。
本当に終わったな。全てを回収し畳んでしまった。
終劇して頭に浮かんだ言葉は
おめでとう
エヴァ最終回を思わせる演出はなかったが俺の中では全てのエヴァファンが、この四半世紀を共に過ごしたファンが庵野秀明を囲み
おめでとう
と拍手をし声をかける姿が目に浮かんだ。
明後日もう一度観に行く
以下ネタバレを含む
アスカ、服を着ろ
2号機、君はほんま何度も酷い目に遭って……もう終わったんやで……
冬月、イスカリオステのマリアと言った時銃剣を両手に構え「Amen!!」と叫ぶお前の姿がチラついてしまったぞ
初号機13号機の戦いの超展開は観るものを振り切る勢いで新劇だけ観てる人、テレビ版・旧劇も観てる人、漫画版も読んだ人それぞれで変わってきそうだがまぁそれもエヴァだよね。
庵野くん、おめでとう
「諸君、佐藤烈兵団長は、軍命に背きコヒマ方面の戦線を放棄した。食う物がないから戦争は出来んと言って勝手に退りよった。これが皇軍か。皇軍は食う物がなくても戦いをしなければならないのだ。兵器がない、やれ弾丸がない、食う物がないなどは戦いを放棄する理由にならぬ。弾丸がなかったら銃剣があるじゃないか。銃剣がなくなれば、腕でいくんじゃ。腕もなくなったら足で蹴れ。足もやられたら口で噛みついて行け。日本男子には大和魂があるということを忘れちゃいかん。日本は神州である。神々が守って下さる……」
こうですか?
ワクチン接種があるし、ワクチン接種にこそ医療従事者必要だし、その中で1万人も医療従事者要求するイベントって時点でもう絶対ムリだわ五輪。
自分を滅して公を奉った見返り(利益)が全く割に合ってない、ってところで元の投稿とこの増田は同じことを言ってる。
立場が違うだけで、方向は同じ。
あと 感染収束しないだろうって予測も、もう無理って悲鳴も全く同じだよねw
下々、現場がいくら頑張ってもダメだってこと。機関銃に銃剣突撃しても勝てはしない、欲しがりません勝つまでは なんて唱えても勝てはしない。
戦場で戦う兵士も 銃後で支える人々もどちらも辛い。のに、いがみ合う形になってるのがしんどいね。
時間感覚今よりはるかにルーズだから発達障害やADHDでも異常者扱いされるほどカツカツの時間管理能力が問われないし
ドローンが飛び交い虫のようにバタバタと兵士が駆除されるように殺されていく戦争なんかなかったし、諜報機関のスパイが白昼堂々未知の毒ガスで他国の首都圏ど真ん中で暗殺とか、承認欲求に狂ったエリートをスカウトした狂ったカルト宗教団体が首都圏で化学兵器テロなんか起こらないし
ネットで陰謀論喚き散らしたり私たちは怒っていいとか喚く人らも「触っちゃいけません」か座敷牢inか村八分で世の中平和だったわけだし
警察が軍隊や諜報機関みたいな装備や機能で同じ国民に疑心の目を向けるようなことなくとも、十手や弓矢や火縄銃くらいで解決できる程度には武器も発達してないし