はてなキーワード: 板垣退助とは
ケーブルテレビSTBでは見られない場合があるようなのでBSパススルーとか
地域によってはSTBで見られるようになったかもしれないので最新情報要確認
・02 バッタ
・03 伊藤左千夫 いとうさちお
・04 [ここからゲーム関連問題]ゼルダの伝説 )知恵のかりもの
・05 うまぴょい(伝説
・06 幕張メッセ
・08 クミン
・09 ドビュッシー
・12 梨
・14 高床(倉庫
・15 鹿児島(県
・16 黒田清輝 くろだせいき
・18 秦基博 はたもとひろ
・19 ゼロハリバートン
・22 グラジオラス
・25 [3択]ドラゴンクエスト
・26 島根(県
・28 UNDERTALE アンダーテイル
・29 ケール
・30e 板垣退助 いたがきたいすけ
とはいえ完全に信じてるんではなく
「ありえそうだなあ(9割方ねえだろうな)」で心躍る感じが好きだった
てか、陰謀論探してる時に検索でこの手のツヤがない説がめちゃくちゃ出てきてウザイのでもはや腹立って仕方がない
具体的には
・幼児を拷問して抽出されたアドレナクロムをハリウッドセレブが摂取してる
・豊島
腹立って腹立って仕方がない
せっかくの楽しい陰謀論ウォッチに邪魔だしとにかく萎えるんだよマジで
しかも悪いことに「100%ありえねえ系陰謀論」が「1割ありえそう系陰謀論」より圧倒的に露出が多いのがなあ……最悪だわ
余談だけど、
個人的に最近日常生活で俺の陰謀論者センサーがビンっビンに反応したのは麻布台にある" 東京アメリカンクラブ" なるすっげえ綺麗で立派な施設
ひょんなことから数分間だけここに立ち入る機会があったんだけどここはマジで仰天したぞ
だってロシア大使館の真隣にあるんだもん、こんなもん嫌でも陰謀論センサー反応するだろ
西麻布の星条旗新聞社も「うわー一等地を占領されてる!」とギョッとしたけど、東京アメリカンクラブという存在の異様さは比じゃなかった
この施設の裏について詳しい人いたら教えてくれ
ケーブルテレビSTBでは見られない場合が多いようなのでBSパススルーとか
地域によってはSTBで見られるようになったかもしれないので最新情報要確認
・02 ニュージーランド
・03 中(指
・04 ヨルシカ
・05 富山(県
・06 小満 しょうまん
・07 [すべて][4つ]フィリピン エクアドル メキシコ グアテマラ
・08 長篠(の戦い
・09 6
・10 295万6900人
・11 げんこつ
・13 イースト 川
・14 フィガロ
・15 一万(円紙幣
・16 悲しき玩具
・17 ルイ)14(世
・18 肩
・22 Venti
・26 松山(市
・27 [3択]ひまわり)9(号
・29 モナコ
・30 アンソロジー
・31e ラクダ
板垣退助のことも思い出してあげて下さい
日本の左派ってあんまりリベラル(自由主義)的じゃあないんだよね。どちらかと言うと自称リベラル。以前はリベラルと言わずに革新勢力とか言ってた。保守対革新とかね。
彼らがリベラルと自称しだしたのは割と最近のことで、アメリカの「リベラル」勢の真似なんだと思う。紛らわしいったらありゃしない。
今でもイギリスだと古典的な意味でLiberalという言葉が使われる事が多いし、ホントはやめて欲しいんだよね。ああいう「リベラル」の使い方は。
ちなみに日本で Liberal を党名にうたった政党は、有名なところだと、自由民主党(Liberal Democratic Party)や、吉田茂の自由党(Liberal Party)や、板垣退助の自由党や、小沢一郎の自由党などがある。
今日、同じ気持ちになってる奴が日本中に10万人ぐらいいるかも知れない。
本当に俺はアイツが嫌いで、「いっそ死んでくれ」とか「ああいう奴が殺されたほうが政治家が国民を舐め腐らなくなる」とか「多少は間接的なんだろうがアイツは既に何人も何十人も下手すりゃ何万人単位でアイツがいなけりゃ死なずに住んだ人間を自殺や病死に追い込んでるんだから報いを受けるべきなんだ」と思っていた。
だが実際に死んだのを見て、「まともな裁判もなしにいきなり殺すのは駄目だ」と今更ながらに思った。
独裁政権がやるような形だけのものじゃなく、その国でも特に賢い人達が沢山の工数をかけて1人の人間から最大の権利を奪うことの是非を問うべきだ。
人間という生物が持つ生きる権利の重さを、軽んじてはいけないんだ。
やってきたことの報いを受けて殺されるとしても、それは日本の法廷によってその積み上げてきた罪の重さが死によって報いるのが妥当であるという判決を経て殺されなければいけなかったんだ。
裁判どころか留置の一つもなくいきなりその場で射殺されてはいけないんだ。
もしも奴が銃や刀を振り回して誰かをその手によって直接殺そうとしていたなら、いきなりの銃殺も仕方なかっただろう。
だがそうじゃない。
この国の政治や行政の手によってこれからまた間接的に誰かの未来を奪って絶望や貧困に叩きつけて間接的に多くの国民の命を危険に晒す所だったとしても、それがその手によって直接行われた暴力でないならその場での射殺はあってはいけないんだ。
今日、そのことがよくわかった。
今まで、自分が心底死んでほしいと思った人間が本当に死ぬのを見たことがなかった。
王将の社長はよく分からんオッサンだったし、板垣退助は大昔の偉い人でしかなく、暗殺されることの是非について語る時の自分の立ち位置があまりにも安全圏にありすぎた。
自分が直接殺すつもりこそなくても、誰かが殺してくれないかとどこかで祈っていた相手が死ぬのを始めて見た。
ある種の当事者意識を持って、その暗殺の是非を考えさせられる最初の機会だったのだ。
もしプーチンが暗殺されたとしても、自分は彼によって起こされた様々な迷惑をあまりにも間接的にしか被ってこなかったのでこんな気持ちにはなってないだろう。
本当に初めてだった。
そしてよくわかった。
やっぱり暗殺は駄目だな。
フランス革命のギロチンでさえもその過程において裁判は存在したのに、ただただいきなり殺してしまっているんだからどれだけ歴史を逆流しているんだって話だ。
自分の死んだあとに最後の一言が有名になるのって、本人的にはどんな感じなのだろう。カエサルの「ブルータスお前もか」とか板垣退助の「板垣死すとも自由は死せず」とか、後世に知られるとは全く思ってはいないだろうけど期せずして今日まで名言と伝わってしまった。恥ずかしいのか誇らしいのか。死んでるから答えが返って来ることはないのだけれど。
辞世の句ならまだわかるのだ。有名人だからね。かっこつけるためにわざわざそのために前もって考えていた人もいるだろうし、伝わって満足しているのがほとんどだろう。でも地味な人の遺書、たとえば円谷幸吉の「美味しうございました」や藤村操の「不可解」、あるいは名も無きオジサンの「お馬で人生アウト」とか、後世に伝わるとは、まさか、だろう。伝わってしまったことについてどんな気持ちでいるのだろうね。
地歴の先生をやっているから、歴史ジョークや歴史絡めた面白い(と思う)嘘は絶対に言わないようにしている。みんな普通に信じちゃうからだ。
昔、修学旅行で奈良の東大寺に行った時に「大仏は江戸時代の再建だけど、フラッシュ撮影すると塗装や螺髪っていうパンチパーマ部分がボロボロ取れる可能性があるから写真撮影は園内一律禁止されてるんだって」ってバスでみんなに嘘説明してみんなの思い出の一つを奪った経験があるから、歴史を教える立場になった以上絶対に冗談はダメだなと思う。
コツは、ちょっと本当のことを混ぜることだ。
この他に、板垣退助の弟は進助といい大隈重信のコックをやっていた話とか、今川義元の子息氏真が蹴鞠の名手だったため静岡県がサッカー王国になった話だとか、政所の読みを考えながら北条政子の読みを考える話とか。
わーい便乗します。
自民党支持率が高いと言われている20代だけど、20代男性44%、女性33%と10%も差があるらしいので、
女性としてはそこまで少数派でないのかも。
https://webronza.asahi.com/journalism/articles/2018121100002.html
同じ年代を生きてきたはずなのになんでここまで男女で差が…?と気になったのでタイトルに性別入れてみました。
私はいわゆる無党派層で、選挙当日に30分くらい地域の候補者ググってえいやで投票した。
別にすべての政策の中で夫婦別姓の議論がいちばん大事とは思ってないし、
選択的夫婦別姓にまで反対する自民党ってなんなの?と思っている。
あと同性婚を認めないのも、当事者ではないけれど「根本的にマイノリティに不寛容なんだろうな」と思えてしまった。
とにかく自民党が大事にしようとしている伝統的家族観っていうのが、私とは相容れなそうだと思っていたので、
ふだん真面目に政治のニュースとか見てないから当たり前なんだけど、
野党のそれぞれの印象がとにかく薄くて、かろうじてあるイメージは以下の感じ。
立憲民主:枝野さんの喋り方はわりと好印象だった。演出過剰でなく淡々と語ってくれる政治家のほうが好きだな。
国民民主:希望の党のときに小池さんがリベラルを排除して、残ったほうっていうイメージ
維新:長谷川豊さんとか丸山穂高さんとかちょっとアレな人が集まりやすいのかな、というイメージ
れいわ:ちょっとまだよく分からない。偏見だけどタレントさんよりは政治や行政の経験がある人を応援したい。
当時は学生で今よりもっと世の中に関心がなかったので「そんなに自民党と比べて悪かった…?」という印象。
あの規模の震災対応はどの党がやっても要領良くはできなかったのでは?と思うし、
経済のことも正直、生まれてからずっと不景気だったから今さら…と思っていた。
「生活保護の受給者が過去最大に」とか言うのも、それまでの長ーい自民党政権下で
3年やそこらで生活保護の受給者が急増したりはしなかったのでは。
学生時代(~2013年)までは2ch漬けの青春を送っていたのだけど、
社会人になりスマホでしかネットする時間がなくなってくるとアダルト広告の気持ち悪さが無理になり、
どちらかというと2chは右寄りではてブは左寄りが多いんだよね?
これの影響が一番大きいかも。
年齢的にはもういい大人なんだけど、正直貴重な休日に政治のことを知るよりは、
はてブでデイリーポータルZの記事や猫動画をブクマしているほうが楽しいし、
政治について関心を持つ気力がない。
…のだけれど、そろそろ子供も欲しいと思っているし、未来のことを考えないといけないよなあと。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/2473_9316.html
いちばん最初に試験をしたときの問題が、別にむつかしいはずはなかったのであるが、中学校の三角の問題のような、公式へはめればすぐできる種類のものでなくて、「吟味」といったような少しねつい種類の問題であったので、みんなすっかり面食らって、きれいに失敗してしまって、ほとんどだれも満足にできたものはなかった。その次の時間に先生が教壇に現われて、この悲しむべき事実を報告されたのであったが、その時の先生は実にがっかりしたような困り切ったような悲痛な顔をしておられた。あんなやさしい問題ができないのは実に不思議だと言われるのであった。
板垣退助こそ民主主義である。彼は仙台へ行った。宿につき女中にきくと、
「誰方とでもお会いになります。いえ、誰方にも名刺を下さいます。私もいただきました」
副島 種臣(そえじま たねおみ、文政11年9月9日(1828年10月17日) - 明治38年(1905年)1月31日)は、日本の江戸時代末期(幕末)から明治時代の佐賀藩士、政治家、書家。勲一等、伯爵。初名は竜種(たつたね)。通称は次郎(じろう)。号に蒼海(そうかい)、一々学人(いちいちがくじん)。
目次 [非表示]
1 生涯
2 書家
3 栄典
4 参考文献
4.1 伝記
5 登場作品
6 脚注
7 関連項目
8 外部リンク
生涯[編集]
文政11年(1828年)、佐賀藩士・枝吉南濠(忠左衛門、種彰、30石)の二男に生まれる。父は藩校である弘道館の教授を努める国学者で、兄は同じく国学者の枝吉神陽。母は木原宣審の娘・喜勢。父と兄の影響により、早くから尊皇攘夷思想に目覚める。弘道館で学び、この間に江藤新平や大木喬任と交わる。
嘉永3年(1850年)、兄・神陽が中心に結成した楠公義祭同盟に加わる。嘉永5年(1852年)、京都に遊学、漢学・国学などを学ぶ。この間に矢野玄道らと交わる。さらに、神陽の命を受けて大原重徳に将軍廃止と天皇政権による統一を進言する意見書を提出して青蓮院宮朝彦親王から藩兵上洛を求められるが、藩主・鍋島直正に退けられた上、藩校での国学教諭を命じられた。
安政6年(1859年)、父の南濠が死去し、同年3月には同藩士の副島利忠の養子となる
元治元年(1864年)、長崎に設けた藩営の洋学校・致遠館の英学生監督となって英語等を学ぶ。慶応3年(1867年)、大隈重信と脱藩するが、捕らえられて謹慎処分を受ける。
明治維新後は慶応4年(1868年)、新政府の参与・制度取調局判事となり、福岡孝弟と『政体書』起草に携わる。明治2年(1869年)に参議、同4年(1871年)に外務卿となり、マリア・ルス号事件において活躍する。マリア・ルス号事件では、助けを求めた中国人奴隷を解放したことで、正義人道の人と国際的に支持された。
明治6年(1873年)2月には前々年に台湾で起きた宮古島島民遭難事件(台湾出兵も参照)の処理交渉の特命全権公使兼外務大臣として清の首都北京へ派遣され、日清修好条規批准書の交換・同治帝成婚の賀を述べた国書の奉呈および交渉にあたった。この間、清朝高官との詩文交換でその博学ぶりを評価をされている。同年10月、征韓論争に敗れて下野し、明治7年(1874年)には板垣退助らと共に愛国公党に参加、同年には民撰議院設立建白書を提出したものの、自由民権運動には参加しなかった。西南戦争中は、中国大陸中南部を旅行滞在している。
明治12年(1879年)、宮内省一等待講。明治17年(1884年)、伯爵。明治20年(1887年)に宮中顧問官、明治21年(1888年)に枢密顧問官、明治24年(1891年)に枢密院副議長になり、明治25年(1892年)には第1次松方内閣において内務大臣を務めた。