はてなキーワード: 森喜朗とは
勝手にツイッター覗くワイもたいがいなんやけど、いいね欄がまぁ青識とか見るからに名誉男性か青識のなりすましかな?みたいな女(と思われる)アカウントの「多様性の押し付けで女のコは困ってるの」みたいなのがいっぱいでビビる。
ワイ、大学の時からそっち系の問題を専門に学んできて今でもそういう分野の本読む程度に関心高いから余計に気になっちゃうんだろうけど、理系の大学院まで言った兄もこんな反知性的な発言にシュバババ!と乗っかって気持ちよくなっちまうのか、と。
まぁ理系は属性的には男ばかりで多様性のなさそうだからそうなるんかな。
娘(ワイの姪っ子)を育てていながらこの感性か〜娘がこれからどんな社会で生きていくのか考えたほうが良くない?と思うが以前から(今でも)オープンで兄嫁も見れるアカウントでおっぱいぶるんぶるんな二次絵にいいねしまくってる(月曜日のたわわとかもちろんいいねしている)ような兄だしそんなもんかな。
姪っ子のこととなると「子煩悩で過保護で娘ちゃんが可愛くてしょうがない俺!」を演じているがその様がもう自分に属する女に対してだけ発揮されてて、
「家父長制」ってのをビンビンに感じさせておもろいんだよな。
自分の配下にある女(妻、娘)がなにかされると所有物に手を出されたみたいにキレてなんか女性に優しい男性的に見えちまうんだけど、社会一般にいる女は馬鹿にしていくスタイルが見え見えなんだよ兄ちゃん。
しかも「また俺なんかやっちゃいました?」系な素朴な疑問装った風の言説に乗っかっちまってるのもそこまで兄ちゃんのリテラシー低かったっけと思って悲しいし痛いしでさらにいいね欄を遡って覗いてしまう原因になっている。
コロナでこの夏も会えないまま今年2歳になるんだったかな、姪っ子は。
どんなふうに育っていくのかなぁ。
何やったのか当時の反応を含め記憶が曖昧なので内閣支持率を元にトピックスを書きだした。
先月末に同様の記事を書いたが今月大幅に支持率が下がったので追記して記載。
前月と比較して7%以上内閣支持率の増減があったときのみ書き出した。
最初は5%増減で書こうとしたけど時事を調べるのが面倒で無理だった。
トピックス以外の雰囲気を掴む為、次のようなものも合わせて記す。(適当に作った)
内閣支持率の出典
安倍晋三暗殺事件をきっかけに統一教会(世界平和統一家庭連合)に注目が集まっているが、保守系(反リベラル、反ポリコレ、反中韓)に分類できる文化人のなかで、はっきりと統一教会批判を行なっているのが旧2ちゃんねる(5ちゃんねる)関係者のひろゆきと山本一郎なのは興味深い
一説によれば、旧2ちゃんねるは一時期、統一教会に乗っ取られかけたという噂がある。この点を抜きにしても、基本的に1970年代生まれ以下の世代は、保守や愛国を唱えていても頭の中は近代合理主義者で、土着的・伝統的な家族観とか道徳観はちっとも好きではないのだ。
東浩紀(1971年生)は統一教会を「カルトかどうか判断できないだけ」と述べてひんしゅくを買った。ただ、これは統一教会の擁護というより、スターリニズムや連合赤軍のような原理主義的なドグマに陥ることを恐れるあまり、「二項対立に囚われないように判断保留する」というポストモダンの思考を原理主義的なドグマにしてしまった模様。
一方、三浦璃麗(1980年生)は、何やら統一教会と利害関係があるらしい。
https://twitter.com/333_hill/status/1300961546693083137?s=12
http://japanhascomet.cocolog-nifty.com/blog/2020/09/post-e4d640.html
東や三浦はさておいても、高度経済成長期以降に育ち、冷戦体制崩壊後に成人した団塊ジュニア以降の世代は、基本的に統一教会的なものが嫌いだろう。俺もな。
今では忘れ去られているが、2000~2006年ごろの2ちゃんねるでは、韓国、中国、民主党だけでなく、森喜朗に代表される体育会系、マッチョ価値観の自民党重鎮も不人気で、平然と皇室をコケにする書き込みだって多数あった。非合理的な宗教団体は嫌われ、前近代的な家制度の束縛とかブラック企業的な上下関係を肯定する主張は評判が悪かった。
かつて2ちゃんねるに大量にいたネトウヨことネット右翼は、なぜ韓国人や中国人を嫌悪したのか? 戦前戦中の日本に対する非難が自分個人への非難のように思えた点に加えて、韓国人や中国人の振る舞い(声が大きい、言動が粗暴、上下関係がきびしい等)に「前近代」の臭いを感じ取っていたからではないか。
ネットでは保守愛国を主張して戦前日本を賛美ながら、平然と「中国、韓国は儒教国家だからダメだ」と言う人間が少なくない。お笑い草である。戦前までの日本だって支配階級の基本思想は儒教だった。幕末に尊王攘夷運動が起きたのは江戸時代に朱子学が普及して、「幕府が天皇から権力を奪っているのは忠義に反する」という考え方が広まった結果だ。明治維新後も、明治天皇の教育係の元田永孚は西洋嫌いの儒学者で、名君の教科書として唐代の『貞観政要』を読ませたし、教育勅語は儒教的価値観の産物だ。
だが、どうやら団塊ジュニア世代以下のネトウヨの頭の中にある理想の日本は、最初から西洋的価値観の近代国家だったらしい。彼らには古代中世の日本の伝統的価値観を本気で学ぶ気などなく、和歌や能楽や歌舞伎や浄瑠璃より、漫画やアニメやゲームが好きなのが本音だろう。そういえば橋下徹も、平然と文楽の予算を削減しようとしてたな。
「保守・愛国を唱えながら近代合理主義で何が悪いの?」と言う人もいるだろう。世の中には、何も悪いことをしてない人間にも病や死や不幸が降りかかったり、不合理がいくらでもある。何でも理性で解決できると思い、現代人から見れば非合理な考え方に従っていた古代や中世の人間を愚かとしか見なさないのは、思い上がりだ。そうして過去の時代の人々という他者への想像力を持とうとせず、過去の世代が積み重ねてきた道徳観への敬意がなくなると、経済的な損得ばかりが最優先の価値観になる。「皇室の維持は国費の無駄だから天皇制反対」と言い出す者も出てくるかもしれない。
そうなれば、単に力(財力、権力、情報発信力)がある奴が勝ちだ。日本でもドナルド・トランプのような男が国家元首になるかもしれない、トランプならまだ人物的に面白味があるが、竹中平蔵やワタミが大統領になったら本当にイヤだぞ。
統一教会は2015年に世界平和統一家庭連合と改名した。団体名に「家庭」とつくのがポイントだ。自民党による憲法改正案で、第24条に加筆された「家族は、互いに助け合わなければならない」という一文は、統一教会の主張と同じだといわれる。また、「こども庁」の名称が「こども家庭庁」となったのは統一教会の影響という説もある。
https://twitter.com/izumi_akashi/status/1548537253018103808
つまり、統一教会はとにかく家族の重視を唱える。彼らの教義は、俗流キリスト教と、家父長の権威や先祖供養を重んじる東アジア的な儒教道徳の混合物で、教祖の故・文鮮明をお父様、その妻の韓鶴子をお母様と呼ぶ。このような教団組織という大きな家族への絶対服従を唱える思想が、皮肉にも結果的に山上徹也個人の家庭を破壊した。
『週刊文春』7月21日号では、橘玲が「リベラル化した社会に敗れた男の”絶望”が暴発した」と題して、安倍晋三を暗殺した山上徹也のことを論じている。現代は家制度の束縛などが機能しなくなった「自由」な社会だが、それゆえに自力で自己実現できなかった孤立した人間が増えているといった内容で、その極端な暴発例に2008年の秋葉原通り魔事件や、2019年の京アニ放火事件を挙げている。指摘自体はおおむね間違ってないだろうが、なぜそのような世の中になったかの説明が抜けている。
リベラル思想以前に、社会構造の変化がある。そもそも、伝統的な家族観、家父長の権威とか、早く結婚して何人も子供を産むのが良いことだという考え方は、近代以前の農村社会が前提だ。農家は個人経営で、家父長のもとで妻子が一緒に農作業し、働き手として子供の数は多い方が都合よいから多産が奨励された。そして、農地という生産手段を継承するために血統の存続が重視され、先祖からの連続性が意識されていた。漁村も商家も同様に家族経営が基本で、船や商材を継承するため家制度が重視された。
ところが、産業革命期以降になると、農村の余剰人口は都市に流れて工場労働者となり、先祖代々の土地と家から離れて生きるようになる。労働者はみんな家庭外で雇用され、子供は家族から切り離され、父親も母親も子供も(昔は各国で児童労働が横行していた)ばらばらに働くようになり、自宅の窯でパンを焼いたり時間をかけて食事することもできなくなった(『世界の歴史 第25巻』(中央公論社)270p)
統一教会のような反共主義者は、「左翼リベラル思想が伝統的な家族観を破壊した」と主張するが、この解釈は因果関係が逆転している。共産主義は、工業が発達して伝統的な家庭を成立させる農村社会から切り離された都市労働者が世にあふれた結果から生まれた思想だ。マルクスより先に、経済的利益のために伝統的共同体を解体して蒸気機関と工場労働者を世に広めた資本家がいたのである。
逆に、農村社会に戻れば前近代的な家父長制は復活するだろう。だったら、商工業を全否定して国民を農村に強制移住させたポル・ポトのカンボジアこそが理想かよ?
先進国では工業化社会がさらに進むと、世の中は第三次産業中心になり、庶民はみんな勤め人の都市生活者となっていった。これは産業社会の要請によるものだ。以前も書いたが、(https://gaikichi.hatenablog.com/entry/20170522/p1)高度経済成長期に中卒や高卒で都市の工場や商店に就職していった女性は、左翼リベラル思想に影響されて社会進出し勤め人は世襲の家業ではないから、妻子が家に従属する必要はない。リベラル思想に関係なく、前近代的な家制度の束縛が弱くなるのも当然だ。生まれた時からこういう環境に慣れきって育った世代が、家父長の強い権威やきびしい上下関係を嫌うのは必然だろう。
こう書いている自分も、会社員の家の次男坊で、実家に従属する義理はないから上京以来ろくに親元に帰らない。長男の長男だった兄まで、ついに生活のためやむなく父の墓がある土地を離れてしまった。先祖代々の土地や家業を持ってるのではないのだから仕方ない。
統一教会のような保守派は、家族が大事だと主張するけれど、口先の精神論ばかりで上記のような社会構造の問題にまったく踏み込めていない。
困ったことに、農村社会や家制度のような伝統的な中間共同体が力を失うと、その代替物として、一足飛びなナショナリズムかカルト的団体に帰属意識を求める者が増える。
エマニュエル・トッドは、『シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧』(文春新書)で、宗教的伝統が衰退すると代わりに排外的ナショナリズムが台頭すると述べていた。何でも、ドイツでは19世紀末から1930年代に昔ながらの教会を中心とした農村共同体が弱体化した代わりに反ユダヤ主義が台頭し、ナチス支持につながったという。
統一教会をめぐる報道で、山上徹也の母のように財産すべて差し出す信者の気持ちが理解できないという人は多い。しかしながら、外部から見ればいかに狂信的な団体でも、内部の信者には何らかの「魅力」がある。
先に述べたように、世の中にはいくらでも非合理的なことがある。それまで合理主義者だった人間が、病や死のような自分の力に直面していきなりオカルトや宗教に走った例は少なくない。帝国海軍の名参謀だった秋山真之や、アップルのスティーブ・ジョブスのような英才も、最期は近代医学に頼らず怪しげな方法に頼って病を治そうとして、かえって早死にした。こういう極端な思考に走らないためにも、世の中は理性で解決できないこともあると頭の片隅に置いて、非合理的なものへの免疫をつけておくこと必要だ。
そこまで追い詰められなくても、「大きなものにつながりたい願望」を抱く人間は多い。人には何かに帰属することによって得られる充実感というものがある。これは左派陣営の団体も同じだ。
こう書けば左翼リベラル派は激怒するだろうが、世の中には男尊女卑や家父長制に身をゆだねることに安心感を抱く者もいる(俺自身は嫌いだが)。いかに社会制度が近代化しても、誰もが自立した個人になれるわけではないのだ。
あの気持ち悪い集団結婚式にしても、なまじ自由恋愛の時代になると結局誰も選べずに結婚相手が決まらず、いっそ超越的な立場の第三者に一方的に決めてもらう方が安心、という人間も世の中には一定数いるのかもしれない。
これも以前に述べたが、カルト宗教などが行う洗脳とは、命令に従わせることではなく、被洗脳者が自発的に洗脳する側に忖度するように”誘導”することである(https://gaikichi.hatenablog.com/entry/20121101/p1)。
その手段として「場の空気」の力がものを言う。場の空気を使った洗脳はじつに簡単だ。こんな話がある、皆さんはカップ入りアイスクリームを食べるとき、どこから食べるだろうか? たいてい最初はカップの縁にスプーンを入れるだろう。あるとき数人の集団で、1人を除いた全員があらかじめ示し合わせて、みんなカップの真ん中にスプーンを入れて食べ、残った一人を「端っこから食べるなんてセコいなあ」と言ってからかった。仲間外れにされた1人は本気で、自分の方が異常で、アイスクリームは真ん中から食べるのが世間の常識だと錯覚したという。
これと同じように、閉鎖的な教団内では容易に「みんな多額の献金をしてるんだから、そうしない自分の方がおかしい」と思い込むように仕向けられる。宗教団体も、ネットワークビジネスも、会員制オンラインサロン商法も同じだ。
信者は教祖や教団幹部個人の命令に従っているというより、信者集団の「場の空気」によって献金しなければならない気になっている。周囲にいる人間が競い合って同じことをしているのに、自分だけそれをやらないと自分の方が変だと思い込んでしまうのだ。そりゃ「空気を読む」ことが至上の美徳という価値観で育った日本人なら従ってしまうだろう。
2022年現在の状況では、まだまだ自民党に対する統一教会の影響力は強そうだ。しかし、このまま上記に述べたような近代の社会構造が続くのであれば、20~50年ぐらいの長期スパンで見た場合、統一教会的なるもの――家父長制バンザイのカルト宗教は徐々に人気を失っていくだろうと考えられる。
実際、100~200年ぐらいの視野で見れば、左翼リベラル陣営はずっと勝利し続けている。世の中は、近代的な商工業が発達すればするほど、上下関係は緩くなり、男女は平等に近づき、セクハラやパワハラは嫌われ、体罰や理不尽な校則は廃止される方向に進んできた。
ただし、それは必ずしも自由平等人権といったリベラルイデオロギーの魅力による勝利ではない。単に文明の発展によって、人間が図々しくなっただけだ。
近代以前はあらゆる労働が筋力中心だったから、無条件に成人男性が一番偉くて、女子供は成人男性に従うものだった。しかし、そのような価値観は、スマホやコンビニやAIやドローンの普及と引き換えに後退しつつある。あるいは、汗臭い筋肉労働を人件費の安い海外にアウトソーシングしたり国内の視野から消し去っただけだ。外国人技能実習生の世界では、依然として日本人相手なら許されないパワハラが横行している。
いかに自由平等人権といったリベラルイデオロギーの字面が美しくても、思想だけで世の中は動かない。民主主義は古代ギリシャにもあったが、あらゆる労働が人力の時代だったから、ついぞ奴隷制は廃止されなかった。19世紀に入るとイギリスもアメリカも奴隷制を廃止したが、それはリベラルな人道主義者の主張より、奴隷を使うプランテーション農場と比較して工場経営のほうが儲かると判断されるようになった影響が大きい。
統一教会による霊感商法、巨額の献金要求は許しがたい犯罪行為で、自分もこういうカルト宗教は大嫌いだ。ただ、統一教会的なものを嫌悪する自分たちは、たまたま土着的な農村社会が崩壊して家制度の束縛が機能しなくなった時代に生まれ育ったから、統一教会的な家父長制価値観への Permalink | 記事への反応(1) | 23:06
何やったのか当時の反応を含め記憶が曖昧なので内閣支持率を元にトピックスを書きだした。
前月と比較して7%以上内閣支持率の増減があったときのみ書き出した。
最初は5%増減で書こうとしたけど時事を調べるのが面倒で無理だった。
トピックス以外の雰囲気を掴む為、次のようなものも合わせて記す。(適当に作った)
内閣支持率の出典
森喜朗とは早稲田雄弁会で新入生激励会みたいなので会いに行った
二回
困ったことがあったら何でも言いなさい、日本のために頑張りなさいと言ってた
まあもう政治家なるのはやめたんだけどね
大学二年ぐらいの時に
便乗して言いたくなったので書くやで。
急病・急死が気の毒だったし、なんとなくもうちょい総理やってほしかったなー、という思い出。
たまたまインタビュー記事とか読んだことあるし、森さんに接した人が口をそろえて
「個人としては面倒見が良くて良い人」
みたいなことを言っていたので、そうなんだろうな、という感じ。
ただ、いくらなんでも総理としてテレビカメラ前で言ってはいけないことがあるよね。
なんか失点があると国民感情的にすぐ総理変えろって雰囲気になってた気がする。
今にして思えばメディアのネガキャンがまだ大いに機能していた気もする。
カッコ良かったし選挙に鬼強かったしなんとなく好きだった。
すごい右からもすごい左からもめっちゃ嫌われていたが中道というか国民全般にはけっこう好かれていたと思う。
自民党本体をもっと改革したかったんだろうけど、そこにたどり着くまでに本人のモチベが無くなっちゃったイメージ。
余談として、総理辞めた後、東日本大震災後の妄言の数々にはガッカリさせられた。
小泉さんが中途半端に自民党をぶっ壊しちゃったせいで誰がやってもキツかったと思う。そこは同情する。
この頃からネットがそれなりに普及したせいか? 総理や閣僚の失言がめっちゃ取沙汰されるようになった思い出。
森さんみたいにテレビカメラ前で言うのは言語道断であるが、そうじゃなくて、支持者向けの講演会みたいなとこで喋った話がネットに出回るようになって、メディアにも取り上げられるようになった感じ。
色んな失言自体はもちろんダメなんだけど、支持者向け講演会というどちらかと言えばクローズドだったはずの場での発言を切り取られる時代になったんだなー大変だなー、と思ったことを覚えている。
難病でとてもお気の毒ではあったが、病気を理由に退陣したのはめっちゃ言い訳くさくてイメージ悪かった。
何かしたっけ?
結局、この人も「総理としてテレビカメラ前でそれを言うのはアカンやろ」という感覚を最後まで持てなかったよね。
ボンボンでめっちゃ金持ちなせいか、庶民的な金銭感覚を持ってない、みたいな批判をめっちゃされていた思い出。
総理が庶民感覚を持っていてもそれはそれでおかしいが、庶民に寄り添おうみたいな姿勢はまったくなかった。
この頃の自民党には目に見えるというか国民感情を逆撫でするような失点があり過ぎて、政権交代に至った。
麻生さんというより自民党全体がぶっちゃけ緩んでいたと思うが、党首として麻生さんが緩ませた結果という気もする。
良い方向に日本を変えてほしい、自民党以外にやらせてみようという国民の期待を背負った鳩山さん。
ところが、就任数か月でもうコイツだめだろ……となったのに、何故か一部メディアがめっちゃ持ち上げていた思い出。
なんか麻生さんなら叩かれてるような金額の飯を食っていても鳩山さんは何故か叩かれていなかった。
この頃のメディアの報道姿勢からメディア不振に至ったインターネットの民も多いのではないだろうか。
なんだかんだ震災対応を頑張っていたとは思うが、専門家軽視? と言うのか、科学的にそれはアカンやろみたいなことがめっちゃ目立った。
今になって管さん意外とよくやってたよ的な評価をする人もいるが、やっぱ活動家気質というのか、国民の多数に何となく嫌われていたような。
自民党以外にやらせてみよ! ……やっぱアカンかったわ……と国民に思わせた張本人の一人。
民主党衰退の直接的原因だと思う。
鳩山さんよりも菅さんよりもすごい実務家気質っぽい感じで淡々とやることをやっていたイメージ。
ただ民主党全体に対する不信感みたいなものがめっちゃ醸成されていたため、誰がやってももうダメだったと思う。
最後っ屁的に消費税増税して終わったが、実際何をしたかったのか。
どうせ辞めるなら増税してから辞めたろ! みたいなノリだったんだろうか。
アベノミクスのおかげで新卒就職がいきなりめっちゃ売り手市場になった思い出。
本人の言動や支持基盤的に左からめっちゃ嫌われていたが政策的には意外と中道左派系というか貧困層を救おうとしていた。
ただ長期政権化した弊害なのか、政権後半・末期になると色々と緩んでいたし、本人の口が滑るしご婦人も色々と総理夫人としてはアレだったし。
本人のやりたいことをめっちゃ実現していたのだが、総理としてはあまりにもテレビカメラ前で喋れなさ過ぎた。
辞める前後で「実はこんな感じでめっちゃ良い人」みたいなエピソードがやたら出てきた思い出。
ただ、総理と言えども(むしろ総理だからか?)テレビカメラ前で潜在的な支持者にアピールできなきゃそりゃ人気でないよね。
今後に期待したい。
自分の党派性はできるだけ抜きにして、当時世間でどのようなイメージだったかを思い出して書く。
第一印象はそんな感じだった。
実際には自民党の重鎮なのだが、しがないサラリーマンが何かの間違いで総理大臣にさせられてしまったような印象だった。
最初は「頼りない」というイメージが先行していたが、それが後半では「親しみやすい」に変化した。
当時人気だったコメディ番組『笑う犬の生活』で小渕総理を主役にしたコントがあり、その印象が強かったのかもしれない。
小渕総理が急死し、その後何だかよくわからない形で森喜朗が総理になった。
「このとき既に脳死していたのでは?」と思われていた病状の小渕総理からの遺言(?)で首相代理が決まり、密室で森喜朗が総理になったことで『簒奪者』という第一印象でスタートした。
森政権は最悪からスタートしたが、森喜朗は数々の失言さらにイメージを悪くしていった。
「日本は天皇を中心としている神の国」と発言し、世間をドン引きさせた。今でこそネトウヨはたくさんいるが、当時は圧倒的少数派だった。
「この人は何か変えてくれそう」というイメージがあった。
ITを「イット」と読んだ森喜朗と違い、この人はメルマガを配信していた(当時はそれが最先端だった)。
とにかく何か変えてくれるらしい。それは郵政民営化で実現するらしい。郵政民営化でなぜ世の中が良くなるのはよく分からなかった。
でも変えてくれるのなら何でも良かった。
だんだんと「こいつ中身空っぽなのでは…」という疑念が膨れ上がった。
郵政民営化としか言わないし、郵政民営化でなぜ世の中が良くなるのかよく分からない。
衆議院を解散し、郵政民営化に反対する議員を公認せず死角を差し向けるという大勝負に出た。
「こいつは男だ。勝負師だ。改革のためなら何でもやる奴だ」という印象で好感度がうなぎのぼりになった。
郵政民営化でなぜ世の中が良くなるのかは最後までよく分からなかった。
ハンサムで若々しかった小泉純一郎の後継は、もっと若い安倍晋三だった。
なんと祖父も総理で父親も自民幹事長というサラブレッドらしい。
このあと福田、麻生、鳩山と父/祖父が総理シリーズが続くので今となっては珍しくもないが、当時はポシティブなブランドだった。
大臣未経験→内閣副官房長官→内閣官房長官→総理大臣というヒラ議員から5年で総理就任という斬新な後継指名で新鮮味があった。
就任してすぐメッキが剥がれて「こいつ駄目じゃん」という空気になった。
ネット上では当時から既に統一教会との繋がりが叩かれ、『安倍壺三(統一教会は高価な壺を売る宗教だから)』というあだ名で呼ばれ、アスキーアートが2chに大量に貼られていた。
小泉政権で長く官房長官していた福田康夫は『執事キャラ』のようなイメージだった。
冷静沈着で淡々としたイメージで、無能を晒した前首相と違い安定感があった。
思ったより煽り耐性がなくキレてやめた。
国民の我慢の限界より、福田総理の我慢の限界のほうがはるかに早かった。
吉田茂という歴史の教科書にも載ってる大首相の孫で、その輝かしい経歴の割にはヤンチャなとこもあり、漫画も読むという親しみやすいイメージだった。
よくよく見るとただの口の悪いおっさんだった。
でも麻生太郎のイメージが悪化して退陣したというよりは、リーマンショックをどうにかして欲しいという思いがあり、それには政権交代が必要だと思っていた。
祖父が自民党の創設者で元総理という自民党のサラブレッドでありながら、民主党を率いて政権交代を成し遂げた鳩山由紀夫はスターだった。
世の中変えてくれるような期待があった。
なんか色々グダグダだった。
リベラル的な政策も、いろいろ頓挫することが多かった。まだ未熟な政党を与党にしてしまった。
野党だった頃に既に党首になり、いろいろあって党首の座を降りていたので最初から新鮮味はなかった。
「おいおいしっかりしてくれよ~」という場面が多々あったが、逃げ出さない姿勢はよかった。
震災から5ヶ月後の退任。誰が首相でも辞めるしかなかったと思う。
しかし「つたないながらも変えようとする民主党」というイメージからはかけ離れ、昭和の自民党の政治家のようなイメージだった。
この人は結局消費税を上げただけだった。
郵政民営化にこだわる小泉政権に感じた「その情熱はどこから来るの?」という印象に近いものを感じた。
ただ郵政民営化と違い、消費税の増税は「よく分からないけど、それで世の中が変わるなら試しに変えてみよう」と思えるようなテーマではなかった。
「この人途中で辞めた人じゃん。大丈夫なの?」という印象。
第一次安倍政権ではあんなに安倍首相を売国奴呼ばわりしていたネトウヨが手のひらを返して称賛しだした。
このころ既に世の中は右と左に分断されていたので、「世間はだいたいこんな感じに思っていたはず」という文章を書くことはもう出来ない。
左右の分断により評価は分かれていたが、「実務能力は抜群」「安倍政権はこの人のお陰で成立していた」という印象は左右両方にあったと思う。
「この人何もできないお爺ちゃんだったのか…」という衝撃を受けた。
安倍政権時代は意図的にコミュニケーションを遮断して記者会見をコントロールしているように見えていたが、実は単に受け答えができないだけだった。
森内閣から20年続いた自民党のタカ派総理の流れ(麻生太郎はもともと保守本流だが)を断ち切る、久しぶりの穏健保守の総理として「お、自民党も変わるのかな」という期待を少し匂わせた。
しかしその実態は安倍首相の操り人形の側面が強く、岸田文雄の押しの弱そうな印象も加わって、「大丈夫なのかな、この人」という不安も覗かせる。
ただのご都合主義。
“急接近”の裏事情は…
「小泉(純一郎)首相がいつ、池田(大作創価学会)名誉会長と会見するか」。通常国会前の永田町で、こんな観測が流れています。それというのも、首相と創価学会が昨年秋以来、急接近しているからです。
野中氏の発言
事の発端は昨年暮れ。「自公のパイプ役」とされる自民党の野中広務元幹事長が突然、「公明党が(イージス艦の)派遣に同意するなら、私の友情は捨てなければいけない」(十二月一日)と発言。その四日後には、自民党税制調査会で「宗教法人への課税を含めて、聖域を設けないで議論する場があっていい」と、こんどは創価学会を意識したけん制です。
野中発言はさまざまな憶測を呼びました。同氏と公明党・創価学会が親密なことはつとに有名だからです。野中氏の“怒り”の背景を探ると、小泉首相と創価学会の「野中氏や、公明党さえ頭越し」ともいうべき急接近が浮かんできます。
その最たるものは、最近になって一部で報道された昨年十一月二十一日夜の、東京・高輪のホテルでの極秘会談。首相が持ちかけ「青木氏(幹雄参院幹事長)らが仲立ちした」(「朝日」)とされるこの会談の出席メンバーは、自民党側が両氏に森喜朗前首相を加えた三人で、一方の創価学会側は、秋谷栄之助会長と、池田名誉会長の側近・八尋頼雄副会長の二人。席上、首相は国政補選での同会の支援に感謝し、公明党が嫌う早期解散がないこと、増税見返りの児童手当拡充の容認などを伝えたと言われます。
実は、小泉首相と創価学会の接触は、話に出た、昨秋の国政補選の時から、との見方が有力です。関係者によると、「衆院大阪十区に応援に入った首相が十月十三日夕、高槻市のホテルで、野中の“盟友”学会の西口良三総関西長(副理事長)らに会い、頭を下げ手を握った」といいます。
その後、首相として初めて公明党大会(十一月二日)であいさつした小泉氏が、池田名誉会長撮影の写真を激賞したことはよく知られています。
小泉首相の出身派閥・森派(清和会)に詳しい政治ジャーナリストは言います。
“麻薬”を飲む
「これまで自民党の中でも、創価学会・公明党とかかわってきたのは田中角栄元首相以来、野中、青木らに代表される旧経世会で、清和会はむしろ反学会色が強かった。が、選挙で勝つには背に腹は代えられぬ。落ち目の自民党が、学会票という“麻薬”を一度飲んだらどうなるかの良い例だ」
一方で、こんな話もあります。「接触は創価学会側が持ちかけながら、学会の強い要求で『首相側から接近した形』にした」(首相周辺)
日蓮正宗から破門(九一年十一月)され丸十年たった昨年三月、創価学会は「会則」「規則」を大幅に改正。その中で「…国・地方自治体の選挙に関する対応を協議・決定する機関として、中央、方面、県の各本部にそれぞれ社会協議会を置く」(会則第四十五条)と公然とうたい、宗教団体なのに謀略的選挙活動に狂奔しています。
いっせい地方選、総選挙を前に、解散権をにぎる権力者に急接近する創価学会。周囲に「早く一匹狼(おおかみ)になりたい」などと弱音を漏らしながら巻き返しを狙う野中氏らとの関係がどうなるか――。
いずれにせよこの三年間、多くの国民が実感したように、自公連立が深まるほど、国民不在の悪政がひどくなることだけは疑いありません。