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はてなキーワード: 唐代とは

2019-02-14

anond:20190214183344

広東語

1=ヤッ

2=イー

3=サーム

4=セイ

5=ンー

6=ロッ

7=チャッ

8=パー

9=ガウ

10=サッ

近いような遠いような。

共通祖先唐代の数詞で、

それが伝わってそのまま引き継いだのが日本の数詞、

まだ強く影響が残っているのが広東語の数詞、

ぜんぜん影響が残ってないのが北京語現代中国語の数詞、

って感じなのか?

2019-02-06

anond:20190205222422

欧陽詢で思い出したが、

朝日新聞の題字ロゴ中国唐代書家である欧陽詢の筆跡から採った書体だが、当人直筆の「新」の字が無かったので「親」の左側と「柝」の右側から点を取り除いたものとを合成した捏造グリフである

これ豆なw

2018-10-04

anond:20181004123321

食用としては、中国唐代(BC700年頃)こんにゃく芋を灰汁で煮て食べた記録があり、

さら四川省湖北省等で栽培されていた記録がありますので

中国人かもよ。

2018-09-27

anond:20180925183624

麻婆焼きそば ×

1970年代前半に、仙台市内の中華料理店「まんみ」にて賄い料理として提供したのが始まり

//ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%99%E5%8F%B0%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%83%BC%E7%84%BC%E3%81%9D%E3%81%B0

せり鍋 ○

河北新報の「仙台やすこ歩き」によると、

発案者が思いついたのが10年前と言っていたので、

2000年代の真ん中から広まったのではないでしょうか?

//detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11156573366

ただし他にも元祖を名乗る店がある。

チーズタッカルビ

16年2月に「チーズタッカルビ」を発売

//www.itmedia.co.jp/business/articles/1802/20/news021.html

塩焼きそば ×

1959年 4月

清ちゃん1959年4/10開店となる!

ここから小松名物塩焼きそば伝説が産声をあげる!

//www.sio-yakisoba.com/

ツナマヨおにぎり ×

1983年(昭和58年)に「ツナマヨネーズおにぎり」を発売

//q.hatena.ne.jp/1256202677

パン

14〜15年前ですかね。パンって、夏は本当に売れないんですよ。暑いからみんなソーメンを食べたり、おやつスイカになったりしてね。なんとか夏に売れるパンができないかなぁと思って開発したのが、塩分補給もできる塩パンだったんです

//tabi-labo.com/287605/painmaison-yawatahama

2018年のインタビューなので2003年頃か。

ししゃもっこの軍艦

1970年代以降、シシャモ代用魚として輸入が急増

//ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%95%E3%83%88%E3%82%B7%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%A2

寿司メニューになった時期は不明

豆乳鍋

当店が1991年に開発したオリジナル

//irori.owst.jp/foods

ただし他にも元祖を名乗る店がある。

おにぎらず

【第22巻・第213話】いま話題おにぎらずクッキングパパ発祥

//cookpad.com/recipe/2831394

第22巻は1991年発売。

フルーツグラノーラ

91年にフルーツを加えた「フルグラ」(当時のブランド名は「フルーツグラノーラ」)を発売

//www.cross-m.co.jp/column/insight/insight82/

恵方巻 ×

1970年代半ばからマスメディアに取り上げられるようになり、以降は再び定着するようになった。

//ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%B5%E6%96%B9%E5%B7%BB

ご存知のとおり発祥には諸説ある。

魚のカルパッチョ ×

落合「僕が帰って来たのが1981年で、前のお店を開けさせていただいたのが1982年ですから

(中略)

干場「実は、魚のカルパッチョを作ったのは落合さんなんですか!?

落合「実はそうですよ(笑)

//www.tfm.co.jp/cruise/index.php?itemid=91890

1982年に魚のカルパッチョを作ったとは語られていないが、近い時期であることが示唆されている。

塩麹 ×

古くは本朝食鑑の鱗部の巻「鰯」の箇所に「或有甘塩者有糟漬者有塩麹漬者号曰黒漬」という下りがあり、「塩麹漬」という文字列が見られる。

//ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A1%A9%E9%BA%B9

本朝食鑑は1697年刊行

レバ刺し ×

日本人はいから牛の生肉生レバーを食べるようになったのか。

焼き肉などの食文化に詳しい滋賀県立大鄭大聲(チョン・デ・ソン)名誉教授は「戦後在日韓国朝鮮人が家庭で食べていたもの焼き肉店で出すようになり広まったのではないか」という。

//sankei.jp.msn.com/life/news/120428/trd12042822020023-n1.htm

万葉集内臓生食示唆する歌があるとの話もあり。

魚介つけ麺

つけめん」が定着するきっかけとなったのは2000年頃からのことです。つけめんの考案者である東池袋大勝軒の店主 山岸 一雄氏のお弟子さん達が独立し始め、大勝軒系列の店が増えたこと、大勝軒常連から人気店になった「べんてん(高田)」、「道頓堀(成増)」といったお店が繁盛したこと、そして川越にある「頑者」が「自家製極太麺×魚粉×濃厚つけだれ」という新しいジャンルつけめんを生み出したことが影響し大きなエポックとなりました。

//web.archive.org/web/20130622095039///www.asahi.com/business/pressrelease/ATP201005190013.html

サーモン寿司 ×

プロジェクトが始まったのは86年。当初の計画では、輸出の要はカペリン(カラフトシシャモ)だった。しかし、その前年、時の漁業相らが日本を視察して方針が変わった。日本には生のサーモンを食べる文化がない。江戸前寿司にもない生サーモン握り寿司を考案し、試食会を重ねた。

//trendy.nikkeibp.co.jp/atcl/pickup/15/1008498/061500791/

ティラミス ×

日本イタリア料理史の中で、最大のブームとなったのは「ティラミス」と言って間違いありません。80年代半ばから評判を呼び、90年に雑誌Hanako」で特集が組まれるや、人気は最高潮に達します。

//www.metromin.net/feature/15133.html

アボカド ×

日本の輸入量は1970年代までは微々たるものだったが、1970年代後半から増え、1980年には479トン、1990年2163トン、2000年14070トン、2005年は28150トンと急増している。

//ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9C%E3%82%AB%E3%83%89

オリーブオイル ×

1908年明治41年)、魚の油漬け加工に必要オリーブオイルの自給をはかるため、農商務省アメリカ合衆国から導入した苗木を三重県鹿児島県香川県試験的に植えた。香川県小豆島に植えたオリーブけが順調に育ち、大正時代の初めには搾油が出来るほどの実が収穫された。

//ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%82%A4%E3%83%AB

バターコーヒー

「朝はヨーグルトより、バターを食べる」

//www.amazon.co.jp/dp/4478039674

チキンタツタ

1991年4月期間限定商品として初登場

//ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%84%E3%82%BF

単なる竜田揚げとして見れば×。

油そば ×

1952年昭和28年)に創業した国立市一橋大学そばの「三幸」が、のびたラーメンをヒントに昭和30年代前半頃から酒の肴として提供を開始したとする説や、同じく昭和30年代武蔵野市境の亜細亜大学そばの「珍々亭」が中国拌麺をヒントに油そばを発売したという2説が存在している。

//ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B9%E3%81%9D%E3%81%B0

火鍋 ×

火鍋唐代に普及

//ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E9%8D%8B

日本のしゃぶしゃぶは火鍋をもとにして作られたとの説も。

発泡酒 ×

新規企業の太洋醸造が当時自由販売化していたイモとホップ使用したイモ・ビール試験醸造申請して認可され、1950年昭和25年)から新発売され、日本市販発泡酒第1号となった

//ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BA%E6%B3%A1%E9%85%92

食べるラー油

垣島在住の夫婦(夫は中国陝西省西安出身の辺銀暁峰、妻は東京都出身愛理)が、具材を食べるタイプラー油を開発し、2000年(平成12年)、石垣島にて開催されたイベント販売したのが始まりである(ただし、具の入ったラー油のもの中国にて古くから存在している)。

//ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%9E%A3%E5%B3%B6%E3%83%A9%E3%83%BC%E6%B2%B9

2017-11-09

ハヤカワFTの思い出を書く

そんな話題がでてたので、ファンタジーの中でもハヤカワFTのなかで印象深いものメモしてみる。

カメレオン呪文魔法の国ザンスシリーズ1)

ハヤカワFT031。ユーモアファンタジー魔法の国ザンスシリーズの1。ユーモアっていうか、ダジャレファンタジー。全編ダジャレ好きな人と嫌いな人がかなり別れる。とはいえ、ダジャレ韜晦で煙に巻きながら、少年少女の自立とか誠意式の芽生えと思いやりとか、結構ちゃんとしたテーマはそれはそれでそれなりにやっているのが偉い。

ハヤカワFT文庫は、文庫設立当時は、あちらで有名な基本的名作をポチポチ紹介してたんだけど(マキリップ、フィニィ、ダンセイニあたり)このザンスシリーズ辺りから複数巻にまたがるシリーズを紹介し始めて、おそらく収益的にも安定し始めたんじゃないかと思う。

妖魔の騎士

ハヤカワFT055。妖魔(他作品で言うところの精霊存在)の真の名を掴んで指輪に封じることで魔法を使う青年クレイ主人公とした上下巻。魔法不可思議さや、おとぎ話的な雰囲気がどこまでも魅力的な作品寓話的なストーリーあいまって、「ファンタジーモノの原点ってそういえばこんなだったなあ」感ある。ネバーエンディングストーリー的な意味で、読者はその世界の脅威に魅了されながら読むという今では廃れきったスタイルの佳作。

魔術師帝国リフトウォー・サーガ1)

ハヤカワFT055。やったー! みんな大好き俺TUEEE。序盤は地に足の着いた泥臭いファンタジーなのだが、異次元世界の魔術先進帝国から侵略きっかけに主人公少年が段々と魔術の才能を開花させて、無数の次元秘密に迫る大魔術師に成長する話です。能力的なインフレもするんだけど、世界観物語の構築がしっかりしているせいでご都合主義的な匂いはなくて、古代英雄譚な味わいになっていくのが面白い

予言守護者(ベルガリアード物語1)

FT106。大傑作大名作。指輪物語と同じような「グループが使命を果たすために旅をする物語」なのですが、読みやすさといい感情移入といい、こちらの方を押したい。メンバーが皆魅力的です。ウルフおじいさんとこそ泥王子シルクファンなっちゃますね。ぶっちゃけこのシリーズがあるだけでハヤカワFT黄金時代だったと思う。

このシリーズは「ベルガリアード物語」が全5巻、続編となる「マロリオン物語」が全10巻あるので、シリーズ好きな人にはたっぷり楽しめる。。

ルーフワールド

FT137。シリーズじゃなくて一冊読み切り現代(というか、今現在からするとちょい前?)くらいのロンドン舞台としたファンタジー高層ビル屋根屋根裏をすみかとして、ワイヤーとリールで空中を移動しながら生きている一族という、「現実世界にもファンタジーはひそんでいるんだぞ」設定がまず魅力的。子供夢想みたいなのを実力ある作家物語にしちゃったケースなので、読後の「もしそうだったらなー」というファンタジー特有酩酊みたいなのが味わえます

鳥姫伝

FT308。全五部作予定だったシリーズ最初の一巻。いろいろあって三巻までしかでなかったのだけど、話自体は一巻完結なので特に問題はない感じ。架空中国唐代舞台にしたチャイナファンタジーに、古典中国のアレヤコレヤを詰め込んだ、最高級の「ほら話」。文章には癖があり、何より密度がめちゃくちゃ高いので活字を読み慣れない人は体力を消耗しちゃいかねないんだけど、皮肉ブラックジョークの影に描かれた物語はびっくりするほど美しい。主人公コンビ、力持ちだけが特技の農村の垢抜けない青年十牛と、老賢者(というかイカサマ師)の李高老師は、ちっともヒーローらしくないデコボココンビなのだけど、迷宮幽霊過去因縁話、宮廷につきものスキャンダルをくぐり抜けていくと愛すべき人物だと気づく。ラストシーンは本当に素晴らしい。

2015-12-17

自演認定に寄せて

自演認定された。それはこの日本社会において抑圧された個人意識を少しでも開放すべく、何時間も何時間もかけて、推敲し、唐代詩人でも自分より知的な事は書けないであろうと。自身を持って書いた2行の文章だった。

正直ネットはそれほど詳しくない。今でもビクビクしながら書いているが自演認定された。それは人間性の否定であり、自分プライドはズタズタになってしまった。さようなら

2013-05-27

赤い糸(赤い縄)の元ネタ

赤い糸(赤い縄)の元ネタは「唐代伝奇」にある短編「定婚店」らしい。

韋固は早速、自分と潘家との縁談がまとまるかどうか尋ねた。しかし老人は首を振って言った。「お前の結婚相手は潘家の娘などではない。この店の北に住んでいる、野菜売りの陳婆さんの娘じゃ。その娘子は今は三歳だが、十七歳になったらお前さんに嫁いで来るはずじゃ。」更に老人は袋から赤い縄を取り出した。「わしの仕事は、この赤い縄を将来夫婦となるべき男女の足につなぎ合わせることなのじゃ。お前さんの足も、既に陳婆さんの娘と赤い縄で結ばれている。それ以外の者と結婚など出来ようはずもないわい!」

http://www.sun-inet.or.jp/usr/satoshin/koten/toudai/toudai5.htm

 
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