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はてなキーワード: 日本のためにとは

2024-07-26

anond:20240726083251

ばっかおめぇ!!!

なんで他国日本国益を求めてんだよ!

そりゃ日本国益になったら嬉しいけどさ。

アメリカアメリカの事を考えるのは当然だろ。

当然の行動を理解できないか左翼キチガイだって言われんだよ。

左翼はまず日本のために死ね

あ、あんたが左翼って意味じゃなくてね。

2024-07-24

自民党のための殺し合いに参加したくないか自衛隊辞めたい

日本のために命かけるならできると思ってたが、ウクライナパレスチナ戦争を見ているうちに「いや、これは政権与党のために殺し合ってるだけだな」と気づく。

ロシア兵が死んでいるのは100%100%プーチンのためなわけで、俺たちがもし戦争になったら岸田や鳩山のために殺し合えるかということが問われる。

アフガン戦争の頃、自民党メンツのために最前線に行けるかが問われていたし、そこでブラックホーク・ダウン片棒を担げるかが問われていたのを見て、俺はそれを「日本国際社会における立場のために出来るか」が問われていると思っていた。

違うんよな、政権与党のためになんよな。

911とか見ちゃった影響で守るための戦争を信じていたが、プーチンユダヤのおかげで目が覚めたよ。

政権与党のために殺し合えるかって話を考えないといかんのやね。

俺はやっぱ無理だなあ。

まあ、氷河期を生き残るために自衛隊に逃げてきた俺が悪いんやろなあ。

戦争始まっても頑張れないわ。

自民党の偉いおっさん差し出して「コイツらが生こいてただけなんです!国民は騙されただけだから許してください!」みたいにしたくて仕方ないだろうな。

でも俺チキンから表向きは粛々と戦争して、いざ人を撃ち殺してから「あーあ岸田のために人殺しちゃった」と後悔すんかなあ。

「あーあ岸田のために殺されちゃった」で死ぬのかなあ。

はあ、軍隊に入るんじゃなかったなあ。

2024-07-16

日本のためにならないものを明確に炙り出すために石丸伸二さんはあえて好き嫌いの分かれるキャラクターを演じているのだ

2024-07-02

anond:20240702164025

日本語マスターする、日本文化への理解を深める、身につけたスキル日本日本のために使う愛国心もつ

なんて押し付けるのも外国人の生きづらさに繋がるでしょ。

そんな大変な努力するより、外国人同士で固まってる方が楽だし居心地良い。

anond:20240702161641

日本語マスターする

英語勉強したことあるはずだからかると思うが語学学習ってかなり大変なんよ。

日本人しろ6年以上英語の訓練受けてるはずなのに話したり聞いたり出来ないのは訓練受けてないから仕方ないが読み書きすらまともに出来ない人の方が多いやろ。

日本文化への理解を深める

いるかこれ?マナールール風習を覚えてもらう必要はあると思うが。

というか日本文化って何?マリオポケモンゼル伝やらせて、ファーストガンダム見せるとか?

身につけたスキル日本日本のために使う愛国心もつ

愛国心とか日本人の俺にすらないわ。日本サブカルチャーは好きだが国というか政府官僚組織には嫌悪感情がほとんどだわ。

日本の存続が大事って言う人いるけど

少子化対策と同じくらい、移民受け入れ在日外国人日本人化が大事だと思うんだけど、どう思う?

日本語マスターする、日本文化への理解を深める、身につけたスキル日本日本のために使う愛国心もつ

こういうのを、まずはミックスルーツの子どもに徹底して、今来てる外国人に広げて、さらには移民も受け入れて、っていうのはどう?

遺伝的には多様でも文化的には求心的な日本、いいと思うんだけどなあ。

2024-06-28

今日の暇空茜敗訴、裏で石丸伸二が司法を捻じ曲げたのが原因

暇空茜の不当敗訴

判決速報240628

令和5年ワ3848 16部甲

原告 水原清晃

被告 北原みのり

餘多分宏聡裁判長

棄却

http://blog.livedoor.jp/advantagehigai/archives/66238431.html

どんな事件

colaboの支援者と名乗る匿名アカウントが、「暇空なんかいつでも殺せる」というポストをリポスト

身の危険を感じた暇空は元のポストをした者も、リポストしたcolabo支援アカウントも訴えることにした

アカウントは連絡先を北原みのりの住所にしていたため暇空は犯人北原だと察し北原を訴えた

しか北原は「私ではない」とひたすら否定多忙理由に出席を拒否し延期が続く

やがて太田啓子が「colaboを支援する者たちの集まりでつくったアカウントで住所は北原にしてるが、実際にXに投稿してるのは私だ」と唐突にいい出した

発言者が誰であれ殺害予告しかない文なのに、今回不当に棄却となり暇空が敗訴した


裁判長石丸支配下

名字】餘多分

【読み】よたぶん,よたわけ

【全国順位】 67,034位

【全国人数】 およそ20

広島県西部である安芸発祥ともいわれる、治水の功により浅野侯より賜名字である

近年、東京都広島県にみられる。

https://myoji-yurai.net/searchResult.htm?myojiKanji=%E9%A4%98%E5%A4%9A%E5%88%86

現在、暇空は石丸伸二と対立関係にあり石丸から多数の攻撃を受けている

石丸広島で生まれ育ち広島の市で市長をやっていたことはよく知られたことだ

暇空が広島出身者に殴られている時に、広島に由来する名字を持つ裁判長が不当な判決を下す

これが偶然のはずがない

石丸支配司法にも及んでいる証拠

名字というのは、山のそばなら山野さん、川のそばなら川辺さんと自然発生するものが多いが、餘多分は江戸時代末期に広島大名であった浅野長勲が創作臣下に与えたもの起源で新しい

浅野長勲は多くの肩書を持つが、安芸広島新田藩第6代藩主でもある

安芸広島、そう石丸市長だった広島県安芸高田市のかつての名だ

これが偶然であるはずがない

石丸は急に出てきて目立つようになりそのバックボーンが怪しまれていたが、つまり石丸祖先浅野長勲なのだろう

廃藩後に華族となることを辞退し市井にまぎれた浅野家の末裔の一人が石丸伸二である

浅野末裔はけして権力を捨てて庶民になったわけではない

から工作することを選んだのだ

浅野家と餘多分家は今でも密かに主従の関係であり、殿様である石丸の指示に従い法秩序を捻じ曲げてでも不当な判決を出した

石丸伸二の元のイメージカラーは緑だった

石丸は、百合子のイメージカラーが緑であるめかぶりを避けて紫にした

なのは、金づるとして支配下に置いている華僑たちが好む色だから

では元の緑色は何の意味を持つの

これは浅野家の家紋を見ればすぐにわか

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E9%87%8E%E6%B0%8F#/

この家紋は「浅野違い鷹の羽」という

石丸のかつてのイメージカラーそのままの、緑色

彼が緑を掲げると広島臣下たちは「我らの殿だ」と認識する

数百年をかけて広島の人々の血に刻まれた「主人」の色が緑なのだ

広島日本国への恨みの感情が強い反日

石丸はなぜ中国日本に引き入れようとしているのか

仁藤らと組んで日本崩壊計画に与しているのか

それは先の大戦の恨みを先祖から引き継いでいるからだ

広島県民は独特の風俗を持ち、日本国に属しているという感覚はほぼなく、現代においても廃藩置県前の「殿様」に仕えているという意識が強い

広島原爆が落とされたのは「日本」のせいだ、犠牲にされた、そんな思いか日本への憎しみが深い

原爆による反米感情根深く、それが中国との強い結びつきを生み出した

石丸がもし都知事になれば、東京のために働くことも日本のために働くこともけしてありえない

全ては「殿様」の所有地である広島のため、アメリカを倒してくれる中国のために消費される

石丸に仕える裁判官は餘多分一人ではない、これからも暇空への不当判決が続くだろう

2024-06-17

リベラル卑怯者の最後の砦

だって愛国砦の方は崩れちゃったしね

日本人日本のために戦わないし

卑怯ものはみんなまだ生きてるリベラル砦に籠っちゃった

2024-06-11

anond:20240609223735

選挙に行ってなにか変わるかって聞かれると、ぶっちゃけ何も変わらないんだよね

選挙ってのは持論だが、行くか行かないかってのは道徳の話だと思ってる

お前は今を暗黒時代って言ってるけど、暗黒時代を作ってきたのはその時の有権者なんだよね

そいつら一人一人が、選挙棄権するということも含めた投票行動を起こした結果、今暗黒時代になってる

「こんな日本に誰がした」「当時の人間少子化になるってわかってたのに何の手も打たなかったって、馬鹿なの?」

お前にはそういう権利があると思うよ。「あなた日本のためになるような行動してましたか?」

その中で俺は、この失われた30年の9割を担った自民党日本を没落させたと思ってる。ので自民党は大嫌いだ

さらに俺は民主党政権誕生したとき民主党にも信を置けなかったので、とはいえ自民は論外だから、あえて共産党投票した。ので、民主党政権悪夢だったとは俺は思ってないが、千歩譲って仮にそうだったとしても、俺は民主には入れてない

まり俺は選挙棄権したこともないし、そのうえで俺の一票は政権を形作らなかっただろう。俺が今の暗黒時代日本を作ったかというと、自民に入れてたやつらや棄権してたやつらより影響は薄いと思う

から、お前が上の世代に厳しい目を向けたときに、俺は少しだけ免罪される。全くの無罪とは言わんが。デモとかしてないし立候補もしてないんでね

でもさ、「いやあ~政治のこととかどうでもいいし日本の将来とか興味なかったか選挙行かなかったんだけどいつの間にか暗黒時代になってたわ、たはは…」みたいなやつバカと思わん?むしろ今のお前なら「死ねよ」って思わん?俺の方が全然ましだろ?

なーんも考えずに統一教会とべったりの自民に入れてる日本人より俺は日本のことを考えてると自分で思うね

逆にお前が大人になったときに、やはりあんたらどういう投票行動してたんだよって、お前より若い世代から見られると思うよ

政治家はよく歴史証言台に立つと言われるが、安部を弔う野田とかね、同時に国民証言台に立つもんだと俺は思ってる。第二次大戦中のジャップ民は本当に愚かな田吾作だったし、マッカーサー曰く「ガキ」な訳だけど、中には戦争にひっそり反対してた国民もいた

俺はそういう国民になりたいので、日本のためになる政党をその時々で考えてしっかりと選んでるし、今が暗黒時代だと言う若いやつに対しても堂々と自分投票行動開陳することもできる

それを、だからなんだと言うこともできる。結局は道徳の話でしかないんだよね。お前が俺に直接「どこに投票したのか」なんて聞くこともないだろうし、俺は嘘やごまかしを言ってるかもしれない。結局はどこまで行っても自己満足だし、真相は俺しか知らない

道徳であり、自分内面問題でもある

白状するなら、俺は自民には入れないと言ったが、人生で一番最初選挙に行った時には実は自民党に入れた。別に、お前含めて誰かに許しを請うつもりもないが、ただ後悔はしている。

2024-06-08

横浜トリエンナーレへの批判を読んで(前半)


文字数制限にかかるようなので、前後に分けて挙げます。)


前置き


第8回横浜トリエンナーレ野草:いま、ここで生きてる」がこの土日で終わります。私も見に行って、なかなか面白く思いました。ところが友人によると、SNSでは批判の声が多いそうですね。あまりそういうものは見ないようにしているのですが、友人がその場で例を見せてくれたので、ついいくつか読んでしまいました。そのとき感想は、ひとことで言うと「批判者の言うことにもわかる点はある。でもキュレーターはそれなりによくやっていたと思うし、今回が最悪だとか、他の回に比べてどんどん悪くなっているとか、そんな気はしない」ということでした。そこで友人といろいろのことを話し合ったのですが、今はそれを思い出しながらこの文を書いています


今回の展覧会には魯迅の『野草』という短編集が深く関わっていますが、魯迅は「おおむね、折にふれてのささやか感想を述べたに過ぎない」と述懐しています岩波文庫竹内好訳『野草』の解説)。魯迅感想短編集『野草』を生み、『野草』がこの展覧会を生み、この展覧会が人々の感想を生み、そしてその感想がこの感想を生みました。もしこの感想を読む人がまた新たな感想もつならば、それで満足です。


人は物事に触れて感想を持つものだと思いますSNS批判の中にも、「これは感想にすぎない」というような留保をつけるものがありました。感想自由にあるべきと思います。そして、感想を読んだ感想というもの自由にあるべきでしょう。今はくだんの批判を読み直さず、またあまり調べものもせずに書いていますが、不十分なところはどうぞ悪しからずご理解ください。これは「論」ではなく、「感想」のつもりです。


野草』と「文の国」


今回の展覧会の特徴は、「作品」と「意味」のバランスを探る点にありました。多くの作品は、ただ「見て楽しむ」ものではなく、「意味を考える」ことが求められるものでした。そのバランスキュレーターの側でうまく作れているか、そして鑑賞者がそれをどのように読み解くかがカギになっていたと思います


今回のテーマは「野草」というのですが、その裏には魯迅の『野草』という著作が密接しています。これは展覧会中にも幾度となく示されており、魯迅の『野草』の本も展示してありました。この本は「二十四篇の短文から成るものですが、「スタイルはまちまちであって、詩あり、散文あり、また即物的もの追憶的なもの観念的なもの象徴的なもの風刺的なものなどが入り混り、内容形式ともに多傾向」なものとなっています岩波文庫竹内好訳『野草』の解説)。この本は意味があるようで意味がない、意味がないようで意味がある、詩のような文のような、芸術のような政治のような、一種独特雰囲気をもった作品集です。


これを読んでから展覧会を見渡すと、「キュレーターたちは横浜美術館を一冊の現代版『野草』にしようとしていたのではないか」ということに思い至ります


そう考えると少し納得できる点もあります。それは「文」への偏重です。友人は次のように話していました。「私は今まで、展覧会作品を見ればよいと思っていた。作品を見ずに解説ばかり読む人があれば、本末転倒だと考えていた。つまり言葉を軽視していたのだ。ところが、今回の展覧会では作品の多くに意味があり、その意味キュレーター解説を読んで初めてわかるようなものが多かった。入口にはタブレット文章が並べられ、その左側の階段の上には本を並べた一角もあった。さらには猟師へのインタビューがあったり、詩が作品として出ていたりと、言葉への重視が目立った。」


しかし、これは考えてみればさほど奇妙なことではありません。ふつう、広く「芸術」 (art) と言うときには「文学」を含みますし、「美術」 (fine art) というときでも「詩」を含むことがあります。「芸術」は「造形芸術」に限られたものではありません。もちろん、ただの書籍文章が「芸術」と言えるのかどうかは議論余地がありえますが、言葉芸術距離がそう遠いものでないことは確かです。


さらテーマの「野草」が魯迅の『野草』に由来するものであることを考えると、今回の展覧会の裏地には文学がぴったりと張り付いているような気がしてきますキュレーター中国出身であるということから、なんとなく心のなかに「文の国」という言葉が浮かんできました。三千年の歴史をもち、科挙試験にも詩が課され、書という芸術をいだき、詩文文字芸術でないなどと疑ったことのない文化の国のイメージとともに。


作品との対話


いっぽう、日本一般に「芸術」というとき、それは詩文を容れえないほど偏狭ものなのでしょうか? 批判の中には「文」への偏重に対する疑問もあったように思います。そのような人々にとっては、あたか展覧会からあなたの思う芸術とは何ですか?」という問いが投げかけられたような恰好になっているわけです。


では、「芸術アート)」とは何でしょう。批判する人たちの中には、自分にとって「美しくない」「面白くない」から芸術アート)ではない」と断じたい人もいるようです。でも、現代アートは「美」への問いかけを含むものではないでしょうか。デュシャンの「泉」などはまさにその代表だと思います。また、「芸術」における「言葉」といえば、シュルレアリスムと詩の関係だとか、20世紀初頭の芸術家たちがしちくどい宣言を次々と打ち出したりだとか、いろいろと思い当たることはあるはずです。そういうところに「美しいもの芸術なのか?」とか「言語表現芸術無関係か?」といった問題ゴロゴロと転がっているわけで、簡単に「これは芸術だ」「これは芸術じゃない」と判断できるはずはありません。その人たちの考える「芸術」は、どのくらいの狭さなのでしょうか。


鑑賞者は芸術に触れるとき、常に戸惑い、「作品の受容」ができない事態に直面する可能性をもっています。そのような時こそ、自分の中にある固定観念を見直す機会かもしれません。今回、批判したくなった人が多かったということは、それだけ作品からの「問い」を受けた人が多かったということでもあります。そうなると鑑賞者は、やっかいなことですが、自分の回答を練らなければならなくなります批判ひとつの回答ですし、その回答に満足せず、さらに新たな回答を考えてもよいわけです。陳腐な言い方ですが、「作品との対話」が必要展覧会であったと言えるのでしょう。


友人はまたこうも言っていました。「かつては『現代芸術抽象的すぎて何が描いてあるかわからない』という時代があり、その後に『現代芸術は難しくない、何も考えずに作品面白がろう』という時代が来て、それはひとむかし前まであった。でも、それが終焉すべきときに来たということかもしれない。今は言葉時代なのでしょう。考えずして何が現代芸術か、ということになっている。地味でつまらなかったといった批判もあるようだが、休日ちょっと芸術に触れてみよう、子ども芸術に触れさせてみよう、デート美術館に行ってみよう、特に『何も考えずにただ作品面白がろう』と期待した人にはつまらなかったかもしれない。」


しかに、昔からの(または昔ふうの考えをもった)現代芸術の鑑賞者の中には、「芸術とは面白がるもの」という考えから抜け出せず、新しい潮流に戸惑う人がいるかもしれません。「金を払って楽しみに来た」という手合いには、気の毒だったと言えるでしょう。しかも来訪者への間口は大きく広げられていたので、そのようなミスマッチを生むしかけは念入りに準備されていたともいえます。今回は横浜美術館改装後の久々の展覧会であり、規模も大きく、宣伝もあって、多くの人を誘い込む要素がありました。そのような場で横浜美術館は「人を面白がらせる」展示をすることもできたはずです。しかし、実際には「人を戸惑わせる」展示を行いました。だからがっかりした人も多かったのでしょう。


私も「キラキラ」な楽しい芸術が好きです。だからそういうものが多いと嬉しいし、その逆ならばがっかりします。しかし、美術館の目的には「レクリエーション」もありますが、決して「レクリエーション」だけを目的とした施設ではありません。今回、美術館はこのような大規模の展覧会で、作品との「出会い」と作品からの「問いかけ」を提供し、人々を「戸惑わせ」てくれました。その意味で、美術館はよくやったと思うのです。「キラキラ」な楽しい回があってもよいし、「地味」な考える回があってもよい。美術展はそういうものだと思います


過去トリエンナーレ


ここで、ちょっと過去トリエンナーレを振り返りたいと思います


私が初めてヨコハマトリエンナーレに訪れたのは2011年の第4回「OUR MAGIC HOUR ――世界はどこまで知ることができるか?――」でした。この年は東日本大震災の年で、印象としてはとにかくキラキラと輝くような回であったということです。震災後の混乱をアートがどう扱うか、芸術家の間でもまだ折り合いがつかずに、ただ思いつく限りのことをやってみたといった印象で、宝箱の中の宝石をぶちまけて転がしてあるような、たいへん魅力のある回でした。私にとってこの回は「よい」の標準になっています


2014年の第5回「華氏451芸術世界の中心には忘却の海がある」もたいへん期待したのですが、この回は言ってみれば「地味」な印象で、まだ青かった私は「ハズレ」だと感じました。しかし、友人はこの回も面白かったと言っています。この回は「忘却」がテーマで、戦争中に作家芸術家がいか体制側に立ってはたらき、戦後その責任もとらず、反省もせずに「忘却」したかということを、当時かれらが執筆した文章を並べて示していました。このころには震災後の政権交代脱原発などの流れの中で、世の中を動かすのは「政治であるという意識が出てきていたためかもしれません。


2017年の第6回「島と星座ガラパゴス」は、博物館の表に救命ボートがびっしりと張り付けられていました。「ネトウヨ」に関する展示もひとつふたつあったことを覚えていますが、これもきわめて「政治的」でした。長期化する安倍政権さなかにあって、政治右傾化懸念されていたことも影響していたのでしょうか。(「政治性」の話は、後で少し触れたいと思います。)


2020年の第7回「AFTERGLOW――光の破片をつかまえる」は久々の「当たり年」でした。2011年に次ぐキラキラの再来です。入口から光り輝くカラスよけのCDのような装飾、メビウスの輪のような形をした光り輝く金属の骨組み、巨大な腸を模した造形、赤いカーペットをひいたでこぼこの「道」映像作品「遅れてきた弟子」、そのほかここでは言い尽くせないもろもろの楽しい展示の連続


きっと第7回が初めてのヨコトリ体験であった方々は、2011年の私が次回に期待したように、第8回にも「キラキラ」を期待したかもしれません。しかし、べつに横浜トリエンナーレは「キラキラ展」ではないので、地味な回もあるのです。その意味で言えば今回はやや地味だったかもしれません。しかし「地味」には「地味」なりの「味」があるものです。今回はその意味で「ふつう」と「よい」の間くらいと感じました。決して「悪い」ではなかったと思います


いわゆる「政治性」


今回の展覧会が悪かったという人の中には、展示が「政治的」だという人もいたようです。もちろん、芸術政治であることの何が問題なのかとか、政治生活と密接なものである以上は程度の差こそあれ政治的でないものなどありうるのかといった疑問も出てきますが、今回の展覧会を見て私が感じたのは、むしろいわゆる「政治性」の薄い部分があることでした。キュレーター中国出身の方ということなので、もしや特に日本のために配慮(手加減)したのではないかという疑いさえ感じました。


しかに、今回の展覧会ではヨーロッパ戦争に関連する展示や国粋主義者移民反対デモ映像が展示されていました。それがひとっところに固めてあるのではなく散らばしてあったのは、この会場をひとつ世界見立てて、このような出来事遍在していることを忘れてはいけないと示したようにも見えます


そのデモ映像ひとつを見ているときでしたが、後ろを通りかかった人が「ヨーロッパ、壊れてんな」とつぶやきました。まことに然り! だがそれを言えば日本だって「壊れて」いるのです。日本でも人種差別デモが行われていますヘイトクライム危険もあります。「人種差別」がわたくしたちの身近にあることは、ネットを少し覗いてみればすぐわかることです。


思い返せば2014年2017年はかなり「政治的」な展示があったと思いますしかし今回、キュレーター日本問題ひとつも指摘しませんでした。日本美術展が国粋主義的主張をもった人々の抗議で中止に追い込まれ事件もそう遠い昔のことではありません。日本美術表現自由にできない国です。キュレーターたちは日本に気をつかってくれたのでしょうか? それとも日本で波風を立てて攻撃されることを恐れたのでしょうか? それとも今の世界を広く見たときもっとも新しくもっとも重い問題にしぼってとりあげようと考えたのでしょうか? それは知るよしもありません。もっと自由表現への危機は(またすこし違った形で)キュレーターたちの出身である中国にもあることでしょう。展覧会中に示されたように、ヨーロッパ安全ではありません。世界じゅうで似た現状があります


しかし、日本が名指しで批判されなかったからと言って、日本が許されたわけではもちろんなく、これらの作品なかに普遍性見出し、これを「鏡」として日本の現状を見ることが求められているのだと思います。それらの作品が見るに堪えない現状を示しているとき、それに怒っても意味がないでしょう。それは鏡をヒョイと覗き込んでみて、「ああ醜い! 私の美学に反する。美はいったいどこにある?」と怒るようなものです。


ところで、批判者の中には展覧会のこのような政治的な「傾倒」や「変質」がここ10年や20年の変化だと振り返る人もいますが、私には展覧会なかにその説明があったように思われます。今回の展覧会は、これも魯迅の『野草』をテーマとしているためかもしれませんが、歴史を強調するものが多くあり、あるところでは史料紹介の様相すら呈していました。木版画をめぐる日中交流史の展示では、魯迅木版画という簡易で複製可能芸術を通じて、民衆文化を届けようとしていたことが紹介されていました。これは「芸術」が一部の特権階級のものではなく、民衆のためのものであるべきではないのかという問題を、当時から現代に向けて投げかけなおした一面もあると言えるでしょう。また、皇国史観へのアンチテーゼとしての縄文土器や、学生紛争撮影した写真が展示されていたのは、芸術政治問題が降って湧いたものではなく、日本でも半世紀以上にわたって連綿と続いている問題であることを示していたと思います


(後編へ続きます。)

https://anond.hatelabo.jp/20240608093350


2024-05-29

バカ日本アニメ世界中大人気なんだ! 日本のために外人様に媚びなきゃいけないんだよぉ!」

結果

外人反日アニメおもすれ~www! マジジャップうぜーわwww」

2024-05-21

anond:20240521090429

子供産まない女がいくら「私は下方婚してる!」っていきっててもなぁ・・・

やはり日本のためには女に学を与えるべきでは無いなとしか思わない

2024-05-16

anond:20240515185754

日本のために統一教会とその信者を道連れにして英雄視されながら逝く

あーでも日本人の5割はガチカルトから無理かなあ

でもご先祖様に顔向けできるのはワイだけや

2024-04-30

何度でも言うが、5%賃上げしない企業にいる奴らは転職しろ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/nordot.app/1157568927126324075

5%賃上げしない企業がまだこれだけいるのは、要はお前らは5%賃上げしなくても会社辞められないだろってナメられてんだよ。

3割の原因はお前らでもあるからな。

企業は人が居なくなったら5%賃上げせざるを得なくなるんだぞ。

それでも5%賃上げしない企業なんて潰れればいいんだからさ。

から辞めればいいじゃん、ほんとお前らバカなのか?

日本のためにも辞めて転職しろや。

2024-03-26

結局日本のために働く政治家なんているか

てめぇの私腹肥やすくらいしか考えてねーだろうが

 

もちろん愚民共もな

ITエンジニアだけど、中国EUが羨ましい

デジタル鎖国とか批判されてるけどさあ、

自分たちによる、自分たちのためのOSを作ったり、OSのためにソフトを開発したりって

エンジニアにとってはものすごくやりがいのある仕事だと思うんだ。

俺は自分のためじゃなくて日本のために働きたいのに

頑張れば頑張るほど外国プラットフォーマーが儲かる仕組みなんて面白いわけない。

中国EUのやってることは人間として当たり前のことだ。

2024-03-07

あてがえとは言わん、どうせ俺は漫画ゲームでシコるキショイ男だし

からそっとしておいてくれ、頼む

働いてその金で色んな税金払ってるんだから日本のためになる行為ちゃんとしてるし、無産の弱者男性がなにかの役に立つ為に献血に定期的に行くし、臓器移植カードにもマルをつけてる

こっちは幸いにも2次元3Dデータしか興奮できない異常性癖なんだ、男を毛嫌いするあんたらに手を出す気はサラサラ無いしそもそもトラウマで女が怖いんだ

からいないものとして扱ってくれよ、肥溜めの糞は肥溜めの中で大人しくしてるんだから、蓋開けてクッセー!クッセー!キショイ!!と叫ばないでくれ

2024-03-04

チー牛よりも害悪度が高い「テイカー」こそ、本当に叩くべき相手

なにかと叩かれることの多いチー牛だが、彼らを叩いた所で世の中は変わらないと思う。

彼らはパッと見で不快な外見をしているのかもしれないが、別に誰かから何かを奪ってはいない。

害悪度は結構低いと思う。

女性からすると、勝手に好きになってきて無駄告白してくるゴミに見えるのかもしれない。

ただ、チー牛は誰から利益を奪っているのか?彼らはテイカなのだろうか?

※テイカーとは、ギブ&テイクにおけるテイク(貰う)ばかりの人。自分の得にしか興味がない、自己中心的な人のこと。

単に人に慣れていない、経験の浅さからくる間違った行動をとってしまっているだけ…それが許せないのだろうか。

人は失敗しながら成長していくものだ。

チー牛だって経験を重ねる中で学んでいくことだってあるだろう。

しろ、そんなミスすら許容できない女性側の方がテイカーに見える。

女性にとって価値のある男性だけ存在していればOKで、その他の邪魔な男は消えてほしい。

これはかなり傲慢な考え方で、とてもテイカー的な考え方だ。

カエル化も同様、テイカー的思想だと思う。

本来意味の「告白されたら嫌いになる」というのも、今の意味で「彼氏恰好悪い行動をとって冷めた」というのも、どちらもテイカーに見える。

自分にとって都合のいい存在だけしか認めないという、とても自分勝手思想が透けて見える。

これがまかり通るなら、

女性が閉経し子供を産めなくなった時点で価値がないから消えてくれ。

老人は生きていても価値がないから消えてくれ。

という事だって言っていいことになる。

はいずれ老いる。

今は若くて元気なあなたも、必ず老いる。

いつかは社会の足を引っ張る「弱者」側になるのだ。

事故にあって、突然障がい者になる可能だってある。

そうなったとき、周りから自殺強要されるような世の中であってほしいのか?

今まで普通に生きてきたのに、ある時から急に自殺強要される。

そんな殺伐とした不条理世界を、あなたは望んでいるのだろうか。

有益人間だけ生存許可され、基準に満たないもの処分対象

こんなテイカー的な発想はやめにしてほしい。

私が思うに、テイカーを叩いた方が日本のためになると思う。

叩けば叩くほど、世の中がプラスになる。

いじめ問題

パワハラ

セクハラ

ブラック企業

・悪質なクレーマー

ルールを守らない喫煙者

・稼ぎと家事育児バランスが取れていない旦那

理想けがすごく高い低スペック婚活女性

などなど、どれも害悪度が高いものばかり。

イカ特有の「自分さえよければいい」「自分利益を最大化したい」という自分勝手思想が滲み出ていて、とても不快に感じる。

得ると与えるのバランスが取れていないから、周りがかなり迷惑を被る。


単に人間慣れしていないだけのチー牛なんぞより、これらテイカーの方がよほど問題だと思う。

チー牛の中にもテイカー的行動をとる者もいるだろう。

もちろんそんな者は叩いてよい。

皆、もっと自分を見つめなおすべきだ。

自分がテイカーになっていないか

得ると与えるのバランスはとれているか

改めて自分の行いを振り返ってほしい。

皆が生きづらさを感じる原因の大半はテイカーのせいだ。

イカーを放置し続けたことで、巡り巡って暮らしにくい現代が出来上がっているのを忘れないで欲しい。

「テイカー」こそ、本当に叩くべき相手だと思う。

2024-03-03

anond:20240303171446

まぁそのデマ自民議員とその信者を1人でも2人でも殺せれば、日本のためになりますよね。

国防強化って言うけど、徴兵制になってもいいの? ってきいたら

今は傭兵スタンダード!とか女性徴兵されないのは不公平!とかゆって話ズラすよね

お前には日本のために死ぬ覚悟はあるのか?って聞いてんだよ

あるなら予備自衛官入ってるだろうし、そうじゃないなら黙ってろ腰抜け非国民

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