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はてなキーワード: 「我々」とは

2023-11-29

anond:20231129132450

タグあんま好きじゃないんよ。超ヤバい奴ら(ちょっとヤバいとかじゃない次元の奴ら)がタグ連打してるイメージがエグすぎるので。

それでも時々は使ってたけど、習慣にもならんかった。

「僕ら」「我々」みたいな言い方も結構してると思う。その辺は意識してるので。

ただまあぶっちゃけ雑多なブクマカかいイナゴ相手に僕が気を遣う筋合いも無いし、そこまでバキバキに誠実な論客であろうみたいな意識も全く無いし、毎回毎回プッシュしてたら逆に臭そうみたいな謎の自意識もあるので。ちょいちょい★くれる常連とか、相互フォロー的な相手には概ね伝わってると思ってるので、それでええよ。

それこそ今回みたいな前方不注意おじさんとか、zyzy的な人語が通じん獣とか、予防線張ってるとか関係なしに凸られる時は凸られるのでバリア効果もそんな無さそうやしな。

anond:20231128234829

別に「僕みたいな」にこだわらんでも「僕ら」やら「我々」でもええんやいか?二文字やぞ

それすら入れられないくらいギチギチなら #自己言及 とかタグ使えばええんちゃう

って考えながらコトブキ君のブクマページ見たら #僕自身を含めて ってまさしくこの為にあるようなタグ使ってるやん

これもっと使っていけ

2023-05-30

anond:20230530144743

まずはmsspのきっくんまーく2、今までもドライヤー美顔器などレビューしている。素材がよい 

次、水溜りボンドの背が低い方、某ブランドもの衣料が大好き(ただし足下はサンダル

まあ「我々」のシッマまでひっぱりだせたら、美容(化粧)する男なんて馬鹿にしてやろうというやつが10年したら減ってる

 

msspではきっくんとFBだけがメイクありなんだが、

きっくんプロデュースでFBを美男子にしたり、

あろまの脱髭とかやらせアイメイクバチバチいれた状態で顔上半分の限定解除とか

おもしろ企画いっぱいできるやろ

ちなみに画力はたしか えお=きつくそ<FB<<<<あろま なのであろまが自力メイクしてもそこそこカッケー可能性はわんちゃんある

2023-04-15

「我々」って

仕事で言えるようになりたい。

社会人になって驚いたことの一つが「我々」って使うんだってこと。「貴様」とかと同じ部類の言葉だと思ってたけどそうじゃないんだって思った。

でも何かまだちょっと抵抗あってどうしても「私達」っていっちゃう。そっちの方がむしろ自然なのに。

2022-12-06

お前らは知らんかもしれんけど騒音問題の近隣トラブル戦争なんだよ

追記: 1日経ってスマートフォンで読み直してみたら非常に読みにくい文章(1文1文が長く、文脈を掴みにくい)になっていたため、可能ならPCで読んでもらえるとありがたいです。また、節もつけて多少読みやすしました。文章自体は改めていません。簡単趣旨を要約すると「騒音問題での近隣トラブル戦争になることもあり、それは自分が直面する可能性もある(※騒音問題トラブルが必ず戦争になるというわけではない)」です。

長野市遊園地問題で近隣トラブルになっていて、どうやらじいさんがクレーマーだとして叩かれているらしい。

自分長野市住民でもなんでもないが、昔の激怒していた自分を思い出して体中が震えだしてしまったのでここに吐露して発散していく。長野市の件については、その裏にある事情は知らないので、自分はそれが良いとも悪いとも見当もつかないが、外野が好き勝手に述べてじいさんを罵倒したり「クソ自治体」みたいな発言をしているのがとにかく気に食わないのでここで色々と述べていこうと思う。また、自分はじいさんの擁護者ではない。

NIMBYと、子どものことを考えろ主義について

まず子どもが集う施設というのは、NIMBY(我が家の裏には御免)というカテゴリに属する施設である。これは誰がなんと言おうが、子どもが集う施設というのはもうそういうものであるNIMBYとは、社会全体には利益を与えるが、その近隣住民には損害を与える施設のことだ。こういうものはたくさんある。基本的には「社会全体のためにお前が我慢しろ」という施設になっている。また、補償がないことも多い。子どもが集う施設に関する補償特になにもない。「子どもの声」を「損害」扱いという部分で怒りを抑えられなくなる人もいるだろうが、いったんそういう考え方の人がいると思って飲み込んでほしい。「騒ぐ子どもの声量は大きい」と「大きい音に耐えられない人もいる」という2点については、誰しもそれぞれ同意できるはずであり、「世の中には、騒ぐ子どもの声量に耐えられない人もいて、そういう人は損害だと感じていそうだ」というふうに、客観的視点で読み進めてほしい。実際そういう人は存在している。

話がややそれてしまったが、なぜ騒音問題子どもがつくと大きなトラブルになるかというと、「子どものためにお前が我慢するべきだ」という強制が働くからだ。こういう考え方を「子どものことを考えろ主義」といい、詭弁一種である

子どもを抜きで考えた場合騒音問題は「騒音に悩まされて可哀想に」という話から始まる。ここでは明らかに騒音我慢するべきだ!」というようなことは言えないだろう。しかしそこに子どもが入った途端、「子どものためだからね。めでたしめでたし」という概念で上書きされる。しかし、騒音問題自体はなくならない。「騒音問題の話はどこに消えた?」である

子どもは当然守られるべき存在だが、「子どものことを考えろ主義」をその親が使ってくると非常に厄介である簡単に例えよう。

あなた限定品が欲しくて、あるお店でその限定品のために並んでいたとする。あなた限定品を無事手に入れることができたが、その後ろに並んでいた親が急に「それはうちの子どもが手にするべきものだ」「お前が大人のくせに限定品を得ようとしたために、子どもはひどい目に遭う。子ども可哀想だ。全部お前のせいだ」と強硬に主張してくる状態のようなものである。(あくまで例えであって、騒音問題と同等の主張であると言いたいわけではない)

別の例で例えると、ベビーカー子どもを載せて電車に乗る行為問題ないが、ベビーカーを振り回して席取りをしようとしている親だったり、「ベビーカーを持っているのでそこに座らせてもらっていいですか?」というように尋ね、断ると「子どもがいるんですけど……非常識ですね……」と言ってくるような、子どもを使って権利を主張してくる大人たちがいるということだ。彼ら彼女らは「我々は少子化に対抗する戦士であり、それに抵抗する存在邪悪である」という信念を持っている。

子どもとの戦いではなく、子どもを盾にする親との戦いであることについて

こういう行動を起こす人々は「子持ちの人」というカテゴリで括られるべき存在ではない。彼らは容易に「子持ち全体に対する挑戦をされた」というように論理をすげ替えようとする。そして「子どもがいるのに酷い」「こうやって少子化が広がっていくんだ」という論理を使っていく。ミサンドリストフェミニストと名乗るようなものである普段は人を攻撃するが、都合が悪いと子供を盾にして自らを守り被害者になろうとするという、文字通り子どもを盾にするのである。彼らにとっては、子どもとは、自分利益をもたらす便利なツール・グッズ・免罪符しかない。

誤って解釈してほしくないが、子どもは大切なものである。「子ども排除せよ」と言っているわけではない。容易に論理を捻じ曲げられるので注意しなければならない。小さい子どもに罪などは一切ない。子どもではなく、その親と戦っているのだ。

そして、実は「子どもの出す騒音」それ自体は、それほど大きな問題ではない。子ども騒音は確かに問題であって長期間続けば耐えられなくなりノイローゼになりかねないという状態になり、たいへんきついものだ。ただし、事をより大きくするのはそれに対する適切な対応が全くなされないことにある。『「子どもが出している騒音」にクレームを出すクレーマー vs (可哀想子ども+それを守る善良な大人たち)』という構図そのものが、騒音を出している側のロジックによる考え方であり、これがこの構造のまま大衆化されると、非常にテキトーな扱いになる。「子ども騒音に端を発する問題」という形で、その周辺の問題も含めて、すべての問題の焦点が「子ども」になっていく。しかし、子どもが悪いわけではない。子どもが悪いわけではないというのは、何度でも言っておく。その親が悪いのだ。ここは間違えてほしくない。本当に簡単すり替えてくるからだ。

実際の問題は、子どもの出す騒音について「なんら対策をしない」「対策をしようともしない」「それを指摘する側に問題があり『異常』だと周りに噂を流す」だったり、わざと嫌がらせをするだったりである長野市で言えば多くの車の長時間アイドリングや、盆栽の踏み荒らしなども発生していたらしい。こうなってくると、もはや子ども騒音というのは問題ではなく、大人 vs 大人の、れっきとした権力闘争の構図であると思う。(※注意: 長野市問題については自分意見を持たず、どちらの側にも立たない。じーさん側に問題がないとは言っていないし、子ども可哀想であるのはそのとおりだと思う)

子どもを盾にする人側のロジックでは、「キチガイがまた『大したことでもないこと』でクレームを入れてきた」という観念を抱えているため、対話不可能であるそもそも最初は当然対話をしようとしている。(また、クレーマー側でも意味不明クレームを入れている場合も多くあるはずであり、自分は常にクレーマー擁護したいわけでもない)

子どもを育ててるだけなのに、クレームを入れてきて迷惑だ」vs「ふつう暮らしているだけなのに、騒音解決しようともせず、当然のように我慢を強いてきて迷惑だ」という状態になってしまうと大変面倒なことになる。どちらも正義だと思っている。これは戦争である

近隣トラブルでの対応の非常な困難さと、想像以上のストレスの大きさについて

これについて、刑事でも民事でも事件化はできず、自治体警察も非常に難しい対応を迫られる。「対応」とはいうが、実質何もできないのである。ただ「犯罪がないかどうか」「合法かどうか」しか見れないのだ。よって、合法下での自力救済しかない。法はあなたを守ってくれはしない。誰もあなたを守ってくれはしない。あなた自身の力か、金の力しかない。日本では、騒音問題は「それは運が悪かったですね。我慢してください。それが法ですから」ということになっている。社会とはそういうものだ。

「そんなところを選んだお前が悪い」「引っ越せ」という、思慮に欠けた意見散見される。当然そういう場合もあるだろう。ただし、こういうのは事前にわかものではないし、引っ越すには尋常ではないお金がかかる。持ち家であれば尚更で、下手すると数千万単位で金が変わってくる。つまり人生の中でもかなりの上位に上がってくる最強最悪のトラブルである。嫌いなやつのためだけに数千万円は普通は払えない。数千万円は言い過ぎかもしれないが、ただ引っ越すだけでも、引っ越しというものは50万円だったり100万円かかるものだ。月に2万ずつ貯めていたとしよう。4年の努力を捧げることになる。嫌いなやつのために。普通我慢ならないだろう。

そして、トラブル悪化すると、人生で最も嫌いな存在自分のすぐ近くに住んでいるという状態になる。「考えないようにする」ということができなくなる。騒音存在をすぐに思い出し、精神が持っていかれる。「殺す」か「殺さない」か、そういう考え方が頭にのぼってくる。これはジョークや笑い事ではない。精神が奥深くまでやられる。絶えず戦闘モードになる。戦時下という気持ちだ。あとはもうやるかやられるかだ。どちらも異常になる。人はいとも簡単に狂う。自分だけではない。相手が『「自分が死んでくれればいい」と思っている』と思うようになる。

死ね!!!!」と絶えず言い合っているのに離れられない関係というのは、歪んだ親子か、近隣住民以外には人生においてそれほどない。会社なら簡単ではなくても辞められる。家は簡単には辞められないのだ。

もし少子化対策のためというならば、社会全体でなんとかしなければいけない。「ミクロ個人単位我慢解決すべき」という結論は誤っている。それは子育てする側からみてもそうであると思う。ここでは、「子育て側の方が悪」のように見えてしま論理展開をしているが、子育てしている親は窮屈な思いを抱えているはずであり、れっきとした社会問題であると捉えるべきだと思う。しかし、現実的には、社会はそう簡単に変われるものではないため、個々で見れば自衛するしかない。

無関係立ち位置の人でも、可能ならば心に留めておいてほしいこと

「近隣トラブル戦争」というのが理解できない人や、「結局子育てする側が我慢しろってこと?」という理解になってしまう人は、せめて平和に家で暮らすことができているという幸運を噛みしめるべきであり、自分の子もの周りでそういった話を聞かないという場合は、人知れずして我慢している人がいるのかもしれないことを知っておくべきだと思う。「静寂」「平和」は贅沢品である。いい人は、同じ目にあっても「まあ子どもからしょうがないですよ」「いやいや!子どもは騒ぐのが仕事ですよ」と言えるのだろう。それはたいへん立派なことだと思う。ただしそれは余裕があっての論理や、他人事であるからそう言えるだけであることを忘れてはいけないし、強制できるものではない。全員が聖人君子になれるわけではない。

これはアンモラルがどうのとかそういう話ではない。あなたもそうなればわかるかもしれない。

ただ、そうなってから気付いても遅いのだ。「そんなところを選んだお前が悪い」のだから

そして残念ながら、今の社会解決できるほどの余力はない。ただ「そんなところを選んだお前が悪い」のだ。

ももしそうなったとしたら、自分あなたと同じように苦しんだことを覚えておいてほしい。身の周りの誰もがあなた理解してくれなかったとしても、世界にはそういうことをわかってくれる人はたくさんいることを覚えておいてほしい。それだけで心の荒みはやや緩和されるだろう。

ただこの話は、伝えたい人には伝わらない話でもあると思う。この話を見て「自分自分の子どもが他人にそんな思いをさせてるかもしれない……大丈夫かな」とすぐに心を痛めた人に心を痛めてほしいわけではない。そういう人たちには、ただ「子育てを頑張ってください」とだけ伝えたい。この話は「はあ?身勝手。黙ってろ。うるせえな」と、気にもとめない「子盾の親」たちに伝えたい話である。伝わらないだろうけど。

まり、運が悪ければ、そういう人と戦争することになる、ということだ。そしてそういう人たちもまた、「我々」戦争することになる。

まあこれが2022年日本だということ。少子化は仕方ない。

2022-01-18

anond:20220118122349

代表制の問題

なぜ政治家警察官の言うことに従って権力委譲しているかというと、彼らが「我々」代表から

彼らと我々が別の集団だったら、彼らの「他力救済」なんて信用できなくなる。

2021-11-25

anond:20211125113614

「我々が選んだグループ」が現状「我々」の延長ばっかりなんだから、「ハヤシライス食ったあとのうんこ」と「カレー食ったあとのうんこ」くらいしか変わらんだろ。

2021-09-13

「我々」表現する言葉がまだなかったり、広まっていないから、〇〇や××に喩えることで拙いながらも言語化を試みているのであって、「〇〇とは全然違う」と言われても、「そんなことはわかっている」という話なんですよね。

2021-07-30

anond:20210730233534

そもそも「我々」は「90%だと10死ぬが、95%だと6人死に、98%だと5人死ぬ」を評価できない

2021-05-24

バッハ発言「我々」日本国民が含まれていないからセーフっこたないだろ

そのこと自体が大問題だわ

だって極東の猿が死ぬのは犠牲でもなんでもなく、当然の前提ってことだろ

そのうえで、我々白人様もちょっとした不便くらいはオリンピックのために「犠牲」にしなきゃね、って話だろ

まりにも馬鹿にした話だ

絶対オリンピックなんて二度と関わるべきじゃない

2020-03-10

anond:20200310201534

その「我々」ってのはアレか、リア充サイドの話か

増田の分際で上から目線とか、十年はやいぞ

2020-02-25

虐待被害破滅していく子供を減らしたい

というのが私の18くらいの頃からの願いなのだけど

考えても調べても結局方法がわからない。

まず虐待の発生それ自体を減らすというのは明らかに無理。

見かけた目の前の一人二人をケアする事はしているがそんなことをいくらやってもその子供が助かるだけで全体として子供たちが死んだり破滅したりしていく状況は変わらないし、

何よりこの方向性では世の中全体の「(虐待されて)潰れた奴はクズから助けなくていい」という風潮(※1)も変わらない。

少ない稼ぎを団体寄付してもやはり同じ事で、要するに社会(※2)がそこまで虐待理解がないという状況を変えられなくては何の意味もない。

しかし克服する手段が見付けられない。

虐待という事象存在認識していても虐待被害者という存在が抱える障害については世間は……特に学校は……未だ全く無理解で不幸を決定づけていると思う。

と言ってもそれに干渉するためには途方もなく強大な力が必要なわけで、政治とかの問題に入っていき、そんな主張は世間にとって全く価値が低い。(※3)

どうにかする方法はないだろうか。

※1……主に虐待被害で死にかけている子供たちが社会に「甘え」等の言葉で追撃されて本当に死亡・破滅していく状況を指す。実際には虐待されているという事実認識されず社会適応できない子供存在けが観測されるため起こる事象なのだが、被害児童達の感じる世間の態度とは「虐待されるような奴には生きる資格がない」に近い。

※2……成人読者の方が感じるであろう「我々」社会全般よりもむしろ学校」という特殊環境を指す。不幸な子供には家庭と学校しか世界存在しないため。

※3……虐待をしない親(及び虐待をしている認識がない親)は自分の子供が虐待されていない(またはその認識がない)のだから通常その被害に無関心であり、虐待をする親はそもそも自分がその加害によって利益を得ている側なので被害側を救う意味がない。

2019-11-02

そんな言説は10年以上前からずっと方々で少なから存在したし、私もそれはずーっと批判し続けてきたし、そんなもの最初から前提とした上で「偏見で語るな」と言っているのだが、この人は何を今更落胆することがあるのだろう。勝手幻想を抱いていただけじゃないのか。

もうはっきり言うけどさ。二次元表象二次元表象のもの好きな人のためにあるのであって、「三次元が嫌い」な人のためにあるわけでも「三次元の身代わり」にあるわけでもないの。おまえらのためにあるわけじゃないの。

それでも最低限の礼儀をわきまえて、「仲間に入れて」と言うならそれは拒絶しないよ。すべきでもないと思うよ。そうした交流偏見払拭してきた側面はたしか無視できないよ。

でもここはおまえら植民地じゃねぇんだよ。「我々にとってもっと住みやすいように改善しよう」とするなよ。その「我々」に俺らは入れてくれないくせにさ。

女性から男性への「オタク的疎外」

なんて知らねぇよ。おまえらは「オタク」を勝手に味方だと思ってるかもしれないが、俺はおまえらを味方だと思ったことなんて一度もない。「弱者男性」だかなんだか知らんけど、それ系のデンパと「フェミ」だったら俺は「フェミ」に味方するよ。(フェミの方はなぜか一方的に敵視してくるのだが。)

個人的立場はともかく、一般的な話に戻るなら、二次元表象おまえら対立に巻き込むなよ。「双方の利益に」とでも言いたいのか知らんが、おまえらの言う「双方」に俺らは入ってないじゃねぇかよ。

2019-05-18

日本は~」と言わずに「私達は~」と言い換えてみませんか?

我々が暮らしている国、日本は、あらゆる面に於いて外国比較して遥かに遅れていることは厳然たる事実です。

しかしながら、それらを指摘し改善を後押しさせたいがために問題提起として主張する際に

日本は未だに~」「バカ日本は~」「正に中世____ランド」などと耳を覆いたくなるような罵詈で溢れています

「そんなことをして本気で日本が変わると思っているのか」と反論したくなりますが、上記の罵詈を文言で発する彼らは事実そう思っているのだから仕方ありません。

これでは日本に暮らす大多数の国民(彼らにとっては愚民)には声が届かず、上級国民戯言しか捉えてくれません。

おそらく彼らはそれでいいのでしょう。

私はよくないと思ったので、次の案を主張します。

日本は~」と言わずに「私達は~」と言い換えてみませんか?

そうすることで、「日本問題」というどこか遠いところに存在する問題を「身近な問題」として捉えることができます

「我々」でも「俺達」でも構いません。「自分のこと」と思えるような主張にすることが重要です。

「私は違うのに、どうして大多数の愚かな日本人と一緒くたにされなければならないの?そんなの耐えられない!」と思う方もいるでしょう。

どうぞ思ってください。私には、その思考を変える事はできません。

最後に、この文章の一行目は私の思想から全くかけ離れた主張です。

一行目の主張に同意する方にこの文章を読んでもらいたいがための方便です。この場をお借りして謝罪いたします。

2019-03-11

anond:20190311131836

弱者に寄り添え」=「我々の意のままに動け」

なお、「我々」=「弱者」とは限らないものとする

2018-07-11

anond:20180711111034

だいじょーぶだいじょーぶ。「我々」はその責任を失われた20年とかそんな感じのふいんき変換できない)で消化したから!

2018-06-11

anond:20180611205749

「我」だろ

だってバルタン星人とかの人類より進んだ異星人が「我々」って言うぜ?

anond:20180611191825

問題というか、そっちが本筋だったりして

問題が起きた時に野党が「我々が以前に指摘した通りだ!」と言っても指摘した時の「我々」じゃないと説得力なくない?少なくとも俺は「お前らはあの時のお前らじゃないじゃん」って思うよ

もし野党が「あの時のお前ら」のままならなんで名前変えたの?と思うし

やっぱり組織としての一貫性みたいなもの重要だと思うよ

2018-06-09

anond:20180609183242

リンク先の概要増田による解釈込み)

ナショナリズム同胞意識)は以下の3つが混在したもの

民衆ナショナリズム自分生活運命自分で決めたい、自己決定欲求に基盤)

公定ナショナリズム(↑から「お前は我々かそうでないのか」と問われたトップによる民衆への回答)

情報ナショナリズム「我々」はどこまで我々になり得るか、状況を共にしうるかの共有イメージ

この3つのナショナリズム」は国家State)にとって都合のいいものばかりではない。特に民衆ナショナリズムは時に国家破壊しかねない。

なのでそれを制御する必要があり、公定ナショナリズムによって国体民衆の間で握手が試みられる。

日の丸君が代だのは、その我々感覚をお互いに持っていることを確認する便利な道具として公定ナショナリズムが用意したもの

インドネシアでは異なる言葉を話し異なる宗教を信じる人々が「同じインドネシア人」になるために、どの集団言葉でも無い言語新造したように

日本のように伝統から調達されることもあれば、逆に自分たちの伝統から離れたシンボルを新しく作って「我々」になることもある。

「われわれ」という感覚を「お互いに想像できること」が大切で、事実である必要は必ずしも無い。

ナショナリズム本質的矛盾だらけのパッチワークだが、矛盾だらけだからこそ成り立っていて、ご都合次第で中身やメンバーを変化させうる。

そういうご都合主義の我々意識がないと、アフリカ部族間の絶滅紛争のような隣人同士の殺し合いを防げない。

日本最初に公定ナショナリズム(我々の定義)に踏み込んだのは天武天皇

2017-08-29

なんでもテロ呼ばわりすんのやめろ

お前が不快からってテロ呼ばわりして社会問題すり替えるのやめろ。


テロと呼んだ瞬間、テロリストとは交渉しない=話合いの余地はないと自ら宣言していることに、お前は気がついていないだろう。話し合う気がないから、Twitterで「あの人テロリストです」と呼びかけ、リツイートしてくれる賛同者を募り、「我々」と「奴等」の越えられない境界線を引く。

そしてお前は、「我々」の内側で、「奴等」に対して呪詛を吐き続ける。いつまでもいつまでも


それはお前が望んだことなのか?お前はただ単に「あの人のあの行動ちょっと嫌だな、なんとかしてくれないかな」と思っただけではないのか?呪詛ツイートすることで、それは解決したのか?

2017-06-19

田崎史郎は「政府」と言いたい所で間違えて「我々」発言した?

TBS ひるおび! 2017年6月15日 木曜

0:53 頃 (室井佑月質問に答える田崎史郎)

室井「ちょっ……あの、田崎さんに質問したいんですけど、

 共謀罪のことってぇ、こんなになんか緊急を要する必要ってあったんですか?

田崎「やっぱこの国会で、最重要法案ていう位置づけで、やってましたよね。

室井「でも、結局、そのー説明ができないっていぅ……説明できなかったじゃないですか。

 大臣だってきちんと答えられなくてぇ。」

田崎「あぁ」

室井「そういうことっていうのはぁ、あまり国民に対して気にしないってことなんですか?」

田崎「いや、気にはしてますよ、そりゃ。あぁ。」

室井「はぁ」

田崎「あの、別にあの、せ、僕もあの委員会審議聞いてたんですけどもぉ。

 委員会審議聞いててもね、なかなかねぇ、これ、わからないんですよ。

 あーだからあのー、あの説明し、した、われわれの、政府の方は説明したつもりでもぉ、あのー、国民に伝わらない、っていうことが、現実に起こってるんですよ。えぇ。」

「我々の、政府の方は」と言い直したように聞こえて疑問に思ったので、文字起こししてみた。

「われわれの」とした所は曖昧な音で、ごく短く発音してる。

「あのー」「あれはあの」など、似た音で意味が通る言葉が他にないか探したが、見つからない。

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