はてなキーワード: CD-ROMとは
https://anond.hatelabo.jp/20180508004011
まだまだDOSの全盛期
autoexec.batに書き込んだら自動で実行するようになる
デバイスドライバを読み込みすぎるとメモリが足りなくて動作しなくなるので
LAN Managerを使ってネットワークに接続するときはCD-ROMドライバを外すとかしてた思い出
※余談だが、ゲームにはゲーム起動用のconfig.sysを書いてた
壁紙が見えなくなるので透過させるフリーソフトを入れたりしてた。
秀丸4000円
32ビットアプリも動くんだぜ?といってもNTから持ってきたピンボールぐらいしか動かさないけどな!
OpenGL?あれは重くてなあ...パイプがうごくスクリーンセーバーぐらいしか動かないし...
自慢じゃないけど、何をやっても長続きしない。仕事に関しても基本的に根性なしだけど、楽しいはずの趣味で「やってみたいなぁ…」と思ってチャレンジしたものでもダメだ。
1 折り紙
子供の遊びだと思われてるかも知れないけど、連鶴(紙に切り込みを入れて何羽もつながった折り鶴を作る)とかユニット折り紙(何十枚も部品を折り上げて組み立て、
くす玉とかそれに類するものを組み上げる)とかなかなか技と根気を必要とする代物がある。高校生から大学生ぐらいまでは一所懸命やっていたんだけど、気が付いたら
めんどくさくてやらないものの筆頭になっていた。が、紙製品は相変わらず好きで、単価も安いので、折り紙とかキレイな包装紙とか和紙とか見かけるとつい買ってしまう。
老後の楽しみに取っておいてもいいんだけど、今よりさらに老眼が進んで、根性もなくなったら結局やらないんじゃないかと心配である。
2 切り紙
上記の目的で買い集めた紙製品を無駄にしないために、型紙がデータ化されてCD-ROMで付いてる本と、アート用の細かいところまで切れるカッターを買ってみた。1個か2個 ぐらい作ってみたけど、作った切り紙の使い道がなくて、すぐに飽きた。でも連鶴やユニット折り紙を作るよりはこっちの方がお手軽だと思うんだけどな。
無心に作業できるところが良さそうだと思って12色入りの色鉛筆と本を2冊ぐらい買ってみた。元の本に直接塗るのがもったいなくて、塗り絵をコピーして塗り始めてみた
けど、やはり2ページぐらいしかやらなかった。絵心はないけど、色を塗るぐらいはできるかと思ったのに。12色の色鉛筆だと色が足りないと思って、36色の色鉛筆を買い
足したけど塗ってない。
4 着付け
今一番のマイブームだけど、元手がかかるわりに続かなかったときのダメージが大きい代物。うちの母がある程度着られるのだけど、母は習い事にお金をかけるのはムダだと
いう考えの持ち主で、「惜しくない着物を買って自分で練習しなさい」と言われている。とりあえずリサイクル屋で紬の着物と名古屋帯、長じゅばんをそろえ、小物類は
ネットで手に入れた。DVD付きの着付けの本も買ったので、いつでも練習できるはずだけどやってない。多少お金がかかっても着付け教室に行って、強制的に練習させられる
今では考えられない「IT黎明期あるある」ランキング https://ranking.goo.ne.jp/column/4939/ranking/50996/ ここを見ての疑問
個人的には森元総理がITとか言い始めた2000年がIT黎明期のイメージだろうか
元のアンケートの事象にうろ覚えで年代を書いてみる。人によって黎明期でイメージする年代はバラけてそう。
1993-94 → 1位 「フロッピーディスクの数が膨大」! 80票
1994-99 → 2位 画像の読み込みがおそすぎてイライラする 78票
1992-1998 → 3位 パソコン雑誌の付録にCD-ROM 71票
1993(東芝はもっと前)-2000 → 4位 フロッピーの容量は2HDで1.44MB 67票
1988-2000 → 5位 マウスのそこをあけてボールを取り出して掃除 66票
1999 → 6位 ADSLが出てきた当初は革命だと思った 62票
1987-1996 → 7位 プー ピポパポパピ ピポピポピー ピービーヒョロロロピーブピプーピーガーーーー 60票
1995-2003 → 8位 Officeソフトを開くと画面右下にでてくるイルカがウザい 46票
1993-1998 → 9位 スクリーンセーバーは謎のパイプか迷路 42票
1987-2002 → 9位 無線接続が無いので部屋に長いモジュラーケーブルを這わせていた 42票
1993-2005 → 11位 工事中のページが多い 41票
1994-1998 → 12位 インターネット中は電話ができないため家族に嫌がられる 40票
1995-1999 → 14位 テレホーダイの加入は必須 36票
1997-2003 → 14位 ホームページにはダサいアクセスカウンターを設置 36票
? → 14位 パスワード付きページがやたらと多い 36票
1995-1999 → 18位 テレホタイムにパソコンにはりつく 34票
関東大震災の朝鮮人虐殺云々が今更盛り上がっていますが、個人的に不思議なのは、たかだか100年前の出来事が本当にあったかどうかでもめている点です。
その頃にはもちろん新聞もあったし、写真や映像の記録も可能だったりしたわけで、それでもなお真偽のほどがわからないから揉めているわけです。
それってなんだか不思議じゃないですか?
ここで言いたいのは、真偽のほどがどうとかそういう話ではなくて、まだ生きている人間がいる100年前の出来事の真偽がわからないって、なんだか不思議だなっていう話です。
これがもし10年前の話だったらほぼ確実に白黒つくと思うんですよね。
何かしらの記録も残っているでしょうし、記憶も残ってる方が大勢でしょうから。
とはいえ、今から100年後に、最近起こった出来事の真偽を尋ねたとしたら、多分揉めると思うんですよ。
100年後の人から見たら、私たちが書いているチラシの裏以下のブログに書かれたクソみたいな文章と、著名な誰かが書いた素晴らしい文章との実質的な差異がわからないケースが出てくると思うんですよね。釣り記事なのに1000スターくらい付いてしまったエントリとかって、今は明らかにネタだとわかっていたとしても、100年後の人にはそれが判断できないと思うんですよ。その当時の時代背景を理解しているわけでもないですし、それこそ、その当時の日本におけるネット文化とその背景なんてものは想像でしか語れないわけですから。とすると、揉めちゃうはずなんですよ。記録はあるはずなのに、その記録の真偽のほどが判断できないから。
別の観点から考えても、揉める可能性の方が高い気がしています。
「インターネット上に何かを公開する=未来永劫残る」となんとなく思っている人も多いでしょうけど、実際は多分そんなことがないわけです。
現に、潰れてしまったブログサービスに乗っていた記事なんかはもう読めないわけです。
もちろん、個人的に記録を残している人もいるでしょうけど、彼らの記憶媒体が物理的に壊れてしまえばそれはもう見れないも同義なわけです。
CD-ROMやHDDやSSDなんて、もって10年程度ですし、定期的なバックアップを繰り返さない限り、記録はなくなってしまうわけです。
とすると、下手したらそもそも記録がないというパターンもそれなりに生まれるのかなと思ったりします。
これだけ社会が進歩して、記録するための仕組み化が進んだにもかかわらずです。
情報量が多すぎてまともな分析はできないでしょうし、色々な思想が混じり合いすぎて、何が正しいのか今以上にわからないでしょうから。
真実ってなんなんでしょうね。
人工知能学会から返って来た人工知能研究者。例の論文の著者の1人とも知合で今回もご挨拶した。家族に文系研究者あり。
多分理解されていないところをいくつか書く。
これは工学の論文なので、あくまで分析の対象はフィルタリング手法であり、小説は手法に入力するデータに過ぎない。
文学研究と異なり、小説の内容については評価を下していない。あくまで、データにどういう文字列が含まれていると、手法がどういう影響をうけるのかについて分析しているだけ、という立場だ。
分析の対象は手法であって小説ではない。だからこそ、「有害」という内容について評価を下しているかのような表現が不適切なのだと思う。
人工知能学会全国大会論文は査読なしだ。これは、人工知能学会だけが問題なのではなく、情報系の大部分の国内学会は査読なしである。
ただ、その理由が「本会議でボコボコにして論文で落とせばいい」としているのが、こちらからみると不思議だ。査読付き論文も同じ国内学会に出すことを前提に書かれているかのようだ。
この分野における研究者の業績評価に用いられるのは国内学会ではない。
AAAI,IJCAIなどのトップカンファレンスと言われる、重要な査読付き国際会議にどれぐらい通したかで研究者の業績が決まる。
つまり、英語に直さないと、そもそも、業績になどならない。ダメな論文は、国際的に評価されないだろう…と思っているから、あまり関心がないのだ。
今回の人工知能学会も、多くの論文が、今年、同内容でどこか良い査読付き国際会議に投稿された英語論文の原稿を、日本語に翻訳したものだ。
国内学会を査読なしにしているのは、多様な論文を受け入れる意味もあるが、一番の理由は、査読者を確保する事が難しいからだろう。
査読者になるのは国際的に活躍するトップの優秀な研究者たちだ。彼らの時間を、国内学会の論文の査読などに使わせてしまっては、国際競争力が落ちる。
ただ、一応、賞を出す制度があるので、全論文に対し、誰かが読んで評価はしている。
そういうわけで、全国大会で発表することに大した業績的意義がないので、学生も普通に発表する。
企業研究者も全国大会に大勢来ているので、優秀な学生が入ればインターンに呼んだり就職勧誘したりする。
多分、今回問題になったのは、ここだろう。人工知能学会は、全論文PDFを一般公開してしまう。
このあたりの対応は、情報系でも、国内学会によってまちまちだ。昔は、CD-ROMを配るだけで、CD-ROMを持っていないと論文が見られないなんて会議や、電話帳みたいな紙の予稿集を配っていた会議もある。
★2000/04 『彼女と彼女の猫』にてDoGA主催 第12回 CGアニメ コンテストのグランプリを獲得
www.doga.co.jp/ptdoga/contest/con12/html/12_11.htm
www2.odn.ne.jp/~ccs50140/colum2003.html
★2000/05~ ファルコム退社(『ほしのこえ』を制作するため)
twitter.com/shinkaimakoto/status/647800736487600128
★2001/01-04~(?) コミックス・ウェーブによるマネジメント開始(?)
bylines.news.yahoo.co.jp/sakaiosamu/20160926-00062558/
>新海誠のマネジメントをぼくがやることになったんです。『ほしのこえ』を作っている最中
www2.odn.ne.jp/~ccs50140/colum2003.html
>2000/12/17 「彼女と彼女の猫 MOVIES & SOUNDTRACKS」を冬コミ(筆者注:C59)で売ります(DoGAで売っていただきます)
>2001/04/01 猫のCD-ROM、ようやく再販を始めました。マンガズーさんのご協力で前回よりちょっとだけ豪華に
※販売協力がDoGAからMANGAZOOに切り替わってるので、この辺りに関係を持ったと推測。
※なおMANGAZOOもC59に参加している(www.comiket.co.jp/info-a/C59/C59kigyo.html)
★2001/06 『BITTER SWEET FOOLS』ムービー制作
www2.odn.ne.jp/~ccs50140/colum2003.html
>2001/06/14 現在短いムービーを制作しています。鉛筆スケッチの手書き+3DCGというスタイル
★2001/08/31 『BITTER SWEET FOOLS』発売
www.minori.ph/lineup/index.html
www2.odn.ne.jp/~ccs50140/colum2003.html
ascii.jp/elem/000/000/325/325424/index-2.html
※ascii.jpの記事では原画の相田裕を始め脚本、音楽には触れているもののOPについては言及なし
dnarna-mirror.sakura.ne.jp/techle/2001/07/
dnarna-mirror.sakura.ne.jp/techle/2001/08/
dnarna-mirror.sakura.ne.jp/techle/2001/09/
※『Wind』のときはOPに言及したニュースサイトが『BSF』のOPには触れていない
★2002/01-02 『Wind -a breath of heart-』ムービー制作
www2.odn.ne.jp/~ccs50140/colum2003.html
>2002/01/28 次の仕事の関係で、先日初めてプロの手によるホンモノの動画を手にしました~
>2002/02/16 ちょっと仕事が詰まり気味でして、この土・日は以前の会社の後輩にお願いしてマシン持参で手伝いに来てもらいます~
>2002/02/20 3日間こんちきさんにアシスタントに入ってもらい、何とか仕事の目処がついてきました~/今日はSプロデューサー(筆者注:酒井伸和)がお見えになり~/今回の仕事(ムービーです)の結果は3月1日からご覧いただけるようですが~
★2002/02/02 『ほしのこえ』下北沢トリウッドにて公開
www2.odn.ne.jp/~ccs50140/colum2003.html
>2002/02/03 トリウッドはお陰様で毎回満員、見に来てくださった方々とも直接のお話が出来、本当にありがとうございました!一晩のうちにこれほど沢山のメールをいただいたのもの初めて
web.archive.org/web/20020609191424/www.mangazoo.com/news/news.php3?id=889
dnarna-mirror.sakura.ne.jp/techle/2002/02/
★2002/03/01~ 『Wind -a breath of heart-』のOPが『ほしのこえ』の上映会の最終日にあわせて下北沢トリウッドで先行公開、その後web上でも公開
web.archive.org/web/20020610084350/www.dengekionline.com/g-net/g-net_news/200203/02/gn20020302wind.htm
gamez.itmedia.co.jp/games/movie/wind/index.html
www.itmedia.co.jp/games/gsnews/0203/05/news07.html
当時のニュースサイトの反応
dnarna-mirror.sakura.ne.jp/techle/2002/03/
>200203-061235 → Windオープニング minoriがミラー協力者へ委託
>200203-070015 → Wind高画質版ミラーに5時間で5500アクセス
>200203-072226 → Windデモムービーのミラーによる転送量が5.5GB
>200203-092338 → ねこねこソフト Windムービー見て奮起
※『Wind』の発売は2002/04/19
新海さんが筆まめかつ過去の情報を残してくれるひとで良かったね!
あとInternet Archiveと俺ニュのミラーしてくれてるひともありがとう!
なお当時の状況を伝える個人ニュースサイトに俺ニュを選んだのはログが残ってたから。カトゆーかsawadaspecialあたりが残ってたらそっちも載せた。
いまこれ読んでて
http://time-space.kddi.com/digicul-column/suguyaru/20151221/index.html?sid=co_prts_ttw
ふと当時家にあったPCで夜な夜な見ていたグラビアアイドルのCD-ROMなんだっけって調べること小一時間
まず確実な記憶としてエプソンのなんかだかってことは覚えてたから
http://ameblo.jp/yamayamayamayama/entry-10024864415.html
したけど、まったくこの人や!って名前がでてこない
なんで逆に、当時活躍していたグラビアアイドルを見たほうが早いってことになり
あった!ってなって、新山千春だったことを思い出す
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%B1%B1%E5%8D%83%E6%98%A5
http://page18.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/w33741768
まさに俺が見ていたCD-ROMや!ってなって感動した
http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/989697
このネタ、定期的にやってくるね。見るたびにほんとクソだなって思う、こういうこと平気で言うアーティストって。
結局、世の中の事象を表面的にしか捉えられない極めて残念な頭脳の持ち主だってのが露見するからこういうのはできるだけ見たくない。
CCCDやレーベルゲートCD(以下CCCDに統一)は、別に必要が無いのに突然作られたわけじゃない。ビジネスとしてそれが必要だと判断されたから作られた。それが成功か失敗かに関わらず、産業を護るための1つの手法として作られた。
当時、音楽の世界を猛烈な勢いで襲ってきたのは、「印刷技術の陳腐化」と、「それに伴う経済圏の破壊」だ。
音楽が、中世のパトロンに音楽家が養われていた時代から先に進めたのは「印刷」の技術のおかげだ。楽譜を印刷し、アナログレコードを印刷し、そしてCDを印刷することで音楽をお金に変えることに成功した。1つのマスターを大量に印刷し複製すること、その「印刷」が特別な技術であったからこそ、そこに金銭的な価値が生まれ、音楽を金に変えることに成功した。
マネタイズが上手くいった場合の恩恵などいまさら語ることではないと思うが、その金がさらなる設備投資を生み、最高峰の音楽スタジオを作っただけでなく、作品の多様性、文化としての多様性をも生んだ。1作品の売上で1度失敗したらすべてが終わる世界ではなく、大衆に広く伝わる音楽から、極めてマニアックでありながらしかし深く深く誰かの胸に突き刺さるような、採算を考えたら許されるはずのない作品さえも許容できる余裕が生まれた。80年代、90年代の音楽を見ればそれは一目瞭然であり、多様性こそが文化としての豊かさだというのは誰の目にも明らかだ。それもこれも、マネタイズが上手くいっていたから可能になったことだ。
この辺の「ありがたみ」を、元記事の音楽家などはきっと理解していないんだろうと思う。もっとも恵まれた時代に活動し、勝手に思うがままにできていた世代特有の傲慢さ。プラットフォームを築き上げることがどれだけ大変で、それを維持することがどれだけ重要なことか、まったく理解していないんだろう。いい歳こいてるくせに。
それらの恵まれた状況をもっとも大きく変えたのは、「家庭用パソコンにCD-ROMドライブが搭載されるようになった」ことに他ならない。その時点で「印刷」の専売特許が失われ、「印刷」が家庭レベルに落ちた。誰でも印刷ができるようになってしまった。ここでいう印刷とは、CD-Rに焼く行為のみならず、HDDにデータを取り込む、そのデータをコピーする、これらすべてがつまるところ「印刷」だ。誰でも自由に印刷ができるようになった時点で、そこに金銭的な価値を維持できるような専売性は無くなった。
それをいち早く察知したのは、アップルとグーグルだ。彼らはしきりに「おまえの持っているCDをパソコンに取り込め」とけしかけた。とにかく入れろ入れろとしきりに促した。同時に「その取り込んだデータをどうするかはおまえ次第だから知らないけどな」と、極めて狡猾な態度をとり続けた。スティーブジョブズが本当に音楽家を救いたかったのだとしたら、やるべきことは人々にCDをパソコンに入れさせコピーさせることでは無いことは彼も気付いていたはずだ。気付いていながら彼は巧みにポジショントークを繰り返し、自社製品を売り、むしろ自社製品が音楽を救うとまで言ってのけた。そして、それに音楽家たちはまんまと騙された。
音楽をパソコンにさえ入れさせれば、後はユーザーが勝手にコピーするなり、ネットにアップするなり、金も法も関係なく勝手にやり始めることを彼らは知っていて、それを積極的に促した。
なぜ彼らはそれができたかといったら、それは「彼らは音楽に投資をしていなかったから」に他ならない。制作費やスタジオ設備に一銭も出していないからだ。音楽CDプラットフォームを作ると同時に音楽制作も始めたソニーには、ビジネスを通じて音楽文化を育てる気概があった。対してアップルは音楽制作には一切触れようとしない。彼らは単に、はちゃめちゃコピーマシンと、投資はせずに回収だけするプラットフォームを作り上げただけだ。
そうやって彼らが「パソコンにじゃんじゃんCDを入れちゃって~」とやり始めた時、当然、それに抗わなくてはならなかったことを想像もできないようなら、もう一度中学生からやり直した方がいい。
コピーコントロールCDという名前が表すように、コピーをコントロール、つまり「印刷」をコントロールする必要があった。そうしないと、音楽を育むための全ての経済圏が破壊されてしまうからだ。指を咥えて待っているわけにはいかない。対策を講じなければならない。
明らかに不利な立場だった。何もしないと責め立てられ、やろうとすると「考えが古い」と叱責される。アップルやグーグルが上手かったのは、いかにも「先進的で素晴らしいパラダイスを目指している」ようなイメージをアーティストたちへも擦りこむことに成功していたことだ。その先に実際には何もなくても、イメージさせてしまえば勝ちだ。あの頃のみんなに「10年後、音楽はアイドルと大人数ホストサーカス団しか残ってないよ」と教えたらどんな顔をするだろうか。
実際にはCCCDの技術はあまり褒められるようなものではなかったし、それは作った側も認めている。技術とアイデアが足りなかったのだとは思う。しかし同時に、何もしないわけにはいかなかったこともちょっとは理解してやったらどうだ。いい大人なんだから。
当時、全てのレーベルがCCCDを出していたわけではない。人を「犬」呼ばわりするほどCCCDが嫌なのだったら、違うレーベルからリリースすればよかったではないか。契約などのせいでリリースせざるを得なかったのだったら、裁判でもやって争えばよかったではないか。制作費をしこたま出して貰って、ワガママもできるだけ聞いてもらいながら制作をしていた人間が、気分でボロクソに言うのって本当に程度が低いと思う。
CCCDは正式にはコンパクトディスクでは無い。redbookのCD-DA規格に準拠していないからだ。つまり厳密なことを言えば、CCCDに対応していないCDプレーヤーにCCCDをぶち込むのは、CDドライブにフロップーディスクをぶち込むのと大して変わらない。
ここで「だからプレーヤーが壊れたのは自己責任」などとは言いたくないし、その辺りは確かにソニーやエイベックスのやり方や啓蒙の仕方、技術には問題があった。 だが、何かしらの対策をしないといけないのは明白で、それに対して失敗したからといって上から目線でボロクソに言うのはまったく関心しない。
実際、あれからCCCDは多くの非難を浴びた。ほぼ同時期に、アップルはiTunesにまったくもってクソみたいに使いにくいDRMを自ら導入し「ほら、使い辛いでしょ?」とお決まりのポジションで言ってのける演出をし、そして業界全体が「コピー禁止やDRMはやってはいけない」という風潮になり、まんまとIT屋の餌食になった。 すぐ近所でゲームや映画DVDは「私的複製を許可するけど、鍵は外したら怒るよ」というクレバーなやり方を開発し、一定の効果を上げコントロールできているというのに、音楽だけは「複製は許さなくてはならない」という空気に飲み込まれた。そんな馬鹿な話はない。それもこれもアップルとグーグルの熱心な啓蒙のおかげだ。
そしてレーベルやアーティストは制作費が出せなくなった。 自宅で制作したような貧乏臭い音のショボイ作品しか作れず、過去の遺産にしがみつくしかなくなった。若いアーティストたちはどんなに才能があろうと、お金を掛けた制作をさせてもらえずバイトをやめることができなくなった。毎晩、叙々苑弁当を食わせてもらってた上の世代がこぞって「音楽をタダで聞かせればファンが増えてもっとカネになる!」とかいうアホみたいなIT屋の理論を鵜呑みにし業界をその方向へ誘ったがために、明らかに業界は縮小し、文化は萎縮し、これから先の若い才能は音楽などやらなくなってしまった。
おまえが良識のある音楽家たちを「犬」呼ばわりするなら、おまえはあいつらのポジショントーク、セールストークを無邪気に信じこんでお花畑を目指してたITの「犬」だろうが。 mn3
毎日の英単語 日常頻出語の90%をマスターする James M. Vardaman
英会話・ぜったい・音読 【続・入門編】 (CDブック) 國弘 正雄
どんどん話すための瞬間英作文トレーニング (CD BOOK) 森沢 洋介
フォニックスってなんですか? 発音確認 エクササイズ用CD付 松香 洋子
CDBフォニックス<発音>トレーニングBOOK (アスカカルチャー) ジュミック今井
30 Days to a More Powerful Vocabulary Norman Lewis
Instant Word Power Norman Lewis
1000 Most Important Words Norman W. Schur
同義語とあわせて覚えるTOEFLテスト頻出英単語4000 (TOEFL iBT Test パーフェクト対策シリーズ) 内宮 慶一
Official TOEFL iBT Tests with Audio (Educational Testing Service) Educational Testing Service
Official Guide to the TOEFL Test With CD-ROM, 4th Edition (Official Guide to the Toefl Ibt) Educational Testing Service
大学四回生の夏、下宿の扉に「出入禁止」とチョークで大書し、親を呼ばれて精神病院に連れて行かれた。
パソコンを買ってもらったのは小学三年生の冬だった。今でも覚えている。1996年12月2日のことだ。Windows95発売で世間は揺れていた。インターネット回線がうちに来たのは翌97年の1月、これはそこそこ早い導入だったと思う。さらに翌々年の99年にはケーブルテレビで常時接続になった。親には先見の明があったが、しかしパソコンには詳しくなかった。PC-8001も確かそうだ。親はこれが次世代の必需品になると確信して買っていたが、買った一方で使い道が分からなくてオブジェとして放置していた。親はPC-8001をパソコンだと言っていたけれど、僕にとってパソコンはおっきなテレビが標準で付属しているものだったし、マウスもなかったので、それがパソコンだとは到底思えなかった。でも親は言った。今度来るのは違うんだ、オフィスも入っているパソコンなんだ。僕は聞いた。一太郎っていうやつは入ってないの?テレビで言ってたよ、と。親は答えた。オフィスってのは一太郎より機能がスゴイんだよ。僕はへぇ、とだけ言った。どちらにせよペイントは入っているだろう。ペイントなら親戚の家で使わせてもらったことがある。パソコンはお絵かきができるのだ。マウスをカチカチして、キーボードをカチャカチャするのだけが楽しみで、納品の日を一週間ひたすら待った。その頃、漢字の宿題提出が滞っていて、そのままでは居残りでさせられることになっていた。僕は久々に奮起した。いつもは踏み倒していた宿題を、全部一気に終わらせた。家に帰るとパソコンが電気屋さんの手で設置されつつあった。今は亡き、ニノミヤで買われたパソコンであった。
97年にインターネットを始めた。一日一時間まで。実のところ電話代の問題ではなく、一時間ほど使うとブルースクリーンが発生するからだった。一日一時間以上動かすと壊れるから。PC-8001をキッチリ買った親なのに、それぐらいの(?)ITリテラシーであった。ただ別にそれを責めるつもりはない。僕はすぐにアングラサイトに入り浸った。人に飢えていたのだ。普通のチャットには人がいない。テレホタイムにならないと、誰一人ログイン氏亡いのだ。でも、アングラサイトなら四六時中書き込みがある。僕は思う存分厨房行為を楽しんだ。煽り騙りなんかは、小学生がやっても大人がやっても大して変わらないものだ。You is a big fool manという文句をリアルタイムで目にした人は、多くても数百人だっただろう。何千、何万のツイッタラーが押し寄せ、ブクマが1000以上付くような今の炎上とはほど遠い暢気さだ。当時の匿名掲示板とはそういうものだった。誰一人本気で投稿しなかったし、しかし誰一人面白くない書き込みをしようとはしなかった。トイレでもネタを考え、思いつけばすぐに投稿し、ワラタが付くのを待ち続ける。あやしい、あめぞう、あやしい、2ch。人の多いところから人の多いところへ。ワラタが多くもらえる場所へ。気づいたらインパクが終わっていた。
その一方で僕は中高一貫の私立校に入学していた。高校受験がないことから、ネット依存はさらに加速した。しかし2000年を境にアングラ掲示板は衰退の一途をたどり、2ch一強時代を迎えていた。1ch.tvをボコったりするなど楽しいネタがないわけではなかったが、匿名掲示板はネタの宝庫と言うより、本気でちゃんと議論することもできる場所になり始めていた。ちゃんと議論しようとしたらすぐさま崩しにかかるのが2ch隆盛以前の匿名掲示板文化であったが、2003年頃を境にはっきりと潮目が変わっていったように思う。まあその辺はどうでもいい。アングラと非アングラの境目は消え始めていた。
その狭間に、僕は生きていた。
自分で掲示板を設置することにした。けれども何をして良いのか分からない。CGIレスキューに救援要請をして本も買った。Perlだ。Perlしかない。しかしPerlがどうして動いているのかは、全く分からなかった。何十行、何百行もの文字の羅列が、どこでどうなって、掲示板になるのか。インタプリタ?コンパイラ?訳が分からない。そもそもCPUがどうやって動いているのかも分からない。僕にとってプログラムとは、セットアップウィザードでCD-ROMをギュンギュン言わせながらインストールするものであって、掲示板というものは、Teacupで借りるものだったからだ。でもどうやらそうじゃないらしい。コンピューターに翻訳するのがコンパイラです。さっそくコンパイラを使ってみましょう……
お手上げだった。
コンパイラがないのだ。コマンドプロンプトにはない。Linuxを入れる?使い方が分からない。Vine Linuxが初心者にお勧めだった頃の話だ。ボケッとしててもGNomeぐらいは動かせる程度には簡単になっていたが、そこからターミナルを開いてgccでコンパイルするなんて想像も付かないことだった。Hello, Worldはなんとか表示できても、それをGUIで動かす方法が分からない。僕はデスクトップに「Hello, World」のポップアップウインドウを表示させたかったのに。全然訳が分からなかった。
プログラムが動いている方法を知らなければならない。プログラミングを学ばなければいけない。しかし全体像を把握するにはあまりにもほど遠い……。絶望感が支配し始めていた。Hello, Worldはできたけれど、その先が全くわからない。どの参考書を読んでも分からない。ググってもググっても分からない。ポインタで躓く初心者が多いです!……どの本にも書いてあったけれど、僕はポインタどころか、変数の種類がたくさんあるところでお手上げだった。int?char?long???意味不明の文字列が並び続ける。メモリ?メモリって、挿したらいいんじゃないの?確保?fopen????どんなプログラミング言語も、何一つ分からなかった。その頃インターネットは加速し始めていた。切るのが当たり前だったJavascriptが復権し、Ajaxと名を変えてやってきた。掲示板スクリプトもどんどん高機能化し、もはやPerlを知るだけでは何一つできないようになってしまった。苦痛の日々が始まった。どの言語も、全く分からなかった。分からなければならないという焦りが募っていった。
あるとき、一年間ほど、とりあえずお手上げのままにしておくことにした。大学受験が迫ってきたからだった。そして案外あっけなくそれは終わった。僕は某大学の情報科学科に入った。
教授がガイダンスで説明したとおり、情報科学科のプログラミング演習はそれほど多いものではなかった。一回生の時なんか、キーボードを目で追って人差し指で打っている人もいるぐらいだった。学校の授業はアテにならない。そして大学受験でいったん引っ込んだ、とにかく十代でなにかしないと、という焦りが復活してきた。
大学のキャンパスは広すぎた。何をして良いのか全く分からなかった。授業内容はひどくつまらなく、何が役に立つのかも分からず、ただただ苦痛で、キャンパスでサークル活動に打ち込んで楽しく過ごせるほど社交的ではなく、かといってオタク集団に混じる勇気も無く、とにかく、とにかくここで四年間、四年間で何かしないと、何かしないと就職に間に合わない、大学院進学に間に合わない、十代のうちに何か大きな事を成し遂げなければならない。日々研鑽に励み、日々プログラミングスキルを磨き、日々勉強会に参加し、日々コードを書き、日々環境設定をし、日々本を読み、そして日々コードを美しく書かなければならない、そういう焦りだけがどんどん加速していった。大学の生協で片っ端からプログラミングの本を買った。ド初心者向けのPerl本から、美しいコードは何か、みたいな本まで。でも、どれ一つ、僕のスキル向上には役に立たなかった。プログラミングスキルの向上=自分自身の地位=生活の保障、と思っていた自分には、悪夢のような現実だった。
とにかくインターネットと一緒に歩んできた僕にとって、ITスキルはすなわち力であり、むしろITスキル以外は何の価値も持たないもの、と思えるほど脅迫的な観念にとらわれていた。入ってくる情報はさらに増えていった。Cができるのは当たり前、Ruby on Railsがアツい、Java、PHPはもちろんできるよね、MySQLは当然使えるよね、もちろんHaskell、Scheme、Objective-Cもやらなきゃね……何一つできないのに、習得すべき言語だけがどんどん増えていく。加えて美しいコードを書け!という文句が飛んでくる。クソッタレが。何が美しいコードじゃ。goto使ってもいいだろ。好きなだけ使わせろクソッタレが。全部getsで書いてやる。クソが。アルゴリズムアルゴリズム勉強会勉強会ビューティフルコードMacMacMacジョブズジョブズジョブズ……???????????????
それでもなんとか、そう、なんとかなった。友達が優秀だったのだ。僕には到底できないような、きれいに整理されたコードを書く人だった。聞けば在学中から外注のプログラマをやっていて、それなりに稼いでいたのだという。性格はちょっとアレで、風俗に勇気を出して行こうかどうしようか迷ったけどその金でオナホ買ってシコってオナホを床に叩きつけたみたいなヤツだったけれど、そいつからもらったコードを、わざと汚く成形し、変数名も汚らしくし、提出し、なんとかなった。結局自分で最初から最後までプログラムを作ることはできなかった。丸々コピペはしなかったけれど、コピペがなければ卒業は無理だっただろう。
そうして三回生の終わり、試験がどっと押し寄せてきた。一月のことだった。機械学習と……なんだっけ?そういう感じの試験が、2月の初日、行われることになった。三回生はただでさえ試験が多かったが、その大トリこそが機械学習だったのだ。
まるで意味が分からなかった。推論、それは分かる、機械学習?機械に学習??やっていることは数式だしベイズがどうの……まるで分からない。泣きそうだった。三年間必死こいて勉強したり勉強会に行ったりプログラミングスキルを上げようとしたり本を読んだり色々したのに、何一つ得るものは無かったのだ。僕はあやしいわーるどでオマンコ連呼していた頃から、何一つ成長出来なかったのだ。そしてそれは、間違いなく、疑いようがなく、自分のせいだった。自分の頭が悪いせいで。自分の勉強不足のせいで。自分のせいで……コンピュータとともに、十何年も育っていた僕にとって、コンピュータに関するスキルこそが、全ての力の基準だったのに、その全てを否定されたような気持ちだった。プログラミングができなければ、死ぬ。だって、友達はみんな就職して、SEになったりSIerで働いたりネットワーク管理者になったりしてるのに、僕はなんで、こんなところに。そいつらに取り残されるのに。みんな勉強会に出てMacを持ち寄ってハッカソンしてるのに。泊まり込みでプログラミングしたりしてるのに。なんで僕は、fgetsすらマトモに使えず、getsとscanfだけであなたの名前を入力してください オマンコ オマンコさん、こんにちは!みたいなプログラムしか書けないんだ。
大学四回生になった。研究室を選択する必要があったがしなかった。しないでは困るとのことで、適当に書いたらその一番上に配属された。でも一切研究せず、下宿に引きこもって何もしないをした。今日の輪講はここまで進みました!という報告が毎週回ってくるが、まるで研究室では日本語でなくアラビア語が公用語になっているのではないかと思えるぐらいの光景だった。この頃、近所の人の証言によれば、言動がおかしく、訪ねてきた人に暴言で返し、殺す殺すなどの声が聞こえ、時折モノを投げつける音が聞こえたりしたそうだ。まあよく知らない。僕は普通に何もせずぼんやりネットを見ていただけのような気がするけど。
それからしばらく経った。
結局僕は中退した。そして別の大学に入り直した。今度は、工学じゃない別の場所に。みんなキーボードの文字を読みながら指先でキーを叩いている。安心する光景だった。僕らはプログラミングを習わなくてもいい。これから習う必要も無い。タッチタイピングだって、できるに超したことはないだろうけど、できなくてもいい。ただ、そこにある便利なモノを使えば良いだけなのだ。Chromeを使っていて、うっかり開発者向けコンソールを開いてしまっても、何も分からなかったことにして閉じて良いのだ。きっとマクロを書けば、楽ちんに勝手にやってくれるような作業を、人の手で何度もやる。それでいいんだ。マクロを考えるために必死になる必要なんか無い。マウスで右クリック、コピー、ペースト。それでいいのだ。キーバインドすら覚えなくて良い。メモ帳を使ってもいい。viやEmacsのキーバインドを覚えなくてもいい。マウスも使えないようなエディタと格闘する必要は無い。Macを買っても、XCodeやportsを入れる必要は無い。iTunesでiPhoneを同期させて、音楽を聴くだけでいいんだ。
僕はもうプログラミングしないでいいんだ。
それが分かったとき、全てから解放されたような気がした。僕を苦しめ続けたプログラミングというものは消えてなくなった。パソコンでやる作業は、昔と一緒、匿名掲示板にオマンコと書き込むだけだ。それ以上のことをしなくてもいいんだ。勉強会に出てハッカソンする必要は無いんだ。プログラミングスキルを錬磨しないと死ぬなんてのはウソだったんだ。美しいコードを書かないと天罰が下るというのはウソだったんだ。毎日毎日はてブのホッテントリを見てると、プログラミングでマスターしなければならないこと、何何する方法、開発者必須スキル、便利ツール、Macでのアプリ開発、セキュリティ、通信、データベース、勉強会、ハッカソン、そういうもので溢れている。苦しくないのか不思議で仕方ない。もちろんプログラミングをしていて楽しい人もいるんだろう。けれど、僕みたいに、プログラミングという行為が苦痛で苦痛で苦痛でしかない人もいる。たとえ1000回の同じ操作でも、人力でやる方がマクロを書くよりも楽だという人も、ここに存在するのだ。そしてそのような人の存在も当たり前に肯定されるのだ。みんな苦しまなくて良いんだ。誰かが勝手にやってくれればいい。できる人にお金を渡して、僕らはそれを享受するだけで良いのだ。ここでプログラミングという言葉を連呼したけれど、コーディングという言葉との違いとか、そういうのを気にするような人とおつきあいする必要は無いのだ。いずれプログラミングは必須スキルになるとか言われて何年も何年も苦しみ続けてきた。けれど、そんなことをする必要は無いんだ。
それでぶっちゃけここからが本番なんだが、十代でなんとかしないと、という焦りはこないだの青木君の小四なりすましの話に似ている。僕もそうだった。僕らの世代だと登大遊氏なんかが結構輝いてて、ああいう感じにならなきゃ、と思っていた節はある。十代の時になにか成し遂げないといけない、そのためには誰かに認めてもらわなければならないという焦りは、どれくらいの「大人」に理解してもらえることなのだろうか?誰かの承認を得たいという承認欲求を、同じ世代の誰かを使って満たすことができず、むしろ同じ世代の誰かを一緒に引き連れて、承認欲求を満たしてくれる「教祖」にすがりつく。NPOの大学生が「承認」を欲し、政治家が「承認」を与えているのだ。AO入試用の作文?図?みたいなものも見かけたが、「私はリーダーシップがあります!」とか実にくだらないことしか書いていない。しかしそういうものでさえ、学生団体とやらは「承認」してくれる。結局、オウム真理教が丸ごと開けたポジションに、バラックが建ち並び闇市が行われていて、コミュニケーションで自然と得られるはずの承認欲求が、法外な札束で取引されている、そんな感じのような気がする。
意外にブクマが増えていた。PC-8001は俺が産まれる前に買われたもので、ずっとオブジェだったのだ。動くかどうかもわからない。テレビに接続するコードがなかったから。
1989年に東芝が発売したDynabook J-3100SSが世界で最初のノートパソコンである。すぐにNECが続き、1990年代になると、IBMとアップルが参入、東芝、アップル、IBMが次々に新機能を加え、1995年頃には、現在のノートパソコンの標準的な機能の原型が完成した。
1990年代中頃から、国産各社が参入、先行各社は新機種シリーズを展開した。また、インターネットが普及し、モバイルコンピューティングが盛んになった。それにより、ノートパソコンが急速に使われるようになり、2000年にはノートパソコンの出荷台数はデスクトップパソコンを追い越した。
2000年代を通して、小型化、軽量化、高機能化、省電力化が進んだ。2000年代末には、iPadで代表される新しい形態の携帯機器が出現し、ノートパソコンと競合するようになってきた。
とかくパソコンの分野では日本企業の低迷が指摘されるが、ノートパソコンの分野では、東芝に代表される日本企業が業界を先導したきたのである。少なくとも1990年代まではそうであった。ところが、2000年代になると、ノートパソコンがパソコンの主流になったのに、日本企業の優位性は低下してきた。それを挽回する手段を講じるべきなのか、あるいは陳腐化したこの分野は中国等に任せて、日本は新分野を開拓すべきなのだろうか。
ラップトップとは「膝の上」の意味であるが、デスクトップパソコンより小さく、ノートパソコンよりも大きいサイズのパソコンを指す。携帯可能であるから、これを含めてノートパソコンということもあり、その境界は厳密なものではない。
・1984年 NEC PC-8401A
(PC-8401Aのほうが早いのだが、電池やフロッピーなどが外付けなため、一般にはT-1100が世界初で、PC-98LTがNEC初だとされている)。
T-1100の仕様を示す
・CPU:80C86(16Bits)、5MHz
・メモリ:最大512KB
・外部記憶:3.5インチFDD内蔵(720KB) 。ラップトップでは世界初のHDD内蔵
・サイズ:310(W)×300(D)×67(H),4kg
最初のノートパソコンは1989年に、世界に先駆けて日本で出現した。
発表はPC-286NOTEのほうが先だったが、出荷はJ-3100のほうが早く、しかもヒットしたので、一般的にJ-3100を最初のノートパソコンだとしている。なお、PC-9801Nはやや遅れて出荷されたが、これにより「ノートパソコン」という用語が広まったといわれている。
J-3100SSの仕様を示す
・CPU:80C86(16Bits)、5MHz
・メモリ:最大3.5MB(標準1.5MB)
・外部記憶:3.5インチFDD内蔵(720KB/1.2MB)
・電源リジューム機能の提供 ・ジャストシステムATOK7のROM搭載 ・AT互換機
・サイズ:310(W)×254(D)×44(H),2.7kg)
1990年代に入ると、IBMとアップルがノートパソコンに参入した。1990年代前半の特徴のある機種を列挙する。1995年頃には、現在のノートパソコンの標準的な機能の原型が完成したといえよう。
・1990年 東芝 DynaBook J-3100 SS02E 世界初のHDD搭載
・1991年 NEC PC-9801NC 世界初のTFT液晶16色、TVチューナー付
・1991年 アップル PowerBook 170 世界初のパームレストとトラックボール
・1991年 IBM PS/55note 5523-S IBM初のノート。VGA解像度640x480(他社は640x400だった)
・1992年 東芝 DynaBook 486-XS 世界初のTFT液晶フルカラーVGA
・1992年 東芝 DynaBook EZ ワープロ、表計算などアプリケーションをROM内蔵
・1992年 IBM ThinkPad 700C 当時最大級の10.4インチTFTカラー液晶。世界初のトラックポイント装備
・1992年 IBM ThinkPad 220 世界初のサブノート。重さ 1kg、単三乾電池で駆動
・1994年 東芝 DynaBook SS433 世界初のFDD内蔵B5版サブノート
・1994年 IBM ThinkPad 755 内蔵型CD-ROMドライブ搭載
・1994年 アップル PowerBook 520 世界初のトラックパッド採用
1990年後半には、国産各社がノートパソコン分野に参入、先行各社も新シリーズを展開して、現在でもポピュラーな機種名が出揃った。ノート型は、デスクトップ型に比べて割高であったが、モバイル環境での利用が盛んになったこと、オフィスや家庭での占有面積が小さいことから人気が高まり、2000年にはノートパソコンがデスクトップパソコンの出荷台数を上回る状況になった。
・1995年 富士通 FMV-BIBLO リチウム電池採用。プレインストールソフト多数
・1996年 IBM ThinkPad 560 2kg以下の軽量
・1996年 東芝 Libretto 20 世界最小・最軽量(840g)のミニノート
・1997年 ソニー VAIO NOTE 505 B5サイズモバイルノート
・1997年 パナソニック LetsNote AL-N2 光学式トラックボール搭載
・1997年 三菱電気 Pedion A4で当時画期的最軽量(1.45kg)最薄(18mm)
2000年代になると、パソコンの主流はノートパソコンになり、パソコンでの関心はノートパソコンが主になる。ノートパソコンは、本質的にモバイル環境での利用である。そのための軽量化や小型化競争は1990年代後半から活発であったが、2000年代になると、長時間充電せずに利用できること、立ち上がりの時間が短いこと、堅牢性や耐久性に優れていること、さらにはデザインへの要求など、多様な品質での競争になってきた。
筺体の軽量化
軽量な素材を用いながら堅牢性を高めるため、ハニカム構造など設計上の工夫が進んだ。
パソコンを使用しない状態での省電力技術であるスリープ/スタンバイ機能は従来からあったが、インテルによるディープ・パワー・ダウン・テクノロジやASUSTeK ComputerによるExpress Gateなど、新方式が開発された。
SSD(Flash Solid State Drive)
SSDは、フラッシュメモリを発展させた記憶媒体で、HDD(磁気ディスク)と比較して、機械部分がないため、小型化、省電力化、高性能化が重要なノートパソコンに適している。しかし高価格である。2004年頃から注目されるようになり、2000年代後半には高級機に採用されるようになった。
ノートパソコンの製造には、小型化や低電力化などの高度なな技術が求められので、日本企業に適した分野であった。ところが、低価格化競争が進むのに伴い、台湾や中国などで生産するようになった。それが、2000年前後から、現地企業の技術向上により、現地企業に生産だけでなく設計も委託するようになり、独自のパソコン事業から撤退するようにもなってきた。そのため、日本国内で生産している製品は、特に高度技術が要求される小型の高機能のパソコンに絞られるようになってきた。
2000年後半には、ノートパソコンが多様化した。ディスプレイサイズで区分すると、次のようになる。
7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17
───┬─── ─┬─── ──┬──
│ ──┬──│──┬── │
│ │ │ │ ハイエンド 1920x1200 モバイルを意図せず高機能機
│ │ │ A4ノート 1680x1050 最も広く利用
│ │ B5ノート(コンパクト) 1280x 800 モバイル用の標準
├ウルトラモバイル(タブレットパソコン) 1024x 600 操作性を重視
シンクライアント(Thin client)とは、処理機能をサーバに集中させ、パソコンには必要最小限の機能しかもたせないパソコンのことである。1996年当時は、モバイルパソコンの軽量化、低廉化を狙ったのであるが、あまり普及しなかった。
1996年 オラクル、シンクライアントの概念を提唱。そのコンセプトモデルNC (Network Computer)を紹介。「500ドルパソコン」とも呼ばれた。
1997年 サン・マイクロシステムズ、コンセプトモデルJava Stationを発表
1997年 マイクロソフト、Windows CEをベースとした「Windows Based Terminal(WBT)」を発表
それが2005年頃から、外部記憶装置の接続ができないこと、パソコンに情報が残らないことが、セキュリティの観点から重視され、パソコンメーカーはシンクライアントを発表、多くの企業が採用を検討するようになった。
2005年 日本経済新聞「日立製作所がパソコン利用を全廃する」の記事。これが広く一般の関心を呼ぶ。
2005年 富士通 FMVシンクライアントTC8200等出荷
2005年 NEC Mateシンクライアント、VersaProシンクライアント 出荷
ネットブックとは、インターネット利用に特化した小型軽量なノートパソコンである。2005年頃、発展途上国の教育分野にインターネットの活用が重視され、「100ドルパソコン」として生産、支援団体等を通して提供する計画が進んだ。
ところが、安価で使いやすいことが注目され、先進国でもセカンドマシンとしての重要が高まり、2008年頃から、その用途を目的とした機種も出るようになった。
2008年 ASUS(台湾) Eee PC:本来の目的用の例
・CPU,本体:Ultra-Mobile PC(タブレットPC)携帯端末用のPC、パソコン用と比較して安価
・記憶装置:HDDなどはなく、システム基板上にフラッシュメモリを直接搭載
・ハードウェア構成:通常のPC/AT互換アーキテクチャを採用して、パソコンとの互換性あり
iPadの出現
タブレットパソコンとは、タッチパネルディスプレイを搭載し、指や専用ペンで画面操作できる携帯用パソコンのこと。2002にマイクロソフトはタブレットPCを発表したが、あまり普及しなかった。2009年に発売されたWindows 7が「Windows タッチ」というタッチ操作系統を標準搭載したため、タッチパネルディスプレイを備えたパソコンが各社から発売されるようになった。
2010年、アップルはiPadを発売した。電子書籍閲覧で代表される多様なアプリケーションが評判になり、爆発的な売れ行きを示した。ここでのマルチタッチ操作方法は、一般のパソコンにも大きな影響を与えている。
GWが普段より長い休日という意味しか持たないオタク社会から断絶されたぼっちリーマンにとって、
部屋整理をするうちに出てきたニトロプラスの0年代のゲームは、たぶん格好の時間つぶしなのだろう。
飯も食わずに斬魔大聖デモンベインをぶっ通しでやり続け、
Dr.ウェストに腹を抱えて笑い、エルザの攻略ルートが本当になかったのか、かつてと同じように悩んでしまう。
今日は「鬼哭街」CD-ROM版(もちろんリメイクする前)だ。
インストール時にドライブが立てる掃除機のようなあのけたたましいブオオオォォっという音は何度聞いてもいいものだ。
下のバナーが「Hello World」の宣伝で、やべー懐かしいと独り言のように繰り返してしまった。
Startしてから先、いきなり女性が襲われているが、抜けないので次へ。次へ。
行き過ぎて、ホイールロックを回したら更に先へ進んでしまった。
先へ進んだ。
後戻り機能ないぞ、これ。
序盤なので、再インストールし直した。
大学に入ると、大学院の試験や留学の際の英語力の証明としてTOEFLの受験をする機会が出てくる。
TOEFLのスコアで一喜一憂するのは時間の無駄なので、簡単に高スコアを狙いにいける方法をここで伝授する。
まず、TOEFLを受ける人は以下の本は最低限用意しておこう。
上二冊はTOEFLの概要を知るためと、問題練習をするために必要。最後の本はWritingやSpeakingのネタとして用意するために非常に役立つ。
さて、TOEFLで高スコアを取るためには以下の3つの力が重要になってくる。
語彙が無いとそもそもTOEFLでまともな点数を取ることはできない。そして、パラフレージング(言い換え)の力も求められる。つまり単純に単語を知っているだけでなく、同義語・対義語といった、単語同士の関係性というのも知っておかなければならない。
TOEFLのReadingは実はかなりの速読を求められる。効率よく読んでいかないと時間が足りないということになる。この力を伸ばすためには普段からニュースや論文など割と「まともな英語」の読み込みを行っていく必要がある。
TOEFLではReading以外すべてのセクション(Writing, Speaking, そしてもちろんListening)でリスニング力が無いと死亡する。
別に仲間は後からついてくるから、とりあえず申し込み書を取り寄せて、申し込んで本を作ればいい。
同人誌なんだから、最初は手製本で十分。パソコンとプリンタがあれば簡単にできる。
別に手書きでコンビニのコピー機で複製でも構わない。いきなり印刷所に出すこともない。
好きが足りないと途中で面倒になる。とにかく誰よりも好きになる覚悟があるとあとは作業だ。
好きなもので面白そうなことを考える。内容は人による。できればオリジナルがいい。長続きする。
パロディならば、何かと何かを掛け合わせる。オズボーンのチェックリストを使うといい。
アイディアが膨らむ。
絵が描ければまんがだろうし、文章が好きなら小説だ。どちらも苦手なら、データを集めてデータ集にする。
本とというのは、大体4の倍数のページ単位でつくる。
最初にもくじがあって、はしがきがあって、本編があって、おまけがあって、あとがきがあってでいい。それぞれ何ページ使うかを大体決めておく。
ここで、本の綴じ方を決めておく。袋綴じならば気にしなくてもいい。ホチキスで留めて折る針金綴じや木工用ボンドを使った簡易無線綴じのときは、ページの割り振りを考えておく。
ページ数は、24から32ページくらいを考えておいたほうがいい。本のサイズはA4を半分に折ったA5が作りやすい。
手を動かす。ここがいちばん楽しいところ。あんまり時間がないかもしれないが、余暇の時間をすべてつぎ込む。
時間切れ(自分が作った締め切り)にむかって、納得がいくまで試行錯誤を繰り返す。
表現がつたなくていやになることもある。自分の力のなさに絶望することもある。
簡単な方法だと文字をwordか何かで打ってプリンタから出力。
絵は、原稿用紙(ケント紙)に描く。絵を描いた原稿に文字を切り貼りする。丁寧に作業をする。
表紙はキャッチーなほうがいい。遠くから見て目立つほうが売れる。
誤字を確かめたり、矛盾がないかチェックする。てにをはも確認する。
印刷だ。原稿ができてしまえば、完成は近い。家庭用の複合機プリンタならば、コピーモードで複製できるし、工夫すれば両面印刷もできる。
なければ、コンビニでがんばる。コンビには両面印刷は難しいかもしれない。20冊から30冊つくればいいと思う。
印刷した紙を折る。次にページの順番に並べて、1冊ずつに分ける。
ホチキスや木工用ボンドで留める。この作業は、間違えるとやり直しが難しいので、単調な作業ながら気を使う。
最後に本の背以外の三方をカッターで1mmくらい切ってきれいに整える。
以下は、余力があったらやってみると面白い。
だいたい本ができると力尽きる。もしかすると前日にできたりする。できれば、小間の飾りつけを考えておいたほうが売れる。
会議室のテーブルにかけるきれいな布やテーブルクロスを用意しておく。これだけでだいぶ小ぎれいに見える。
看板を作る。会場内の場所を表す記号を書いたり、サークル名を書いておく。テーブルの前にテープで留めてもいいし、背後にのぼりのように掲げてもいい。
無料で配れるものがあると立ち止まってもらいやすい。しおりでもラミカードでも名刺でも配れるものを作っておく。
余談。会場に着いたら。
女性だと盛装している人がいる。そこまでいかなくても、普段よりおしゃれしていく。面倒ならスーツ。もしくはクールビズっぽく。一瞬の出会いは、その場の見た目が重要なので、気をつけておくに越したことはない。
おとなりの小間の人や会場の係りの人にはしっかりとあいさつする。
このあたり好みが分かれるが、立って声を出してみると人が振り返る。
「新刊です。どうごお手にとって見てください。」と通りかかる人に声をかけてみる。
これだけで、ぐっと売れる。売れたほうが楽しいよね。
ご健闘をお祈りいたします。
現在二十代後半の自分は小学校でのコンピュータ教育が始まったタイミングの世代です。
始めは「学校へコンピュータ導入しました」みたいな申し訳程度な感じだったと記憶しています。
小学校でのコンピュータ教育の内容としてはCD-ROMを配布され、ODへ挿れるとソフトウェアが書き込まれたISOが自動起動して、そのソフトウェア上でコンピュータを学ぶという形式だったはずです。
学習ソフトウェアは勝手にフルスクリーンになるわけですが、今思えば無知な小学生がOSの設定を変えてしまわない配慮だったのだと思います。
実はこのあたりの記憶は曖昧なので学習ソフトウェアの内容は以下のような感じだったはずです。
これ以外もあったような気がしなくも無いですが、前提として私は小学生男子なので興味のないものは記憶からすっぽり抜け落ちている可能性が高いです。
この中で一番出来が良いのはパラパラマンガツールで、おそらくはプレゼンテーションなどを学ばせるためのものだったのでしょう。
時代を考えるとFlashが出始めの頃でありユーザーインタフェースや機能はFlash作成ツールから影響を受けていたようです。
ポケモンの戦闘シーンを完全再現したことでクラス内でヒーロになったのでこのツールには思い入れが深いですw
感覚として元も近いFlash作成ツールはParaFla!で、ParaFla!とペイントを足して2で割ってタイムラインシーケンスが無い感じでした。
地図を学ぶゲームも比較的良い出来で、ユーザーインタフェースはシムシティな感じでしたね。思いっきり影響を受けてるようでした。
確かストーリー仕立てになっていてクリックしてるだけで進み、地図記号とか学べるんじゃなかったかなあ?と記憶が曖昧です。
この学習ソフトウェア、どうコンピュータ教育に活かされていたか?と言えば、何にも活かされていませんでした。
教師は軽くマウスやキーボードの使い方を指導するだけで、あとは良い言葉を選ぶなら生徒の自主性に任せて、変な設定等を行わないように監視しているだけでした。
どういう指導要領になっていたかは知りませんが、コンピュータによるオートメーションを過剰評価して授業もオートメーション化出来るかも?と国は考えたのでしょうか?
まあコンピュータ教育が導入された最初期ですから実験的な意味合いも多分に含まれていたと思います。
パソコンの起動方法から始まり、ローマ字入力(小学校はひらがな入力)、そしてMS Officeへと入りいます。
このあたりは民間のパソコン教室と変わりがないかも知れません。
小学校で行われていた学習のオートメーション化への期待は無惨にも崩れたらしく、教師は手取り足取り教えてくれます。
それは新規フォルダや新規ファイルの作成方法、メールやWebブラウザの使用方法、その他今現在皆さんが日常的に使うであろうソフトウェアの指導が全く無いです。
どうやら学習のオートメーション化は不可能だと気づいたため、今度は思いっきり実用に振ってMS Officeマスターを育てるという選択をしたようです。
Wordでは文字の大きさや色、背景色、ワードアートの使用法、図の挿入、印刷などが中心に指導されます。
ワードプロセッサソフトが大好きな方は気付いたと思います。そうですWordなのにマークアップの指導が一切ありません。
完全に見た目の変更の仕方と印刷だけの指導であり、Wordなのにアウトラインとか完全に無視です。
見た目中心の指導を行うことはWordと変わらないですが、Excel関数の指導に入ると関数の意味をほとんど教えず「B1へ=SUM(A1:A5)と入力してください。はいA1からA5が足された答えがB1に表示されました。次は...」といった感じです。
生徒は教師の指示通り入力するだけで応用とかそういうの全くわかりません。しっかり理解してるのは見た目の変更の仕方くらいです。
時代ですね。こうして互換性無視なオフィスファイルは作られていったのでした。国がそう教えてましたから。
あっそうそうPowerpointとかAccessは授業でやりませんでした。
端的に言うのならば同上。
しかしPowerpointが追加されました。流石にPowerpointも教えないといけないと気付いたのでしょうか?
高校によっては工業高校や商業高校、高専ではもっとマシな指導をしていた可能性はあります。
ただやっぱり社会人から見るとツッコミ入れたくなるような指導が一部で取られていたと思います。国も手探りですから。
この年齢くらいになると学校の授業で覚えたと言うよりも独学でパソコンを習得してる生徒が殆どになっていました。
全くと言って良いほど学校の授業からは得たものがなく、エロ画像探しのほうがコンピュータリテラシーを僕に与えてくれました。
そして大学時代は教授のゴリ押しからOSがWindowsからEmacsに変わりました。
はてブで小学生向けにビジュアルプログラミングScratchが流行り始めてるんだなと知ったくらいでコンピュータ教育の授業の内情がどうなっているか全く知らないです。
なので僕が少年期に受けたコンピュータ教育を前提として「こうだったら良かったのに」というのを書きます。
コンピュータを扱うにおいてデータ管理というのは非常に大事です。
何故判りやすいファイル名を付けるのか?何故フォルダを作るのか?そういうことをしっかりと指導しなくてはなりません。
とりあえず僕も誰かに教える気になって書いてみたいと思います。
今だけ使えれば良いデータはどうせ直ぐに破棄するデータなので用途に合致すればどんな風に作っても構いません。チャットやっててウケを狙うためにネットからダウンロードする時にファイル名を「a.jpg」にするとかそういうことです。どうせ消します。
注意しなければいけないのは残り2つです。残り2つは前提として後々見たり使ったりするデータです。
このデータのファイル名を「a.txt」とかにしたら何のデータか全くわかりません。
つまり後々使ったりするってことは探すってことです。探すのに判りにくいファイル名にしてたら意味もなく違うファイルを開いて探しまわることになります。最近流行の「名前重要」です。
このジャンルのデータはある特定のフォルダ(ディレクトリ)に保存すると決めておけば探すとき非常に楽です。
そのため各OSは、例えばWindowsならば「マイドキュメント」や「マイピクチャ」「マイミュージック」などを用意してくれてます(ソフトウェアも空気を読んでデフォルトの保存先をそういうのにする)。
せっかく用意してくれているので使うようにし、もし自分でフォルダを作るときは名前重要ですから判りやすいフォルダにしておきましょう。
例えばTwitterであるジャンルの話を同好の士に読んでもらいたい場合どうしますか?ハッシュタグを付けますよね?
そうやって名前を判りやすくしておけば自分以外の他人が使う時も非常に楽なのです。
「でもよく使うデータを深い階層に置いてたら面倒じゃん」っていう意見はもっともです。
実はそのために「デスクトップ」という階層や「ショートカット」があるんですね。
デスクトップがアイコンだらけの人ってたまに居ますけど、きっとそういう人はコンピュータ教育は受けたけど保存されるデータの種類を知らない人です。あなたは悪くないですコンピュータ教育が悪い。
世の中には目の見えない人が居ます。そんな人たちがコンピュータを使えるように「読み上げソフト」ってのがあります。
まあいろんな意味で"文字通り"読み上げるためのソフトウェアなわけですが、このソフトは何も編綴もないテキストデータを読み上げるとめちゃくちゃ棒読みです。
それが更に平仮名ばかりで句読点もないテキストだと読み上げソフトは棒読みで一気に読みあげて目の見えない人はものすごく聞き取りにくいです。こんなテキストは目の見える僕たちでさえ読みにくいです。
そこで僕達は漢字を使ったり句読点を使ったりして可能な限り読みやすくします。実はこれがデータの中身にとって重要なのです。
句読点は文章を判りやすくする目印ですが、これを付けることをコンピュータの世界では「マークアップ」と言います。
読み上げソフトはマークアップされた文章だと、何処がタイトルで何処が本文というのが判別できるようになり、更に強調マークアップされている部分では音量を上げたりするので目の見えない人は非常に聞き取りやすくなります。
もしここまで読んである点に気が付いた人はかなり賢いです。その点とは「目が見えないのは機械も同じ」という点です。
マークアップされた文章は機械にとっても非常に判別がしやすい文章であり、実例をあげるのであれば検索するときに使う「Google」が検索結果へWebページのタイトルを載せてくれるのも、マークアップされたタイトルを拾い上げているからなんです。
Wordでも「見出し」と指定された行は機械的に判別され、アウトライン機能で文書の管理が非常にしやすくなったりします。
PDFでも同じでアウトライン表示されたり、読み上げソフトがPDFに対応していたらマークアップに合わせて読みあげてくれます。
少しだけ専門的になりますが、データベースとして使われているCSVファイルやJSONファイルも特定の記号を使われているのでコンピュータは楽に判断できるのです。
更にしっかりとマークアップしておけばPDFを電子書籍でよく使われているEPUBに変換するなど、他形式への変換が失敗しにくくなる利点もあります。
今まで行なってきたコンピュータ教育は正直「コンピュータ教育をしてますよ」という体裁だけを保っている教育の仕方だと思います。
コンピュータが使われるようになったから教育に導入し、MS Officeが使われるようになったからMS Officeを教え、IT市場が大きくなったからプログラミングを教える。
高速に変わっていくコンピュータの状況に合わせてしっかり教育は対応して居るように見えますが、現状のコンピュータ教育が見ているのはコンピュータの上っ面だけです。だから教育も上っ面になる。
コンピュータ教育ではタブレット端末の導入を現在検討しているらしいですが、どうみてもこれは上っ面な判断です。
コンピュータで高速に変わっていってるのは上っ面だけであり基礎の部分は。ハッカーが使ってそうないわゆる黒い画面、つまり端末(コマンドプロンプト/ターミナル)の頃とあまり変わってません。
その基礎を教えずしてOfficeだのビジュアルプログラミングだのを教えても生徒が得るものは何もないと言って良いと思います。
正直この記事は総合職さんやプログラマさん、エンジニアさんから見たら「なにそんな当たり前の常識的なことをドヤ顔で記事にしてんの?」って嘲笑されるような内容です。
その嘲笑されるような内容をコンピュータ教育はできていないわけです。
これWindowsじゃなくたって教えられること、最新ハードじゃない中古のPC-98でだって教えられること、中学生以上は持ってそうなスマホでだって教えられることです。
『PS Vita、20%薄くなる』っていう見出しのニュースを読んだ。 http://www.famitsu.com/news/201309/09039689.html
「Vitaって……ゲーム機でしょ? ラジオで英美里ちゃんとヤングが遊んでた。携帯ゲーム機が薄くなったことって、そんなにニュースバリューあるの?」
携帯ゲーム機は『ゲームボーイポケット』、家庭用ゲーム機は『初代PS』で頭がストップ安な私は、ニュースの意味がよく分からなかった。
で、WikipediaでVitaのこと調べた。 Wiki: http://ja.wikipedia.org/wiki/PlayStation_Vita
分からん。
Wi-Fi? 3G? Bluetooth? HDMI, LAN端子?
ネットワークに繋がるゲーム機なんて、ドリームキャストだけだと思ってたわ。
Vitaはゲームだけでなく、色々なこと(←分かってない)ができるらしい。
ゲーム機というより、『Webに繋がるエンターテイメント端末』って感じ。
オジサンついていけない。
もう何もかもムーアの法則が悪い。うん、そうに違いない。
私がゲームを卒業したというか諦めたのは、PS2が登場した頃。
プロセッサの処理能力が上がって、コロコロ画面が切り替わるようになり、頭がついていかなくなった。
ストレージも増え、CD-ROM4枚に収まるRPGしか知らない私は「多い。無理」ってなった。
さっき、ニコニコ動画でゲームのプレイ動画観てみた。案の定、「無理」って思った。
FPSっぽいゲームなんだけど、ゲーム開始→流れ弾→キャラ死亡→振り出しが一瞬で進行する。速い。メタルギアソリッド(初代)はもっとゆっくりだったぞ。
よく行くマックで、ノートPCと電子辞書を広げて作業をしている女性を見る。
彼女は時折電子辞書で何かを調べながら、PCのキーボードを叩いている。
不思議だ。
何か特殊な辞書を使っているのかなと思った。
私はCD-ROM版の類語辞典をPCにインストールして使っている。現在、Webで提供されている類語辞典は語彙が貧弱だからだ。
私は思い切って彼女に尋ねてみた。
彼女「私が使っているPCはネットに繋がらないんで、電子辞書を使っているんです」
……え?
外出先で電子デバイスを、日常的にオフライン環境で使っている人なんて初めて見た。
不便ではないのだろうか?
頻繁にマックで作業するなら、こうしたサービスを利用するばいいのに。何か事情があるのかもしれないけど。
もちろん、850点程度だと何の役にも立たないのがわかったので、さらなる勉強中です。
現在、37歳です。まともに英語の勉強をしたのは、大学受験の時が最後。
大学は慶応大学。でも、合格時点でも五文型をよく理解できてなかった。
大学受験時の英語の偏差値は代ゼミで70くらいだったような。昔のこと過ぎて覚えてない。
五文型わからずに偏差値70? って声も聞こえてきそうですけど、事実そうなんだから仕方ない。
勉強再開時、つまり、受験から15年以上経ってから受けたTOEICは400点。
大学受験当時、確実につぶしたといえる英語の書籍は以下の5つだけ。
・新・英文法頻出問題演習 (Part1)
でも、聞くところによると、最近の受験生にとっては、英頻ユーザーは多数派ではないんですってね。
この三冊だけつぶしました。当時の上級編は、早稲田と慶應の入試に出た文章だけで構成されていました。
今は違うんですね。
ちなみにZ会の本は、なぜかアマゾンでは新本が手に入らないんですね。
他にも何かマイナな熟語集をつぶした記憶がありますし、こまごまと色々やりましたが、極めたといえるほどやりこんだものは上記五冊だけです。
なんで英語をいまさら勉強し始めたかというと、英語くらいしゃべれてもいいんじゃないか? というテキトーな理由からです。
そして、未だにある程度の英文を読むことはできるものの、まったくしゃべれないし、海外旅行のときに自分のふがいなさにうんざりしたというのも理由のひとつです。
そこで、まず、評判の良い英文法書を、ということで以下の本を読み始めました。
この本は良いですね。でも、初学者向けではない。
僕のような、大学受験時にまあまあ偏差値が出ていて、三十代になってから英語を再勉強する人には良い本だと思う。
ただ、熟語が列挙されているだけのページなんかもけっこうあって、しかし、暗記に適したレイアウトになっていません。
なので、そういった完全なる暗記ものについては、この本でこなそうとするのは非効率だと思う。
ようやく五文型がクリアになりました。
大学受験当時、滑り止めの明治大学の英語の試験が、けっこう基礎英文法重視の問題ばかりで、五文型をまったく見分けられず、滑り止めどころか受からなかった記憶がよみがえります。
巨大な上に2冊組なので、僕は上記書籍をやりましたが「新版が良い!」というかたは以下の2つがそうです。
・大岩のいちばんはじめの英文法【超基礎文法編】 (東進ブックス 名人の授業)
山口の英文法で扱っていないような、もっと初歩的な英文法に穴があるのではないかと思い、使った本です。
さすがに、だいたいのことはわかりましたが、一部、わかっていなかったこともあり、役に立ちました。
関正生さんの本はいくつか読みましたが、この1冊はなかなか良いです。
この本は大岩さんと同じレベルくらいの本ですが、網羅的な本ではないです。わかりづらい部分を平易に解説した本。
no more thanとかそのへんの文法の理解については、この本と上記山口本の併用でようやく理解できました。
でも全体的に関さんの本は費用対効果が悪すぎるように思います。
・全解説頻出英文法・語法問題1000(大学受験スーパーゼミ)
問題集ですね。解説が充実していてやりやすいです。勉強になります。
本当は、これより簡単な、
・全解説入試頻出英語標準問題1100―文法・語法・イディオム・会話表現の総整理(大学受験スーパーゼミ)
から取り掛かるべきだと思ったものの、1100のほうが簡単ということを知らず1000のほうから始めてしまいました。
・おまかせ!英文法・語法問題演習888
これも問題集ですが、山口俊治さんの著書です。山口さんの著書ですからもちろん「英文法TRY AGAIN!」との親和性が高いです。
そのため、この問題集もやってみました。感想としては、なんというかまあまあ。
上記の1100と1000のほうが解説が厚いのでオススメです。
・英語上達完全マップ―初級からTOEIC900点レベルまでの効果的勉強法
この本の内容は(おそらく)すべて公式サイト上にあるので、買う必要はないかもしれません。
英語の勉強法に迷いが出ていた時期に読めたので、この本を読んだ後は、かなり勉強法を参考にしました。
・ドラゴン・イングリッシュ基本英文100
この本は、やって良かったとは思うのですが、どうも他の竹岡本同様、めちゃくちゃ効く感じはぜんぜんないです。
何か中心点を突けてないような、そんなもどかしさがあります。
でも、全文暗記しました。
文句を言いながらも、竹岡本をまた買ったりしてるわけですが笑。
この本、勉強になりました。なりましたが、どうも、ところどころ英語がヘンな気がして、そんなときは職場のネイティブに確認してもらったりしました。
絶対のオススメというわけではありません。
ちなみに、大矢本を読んだ後で竹岡本を読むと、暗に大矢本の英文をバカにしている箇所がいくつか発見できたりして楽しいです。いや、それほど楽しくないです。
・例解 和文英訳教本 (文法矯正編) --英文表現力を豊かにする
この本は、上記大矢本と扱っている内容がある程度似通っていますが、より充実していて洗練されています。
もちろん、大矢本は良いですが、個人的にはこちらのほうが良いと思いました。
these days, recently, lately, nowadaysあたりの使い分けについても、こちらの本のほうが定着しやすい説明でした。
残念ながら、竹岡さんの「ドラゴンイングリッシュ」や「CD2枚付 竹岡広信の 英作文が面白いほど書ける本」はわざわざやる必要がなかったなと、この本を開始した後で思いました。
英作文の参考書は、英文法の参考書ではあまり説明されないような文法のポイントが出てくるので、前記のような文法書をつぶした後であっても、色々と学ぶ部分があります。
・どんどん話すための瞬間英作文トレーニング
・おかわり!スラスラ話すための瞬間英作文シャッフルトレーニング
英作文の参考書を数冊こなした後、いわゆる「瞬間英作文」というのを開始しました。
良い点は、簡単な英文を大量に作成する訓練をすることで、アウトプット力が養える点です。
悪い点も明らかで、誤植が多い、奇妙な英文がある、という点です。
でも、これらの悪い点は、良い点に比べてはるかに微細な問題といえます。
ちなみに、上記4冊をすべてやりました。
また、この4冊の中では「スラスラ話すための瞬間英作文シャッフルトレーニング」が圧倒的に難しいので、最後にやるのが良いでしょう。
どんどん→スラスラおかわり→ポンポン→スラスラ の順が良いと思います。
深い意味はありませんが、どんどんおかわりはやっていません。
単にさすがに飽きたというだけです。
・必ずものになる 話すための英文法 Step1[入門編I]
森沢洋介さんの瞬間英作文ものがほぼ終わったので、次の段階の瞬間英作文としてやってみました。
この段階でこの本をやると、瞬間英作文としての機能は低いです。
なぜなら、どんスラポンを終えた後だと、文法レベルが低すぎて、文法的な側面からのアウトプット力が上がらないからです。
森沢本と違って、難単語というか気の利いた表現みたいなものが頻出しているので、
むしろ、それらを暗記する本のような取り組みかたになってしまいます。
とはいえ、このシリーズは上級編まですべて出て完結しているので、最後まで取り組もうと思っています。
ちなみに、市橋本については、以下のサイトが参考になるかもしれません。
http://www.geocities.jp/boston_english_80/
…などと書いていましたが、すみません、結局1巻目で挫折しました。
どうも親しみのない表現が多く、これらを暗記していって良いのか確信がもてなくなったためです。
この本はまだ途中です。そして、この本を開始したのは、以下のサイトでオススメされていたからです。
http://www32.atwiki.jp/english_map/pages/17.html
この本は、この段階でやる本としては非常にオススメです。
構文のくせに540も? とか思うかもしれませんが、「よく見かけるし読めるけど、英作文のときは出てこないなー」という文章が多く、かなり勉強になりました。
その後、本編の540部分を25周ほどこなし、書き換え表現を含め、ほぼ暗記しました。
そして、 やはりこの本は良い、という実感が増しました。
この本は、持っているもののちゃんと読んだことはないのですが、300文の例文集がついており、しかも、この例文集は以下のリンク先でpdfで入手できます。そのため、このpdfを加工してankiに突っ込んで全文暗記しました。短い文章ばかりですから、暗記しておいて損はないです。
http://www.obunsha.co.jp/pr/jroyal201203/jroyal201203.html
英単語は、まずはみなさんがオススメしているこれをやりました。
かなり良いです。短い英文に非常に巧みに必修英単語を組み込んでいます。
他の類似単語集を試すとわかりますが、DUOの完成度の高さはすごいです。
ちなみに、日本文を読んで英作文するというやりかたをしました。
そこまでしなくても良かったかもしれません。
DUOはほぼ完璧になったので、次は何をしようかと思ったときに、受験時代に慣れ親しんだ速読シリーズに取り掛かってみました。
さすがに15年以上経つと、収録されている英文も総とっかえされているのでしょうか。まったく見覚えのある文章が出てきません笑
・ワードスター エッセンシャル2300 - Wordster Essential 2300
・ワードスター アドヴァンスト1300 - Wordster advanced 1300
速読英単語のほうは、英文読解の練習を兼ねてぼちぼちやっているので、それとは別に、本格的に語彙を増強するための書籍がほしかったときに買ってみた本です。
すでに絶版なんですね。
学習本は、版を重ねていくうちに間違いが減ったり改良されていったりすることが多いので、本当はもっとメジャーな英単語勉強本をやりたかったのですが、どうも良いのが見つからないんですよ。
SVLみたいな英単語羅列型の本は、この歳になると、どうしてもなかなか覚えられないものですから、
DUO式というんですか、いわゆる、短文で覚えていくタイプが良かったのです。
時々、「これって間違いが直ってないんじゃないかなあ」という不安感を覚えるときがあるのですが、そこそこよくできています。
・究極の英単語SVL Vol.1 初級の3000語
・究極の英単語SVL Vol.2 中級の3000語
・究極の英単語SVL Vol.3 上級の3000語
・究極の英単語SVL Vol.4 超上級の3000語
アルクのSVLはリストとしては素敵だと思うのですが、書籍としてはちっともよくないんですよね。これらの本で暗記していくのはなかなかつらいです。僕はankiに全部突っ込んで覚えました。ankiの使い方は他のページに任せますが、ankiはすごいですよ。
語源系の英単語本を使用するのは初めてです。この本はもともと評判が良いですが、たしかに良いですね。以下列挙します。
1)価格が安い
2)重さが軽い
3)説明が面白いし、しつこく練習させられるので定着率が高い。
例えば、principalとprincipleの違いについての説明。
principleの最後の「le」は語源的には「rule」のことであり、principalとprincipleと迷った場合に、ruleが関係しているものはprincipleで、それ以外はすべてprincipalだ! と書いてあります。
で、その後4周目に入ったあたりで、それでさらに上記3)を実感しています。
単純に3周しただけで、もうほぼ覚えることができました。
僕はこの本については、フリクションボールペンでどんどん解答していき、一日の終わりにドライヤーの熱で書き込みを全部消すというやりかたをとっています。
・ネイティブなら子どものときに身につける 英会話なるほどフレーズ100―誰もここまで教えてくれなかった使える裏技
・英会話なるほど練習帳―50のフレーズで500通りの表現をモノにする
・50のフレーズで500通りの表現をモノにする英会話ペラペラ練習帳
スティーブ・ソレイシィさんの本はどれも良いのですが、暗記に適していないレイアウトばかりなのが難点です。
でも、上記一通りこなしました。
これだけやっておいてなんですが、英会話本は、別にTOEICで900点すら出てない段階ではやらなくても良いかなという気持ちもあります。
でも、さらっと海外旅行に行くときのドーピング用としては、フレーズ100の2冊は良いかと思います。
ある程度英語の独学で勉強をしていると「かなり複雑な文章を読めるし、少し時間はかかるもののかなり複雑な文章も書ける。でも、スモールトークがさっぱりで、どうも簡単な会話が微妙」という状況がやってきます。そのあたりのギャップを埋めるためには英会話本はたしかに役に立つことがあります。
・英語耳
発音の練習は真っ先に取り組むべきという声を頻繁に聞くので、おそらくそうなのでしょうが、いかんせん出先で合間合間で勉強していると、発音の練習に取り組むのがなかなか大変です。
このあたりの本に取り組んでいるものの、なかなか進んでいません。
イギリス英語に憧れがあるものの、時々イギリス人と話すと、「完全にアメリカの発音だよな」と言われます。
もちろん、それ以前に明らかに日本人の発音の域を出てないんですけどね。
・英文読解の透視図
英文読解本といえば、伊藤和夫の「英文解釈教室 改訂版」( http://amzn.to/12HbrAU )をオススメするかたが多いですが、
独学だけでTOEIC970点の友人が強くすすめてくれたので、この本をやってみるつもりです。
…と書いていましたが、その後やり始めました。うん、これは良いですね。
ページ数も少ないのですぐ終わりますし。
地味なレイアウトの本なので、流して読んでると重要ポイントをスルーしそうになりますが、これはかなり良い本です。
熟読玩味すべきです。
英文を読んでいるときに、ややあやふやなところを、単語の意味から「えいや」で解釈するということがたいがい誰にでもあると思いますが、そういった機会が減ります。
ただ、どうもこの本は、大学受験生には「国立上位、早慶」あたりを目指す人向けと言われているようですね。
なので、ちょっと取り掛かってみて難しそうだったら撤退してしばらく寝かせると良いと思います。
まあ、このことはたいがいの英語参考書について言えるんですけどね。
透視図が良かったので、もっと初歩的な内容からおさらいしてみたくなり購入した本です。こちらは透視図よりずっと簡単ですが、それなりにあやふやだったところがつぶせました。薄いからさらっと終わるのでなかなか良いです。
DUO 3.0が良かったので似たような方式の英単語集を、と思い買ったものの馴染めずやめてしまいました。
というのも、英単語の盛り込みかたが凄く雑なんです。
無理やりすぎて、これなら単なる羅列型の単語集とさほど違わないじゃないかと。
・English Grammar in Use with Answers and CD-ROM: A Self-Study Reference and Practice Book for Intermediate Learners of English
英語で学習する英語の本としては非常に有名なこの本ですが、どうも重いし巨大だしって感じで、なかなかやる気がでずじまい。
・Practical Everyday English: A Self-study Method of Spoken English for Upper Intermediate and Advanced Students
・Advanced Everyday English (Practical Everyday English)
もともと、イギリス英語を学びたいという気持ちが強くあります。
でも、やはりアメリカ英語の勉強本のほうが日本の英語本だと圧倒的に量も質も高いので、時々、こういうイギリス英語の書籍を手にとって挑戦してみます。
とりくみやすいレイアウトだし、良い本だと思います。しかし、自分のレベルだとまだ難しい部分が多いので、もう少し後に再挑戦するつもりです。
やはり、大学受験生の頃と比べると、本当に暗記力の低下を感じます。
当時は、何か1冊の勉強本を全部覚えるというのは、けっこう楽だったのですが、今は何周しても100%にはなりません。
なので、95%くらいまでこなしたら、諦めて次の本に移るようにしています。
そうすると、なかなか覚えられなかった内容や理解できなかった事柄が、別の本だと簡単に覚えられたりするものです。
その後、900点までいきました。また、紹介書籍は随時追加予定です。
http://anond.hatelabo.jp/20130223090512
三行でまとめると
PSのビジネスモデルを振り返ってみるのだが、この切り口から行くとPSはSONYの半導体戦略、そしてSONYは製造業と言う性質とと切っても切れない関係がある。
利用上の注意
なおすべて妄想となっておりますので、これを真に受けて被った損害などについては一切責任を取れません。皆様におかれましてはその旨ご了解のうえご覧いただけますよう、よろしくお願いいたします。ご協力頂けない場合につきましては、いい歳こいたアラフォーの髭ヅラ男が涙目になると言う非常にウザイ状況が発生することとなり、誰も得をしません。ご理解とご協力をお願いいたします。
SONYがゲーム機を一緒につくろうと言って任天堂に近づいたものの交渉が決裂してできあがったのがPSであったわけだがこれが大ヒット。
さらにPSでは、内部で使われている半導体を自社設計・自社かそれに近いFabで作る事によって
など副次的な効果もあり、さらに「SONYの旗艦」といったイメージを作り上げることができた。この他に、CD-ROMを手がける部門や、SONYのCDプレス工場部門等々、PS景気により、直接的なPSによって生み出される効果以外に、PSという揺るぎない需要が存在する事で、設備投資などに積極的になれたといった効果がうまれた。
初代は始めどこまで意図されいたかは不明だが2台目ではそれらの経験が生かされる事となりより強化された。まず一番は半導体工場で有り、旺盛なその需要と、それによって得られた利益を投資に回し新プロセスを開発、シュリンクすることによって最終的な黒字を目指すことで赤字で販売をスタートすることとなる。
ゲームハードは赤字でも、ソフトが売れれば黒字。こんなの当たり前だろ、と言う話であるが、総合情報機器メーカであるSONYでは少し事情が異なる。これは、ソフトウエアライセンス事業による利益によって、間接的に半導体生産の設備投資を補填すると言う形を意味する。もちろんそれ以外にもSONYの製造部門にもPS2が赤字でも販売すると言う行為によってもたらされる間接的な利益が流れた。
ご存じの通り、PSは我が愛する芸術品たる至高のゲーム機Dreamcastを完膚なきまで叩きのめし世界最高の企業セガをプラットフォーム業から引きずり卸しパチンコ屋に買われる所まで追い込む等大成功をとげた。そしてゲーム機生産により、SONYの製造業部門を引っ張っていくという当初の見込みは大成功した。
PS3の時代になると、パソコンの旺盛な需要の元、急速に進化した集積回路は、プロセッサの新規開発コスト、さらに半導体のプロセス開発に必要な資金が膨大に膨らむという現実に、様々な企業が立ち向かうよう時代が来ていた。世界の巨人たるIntelと、それ以外という構図が生まれ、世界中でFabの統廃合が進んでいた。
その中で目をつけられたのがゲーム機という存在である。パソコンに対抗できるほどの膨大な需要を生むゲーム機は、薄利という性質を持ちながらも数が出るため、生産設備を拡大しやすくプロセス開発の資金を捻出する事に有利であった。さらにSONYは、ゲームハードウエアが、当時のパソコンなどに比べて圧倒的に高い性能を持っていなければ存在価値が無い、と言う観念を持っていた。これはかつて任天堂がもっていた思想であった。
さらにIBMなどの思惑とも一致、開発がされたのがCell B.E.であり、この存在がPS3を生んだ。そう、ここまで来てSONYは、半導体のためにゲーム機をデザインしたのである。
もちろんこの説にはいろいろな異論はある。しかし俺は順序としては、ソニーグループ全体の長期的な戦略にPSが生む半導体工場の増設という戦略が大規模に組み込まれていたのは間違いないのでは無いかとみている。そこで完成したマシンは、化け物であった。現在まで続く潮流であるGPGPU的な動作もこなすCell B.Eがもたらす高性能と、高い拡張性を備え、既にゲーム機では無いとまで言わしめるものができた。この性能は当時の最新鋭コンピュータを大幅に上回るものであった。
しかし……。GPGPUの概念は早すぎた。性能を引き出すことが、当人であるSONYでも難しかったのである。そしてこれはミドルウエアや開発ツールの乏しさにも繋がる。そのためスタートアップに失敗した。この失敗は、PSがゲーム機として優れていなかった、あるいは、他者装置に負けた、と言う意味で失敗では無い。製造業としてのSONYが、自社の思惑通りに事を運べなかったと言う事での失敗である。
結果SONYは、PS3の需要を当て込んだ生産設備をリストラ・売却するなどの対処をを迫られる。さらに韓国勢などの追い上げ、AV市場の急速な変化、SONY本体の体力の低下、パソコンの高速化などにも影響を受けることになる。
PS3そのものは、OSの改良、ミドルウエアや開発ツールの向上などにゆっくりではあるが立ち上がってきたが、製造業としてのSONYがPS3に期待した効果は得られず、ハードウエア屋、製造業がみた夢はここに破れた。
さらに時代は動き、集積回路は、Intelがプロセスで1世代以上先を行き、それ以外はすべて後から追うという構図が完全に定着してしまった。SONYも、SONYの半導体と言えば、集積回路ではなく画像素子、と言う時代が来て久しい。世界中で半導体製造業者の統廃合は進み、国内半導体産業は衰退した。新プロセス開発の難易度や、集積回路の大規模化から来る開発コストの上昇はいかんともしがたくなっていた。
ゲームが必要とするスペックはもはや飽和している。少しでもリアルに、少しでも高性能にと言う方面はすでにマニアのものだけになってしまい、それら需要だけで、そのとき販売されているパソコンを上回る高性能チップを開発、載せるコストを満たすことはできなくなっていた。具体的に言えば、ウルトラハイスペックの、GeForece GTX SLIクラスにも勝ちうるGPUを、専用設計でオーバーヘッドを極力少なくすることができるとはいえ新規設計することが難しくなっていたのである。さらにはゲーム機業界ではスペック競争を離れた任天堂がWii、あるいはDSを生み出し、ケータイ、そしてスマフォとと言う存在がカジュアルゲーム市場をかっさらうようになった。特に日本では据え置きゲーム機がリビングルームに置かれ、パーソナルな空間に置いてゲーム機は携帯ゲーム機になったのである。
そして決定的だったのが、ゲームエンジンの躍進と越境であろう。従来はゲームエンジンや製作環境はゲーム会社の門外不出のものであった。しかしそれらが会社を通じて流通し始め、さらには専門業者も現れるようになったのである。
家庭用ゲーム機と言えば、ゲーム機の性能を引き出すためにソフトごとにアセンブラで最適化チューニングを施す。それを行っても常に動作が一定になることがメリットとして、パソコンに比べてゲームは常に一定の動作をすることが担保できるためにゲーム製作に専念することができた。しかし、パソコンは十分に高性能になった。家庭用ゲーム機も十分に高性能になった。その結果、チューニングを行わなくてもそこそこの画面が作れるようになってきたのである。そこで余った能力はゲームエンジンのオーバーヘッドを許容するようになり、ゲームエンジンの躍進に繋がった。さらにゲームエンジンはプラットフォーム間の差異すら吸収し始めた。あるゲームエンジンを採用すれば、あまり手間をかけること無く、パソコン版、PS版、XBOX版、Wii版と複数プラットフォームで出せるようになったのである。これは、ゲームエンジンが新たなるゲーミングプラットフォームとして君臨する可能性を示唆していた。
しかし、チューニングなどといった、ユーザとは直接関係の無い部分に手間をかける必要が無く、作ったゲームがどこでも動く。これはクリエイタとしては非常にありがたい事なのでは無いか?
ビジネス書に出てくる例えがある。ユーザはねじ回しが欲しいのでは無い。ねじを回したいのである。同じように、客はゲームがしたい、もっといえば楽しいことがしたいのであって、別にゲーム機が欲しいわけでは無いのである。クリエイタはゲームを作りたいのであって、ゲームハードウエアを使いたいわけでは無いのである。ここに合致したのがクロスプラットフォームなゲームエンジンであり、そしてこれらはクリエイタに作りやすい環境を提供し始めた。さらにゲームエンジンは新たに現れたライバルである、タブレット/スマートフォンにも対応している。
しかしゲームエンジンの躍進は、プラットフォームビジネスの崩壊を意味したし、PS3は性能を引き出すには高いレベルの専門的チューニングが必要であった。しかしゲームエンジンはそこにコストを払う事を選択せず、PS3は高い性能を持ちながらも、それ以外のあまり高性能ではないプラットフォームとほぼ同等、せいぜい高解像度のテクスチャーに入れ替えられた程度のゲームしか提供されない、と言った事が発生するようになっていた。
そしてPS4が出た。
PS4は有り体に言って、x86-64アーキテクチャのコンピュータに、OpenGL/CL対応のGPUを搭載した、本質的にはそこらのパソコンと変わらない構成である。
さらに言えば、最新のCorei7+GeForce GTX…と行かなくとも、そこらのパソコンに較べ、性能は高くない。しかし、根本的にゲーム専用機が持つ、汎用パソコンには無い特徴
を備えている。さらには、GPUを扱いにくくする要因の一つとして上げられる、GPUとCPUのメモリ転送をほぼ考えなくて良いと言う仕様を打ち出してきた。これはCellとCPUのプログラミングが分断され、非常に開発を困難にしていたPS3の反省をダイレクトに生かしてきたと考えられる。これはAMDが出していたコンセプトだ、と話題に上がるが、あくまでもパソコンの話であって、ゲーム機の分野では少なくとも、PS2がプログラミングが困難な部分を、高速なバスで繋ぐことで隠蔽するよな仕様であったように記憶している。
さらにx86-64アーキテクチャにしたことで、ゲームエンジンがPC向けエンジンの次に、素早くPSにも対応できる素地を整えた。Power向けに施す必要のあるチューニングを不要にしたのである。従来はパソコンで開発されたクロスプラットフォームのゲームは、パソコン向けと、家庭用ゲーム機向けの2種類作られた。そして家庭用ゲーム機向けは往々にして、ターゲットとなるハードウエアの中で一番性能の低いところに合わせたデータで作られた。平たく言えばPS3の方がXBOX360よりもはるかに映像表現は優れているのに(※ただし使いこなせれば) XBOX360との差異はテクスチャやムービーの解像度程度の違いだけになってしまう事を意味していた。しかしx86-64にしたことで、家庭用ゲーム機向けに統一してダウングレードされたデータからPS版を生成させるのではなく、パソコン向けのデータから生成させた方が早いと言う状況を作り出し、他の家庭用ゲーム機にくらべてアドバンテージを得ようとしているのでは無いだろうか。これはPS VitaがARMを採用したことも同じ事である。
さらに、SONYは、PSVitaから進めてきた戦略として、自社による強力にプラットフォーム感の差異を吸収するミドルウエア群…これはゲームエンジンと読んでも良いのかも知れないが…を提供してくるだろう。x86ならば従来の資産を生かすこともできるし、世の中に出ているコンピュータ向けのライブラリも利用できる。急速に開発しやすい環境を立ち上げているのではないだろうか。これはゲームエンジンにより脅かされる、プラットフォームビジネスへの対抗措置でもあるだろう。
これにより「雑事に捕らわれること無く、ゲームの楽しさ・表現そのものに専念する」と言うクリエイタの夢を叶えるハードウエア、それがPS4であろうと思う。
平たく行ってしまうと、自社の半導体商売が死んだことにより、その死絡みから解き放たれたPSは、クリエイタ主導でゲームを作ると言う根本に立ち返って作ったのがPS4だ、と言う話である。
しかしこれだとハードウエア、製造業の夢はどうなってしまうのだろうか?そしてユーザは別にクリエイタの夢などはどうでもいい。下手をすると高性能なハードウエアを所有していると言う欲を満たせなくなる分だけこちらの方がまずいかも知れない。それをどうカバーするのか?と言う話になる。
SONYは、次世代戦略として明らかにソフトウエア重視に舵を切っている。SONYは今、収支から見ると製造業では無く金融業であるが、その次に利益を生み出しているのは音楽・映像ソフト部門とゲーム部門である。
まずはここを潰してしまっては会社として立ち行かなくなる。それはまずい。ではどうするかというと、従来の「製造業としてのSONYを強くするために、PSの需要を利用する」のではなく「コンテンツ・製造複合体としてのSONYの核にPSを据え、関連商品を生み出す形で恩恵を得る」と言う形に舵を切ってくることになる。PS3でも一部行われているが、たとえばPSのリモートプレイを可能にするパソコンやタブレット、PSを再生装置としてコンテンツを供給できるメディアサーバといった具合である。
しかしこれらに対応させるために大切なPS本体の魅力を失わせては困ると言う事は強く意識されなければならないし、意識されていくだろうと思う。
ユーザの夢は、将来的には作りやすいゲームプラットフォームが生み出す新しいコンテンツという形で満たされることになるだろうが、直近では、ソーシャルへの展開という形で示されていると思う。将来的にはいかにコンテンツを集められるかと言う事にかかっている。が、ぶっちゃけていうとユーザから見たら、これほど夢の無い話は無いと言わざるをえない。
今回発表されたタイトルのデモなどは実際にはチャンピオンで有り、実際にプレイして得られるのはPS3とそれほど感覚的に、革新的に良くなったと感じる部分は薄いと思う。この点で、PS4は、PS3と実働コンテンツはそれほど変わらないと思っている。マイナーバージョンアップ程度。パソコンがWindows XPで評価が固まったようなものである。これはおそらく次に発表される新型Xboxでも同じだ。任天堂は少し別格の応えを出したが苦戦している。
かつてセガが出した芸術品とも言える至高のゲーム機、DreamcastはOSにWindows CEを搭載した。プロセッサこそ独自であったがそれは当時のWIndows CEではあたりまえであり、むしろそこにWindowsと言う汎用のソフトウエアを利用したことで非常にゲームが開発しやすく、PCゲームが移植しやすい環境を作り上げた。それらはアーケードのnaomiプラットフォームや、ワンチップで埋め込まれたパチンコなどで今でも生き続ける。
任天堂がWiiUでコントローラに画面をつけDreamcastに追いついたように、SONYは、PS4で作りやすいゲーム機という点で追いついたと言える。
またしてもセガは早すぎた。時代がセガに追いついていなかったのである。Dreamcastはその名の通り「夢を投げる」存在であったのだ。