「「犬」」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 「犬」とは

2023-10-23

anond:20231023101840

ワンちゃんで思い出したが、うちの子供(幼稚園)、犬を見かけると「犬だ!」って言うんだよねぇ

ワンちゃんだねぇ」って私はやんわり言い直してるけど

犬飼いが犬を「犬」と呼ばれて嫌がるというのは、知識としては(最近になって)知ってるんだけど、

子供にも「犬じゃなくてワンちゃんって呼ぼうね」って言ってやったほうが良いのかな?

でも犬でも間違いではないし、間違ってないのに、赤の他人である犬好きのために訂正するのもなぁ、って思ってそのままにしてる

今のところ(犬の呼び方に起因する)トラブルは起きてないけど、今後どうなるのかなー

2023-09-26

税務官僚だった頃の思い出 Part2/3


思い出③ ビットコイン

 私の所属していた法人課税部門の話ではあるが、直接関わったわけではない。どちらかというと、もっと上の方の、課税全体の企画や調整・取りまとめを行う部署の話になる。

 当時も、国税庁が掲げるところの「内国税の適正かつ公平な賦課及び徴収の実現」をめざして、日々勉強毎日だった。世の中は変わり続けている。税の勉強に終わりはない。当時の仕事を平たくいうと、税制改正の内容を関係者関係部局にわかやすく伝えて質問相談苦情に答える、といったところか。管理職が近づいた当時は、そんな仕事をしていた。

 40代が近づいても、税の世界は深かった。税理士資格若い時分に取得したが、それでもマニアックな税分野とか、諸外国税制度になると不案内だった。

 そんな折、とある会議最中だった。ある人が、たしか個人課税徴収部門責任者だったかビットコインの話を始めた。課税方法がわからない人や、脱税の疑いがある人が増えており、(内閣府まで通じて)国レベル対応を考えているという。

 ビットコインのことは何となく知っていた。どんな形であれ、収益を得たのであれば納税するのが当たり前である。だが、事情があってできない者や、あえてそうしない者もいる。私の思い違いは、後者が思いのほか多かったということだ。

 国の関係機関は、ビットコインほか暗号資産に関する文書を多数発行している。国税庁もそのひとつだ。それは6,7年前だったか、取り掛かったのはさらにその数年前になるが――上の会議の後で、主に若手職員が中心となって暗号資産の税務上の取扱いに関する文書納税ガイドライン)を起草した。国税庁のページに今でも載っている。

 ガイドラインを作るにあたり、各部からは若手数人(YoungなAdultを含む。40代でもOK!!)が抜擢された。うち1人は私の同僚だった。あの頃、仕事帰りに個室の飲み屋で話をしたのを憶えている。彼は、ビットコイン暗号資産)に対して恨みの感情をいだいていた。

・ただでさえ忙しいのに。ガイドラインの下準備だけでも難しい

・今の部署との並行体制だと過労死する

・国際反社資金源を絶とうと思えば、暗号資産違法化してもよいのでは

・でも、それでは他国との足並みが揃わない。国力にとってデメリットがある

暗号資産がどの国でも一般的存在になれば、俺達のこの仕事は報われるかもしれん

上司評価をくれると言っていたが、貸し借りにすらなっていない感がある

・実は、「優秀な若手を」と言いつつ、優先順位の低い職員を駆り出しているのでは?

・こんなことが続くようなら、転職を考えた方がいいかもしれない

 このような愚痴をもらしていた。この人は、高卒枠で国税庁採用され、若い頃は地方税務署を転々とした。その後、実力を評価されて国税庁現場寄りの部門で働くようになった。叩き上げというやつだ。普通に幹部候補である。このあたりの考え方は、省庁によって違う。※後述。

 私だって彼のように、当時は「よくわからないもの」「社会必要性がないもの」「反社資金源」とされるものを扱う仕事に抜擢されたとしたら、どんな気持ちになっていただろう。憂鬱になっていたかもしれないし、反対にワクワクしていたかもしれない。おそらくはその中間だ。

 ところで、件のガイドラインは相当に練られている。人件費で換算するなら、軽く数千万はかかっている。本来部署でさえ仕事忙殺されているのに、彼らはよく作ったものだと感心した。

____________________________

《後述の内容》

中央省庁大卒しか採らない印象があるかもしれないが、高卒採用は私が知る限り全省庁で実施している。省庁によって雰囲気は異なるが。私が若い頃だと、毎年何十人も採用しているところもあれば、実質的高卒者を採用していないところも当然あった。覚えている限りでは、次のような印象だった。

総務省

たくさん採用する。男女比は同じくらいかデータの取りまとめや解釈など、政策の基本になる数字を拾う仕事が多い。実力が認められると政策立案担当できる。地方自治体への幹部待遇での出向も。

国土交通省

たくさん採用する。男性が多い。本庁に採用されても、ダム管理関係など現場作業をするポジションになる可能性があるからだろうか。工事用の図面作成なんかも当然あるだろう。

財務省

ほどほどの数を採用する。高卒枠だと、ほぼ女の子しか採用してなかった。もちろん顔採用だ。たまに業務で寄ることがあったが、当時の先輩が「俺も財務省の子合コンしたい……」と呟いていた。当然ながら、銀行一般職みたいに、大卒採用男性とくっつけるためにやっている。

国税庁

厚生労働省

たくさん採用する。男女比は半々だ。労働環境が厳しいこともあるのだろう、私が知っている子は、ガタイがいい人ばかりだった。総じて言えることだが、高校3年生の時点で中央省庁面接官の眼鏡にかなうわけだから、指折りの人材だ。特に役職持ちの高卒者を見たら刮目せよ」のイメージは正解だ。

____________________________

 かくいう私も、当時はこの仕事を続けるべきか迷っていた。実際、数年後には転職することになるのだが、正直やりがいを感じられなかった。

 実際、あの彼の言うとおりだったと思う。あのガイドラインは、いわゆる『火消し』の仕事に近い。すぐにバブルが弾けてなくなると思われたビットコインが生き残ったことで、脱税者(善悪を問わない)が多く存在することが予想された。事前の対策を打とうにも、そんな余剰人材は配置されていない。

 実際、暗号資産関係脱税者がいたとして、まともに取り締まることができていなかったのではないか? 現金で数千万円を国内口座に出金、みたいな愚か者はすぐに摘発されただろうが、もう少し小さい金額とか、取引所にずっと利益を預けていたとか、そういう人は対応ができていないはずだ。他部門の私ですらわかるほど、それくらい国税庁マンパワーが足りていない。

 加えて、思い出②で説明したストリートレベル行政職員観点もある。海外取引所や、すでに潰れた取引所で売買をしていた場合納税者も行政庁も課税情報証明ができない。そういう面倒かつ費用対効果の低い案件――それでいて該当者が数千人に上るであろう案件は、あえて手をつけないこともある。

 さて、こうした想定外事態が起こった場合、上で説明したように臨時タスクフォースが編成される。今回の火消しチームだと、指揮を取る者が選り抜きであったのは言うまでもないが、ほかのメンバーを見る限りだと、各課イマイチメンバー人柱にしていた感がある。正直、エースは残して温存させているように見て取れた。

 そんな理不尽でも耐えられるほどに組織が魅力的で、職員にとってやりがいのある仕事内容や職場環境を用意できればいいのだが――こういうわけで、近年の若手官僚大量離職問題が起こっている。

 ちょっと路線変更をする。思えば、このあたりの時期は私も病んでいた。過重労働で心が沈んでいた。

 一応マイホームは買っていた。ただ、数年前から妻が病気入院していて、子どもふたり実家にしばらく預けてあった。つまり単身だった。

 かつては、いろいろと堪え切れずにデリバリーヘルスを呼んでいた時期もあるが、穴があったら入りたい気分だ。煉獄さん……。

 その日々では、深夜に誰もいないマイホーム帰宅して、独身時代が懐かしいと思いながらテレビを点けていた。ある時だったか、今時風のアニメが流れた。

♪ わんわんわん猫が好き 夢中で何も見えない

  にゃんにゃんにゃん犬が好き 素直にアイラブユー ♪

 ほぼ終電+徒歩の関係で、自宅に帰る時間は固定だった。ダイニングの食卓の上に、コンビニおにぎり綾鷹を置いてから、大匙1杯の味覇を小鍋に入れて沸騰させ、菜箸で溶き卵を回し入れていた。最後テーブルコショーを振りかける。ネギは買い忘れることが多かった。

 食事の支度ができて、テレビを点けると上のアニメがやっていた。女の子が出てくるやつ。

 サブカルチャーについては、若い頃に少し嗜んだだけの私でもわかった――これは三級品のアニメだ。放送枠を埋めるためにひとまず作られたような、1話につき実質4分間だけの5分もの作品。それが正体だった。

 かわいそうに。作者はどんな想いだったろう。悔しいと思わなかっただろうか。残念ながら、番組製作者にとって優先順位が低いアニメだったのだ。※当時はそう思っていたが、今は違う。

 内容だが、女の子同士が仲良くするようなものだった。はっきりいって中味はない。ただ単に、女子高生が仲良くしているか、仲良くしようとアプローチしているだけの。そういうやつだった。だが、観ている最中に何も考えなくていい。それがいいと思って、つい毎回見てしまっていた。

 別に興味はない。なんとなく見ているだけだ。深夜帯だから、それ以外に選択がなかった。前後時間帯にほかのアニメ放送されることもあったが、観ることはなかった。この齢になると、特に30分枠のアニメは見るのがしんどい子どもと一緒に土日朝のアニメを観るのであれば、まだなんとかなるのだが。

 愚痴が長くなった。この章は仕舞いにする。これ以外にもパワハラ職員とか、やる気のない職員とか、省庁間のいがみ合いとか嫌がらせとか、議員行政との癒着・密着とか、嫌なことはいくつもあったが、本題ではない。

 そういうのが知りたい人は、元キャリア官僚が書いた書籍ブログを探して読んでみるといい。意外とみんな、けっこうぶっちゃけている。生々しい。

 その人達に比べれば、当記事の内容というのは、やはりベジタブルに違いない。冷静に考えて、野菜よりも肉の方がハイパワーだろう。そういうことだ。



思い出④ 政治家転身を間近に見て

 「官僚から政治家になりたい」という想いを抱く人は、一応は存在している。そして、そういう人が政治から求められる場面もある。

 30代に入る頃の話だ。具体的にいつ頃だったか失念したが、自由民主党地方自治を担っているグループが各官庁にチラシを配っていた。要するところ、「官僚の皆さんの中で政治家になってみたい人、手を挙げて。ハーイ、ハーイ!!」と、ここまで軽いノリではないが、かくして官僚から政治家へ……というルート希望する人は一定数いる。

 そういう説明会に参加したことがある。「興味本位でいい。年齢関係なし」といったことがチラシに書いてあったが、会場に同年代はほぼいなかった。

 説明会の流れは月次だった。自民党のそこそこ偉い人が挨拶をして、後は別の人達に交代して政治家への転身ルートの大まかな説明(国政コース地方自治コース)があって、最後簡単グループ討議だった。

 なお、これはずっと昔の話だ。今がどういうシステムかはわからない。

 私がいた席の隣には、一回り年上の国土交通省(の前身)の技官であるIさんがいた。体格は小柄だったが、その割には大きく見えた。頭の回転が速くて、こっちが話しても0.5秒でレスポンスが飛んでくる。

 Iさんとはグループ討議の後で連絡先を交換して、一度だけ飲みに行った。頭の回転だけじゃなく、教養のある話し方だった。人としてのスペックの違いを感じた。

 Iさんが上の説明会に参加した動機は、出世や昇進に関係していた。上に行けないのであれば、いっそ政治世界活躍してみたい――そんなことを話していた。

 Iさんは、東大でも京大でも筑波大でも東工大でもなく、一般的国立大学だった。偏差値でいうと50ちょっと。私と同じくらいの。その大学名では正直、立身出世の見込みはなかった。よくて審議官民間でいうと次長部長ほどか。今はどうかわからないが、当時は学歴が問われる時代だった。国交省でも、上級管理職東大が基本だった。

 Iさんのキャラクターというのは、古い語彙になるが、ザ・自民党といった雰囲気だった。政治的に保守というやつだ。頭の回転が速いというよりは、物事道理がわかるというか。いざという時には清濁併せ吞むことができる。そんな具合だ。

 かくいう私は、政治家ルートは無理だと感じ、その後にあった面接を受けることはなかった。国会議員になるには地盤看板も鞄も足りないし、かといって地方自治体に出向して市町村助役(今でいう副市長)になるのはリスクが高すぎる。もし地場に合わなければどうすればいいのか。どの面を下げて霞が関に帰ればいいのか? いや、というか帰れない。片道切符だ。

 でも、本当に政治家になりたい人であれば、不安に打ち勝ってしまえるのだろう。当時の私は、転職を考えはじめていたけれども、今と違って転職市場は整備されていなかった。インターネットでの転職活動も始まったばかりだ。リクナビ黎明期になる。

 まあ、それらも言い訳に過ぎない。本気で転職したい人だったら、そんな事情関係なく転職エージェント架電していることだろう。心の底では、そこまで転職したいとは思ってなかったのだ。

 その後も、厳しい日々が続いた。職責はどんどん増えていくけれども、やりがいは減っていった。給料も見合っていない。時給換算だと千数百円ほどか。上でいう40才になる頃には、自分がなんのために働いているのかわからなくなった。行政ロボットのようだった。

 ひたすら政策課題に対して向き合い、法律常識に照らして世間でいうところの正解と思われる回答を見つけ出し、複数上司忖度とやらをしながら仕事を回していた。税制を維持していくためのロボットになっていた。

 あと数年以内には、おそらく課長補佐から課長級になる。もっと忙しくなるだろう。子どもを2人育てるなど不可能だ。

 もやもやした気分で深夜に帰宅した時、やはり、あのアニメ――『犬神さんと猫山さん』が流れていた。たった三ヶ月の付き合いだったが、少しばかりの息抜きになった。コンビニおにぎりお茶と、味覇スープを飲みながら、ほとんど何も考えずに観ていた。

 女性同士が仲良くすることに主眼を置いていたのはわかる。メインふたり関係だけでなく、ほかの女性同士の関係性も描いている。

 犬神さんは積極タイプだった。猫山さんのことが大好きだ。ほかの女の子はいざこざがありながらも、最後には仲良しになっていた気がする。

 強いていえば、犬神さんの猫山さんに対するアプローチには、セクシャルハラスメント構成する要素があった。いきなり抱きついたり、薬物を飲み物に混ぜようとしたり、髪型自分好みにさせようとしたり、猫山さんの反応が気に入らないとキレたり、ハラスメントし放題だった。デートDVに通じるものがある。人権という観点からは、現代社会で許容されるべきものではない。

 この日記を書き始めた頃、ニコニコ動画登録して全話パックを購入した。順番に話数を巡ったところ、第9話にこういうやり取りがあった。以下、犬神さんを「犬」とし、猫山さんを「猫」とする。

犬「あの~、今なんて……?」

猫「えっと、だからストパーかけたいなって……」

犬「バッカなんですか猫山さん!」

猫「そこまでいうの犬神さん!?」

犬「だって、素晴らしいその猫っ毛を矯正するとか、そんなのって、そんなのって、コーヒーからコーヒー抜くようなものですよ!?」

猫「わたしアイデンティティなんだと思ってるの!?」

 リアル高校生ならこういう会話をするのかもしれないが、中年の私には厳しい描写だった。若い人向けの作品なのだからと思いつつ、読者が真似をしたら相手が苦しいことになる――と当時は考えていた。こちら以外にも、若い人なりの情動リビドー)が爆発するようなシーンがあったのを思い出す。

 思えば、若い人向けの作品なのだから、少しオーバーなのがちょうどいいのかもしれない。作者が若年だったのもあるだろう。梶原一騎(巨人の星)にしても、雁屋哲(野望の王国)にしても、巻来功士(メタルK)にしても、CLAMP(聖伝)にしても、荒木飛呂彦(バオー来訪者)にしても、板垣恵介(バキシリーズ)にしても、作者が若いと、エログロやスプラッタや、恋愛確執社会価値観との対峙など、青春期ならではのリビドーに溢れている。反対に、作者が齢を取ってくると確執関係が雪解けするような、そんなシーンを描くようになる。『バキ親子ケンカ編』などが顕著だ。

 あの人達が若かりし頃のマンガというのは、基本線として反社会的だ。反社会的といっても、若者にとっての抑圧を打ち破るという意味での反社会性だ。うまく料理できれば、マンガの魅力として存分に活きてくる。あの人達は、若者のそんな感情を搔き立てるのが抜群にうまかった……と、元若者が振り返ってみる。

 追記 Iさんはその後、大成した。少しではあるが本人に馴染みのある地域で、市町村助役として迎え入れられた。その後、国会議員職員団体や地元から応援を受けて市長選立候補し、並み居る解放同盟勢力を圧倒して市長になった。

 あれから調べてはいないが、きっと長い間お勤めになったのだろう。ああいう人がもっと多くなれば、地方もっと活性化するに違いない。



 Part3/3

 https://anond.hatelabo.jp/20230926201303

2023-08-18

土佐犬ペットじゃなくて危険物だろ

今年も娘共々無事義実家から生還できて心底ホッとしている。義実家では数年前に仔犬を譲り受けたという土佐犬(勿論闘犬はさせていない)を飼っていて、柵で一部仕切ってはいるけど基本室内に入れているから。

義実家のある地域特定制度は無い。義父に外飼いにしないのか尋ねても「昔と違って熱中症のおそれがあります。今の時代、犬を室外で飼い続けるのはダメですよ」と反論され、これでは外飼いを頼んでも聞き入れてもらえる事はなさそうでまず絶望している。

犬の件を除けば親切で、結婚前も以後もとても良くしてくれ、旦那づてに私の母がコロナに罹ったと知った時はわざわざ食べ物を送って下さったりなどお世話になっている。そのため主に私の両親のほうが「くれぐれも義実家に礼節を欠くな」と圧が強く、金輪際義実家に行くのをやめたいとは言えなかった。しか事実土佐犬や、同様に戦う事を目的に作られたピットブルなどが突然子供女性を襲って殺した事件日本でも海外でも複数件あるため、正直義実家には怖くて行きたくないし、娘を行かせたくない。

それに娘に何かあってはいけないから娘と旦那の2人だけで行く事も絶対許可できない。何より旦那が未だ呑気に「A(犬の名前)と娘ちゃん友達から早く会いたいよなあ」と馬鹿な事をほざいていた以上、私が付いていき見張っていないといけない。

以前、義母家事を手伝う間娘を旦那に任せたら「娘ちゃんが転んで泣いてたらAが駆けつけて寄り添ってあげてた」「娘ちゃんとAが抱き合って昼寝をしている」などほのぼのエピソードかの様に言うので思わず叱り飛ばした事がある。凶暴化するスイッチがいつ入るかわからない危険生物人間友達になれる訳がない。今たまたま優しいからって、そんなもの生存バイアスに過ぎないと繰り返し言っているのに「大袈裟だよ、俺も子供の頃でかい犬に囲まれて過ごしたよ」と頭の悪い返答しかしなかったため本気で切れてしまった。自分大丈夫だったか安全なんて理屈通用しないのに、そんな簡単な事が何故わからないのか。

旦那は義父について「俺が子供の頃も実家ででかい犬を複数飼っていたし、犬の飼育や躾、知識についてはベテラン」と評していたが、人間という生物が全力を出した時の大型犬より弱い事実があるのに何を信頼しろというのか。一般人より遥かに知識経験豊富動物園飼育員ですら、猛獣に食い殺される事件があるのに。

加えて娘にAと遊ばないよう言い含めていたのを娘が義父の前で泣き出した事でばれてしまったため、田舎人間特有の意固地も加わって建設的な話し合いが絶望的になってしまっている。

と言っても私は、土佐犬がどういう生物かという説明過去に起きた事故事例を娘に教え「今後Aに触ったり一緒に遊ぶのは禁止、Aが入れない柵の内側に居る事」「いつ凶暴になって私たちを襲うかわからないし、パパやじいじと違い私たちは弱いか簡単に殺されてしまう。Aはそれぐらい危ない生物から、君の友達ではない」と指導しただけ。意地悪ではなく危険から命を守る為だよとも何度も言い含めた。だがどうやら娘には「ママにAと遊ぶのを禁止された」という情報しか伝わらなかったようだった。

土佐犬は賢い生き物で、仔犬の頃から躾を適切に行えば共生可能」「Aは私の大切な家族ですし、Aと娘ちゃん友達です」「一般的危険と言われているから近づくなと、現に絆ができている子供制限するのは違うと思います」…

何もかも全て「今が大丈夫」という視点しか考えていない。それがある日突然覆される事例があったか一般的危険と言われているんだろ。私から見れば土佐犬も虎もヒグマも皆同じだ。そんな生物と、男性で筋力や体格もある義父や旦那と違って噛まれたら確実に即死してしま子供を一緒に遊ばせ、挙句「絆ができている」なんて発言が出るようでは、例え大型犬飼育ベテランでもハッキリ言って馬鹿非常識だと思う。ここはディズニー世界じゃない。

娘の事を思うなら、大型休みに孫に会うのを楽しみにしていると言うならそんな危険生物を譲り受けないで欲しかった。それとも犬好きの人間死亡事故が相次いでいる生物でも「犬」と言うだけで「危険ではない」と判断してしま病気なのか。本当に義実家の犬以外に不満はないし、家庭内での揉め事もないが、娘を殺される前に離婚しようかとさえ思う。犬好き人間はきっと私を神経質で動物嫌いなヒス女としか思わないんだろうが、私には人間の子供を猛獣の檻に一緒くたに入れ育てるキチガイしか見えない。

2023-06-08

anond:20230608122656

AならばB(犬ならば動物)が成り立つとしても、

BならばA(動物ならば犬)は成り立たない。

先に謝っておくと、実のところこの説明で十分なんだよね。

ごめんね。

ただ、人によっては納得するのが難しい説明だなと思うので、まずはそこの視点について書くね。

AやBに現実の条件を当て込むとミスリードをすることがあるってことなんだよね。

動物ならば犬である」というおかしい条件を与えたとき

「犬」動物なのだからAは真になってしまうんだ。

この仮定のみに固執してしまうと、何度説明してもAは真と言えるのだから答えはYesになってしまうんだよね。

考え方としては

・「AならばB」、BのときAが真になるケース

・「AならばB」、BのときAが偽になるケース

があることを理解しておく必要があるんだ。

Aが真であると言えるか?というのを考えるのだから

真になる場合もあるし、偽になる場合もあるなら、Aが真であるとは言えないよね。

という説明でわかりやすかったかな?

どうかな??

anond:20230608115315

「犬ならば動物」としたとき、何かが「動物」であれば、その何かが「犬」だというのは真か?という意味じゃねえの。

まあ理系日本語下手なのはしょうがない。汲み取ってやれよ。

2023-05-26

教師と、犬の子

 小学生の頃、学校教師から「犬」と呼ばれていた。

 自分父親が、警察官だったかである

 その教師、曰く

警察官は『権力の犬』である

「お前は、警察官の子供だから『犬の子供』である

という理屈であった。

 その教師からは、他の生徒たちや教師たちの前で公然

「おい!犬!」

「犬の子供!」

と呼ばれた。

 しかし他の教員たちは、特にそれを止めたり咎めたりはしなかったと記憶している。

 同級生保護者たちも、特に学校教師に抗議はしなかった。

 大人になった今は、こういった明らかな人権侵害に対して、沈黙せずに憤りを訴えて抗議するべきであることも分かるし、ネット上で広くアドバイスを求めるとか、弁護士相談するとか、色々と行動する方法も思いつく。

 近年は、大学教員企業採用試験担当者などからセクハラパワハラを受けた被害者が、SNS被害情報を公開したニュースなども見聞するが、

自分小学生の頃にも、ネットSNSがあればなあ」

と思う。しかし今そう思っても、実際にネットSNSがあっても自分は何も出来ずにいたかもしれないとも思う。

 父親自身

警察官という仕事をしている以上、世間の人たちに嫌われるのは仕方が無い」

と考えていた(ように自分には見えた)ので、子供である自分

「こういったことは、無言で堪えることが正しい振る舞いなのだ

何となく思っていた。

 殊勝な心掛けというよりも、学習性の無力感で諦めていたという部分も大きかったと思う。

 その時だけでなく、大人になってから

「そんな話(=警察官とその家族に対する差別)、自分は聞いたことが無い」

「そんなひどい出来事が本当に起きていれば、報道されているはずだ。報道されていないのだから、そんなことがあるはずが無い」

「作り話をするな」

と言う人たちが少なからずいて、それに辟易して、いつしか小学生時代の嫌な思い出を自分は話さなくなった。

 2023年現在大手芸能事務所ボスであったジャニー喜多川による性的加害行為醜聞が、海外メディア報道を契機として、漸く日本社会でも公然と報じられるようになった。

 そのニュースを見て、ジャニー喜多川から被害を受けた人たちに対して、自分が受けた被害とは内容や深刻さが違うというのは重々承知してはいるけど、勝手に少しだけシンパシー自分は感じている。

 新聞テレビ報道してくれなかったけれど、自分教師「犬」呼ばわりされていたのは、本当の話だ。でも、世間からは「有り得ない話」ということにされてしまったのだ。

 自分被害を受けているのに、世間の人たちが見て見ぬふりをして、彼らが被害者である自分を守ることも、加害者批判することもしない姿を見ると、無力感を感じて

沈黙するしかないんだ。耐えるしかないんだ」

と、無理やり自分に言い聞かせる他にない心理状態になることを、自分は知っている。

 ジャニー喜多川被害を受けて、そのことを告発しても一般マスメディアから黙殺された人たちも、きっと同じ無力感を感じていたのではないだろうかと想像する。

 抗議の声を上げることが可能な世の中であること、その声に対して黙殺ではなく援助が寄せられる世の中となることを、切に願う。

 昨日2023/05/25、長野県で痛ましい事件が発生した。被害者の一人となって殉職した警察官の一人のご子息が、父親尊敬していること、ご子息自身警察官となったことを、テレビインタビューで話しておられたのを見た。

 痛ましく悲しい事件ニュースなのだけれど、警察官である父親尊敬していると堂々と言える世の中になったことは、少しだけ世の中が進歩したのだと思う。

 子供の頃の自分も、この人のように堂々と、世間に対して「警察官である父親尊敬している」と言うべきだったと思う。そういった意味では、犬呼ばわりする教師に抗議せずに済ませ、沈黙した自分もまた、加害者に加担した一人なのだ

 その己の罪は、背負っていこうと思う。

2023-05-21

anond:20230521103519

救えねぇマヌケ

日本語では分解できない粒度まで細かくしたのが「亀」

ぜんぜん違うだろ

それは単に、漢字での話をしてるだけだろ

柴犬は「柴」と「犬」に分解可能だとでも言うつもりか

日本人ならきちんと日本語を把握しとけよ

ちなみに、ウミガメは正確にはSea turtleだ

anond:20230521041018

ハイパロニムとヒポニムの関係

このような現象は、言語学では「ハイパロニム」と「ヒポニム」の関係として説明されますハイパロニムは、より一般的単語で、ヒポニムはより具体的な単語です。例えば、「動物」は「犬」や「猫」のハイペロニムであり、「犬」や「猫」は「動物」のヒポニムです。英語では、より具体的な単語複数ある場合があります

以上、BingAIより

2023-04-10

chatGPT様に出力させたぞ

すきなのを選べ

あなたの知っている言語40で、それぞれ「犬」を表す単語「綴り」カタカナで表した発音)の形式で一行ごとに出力してください

アラビア語: كلب (kalb) - カルブ

アルバニア語: qen - クェン

アルメニア語: շուն (shun) - シュン

イタリア語: cane - カーネ

インドネシア語: anjing - アンジン

ウクライナ語: собака (sobaka) - ソバ

エストニア語: koer - コエル

オランダ語: hond - ホント

カザフ語: ит (it) - イット

カタロニア語: gos - ゴス

ギリシャ語: σκύλος (skýlos) - スキュロス

クロアチア語: pas - パス

コーカサス諸語: ʕuni - ウニ

コルシカ語: cane - カーネ

サンスクリット語: श्वन् (śvan) - シュワン

シンド語: کتو (kuto) - クト

スウェーデン語: hund - フンド

スペイン語: perro - ペロ

スワヒリ語: mbwa - ムブワ

セルビア語: pas - パス

タイ語: หมา (măa) - マー

タガログ語: aso - アソ

デンマーク語: hund - フンド

トルコ語: köpek - ケペク

トンガ語: ʻulungū - ウルングー

ドイツ語: Hund - フント

ノルウェー語: hund - フンド

ハワイ語: ʻīlio - イーリオ

ハンガリー語: kutya - クチャ

フィンランド語: koira - コイ

フランス語: chien - シャン

ブルガリア語: куче (kuche) - クチェ

ポーランド語: pies - ピェス

ポルトガル語: cão - カン

マケドニア語: куче (kuche) - クチェ

ルーマニア語: câine - カイ

ロシア語: собака (sobaka) - ソバ

中国語: 狗 (gǒu) - ゴウ

韓国語: 개 (gae) - ケ

日本語: 犬 (inu) - イヌ

---

個人的には「ソバカ」「コエル」「スキュロス」「カーネ」「ムブワ」あたりは新鮮だな

anond:20230410191119

2023-03-28

犬を犬と呼んだらフラれた話

先日女性ラインをしていた時の話だ。

彼女愛犬家特に彼女が飼っている犬を溺愛している。

ラインでも犬の話題になり、私は「○○さん(彼女とは別の女性)の犬も可愛いよね」と返事をした。

そしてその返事をしてからラインは返ってこなくなった。

翌日Twitterを見ているとその彼女ツイートしていた。(彼女Twitterアカウント彼女が私に教えてくれた)

曰く、「ワンコ大事家族であり友人である、それを犬と呼ぶ人は嫌い」だと。

私はそのツイートを見て動揺した。

犬を犬呼ばわりするのは愛犬家からしたら畜生所業なのか、と。

私は真面目で勉強である愛犬家である彼女過去ツイートを見て「犬」を使わずに犬を表す言葉を学び、彼女謝罪しようと思った。

だが、過去ツイートを見て私はさらに動揺してしまった。

彼女自身が犬を犬呼ばわりしていたのである

しかもたった一週間前に。

さら検索してみると「犬」まるけだった。彼女が飼っている愛犬でさえ「犬」呼ばわりしているツイート散見された。

私は真面目で勉強家で頭脳も明晰である

そう彼女最初から私のことを嫌いだったのだ。

そして嫌いな理由を探していたのだ。

理由は何でも良く、○○だからあいつが嫌いだと自分を納得させたかったのだろう。

たとえその理由矛盾していても関係ないのだ。

矛盾していることすら気づいていないだろう。

このことから私は学んだ。

女性が(主語が大きいのは分かっている)男性をフル理由は当てにならない可能性が高い。

女性が言う○○だから好き、○○だから嫌いというのは後付の理由だ。

本やネットで言われている嫌われる行動、好かれる行動を真似したところで、おそらくそれは本質では無い。

嫌われる奴は何をしたところで嫌われるのだ。

私が犬のことを「ワンコ」と言ったところで結果は一緒だっただろう。

2023-03-26

AI技師AI絵師←これをプロフに書いてる奴さぁ

TwitterAI絵師批判される形でトレンドに入ってるみたいだから便乗して甘えた再投稿しま

AIを使うには技術必要なんだ!っていうけどさぁ

最初期ならまだしも(ていうか最初期の段階でだいぶグレーだったし学習に使う絵の著作権問題とかもあるけど敢えてそれはここでは置いとく)今はだいぶ使うの楽になってるわけで

そんなもんで生み出したお手軽な物を貼り付けながらAI技師とかAI絵師とかプロフに載せるのこれだいぶ恥ずかしくね?イキリが凄くね?

そこはせめて「AI生成」とか「AI絵」ぐらいにしとこうや

つーか「師」を付けるなよ

「師」って子弟を教える者、人の手本となる人、先生の事だぞ

AIが作ったもの右から左に流してるだけのお前がなんの手本になれるんだよ

寧ろお前がAI様についていってるだけなんだから表現としては絵師技師じゃなくて「犬」が正しいだろ

今の状況でAI使いながら絵師とか技師を名乗るのはもうすまんがだいぶキツイ、ていうか痛々しくて面白い

どういう気持ちでやってるんだろうなあれ

2023-03-24

AI技師AI絵師←これをプロフに書いてる奴さぁ

AIを使うには技術必要なんだ!っていうけどさぁ

最初期ならまだしも(ていうか最初期の段階でだいぶグレーだったし学習に使う絵の著作権問題とかもあるけど敢えてそれはここでは置いとく)今はだいぶ使うの楽になってるわけで

そんなもんで生み出したお手軽な物を貼り付けながらAI技師とかAI絵師とかプロフに載せるのこれだいぶ恥ずかしくね?イキリが凄くね?

そこはせめて「AI生成」とか「AI絵」ぐらいにしとこうや

つーか「師」を付けるなよ

「師」って子弟を教える者、人の手本となる人、先生の事だぞ

誰がAIが作ったもの右から左に流してるだけのお前がなんの手本になれるんだよ

寧ろお前がAI様についていってるだけなんだから表現としては絵師技師じゃなくて「犬」が正しいだろ

今の状況でAI使いながら絵師とか技師を名乗るのはもうすまんがだいぶキツイ、ていうか痛々しくて面白い

どういう気持ちでやってるんだろうなあれ

2022-11-21

anond:20221120221519

ペット家族と同列に扱って欲しいと思っている飼い主にとって、「犬」や「猫」という呼ばれ方は、

例えば娘さんのことを「先輩の家の人間」と呼ばれているような無機質な感覚を受けるのだろう。

これまでの日本において、ペット家族と同列で扱うような文化ではなかったので、

「娘さん」や「お子さん」との同列のペット呼称存在しないために、お互いに違和感をうけているのだと感じる。

先輩後輩のような、他人家族名前で呼ぶような間柄ではない関係性の間で使用する、

「ペット」「犬」「猫」などに代わる、新しい呼称を考えてみるのはいかがだろうか。

2022-09-06

Googleで「猫」って検索してみ

検索結果の右上のことろに肉球マークが出るからそこ押してみ

ニャンコの鳴き声とともにお手々が出てくるから

「犬」でも同じく出るぞ

画像生成AI「Stable Diffusion」の不満

学習データ品質に引っ張られて、ガチャを多く回す事になる

23億枚学習使用したとのことだが、低品質の物も多く含まれている。

「犬」、といった物はスマホ撮影したと思われるので、品質が保たれているようで上手く出せる。

イラストに関しては、単語に対するゆらぎが大きい。

例えばあるアニメキャラクター名を入れたとして、デフォルメした画像3D公式から同人まで色々あり、

平均を取るとなんだかわからない物になっている、気がする。


kawaiiというのが日本人が感じるものと、外国人が感じるもので違うということもあり、

そういった文化からのゆらぎもある、気がする。


写真人物を描画する場合だと、時代感もかなり出てくる。

服や髪型メイクといった流行があり、プロンプトを入力する側はあまり意識しない。

Japanese」といったら、普段見慣れている今の流行なはずだが、データベースがフラットなのか、戦後とかの白黒写真が混ざる。

日本より韓国文化の方が英語圏勢力があることもあり、髪型だと韓国圏の英語での言い回しを使わないと出来ないといったのもある。



出てきた画像の一部が気に入らなくても、あまり修正出来ない。

画像の一部が気に入らないとして、シード固定して、プロンプトを変更すると、大きく画像が変わってしまう。

数値を変えるだけだと構図は大きく変わらない。

2022-04-21

anond:20220421234359

人間にも打っとくといいと思う

接種済みってわかるように額に「犬」ってステッカーはるともっといい

2021-07-27

anond:20210727102014

リアリティっていうか人間味の演出やろね

仮名だろうがやっぱ名前がついてるほうが親近感湧くよ

知り合いが実験で二匹犬買ってきて、片方に「犬」、片方に「ラッキー」って名付けて3年育てたけど「ラッキー」のほうが愛着湧いたって言ってたし

2020-10-05

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/fuyu.hatenablog.com/entry/2020/10/05/002610

非モテ女性存在しない事になっている」

非モテ男性の為に非モテ女性人権蹂躙しろ、って言いながら被害者面すんな、せめて悪人の顔をしろ

と突っ込まれてるけど

根本的に「女性立場から物事を考えられない、考えるという発想もない」んだよなあこういうの。

犬を飼いたいと言ってる人が飼われる犬の立場を考えていないのと同じレベルで、女性立場ってものを考えてない感じ。

「犬は自分みたいな一人暮らしワンルーム散歩にもなかなか行けず病気になっても動物病院にすぐ連れて行く暇や財力もない人に飼われるよりは

家族で広い家に住んでて毎日散歩に行けて病院にもすぐ連れていける人に飼われたいだろうな、

そもそも人間に飼われると言うのは犬にとって幸せなんだろうか?」

考える人があまりいないのと同程度に、女性についても「女性自分より他の男と結婚したいだろう」「独身の方が幸せかも」と言う発想がなさげ

つーか、女性にも個性個人差と言うものがある、って発想もあんまないよなこの界隈。

モテ論とか典型的

だって個性があるけど、あまりそう認識してる人は少なくて「犬とはこういう性格だ」「こうすれば犬は懐く」と雑に一纏めに認識してる人が大多数だけど

それと同程度に「女性とはこういう性格だ」「こうすれば女性モテる」と言い切る。

女性人間だと思っていない」って、そういう事なんだけどな。

多分こういう人って、「人間」と言われて脳内に浮かぶのは男だけで、女は「女」と言われなければ浮かばないんだろう。

そしてその「女」というのは「犬」「猫」なんかと同列に存在してる。

しかしそういうのって、生来的なものであって本人にはどうしようも出来ないのかもしれない。

非モテ女性にはこういうタイプほとんどいない、ってのも、

幼いうちから女児の方が男児より「他人気持ちを読める」「他人立場から物事を考えられる」子多いしな。

男性中心で女性は周縁とみなす文化の影響もあるのかもしれないが。

2020-07-08

悲しめる私!一緒に悲しんでくれない〇〇!ひどい!な記事気持ち

https://dime.jp/genre/944115/

これ系の記事に出てくる「私」みたいなのがもうほんと周りにいなくてよかったとしか思えない。

リアル20超えてこんな「いつでも私をちやほやしてね!(しかも対価を払ったわけではない彼氏/夫含む)」ってどんな甘やかされた家庭で育ったらそうなるんだよ・・・

飼ってたペットしかペットではなく家族同然の存在が死んだら辛い。それはよく分かる。悲しんで当たり前だし1週間1ヶ月もっと引きずってもしょうがない。

ただ、それは自分自身の話で、なんで一緒に飼ってなかった人間にまで同じことを求めるのだ。

私のわがままだけど、一週間前に亡くなったうちの子の話を聞いて欲しかったな。ゴールデンがどんなに素晴らしくて素敵だったか、愛する恋人と話し合いたかった。

でも彼にとっては単なる「犬」なんだな。

当たり前だろ?頭の中に花でも詰まってんのか?アホなのか?

話を聞いてほしかったのなら、察してももらうじゃなくて自分で話を聞いてほしいのと言えよ。どんだけお客様根性なんだよ。

なんで他人自分が飼ってもいなかったペットにそこまで感情移入するんだよ。

逆の立場あん彼氏ペットにそこまで感情移入するか?

逆に「いつまでもペットときメソメソするな、男らしくない(私を構え)」って言わないのか?

私はあなた母親ではありません!

しろ自分相手に無制限父親母親の合体した存在を求めてるって気づいてくれよ。

で、何よりも糞なのはこういう記事が出た時に「かわいそう、ひどいね、そんなやつと別れて正解だよ」以外のコメントが出せねぇ現状だわ。

言った瞬間にピラニアの泳ぐプール生肉放り込んだほうがマシなことが起きるってのがほんと救えねぇ。

2020-06-09

小児性愛(ショタコン)という深刻な病を持つ" 女 "たち

小児性愛=男性 、という図式ばかりフィーチャーされがちだが、実は小児性愛問題男性に限ったものではない。

しろ、隠れた小児性愛問題は「女性」の側にこそ潜んでいる。

男性若いアイドルばかり追いかけまわしていると思っているようだが、実は女性もまた、若い男性アイドルを追いかけまわしている。

例を挙げると、ジャニーズJr神木隆之介羽生結弦・・・etc (実際にはキリがない、というのもこの世には「男児」の水着イメージDVDなるものもあるからだ。)

彼らがまだうぶな少年だったあの頃、あのあどけない笑顔を性欲丸出しでおっかけていたおばさん達の表情を自分を決して忘れない。自分の息子を見つめる母親のような顔で彼らを応援するが、常識的に考えて"赤の他人"であるはずの男児あんなに大挙して群がるはずがない。あの頃の自分は詰めが甘かった。

なぜ将棋藤井聡太に若き日の羽生結弦ほど女性ファンが集まらないのだろう。単に将棋に興味がないだけだと思っていたが、しかし奴らはフィギュアスケートルールすらほとんど知らないのだ。(もちろんマナーも)

はなはだ疑問である

彼女たちは自分の汚らわしい性欲に過ぎないものを、まるで母性であるかのように"正当化"するのだ。

まるでどこかのクリスチャンみたいではないか

そういえばこの間も、ある成人女性小学生男子との淫行逮捕された事件があったが、普通に考えてあれは立派な"虐待"だ。

アホなネット民たちは「うらやまけしからん」などと笑い話で済ませていたが、本来もの分別のない小学生に性行為強要した場合精神医学的に考えてどんな傷害(トラウマ)を残すかわかったもんじゃない。

世の中には一定数の"ショタコン"女がいるわけだが、もし自分に小さい息子がいたとして、そんな奴らが大勢いる保育園子供を預けるわけにはいかない。ここは安全男性に預けたいところだが、どういうわけかどの保育園潜在的ショタコン欲求を持つ女性保育士ばかりが大勢を占め、未だ男性排除される流れになっている。(われわれは一体どこに愛する息子を預けたらいいんだ!)

自分は昔、母親風呂に入っていた時に、母親ペニスを触られたことがある。あの時の母親はただ笑っていたが、今考えると鳥肌が立つような不快体験だった。あれ以来母親憎悪するようになり、自分母親を徹底して忌避するようになった。自分はその時のことを誰にも何も言わなかったが、言えば性的虐待件数としてカウントされたのだろうか?また、同じような経験をした男性は、潜在的にどれほどいるのだろう。性的ものであれ、お受験教育的なものであれ、それは等しく"虐待"ではないのか。

(考えてみれば、母親恋人関係のような息子がたびたびテレビ報道されるが、あれも考えてみれば母親の"支配下"におかれ、もはや抵抗する気力を失った(無気力な)憐れな息子に違いない)

現実妄想のつかないのはむしろ女性の方で、彼女たちはむしろ現実男児に加害をなす恐れがあるのではないか、という問題をここに提起しておく。

「成人男性幼女」の構図ばかりを心配していたら、気が付いたら女がショタを苦しめていたではないか

願わくば彼女たちが、主にショタドールなどの現実人間ではない架空の"物体"や、または腐女子のような高度な妄想技術を磨いてその危険かつ屈折した性欲を日常的に解消してくれればいいのだが……。

(追記)

どうせ興味ないだろうけど自分の子時代の話をもう少しだけするが、自分母親のせいで異性との付き合い方が分からなくなったと言っても過言ではない。小学校4年生のとき女子からバレンタインチョコをもらい、その日母親に隠していたが、いつの間にか鞄を漁ったのかすぐに食卓の上に置かれていた。

中学卒業式の夜、学ランの第二ボタンがないことを上目遣いのいやらしい目で家の暗い廊下で問い詰められた。

高校生になっても通学の自転車を漕いでいると母親が車で自分を見つけ、「誰と話してたの?」と頓珍漢な詰問にあう。

学校女子に話しかけられてもどうせ深い付き合いになれないし、女友達になるにしてもそんなものが成立するとも思えない。

しかしこの頃から自分母親と、学校女子というものが、同じ「女」であることを強く感じ始める。

同級生女子もまた、男子という人間に対して同じ女同士の友達とは違う対応を明確にとり始めるわけだが、その下心のようなものがどうも見え透いて自分でもなぜか分からないが拒絶反応が起こり始めた。

どうにも自分母親と、目の前で気さくに声をかけてくれる女子の猫なで声が頭の中で共鳴し、嫌な思い出を引き出すのだ。

それ以来自分女性と深い付き合いができていない。

これは一体誰の責任なのだろうか?俺の心の問題なのか?俺の心が女性侵入を許せばただちに問題解決して、今頃、子供を作り幸せにやっていたのだろうか?分からない。しかしそんなあっさり心の問題解決してしまえるような奴が子供幸せにできるとも思えない。俺の精神の成長を止めたのは誰だ?俺か?俺だけなのか?あいつ(母親)は関係ないのか?猫なで声で接してきた同級生女子関係ないのか?じゃあ人間が一人で成長できるなら他人なんか要らないな。相変わらず都会のワンルームアパート孤独にこんな匿名記事愚痴を吐き出すしかできない。

ミソジニーなんて言葉があるが、どうせモテない奴の僻みだろなどと世間はいうが、女性嫌いになるのはいろんなパターンがある。自分場合はそれだった。一般的なこととして当てはまらない、統計的マイノリティだ、だからこれとこれは別の話だというのかもしれない。

じゃあフェミニズムって一体何のためにあるんだ?

フェミニズムとは一人一人が固有の体験において様々な問題について打ち明けることのできる思想だったんじゃないのか。

では俺の場合は何に当てはまるのだろうか。俺は男性だ。男性のためのフェミニズムってあるのか?少なくとも自分は知らない。少なくとも多くのフェミニストはそんなものは無いと言うだろう。

自分がもし、女に産まれてきたとしよう。そうすると多分、今度は自分父親性的虐待をされていたんじゃないかと思えてくる。多分99%そうだろう。パソコン履歴に「ロリコン 動画」などと検索するような奴だ。おまけに頭もものすごく悪い。まったく自分は男に産まれてきてよかった。じゃなきゃ今頃、風呂場で体中をまさぐられていたことを、今でも時折思い出しては発狂していただろう。いや、しかしこれも仮定の話に過ぎない。というのもそれを想像している自分あくまで男だからだ。あん父親性的虐待されてる自分なんてゾッとする。多分訴訟沙汰になっていたかもしれない。でもどうだろう、それでも女の子だった場合自分は、それでも無理やりにでもその時自分愛情を感じていたのだと心を誤魔化し続けていたのかもしれない。

もしそんな自分がいたとしたら、男がいうところの論理的思考なんてできないまま大人になり、ひょっとするとメンヘラになるか過激フェミニスト気取るか高いところから飛び降りていたかもしれん。男にモテてもモテなくても多分まともな人間関係が保てなかっただろうな。(この場合父親によって男性嫌いになっていることになっているが、もちろん母親との母娘関係においてまた別の問題が生じ、異性関係に支障をきたしたことだろう。あの母親はそういうやつだ。みんなは俺の両親については何も知らないかもしれないが、俺は"よく知っている"。奴らはそういう人間だ。どうせ互いの見た目(ルッキズム)だけで何も考えず結婚したのだあの馬鹿どもは。)

しかし今現在である自分にとっての問題は、結局未だ母親によって受けたトラウマが癒せず、女性というもの理解できず、成熟した精神というものの内在しない二次元アニメキャラしか興奮できないということだ。

特に幼女のような見た目のキャラか、どっかで献血ポスターになってそうなありえないくらい異常に発達した巨乳の童顔キャラかだ。自分もまた父親とまったく同じ種類の性的快楽を感じているのだろうが、それが自分に向けられた性欲ではなく、男同士で連れションしている感覚で、そこには男同士の明確な暗黙ルールに基づいているためにこいつは全く自分とは別の人間だと安心できるのだ。五感精神もすべてが何一つこいつに同調しない。

自分がもし、古代ギリシャスパルタのような男だけの社会で厳しく育てられていたらすべては解決したのだろうか。

昭和価値観マッチョホモソーシャルな奴らと共につるみ、「女なんて適当にあしらって子供だけ産ませときゃいいんだよ」とアドバイスされ、それに付き従い悪く言えば適当だが、良く言えば寛容な心で 結婚出産 までのコースをサクッと潜り抜け、子供も5人ぐらいサクッと産ませて国家安泰って感じでよかったのだろうか。しかし今は何もかもがセンシティブだ。(コロナでわかったことは、一人の人間の命が昔に比べて遥かに重すぎるということか。)

自分現実の女に興味がない。本当に電車での痴漢冤罪が怖い。そんなに男が嫌いなら、男の前に姿を現さないでほしい。

願ったりだ。そんな人間も当然のようにいる。しかしそれでももし、男だとか女だとかレッテル貼らずに一人の人間として対等に向き合う覚悟があるのなら、話ぐらいは聞いてやる。そしてそういう奴の言うことは、大抵「もっともだ」と自分は頷くだろう。

全ての問題は、男も女も、異性にしろ同性にしろ互いをモノとしてしか見てないところに原因があるような気がしている。


皆さんが考えているだろうことは自分もなんとなく想像がつく。

まり自分が様々な問題混同しているように見えるのだろう。確かにそのことについて自分も常に考えている。

しか被害者とはそういうものだ。論理性などない。自分感情をまとめることな自分一人で到底できない。

あらゆる問題混同したまま巻き込み、感情だけで片付く問題ではもちろんないが、論理だけで片付くとも到底思えない。

また、論理感情を上手く整理できる人間がいるとも思えない。すべての問題は置き去りにされたまま勝手に次のステージに進む。いつだって冷静なふりをしている人間は次のゲームに乗り遅れる。ここから心臓でここからが肺だとか、冷静にメスを入れることのできる奴だけがぶって問題を"上"から片付けようとするが、現役のスポーツ選手にとっての実感はどれも等しく見分けがつかないほど連動しているってことだ。皆様は自分こそが上手に魚や牛を捌けるとマウントを取り合っているようだが、今自分ポジションはそのまな板の上の魚や牛で、あなた達が捌こうとしているものは実は"人間"で、そしてそのまな板の上の"人間"は自分なのだあなた方は私の身体の中身を知っているようでいて知らない。もちろん私にもわからない。私にわかものは私が知っているものすべてであり、それを経験しているのは私だけなのだから。当然私はカウンセリングにも行ったし、いろんな人の話も聞いた。しかし結局誰にも共感できない心の構造を持っているのだ。なぜなら「この私」の経験は「この私」だけのものであり、経験していないものそもそも共感などできないのだから

からこそ私は二次元女の子性的に愛する。あるいは精神が未熟な「ショタ」や「ロリ」や「犬」や「猫」に同情するし、共感する。

なので自分が男だからという理由だけで「ショタ」の立場だけに立つなどと勝手ミスリーディングはしないでほしい。

ロリ」の苦しみは「この私」の苦しみだし、「犬」「猫」の苦しみも「この私」の苦しみだ。

ぶっちゃけると、男だろうが女だろうが、ショタだろうがロリだろうが犬だろうが豚だろうが誰が何に性欲を感じるかなんてもはやどうでもいい。等しく等価だ。性欲はただの性欲であって基本的に汚らわしいものだ。

そして現実の生き物に迷惑かけたくないから、自分二次元に逃げた。

そしていつか大量の幼女ドール巨乳ドールを専用の部屋に集めて飾ってやる。

白人黒人問題にせよ、どこからが白でどこまでが黒か奴らに分かっているとも思えない。

各々が各々の定義を持ち出して、勝手に"冷静に"まとめようとするが、どうせまた数十年後に奴らは同じような原因でデモをするだろう。

そもそも論理性だとか合理性だとか、そんなもの現実にどこまで通用するか、またそのようなもの合意もあるようでいて実は無い。なぜならそんなもの感情的な動物と化してしまったものには理解できないからだ。

何が問題かと言えば多分今日SNS的なもの全てだ。

(またまた追記)

ちょっとした軽い気持ちでこの文章を書き始めた自分だったが、結構数稼げたんじゃないかと思う。

君たちはこの文章ちゃんと読んでいるのか?それとも部分的自分が反応するところにだけ反応しているだけなんじゃないのか?しかし実際のところ、多分そういう読み方しかできないような構造が出来上がっているのだろうなとも思う。

どうやら君たちのいうところ、自分は何らかの「被害者」のようだ。なので言わせてもらうが、自分のような「被害者」は実はどこにでも潜んでおり、たまたま自分が上手く言葉説明できたに過ぎない。目に見えない自分のことを、どこまで真実を言っているのかわからいかもしれない。しかし今回の黒人デモにおいて思うのは、発端となった殺害された黒人も、案外"不注意"だったのかもしれん。というのも奴が問題を起こさなければ(例え正しかろうが間違っていようが)このような全米を巻き込んだことにはならず、平穏暮らしコロナに対する犠牲者の数をいたずらに増やさなくても済んだのかもしれない。

自分がもし黙って何も投稿せずにいたら、ひょっとすると「ショタ」の問題などそもそもどこにも存在していなかったのかもしれない。

被害者」は1人もどこにも存在せず、「ロリ」だけが被害を受けていることになっていたかもしれない。などと考えるのはただの自惚れかもしれん。しかし実際会ったことのないやつらに同情されても、結局同情という言葉けが一人歩きするだけで、自分情動に何のリアクションも起こさないのだ。この記事はただの自分メモ帳みたいなものだ。ひょっとすると、本当は何の虐待も受けていなかったのかもしれない。すべては俺の誇大妄想で、あの時の自分母親彼女なりに自分に尽くそうと不器用に振る舞っただけだったのかもしれない。戦争体験者の証言もそうだが、いつも当事者体験が一体どんなものだったかからない。お前は「被害を受けたのだ」とレッテル貼られても、それでどうしろというのだ。金は動くが心は何も変わらない。

しかし冒頭を読み返すと女を煽ってるような気がする。奴らにも辛い経験が当然あったわけで申し訳ないと思うが、しかしいずれにせよ人間はそれを「乗り越え」ねばならんのだ。(これでまとめた感を作ってみました)

(またまた追記追記)

しかしこの文章から人々は一体何を読み取るのだろうか?

このような追記追記を重ね、よくわからんただの歪なだけの文章を取り出して、それこそお前の精神構造を表しており、お前という人間の真理(心理)の一側面を表しているだなどとなんと精神科医とかはほざきそうなもんだが、ここまで書いてみて、君たちを鏡のように使ってみても、全然自分という人間がわからない。自分母親けが自分に影響を与えていて、それだけで自分構成しているとも到底思えない。とはいえ自分結構いろいろなことも経験してきたからだ。

どんな根拠をもってして、自分は何の被害を誰に訴えればいいのだろう?その正当性は何なんだろう。

2020-03-16

俺の好きなアルゼンチンバンド(便乗)

anond:20200315214945 さんに便乗して…

あんまり知ってるバンドいないかランキング形式って感じでもないんだけど、アルゼンチンバンドもいいぞ スペイン語圏バンド色々聴いてみた中で国として一番好みに合う ロキノン系ぽい?というか…

Él Mató a Un Policía Motorizado

「奴は機械警官を殺した」みたいな名前バンド(映画ロボコップ台詞からとってるらしい) 「水中、それは苦しい」みたいなノリを感じる

奇をてらったバンドからしてキノコヘアの若者みたいなやつがやってんのかと思いきや熊みたいなオッサンボーカルなのが面白いところ

とにかくメロディと声がよくて、アッサリした歌詞もいい

El Perro

https://m.youtube.com/watch?v=FKuiJoT7GVM

最新シングル 曲名「犬」

いなくなった犬を探してるんだ、犬なしじゃやってけないよ、どこにいるんだい…というような内容(かわいそう)

Busco a mi perro perdido…オッオッオッオッ-っていう出だしがかなりいい 

La casa fantasmal

https://m.youtube.com/watch?v=x8NxfAml-a4

曲名は「幽霊屋敷」 彼らお得意の繰り返し系の曲のひとつ

エキセントリックな感じの「君」と幽霊屋敷に行って帰ってくるという謎の歌詞

基本同じメロディの繰り返しだから盛り上がりはあんまりないけど、だからこそ鼻歌かにいい

Mi próximo movimiento

https://m.youtube.com/watch?v=O7LqP7tmQjU

直訳で「僕の次の動き」 この曲からハマったので一番思い入れがある

たぶんゾンビクライシスを描いていて、そんな中ライフルを持って自分ちの屋上に出た主人公が「さあ次の動きをやるぞ」つったところで終わる 戦うのか自殺するのかわからないところがクールでいい

映像生演奏版だけどサビの高音が苦しそうなのが逆にすごくいいんだよなあ

Las Ligas Menores

一曲しかちゃんと聴いてないけど、貴重な女性ボーカル

Ni una canción

https://m.youtube.com/watch?v=1xp4abUwzWw

失恋ソング 振られちゃって完全に気力がなくなってもう家から出たくない、音楽すら聴く元気がない!って歌詞

このライブ版のボーカルさんがすごい可愛いんだよな 歌は正直あんまうまくはないけど、だからこその良さがある

「君のものがいくつかわたしの部屋に散らばってて、どうしていいかわかんないや」って歌い出しが切ない

Perras on the beach

若さを感じるバンド(本当に若いのかは知らない)

https://m.youtube.com/watch?v=HFmAwKDaoV0

公式でフルアルバムをあげてる(アルバム名が「チンポ舐めろ」で酷い)んだけどこれの二曲目が好き

拗らせた高校生くらいの男が自分に興味を示さな女の子一方的になじってる感じの歌詞 ただ曲っていうより歌詞とか雰囲気を楽しむ系のバンドな気もするからスペイン語素養がないとアレかも

その他

Cianuro - Pato Patín

https://m.youtube.com/watch?v=4GTRPMrSYFM

たぶんチリの歌をアルゼンチン人の青年カバーしてYouTubeにあげてるやつ

アマチュアなんだけど俺はなんなら原曲越えしてると思う 迫力がある 最初の方に「この曲実は前にも上げてたんだけど自分で聴いてみたらマジで酷かったから消した、誰も聴いてなくてよかったよ、でも本当に酷かった、恥ずかしい…」って言っててかわいい

曲名は「シアン(化化合物)」 社会への不満みたいなのを歌ってる内容で、「僕はツバなんて吐くようなやつらのいる学校の出じゃないけど、最近はこのうんざりするような世界に唾を吐くようになった」って歌詞結構好き 出身の良さを出してくるな

2019-12-18

鉄ヲタ不正乗車の話

少し前に不正乗車https://b.hatena.ne.jp/entry/gahalog.2chblog.jp/archives/52479013.html)の話が話題に上がっていたので、この件で勝手解釈をした怪文書を書きなぐる。

お前は誰?

撮り鉄2015年あたりから趣味に飽きだし、今ではあまり鉄道趣味をしていない。

不正乗車ヘビーユーザーを遠からずも近からずなところから見ていた。深いつながりを持っていたわけではなく、この記事では事実だけでなく予想が入り混じっています。悪しからず。

最近趣味人間関係はかなり薄くなったので、"昔は"という話がメインで今についての話はほとんどないと思います

どこから広がった

自動改札設置駅での不正乗車については、元はラジオライフあたりの雑誌記事から広がっていったと記憶している。

その後は2ちゃんねる(当時)のキセルスレ方法やできる場所書き込みがあったりとジワジワとネット経由で広がっていった。

そんな中、爆発的に広がったと感じたのは動画サイトSNSの「爆発的な」普及。

年で言うと2011〜2012年ぐらいから一気にそういうことをした話を聞く回数が増えた。

動画サイト

上の記事にもいくつかあがっているがyoutubeに実際にやった方法掲載する人が現れ、そこから方法が広まった。

撮り鉄界隈では罵声大会撮影中に映り込む駅員や撮影者に大勢暴言を浴びせまくること)や尊師マーチを流す、といったドン引きするようなタブー行動をネタとして見る傾向があり、

当初は自動改札機を突破する動画一種ネタ話題になっていたが、中高生の大半が動画サイト流入し始めた時期からネタではなく指南書的な意味でそれらの動画が使われるようになっていった。

SNS

こちらのほうが影響は大きかったと思う。特にtwitterが普及しだしてから

撮り鉄撮影するための場所が同じになることが多く、当時から撮影地でネット上の知り合いとオフ会状態になることも多々あった。

それだけであれば楽しく愉快な趣味で、母数も多いこの趣味であればそこから爆発的に広がるということはあまりないように思われるかもしれない。

バリ鉄」と呼ばれる人の存在

今はどういうのか知らないが、"バリ"バリ"鉄"道趣味をする人のことを「バリ鉄」と呼んでいた。

そういった人は1週間の間に仙台にいたり、新潟にいたり、大阪にいたり、東京にいたり…と通常では考えられないような移動を行っていた(勿論正規手法で移動する人もいたが)。

特に廃車回送新車輸送といった時刻表掲載されないような臨時列車を追う場合日本各地を転々とする必要がある。そのため各地で新幹線等の不正乗車を頻繁に行っていた人もいた。

通常であれば、「そんな人間とは縁を切れ!」という話になるがそうも行かない。こういった人の犯罪行為に対して目を瞑ることで、時刻表掲載されない臨時列車業務列車情報が得られたりするから縁を保つ人が多いのである。また、それが人脈のハブ位置している場合、それに対して咎め場合、それなりの大きさのコミュニティから迫害される可能性もあった(と思う)。

そんなことで、まぁこういった人と付き合うことで趣味的にはヒジョーに美味しい思いができるのである

twittermixiができてからは全く関係のない人間同士であっても、簡単に仲良くできてしまうので、こういった人脈が広くなっていく。その中に特にグイグイ食い込んでいったのが中高生である。そういう時期だしね。

※ ちなみに中には「"元"やっていた」という類の人間もいる。手段情報の共有は好き勝手に公開で行うが、自分ではやらないタイプである

中高生

どの世代中高生時代でも共通していると思うが

・目立ちたい / 優越感に浸ってみたい

・"ワルい"自分に酔う

とヒジョーに面倒な感じになってしまう時期であるが、これは撮り鉄中高生にも当てはまる。

学校という狭いコミュニティでは野球部サッカー部といった運動部が華形をとっていき、ヲタクコミュニティにいる人間は多くの場合日陰者になってしまう。

しかし上にあるような不正乗車バリ鉄と仲良くすると以下のようにこれら2点を満たすことができる。

情報ハブとつながっているという優越

不正乗車方法知識として得ることができるので、界隈の中でハブでありながら「ワル」になることができる(ヤンキー的なアレである

 → 運行情報不正乗車情報知識を教えることでSNSで仲間を増やしながらボス猿的な役割になれる

 → 学校といった趣味が違うコミュニティの中でそういった知識披露すると、突然その輪の中で主導権を得られたりする。ここあたりから音ゲーの界隈にも広まったのではと予想。

 → 「席」といった隠語を使えば捕まることもなく、アングラ雰囲気を醸し出すことができるという憧れ

また、中高生バイトが出来ても収入たかが知れている。

無料かつリアルタイム写真情報を得ることができる今となっては、それによる欲求不満を解消するには情報を得ながら不正乗車で移動しまくるというのがベスト選択肢になりうることも、こういったコミュニティ中高生を中心に爆発的に広がった原因にあるのではないか勝手に予想する。

そしてこの年代は「反抗期」と呼ばれるヤツである

駅員のことを「犬」、駅員がいるスペースを「犬小屋」と呼び、コソっと不正に下車することを喜んでやっていた中高生大人にもいたが)はそこそこいた。

人によっては「〇〇線が〇〇両のままだからあの会社に金を払う義理はない!」とよくわからない理屈をこねたりもしていたが、未だによくわからない。面白いと思っていたのだろうか。

まぁそんなこんなでインターネット世界の成長と同時に、こういったコミュニティもぐんぐんと成長していったのである(雑なまとめ)。

ここらへんはどのコミュニティいるかによって、どう解釈していたのかは別々なので一つの歴史解釈として見てもらえればいい。

ぶっちゃけ捕まるのになんでやるの

まとめ記事にもあったが、

1. そもそもわざわざ出てきて捕まえる駅員が多くない(ピンポーンと1回ぐらい音がなっても、チラ見程度で済ませる場合が多い)

2. 警備員や駅員がいない、もしくは死角になっていることを確認した上でやっている

というところで、捕まる率が少ない。

また、捕まったとしても正規運賃の3倍程度払えば解放されるので、遠距離も含めて10回, 20回とやるなかで1回捕まっただけであれば十分に得になるのであろう。

また、未成年場合特にだが、捕まった場合、親や関係者が警察署や駅まで来て解放ということになるが、常習になると「お出迎え」などと言って特にそれを気にすることもなくやる。

何度も同じ警察署になっていればそうも行かないのであろうが、各地の駅で捕まるので連れて行かれる警察署はだいたい別。「また君か」とはならないのであろう。

とにかく、不正乗車日常的に行う倫理観の持ち主であれば、不正乗車はローリスクハイリターンなものしかないのである

撮り鉄だけの話なの

そんなことはない。乗り鉄もやっている人はやっているし、録り鉄だろうとやっている人はやっている。

不正乗車以外は何もやってないの?

そんなことはない。

カメラ三脚といった機材を盗んだり、現役退役問わず車両部品を盗んだり、人を殴る蹴るなど犯罪行為は色々である

多くの場合不正乗車も兼ねているので、もう病気の域に達している人もいるのだと思う。

将来なにやってるの

中高生場合偏差値が高い私立高校に行っている子や、親がそこそこ教育に関心がある場合大学進学で突然真人間、もしくはそういった行動を慎みだすか隠すようになることが多い。

一方高卒場合就職真人間になったり、平然とやり続けるパターンもあったり(20代半ば以降でやっている場合はこのパターンが多い)様々。

知っている限りで言えば、不正乗車窃盗暴行などを繰り返し少年院になったとしても、鉄道現場系の職種関連会社職員保線系)といった職であれば、大手でもありつける。人不足だしね。

中には昔部品窃盗したり、不正乗車をしていた会社系列会社就職した人間もいるのであるからおかしものである

じゃあどうすればなくなるの

倫理観問題だと思うので、並大抵の対策ではなくならないと思う。

警備員や改札を増やすというよりかは、不正乗車をするメリットをなくしていく(例えば不正場合請求額を高めたり、情報の共有を会社間、もしくは各地の警察署間で行うとか)ことが、根絶につながるんじゃないですかね。

こんなこと書くとまた界隈の人間から偽善」と叩かれそうですが(笑)

最初から雑な文だけど、そんな文ですら書くのも疲れたので終わり。

anond:20191218221044

これ「女」のとこ「猫」とか「犬」とか「ドラゴン」に替えても何ら問題ない構文だよね

2019-10-31

言霊」なるもの

先日、30代になったばかりの方と会話をしていた時のことだ。

「私もうおばさんだから
全然若いじゃないですか。あんまり自分のことおばさんとか言わない方がいいですよ」
「あっ、そうだよね。言霊ってあるもんね」
正直な所、この人は何を言ってるんだ?と思った。急に何をオカルトいたことを言い出すんだと。

しかし実際、世の中では星座占い手相なんかと同様に、「言霊」なる概念一定市民権を得ている。
一般的には「言葉には霊的な力が内在し、発することでその言葉意味通りの現象を引き起こす」という理解でよいだろう。呪術廻戦で狗巻がやってるアレだ。

本来ならばこういったスピリチュアルな話は信じたければご勝手にどうぞと言って提唱者と距離を置くところだが、この言霊というヤツに関してだけは少し話が違う。
霊力やら何やらはともかく、言葉に「力」があるという認識自体は正しいからだ。

言葉機能

言葉とは、我々の「意識の切り分け」を可能にするツールであると言える。
例えば「犬」という言葉によって、我々は「犬」と「犬でないもの」を区別することができるわけだ。
物の名前に限らず、喜び、怒り、悲しみといった感情もその名称によって漠然とした意識から切り分けられて初めて取り扱えるものになる。

言葉がなければ人の認識する世界もやもやとした掴みどころのないものになってしまう。その一端を切り取って、ある意味で強調する効果言葉にはある。

では、日常生活で人が言葉を使うとき、いったい何が起きているだろうか。
例えば私がトマトを持って「これおいしいです!」と言った場合聞き手は「おいしい」という事前情報を持ってトマト認識することになる。
私のことを信頼している人や、人の意見に流されやすい人はトマトに対しておいしいという先入観を持ち、逆に警戒心が強い人などは「おいしくないんじゃないか」という目でトマトを見る。
また、いずれにしても私の発言を聞いた人は「おいしさ」という評価基準第一トマトに向き合う可能性が高く、万人が事前情報ゼロの時と同様に、ニュートラルトマトに相対することはなくなる。

これが言葉の持つ一番の分かりやすい力だ。口コミ効果と名付けてもいい(もっとまともな名前が既にありそうだが)。

この口コミ効果(仮)によって人はそれこそ宣伝をしたり、不用意に他人を傷付けたりする。
「太ったね」という言葉をかけられ、ショックを受けた経験を持つ人は多いだろう。いわゆる「言葉が刺さる」という状態だ。
これは他人の「太った」という言葉自身の「太っている」という属性を明確に認識させられ、その印象が先鋭化することで起こる。
妻に「かわいいね」と言い続けると本当にかわいくなってきた、みたいな話も同じ理屈が通じる。

他人をある言葉記述することはその人をその言葉タグ付けすることを意味するので、特にマイナス表現は慎重に使わねばならない。
仕事ができなくて「使えねえな」と言われてしまった人は、自分に付いた「使えない」というタグを一度は背負うことになる。「んだとコラ」と奮起できればいいが、その余波は暴力の形を取っても不思議ではない。
考え無しの悪口はやめようねという話。

ところで、言葉を発している方はどうだろうか?

発言者に返ってくるもの

知人に悪口がめちゃくちゃ得意な男がいる。
とにかく人の汚点を見つけるのが早く、それをイジって笑いにしようとする。
人を笑わせるための彼なりのスキルではあるのだから悪質ではないが、じゃあ問題がないかと言われると到底そうは思えない。
彼は自分の話をするにしても自分能力不足であるとか、才能の無さに話のオチを持って行こうとするきらいがあり、恐らくこれは彼自身意識していることではない。
聞いている方としては「自分もそうだよ」「あるある」同調はできても、気持ちの良くなる話では決してない。どうしてこんなことが起きるのか。

スマホ等の予測変換では、直近に使った言葉が一番上に出てくる。それと同じ現象は、頭の中でも起きている。
要するに、普段使っている言葉はパッと出てくるということだ。
これ自体別になんでもない。普段からヤバイヤバイ言ってる奴は別にヤバくなくてもヤバイ言うってだけの話だ。

ただ、ある言葉をよく使っていると、次第に人格のものがその言葉侵食されていくことがある。
経験したことはないだろうか。幼稚園の頃は一人称が「ぼく」だった子が小学校で「おれ」に変わり、以前より気が強い子になったように感じたことを。
妻のことを「お前」と呼ぶようになった夫が、妻に対してぞんざいな態度を取るようになることを。

当然こうした変化は複合的な要因の産物であり、態度が変わったか言葉が変わったという逆の影響もあるだろう。
しかし、それと同時に言葉人格に影響を及ぼしているというのもまた事実だと考えられる。
上述した「意識の切り分け」が発言者の中でも起きていて、その言葉リンクする意識が先鋭化しているということだ。
普段から死にたい」と繰り返している人は別に死にたくない時でも「死にたい」と口走り、そのうち自分は死ななきゃいけない人間なんだと心の底から思い込むようになる。理由もなく。言葉の力によって。


この先鋭化はただ頭の中で考えているより明文化すること、さらには実際に口に出すことでより顕著に効果を発揮する。
部活円陣組んで「絶対勝つぞ!」とかやったことある人は多いだろう。あれが典型例だ。
口に出した言葉は音になり、耳を通じて自分の頭の中で反芻される。この一連の流れで意識付けを強く行い、「勝つ」という目標を明確にする。

風呂入るのめんどくさいな…とぼんやり考えることが多い人は一度、「風呂入るか」と声に出してみてほしい。
やる気の入り方がぼんやり考えているだけの時と段違いなはずだ。言ったからには風呂に入らなきゃいけない気がしてこないだろうか。

このあたりが一般に「言霊」と呼ばれる言葉の力の正体だと私は考えている。つまるところ、意識の先鋭化だ。

話し手にとっても聞き手にとってもこの先鋭化は起こり、ある種その言葉エネルギーを持たされた状態になると考えてもよい(決してスピリチュアル意味ではない)。
冒頭の話で私が言いたかったのは、「私もうおばさんだわ~」とか言ってると本当におばさんになるからやめとけということだ。

ナントカ伝言のように「ありがとう」と声をかければ水が綺麗になるなんてことは一切ないが、人間の方は感謝気持ちを思い起こし多少優しくなるくらいの効果はあるのではなかろうか。
私自身、「いいね」とかの肯定的言葉を多く使うようになって心が安らかになった自覚がある。
安らかになりたいあなた、ぜひお試しあれ。

というわけで、風呂に入ってきます

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん