はてなキーワード: 朝鮮人虐殺とは
https://www.youtube.com/watch?v=hw_YggVTZOk
毎年9月1日に行われている関東大震災のデマで殺された朝鮮人の告別式があるが
あれに東京都知事の小池百合子がそれまで歴代東京都知事が送ってた追悼文を拒否してるんだってな
こいつあまりにも屑過ぎねぇか?
これまでの追悼文ってのは日本人が行ったデマによる虐殺を反省する意味も含まれての行動だろ常識的に考えて
それを拒否するってのは過去の反省はしませんって事と同じだろうよ
日本は事あるごとにかつての戦争に対して反省します、過ちは繰り返しませんとか言ってんのに、その日本の首都である東京都の知事がこの態度じゃ
こいつらは内心では何も反省してないダブスタのクソ共と思われてもしかたないぞ
もっと異常だなと思うのはこの追悼式に対してリアルで嫌がらせする団体まであるって事
そよ風とかいう連中らしいが、朝鮮人の虐殺は嘘だの朝鮮人はゴミでクズだから祖国に帰れとか追悼式に来た人たちに直接いってんの
もうやべぇだろ普通に
あと最近じゃ自民党も朝鮮人虐殺についての資料は無いとか大嘘言ってたな
なんでこんな事が許されてんだ?デマで発生した虐殺を更にデマで否定するとか、もうあいつは最低でも議員辞職まで行かないとダメだろ
https://www.youtube.com/watch?v=hw_YggVTZOk
毎年9月1日に行われている関東大震災のデマで殺された朝鮮人の告別式があるが
あれに東京都知事の小池百合子がそれまで歴代東京都知事が送ってた追悼文を拒否してるんだってな
こいつあまりにも屑過ぎねぇか?
これまでの追悼文ってのは日本人が行ったデマによる虐殺を反省する意味も含まれての行動だろ常識的に考えて
それを拒否するってのは過去の反省はしませんって事と同じだろうよ
日本は事あるごとにかつての戦争に対して反省します、過ちは繰り返しませんとか言ってんのに、その日本の首都である東京都の知事がこの態度じゃ
こいつらは内心では何も反省してないダブスタのクソ共と思われてもしかたないぞ
もっと異常だなと思うのはこの追悼式に対してリアルで嫌がらせする団体まであるって事
そよ風とかいう連中らしいが、朝鮮人の虐殺は嘘だの朝鮮人はゴミでクズだから祖国に帰れとか追悼式に来た人たちに直接いってんの
もうやべぇだろ普通に
あと最近じゃ自民党も朝鮮人虐殺についての資料は無いとか大嘘言ってたな
なんでこんな事が許されてんだ?デマで発生した虐殺を更にデマで否定するとか、もうあいつは最低でも議員辞職まで行かないとダメだろ
ジェノサイド条約にも厳密な定義のある国際政治用語である「genocide」の訳語としても使われる「虐殺」という言葉を定義通り使おうとすると検閲される問題があるとしたら、それは歴史修正主義の問題であって、「表現の自由」まで議論を後退させるべきじゃないと思うけどなぁ。
関東大震災朝鮮人虐殺事件は歴史的事実として「虐殺」なわけで、それを「虐殺と呼ぶ自由もある」とかいう話にしてはいけないと思うけど。
奴らの言い分って要するに、「国際政治用語としての『虐殺』に相当する歴史的事実なんてなかった。間違った用語の使い方は認められない」というものでしょ?
ちゃんと「『虐殺』は確かにあったのだから、言葉を正しく使うならば、『虐殺』と呼ばなければならないのだ。むしろ、『虐殺』と呼ばない自由などないのだ」とはっきり主張しなければいけない場面だと思うけどなぁ。
「表現の自由戦士」みたいなこと言ってないでさぁ。
それとは別に「いつまでこれやんの?」って人たちが多いからこそじゃないの?
現在進行形で、中国や韓国が科学的根拠にガン無視決めて日本を非難している中では、じゃあこれも嘘なんじゃないの? ってなるのはある意味当然でしょ。
そうした環境の中でも是々非々でやってるならまだともかく、明らかに常日頃から「日本は悪(だった)」って話しかしない(し、中韓には何も言及しない)層が言ってるんだから尚更だよ。
中国が周辺国にどれだけ圧力をかけても、ロシアが侵略を始めてすら、「平和のために日本は反省しなければならない」ってもう通じないよ。無理だよ。WWⅡ以後に一体幾つの戦争が起きたと思ってんだよ。反省で止められた戦争はあったのかよ。日本人だけが反省すれば何もかも防げるだなんで、むしろどんだけ思い上がってるんだよ。自意識やば過ぎるだろ。
震災後の極限状況では、人はパニックになって普段からの偏見やヘイトが吹き出して、こういう悲惨な事件が起きました。そうならないように気をつけましょう・・・だったら、別にいいんだよ。普遍的な真理だもの。そこに文句を言う奴はクソだよ。
でもそこに「日本人がやった」「日本人は反省しなきゃいけない」だと、主語がおかしいだろう。なんで限定すんだよ。それこそが事件の教訓から避けるべき偏見でありヘイトだろ? 今まさに中韓が日本に対してやってることだよ。特に中国は政府主導でやってるぜ? あの国やべえよな。
もし中国や韓国でとんでもない災害が起きて、この事件の記憶とやらから「日本人はこういう時に他民族を虐殺するから、やられる前にやらないといけない!」とかなったらどうすんだよ。彼らがそんなことやるわけがない? 日本人じゃないから? お前自分が何言ってるか分かってんの?
気持ちよくなりたいだけだろ、それはもう。
反省ができる自分は他の人より人間として上等だと感じていたいだけだろ。
そのためには自分は加害者の中でより強く反省し、周囲にも反省させる存在でなきゃいけないし、その反省を認めてくれる相手がいなきゃダメだもんな。
だから事件を普遍的な教訓として位置付けることが出来ない。加害者にとっての教訓でなければいけないし、それによって被害者を満足させなければいけない。
関東大震災から100年ということで朝鮮人虐殺の話題が次々はてブに上がっていて、それはそれで大事なことだと思うが、他にも色々と転機になる出来事があった。
例えば復興支援のための大幅な金融緩和。これが銀行のリスク管理を緩め、溜まってゆく不良債権の山が台湾銀行などの首を絞めてゆくことになる。そして「渡辺銀行が破綻した」という国会での失言が引き金となり昭和金融恐慌へとつながっていく。
例えば甘粕正彦という憲兵隊中尉。震災の大混乱に乗じて、アナーキスト大杉栄を虐殺した事件の責任を問われ、軍を追われる。しかしなぜか満洲国の顧問だかに転身、満州映画会社(満映)総裁として植民地文化政策の要職に抜擢される。敗戦とともに自殺。
甘粕の名前は映画「ラスト・エンペラー」で坂本龍一が演じたことで人々の記憶に残ることになり、文庫本で読める大杉栄の「日本脱出記」は旅行文学の歴史に地歩を残した。
そういうところは別に切り捨てても余裕で権力は維持できるはずなのに、なにをビビっているんだろうか
稲田朋美のジェンダー問題でのムーブとか思うとさ、全然余裕だよね
あと思うのは、ウヨっぽい人々は古代の倭寇とか、秀吉の朝鮮侵攻については何も言わないけど
朝鮮人虐殺や南京事件についてはやたらとなかったことにしたがる
沖縄戦で日本軍が民間人を邪魔者とかスパイ扱いして殺した話とかも
明治維新以前と以後で日本は別の国になったと考えているのかもしれないけど
その割に、万世一系とかなんとか言うよね
日本人の一部が、昔ひどいことをしたのは事実なんだけど、そういうことを認めたがらないメンタリティーってなんなんだろう
いやさ、現在でも一部の日本人は子供を虐待したり、特殊詐欺をやったり、いろいろ「悪いこと」をしているわけじゃん
それすらもなかったことにするのかね
国家主義とか国粋主義とかをひとつの宗教と考えれば、理解はできる
自分が間違っていると思いたくはないので、無謬であるコンセプトを絶対視する
https://twitter.com/orpheonesque/status/1661105168153456640
https://twitter.com/plumyogamat/status/1660985507579564032
「女性たちに「ナチス」「ジェノサイド犯」「過激派」等の烙印を押すことは、発言や意見の表明を怖気づかせることを目的とした攻撃や脅迫の手段である。こうした行為は、女性に対し、恐怖心を植えつけ、恥の感覚で沈黙させ、暴力や憎悪を向ける煽扇を意図しており、深く憂慮されるべきものでる。」
実例:
https://twitter.com/mipoko611/status/1659767946733035520
>女性たちを中心に進んでるので分かりにくいけど、「フェミ」をダミーにしたトランスフォビアが、男性への恐怖を語る互いの声でエスカレートしてる心理的な過程は、ホロコーストや関東大震災朝鮮人虐殺と同じ
前もって断っておくと、この文章は自分が読んだ本をあしざまに貶すために書かれている。信じてもらえないかもしれないが、自分は普段ならフィクション、特に小説に対するネガティブ感想は書かないようにしている。新刊だとネガティブな感想が売上=作家の収入にダイレクトに響きかねないからである。他人の収入に影響を与える覚悟はない。ただ、本作はもう書店に並ぶことがないのが確定しているので、その点は心配しなくていいだろうと判断したので、放流させてもらうことにした。
樋口毅宏が書いた『中野正彦の昭和九十二年』という小説がある。この本、本来なら12月19日発売だったのだけれど、イースト・プレスが発売日前に回収を決定したことで話題になった。以下、その際の回収理由である。
https://www.eastpress.co.jp/information/detail/2034
その内容の表現手法の個性から、出版にあたりしっかりとした社内議論が必要であると考えます。しかし、今回刊行に至るプロセスにおいて社内で確認すべき法的見解の精査や社の最終判断を得ることを行っておりませんでした。同時に刊行時においても契約書の締結が終了しておらず、刊行における責任の所在が曖昧だということが発覚しましたので、社内協議の上、回収対応といたしました。
この回収理由、一読して意味がよくわからないと思う。法的見解の精査とはなんぞや? 契約書の締結とは? そういう疑問がわいたので、この記事を書いている増田は書籍回収の報が出てすぐ書店に駆け込み、回収前に購入することができた。で、いざ読んでみて、「あーそういう意味ね……」と朧気ながら理由らしきものも推測することができたのだが……。
先に言っておくと、回収騒ぎの責任は100%版元にあり、その点において樋口毅宏氏に責任はない認識である。フィクションはなんでも書いていいからフィクションなのであって、版元はフィクションの書き手である作家を守らなければならない立場だろう。誰が悪いにしろ、配本が始まってる段階で回収することに対して版元は作家に対して極めて不誠実である。というか回収の原因と思しききっかけが、Twitterでイースト・プレスの社員が騒いだことっぽいのも最悪だ。最低限コンプライアンスは整えろ。大体フィクションの記述をヘイトって騒ぐんじゃねえ。
※編集者が抗議した件は→https://togetter.com/li/2008033
……が、そもそもこの本は絶対買わなくていい。作品の記述がヘイトだからではなく、単に小説として苦痛だからである。小説読んで「小説のていをなしていない」って感想が出てしまったの10年振りくらいだぞ。それくらいきつい。
正直、自分と同じ被害を誰にも受けてほしくないので、以下にきつい理由を苦痛度・ドン引き度を添えて列挙しておく。
『中野正彦の昭和九十二年』は、安倍晋三を「お父様」と仰ぐネトウヨ青年の主人公が、昭和92年=2017年の2月~11月にかけての日々を語るという構成になっている。
いきなりネタバレになるが、本文の殆どはブログに書かれた内容を引用しているという体裁である(終盤で判明する)。なので、「実際にあったニュースに対して主人公が意見を開陳する」という構成になっているのだが、そのパートが長すぎて苦痛なのである。たとえば、連載時の本文を引用すると、以下のようなものである。
https://twitter.com/byezoushigaya/status/1275385842286997505
6月8日 「驕るな! 安倍首相」現職文科幹部が本誌に激白 「不満を持っている人は大勢いる」
【緊急特集】 政権批判で“更迭”釜山総領事私的会 話をご注進したのは誰だ? 読者調査では「前川喚問」 賛成 86% 内閣支持率2 2% (週刊文春)
青天の霹靂とはこのことか。
これまで無条件で寄せてきた信頼がすべて音を立てて崩れ落ちた。記事を読むまでもない。まさか中韓による見えざる言論弾圧がここにも......?
わかった、編集長がハニートラップに嵌められてゲス不倫をしたネタで脅されているに違いない。
一刻も早く会社ごと共謀罪で逮捕→お取り潰し。芥川賞と直木賞は安倍お父様と昵懇の見城徹に譲渡すべき。幻冬舎で二大文学賞を運営していけばいい。直木賞の選考委員長はもちろん百田尚樹大先生。選考委員長に就任と同時にこれまでの全作品を対象に直木賞を獲得。芥川賞も同時受賞されるといい。
夢が広がる。希望が出てきた。
それよりきょうの菅官房長官の定例会見で気になるところがあった。
東京新聞の望月衣塑子とかいう記者が、「前川さんだけでなく、複数の告発が出ています。もう一度真摯にお考えになって、文書の公開、第三者による調査という考えはないですか」「(文科省が再調査をしないのは)安倍総理や官房長官の菅さんたちが判断しているのではないのか」「(文科省が再調査をしないのは)安倍総理や官房長官の菅さんたちが判査という考えはないですか」「(文科省が再調査をしないのは)安倍総理や官房長官の菅さんたちが判断しているのではないのか」「(文科省が再調査をしないのは)安倍総理や官房長官の菅さんたちが判断しているのではないのか」などと執拗に質問を重ねていったのだ。事務方が何度も「同じ趣旨の質問はやめて下さい」と頼んでいるにもかかわらず、「きちんとした回答をいただけていると思わないので繰り返し聞いています」と返した。
おかげで通常十分程度の会見は四〇分に及んだ。菅官房長官はおまえのようにヒマではないのだ。
もしこの間に北朝鮮からミサイルが飛んできたらどうするのだ?おまえひとりのアピールタイムのせいで日本が崩壊したらどう責任を取るつもりなのか。
もっと空気を読め。他の新聞社、テレビ局の政治記者を見習え。一流大学を卒業して、難関と呼ばれる大手マスコミに入り、自分の意見は一切絡めず、官邸の発言を一語一句正確に国民に届けることを至上としているではないか。
ひとりだけジャーナリズムを発揮したつもりになって目立とう精神はやめろ。共謀罪が成立したら東京新聞は取り潰し。女だてらに記者をやる生意気な奴
これ自体はネトウヨ文章のよくできたパロディで、個人的にはそんなに違和感がない。
ただ、作中では毎日~2日置きにブログを更新している体裁になっているので、上記のような文章が約8ヶ月分、延々と続くのである。2-3ページとか4-50ページならまだいい。300ページある分のうち200ページだぞ。正直、きつい。きつすぎる。
あと、前述のとおり本文がブログの記載であることを終盤で明かしてるのは小説技法として失敗してると思う。事前に知っていた方が読者も読むときのスタンスの置き所が安定する筈。自分は少なくとも知っていた方がすんなり読めたと思う。
引用したような文章が続くのはまだいい。ただ、個人的にきついと思った理由がもう一つある。主人公の人となりがほとんど開陳されないのである。
主人公の中野正彦は、ピザ屋のバイトをして糊口をしのぐ男である。近所の既婚者女性と不倫関係にある一方で限られた金で風俗通いをする日々を送っていたが、作品の冒頭で彼は沖縄の基地運動をする男を暗殺する。ネットで知り合った「会長」に心酔し、彼から命じられたのだ。中野正彦は国を救うための次の指令を待って日々を過ごしている……。
こう書き出してみると、それなりに設定は盛られている。ただ、前半200ページのうち、その辺りの記述に費やされるのはおそらく30ページに満たない。そして、その描写があまりにも「薄い」。不倫や風俗パートは実質タダのサービスシーン以上の意味が見いだせない。
何より、一番気になる「どうして彼がそのようなネトウヨにハマったのか」という部分が殆ど説明されないのである。たとえば、どんな生い立ちで、どういう家庭環境で、どういう趣味嗜好でどういう性格の人物か、それが200ページかけてほとんど開陳されない。されたとしてもあまりにも薄っぺらい。
個人的な趣味の話になるが、この手の「嫌悪されるような人物を主人公にした小説」は、その人物に共感させてこそそのグロテスクなネトウヨ描写に効果が生まれると思うんだよ。その「共感」がない。結果、「ただきつい文章を読まされる」だけになっている。せめてそこは「きつい文章を書いているような人物に共感してしまう」くらいのことはしてほしかった。
正直、この本は200ページくらいから話が動くので読むなら終盤100ページでいいよ……と言いたいのだが、こっちはこっちできついのである。終盤の展開は以下のようなものである。
せめて設定考証をしろ!!マグニチュード11.3は荒唐無稽だがまだいい、高さ50メートルの津波も千葉神奈川沿岸全滅もまだ許す。東京湾沿岸から20キロメートル地点まで津波が来たら中野も壊滅しとるわ!!!Googleマップをみろ!!!!!
そこから先の被災生活の描写はそれなりに読ませるものがあるのだが、この時点で小説としては〇〇の判定を下した。ググれば、あるいは校閲に出せばツッコミの入る内容を残すな。
ここまでが「小説として」きびしい理由である。ただ、それ以外にも、ここからは個人的な感覚で「ちょっとどうかなー」って思った部分を書いておく。この辺は多分回収理由にも関わってくるのでそこそこ大事な話題でもある。
東京大震災が起きたことで東京は大パニックになって、大久保とかでは外国人、というか朝鮮人虐殺などの暴動が起きたりする。で、左派的な人達も暴動によって処刑されたりするのね。その際に殺される人の名前が実在の人物なんですよ。「江川紹子」「タマガワトオル」「青木理」の3人は確実、それ以外にもいたかもしれないが読み飛ばしてるかもしれん。
これ自体は別にやっちゃ駄目とか言うつもりはない。朝鮮人虐殺するような人は左派も吊す。それはそう。ただ、実在の人物名出して作中で処刑させちゃうのには結構ビビった。政治思想がどうとかそういう話じゃなく、実在の人物やぞ。それができるのがフィクションのいいところだけど、マジで殺したぞおいってなる。
上記でわかるとおり、本作の特徴は実在の人物名をガンガン出してくるところにある。安倍晋三をはじめとして、先に引用したところでも見城徹とか望月衣塑子とか出してるしね。
でも、本作の中で1人だけ仮名にされている人物がいる。田永クリニックを運営する田永克哉という人物である。高須克弥やんけ! 実在の人物名出して殺すまでやっといてそこは仮名にするのなんなんだよ!!!!!
「実在の人物を出して酷い展開を描く」が徹底されているなら好き嫌いや作品の是非は置いといてその心意気は買ってやろうという気持ちにもなれたよ。でも高須克弥で日和るのは流石になしだろ。いい加減にしろよ。
これ以上続けると血管がキレそうなのでそろそろまとめるが、つまり『中野正彦の昭和九十二年』には「①全体の2/3近くが薄っぺらく、読んでいて苦痛」「②ググればわかるレベルの設定考証ができてない」「③実名を出す態度が一貫してない」という3つの欠点があるわけである。
正直、本件を問題にしたイースト・プレスの編集者は失敗だったと思うよ。こんな小説として苦痛の作品、つまらなさから世間から黙殺されて仕方ないレベルで、話題にするような対応にさせたのが良くない。単につまらないよ。というか話題になったから買って読んだの失敗だった。金の無駄。金返せ。あと作品自体はヘイトではない。作品の中にヘイト描写がたくさんあるのはたしかだけど、「フィクションの描写としてのヘイト」と「作品の主張としてのヘイト」はわけて考えなきゃ駄目でしょ。
……で、ここまで整理したところで、あらためて回収理由の件に戻る。
「社内で確認すべき法的見解の精査や社の最終判断」「契約書の締結が終了しておらず、刊行における責任の所在が曖昧」ってあるけど、これ多分実在のニュースをめちゃくちゃ引用してること、実在の人物が作中で殺されたり、ネトウヨ男の語りであしざまに貶されたり(例えば、山口敬之の事件の被害者の方とか)することへの法的リスクを精査できてなかったんじゃないかなと思う。
1箇所2箇所とかならまだいいけど、前述のとおり「ネトウヨ男の語り」って体裁で実在人物をあしざまに書くパートが200ページくらいあるんよ。これは推測だけど、
みたいな展開があったんじゃないかな……と勝手に妄想してしまった。
なんというか、この本は回収されたことで本文にアクセスできずキャンセルカルチャー云々の話に回収されそうになっているのが結構つらいなと思うところで、プレスリリースのとおり実名人物出してフィクション書く時の炎上リスク全然精査してなかったって話だと思ったのである。信じるかしんじないかはあなたしだいですが……。
あと、それはそれとして作品は本当につまらないから変に神格化されないでほしい。この増田は「2200円が本当に無駄だった、金返せ」「メルカリで数千円単位で転売されているのが本当に勿体ない、100円でいい」という二つの気持ちから執筆されました。
ただ、本作は続編として「橋下徹が首相になった二〇三九年の日本を舞台に、弁護士の主人公小林大助が、死刑囚中野正彦の再審弁護人として奮闘する」という展開の『小林大助の昭和一一四年』という構想が存在するらしい。本作の出来からするとあまり期待はできないのだが、気になるは気になるので出たら買って読んでみようかなとは思う。この増田は「読まずに批判をするな」のモットーの元運営されています。
Colaboの件で、「家出少女が路頭に迷ったらどうするんだ!」というような批判を見かけるが、普通におかしいと思う。
たとえば弁護士は懲戒処分を受けると弁護士としての営業ができなくなるので、どれだけ悲惨なDV被害者の裁判を受け持っていたとしてもその裁判から抜けないといけなくなる。これは仕方ないことだ。あるいは、国内屈指の凄腕の外科医が人を殺したら逮捕されても仕方ないし、そのせいで手術を受ける予定だった患者さんが手術を受けられずに死んじゃっても、犯罪の追及が悪いということにはならないと思う。
同様に、仮にColaboが何らかの不正をしていたとしたら、Colaboへの処罰(よくわからんけど解散させられたりすんの?)は、Colaboが匿っている家出少女たちの保護よりも優先されても仕方ないでしょう。それでもし家出少女が路頭に迷ったとしても、それは不正をしていたColaboの責任であって、不正の追及者や追及者への賛同者が責任を負うような話ではない。刑事は凄腕の外科医を逮捕するときに患者に配慮する責任があるのか?
もしColaboが潔白で、なんの不正もしていないというなら、処罰を受けるようなことにはならないはずだから堂々としていればよい。暇空茜氏がしているのはあくまで「Colaboへの支出に関する都への監査請求」であって、Colabo本体への法的措置ではない(少なくとも現段階では)。
仮に何もやましいところがなくてもあれこれ探られるのは不愉快だ、という気持ちはわからないでもないが、公金を使うというのは情報公開の責任を負うということなので、ある程度公文書を漁られるのは甘受するべきだ。森友学園問題で黒塗りの公文書を出して平然としていた安倍晋三氏のような恥知らずな人間――生きて監獄にぶち込まれるべきだったのに、凶弾に斃れてしまったのは実に残念だ――になりたくないのなら、公文書を可能な限り開示することに協力しなければならない(もちろん、たとえば被保護者の個人情報とかシェルターの位置に関する情報とかは黒塗りでもやむを得ないし、おそらく暇空氏も納得するだろうが、定款すら黒塗りにするのは異常と言ってよい)。市民には主権者として行政を監視する権利と責任がある(っていう正論を言うのが共産党の役目だと思ってたんだけど、なんで今回は追及に反対してるんですかね……)。
もちろん、「いや、いかなる場合であってもコラテラル・ダメージには配慮すべきだ」という道徳的立場はありうるだろう。
しかし仁藤夢乃氏やその他の「表現に意見を言う」フェミニストの人たちは、コラテラル・ダメージに配慮してきたのか?
温泉街の町おこしの一環なのだから、あんまり強い批判をすると地域経済にダメージが……のような意見はいくつもあったと思うが、仁藤氏はそのような意見に耳を傾けてきたのか? 献血量が減ったらどうするんだ、という点に配慮して献血ポスターに「意見を言った」フェミニストはどれくらいいたんだ?
当たり前だが、『温泉むすめ』へのバッシングによって温泉街の売上が落ちようが、『宇崎ちゃんは遊びたい!』とのコラボへの批判によって献血量が減ろうが、それは直接的に仁藤氏やその他のフェミニストの方々に責任がある話ではない。それは正しい。彼女たちにコラテラル・ダメージへの責任を求めるのは間違いだ。彼女たちにはそれらの表現を批判し、少なくとも主観的には正当な追及をする当然の権利があり、権利行使にあたってコラテラル・ダメージに配慮する必要はない。
だったら、別に彼女たちを批判し追及する側もコラテラル・ダメージを気にする必要はないんじゃないか? 少なくとも主観的には正当な不正追及をしているに過ぎないのだから、その権利行使にあたってコラテラル・ダメージへの配慮は不要だ。彼女たちだってそうしてきたじゃないか。彼女たちの対立者が同じことをして何が悪い?
だいたい、彼女たちが保護しているのは家出少女だろう? 赤ん坊でも重度の火傷患者でもない、つまりしばらく放り出されたことで直ちに生命の危険が生じるようなことはない。Colaboには多くの支援者がいるんだろう? もしも仮にColaboの不正が証明され、もう家出少女たちがColaboに頼れないような状況が生まれたとしたら、支援者の皆さんからカンパを募ってビジホにでも泊まったらどうだ? 支援者の企業で清掃のバイトでもさせてもらえばいいんじゃないか? 沖縄や韓国で座り込みやデモに参加できる程度には健康体なんだろう? そんなのは不正の追及にあたって配慮されるべきコラテラル・ダメージではない(仮に重い症状で枕から頭も上げられないというなら行政や医療に助けを求めるべきだ)。
以上の2点から、「家出少女が路頭に迷ったらどうするんだ!」式の批判にはまったく賛同できない。
そーいえば、イージス・アショアで防衛省が地元住民に舐めた態度を取って計画が頓挫した件で、ネトウヨ諸氏が「これで国防が危機に瀕したらどうするんだ!」って大合唱してましたね。いや、そんなに国防上大事な施設なら、地元を舐め腐って反感買うような真似はよしなさいよ、仮に国防プランが大幅な再検討を強いられたとしてもそれは住民の責任じゃないでしょ、って増田は思ってたし、多くのリベラル派の人たちもそう思ってたはずだと思いたいんだけど、なんで対象がColaboになるとリベラル派の人たちがネトウヨの皆さんみたいな理屈を振りかざすようになるんですかね……っていうか、森友学園の件でマジギレしてて、選挙権を得てこのかた自民党には入れたことがないアンチ自民マンのワイからすると、あんな海苔弁公文書が出てくる時点でありえないんですけど。あんな市民の知る権利を侵害する気マンマンな公文書出してきてどこが都民ファーストだよ。さすがは関東大震災時の朝鮮人虐殺を否認する歴史修正主義者がトップにいるだけあるわ。あーやだやだ。もっと公文書をきちんと開示する「普通の国」になってほしいよ。
「反LGBT法」ロシアで成立へ 報道や映画、ほぼ全面禁止の恐れ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASQBW6SJZQBWUHBI02R.html
東京都⼈権部が飯山由貴のアート作品を検閲か。小池百合子都知事の関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典への態度も影響した可能性
1.そもそも表現の自由という非常に大事なものを蔑称に使うのは不適切ではないか?表現の自由のために戦うのは当然ではないか?
2.表現の自由戦士とは具代的にどのような人物を指しているのか?
3.表現の自由戦士がだんまりしていたというのはどういう根拠に基づくのか?
4.なぜ真っ先に批判する相手がプーチンや小池百合子及び東京都人権部ではなく表現の自由戦士なのか?
対抗するための本を紹介。
リュドミラ・ウリツカヤ『緑の天幕』(新潮クレスト・ブックス)
スターリン死後の1953年からソ連崩壊後の1996年までを描く大河小説。作者はこう語っている。
「自分自身の青春時代、つまり1960-1970年代を再確認してみようと思ってこの小説を書いていたのですが、書き終えたら、アクチュアルなテーマの作品だったことに気づきました。最近我が国では意図的に個人崇拝の復活が進められています。(略)
専制的な体制によって挫折させられた『緑の天幕』の主人公たちの運命が、ソビエト時代を良い時代だったと懐かしむ人々への警告となることを願っています」
リュドミラ・ウリツカヤは十年以上反政府運動に加わっている。今回の侵攻を受けて祖国を離れた。
「一人の人間とその忠実な助手たちの狂気に国の運命が左右されている。現下の状況には痛み、恐怖、恥を覚える。激化する戦争を止め、国のプロパガンダの嘘に抵抗すべきだ」と訴えている。
加藤直樹 『九月、東京の路上で 1923年関東大震災 ジェノサイドの残響』(ころから)
関東大震災で起こった朝鮮人虐殺について多くの証言と資料を用いて解説した本。
震災前から日本人が朝鮮人に抱いていた差別感情、歪んだ正義感による暴行、軍や警察の加担、加害者たちへ同情的の世論……決して忘れてはならないことを伝えている。
加藤直樹はチームを組んで「「朝鮮人虐殺はなかった」はなぜデタラメか」http://01sep1923.tokyo/という虐殺否定論のデタラメを指摘するサイトを作っている。こちらも必見。
FAQの続きである。No.2はコチラ(anond:20220905192504)
Q4.全ての在日コリアンの人たちが統一教会(世界平和統一家庭連合)と関わりを持っていたわけではないのだから、彼らに質問しても仕方が無いのではないか?
A4.男女差別問題や日本人による外国人への人権侵害問題において、"Not All Men"や"Not All Japaneses"は、免罪や正当化の理由にはならない。それと同様に、"Not All Koreans"もまた、免罪や正当化の理由にはならないと私は考える。
男女差別や日本人による外国人への人権侵害などについて、直接的な責任は無くとも、一人の人間として、男性として、日本人として、どう思うのかと問い掛けること、問い掛けられることは、差別や人権侵害を減らす、無くすために必要な営みである。
「自分たち在日コリアンは、統一教会(世界平和統一家庭連合)による日本人信者への抑圧・搾取・人権侵害に直接的に関与してはいないのだから、無関係な話であり、意見を質問される謂われは無い」と言うのであれば、例えば、関東大震災朝鮮人虐殺事件について「ほとんどの現代日本人は、虐殺には直接的に関与していないのだから、何も考える必要は無い」と日本人に言われて、在日コリアンの人たちは「そのとおりだ」と言うだろうか?おそらく、そんなことは無いのではないか。
であるならば、在日コリアンの人たちが現代社会の構成員である以上、統一教会(世界平和統一家庭連合)の問題を自分たちとは無関係な話と片付けて、問い掛ける/問い掛けられることを忌避するようなことをするべきではない。
特に、統一教会(世界平和統一家庭連合)が日本人信者にお布施や結婚の強制を正当化する教えは「韓国人が上、日本人が下」という『民族差別思想』に基づいているのだから、在日コリアンの人たちには、そのことについて考える義務が有る。
明らかな悪事を目にした時、沈黙したり、見せかけの中立を保つのは、悪事に加担することと同じである。
韓国人が指導層であるカルト宗教団体による、日本人への人権侵害について、在日コリアンの人たちは、沈黙しますか?それとも、声を上げますか?
合言葉:文鮮明、韓鶴子はサタン!統一教会(世界平和統一家庭連合)はカルト!
(続く)
【追記その2】
案の定「質問すること自体が差別」と言う馬鹿が出始めたので、質問することの正当性を示しておく。
(1)雑誌『マルコポーロ』1993年9月号に掲載された、作家・梁石日、映画監督・崔洋一、脚本家/演出家・鄭義信の対談より引用。
崔「一時流行ったんだな。左翼少女を口説くときは日帝三十六年史で落とせというのが。」
鄭「いまだにそんな手を使っている人、いるんだよね。」
梁「男の風上にもおけんなあ。」
ーーーーーーーー引用ここまでーーーーーーーー
彼ら三人は良心的な人たちだが、統一教会(世界平和統一家庭連合)と同じく「日本人が相手ならば、何をしても構わない」という考えを持つ人間たちが、少なからず在日コミュニティ内部に存在したこと、それを彼ら自身が認識していたことを示している。
これを読んだとしても「在日韓国人や在日朝鮮人が統一教会(世界平和統一家庭連合)とは無関係」と言えるだろうか。
(2)統一教会(世界平和統一家庭連合)が無理やり日本人女性信者を嫁がせた相手の多くが、非信者の韓国人男性であったことが既に報道されている。一般の韓国人が統一教会と関係し、統一教会からの利益供与を受けていたのであるから、一般の在日韓国人や在日朝鮮人に対しても、統一教会(世界平和統一家庭連合)についてどう思うか、どのような関係か、どのような態度を教団に対して取るつもりかを問う正当性が有る。
これらを質問されて答えられないのは、抜き差しならない関係にあるか、教団と思想を共有しているか、いずれかであると疑われても仕方が無いであろう。
自分は戦前・戦時中の日本の過ちについて尋ねられたら、明確に批判できる日本人なので、質問自体を差別とするのは詭弁であると言っておく。
【追記その2ここまで】
在日韓国人や在日朝鮮人の人たちは、統一教会(世界平和統一家庭連合)が日本人にしてきたことについて、どう思っているのだろう?
何故、統一教会(世界平和統一家庭連合)のしてきたことについて、在日韓国人や在日朝鮮人の人たちは何も言わないのだろう?
例えば、日本人は、靖国参拝とか表現の不自由展の開催妨害とかに関して、批判的な意見を発信する人は珍しくない(悲しいことに、賛同意見を言う日本人もいるが)。しかし、少なくない日本人が、賛否にしろ中立にしろ、何らかの意見を言うものだ。
在日韓国人や在日朝鮮人の人たちが、批判するにしろ擁護するにしろ、統一教会(世界平和統一家庭連合)の問題に関して、何も言わずに静かにしているように見えることが、不思議で仕方が無い。
統一教会(世界平和統一家庭連合)及び関連者・組織とは、関係を断つことが求められている。ならば、当然、日本人に対してだけではなく、在日韓国人や在日朝鮮人の人たちにも、思想や態度を確認することが必要になる。
在日韓国人や在日朝鮮人の人たちは、統一教会(世界平和統一家庭連合)の存在や問題について、どう思いますか?
【追記】
自分は日本人の一人として、戦前・戦時中に日本がしたことは過ちであったと思っているし、もしも在日韓国人や在日朝鮮人の人たちに「戦前・戦時中の日本がしたことを、どう思うか?」と尋ねられれば、そのように明確に述べるし、事実これまで自分は、そのような機会に遭遇した時には、ちゃんと述べてきた。
南京事件も従軍慰安婦も関東大震災朝鮮人虐殺事件も、全て批判してきた。自分は日本人だからだ。
だから、在日韓国人や在日朝鮮人の人たちが沈黙する理由が何なのか、本当に分からない。
反応に対する続きはコチラanond:20220904183224
2つ目の追記が長くなったことと修正部分があることから、独立して記しておく。元の文章を書いた時の私の気持ちと、今の私の気持ちである。元の文章は、いくつかの修正を加えたが、次のようなものである。→anond:20220527204733なお、最初から私は、誰それの元・妻ですとは一言も書いていない。その点に関してだけは明確にしておく。
2022/05/30告訴をちらつかせている人物がいるが、私はその人物の元・妻ではない。繰り返しになるが、最初から私はそのように称していない。本来ならば、セクシャルハラスメントの被害者として、特定されたり好奇の目に晒されるような二次的被害を防ぐために個人情報を曖昧にして書いた。それなのに、告訴をちらつかせている人物からは「自分の元・妻ではないから、このセクシャルハラスメントの被害の話は虚偽」と言われ、私は非常に苦痛を強いられている。痴漢冤罪をピックアップすることで痴漢の被害者の声を掻き消そうとする人たちがいるが、それと同じことをセクシャルハラスメントの被害者に対して行っていると、告訴をちらつかせている人物には自覚して欲しい。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
元の文章で私は、自分が誰なのかも、文中に書いた登場人物が誰なのかも書いてはいなかった。私は誰それの元・妻ですとも書いていない。
では何故、私はフィクションと銘打って、人物を特定しない書き方をしたのか。それは、これが「普遍的な物語」だからだ。被害者となる人間、なった人間は、私だけではなく誰でもあり得るし、加害者もまた同じく誰でもあり得る。被害者の側に立たないで、加害者の側に立つことを選択する第三者も、同じく誰でもあり得る。だからこそ、読み手に「これは自分のことを書いているのでは」と自問自答して欲しくて、自省を促すために、そういう書き方をしたのだ。そういう意味でならば、読み手に「自分のこと」という思いを抱かせる狙いが有った。想像力がある読み手ならば、性別を入れ替えたりセクハラをパワハラに置き換えたりして、より考えを深めてくれることだろうと、淡い希望も抱いていた。
しかし、それを「これは自分のことを書いているに違いない。だから自分に対する名誉毀損だ」と決めつけて、法的な措置をちらつかせることで圧殺しようとする人間が出てくるとまでは思いもよらなかった。それはまるで『ホテル・ルワンダ』の公開に対して「これは関東大震災の朝鮮人虐殺を描いていて、日本人を攻撃している。日本人に対する名誉毀損だ」と言うようなものではないか。
自分のことではないならば「この文章に書かれた人間の同類にならないように、自分は気をつけよう」と省みれば済むことではないか。
私が「ある人物の妻ではない」ことによって、何故「私がセクハラを受けた話」まで無かったことにされねばならないのか。ルワンダの虐殺被害者でなければ、虐殺の被害者ではないと言うようなものではないか。自分たち以外に、この社会を構成している人間が存在しないとでも思っているのか。
仮に、ある痴漢事件で冤罪により罪を問われている人間がいたとしても、それとは別の痴漢事件の被害者に対してまで、被害を訴えたり加害者を批判したとしていることを「これは冤罪で苦しんでいる自分のことを書いているに違いない」と決めつけて「痴漢の冤罪を作るのは止めろ」と言うのは、いくらなんでもおかしいではないか。
セクハラを含めたハラスメントの被害を受けるのは、とても苦しい。それ自体が苦しい上に、顔や名前を出せば好奇の目に晒されて、さらに苦しむ。その一方で、その苦しみを誰か他人に分かってもらいたい、共感してもらいたいという思いも湧く。以前、はてな匿名ダイアリーでは「保育園落ちた、日本死ね!」という記事が書かれたということを知っていた。だから、ここでなら匿名を保ったままで、自分の辛い気持ちを吐き出して理解や共感を得られると思ったのだ。
それを今、私は「お前は自分の妻ではない。だから、お前のセクハラ被害の話は嘘に違いない。正体を暴く」と脅されている。理解や共感を示してくれる人ばかりではないだろうとは予測してはいたが、まさかSLAPP訴訟によって口を塞ごうとする人が出てくるとは思わなかった。
私は、私が救われるために、私自身の物語を書いた。私自身の人生や尊厳を、無かったことにされたくなかったから。セクハラだけではなく、ハラスメント全体を減らしたい、無くしたい気持ちがあったから。たとえ過去の自分は救われなかったとしても、未来の他の誰かが同じような苦しみを味わうことは防げるかもしれないと思ったから。
「この文章は自分のことを書いている。だから許せない」と言う人間は、私が私自身の話を書く行為について、許可や不許可を下す権限が有るのか。例えば「今、そんな文章を書かれると、自分が誤解を受けて困るから止めろ」とでも言うつもりなのか。では、私は、いつになれば声を上げることを許可されるのか。一年後か?五年後か?十年後か?その日は、やって来るのか?文章を修正し始めて理解したが、そんな日が私に来ることはなさそうである。
この文章を書いた人間である私が、ある特定の人間の妻ではないからという理由で、嘘つき呼ばわりされて、勝手に私の苦しみが無かったことにされるのは、極めて心外である。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
上のようなことを追記として書いたが、今となっては全てが空しい。
元の文章に「実在の人間・団体・事件には一切関わりは無い。」という一文を、私は修正として挿入した。そのような修正を施したのは「この文章は自分のことを書いている。許せない」と主張する人物が、弁護士に頼んで告訴すると言っていることを知って、怯んだからである。セクハラを受けた時も自分には弁護士を頼る資金力は無かったが、今もそれは変わらない。仮に告訴されたら、赤子の手をひねるよりも簡単に私は敗北するだろうと思った。
「実在の人間・団体・事件には一切関わりは無い」と書き添えたことで、私の文章からは普遍性が失われた。私の文章を読んだ人間の誰もが皆、セクハラを含めたハラスメントの問題を自分自身のこととして受け止めて欲しいという思いから書き始めてアップしたはずの文章だったのに、私は「一部の人間はこの問い掛けの対象から除外される」ことを意味する一文を書き加えたのだ。また「実在の人間・団体・事件には一切関わりは無い」と書くことで、私は自分のセクハラ被害も無かったと宣言したのだ。
私は、セクハラを含めたハラスメントを無くしたいと思っていたはずだった。しかし土壇場になって、我が身かわいさの保身に走った。こんな私に、ハラスメントを無くすことはできそうにないと思い知った。この先、何があろうと、仮に誰かが何か慰めを言おうと、私は私自身が怖気づいて逃げたことを知っている。ずっとそれを忘れないだろう。
私は、何も変えられない。私は、他人どころか私自身をも救えない。ハラスメントを無くしたいなどと、身の程知らずの願望を抱かなければよかった。私は私自身にとっての裏切り者だ。