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はてなキーワード: Internet Archiveとは

2019-09-14

僕らのIT担当相、竹本直一センセイのWebが復活しないのでInternet Archiveから復活させてみたよ、と

まだTOPページだけ。

竹本直一 Naokazu Takemoto オフィシャルサイト衆議院議員大阪15区

http://takemotonao.html.xdomain.jp/

2019-05-12

anond:20190511125053

注や参考文献でページが増えるのがやなら、せめてウェブに載せて欲しいよねー。Internet Archiveにも登録してさ。出版社さまお願い。

これが本当の「詳しくはウェブで!」

2019-02-05

anond:20190205065906

(2)

当時の惑星開発委員会オタク界隈ではけっこう話題になっており、それを象徴するのが岡田斗司夫の来訪です。

4月12日(金)

 逃避でネットを覗いていたら「惑星開発委員会」というサイトを見つけた。

http://members.tripod.co.jp/toumyoujisourin/rvtop.htm

 惑星開発大辞典コーナーに僕の名前もあったので掲示板挨拶したら、さっそく管理者の方からメールをいただく。

 返事で「なぜ岡田斗司夫作家自称しているのか、については次の日記で答えましょう」と約束してしまうけど、なんでオレは仕事でもないところで働こうとするのか。とほほ。

その後、岡田さんはこのサイトを気に入り、定期的に掲示板書き込みをしたり、知り合いに紹介したりしていたみたいです。

8月13日(火)

 「ロスノフスキ家の娘」、あっという間に読了

 しょっちゅう覗いてるサイト惑星開発委員会」にこんなテキストがあった。僕も今、格闘技オタクたちが嫌いで嫌いでしかたないので、思わずここに紹介してしまう。

(中略)

 あああ、俺の言いたいことを俺より上手く書いている~!もう俺、物書き引退しようかなぁ。

相当宇野さんのことを買っています。当時の日記にはこんな記述もあり「これは善良な市民のことでは?」と言われてました。

 知り合いから「就職活動に失敗した」というメールを受け取る。彼に「就職なんかせずにライターになれ」と忠告したばっかりなので、これはなんとか編集者に売り込んであげなければいけない。

 まぁ僕よりは才能もある人だし、なによりまだ20代前半という若さなので、ライターとして喰っていくことぐらいはできるだろう。しかし彼を「こういう人生」に引き込んだ責任というのは、あるのかな?

 僕は「自分への責任は、他者には移譲し得ない」という考えなので、あんまり悩んだりしないけど、これが唐沢俊一さんのように責任感の強い人なら、あとあとまで面倒見たりするんだろうなぁ。

この日記宇野さんのことですね。実際に会って話したようです。

10日(水)

 朝、マクドナルドハンバーガーを食べる。ついに一個まるまるを完食できるようになった。まだ喉の痛みは残っているけど、まぁ一安心

 おもしろ会の武さんと5年ぶりぐらいに会う。なにかと思えば「物書きになりたい」という相談彼女同人誌を預からせてもらって、編集さんを紹介する約束をする。

 続いて京都から宇野くん。彼とは初対面だけど、昔に彼が浅羽通明氏に説教された話を教えてもらう。浅羽氏の書き下ろし本『教養とはなにか』を院生たち取り巻きと話してるときの浅羽さん「これで革命を起こす」と叫んでいたらしい。当時10代だった宇野君がこれに疑問を呈したら喫茶店で閉店まで説教されたらしい。やはり浅羽さんは熱くて面白い人だ。

そして、岡田さんは惑星開発委員会オフ会にまで顔を出すまでに。その時のことを日記でこう書いています

27日(火)

 木曜のオフ会に向けてリビングをかたづけ、そのあと覚悟を決めてついに北歯科へ。

もうずっと前に神経を抜いた歯なので、おそらく歯茎が炎症を起こしているのだろう、

ということで今回は様子見。

 ブックスルーエで宮脇檀の『男の生活の愉しみ』(PHP文庫)を買う

 20年近く前、仕事で一山当てたら宮脇氏に自宅を設計してもらおう、と思っていた。

不幸なことに宮脇氏は98年に他界し、僕はいまだに一山当てれずにいる。

でまぁ、書店で氏の本を見かけたら自分の果たせなかった夢への供養だと思って

買うことにしている。

 夕方から惑星開発委員会」のオフ会

参加希望美少女大学生といっしょに高田馬場へいく。

感想は…う~ん、まぁあんもんじゃないですか?

あ、でも某出版社社長と某オタク評論家蜜月関係が聞けたのは

面白かった。そうか、版権引き上げ騒動の裏にはそんなことが…。

……その後、岡田さんが惑星開発委員会言及することはなくなりました。「あんなもん」だったので飽きてしまったんでしょうか?

惑星開発委員会更新をやめ、善良な市民キャラを捨てて2003年8月頃にはてなダイアリーで新たに始めたのがヘルシー女子大生id:kurosawa31)と言われています挑発的な言動サブカルへの豊富知識、そして女子大生であることが話題になり「はてな界の斎藤美奈子」と称されたりします。

ヘルシー女子大生はてなキーワードにも登録されており、

はてなダイアリー住民の質を見分ける試金石となった騙り手。

と書かれているのである程度の騒動を起こしたことがわかります

しかし、今となっては日記プライベートモードに設定されており、internet archivesに残っている断片的なものしか読むことができません。

それによるとヘルシー女子大生京都在住ということになっており、宇野さんは立命館大学卒業後、京都就職したのではと推測できます

2ちゃんねる過去ログを追うと初期から善良な市民との類似性が指摘されているのが面白いです。その時は「言っていることが似ている」と言われる程度ですが、しばらくして2004年3月に「オトコノコ」「キャラ売り」「同じ穴のムジナ」「ブンガク」などのワードの相似性、話してることが一緒などの指摘がされヘルシー女子大生善良な市民なのが濃厚となります。この指摘に伴って日記更新頻度は落ち、プライベートモードとなったわけです。

この頃の宇野さんは旧・惑星開発委員会のような「有名サイトになろう」とか今のような「ライターとして成りあがろう」という気概はなく、ネカマして周りを翻弄させて楽しみつつ、趣味としてドラマなどの評論を書いていこう、という印象を私は持ちます

2018-10-20

だったら鈴木福さんと比較すればよいのではないでしょうか?

社会学者千田有紀先生、キズナアイの記事について印象操作を指摘されるも反論としてキズナアイの相槌を数え始める→そもそも相槌「しか」打たないって話だったのでは - Togetter

キズナアイさんが相槌「しか」打たないことを、社会学者さんは相槌の数で判断されようとしていますしかしどのくらいの割合であれば相槌「しか」打っていないと言えるのかの基準が無いため議論が成立しません。

だったら鈴木福さんと比較すればよいのではないでしょうか?2017年NHKノーベル賞特集では鈴木福さんが同様の役割で出演されています

NHKニュース@nhk_news

ノーベル賞がまるわかり!】ことしのノーベル賞、注目の研究は?タレント鈴木福君が、ゲノム編集、腸内細菌重力波量子コンピュータ-、人工光合成まで最新科学を学びました。ノーベル賞のまるわかり解説のページです。

NHKから2017年特集は削除されていますが各種アーカイブ上に一部の内容が残っています

鈴木福さんとキズナアイさんを比較すれば、キズナアイさんが相槌「しか」打っていないという議論ベースができると思います

アーカイブ上に鈴木福さんのデータが残っていることを社会学者さんあるいは議論に参加している関係者さんにどなたかお伝えしてもらえませんでしょうか?私はTwitterアカウントを所持していないので。

(補足)

2017年版の医学生理学賞ページはアーカイブからは見つけられませんでした。

2016年版もアーカイブされていましたが今回のような形式ではありませんでした。化学賞 2016(Internet Archive)

・ それ以前の年度の特集ページは見つけることができませんでした。

・ ちなみに個人的お気持ちを報告しますと鈴木福さんのほうが人間味のある相槌だと思いましたまる

2018-10-11

internet archive books で英訳された漫画が読めるんですが

internetarchivebooksで、日本画での波の描写をまとめた本がダウンロードできるとハテブで上がってきてて、自分が好きなアルフォンス・ミュシャがないか探そうと、muchaで検索をかけたんです。

結果を見ていると、ミュシャ動画サムネが1件。

後はよくわからんと思っていたところ、muchakuchadaisukiというタイトルで、英訳された漫画がまるっと一冊。2巻以降もある様で。

サムネの左上にカーソルを持っていくと、マンガライブラリというグループが出てきます。そこを選ぶとずらっと出てくる漫画といくつかのラノベエロなのかぼかしが入っている物もあります

投稿2013年かららしく、アイテム数はもうすぐ2万件。閲覧数は昨年末から急激に数を増やし、累計300万を超えています

カリフォルニアフィリピンインドネシアコスタリカアクセス数の多いリージョンが表示されているのは面白いです。

また、今回の投稿者のリストを見ると、大量の資料の中にいくつものゲームソフトメディア雑誌などもありまして、

これをもとに広告付きのサイトも作れることを考えると、早いとこどうにかしてほしいものです。

もっともこれでも氷山の一角で、ほかに大量にあるように思いますし、そもそもアーカイブとして集めることが目的なら、公開の前にしっかり著作権確認しているのでしょうか。

アーケードゲーム等の公開も以前からされていて、問題があるのではないか懸念を持たれているようですし。

ひとまず今回の漫画出版社メールを入れました。許可を出されているなら、空回りで済むんですが。

2018-10-10

内定した企業従業員数推移を調べてみた

圧迫面接だったけどその業界に興味があったので入社を決めた会社中小)は、

マイナビに離職者数が載ってなかった。

少し気になって、Internet Archiveで今更ながら調べてみると

       男/女

2012→2013:-1/±0

2013→2014:±0/+3

2014→2015:データなし

2015→2016:±0/±0

2016年中: +4/+14

2016→2017:-6/-24

2017→現在:+4/+5

となっていた。

ちなみにどの年も新卒募集してる。

毎年10-20人くらい。

まり詳しくないんだけど、プラマイゼロというのは募集したけどいい人材がなかったということ?

それとも、出入りの合計が0というだけ?

あと、大量に離職してる年があるのも気になる。定年かなんかだといいんだけど...

何か不安になってきた。

そこらへん詳しい人教えてくれませんか。

2018-07-24

anond:20180724103433

googleはそこをショートカットするために存在してたはず

それが根本的な勘違いやで。

I'm feeling luckyなんて誰が使うんや?

Googleの利点はなんといっても「膨大なサイト網羅的に検索できる」という点にあるんやから

様々な検索ワード豊富検索オプションを使いこなし、

広大なインターネットを執念深く探索してこそのGoogleやで。

あと、公式仕様が公開されていたことが確実ならGoogleじゃなくInternet Archiveを探すべきやで。

2018-07-02

趣味の一環としてのダジャレ翻訳

趣味の一環として翻訳していて3大困ること、2つはこれまでに書いてきた「日本語にその語彙のない言葉」「現地で有名だが日本ではそれほどでもない固有名詞」なわけだが、もう一つが表題のものだ。とはいえこれはダジャレに限った話ではない一般的言葉遊びも含まれる。

夏休みハートはドキドキ!」という映画がある。既に10年前の映画だ。残念ながら前回書いたような全セリフ字幕収録なんてことはしてくれないDVDが発売されているのだが、とある日本女優が出演していることもあり、是非とも日本語字幕付きで見たいということで野良英語字幕から翻訳を試みたのだが、これが意外と困難を極めた。

先達はありがたいもので、その苦労が書かれている文章がある。「夏休みハートはドキドキ!」という映画野良字幕(だと思う)をつけた人がその苦労話を書いたページがある。もう既に元のページは失われていて、Internet Archiveしか残っていないのだけど、以下がそれだ。

タイ映画 ピットタームヤイ フアジャイワーウン 「夏休み ハートはドキドキ!」 ปิดเทอมใหญ่ หัวใจว้าวุ่น Hormones

この人も字幕他所に公開しなかったようだが、苦労話を書かれているだけでも参考になるのはありがたい。

คำผวน(カムプアン)は日本でも地味に流行たことがある。これを知っている人はそこそこの年寄りだと思うが「スネークマンショー」の「ジャッキー大山」が「こなさん、みんばんは」という形で多用していた。今、念のために調べてみたところ、スプーリズムというらしい。こなさんみんばんは、みたいに意味の通らない言葉なら、通じるかどうかは別として日本語字幕でも再現可能なのだが、苦労話にもある「パンディー犬」(パンダ熊のคำผวน)や、自分をさして「猿」とするようなคำผวนはどうにかして訳さないといけない。前者はしょうがないので言葉をそのままカタカナ書きして意味をカッコ書きで付け加えた。問題後者だ。

そもそも後者は何のคำผวนなのか。答えは別ページに用意されていたらしいのだが、さすがにアーカイブにも残されていない。本人がトホホ、といいながら訳した言葉を信じて、"ลิงจั๊กๆ"(リンチクチャク)は"รักจริงๆ"(ラックチンチン)のคำผวนであろうとあたりをつけた。日本人はどうしても"チンチン"に反応してしまうのだが、"จริง"(チン)で本当に、"ๆ"(その繰り返し)で内容を強調するので、"จริงๆ"は「すごく」と言った意味になる。決して男性器とは関係がない。

そこまではいいとして「本当に愛している」をどうダジャレで訳せば「サル」が絡むようになるのか。3日断続的に悩んだ挙げ句、「愛ささる」という方言混じりのくだらないダジャレになった。他にいい訳があればご提案いただきたい。ちなみに野良英語字幕でこの辺どうしていたかというと、まるっきり無視されていた。คำผวนを利用したダジャレナゾナゾもあったが、คำผวนは無視され、ビールを用いたナゾナゾ勝手に変換されていた。そんなのでいいのかどうかは自分にもわからない。

คำผวน以外にも言葉遊びはある。別の「I fine thank you... love you」という映画には英語空耳的なダジャレが多用されていた。奇しくもこの映画にも「夏休み ハートはドキドキ!」にも出演していた、とある日本女優が出演しているのだが、だから言葉遊びがあるのかと言われれば偶然の一致だろうと思う。

具体的にはGuysがกราย(クライ、口語的にはガイ、近くで)に聞こえると言うので「I'm good. And I'm glad to meet you, guys?」が「私はコック ガス台では魚を近火で焼きます」という意味文章でのダジャレに変換されていた。見てわかるかどうかはわからないが、全部ダジャレ変換しているわけではなく、脚韻的に最後の部分だけダジャレ変換しているだけだし、goodがcookに聞こえるというのは日本語でも流用できるのだが、guysはどうダジャレ訳すればいいのだろうか。一応やってはみたのだが、あまりにひどすぎてここには書けない。勘弁していただきたい。

2018-01-18

トイアンナさんの例の4°Cの記事、はっとくよ

http://web.archive.org/web/20170617200237/http://toianna.hatenablog.com:80/entry/2016/12/21/222010internet archive

http://toianna.hatenablog.com/entry/2016/12/21/222010(本文跡地)

http://b.hatena.ne.jp/entry/toianna.hatenablog.com/entry/2016/12/21/222010はてなブックマーク

2016-12-21

クリスマス4℃アクセサリーを貰って喜ぶ女はチョロい

4℃というジュエリーがある。市場が縮小する中で着実に売上を伸ばすトップブランドであり、ハート形とピンクゴールドの組み合わせなど甘々なデザインが特徴。SweetCanCamなど女性誌でも引っ張りだこで、結婚指輪としても人気がある。

その一方で、「4℃ダサい」という意見も根強い。4℃女子高生から女子大生を主に支持を受けているブランドで、似合いそうな服は真っ白なコートパステルカラーバッグ。アラサーほとんどが着るのをためらう色合いだ。価格帯は2万円台がボリュームゾーンで決して安くもない。「だったら、年相応のブランドがいい」という気持ちはわかる。

年齢層を無視しても、4℃が背負う王道イメージも私のような日陰者にはずしんとくる。デザインモチーフハート型、ピンクディズニー。ううっ、胃もたれする。年末年始の繁忙期を『日曜日よりの使者』を流して乗り切っている痛いアラサーに何てことするんだ。4℃が悪いんじゃない。こっちの感性が悪いんだ……。

4℃クリスマスプレゼントでよく登場する。

ほとんどの男性ジュエリーブランドに詳しくない。若いうちから女性ジュエリーに詳しかったら業界人かよほどの遊び人だろう。だからクリスマスプレゼントに困る。「彼女 プレゼント」で検索するとネックレスリングなど貴金属お勧めに出てくる。検索1位で出てくるサイトお勧めティファニーオープンハートか、4℃ハートモチーフティファニーの方が高いし、どっちも王道なら4℃かな……。と、直前になって男性は慌てて店へ駆け込む。相手4℃ティファニーが好きで選んだのでもない限りは、プレゼントしたら彼女笑顔がどうも引きつっている……という顛末になる。

「貰いもの文句を言うなんて」という層もいるだろうが、彼氏からプレゼントはおいそれと捨てたりできないかしんどい。次回のデートにはつけないと気まずいし、さりとて合わせる服もない。いっそ白いワンピース、買うか…? ムリムリ。彼の検索結果を恨むしかあるまい。

何歳になっても4℃で心から喜べる女性はチョロい。王道ファッションを好むと分かっているからだ。リッツ・カールトンディズニーランドパリ旅行と喜びそうなもの想像できる。従って男性プレゼントを考える時間も少なくてすむ。どれもお金さえ払えば手に入るから彼女笑顔をたやすく手に入れられる。

その点、王道でない私のような人間のなんと面倒なことか。4℃が嫌なのは「この年だからヴァンクリがいい♡」とかそういうことじゃなくって、自分の好みを元に熟考してほしいからだ。今年なら私は手間暇かけた料理シリアへの寄付をしてくれたら嬉しい。そういうねじくれた願望には「王道プレゼントをくれる君は、私のことを本当に考えて選んでくれたのか」という答えのない問いが待っている。彼にとってみれば、プレゼントを慎重に選ぶ苦痛が毎年続く。去年あげたものと同じものでは済まないからだ。

王道を好む女性は「浅はか」「チョロい」というそしりと引き換えに、男性思考コストを大幅に削減しているのであるクリスマス1日前に駆け込んだ店で手に入る愛情を喜んでくれる。それはなんと大らかな性格なんだろう。こっちは何てワガママなんだろう。

から4℃を喜ぶ女性馬鹿にして「私は違いが分かる女だから」なんて振るまえやしない。それは4℃という優れたブランド踏み台にして自分をお高く見せようとする、別の呪いに過ぎないのだからディズニーなんて絶対行けない、ピンクハートなんて耐えられない。そんな自分相手にしてくれるパートナー候補の数は絶対4℃を喜ぶ王道女子より少ない。わかっちゃいるけどmiu miu♡Tiffany♡になるのはムリだなあ……そもそもはてなブログを選ぶ女なんだからさ。

もしあなたが私と同じように4℃で喜べないなら誇りも抱いてほしい。単なるアンチ王道になって「私は違いがわかる女だから4℃は選ばないのよ」なんてつまらない態度になるのはもったいない。どのブランドにも駄作や傑作はあり、4℃もその例外ではない。

けれど「ああ、これじゃなくていいかな」と思うあなたを含めた複数価値観がこの世にあれば、多様性生まれる。価値観が一つしかない社会では「絶対開成から東大へ入るのよ」なんてベクトルが一直線のママが生まれしまう。価値観は1種類ではない。子ども4℃を好きになろうが自作ネイティブアメリカン衣装を着ようが、「いいじゃん」と言える度量は多様性から生まれる。

将来子ども彼氏4℃を貰ったら「いい彼氏じゃないの、大事にしなさいよ」と言ってあげられるように、同じくらい自分価値観大事にしていい。どちらが優れているわけでも、劣っているわけでもない。

ただ、もし王道プレゼントもっと言えばプレゼントをもらうこと自体も苦手なら自分王道女子のように大らかな女ではないと自覚しておきたいし、そんな人間クリスマスプレゼントを欲しがるなら「これ買って」と指定すべきだろう。ややこしい好みなのにプレゼントサプライズがいいなんて、モノを貰うプロセスだけ王道サプライズにあこがれてしまうのは都合がよすぎる。

かつては私も「クリスマスに欲しいもの自分から言うなんて、せびっているようで失礼なんじゃ」と思っていた。その結果サプライズでもらったのは高さ1mほどあるサルの置物、自作小説、私のために作られた曲たちだ。ハッキリ言って、4℃貰ったほうがマシだった……。そう思うくらいなら自分ブツ指定すべきである。男へ女向けブランド知識を与えることなサプライズ甘えるな

お互いに同じくらいの予算で前からしかったものを交換したいと言えば、王道女子ターゲット人間も納得してくれる。4℃を喜べるなら、自分の大らかさに自信を持って。4℃を喜べないなら、チョロくない女として誇りを持とう。優劣を付ければ、そこに単なる「王道への僻み」が生まれしまうから。そして自分が面倒な側に立つのなら、クリスマスは本当にギフトを贈り合うべきなのか?サプライズである必要はあるのか?と、根底から面倒な疑問を呈しようじゃないか

メリークリスマス

***

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2018-01-13

この記事は半保護されています。(半保護の方針による半保護) ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン 曖昧さ回避ベートーヴェンベートーベン、ヴァン・ベートーヴェン」はこの項目へ転送されています。その他の用法については「ベートーヴェン (曖昧さ回避)」をご覧ください。 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン Ludwig van Beethoven Beethoven.jpg 基本情報 別名 楽聖 生誕 1770年12月16日頃 出身地 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国、ボン 死没 1827年3月26日(56歳没) オーストリア帝国の旗 オーストリア帝国ウィーン ジャンル 古典派音楽 活動期間 1792 - 1827 ベートーヴェンのサイン ウィキポータル クラシック音楽 ポータル クラシック音楽 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(独: Ludwig van Beethoven、標準ドイツ語ではルートヴィヒ・ファン・ベートホーフェンに近い[1]、1770年12月16日頃[2] - 1827年3月26日)は、ドイツの作曲家。J.S.バッハ等と並んで音楽史上極めて重要な作曲家であり、日本では「楽聖」とも呼ばれる。その作品は古典派音楽の集大成かつロマン派音楽の先駆けとされている。 目次 [非表示] 1 生涯 2 作風 2.1 初期 2.2 中期 2.3 後期 3 後世の音楽家への影響と評価 4 芸術観 5 思想 6 人物 6.1 名前 6.2 ベートーヴェンフリーメイソンリー 7 死因また健康について 7.1 聴覚障害について 8 親族 9 弟子 10 代表作 10.1 交響曲(全9曲) 10.2 管弦楽曲 10.3 協奏曲、協奏的作品 10.4 室内楽曲 10.5 ピアノ曲 10.6 オペラ、劇付随音楽、その他の声楽作品 10.7 宗教曲 10.8 歌曲 11 著作 12 伝記 13 脚注 14 参考文献 15 関連項目 16 外部リンク 16.1 録音ファイル 16.2 伝記 生涯 ベートーヴェン(1803年) 1770年12月16日頃、神聖ローマ帝国ケルン大司教領(現ドイツ領)のボンにおいて、父ヨハンと、宮廷料理人の娘である母マリア・マグダレーナ(ドイツ語版)の長男[3]として生まれる。ベートーヴェン一家はボンのケルン選帝侯宮廷の歌手(後に楽長)であり、幼少のベートーヴェンも慕っていた、祖父ルートヴィヒの援助により生計を立てていた。ベートーヴェンの父も宮廷歌手(テノール)[4]であったが、元来無類の酒好きであったために収入は途絶えがちで、1773年に祖父が亡くなると生活は困窮した。1774年頃よりベートーヴェンは父からその才能を当てにされ、虐待とも言えるほどの苛烈を極める音楽のスパルタ教育を受けたことから、一時は音楽そのものに対して強い嫌悪感すら抱くようにまでなってしまった。1778年にはケルンでの演奏会に出演し、1782年11歳の時よりクリスティアン・ゴットロープ・ネーフェに師事した。 1787年、16歳のベートーヴェンウィーンに旅し、かねてから憧れを抱いていたモーツァルトを訪問したが、最愛の母マリアの危篤の報を受けてボンに戻った。母はまもなく死没し(肺結核)[5]、母の死後は、アルコール依存症となり失職した父に代わり、いくつもの仕事を掛け持ちして家計を支え、父や幼い兄弟たちの世話に追われる苦悩の日々を過ごした。 1792年7月、ロンドンからウィーンに戻る途中ボンに立ち寄ったハイドンにその才能を認められて弟子入りを許され、11月にはウィーンに移住し(12月に父死去)、まもなく、ピアノ即興演奏の名手(ヴィルトゥオーゾ)として広く名声を博した。 20歳代後半ごろより持病の難聴(原因については諸説あり、鉛中毒説が通説)が徐々に悪化、28歳の頃には最高度難聴者となる。音楽家として聴覚を失うという死にも等しい絶望感から、1802年には『ハイリゲンシュタットの遺書』をしたため自殺も考えたが、彼自身の芸術(音楽)への強い情熱をもってこの苦悩を乗り越え、再び生きる意欲を得て新たな芸術の道へと進んでいくことになる。 1804年に交響曲第3番を発表したのを皮切りに、その後10年間にわたって中期を代表する作品が書かれ、ベートーヴェンにとっての傑作の森(ロマン・ロランによる表現)と呼ばれる時期となる。その後、ピアニスト兼作曲家から、完全に作曲専業へと移った。 40歳頃(晩年の約15年)には全聾となっり、更に神経性とされる持病の腹痛や下痢にも苦しめられた。加えて、度々非行に走ったり自殺未遂を起こすなどした甥カールの後見人として苦悩するなどして一時作曲が停滞したが、そうした苦悩の中で書き上げた交響曲第9番や『ミサ・ソレムニス』といった大作、ピアノ・ソナタや弦楽四重奏曲等の作品群は彼の未曾有の境地の高さを示すものであった。 1826年12月に肺炎を患ったことに加え、黄疸も併発するなど病状が急激に悪化し、以後病臥に伏す。病床の中で10番目の交響曲に着手するも未完成のまま翌1827年3月26日、肝硬変のため56年の生涯を終えた。その葬儀には2万人もの人々が参列するという異例のものとなった。この葬儀には、翌年亡くなるシューベルトも参列している。 作風 初期 作曲家としてデビューしたての頃は耳疾に悩まされることもなく、古典派様式に忠実な明るく活気に満ちた作品を書いていた。この作風は、ハイドンモーツァルトの強い影響下にあるためとの指摘もある[6]。 中期 1802年の一度目の危機とは、遺書を書いた精神的な危機である。ベートーヴェンはこの危機を、ウィーン古典派の形式を再発見する事により脱出した。つまりウィーン古典派の2人の先達よりも、素材としての動機の発展や展開・変容を徹底して重視し、形式的・構成的なものを追求した。この後は中期と呼ばれ、コーダの拡張など古典派形式の拡大に成功した。 中期の交響曲はメヌエットではなくスケルツォの導入(第2番以降)、従来のソナタ形式を飛躍的に拡大(第3番)、旋律のもととなる動機やリズムの徹底操作(第5、7番)、標題的要素(第6番)、楽章の連結(第5、6番)、5楽章形式(6番)など、革新的な技法を編み出している。その作品は、古典派の様式美とロマン主義とをきわめて高い次元で両立させており、音楽の理想的存在として、以後の作曲家に影響を与えた。第5交響曲に典型的に示されている「暗→明」、「苦悩を突き抜け歓喜へ至る」という図式は劇性構成の規範となり、後のロマン派の多くの作品がこれに追随した。 これらのベートーヴェンの要求は必然的に「演奏人数の増加」と結びつき、その人数で生み出される人生を鼓舞するかのような強音やすすり泣くような弱音は多くの音楽家を刺激した。 後期 1818年の二度目の危機の時には後期の序曲集に代表される様にスランプに陥っていたが、ホモフォニー全盛であった当時においてバッハの遺産、対位法つまりポリフォニーを研究した。対位法は中期においても部分的には用いられたが、大々的に取り入れる事に成功し危機を乗り越えた。変奏曲やフーガはここに究められた。これにより晩年の弦楽四重奏曲ピアノソナタ、『ミサ・ソレムニス』、『ディアベリ変奏曲』、交響曲第9番などの後期の代表作が作られた。 後世の音楽家への影響と評価 ベートーヴェンの音楽界への寄与は甚だ大きく、彼以降の音楽家は大なり小なり彼の影響を受けている。 ベートーヴェン以前の音楽家は、宮廷や有力貴族に仕え、作品は公式・私的行事における機会音楽として作曲されたものがほとんどであった。ベートーヴェンはそうしたパトロンとの主従関係(および、そのための音楽)を拒否し、大衆に向けた作品を発表する音楽家の嚆矢となった。音楽家=芸術家であると公言した彼の態度表明、また一作一作が芸術作品として意味を持つ創作であったことは、音楽の歴史において重要な分岐点であり革命的とも言える出来事であった。 中でもワーグナーは、ベートーヴェン交響曲第9番における「詩と音楽の融合」という理念に触発され、ロマン派音楽の急先鋒として、その理念をより押し進め、楽劇を生み出した。また、その表現のため、豊かな管弦楽法により音響効果を増大させ、ベートーヴェンの用いた古典的な和声法を解体し、トリスタン和音に代表される革新的和声で調性を拡大した。 一方のブラームスは、ロマン派の時代に生きながらもワーグナー派とは一線を画し、あくまでもベートーヴェンの堅固な構成と劇的な展開による古典的音楽形式の構築という面を受け継ぎ、ロマン派の時代の中で音楽形式的には古典派的な作風を保った。しかし、旋律や和声などの音楽自体に溢れる叙情性はロマン派以外の何者でもなかった。また、この古典的形式における劇的な展開と構成という側面はブラームスのみならず、ドヴォルザークチャイコフスキー、20世紀においてはシェーンベルクバルトークプロコフィエフショスタコーヴィチラッヘンマンにまで影響を与えている。 芸術観 同時代のロマン派を代表する芸術家E.T.A.ホフマンは、ベートーヴェンの芸術を褒め称え、自分たちロマン派の陣営に引き入れようとしたが、ベートーヴェンは当時のロマン派の、形式的な統一感を無視した、感傷性と感情表現に代表される芸術からは距離を置いた。ベートーヴェンが注目したものは、同時代の文芸ではゲーテやシラー、また古くはウィリアム・シェイクスピアらのものであり、本業の音楽ではバッハ、ヘンデルモーツァルトなどから影響を受けた[7]。 ベートーヴェンが「前衛」であったのかどうかは、多くの音楽学者で見解が分かれる。原博は「ベートーヴェンは前衛ではない」と言い切り[8]、彼は当時の「交響曲」「協奏曲」「ソナタ」「変奏曲」などの構造モデルに準拠し、発案した新ジャンルというものは存在しない。ただし、「メトロノームの活用」「母語での速度表示」「ピアノの構造強化と音域の拡張」「楽曲の大規模化」「大胆な管弦楽法」「演奏不可能への挑戦」「騒音の導入(戦争交響曲)」など、後世の作曲家に与えた影響は計り知れないものがある。 思想 ベートーヴェンカトリックであったが敬虔なキリスト教徒とはいえなかった。『ミサ・ソレムニス』の作曲においてさえも「キリストなどただの磔(はりつけ)にされたユダヤ人に過ぎない」と発言した。ホメロスプラトンなどの古代ギリシア思想に共感し、バガヴァッド・ギーターを読み込むなどしてインド哲学に近づき、ゲーテやシラーなどの教養人にも見られる異端とされる汎神論的な考えを持つに至った。彼の未完に終わった交響曲第10番においては、キリスト教的世界と、ギリシア的世界との融合を目標にしていたとされる。これはゲーテが『ファウスト』第2部で試みたことであったが、ベートーヴェンの生存中は第1部のみが発表され、第2部はベートーヴェンの死後に発表された。権威にとらわれない宗教観が、『ミサ・ソレムニス』や交響曲第9番につながった。 また哲学者カントの思想にも触れ、カントの講義に出席する事も企画していたといわれる[7]。 政治思想的には自由主義者であり、リベラル進歩的政治思想を持っていた。このことを隠さなかったためメッテルニヒウィーン体制では反体制分子と見られた。 その他にも、天文学についての書物を深く読み込んでおり、彼はボン大学での聴講生としての受講やヴェーゲナー家での教育を受けた以外正規な教育は受けていないにも関わらず、当時において相当の教養人であったと見られている。 人物 身長は165cm前後と当時の西洋人としては中背ながら、筋肉質のがっしりとした体格をしていた。肌は浅黒く、天然痘の瘢痕があったとされるが、肖像画や銅像、ライフマスクや近年明らかとなった多彩な女性関係などから容貌は美男とは言えないものの、さほど悪くなかったのではないかと思われる。表情豊かで生き生きした眼差しが人々に強い印象を与え多くの崇拝者がいた。 基本的に服装には無頓着であり、若い頃には着飾っていたものの、歳を取ってからは一向に構わなくなった。弟子のツェルニーは初めてベートーヴェンに会った時、「ロビンソン・クルーソーのよう」、「黒い髪の毛は頭の周りでもじゃもじゃと逆立っている」という感想を抱いたと言われる。また作曲に夢中になって無帽で歩いていたため、浮浪者誤認逮捕されてウィーン市長が謝罪する珍事も起こった。部屋の中は乱雑であった一方、入浴と洗濯を好むなど綺麗好きであったと言われる。また生涯で少なくとも60回以上引越しを繰り返したことも知られている。 当時のウィーンではベートーヴェンが変わり者であることを知らない者はいなかったが、それでも他のどんな作曲家よりも敬愛されており、それは盛大な葬儀と多数の参列者を描いた書画からも伺える。しかし、「ベートーヴェン変人説」も、メッテルニヒ政権によるデマであるとする見解もある。 潔癖症で手を執拗に洗うところがあった。 性格は矛盾と言っても差し支えのない正反対な側面があった。人づきあいにおいて、ことのほか親切で無邪気かと思えば、厳しく冷酷で非道な行動に出るなどと気分の揺れが激しかった。親しくなると度が過ぎた冗談を口にしたり無遠慮な振る舞いを見せたりすることが多かったため、自分本位で野蛮で非社交的という評判であったとされている。これもどこまで真実なのかは定かではないが、ピアノソナタ・ワルトシュタインや弦楽四重奏曲・大フーガつきの出版に際して、出版社の「カット」命令には律儀に応じている。癇癪持ちであったとされ、女中(女性)に物を投げつけるなどしばしば暴力的な行動に出ることもあったという。 師ハイドンに、楽譜に「ハイドンの教え子」と書くよう命じられた時は、「私は確かにあなたの生徒だったが、教えられたことは何もない」と突っぱねた。 パトロンカール・アロイス・フォン・リヒノフスキー侯爵には、「侯爵よ、あなたが今あるのはたまたま生まれがそうだったからに過ぎない。私が今あるのは私自身の努力によってである。これまで侯爵は数限りなくいたし、これからももっと数多く生まれるだろうが、ベートーヴェンは私一人だけだ!」と書き送っている。(1812年)この「場を全くわきまえない」発言の数々はメッテルニヒ政権成立後に仇となり、大編成の委嘱が遠ざかる。 テプリツェでゲーテと共に散歩をしていて、オーストリア皇后・大公の一行と遭遇した際も、ゲーテが脱帽・最敬礼をもって一行を見送ったのに対し、ベートーヴェンは昂然(こうぜん)として頭を上げ行列を横切り、大公らの挨拶を受けたという。後にゲーテは「その才能には驚くほかないが、残念なことに不羈(ふき)奔放な人柄だ」とベートーヴェンを評している。 交響曲第5番の冒頭について「運命はこのように戸を叩く」と語ったことや、ピアノソナタ第17番が“テンペスト”と呼ばれるようになったいきさつなど、伝記で語られるベートーヴェンの逸話は、自称「ベートーヴェンの無給の秘書」のアントンシンドラーの著作によるものが多い。しかし、この人物はベートーヴェンの死後、ベートヴェンの資料を破棄したり改竄(かいざん)を加えたりしたため、現在ではそれらの逸話にはあまり信憑性が認められていない。 聴覚を喪失しながらも音楽家として最高の成果をあげたことから、ロマン・ロランをはじめ、彼を英雄視・神格化する人々が多く生まれた。 死後、「不滅の恋人」宛に書かれた1812年の手紙が3通発見されており、この「不滅の恋人」が誰であるかについては諸説ある。テレーゼ・フォン・ブルンスヴィック(独語版)やその妹ヨゼフィーネ(独語版)等とする説があったが、現在ではメイナード・ソロモン(en:Maynard Solomon)らが提唱するアントニエ・ブレンターノ(独語版)(クレメンス・ブレンターノらの義姉、当時すでに結婚し4児の母であった)説が最も有力である。しかし、「秘密諜報員ベートーヴェン」[9]のような、これらの定説を覆す新たな研究も生まれている。 これらは氷山の一角に過ぎず、20-30代でピアニストとして一世を風靡していたころは大変なプレイボーイであり、多くの女性との交際経験があった。この行動を模倣した人物に、後年のフランツ・リストがいる。 メトロノームの価値を認め、初めて活用した音楽家だといわれている。積極的に数字を書き込んだために、後世の演奏家にとって交響曲第9番ハンマークラフィーアソナタのメトロノーム記号については、多くの混乱が生まれている。 彼はイタリア語ではなく、母語ドイツ語で速度表示を行った最初の人物である。この慣習の打破はあまり歓迎されず、多くの当時の作曲家も速度表示にはイタリア語を用い、本人も短期間でイタリア語に戻している。 パンと生卵を入れて煮込んだスープや、魚料理に肉料理、茹でたてのマカロニにチーズを和えたものが大好物であった。またワインを嗜み、銘柄は安物のトカイワインを好んでいた。父親に似て大の酒好きであり、寿命を縮めることになったのは疑いがない。 コーヒーは必ず自ら豆を60粒数えて淹れたという[10]。 名前 原語であるドイツ語ではルートゥヴィヒ・ファン・ベートホーフェン ドイツ語発音: [ˈluːtvɪç fan ˈbeːthoːfən] ( 音声ファイル)と発音される。 日本では明治時代の書物の中には「ベートーフェン」と記したものが若干あったが、ほどなく「ベートーヴェン」という記述が浸透していき、リヒャルト・ワーグナーのように複数の表記が残る(ワーグナーヴァーグナー、ワグネル)こともなかった。唯一の例外は、NHKおよび教科書における表記の「ベートーベン」である。 姓に“van”がついているのは、ベートーヴェン家がネーデルラントフランドル)にルーツがあるためである(祖父の代にボンに移住)。vanがつく著名人といえば、画家のヴァン・ダイク(van Dyck)、ファン・エイク(van Eyck)、ファン・ゴッホ(van Gogh)などがいる。 vanはドイツ語オランダ語では「ファン」と発音されるが、貴族を表す「von(フォン)」と間違われることが多い。「van」は単に出自を表し、庶民の姓にも使われ、「van Beethoven」という姓は「ビート(Beet)農場(Hoven)主の」という意味に過ぎない。しかしながら、当時のウィーンではベートーヴェンが貴族であると勘違いする者も多かった。 偉大な音楽家を意味する「楽聖」という呼称は古くから存在するが、近代以降はベートーヴェンをもって代表させることも多い。例えば3月26日の楽聖忌とはベートーヴェンの命日のことである。 ベートーヴェンフリーメイソンリー 詳細は「フリーメイソン#ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン」を参照 死因また健康について 慢性的な腹痛や下痢は終生悩みの種であった。死後に行われた解剖では肝臓、腎臓、脾臓、他、多くの内臓に損傷が見られた。これらの病の原因については諸説あり、定説はない。近年、ベートーヴェンの毛髪から通常の100倍近い鉛が検出されて注目を集めた。鉛は聴覚や精神状態に悪影響を与える重金属であるが、ベートーヴェンがどのような経緯で鉛に汚染されたかについても諸説あり、以下のごとくである。 ワインの甘味料として用いられた酢酸鉛とする説。 1826年の1月から、肝障害による腹水治療を行ったアンドレアス・ヴァヴルフ医師が、腹部に針で穿刺して腹水を排水した際、毛髪の分析結果では腹部に穿孔するたびに鉛濃度が高くなっていることから、傷口の消毒のために使用された鉛ではないかとする説。 聴覚障害について 難聴(40歳頃には全聾となった)の原因については諸説[11]ある。 耳硬化症説 伝音性の難聴であり、中耳の耳小骨の「つち・きぬた・あぶみ」の内のあぶみ骨が硬化して、振動を伝達できず、音が聞こえなくなる難病。ベートーヴェンの難聴が耳硬化症である論拠として、ベートーヴェンが人の声は全く聞こえていなかったにも関わらず、後ろでピアノを弾いている弟子に、「そこはおかしい!」と注意したエピソードが挙げられる。これは耳硬化症に特有の、人の声は全く聞こえなくなるが、ピアノの高音部の振動は僅かに感じ取ることが出来る性質にあると考えられる。 又、ベートーヴェンは歯とピアノの鍵盤をスティックで繋ぐことで、ピアノの音を聞いていたという逸話もこの説を裏付ける論拠として挙げられる。 先天性梅毒説 「蒸発性の軟膏を体に塗り込んだ(水銀の可能性。当時梅毒の治療法の一つ)」という記述がある為に、論拠とされている。しかし、後にベートーヴェンの毛髪を分析した結果、水銀は検出されず、又、梅毒は眩暈(めまい)の症状を併発するにも関わらず、そうした話が無い為に、先天性梅毒説は説得力の乏しいものとなっている。 鉛中毒説 上載の死因また健康についてを参照。 メッテルニヒ政権説 ベートーヴェンが難聴であっても完全に失聴していたかどうかは、21世紀の現代では疑問視する声が大きい。ベートーヴェンは1820年代のメッテルニヒ政権ではブラックリストに入れられたため、盗聴を防ぐために「筆談帳」を使った可能性は大きい。その延長として「ベートーヴェンは暗号を用いていた」という仮説に基づく「秘密諜報員ベートーヴェン」[9]という書籍が出版された。 有名な逸話に「女中に卵を投げつけた」という類の物が残されているが、これは「女中に変装したスパイ」への正当防衛であるという見解がある。 デビューほやほやのリストの演奏に臨み、彼を高く評価したのは、もし失聴していれば出来ない行為である。 完全失聴や聴覚障害を患った作曲家に、ボイスやフォーレがいるが、彼らの作曲活動はその後伸び悩んでいるのに対し、失聴したベートーヴェンはその間に多くの重要作を書いている。 親族 祖父:ルートヴィヒ同姓同名) (英語版) フランドル地方メヘレン出身。ケルン大司教(選帝侯)クレメンスアウグストに見出され、21歳でボンの宮廷バス歌手、後に宮廷楽長となった。 祖母:マリア・ヨゼファ 父:ヨハン 母:マリア・マグダレーナ(ドイツ語版)  ヨハンとは再婚(初婚は死別)。肺結核により死去。 弟:カスパール・アントンカール 甥:カールドイツ語版)  カスパールの息子。1806年生まれ~1858年没。1826年にピストル自殺未遂事件を起こす。 弟:ニコラウス・ヨーハン 同姓同名の兄や妹2人がいるがすぐになくなっている。 弟カールの血筋が現在も残ってはいるが、ベートーヴェン姓は名乗っていない。カールの直系子孫の一人であるカール・ユリウス・マリア・ヴァン・ベートーヴェン(1870年5月8日生まれ)が1917年12月10日に他界したのを最後に、ベートーヴェン姓を名乗る子孫は途絶えている。 弟子 カール・ツェルニー - クラヴィア奏者・作曲家。 フェルディナント・リース - ボンのクラヴィア奏者・作曲家。 ルドルフ大公 - ベートーヴェンの最大のパトロン。のちにオルミュッツ大司教。弟子としては唯一、ベートーヴェンが彼のために曲を書いている。 ドロテア・エルトマン男爵夫人 - メンデルスゾーンと交流。 アントンシンドラー - 秘書だが、弟子とされることがある。 代表作 詳細は「ベートーヴェンの楽曲一覧」を参照 交響曲(全9曲) 第1番 ハ長調 op.21 第2番 ニ長調 op.36 第3番 変ホ長調エロイカ(英雄)』 op.55[12][13] 第4番 変ロ長調 op.60 第5番 ハ短調 (運命) op.67 [12][13] 第6番 ヘ長調 『田園』 op.68 [12] 第7番 イ長調 op.92 第8番 ヘ長調 op.93 第9番 ニ短調 (合唱付き) op.125 [12][13] 管弦楽曲 『レオノーレ』序曲第1番 op.138 『レオノーレ』序曲第3番 op.72b 序曲『コリオラン』ハ短調 op.62 交響曲『ウェリントンの勝利またはビトリアの戦い』 op.91 『命名祝日』序曲 op.115 『アテネの廃墟』序曲 ハ長調op.113 『献堂式』序曲 ハ長調op.124 協奏曲、協奏的作品 ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 『皇帝』 op.73 [12] ヴァイオリン協奏曲ニ長調 op.61 ロマンス第1番 ト長調 op.40 ロマンス第2番 ヘ長調 op.50 三重協奏曲(ピアノヴァイオリン・チェロのための)ハ長調 op.56 合唱幻想曲 ハ短調 op.80 室内楽曲 弦楽四重奏曲(全16曲) 第7番 ヘ長調(ラズモフスキー第1番) op.59-1 第8番 ホ短調(ラズモフスキー第2番) op.59-2 第9番 ハ長調(ラズモフスキー第3番) op.59-3 第10番 変ホ長調(ハープ) op.74 第11番 ヘ短調『セリオーソ』 op.95 第12番 変ホ長調 op.127 第13番 変ロ長調 op.130 大フーガ 変ロ長調 op.133 第14番 嬰ハ短調 op.131 第15番 イ短調 op.132 第16番 ヘ長調 op.135 弦楽五重奏曲 (全3曲) ヴァイオリンソナタ(全10曲) 第5番 ヘ長調 『春』 op.24 第9番 イ長調 『クロイツェル』 op.47 チェロソナタ(全5曲) ピアノ三重奏曲(全7曲) 第5番 ニ長調『幽霊』 op.70-1 第7番 変ロ長調『大公』 op.97 その他の室内楽曲 ホルン・ソナタ ヘ長調 op.17 六重奏曲 op.81b 七重奏曲 変ホ長調 op.20 管楽八重奏曲 op.103 ピアノ曲 ピアノソナタ(全32曲)   第8番 ハ短調『悲愴』 op.13 第14番 嬰ハ短調 『月光』 op.27-2 [13] 第15番 ニ長調 『田園』 第17番 ニ短調『テンペスト』 op.31-2 第21番 ハ長調 『ヴァルトシュタイン』op.53 第23番 ヘ短調 『熱情』 op.57 [12][13] 第26番 変ホ長調『告別』 op.81a 第29番 変ロ長調ハンマークラヴィーア』 op.106 第30番 ホ長調 op.109 第31番 変イ長調 op.110 第32番 ハ短調 op.111 その他のピアノ曲(変奏曲、バガテル等) 創作主題による6つの変奏曲 ヘ長調 op.34 創作主題による15の変奏曲とフーガ(エロイカ変奏曲)変ホ長調 op.35 『ゴッド・セイヴ・ザ・キング』の主題による7つの変奏曲 ハ長調 WoO.78 『ルール・ブリタニア』の主題による5つの変奏曲 ニ長調 WoO.79 創作主題による32の変奏曲 ハ短調 WoO.80 創作主題による6つの変奏曲 ニ長調 op.76 ディアベリのワルツによる33の変容(ディアベリ変奏曲) ハ長調 op.120 アンダンテ・ファヴォリ ヘ長調 WoO.57 幻想曲 op.77 ポロネーズ ハ長調 op.89 7つのバガテル op.33 11の新しいバガテル op.119 6つのバガテル op.126 バガテル『エリーゼのために』 WoO.59 本来の曲名は『テレーゼのために』であった、という説が有力視されている。 オペラ、劇付随音楽、その他の声楽作品 歌劇『フィデリオ』 op.72c 劇付随音楽『エグモント』op.84 劇付随音楽『アテネの廃墟』 op.113 バレエ音楽プロメテウスの創造物』 op.43 オラトリオ『オリーヴ山上のキリスト』 op.85 カンタータ『静かな海と楽しい航海』 op.112 別れの歌 皇帝ヨーゼフ2世の為の葬送カンタータ WoO.87 宗教曲 ミサ曲 ハ長調 op.86 ミサ・ソレムニス ニ長調 [12]  修道僧の歌 歌曲 アデライーデ op.46 汝を愛す 鶉の鳴き声 新しい愛、新しい生 口づけ 追憶 懺悔の歌 モルモット(旅芸人) 連作歌曲集『遥かなる恋人に寄す』 op.98 曇りのち、快晴 著作 『ベートホーヴェンの手紙』 外山楢夫訳、新しき村出版部、1926年。 『ベートーヷンの手紙』 中西武夫訳、啓明社、1928年。 『ベートーヷン書翰集』 中西武夫訳、啓明社、1930年。 『ベートーヴェンの手紙』第1編、鈴木賢之進訳、音楽世界社〈楽聖書簡叢書〉、1936年。 『ベートーヴェン書簡集』 小松雄一郎訳、岩波書店岩波文庫 2579-2581〉、1940年。 『ベートーヴェン書簡集』 小松雄一郎選訳、岩波書店岩波文庫〉、1950年。 『ベートーヴェン書簡集』 小松雄一郎訳、岩波書店岩波文庫〉、1957年、改訂増補版。 - 附:

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ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン

曖昧さ回避ベートーヴェンベートーベン、ヴァン・ベートーヴェン」はこの項目へ転送されています。その他の用法については「ベートーヴェン (曖昧さ回避)」をご覧ください。

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン

Ludwig van Beethoven

Beethoven.jpg

基本情報

別名 楽聖

生誕 1770年12月16日

出身地 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国、ボン

死没 1827年3月26日(56歳没)

オーストリア帝国の旗 オーストリア帝国ウィーン

ジャンル 古典派音楽

活動期間 1792 - 1827

ベートーヴェンのサイン

ウィキポータル クラシック音楽 ポータル クラシック音楽

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(独: Ludwig van Beethoven、標準ドイツ語ではルートヴィヒ・ファン・ベートホーフェンに近い[1]、1770年12月16日頃[2] - 1827年3月26日)は、ドイツの作曲家。J.S.バッハ等と並んで音楽史上極めて重要な作曲家であり、日本では「楽聖」とも呼ばれる。その作品は古典派音楽の集大成かつロマン派音楽の先駆けとされている。

目次 [非表示]

1 生涯

2 作風

2.1 初期

2.2 中期

2.3 後期

3 後世の音楽家への影響と評価

4 芸術観

5 思想

6 人物

6.1 名前

6.2 ベートーヴェンフリーメイソンリー

7 死因また健康について

7.1 聴覚障害について

8 親族

9 弟子

10 代表作

10.1 交響曲(全9曲)

10.2 管弦楽曲

10.3 協奏曲、協奏的作品

10.4 室内楽曲

10.5 ピアノ曲

10.6 オペラ、劇付随音楽、その他の声楽作品

10.7 宗教曲

10.8 歌曲

11 著作

12 伝記

13 脚注

14 参考文献

15 関連項目

16 外部リンク

16.1 録音ファイル

16.2 伝記

生涯

ベートーヴェン(1803年)

1770年12月16日頃、神聖ローマ帝国ケルン大司教領(現ドイツ領)のボンにおいて、父ヨハンと、宮廷料理人の娘である母マリア・マグダレーナ(ドイツ語版)の長男[3]として生まれる。ベートーヴェン一家はボンのケルン選帝侯宮廷の歌手(後に楽長)であり、幼少のベートーヴェンも慕っていた、祖父ルートヴィヒの援助により生計を立てていた。ベートーヴェンの父も宮廷歌手(テノール)[4]であったが、元来無類の酒好きであったために収入は途絶えがちで、1773年に祖父が亡くなると生活は困窮した。1774年頃よりベートーヴェンは父からその才能を当てにされ、虐待とも言えるほどの苛烈を極める音楽のスパルタ教育を受けたことから、一時は音楽そのものに対して強い嫌悪感すら抱くようにまでなってしまった。1778年にはケルンでの演奏会に出演し、1782年11歳の時よりクリスティアン・ゴットロープ・ネーフェに師事した。

1787年、16歳のベートーヴェンウィーンに旅し、かねてから憧れを抱いていたモーツァルトを訪問したが、最愛の母マリアの危篤の報を受けてボンに戻った。母はまもなく死没し(肺結核)[5]、母の死後は、アルコール依存症となり失職した父に代わり、いくつもの仕事を掛け持ちして家計を支え、父や幼い兄弟たちの世話に追われる苦悩の日々を過ごした。

1792年7月、ロンドンからウィーンに戻る途中ボンに立ち寄ったハイドンにその才能を認められて弟子入りを許され、11月にはウィーンに移住し(12月に父死去)、まもなく、ピアノ即興演奏の名手(ヴィルトゥオーゾ)として広く名声を博した。

20歳代後半ごろより持病の難聴(原因については諸説あり、鉛中毒説が通説)が徐々に悪化、28歳の頃には最高度難聴者となる。音楽家として聴覚を失うという死にも等しい絶望感から、1802年には『ハイリゲンシュタットの遺書』をしたため自殺も考えたが、彼自身の芸術(音楽)への強い情熱をもってこの苦悩を乗り越え、再び生きる意欲を得て新たな芸術の道へと進んでいくことになる。

1804年に交響曲第3番を発表したのを皮切りに、その後10年間にわたって中期を代表する作品が書かれ、ベートーヴェンにとっての傑作の森(ロマン・ロランによる表現)と呼ばれる時期となる。その後、ピアニスト兼作曲家から、完全に作曲専業へと移った。

40歳頃(晩年の約15年)には全聾となっり、更に神経性とされる持病の腹痛や下痢にも苦しめられた。加えて、度々非行に走ったり自殺未遂を起こすなどした甥カールの後見人として苦悩するなどして一時作曲が停滞したが、そうした苦悩の中で書き上げた交響曲第9番や『ミサ・ソレムニス』といった大作、ピアノ・ソナタや弦楽四重奏曲等の作品群は彼の未曾有の境地の高さを示すものであった。

1826年12月に肺炎を患ったことに加え、黄疸も併発するなど病状が急激に悪化し、以後病臥に伏す。病床の中で10番目の交響曲に着手するも未完成のまま翌1827年3月26日、肝硬変のため56年の生涯を終えた。その葬儀には2万人もの人々が参列するという異例のものとなった。この葬儀には、翌年亡くなるシューベルトも参列している。

作風

初期

作曲家としてデビューしたての頃は耳疾に悩まされることもなく、古典派様式に忠実な明るく活気に満ちた作品を書いていた。この作風は、ハイドンモーツァルトの強い影響下にあるためとの指摘もある[6]。

中期

1802年の一度目の危機とは、遺書を書いた精神的な危機である。ベートーヴェンはこの危機を、ウィーン古典派の形式を再発見する事により脱出した。つまりウィーン古典派の2人の先達よりも、素材としての動機の発展や展開・変容を徹底して重視し、形式的・構成的なものを追求した。この後は中期と呼ばれ、コーダの拡張など古典派形式の拡大に成功した。

中期の交響曲はメヌエットではなくスケルツォの導入(第2番以降)、従来のソナタ形式を飛躍的に拡大(第3番)、旋律のもととなる動機やリズムの徹底操作(第5、7番)、標題的要素(第6番)、楽章の連結(第5、6番)、5楽章形式(6番)など、革新的な技法を編み出している。その作品は、古典派の様式美とロマン主義とをきわめて高い次元で両立させており、音楽の理想的存在として、以後の作曲家に影響を与えた。第5交響曲に典型的に示されている「暗→明」、「苦悩を突き抜け歓喜へ至る」という図式は劇性構成の規範となり、後のロマン派の多くの作品がこれに追随した。

これらのベートーヴェンの要求は必然的に「演奏人数の増加」と結びつき、その人数で生み出される人生を鼓舞するかのような強音やすすり泣くような弱音は多くの音楽家を刺激した。

後期

1818年の二度目の危機の時には後期の序曲集に代表される様にスランプに陥っていたが、ホモフォニー全盛であった当時においてバッハの遺産、対位法つまりポリフォニーを研究した。対位法は中期においても部分的には用いられたが、大々的に取り入れる事に成功し危機を乗り越えた。変奏曲やフーガはここに究められた。これにより晩年の弦楽四重奏曲ピアノソナタ、『ミサ・ソレムニス』、『ディアベリ変奏曲』、交響曲第9番などの後期の代表作が作られた。

後世の音楽家への影響と評価

ベートーヴェンの音楽界への寄与は甚だ大きく、彼以降の音楽家は大なり小なり彼の影響を受けている。

ベートーヴェン以前の音楽家は、宮廷や有力貴族に仕え、作品は公式・私的行事における機会音楽として作曲されたものがほとんどであった。ベートーヴェンはそうしたパトロンとの主従関係(および、そのための音楽)を拒否し、大衆に向けた作品を発表する音楽家の嚆矢となった。音楽家=芸術家であると公言した彼の態度表明、また一作一作が芸術作品として意味を持つ創作であったことは、音楽の歴史において重要な分岐点であり革命的とも言える出来事であった。

中でもワーグナーは、ベートーヴェン交響曲第9番における「詩と音楽の融合」という理念に触発され、ロマン派音楽の急先鋒として、その理念をより押し進め、楽劇を生み出した。また、その表現のため、豊かな管弦楽法により音響効果を増大させ、ベートーヴェンの用いた古典的な和声法を解体し、トリスタン和音に代表される革新的和声で調性を拡大した。

一方のブラームスは、ロマン派の時代に生きながらもワーグナー派とは一線を画し、あくまでもベートーヴェンの堅固な構成と劇的な展開による古典的音楽形式の構築という面を受け継ぎ、ロマン派の時代の中で音楽形式的には古典派的な作風を保った。しかし、旋律や和声などの音楽自体に溢れる叙情性はロマン派以外の何者でもなかった。また、この古典的形式における劇的な展開と構成という側面はブラームスのみならず、ドヴォルザークチャイコフスキー、20世紀においてはシェーンベルクバルトークプロコフィエフショスタコーヴィチラッヘンマンにまで影響を与えている。

芸術観

同時代のロマン派を代表する芸術家E.T.A.ホフマンは、ベートーヴェンの芸術を褒め称え、自分たちロマン派の陣営に引き入れようとしたが、ベートーヴェンは当時のロマン派の、形式的な統一感を無視した、感傷性と感情表現に代表される芸術からは距離を置いた。ベートーヴェンが注目したものは、同時代の文芸ではゲーテやシラー、また古くはウィリアム・シェイクスピアらのものであり、本業の音楽ではバッハ、ヘンデルモーツァルトなどから影響を受けた[7]。

ベートーヴェンが「前衛」であったのかどうかは、多くの音楽学者で見解が分かれる。原博は「ベートーヴェンは前衛ではない」と言い切り[8]、彼は当時の「交響曲」「協奏曲」「ソナタ」「変奏曲」などの構造モデルに準拠し、発案した新ジャンルというものは存在しない。ただし、「メトロノームの活用」「母語での速度表示」「ピアノの構造強化と音域の拡張」「楽曲の大規模化」「大胆な管弦楽法」「演奏不可能への挑戦」「騒音の導入(戦争交響曲)」など、後世の作曲家に与えた影響は計り知れないものがある。

思想

ベートーヴェンカトリックであったが敬虔なキリスト教徒とはいえなかった。『ミサ・ソレムニス』の作曲においてさえも「キリストなどただの磔(はりつけ)にされたユダヤ人に過ぎない」と発言した。ホメロスプラトンなどの古代ギリシア思想に共感し、バガヴァッド・ギーターを読み込むなどしてインド哲学に近づき、ゲーテやシラーなどの教養人にも見られる異端とされる汎神論的な考えを持つに至った。彼の未完に終わった交響曲第10番においては、キリスト教的世界と、ギリシア的世界との融合を目標にしていたとされる。これはゲーテが『ファウスト』第2部で試みたことであったが、ベートーヴェンの生存中は第1部のみが発表され、第2部はベートーヴェンの死後に発表された。権威にとらわれない宗教観が、『ミサ・ソレムニス』や交響曲第9番につながった。

また哲学者カントの思想にも触れ、カントの講義に出席する事も企画していたといわれる[7]。

政治思想的には自由主義者であり、リベラルで進歩的な政治思想を持っていた。このことを隠さなかったためメッテルニヒウィーン体制では反体制分子と見られた。

その他にも、天文学についての書物を深く読み込んでおり、彼はボン大学での聴講生としての受講やヴェーゲナー家での教育を受けた以外正規な教育は受けていないにも関わらず、当時において相当の教養人であったと見られている。

人物

身長は165cm前後と当時の西洋人としては中背ながら、筋肉質のがっしりとした体格をしていた。肌は浅黒く、天然痘の瘢痕があったとされるが、肖像画や銅像、ライフマスクや近年明らかとなった多彩な女性関係などから容貌は美男とは言えないものの、さほど悪くなかったのではないかと思われる。表情豊かで生き生きした眼差しが人々に強い印象を与え多くの崇拝者がいた。

基本的に服装には無頓着であり、若い頃には着飾っていたものの、歳を取ってからは一向に構わなくなった。弟子のツェルニーは初めてベートーヴェンに会った時、「ロビンソン・クルーソーのよう」、「黒い髪の毛は頭の周りでもじゃもじゃと逆立っている」という感想を抱いたと言われる。また作曲に夢中になって無帽で歩いていたため、浮浪者誤認逮捕されてウィーン市長が謝罪する珍事も起こった。部屋の中は乱雑であった一方、入浴と洗濯を好むなど綺麗好きであったと言われる。また生涯で少なくとも60回以上引越しを繰り返したことも知られている。

当時のウィーンではベートーヴェンが変わり者であることを知らない者はいなかったが、それでも他のどんな作曲家よりも敬愛されており、それは盛大な葬儀と多数の参列者を描いた書画からも伺える。しかし、「ベートーヴェン変人説」も、メッテルニヒ政権によるデマであるとする見解もある。

潔癖症で手を執拗に洗うところがあった。

性格は矛盾と言っても差し支えのない正反対な側面があった。人づきあいにおいて、ことのほか親切で無邪気かと思えば、厳しく冷酷で非道な行動に出るなどと気分の揺れが激しかった。親しくなると度が過ぎた冗談を口にしたり無遠慮な振る舞いを見せたりすることが多かったため、自分本位で野蛮で非社交的という評判であったとされている。これもどこまで真実なのかは定かではないが、ピアノソナタ・ワルトシュタインや弦楽四重奏曲・大フーガつきの出版に際して、出版社の「カット」命令には律儀に応じている。癇癪持ちであったとされ、女中(女性)に物を投げつけるなどしばしば暴力的な行動に出ることもあったという。

ハイドンに、楽譜に「ハイドンの教え子」と書くよう命じられた時は、「私は確かにあなたの生徒だったが、教えられたことは何もない」と突っぱねた。

パトロンカール・アロイス・フォン・リヒノフスキー侯爵には、「侯爵よ、あなたが今あるのはたまたま生まれがそうだったからに過ぎない。私が今あるのは私自身の努力によってである。これまで侯爵は数限りなくいたし、これからももっと数多く生まれるだろうが、ベートーヴェンは私一人だけだ!」と書き送っている。(1812年)この「場を全くわきまえない」発言の数々はメッテルニヒ政権成立後に仇となり、大編成の委嘱が遠ざかる。

テプリツェでゲーテと共に散歩をしていて、オーストリア皇后・大公の一行と遭遇した際も、ゲーテが脱帽・最敬礼をもって一行を見送ったのに対し、ベートーヴェンは昂然(こうぜん)として頭を上げ行列を横切り、大公らの挨拶を受けたという。後にゲーテは「その才能には驚くほかないが、残念なことに不羈(ふき)奔放な人柄だ」とベートーヴェンを評している。

交響曲第5番の冒頭について「運命はこのように戸を叩く」と語ったことや、ピアノソナタ第17番が“テンペスト”と呼ばれるようになったいきさつなど、伝記で語られるベートーヴェンの逸話は、自称「ベートーヴェンの無給の秘書」のアントンシンドラーの著作によるものが多い。しかし、この人物はベートーヴェンの死後、ベートヴェンの資料を破棄したり改竄(かいざん)を加えたりしたため、現在ではそれらの逸話にはあまり信憑性が認められていない。

聴覚を喪失しながらも音楽家として最高の成果をあげたことから、ロマン・ロランをはじめ、彼を英雄視・神格化する人々が多く生まれた。

死後、「不滅の恋人」宛に書かれた1812年の手紙が3通発見されており、この「不滅の恋人」が誰であるかについては諸説ある。テレーゼ・フォン・ブルンスヴィック(独語版)やその妹ヨゼフィーネ(独語版)等とする説があったが、現在ではメイナード・ソロモン(en:Maynard Solomon)らが提唱するアントニエ・ブレンターノ(独語版)(クレメンス・ブレンターノらの義姉、当時すでに結婚し4児の母であった)説が最も有力である。しかし、「秘密諜報員ベートーヴェン」[9]のような、これらの定説を覆す新たな研究も生まれている。

これらは氷山の一角に過ぎず、20-30代でピアニストとして一世を風靡していたころは大変なプレイボーイであり、多くの女性との交際経験があった。この行動を模倣した人物に、後年のフランツ・リストがいる。

メトロノームの価値を認め、初めて活用した音楽家だといわれている。積極的に数字を書き込んだために、後世の演奏家にとって交響曲第9番ハンマークラフィーアソナタのメトロノーム記号については、多くの混乱が生まれている。

彼はイタリア語ではなく、母語ドイツ語で速度表示を行った最初の人物である。この慣習の打破はあまり歓迎されず、多くの当時の作曲家も速度表示にはイタリア語を用い、本人も短期間でイタリア語に戻している。

パンと生卵を入れて煮込んだスープや、魚料理に肉料理、茹でたてのマカロニにチーズを和えたものが大好物であった。またワインを嗜み、銘柄は安物のトカイワインを好んでいた。父親に似て大の酒好きであり、寿命を縮めることになったのは疑いがない。

コーヒーは必ず自ら豆を60粒数えて淹れたという[10]。

名前

原語であるドイツ語ではルートゥヴィヒ・ファン・ベートホーフェン ドイツ語発音: [ˈluːtvɪç fan ˈbeːthoːfən] ( 音声ファイル)と発音される。

日本では明治時代の書物の中には「ベートーフェン」と記したものが若干あったが、ほどなく「ベートーヴェン」という記述が浸透していき、リヒャルト・ワーグナーのように複数の表記が残る(ワーグナーヴァーグナー、ワグネル)こともなかった。唯一の例外は、NHKおよび教科書における表記の「ベートーベン」である。

姓に“van”がついているのは、ベートーヴェン家がネーデルラントフランドル)にルーツがあるためである(祖父の代にボンに移住)。vanがつく著名人といえば、画家のヴァン・ダイク(van Dyck)、ファン・エイク(van Eyck)、ファン・ゴッホ(van Gogh)などがいる。

vanはドイツ語オランダ語では「ファン」と発音されるが、貴族を表す「von(フォン)」と間違われることが多い。「van」は単に出自を表し、庶民の姓にも使われ、「van Beethoven」という姓は「ビート(Beet)農場(Hoven)主の」という意味に過ぎない。しかしながら、当時のウィーンではベートーヴェンが貴族であると勘違いする者も多かった。

偉大な音楽家を意味する「楽聖」という呼称は古くから存在するが、近代以降はベートーヴェンをもって代表させることも多い。例えば3月26日の楽聖忌とはベートーヴェンの命日のことである。

ベートーヴェンフリーメイソンリー

詳細は「フリーメイソン#ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン」を参照

死因また健康について

慢性的な腹痛や下痢は終生悩みの種であった。死後に行われた解剖では肝臓、腎臓、脾臓、他、多くの内臓に損傷が見られた。これらの病の原因については諸説あり、定説はない。近年、ベートーヴェンの毛髪から通常の100倍近い鉛が検出されて注目を集めた。鉛は聴覚や精神状態に悪影響を与える重金属であるが、ベートーヴェンがどのような経緯で鉛に汚染されたかについても諸説あり、以下のごとくである。

ワインの甘味料として用いられた酢酸鉛とする説。

1826年の1月から、肝障害による腹水治療を行ったアンドレアス・ヴァヴルフ医師が、腹部に針で穿刺して腹水を排水した際、毛髪の分析結果では腹部に穿孔するたびに鉛濃度が高くなっていることから、傷口の消毒のために使用された鉛ではないかとする説。

聴覚障害について

難聴(40歳頃には全聾となった)の原因については諸説[11]ある。

耳硬化症説

伝音性の難聴であり、中耳の耳小骨の「つち・きぬた・あぶみ」の内のあぶみ骨が硬化して、振動を伝達できず、音が聞こえなくなる難病。ベートーヴェンの難聴が耳硬化症である論拠として、ベートーヴェンが人の声は全く聞こえていなかったにも関わらず、後ろでピアノを弾いている弟子に、「そこはおかしい!」と注意したエピソードが挙げられる。これは耳硬化症に特有の、人の声は全く聞こえなくなるが、ピアノの高音部の振動は僅かに感じ取ることが出来る性質にあると考えられる。

又、ベートーヴェンは歯とピアノの鍵盤をスティックで繋ぐことで、ピアノの音を聞いていたという逸話もこの説を裏付ける論拠として挙げられる。

先天性梅毒説

「蒸発性の軟膏を体に塗り込んだ(水銀の可能性。当時梅毒の治療法の一つ)」という記述がある為に、論拠とされている。しかし、後にベートーヴェンの毛髪を分析した結果、水銀は検出されず、又、梅毒は眩暈(めまい)の症状を併発するにも関わらず、そうした話が無い為に、先天性梅毒説は説得力の乏しいものとなっている。

鉛中毒説

上載の死因また健康についてを参照。

メッテルニヒ政権説

ベートーヴェンが難聴であっても完全に失聴していたかどうかは、21世紀の現代では疑問視する声が大きい。ベートーヴェンは1820年代のメッテルニヒ政権ではブラックリストに入れられたため、盗聴を防ぐために「筆談帳」を使った可能性は大きい。その延長として「ベートーヴェンは暗号を用いていた」という仮説に基づく「秘密諜報員ベートーヴェン」[9]という書籍が出版された。

有名な逸話に「女中に卵を投げつけた」という類の物が残されているが、これは「女中に変装したスパイ」への正当防衛であるという見解がある。

デビューほやほやのリストの演奏に臨み、彼を高く評価したのは、もし失聴していれば出来ない行為である。

完全失聴や聴覚障害を患った作曲家に、ボイスやフォーレがいるが、彼らの作曲活動はその後伸び悩んでいるのに対し、失聴したベートーヴェンはその間に多くの重要作を書いている。

親族

祖父:ルートヴィヒ同姓同名) (英語版)

フランドル地方メヘレン出身。ケルン大司教(選帝侯)クレメンスアウグストに見出され、21歳でボンの宮廷バス歌手、後に宮廷楽長となった。

祖母:マリア・ヨゼファ

父:ヨハン

母:マリア・マグダレーナ(ドイツ語版)  ヨハンとは再婚(初婚は死別)。肺結核により死去。

弟:カスパール・アントンカール

甥:カールドイツ語版)  カスパールの息子。1806年生まれ~1858年没。1826年にピストル自殺未遂事件を起こす。

弟:ニコラウス・ヨーハン

同姓同名の兄や妹2人がいるがすぐになくなっている。

カールの血筋が現在も残ってはいるが、ベートーヴェン姓は名乗っていない。カールの直系子孫の一人であるカール・ユリウス・マリア・ヴァン・ベートーヴェン(1870年5月8日生まれ)が1917年12月10日に他界したのを最後に、ベートーヴェン姓を名乗る子孫は途絶えている。

弟子

カール・ツェルニー - クラヴィア奏者・作曲家。

フェルディナント・リース - ボンのクラヴィア奏者・作曲家。

ルドルフ大公 - ベートーヴェンの最大のパトロン。のちにオルミュッツ大司教。弟子としては唯一、ベートーヴェンが彼のために曲を書いている。

ドロテア・エルトマン男爵夫人 - メンデルスゾーンと交流。

アントンシンドラー - 秘書だが、弟子とされることがある。

代表作

詳細は「ベートーヴェンの楽曲一覧」を参照

交響曲(全9曲)

第1番 ハ長調 op.21

第2番 ニ長調 op.36

第3番 変ホ長調エロイカ(英雄)』 op.55[12][13]

第4番 変ロ長調 op.60

第5番 ハ短調 (運命) op.67 [12][13]

第6番 ヘ長調 『田園』 op.68 [12]

第7番 イ長調 op.92

第8番 ヘ長調 op.93

第9番 ニ短調 (合唱付き) op.125 [12][13]

管弦楽曲

『レオノーレ』序曲第1番 op.138

『レオノーレ』序曲第3番 op.72b

序曲『コリオラン』ハ短調 op.62

交響曲『ウェリントンの勝利またはビトリアの戦い』 op.91

『命名祝日』序曲 op.115

『アテネの廃墟』序曲 ハ長調op.113

『献堂式』序曲 ハ長調op.124

協奏曲、協奏的作品

ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 『皇帝』 op.73 [12]

ヴァイオリン協奏曲ニ長調 op.61

ロマンス第1番 ト長調 op.40

ロマンス第2番 ヘ長調 op.50

三重協奏曲(ピアノヴァイオリン・チェロのための)ハ長調 op.56

合唱幻想曲 ハ短調 op.80

室内楽曲

弦楽四重奏曲(全16曲)

第7番 ヘ長調(ラズモフスキー第1番) op.59-1

第8番 ホ短調(ラズモフスキー第2番) op.59-2

第9番 ハ長調(ラズモフスキー第3番) op.59-3

第10番 変ホ長調(ハープ) op.74

第11番 ヘ短調『セリオーソ』 op.95

第12番 変ホ長調 op.127

第13番 変ロ長調 op.130

大フーガ 変ロ長調 op.133

第14番 嬰ハ短調 op.131

第15番 イ短調 op.132

第16番 ヘ長調 op.135

弦楽五重奏曲 (全3曲)

ヴァイオリンソナタ(全10曲)

第5番 ヘ長調 『春』 op.24

第9番 イ長調 『クロイツェル』 op.47

チェロソナタ(全5曲)

ピアノ三重奏曲(全7曲)

第5番 ニ長調『幽霊』 op.70-1

第7番 変ロ長調『大公』 op.97

その他の室内楽曲

ホルン・ソナタ ヘ長調 op.17

六重奏曲 op.81b

七重奏曲 変ホ長調 op.20

管楽八重奏曲 op.103

ピアノ曲

ピアノソナタ(全32曲)  

第8番 ハ短調『悲愴』 op.13

第14番 嬰ハ短調 『月光』 op.27-2 [13]

第15番 ニ長調 『田園』

第17番 ニ短調『テンペスト』 op.31-2

第21番 ハ長調 『ヴァルトシュタイン』op.53

第23番 ヘ短調 『熱情』 op.57 [12][13]

第26番 変ホ長調『告別』 op.81a

第29番 変ロ長調ハンマークラヴィーア』 op.106

第30番 ホ長調 op.109

第31番 変イ長調 op.110

第32番 ハ短調 op.111

その他のピアノ曲(変奏曲、バガテル等)

創作主題による6つの変奏曲 ヘ長調 op.34

創作主題による15の変奏曲とフーガ(エロイカ変奏曲)変ホ長調 op.35

『ゴッド・セイヴ・ザ・キング』の主題による7つの変奏曲 ハ長調 WoO.78

ルール・ブリタニア』の主題による5つの変奏曲 ニ長調 WoO.79

創作主題による32の変奏曲 ハ短調 WoO.80

創作主題による6つの変奏曲 ニ長調 op.76

ディアベリのワルツによる33の変容(ディアベリ変奏曲) ハ長調 op.120

アンダンテ・ファヴォリ ヘ長調 WoO.57

幻想曲 op.77

ポロネーズ ハ長調 op.89

7つのバガテル op.33

11の新しいバガテル op.119

6つのバガテル op.126

バガテル『エリーゼのために』 WoO.59

本来の曲名は『テレーゼのために』であった、という説が有力視されている。

オペラ、劇付随音楽、その他の声楽作品

歌劇『フィデリオ』 op.72c

劇付随音楽『エグモント』op.84

劇付随音楽『アテネの廃墟』 op.113

バレエ音楽プロメテウスの創造物』 op.43

オラトリオ『オリーヴ山上のキリスト』 op.85

カンタータ『静かな海と楽しい航海』 op.112

別れの歌

皇帝ヨーゼフ2世の為の葬送カンタータ WoO.87

宗教曲

ミサ曲 ハ長調 op.86

ミサ・ソレムニス ニ長調 [12] 

修道僧の歌

歌曲

アデライーデ op.46

汝を愛す

鶉の鳴き声

新しい愛、新しい生

口づけ

追憶

懺悔の歌

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2018-01-05

12歳の自分から手紙

部屋を整理していたら12歳の自分から手紙というコンテンツを発掘した。

そういえばむかし実家に帰ったときに渡されたなあと読み返してみたら、「東京水道局の水はどうですか?」だと。

何だお前。

そんなに上京したい志向はなかっただろ。

いや、実際いま東京に住んでるけどさ。

ちょっとドキっとするからやめろよー。

あと、酒とタバコ麻薬を同列に並べて「絶対に手を出すな」と。

お酒大好きだよ!ごめんな。

封筒には、当時使ってたYahoo IDなどを羅列して「まだ使ってますか?」と書いてあった。

いくつか試してみたところ、MSNアカウントごとなくなってて、Yahoo IDはなんとログインができた。

当時使っていためちゃくちゃ簡単パスワードですんなりとログインができた。

念のためにログイン履歴を見たら数千数百日ぶりのログインとのこと。

Yahooを漁っているとアドレス張を発見

そこから色々と辿ったら色々と昔の恥ずかしいホームページやらなんやらがたくさんInternet Archiveに保管されてるのを発見して、インターネットつらいという気持ちになってきた。

ちなみに、昔のメールが読めるかなとちょっと期待したらYahooは6ヶ月以上メールアクセスしないとデータが消える仕様になったらしく、見れなかった。

安全になったなあ。と思うと同時に少し残念な気持ちに。

そして、いつのまにか時計は午前4時を回っている。

来週から出勤。

いきたくねー!

2017-11-29

2017-09-08

anond:20170907222310

http://tablets-nano.blogspot.jp/2012/03/new-ipad-ipad-ipad.html

正式名称は初代と同じ「iPad」に戻り、アップルは「新しいiPad」と呼んでいる。当初は「iPad 3」になるのではないかという観測が多く見られたが、あえてオリジナル名称に戻したことから、同社の「これこそが『iPadなのだ」という気概が感じられる。

はい正式名称はただの「iPad」です。残念でしたね。

そもそもおまえが紹介している記事でもよく読めば「3だとかHDだとかではないただのiPadから新しいiPadしか呼びようがないのだ」と説明されている。

それを面白がって「新しいiPad正式名称!」とネタにしていたのを馬鹿が真に受けただけ。

Internet Archiveでも確認してみる?

https://web.archive.org/web/20120504040953/http://store.apple.com/jp/browse/home/shop_ipad/family/ipad/select_ipad

新しいiPad」という商品名で売られてた?

はい、「iPad選択」です。

ちなみにiPad2の購入ページだと「iPad2選択」。

https://web.archive.org/web/20120515044055/http://store.apple.com/jp/browse/home/shop_ipad/family/ipad/select_ipad2

次期iPhoneiPhoneXと名付けられるとしたらそれは正式商品名であって、「新しいiPad」のようなただの便宜上呼称通称とは性質が異なることは明らか。

そのあたりの区別もつかずに「だってみんなそれが商品名だって言ってたもん!」と言い募るのは見苦しいよ。

2017-05-03

フリーブックスだけではない違法エロシンジケート

さきほど、フリーブックスが閉鎖した。

しかし、フリーブックスは氷山の一角にすぎない。

フリーブックスとドロップブックスの運営者が同じ可能性が高いという指摘は既になされているが、その2サイト以外にも同じグループによって今現在運営されている違法サイト複数あり、過去運営していた無数のサイトも含めれば、巨大な違法エロシンジケートとでも言うべきもの形成しているといえる。

ここでは彼ら全てが滅びることを願い、調べることができた限りの情報提供する。

フリーブックスに関しては前もって以下の記事を読んでおいてほしい。

http://anond.hatelabo.jp/20170501041533

「フリーブックス」についてもう少し踏み込んで書く – 無能ブログ

無数の違法アダルトサイト

上で挙げた無能ブログ(0chiaki)の記事で指摘されているように、フリーブックスの運営元はドロップブックス含め複数サイト運営している。

いずれもエロコンテンツ違法かつ大量に転載しているサイトだが、それぞれ住み分けがなされている。

(adultcity.toが同グループ運営という情報もあるが根拠確認できなかった)

(5/3 17:15訂正:同グループと断定してよさそう。詳しくは末尾に追記)

これだけでも驚くべき規模だが、このエロシンジケート過去運営して既に閉鎖したサイトは少なくとも数十はある。

たとえば以下は16年5月11月存在したピュアラブ purelove.infoという、女性向けAV違法転載していたサイトである

ベースドロップブックスなど男性向けサイト共通だが、デザインライティングなど需要に合わせて高度にカスタマイズされていることがわかる。

ピュアラブは胸キュンアダルト動画が楽しめる女性のためのアダルトサイトです♥

女性だって時にはエッチ妄想を楽しみたくなりますよね?!

だけどエッチものを見たり、リアル友達エッチな話しをするのは恥ずかしい…。

そんな恥ずかしがり屋な女性がこっそりアダルト動画を見て楽しんだり、

本音を共有したりできるサイトを作ってみました。

みんなのちょっとエッチな憩い(?)の場になるといいなと思うので

ぜひどんどん利用してくださいね♥(´ε`*)

https://web-beta.archive.org/web/20161014030014/purelove.info

SHAREMOVIEとその前身サイトたち

彼らの出発点はどこにあるのか。

調べた限りでは彼らは2011年から複数アダルト動画サイト運営していた形跡がある。

現在運営されているSHAREMOVIEは15年2月ごろに登場したようだが、15年から16年に渡って複数アダルト動画サイトが、以下のような告知を残して閉鎖している。

サイトは閉鎖をさせていただくことになりました。

ご利用ありがとうございました。

人気動画投稿サイトSHAREMOVIE (注: SHAREMOVIEへのリンク)

これだけでは別の運営からサイトを買収し誘導しただけとも考えられるが、

しかデザインサーバーなどを見る限りいずれも以前から彼らエロシンジケート運営していたと思われる。

詳しく見てみよう。

奥様は熟女 okujuku.jp 05年11月1111月管理者変更)~1211月

https://web-beta.archive.org/web/20120208010840/okujuku.jp

調べた中ではこのサイトが一番古くからの記録をInternet Archiveに残している。

当初は他の管理者による量産型エロサイトだったが、1111月エロシンジケートが買収したようだ。

管理者変更の告知や、投稿ボタンの追加などデザインの変更などからそう推測できる。

.jpドメイン+国内サーバーでは匿名性に不安があったのか、1211月に.tvドメイン+海外サーバーへと移転する。

奥様は熟女 okujuku.tv 1211月~15年8月

Internet Archiveによると、15年8月2日から3日の間に、上述のSHAREMOVIEへの誘導を残して閉鎖した。

以下、その他同様にSHAREMOVIEへの誘導を残して閉鎖したサイトを列挙する。

これらのサイトについての記録から、彼らについての情報を得ることが可能かもしれない。

広告を剥がす

これを書いている最中フリーブックスが閉鎖したが、以上のようにフリーブックスは氷山の一角に過ぎない。全てを叩き潰す必要がある。

しかし既に指摘されているように、彼らは防弾ホスティングによって守られているので、サーバー所有者に対処を望むことは期待できない。

たとえばdropbooks.tvについての申し立てCloudflareに行い、もしCloudflareサーバー情報を開示したとしても、おそらく本体サーバーオランダあたりにあり、ホスティング業者は苦情を黙殺するか、開示するとしても業者はそもそも利用者ビットコインアドレスくらいしか知らないだろう。

したがって資金源(広告)を断つことが一番有効方法となる。こうした場合はしばしば「不適切サイト広告を出すな」という苦情申し立て広告主に対して行われるが、今回はもっとよい方法がある。

SHAREMOVIE(3次元AV)にはmaist.jp、aspm.jpを経由してDMM同人作品アフィリエイトが表示されている。

ドロップブックス(同人)にはプレステージなどのブランドを持つMGS www.mgstage.comのアフィリエイトが表示されている。

当然のことながら、DMMコンテンツフリーブックス・ドロップブックスに転載され、MGSコンテンツはSHAREMOVIEに転載されている。

違法コピーを間接的に助長するどころの話ではなく、自分商品を盗んでいる本人に金を払っているのである

このことにDMMMGSなどの広告主側を気付かせさえすれば、広告を減らすことができるはずだ。

(他にワンクリック詐欺業者広告もあるが、これについてはどうしようもない)

その他

以下では今回調べている最中に気がついた細々したことを書いていく。詳しく追いたい人向け。

フリーブックスはどうやって稼ごうとしていたか

フリーブックスのベータ版のようなサイト、fpc.isには次のように書いてあった。

https://web-beta.archive.org/web/20161203115444/fpc.is

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最初から有料化するつもりだったようだ。

DINERSやDISCOVERが取り扱いに入っていることから予定していた決済代行業者がある程度絞れるかもしれない。

2DBOOK系列との関係

16年5月から開始されたANIMELEAXにも前身と思われるサイト存在する。

2Dアニメローダー 2anime.net 1211月~16年??月

https://web-beta.archive.org/web/20160422140541/2anime.net

一見してエロシンジケートではなく2DBOOK系列デザインである

しかし16年6月7月、同一のGoogle Analyticsトラッキングコード使用され、16年10月にはanimeleax.comへの301リダイレクトが設定されている。

これだけだと16年に2DBOOK系列エロシンジケートサイトを売却しただけのように思えるのだが

それ以前に2015年の一時期、上記のokujuku.tv中出しeyezなどとIPアドレスを共有している。

このあたり関係がはっきりしない。

いずれにせよドロップブックスと2DBOOK運営者の間に何らかの関係があるのは確かだと思われる。

異説

フリーブックスの運営についてこのようなことを書いている人もいる。

http://anond.hatelabo.jp/20170502045025

しかし「奥様は熟女」などの発生がHやその周辺サイトよりも古いこと、ホスティング業者Whoisプロテクト業者の選定が異なることなからフリーブックスの運営をHと同じ人間が行っているわけではないと思う。

はい2DBOOK系列との関係が疑われるように、トップより下のレベルでの交流はあってもおかしくない(というかあるだろう)

id:ssig33などのTorrentに無い→自炊、という推測が不正確だという指摘は正しい。

動画エロゲソフトウェア以外、要するに本や音楽など、違法コピーのために技術も太い回線必要ないものの一次放流元は現在圧倒的にWebである

GMOクラウドを利用している?

既に書いたとおり彼らは防弾ホスティングを利用しているのだが、それも完璧ではない。

これを書くために調査している最中、興味深いもの発見した。

dropbooks.tvでnslookupを行うと当然CloudflareIPアドレスが返ってくるのだが、mail.dropbooks.tvでnslookupを行うと192.249.79.248というIPアドレスが返される。

このIPアドレスCloudflareのものではなくGMO-Z.com USA, INC.すなわちGMOグループ会社のものである

主要グループ会社一覧 - GMOインターネット株式会社

アメリカ会社ではあるが、彼らが普段使う業者と比べてこのサーバーの「防弾性」は格段に落ちる。このサーバー情報ミスによって公開されてしまっている、隠しておきたいはずのものだと思う。

したがって、GMOインターネット株式会社ドロップブックス運営者の情報を握っている可能性が高い。

追記

5/3 17:15追記

アダルトティ投稿ティエロシンジケート系列と断定して良さそう。

192.249.79.248に以下のメールサーバーが同居している。

mail.dropbooks.tv
mail.examplekanai.com
mail.lecielblue.net
mail.toukoucity.to
mailserver.smv.to
smtp.lecielblue.net
mail.noah-i.net

@Mnowben にもいくつか根拠が挙げられている。

系列なのはわかったけど随分毛色が違うのでこれはこれでふしぎ。

2017-04-21

お気に入りの整理してたら悲しくなった

ブラウザお気に入りを整理していたのだが、00年代以前に作られたページの大半が閉鎖していた。

管理人自ら消したパターンもあるけど、ほとんどが無料サーバーサービス終了に伴う閉鎖だった(@nifhtyの@homepageやinfoseek等)

採算が取れないのに維持費だけはかかる物は消してしまえーって判断なんだろうが、古い作品情報や当時のイベントレポートなどそこでしか見られない情報も有り、それらが全て消えてしまったというのはとても悲しい。

Internet Archiveに保存されていれば見られるけど、検索には引っ掛からないしそもそも元のページのURL知らないと見ようが無い。

「一度ネットに流れた情報は二度とネットから消えない」みたいな意見もあるけど、案外簡単に消えるもんだな。

2017-01-29

RETRIPは合法化を急いでももう遅い(石田言行/田中勝基)

DeNA社のWelqが閉鎖した後、ネット民の矛先は2つに分かれたと思う。

LINE株式会社Naverまとめに不満を持つ人と、ベンチャー系のキュレーションサイトの筆頭格である株式会社trippieceのRETRIPに不満を持つ人。

迷惑をかけた人の数が多いだけに、いずれも極悪メディアとしてすっかり名高くなった。

私がこの記事を書いている動機も、RETRIPに盗られた写真、隠された引用元、あり得ないメール対応facebookではリア充振りまいてる役員たちの顔、いずれも数年越しで溜まってきたやり場のない怒りが元となっている。

引用範囲という法を振りかざし、写真を盗用して儲ける。

PPAP商標権横取りした元弁理士上田育弘氏が話題になったが、それと同じことをしていると気づかないのだろうか。

<影で進むRETRIPの合法化

さて、そんなRETRIPだが、目ぼしい記事から合法化を推し進めている。

フォトストックから写真を買い集め、アクセスの多い記事から順に写真差し替えている。

沖縄記事

昔:http://web.archive.org/web/20150724035350/https://retrip.jp/articles/4791/

今:retrip★jp/articles/4791/

京都記事

昔:http://web.archive.org/web/20160509185055/https://retrip.jp/articles/7858/

今:retrip★jp/articles/7858/

申し訳ないが、リンクを張りたくないので、差を見たい人はURLを加工してアクセスしてほしい。

また、昔の記事Internet Archivesで得られるものだけなので、具体的な日付けはわからないが、間違いなく最近のこと。

このような記事は、「地名観光」で調べたらザクザクでてくる。

違法手段で集めたトラフィック、蓄積したリンクで、そのまま逃げ切ろうとしているわけである

グレーゾーン商法にあこがれているのか>

ベンチャーにはグレーゾーンを突っ走ったら勝てるとかいう話がある。UBERとかAirbnbとかがその筆頭候補で、ベンチャー社長がこれに憧れるのもわかる。

でも、グレーゾーン走りきるの失敗してんじゃん、というのが今日での状況ではなかろうか。

一時期のWELQよりかは、延焼が止まりつつあるかもしれない。

でも、私同様に怒っているひとが多いと思うし、私は絶対に火を消したくない。

昨日ではパクリがバレないように工夫を凝らす開発を告発するブログへの言及が多かった。

http://suzukidesu23.hateblo.jp/entry/retrip-mlit-yuchaku

この記事やまもといちろう氏とヨッピー氏がTwitter拡散しだしたので、増田くらいしか発信場所がない私には嬉しい思いもある。

株式会社 trippiece(トリッピース)

代表取締役 石田言行(いあん)さん

RETRIP代表取締役 田中勝基さん

実名批判されて社会的再起不能になる前に、潔くRETRIP事業は閉じたらいかが?

合法化を推し進めて逃げ切る算段だとしたら、それにしても悪事を重ね、恨みを買いすぎたので、合法化するにはもう遅いと言える。


資金調達した事業の閉じ方>

声を大にしてRETRIPやめろといっても、社員もいるし資金調達もしててやめにくい、SEOに貴重な権威化したドメインを手放したくないということももわかる。

大企業DeNAがfind-travelを切るのとは違って、そのまま会社の存続に関わるのも、わかる。

でも、会社の存続より石田言行さん、田中勝基さんの社会的名誉の存続に関わる事態ではなかろうか。

ここで、資金調達した事業の閉じ方について私の知っていることを伝える。

いや、意外と簡単なのだが、意思決定して心を鬼にするだけのことである

私の狭い了見なので、この面で経験者がいたら教えてほしい。

資本調達した方面の調整

まず資本調達したDraper Nexus Venture Partnersとの関わりであるが、頭を下げて事業をやめますということで協議に入れば良い。メール一本でいい。あとは全部完了するまで、ちょっとしんどいかもしれないけど、オートメーションで全部終わる。上々の芽もバイアウト可能性も減っていると思うので、意外と損切り扱いにしてくれるのではないか

ベンチャーキャピタルからすれば、失敗する方の会社が多いし、調達した資金を溶かしたらベンチャー界隈で再起不能になるということでもない。

石田言行さんは、今は若くてマネジメントも失敗してるっぽいけど、人望ある方だとおもうので、頭下げればまた仲間集まるタイプだと思うけど。

2億円の資金調達に際し損害賠償請求がくるのであれば、応じればいい。後日はこんな感じで美談になるルートある。

22歳で借金1億円、人財の大量流出ウィルゲート)

http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20150508/280829/?rt=nocnt

どちらかというと実名が汚れて社会的再起不能になることのほうが損害が大きいと思う。

社員方面

こちらも頭を下げるのみ。一度腹を決めればオートメーションで事が終わるかと。事業ブラックなんだから雇用を維持する必要なんてない。

というかこの前、五反田食事してたら、株式会社trippiece社員と会話でわかるような2人が大声で会社批判してたけど。大丈夫

まぁ社員ランチ時に少々愚痴をいうのはわかるにしても、忠誠心などというものはかけらもない感じだったけど。

ということで、いませっせとRETRIPが進めている合法化について知ってほしく書き込みました。

NAVERまとめ方面で怒りがある人も、火が消えないように頑張ってください。

2016-12-21

しょぼんのアクションスマホアプリ化されている件について調べた

2010年ごろにニコニコ動画上で有名になったしょぼんのアクションってゲームがあるんだけど今どうなってるのか調べてみた。

そうしたらとんでもないことになっていた。

結論から言えばあからさまに怪しいデベロッパー二次配布のソースコードを使って

原作者許可無く勝手スマホゲーにしていた。

itunes.apple.com/jp/app/shobonnoakushon-orijinaru/id894330337?mt=8

サポートURL (工事中扱い)

www.gatobros.com/

play.google.com/store/apps/details?id=com.gorkaramirez.syobonactionhalloween

サポートURL (工事中扱い)

www.pipletas.com/syobon/syobon.html

デベロッパーは『Gorka Ramirez Olabarrieta』というらしい。 ドメインWhoisガード適応済みで情報漁れず。

で、サポートURLのページをよく見るとOpenSource扱いになっていた

Original Source. Ported by @jezng using Emscripten.

sourceforge.net/projects/opensyobon/

Mathew Velasquezと呼ばれる人物が作者に許可無くSourceForgeアップロードしたようだ。

sourceforge.net/u/twoscomplement/profile/

で、SourceForgeプロジェクト開設日が下記のとおりになっているが

Registered 2010-05-16

原作者サイトにはもっと過去の時点でゲームが公開されている。下記のInternet Archiveのもの

wayback.archive.org/web/20091223043445/http://www.geocities.jp/z_gundam_tanosii/home/Main.html

で、問題はここから

このSourceForgeプロジェクト、再配布人が下記のライセンスで公開している。

License GNU General Public License version 2.0 (GPLv2)

www.gnu.org/licenses/old-licenses/gpl-2.0-faq.ja.html#DoesTheGPLAllowMoney によると

はいGPLは、誰もが販売することを許可しています。複製を販売する権利自由ソフトウェア定義の一部です。

としている。

SourceForgeに公開されているプロジェクトGPLv2で公開されているので、どうやらスマホアプリとして登場したようだ。

が、まずこれ色々と問題がある

プロジェクトで配布されているソースコード内にはDXライブラリがそのまま含まれているが、規約を守っていない可能性が高い。

dxlib.o.oo7.jp/dxlicense.html より引用する。

<<DXライブラリライブラリファイルソースコードの再配布について>>

 DXライブラリライブラリファイル( 拡張子lib や a のファイル )や、プログラムソースファイル( DxGraphics.cpp や DxLib.h などのファイル )を配布する場合は一部、全部問わず

以下の著作権表記を配布物とともに提供される文書、または他の資料に含めて下さい。

DX Library Copyright (C) 2001-2016 Takumi Yamada.

クレジット表示は探した限り見つからなかった。検証ファイル:SyobonAction_v0.9_src.tar.gz

なお、作者のサイトに商用利用に関する規約が無いとはいえ、さすがに普通に連絡するべきではないだろうか?

(配布ソースコード内には改変可という言葉はあるが商用利用可とは書いていない。)

なお、実行ファイル形式で配布されている物の英語のReadMeには原作者クレジットなし。

どうやらゲームファイルソースコード転載されたようだが、少々違和感がある。

Internet Archive内にあるソースコードSourceForge内のソースコードが違う。

tiku氏のそのまま配布するなを遵守したのだろうか? (配布されているソースコードには日本語が混じっているので非常に怪しいけど)

原作者の動向も分からないし、真実は分からない。

ただ、言えることはしょぼんのアクションスマホアプリとして公開されたのはGPLv2辺りのライセンスになっていたからだということ。

ここまで書いておいてなんなんだけど飽きた。

2016-10-10

http://anond.hatelabo.jp/20161001121850 の追記

2000/04 『彼女と彼女の猫』にてDoGA主催12CGアニメ コンテストグランプリを獲得

www.doga.co.jp/ptdoga/contest/con12/html/12_11.htm

www2.odn.ne.jp/~ccs50140/colum2003.html

2000/04/23 受賞作品彼女と彼女の猫

 

2000/05~ ファルコム退社(『ほしのこえ』を制作するため)

twitter.com/shinkaimakoto/status/647800736487600128

 

2001/01-04~(?) コミックス・ウェーブによるマネジメント開始(?)

bylines.news.yahoo.co.jp/sakaiosamu/20160926-00062558/

新海誠マネジメントをぼくがやることになったんです。『ほしのこえ』を作っている最中

www2.odn.ne.jp/~ccs50140/colum2003.html

2000/12/17 「彼女と彼女の猫 MOVIES & SOUNDTRACKS」を冬コミ(筆者注:C59)で売りますDoGAで売っていただきます

2001/04/01 猫のCD-ROM、ようやく再販を始めました。マンガズーさんのご協力で前回よりちょっとだけ豪華に

販売協力がDoGAからMANGAZOOに切り替わってるので、この辺りに関係を持ったと推測。

※なおMANGAZOOC59に参加している(www.comiket.co.jp/info-a/C59/C59kigyo.html

 

2001/06 『BITTER SWEET FOOLS』ムービー制作

www2.odn.ne.jp/~ccs50140/colum2003.html

2001/06/14 現在短いムービー制作しています鉛筆スケッチ手書き+3DCGというスタイル

 

2001/08/31 『BITTER SWEET FOOLS』発売

www.minori.ph/lineup/index.html

www2.odn.ne.jp/~ccs50140/colum2003.html

ascii.jp/elem/000/000/325/325424/index-2.html

ascii.jp記事では原画相田裕を始め脚本音楽には触れているものOPについては言及なし

dnarna-mirror.sakura.ne.jp/techle/2001/07/

dnarna-mirror.sakura.ne.jp/techle/2001/08/

dnarna-mirror.sakura.ne.jp/techle/2001/09/

※『Wind』のときOP言及したニュースサイトが『BSF』のOPには触れていない

 

2002/01-02 『Wind -a breath of heart-ムービー制作

www2.odn.ne.jp/~ccs50140/colum2003.html

2002/01/28 次の仕事関係で、先日初めてプロの手によるホンモノの動画を手にしました~

2002/02/16 ちょっと仕事が詰まり気味でして、この土・日は以前の会社の後輩にお願いしてマシン持参で手伝いに来てもらいます

2002/02/20 3日間こんちきさんにアシスタントに入ってもらい、何とか仕事の目処がついてきました~/今日はSプロデューサー(筆者注:酒井伸和)がお見えになり~/今回の仕事ムービーです)の結果は3月1日からご覧いただけるようですが~

 

2002/02/02 『ほしのこえ下北沢トリウッドにて公開

www2.odn.ne.jp/~ccs50140/colum2003.html

2002/02/03 トリウッドはお陰様で毎回満員、見に来てくださった方々とも直接のお話が出来、本当にありがとうございました!一晩のうちにこれほど沢山のメールをいただいたのもの初めて

web.archive.org/web/20020609191424/www.mangazoo.com/news/news.php3?id=889

dnarna-mirror.sakura.ne.jp/techle/2002/02/

 

2002/03/01~ 『Wind -a breath of heart-』のOPが『ほしのこえ』の上映会の最終日にあわせて下北沢トリウッドで先行公開、その後web上でも公開

web.archive.org/web/20020610084350/www.dengekionline.com/g-net/g-net_news/200203/02/gn20020302wind.htm

gamez.itmedia.co.jp/games/movie/wind/index.html

www.itmedia.co.jp/games/gsnews/0203/05/news07.html

 

当時のニュースサイトの反応

dnarna-mirror.sakura.ne.jp/techle/2002/03/

200203-042357 → 公開リンクの紹介

200203-061235 → Windオープニング minoriミラー協力者へ委託

200203-070015 → Wind高画質版ミラーに5時間で5500アクセス

200203-072226 → Windデモムービーミラーによる転送量が5.5GB

200203-092338 → ねこねこソフト Windムービー見て奮起

 

※『Wind』の発売は2002/04/19

 

新海さんが筆まめかつ過去情報を残してくれるひとで良かったね!

あとInternet Archiveと俺ニュのミラーしてくれてるひともありがとう

なお当時の状況を伝える個人ニュースサイトに俺ニュを選んだのはログが残ってたから。カトゆーかsawadaspecialあたりが残ってたらそっちも載せた。

2016-06-22

追記および村中璃子氏の連載記事に関して (後編)

「利用される日本科学報道(後篇)」について

子宮頸がんワクチン薬害研究班に捏造行為が発覚 ― 利用される日本科学報道(後篇)

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/7080

さて、後篇であるサブタイトルに「捏造行為が発覚」とはなんとも穏やかではない。

後篇の内容は、池田氏発言検証マウス実験に対する批判が主である

マウス実験についての指摘内容は、これまた私の指摘と同じなので割愛する。

またそれとは別に、発表資料内で示された図とグラフ(資料ページ59: 自己抗体の沈着の写真グラフ)はチャンピオンデータによるものではないか、との疑問も呈されている。

確かに、写真は1種類でグラフエラーバーが無い点からも、疑問を抱くのは妥当であろう。

そして村中氏がその詳細について調べるため、実験担当したA氏を探し出して取材したところ驚くべき証言が得られた、というところで記事は終わっている。

あとは月刊Wedge7月号を読んでくれという、「続きは映画館で!」的な終わり方であり、少々拍子抜けだ。

その過激サブタイトルにも関わらず、後篇の記事中では「捏造行為が発覚」していない。

せいぜいチャンピオンデータ使用示唆されたくらいだが、これも疑義まりで、とても「発覚」とは言えない。

そもそも、チャンピオンデータ使用は「捏造」と異なる形態研究不正である(不正と見なされない場合すらある)。

捏造」はデータのものでっちあげる行為であるため、「チャンピオンデータ」のような都合よく選別したデータを示す行為とは明確に区別されるのだ。

このような乏しい情報でもって「捏造が発覚」というような非常に強い表現をするのは、控えめに言ってもやりすぎであろう。

月刊Wedge7月号の村中氏の記事について

子宮頸がんワクチン薬害研究班 崩れる根拠、暴かれた捏造

村中璃子, 月刊Wedge7月pp.40-44

Web記事だけでは片手落ちなので、Wedge本誌の記事についても解説していこう。ええそうです。買いました(\500)。

本文4ページ中、1.5ページは後篇の内容とほぼ同じであったが、Web版を読んでない人には序文として必要であろうから、とやかくは言うまい

この記事の目玉は、A氏への取材で得た実験内容の詳細および池田氏捏造行為についてである

A氏の証言をまとめると

(1) マウス実験はごく初期段階の試験的なもので、使ったマウスも3~5匹程度であった

(2) HPVワクチン以外の血清で緑色蛍光を呈した写真存在したが、発表資料には採用されなかった

(3) 資料中のグラフ写真は1匹のマウス(N=1)からチャンピオンデータであった

(4) 自己抗体が沈着した写真ワクチン接種個体の血清を正常マウスの脳切片に添加して蛍光染色し、撮影したものであった

(5) 自己抗体ワクチン接種個体の脳に沈着していた証拠はない

(6) 血清をとったマウスに接種したワクチンの量は50ul (濃度は不明だがヒト換算で通常接種の100倍以上らしい)

これらの証言を読んでわかるように、A氏の証言全面的に受け入れたとしても、研究不正に該当しそうな行為チャンピオンデータを用いた点だけであり、「捏造行為」の存在は見出せない。

村中氏は、証言(2)に対して「重大な捏造である」と断じていたが、チャンピオンデータのみを示す行為が「捏造」でないことは前述の通りである

また、証言(4)と(5)に対しては、ワクチン接種個体の脳に自己抗体が沈着していたかのようにミスリードしていたという点が批判されていたが、これもまた「捏造」ではない。

まりWeb版とWedge本誌の記事を通して、池田氏らが「捏造行為」をしたという根拠は一切示されていないことになる。

さらに、記事の最終ページでは池田氏学長選挙エピソードやその上昇志向といった人格面の描写が過半を占め、最後の結びは以下のような文章であった。

それぞれの立場動機から捏造に手を染める研究者たち――これが国費を投じた薬害研究班の実態だ。

子宮頸がん罹患リスクを負ったワクチン未接種の少女たちとワクチン人生を奪われたと苦しむ少女たちの未来は、こんな大人たちの手に委ねられている。

(月刊Wedge7月号 p.44)

これらの批判、ともすれば中傷は、池田氏らの名誉を著しく傷つけるものであり看過し難い。

捏造というのは、科学者に対する批判としては極めてインパクトの大きい言葉であり、軽々に投げかけて良いものではないのだ。

私は元増田池田氏らの発表および発言内容を「言い過ぎ」と評したが、村中氏の方が「言い過ぎ」度合いでははるかに上である

過激煽情的表現は、耳目を集める上では有利かもしれないが、それは科学的な議論批判をするうえではノイズしかならない。

村中氏の取材批判の内容そのものは概ね適切であり、あえて過激な言い方をせずとも十分に説得力訴求力があるはずだ。

是非、客観的で誠実な議論に戻っていただきたい。

A氏は実在するのか?

Wedge本誌の記事で中核となっているのは明らかにA氏であった。

彼(または彼女)の実在性についてここで論じてみたいと思う。

村中氏の記事によれば、A氏は以下のような来歴を持つ人物のようだ。

実際に手を動かしたのは、信州大学産科婦人科教室の誰なのか。

筆者は周辺取材を重ね、それがこの4月信州大の准教授から関東圏の新設大学教授職に転出したA氏であることを突き止めた。

であれば、信州大学産科婦人科教室メンバーからA氏の正体がわかるかもしれない。

以下は信州大学産科婦人科教室メンバーリストである

上は現在(2016年6月)公開されているリスト、下がInternet Archiveというサイト(WEB魚拓の凄い版と思ってくれれば良い)に保存されていた2015年10月メンバーリストである

信州大学 産婦人科教室スタッフ紹介(2016年6月現在

http://www.shinshu-u.ac.jp/faculty/medicine/chair/i-sanfu/about/post_9.html

信州大学 産婦人科教室スタッフ紹介(2015年10月現在

http://web.archive.org/web/20151209020718/http://www.shinshu-u.ac.jp/faculty/medicine/chair/i-sanfu/about/post_9.html

これらをみると、2015年10月時点で産婦人科教室所属している准教授存在しない。

そのため、A氏が産婦人科教室に配属されたのは少なくとも2015年10月以降であると考えられる。

しかし、村中氏によるとA氏は2016年4月転出しているとのことだが、配属からわずか6カ月ほどで転出というのは少し速すぎるように思う。医学系ならそうでもないのだろうか?

さらに、2015年10月より後に教室に配属されたとして、そこから翌年3月の発表までにマウス実験を終わらせるのは少々厳しいのではなかろうか。

もちろん、取材源の秘匿等の理由記事中には偽の来歴を記していた可能性もあるし、村中氏がこんな嘘をつくメリットも思い浮かばない。

結局、A氏の実在性は不明瞭なまま残ってしまった。

個人的には実在しているように思うが、非実在でも驚かないといった程度に私は認識している。

村中氏の連載についての総評

氏の連載を通して読んでの批評を述べるとすれば、「客観的事実に基づく批判はまっとうであるが、それ以外の部分が煽情的に過ぎる。対立する話者の悪魔化をおこなうべきではない」といったところか。

HLA型にまつわる遺伝子頻度と保有率の取り違え、マウス実験がヒトには適用できない点、チャンピオンデータだけを提示する行為などに対する批判などは妥当ものであった。

しかし、池田氏らの行為について悪意的にとらえ過ぎているきらいがあり、人格面での批判も目につく。

また、池田氏らがマスコミを利用して何かを企んでいる、というような論調が全篇にわたって存在している(タイトルからして「利用される日本科学報道である)。

その帰結としてなのか、「捏造」という科学者にとって極めて強力な(したがって非常に強い証拠必要な)批判を無根拠に突きつけるといった行為にまで及んでいる。

(恐らくこれは村中氏が認識していた「捏造」の定義が間違っていたことに起因するが、それにしても杜撰である)

氏の精力的な取材情報発信は、HPVワクチンに関して薬害説に傾きがちなマスコミ報道において、貴重なカウンターパートとなっている。

なればこそ、冷静で客観的表現を心掛けることで、より良き論評ができるのではないだろうか。

願わくは、煽情的表現は避け、客観的かつ冷静な筆調でもって語っていただきたいところである

最後

なぜか池田氏らを擁護するような内容になってしまったが、私はそもそも彼らの見解について批判である

元増田もそういう意図で書いたし、HPVワクチン積極的な接種勧奨の再開を望んでいる。

しかしながら、元増田でも述べたとおり、評価すべきところはその立ち位置に関わらず評価すべきであるとも考えている。

村中璃子氏に対しては極めて批判的に論じてしまったが、総評でも書いたとおり、氏の活動は褒むべきものである

HPVワクチン問題について多くのマスコミセンセーショナル薬害説に傾いた立場を取ることが多く、そういった状況で村中氏のような立場から論じてくれるジャーナリスト存在重要だ。

村中氏については、その立場応援させていただくとともに、穏当な表現でもって議論してくださることを願ってやまない。

以上、もし間違いや事実誤認等の不備があれば指摘していただけるとありがたい。

2016-01-15

2015-12-24

2015-12-08

おおMukkeよ、こもってしまうとはさみしい

b.hatena.ne.jp/Mukke/

d.hatena.ne.jp/Mukke/

はてなアイドルid:Mukkeさんがおこもりになられてから早数日。

どうしてMukkeさんはこもられてしまわれたのかを推理力: 毛利小五郎の私が本気で推理

事件の経緯

2015年12月6日? Mukkeさんおこもり事変(はてなダイアリーブックマークプライベートモードに)

2015年12月6日 増田が騒ぐ http://anond.hatelabo.jp/20151206091619

2015年12月7日 裸踊りの期待が高まる http://abyss.hatenablog.jp/entry/2015/12/06/211042

仮説1 

親バレ身内バレ説

問題点 

実妹にはもうバレているとかおっしゃっていた気がするのですが、このあたりどうでした?

仮説2 

id:houyhnhm「Mukkeの性癖」 http://abyss.hatenablog.jp/entry/2015/08/04/150151

問題点 

この話題からおこもりまでの4ヵ月近いブランクが謎

仮説3 

id:bogus-simotukare「Mukkeはわしらが潰した」 http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20151204#c

問題点 

言っているのがこの二人という点でお察しください(終了)

この二人が言及している謎のたれ込み?(嘘くさいのでリンク自粛からおこもりまで1年近く経過していることが謎

仮説4 

はてなハイクの謎の書き込み http://h.hatena.ne.jp/Mukke/

ハイクはまだ生きているのでここ数日の書き込みを見てみると気になる内容が

Mukke

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返信先露井有悟 「非表示」ではなく「コメント返しをしない」の方が良いだろうか。この辺はおいおい考えていく予定。

by 露井有悟 2015/11/29 18:45:06 from web 返信 展開

Mukke

はてなダイアリー Add Starkanosep_shirokumayasugoro_2012hoozuki37

返信先露井有悟 もちろん今まで通り,

はてなID保持者(継続してるユーザ

・自前のサイトブログを持ってる人

・一貫したハンドルで色んなところに書き込んでる人

typo事実誤認淡々と指摘するだけのコメント

基本的に表示します。流石に最近書き込みが串通した捨てハンの長文書き込みばっかりだったのはこたえるわ……

by 露井有悟 2015/11/28 19:20:32 from web 返信 展開

Mukke

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返信先露井有悟 とりま黒木ルール準拠」って書いといた。次からはこれに沿わない匿名コメント非表示します。

by 露井有悟 2015/11/28 19:17:02 from web 返信 Mukke Mukke 展開

Mukke

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返信先九六 早くそれを薄い本にする作業に戻るんだ!

by 露井有悟 2015/11/28 19:16:51 from web 返信 展開

Mukke

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串通した捨てハンでのコメントはもう(typo指摘とかを除いて)全削除でいいかもしれない……

by 露井有悟 2015/11/28 16:00:01 from web 返信 Mukke

ここにあるように串刺し長文の書き込み辟易して黒木ルール導入をブログに明記したと書いていたのがおこもりの数日前

そしておこもりまでのブランクが一番短い

はてダ書き込みがおこもりの原因なのか?

問題点

はてダが閉鎖されているため、どの書き込みが発端か確認できない

GoogleキャッシュInternet Archive両方におこもり直前の記録はないので、いったいどういうやり取りがあったのか確認不可能

Mukkeさんは「黒木ルールに従わないコメントは表示しない」と宣言しているので、ブログに表示されていない書き込みもあるかもしれない

そもそも、はてダと一緒にはてブまで非表示した理由がよく分からない

この中ですと仮説4が一番正解に近いように思うのですがどんなものでしょうか。

薄い本で忙しい」だけかもしれませんが。

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