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はてなキーワード: パソコン雑誌とは

2019-03-28

ブックマークなんて使わなくなったな

90年代パソコン雑誌で「あなたブックマーク見せてください」と有名人ブックマークを見せてもらう企画があった。

だれだか忘れたけど、その中に、毎回検索するからブックマークは使ってないという人がいた。

当時は、それはないわと思ったけど、ネット環境がよくなっていつのまにか俺も使わなくなってたな。

昔は、ブックマークどころか、自分だけの便利リンク集まで作ってたのに。

2019-01-19

anond:20190119115145

そんな20年前のパソコン雑誌に載ってるようなこと言われても

2018-12-06

パソコン雑誌って絶滅してない?

定期購読しかできない日経パソコン以外は?

週アスがあるけど、Webオンリーだし、PC雑誌というようりガジェット雑誌だし。

と、思ってググったらMr.PC日経PC21というのが生き残ってた。

2018-06-01

インメモリが不揮発性に

https://www.publickey1.jp/blog/18/dramddr4intel_optane_dc_persistent_memory2019.html

90年代のはじめごろ、パソコン雑誌ライターがHHDメーカーの偉い人に「このままメモリ低価格が進んだら、ビット当たりの価格メモリのほうが安くなる」と言ったら「その時はHDD価格ももっと安くなる」と言われて「危機感がなさすぎる」と書いていた。

SSDストレージシリコン化して、メインメモリも不揮発性になりそうな勢いだけど、2018年現在、メインメモリはまだそこまで安くはなってないな。

2018-02-18

『「IT黎明期あるあるランキング』と言うけれどIT黎明期っていつだ

今では考えられない「IT黎明期あるあるランキング https://ranking.goo.ne.jp/column/4939/ranking/50996/ ここを見ての疑問

個人的には森元総理ITとか言い始めた2000年IT黎明期イメージだろうか

元のアンケート事象うろ覚え年代を書いてみる。人によって黎明期イメージする年代バラけてそう。

1993-94 → 1位 「フロッピーディスクの数が膨大」! 80票

1994-99 → 2位 画像の読み込みがおそすぎてイライラする 78票

1992-1998 → 3位 パソコン雑誌付録CD-ROM 71票

1993(東芝もっと前)-2000 → 4位 フロッピーの容量は2HDで1.44MB 67票

1988-2000 → 5位 マウスのそこをあけてボールを取り出して掃除 66票

1999 → 6位 ADSLが出てきた当初は革命だと思った 62票

1987-1996 → 7位 プー ピポパポパピ ピポピポピー ピービーヒョロロロピーブピプーピーガーーーー 60票

1995-2003 → 8位 Officeソフトを開くと画面右下にでてくるイルカがウザい 46票

1993-1998 → 9位 スクリーンセーバーは謎のパイプ迷路 42票

1987-2002 → 9位 無線接続が無いので部屋に長いモジュラーケーブルを這わせていた 42票

1993-2005 → 11工事中のページが多い 41票

1994-1998 → 12インターネット中は電話ができないため家族に嫌がられる 40票

? → 13位 バナー直リンク禁止 37票

? → 14位 キリ番を踏んだら管理人に報告する 36票

1995-1999 → 14位 テレホーダイの加入は必須 36票

1997-2003 → 14位 ホームページにはダサいアクセスカウンターを設置 36票

? → 14位 パスワード付きページがやたらと多い 36票

1995-1999 → 18位 テレホタイムパソコンにはりつく 34票

ここ10年くらい? → 19位 右クリックすると「右クリック禁止です!」とアラートが出てイラッとする 33

1998-2007 → 20位 今よりもパソコンの熱放出が激しかったので夏場の作業がしんどかった 32票

2017-10-18

anond:20171018134726

小田嶋氏はねぇ…

そうなんだよ。パソコン雑誌パソコン関連で突っ込んだ話が出来ないから(ちょっとパソコンが出来る人レベル)、脇道の話ばかりして、そこそこ人気が出た人だから、ずっとそういう脇道人生なんだよ。

でも、正面切って反自民なんていう人じゃなかったし(勿論、親でもあり得ないけど)、マスコミで主流のそういう主張を正面からではなく、脇道から突っつくような事を書くのがメインだったけど。いつごろからか、完全にこちらに舵切ってしまって、なんか別の人みたいになってしまった。主流に乗った方が仕事になったからだと思うけど。

大した事書かないし、本質的にはしょうも無いけど面白い事を自覚的に書いていた人が、しょうもない内容を大真面目に書くようになったという印象。あと似顔絵駄洒落ね。

本来持っている物は全然フェミニスティックでもリベラルでも無いと思う。

あと、町山さんね。

サブカル蛇おじさんとして変に悪名が轟いちゃったけど、田中さんが言っていた「持っている物は体育会系のノリで本来めちゃめちゃマッチョな人」っていう町山さん評は正しいと思う。

2016-02-02

初等教育プログラミング意味があるのか?

あれは小学校に入る1年前のこと。

「たのしABC

という教材を母が持ってきた。

新聞広告あたりで買ったのだろうか。

会話編と単語編があって、母は会話編を熱心に覚えさせようとしたが、僕は単語しか興味を示さなかった。

しかも、読み方に興味を示さなかった。

文字列の並びに意味があること、つまりD,O,Gいう文字列が犬を表すこと、それには少し興味がもてた。

記号として、24文字があることには興味がもてて、大文字限定だが、アルファベットの読み方はマスターした。

そんなころ、MSXというゲーム機を親戚にもらった。

当時としては時代遅れの機種だったと思う。

ファミコンよりもっとレベルゲームROMも二本もらった。

紫色の表紙のMSXBASICの教本がついてきて、なぜかその本を読みはじめた。

あの頃のBASICはなぜか大文字で書くのがお作法だった。

さっき説明したように大文字だけは読めたので、小1か小2だったと思うが、読み進めることが出来た。

画面に線を引くとか、点を打つとか、文字を表示させるとか、その程度しか出来なかったが、ゲームをしてるようだった。

母親ゲームをしてると思ったのだと思う。

自分でも読めたが、読み聞かせをせがむ甘えん坊だったので、たまに母に読んでもらうと、母は自分がいつも

「アイエヌピーユーティー」と呼ぶ「INPUT」という文字列

インプット」と呼び、その度に「インプットってなに?アイエヌピーユーティーのこと?」

と間違いを訂正させた。

母親は僕がなんでこんな本を読み聞かせをせがむのか理解できなかったそうだ。

小2くらいだと、IF関数ループ理解できなくて、母に何度も質問した。

母もわからなくて困ったそうな。

私は座って聞くタイプではなく、自分は他の遊びをしながら母に朗読させるという非常に図々しい読み聞かせ要求する子供だった。

ただでさえ小2には難しく、自分で読むときギリギリ理解できても、他の遊びをしながらだと、時々理解がぶっ飛んだ。

その瞬間によく転んだ。

よく母も付き合ってくれたものだ。

小3くらいだったか、巻末の50行くらいのブロックくずしのプログラム入力した。

毎日コツコツと打ち込んで、データレコーダーに保存すること数日。

実行してはエラー

画面のプログラムと本を舐めるように見比べて、間違いを探しの繰り返し。

始めて動いた時は感動した。

時機の移動、当たり判定、読み解くのは楽しかったな。

母や父に自慢したが、反応はイマイチだった。

プログラム経験はそれっきり途絶えた。

小3だったら読み解くくらいは出来るようになったが、それが精一杯で、自分で作ったりは出来のが大きいかな。

同じプログラムを書いてはパラメーターを変えてみることの繰り返しをしたが、すぐ飽きた。

その頃、パソコンというものロータス123があるといろいろ便利という噂を聞いて、パソコン雑誌1冊が我が家にきた。

あの頃のパソコン雑誌というものは、投稿プログラムのコーナーが紙面の1/3を占めていて、ロータス123とそれを使える機種以外興味がなかった両親はほとんど開かなかった。

我が家に新しくやってきたPC8801だか9801に僕が一本指タイプ写経する教材となり一か月に1つくらい写経した。

両親はロータス123を使いこなすことができず、(というよりMSDOSでつまづいたと言ってた気がする)

何十万もする高価な箱を自分占有する形になったが、ゲームが買い与えられたわけでもなく、BASICだけだったらMSXでこと足りたので、楽しいマシンという記憶はない。

そんなこんなののち、1年くらいでBASICの熱は冷めた。

パソコン自分から触れる機会はその後の人生ほとんどなかった。

理由スーパーファミコンが買い与えられたからだ。

自分写経したゲームより、ずっと楽しかった。

卒論や、就職してから業務WordパワポExcelの簡単な使い方を覚えたが、

それから20年と少々経って今に至る。

ひょんなことでExcelでIF関数に再開し、懐かしさからいろいろとExcel関数を使い倒してみた。

ついでにと、本屋Excelマクロ作例集というものを買ってきて、家で読んでる。

家にパソコンがあれば昔のように写経するのだが、コード解説を読んで脳内で動きを想像して楽しむことしか出来ない。

この程度なら自分でもすぐ書けそうという反面、仕事に役立てそうなことはあまりない。

あの頃多用したバブルソートを使ってみることはできたが、Excelの標準機能で並び替えを使ったほうが早いわけで。

初等教育プログラミング意味があるのだろうか?

僕の場合、数十年後にExcelマクロをすんなり読めるようになれた、ただそれだけだった。

2015-02-11

http://anond.hatelabo.jp/20150211020227

 せっかくなので、通信メディアの個人史を書いてみたい。自分ブログでやっても良いのだが、わざわざ誘導するのも申し訳ないので増田で書くことにする。あと、前半部分は「通信メディア」の話ではない。

大学入学まで

 ぼくが初めてパソコンに触れたのは小学校4年生のころだった。当時、既に型落ちだったNECPC-6001を買ってもらったのだ。当時はまだ「パソコン」か「マイコン」かで名称統一されていなかった時代でもある。記録媒体カセットテープゲームをするためにはまず、何十分もかけてロードをしなくてはならない。あとちょっとロード完了というところでエラーが出たりすると泣きそうになった。

 市販のゲームは高価だったので、ぼくは当時の多くのパソコン少年と同じく、雑誌の載っていたプログラムをよく入力していた。姉の使っていた譜面台にパソコン雑誌を乗せ、そこに掲載されたプログラムを延々と入力していく。もちろんミスが多発する。エラーが出ると雑誌とにらめっこをしながら、どこが間違えているのかを必死で探す。デバッグがすべて完了するころにはゲーム自体に飽きているということもよくあった。

 当時はまだ、パソコンメーカーがそれぞれの独自の規格でPCを開発していた時代だった。しかも、同じメーカーパソコンであっても機種が違えば互換性がないことが多かった。だからNECパソコンソフトシャープパソコンで動かないのは言うまでもなく、PC-6001PC-8001よりも新機種であったにもかかわらず、後者プログラムは前者では動かない。パソコン雑誌で他の機種用の面白そうなゲームプログラムを見ては悔しい思いをよくしていた。移植をする技術はぼくにはなかった。

 その後、中学校に上がると、ぼくのパソコンPC-8801mkII FRになった。名機と言われたPC-8801mkII SRの後継機だ。記録媒体は5インチフロッピーディスクになり、一瞬でセーブロードができるようになった。ただし、中学生にとってフロッピーディスクは高価な代物で、500円で10枚入りという安売りのものを愛用していた。ちなみに、安いディスクだとドライブに入ただけでシャカシャカシャカシャカ…という音がする。仲間のあいだでは「シャカシャカディスク」と呼ばれていた。

 せっかくの新マシンではあったが、やはり用途ゲームだった。雑誌掲載されるプログラムも徐々に高度になり、マシン語を使ったものも多かった。01 C3 AA 90…みたいな文字列を果てしなく入力していく作業はかなりの苦行で、エラーが起きると手に負えなくなることも多く、挫折ばかりしていた。

 なお、当時はすでにパソコン通信が始まっており、PC-VANアスキーネットなどの大手もすでにサービスを開始していた。当初は音響プラという装置を使っていたのではないかと思うが、詳しくはわからない。ぼくにとってパソコン通信は遠い世界の話で、雑誌でたまに見る程度のものだった。

 中学3年生になり、高校受験を控えたぼくは、何を思ったかパソコン受験勉強をしようと思いついた。受験RPGなるものをN88-BASICで作ろうとしたのだ。街を歩いているとモンスターに遭遇する。そのモンスターが出してくる問題に正解すれば、プレイヤー経験値を稼げる。最終目標は名門ナダール高校への合格という、ゲーム勉強の両立を目指したものだった。結果はまあ、書く必要もないだろう。世の中にそんな都合のいい話はないのである

 高校入学すると、ぼくの関心はパソコンから遠ざかっていった。部活が忙しくなったほか、当時のバンドブームにのってギターなどを始めてしまたからだ。無論、このあたりはぼくの黒歴史になっている。

 ちなみに、ぼくとほぼ同年代英国ライタースティーブン・プールには『トリガーハッピー』(2001年)というテレビゲーム歴史を扱った著作がある。この本を読んでいると、高校時代ゲームから離れてバンドをやるところまでまったく同じだった。ここには国境を越えた何かがもしかするとあったのかもしれない。

 しかし、大学受験を前にして、ぼくは再びパソコンに向かい始める。3年前に挫折した一大プロジェクトである受験RPG製作にふたたび乗り出したのだ。アホだ。予備校の夏期講習を受けながら、頭のなかで構想がどんどん膨らんでいった。

 技術は全く進歩していなかったが、根気だけはついていた。ゲーム目標大学合格に切り替え、パソコンメモリの少なさに苦労しながら様々なアイテムイベントまで用意した。しかし、言うまでもなく受験には全く何の役にも立たなかった。大学受験が始まる数日前、ほんの気晴らしのつもりで始めたドラクエ3受験日程がすべて終了するまでにクリアしてしまったのが悪かったのか、1年目のぼくは受験に失敗し、浪人生活に突入したのである

大学入学以後

 1年間の辛い浪人生活を経て、ぼくは東京私立大学になんとか滑りこむことに成功した。入学式当日、知り合いの誰もいないキャンパスを一人で歩いていると、同じく新入生とおぼしき一団が歩いていた。彼らの一人が「あいつのポケベルの番号、いくつだっけ?」と言うのを耳にしてぼくは衝撃を受ける。東京学生ポケベルを持っている!ぼくにとってポケベルというのはサラリーマンのためのツールであって、普通学生が持つようなものではないと思い込んでいたからだ。

 入学式の時点でグループができているということは、彼らはおそらく付属校か東京進学校出身者のグループだったのではないかと想像する。この時点ですでに情報メディアの利用をめぐってかなりの格差が生まれていたのかもしれない。

 いずれにせよ、その後のぼくの生活にやはりポケベルは無縁だった。女子高生あいだでポケベル流行っているというのも別世界話題だった。女子高生の妹がいる友人によると、メッセージが来るとすぐに返信しないと仲間はずれにされかねないということだったので、それはそれで大変そうだと思ったのを記憶している。

 その一方で、大学入学してから、ぼくは固定電話と大変に仲が良くなった。一人暮らしを始めたこともあって、友人とよく長電話をするようになったからだ。コードレスではなかったので、硬い床に寝転がりながら何時間も話をした。「いやー、今日はよく話したよね。ところで、いったい何を話していたんだろうね」などと会話を振り返り始めることで会話がまた長くなるという、まったく生産性のないことをよくしていた。ただ、こうした長電話はぼくに限った話ではなく、わりと一般的に行われていたのではないかと思う。一人暮らしの寂しさを紛らわせるうえで固定電話重要ツールだったのではなかろうか。

 あるとき風呂にお湯を張っていると、たまたま当時好きだった女の子から電話がかかってきたことがあった。話しているうちに浴槽が一杯になった。コードレスではないので電話をしたままではお湯を止めにいくことができない。だが「お湯を止めてくる」と言えば、電話を切られてしまうかもしれない。そのため、浴槽からお湯が溢れるのをただ眺めながら会話を懸命に続けていたことを思い出す。

 ぼくが「インターネット」という言葉を初めて聞いたのは国際政治の授業だった。大学2年生のころだったか1994年のはずだ。日本でもインターネット商業利用は1992年にすでに始まっていたが、パソコンに関心を失っていたぼくには全く無縁の話だった。大学パソコン室でタッチタイピングは修得したものの、授業で履修したC言語はあっさり挫折した。数学が果てしなく苦手だったぼくは、理解できない数式をパソコンに解かせるという作業について行けなかったのだ。

 大学2年生の終わりごろ、ゼミ選考があった。メディア系のゼミを志望したせいか、志望者には新しいもの好きが多かった。面接の待機場所では多くの志望者が携帯電話を持ち、お互いの番号を交換していた。衝撃的な光景だった。彼らは無意味に相手を電話にかける遊びなどをしていたので、単に見せびらかしたかっただけかもしれない。

 しかし、ぼくが携帯電話、というよりPHSを購入したのは大学4年生も終わりに差し掛かったころだった。1996年から1997年にかけて携帯電話PHSの普及率は25%から46%に跳ねがっているが、こうした指標では若者が先行しがちなことを考えると平均的か、やや遅いぐらいではなかったかと思う。

 当時は街のいたるところでPHSの安売りをしていた。今川焼を売っている店でさえ扱っていたぐらいだ。PHSを1年ほど使い、その後はドコモ携帯電話に切り替えた。通話が途切れやすいという難点はあったものの、PHSのほうが音質は良かったのではないかと思う。

 他方で、大学3年生になると、ぼくは再びパソコンに関心を持つようになった。1995年ウィンドウズ95が発売された年である。「インターネット」という言葉が急激に人口膾炙していった。大学パソコン室で友人に電子メールを送るようにもなった。当時はメールが来るだけで嬉しかったものだ。ブラウザはまだモザイクを使っていた人が多かったのではないかと思う。しかし、当時のぼくはまだブラウザという概念理解していなかった。周囲のひとが「モザイク」という言葉を口にするたび、それはエッチな何かなのかとあらぬ妄想に浸っていたのだった。

 ともあれ、エプソン製のノートパソコンを購入し、自宅からインターネット接続するようにもなった。大学の授業でホームページを作ったという友人に刺激を受け、自分でも卒業の直前ぐらいに朝日ネットホームページを立ち上げた。いまでもそのアドレスにはぼくのホームページが置いてあるので、もうかれこれ20年近くになる。先日、インターネット・アーカイブ自分のページを探してみたところ、16年ぐらい前まで遡ることができた。若気の至りというのは本当に恐ろしいものである

 もっとも、ぼくの目線からすると、当時のインターネットはそれほど面白いものではなかった。今ほどに情報が充実していたわけでもなく、それを探すためのスキルもなかった。ぼくにとってインターネットよりも面白かったのがパソコン通信だった。当時、すでにパソコン通信時代は終わりつつあったはずだが、それでも見知らぬ人たちとやりとりをするのが面白くて仕方がなかった。もちろん喧嘩も多く、罵り合いをなんとか仲裁したいと思いつつ、結局はうまくいかないということばかりだった。

 ぼくが参加していたのは朝日ネットフォーラムだが、恐ろしいことにいまでもログインすれば当時のログを見ることができる。「ネットからはとうに消え去ってしまったはずの今なき父親の情報が、パソコン通信ログに残っていることを主人公発見する」というフィクションを考えていたのだが、興味のあるひとは使ってみてください。

 その後、パソコン通信は急速に退潮し、インターネット時代が本格的にやってきた。ネット上で怪しい情報が飛び交うサイトがあるということを最初に教えてくれたのは知人だった。言うまでもなく「2ちゃんねるである。それ以前にも「あやしいわーるど」や「あめぞう」といった掲示板はあったはずだが、それらはぼくの全く知らない領域の話だった。

 …と、ここまで書いて力尽きた。ここから先は特筆すべきこともあまりないので、唐突ではあるが、このあたりで終わろうと思う。ずいぶんと長くなったが、最後まで読んでくれたひとは果たしているのだろうか…。

2015-01-06

http://anond.hatelabo.jp/20150105230536

ちょっと前に2ch冗談半分にゲイツ性格の悪さをネタにしてたら「あんな慈善事業とかしてる人が性格が悪いわけ無いだろ。ソースだせ!」みたいな絡み方された。

いやいや90年代ごろはパソコン雑誌とかでゲイツ性格の悪さがネタにされてたからって言ったら終わったんで納得してもらえたみたいだけど、ゲイツイメージ戦略ってすごい効果を上げてるみたいだな。

ジョブスの映画話題になったころ、だれかが歴史に名を残すはジョブズでなくてゲイツのほうだって言ってたけど、まじに50年後にはエジソンみたいな扱いになってそうだな。

2014-09-20

マイコンペンタブレット

任天堂岩田社長高校生の頃、アルバイトをして買ったヒューレット・パッカード社の電卓プログラミングを学び、制作したゲームヒューレット・パッカード本社を驚かせた、そうです。有名なコンピュータ技術者が「マイコンからプログラミングを始めた」と語るのを、ごく普通に見かけます。興味を持ちはじめた子供は、すごい勢いで知識を吸収し、技術を身につけていくのだろうと思います

自分の子時代を思い出してみます。当時マイコンプログラミングに興味はありましたが、そういうハードウェアはとても高価でしたし、(自分で言うのもなんですが)聞き分けのいい子供だったので、親にねだることをしませんでした。買い与えられたファミコンをやり、部活勉強をして終わり、という中学生でした。X68000を持っている友達の家に遊びに行ったり、そこでパソコン雑誌を読んだりしましたが、深入りはしませんでした。

で、今、ソフトウェアではない技術者をやっています本業仕事を進めるために簡単なプログラミングします。本業ではないからしょうがコードを書いているととても楽しく、自分にはソフトウェアの才能があるように錯覚します。そして妄想します。もし、あの子時代マイコンを手に入れていたならば、いったいどういう進路を選んでいたのだろう?

中学生になる娘がいます親ばかですが、娘は漫画っぽい絵を上手に書きます最近ペンタブレットが欲しい」と言い始めました。

私には絵の才能がありません。でも、絵を描ける人たちがインターネットで楽しく交流をしているのを見ると、娘がもっと本気で絵を描きたいと願うならば、液タブでも躊躇せずに買ってあげたい、と考えます。同時に、今の自分は「マイコンを与えられなかった子供」の延長上にあることを思うと、漫画絵なんて描かずに部活勉強を頑張れよ、とも言いたくなります

とりあえずペンタブは保留にしておいて、娘の第二希望コピックとやらでお茶を濁しておこうかなあ。

2014-08-11

dマガジンを利用してコンビニ店長を思い出した話

7日間無料で試せるというので、dマガジンを利用してみた。

サービスのものは良質だと思う。

月額400円で、雑誌をあまり読まないような人でもタイトルくらいは知っているメジャー誌が読み放題。コンビニ中吊り広告でチラ見するような雑誌が揃っている。

圧縮技術が上等なのか、電電公社よろしく鯖にちゃんとカネをかけているのか、コンテンツダウンロードスムーズだ。

私は普段雑誌を読まない。なぜ読まなくなったかは忘れた。それくらい読んでいない。

どれを読むべきか分からなかったので、とりあえず『IT』にカテゴライズされている雑誌週アス日経PC21Get Navi)を読んでみた。

   私「……なんですの、これ?」

ググれば分かることが誌面に踊っている。これでカネを取るのか?

ふと、インターネット草創期の雑誌業界が脳裏をよぎった。

ネットが普及し始めた頃、真っ先に廃刊をキメたのは皮肉なことにパソコン雑誌だった。

ITリテラシーのある人間から雑誌を読まなくなった。

広く浅い情報を扱う雑誌は、おそらく最も情報化の割りを食った媒体だろう。浅い知識ならネットで手に入る。

雑誌業界も自らの弱点ことは重々承知のようだった。専門性の高いムックを出したり、女性誌が豪華な付録をつけ始めた時期は、ちょうどインターネット成熟期と重なる。

よく考えてみると、dマガジン価格設定はとても興味深い。

月額400円というと、月に1~2冊雑誌を読めば元が取れる額だ。たぶんこのくらいの頻度で雑誌を買う層がターゲットなのだ

もっと雑誌にカネを落とすユーザーに訴求できればそれに越したことはない。

日経のように強気価格設定で電子版を配信すれば良いのだ。毎月2,000円分の雑誌を買っているユーザーなら、月額1,000円でも電子版を買ってくれるだろう。

そうしないのはできないからだ。もう、雑誌を月に何冊も買う人間ほとんどいないのだろう。

ハナから雑誌を読まない人間は月額400円だろうと40円だろうとカネは落とさない。ググる

消去法で残ったのが『ネットを使いこなせず、毎月400円強は雑誌にカネを落とすユーザーなのだ

かつて、はてな村にいたコンビニ店長は『エロ本を買うのはオッサンばかりだった』と書いていた。

きっと、dマガジンに毎月400円払うのもこうしたオッサン、あるいはこうしたオッサン程度のリテラシーしか持っていない人間だ。

ちなみに店長はある時期からエロ本を店に置くのを辞めた。理由は売れないからだ。dマガジンの行く末は険しい。

2013-03-18

ロリコン性癖を自覚するおっさんネットとかにまつわるよもやま話

その昔は児童ポルノ禁止法というもの存在しておらず、代わりに「陰毛禁止」という妙なルール出版界にあった。

タレント宮沢りえが、かつて写真集サンタフェ”でフライング気味にヘアヌードを公表・発売したのは、今からすればヘア(実質的に)が解禁・入れ替わるように少女ヌード写真集発禁になっていく転換点だったように思う。

ちなみにこの“サンタフェ”だが、撮影した時点(not出版)では彼女17歳だったとも言われており、ヘアヌード児童ポルノという、いろいろな意味で今の世の中には「存在してはいけない存在」になってしまった感がある。

序盤から脱線したが、自分も見せてもらったこの“サンタフェ”では、さすがにヌけなかった。アート表現したほうがいいような、さわやかな印象の出来の写真集だった。



さて自分場合は、エロといえばまずは二次元から入っていったタイプだ。

たとえば「地獄先生ぬ~べ~」は、少年誌連載にしてはけっこうきわどい(エロ的に)描写の多い漫画として知られるが、それよりも前に毎号どうどうとヌードシーンが載っていた漫画といえば、「おじゃまユーレイくん」を思い出す。

ただしこれらは、どちらかといえば「ボインちゃん」がメインな作品である。というか、ぬ~べ~の舞台ってたしか小学校」。。。


自分にとっての決定打は、内山亜紀氏の作品を立ち読みしたことに尽きる。

思えばその時期を前後する形でオリジナルアニメブームが湧き、一方ではごく一部を中心として当時にカルト的人気を集めた「魔法プリンセスミンキーモモ」あたりを題材にしたエロパロ同人誌が、徐々に一般にも販路を延ばしてきていた時点の話である

ややマニアック漫画雑誌・あるいはパソコンゲーム雑誌では、さすがに直接的な性的描写こそ無いものの、少女ヌードモチーフにしたイラストなどが読者欄などで散見された気はする(この点、事実と相違があったらお詫びしたい)。

というかそもそも、当時のエニックスから出ていたパソコンゲーム作品に、そのものズバリの「ロリータシンドローム」というタイトルがあってだな。。。



時代さら下り、会員制のBBS・いわゆるパソコン通信というものが普及してきたあたりで、PC-9801仕様に合わせた4096中16色で表現されたイラストが多数作成アップロードされていた。その中でダウンロード数が多いのは、「エロ」を感じさせる作品に集中していた。(注・当時はすでに、エロゲ=9801の図式ができてきていた)

中には、(当時は)一部の機種でしか見られない多色JPEGデータアップロードするような猛者がいたが、電話回線を使った28800bpsの速度でやり取りするにはデータ量がちょっと多過ぎたせいかダウンロード数はそれほどでも無かったような記憶がある。


そんな中で衝撃的に出会ったのが、写真家力武靖氏の撮影による少女ヌード写真集である。今から思えばそれは「FRIENDS」の一部だったのだが、まともな検索手段が無かった当時としては、まったく未知の存在に触れた気がした。それのスキャン取り込みデータが、BBSに無断でアップロードされていたのだから提供した側もずいぶんと大胆といえば大胆である。当時は自分はすでに成人していたが、家族と一緒に住んでいる手前、実写のエロしか少女ヌード写真本屋で買うほどの行動力はさすがになかった。通販事情としても、今のようにアマゾンほかオンラインショップで気軽に本を注文、という販路はまだ整備されていなかったので、しばらくはそのデータについて出どころが知れないままモヤモヤとしていた。

もちろん、性的な意味でも)


やがて、個人でも準定額・のちに完全定額のインターネットが利用できるようになってきた時点で、検索サイトというもの存在を知る。

パソコン雑誌のコーナーでは、いわゆる「電脳アングラ」的な本がじわじわ売られてきていたが、そんな中で海外サイトでのお宝画像(=エロ画像)のダウンロード方法が説明されていた中、自分はなぜかあの少女ヌード写真集の事が忘れられなかった。OSWindows98以降が標準となり、安価パソコンでもフルカラー画像を見るのがようやく当り前となってきた頃のことだったが、いくつかの紆余曲折の末にようやく、とある方法(具体的には省略)であの写真集と思われるデータを手に入れる事ができた。その時の感慨を表現できる言葉を、いまの自分が持ちあわせていないのは残念なくらいだ。


その後、写真集被写体だった少女達は、日本人ではなく顔の造作の似た外国人である事を知ったりしたが、それでも彼女の人気は一部では根強く、後日にヌード部分を除いてまとめられた写真集(※アマゾンでも売ってた)が発売された際には高評価を得ていたように記憶している。


その写真集データを得たのと前後して、「ロリエロ漫画イラスト」のデータの蒐集も続いた。二次元三次元エロは、近いのか遠いのか、と問われれば「遠くはないというか、ある意味別腹に近い」と自分は答える。喩えて言うなら、店で食べるラーメンカップ麺関係のような感じだろうか。

さらに言えば、実際にもし実行すれば確実にアウトな「幼女未成年女子とのセックス場面」が、二次元での表現としてはまだセーフな事も(わいせつ頒布うんぬんの論点はさておき)、見ていて自分ささやか妄想を想起させた。

ただし、自分はどうもレイプを思わせる描写が(創作物であっても)ダメタイプなので、その系じゃなきゃ燃えない方とは一緒に見られたくない、とワガママな主張をしておきたい。


だがそういった日本での内輪の価値観も、TPPその他での動きによって、そろそろ終わりに近づきつつありそうなのが正直悲しいし、怖い。

誓って言うが、自分幼女はおろか、女性に“手を出し”たことすらない。

そういったちっぽけな人間から昇華手段としてのエロまでもを取り上げて、そこに何が残るというのか。

2013-02-02

iP2013年3月号「日本海賊党公式コラム ただいま党員募集中!」

ネットランナー亡き後のぶっこ抜き系雑誌iP

iP! 2013年3月

http://www.shinyusha.co.jp/~top/00ip/ip.htm

ネットランナー亡き後のぶっこ抜き系雑誌iP海賊党が連載を持っている。

日本海賊党

http://www.piratepartyjapan.org/

ただ海賊党ウェブサイトを見ても連載の内容について一切掲載されていない。

しか講演会日程はiPを見ろと公式アカウントでつぶやいている。

PPJ: 日本海賊党 (海賊党日本改め) ‏@pirateparty_jp

普遊舎のパソコン雑誌IP!」連載の日本海賊党公式コラムでは、今月号はACTA再審議を要求する運動について、協力・賛同を呼び掛けていますACTAからTPPへの動きについての講演会日程も掲載。

http://www.shinyusha.co.jp/~top/00ip/img/ip1303.jpg

https://twitter.com/pirateparty_jp/status/297258562080612352

日本海賊党には頑張ってほしいし、皆さんに知って情報なのでシェアさせていただきます

iP2013年3月号「日本海賊党公式コラム ただいま党員募集中!」

日本海賊党暫定代表:須澤秀人

強行的に批准されたACTA再審議を

iP!の読者諸君は日本で4ヶ月程前に、ACTA (偽造品の取引の防止に関する協定)という国際条約批准されたことをご存知だろうか。

この条約、表向きは偽ブランド品を規制する条約だが、実は表現の自由や通信の自由を奪い、著作権特許権規制を強化する条約なのだ。たとえば、ISPユーザの通信内容についての監視義務を強制したり、著作権侵害の非親告罪化(著作権者でなくても訴えることができること)、従来の刑事手続きとは別に文化庁などによる行政行為としてデータの押収や没収ができる等、基本的人権特に表現の自由や通信の秘密を脅かす可能性が非常に高い条約だ。もちろんこれらは明白な憲法違反である

ところがこの異常な条約日本では批准されてしまった。欧州議会では、スウェーデン海賊党などの呼びかけがきっかけとなって250万もの市民による抗議活動が行なわれ、その結果大差で否決されたにもかかわらず、である

それも批准までの審議過程が酷い。参議院本会議では反対答弁も無く数分で可決された。衆議院では民主党の単独強行採決により可決してしまった。異常な国際条例日本ではこのような非民主的な手続きによって批准されたのである

ACTA批准にはあと5カ国の批准必要だ。現在米国行政協定として議会承認を得ずに批准を画策している。同様にシンガポール韓国なども議会を通さないという、非民主的な手段で批准を行なう可能性かある。私たち政権交代を機に、ACTAの審議過程に問題意識をを持つ複数の団体と共同で、ACTA民主的に再審議してもらう運動を計画している。海外の団体にも協力を呼びかけている。並行して、「Avaaz」または「Change.org」上でもACTA民主的な再審議を要求する国際署名活動を開始する予定だ。

さら日本海賊党はこの運動と連動して、ACTAからTPPに至る知財危険性を説明する講習会を全国各地で開催、また海外海賊党に呼びかけ、日本での非民主的な成立過程の各国民への告知と再審議の国際署名への協力を依頼している。ぜひ貴方も日本民主主義を取り戻す運動に加わってほしい。

今月の出没情報
日本海賊党京都支部が発足!

昨年12月22日結党説明会を京都大学で臨時開催。1月7日には京都大学サークルが中心となり、日本海賊党初の支部となる京都支部が発足した。現在党員1名、サポート会員2名で構成されている。

今後の結党説明会スケジュール
■購演会「ACTAからTPPへ至る道」

1/29 札幌

2/18 沖縄

2/20 東京

2/25 仙台

3/6 広島

3/7 福岡

結党説明会

2/11 東京

2/18 沖縄

2/20 東京

2/25 仙台

2/28 東京

3/6 広島

蛇足:オレはこう思う

時期が迫っているけど、どこでやってるんだろう?

Facebookなんかにも情報がないよ…。

https://www.facebook.com/groups/piratepartyjapan

説明会やったって報告記事もないし。

どんな活動やってんだろうか?

2007-04-09

anond:20070409223244

名前を出しても楽しければそれはいいよ。

別に楽しそうでもないし、ヤリマンとかどうでもいいし。

そんなことより鮫の話しようぜ。

楽しそうじゃなければ無視してればいいんじゃーん。とか思いました。

あと鮫の話は楽しそうなので、鮫の話もしよう! 僕が鮫についてしっていることは、歯が折れても何度でも生えてくるということと、新宿鮫の作者が元パソコン雑誌編集者だったってことです。

追記

ごめんなさい、間違えてました。元パソコン雑誌編集者だったのは新宿鮫じゃなくて不夜城の作者でした。

2007-02-18

18日といえば

昔はパソコン雑誌がたくさん発売されていた日で、これは8日もそうであった。たいてい、その前日や前々日に秋葉原の某ショップへ行くとすでにその月の号が並んでいて、それを買ったものだ。

当時は、今よりも給料が安かったのだけれど、家族もいなかったせいか、可処分所得は多めで、今みたいに領収書などもらわなくてもぜんぜん平気だった。ガンガン買った。

本を買ったあと、その足でいくつかのゲーム売り場を周り(ファミコンなどのゲームではない。もちろん、パソコンゲームだ。もっとも、MSXやらそんなものだが)、一度に2つも3つもゲームソフトを買ったものだ。

とはいえ、ほとんどソフトは、数分遊んだくらいで「なんかつまらないな」と辞めてしまっていたものだ。

ゲーム好きではないくせに、ゲーム好きでありたいと思っていたという自覚は当時なくて、当然のように、自分はゲーム好きだと信じていたんだ。そんな体たらくなくせに、だ。

それでもそこそこ、ゲーム業界で生きているということは、地頭の良さがあったせいだけれど、もう疲れた。

ゲーム、つまんないじゃん。

と思う。

わかんない。最近テレビもつまらない。

たぶん、そういう年代なんだろう。

暗い話にばかり、やたら詳しくなったもんだ。もんだ。もんだみん。もんだあんどぶらざーす。ブラジャーす。ブラジャーはしません、普通のときは。

蟹が食べたい。

 
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