はてなキーワード: 平易なとは
ラノベ作者は平易な表記を心掛けるべきという意見に同感。特に、普通はかなで書かれる文章をわざわざ漢字で書く作者にはウンザリさせられる。「兎に角」とか「暫く」とか。
Amazonのレビューなどに書くと過去のレビューから身バレする可能性があるのと、わざわざ別アカウントを作ってまで批評するほどのものではないと思ったので、こちらに書きます。
初めに断っておきますが、本稿は別に加藤文元先生の人格や業績などを否定しているわけではありません。また、IUT理論やその研究者に対する批判でもありません。「IUT理論が間違っている」とか「望月論文の査読体制に問題がある」などと言う話と本稿は全く無関係です。単純にこの本に対する感想でしかありません。
----
加藤文元先生の「宇宙と宇宙をつなぐ数学 - IUT理論の衝撃」を読みました。結論から言って、読む価値の無い本でした。その理由は、
「ほとんど内容がない」
本書は、RIMS(京都大学数理解析研究所)の望月新一教授が発表した数学の理論である、IUT理論(宇宙際タイヒミューラー理論)の一般向けの解説書です。
1~3章では、数学の研究活動一般の説明や、著者と望月教授の交流の話をし、それを踏まえて、IUT理論が画期的であること、またそれ故に多くの数学者には容易には受け入れられないことなどを説明しています。
4~7章では、IUT理論の基本理念(だと著者が考えているアイデア)を説明しています。技術的な詳細には立ち入らず、アイデアを象徴する用語やフレーズを多用し、それに対する概念的な説明や喩えを与えています。
まず、数学科の学部3年生以上の予備知識がある人は、8章だけ読めばいいです。1~7章を読んで得られるものはありません。これはつまり「本書の大部分は、IUT理論と本質的に関係ない」ということです。これについては後述します。
1~3章は、論文が受理されるまでの流れなどの一般向けに興味深そうな内容もありましたが、本質的には「言い訳」をしているだけです。
などの言い訳が繰り返し述べられているだけであり、前述の論文発表の流れなどもその補足のために書かれているに過ぎません。こういうことは、数学者コミュニティの中でIUT理論に懐疑的な人達に説明すればいい話であって、一般人に長々と説明するような内容ではないと思います。もっとも、著者が一般大衆も含めほとんどの人がIUT理論に懐疑的であると認識して本書を書いたのなら話は別ですが。
4~7章は、「足し算と掛け算の『正則構造』を分離する」とか「複数の『舞台』の間で対称性通信を行う」などの抽象的なフレーズが繰り返し出てくるだけで、それ自体の内容は実質的に説明されていません。
のように、そこに出てくる「用語」にごく初等的な喩えを与えているだけであり、それが理論の中で具体的にどう用いられるのかは全く分かりません(これに関して何が問題なのかは後述します)。そもそも、本書を手に取るような人、特に1~3章の背景に共感できるような人は、ここに書いてあるようなことは既に理解しているのではないでしょうか。特に6~7章などは、多くのページを費やしているわりに、数学書に換算して1~2ページ程度の内容しか無く(誇張ではなく)、極めて退屈でした。
8章はIUT理論の解説ですが、前章までに述べたことを形式的につなぎ合わせただけで、実質的な内容はありません。つまり、既に述べたことを並べて再掲して「こういう順番で議論が進みます」と言っているだけであり、ほとんど新しい情報は出て来ません。この章で新しく出てくる、あるいはより詳しく解説される部分にしても、
複数の数学の舞台で対称性通信をすることで、「N logΘ ≦ log(q) + c」という不等式が示されます。Θやqの意味は分からなくてもいいです。
今まで述べたことは局所的な話です。局所的な結果を束ねて大域的な結果にする必要があります。しかし、これ以上は技術的になるので説明できません。
のような調子で話が進みます。いくら専門書ではないとはいえ、これが許されるなら何書いてもいいってことにならないでしょうか。力学の解説書で「F = maという式が成り立ちます。Fやmなどの意味は分からなくていいです」と言っているようなものだと思います。
本書の最大の問題点は、「本書の大部分がIUT理論と本質的に関係ない」ということです(少なくとも、私にはそうとしか思えません)。もちろん、どちらも「数学である」という程度の意味では関係がありますが、それだけなのです。これがどういうことか、少し説明します。
たとえば、日本には「類体論」の一般向けの解説書がたくさんあります。そして、そのほとんどの本には、たとえば
奇素数pに対して、√pは三角関数の特殊値の和で表される。(たとえば、√5 = cos(2π/5) - cos(4π/5) - cos(6π/5) + cos(8π/5)、√7 = sin(2π/7) + sin(4π/7) - sin(6π/7) + sin(8π/7) - sin(10π/7) - sin(12π/7))
4で割って1あまる素数pは、p = x^2 + y^2の形に表される。(たとえば、5 = 1^2 + 2^2、13 = 2^2 + 3^2)
のような例が載っていると思います。なぜこういう例を載せるかと言えば、それが類体論の典型的で重要な例だからです。もちろん、これらはごく特殊な例に過ぎず、類体論の一般論を説明し尽くしているわけではありません。また、類体論の一般的な定理の証明に伴う困難は、これらの例とはほとんど関係ありません。そういう意味では、これらの例は類体論の理論的な本質を示しているわけではありません。しかし、これらの例を通じて「類体論が論ずる典型的な現象」は説明できるわけです。
もう一つ、より初等的な例を出しましょう。理系なら誰でも知っている微分積分です。何回でも微分可能な実関数fをとります。そして、fが仮に以下のような無限級数に展開できたとします。
f(x) = a_0 + a_1 x + a_2 x^2 + ... (a_n ∈ ℝ)
このとき、両辺を微分して比較すれば、各係数a_nは決まります。「a_n = (d^n f/dx^n (0))/n!」です。右辺の級数を項別に微分したり積分したりしていい場合、これはかなり豊かな理論を生みます。たとえば、等比級数の和の公式から
1/(1 + x^2) = 1 - x^2 + x^4 - x^6 + ... (|x| < 1)
arctan(x) = x - x^3/3 + x^5/5 - x^7/7 + ...
π/4 = 1 -1/3 + 1/5 - 1/7 + ...
のような非自明な等式を得ることができます。これは実際に正しい式です。また、たとえば
dy/dx - Ay = B (A, B ∈ ℝ、A≠0)
のような微分方程式も「y(x) = a_0 + a_1 x + a_2 x^2 + ...」のように展開できて項別に微分していいとすれば、
よって、
a_0 = -B/A + C (Cは任意の定数)とおけば、
- a_n = C A^n/n! (n ≧ 1)
「e^x = Σx^n/n!」なので、これを満たすのは「y = -B/A + Ce^(Ax)」と分かります。
上の計算を正当化する過程で最も困難な箇所は、このような級数が収束するかどうか、または項別に微分や積分ができるかどうかを論ずるところです。当然、これを数学科向けに説明するならば、そこが最も本質的な箇所になります。しかし、そのような厳密な議論とは独立に「微分積分が論ずる典型的な現象」を説明することはできるわけです。
一般向けの数学の本に期待されることは、この「典型的な現象」を示すことだと思います。ところが、本書では「IUT理論が論ずる典型的な現象」が数学的に意味のある形では全く示されていません。その代わり、「足し算と掛け算を分離する」とか「宇宙間の対称性通信を行う」などの抽象的なフレーズと、それに対するたとえ話が羅列されているだけです。本書にも群論などの解説は出て来ますが、これは単に上のフレーズに出てくる単語の注釈でしかなく、「実際にIUT理論の中でこういう例を考える」という解説ではありません。これは、上の類体論の例で言えば、二次体も円分体も登場せず、「剰余とは、たとえば13 = 4 * 3 + 1の1のことです」とか「素因数分解ができるとは、たとえば60 = 2^2 * 3 * 5のように書けるということです」のような本質的に関係のない解説しかないようなものです。
もちろん、「本書はそういう方針で書く」ということは本文中で繰り返し述べられていますから、そこを批判するのはお門違いなのかも知れません。しかし、それを考慮しても本書はあまりにも内容が薄いです。上に述べたように、誇張でも何でもなく、数学的に意味のある内容は数学書に換算して数ページ程度しか書かれていません。一般向けの数学の本でも、たとえば高木貞治の「近世数学史談」などは平易な言葉で書かれつつも非常に内容が豊富です。そういう内容を期待しているなら、本書を読む意味はありません。
繰り返し述べるように本書には数学的に意味のある内容はほとんどありません。だから、極端なことを言えば「1 + 1 = 2」や「1 + 2 = 3」のような自明な式を「宇宙と宇宙をつなぐ」「正則構造を変形する」みたいに言い換えたとしても、本書と形式的に同じものが書けてしまうでしょう。いやもっと言えば、そのような言い換えの裏にあるものが数学的に正しい命題・意味のある命題である必要すらありません。本書は少なくとも著者以外にはそういうものと区別が付きません。
ここまでネガティブなことを書いておいて、何食わぬ顔でTwitterで加藤先生のツイートを拝見したり、東工大や京大に出向いたりするのは、人としての信義に反する気がするので、前向きなことも書いておきます。
まず、私は加藤先生のファンなので、本書の続編が出たら買って読むと思います。まあ、ご本人はこんな記事は読んでいないでしょうが、私の考えが人づてに伝わることはあるかも知れませんから、「続編が出るならこんなことを書いてほしい」ということを書きます。
まず、上にも書いたような「IUT理論が論ずる典型的な現象」を数学的に意味のある形で書いていただきたいです。類体論で言う、二次体や円分体における素イデアル分解などに相当するものです。
そして、IUT理論と既存の数学との繋がりを明確にしていただきたいです。これは論理的な側面と直感的な側面の両方を意味します。
論理的な側面は単純です。つまり、IUT理論に用いられる既存の重要な定理、およびIUT理論から導かれる重要な定理を、正式なステートメントで証明抜きで紹介していただきたいです。これはたとえば、Weil予想からRamanujan予想が従うとか、谷山-志村予想からFermatの最終定理が従うとか、そういう類のものです。
直感的な側面は、既存の数学からのアナロジーの部分をより専門的に解説していただきたいです。たとえば、楕円曲線のTate加群が1次のホモロジー群のl進類似であるとか、Galois理論が位相空間における被覆空間の理論の類似になっているとか、そういう類のものです。
以上です。
加藤文元先生、望月新一先生、およびIUT理論の研究・普及に努めていらっしゃるすべての方々の益々のご健勝とご活躍を心からお祈り申し上げます。
大学受験で考えてみよう。
旧帝大や早慶に受かるだけで、同世代の上4%ほどに入るらしい。
自分としては早慶みたいな簡単な入試に落ちるなんて考えられないが、早慶にさえ入れない人が96%くらいはいるらしい。
教科書に書いてある内容がざっくりでも理解出来ていれば、マーチに落ちることはまずない筈である。(普通は早慶も落ちない。)
となると、9割以上の日本人は日本語で書かれた平易な文章でさえ誤読してしまうということであろう。
Twitterなどを見て分かる通り、文法として破綻したTweetや、誤読して頓珍漢なリプライを飛ばしている人がネット上に多いのは上記で説明出来る。
こういう状態を何とかするには自分で作品を書く側になって別の流れを作るか、自分も長文感想を書く側になって流れを動かすかしかないです。で、読む限り増田の人は自分には小説が書けないと思っているようなので(それも思い込みだと思うけど)、長文感想を書いてなんとかするためのやり方もあるよという話をします。もしなんとかしたいならですが。
それで、「いやいい感想書けたら苦労してないんだよ」という件です。元の記事にある書けない理由を拾っていくと、「語彙力があれば小説を書くなどしている」「うまく言葉にできずに」「作者の意図を正しく受け取れているか、端的に言って自信がない」「気に入らない感想だったら……みたいなことを考えてしまう」「感じたことをうまく纏められない」って書いてあります。
纏め直すと、
③下手なこと言って作者に嫌われたくない
この3つだと思うので、1つずつなんとかしていきましょう。まず1から。
身もふたもない話をします。金を使いましょう。参考になりそうな本を買いましょう。それだけです。たかがインターネットの二次創作に媚びるためにそこまでする? と思うかもしれません。でも、それはつまりそこまでしない人が大半だということです。やったら大半の人の一歩先に行きます。もちろん、一歩先に行ったところで、先頭に立てるわけではないですが。それでもなにもやらないよりは絶対にマシです。あと、読解力を上げるって別に二次創作以外にも役に立つ。話を理解する能力が高くて困るということはないです。
じゃあどうするかというと、高校入試用の問題集を一冊買いましょう。当時使ったものがあるなら、それ使ってもいいです。とりあえず解いてみてください。思ったよりできたできないはあると思いますし、点数を目標にすることも有効ですが、大事なのは回答と照らし合わせてなんで間違えたかを確認することです。言い換えれば、自分の読解の手癖を確かめることです。文章というものには最低限の読解というものがあって、それを踏まえた上で発展的な解釈だったり書いていないことを読み取ったりするべきです。幸いなことに問題集には解答があるので間違いを確認できるんですね。最高。自分が読解を焦りがちなのはどういうところなのか、思い込みがちなのはどういうところか。一回総ざらいしてみる。パッと解けて、点数も高いし全然読めてる!と思えたなら、もっと難しいものに取り組んでもいいです。場合によっては大学受験用の問題集に取り掛かりましょう。案外解けなくて落ち込むときもあるでしょうが、でも無駄にはなりませんから。自分の読解の間違いを知れて、なおかつ正解と比べられる機会って学校出るとそんなにないんですよね……。
絵とか漫画の読み方が不安という場合も同じで、こっちも本でドーピングできます。なんとこのドーピング合法なんですね。読書なので。絵の読み解き方や観察力を上げる方法についての本は結構豊富で、書店に行ってぱらぱらめくってみて面白そうだな~ってなったものを一冊選んできちんと読むといいです。個人的なおすすめは『絵を見る技術 名画の構造を読み解く』と『観察力を磨く 名画読解』。感性とは理屈に裏打ちされた経験の蓄積であるということがわかりやすく書かれてます。まあ書店行くのが難しい情勢ではあるけども。
たぶん感想というものでこれが一番高いハードル。ただ、記事を読む限り増田の人はある程度できているんですよね。増田とはいえ長文書けてるので、必要なのは文章が書けることではなく感想のための文章をかけること。だからおすすめは「良かったところを箇条書きで抜き出して、どう良かったかのコメントをそれに加える」という感想を、誰にも見せずに書くこと。よかったところ箇条書きは話題として手軽だし、このやり方を実際に使うと感想貰う側もここがよかったんだっていう目印になりやすい。誰にも見せないのも重要です。どれだけ不格好でも平易な言葉でも構いません。とにかく書こう。なんか感想とかで執拗に語彙力語彙力って言う人たくさんいるけどあれどうかと思う。もちろん単語をたくさん知ってるに越したことはないけど、難しい言葉が強くて平易な言葉が雑魚みたいなヒエラルキーがあらゆる状況で成立するわけじゃないので。どれだけ平易でもそれが適切なら平易な言葉を使うことにビビんなくていいです。好きなら好き、良かったなら良かった、エロかったらエロかった。じゃあそれがどう好きでどう良くてどうエロいのか、も含めて言葉にできるとよりいいんですが、ここでも平易な言葉をためらわないでください。「あの場面でAがこうしたところがAらしくて、そのAらしさが原作で私が感じたものと同じでありながら新鮮で好きでした。」みたいな。この段階で自分の読解が正しいかどうか不安になるのは自然なのでそれを少しでも薄めるために①があります。あと、たとえ書いてあるのが①での「最低限の読解」だったとしても、もらう側は安心できます。きちんと書いたとおりに伝わっているかどうかの確認ができるのは、下手すると褒められるよりも嬉しい。それすらもわからないのが普通なんで。文章じゃなくて漫画とか絵の場合も変わりません。ただ、絵の場合は何が描いてあるのか、どういう強調をしてあるのか、をメモにしてみるのがやりやすいです。
ここまでやってみて、それでも言葉がたりない、もっといい表現があるはず、と思えるなら答えは簡単です。金を使いましょう。参考になりそうな本を買いましょう。類語辞典とか。それだけです。辞書引くのは手っ取り早いです。いやまあ別に類語くらいはインターネットでいいかもしれないけど。あと、即効性はありませんが、佐藤信夫のレトリック関連の本はとりわけおすすめです。書きたいことを書きたいように書けない、というのは人間がずっと悩んでいる問題なのがわかります。
③下手なこと言って作者に嫌われたくない
えっとね、これは無理!無理です! さっき平易な語彙使うのビビるなって書いておいてなんですけど、増田の中に「最高」「好き」「可愛すぎる」って呟いてる記述あったじゃないですか、それ嫌いな人はめっちゃ嫌いなはずなんですよ。なんだったら表に出されないだけで既に嫌われてる可能性すらあると思う。どうしようもないです。同じ「最高」という二文字の感想にも「言葉にならない気持ちをなんとか最高という二文字にしてくれたんだろうな、本人ももっと適切な言葉で伝えたかったんだろうけど、それを乗り越えてでも伝えたいと思ってくれたんだ。嬉しい」と思う人もいれば、「自分の感想を言葉にする努力をせずに定型句でインスタントに褒めてそれで終わりなんだ。読んでくれたのは嬉しいけど…」と思う人もいます、その人次第!逆に長文感想も「自分が書いたわけでもないのにしたり顔されて不快」とか「単純に勢いが強くて怖い」とか思う人もいるよ!ていうか二個目はマジで言われて二週間くらい死んでた。そこはもう感想送るって決めた時点でどうしようもないです。なるべく不快な思いをさせないように努力したいという気持ちは大切だけど、逆にある程度のところで踏ん切りをつけるのも大事ということです。
だいたいこういうことを意識して感想を書いてます。別に書いたことで変わらないかもしれないが。ただ少なくとも、ストレスぶつける先を、増田でバズることじゃなくて伝えたい人に自分の気持ちを伝えることに変えられたら、界隈に左右されずに好きなものを好きでいられるんじゃないでしょうか。めんどくさいよー、「界隈」。本当は強くなって一抜けするのが一番だと思うけど、それはそれでとっても難しいしね。
Rashomon
それを持っている日の、夕暮れ時の人。
1人の人の研修医GE おお けれどもRashomonと他において、何かの下の雨の暗闇が肩で押しのけることを待っていた。
誰もこの人に加えて広いゲートの下にいない。
1匹のクリケットバッタが、tannuriだけとあちこちにあてはまることのhakuの日本木製木靴および大きい柱MARUBASHIRAにいる。
スザク-oji通りSUZAKUOOJIにRashomonがあるので、法廷貴族のための法廷貴族もみアジア人ヘッドギアのためのさやjuuフォーマル帽子は、この人 他の2または3人の人々 に加えて雨の停止をする女性行商人ランプのかさICHIMEを持っているようである。
誰がそこにいないか この人に加えてそれ どちらも ?
いくらかの理由 私が言う時 地震 、および通り風TSUJI KAZEが火と飢饉後続を、2またはこれらの3年と京都、およびそれ言うsaiトラブルのために起こった。
従って、どのようにラクチュウRAKUCHUUを辞退するかは普通さではない。
別名NIは、古いレコードに従って仏教のイメージおよび仏教の祭壇器具を打ち壊し、到着し、金と銀の名声はつけられる、しかし、それが、突き刺されて、方法BATAに積み上げられた木を言う必要があり、 それらを それについて売った SHIRO まきまき 担当する。
ラクチュウが処分であったので、誰もが、起源より多くRashomonに行くことを捨てて、回想する人はそうではなかった。
そして、the、それは、私が破滅させたこと、およびきつねとタヌキの精巧さ sei仕上げ についてのよい物においてした。
1人の泥棒NUSU BIがそこに住んでいる。
それが取った私が言うカスタム チャージ of 最後に閉まる でさえおよび手を持たない死んだ人は、このゲートに連れて来られる、そして、それはそれを廃棄し、行き、される。
日の目がこれ以上見られないように、誰感触、それも、このゲートで副RU GAが足を付近に設定しないことであった。
私は多くを入手し 代用品 から またカラスカラスがである所 、来た。
それは昼間にいつ見て、私は たこ尾SHIBIの付近 円を描き、あなた 泣く間飛び回っている がいくつの鳥であるかのでカラスが泣く所が高価であるか?
ゲートの空が日没までに特に赤くなった時には、それはゴマゴマをはっきりと散乱させたようであった。
カラスは、もちろん、takuに穴をあけることに入る ゲートの死んだ人の肉 。
--しかし、遅い原因または1羽の鳥は、今日、任命された時間ボディ前兆も見ない。
石ステップ長い間草のトップがそれをしたこと、およびwhere 私が倒れるだけで、あちこちが、カラスの排泄物こやしがドットによって白に刺さっているのを見る形が損なわれた目により照らされる 。
研修医は、彼が7つのステップを持っている石ステップの上部のステップで洗い、よく、私はZARA、青色の引き戸のように思われた右のほおを持つことができた大きい吹出物吹出物についての雨が降ること 薄暗く 斧底を置く と悩む時に。
作者は、「研修医は雨の暗闇を待っていた。」を書いた。
しばらく前。
しかし、たとえ雨が研修医から損害を被っても、私が、どのように特にするかを言う目的が全然ない。
また、正面、引き潮SUIBIにおいてそれが書かれたので、京都の町はしばらくその時ではない。
それは、また、他ならぬ、この研修医が、実際長い間使われた私の夫から休暇を与えたばかりのこの引き潮で残留するので小さい。
従って、「方法場所が全然なく、雨が降り、含むように割り当てることができた研修医は、損失にいた。」と言う人が適当であることというよりも「研修医は雨の暗闇を待っていた」。
そして、また、空の今日の表情がではなかった および影響された研修医のSentimentalisme この平安時代 小さい。
猿猿のkokuボディに入っていることから書かれた雨のためにまだ上がっている風景が全然ない。
そんなに、私が持っていなかった thatと私は、何とかして、当面、生きることを明日、明日扱おうとするのも聞いていた、そして、言う時-- たとえ何が置かれても、研修医がそれを扱おうとした それは何とかして全然ない、そして、それは、彼が救助も全然持っていないというアイデアに続いている間スザク-oji通りで雨のトーンがちょうど現在から振られるのを聞いた。
雨はRashomonを包み、遠い場所から、サウンドの呼ばれるZAAを収集し、来る。
たそがれが空を短くし、徐々に見上げる時には、ゲートの屋根は、斜線について取り出された屋根タイル屋根タイルの前で薄暗い雲を重くサポートしている。
それを扱うために方法が選ばれるレジャーの時が全然ない それは何とかして全然ない。
選ぶ時には、それらは道端のchikutsuchi TSUIJIまたは地球の下でonのkishi飢餓をし続けている。
私はそれをし、それをこのゲートのトップに持って来、犬のように廃棄され続けている。
aであるアイデア-- それが決められない 何度も同じ時の研修医 方法 、teikai、私 買われたこととされたこと、HOUCHAKUの最後のラインの後で、ペンチの制限された部分に出会う 。
しかし、これ、「それがした時。」 私が立ち上がったこと、「それがされた時。」の時でさえ 。
私はすべてを追いかけた。
方法を選ばないために、研修医が認めて これ、「それがした時。」 外に出る 勇気 けれども、ただ、可能 もちろん、どれが後ろに来るかを身に着けている を言うために、どれが認めるか 「泥棒NUSU BI および、それが選択を全然持っていなかったけれども、そうであるために。」
積極的に、落ち着くために、ここにあった。
それは、むしろ、研修医が大きく、それがし、daigi IGIと思われていること、それが上がったteiのにおいがする。
夕方冷気がする京都は、すでに、私が火桶日のおけを望んでいるという程度ににである冷たさである。
たそがれだけでなく準備なしで柱を通って風がゲートで、および柱の間に吹く。
tannuriにあてはまることの柱にいたクリケットバッタは、また、すでにどこかに行っていた。
黄色のaseshin KAZAMIに積み上げられた青色の引き戸は上がり 黄色 私 斧に高く肩で押しのけさせて、ゲートのまわりで調査した 、研修医のための首首をよく少し下げる間上がった。
する夜の容易さにおいて 風と雨が害悪、NERAREであるREEを全然持たない無見られたku恐怖 、思われなさい。
それは、私がとにかくそう考えたからであり、私は、また、場所があった時に、一晩中起きていた。
そして、 はしごはしご on which 広い ゲート幸運にもまた広がる別名のタワーに昇るこれは、目に執着した。
たとえ人 トップ があっても、とにかく、それは、死んだ人であるだけである。
ヒジリZU 研修医がそこの下の後ろにぶら下げたパターン通り、または剣 sayasou SA YA 私が、知らないように慎重な間日本のサンダルの麦わら製麦わら製日本サンダルをはしごの下のステップにつけるフィートのステップに始めた時 。
そして、数分のための後。
1人の人が、猫のように縮こまる間彼がRashomonのタワーのトップに外出する広いはしごの中間投錨地の上部のヨーコ合図をのぞき見し、息を持っていた。
かすかに、タワーのトップから示す火のKoが、男性右ほおを濡らす。
それは、短いmustache. katsuの赤の膿汁膿汁を持つ吹出物吹出物を持つほおであり それを軽く取った 、これにある人は、研修医のための最初から、死んだ人であっただけである。
2の3のステップのそのものが、あなたがトップにいる 火 はしごを見て、 TOBO さらに、それらはそこでここによってその火を変更するようである。
不潔な黄色いライトは、シーリングと屋根の間のスペースでクモクモの巣で震える間、すべてのコーナーに適した。従って、これは直ちにそれによって知られていた。
この雨の夜このRashomonにおいて火が点火されるので、とにかく、私は普通の人ではない。
研修医がヤモリヤモリのような歩みを盗用し、蓋を付けられて、最後に上部の棚まで突然のはしごにおいて彼が最も這うと。
それをし、ボディをなるべく平易なフラットにする間shiが正面への首をなるべく取り出したこと用心深さ、取り除かれること、およびタワーの中ののこぎり。
単に私が、タワーの中の噂においてそれが見られると耳にすると、いくつかの死んだボディ死んだボディが廃棄されるけれども、私が考えたより、火のKoが来るエリアは小さい。
従って、 誰も いくつが数を知っているか?それは薄暗いけれども、それは、それの間に知られるように着物が着られた裸の死んだ体および死んだボディがあることである。
人形netsu練り地球および死んだボディがそれをし、誰もが、それが、以前住んでいた人であったと言うという事実により疑われさえするように作られたように、口、kaiは開き、私は私の手を伸ばし、それ雷鳴、私は、フロアに落ちていた。
さらに、部分 which で薄暗い火のライトを受け取る間永久にそれがoshi押しであったので肩、胸で高価になり、部分の影を作るので、それはより暗い、私は静かであった。
無意識に、enは、研修医GE NINのそれらの死んだボディのフランを振らないされたにおいによって先端をカバーした。
しかし、すでに手が次である 先端 瞬間に、en U事実は忘れられた。
いくらかの強い感覚が、すべてのこの男性的なにおいがほとんど取り除かれたからである。
石盆地はその時研修医の目を開始し、死んだボディにおいてかがむ人に会った。
短いスー銅貨が、誰がイトスギ樹皮屋根板色HIWA DAIROの着物を着たかので、薄くなった酷寒の頭酷寒頭の猿のような年配の女性。
年配の女性は、彼女が、右手の火に点火した松木破片KIGIREで、死んだボディの1つの面をのぞき見するように見ていた。
長い毛を持つ場所が見られる時には、それは、女性の死んだボディである。
研修医は6分および4分の好奇心への心配に移動させられて、しばらく、ZAN JIが、呼吸する生きをすることを忘れさえした。
古いレコードのレポーターの言葉を借りる時 それゆえ、それが触れられた「私が頭について尋ねて、ボディが重量も得る髄の毛」 。
そして、年配の女性は、猿の親が猿の子供のシラミシラミを正確につかまえるように、長い毛のうちのそれぞれを取り除きはじめた床と両方の手の間で松木破片が入れられる時は、これまでに私が見ていた死んだボディの首において賭けられる。
毛は手で出るようである。
私は、毛の出のうちのそれぞれを持つ研修医である 少し消失したことを心から恐れている 。
私はそれをし、この年配の女性への強烈な憎悪は、それによって同時に少し進展し、私は来た。
--いいえ、それがこの年配の女性に直面していると言って以来、壁を話すための欺き方法があるかもしれない。
実のところ、すべて締める反感は、1分ごとに力を増大させて、来た。
誰かがkishi飢餓を作るかどうかにかかわらず、しばらく前ゲートの下でこの人がこの研修医を同時に考慮した 泥棒NUSU BI および、もしそれがであるかどうかにかかわらず再び発言の問題が取り出されるならば 悔いも全然持たず、kishiを選んだものが研修医であるケース ?
この男性の悪をそんなに多く憎悪している心臓は、年配の女性のフロアに置かれた松木破片KIGIREのように力強く燃え上がりはじめた。
研修医は、なぜ、もちろん、年配の女性が、死んだ人の毛を取り除くかを知らなかった。
従って、理性的に 右と間違いのうちのin which 、私がそれを片付けることができた それを知らなかった。
しかし、それは、すでに、それだけによって、研修医のために、この雨の夜、このRashomonにおいて、死んだ人の毛が取り除かれたと伝えていることが許されているべきではない悪であった。
それが、泥棒 まで 今 である意思を持っていたこともちろん、研修医 すでに彼がここにいることを忘れた 。
従って、研修医は強調を両方の足に置き、突然はしごからトップに飛び、上がった。
そして通りパターンヒジリZUまたは私は、剣で精巧な苦痛を取る間、年配の女性の前で、隔たって広い私の足に増した。
表情研修医が会われた時に銃弾がいし弓いし弓 場合 によりすべて弾き飛ばされさえすると、年配の女性は飛び、上がった。
「 1回の行きをする所。」
年配の女性は、死んだボディが衰えたけれども、研修医は混乱し、とりでが、彼が脱出し which うとするライン手を閉じて、要求するbaを乱用した。
それでも、年配の女性は、研修医 わきに置かれることと行き に突き刺そうとする。
しばらく口もきけない間、死んだボディにおいて2人の人々が組み合った。
研修医は最後に、年配の女性の能力を把握し、そこのねじを力ずくで取りこわした。
正確に、それはチキンチキンの足のように骨だけの能力と皮である。
「何がされていたか?言いなさい。私は言わず、それはこれである。」
年配の女性が押しやられた時には、研修医は突然剣のさやマージンを支払い、GANEの色を白いスチールのための即時性に押し付けた。
たとえ年配の女性がどのように静かでも。
両方の手を震えて振ることおよび肩を持つ切断息の間、目、それは眼球であり、 私 おお、程度に、私は集晶ブタの外でほとんど外出するところで に 、shitsuyou SHUU NEKUは目を広く開き、oshiのような静かになる。
これが見られた明らかにこの年配の女性のライフと死が始まった時、完全なその意志による判決時には、研修医は、彼が言うことに気づいていた。
私は会い、レバーの意識のため、急勾配で、これまでに非常にすぐすべて熱烈な憎悪の心臓がだめになった。
残留ものは、それを持っている仕事をし、後 後 にそれが完全に遂行された時には、平和な長所と満足を持っているだけである。
従って、研修医は声を少し容易にし、年配の女性を軽べつしている間、そう言った。
「自身、回転は、試験的な会議用のKEBII SHIのエージェンシーの役員ではない。しばらく前一緒にこのゲートを受けた旅行への人。従って、ロープロープがあなたにぶら下げられて、どのように あなたが、あなたが言うdon'tをしない ?あなたがし もの 、それのこのゲートでここにあったかどうかにかかわらず、あなたは自身と話すべきである。」
そして、年配の女性は、目を、広くより大きく開かれて、研修医の面が辛抱強く見させられた。
それは、まぶたが赤くなった肉食事鳥のような鋭い目から判断された。
そして、いくつかの物でさえ、しわを持つものになったほとんどすべての先端とくちびるをバリバリと噛んでいた時に、それは動かされた。
それは、薄いのどであり、示されるのどぼとけのどぼとけが動いているとわかった。
そして、カラスカラスが泣く声は、禅あえぎに送られて あえぐ 、研修医の耳 のど および私は来た。
「後に私がそれをかつらランナーにすると思うTAで、後にこの毛を取り除く この毛を取り除く そして 。」
私がそれをし、がっかりすると同時に、前の憎悪は、再び、冷たい軽べつしたBUBETSUおよび1 SHOの精神に入った。
そして、その表情舞台面はまた、他の側に通じている。
年配の女性は、1つの手において、死んだボディがまだ最初から取り除いていた長い落ちた毛を持っていた、私は、ヒキガエル引くことがつぶやく声によってためらう間、そのような事を言った。
「言うために である死んだ人SHIBIを持つ毛 私が 見て、取り除かれる which それが防止悪い物であるかもしれない 。そして 死んだ人 ここにあるけれども とここ、誰〈the〉 事実をすることができる人だけという食事 も。まさに、現在私が毛を取り除き、剣エリア建物の近くで、ヘビ、4寸SHISU Nが、切られて、乾燥したものがである借りることに言うTEが魚HOSHIUOを乾燥させた時にキャンプに販売のou INである女性。AROを、暗闇を測定し、現在〈ou〉のさえ死であるNAN DARAに売る疫病〈おおの〉。それでレイプチャージで場合である それがよい味がし、剣エリアが、乾燥した魚を守ると言うTE この女性も 売り、それが、彼らがリヨにウニを買っていたと伝えていた 。考えるTEINU この女性が私をしたことは悪い。TEが、しない時のkishi、AROをして方法によって負ける。される時には、私は、また、後で私がしたばかりであることが悪いと思わない。どうぞ全然予期されないでくださいようにこれをしない時にkishiをするJA それは 立派に、それを作ってWAIをもっている。JA どうぞ 私が、その方法を寛大にほとんどよく持たないために知っていたこの女性であるとも思うDEARO 。。」
研修医はそれを冷却にし、剣をさやさやに入れる間、この話を聞き、剣のパターンステムの左の手をつかんでいた。
もちろん右手のため、赤において、ほおの膿汁を持つ大きい吹出物吹出物について悩む間、それには聞こえた。
しかし、これを聞く間に、ある勇気が誕生し、私は研修医の中心に来た。
このゲートのトップに近づき、しばらく前再びこの年配の女性をつかまえる時の勇気は、それをし、逆方向に完全に動こうとする勇気である。
kishiがされるかどうかにかかわらず、研修医は、たった今、それが泥棒であるかどうかに躊躇したところである。
それは、考慮された事でさえ、これからそのケースの男性的な自然を言う時に、ki shiを言うためにすることができないように、意識の外で動かされた。
「きっと、あなたのために会をしなさい。」
研修医は、声キャベツ模造品によって終えられることで終えられたその年配の女性の話し合いに思い出させた。
私がそれをし、前 吹出物吹出物から分離されて、まあまあに言われる MI.を握る間年配の女性の首のえりがかみ合うことができる に1ペアに外出した時に突然右である手
「私がhikihaku日の強奪をすることについてその時自身は不満を言わない。それがであるそれがしない時 kishiをするボディ 。」
そして、shuuは、死んだボディのトップにフィートに乱暴に固執しようとする年配の女性を打ち負かした。
彼らは、5つのステップ として はしごの口と同類である をランク付けし続けている。
研修医は、側で引きはがされたイトスギ樹皮屋根板色HIWA DAIROの着物を持ち、夜直ちに突然のはしごを底に置き、降りた。
そして、それは、すぐ、それが、しばらく私が死ぬと、崩れ落ちた年配の女性が、死んだボディの中から裸のボディを上げたことであることである。
うなる叫び声を上げる間まだ燃えている火のつぶやかれたライトに依存するために、年配の女性ははしごの口において這いさえし、行った。
touはそれをし、短い白髪の白い毛をそこから裏返しにし、私は底をゲートにのぞき見した。
気になっている分野の、大学で扱う内容の英語の教科書を読むといいと思う。
気になっている分野の内容は興味を持って積極的に取り組みやすい。
敬遠しがちかもしれないが、実は教科書は、専門用語を除けばかなり平易な単語が多い。多読習慣をつけるにはうってつけの学習教材。
専門用語も補足があったりするので、なんじゃこりゃってなる心配はない。
大学の教科書は、英語で書かれた原著を日本語に訳したものが多い。
すなわち、和訳版には翻訳者の介在があるため、値段が高くなってしまう。
原著を読めば安く済ませられる。
それでも1万円とかするけど、和訳版は3万円とかするので、将来的には得をしている。
安い本ならば中古で3000円とかで買えた記憶。専門分野と英語の両方の参考書を買うと考えると、得ではないだろうか。
あと個人的な感想だけど、英語の教科書の方が内容が生き生きしてて読んでて楽しい。
高校の教科書って事実をそのまま並べてる感じで読む気にあんまなれない。
けど、英語の教科書はできるだけ面白く、興味を持ってもらえるような語り掛け方をしている印象がある。
私が生物系なので、おすすめするとしたらCELLやESSENTIAL細胞生物学など。
基本的な細胞生物学について学べるし、まぁ大学で習う内容としては外れが無いだろう。
全部まとめられた本って結構重いしかさばるし読みにくい。なので、すこしでも軽くして持ち運べるようにした方が楽。
もし興味がわいたならば、大学行ってる先輩とかに聞くといいかも。大学の近くの古本屋さんに行ってみて、教科書を探ってみるのも楽しい。
目当ての大学・研究室がもうすでにあるならば、そこの教授に連絡してどういう本がいいか聞くのも手。教授ってそういう意欲ある学生って好きなはず。
劇的に勉強ができるようになる方法なんてものはそうそうないが、多くの学習者が犯しがちな非効率的な勉強法はいくつかある。その内の一つが、自宅での学習で「英語長文を解こうとする」ことだ。
誤解のないように言っておくと、本番前の演習が目的であれば、もちろん本番と同じように解いたほうがいい。ここで述べているのは、あくまでも日常学習としての英語長文の勉強だ。
少なくとも高校レベルの学習者であれば、英語長文は先に和訳を読んでから本文を読んだ方が良い。
先に和訳を読むメリットは明らかだ。すなわち、予め内容が頭に入っているので、英文をスラスラ読めることである。つまり、文章の要旨とあまり関係がない単語などに煩わされることなく、長文を読むことができる。このため、復習の頻度が上がり、定着率も高くなる。
これには、次のような異論があるかも知れない。すなわち、先に答えを知ってしまうと、分からない部分を考える力が身に付かない、というものである。しかし、これは根本的な誤解をしていると思われる。
たしかに、数学や物理であれば、ある程度難しい問題をじっくり考えて解くことは重要で、その割合は英語よりも多くて然るべきである。しかし、英語は単なるコミュニケーションの道具であって、難解と言われる英文をパズルのように解釈することに本質があるわけではない。
英文を構成するほとんどの部分は、中学生でも少し時間をかければ分かるような易しい文である。したがって、この部分が自然に理解できることが、長文読解の基礎となる。そのためには、この平易な部分をスポーツの基礎練習のように反復し、文字通り「体で覚える」ことが重要になる。
ところが、英語長文を「問題」として取り組もうとすると、分からない単語や構文を調べるので力尽き、結局、空所や下線部の周辺だけを考えて放置してしまうようなケースが少なくない。こういう人は、(自称)複雑な英文解釈は得意だが、英文を読む速度が異常に遅いとか、基本的な英文法・語法が抜けているという状態に陥りがちである。これは喩えるなら、マニアックな野球理論は多く知っているが、キャッチボールが続けられないようなものである。
そもそも、和訳から先に読んだところで、学ぶものはたくさんある。「ある表現を英語でどのように言うのか」「自分が知っているのとは別の表現がされていた」など。重要なのは、そういうものを調べたりするのに「手間をかける」ことではなく、最終的に「きちんと理解する」ことである。したがって、和訳から読んだ場合も、後で辞書を引いたり、文法事項を学ぶことは重要である。
英語学習において、「慣れ」と「理論」は両輪の関係である。多読で獲得した慣れは、きちんとした文法知識に裏付けられる必要がある。逆に、知識だけはあっても、それが文脈に即した用例と結びついていなければ、長文読解や英作文で活用することは難しい。
ICEは効率の点ではEVに遥かに及ばないよ。印象だけでは語るとデマになるので、少し計算した方が良い。
原油⇒精製(90%)⇒輸送(98%)⇒エンジン(30-40%)⇒変速機(80-90%)
=20%-35%程度
一番の問題は、熱機関は最良でもカルノーサイクルの壁を超えられないこと。つまり入力と出力の温度差による限界が来るわけ。
エンジンの素材は金属なので、良くても数百度とかにしかできないわけで、予算度外視でどんなに効率をよくしても量産車で60%に至ることはありえない。
エンジンはアルミか鉄なわけで、そこまで高温にできない。それで30-40%止まりと言うわけ。最近50%近いエンジンができたーとか言うニュースもあるが、もう熱力学上、天井は見え始めている。これは物理学なので、どうしようもならない。
(ちなみに、燃焼温度を上げると今度はNOxなどの問題が顕在化してくる。そのため、むしろEGRなどにより温度を下げるのがトレンド。エンジン開発はいろいろなトレードオフなのだ。)
ディーゼルエンジンは効率が比較的高く、CO2の排出もガソリンエンジンよりも少ないとされるが、NOx/PMなどの排出が多い問題がある。NOxについてはマツダが頑張って尿素SCRなしのエンジン作ったけど、結局、PMについては、DPFを用いて微粒子を捕獲している。そのDPFの煤焼き運転必要だったりするので、その分の燃料は無駄になるわけだよね。
で、エンジン車の問題として、トルクバンドが上のほうにあるので、クラッチ、トルクコンバーター等と変速機が必ず必要となる。その際にロスが出てしまう。AT/MT/DCTは段数が少ないとパワーバンドを生かしきれない。段数が多いと重い。CVTは滑るし、CVTフルードは温まるまで粘度が高くてロスになる(ダイハツはCVTサーモコントローラーとかで頑張ってるけど)。
エンジンの熱効率が50%に達したという記事(JSTの「革新的燃焼技術」)で反論する方がいらっしゃるが、そのエンジンは実験室の563cc単気筒エンジンだ。もちろん単気筒なんて自動車では振動などで使い物にならないから、最低でも3気筒からとなる。そうしたときに、気筒が増えて動弁系などのフリクションの発生によって効率は下がるはずなので、そのまま量産車に適用することは難しい。実用車では気筒数増加による動弁系の負荷、オルタネーターなど補機系の負荷などもかかってくることも頭に入れておきたい。
日産が45%のエンジンを開発しているとの記事もあるが、これはe-Powerの「発電専用」エンジンだ。ハイブリッドなので、こういう芸当が可能だ。
45%からは数%上げるだけでも相当血のにじみ出るような開発の労力がいるだろう。
燃焼温度はアルミや鋳鉄の融点よりも遥かに高いと言う指摘があった。その通りです。
しかし、熱力学を説明したかっただけで、例えば入口・出口の温度差を数万度にしたならば、熱効率はかなりのものとなるが、そんなものは物性的に不可能ということを示したかった。
原油⇒火力発電(超臨界発電) 50-60%⇒送電 (95%) ⇒バッテリへ充電(90%)⇒変換(96%)⇒モーター(95%)
=39-45%
PHEV, BEVの場合、上に示したうちで一番効率の悪い「火力発電」の部分を再生エネルギーや水力に転嫁することで、CO2削減を目指せる。もちろん、原発にしてもCO2は減らせる。
なお日本の火力発電所のSOx/NOx排出は海外に比べてもとても少なく、優秀である。
発電所の部分では、現状でも50-60%の効率は稼げる。なぜ熱機関なのにここまで効率が出せるかと言うと、巨大なプラントで高温に耐えるコストの高いタービンを回してるから。
それによって熱機関の効率が高められるから。車のエンジンは小さくてスケールメリットが働かないよね。でも発電所レベルなら巨大で、コストも充分かけられるのでこう言う芸当ができる。
で、電気の輸送に関しては送電線なので一度つなげたらしばらくはCO2を出さない。送電の効率も超高圧送電(100万ボルト以上)によって高まっている。
また、インバーターとかモーターに電気を流す部分はパワーデバイス(GaN等)の発展によってどんどん効率が上がっている。
なお、モーターのトルク特性としてエンジン車のように変速は不要のため、クラッチ・トルコン・変速機などによるロスはない。将来、インホイールモーターが実用化されれば、モーター→タイヤへの伝達効率はさらに上昇する。
ちなみに、xEVは回生充電もできるために、ブレーキ時に運動エネルギーがICEほど熱に変わらない。
(一方ICEはエンジンブレーキを使ったとしてもエネルギーに変えているわけではないので(多少オルタネータの充電制御は入るが)、ブレーキ時には運動エネルギーを熱にしてしまう。せっかく石油を燃やして運動エネルギーを得たのに、そのエネルギーを回収しないで熱に変えるわけ。)
まあxEVが回生できるとはいえ回生時にパワーデバイスとかの充電ロスがあるから、実はコースティング(回生も何もしない)で空走した方が距離を稼げる。なので、前の信号が赤にかわったとき、EVに関していえば、ブレーキも何も踏まないで空走状態を維持し、空気抵抗だけで0kmにするのが一番効率が高い。まあ、そんなことしていたらノロノロすぎてウザがられるので、妥協点として回生ブレーキを使ってちょっとはロスするけど、エネルギーを回収しながら止まるってことだね。
(ICEだと、エンジンブレーキを積極的に使って、ブレーキを踏まない運転を心がければ良い。やってはいけないのは、Nに入れて空走すること。Nに入れるとエンジンはアイドリングを維持するために燃料を消費する。ギアを入れたままエンジンブレーキをかけると、その間は燃料噴射をやめても回転が維持できるので、エンジンは燃料噴射をやめて、実質消費はゼロとなる。)
バッテリーの製造時の負荷は確かに高い。しかし、製造には電気を使っているので、電力構成によりCO2の排出は変わる。つまりグリーンなエネルギーを使えば問題なくCO2を減らせると言うこと。
なお id:poko_pen がマツダのWell-to-Wheel理論を持ち出しているが、あれば古い時代のバッテリー製造時のCO2データを使っていて、CO2排出を過大評価している。最近のテスラのLi-ion電池工場では、再エネを利用して製造しているのでCO2は少なくできる。こうした、製造時のCO2排出の問題は工場や電源構成をアップデートしていけば減らせる問題だ。
(マツダはBEVよりもICE派で、SPCCI(圧縮着火)とかで頑張ってるから、バイアスがかかってるのは仕方ないと思うね。私は内燃機関とデザイン周りで頑張るマツダは大好きだけど、SKYACTIV-Xが思ったよりも微妙だったから株売っちゃったわ。)
Li-ion電池に10%含まれるリチウムは、採掘時に水を大量に使ったりする問題はある。ただ、これは「製造時」に限った話であり、内燃機関を使うたび、原油のために油田をあちこち掘り返したり、オイルタンカーが座礁して原油を撒き散らしたりするのに比べれば遥かにマシというものだろう。
xEVには必要となる貴金属類には依然として供給リスクとか採掘時の「児童労働」とかの問題を孕んでいる。ここら辺は全世界的に解決するしかなさそう。需要が増えれば、世界の目がこう言う問題に向くはずなので、我々技術者はそれを期待するしかない。
例えば沖縄は石炭火力の比率が高いため、EVの効率を持ってしてもCO2の排出がHVとかより高くなる。しかし、それ以外の都道府県ではICEよりBEVの方がCO2が低い。原発が動いていない現時点でもね。
PHEVはもちろんICEより遥かにCO2を出さないが、BEVには勝てない。ただ、電力構成によっては逆転もありうるが、ほとんどの都道府県ではBEVの方がCO2を出さない。
(追記: anond:20200211034316 に FCEV vs BEV の効率比較を書いた)
燃料電池車に関していえば、無用の長物と言える。水素を製造する場合にも電力が必要だが、まあこれを再エネで行ったとしても、水素の輸送とタンクに注入する際の水素の圧縮時のロスは非常に大きい。その圧縮の際に再エネを使ったとしても、結局そのエネルギーでBEVを充電した方が効率がいいのだ。
そもそもBEVならば、送電線さえあればいいわけで、わざわざ水素のように輸送する必要がない。
また燃料電池は化学反応なので、アクセルレスポンスが遅いと言う欠点があり、反応のラグを補うために燃料電池車には結局バッテリーが積まれている。
ただ、航続距離は長いために、俺は現代におけるタクシーとかのLPG車みたいに細々と残るとは思う。航続距離が重要なトラックやバス、タクシーなどには燃料電池が使われるかもしれない。
効率以外にも、めんどくさい高圧タンクの法定点検とか、割と問題は多い。水素ステーションは可燃性の水素を貯蔵するわけだから、EVの充電スタンドよりも法的なめんどくささがあるのも確か。
これは燃料電池車より論外。カルノーサイクルに縛られてしまうので、電気分解よりも効率が悪くなる。水素の使い方としては燃料電池よりも悪い。
再エネは不安定と言われる。確かに自然相手なので、予測も難しい。しかし将来的にEVが普及すれば、EVをバッファとして利用することで、不安定さを吸収しグリッドを安定させられる。
これは再エネを導入する動機にもなる。職場に着いたらEVにCHAdeMOを挿しておいて、電力の需給バランスに応じて充電開始、とかが普通になるかもね。
BEVは寒さに弱い。リチウムイオン電池の特性上、寒くなると容量が可逆的ではあるが減る。そのためテスラにはバッテリーヒーターが搭載されている。(ちなみに、寒いノルウェーでもテスラが爆売れしているし、なんと新車の半分くらいの売り上げがBEVという。もはや寒さは問題ではないのかも?(まぁ優遇政策があるからだけどね))
FCEVも寒いと反応が弱まって出力が減るので、そこらへんは考慮されている。
一方ICEも、冬になると燃費が悪化するとされる。US DoEによると、理由は、オイルの粘度低下、温度上昇までの暖機、ガソリンの配合が夏と違う(日本でも同じかは謎)など。他には空気密度によるエアロダイナミクスの悪化とかがあるがこれはEVでも同じだ。オイルなどが原因となって燃費が悪化するのはICE特有だろう。
BEVはまた暑さにも弱い。Li-ionは熱によって不可逆的なダメージを受けて、寿命が縮む。そのためテスラにはエアコンを利用する水冷バッテリークーラーが搭載されている。リーフは空冷で、これが問題だったのか、劣化の問題でざわついていたリーフオーナーも多かった。今は改善されているらしい。
URLを多く貼るとスパム認定されるから貼れないけど、US DoEとかCARB、日本だと日本自動車研究所あたりの公開資料を見ればソースに当たれる。
一つだけ、EV vs ICEの効率について、13分程度で詳説してある動画のURLを貼っておく。英語で字幕もないが、割と平易なので、見てみてほしい。論文ソースは動画の中でよく書かれている。
「製造時の負荷」「化石燃料の発電でEVを使うのは利点あるのか?」「リチウム採掘の負荷」の3つで説明されている。簡単に箇条書きにすると:
https://www.youtube.com/watch?v=6RhtiPefVzM
前述のようにマツダはEVと自社のICEについて、Well-to-Wheelでライフサイクルアセスメントで比較している。その比較におけるLi-ion製造時のCO2排出量のデータだが、2010年〜2013年のデータとなっており古い。しかも、Li-ion製造時のCO2の排出量は研究によってばらつきが大きく、いろいろな見方があり正確性があまりないのが現状。また現状を反映していないと考えられる。例えばテスラ「ギガファクトリー」のように太陽電池をのせた自社工場の場合などについては考慮されていないのが問題だ(写真を見ると良い、広大な敷地がほとんど太陽光で埋まっている)。
また、マツダの研究はバッテリー寿命を短く見積りすぎている点で、EVのライフサイクルコストが大きく見える原因となっている。テスラのようにバッテリーマネジメントシステム(BMS)がしっかりとしたEVは寿命が長く、またLi-ionの発展によって将来は寿命を伸ばすことは可能だろう。事実、今まで電極や電解質の改善によってサイクル寿命は伸びてきた。
テスラは現時点で最も売れているわけだし、このことを考慮しないのは少々ズルいと言える。
"Why Hydrogen Engines Are A Bad Idea" でYouTube検索したらわかりやすいが、噛み砕くと
あと補足すると「エンジン」は爆発によるエネルギーを使っているが、全てを使い切れていないこと。十分に長いシリンダーを使って、大気圧まで膨張させるならエネルギーをかなり取り出せるが、そんなものは実用上存在できないので、爆発の「圧力」を内包したまま、排気バルブを開けることになる。この圧力をターボチャージャーで利用することも可能ではあるが、全て使い切れるわけではない。
あーでも、水素エンジンのメリットが1つあった。燃料電池(PEFC)は白金を必要とするため Permalink | 記事への反応(16) | 01:34
平易な文だが、わけがわからない。「バスの揺れ方で」「人生の意味がわかった」「日曜日」。それぞれの繋がりに全く論理性がない。
「運命の人」の冒頭部がわけがわからない?とは僕にとって驚愕である。各々解釈の揺れ(それが良い詩の証明だろう)こそあれど全くそのドラマを想定できないなんてことが日本語話者にあって良いものなのだろうか。こうやって個人の妄想でしかないものをもっともらしく解説者ぶって書き連ねるのは、作詞者である草野さんに対する不遜なのは重々承知している。僕自身あまり好きでない類だ。しかし全くわからないという人間を目にしてこの3日心のもやもやは晴れないままだった。心待ちにしたスターウォーズ鑑賞中も頭の中はスピッツだ。夜眠ろうにもはーしーるーはーるかーと頭の中でループする。
もういてもたってもいられない。ここに駄文を書き連ねる。
「バスの揺れ方」というのは不規則でとても強力なものだ。電車のような規則性はなく、タクシーのような微々たるものではない。乗客は常に見当もつかない方向から強い力で揺さぶられときにはその力でよろめく。
続く「人生の意味がわかった日曜日」は、逆説的に言って、日曜日でなければ気がつかなかったということを表している。多くの人にとって日曜日は休日である。つまり平日では行われないことがその日起こり、平日では気にとめなかっただろう些細なことがこの気づきをもたらしたのだ。
そして日曜日は週末である。日々の営みが7日で循環するよう設計された人間社会において、日曜日は一つの区切りになっている。労働や勉学に励む小市民ならば、7日間のうちに起こった悲喜交々はこの日を最後に一旦清算され、人々は次の1週間もまたひたむきに日々を過ごしていく。日曜日を意識するこの歌詞の主人公もまたそんな人間の一人だと言うことが読み取れる。
改めて一文を読むと「バスの揺れ方」が連用修飾語として「解った」に係り、「解った」は続く「日曜日」の連体修飾語になっているため、主人公がバスに揺られていたのは「人生の意味がわかった」のと同じ日であるといえる。それぞれが別の日であるなら、バスに揺られた日を示すためにさらに「バスの揺れ方」を修飾する必要がある。なお、バスの揺れかたはバス内部でなければ感じ取れないので、主人公が日曜日にバスに乗車しその日のうちに「人生の意味」に気がついたと断定できる。
ここで一旦まとめると「バスの揺れ方で人生の意味が 解かった日曜日」というのは、
「毎日つつがなく規則正しい生活を過ごしている主人公が、休日が故に起きた特別な出来事をきっかけに思慮にふける。彼はこの日乗車したバスの不規則な振動と、不意な出来事に翻弄されることもある社会の悲哀を重ね合わせた。そして『人生の意味』を悟る。」という内容であると推定される。
不可解な点がまだ残るが歌詞の次行に進みたい。
歌詞を読むに彼は「君」の手を握れるほどそばにいることがわかる。注目するのは「でもさ」という否定形の接続詞で、これにより主人公が「君」の手を強く握るという方法で「人生の意味」に抗う姿勢が示された。
話が戻るが日曜日という日は週末であり曜日の中でも特異な地点である。あくまで僕の考えであるが、歌詞の主人公からすれば日曜に思い巡らせたことは月曜にはリサイクルされてしまうので、「日曜日」に発見した「人生の意味」がこの主人公の行動に影響を与えるのはその「日曜日」に限定されるはずなのだ。そういう意味でもなければわざわざ日曜を指定する必然がない。月曜でも水曜でも歌詞は成立する。よって「強く手を握る」ことで「人生の意味」に抗うことが可能なのは「人生の意味がわかった」日と同日であると考えるのが自然ではないだろうか。
とすると彼はバスに揺られた日曜日に「君」と会って過ごしたということになる。おそらく彼と「君」は同じバスで揺られている。
そして「君」がバスの中でよろめいてその手を彼が支えるという場面があったのだろう。彼は「君」が人生に翻弄されてもずっと支え続けていこうと心に決めるのだ。
つまり「バスの揺れ方で〜」のまとめで述べた"特別な出来事"は、「君」と休日の行動を共にしていることなのではないだろうか。普段ならバスの揺れに不快な思いをしているはずなのに、君がいるときはなんだかそれを感じない、そのことが彼の日曜日を特別にしたんじゃなかろうか。
出だしの2行を僕なりにまとめると
「週末に『君』とのデートをとりつけ心が弾む主人公。普段なら不快なバスの揺れも『君』が側にいれば全然苦でない。そのことに気がついた彼は、小市民として淡々と日々を過ごしているはずの自分にも時々ハプニングが降りかかるその人生の理不尽さと不規則で激しいバスの振動を重ね合わせた。『生きていて辛いことがあっても傍らのこの人がいればそんなことは全然気にならない。』彼はそれを確信する。その時またバスは揺れて『君』が大きくよろめいた。すかさず『君』の手をキャッチした彼。彼自身はその揺さぶりに動じないとしても、この相手は『運命の人だから』挫けることがないように支えていかなければならないと決心する彼であった…」
なお直後3行目の「優しいだけじゃなく偉大な獣」は、この優しく相手を守り支える姿と、揺さぶりに翻弄されず過酷な環境であっても生きていける野獣のようなタフネスという二面性を集約した言葉だと考えて僕は納得した。
確かにこれらには何の確証も論理性もない。しかし聞き手の中にファンタジーを想像させられれば詩はそれでいいんだと思う。
まだまだ書き続けたいが時間がないので書き控える。
ちなみに僕が好きな歌い出しはBLANKEY JET CITYの「ガソリンの香りがしてる」だ。何もわからない。
余談だがスピッツの2ndアルバム「名前をつけてやる」にはその名も「日曜日」という曲が収録されている。「運命の人」が可愛く思えるほどに奇々怪々な歌詞で「晴れた空だ日曜日戦車は二人をのせて」と言葉で歌は始まり、サビで「蜂になろうよ」と相手を誘う。それから6年が経ちデートはちゃんとバスを使うようになり、蜂への変身願望から偉大な獣になる誓いをたてるまでに成長したんだと思うと、なんと立派になって…と親戚のおばさんのような気分にならないこともない。
小説の書き出しを愛でる、という趣向がある。例えば、フランソワーズ・サガン『悲しみよこんにちは』の書き出し、
「ものうさと甘さとがつきまとって離れないこの見知らぬ感情に、悲しみという重々しい、りっぱな名をつけようか、私は迷う。 」
であれば、楽曲の歌い出しを愛でる風潮があってもいいじゃないか。というわけで、いくつかいろいろな意味で気に入っている歌い出しを挙げていく。
平易な文だが、わけがわからない。「バスの揺れ方で」「人生の意味がわかった」「日曜日」。それぞれの繋がりに全く論理性がない。飛躍も飛躍。猛スピードで爆走するバスが聴き手を置いてけぼりにしている。行間を読む力が試される。
さらに難解なのは、次段である。「でもさ」と逆説になっている。そこにいるのは「運命の人」である。運命に対して逆説で語るかね。ちょっとした諦めみたいなものさえ感じられる。果たしてこれはラブソングなのか?
だいたいにして、歌詞の序盤で唐突に出てくる「運命の人」という重要且つ雑なフレーズについて、以降の歌詞で全く説明されない。繊細な歌詞を書くスピッツのことだから、これは意図的にやっているとしか思えないのだけれど、だとすればますます謎は深まるばかりだ。
スピッツ屈指のポップな名曲だが、歌い出しからしてわけがわからない。それを含めて名曲たる所以なのかもしれない。
「あたしの髪が伸びて驚くほど久しぶりになってしまわぬ様に
昨日より少しだけ多めにあたしのことを考えてほしい」
aikoは曲も素晴らしいが、歌詞も素晴らしい。一番好きなのがこの曲である。
歌い出しの部分、要するに「ずっと好きでいて」ということを言っている。西野カナならそのまま「ずっと好きでいて」と歌うか会いたくて震えるだろう。だが、aikoはたったそれだけのことを、これだけの文量で詩的に語っている。胸に迫る。
その続き、
「初めて逢った日にもう一度逢いに行って そしてまた同じ様に
ぎこちなく合った目の奥にいるあたしを愛して欲しい」
これは要するに「ふたりが初めて出逢ったあの日を思い出してね」ということを言っている。実際に西野カナは「トリセツ」で「ふたりが初めて出逢ったあの日を思い出してね」と歌っている。しかしaikoはたったそれだけのことについて、何でこんな奥行きのある言葉が思いつくのだろう。
ちなみに、私は西野カナのことが嫌いなわけではない。西野カナはメロディーにいい感じの歌詞を乗せる技術に関しては天才的だ。BGMとして心地よく聴ける。
「酒、飲ます」
アルバム『GO』の一曲目の歌い出しでいきなりこれである。聴きながら「おや、歌い出しが『酒、飲ます』って聞こえるな」と空耳かと思って歌詞カードを確認したところ、紛れもなく「酒、飲ます」であった。助走もなくいきなり飲んでる。
ついでに言えば歌詞の続きは「学校は最近どう?」であり、誰に酒を飲ませているんだ。
もう食べられるところはないんだ」
最近一番インパクトがあったのはこれである。爆笑した。巨大生物って何だね。メロウでバラードと言ってもいいほどの楽曲で、タイトルに「Confession」とか仰々しく付けられているにも関わらず、歌い出しでこれ。
ももすももすという人は、メランコリック写楽というバンドの元ボーカルももすのソロ名義である。メランコリック写楽時代を含めてほぼ全ての楽曲で作詞作曲編曲をこなしている。それにしたってメランコリック写楽とは何だ。ももすももすってなんだ。ロンゴロンゴかよ。
余談だが、相対性理論以降、ポップな楽曲にかわいい系のボーカルが意味不明な歌詞を乗せることを特徴とするアーティストが散見される。最近だとネクライトーキーとか。もしや遡れば椎名林檎「丸の内サディスティック」に行き着くのかもしれない。何だ歌い出しの「報酬は入社後」って。
こういうジャンルにそろそろ名前が欲しいと思うものの、名前をつけてしまったら陳腐だなとも思う。
You say stop and I say go go go.」
ポール・マッカートニーの作品である。甘くポップな曲調に、上記のような特に意味のないような平易な歌詞が乗せられる。
この曲に対してジョン・レノンが「君の曲には主義主張ってものがないからだめなんだ」みたいなことを言ったらしいけれど、個人的に、音楽は主義主張を抜きにしてポップであればあるほど好ましいと思っているので、この曲は私の中でポップ賛歌みたいな位置づけとなっている。
歌詞も気が抜けていていいじゃないか。ゴーゴーゴー。何も考えずに聴けて幸せになれる珠玉の一曲である。
※
この歌い出しが好き、意味わかんない、笑える、などあれば教えてほしいです。
https://chosakuken-kouza.com/menseki.html
当サイトの情報を元に行った行為で何らかのトラブルが発生した場合、当サイトは一切の責任を負いかねます。
当サイトの文章は専門的な知識がなくても読めるよう、出来るだけ平易な表現で書かれています。
誤解が生じることのないように注意を払っておりますが、必ずしも正しくない表現となっている可能性があります。
当サイトは日常生活で気をつけるべき著作権法について解説しています。
同じサイトの注意書きhttps://chosakuken-kouza.com/menseki.htmlによれば
免責事項
当サイト上にある法律やその他の情報は2012年10月時点での情報を元に書かれています。
その後の法改正や判例によっては必ずしも正しくない情報となる可能性があります。
当サイトの情報を元に行った行為で何らかのトラブルが発生した場合、当サイトは一切の責任を負いかねます。
当サイトの文章は専門的な知識がなくても読めるよう、出来るだけ平易な表現で書かれています。
誤解が生じることのないように注意を払っておりますが、必ずしも正しくない表現となっている可能性があります。
当サイトは日常生活で気をつけるべき著作権法について解説しています。
一般的なケースでの解説をしていますが、すべてのケースで当てはまるわけではありません。
法律的な問題が発生した場合は弁護士等の法律の専門家に相談することをお勧めします。
だそうです
まあ「警察も馬鹿だなあ、コミケにいけば一網打尽じゃねえの」っていうよくある厨房の夢はぜひ夢のままおいといてほしいですよね
淋しくないのですか。
そしてあなたの勘違いの嫌悪感が、相手の気遣いや、マナーから来ていてもあなたには憎しみにしかならないのでしょう。
親が人前で、子どもや身内を「下げて、謙遜した表現する」のは、日本では美しいとされていますが、
あなたは親御さんが当たり前にその表現をしていたことが理解できず、
本音は自慢したいような存在である、あなたは愛されていたこと、わかっておられなくて。
親に嫌味を言われていたなど不思議なことを何度も定期的に書いておられましたね。
可愛い、賢そうなど、本人を知らなくても適当に言える言葉をなぜか喜び、
社交辞令に謙遜でゆる否定するという、お天気の話レベルの「日常よくある会話」に、
親御さんへの不満を募らせて、恨んでいたでしょう。
親に貶されていたのではなかったのではないですか❓
そんなのよくある話ですよ❓
あなたは常識を知らないまま、親の愛を、疑い。老いるのですね。
さらに誰彼なく嫌って、自分から自分を病ませているようにしか見えないです。
増田でのやり取りは
あなたの「(本当は謙遜でしかない言葉に)傷ついた❗️酷い❗️」
身近な存在である親御さんに対する不満さえ、「愛されていなかった。傷付けられた」
どうして人前で褒めてくれないの❓と聞けない。僕は不出来なの❓って親と二人の時にきかないの❓
きけば一瞬で不安も怒りもコンプレックスも霧散するというのに。
まるで「いじめられたい」と言いたげな振る舞い。
親御さんも人なので、しかも幼少のお子がいらっしゃるような頃はお若いでしょうから
不機嫌な事もあるでしょうし、あなた自身、親のしつけを聞いてないし守ってなさそうなのに
「躾が厳しかったと言っていいのは、その躾を守ってきた人だけでしょう❓」
出来ていないのに、不満だけ言うのは怠惰で、不誠実です。
不安や悲しみを自分で解決したいという気持ちがかけらもなくて、
あるいは日常の疑問を教師などの年長者に質問も、できなかったのでしょうか。
私19で教育実習行きましたが、生徒に個人的な悩みも打ち明けられて相談乗ったりありましたよ。
ひと月足らずの研修なのに。ローティーンの悩みはいじめと恋心でした。
恋はわからなかったけど、いじめてくる人の話は、少し相談にも乗りましたし、
担任にも伝えて、注意して欲しい事いいました。
自分で疑問を持たず、感情論で片づけて恨みを持つ人は、単純すぎます。
ひねくれた感情。常識の欠如が招く怒りのしんどさ。なぜ身内なのに自分で確認しないの❓
過剰に喜ぶのも、卑屈になるのもおかしいですよ。
こんにちは、代りに、可愛いですね。が言える人だっておられるでしょう。
接客の方々などは息をするように相手をみないでも褒める事できるスキルをおもちですし。
もちろん、心から褒めてくださる方々もありますよ。でも表向きの反応は同じです。
だから。増田さんは親御さんの謙遜をわざわざ怒るのもおかしい。
親御さんの立場になって、フォローした私にまで「憎しみ」を感じました。
これは。心の闇。頑なに自分の主張を曲げない柔軟性なさ。
よりよい解釈が、今さらでも、そこにあるから喜んで安心してもらいたい一心で、
あなたは、いつまでも「親を嫌いでいたい」事が判明しただけでした。
正直謙遜する親なんて、私自身2歳くらいで構造が判りましたよ。
(親もホントは子供を褒められたら嬉しいけど、取りあえず否定してること。)
パターンがある会話なので、それが判ればまったく気にする必要のない部分、それはお天気の話レベルなこと。
あなたのような賢過ぎる方が、こんな単純なことに悩み続けて「親を逆恨みしている図式」は滑稽でしかなかったです。
それに、もっと気にしなきゃいけない、本筋の部分があるでしょう。
つまらない部分にばかり腹を立てていて被害者のようにふるまっていて、常識人の親御さんが、お気の毒です。
判っていたでしょう。
可哀想な人。そんなつまんないことばかり気にしてると
さぞ疲れるでしょう。
本当は、優しく、繊細で、美意識にあふれているのに、
お商売で、リップサービスを言ってくるような人の言葉にまでストレート解釈して、
本当にあなたに寄り添って、長い月日を歩んでゆく血肉を分けた親御さんにはきつい真逆の解釈。
人間関係。他人にも心があることを、あなたは意識できていないのでは。
言葉に、傷つき、苦しいこともわかりませんか。
あなたに考えて話しかけているひとにも、本質が全く見えていない。
オープンマインドでできれば付き合うほうが良いのは、身近な人たち。
古い友達、一生付き合う親せきや親。
それらに対して、あなたは手を抜いて「牙をむいている」だけのよう。
「自分はこう思った」だけしかありません。「わかってくれ」しかないんです。
相手の振る舞いの意味を「悪意としか解釈できない」なら毎日が闇の中です。
親御さんやご兄弟、仕事の仲間や上司の言葉などは、そんなに批判的に解釈するものなのかな❓
職場の人たちは他人でも、同じように業績を上げ成果を期待されている仲間でしょう。
同じ課の人は、同じ船に乗って目的地に向かう同志のようなものではないでしょうか。
好意的に解釈して、その人の言葉の意味を考えてみてはどうでしょう。
ライバルで競うべき存在なら話は別ですが、直の上司や連携するべきチームの仲間なら、仲良く出来ないと、きついのでは。
疑問はつきませんでした。
周囲は、あなたの心が開かない限りは、話し合うこともできず、
「反対意見」や「命令」に解釈してきついようなイメージがあります。
疲れました。
University of the People (以下UoPeople) というアメリカの大学/大学院について書く。
私は昨日履修継続を諦めたのだけれど、驚きと感謝と、次の時代へのわくわくを込めて、誰かの役に立ちますように。
正式に登録された教育機関で、卒業すれば大卒、院卒を名乗れる。設立されてまだ間もないけれど有名大学や大手企業と提携していて、良い成績を修めれば良いキャリアにつながる道もありそう。
ただし入学審査や各単位での試験料はかかり、入学卒業までに20~30万程度(学士と修士で異なり、奨学金もある)。
英検準1級(学士修士共通)、TOEFL(PBT)500/530、またはTOEFL(IBT)61/71、その他耳慣れない英語資格が入学に必要。いずれも持っていない場合は英語の講義を受けて一定以上の成績を取ることで資格に代えることができる。授業はすべて英語で、課題のほとんどが読み書き(聞く/話すはほぼない)。
入学のための事務手数料にUSD100程度を払えばとりあえず始められる。入試はなく、英語力の証明→選択したコースの授業→最初の2科目で一定以上の成績を修める→この時期までに高校/大学の卒業証明書や推薦状を提出→本入学→卒業、という流れ。
でも仕事を辞める踏ん切りもつかない、入試や面接の準備をするのも気が重い、続けられるかわからないのにお金をかけたくない、ということで、小さく始めてみた。社会人5年か6年目。
残業は均して月50時間、波があり忙しい時期は毎日終電、ひどいと朝帰り、休日出勤が1週間くらい続く。ときどき出張あり。
授業はMoodleと呼ばれる大学のポータルサイトで行われ、基本的に1週間単位で以下の課題がある。木曜始まりで、その週が始まるまで課題にアクセスできず、締め切りを過ぎたら提出もできない。
指定された文献を読む。文量は週によってまちまち。多い週で100ページくらい。文献はWEBページだったり、大学のポータルサイトからアクセスできるデータベース上のPDFだったり(全て無料)。
掲示板のようなものがあり、指定された議題について投稿→投稿するとクラスメイトの投稿が読めるようになり、最低3人にコメント+評価をする。
指定されたテーマについてレポート。「参考文献のページを含まずA4で2~3枚」と指定されることが多かった(行間を開けるよう指定されるので実質紙1枚と少し)。「参考文献を最低2つ用いること」等の指定が入ることもあり、どうかと思いつつ私は日本語の文献を引いていたが、それについて指摘が入ることは特になかった。
翌週、クラスメート3名のレポートを読み、指定の項目について10点満点で評価する。クラスメイトからの評価もクラスメイトへの評価も成績算出の材料になる。
これもレポート。Writing assignmentより「あなたはどう思うか」「あなたの職場の~について説明しなさい」など、個人的なことがテーマになる。これはInstructorと呼ばれるその講義を担当する講師から評価される。
期末にはクラスメイトと合同でレポートを書くなどの課題もあった。
個人的にはReading assignmentが一番しんどかった。英文は比較的平易なもので一文一文は読めるのだけれど、全体としての構成や要点を掴むのに時間がかかり、身になっていると思えなかった。日本語で読んだら大したことないのに、日本語で勉強したい、としばしば思った。最終的に履修を断念した理由もこれが大きく、PDFファイルごとGoogle翻訳にかけたり一度wordに変換して翻訳したり(PDFだと各行に改行が入っている扱いになりうまく翻訳できない。でも結局やっぱり自然な日本語にはならない)、他の課題で使用される英語のキーワードが和訳のどの語に相当するのか探すなどの学習と関係のないことに時間を割かなければならず時間が足りなかった。「一講義あたり週に最低15時間必要」というのが大学の公式見解で、私の場合は20時間は必要だった。これはどこまで真面目にやるかにももちろん依るのだけれど、「適当にやってほどほどのクオリティを保つ」というのは母国語だからできることだとも思う。
クラスメイトやインストラクターはみんな感じよく前向きなコメントをくれた。「世界中の人に学習の機会を」というのが大学のコンセプトで特に途上国の人にフォーカスしているけれど(実際イラクやシリア、ナイジェリア、モロッコ等のクラスメイトがいた)、MBAに限っていえば非英語圏の人から徐々にいなくなっていき、最初の講義が終わるころには半分以上がアメリカ人だった。(グループ課題もアメリカ人と非アメリカ人で分かれていた。おそらくネイティブの議論のスピードや参考文献の量に非ネイティブは付いていけないだろうという的確な配慮。)
最初の講義はなんとか食らいつき悪くない成績で修了し、次の講義は海外出張と忙しさの波でドロップ、その次の学期まで待って今また始めたけれど、資料を読み切れない。英文で問題なく読解、記述できる人には良い大学だと思う。(私にはそんな余裕なかったけれど)質問すれば答えてくれるし、追加の文献も与えてくれる。英語力があがるか時間ができるかしたらぜひ再開したい。
真面目に回答したら良いのかな?
おそらくは日本でネット投票がまともに解禁されるようになるには、インターネットで使われる情報技術の標準規格を選定するW3Cが定めたSelf-Sovereign Identity(SSI)というポリシーに則ったDecentralized Identifiers(DID/DIDs)が日本でまともに運用されてからだと思われる。
Self-Sovereign Identityとは訳すと自己主権型アイデンティティで、これは技術の規格というよりも技術を開発・運用するためのポリシーなんだ。
詳しくすると論文が書けてしまうので要約するけどSSIでは以下の10項目が提言されている。
これらの10項目はまだ上手い日本語訳が無くて俺の意訳が含まれていることに注意してもらいたい。
このSSIが何を言いたいかといえば個人情報の公開を第三者ではなく個人自身が管理・制御できるべきということなんだ。
SSIを定めたW3Cはそのポリシーに則って個人情報を管理するためのシステムの仕様を定めた。
それがDecentralized Identifiers(DID/DIDs)で、これも訳すと非中央集権型識別子ということになる。
何のことだが小難しい漢字語になってしまったので、より現代人へ理解しやすく平易な言葉へ置き換えると分散型デジタルIDと表現したほうが理解しやすいと思う。
現在、個人情報(アイデンティティ)というものは中央官庁や巨大企業によって中央集権的に管理されてしまっている。
これでは個人情報の本来の持ち主である個人が自由に利用することが難しいし、そして自身の個人情報がどのように扱われているのかというのを把握するのが非常に難しくなってしまっているよね。
更には中央官庁や企業としても日本国法で言うところの個人情報保護法の兼ね合いで個人情報管理に関して大きなコストを支払わざる得なくなっており、もし仮に個人情報が流出した際に賠償責任などのリスクを負う可能性があるのが現状だ。
そこでW3CはSSIポリシーに則ったDIDという仕様を定め、これまで問題視されてきた個人情報管理の問題点を解消しようと近年動き出している。
DDIはブロックチェーンにより分散的に個人情報を管理しつつ改竄を防ぐ仕様が取られている。
更に特徴的なのは個人が個人の意思によって個人情報請求に対して公開したい範囲の個人情報のみを開示できる仕様になっているんだ。
これはどういうことかと言えば、現在の日本ではタバコや酒類を購入することに関して成人であることが条件になっていて、成人認証には運転免許証やマイナンバーカードなど公的機関が発行する資格・証明証が用いられている。
この問題点はタバコや酒類を購入する際に必要な個人情報は「成人である」という証明だけのはずなのに、例えば運転免許証であれば氏名や現住所、許諾されている運転車両の範囲など余計な個人情報も記載されてしまっていることが問題なんだよね。
しかし、DIDを用いるとタバコや酒類の購入者が開示する情報は「成人である」ということができるようになる。氏名も生年月日も現住所も許諾されている運転車両の範囲も開示する必要がないんだ。
これは中央官庁や企業に取っても非常に安心な仕様だ。何故ならもし誤って個人情報を流出させてしまっても流出するのは誰のものだか判然としない「成人である」という情報のみだから。
他にも携帯電話通信契約などの場合でも本人確認や法的に契約できる者なのかを確認しなければ契約の締結はできないけれど、DIDを用いると開示する情報は「本人である」というものだけになる。
契約業務をする目の前のスタッフはアナタがどこの誰だか全くわからないけれど、アナタが本人であることを知ることができる。こういうことを可能とするのがDIDというシステムなんだ。
ポイントカードやクレジットカードもDIDと紐付けば何枚も持ち歩く必要なんてなくなる。
そして選挙は本人であることや、投票できる年齢であるかどうかを確認したり、投票の秘密を守らなければならない。更に言えば投票の集計もしなければならないよね。
DIDは中央集権に寄ることなくアナタが本人であり投票できる者であることをアナタの許諾を得て承認し、投票の秘密を守り、更にはコンピュータだから超高速に投票集計もしてくれるんだ。
SSIの透明ポリシーによって投票集計のプログラミングコード・アルゴリズムもオープンに公開され公正に選挙が行われる。
これが最も先進的な個人情報管理のために提言されている新しい技術だ。
ギャルゲは「選択肢」「マルチエンディング」「音楽」「セックス」などに依存するのでラノベが「ギャルゲそのもの」ではありえないですね。
もちろんヒロインの造形やタイムループネタなどギャルゲに影響を受けているのは確かですが、まあそれは2000年代のオタクコンテンツ全般に言えることではあります。
むしろ手垢のつきまくった言説ですよ。
つまり、大人向けのインテリ感をまとわせた一般小説とは対照的に、平易な文章で若者の色恋などを中心にして萌えカルチャーを汲んだ娯楽的読み物。
一般向けの小説を「インテリ感をまとわせている」と言っている時点で読んでない感がありますが…。
そもそも「萌えカルチャー」というものは漫画・アニメ・ゲーム・小説が複合的に影響しあって育まれてきたものであり、ギャルゲだけに源流を求めるべきではないですよね。
それが90年代中~後半では葉鍵などのギャルゲという形で、00年代後半~現在では珍妙なタイトルの今風ラノベという形で表れていると考えられる。
ギャルゲ文化の最盛期は90年代後半〜2000年代前半でしょう。
具体的にどういう形で表われていると言っているのか分かりませんが、現在のラノベにどういった作品があるかご存知なんですか。
というか90年代〜2000年代前半のラノベはどこに行ったんですか。
どちらかと言えば「昔のラノベは素晴らしかったのにギャルゲ文化が流入して変質してしまった〜」と根拠もなく語る懐古厨が多い印象ですね。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 88 | 10459 | 118.9 | 53.5 |
01 | 47 | 9590 | 204.0 | 58 |
02 | 34 | 9511 | 279.7 | 71 |
03 | 36 | 2158 | 59.9 | 33 |
04 | 13 | 4101 | 315.5 | 43 |
05 | 16 | 7793 | 487.1 | 144 |
06 | 20 | 9321 | 466.1 | 94 |
07 | 23 | 7355 | 319.8 | 59 |
08 | 64 | 17042 | 266.3 | 36.5 |
09 | 81 | 7234 | 89.3 | 28 |
10 | 136 | 9859 | 72.5 | 40.5 |
11 | 202 | 19751 | 97.8 | 50 |
12 | 191 | 13646 | 71.4 | 46 |
13 | 150 | 11382 | 75.9 | 41.5 |
14 | 137 | 13849 | 101.1 | 39 |
15 | 102 | 8375 | 82.1 | 31 |
16 | 151 | 11873 | 78.6 | 38 |
17 | 170 | 20004 | 117.7 | 47.5 |
18 | 148 | 12296 | 83.1 | 46.5 |
19 | 65 | 15460 | 237.8 | 52 |
20 | 127 | 17728 | 139.6 | 44 |
21 | 112 | 16562 | 147.9 | 36.5 |
22 | 115 | 8577 | 74.6 | 31 |
23 | 129 | 11812 | 91.6 | 32 |
1日 | 2357 | 275738 | 117.0 | 43 |
エビル(6), 自然公園(4), 冥土(4), 私的制裁(3), 最大規模(3), リョナラー(4), 歩けよ(3), 呼吸困難(3), 実数(9), 安否(4), i-mode(3), 物証(38), 安全ピン(60), 痴漢(203), 男性差別(38), 冤罪(42), 件数(13), 起訴(11), 痴漢冤罪(12), 車両(27), 女性専用車両(33), 少女漫画(16), 刺し(17), 刺す(13), 善良(14), 下方婚(17), 被害(29), 加害者(12), トイレ(28), 叩き(38), 証明(24), 確定(12), 頑張り(9)
■増田ではバカ向けの平易な文章で語り合おう! /20190527000111(10), ■TOEICで100点とれるようになるコツ /20190527173334(9), ■負のオーラって何? /20190526232537(8), ■女が結婚相手の年収を見るなら /20190527163757(8), ■もしも桃太郎が一行がITのスタートアップだったら /20190526220716(8), ■紙ってこの世から無くなるのでは? /20190527083451(8), ■なか卯のBGMが大嫌い /20190526193448(8), ■少女(女性)漫画が海外で売れない理由って何だと思う? /20190527105432(8), ■正義活動に囚われてる人ってほぼほぼエビルだよね /20190527063057(7), ■弄られすぎて病んだ /20190527172355(7), ■今日誕生日なんだよ /20190527093316(7), ■風呂入ってる時皆何してるの? /20190527160616(7), ■メダカの赤ちゃん、全滅。 /20190527010609(6), ■AV的シチュエーションは虚構だからこそ楽しい /20190527154238(6), ■ /20190527201552(6), ■もう大人だろ、とか言わないでくれよ /20190527220748(6), (タイトル不明) /20190527134522(6), ■「男は全員性犯罪者予備軍」ではない /20190527154002(6), ■みんなよく生きてられるね /20190527201123(5), ■トイレでうんこした後なにかを忘れたような気がして仕方がない。 /20190527103428(5), ■あるおっさんの性欲 /20190523220941(5), ■孤独死した死体を回収してくれるサービスが欲しい /20190527133158(5), ■公務員がアイロンをピシっとかける行為に税金を払いたくない /20190527175957(5), ■anond:20190527131356 /20190527131652(5), ■セックスした /20190527012645(5), ■一人暮らし5年やって生活を変えた点 /20190526004927(5), ■8万円のスマホ /20190527204809(5), ■いつまで手で皿を洗って消耗してるの? /20190527230400(5), ■ごくごく飲める←自信なさげやな /20190527123222(5), ■デートってさぁ /20190527181048(5)
6300508(3303)