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2019-07-05

アメリカ映画を観た思い出について約10年前祖父に聞いてみた記録

※本人より聞いたまま書いたため何処まで正確な事柄なのか不明

祖父、当時83歳)

――初めてアメリカ映画を観たのは何才頃でしたか

映画昭和14年の10月ごろから観はじめた。当時14歳で静岡県浜松市の卸問屋丁稚として働き、主にそこの配達仕事をしていた。その仕事にある程度の余裕ができてきたので、暇なとき映画を観に行けるようになった。映画館で映画を観たのは海兵に志願する前の18歳頃までだった。行っていた映画館は何軒かあって、機場町か塩町にあった「浜松アズマ座」、連尺町の「松竹館」、「浜宝映画」に主によく行っていた。その中でもアメリカ映画などの洋画は、「浜松アズマ座」でのみ見ることができた。映画会社の協定か何かで決まっていたらしいね映画館には、フィルムの新しい、最新映画を見せる封切り館と、何ヶ月かまたは何年か前の映画を見せるところと二種類あったが、「アズマ座」は封切り館ではなかったので、たまにエノケン榎本健一)の、まげものコメディ映画らしいです)を最新作として上映していたほかは、何ヶ月か、または何年か前の古い映画の、特に洋画を流していたよ。当時映画は2本立てが普通で、それに加えて短いニュース映画がついていた。(ニュース映画は、戦時中だったためかなりプロパガンダ色のつよい内容だったようです。)邦画邦画邦画の2本だったけど、洋画を見るとき邦画洋画一本ずつがセットでの2本立てだった。洋画の方が邦画に比べて長かったからじゃないかな、だいたい洋画が1時間半くらいで、それに短めの邦画が一緒にやっていた。

――洋画を観に来ていた人達の年齢層は?

洋画を見に来ていたのは、若者が多かった。英語を習っている学生なんかも多かったよ、映画字幕だったから。自分も観ているうちに「カモーン」などといくらか覚えた。昭和12年頃はトーキー(声が入っている映画)と無声映画に弁師がいたのと半々だったけど、自分映画を見はじめた頃にはもう大体今みたいな映画だった。あと、洋画は、高校生以下は保護者同伴でないと観に入ってはいけないという決まりがあった。自分学校に行ってなかったか関係なく観ていたけども。

――どんな映画を観た?

初めて観たのは「ターザン」。20世紀フォックスだったかの、ハリウッドもの映画だったよ。主演のターザン役が何回も変わっていて、ターザンシリーズは4本くらい観たことがある。バスタークラブがやっていたのは覚えている。(バスタークラブが主演を演じたのは「蛮勇タルザン」(1933) Tarzan the Fearlessターザン役をやっていた奴は皆、オリンピックとかでメダルを取った選手だったみたいだよ。でも、「ターザン」を観た、と言ったら「そんなもの観るなんてガキだ」と奉公先の年上の人たちに馬鹿にされた。その次に覚えているのは、「ジェロニモ」。昭和15年に観た。タイロンパウアーが出ていた。(タイロン・パワーのことだと思いますしかタイロン・パワーは「ジェロニモ」に出ていないようなので人違いでしょう。)アメリカマフィアやなんかのギャング映画あんまり受けてなかったなぁ。よくわからなかった。見た中で一番印象に残っているのは「再会」(1944制作原題TOGETHER AGAIN日本公開は1947年。このため、祖父が実際にこの映画を観たのは戦後であるのかもしれない。) シャルル・ボアイと、女の方がアイリン・ダンがやっていた。記憶喪失した女性が何年かして再び記憶を取り戻す話だった。

――その後は観る機会はなかったのですか?

19歳から兵隊として海軍へ行っていたので観られなかった。横須賀の竹山海兵団に3か月、そこで試験の成績がよかったので、飛行機整備学校へいって飛行機の整備についての勉強をしたよ。戦争も終わりの方だったから、整備学校では4か月ですべての事を勉強させられた。そして海軍整備士として働いていたのだけど、そこで娯楽として洋画が観られた。教育間中や、新兵にはみせなかった。「進め竜騎兵」(1936年制作)「ドナウ川さざなみ」(詳細不明)「青きドナウ」(1963年公開のためこれも記憶いか?)などを観た。あまり色んな種類がなかったらしく、同じ映画を何度も観せられた。

――なんで軍隊の中で観ることができたの?

敵の情報を知るため、というのが名目だった。でも、軍でみているということは他言してはいけないといわれていた。アメリカ映画を娯楽として観ることができたのは海軍だけだったみたいだ。映画フィルムは、映画から取り上げたものを上映していたらしい。映画を見るときは夕食を30分早くやって6時以降に観た。右舷、左舷と二つのグループに分かれていて、交替で観ていた。その頃は就寝が8時、飛行機の整備のためにパイロットの連中よりも1時間早く朝2時に起こされ飛行機の整備をしていた。

――戦争が終わった後は観に行った?

戦争が終わった後は、映画なんて見ている余裕がなかった。戦後すぐは警察官になっていたので、仕事の見回りで映画館にも観に行ったことはあった。でも昔ほどは興味がなくなり、外でたばこを吸ったりしている時間が多かった。

2019-03-15

ハリウッド初のトーキーミュージカル映画観てるけど

ミュージカルシーンを見てると

ハリウッドもこんな所から出発したんだなという気持ちになる

2018-08-22

anond:20180822091718

ぜんぜんわからない、俺たちは雰囲気で演技を語っている、ってやつだよ。

舞台役者大袈裟な身振りで声を張り上げて演技する。

そうしないと離れた客席にいる観客に分からいからだ。

昔の映画無声映画だった。

からパントマイムみたいに大袈裟動作や表情で、感情を伝える演技が求められた。

1930年代からトーキー映画が始まって、より自然な演技が求められるようになった。

そんなときに「メソッド技法」というのが登場した。

役柄の生い立ちや深層心理まで想像して「なりきって」いくというもの

ロバート・デ・ニーロとか有名だよね。

タクシードライバー役をやるために実際にタクシードライバーになったりする。

そうやって役柄との一致率を高めていく。

一時期は、このメソッド技法が「名優の条件」みたいな扱いだった。

たとえばどんな役も上手く演じる「カメレオン俳優」が評価され、

逆に「何を演じても同じ印象」みたいな俳優演技力がないとするのは、

メソッド演技的な見方だ。

ただ、そのメソッド技法批判は多い。

共演者協調しにくいとか、台本の変更に弱いとか、精神的肉体的に負担が大きいとか。

台本どおりにやれよ」と言ってメソッド演技を嫌う監督も多い。

からハリウッド俳優たちも全員がメソッド演技をやってるわけじゃない。

多くの人が演技を評価するとき、何らかの価値観を前提に置いている。

極論、「棒読みが悪い」とされているのは「声に感情を込めるべきだ」という価値観があるからだ。

でもなぜ声に感情を込めるのか?を突き詰めれば「好み」としか言いようがない。

だって現実には無感情な声を出す人なんていないだろ?」というのも

「演技は現実であるべき」という価値観にすぎない。

誰々の演技が上手だ下手だというような記事をいくつか読んでも、

「この人はこういう演技が良いと思っているんだな」ということしかからない。

映画の題材、割り振られた配役によって、求められる演技も違ってくるだろう。

俳優の演技が下手」なのではなく「キャスティングが下手」なのかもしれない。

どんな演技だろうと映画おもしろけりゃいいんだよ!ということかもしれない。

でも自分の嫌いな演技が目につけば映画全体もつまらなく感じるかもしれない。

演技を気にしていない観客のほうが、より多くの映画を楽しめるのかもしれない。

2018-04-18

anond:20180418090227

じゃあ「映画」のことはもちろん「トーキー」と呼んでるんだよな?

2017-08-02

https://anond.hatelabo.jp/20170802190250

エンタメ性や撮影技術があるのは同意だけど

あの時代の演技だけは模倣すべきではないと思う

(で、案の定黒澤シンパ化石連中がもれなく模倣して世界で滑ってます

 

あれまだハリウッド舞台演技やトーキーの影響下にあったし

メソッド技法も浸透してない頃の名残で過剰演技ぎみなんだよね

 

あの頃のような漫画チックな演技で

酷評されまくった藁の楯の二の舞にならないで欲しい

2017-03-29

2次元コンテンツ興隆が、邦画の演技を更に稚拙なモノにする可能

 アニメ漫画などの二次元コンテンツにおいて、目に飛び込んでくる情報

漫画なら僅か1~2ページ

アニメなら秒間8枚程度と「制約されたコンテンツなのは言うまでもない

現実世界には当然の、ボディランゲージ、顔の微細な表情等の動きが抑制される

(アニメ表現できなくもないが、秒間24枚も絵を描いたのでは採算に合わないだろう)

したがって、仕方なく演技や声色をオーバーにし

読者、視聴者感情を伝えるという合理的意味合いがある

 だが、映画などのハイエンドコンテンツにおいて二次元のような感情表現をすれば

世界からは当然、チープなものとして一笑に付されるは言うまでもない

ハリウッドではトーキーに移り変わった時点で(つまり、音声という新たな表現方が加わった時だ)

「制約された」コンテンツ大仰な表現方法時代遅れ認識され、

メソッド演技などで明確に否定された

 しかし、邦画において二次元コンテンツ原作作品は無情にも増えつつあり、

二次元的演技への抵抗も少なくなっている

 そこに2.5次元など、二次元的演技と三次元的演技の境界を崩そうというコンテンツが追い打ちをかける

2.5次元声優や生身の俳優が演じ、低予算である以上、舞台との親睦性が高いが

舞台演技もまた客との距離カメラアングル表現が出来ない等の「制約」が課されるコンテンツであり

二次元的演技を受け入れる土壌が整っている(藤原竜也など、舞台俳優の演技が大仰なのを鑑みれば当然だ)

 もう既に手遅れに近いが、どこかで一線を引くべきだろう

とりわけ、邦画界は舞台俳優の影響力が大きい

今後、2.5次元出の俳優などが成長し、日本的マンガ演技メソッドの影響を受けたまま地位を得れば、

日本の演技が世界通用することは金輪際なくなる

2015-08-29

http://anond.hatelabo.jp/20150829231502

ハイエンド系が持て囃された時代はあったがそれが最先端だったことはないだろ。

つうかハイエンド系とエロゲ比較してる時点でお前は何かを勘違いしている。

ハイエンド系」って言葉が何を指すのかがよく分かってない奴らが塊魂の如く取り込みまくった無数のジャンル全部をまとめてごったまぜにして「よく分からないけど超すごい何か」を脳内に買ってに作り上げてる匂いがしてしょうがないんだが。

そもそも「何を持って最先端としているのか」がお前の文章の中では曖昧なんだよね。

物語ピーキーさを持って最先端とするならエロゲは昔あった小説の焼き直しだらけだから最先端どころか単なる黄泉返りだし、表現方法においても単なる紙芝居からトーキー映画に完全に負けてる。

CG技術に関しては下は素人にすら負け上は海外ゲームフルボッコ

あえて何か最先端だった所を上げるとすると「消費者の間で何か大きなブームが起きる際の種火や中心」としてなんだが、これに関してはかなりいい線いってた時期がある。

葉鍵全盛期とか型月全盛期とか呼ばれるアレな。

でもまあそれぐらいじゃないかなと思う。

ただこう考えると「お前の言うハイエンド系」が何を指してるのかわからないんだけど少なくとも「俺の知ってるハイエンド系」が消費ブーム火付け役として最前線走ってたことは無いと思うんだよね。

あと作り手の側で最前線だった事も無いと思う、だってそれもまた既に他で使われている技術を数年や10年遅れで追いかけなおしてるだけだからね。

2015-07-24

新しいジャンルが生まれる度に歴史は繰り返される

時代ごとに新しいジャンルトーキー映画だったり、アニメだったり、漫画だったり、ゲームだったり、同人誌元ネタだったり)が生まれ

  ↓

当初は簡単な物語の作りの作品が多いが目新しい表現により大いに盛り上がる

  ↓

過去ジャンルから物語の設定やアイディアを輸入した作品が登場し「深い!」「名作!」「神!」と持て囃される

  ↓

アイディアを盗む過去作品が無くなるに連れて似たような作品だらけになる

  ↓

ジャンルマンネリ化が進み粗製乱造状態になる

  ↓

新しいジャンルが生まれてそっちに人が流れる

  ↓

「昔はここも栄えていた」と老害みたいな事を言い出す連中が現れる

2008-03-16

http://anond.hatelabo.jp/20080315235208

その方向で正しくたとえるなら、こうだろ(笑)

ある日偉大な総統様が次のようにおっしゃった。

「8ビット時代のゲームには名作が多い。原点に帰るために、今後ファミコンよりも

 描画性能の高いハードの利用を禁止する」

とか

「白黒サイレント時代の映画には名作が多い。原点に帰るために、今後カラー映画

 トーキー映画の製作は禁止する」

とか。

そこへ、俺たちは「表現の自由が守られてすばらしいなあ!」と賛成しなきゃいかんの?

 
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