2024-03-22

今の職種であと20年働くことにしんどさを覚える

他業種に転職することのデメリットがでかすぎる年齢になって今更ながらに「あーこの人生を続けるのはしんどいなー」となってきました。

今やってる仕事に対しての厭世感みたいのが爆発しましてね。

つまる所は社会に対して貢献できていると信じようとした気持ちが折れたんですわ。

別に社会にとって害になってるとまでは思いたくはないんですが……どうなんだろうね必要だと思わせてその実ムダなことに時間と金を使わせているだけの寄生虫なのかも。

これがヤクザパチンカス軍隊みたいな分かりやすい「自称必要悪』(笑)」だったらいっそ全部割り切れたのかも。

でもなんかこう、自分仕事はそういう枠じゃなくて社会の役に立ってるんだよーと信じようと努力たこの20年ぐらいの時間がね、結果としていざ自己茹で蛙化に失敗した際に受ける火傷の酷さに繋がったわけですよ。

いやー本当ね、結局仕事で一番大事なのって「俺は社会の役に立ってる」もしくは「俺は社会の役に立ってないけどうまい汁は吸えてる」って信じられるかだと思うんですよね。

社会の役にもたってない癖に押し売りをしている人間が当然のように味わうべき辛酸を舐めて暮らしているっていうのは、人生物語の形としてとてもメンタルよろしくない。

悪なら悪で幸福になりたかったし、不幸であるならせめて善でありたったか

こんな仕事をあと20年というのはキツい。

創作活動でもしろって言うんだろうけど、今の俺には創作活動社会の役に立っていると信じることさえ出来ない。

だってさ、別に誰かが上手な絵を描いたからってそれで社会が本当によくなるか?

アフリカの飢えた子どもたちが救われるか?

誰かがアフリカの飢えた子供に手を差し伸べようって思うために、プリキュアみたいなアニメを見て情操教育する必要があるんだとか言った所でさ、そもそも本当にアフリカに貢献してるのは、他人に手を差し伸べるだけの余力を社会に生み出している人達じゃん?

1人の一次産業者と1人の二次産業者がハーバー・ボッシュ法魔法をつかってたった2人で100人を食わせることによって、誰かの手元に余ったパンが生み出されるわけじゃない?

貧乏を乗り越えて絵を描いて暮らしてるんだぞ俺は凄いんだぞなんて漫画家エバった所でさ、そもそもお前が食べているパンを生み出すことにお前は貢献しているってどうして思えるんだよって話じゃない?

たとえば100人パンを配るために頑張る配送業者、パンを実際に売っている小売業、そういった人達でもなんでもない人間が、社会に貢献してるってどうやって信じられるんだよ?

俺はさ、社会に余力を生み出したかったんだと思う。

そうしたらさ、それがいろんな形に、それこそどこかの絵描きが絵だけ描いて暮らせるような社会的な余剰へと繋がっていくし、どこかの国で貧しさを理由武器を取っていた少年兵が開放されて学校に通えるようになるって、そういう風に好きなように都合よく、自分がこの社会に貢献していることで世界が上手く回っていると信じながら生きられたと思うんだよ。

俺が本当に望んでいた形で俺の人生を使うことが出来なかった。

なんで俺はもっと分かりやすく、自分の望む形で自分の力を使っていると信じられる仕事につかなかったんだろう。

愚かな連中を俺が上手く導いてやることで、社会効率的に回って余剰が産まれるのだ……なんて妄想を信じて学部を選んで、そんなくだらん全能感を捨てられないままに仕事を選んだんだ。

そしてなんでこの年になって今更後悔している……。

でもさ……今から別の仕事につくのは怖いよ。

だってこの年で新人からスタートなんて、ちょっと恥ずかしいじゃないか

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん